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8月号の生活の発見誌に脊髄性筋萎縮症の人の話がありました。体の自由が効かなくなり、とても辛そうでした。この方が精神科医のヴィクトール・フランクルの創造価値、体験価値、態度価値の話をされていました。この方は創造価値、体験価値の実現は難しくなったが、態度価値だけは残されているので、態度価値に焦点をあてて、ラストステージではなくアナザー(もう一つの)ステージの道を追求していきたいと言われていました。これに刺激を受けてフランクルのいう態度価値について考えてみました。フランクルは、人間は困難な状況に陥った時生きる意味を求める存在であると言っています。分かりやすくいうと、困難に陥った時、意気消沈して自己否定して打ちのめされるのではなく、それを受け入れてどう乗り越えていくのかを考える生き物だと言っているのです。そのことを、「人間は人生から生き方を問われている存在である」と言っています。フランクルのこの考え方は「ロゴセラピー」として知られています。難しい言葉ですが、フランクルは死と隣り合わせの極限状態で、肉体的にも精神的にも生き延びるためのコツをつかみました。それをまとめて仲間たちに紹介しています。・どんな絶望的な状態に置かれても、小さくてもよいので将来に希望や夢を持って生きていくことが大切になる。・困難を神様から課題や宿題を出されたと受け取り、自暴自棄にならずに前向きに生きていく。・苦難を乗り越えることで、新たな能力を獲得し、人間として一回り大きくなれる。・困難な時は自分一人で孤立しないで、お互いに助け合い、励まし合って生きていく。この記事を書いた方は、想像を絶する大病に襲われたとき、今までの生き方の問題点や認識の間違い、これからの生き方を見直すきっかけとなったようです。元気で仕事や生活をしていた時は、自分の人生をしみじみと振り返ってみる機会はなかったということかも知れません。大病になって初めてそのチャンスが巡ってきた。大病になったことは辛いことですが、そういう機会を与えられたということはとても幸せなことです。それを文章や映像として残せば、後世の人に貴重な財産を残すことができます。人様の役に立つことを残すことができれば、立派な人生を全うしたということになります。森田では「清水の舞台から飛び降りるような気持になれれば神経症は治る」「俎板の鯉のような気持で不安と付き合えば神経症は治る」などと言われます。逃げ道が一つでも残されていると、それが障害となってなかなか覚悟を決めることができません。これから先過酷な災難がやってきたとき、この記事を参考にして、これまでの人生を振り返るチャンスがやってきたととらえるようにしたいものです。
2024.09.27
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達磨大師の仏性論に次のような言葉がある。「故に至人は、その前を謀(はか)らず、その後ろを慮(おもんばか)らず、念念道に帰す」森田先生はこの言葉を次のように説明されている。至人、すなわち達人で悟った人は、金をなくしたとかいって、以前のことの繰り言をいったり、「来年のことをいうと鬼が笑う」というように、当てにもならぬ未来のことを空想するようなことをしない。ただ念念道に帰して、そのときどきの現在に対して、全力を尽くすというくらいのことであろうと思うのである。(森田全集 第5巻 385ページ)私たちの心の中は、絶えず過去のことを後悔し、これから先のことを取り越し苦労しています。望月俊孝氏はこの2つでエネルギーの90%を奪われていると言われている。「今、ここ」に集中している時間はせいぜい10%程度だと言われているのです。(自分が変わる本 フォレスト出版 101ページ)集中しなければならないときに、他のことに気を取られてしまうと、心がついうわの空になってしまいやすいということです。特にネガティブな過去の出来事や将来の予期不安がでてきてお節介を焼くのです。潜在意識の中には行動に待ったをかけるネガティブでマイナスの記憶がいっぱい詰まっています。うわの空で行動すると集中できないので出鱈目になってしまいます。「今、ここに」注意や意識を持ってくる方法としてはマインドフルネスがあります。そのなかに、「食べる瞑想」というものがあります。例えば、おにぎり一つを、五感をフルに使って感じながら、30分ほどの時間をかけて食べるといった方法です。まず心を落ち着け、おにぎりをじっくり観察します。おにぎりの形や一粒のお米の色つやをよく見たり、匂いを嗅いだり、手にもったときの重さや温度、手触りを感じたり、それから一口ずつ、ゆっくりと味わって食べます。十分に噛んでから飲み込み、口にしたおにぎりが胃に落ち着き、少し重みを感じる様子まで感じ取ろうとします。(願望実現脳は1分でつくれる 山富浩司 大和出版 214ページ)これを山富浩司氏は、「3段食べ」と呼んでおられます。まず、食べる前。食事を見て、「おいしそう」と思います。次に、食事の最中、食事に集中して味わい、「おいしい」と食べます。テレビを見ながらといった「ながら食べ」はしません。食事を楽しむことだけに集中します。最後に、食べ終わってから、「おいしかった」と食事の余韻を味わいます。こうして食べると、一度の食事で「食べる前」「食べている最中」「食べた後」の3回も感動できます。感動を覚えたとき、脳内ではドーパミンというホルモンが出ることが分かっています。ドーパミンが出やすくなると、小さなことにも喜びや幸せを感じられる「幸せ体質」なっていきます。そこが重要なのです。その他、山富浩二氏は、「今 ここに」に集中するために、マインドフルネスタッピングを指導しておられます。これは比較的取り組みやすいので毎日のルーティンに取り入れています。
2024.09.12
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普通自分が神経症で苦しんでいるのは、親の子育てに問題があったからだと考えます。これは、フロイトの提唱した原因―結果論の考え方です。この考え方に立つと、親の子育てを非難・攻撃するようになります。親を非難・攻撃したところで、症状が改善できるわけではありません。いつまでも親といがみ合い、親子の人間関係はますます悪化しそのうち犬猿の仲となります。それだけでは済みません。今度は自分が親となったとき、自分の子どもに対して同じような子育てをするようになります。その結果子どもがさまざまな問題を抱えて苦しみ、親である自分を恨むようになるのです。負の連鎖が繰り返されるのです。確かに、幼児期のなんらかの経験が現在に影響を及ぼしている可能性はゼロではありません。しかし、その人の現在の行動を決めているのは、現在までのありとあらゆる学習体験であり、家庭環境であり、対人関係であり、遺伝的要因であり、それに偶然が重なったものです。つまり、なにが直接的な原因であるかということの特定は不可能です。アドラーの考え方は原因―結果論ではなく「目的論」という考え方をします。過去にこういうことがあったから、今現在こういう問題を抱えて苦しんでいるのだというのではなく、行動するにあたっては必ず何らかの「目的」があり、その「目的」を達成するために、過去の問題行動を利用しているのだという考え方です。アドラーの「目的論」に添って自分を分析してみました。私は他人から非難・否定されて、傷つくことに耐えがたい苦痛を感じます。他人にうかつに近づいていくと、いつか回復できないような大きな痛手を負ってしまうだろう。傷つかないためには、どうするか。自分の方から積極的に他人に近づかないようにした方がよい。そうだ。車間距離を十分に確保すれば他人の言動で自分が傷付くことはない。他人が自分のテリトリーに入り込込んできたときは、排除するようにした方がよい。そういう気持ち(目的を持って)で他人と付き合ってきたわけです。いつも警戒態勢を崩さないので、他人との付き合いは希薄になります。対人関係はぎくしゃくし、対立的になります。最後には孤立してきたのです。しかし、人間には「所属欲求」があります。人の輪に加わっていないと、生きていけません。自分の居場所がなくなります。そのために私がとった対策は、みんながびっくりするようなことをして、居場所を確保しようとしたのです。この対策は途方もない労力がかかる割には期待したほどの成果に結びつかない。居場所が確保できないばかりか、総スカンを食らいました。これは今考えるとやり方が悪かったとしか言いようがない。どうすればよかったのか。仕事で自分に与えられた責任をきちんと果たす。常識的な付き合いを欠かさない。相手の役に立つようなことをする。人間関係ではあいさつをきちんとする。相手が不愉快になるようなことは口にしないようにする。不快な感情を爆発させるようなことをしない。人間としてあたりまえのことをきちんとこなしていれば、自分の居場所は確保できたのではないかと思われます。(アドラー実践講義 幸せに生きる 向後千春 技術評論社 参照)
2024.09.11
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私に定期的にエッセイを送ってくださる方より「ホスピタルアート活動」のエッセイが届きました。ホスピタルアートは、「医療施設にアートを取り入れることで、患者さんや医療従事者の癒しや気持ちを和らげる効果がある」と言われています。「生きがい療法ユニオン」の伊丹仁朗先生はアメリカのホスピタルアート財団の理事をされているということです。今年は2050年8月10日生まれのスヌーピー(73歳)にちなんで、「世界の病院にスヌーピーの絵を送る企画」を開催することになったという。いつもながら伊丹先生は患者に寄り添った素晴らしい活動をされている方だなと感じております。私の周りには絵画や写真や書や人形あります。絵画は富士山の絵、孫の作品などです。写真は生後間もない孫の写真、笑っている犬の写真。広島カープの優勝のときの胴上げシーン。書は相田みつを。人形はモンチッチ、子供の人形。その他自分で作った金魚ちょうちんが20個ぐらいあります。これらはすべて癒し効果があります。その他、ユーモア小話、川柳の収集がたくさんあります。イヤなことがあった時はすぐ取り出してみます。気分転換になります。ベランダには四季の花が咲き乱れ、メダカが泳いでいます。冬は何といってもシクラメンですね、世話をするものがあることは、大切なことだと思います。
2023.12.25
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フォーカシングという心理療法があります。ごく簡単に説明すると、自分自身の心の声、身体のメッセージに耳を傾ける方法です。自分自身の心の声に耳を傾けるとは、森田でいえば不安、恐怖、違和感、不快な感情にきちんと向き合うことだと思います。普通はマイナス感情に対して嫌悪感があるために向き合うというよりも、どうにかして取り除いてしまいたい気持ちが強くなります。その不安の正体に近づこうとしないので、疑心暗鬼になり化け物のようになります。フォーカシングでは、自分の気持、感情、欲望などに対して、いきなり是非善悪の価値判断をするのではなく、きちんと向き合い、その感情を言葉にしてきちんと味わいましょうということです。森田でいわれていることと同じことです。フォーカシングではそれ以外にもう一つ大事なことがあります。不安や恐怖に振り回されているとき、おなかの違和感、肩や首の緊張感、胸のどきどき感、息苦しさなどの身体的な反応が出ます。この体の変化に注意や意識を向けていくというものです。この体の反応をもっと細かくイメージしてみましょう。「胃にキリキリとした痛みがある」「吐き気がする」「首筋が異常なくらい重い」「肩がカチカチに凝っている」「心臓の動悸が激しくなって暴れている」「血管が切れそうだ」「胸に何かピンポン玉のようなものが詰まっている」「得体のしれないものが自分の体に覆いかぶさっている」「手先がぶるぶると震えている」「声が上ずって言葉がうまく出てこない」色、大きさ、手触りなどをイメージしながら、身体の反応を感じるようにする。反応が出ている場所に手を当て、「あなたがそこにいることを知っています。今まで気づかなくてごめんなさい。いつもあなたのそばにいます」と心の中で唱えると、恐怖心が早く収まっていくと言われています。これを1回やるだけで、不安や恐怖心がすべてなくなるわけではありません。しかし、変化や失敗への抵抗感が収まってきます。身体の変化に注意や意識を向けていくというのは、森田理論の心身同一論の立場からすると取り組んでみる価値があるのではないでしょうか。
2023.10.18
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ディグニティセラピーは、カナダのハーヴェイ・チョチノフによって開発されました。これは森田理論でいうと「まとめ」にあたるものです。森田のまとめは、一通り学習が終わった後に行うものです。症状の成り立ち、生の欲望、誤った認識などを森田理論に沿って整理します。まとめをして体験発表を行い、参加者からアドバイスをもらいます。すると今後取り組むべき課題がさらにはっきりしてきます。生活の発見会が出している「改訂版 森田理論学習の要点」の項目に沿ってまとめればよいのです。難しいことではありません。まとめをしない森田理論学習は、ワサビのない刺身を食べるようなものです。ディグニティセラピーは、自分の人生を振り返って考えをまとめるものです。あるいは家族や仲間に対しての気持や要望を整理するのです。これに取り組むと人生のまとめができて精神的に安定します。ディグニティセラピーは、次のような人に取り入れられています。・治る見込みのない病気を抱えた人。・歳をとって意気消沈している人。・人生に絶望して、抑うつ状態にある人。・生きる意味を見失い、苦悩している人。・投げやりな気持ちになっている人。次のような質問が用意されています。1、あなたの人生において、特に記憶に残っていることや最も大切だと考えていることは、どんなことでしょう?あなたが一番生き生きしていたのは、いつ頃ですか?2、あなた自身について、大切な人に知っておいてほしいこととか、覚えておいてもらいたいこととか、何か特別にありますか?3、(家族、職業、地域活動などにおいて)あなたが人生において果たした役割のうち、最も大切なものは、何でしょう?なぜそれはあなたにとって重要なのでしょう?あなたはなぜそれを成し遂げたのだと思いますか?4、あなたにとって、最も重要な達成は何でしょうか?何に一番誇りを感じていますか?5、大切な人に言っておかなければならないと未だに感じていることとか、もう一度話しておきたいことが、ありますか?6、大切な人に対するあなたの希望や夢は、どんなことでしょう?7、あなたが人生から学んだことで、他の人たちに伝えておきたいことは、どんなことですか?残しておきたいアドバイスないし導きの言葉は、どんなものでしょう?8、将来、大切な人の役に立つように、残しておきたい言葉ないし指示などはありますか?9、この永久記録を作るにあたって、含めておきたいものが他にありますか?集談会ではエンディングノートの話を聞くことがあります。自分の財産、不動産、借金、加入している団体、加入している医療保険、損害保険、火災保険、自動車保険、先祖様の墓、菩提寺、暗証番号のリスト、年金関係の書類、鍵の保管場所、実印、マイナンバーカード、免許証、クレジットカード、ペット、大切にしていた持ち物、友人、親戚、かかりつけの医者、持病、世話になっている人、趣味でつながっている人、電話番号などを整理しておくことです。それらに加えて、ディグニティセラピーの項目を参考にして、自分の足跡をまとめておくことは人間として生を受けたものとしての務めになるのではないでしょうか。当然幸せな人生を送った人の話は役に立ちます。それ以上に役に立つのは、後悔の多い人生を送った人の体験です。自分の後悔の多かった人生をまとめて、人様の人生の参考に供すれば、それは恥ではありません。大いなる社会貢献をしたことになります。すべての後悔は許容されるのではないでしょうか。私も後悔の多い人生をこのブログで包み隠さず公開していきたいと思っています。まさに俎板の鯉のような気持ちです。
2023.03.11
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岡田尊司氏は、この障害はおおむね次のような特徴があるといわれています。・負けず嫌いで、相手と敵対しやすく、けんか腰で張り合うことが多い。・自尊意識・プライドが高く、自分は特別な存在と考えている。・自分を評価して、一目置いてくれる人以外は基本的に受け付けない。・自分をからかう、無視する、非難、否定する人は許すことができない。・格下とみるとすぐに反撃する。・格上な人だと、以後その人を避けるようになる。・忠告や助言やアドバイスは自分に対する批判とみなす。・尊大・傲慢・自分勝手で自己中心的な言動をとりやすい。・他人に対して傾聴、共感、受容、許容、感謝の気持ちが持てない。・今のこの瞬間の損得にとらわれて、長期的視点に立てない。ここにあげられたことは多かれ少なかれ多くの人に該当すると思います。人間らしいとも言えますが、これが突出した場合の弊害は大きい。自分を中心にこの世は回っていると考えて行動するようになると、人様に迷惑が掛かりますし、自分も生きづらくなってきます。この障害を抱えている人はどんな心構えで生活していけばよいのでしょうか。まずその内容について学習し自覚を深めることが必要だと思います。この障害の特徴と弊害については、岡田尊司氏の「パーソナリティ障害」(PHP新書)、「パーソナリティ障害が分かる本」(法研)で詳しく説明されています。自覚が深まれば対策を立てることが可能になります。過度な自己主張を抑制するために、守らなければならないことがあります。自己主張したくなった時、最初に相手の気持ちや言い分をよく聞くことです。それがきちんとできたら、やっと自分の番がやってきたと考える。決して順序を間違えてはなりません。順序を間違えるとその後が滅茶苦茶になります。相手の気持ちや考えを聞くことを7割から8割、自分の気持や考えをしゃべることを2割から3割と心得た方がよい。そうすればやっと相手と自分の立場が縦の関係から横の関係に変わってくる。その時点でまともな人間関係が成立するということです。また相手の弱点や欠点、ミスや失敗があっても、信頼関係がない段階で、それを口にすることは控える必要があります。弱点や欠点、ミスや失敗を、ことさら大きく取り上げて、叱責、非難、否定すれば、相手は貝のように固く口を閉ざしてしまいます。そして反発するようになります。腹が立つことがあっても、感情と行動は別と心得てぐっと我慢する。耐える。しばらくすれば怒りの感情は薄まるかなくなっていきます。森田理論の「感情の法則」で指摘している通りです。相手の話をよく聞くことと相手を否定しないことは人間関係の基本になります。人間関係で苦しんでいる人はこの2つを実践するだけで、大きく改善できます。次に、愛情を注ぐ対象物を見つけて親身になって世話をする。幼い子どもがいれば、子育てに真剣に取り組む。親の介護が必要であればできる範囲で世話をする。犬や猫などのペット、インコや金魚やメダカなどの飼育を行う。観葉植物、野菜や果樹作りなどに取り組んでみる。町内会やマンションの管理組合の世話活動などに取り組む。集談会に参加されている場合は、世話活動に取り組む。岡田尊司氏は、配偶者や友人を選択する場合、同じ障害を抱えた人同士の場合は、さらに問題が大きくなるといわれています。相性が大事になります。現実的な問題処理を引き受け、対人関係を上手にこなすような相手を見つけ出すことです。思いやりがあり、献身的なサポートが期待できるような人です。マネージャ的存在をパートナーに得ると、水を得た魚のようになる。成功を収めた人は、そうしたマネージャー役の人物が、バックアップしてくれているそうです。パートナーを選び間違えると、衝突とすれ違いばかりが起こり、現実的な些細な事で本人を疲弊させ、伸び伸びとした能力の発現が抑えられてしまうことになります。
2023.02.15
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9月号の生活の発見誌の記事です。ある精神科のクリニックの院長さんのお話です。私のクリニックの外来では、4、5年前くらいから、「私はHSPだとおもうんですが」と打ち明ける患者さんが増えてきており、悔しいですが今や神経質性格よりも認知度が高い状況にあります。この言葉は、日本語では「とても敏感な人」「繊細さん」と訳されています。HSPの人は、表面的には神経質性格者と非常によく似ています。繊細で心ない言動に傷つきやすい。しかし決定的に違うところがあります。繊細だけれども生の欲望が乏しい。あるいは自己内省力が乏しい。これは性格という面よりも、成育環境による影響が大きいのではないでしょうか。神経質性格は性格というぐらいですから、先天的、遺伝的に受け継いでいるものがあります。神経質性格者は、生の欲望が強いのが特徴です。欲望が強すぎるが故に不安も強く出てくるという関係にあります。その葛藤の中で、ことのほか不安を意識している。不安を取り除こうとし、逃げ回るようになると、第3者から見ていると、とても繊細でとても弱弱しい人間に見えてしまう。私たち神経質性格者は、感度のすぐれたレーダーやソナー(魚群探知機)を標準装備しているようなものだと思います。天体望遠鏡でいうと、感度のよい赤外線望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡を標準装備しているようなものです。でも神経質性格者は感度がよいということを、むしろマイナスに捉える傾向があるのではないでしょうか。細かいことに過度にとらわれて始末がつかないものだと毛嫌いしている。繊細なことをあっけらかんと笑い飛ばす発揚性気質のような人にあこがれて、できるものならば取り換えてもらいと考えている人もいます。でも残念ながら、神経質性格は生まれた時からその人に備わっている性格であって、一生涯その性格と付き合っていかなくてはなりません。森田理論の神経質性格の特徴を学習した人は、それとは別の考え方をしています。それを補って余りある優れた性格であるという認識を持たれているのではないでしょうか。神経質性格者は、まず感受性が強いという特徴があります。音楽、映画、小説、演芸、ミュージカル、絵画、華道、茶道などを存分に味わうことができる。集談会に参加しているとそれぞれに多彩な趣味の話をされます。以前クラッシックのコンサートに出かけて驚いたことがあります。申し合わせたわけではないのに、集談会の仲間と出会ったのです。それも何人もの仲間がきていたのです。私はベートーヴェンの第9合唱団に所属して歓喜の大合唱に参加していましたが、会社でお誘いしても誰もこの話に乗ってきませんでした。ピイチク・パーチクとドイツの歌のどこがよいのかと馬鹿にされる有様なのです。鋭い感性は後から鍛えて身に着けられるものではなさそうです。神経質の感受性が強いという特徴は、もっと評価して、鍛えていかなければならない。不安にとらわれて、生の欲望が蚊帳の外になることは大きな問題です。最終的には生の欲望を全面展開させて、欲望が暴走しないように、不安を抑止力として活用するという方向を目指したいものです。繊細な性格の活かし方は、森田理論と学習仲間が教えてくれています。
