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「おひとりさまの老後」の著者上野千鶴子さん自身の著書のなかで、『家族があった人でも、子供たちは離れていき、結局はひとりになる、家族による介護は地獄の始まり、期限のない24時間勤務になる、そして悲劇が起きる。家族の介護は期待しない方がいい、「一緒に住みましょう」と子供に言われたら、それは「悪魔のささやき」と心得て、きっぱりと断るのが一番』だという。 自分たち夫婦も94歳になるばあちゃんの介護の真っ最中。今のところ、兄弟家族同士の協力で介護地獄に直面することはないが、けっして他人事ではない。 著者はまた最後に『ある日どちらかに与えられる「おひとりさまの老後」は、一人で死に向かって歩き出す時でもあると覚悟しよう』
2011.02.21
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明日の2月22日はわたしたち夫婦の結婚記念日。今回で25回目となる。25回目の結婚記念日を世間では、“銀婚式”というようだ。 参考までにネットの物知り博士で調べてみると、、、1年目紙婚式 2年目綿婚式3年目革婚式4年目書籍婚式 5年目木婚式6年目鉄婚式 7年目銅婚式 8年目電気器具婚式 9年目陶器婚式 10年目錫婚式 11年目鋼鉄婚式12年目絹・麻婚式13年目レース婚式 14年目象牙婚式15年目 水晶婚式 20年目磁器婚式25年目 銀婚式 30年目真珠婚式35年目ひすい・さんご婚式 40年目ルビー婚式45年目 サファイヤ婚式50年目 金婚式 55年目 エメラルド婚式 60年目 ダイヤモンド婚式ということで50年目が金婚式。わたしが無事に金婚式を迎えられたとしたらそのときは88歳。不摂生な生活を続ける自分をみてると88歳まで生きられるのかどうか、はなはだ疑問ではある。わたしに代わって相方の嫁さんには元気で長生きしてもらいたいと願うグ~タラ亭主なのである。 今年もサンマルクのスペシャルコースには高くて行けません。来年こそはとひそかに願う髪結い亭主のささやかな希望がかないますように!
2011.02.21
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世代や環境、経験などが異なる相手に伝えたいことがあるときは、まず笑わせてカベを取り払ってからが効果的。笑いは違いを超えて、人をソフトにくっつける接着剤です。特に老年世代にとって笑いは、夫婦、家族、他の人間関係をなめらかにするために欠かせないものです。 自分を笑えれば、肩の力が抜けて生きるのが楽になります。笑われているとき、現代と好ましい接点を見いだしていると著者は語ります。 三浦家に笑いが絶えないのは、著者がおかしさを見つけ出すことを習慣にしているからでしょう。まさに、笑う老いには福来る!です。 ~~~~ (以上、海竜社の愛とこころの図書館より抜粋)~~~~ 近々読んでみたい本の一冊です。近所の図書館に予約を入れるとはや10人近くの申込があるそうだ。こんなに注目されている本だとはまったく知らなかった。
2011.02.18
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先日の産経新聞に次のようなタイトルの記事が掲載されていた。 (以下は産経新聞より抜粋) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 芸人さんはみな病気や「適当でええんちゃう」病と生きる 漫才コンビ「中川家」中川剛さん マイペースなボケを繰り出したかと思えば、動物の形態模写で笑わせる。兄弟漫才コンビ「中川家」のお兄ちゃんこと中川剛さん(40)は、変幻自在な芸で人気の売れっ子だ。だが、そんな剛さんには「パニック障害」で悩んだ過去があった。障害を克服した今、同じ病に悩む人にこんなエールを送る。「適当でええんちゃう?」 28歳のころだから、12年前です。ご飯を食べていて、いきなりふらっとした。頭痛とか呼吸困難とかが、2、3時間おきに。1カ月で4つの病院を回りました。耳鼻科、整形外科、脳神経外科、内科。でも、何にもない。 「大丈夫だ」と思うんですけど、舞台に出ると「また来るんちゃうか」と思う。怖くてお酒を飲む。酒を飲むと忘れるんですよ。ただ、次の日に尋常じゃないくらい(発作が)来る。で、またお酒飲んで。もう悪循環。最後に、精神的なもんかなと思って病院に行ったら、そこで「パニック障害や」と言われました。 息が苦しいし、電車に乗られへんし、車も、エレベーターも、なんでもかんでも怖くなる。いつ息吸っていいか分からん。一番困ったのは髪を切るとき。(美容師に)何回も止めてもらって、トイレに行くふりをした。仕事も、現場に行くまで時間がかかる。収録中もすぐ止めてもらう。 当時はそんな病気誰も知らんから、「サボってる」と思われてたでしょうね。外傷もなければ、血液検査もレントゲンも悪いところはない。でも病名が分かって、ちょっと落ち着きました。それに、病院の先生が面白かった。「それでいいんですよ。