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【実録・飯がまずい妻たち #5】料理上手で明るい妻が隠し続けた衝撃の本性?「真実」を知った夫は… - 記事詳細|Infoseekニュース「料理上手」な妻が見せた本性?結婚前は「料理好きのように振る舞っていた」妻が、結婚後、その本性を見せた?そんな話をある男性から聞いた。生活の柱は「食」だけではないとわかってはいるが、「食も大事だと思う」という彼が経験している日々のつらさとは……。おいしいお弁当を作ってくれた6年前に、会社の先輩からの…【全文を読む】【実録・飯がまずい妻たち #5】料理上手で明るい妻が隠し続けた衝撃の本性?「真実」を知った夫は…オールアバウト / 2021年10月28日 22時5分写真結婚前は「料理好きのように振る舞っていた」妻。結婚後、その本性が明らかに?「料理上手」な妻が見せた本性?結婚前は「料理好きのように振る舞っていた」妻が、結婚後、その本性を見せた?そんな話をある男性から聞いた。生活の柱は「食」だけではないとわかってはいるが、「食も大事だと思う」という彼が経験している日々のつらさとは……。おいしいお弁当を作ってくれた6年前に、会社の先輩からの紹介で、3歳年下のキヨミさんと結婚したタツノリさん(39歳)。「つきあっていたのは1年足らずですが、彼女はよくお弁当を作ってきてくれました。僕がアウトドア派だったこともあって、よく外でのデートもしたんですよ。広い公園のベンチで食べる彼女のお弁当がおいしくて、『こんなおいしいものを毎日食べられたらいいなあ』と思わずつぶやいてしまった。そうしたら彼女、『いいよ』って。そこからトントン拍子に結婚が決まりました」すぐに子どもにも恵まれ、キヨミさんはいったん勤めていた会社を退職した。タツノリさんもできる限り早く帰った。大変なことも含めて、育児がおもしろくて夢中だったのだ。「その間も、キヨミは『忙しかったから簡単なものでごめんね』と言いながらもおいしいものを作ってくれていました。寒い日に、帰るとおでんがぐつぐついっていることもあって、ああ、僕はもうコンビニでおでんを買わなくていいんだなと思った記憶があります」炊き込みご飯なども得意な彼女、栄養バランスもいい。ただ、お弁当だけは「子どもが大きくなるまでは勘弁して」と言われた。「ところが子どもが生後半年を過ぎたころ、妻が保育園を探し始めた。まだ働かなくてもいいんじゃないかと言ったんですが、『子どもとふたりきりだと息がつまる、ストレスがたまる。働きたいの』と。そう言われたらしかたがない」そして生後9か月にして、保育園が見つかり、同時に彼女の再就職が決まった。独身時代に働いていた会社の関連会社で、正社員としての採用だった。「仕事をするからにはきちんとしたほうがいいから、夕飯は出来合いでも何でもいいよと言いました。週末、一緒に作ろうって。妻はうれしそうでしたね。でもそれからも、帰るとけっこう手の込んだ料理がある。僕は出社が早いので、その後に下ごしらえしたと言うから、無理するなといつも言っていました」「真実」がわかったときの衝撃……子どもが2歳になったころ、近くに住んでいたキヨミさんの母が急逝した。それからキヨミさんはいっさい、料理を作らなくなったという。「何かヘンだなと思ったんです。でもキヨミにとっては、大好きな母親だったからショックが大きすぎるのかとも推測していました。ただ、いつまでたっても、店屋物とか宅配ピザとかスーパーの惣菜が続くんですよ。さすがにちょっと飽きてきて、週末は僕が作っていました。でもキヨミは手伝おうともしなかった」そんなとき保育園で初めての遠足があり、お弁当が必要だという。さすがに妻が張り切るかなと思っていたら、なんとコンビニで買ってきたおにぎりを用意している。「いくらなんでも、と言いかけたら、キヨミが泣き崩れたんです。そこで初めて、すべての料理はキヨミの母親が作っていた、と聞かされました。独身時代のデートのお弁当も、新婚時代の夕飯も。キヨミの母が料理上手だとは知っていたけど、キヨミと一緒に実家を訪ねることはあまりなかったんです。たまに行っても、みんなで外食することが多くて。それも母親が料理を作っていることを僕に知られたくなかったからだったみたい。そんな小細工までして、自分が作っていると言いたかったのかと愕然としました」キヨミさんとしては、あまりに料理を褒めちぎられ、実は料理ができないと知ったら結婚してもらえないのではないか、結婚後は離婚と言われるのではないかと不安でたまらなかったようだ。