2022.12.08
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アルコール依存症、ギャンブル依存症、ネットゲーム依存症、買い物依存症などで苦しんでいる人は、ドーパミン主導の報酬系神経回路が暴走している状態です。暴走すると生活や人間関係が破壊されることは頭では分かっています。しかし一度味わった快感、解放感、陶酔感、高揚感、安堵感が常時よみがえって来て、どんどん深みにはまってしまいます。依存症に陥ると、自分の意志の力だけでは抑制ができません。森田の学習をしている人の中にも、軽度の依存症の予備軍のような人がいらっしゃいます。それに加えてノルアドレナリン主導の防衛系神経回路が暴走して、不安や恐怖と格闘しているわけですから2重の苦しみを抱えていることになります。いずれの場合も重症化してくると専門医や自助組織への参加が必要になります。この2つの神経系はどちらも大切なものですが、度が過ぎると、逆に自分を苦しめるものに変化してきます。田辺等氏は、依存症の心理的背景として、フラストレーション(欲求不満)の問題、セルフエスティーム(自尊感情)の問題、アイデンティティ(自己同一性)の問題、空虚や軽い抑うつ感などの気分の問題として次の5つをあげています。1、日常生活での充足感、充実感に欠けている。2、自分への肯定感が持てない、他者と比較してダメだという感覚がある。3、仕事(学業)に取り組んでいる自分が本当の自分ではない気がする。4、何を目標として生きるべきかを見失っている。5、空虚、空白、憂うつな気分が続く。(ギャンブル依存 西川京子 解放出版社 30ページ)これらに対して森田理論では次のように提案しています。・規則正しい生活を続ける。・日常茶飯事に丁寧に取り組む。凡事徹底です。・物そのものになって取り組む。一心不乱になるということです。・短期、中期、長期の課題や目標を明確にする。・観念優先の態度を事実優先の態度に切り替える。・葛藤や苦悩を抱えている自分に常に寄り添う。・現状維持は後退を意味すると心得て、勇気をもって挑戦していく。ドーパミン主導の報酬系神経回路、ノルアドレナリン主導の防衛系神経回路は制御しないとどこまでも暴走する特徴を持っています。それを制御し抑制しているのはセロトニン系神経回路だと説明されています。セロトニンは常時出続けていますが、意識して鍛えていかないとすぐに枯渇してしまうという特徴を持っています。私たちは、森田的な生活を続けて、絶えずセロトニン神経系を鍛えることを心がけ、依存症で生活が破壊されることのないように注意したいものです。セロトニン神経系の鍛え方は、2月13日、14日の投稿をご参照ください。いずれも簡単なことで身につけることができます。
2022.08.25
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マインドフルネスに詳しい藤井英雄医師のお話です。マインドフルネスとは、「今、ここ」の現実にきちんと向き合い、リアルタイムかつ客観的に気づいていることです。これを言い換えると、マインドフルネスとは「今、ここ」の現実を「感じる」ことと言ってもいでしょう。感じることと考えることは、同時に行うことはできません。考えているときは、感じていることがお留守になっていて、うわの空になっているものです。心は、いつも「今、ここ」から離れて思考しがちです。それが心の役割なのです。具体的には、過去の失敗を思い出しては後悔し、未来を取り越し苦労しては不安になり、他人がこうしてくれたらいいのにと不満に思い、こんな自分ではダメだと自己嫌悪に陥っては憂欝になるのが人間です。それはなぜか? 思考しているときには、今ここから離れうわの空になる可能性が高いのです。森田でいうと事実や現実から離れているということです。だから、まずは一旦思考を手離して、「今、ここ」の現実を感じるようにすることがマインドフルネスの第一歩となります。「そんなに心配しない方がいいよ」「ネガティブに考えないことだよ」こういったアドバイスは一見正しいのですが、ほとんど役に立つことはありません。なぜなら、考えないことはとても難しいことだからです。考えまいとすればするほど、心配事が頭をよぎるのはだれしも経験があることでしょう。ではどうすればよいのか。藤井医師は次のように言われています。簡単です。「今、ここ」を感じればいいのです。「今、ここ」の現実にフォーカスしていきいきと感じるとき、心の中には心配事が入る隙間がなくなります。(「平常心」と「不動心」の鍛え方 藤井英雄 同文館出版 48ページ引用)「今、ここ」の現実にきちんと向き合うというのは、森田の「純な心」の考え方に近いと思います。しかし事実や現実にきちんと向き合うというのはとても難しいことです。どうしてもネガティブな気持ちや感情に振り回されてしまいます。不快な感情に対してはそれを異物視して取り除こうとします。そのとき注意や意識は「今、ここ」にはありません。森田ではどんな感情でもまずじっくりと味わいましょうと言っています。純な心、素直な感情、初一念、一次感情などと言われていることはほぼ同じ意味です。たとえば食事している時のことを考えてみましょう。食事をしながら意識はテレビに向けられている。頭の中では今日の仕事のことを考えている。過去のイヤな出来事に向いている。対立している人間関係に向いている。雑念のことに気を取られている。ペットや家族の動向に向けられている。目の前の料理はただ急いで口に放り込んでいるだけで、味がどうかには向いていない。よく噛んで味わっていない。そして2時間くらい経つと、さて今日の夕ご飯のおかずは何だったのかすぐには思い出せない。それを解消するために、森田では「物そのものになりきる」ことをお勧めしています。食事の時は目の前の料理をしっかり味わいながら食べることに専念しましょうと言っているのです。人間は感じることと考えることは同時にはできません。感じるときにはしっかりと感じることに集中しましょうと言っているのです。たとえそれが嫌な感情でも価値批判なしに味わうようにするのです、しっかりと集中することが出来れば、その考えを批判、否定することがなくなります。これができるようになれば「純な心」を体現できるようになります。さて、「今、ここ」の現実に向き合えないもう一つの理由があります。人間は言葉を自由に操り、現在、過去、未来についていかようにも考えることができます。「かくあるべし」という観念主導の生き物であるということです。「今、ここ」に向き合うためには、観念優先の態度を事実優先の態度に改めていく必要があります。事実をよく観察して真実を見つめようとする態度の養成です。そうなれば、事実を軽視して、早合点、先入観、決めつけることがなくなります。事実誤認に基づいて間違った対応が少なくなります。上から下目線で物事を批判、否定する態度から、下から上目線で目標や課題を見つめる態度に切り替えることが必要です。この態度の養成は、「今、ここ」にしっかりと足を着いていることが欠かせません。
2022.06.06
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2022年1月の生活の発見誌に慈恵医科大学の舘野歩先生のお話があった。若い精神科医には心理療法イコール認知行動療法という考えがあるようですが、心理療法にはほかにもいろいろあります。いろいろある中から患者さんに合った心理療法、選択肢を提供することが大事かなと思います。全くその通りだと思います。現在の神経症治療には、まず薬物療法があります。つぎにカウンセリングがあります。自助グループによる交流もあります。そして精神療法があります。森田療法、認知行動療法、認知療法、行動療法、精神分析、論理療法、交流分析、遊戯療法、家族療法、内観療法、箱庭療法、ピア・カウンセリング、臨床動作法、サイコドラマ、意味療法、ヘルスカウンセリングなどです。認知行動療法が有名ですが、これにも最近ではマインドフルネス認知行動療法、アプセスタンス・コミットメントセラピーなどがあります。神経症の改善につながればどれを選択してもよいと思います。自分に合ったものをネットで探していくことが大切です。あるいは、集談会の先輩会員でいろんな療法を受けている人がいらっしゃいますので、その人たちの話を聞いて参考にする。とにかく生活上の悪循環、観念上の悪循環を断ち切ることが先決です。アリ地獄から地上に這いだすことが肝心です。生活が曲がりなりにも前に進むようにならないと次の展開が見えてこない。問題はその後です。神経症に陥るような人は、ちょっとした不安にとらわれやすいという特徴があります。とらわれると、神経症の再発に結びつきます。さらに生きづらさを抱えたまま、これからの長い人生を生きていくことは耐えがたい苦しみがあります。これを解消しないと本当の意味での神経症からの解放はないと思われます。森田理論学習はここに焦点を当てています。森田先生は、「人生観が変わらないと、神経症からの真の解放はない」と言われています。神経質者として、どういう心構えで生活すればよいのか。それを明確に示しているのが森田理論です。神経質性格者にとって、森田理論の学習と生活への応用・活用なくして、決して人生が花開くことはないと考えます。自助グループに参加して、仲間に刺激されて、そのコツを掴むと、「たかが人生、されど人生」という心境に到達できると思います。「論より証拠」実際に取り組んでみることをお勧めいたします。
2022.04.05
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2022年3/4月号の「PRESIDENT」に東京慈恵医科大学の舘野渉先生の『精神科治療「最新」ガイド』と題する記事が8ページにわたって掲載されていました。なお、このビジネス誌は54期連続No.1の雑誌です。バックナンバーが用意されています。認知行動療法との比較で森田療法を分かりやすく説明されています。この記事によると、2017年には精神疾患により医療機関にかかっている人は400万人を超えているという。神経症や生きづらさを抱えながら、医療機関にかかることもなく、独りで辛い生活を余儀なくされている人は相当の数になることが予想できます。この記事では、森田療法が適応する病気と応用しにくい病気があると説明されています。森田療法は不安にとらわれやすい人や「かくあるべし」という観念が強い人が神経症に陥った場合は効果的である。また「生の欲望」が強いという気質の人に向いている。私が興味深く感じたのは、認知行動療法と森田療法の比較の部分でした。現代の認知行動療法は進化して、マインドフルネス認知療法(MBCT)やアクセプタンス・コミットメントメントセラピー(ACT)などと呼ばれるものがある。マインドフルネスとは、今の瞬間の現実に常に気付きを向け、その現実をあるがままに知覚して、それに対する思考や感情にはとらわれないでいる心の持ち方や存在のありようを意味します。第3世代の認知行動療法と森田療法は「あるがまま」という共通点があります。つまり、不安コントロールモデルから受容モデルへと変化してきている。違いがあるとすれば、森田療法の不安受容というのは、当然最初にとり組むべき課題としています。しかし、そこを最終目的としているわけではありません。最終的には「生の欲望の発揮」を目指しているというところです。森田療法は、課題や目標、夢や希望を常に射程に入れて、生産的、建設的、創造的な生き方を目指しているというところです。不安受容がゴールではなく、そこを出発点としてとらえているところです。そういう意味では、森田理論は静的で精神の安定的な世界を目指しているのではなく、常に動的な世界を視野に入れた理論であるということになります。実践や行動と森田理論が混然一体となって、活用できるようになることが肝心です。森田療法でいう実践・行動ですが、最も重視しているのは日常茶飯事を丁寧に行っていくということです。凡事徹底です。物そのものになって一心不乱に取り組んでいく。必要な時に、必要に応じて、必要なだけの行動を心掛ける。気が付いたら一時的に神経症のことを忘れていた。そういう体験を積み重ねるということを言います。そして神経症からある程度回復したら、自助組織などに参加して、神経質性格、神経症の成り立ち、認識の誤り、今後の生き方などを森田理論学習で深化させていくということです。
2022.03.31
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森田療法家の岡本重慶氏のお話です。高良興生院での話です。ある時、不安神経症の入院患者が、(物干しにする)竹を買ってくるように依頼されました。彼は竹を買って帰院した時、「竹を買いに行ってきましたが、不安は起こりませんでした」と嬉しそうに報告したそうです。これに対して治療者は叱りました。「君が外出した目的は竹を買うことであって、いかに良い竹を安く買ってくるかが目的であったのに、不安が起こりませんでしたとは何事だ」と。症状のことよりも、必要な役割や目的を果たすことが重要なのです。(忘れられた森田療法 岡本重慶 創元社 210ページより要旨引用)確かに森田療法では、症状を治そうとすることを目的とした行動を続けている限り、症状はなくならないし、むしろ悪化してくるといいます。それは、不安に対して意識や注意を強力に引き付けていくからです。つまり精神交互作用が神経症を蟻地獄の底へと落とし込んでいくのですが、行動がその後押しをしていると考えるからです。行動が全く滞っている人はともかく、少しずつ行動力が回復した人は、物そのものになって取り組むことが肝心だというわけです。森田理論で症状を克服するというのは、不安に対してのとらわれを、徐々に減少させて、頭の中をいっぱいに覆っていたその比率を下げていくということです。100%が90%80%・・・というふうに下がってきた分だけ、症状が治ってきたというふうに考えているのです。ですから神経質性格を持っている限り、不安にとらわれやすいという性格特徴は変わらないわけですから、0%ということは考えられません。完治することはありえないのです。それは欲張りというものです。比率が50%くらいになれば、完治と言ってもよいと思われます。どこに出して恥ずかしくないほど治っているのです。それくらいのところで、納得して欲しいのです。岡本先生は、行動療法ではそのような受けとめ方はしないといわれています。外出できなかった患者が、買い物をするという役割付きの外出を一応人並みに果たして、かつ不安もおこらなかったのなら、行動療法的には成果があったと評価するでしょう。行動療法は、行動を通じてのみ心を把握できるという考え方に立脚しているのです。森田療法も不安はそのまま横において、目の前のなすべきことを淡々とこなすことが大切であると言っています。その点では、行動療法と何ら変わらないように見えます。では何が違うのかという疑問が湧いてきます。認知行動療法では、暴露療法で不安を受けいれられる人間にしようとします。つまり不安を10段階くらいの階層に分けて、付き添い者の援助を受けながら、1の段階から不安に慣れさせて自信を持たせるというやり方をとります。自信をつけて、徐々に難度を上げて、最終的には不安を無くしていくというものです。これは確かに効果があります。ですから精神療法として認知されているのです。森田療法と違う点は、行動は明確に症状を意識しているということです。行動は症状を克服するという目標に向かって設定されているということです。これは、ハツカネズミが飽きることなく糸車を一晩中回し続けていることを連想させます。それでも一旦は症状から解放されるわけですからよしとされているのです。治療は成功裡に終わり、めでたしめでたしということになるわけです。退院した後、自助組織に参加して、理論的に後付けすることはありません。しかし考えてみてください。神経質性格者はちょっとしたことで不安にとらわれやすいという性格特徴を持っています。一旦治っても、また別のことにとらわれて、新たな神経症で苦しむことにはなりませんか。また、不安に振り回されて、一生涯生きづらを抱えて暮らさなければならないという悩みはどうするのですか。それは、別の問題ですから、ご自分で考えて対処してくださいということなのですか。森田では行動は、必要に応じて、必要な時に、必要なだけ行うというのがよいといわれています。日常生活に密着した行動こそが、症状を解放させるものであるし、そういう生き方を身につけた人がこれから先の人生に希望が持てるものであると言っているのです。症状を治すために行う行動は、基本的には邪道であるとみなしています。森田理論に取り組んでいる方は、そこのところを忘れないようにしていただきたいと思います。
2022.03.30
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昨年「強迫症を治す」という本が幻冬舎新書として出版されました。亀井士郎氏と松永寿人氏の共書です。強迫性障害とは何か、その克服方法についての本です。至れり尽くせりの本です。強迫性障害の人は一見の価値があります。それ以外の神経症の人にも役に立ちます。亀井士郎氏は、京大医学部を卒業されて、精神科医をされている方です。この方は確認恐怖、加害恐怖、感染症恐怖でまともに仕事ができなくなりました。兵庫県医科大学で薬物療法と認知行動療法(CBT)に取り組むことで症状を克服された。症状は2年かけて重症化し、CBTの開始から2年かけて回復したと書かれていました。2年というのはとても早い方だと思います。この本を読んでの私の感想です。強迫神経症の専門医は残念ながら京大医学部にもいないと言われています。重症の強迫性障害は、適切な第三者の介入が必要にもかかわらずです。また認知行動療法は保険適応になっていますが、1回30分以上の施術をおおむね16回以下で行うことになっている。これでは個人病院の経営としては成り立たない。個人病院では、一人10分以内で診察を行い、回転率を上げる必要がある。医者は道楽で診療をやっているわけではない。もっともなことです。私は神経症が症状として固着した方は、アリ地獄の底に落ちた状態だと思っております。とりあえず、アリ地獄から地上に這い出ることが先決です。そのためには、薬物療法、カウンセリング、30もあるといわれる精神療法のどれを選択しても構わないと思っております。もちろん認知行動療法でも、森田療法でも構いません。どちらもそれなりに実績があります。ただし、神経症はいったん症状が治ってもそこで安心してはいけないと思います。なぜなら強迫神経症にかかりやすい人は、不安、恐怖、違和感、不快感にとらわれて、増悪しやすいという神経質性格、体質を持っているからです。火山の噴火のように、マグマだまりには、弱い地層を探し当てて機会があればいつでも噴火を待ち構えているような状態にあるのです。一つの症状が軽快して安心してしまうと、別の神経症として再発する可能性が高い。それ以上に、いつまでも生きづらさから解放されない。さてCBTの目玉は暴露療法です。この本でも取り上げられています。暴露療法は対症療法です。これは不安を対応しやすいものから順に10個ぐらいの階層に分ける。助言者の指導や付き添いのもとに、不安を乗り越えやすいものから一つ一つクリアして、成功体験と自信をつけていくというものです。そして最終的な課題を乗り越えて症状を克服するという方法です。つまり、CBTの特徴は、不安、恐怖、違和感、不快感を真正面から取り組むと必ず乗り超えられる対象としてとらえていることです。西洋医学の特徴です。このやり方は森田療法と大きく違うところです。森田療法で症状を克服した者からすると、不安と敵対してはうまくはいかないという気持ちが強いです。むしろ再発は免れないと思います。さらに神経質者特有の生きづらさはなくなりません。森田療法は神経症的な不安は、欲求や欲望の裏返しとして発生しているという考えです。ですから不安を退治することは、欲求や欲望も封じ込めることになる。人間から欲求や欲望を無くしてしまうことは、人間をやめてくださいということになります。ですから安易に不安を退治する方法で治療に取り組んではならない。不安は無二の親友として扱う必要がある。不安には手を付けないで、欲求や欲望の方に手をつけるという考えです。不安と欲望のバランスをとることが大切になるという考えです。車でいえばアクセル(欲望)を踏み込まないと、目的地に着くことはない。でも、ブレーキ(不安)が故障した車は、事故を起こし車は大破する。運転していた人も下手をすると死んでしまう。アクセルを踏み込むことを優先しながら、適宜ブレーキをかけて制御する態度が大切になると言っているのです。では具体的にはどのようにして、症状を無くしていくのか。森田でも同じく行動を大事にしています。しかし、ハツカネズミが一晩中糸車を回すような行動は百害あって一利なしという考えです。必要な時に、必要に応じて、必要なだけの行動を一心不乱に取り組むことを目指しています。つまり何よりも生活に密着した行動を重視しているのです。自分の日常生活を豊かに充実させることを目指すということです。ですから行動はいかに生活に密着しているかどうかが厳しく問われるということになります。症状を克服するための安心行動は厳に戒めているのです。ここが大きなポイントとなります。森田療法はアリ地獄から地上に這い出た後が大切であると言います。オリンピックでいえば国内予選を勝ち抜いて、国の代表として選抜されたことで安堵してはいけない。そこはやっとスタート地点に立っただけのことである。そこから人生観の確立に向けて学習が必要になってくる。これから人生100年時代に向けた指針を持たないと社会の荒波には立ち向かえないでしょう。ここでの眼目は2つあります。一つは不安の特徴や役割、不安と欲望の関係をしっかりと学習する。つまり不安をのけ者にしない。不安を人生のパートナーとして扱う。そして次に生の欲望の発揮に邁進する。二つ目は神経質者は認識の誤りをしっかりと理解する。神経質者は頭でっかちです。観念優先で事実を否定する態度が強すぎる。それが神経症を作り出す大きな原因になっています。観念で事実を抑え込むことが、生きづらさを抱える原因となっている。事実を優先して、観念は補助的に活用するように態度を改める。この態度を身に着けて、生活面に応用できるようになると生き方が変わります。これを森田理論学習によってしっかりと理解して、実践として活かしていく。尚、森田療法から強迫性障害の解放を扱っている名著がありますのでご紹介しておきます。「強迫神経症の世界を生きて」 明念倫子 白揚社です。強迫行為で苦しんでおられる方はぜひご参照ください。私は、アリ地獄から脱出するためには、有効な精神療法なら何でもよいと思います。ただし、そこで安心していると、別の神経症を再発する確率が高い。再発を防ぐためには、そこが出発点だと認識して、森田理論学習に取り組むことをお勧めしたい。