芸人さんはみな病気や。普通の神経の人はいない」って。 そのうち毎回飲む薬も忘れてしまった。あるとき、「薬取りにいかな」と急いで病院に行ったら、先生が「もう来なくていいです。普通に来られたじゃないですか」って。電車に乗れないことも忘れてしまってた。薬を飲んでたのは、1年くらいでしょうか。 この病気って、まじめな人がなるんじゃないかな。ぼくも当時は、くそまじめやった。お笑いの世界や、「いじられる」ということをなんも知らんかったんです。 症状がなくなったころには仕事も楽しめるようになってた。よくも悪くもええかげんになって。一度、どうでもええと思ったら人間は強いです。できんかったらできん、苦しかったら苦しい、とさらけ出した方が楽です。まずは打ち明けることじゃないですかね、自分の病気を。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 団塊おやじ、わが人生の起死回生語録 『山よりでっかいシシは出ん』『生きてるだけで丸儲け』『嵐に向かって立つ』 会社をつくってはつぶしの繰り返し。懲りない団塊オヤジは幾度となく人に言えないほどのドツボに落ちる。にっちもさっちもいかなくなったことは一度や二度ではない。仕事に出かける電車賃がない。昼飯を食べる金がない。 、、、、、、 こんなとき、勇気をくれた言葉がわが人生の起死回生語録。よくもまあ、63歳まで生きてこれたものだ。これも自分ひとりの力ではない。相方に感謝。苦しいときに支えてくれた友人知人に改めて感謝。
2011.02.17
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最近、嫁さんがはまっている。いままでめったに食べたことのなかったカップ麺。それもカップ焼きそば。それはエースコックの『ジャンジャン麺』 なんでも職場の若い女性の間で大ヒット中だそうで嫁さんも負けじと試食した。これがなんと激ウマ!一緒に試食した団塊おやじもこのアジにはマイッタ。インスタントラーメンで育ったような団塊オヤジにとってインスタント焼きそばといえば、王者日清の焼きそばが定番中の定番だった。が、このジャンジャン麺は当方の常識を見事にひっくり返した。 インスタントラーメンに疎い嫁さんがはまる気持ちがよく分かる。
2011.02.14
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幸せ感じる小さな出来事「幸せはね、小さい器に入れるものなんだよ。小さいとすぐいっぱいになって満足するだろう」 (以下は読売新聞夕刊より) 『幸せの器』 http://osa-rainbow.com/writing.htmlこの本は、ケニア在住(ざいじゅう)の作者が、首都ナイロビのスラム街(がい)でゴミ拾いをしながら力強く生きる子どもたちをモデルにつづった物語です。 12歳のアイザックは、両親を亡(な)くし、兄や姉とも別れて、親せきのおばさんに引き取られました。ところが、貧しくて、十分な世話をしてもらえません。彼は家を出て、ゴミ袋の中からお金になる物を拾って生活している少年たちの仲間に加わります。 その後、児童養護施設(じどうようごしせつ)に入り、学校に通えるようになりました。彼らを見守る美容師(びようし)の、「幸せはね、小さい器に入れるものなんだよ。小さいとすぐいっぱいになって満足するだろう」という言葉が心に残りました。どんなに小さな出来事(できごと)でも幸せを感じることができるのはすばらしいと気づかされました。(坂田泉(さかたいずみ)・絵、偕成社(かいせいしゃ)、1400円)(2011年2月8日 読売新聞) 団塊おやじもやがて60の半ばにさしかかる。だが、『癇癪もち』はいまだに直らない。“短気”はアカンと自分にいつも言い聞かせてはいるが、一向に短気人間を改造できないでいる。この本に書かれているように「幸せはね、小さい器に入れるものなんだよ。」と考えればささいなことにも感謝の念が沸いてくる。感謝の気持ちを常に忘れずにいると短気な気持ちが少しでも抑えられると思うのだが。 悲しいかな、『すずめ百まで、、、』
2011.02.10
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『大平光代』さんからたくさんの感動をいただいた。波乱万丈の半生を描いた自伝『だから、あなたも生きぬいて』を発表してからもう11年。わが家の一人娘がまだ小学生のとき、親子で涙して読んだ本である。以来、太平さんの著書をいくつか読ませてもらった。先日図書館で借りた本は大平光代さんの最新作『今日を生きる』 大平光代さんが "母の覚悟" 命がけで産んだ「ダウン症の娘(悠(はるか)ちゃん)は私の女神」という。 (以下は、 女性自身 2007年3月27日より一部転載) 妊娠中、母体に大きな子宮筋腫(きんしゅ)があることが発覚した。 追い打ちをかけるように1ヵ月の早産で、緊急帝王切開となった。 昨年9月3日の午前1時7分。2千854g、46cmの赤ちゃん。 翌朝、全身麻酔から覚めた妻に、夫は深刻な顔でこう告げた。 