「別にキヨミの母の料理だって正直に言ってくれればよかっただけなのに。キヨミが料理ができないなら一緒に作ることだってできた。だけど彼女曰く、料理が苦手なのではなく、嫌いなのだそうです。つまりやる気がない。だから早く働いて少しでも罪の意識を減らしたかったと言うんです」世の中、がんばってもできないことはある。キヨミさんにとって、それが料理だったのだ。ご飯を炊飯器で炊くことはできるが、そもそも「おかずは何にしようと思うと頭が痛くなる」のだそう。母親がずっと作り続けてくれたから、やらずにすんできた側面もある。「その後は、時間があれば僕がやっています。一度、『嫌いでもがんばってみないと』とキヨミが珍しく前向きになったのですが、3時間かかって、煮物か炒め物かわからないものができていました。彼女自身、できないことに落ち込んでしまって」そこでタツノリさんはあらためて感じた。自分は料理上手だから彼女と結婚したわけではないということに。キヨミさんの明るさに惹かれたのだと。「キヨミが明るく楽しくいてくれるなら、料理なんて些末なことなんです。うちは今、材料を混ぜ合わせて温めればできあがるような料理キットが主な主菜。味噌汁もインスタントでもいいし、時間があれば僕が作る。おかげでキヨミは仕事が多忙でもいつも機嫌がいい。僕は食べたいものがあるときは外で食べます。キヨミには残業とか接待とか偽っていますが、彼女を苦しめたくないから……」なんとなく玉虫色に決着しているので、このままでいいとタツノリさんはしみじみと言った。亀山 早苗プロフィールフリーライター。明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。(文:亀山 早苗(恋愛ガイド))
2021.10.28
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嵐のライブフィルム「ムビチケ」争奪戦 高額転売は無視!チャンスまだある - 記事詳細|Infoseekニュースアイドルグループ「嵐」のライブフィルム「ARASHIAnniversaryTour5×20FILM"RecordofMemories"」が、2021年11月26日に全国公開となる。そのデジタル映画鑑賞券「ムビチケカード券」購入をめぐって、ファンから嘆きが続出している。販売開始してすぐに売り切れ、フリ…【全文を読む】嵐のライブフィルム「ムビチケ」争奪戦 高額転売は無視!チャンスまだあるJ-CASTトレンド / 2021年10月13日 19時30分写真写真を拡大する嵐の映画「ムビチケ」手に入れたいアイドルグループ「嵐」のライブフィルム「ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM "Record of Memories"」が、2021年11月26日に全国公開となる。そのデジタル映画鑑賞券「ムビチケカード券」購入をめぐって、ファンから嘆きが続出している。販売開始してすぐに売り切れ、フリマアプリでは高額で続々と転売されている。定価の3倍以上の価格で大量に転売同作品には、2018年11月~19年12月に行われた20周年ツアーのライブ風景が収められている。現在グループは活動休止中だが、スクリーンでは5人の歌って踊る姿が見られる。2021年10月8日正午から、チケット販売サイト「チケットぴあ」でムビチケカード券の販売がスタートした。ところが、大人(大学生以上)の券はあっという間に売り切れ。その3日後の11日正午には、2回目の販売が開始されたものの、こちらもすぐに売り切れた。フリマアプリ「メルカリ」には、このムビチケカート券が定価以上の価格で大量に出品されている。大人は定価3300円(税込)だが、多くが1枚1万円台と3倍以上の価格がついている。中には2万円近いものもあり、すでに取引が成立していた。同作品のチケットは、ムビチケカード券のほかにムビチケオンライン券、通常の鑑賞券がある。ただ、ムビチケカード券にだけ、嵐のメンバーの姿がデザインされており、記念に欲しいというファンが多い。また11月3日には、最先端の技術を駆使したシネマ「ドルビーシネマ」全国7か所限定で先行公開になる。ドルビーシネマで鑑賞するには追加料金と座席の事前予約が必要だ。