2022.03.09
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今日は「条件反射制御法入門」(平井愼二・長谷川直美 星和書店)という本から、依存症がどのようにして引き起こされるかを考えてみたいと思います。ストレス(身体的、精神的ストレス、人間関係の悪化)が加わると、動物的な神経系である第一信号系(動物的な脳)は活動を始め、生きる方向に動きます。つまり生理的報酬(安堵、満足、快感)を獲得するように向かうのです。このとき、過去に頻繁に生理的報酬を獲得した精神活動が反応しやすく、過去の問題行動(仕事をさぼる、暴言や暴力、確認行為、パニック発作、摂食障害、反社会的行動など)が再現されるのです。なぜなら、その問題行動は、生理的報酬により定着した反射連鎖が(無意識的、自動的に)作動することにより生じるものだからです。これは、「やめたくてもやめられない」自己破壊的行動、反社会的な犯罪行動は、あなたの理性が弱いから起きるものではないということを意味しています。人間の脳の仕組みとして、衝動的な「動物的な脳」が理性的な「人間的な脳」よりも、先にしかも強力に作動するようにできているのです。ですから、過去、現在そのようなとの返しのつかない行動を持っていたとしても、あなた一人に責任を負わせて罪を償うことはあまり意味がありません。もし責める必要があるのならば、そのような脳の仕組みに向けられるべきです。また、過去の生理的報酬は、大脳にドパミンやβエンドルフィンという快楽を伴う伝達物質を放出して、再現されることが多いのです。無防備に問題行動の連鎖が続くのです。これらは動物の世界はともかく、人間社会ではとても不都合なものです。ですから動物脳が無意識的、自動的に連鎖して発動することは抑制することが大切になります。その一つの手段として、これらは条件反射として無意識に行われているので、条件反射を遮断すれば、問題行動がなくなるのではないかという発想のもとに考えられた治療法が、「条件反射制御法」なのです。具体的な方法はこの本にこの本に記載してありますので、依存症の方は参考にしてください。ここでは森田療法との関連性についてみておきましょう。森田では、生の欲望の発揮に向かうことを目指しています。しかしついうっかりしていると、生の欲望は暴走してしまいやすいのです。「不安と欲望」のバランスが崩れて、欲望が暴走し始めると厄介なことになります。人間同士が他人を押しのけて自己の欲望を無制限に追い求めるようになるのです。そして他人や他国を攻撃するようになるのです。人間の歴史は、欲望が暴走し争いや悲惨な戦争の連続でした。次に不安やストレスや苦悩を抱えた人は、その苦しみから逃れようとします。神経症で苦しんでいる人も、苦しみから逃れようとします。しかし現実にはなかなかその苦しみから逃れられない。そのような状況に追い込まれたときに一時的に楽になれる方法があります。アルコール、ギャンブル、ネットゲーム、過食、買い物などでドパミンを出す方法です。これらを利用して快感情を作りだして苦しみを緩和しようとするのです。この方法は一時的には有効ですが、長い目で見ると依存症に陥りやすい。バランスのとり方があまりにも両極端に振れやすいのです。依存症に陥ると人間関係が悪化、健康問題、経済問題などを引き起こします。そういう脳の仕組みを自覚することが肝心です。欲望を優先にしながらも、不安を活用して、欲望を暴走させないようにする。綱渡りのようですが、欲望と不安は上手にバランスをとることが大切です。森田理論の「欲望と不安」という単元は、そのことを教えてくれています。もし依存症に陥っている人がおられましたら、この条件反射制御法は学習して活用してみる価値があります。
2022.01.26
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集談会で「私の症状は抑うつです」という自己紹介を聞くことがあります。抑うつというのは、治療対象の大うつ病とは違います。気分変調性障害に近いと思います。ざっと上げると次のような気持ちが頭の中を支配しているようです。・気分がどんより重く感じる。天気でいえばジメジメとした雨が降っている状態です。絶望感が頭の中を覆い、悲壮感におそわれる。・普通なら喜びが湧き上がってくることに、喜びや関心が湧き上がらない。・元気な時には、何の苦労もなくできていたことが、すごくしんどいと感じる。行動しても疲労困憊で、やる気が起きない。・過去のミスや失敗を思い出しては、罪悪感で苦しむ。自分が生きていても意味がないように感じる。こうなる原因を考えてみました。・過大なストレスを抱え込んでいる。仕事、家庭、勉強、人間関係、経済問題、健康面などで慢性的な問題を抱えている。これらが長期に渡ると、精も根も尽き果ててうつ状態になります。・観念中心で現実を否定している。理想主義、完全主義、完璧主義、観念優先で現実を非難、否定してしまう人である。現実を観念に引き上げてコントロールしたいと考えていると、葛藤や苦悩が生まれてくる。その溝は簡単には解消できない。戦いの火ぶたぎ切って落とされ、消耗戦を余儀なくされる。勢いのあるうちはよいが、弱気な気持ちになると、うつ状態になる。・物事を悲観的、ネガティブにみる傾向が強い。物事を森田でいう両面観で見ることができない。すぐにできない、無理だ、失敗するに決まっている。お先真っ暗でどうすることもできない。神経質性格についても、心配症だ。とらわれやすい。根に持ってしつこい。他人の思惑が気になって苦しい。劣等感で苦しい。などとネガティブな面をことさら取り上げて悲観する。これらにどう対応していけばよいのか。過大なストレスは小さなストレスに改善していく必要があります。これは自分一人で解決するよりも、他人の力を借りて改善に取り組む方がよいと思います。上司、同僚、同級生、先生、カウンセラー、集談会の仲間、精神科医など適切な人を見つけて相談する。集談会では先輩会員の中に適切な助言をしてくださる人が多数います。ちなみに小さなストレスはたくさんあった方がよいと思います。ストレスが全くないという状態は、逆にそれが大きなストレスとなることを忘れないようにしたいものです。観念中心で事実を無視して苦しむということですが、これは森田理論で「かくあるべし」の弊害と苦悩の始まりをしっかりと学習することが大切です。そして観念中心から事実本位の態度を身につけることが肝心です。事実本位の態度は、生の欲望の発揮に向かう出発点となります。このことが理解できれば、後は実践や行動で検証して行けばよいと思います。物事を悲観的、ネガティブにみる傾向が強いということですが、脳の報酬系神経系回路がお休みして、防衛系神経回路に大きく振れている状態です。苦しみを軽減するために、「認知療法」に取り組んでみては如何でしょうか。物事にはマイナス面があれば必ずプラス面があります。両方を過不足なく見ないと、正しく見たことにはなりません。バランスを失った場合は、その存在すら許されないというのが自然の摂理となっています。この部分は森田理論では「認識の誤り」と言われています。「認識の誤り」は、一つの独立した学習単元に格上げする必要があると思っています。うつ状態を解消するうえでは、次の点も大切になります。・体内時計に合わせて、規則正しい生活を送る。・脳細胞膜は脂肪酸でできているそうです。特にオメガ3脂肪酸が重要です。植物の葉、海の藻などに含まれています。それらを食べる草食獣や魚などにも豊富に含まれています。ファーストフードなどの食生活の片寄りは避ける必要があります。・また週に3日、30分歩くだけで抗うつ剤に匹敵する効果があるそうです。これらは、「うつと気分障害」 岡田尊司 幻冬舎新書が参考になります。興味と関心のある方は参考になさってください。
2021.12.15
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あなたは、「やってはいけないと分かってはいるが、つい手がでてしまう」ことはありませんか。強迫神経症も、誰でもこんなことをしてはいけないという気持ちは持っているのですが、つい手が出てしまうという側面があります。一般社会でも、「やってはいけないことは重々承知しているがやめられない」という人は多い。営業マンで誰も見ていないことをいいことにして絶えず仕事をさぼってしまう。自分と家族の破滅に繋がるのが分かっているのに、アルコール、ギャンブル、薬物、深夜のネットゲーム、風俗、ネットでの衝動買、過食などにどっぷりとはまってしまう。これらも、やってはいけないことは本人が一番よく知っています。一般的に依存症と言われるものですが、これらにはまってしまうと、会社は解雇される。離婚問題に発展する。借金がかさむ。病院に収容されることもある。裁判沙汰になることもある。その人の人間性に問題があるわけではないのに、社会復帰は極めて難しくなります。何とも悩ましいことになります。自分の人生が破壊されます。この問題は私には関係のないことだと思っている人が多いと思います。はたしてそうでしょうか。ちょっとしたきっかけで陥ってしまう可能性があるのではないかと思います。依存症に陥る人は、ストレスや生きづらさを抱えているのかもしれません。生活苦、借金、人間関係、仕事、勉強面などで大きな問題を抱えて、押しつぶされそうな重圧にさらされているのかもしれません。あるいは何をしても生きているという実感が持てない。生きがいというものがないのでイライラしている。そうした生きづらさが脳全体を覆っている。そういう意味では、神経症に陥っている人は依存症と親和性があります。私がパチンコ依存症になりかけた時、仕事に対する意欲をなくして、投げやりな生活になっていたことを思い出します。依存症に陥る人の脳の仕組みはどうなっているのでしょうか。今日はこの問題を取り上げてみたいと思います。扁桃体で不快と判断された情報が青斑核(A6神経)に送られる。青斑核は防衛系神経組織の司令塔的な役割を担っていることが分かっています。12000個程度の神経組織が、数十億という防衛系神経組織を動かしています。脳全体が専守防衛に入ります。その時報酬系神経組織の司令塔である側坐核やA10神経はお休みしています。つまり脳全体が憂うつで、否定的、悲観的、投げやり状態になっている。そういう状況は精神的に苦しいので、そのまま放置することはできません。なんとかしないと、重大な精神疾患で取り返しがつかなくなくなる。そこで少しでもエネルギーの残っている人は、急いで快楽感情を作りだして、その苦しみから抜け出すことを考えるようになります。その立役者はドパミン、アドレナリン、βエンドルフィンなどです。それらの助けを借りて危機を回避したいというのは自然の流れです。その手段として、アルコール、ギャンブル、薬物、深夜のネットゲーム、風俗、ネットでの衝動買い、過食などに依存することになるのです。つまり不快感のほうに振り子が大きく振れているために、大きな揺り戻しで調和を取ろうとしているのです。依存症はその大きな揺り戻しのために、さまざまな問題を引き起こしているととらえるべきです。防衛的神経組織の行き過ぎを中和するために、急いで報酬系神経回路を大きく作動させないと、自分の精神状態が維持できないという切羽詰まった状況に追い込まれているのです。生き延びるための対策が、様々な問題を引き起こしているわけですから、依存症に陥っている人は踏んだり蹴ったりでやりきれないのです。あらゆる依存症は人間性に問題があって発生しているのではありません。依存症で苦しんでいる人は同情すべき対象であり、決して非難・軽蔑してはいけません。脳の過大な防衛系神経組織が我が物顔で脳の中を駆け回っているので、苦し紛れの対策を取った結果として引き起こされているのです。依存症には条件反射制御法が有名ですが、これは対症療法になると思います。一時的には効果があるでしょうが、再発は免れないと思います。依存症の根本的解決策は、報酬系神経組織の活性化にかかっていると思います。報酬系精神回路と防衛系神経回路のバランスを取り戻すことが欠かせないと考えます。
2021.12.09
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先日行われた森田療法学会の一般演題の中に興味深い発表がありました。cotree(コトリー)社が行っている「書くカウンセリング」という発表でした。これはオンラインを使ったカウンセリングのことです。メールによるカウンセリングのことです。森田先生の頃は通信療法と言われていました。森田全集第4巻に収録されています。これにより神経症を克服された方もおられたのです。cotree社には、全国の臨床心理士、公認心理士などが登録している。登録するにあたっては、心理関係の資格や臨床経験や得意分野が重視されている。3年以上の経験と100件以上のカウンセリング実施経験が必要となる。カウンセラーとしての資格審査があり、誰でも登録できるわけではありません。随って能力が高く、臨床経験の豊富な人たちばかりである。相談希望者は、cotree社のホームページにアクセスして質問に答えていく。さらにどんなカウンセラーを希望するかを書き込む。たとえば男性か女性か、年配の人か若手の人か、専門分野は何かなど。この作業により、自分に最適と思われるカウンセラーを紹介してくれる。今回発表された方は、森田療法の世界では有名なカウンセラーの方であった。ですから、森田療法の専門家を指定すれば、そういう人を何人か紹介してくれる。森田療法に限らず、さまざまな精神療法がありますのでそれを指定することもできます。実際には、最初に2週間の「お試しプラン」で計10回のメッセージの往復を行っている。相談者は、相談内容を詳しく伝える。現在抱えている問題点や経緯、既往症、受診歴などを伝える。カウンセラーは支援できること、2週間後のゴールは何かを提示する。ダイヤリー欄に負担にならない範囲で、日記を書くことを依頼する。「お試しプラン」が終わると、希望すれば週1回、週2回、週5回のいずれかの頻度でメッセージの往復ができる1か月ごとのプランへと進むことができる。これは任意である。カウンセリングを受ける意義は、カウンセラーとクライアントが言葉でやり取りする過程で、クライエントが今まで気づいていなかった考え方や問題点をあぶりだして顕在化していくこと。その過程で、クライエントが生きづらさや葛藤や苦悩の原因に気づき、改善策をクライエント自身が意識していく過程にあるといえよう。この方法は全国で登録されたカウンセラーの中から、自分に合うカウンセラーをマッチングしてくれるところにあります。また、敷居が低く、お試し期間で打ち切ることも容易です。関心のある方は、cotree社のホームページを見て詳しい内容を確かめてみることをお勧めいたします。ここでは対面のカウンセリングも行っているようです。カウンセリングを受けたいという人の選択肢の一つとして、情報提供する時に役立つと思います。cotree社のホームページ
2021.12.02
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自分の健康や生活を損なうことが分かっているのに、やめるにやめられない。あるいは、反社会的行為で警察沙汰になるかもしれないのに、つい手が出てしまう。たとえば、飲酒、喫煙、ギャンプル、ネットゲーム、過食、薬物、盗撮、痴漢、ストーカー、盗み、暴力、暴言、虚言、詐欺、遅刻癖などがあります。これらは、ブレーキが故障した車を運転しているようなものでとても危険です。我慢することができなくて、本能のままに行動すると、後で取り返しのつかない事態に追い込まれます。自分の健康や生活が破壊され、社会的には抹殺されるような事態に陥らないとも限りません。本能むき出しで衝動的な暴走行動はどう取り扱ったらよいのでしょうか。これらに対して、「条件反射制御法」という治療法があります。2006年平井愼二医師(千葉県の下総精神医療センター・精神科医)によって確立されて、臨床面で大きな成果を上げています。比較的新しい治療法です。今では学会まであります。全国各地で問題行動を起こす人たちの立ち直りの手段として活用されています。やめたいのにやめられない行動で苦しんでいる方は、ぜひ参考にされるとよいと思います。これはパヴロフの条件反射が基礎となっています。犬に対してベルを鳴らした後にエサを与えるということを繰り返していると、ベルを鳴らすだけでよだれを出すようになる。本来ベルが鳴ることとよだれを出すことはまったく別のことです。しかしベルを鳴らして餌を与えるということを繰り返していると、犬の脳は餌が出てくるというとを前もって察知してしまうということです。ある刺激を繰り返して与えていると、無意識的に、いつもと同じ行動をとってしまうということです。これが問題になるのはマイナス行動を自動的に選択してしまう場合です。冷静な時に考えると、こんなことは人間としてやってはいけないと分かっていることを、無意識のうちに当然のように選択してしまうのです。後で冷静になって考えると、健康を害し、自分や家族の生活を破壊し、社会的な制裁を受けるようなことでも、自ら歯止めをかけることはできなくなるのです。普段は人格者と思われているような人でも、二重人格者のような一面を見せるのです。なぜこんな悲惨なことが起きてしまうのでしょうか。人間は不安やストレスを抱えた場合、なんとか解決して苦しい状況を打開しようとします。太古の昔は、肉食獣におそわれる危険性が絶えず付きまといました。絶えず周囲にアンテナを拡げて危険を察知しなければ生き延びることはできませんでした。もし危険があれば、仲間に知らせて、一緒になって一目散に逃げるしかありません。木の上に登るか、洞穴の中に逃げるか、弱いものをいけにえにして他のものが助かる道を選択するか、とにかく命がけなわけです。そのうち逃げているだけでは、人類は絶滅してしまう。そうだ、武器を持って敵を倒せば、我々は生き延びられるかもしれない。最初は他のものと協力して、槍のようなもので闘っていました。今では銃のようなものがあります。頑丈な四輪駆動の自動車に乗り、銃を装備していると、アフリカのサバンナでも肉食獣の餌食になることはありません。そういうことが分かっていますから、無防備で肉食獣がたむろしているところに行くことはありません。これは人類がそういう成功体験を持っており、その経験に基ずいて必然的に正しい行動を選択しているのです。人類が自然の脅威に対して、今まで生き延びてきたということは、対応方法を身に着けてそれが機能してきたということです。それらは成功体験として脳の中にしっかりと刻み込まれています。成功体験を持っていると、同じような危険なことが起きた場合、迷わずその成功体験に基づて、即座に行動を開始できるのです。やってはいけないということをつい衝動的にやってしまうということは、以前にどうしたらよいか分からないで右往左往したことがあるのです。そしていろいろ考えて、その苦しくてつらい状態を曲がりなりにも脱するストレス解消法を身につけたのです。それを平井医師は、「生理的報酬を得た」と表現されています。それが大脳にしっかりと記憶されているのです。それが自分の健康や家族の生活、人様に迷惑をかけないものなら何ら問題はありません。ところが最初あげた問題行動によってストレスを回避しようということになると、これは大いに問題になります。こういう出来事に対する自動的な行動は、自分の健康や生活を破壊し、社会的制裁を科せられることになることであっても、そのとき是非善悪の判断が正常に機能していないのです。残念なことですが、問題行動に理性を失い猪突猛進してしまうのです。これは意志が弱いから起きているのではないのです。脳がそれを選択して生き延びるような仕組みができているのです。例えば、過去に今まで一流の経済学者としてテレビに出ていた人が、エスカレーターで盗撮して警察に検挙される事件がありました。今までの信用は一挙に失われてしまいました。さらに人間的に野放しできないダメな人と評価されてしまいました。それ以外の面では、飛び抜けて優秀な面を持っているのに、人格全体を否定されて、ダメ人間として取り扱われることになりました。これは、本人にとっても社会にとっても大きな損失となります。こういう人は、時と場合によっては、自分は本能むき出しの衝動的な行動をする人間であると自覚することが肝心です。時と場合によっては、自己統制能力は働かなくなると自覚できればよいのです。自分一人では無理ならば、他人の監視のもとに行動することが必要になります。こういう人は「条件反射制御法」を取り入れて予防することが役に立つと思います。興味や関心のある方は、ネットで検索してみてください。千葉県にある下総精神医療センター(独立行政法人 国立病院機構)をはじめ、全国各地に専門病院があります。また書籍もあり、分かりやすく解説されています。「やめたいのにやめられない 悪い習慣 をやめる技術」 小早川明子 フォレスト出版など。この衝動的で短絡的、後で取り返しのつかない自己破壊的、反社会的な行動に自覚のある方は、何としても阻止する術を持たないと、一瞬で自分の将来は暗澹たるものになります。具体的な「条件反射制御法」については明日紹介いたします。
2021.10.17