「報告せなあかんことがある......」 「なに?」 「実は、僕らの子はダウン症なんや」 「あっ、そうか」 この間、ほんの1秒だったとふり返る。 「そのとき思ったのは、嘆いたり悲しんでるより、障害の程度はわからへんけど、精いっぱい育てよう。この子はこの子なんやから、と。 それより、ダウン症なら、名前は『悠』のほうやなと。ダウン症の子はゆっくりと育つと聞いていましたから、うちの子にぴったりな名前やなと考えて」 しかし、いつもながら気丈な大平さんだったが、肉体は瀕死(ひんし)の状態だった。 「帝王切開と同時に摘出した筋腫は13cmもの大きさで、摘出後は3千CCもの大量出血しました。5日目に腎盂炎(じんうえん)と、肺に水が溜(た)まって40度の高熱で呼吸困難に。 さらに6日目、帝王切開の抜糸で傷口が開いて、極度の貧血のためか、そこが壊死(えし)していることがわかりました。ステロイド剤が投与され、これは今も続いています」 大平さんは、14歳の割腹自殺未遂で、横隔膜や腸にも後遺症が残る。またホステス時代の過度の飲酒で肝臓も悪い。 そのうえ、刺青の入った背中は皮膚呼吸ができず、当時、医師からもこう宣言された。 「普通に長生きはできない」 そうした、いわば過去の傷跡が、出産に際して災いしたと考えてしまう。 「たしかに、ただの帝王切開だけやったら、あそこまで苦しめられることはないでしょう。ですから、私はこの子を、今までの人生をかけて、命がけで産みました」 そして、悠ちゃんもまた、誕生の瞬間から必死に生きる闘いを続いていた。 (以上、女性自身 2007年3月27日より転載 ) わが相方が一人娘を帝王切開で出産したときと状況はよく似ていた。相方は出産直後丸一昼夜、人工呼吸器をはずすことができず赤ちゃんとの対面は二日後だった。生まれてきたわが家の一人娘もまた生まれてすぐ、生死の境をさまよっていた。2450グラムで生まれた娘はすぐさま人口保育器のカプセルに閉じ込められた。主治医の話では、『今夜がやまです。』と。母親の胎内で羊水を吸い込み、赤ちゃんの肺に羊水がたまり非常に危険な状態と説明された。当時の団塊おやじはただただ病室をうろうろするしかなかった。 そんな相方は今、団塊おやじを農作業で使い倒している。死んでいても不思議でなかった一人娘は今、就活もほったらかしで部活にのめり込んでいる。 大平光代さんの『今日を生きる』の巻頭の写真には次のようなキャプションが載せられていた。『友人が試着を繰り返して選んでくれた真っ白なドレスは、首筋近くまでかかる刺青をすっぽりと 隠してくれました』
2011.02.09
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わが家のばあちゃんはワンコロ好き。トイプーのチェリーはわが家の看板娘。いつもばあちゃんのひざに乗っかるのが大好き。チェリーは5歳で、ばあちゃんは94歳。二人合わせると99歳。なんと白寿じゃありませんか。めでたしめでたし?!
2011.02.08
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プチ農家として無農薬野菜作りに取り組んで三年目。相方の嫁さんとの二人三脚。日々、近所の先輩農家の方に教えてもらったり図書館で借りた本で勉強しながらお互い切磋琢磨。去年までの二年間、夫婦で学んだ積み重ねが今年の農作業に大いに生かせそうだ。 昨日はジャガイモ植え付けの畝を作った。去年より格段にきれいな畝ができあがった。 相方がぽつりといった、『おとうさん、上手になったな~~~』 団塊おやじのつぶやき、『ブタもおだてりゃ、木に登るや!!!』
2011.02.06
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“無病息災、家内安全、商売繁盛”えべっさんと同様に節分の恵方巻きにも欲ボケなお願いをこめて。 すし好きの団塊おやじが気合を入れて作った。おやじの手作り巻き寿司。中身はなんの変哲もない普通の巻き寿司だが、これがけっこう難しい。巻き寿司に挑戦して今回が三度目。なんとか格好がついてきた。大学生の一人娘もオイシイといって完食した。相方の嫁さんもにっこり。めでたし、メデタシ。 えべっさん、について 『えべっさん入門』http://www.geocities.jp/kotekoteland/ebessan/
2011.02.04
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気象庁の話では今年の寒さは記録破りらしい。当地北摂地方も例外ではない。冬の寒さに強いはずのタマネギの苗が危ない。去年とは様子が違う。あまりの寒さに土が凍り付いている。このままでは、タマネギの苗の根がダメになってしまう。相方はタマネギの苗を寒さから守るため、もみ殻を畝にまいた。どうか無事にこの寒さを乗り越えてくれ。 相方の嫁さんが一言、『タマネギの叫び声が聞こえてきそう、、、』
2011.02.01
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