先行公開と同時に鑑賞するために、一刻も早くムビチケカード券を手に入れたいと考える人もいるようだ。始発で映画館に行って並ぶ2021年10月15日からは、各映画館の窓口でムビチケカード券が発売になる。各劇場のオープンと同時に販売開始だ。劇場側も混雑を想定し、当日は早朝から整理券を配布する、と公言しているところもちらほらある。ファンはツイッターで、始発で映画館に行って並ぶ、午前中は有休取って争奪戦に参加する、などと意気込みをみせており、当日は映画館がライブ会場のように混み合いそうだ。なお、ムビチケカード券は今後もチケットぴあで、10月18日~11月22日までの間に6回に分けて販売が予定されており、購入する機会はまだまだある。
2021.10.14
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猛反対に動じず…イオンを創った男が"あっさりジャスコを捨てた"本当の理由 - 記事詳細|Infoseekニュースイオングループはなぜ流通日本一になれたのか。その背景には、創業者で現・名誉顧問の岡田卓也の生家「岡田屋」の教えがある。『イオンを創った男』(プレジデント社)の著者である東海友和さんが解説する――。※本稿は、東海友和『イオンを創った男』(プレジデント社)の一部を抜粋・再編集したものです。■岡田屋の家訓…【全文を読む】猛反対に動じず…イオンを創った男が"あっさりジャスコを捨てた"本当の理由プレジデントオンライン / 2021年10月11日 10時15分写真写真を拡大する撮影=プレジデント社書籍編集部イオングループはなぜ流通日本一になれたのか。その背景には、創業者で現・名誉顧問の岡田卓也の生家「岡田屋」の教えがある。『イオンを創った男』(プレジデント社)の著者である東海友和さんが解説する――。※本稿は、東海友和『イオンを創った男』(プレジデント社)の一部を抜粋・再編集したものです。■岡田屋の家訓「大黒柱に車をつけよ」の真意イオンの前身、岡田屋には家訓として、「大黒柱に車をつけよ」がある。大黒柱とは、伝統的な日本建築では家の中心にあり、その家を支えている特に太い柱のことである。屋台骨や要といってもいいだろう。また、一家やチーム、組織などの主人や中心となって支える人のことを大黒柱と称することもある。いずれにしても、大黒柱がなくなったら家であれ、チームや組織であれ、ガタガタに崩れてしまう。不動のものである。岡田屋では、この「大黒柱に車をつけて動かせ」というのが家訓である。おそらく、多少なりとも建築の知識がある方ならば、「それは、一度壊して、作り直すということといっしょだ」と思われるだろう。そう、まさにそれを岡田屋では、家訓としているのだ。■本店であっても、あっさり移転を決断するかつてこんなことがあった。先祖伝来の「辻」という土地に岡田屋呉服店はあった。戦前、この辻は、四日市銀座と言われるほどのにぎわいで、四日市の最大の繁華街だった。が、戦後、復興がいまひとつ遅い。一方、市役所に近い諏訪新道は、店が並びはじめ、人通りも多くなった。配給物資等の手続に市役所へ向かうための一時的なことだろうと思ってみていたが、日曜・祝日にも人通りが絶えないなど、新しい繁華街ができそうな雰囲気だった。そこで、岡田卓也は、姉の千鶴子に相談した。実は千鶴子も、そのように感じて、ひそかに諏訪新道の街角に立って、何日も人の流れを観察していたという。「これは、大黒柱に車をつけよ、やで!」ふたりの意見があった。そこで、早々に諏訪新道に店を出す準備を始めた。■先祖伝来の土地と「地上権」を交換ここまでなら、単なる移転ではないか、と思うだろう。しかし、このとき、岡田には資金がなかった。そこで、先祖伝来の土地(これまでの店があったところ)と、諏訪新道の「地上権」とを交換したのである。上に建てる建物に関しては自由にできるが、土地そのものを手に入れるのとは訳が違う。この岡田の行為に対して、「先祖伝来の土地を地上権というかたちのないものと交換した」「地上権なんて、実際には何もないのと同じ」指を指す写真=iStock.com/erhui1979※写真はイメージです - 写真=iStock.com/erhui1979幹部はもちろん、まわりの人からもたいそう非難された。姉の千鶴子ただ一人、同じ「大黒柱に車をつけよ」を理解するものとして、「お客の便利なところ、お客の必要なところへ店をもっていくのは当たり前のこと」と、応援してくれた。