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私のもとにエッセイを書いてメールで送信してくれる人がいる。その方は10年くらい前に、5年生存率5パーセント以下というスキルス性のガンになられた。そして生きがい療法に出会われて、フルマラソンに挑戦された。そして今では、もう定期検診にくる必要はないと言われるまで回復された。いまはその体験をガン患者や看護学生たちの集まりで発表されている。今回のテーマは依存症だった。その内容が、アルコール依存症、ギャンブル依存症、ネットゲーム依存症、通販依存症、恋愛依存症などの方たちに参考になると思われますのでご紹介いたします。ネズミを使った興味深い実験があるそうだ。まず、同数のオス・メス合計32匹のネズミをランダムに16匹ずつ環境の異なる2つのグループに分ける。一方は一匹ずつ金網のオリの中、他方は広々とした場所(ラットパーク)に雄雌いっしょに入れられて生活をする。そして両方のネズミに普通の水とモルヒネ入りの水を用意して、その後の様子を57日間観察した。9~13日後、ゲージのネズミたちはどんどん薬物の深みにはまる。一方広々とした場所のネズミたちは、自由にモルヒネが飲めるにも関わらず、ほとんど触れられずに自由な生活を楽しんでいた。19~23日後、ゲージのネズミはますます薬物を口にし、反面ラットパークのネズミは薬物を避け続けた。心地よい環境にあるラットパークのネズミたちは薬物に対する欲求がほとんど見られなかったという。その結果、依存症の発症には、身体的、精神的、そして社会的状況が大きく影響しているという結論に達した。依存症は、誰でも最初は好奇心に突き動かされ、軽い気持ちで手を出す。そのときの快感が脳にしっかりと刻まれる。二度三度と手を出すうちに、しだいに脳がハイジャックされる。気が付いたときは、量がどんどん増えている。また中断すると禁断症状に苦しめられる。アリ地獄の底に落ちると、自分の意志では依存症から抜け出すことは不可能となる。依存症を強力に後押ししているのが、自分の普段の生活が、孤独、退屈、無目的、不自由な生活環境、対立している人間関係に置かれているかどうかであるという。さらに生活が不規則である。日常生活に真剣に取り組んでいない。お金で済むことは極力人に依存している。特に食生活が大切になります。買い出しをしない。自分で料理を作らない。宅配を頼む。ファーストフードが多くなる。外食中心になる。など。こうなりますと、まず野菜の摂取量が減ります。食事のバランスが崩れます。なんとか命は生きながらえても、体調が悪くなり、病気になります。また、自分で小さな目標に挑戦して達成感や自信をつけるという楽しみがない。外から与えられる娯楽的、刺激的、享楽的な楽しみばかりを追い求めている。これらは人生を豊かにするカンフル剤として活用するとよいのですが、それが主力となってしまうと、人間が骨抜きにされてしまいます。実に恐ろしいことになります。こうなると、依存症は恐ろしいということを頭で理解していても、身体はしだいにのめりこんでいく。そうしないと自分の精神状態が不安定になり、混乱してくるからである。私もある時期、パチンコ依存症になりかけたことがある。そこから生還できたのは、お金を湯水のように使うことの罪悪感があったのと、生活のバランスを意識した森田的な生活を維持していたことだと思う。パチンコに行きたくても、目の前には手掛けなければならないことが次々に待ち構えている。そちらのほうに意識や注意を向けて、手を出していく。パチンコはそのあとで考えようと思ったのです。そんな状態でパチンコをしない日が3日~4日続く。最終的に1か月くらい足が遠のくと、別にパチンコをしなくても、ほかに楽しみはいくらでもあるといった心境になった。それが習慣となってパチンコから縁が切れた。
2021.09.09
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私は森田理論の認知度が社会に浸透してくれることを願っています。多くの人の幸せづくりに役立つからです。ところが現実は、風前の灯火のような寂しい状況になっています。今日はこの原因と打開策を考えてみたいと思います。森田先生の時代は、社会の傾向としては、立身出世を夢見て、都会で一旗揚げて、故郷に錦を飾りたいという人が多かった時代です。そうなれない自分に対して、常に葛藤を抱えて苦しんでいた時代です。大きな夢や目標を持っていた人たちが、神経症で苦しんでいたのです。「形外先生言行録」という森田先生の追悼集などを拝見すると、その肩書は実に驚くほと立派な人が多い。実業家、官僚、大学教授、医者、教師、有名大学の学生などがその対象であった。つまりその当時神経症で苦しんでいた人たちは一般大衆ではなかったということです。勉強ができて、将来を嘱望されていたその時代のエリートたちであったということです。一般庶民はその日一日をいかに生き延びていくのかに必死で、神経症で苦しむという時間の余裕はなかったということです。特に戦時体制下と終戦後は生き延びることに力を入れざるを得ませんでした。そういう時代は、神経症で苦しむ人は少なかったのです。時は移り一億総中流社会と言われる高度経済成長の時代がやってきました。1960年から1990年始めの日本は、飛ぶ鳥を落とすような経済発展を遂げてきました。そして日本は世界第2位の経済大国に躍進しました。多くの国民の生活が豊かになってきたのです。すると精神的にもゆとりが出てきました。こういう社会環境が整って、神経症のすそ野が一般大衆まで広がってきました。私たちの自助組織も参加人数が多すぎて、まともな学習会が開催できない状態になりました。どんどん根分けをして集談会の数を増やしてきました。会員もどんどん増えてゆきました。森田理論学習の大衆化現象が起きたのです。ところが、1993年を頂点にして森田の自助組織はどんどん衰退の一途をたどっています。パブルがはじけたのが1990年ですから、その後3年間は何とか持ったのです。我々の自助組織もどんどん参加者が減少しています。そして組織の維持に支障きたすほどの状況に陥っています。これは森田理論があまねく一般大衆に支持される時代は過ぎ去ったということです。その背景は経済の低迷です。その後日本はデフレ経済に陥り、未だに回復できていません。主だった企業は日本に見切りをつけて中国などに目が向いています。中国のGDPの増加は日本、アメリカ、ドイツをはじめとした先進国の投資によるものです。日本のデフレの進行は、そのまま国民所得の減少と結びついています。1980年頃は、年収は500万円から600万円、700万円台の人が普通でした。今はどうでしょうか。派遣社員や非正規社員の場合は200万円から400万円台の人が普通です。賞与もない。昇給もままならない。これでは結婚もできない。仮に結婚しても子供を産むこともできない。パートや派遣社員、臨時社員が主力になり、その日一日をどう生き延びていくのかが最大の国民の関心事になっているということです。これはあなたの責任ではありません。構造改革、民営化、自由化、規制緩和、グローバル化を進めた政治家の責任です。政治家の責任は大きい。本来ならば責任を取ってもらわなければならないところです。現在も反省するどころか、日本の成長は中国経済に頼るしか道はないと言った状況です。親中派、媚中派の国会議員や経団連、御用学者と言われる人たちは、日本国民をどん底まで叩き落すつもりなのでしょうか。日本のGDPの85%は内需で支えられているということを忘れているとしか思えない。私たちは、バブルがはじけて数年のうちに、生活をどう維持していくのかが最大の関心事で、精神的に悩む余裕がなくなってきたのです。我々の自助組織では高齢化が進行しています。現在の状況は、以前に森田理論の恩恵を受けた人たちが、その余韻に浸っているようなものです。我々がいなくなった後を思うと胸が痛みます。経済が低迷し、希望や夢がなくなると、覇気がなくなります。自立や夢や希望を口にすることさえはばかられる時代になってきたのです。それとともに不安の中身が昔とはかなり変わったと言えます。昔、森田に頼っていた人たちは、不安の中身を即答できる人が多かったのです。現在は自分の悩みを即答できる人は少なくなっています。また即答できても、そんなに深刻さを感じられない。輪郭のはっきりしないぼんやりとした将来不安、あるいはぼんやりした対人関係に関する問題を抱えている人が増えています。しかもその不安が慢性化している。つまり全体としてみると、昔と比べて不安の程度が軽くなっている。不安が軽いということは、欲望も小さくなっているということです。森田理論の適応者はご存じのように、生の欲望が強い人というのが一つの条件になっています。肝心の生の欲望が少ないというのは、森田理論との親和性は薄いと判断せざるを得ないのです。さてこのような時代において、森田療法を次世代に引き継ぐことが可能なのでしょうか。神経症の治療としての森田療法の存続は大変困難になると思われます。人生観の確立のための森田理論の継承はどうでしょうか。この方面の将来性は前途洋洋だと考えています。またそうならないと、人類が絶滅に近づいていくとみています。神経質者の生き方としての森田理論は、学校教育や社会教育の必須科目として学ぶ価値が十分にあります。森田理論を学ばずして、人生哲学を身につけることは難しいと思います。森田理論は時代を越えて普遍性のある理論ですので、未来永劫後世に伝えていかなければなりません。森田の自助組織はそこに特化した活動を期待されているものと考えています。現在の状況では、森田理論学習を自然消滅させないで、後世に受け継ぐことを最優先させて取り組みたいと考えています。そして変化の波を待ちたいと思います。森田理論の理念が必要とされる時代は、すぐにやってくると思っております。
2021.06.16
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2020年10月21日の中国新聞朝刊に関西大学文学部教授の串崎真志さんの記事があった。HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)の説明であった。人間関係に対する極度な息苦しさを感じながら、同時にテレビ等の衝撃映像(事件、出来事、光や音)などの外からの刺激から過度な心身への影響を受けてしまう人のことだそうだ。その特徴を6点あげておられる。1、腹を立て怒っている人を見ると怖くて逃げだしたくなる。2、絶えず同僚や上司、友達や配偶者・子供の顔色が気になる。3、学校などの教室、職場などでみんなと一緒にいることに息苦しさを感じている。4、他人の自分に対する気持ちを、悲観的に先読みしてしまう。5、観念の世界にどっぷりとつかり、空想や妄想癖がある。6、匂いや音、衝撃映像にいつまでも取りつかれてしまう。繊細な神経の持ち主である神経質性格が陥りやすい事ばかりである。対人関係で自分が傷つくことを極端に恐れている。エネルギーの大半を自己防衛に充てているので、絶えず生きづらさが付きまとっている。しだいに自分の殻に閉じこもり、他人との交際を拒絶するようになる。自己内省中心で、本来のやるべきことに手が出なくなる。そういう人は、ちょっとした外部からの刺激に対して過剰反応をするようになる。こういう人は行動と精神の悪循環を招き、神経症予備軍となっている。HSPというのは、回避性人格障害とよく似ている。私はこういう人に対して、森田理論学習をお勧めしたい。まず自分の神経質性格について学習する。どんな性格にもプラスとマイナスの両面があるということを知るだけでも楽になる。神経質性格は、心配性であるが、反対に感受性が鋭いというのが特徴だ。細かくて小さい事でもよく気が付くということをプラスに捉えてどんどん生活の中で活かしていくことが肝心だ。森田理論学習に取り組むことによって、神経質性格という類まれな、素晴らしい性格を持って生まれてきたことは幸運だったと思えるようになるはずだ。生活の発見会の集談会に参加すれば、正しく理解し、実践の手助けをしてくれる仲間がいる。これを活用しない手はない。私は毎月参加して34年になる。振り返ってみれば、人生最大の幸運であった。次に内省的で反省ばかりしていては、精神的に苦しくなるばかりだということを理解する。車でもブレーキばかり踏み込んでいるばかりでは何も始まらない。アクセルを踏み込んで初めて前進して、目的地に行くことができる。「凡事徹底」をキーワードにして生活してみてはどうだろうか。このことを森田では、生の欲望の発揮と呼んでいる。森田理論の核となる考え方の一つである。次に人間関係は、必要に応じて必要なだけの付き合いで構わないということを理解する。必然的に引っ付いたり離れたりの人間関係になる。薄くて幅広い人間関係を心掛けることになる。その方が本来まともな人間関係の構築につながる。森田でいう「不即不離」の人間関係の在り方を学習することだ。挨拶をするだけでもよい。それ以上、苦しい思いをして人と仲良くしなくてもよいのだ。そして凡事徹底を基本にして、自分の好きなことを見つけて、取り組んでいけばよいのだ。人は人生を楽しむために生まれてきたのだと思えるようになることが肝心だ。
2020.11.30
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生活の発見誌7月号50ページよりの引用です。意識的に症状を治すことを目的にしては治らない。症状を治すために人生を生きているのではない。人生を現実に即して生き抜く、幸せを求めて、症状というハンディを持ったまま、現実の中で生き抜く過程で、いわば、副産物として症状からの解脱が達成されると思う。基底になるのは、あくまで現実社会である。これは森田理論の神髄を的確に指摘されていると思う。症状に対して正面から取り組んでいっても症状から解脱することはない。むしろ症状に注意や意識が張り付いてしまい、精神交互作用で蟻地獄に落ちていく。神経症は益々悪化して、ついに固着してしまう。その時点でもはや自分一人で、蟻地獄から地上に這い出すことは難しくなります。神経症から回復するということは、100%神経症のことばかり考えていた頭の中を、90%、80%、70%、60%、50%とその比率を軽減させる療法です。そのくらいまで減少させれば、どんなに不安、恐怖、違和感、不快感があろうとも、神経症の克服宣言をしてよい。さらに不安にとらわれやすいという神経質性格を、プラスに活かすことを考えて実践できるようになれば、神経質性格に生まれてきてよかったと思えるようになる。不安などを根こそぎ取り去ろうとすると、自分のアイデンティティも失ってしまう。不安にとらわれやすいという特徴は、天から与えられたギフトのようなものだら、ありがたく活用させてもらうという気持ちを持ち続けた方がよい。余裕のできた10%、20%、30%、40%、50%の部分で、日常茶飯事、仕事、勉強、家事、育児、趣味のことを考えて生活を立て直していく。そうすれば、神経質性格がプラスに作用する。気づきや発見、関心や興味、アイデアや意欲が生まれてくる。無気力、無関心、無感動という状態を抜け出して、人間に生まれてよかったと思えるようになる。症状を抜け出して、そういう状態を目指しているのが森田理論である。つまり森田理論は症状を克服するという理論であると同時に、人生観の確立を目指す理論なのです。割合としては、神経症克服4割、人生観の確立6割ぐらいと認識していれば間違いない。私は、神経症克服は、別に森田療法でなくてもよいと考えています。薬物療法、カウンセリング、認知行動療法などの他の精神療法でも構わない。自分に合ったものを選択すればよいのです。ところがいったん症状が軽減した段階では、森田理論学習を始めることが大切になる。ここで手を抜いては、別の症状を生み出して元の木阿弥になる可能性が高い。症状の発生がなくても、生きていくことが自体が苦しみそのものになってしまう。人生を謳歌し、味わいのある人生を送るためには、神経質者としての人生観の確立を目指す必要があるのです。このことをぜひ頭の片隅に入れておいてもらいたいと思います。そのための強力なツールとして森田理論学習があるのです。
2020.08.13
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慈恵医科大学での入院森田療法の第3期の作業期に興味を感じた。第2期は軽作業期である。慣らし運転のようなものだ。日記を書く。木彫りをする。気が付いたことを手掛ける。第3期は、共同作業もある。生活に必要な作業がいろいろとある。まず入院施設の中に、庭や池がある。別のところには野菜畑がある。庭には草花や植木がある。草花の手入れや植木の剪定が必要になる。池には鯉がいる。鯉の餌やりがある。畑では旬の野菜を作っている。野菜つくりは森田実践にはもってこいである。いろんな作業が次々とあるからである。また野菜がすくすく育ってくると収穫して食料にもなる。収穫した野菜を使っての料理へと続く。野菜つくりは土つくり、輪作、病害虫の予防、水やり、肥料やり、土寄せ、支柱建て、ネットの設置などがある。精魂込めれば込めるほど豊かな実りがあるので、楽しみである。私は神経症の人に野菜つくりをお勧めしている。ただ都会に住んでいる人は畑がない。市民菜園を借りるにも人気が高くすぐに貸してもらえない。菜園に行く時間がかかりすぎる。などの問題がある。そういう人はベランダ菜園になる。トマト、ナス、ジャガイモなどができる。一軒家に住んでいる人はせめてベランダ菜園に取り組んでみてもらいたいものだ。草花や盆栽があるだけでも精神状態は落ち着いてくると思う。それは世話をするものを持っているからだと思う。慈恵医科大学の入院療法では、動物の世話がある。犬、鯉、ウサギ、伝書鳩がいる。犬は毎日運動が欠かせない。伝書鳩は外に連れ出して放つそうだ。すると帰趨本能があるために必ず帰還してくるそうだ。そのほか陶芸設備もある。大掃除、七夕会、クリスマス会などのイベントも実施されている。このような実践・行動の中で、日ごろは見過ごしがちな日常茶飯事を体験することになる。そして豊かな感情が生まれ、次々に流れていく感じをつかんでいく。退院後も神経症的な苦しみを持ちながら、生活本位の態度を維持することができるようになれば、第一段階の治癒となるのである。その後は生活の発見会や生きがい療法などの自助組織に参加して、森田理論の学習をする。そこで事実本位の生活を理解し、実践することができるようになれば完治である。ここまでくれば、森田理論は人生観の確立の理論であることがはっきりとわかるようになる。
2020.06.08
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形外会の会長をされていた香取修平氏は、森田先生の著書によりて、まず不眠症が治り、次に心悸亢進発作を征服し、さらに1回の外来診察で、徒労・倦怠感がなくなったが、なお森田式修養法によって、活動を得、仕事の能率を上げたいと考えて、入院したのであります。(森田全集第5巻 179ページ)全集第5巻によると、香取氏は優れた実業家であったようだ。森田療法により、フットワークよく機敏に行動できるようになったと紹介されている。細切れ時間などを有効に活用して、仕事の能率がどんどん上がっていった。それで、形外会の会長に推挙され、森田先生の病気が重くなった時なども、一番に呼ばれている。その香取氏は森田先生のところに入院されたのは、神経症を治すためではなく、神経質の性格を存分に活かしていくためだったといわれている。当時の入院費はある方が1円だったといわれている。当時の一円は、現在では約一万円ぐらいである。当然自由診療である。決して安くはない入院費である。それにもかかわらず、森田先生のところに入院すると、神経質者としての人生観が確立できると判断されていたということである。ここが認知行動療法をはじめとした他の精神療法と大きく異なるところである。認知行動療法で普通の日常生活を取り戻すことができるようになると、その時点で治療は終わる。表面的には神経症を克服したかにみえるが、神経症の原因となっている、観念を優先した生き方の修正は手付かずのままである。そうなりますと、90年といわれる長いその後の人生は、精神的にはつらくて苦しい人生が待ち構えている。また、認知行動療法で神経症を克服した人たちが、定期的に集まって形外会のような会合を持っているというようなことは聞いたことがない。それは対症療法的な神経症の治癒だけを目的にしているからである。森田療法は昔は形外会、今は集談会という自助組織を持っている。森田療法の全体の枠組みから言えば、神経症の治癒は2割から3割ぐらいのものではないかと考えている。森田理論学習の真の目的は、神経質者の人生観の確立にあるといっても過言ではない。自立した人間本来の生き方、自分の活かし方、教育や子育て、欲望の暴走の弊害、人間と自然との共生などについて重要な考え方を提示している。だからこそ100年経っても生き残り、燦然と光輝いている。さらに世界各地に拡大してきたのだ。森田に出会えた私たちは幸運以外の何物でもない。
2020.04.22
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形外会で早川氏が森田先生に次のように質問した。「人間は一度は煩悶したほうがいいですか」これに答えて、森田先生は次のように発言された。「煩悶したことのない人に、偉い人は一人もいない。しかしこれを切り抜けないで、一生煩悶から脱することのできない人は、憐れなものである」「神経症になって20年も30年もたって、治らない人は、もはや治したいという気力がなくなってしまう。将来の希望がなくなり、無理な骨折りをするよりも、このままに、どうかこうか、日を暮らしたほうがよい、という気持ちになってしまう」(森田全集第5巻 183ページより引用)神経症で苦しんだということは、神様から人生の課題を与えられたようなものです。神様から人生の課題を与えられないで、その日を楽しく過ごせば十分だと思っている人は人間としては哀れというほかない。これを宿命と受け止めて、何とか乗り越えていくしか道はないと思います。それに向かい合うことで、生きがいも生まれてくると確信しています。私たちは幸いなことに、神経症という難題を乗り越えるために「森田理論」という武器を持っています。これを使って、神経症を乗り越えていくのがまっとうな生き方になると思います。それにつけても神経症は20年も30年も経ってやっとよくなるということは避けたいと思います。短期勝負でものにするのがセオリーだと考えています。私はまともに取り組めば約3年で、森田的生き方は身に着けることができると考えています。その手順は何度も提案しています。このブログでも取り上げています。基本を正しく理解して、あとは実践しながらさらに深めていけばよいのです。一旦身につけると、一生の宝物になります。自信を持って生きていくことができるようになります。生活に張りが生まれ、生きがいを感じるようになります。そのための援助は生活の発見会の仲間や先輩会員に頼めばいいのです。森田的人生観を身につけた人は、親身になって援助してくれるはずです。神経症の治療には、薬物療法、認知行動療法などの精神療法などたくさんあります。ところが人生90年時代を見すえて、人生観の確立まで視野に入れた精神療法は森田理論以外には見当たりません。ここが森田理論学習と他の療法の大きく違うところです。森田理論学習はもっともっと普及させていく必要があると考えています。日本で神経質性格者が、仮に1000万人いるとして、その中の1万人から3万人の人が、森田のに関心を持って学習を始めるようになると世の中は変わっていくと思います。理想は10万人ぐらいにならないかなと考えています。そのためには、森田で恩恵を受けた人が、森田を知らない人に対して、あらゆる機会をとらえて、広報活動をしていく必要があると思います。このブログもその一環です。最初20人たらずの閲覧者が1000人を超えるようになりました。これが2000人、3000人と増加してくるような投稿を心がけたいと思います。そして1人でも多くの人に、森田理論学習に関心を持っていただきたい。神経質性格者の1000万人が森田理論を意識した時のことを想像してみてください。世の中が大きく変わってくると思いませんか。広報の手段としては、you tubeの活用、英語などでの発信、集談会活動、スカイプの利用などさらなる充実などが考えられます。それ以外にもテレビ、新聞、SNSの活用などいろいろとあるでしょう。あるいは森田療法が普及している中国や外国から逆輸入するといったことも考えられます。森田で恩恵を受けた人はぜひとも広報に関心を持ってもらいたい。そうしないと森田理論が宝の持ち腐れになってしまう。そして歴史の遺産として埋没してしまうのではないかという危機感があります。
2020.04.18
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集談会では学校の先生をされている方の参加者がいらっしゃいます。教室で大勢の児童や生徒を前にしての仕事はストレスが多いのだと思います。特に対人緊張の強い人は、出勤することさえままならないのかもしれません。問題は誰にも相談することなく、孤立しておられること人が多いということです。こういう方のために、生活の発見誌1月号にEPA(従業員支援プログラム)の紹介がありました。通称イープと言います。心の問題で相談したいことができたとき、配布されている教職員互助会「メンタルヘルス・ポケットブック」相談券を使うと3回、自己負担なしで相談ができるそうです。それでも解決しないときは、前述の「ポケットブック」に記載されているフリーダイヤルに電話して、手続きすると、さらに5回面接相談を継続できます。年間合計で8回、年度を跨げは連続して16回、臨床心理士との面談が自己負担なしでできるそうです。本来カウンセリングは臨床心理士さんによっても異なりますが、おおむね1万円程度はかかります。これは無料ですから気軽に利用できそうですね。もちろん守秘義務は守られます。心の問題を抱えた教職員の方は一度問い合わせてみてください。(生活の発見誌 77ページより要旨引用)どういう臨床心理士さんがよいのかということですが、私は森田理論に詳しい臨床心理士さんをお勧めいたします。日本森田療法学会、NPO法人生活の発見会、公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団などにかかわっておられる方は特に意識が高いです。臨床心理士に森田療法をプラスしてネットなどで検索すれば適切な人が見つかるでしょう。集談会に参加されている人は、長らく参加されている人に聞けば、適切な人を紹介してくださるでしょう。精神科医も含めて、そういう情報はたくさん蓄積しています。一般企業の場合は、2008年に施行された「労働契約法」によって、心の健康への配慮は努力義務ではなく、法的義務として取り組むこととされました。しかし、実際にはメンタルヘルスのケアの専門家を置く企業は15パーセントにすぎません。そこで、次善の策として、外部の心理専門家と提携して、「外部従業員支援プログラム」(EPA)を活用している企業が増加しています。今後ますます増加してくるものと思われます。カウンセリングを考えておられる方は、会社の実情を一度調べてみてください。
2020.02.21
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アドラー心理学の中に目的論というものがあります。人間は目的を達成するために行動しているのだという考え方です。例えば、対人関係では、自分の存在を認めてほしい。受け入れてほしい。仲間として扱ってほしい。自分の気持ちや考え方を分かってほしい。自分のやっていることを評価してほしい。これらはほとんどの人にある欲望です。アドラーは人間はそういう目的を持って行動する生き物だといっているのです。その目的に沿って、目標を小刻みに設定して、努力精進していけば素晴らしい人生になります。ところが努力を怠ると、実際には目標を達成できなくなります。まず、目的が努力目標から「かくあるべし」に変わってしまいます。すると、目的が自己否定するための道具に変わってしまいます。目的のなかった時の方が精神的に楽に生きていけたというパラドックスに陥ってしまいます。つぎに努力のいかんにかかわらず、周囲の人からの反応は厳しいものがあります。自分の存在や人格を否定される。自分の気持ちや意見を無視される。これからやろうとしていることやったことに対して非難される。抑圧、否定、拒否、脅迫、無視、からかいなどのオンパレードです。現実が目的からそれてしまったとき、とっさにとってしまう行動の中に次のようなものがあります。周りの人に対して、不適切行為、迷惑行為、問題行動をとってしまうことです。反発する。感情を爆発させる。怒りや腹だたしさを表面化させる。暴力や暴言をはく。いじける。無視する。逃げまくる。後先考えない、気分本位の行動です。これらは無視、否定され続けた自分に注意を向けてもらうという、初期目的は果たせています。ただそれ以上のものではありません。つまり本来の目的からは外れています。むしろ本来の目的からはどんどん離れてしまっているのです。こうした反発は、相手にとって、肉体的、精神的に危険を感じる行為となります。相手はすぐに、反撃に打って出ます。売られた喧嘩を買っていると、人間関係は悪化するばかりです。ここで大切なことは、本来の目的から目を離さないことです。不適切行為、迷惑行為、問題行動の選択は本来の目的を見失い、手段の自己目的化が起きているのです。自分の本来の目的は、自分の存在を認めてほしい。自分のことを仲間として受け入れてほしい。自分の行動を評価してほしいということです。そのための具体的な目標を設定して、努力していくことです。一時的な対人関係の不快感にとらわれて、格闘することは本来の目的から大きくそれてしまうことを忘れてはなりません。これは森田理論で学習した部分です。人間には欲望があるから不安が出てくる。欲望が大きければ不安も大きくなる。不安は欲望の暴走を制御してくれている。その不安にことさら焦点をあてて悪戦苦闘することは、地獄の苦しみをもたらす。欲望の達成を忘れないように心がけて生活することを最優先する。相手から不適切行為、迷惑行為、問題行動を受けた場合は、すぐに反撃を加えて反発することも考えものです。アドラーの言うように、そのような行動は目先の目的だけではなく、無意識の領域にかかわる本来の目的が隠れていると考えてみることが重要です。例えば、弟や妹が生まれた子供が不適切行為、迷惑行為、問題行動を繰り返すことがあります。今まで自分一人がかわいがられていたのに、その状況の変化に対する自然な反発です。その不適切行為を叱責、禁止するだけでは、なかなか収まりきれません。かえってエスカレートしてしまいます。成長するにしたがって益々過激になってしまいます。こんな時に相手の本来の無意識の目的は何かと考えてみることで、相手に対する対応は全く違ったものになります。いじめやあおり行為なども現象面だけを見て批判するのではなく、目的論から考えることで、事態打開の道が開けてくるのではないでしょうか。
2020.01.29
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多田茂さんのお話です。多田さんは森田先生のところに入院された経験をお持ちの方です。対人恐怖症と正視恐怖、そういう強迫観念に悩まされまして、すべてが消極的になり、劣等感に苦しむという状態でした。その反面、人に対しては負けたくない、もっと立派になりたいという向上欲は人一倍だったそうです。神経症のとらわれというのは、本当の病気ではないと申しますけれども、そのとらわれで苦しんでいる間は、本当の病気よりももっと苦しいというのが実情でございます。森田神経質者の特徴としては、観念的で甘えたところがあります。こういう人間を森田先生のところでは、再教育をするのです。あるいは特殊教育をするということも言えるのではないかと思います。そういうことで早く言えば人間教育ですね。症状を直接的に治そうとするよりも、考え方・見方・行動の誤りを体得によってみずから分からせようとしている。体験によって人生観を確立していくような療法なのです。そういう意味で、特殊療法、作業療法、自覚療法、心身の自然療法、体験療法、家庭療法などと言われることもあります。森田療法というのは、今までの観念的な教育とは根本的に違っております。今までの家庭教育とか学校教育というものは頭から一歩的に教え込んだり、いろいろと説明したりして分からせようとしますけれども、森田療法ではそういうことは一切いたしません。本人自身が自ら選んでいろいろなことに手を出し、自主的に実行するように導くことが森田療法の一番の眼目であります。掃除、洗濯、飯炊き、食事の準備、風呂焚き、動物の世話、草花の手入れなどの日常茶飯事に取り組ませたのです。決して命令されたりすることはありませんでした。自発的に気のつくままに手早く尻軽く、仕事に手をつけることを実行するように指導されたのです。本来人間の持っている自発的な活動欲を刺激して目覚めさせる狙いがあったのです。その際煩悶とか苦悩を訴えられてもそれを不問にして、気分がいいとか悪いとかそういう気分を打破し、仕事本位に行動させるということです。本来、人間の活動欲というものは、食欲などと同じように、人の自然本能的な衝動であり、特に生の欲望の旺盛な神経質者は向上欲とか活動欲が非常に強い。その運動欲、作業欲を自発的にますます増進させるように指導するのが森田療法なのです。経験を重ねるにつれて、知らず知らずの間に作業に対する持久力とか耐久力が養われていく。そして仕事に対する興味もだんだん湧いてきまして、あれもしたいこれもしたいというような積極的な活動欲が盛んになってくるというふうに指導していくのであります。これは人間本来が誰もが持っている生の欲望を活性化させるということです。欲望が出てくると不安や不快などが自然発生的に生まれてきます。これは嫌なものですが、欲望にそった生き方をしていくためには避けて通ることができない。それらに過度にとらわれることなく、ある程度は抱えたまま、生の欲望に邁進する人間に生まれ変わらせるのが森田療法の眼目なのです。(生活の発見誌 再録シリーズ 1990年11月号より 要旨引用)
2019.12.25
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今日は「うつの8割に薬は無意味」という本を紹介します。この本は読み物としてブラックユーモア満載で大変面白い本です。著者は井原裕医師 朝日新書です。井原氏は大学病院の教授ですが、大変ユニークな方です。うつ病の治療というと、すぐ「心のケア」という言葉を思い浮かべますが、その前にまず体のケアが大切です。「健全な心は健全な体に宿る。健全な体は、規則的な生活習慣あってのこと」それが基本中の基本です。そのために心がけてほしいことは次のようなことです。1、一日7時間の睡眠をとる。または1週間に50時間の睡眠をとる。入眠時間を早めることがポイントです2、次に睡眠相を安定させる。具体的には平日と休日の起床時刻の時間差を2時間以内に保つことです。それ以上になると海外旅行の時差ボケ状態になる。これが心の不調の原因になる。3、薬物療法中はアルコールを飲まないことです。「酒を飲んだら車を運転しない。薬を飲んだら酒は飲まない」を徹底することです。薬をアルコールで流し込むようなことは避けるべきである。これは意外と無視されているケースが多い。4、高齢者については、30分のウォーキングを行う。5、さらに一日の臥床時間を8時間以内に留める。働き盛りの人のうつは、働きすぎや生活の乱れによる睡眠不足が原因です。1、2、3を心がけることです。高齢者のうつの場合は、不活発な生活習慣にあります。「昼間ゴソゴソ、夜ガサガサ」といった生活になると、精神も身体も衰えてきます。つまり運動不足が原因です。だから歩かせれば治ります。現在は心の健康を損なうとすぐに心療内科にかかり、すぐに薬物療法に入ります。ところが生活習慣の乱れによる、うつ状態の場合は、薬は効きません。規則正しく、リズム感のある生活に切り替えることで、多くのうつ状態は改善できるのです。井原先生のところでは、薬物療法に加えて、生活指導を実施している。睡眠状況の記録を提出させている。これは薬物療法以上に効き目がよいという。精神科医の先生は、病院にやってくる人は精神的な病気にかかっているに違いない。適切な診断をして、何とか薬で楽にしてあげたいと思っているのです。たしかに2割ぐらいの患者さんは、薬が効くような精神疾患を抱えている。ところが後の8割の人は、生活習慣の乱れ、働きすぎ、パワハラ、派遣切り、失業、多重債務、恋愛、嫁姑問題、家族や会社での人間関係で心の問題が生じているのです。脳に障害が起きているのではなく、生活面の問題が心の問題を引き起こしているのです。そういう人に多少は薬の効果はあるかもしれませんが、根本的な解決策ではありません。何とか薬だけで治そうとすると、種類も量も増えて、薬漬けになってしまいます。こうなると最終的には、体も精神も、社会生活も破壊されてしまいます。精神科医に悪意はありません。すべて患者さんのために行っている善意の医療行為なのです。生活習慣の改善、労働基準監督署、警察、弁護士、カウンセリング、集談会などで解決すべきことをすべて精神科医に頼ろうとしているのですから問題がでてきているのです。これは精神科医の問題というよりも、我々自身の問題解決の選択の誤りなのです。
2019.11.02
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森田療法や森田理論の学習をしている人は、他の精神療法は最初から排除してしまう場合があります。これはまずいいのではないか。森田先生はそんなことはされないと思います。一つ一つ実際に確かめて神経症の治療に応用できるのかどうかを判断されたに違いありません。確かめる中で、森田理論の優位性や問題点、改善点がはっきりと分かってくるものだと思います。精神療法の一つに認知行動療法があります。これは認知療法と行動療法を組み合わせて、神経症の克服を目指しているものです。精神療法としては、唯一保険適応です。認知療法は、神経症に苦しむような人は、ある出来事に対してネガティブに考える傾向が強い。それが考え方、生活面、行動面に悪循環を招いている。物事それ自体には、よい悪いはないのですが、自分の頭の中でいつも悲観的、否定的にとらえてしまう。マイナスにばかり考える癖を認知療法によって、プラス面も考えられるように訓練していく。行動療法は、不安をいくつかの階層に分けて、取り組みやすいものから、実際に不安に直面させていく。例えば快速・特急電車に乗れない人に、まず駅に行く。切符を買う。各駅停車の電車に乗る。次の駅で降りる。最終的に快速・特急電車に乗れるまで、行動面を前面に押し出した治療法です。神経症は、森田理論学習のように言葉でそのからくりを説明し、理解しただけでは解決しません。例えば、不安神経症で死んだ人はいません。動悸や息苦しさで一時的にパニックになって、破局的に考えることで、発作が起きているんですよ。そのままじっとしていれば、いずれ収まります。だから発作が起きたときは、慌てず落ち着いて行動しましょう。などと言葉でそのからくりを説明し、考え方を改めさせようとしても、急には電車に乗れるようにはならないでしょう。実際に体験して、安全であることを自分の身体で体得するということがいかに重要かということです。そういう意味では、森田理論学習は観念に偏りすぎて、行動面がおろそかになっているかもしれません。森田先生の入院療法とは全く異質なものに変化してきているのです。そこに気づいて、森田理論の学習だけではなく、実践・行動、生活面への応用を心がけている人は素晴らしいですね。実際にそういう人は素晴らしいオーラを放っています。現在の認知行動療法は、原法をいろいろと改善して新しい試みが次々と生みだされています。その一つに、「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」というのがあります。これは難しい言葉ですが、森田理論に非常に近いセラピーです。「アブセブタンス」というのは、自分の中に湧き起こった自動思考、とりとめのない考え、不安や怒りなどの感情、身体の痛みや違和感・・・。そういったものがあることを否定するのではなく、積極的に承認して、受け入れていくというものです。「コミットメント」とは、「今・ここ」に意識を戻して、今、自分の目の前にある物事や出来事、今、本当にやるべきことに傾倒していきましょうという考え方です。一言でいえば、不安や恐怖を目の仇にして、無くそうとして格闘するのではなく、それを自然なものとして、あるがままに受け入れていきましょう。そして、日常茶飯事や仕事、自分の夢や希望に向かって前進してゆきましょうという考え方です。この考え方は、森田が専売特許のように思っていましたが、どうもそうではなくなってきたようです。そして認知行動療法が素晴らしいのは、この考え方が行動療法と結びついて、実際の活用方法までを提案して、強力にサポートしていることにあります。私たちはこれに見習い、新しい森田理論の活用法を見出していく必要があるようです。「生活森田・応用森田」を理論学習と同じ程度に比重をアップしていくことが求められています。
2019.10.24
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生活の発見誌の2019年8月号に、子供の発達障害に森田理論を応用して成果を上げておられる先生の投稿があった。大変参考になった。森田理論は、神経症だけではなく、慢性うつ病、慢性疼痛、ガン患者、難病、慢性皮膚病などに顕著な効果があるという報告はなされているが、発達障害にも役に立っているという話を聞いて大変うれしく思った。発達障害を抱えている人は、注意欠陥多動性障害、コミュニケーション力の不足などがあって、普通の人とまともな付き合い方が困難な場合がある。今までは発達障害を何とか治して社会に適応させようという治療が第一選択肢として考えられてきました。「こだわり」「多動」「多弁」などは、周囲からすると奇怪な言動に見えるため、どうしても治療対象としてみてしまうのです。この先生の取り組み方は違います。子供がゲームが好きならば、ゲームを集中的に許容して、そのことを批判しないで見守るのだそうです。すると今まで全く手をつけようとしなかった勉強の方にも関心を示すようになったとのことです。また多動性が目立つ子供に、多動に身を任せて園庭で走り回った後にはきちんと集団に戻っていき、みんなとクラスで過ごすことができるようになった例もあるそうです。逆に、勉強に取り組んだらゲームをしてもよいという方針で臨むとよい結果にならない。また集団の中でじっとしていられたら、走り回ってもよいという手順で支援をするとうまくはいかない。この先生は次のように述べておられます。森田療法は、「変わらないこと」はそのまま受け入れ、「生の欲望」に即した行動をとっていくというアプローチをとっています。発達障害を抱えている人は、仕事が器用にこなせない、勉強についていけない、コミュニケーションのとり方が奇異であるなど、様々気になる言動を呈しています。しかし、そうしたネガティブな側面にではなく、当事者が一方で有している強みや得意な面に目を向けて、それらが発露されるような環境をいかにして周囲ができるか、このことこそが森田療法を発達障害に活かすあり方だと思うに至っております。実に森田理論の核心をついた格調の高い文章であることかと感心しました。今後の実践例を数多く積み重ねられて、社会に発達障害に森田療法ありという考え方を広めていってほしいと切に願っております。尚、生活の発見誌をご存知ない方のために若干説明しておきます。NPO法人 生活の発見会が毎月1回発行しています。内容としましては、会員同士の体験記、交流、自分の掴んだ森田理論などが満載です。その他森田理論に詳しい先生が、森田理論について解説しています。それから森田療法に関するイベント、学習会、集談会、参考図書、視聴覚教材、森田療法施設、協力医師、協力臨床心理士、メンタルヘルス岡本記念財団、森田療法学会の紹介などの情報が載っています。ページ数は約100ページぐらいです。神経症に悩む人の同人誌のようなものです。私の知っている臨床心理士さんは、クライアントに発見会に入会して、発見誌を読むことで心の悩みはかなり軽減できると豪語されています。実際何人も発見誌をとって読んでいます。まだの人は、試しに1年間だけでも入会して生活の発見誌を読んで見られたらどうでしょうか。関心のある方は、是非生活の発見会のホームページでご確認ください。
2019.09.19
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慢性的なうつ状態という人がいる。大うつ病ほどではないが、軽い抑うつ状態が続いている人である。これは気分変調性障害といわれている。薬物療法だけではなかなか改善できない。どうすればこの抑うつ状態は軽減できるのだろうか。「うつヌケ」(田中圭一 角川書店)が探ってみた。慢性うつ状態の人は、考え方、行動のパターンが悪循環を招いている場合があります。考え方、思考のパターン、行動のパターンを見直すことが大切です。そのためのヒントを上げてみましょう。1、うつ状態の人は、自分のことが嫌いなのだという。自分が好きになる努力をすることが大切です。自分のことが好きになるには、まずありのままの自分を認める。森田でいう「かくあるべし」を捨てる。ネガティブな言葉はやめて、自分のことを評価する。これはことばでは分かりますが、ハードルは高い。でもそれに近づくための方法があります。森田療法理論や認知療法の学習をすることです。私は、自分の存在、容姿、性格、能力が人と比べて劣っていて、イヤで仕方がありませんでした。森田理論では、「かくあるべし」を少なくして、事実、現状に立脚した生活態度を身に着けることだということを教えてもらいました。今では学習のおかげで、あるがままの自分に寄り添うことができるようになりました。2、森田療法は、不安はあるがままに捨て置いて、今なすべきことをすることを勧めている。うつ状態をなくそうとすると、抑うつ状態は軽くなるどころか、どんどん悪化する。うつ状態という人を見ると、頭でっかちで、手足が動いていない。考えることは、自分の欠点や弱点を責めることに集中している。3、人から必要とされる人間だと感じられるようになると、うつ状態は楽になる。人の役に立つことを、見つけてコツコツと実行に移すことが大切です。それが習慣化し、弾みがついてくれば、うつ状態は消えていきます。4、自分を客観化し、助言してくれる人を味方につける。先入観、決めつけで悲観的な考え方ばかりしているので、配偶者や友達などの意見を参考にする。反発するのではなく、「そういう見方や考え方もあるのか」と素直になることが大切です。5、客観的事実と主観的な事実をノートに書き留めておいて、1か月後に振り返ってみる。例えば、準備不足で商談に失敗した。これは客観的事実です。実際の出来事です。その時、「自分はもうこの会社にはいられない」と感じたのは、主観的感情の事実です。それを記録しておいて、1か月後に振り返ってみると、客観的事実はどうすることもできませんが、主観的な事実は変化していることが多いと思います。「どうしてそのような極端な気持ちになったのだろう」とあっけにとられるかもしれません。6、没頭できる趣味を持つ。趣味には、強制も、責任も、プレッシャもない。趣味ややりがいを持つことは、うつ状態になる予防薬になります。7、うつ状態になりやすい人は、まじめ、心配性だが前向き、責任感が強い。そういう人は、気持ちの方は休みたいのに、鞭打って働いている。「社畜」という言葉があります。ブラック企業などにいて、気力、体力、生命力などすべての力を会社に捧げながら、最終的に部品のように使い捨てられるロボットのような人のことを言います。こんな人生を送っては自分がかわいそうです。このような場合、限界を超えてしまう前に、対処しないと、最悪過労死へと突っ走ってしまいます。体調異変を感じたら病院にいくことです。神経質性格者は、身近な人に自分の状態を監視してもらうことが大切です。
2019.06.10
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私はこのたび、「心の健康セミナー」の主催者として、新聞社、市役所、県の精神衛生センター、市の精神福祉施設などに直接出向いて広報をしました。区民文化センター、市立図書館、公民館などで森田療法のことはまともに取り扱ってもらえませんでした。それは仕方がない面もありますが、心の問題を扱う健康福祉局、精神衛生センター、保健所などでも、「森田療法ってなに」 「新興宗教とは関係ないですよね」「講演の題名に森田療法と入れたものにご協力はできない」などと言われて、受付ですぐに追い返される場合が多々ありました。特に期待をかけていた県の精神衛生センター、市の精神福祉センターでまともに対応してもらえなかった事はとてもショックでした。話を聞いてもらえない。入り口でチラシを渡すのが精一杯でした。すぐに捨てられているのでしょう。というのは、申し込み者の中で、そういうところでチラシを見た人は一人もいなかったのです。ポスターなどは掲示はできませんと断られる始末です。他のポスターはいろいろと掲示しているのにとても残念な思いでした。曲がりなりにも心の問題を扱う部署で、森田療法が眼中にないということがよくわかりました。あっても、近づいてはならない、効果は期待できないので無視するという態度が露骨なのです。全国的に見ると私の住んでいる県や市が特殊なケースなのかもしれません。地元新聞社は後援してくれました。 後援にあたっては生活の発見会の定款や役員の名簿の提出を求められました。当然、新聞紙上でも取り上げてくれるものと思っておりましたが、他のセミナーの掲載を優先するということで断られました。他のセミナーの内容と私たちのセミナーの内容を比較しているのです。特に「森田」というネーミングに敏感なのです。そして私たちのセミナーは取り上げてもらえなかったのです。食い下がると、森田療法は、特定の療法に偏っており、普遍性が少ないなどと説明されるのです。途中からは、森田療法のことは前面に出さずに、森田療法理論を応用して開発された「生きがい療法」の言葉を前面に出すように変更しました。この言葉は、森田療法を1とすれば、 3倍ぐらいは世間に知れ渡っています。以前に新聞で取り上げられた記事などをファイルして見せれば、非常にインパクトが強いのです。これは過去に掲載された記事が数多くあります。これを前面に出すことで、多くの参加者を勧誘することができました。 80人定員のところ95人も集めることが出来たのです。今回の「心の健康セミナー」では、一般市民の方が数多く参加されます。多分森田療法そのものよりは、「ガンと生きがい療法」の話を聞きたいのだろうと思っています。私はこの機会をとらえて、森田療法の言葉を広く知ってもらうことに力を入れたいと思います。理想としては、心の問題を抱えた人に、その解決策の1つとして、森田療法のことがすぐに頭に浮かぶような状況を作り上げたいと思っております。まずは一般市民の人に森田療法というすぐれた精神療法があるという事を広めることが、今、 1番に取り組むべき課題だと考えています。2月号の生活の発見誌にYouTube (無料の動画共有サイト)で発見会のチャンネルを作り、そこで定期的に短い動画を配信して森田療法の普及活動を行うという提案がありました。これは会を上げて取り組めば効果があると思います。どなたか取り組む人はいないでしょうか。私は文章を書くのが好きなので、このブログで森田療法の普及に努めております。毎日600人から1,000人ぐらいの人がアクセスしてこられます。こういう活動を地道に続けていれば、いつの日か、森田療法に関心を持つ人が出てくるのではないかと思っております。最初のうちは一日20人ぐらいのアクセス数しかありませんでした。それがいつの間にか、30倍から50倍に拡大したのです。粘り強く継続していって、いつか世の中を変えていきたいと思っているところです。メンタルヘルス記念財団を作られた岡本常男さんは、「森田療法という日本で生まれた優れた精神療法は、海外で評価されて、逆輸入される形で日本で普及するのではないか」といわれていました。岡本さんは何回も中国に足を運んで森田療法の普及に努められました。中国では大学病院をはじめとして、日本を凌駕する勢いで森田療法が拡大しています。その他、オーストラリア、カナダ、アメリカ、ドイツなどにも拡大して、国際森田療法学会も開かれるようになりました。その日は着実に近づいているのだと思っております。
2019.03.13
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アメリカの文化人類学者デビット・K・レイノルズ先生は、森田療法と内観療法に詳しい先生である。この2つを神経症の治療に取り入れられている。内観療法が吉本氏によって確立されたのは1930年代のことです。内観療法とは、私たちが家族や身近な人たちによって支えられているという、具体的で明確な事実に焦点を当てて自己内省することです。周囲の人たちから絶えず恩恵を受けているという事実を、細部にまでわたって本当に認識した時、感謝の気持ちが湧いてきます。それに報いることをしていなかったことに罪の意識を感じ、行動を改めるようになるのです。内観療法は研修所で行います。私は一日だけの内観療法を受けました。畳半畳ぐらいなところに入ります。周りは立屏風で覆われていました。ここで自分ひとりで一日中内観をするのです。 1時間か2時間ごとに、 「この時間はどんなことを内観されましたか」と研修所の人が来られて確認されました。これは寝たりして、内観をしていないか確認のためだと聞きました。私は最初に母親との関係を生まれてから物心つくまで、できるだけ思いつようにしました。記憶はないのですが、成長してから聞いたことを思い出すようにしました。次に、幼稚園児だった頃から、小学生の頃の母親との関係を丹念に調べました。続いて、中学生の頃、高校生の頃、大学生の頃、社会人になって30代の頃、 40代の頃、50代の頃と年代を区切って母親との間で起こった出来事を調べていきました。その時、母親からしてもらったこと、母親にしてあげたこと、母親に迷惑をかけたことを中心に自己内省しました。普通集中内観療法は、母親との関係を調べた後、父親、祖父母、兄弟姉妹、叔父や叔母、友達などについても丁寧に調べてゆきます。集中内観は原則として1週間ぐらいです。これを朝から夜まで繰り返すのです。終了間際になると、自分がいかに周囲の人に迷惑をかけてきたのか、いかに周囲の人に助けられて生きてきたのかがよくわかるようになるようです。最後は涙が溢れて止まらなくなるそうです。感謝の念でいっぱいになるようです。内観療法が終わってから、普通の生活に戻ると、その恩に対してお返しをしたいと思うようになるようです。内観療法では自己中心という認識の誤りが、周囲の人との人間関係を丹念に調べることによって、頭の中で修正されるのではないかと思います。しかし、この内観療法は、しばらくするとまた自己中心という行動がぶり返すそうです。そうならないためには、自宅において家庭内観を日々行う必要があるようです。私は1日だけの体験内観療法でしたので、その境地に至る事はありませんでした。神経症に陥る人は何かにつけて自己中心的で、他人のことを思いやる気持ちが希薄です。自分の気持ちや主義を押し通して、 他人に平気で「かくあるべし」を押し付けています。森田理論では「かくあるべし」が強すぎると、思想の矛盾を起こし、葛藤や苦悩で苦しむようになるといいます。「かくあるべし」を極力抑えて、どんなに理不尽な事実であっても、その事実に立脚して生きていく事を勧めています。事実本位の生活をするための方法は色々と森田理論か教えてくれています。それに加えて、この内観療法を取り入れることによって、自己中心的な部分が抑えられ、他人に 「かくあるべし」を押し付けることが少なくなるとすれば、内観療法の持っている意義は大きいのではないかと思います。
2018.11.30
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一昨日岡山で開催された心の健康セミナーに参加した。今回講演をしてくださった先生は、皮膚科の専門医だった。この先生が言われるには、慢性の皮膚疾患に対して、薬物療法や外科的治療だけでは不十分である。慢性疾患を抱えている人たちは、様々な皮膚症状に対して、心の中に不安、葛藤、怒りなどが渦巻いている。たとえば、 「アトピーが治らなければ何の希望もない」 「アトピーが治ったら働く」 「皮膚炎のために受験できない」 「自分が嫌い、どうなってもいい」などと考えがちである。進化している対症療法的施術と並行して、心のケアを付け加えると慢性の皮膚疾患は驚くほど良くなるケースが多いと言われる。この先生は、心のケアについては森田療法を研究され、皮膚疾患による不安、葛藤、怒りなどの悪循環を断ち切るように指導されていた。つまり外来森田療法を慢性的皮膚疾患の患者に取り入れられていたのである。このような皮膚科の専門医が存在すること自体大変な驚きであった。この先生は、次のようなことを心がけて心のケアに取り組んでおられた。傾聴・共感を心がけて、肯定的側面を評価する。できることや興味のあることに取り組むように提案をする。私メッセージの発信に心がける。ユーモアを心がける。日記指導を行う。食事、運動、音楽、ダンスなどの効用についても言及されていた。その中で印象に残った言葉は、 「人間はもともと何かを作り出す行為に生きがいを感じるように生まれてきている」 (伊丹仁朗 生きがい療法の証明 海竜社)だった。不安を持ち抱えたまま、なすべきことに取り組んでいくという考えだった。私はこれまで、がん治療、難病疾患、慢性疼痛などの専門医が外科的施術に加えて、森田療法を応用して、身体疾患を軽減させている講演を数多く聴いてきた。慢性疾患やストレスが原因となる身体疾患は、心や考え方の歪みが症状を悪化させていることがよくわかった。森田療法理論は、神経症を治すだけではなく、慢性疾患、身体症状、免疫力の低下した人に大いに応用できることがもうすでに証明されているのだと考える。身体疾患に対症療法だけでは無理があるのだ。心身一元論で取り組む必要がある。つまり、森田療法理論は、 「人間はいかに生きて行くべきなのか」について、明快な指針を示しているものと思われる。ですから、森田療法理論は、すべての人々がその価値を認識し、自分の生活の中に取り入れていく必要があるのではないかと考えています。ちなみに、来年2月10日(日)14時から16時30分まで、広島市西区区民文化センターですばるクリニックの伊丹仁朗医師による「心の健康セミナー」が開催される。伊丹先生はガンの専門医であるが、ガン治療に森田療法理論から「生きがい療法」を開発され応用されている先生である。森田療法理論を広く紹介し、一人でも多くの人に森田療法に対する関心を高めてゆきたいものです。
2018.11.26
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日本における糖尿病になる主な原因は、過食、偏食、運動不足、ストレスなどのライフスタイルの影響があるという。そのため糖尿病は、生活習慣病とも言われている。血液中のブドウ糖の量が、正常値は空腹時110 mg/dl以下だが、それより高い値が続くと糖尿病に移行する。放置していると失明、腎臓障害による透析、手足のしびれ、神経痛、動脈硬化など重大な疾患を発症する。精神疾患としては、うつ状態に陥る。そして不安障害やうつ病を発症する。糖尿病になっている人が、うつ病を発症する例はかなりあるようだ。それ以外にも、過剰な恐怖、心配、取り越し苦労、疑い深さ、塞ぎ込む、本能的欲望の制御不能、無気力、無関心などの傾向も強くなる。普通は膵臓からインスリンが分泌されて、血糖値の上昇が抑えられている。血糖値の上昇が慢性化してくると、膵臓のインスリンを作るβ細胞が疲弊してインスリンの分泌量が減ってしまう。その他、肥満などによってインスリンが効きにくくなって糖尿病に至ることもある。糖尿病については、九州大学による食事療法に関する興味深い調査が報告されている。1988年、福岡県糟屋郡久山町の住民健診で、男性の15% 、女性の9.9%の人に糖尿病が見つかった。早速、運動療法と食事療法の徹底的な指導が行われた。食事療法は「高糖質カロリー制限食」である。その結果、 14年後の2002年の調査で、男性の23.6% 、女性の13.4%が糖尿病になっていた。14年前よりも患者数が増えていたのである。糖質たっぷりの食事療法が糖尿病を激増させてしまったと考えられる。脳細胞などの栄養源は糖質であると言われていが、それも程度問題で、過剰摂取は逆に糖尿病を招く。糖質たっぷりの食事とは、スイーツ、お菓子、砂糖、菓子パン、食パン、精白米、チョコレート、ジャガイモ、はちみつ、もちなどである。糖尿病の予防にあたっては、これらの食事を減らして野菜や肉、魚介類などとのバランスのとれた食生活に変更していく必要があるようだ。特にカップラーメン、ファーストフード、スナック菓子、スイーツに偏った食生活を続けている人は、糖尿病の発症リスクが非常に高い。糖尿病による鬱状態、不安障害、不快感などを、森田療法によって改善しようとするのは無理がある。ザルで水を救い上げるようなもので効果がない。まずは、食生活の改善、健康のための運動の継続などに取り組むことが先決であると思う。(こころの免疫学 藤田絋一郎 新潮社参照)
2018.11.18
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大原健士郎先生は神経症とうつ病の人の違いについて次のように説明されている。・診察の場面では、一般に神経症の人は自分の悩みや症状を話し出すと1時間でも2時間でも話し続ける。うつ病の人は青白い顔をして、質問に対しても、小声でぼそぼそと答える。神経症の人はエネルギーはたっぷりやるが、うつ病の人はエネルギーを消耗をし尽くしたような感じである。・神経症の人は元気が良いので、北海道や四国などといった遠方からでも浜松医科大学病院を訪れる。うつ病の人は消耗しきっているので、静岡あたりから訪れるのが限度である。・神経症の不眠は、その多くは入眠困難で、実際にはよく寝ている。夜眠れないからといって、昼寝をしたり、夕食を済ませるとすぐに寝床にもぐり込んだりする人がいる。うつ病になると、不眠は必発症状といってよいくらいよく見られる。不眠の型は早朝覚醒型で、 2 、 3時間もとろとろ眠ったかと思うと、夜中に目が覚めて、その後は一睡もできずに七転八倒の苦しみを味わう人が多い。神経症で、不眠の人は大騒ぎをして周囲の人を起こしにかかるが、うつ病で不眠になった人は周囲の人に迷惑がかからないようにそっと寝床から抜け出して、夜が明けるまで書斎で時を過ごしたりする。・神経症は訴えは多いが、病像はそれほど深刻ではなく、しばしば自殺を口にしても、実行に移す事は少ない。神経症の人は、死にたいなどと、本心から思っている人は極めて稀で、長生きしたくてジタバタしているのである。これに対してうつ病では、大騒ぎをしないで自殺に直行していく傾向がある。・神経症の人で食欲不振を訴えることがあるが、訴えほど体重の減少は認められない。よく注意して観察していると、食欲がないからといって、間食したりしていることが多い。うつ病の人は、食欲が著しく減退し、それとともに体重は1ヶ月で10キロも20キロも減少することがある。・うつ病の人は1日のうちに、気分はガラガラと変化する。これを気分の日内変動という。また、うつ病の人は自由浮動性の不安と言って、特別な理由もないのに急に不安感に襲われることもある。この状態は突然出現し、すぐに消えるが、 1日のうちにしばしば出現することがある。神経症の人はそのようなことはない。その代わりに、いつもカラッと晴れあがった気分にならず、常にうす雲が張っている感じである。・うつ病はしばしば再発を繰り返すことが多い。神経症はダラダラと長い経過をとる。・重症のうつ病になると、色々な妄想が起きてくる。妄想では、関係被害妄想、心気妄想、貧困妄想、罪責妄想などが見られる。神経症では妄想を示す事はない。・うつ病は悪くなると、思考も行動もテンポが鈍くなり、ちょっと見ると痴呆のような状態になることがある。症状はさらに悪くなると、昏迷状態といって、ただ横になっているだけの状態になることがある。神経症ではこのような状態になることはない。・うつ病には抗うつ剤が効果的である。神経症には抗うつ剤は無効である。不安の強い神経症には鎮静剤が効く場合がある。しかし、一般的に言って、うつ病の治療の主役は抗うつ剤であり、神経症では精神療法が中心になる。・神経症もうつ病も、性格はもともと真面目人間であることが多い。そのため、学校の成績も会社での勤務ぶりもよくて、病気にさえならなければ指導者的な立場になれる人が多い。ところが神経症は概して自己中心的で、自分本位である。それに比べるとうつ病は、概して自分を犠牲にしても他人に尽くすといった他人本位の性格が目立つ。そのため、周囲の人たちからは敬愛されている。同じ立場の神経症の人とうつ病の人が争いを起こすと、どちらかと言うと自己主張が強く、意地の悪い神経症は勝つことが多い。うつ病は自己主張せず、相手に譲る気持ちが強いのである。・素人目にみると、神経症もうつ病も同じように憂鬱そうに見えるが、客観的な尺度として心理テストを施行してみると、うつ病では情緒不安定が明らかに見られる。これに対して、神経症は訴えは多いが、抑うつも、気分易変も大したことがない場合が多い。うつ病の初期には、神経症と区別がつかない場合が少なからずある。その場合には、治療者はうつ病を想定しながら経過を見ていくのが普通である。そのほうが失敗が少ないからである。(不安と憂うつの精神病理 大原健士郎 講談社 35頁から40頁より引用)
2018.03.07
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元浜松医科大学の大原健士郎先生は、ネオ・森田セラピーを提唱されていた。これは従来の森田療法に他の療法を組み合わせることによって、神経症の治療に当たる方法である。大原先生は、家族療法を組み合わされておられた。その他にも、絵画療法、音楽療法、レクリエーション療法、スポーツ療法、作業療法を拡大しての農園療法などがある。大原先生は精神分裂病、躁うつ病、アルコールや薬物依存者、臨死患者などの人たちに対して、森田療法が応用できるかどうかを模索してみたそうだ。これらの患者は、もちろん森田原法だけでは効果が期待できない。神経症の患者さんでも、最近は生の欲望があまり感じられない人が増えてきた。生命力が感じられない、あるいは自我の確立がなされていない人が増えてきた。こういう人たちに、いきなり森田療法を適用するよりも、他の療法と組み合わせたほうがよい効果を上げることができる。各種の薬剤や物理的療法を施行し、症状が沈静化してくると、意外に森田療法的アプローチが奏効するのである。(不安と憂うつの精神病理 大原健士郎 講談社 88ページより引用)現在ではマインドフルネス、内観療法、生きがい療法を森田療法に組み合わせている例もある。僧侶であり、臨床心理士の大住誠さんは、箱庭療法と森田療法を組み合わせて神経症、境界例、解離性障害などの治療に取り組まれている。大住さんは、瞑想的箱庭療法に取り組まれているのが特徴的である。箱庭療法とは1メートル四方の砂箱に人間、動物、空想上の怪物、家屋等ミニチュアのアイテムを用いて、患者が内的世界を自己表現することで、自然治癒力が高まり、症状が見直されていく遊戯療法です。瞑想的というのは、箱庭療法に取り組んでいる患者さんに深く入り込んで情緒的交流を持たないということです。そういうことをすると、ときには治療者と患者との間に依存関係が作られてしまいます。場合によっては支配的な関係にさえなります。その関係性が患者さんのパーソナリティーによっては、結果的に病の温床とすらなります。大住さんは、瞑想的箱庭療法は入院森田療法で行われる絶対臥褥療法的な意味があると言われる。箱庭療法を行うと、今まで症状を取り去ろうとしていた気持ちが薄れて、 「どうにでもなれ」という境地、 「治る。治らない」ということがどうでもよくなり、症状をそのままに放置できるようになります。そうすれば後は自然に身体が自由に動くようになります。言い換えれば、不安と共存することによって患者さん自身が「本当の自分」に出会っていくことができるようになります。自然治癒力が賦活化してくるのです。これは森田療法で言うあるがままの体得と生の欲望の発揮につながるものだと思われます。詳しい事は、「うつは、治す努力をやめれば治る」(箱庭療法と森田療法の併用の事例と実践)に7つの具体的事例とともに、理論が紹介されていますので、ご参照願います。
2018.03.03
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精神科医の市川光洋医師の著書に「外来森田療法」がある。これによると、特徴的な事は、治療期間を十回に区切られていることである。週に1回の通院として、 2ヶ月で8回、 3ヶ月で12回、キリのいいところで十回にしておられる。平均治療日数は90日である。もちろん薬物療法も併用しておられる。そしてその十回を、前期、中期、後期に分けて治療を時間的に構造化し、絶対臥褥、作業と講話、そして退院に相当するものを埋め込んでおられる。1回ずつの面接にそれぞれ意味を持たせて濃縮した治療を行う。高良興生院の治療に型があったように、外来でも標準的な形を持った森田療法を実施する。これを外来標準型森田療法と呼んでおられる。治療前期は、外来森田療法の適用者かどうかを見極めることから始める。適用者の場合、治療回数が10回であることを最初に伝える。そして、次回までに自分の症状と回避行動について、具体的に書いてくるように指示をする。また、神経症の成り立ちや特徴を理解してもらうために「森田療法のすすめ」という高良武久先生の著書を読んでくるように指示をする。次に実践課題に取り組んでもらう。それを行動記録として作成し、次回の面談時に提出してもらう。そして実践課題の実行と不安の検討を行う。治療中期では、自発的な実践課題を設定してもらい、実践課題の幅を広げていく。そして症状と行動以外への森田療法的対話を始めていく。現在の適用不安。症状以外の生活上の不安。生活史、家族関係、対人関係のパターン。完全主義、先取り不安などの性格特徴。平等感、客観性、人間性の事実。関わる事と愛情などである。治療後期では、治療は10回で終結する旨をお互いに確認をして行く。治療終了前の不安の出現と本人の対応を吟味していく。治療前と治療後の変化について3つの視点から話し合う。症状の変化、行動の変化、心境の変化である。患者さんからフォローアップの希望があれば、 1ヶ月から3ヶ月後に再面接を設定し、治療終結とされている。(外来森田療法 神経症の短期集中治療 市川光洋 白揚社 118ページより引用)この本を読んで、私の感じたこと書いてみたい。生活の発見会の集談会には、神経症のために日常生活が後退し、止まったままの人が来会されることがある。神経症で蟻地獄に陥ってしまっている人である。そういう場合は、我々が積極的に対応するよりも、生活の発見会の協力医を紹介する方がよいと思う。慈恵医科大学第3病院などの入院森田療法施設。あるいは、外来森田療法に熱心に取り組んでおられるクリニックを紹介する。集談会に参加しておられる先輩は、日本全国どこに森田療法に熱心なお医者さんがおられるかよく知っている。我々の主な役目は、それらの病院への橋渡しである。我々の行っている森田理論の集団学習は、神経症的な苦しみや悩みを抱えながらも、なんとか日常生活や仕事がこなせている人が対象である。ここでは生きづらさを抱えた人が、、仲間同士助け合いながら、森田理論の学習によって今後の神経質性格の活かし方、生き方の指針を見つけていく場である。医療としては手が付けられない部分の活動を行っているのである。この部分は精神科医の専門分野とはいいがたい。生き方や人生観を精神科医や臨床心理士に求めるのは間違っていると思う。精神科医や臨床心理士の仕事はそういうところにはない。むしろ生活の発見会で森田を学習して、生活に応用している人の中にこそお手本がある。ここを間違えて深入りしてもお互いのためにならないと思う。身近に森田理論を生活に応用している人を見ることによって、次第に影響を受けて、人生観の確立に結びついていくのである。餅屋は餅屋で自分の役割をそれぞれに果たすことが重要であると思う。それ以上のことに手をつける事は、結局は一害あって一利なしであると思う。
2018.01.12
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今日は恐怖などの感情と依存症について投稿してみたいと思います。人間の先祖は他の肉食獣と闘って生き伸びていかなくてはなりませんでした。 絶えず周囲をうかがい、慎重に生きていたのです。 危険を素早くキャッチして戦うか逃げるかの決断をしなければなりませんでした。そうしないと簡単に肉食獣の餌食になってしまいます。 脳ではいち早く五感、扁桃体、海馬、大脳新皮質の神経細胞のネットワークが強化されました。その結果 絶えず不安や恐怖にさらされながら生きていたのです。 神経伝達物質としては、アセチルコリン、ヒスタミン、ギャバ、ノルアドレナリン、等が多量に分泌されていました。 その後人類の進化に伴い、側坐核、腹側被蓋野から大脳新皮質につながる快楽神経というものが生まれました。いわゆるA10(エーテン神経)といわれるものです。 人間は葛藤や苦しみばかりでは生き延びることはできなかったのだと思われます。人間の身体が不安や恐怖を和らげる神経回路も必要としたのです。 この神経が活性化されると神経伝達物質として、ドーパミン、セロトニン、脳内モルヒネ等が放出されます。ギャンブル、アルコール、セックス、覚せい剤などはこの神経回路をさらに活性化させるものです。 現代人は基本的にこの二つの神経回路を備えています。 神経症やうつになると不安や恐怖に反応する神経伝達経路が強化されてしまいます。 一方快楽神経系であるエーテン神経はどうなのか。実は神経症などに陥った場合、エネルギーのある人は、この神経系も活性化されているのです。 神経症になり、不安、恐怖、不安感に押しつぶされそうになると、何とかその苦しみから逃れたくなります。手っ取り早い手段としてエーテン神経を賦活させて苦しみを和らげようとするのです。これは意識的ではなく無意識的に行われています。 そうして苦しみ一辺倒の精神状態を緩和してバランスを保とうとしているのです。人間の身体は実によくできているものと感心します。 美味しいものを食べる、お酒を飲む、身体が心地よいと感じる楽しいことをする。 具体的には、趣味三昧、旅行三昧、カード利用による買い物三昧、グルメ三昧、ネットゲーム三昧、ギャンブル三昧、アルコール三昧、セックス三昧、覚せい剤などに頼るなどです。しかしこれらは、一旦はまり込むとエーテン神経の中にしっかりとその快楽が刻み込まれてしまいます。一旦絶大なその効果を自覚すると、すぐに常習性が出てきます。依存症の始まりです。これらにどっぷりと漬かって、普段の生活に重大な影響を及ぼしている人を見ると、これらのどれか一つに特化しておられる人が多いようです。多くても2つか3つまでです。 一旦依存症に陥ると、自分の健康的、経済的、精神的、社会的立場はいとも簡単に破滅的状況に追いやられる傾向があります。 さらに周囲の人に多大な迷惑をかけることになります。 一旦依存症に陥ると、それから手を切るのは大変なことです。効き目が薄くなって使用量が増えてくると同時に、中止しようと思っても今度はイライラ感などの禁断症状が続いて抜け出すことができなくなるのです。 依存症に縁がない人でも、深刻な不安や恐怖などを抱えると、絶えず依存症の誘惑に取り囲まれているということは自覚しておく必要があります。 最初はごく小さな不安、恐怖、不快感、違和感の取り扱いを誤って、精神交互作用によって増悪させて、その苦しみから逃れるために、気が付いたらとんでもない依存症に陥っていたという事態に陥りやすいということです。 神経症に陥りやすい人は、そのことに十分に注意を払っておく必要があるのです。 依存症に陥らないためには、普段から森田理論学習によって、精神交互作用、不安と欲望の関係、不安の役割、欲望の制御、不安と欲望の調和などの学習をして、不安や恐怖の取り扱いを誤らないようにすることが大切になるのです。
2017.12.31
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私は第35回森田療法学会に生活の発見会の会員として参加することができた。11月11日、12日熊本大学で行われた。森田理論学習を続けている人が、日本森田療法学会に参加することの意義について考えてみたい。•この学会には当然のことながら、森田療法を牽引している著名な学者、医師、臨床心理士、生活の発見会の会員などが多数参加している。そういう人たちの研究成果の発表の場なのである。私たちの生活の発見会は、自助グループとして参加している。自助グループが積極的に毎回発表者を送り込み、参加が許されている学会はあまりないだろう。それは神経症の治療成果を上げているので、学会がその存在を認知しているからである。ともあれ日本を代表して森田療法に関わっている人たちなので、その人たちのお話を聞くことは大変意義がある。また日ごろ森田理論の疑問点などがあれば、専門家に気軽に質問することができる。•最先端の森田療法の治療例を間近に聞くことができる。また医師や臨床心理士がどのような手法や気持ちで神経症治療に当たっているのかよくわかる。一応外来森田療法の指針があるが、その手法はそれぞれの専門家の思いが反映されている。森田療法自体は基本的には薬物を使わない、いわば儲からない心理療法なので森田療法に携わっておられる専門家には頭が下がる。•今回の学会は熊本で行われた。今年の大会テーマは、 「森田療法と五高」だった。第五高等学校が森田先生の母校と言うこともあり、高校時代の森田先生の下宿先、エピソードなどが余すところなく紹介された。人間森田正馬を深めることができた。普段の森田理論学習ではほとんど聞くことができない貴重な内容となった。•学会前には、詳しい演題内容を記載した冊子が渡される。これをあらかじめ、よく見て自分の関心のある演題に印を付けておく。そうしないと同時進行的に最大4カ所の会場で学術発表が行われているので、どの演題を聴講しようかと迷うことになる。 4カ所の会場で行われているので、自分の関心のあるテーマの会場に足を運べばよいのである。•今回、私は一般演題として発表する時間をいただいた。ただし、時間は10分間である。このブログで紹介している「森田理論全体像」のさわりの部分だけを発表した。物足りないものであったが、発表者が多いので仕方がない。その後質疑応答があった。その中で印象に残っているのは、「思想の矛盾は放っておけばよいのでは」という意見だった。臨床現場では、神経症で日常生活などか滞っている人や葛藤や悩みの深刻な人を対象として治療している。神経質者がどのような生き方を目指してゆけばよいのかという面(北西先生が言われる生き方モデル)については、積極的には意識が向かないのだと感じた。逆に言えば、神経質性格者の「生き方モデル」に焦点を当てて取り組んでいるのは、自助組織の生活の発見会が一番だなと感じた。それだけ自助グループ生活の発見会の存在は、社会教育の面から見ても貴重な存在なのである。学校教育面でも、今や人類の存続のためには「森田人間学」という分野を取り入れる時期に入っている。•ともあれ、この学会は生活の発見会の会員も参加を許されている。そのために我々の学習仲間も多数参加されている。来年は9月初旬に東京で開催される。私は東京は無理だが、今後あまり遠くない所で開催される森田療法学会には参加してみたいと思った。生活の発見誌に案内が載るので、皆さんも1度は参加されることを強くお勧めしたい。
2017.12.04
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心的外傷後ストレス障害(PTSD)とは何か。精神疾患の診断・統計マニュアルによると次の通りである。 1 、自らが凄まじい外傷や死に直面するような体験をした。または、他者が同様の状況に直面したことを目のあたりにした。2 、その人の反応は、無気力であったり、無力感があったり、ひどくおびえて震えている。PTSDの原因としては、 死と隣り合わせの壮絶な体験をした。地震や竜巻、落雷など自然災害に見舞われた。交通事故やがんなどの重大な病気にかかった。その結果、心的外傷と関連するような思考、感覚、会話を避けるようになる。心的外傷を思い出させるような行動や人物を避けようとする。心的外傷の重要な部分の記憶喪失。興味や関心の減退。孤独感、孤立感がある。未来に対して希望がなくなる。大河原美以さんは、その原因を次のように説明されている。我々が経験する出来事は、通常、認知・その出来事に伴う感情・身体感覚・イメージ・音などの情報がセットとして記憶され、脳の神経回路の中で情報処理されていると考えられています。ところが、耐えがたくつらい出来事に出会うと、脳の「海馬」の働きが抑えられることにより、認知・その出来事に伴う感情・身体感覚・イメージ・音というまとまりが、切り放されることによって、つらさを感じないようになります。これは「解離」といわれる防衛のメカニズムであり、人がつらい経験の中を生き延びようとする適用のプロセスでもあります。しかしながら、そのような外傷記憶は、それを思い出させるような、引き金の存在により、突然予測不能な形で、フラッシュバックしてきます。フラッシュバックとは、つらい体験をした時に適用するために切り離されていた身体感覚や情緒(激しい怒りや悲しみなど)が一挙によみがえり、 1種のパニックに陥る状態をいいます。 (怒りをコントロールできない子の理解と援助 大河原美以 金子書房 34ページより引用)幼い頃から、自分の中にふつふつと沸き起こる不安、恐怖、不快感、違和感などの感情を、あってはならない感情だと思っていると、無意識のうちに、それらの感情を抑圧してしまいます。外傷後ストレス障害に見られるような「解離」という現象が見られるようになります。外傷後ストレス障害は、ベトナム戦争の帰還兵に現れた心的障害が始まりと言われています。しかし、この解離現象は我々の普通の生活の中で頻繁に現れる現象ではないでしょうか。特に神経症の場合、不安や恐怖などを目の敵にしてなくそうとしているわけですから、容易に解離現象が現れます。そうなると、容易にフラッシュバックが引き起こされるようになるのです。以前と同じような状況に遭遇した時、突然パニック状態に陥るのです。乖離現象は心の危機の防衛反応であり、人間の意思の力ではどうしようもないものと考えられます。しかし私たちは乖離現象から学ぶべきことがあります。それはパニックに陥ったときに、目の前の理不尽で恐ろしい現実からすぐに目をそらせてはならないということです。目を離すと認知・その出来事に伴う感情・身体感覚・イメージ・音などの情報が十分に味わえないことになります。すると頭の中の世界で様々に憶測が憶測を呼んで現実とは遊離してくるようになるのです。これを防ぐには、森田先生がよく言われているように、対象物から離さないで、よく観察するという態度が欠かせないと思われます。対象物から目を離すと、観念の世界で様々にやりくりをして、ネガティブな感情が膨れ上がってきます。神経症の場合は、日常生活の中で、いつもつらい体験があると、解離現象のようなものを起こして危機を乗り越えようとしているのですが、その結果、ますます危機を深めているといえます。つらくてもある程度は事実から目をそむけないで向き合うという姿勢が欠かせません。
2017.09.27
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ハワード・ガードナー氏は、人間の潜在能力を8つに分類されている。・音楽・リズム知能 様々なメロディ・リズム・ピッチ・音質などを認識したり、識別したり、作りだしたり、表現したりする能力のことである。代表的な人にモーツアルトがいる。他の人がピアノを弾いているのを1度聞いただけで、自分でもすぐに弾けるだけの能力がある。・論理・数学的知能 論理的なパターンや相互関係、命題(仮説や因果関係) 、また抽象的な概念に対応できる知能のことである。数字の意味をとらえて操作したり、何かを明確に論証したりすることができる。例えばアインシュタインやホーキング博士などがそうである。・視覚・空間的知能 空間および空間の中に含まれるものを的確に認識したり、その認識を自由に転換させたりすることができる機能です。例えば、工業デザイナーや建築家の場合、図面などを見た瞬間に、細部から全体までを映像として捉えることができる。著名な建築家やスティーブ・ジョブズ氏などがそうである。・言語・語学知能 話をする、文字や文章等を書くなど、言葉を効果的に使いこなす知能のことである。言葉を使って人を説得したり、情報を記憶したりする知能も含まれる。文字や文章で書かれたものを読む。文字や文章を書く。話をする能力のことである。小説家はこの方面の能力が優れている。・対人的知能 、他人の気持ちや感情、モチベーションなどを見分ける知能のことである。表情、声、ジェスチャに反応したり、人間関係における様々な合図を読み取ったり、その合図に効果的に反応したりすることができる。交渉力やリーダーショップの発揮に欠かせない能力である。政治家や経営者、臨床心理士などに不可欠な能力である。・博物学的知能 身の回りにある様々な事象を認識し、違いや共通点を見つける知能のことである。自然現象にとどまらず、分類する視点を自ら作りだしたり、いちど分類したもの違った視点で再分類してみたりすることができる。古美術品の鑑定士、不動産鑑定士などで頭角を現す人たちのことである。・内省的知能 長所短所にかかわらず、自分自身について正確に把握し、その上で行動を起こさせる知能のことである。自分を尊重したり、律したり、大切にすることで、自分の行動スタイルを作ることができる。親鸞聖人、道元、良寛、孔子、老子などの人たちがいる。・身体・運動感覚知能 考えや気持ちを自分の身体を使って表現したり、自分の手で物を作ったり、作り変えたりする知能のことです。登場人物になりきったり、授業で学んだこと。家で実際にやってみたりすることも得意です。プロ野球選手、ダンサー、俳優などの人たちがいます。普通、一般的な人は飛び抜けた潜在能力を持っている人は少ない。どれも平均的な場合が多い。私の場合もそうである。しいて言えば、言語・語学知能、内省的知能面の能力が多少あるような気がする。ましてや、それ以外の面の能力はほとんど自信がない。ここで面白いのは、発達障害という問題を抱えているような人は、際立った潜在能力を持っている場合があるということである。普通の人以上のことができて、周囲の人をびっくりさせることがある。ただ逆に、そういう人は得てして、学校でもじっとしていられなくて授業中ウロウロ歩きまわる。あるいは、友達と仲良く遊ぶことができない。自分勝手な行動が多くて、集団生活に馴染むことができない場合がある。今の教育は、先生が大勢の子供をまとめて講義形式で教育していくやり方である。自閉症、注意欠陥多動性障害、学習障害、広範性発達障害などとみなされる人は、そのような教育にはなじまない。授業の進行を妨げるために、仲間はずれにされたり、集団学習の場から排除される。時には障害のある児童生徒とみなされて特別支援教育の場に送られる。もしその子供たちの持っている潜在能力を信頼して、その能力を発掘して成長させていくという考え方を親や先生が持っているとその後の展開は全く違ってくる。欠点を修正して、人並みに社会生活が営めるようにすることはある程度必要だが、それ以上に大切なのは欠点を修正するよりも、その子供の持っている潜在能力を見つけて、伸ばしていくという考え方を持てるかどうかということである。発達障害を抱えた人は、最初から落ちこぼれている人ではなく、別の面で優れた潜在能力を持っている可能性が強いのである。そういう視点で、周りの大人たちがその子供たちと接触できるかどうかが、その子供たちの将来を決めてしまう。
2017.05.13
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2013年5月に、アメリカ精神医学会より出された最新の診療基準であるDSMー5に 、 「インターネットゲーム障害」が採用された。これによると、次の項目のうち5つ以上は当てはまる場合、ネットゲーム障害と診断される。・ネットゲームが日々の生活の中での主要な活動になっている。・ネットゲーム機が、とりさられたとき、イライラや不安が襲ってくる。つまり、離脱症状が出てくる。・ネットゲームのために昼夜逆転現象が起きている。深夜までゲームをする。・ネットゲームをやめようと思っても止めることができない。・ネットゲーム以外の過去の趣味や娯楽への興味の喪失がある。・心理社会的な問題を知っているにもかかわらず、過度にネットゲームの使用を続ける。・家族、治療者、または他者に対して、ネットゲームの使用の程度について嘘をついたことがある。・否定的な気分(例えば無力感、罪責感、不安)を避けるため、あるいはやわらげるためにネットゲームをする・ネットゲームへの参加のために、大事な交遊関係、仕事、教育や雇用の機会を危うくした、または失ったことがある。ゲーム障害になると、過敏でイライラしやすく、不機嫌で、集中力が低下し、目はうつろになる。色は白く蒼ざめて、顔は伏せがちになり、目を合わせようとしない。何も手につかず、以前はそれほど苦労することなく出来ていたことができなくなる。無気力で目の前のことには意欲が湧かず、投げやりになる。神経過敏、不機嫌になりやすい、焦燥感がある、不安、うつ状態、無気力、注意力や集中力の低下、社会的機能の低下などが認められる。これらはアルコール依存症、ギャンブル依存症、薬物依存症の人たちに現れる現象とよく似ている。日本では、 2005年には数十万人から100万人と推定されていた。現代では400万人とも500万人とも言われている。20代前半では19%がネットゲーム依存に陥っている。依存の低年齢化とともに、成人まで依存を持ち越すケースや、これまで無縁だった人でも依存するケースが増えている。インターネットゲーム依存症にかかると、脳が萎縮したり、機能停止に陥っていることがわかっている。眼窩前頭葉、前帯状回、外包、脳梁などである。眼窩前頭葉は、やってはいけない行動にブレーキをかけたり、逆に報酬が得られる行動に意欲を出したり、善悪や価値判断をしたりすることに重要な役割を果たしている。ここが機能障害に陥ると、衝動的でキレやすくなったり、無気力で意欲が湧かなくなったりする。前帯状回は、共感性、傷や危険の認識、感情の調整、選択的注意などに重要な働きを行っている。ここが機能障害に陥ると、他人の気持ちに無関心になり、冷淡になったり、うつ状態に陥ったり、情緒が不安定になったり、危険に鈍感になったり、注意力が低下したりしてくる。ネットゲームをしている間は、脳内にドーパミンが大量に放出されている。ドーパミンは脳内に快楽現象を引き起こす。一旦ネットゲームに依存するようになると、自分の意志の力では避けることができなくなる。また、ネットゲームを中断するとイライラや不安に襲われるようになる。その時脳内では、ダウンレギュレーションがひき起こされているという。つまり、過剰なドーパミンの放出を抑えるために、ドーパミンの受容体の数そのものが減ってしまうという現象である。こうなると、少ない時間で快楽を得ることができなくなる。長時間のネットゲームに陥ってしまうのだ。これはもはや脳の機能が変質してしまったと言わざるを得ない。我々神経症に陥りやすい人は、愛着障害、発達障害、適応障害を抱えている人が多い。そのために、学校や職場になじめず、人間関係の悪化を招き、慢性的な生きづらさを抱えている。そういう人たちが、精神的破綻から身を守るためにさまざまな依存症に陥りやすいということが考えられる。 その中でも、ネットゲームはインターネットの普及とともに急速に拡大してきている。韓国、中国、タイ、ベトナムなどでは、国家が先頭に立ってその弊害を取り除こうとしている。日本では、ネットゲームは放置されたままである。かつて中国がアヘンで、国の存続の危機を招いたようなことが日本で静かに進行しているのである。(インターネット・ゲーム依存症 岡田尊司 文藝春秋参照)
2017.05.11
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最近適応障害という言葉をよく聞く。症状的にはうつ病とよく似ている。うつ病になると、次のような症状がある。憂鬱である、何をしても面白くない、食欲がない、睡眠障害、じっとしていられなくてつねに体を動かしている。意欲が湧かない、自分は価値のない人間だと思う、物事に集中できない。私が生きていては、周りの人に迷惑がかかる。自殺願望がある。適応障害の人が誤ってうつ病と診断されて、薬物療法に入ることもあるそうだ。この場合は、本当の意味のうつ病ではないので、なかなか治りにくい。特に最近「新型うつ病」と診断される場合、そのほとんどは適応障害であると言われている。その場合でも、本人は死ぬほど苦しいことに変わりはない。「新型うつ病」も、症状的にはうつ病とほとんど変わらないという。だが、休職に入り、ストレスを取り除くと途端に元気になる。休暇中は、気分転換の趣味や旅行などには積極的に取り組んでいる。資格試験に挑戦するような人もいる。つまりストレスがなくなると、いろんな症状が速やかに霧散霧消してくるのだ。本当のうつ病の場合は、ストレスがなくなっても、すぐに元通りに元気にはならないという。だから「新型うつ病」の場合はただ単に仕事をさぼっているとみなされることもある。それでは適応障害というのはどういうものなのか。家庭、学校、職場環境にうまくなじめないことで生じる心のトラブルで、うつや不安、意欲や自信の喪失、体調面の不良などを示しやすいが、ケースによっては、イライラして怒りっぽくなったり、嗜癖的な行動にのめりこむといった行動上の問題となって表れることも少なくない。環境やライフスタイルの変化、負担や責任の増大にともなって起き、挫折や失敗、叱責や非難といった否定的体験、孤立的状況などが誘因となることが多い。適応障害は、不適応を起こしている環境から離れたり、ストレスが減ってくると、速やかに回復するのが特徴である。(ストレスと適応障害 岡田尊司 幻冬舎新書参照)私の場合は、中学、高校と大学卒業後に就職した2つの職場で適応障害が起きた。対人恐怖症があったために、他人から非難されたり、無視されることを恐れていた。人から見捨てられるようなことがあると、社会的には死んだも同然と考えていた。それだけはなんとしても避けたいといつも思っていた。自分の弱みや欠点だと思えるようなことは人目に触れないように隠してきた。ミスや失敗をすると見捨てられてしまうのではないかという極度の恐れがあり、積極的な行動はできなかった。心から心を許せる友人はほとんどいなかった。職場になじむことはできていなかった。そういう防衛的な生活をしていると、抑うつ気分が強くなり生きていくことが本当につらかった。それでも定年まで仕事を続けて、今こうして生きているのはどうしてだろうか。生活の発見会の集談会で出会った人たちが、「心の安全基地」と機能していたからではないかと思う。そこで会った人たちとの交流がなかったとしたら今はなかったかもしれない。森田理論学習では、神経症からどうすれば回復できるのかが分かった。また神経質性格を活かして、これから先どう生きて行けばよいのかも理解できた。これも大いに役立ったと思っている。職場での人間関係のほうはとうとう最後まで改善はできなかった。職場での人間関係は定年まで悪かったのだ。そこで私は仕事は生活費を稼ぐところと割り切っていた。生活のために仕方なくしているのだと言い聞かせていた。タイムカードを押しに行く「月給鳥」というスタイルを踏襲していた。立場上中間管理職の仕事もしたことがあったが、それ以上出世しようとは考えていなかった。その代り、仕事以外のことには積極的に手を出していった。スキー、テニス、釣り、トライアスロン、楽器演奏、資格試験の挑戦などである。職場での人間関係は薄氷を踏む思いだったが、仕事以外にいつも夢中になって取り組むことができるものを持っていた。芸が自分を助けていたのである。上司から見ると、なんというやつだと思われるかもしれないが、会社での適応障害を抱えながらも定年まで勤めあげ、満額の退職金を手にした自分をほめてやりたい気持である。今振り返ってみると、岡田尊司先生が言われているように、無意識のうちに、不適応を起こしている環境から離れたり、ストレスを減らすための方策を自然にとっていたのである。
2017.05.05
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日本森田療法学会では「外来森田療法のガイドライン」を策定している。外来森田療法の対象者は、森田神経質と呼ばれるような神経症のみならず、うつ病や気分変調症、適応障害や外傷後ストレス障害、過敏性腸症候群、慢性疼痛、摂食障害、アトピー性皮膚炎、歯科口腔領域の神経症なども対象にしている。治療の適用に当たっては、比較的健康な自我機能と、ある程度の知的理解力が必要であり、また完全主義、 「かくあるべし」が明瞭で、克己の姿勢、生の欲望が強いなど神経質傾向を有しているかどうかが適否を判断する目安になる。ガイドラインでは、 「感情の自覚と受容を促す」 「生の欲望の発見と賦活」 「悪循環の明確化」 「行動指導」 「生活の見直し」の5つを外来森田療法の基本的構成要素と位置付けている。・感情の自覚と受容を促す。神経症症状の根底には、不安や恐れの感情が存在する。そこで治療者は、 「その時どのように感じていたのですか」 「どんな気持ちだったのですか」といった質問を繰り返すことによって、感情の自覚を促すのである。さらに患者には、自分の感情の流れをしっかりと見つめるように助言していく。「感情はこれをそのままに放任すれば、時を経るに従って自然に消失する」という「感情の法則」を指導する・生の欲望を発見し賦活する。患者の不安、恐怖や症状の裏にある健康な欲望を照らしだし、発見させ、発展させるように導いていく。症状に関連した欲望ばかりではなく、患者の日々の生活に内在する健康な欲望を幅広く見いだしていくことがカギになる。治療者は、 「どうなりたいのですか」 「治ったらどのような生活を求めているのですか」といった質問を患者に投げかける。・悪循環を明確にする。患者のとらわれと悪循環を明らかにしていく。ここでは「精神交互作用」と「思想の矛盾」がある。精神交互作用とは注意と感覚が悪循環的に作用して症状が発展することである。思想の矛盾は、不安や恐怖などの感情を、 「かくあるべし」という姿勢でもって解決しようとすることである。治療者は、 「そのとき注意はどこに向かっていました。 「どんなことを考えていましたか」といった質問を向けることによって、自己や自己身体の部分に注意がとらわれ、また、 「かくあるべし」の考えに駆られていたことに自覚を促すのである。またはからいととらわれが悪循環をなすといった説明もよくなされる。例えば恐怖症の人が一般に恐れている状況を回避するといった行動がそれである。これらのはからいは、症状を固定し、事態をますます複雑にする結果となる。・建設的な行動を指導する。治療者は、患者の生の欲望を建設的な行動に結びつけていくように促していく。治療者は、不安や症状を抱えたまま、今できることから実行していくように指導していくのである。森田療法においては、治療者が一方的に行動を指示するのではなく、患者自らが、あるいは患者と治療者は相談して、具体的な行動課題を見出すことが原則である。また大きな目標よりも、今日実行可能な小さな目標立てることも指導のポイントである。患者が実行した事柄には共感を持って肯定することが重要である。・行動や生活のパターンを見直す。患者が行動を広げようとするとき、元来の「かくあるべし」の姿勢もまた明るみに上ってくることが多い。このようなパターンを具体的に指摘し、 「かくあるべし」から脱して、 「かくある事実に従って臨機応変に対処する」よう助言していく。こうした助言は、患者の生活の様々な側面において、キメ細やかになされなくてはならない。その他、治療を進めていくための面接技法や日記指導についても記載がある。現在、入院森田療法の施設は少なくなっており、外来森田療法が主力となっている。外来森田療法を受けたい方は、生活の発見会に森田療法の協力医という方がおられる。その中から、集談会などでその地域の協力医がどの程度森田療法に関わっておられるのかを調査して、電話予約されるのがよろしいと思われる。その他、森田療法を中心としたカウンセリングを行っている臨床心理士の方も何人かおられるので、集談会で確認をしてもらいたい。(森田療法のいま 青木薫久 批評社 83ページから99ページ参照)
2017.04.22
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30代半ばの女性が、気分の落ち込みや対人ストレス、不安や不眠を訴えて岡田尊司先生のところへ相談に来に来られました。12年前から心療内科にかかり、抗うつ剤や抗不安薬、その後は、躁鬱も疑われて気分安定薬などを服用してきたが、はかばかしい変化は見られなかったという。体はいつも緊張している感じで、力が上手く抜けない。昔の嫌な記憶ばかりが蘇ってくるという。職場では、最初はとてもうまくいくのだが、やがて人間関係に行き詰まっていやになり、何回も転職を繰り返してきた。最近では、親しくしていた人ともギクシャクすることが多く、皆が自分から離れていくような感じがするという。今回うつが強まったきっかけは、親しかった友人が彼氏のほうに夢中になって、彼女が見捨てられたと思ったことにあるようだ。彼女の行動の特徴は、相手に気に入られようとして一生懸命尽くすことだ。そこまで献身的な努力をしてもいつも評価される訳では無い。顧客や上司が少しでも不機嫌な態度を見せると、彼女はオロオロしてしまう。自分に自信がないため、いつ解雇されるかもしれないという不安がある。彼女には安心感や人に対する信頼というものがなく、物事を絶えず悪いほうに考えてしまう。岡田医師によると、症状だけを見て診断すれば「気分変調性障害」ということになるだろう。さらには、パニック障害や双極性障害ではないかと考える医者もいるだろう。また、自己否定が強く、見捨てられることに対して過敏な点に注目すると、軽度ながら「境界性人格障害」と診断されるかもしれない。どの診断も、彼女の抱えている症状の1部を説明することができ、間違いだとは言えない。ただ、そのように診断して治療するということになると、結局、色々な症状に効く薬を何種類も飲まなければならないことになる。それで症状が良くなれば良いのだが、はかばかしい改善が見られないというケースが多いのである。岡田尊司氏の診断は次のようなものである。彼女は相手が友人であれ、同僚や上司であれ、顧客であれ、その人に気に入られようと涙ぐましいまでに努力をする。相手の顔色に敏感で、「自分が相手から良く思われていない」と思うと不安で仕方がなくなる。こうした特徴は、愛着不安(愛着する相手に自分が受け入れてもらっているのか不安になること)が強い状態であり、 「不安型」と呼ばれる不安定な愛着に特徴的なものである。彼女のもう一つの特徴は、傷つきやすいだけでなく傷つけられたことにとらわれ、そのことを引きずり続けていることである。ずっと昔のことなのに、昨日のことのように、その不快な記憶がよみがえってきて、もう一度心をえぐられるような気持ちになる。傷つけた人の怒りの気持ちにとらわれ、肥大したり、やるせない悲しい気持ちになって落ち込んだりする。こうした傷つきやすい傾向を抱えた人は、過去に実際に傷つけられた体験をしていることが多く、それが自分をいちばんに守ってくれるはずの親であったということも多い。親やその人にとって大切な存在から受けた心の傷を引きずり、傷つけられることに過敏になっているのである。こういう人は、普段は穏やかで明るく落ち着いているように見えても、自分を傷つけた人のことを考えただけで冷静ではいられなくなり、顔つきまで変わってしまう。さらにその影響は親や傷を与えた人との関係だけにとどまるのならいいのだが、こうした傷の影響は、他の対人関係にも及んでしまう。人を心から信じられなくなってしまったり、傷つけられることに過敏になりすぎて、悪意がない相手や物事にまで悪意を感じてしまい、過剰に反応し、良好だった関係まで自分から壊してしまうということが起きやすい。結局、彼女は過去の亡霊を、目の前にいる別の存在に対して見てしまうのである。親やその人を傷つけた存在に対する不信感や怒りを、別の人にぶつけ、幻を相手に一人相撲を取ってしまい、結果的に無関係な人間関係まで壊してしまう。彼女は幼い頃から父は再三暴力をふるわれて育ってきた。父親のことが恐ろしくていつもビクビクしていた。大きくなってからも、どんなことであれ、父親に知られるのが不安だった。父親が知ったらまた怒り出すのではないかという警戒心が働いてしまうのだ。一方、母親も父親を恐れて、彼女のことをかばってくれず、父親を怒らせた彼女の方が悪いと言うような言い方をされてきた。彼女は理不尽に攻められ、否定されるだけではなく、そうした攻撃から誰も自分を守ってくれないという絶望感の中で育ったことになる。それが彼女の安心感の乏しさや根深い不信感となって心だけでなく体にしみついていたのである。彼女は、見捨てられることに敏感で、人の顔色を過度に気にする不安型愛着障害とともに、過去の傷に触れられると不安になりやすい未解決型愛着を抱えているのである。ですから、表面的な症状だけで安易な診断を下し、薬を処方するだけでは彼女の問題は解決しないのである。彼女の問題は愛着障害として捉えることができれば、対応方法は全く異なってくる。愛着の形成は0歳から1歳6ヶ月の間と言われている。ところが、幸いなことに、遺伝子とは違って、愛着障害はある程度可塑性を持つ。成人した後でも安定した愛着の再形成は可能なのである。愛着障害からの回復は岡田尊司氏の「愛着障害の克服」 (光文社新書)という本に紹介されている。また「愛着障害」という本では、簡単な診断テストも記載されているので参考にしてほしい。
2017.04.18
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30代のある男性の会社員の方が1年前に内勤から営業に異動になりました。初めの数ヶ月はなんとかこなせていました。ところが半年を過ぎたあたりから、朝家を出ると頭痛がするようになりました。通勤には1時間ほどかかりましたが、痛みのために、電車から降りることも度々ありました。精神科医の森下医師の診断を受けると「軽症うつ」でした。その後、自宅療養に入りましたが、頭痛はなかなか改善しません。脳腫瘍ではないか、何か別の悪い病気があるのではないか、職場に復帰できるのだろうか、自分は怠けているのではないだろうか、自分はダメな人間だ。次から次と不安を溜め込んでいたのです。このカラクリを森下医師は次のように分析されています。痛みという刺激が慢性的に続くと、脳の頭頂葉にある知覚を感じる感覚野という領域の神経回路に変化が生じます。痛みという刺激に対して、過剰に反応するようになるのです。するとごく軽い刺激でも「とても痛い」と感じるようになります。さらにここから感情を司っている前帯状回という部位への出力が異常に高まり、その機能を低下させます。前帯状回は、感情のコントロールや痛みに対する反応の仕方に関係しており、痛みを理性によって和らげている場所です。この部位が正常に反応できなくなると、理性によるコントロールが破綻し、痛みの原因が取り除かれても痛みの感覚と不快な感情が残ってしまいます。この方が自宅療養に入ってからも頭痛が改善しなかった理由です。不安も同様です。不安をもたらす刺激が短時間であれば、不安という感情はそれを起こさせる出来事(刺激)に対する結果でしかありません。しかし、慢性的に不安が長引くと、単なる結果では終わらず、逆に「脳に対する刺激」として作用するようになります。不安が刺激となって脳に作用すると、理性を司る前頭前野という場所の働きが抑えられます。このことによって、物事を客観的、冷静に判断できなくなるのです。(「軽症うつ」を治す 森下克也 角川ssc新書 82ページより引用)集談会には慢性疼痛で苦しんでいる方もお見えになります。その方達のお話を伺っていますと、確かに器質的な痛みがあるのですが、そこに過度に注意や意識を向けることによって、その傷が何倍にも増幅されているようにも思われます。森下氏は脳の仕組みから、慢性疼痛で苦しんでいる方が、多分に心の問題と結びついていると言われています。これは不安や恐怖、不快感や違和感に対しても同じことがいえます。これらは脳の中では、主に扁桃体に刺激として入っていきます。扁桃体の役割は、不安、恐怖、悲しみを受けたとき、ストレスホルモンを出す司令塔となっています。これが魚にあるおかげで、魚は、即座に敵から素早く身をかわして逃げることができる。ところが、不安や恐怖がいつまでも続くと大変なことになる。ゼブラフィッシュという小魚を、天敵であるリーフフィッシュという魚と一緒に水槽に入れると、最初は盛んに逃げ回るそうだが、最後は逃げることをしなくなる。そして容易に食べられてしまう。これが人間に起こるとどうなるか。ストレスホルモンが過剰に出続けた結果、扁桃体や海馬などに委縮や破壊が起こり、自分の命を守るという意欲や行動がなくなってくるのだ。神経症が固着する過程は、不安や恐怖を目の敵にして精神交互作用で増悪していく過程である。その中で、脳の中では扁桃体や海馬、前帯状回、前頭前野の神経細胞が損傷を受けていることが十分に考えられる。脳の神経細胞はいったん破壊されると修復しにくいと言われている。だから神経症の原因となる不安や恐怖は、精神科医やカウンセラーによって取り除いてもらうことも必要である。それと、森田理論学習によって不安の役割、不安と欲望の関係についてよく学習していくことが大切であると思う。森田には予防精神医学としての役割がある。精神を健康に保つためにも生涯教育として森田理論を学んでいく価値は十分にあると思われる。
2017.03.31
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それでは、引き続いて愛着障害を抱えた人が、それを克服するためにどうすればよいのか考えてみたい。岡田尊司氏はいろんな提案をされている。その中で、愛着の土台となる母親との関係を築き直すのは容易ではないと言われている。母親自身が、不安定な愛着スタイルを身に付けていることも珍しくないため、傷ついた愛着を修復するという作業は、肝心の母親との間で行うのが1番難しいということになりがちだ。それをいきなりやろうとしても無理だ。その場合、むしろ最初は、もっと共感的で安定した、支えとなってくれる第三者との間で愛情を育み、愛着の傷を修復し、最終的なゴールとして母親との関係も安定したものにしていくというのが現実的だ。まずは、親から適当に距離をとって、中立的だが、思いやりを持った存在との関係において、自分の中の不安定な愛着を克服していく。信頼でき、関心や価値観をある程度共有し、何でも話すことができる存在に「心の安全基地」を見出し、受け止められることで、この作業を進めていくのだ。仲間であってもいいし、パートナーであってもいいし、師であってもいいが、思いやりとともに、いつも変わらない安定性をある程度備えていることが必要になる。医師やカウンセラーのような専門家についても、同じことが言える。幸いなことに、愛着障害を抱えた人は、不思議とそうした出会いを得る才能持ってる人が多いようだ。ただ、求める気持ちが性急すぎて、危険な相手やふさわしくない相手を信じてしまうことがある。その見極めをしっかりすることも大事だ。もっとも親密な存在という意味で、配偶者や恋人の役割は大きい。実際、大人になってから愛着が安定化する場合、最大の力を持つのは、長年一緒に暮らす配偶者やパートナーの影響だとされる。愛着は相互的なものだということを忘れず、自分だけが一方的に甘えるのではなく、自分も相手の安全基地になるように努力することが大切だ。愛着障害がある人は、つい甘えが出て依存しすぎたり、感情的になりやすいのだ。特に自分の弱点を指摘されたりすると、自分を責めていると受け取ってしまい、人間関係自体がぎくしゃくするということにもつながる。愛着は相互的な現象だ。自分が親に愛されず、親が安定した愛着を育んでくれなくても、自分が誰かを愛し、その存在と安定した愛着を育むことができれば、自分が抱えている愛着の傷を癒し、不安定な愛着の問題を乗り越えることができる。動物の赤ちゃんを育てた経験がある人なら、他のことなどそっちのけで、夢中になって世話をした覚えがあるに違いない。幼い動物もあなたのことを求め、あなたもその動物のことをいつも気にかけるようになる。愛着障害を抱えた人は、しばしば自分が誰かの親代わりの存在になることで、自分に得られなかったものを他人に与え、それによって自分の抱えた傷を乗り越えようとする。本来は母親から優しい愛情と世話を与えられることによって育まれる愛着を、自分が小さな存在に対して母親の役目を行うことによって育み直そうとする。自分が愛されなかったことをただ嘆いたり憤るよりも、見捨てられた存在の人や動物などを自分が愛することの方がどんなに役立つことか。実際、愛着障害を抱え、それを克服した場合、必ずそうしたプロセスを経ている。自分がしてもらうだけではどんなに愛されても、その傷は乗り越えられないのだ。配偶者や恋人、周囲の人が、治療者やカウンセラーが、どんなに支えてくれても、それだけでは不十分なのだ。自分がどんな小さな存在であれ、その支えになるということ、親のように愛情注ぐ体験をすることが、その人の中に眠っている愛着の力を活性化させる。それは支えを必要としている存在を支え、守らないではいられないという本能なのだ。それこそが母性や父性の本質だ。(母という十字架に苦しんでいる人へ 岡田尊司 ポプラ新書 283頁より引用)森田理論学習を続けていると、人のために尽くすということを盛んに言われる。自分のできる範囲で人の役にたつことを見つけてコツコツと実行する。それはまず集談会の中で、次に周囲にいる人たちに対して。そうすると、自分にばかり向けられていた注意や意識が外向きになる。また人に役立つことをすることで、感謝されたり評価されると、存在価値を高め自信がついてくる。それが自分の愛着障害を癒し、生きる力に変わってくるのだと思う。
2017.03.13
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