160年近くいた辻の地を離れ、諏訪新道に移転した結果、岡田屋は大きな飛躍を遂げたのは、今日を見ればわかるとおりである。■「ジャスコを捨てよ」イオングループへの転換とはいえ、「大黒柱に車をつけよ」とは物理的な建物を動かせということではない。その意味は、もっと深淵でかつ応用範囲が広い。次に岡田卓也が大黒柱に車をつけたのが、ジャスコの発足といえるだろう。そして、さらにジャスコからイオンへの転換がある。ジャスコは1969年、シロ、フタギ、岡田屋の3社の共同出資で設立した。地域連邦制という独特の制度で、合併に次ぐ合併で大きくなっていった。小売店だけでなく、外食、コンビニエンスストア、カーライフ、クレジットサービスなど新業種、業態の開発と事業の多角化を行っていった。ところが、1987年、岡田は「現在の事業、組織、グループのすべてを否定すること。ジャスコそのものを捨ててもよい」として、新たな事業体への生まれ変わりへと動き出す。ジャスコが発足してまもなく20年、21世紀を10年後に迎えるという節目の年。一般に30年といわれる企業の寿命から、「ここでもう一度大黒柱に車をつけて走り出さなければならない」と1989年、ジャスコグループという名称を捨て、イオングループへと転換した。(当初は、お客様の混乱を懸念し、中核事業であるスーパーのジャスコの名称は残し、グループ名だけの変更。2001年にジャスコもイオンと名称を変更した)これにも社内外から大きな波紋、もちろん反対が相次いだ。「せっかくここまでお客様になじんでいただいたグループ名を変えるなどもってのほか」というわけである。日本だけでなく、東南アジアの店舗からも変えないでほしいといった陳情が相次いだという。■「店はお客様のためにある」究極の顧客志向それに対し岡田は、「本当に新しく生まれ変わろうとするなら、長年培ってきたこれまでのイメージはマイナスにはなっても決してプラスにはならない」として、突っぱねた。同時に、それまでの連邦制経営を捨て、「ゆるやかな連帯」へと、経営方針自体も転換した。合併や親子関係にこだわらない、よりフレキシブルなグループ構造を目指したのである。「変化の激しい時代に一からすべて自分でやっていては時代に取り残されてしまう。それよりも、こちらがもっていないノウハウやソフトを保有している企業とゆるやかでもいいから提携していく」ことを目指した。親会社のジャスコが支配力を発揮するのではなく、各社が台頭の立場で意見を出し合い、そのノウハウをいかしていくほうに大きく舵を切ったのである。そうして、今日イオングループは、国内外300社以上の企業グループからなる巨大流通企業グループとなった。このように、「大黒柱に車をつけよ」とは、ただ単に立地の変化への対応だけでなく、「お客様の変化に適応する」、あるいは「時代の変化を先取りする」ということになる。つまり、政策そのものの変更をも意味する。その根底にあるのは、「店はお客様のためにある」という、究極の顧客志向の体現を目指すものである。消費者用カート内の製品写真=iStock.com/shironosov※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shironosov■徹底したお客様本位の中で育った7代目岡田卓也は、初代から7代目にあたる。徹底したお客様本位の中で育ってきた。岡田屋というのれんを守るための理念、「店は客のためにある」を、姉の千鶴子から徹底的に叩き込まれた。採算を度外視した返金、座売りから立ち売り、伝統的な呉服店から洋品店へ、ショーウインドウや出張販売など、のれんを守りつつ、とにかく目新しいものへと、取り組んでいった。「今度は岡田屋は何をするのか」といった斬新さは群を抜いていた。一方、社長となってから、広くは商業界の若きリーダーとして、地域では商店連合会の会長、商工会議所の副会頭として、「岡田屋を滅ぼすのではないか」といわれるほど大きな店舗を平気で地元へ誘致をしたりもした。これも「お客様のため」である。さらには、岡田屋を捨て大同団結してのジャスコ誕生等、単なる商売の域を超え、大企業になるべく動き出す。■地域産業として「連邦制経営」を採用さらには合併した企業を運営する方法としては、設立した地域会社に任せる「連邦制経営」というものを採用。連邦制経営の妙は、小売業は「地域産業である」という理念のもと、地域のことは合併した企業のトップ、またはその従業員に任せた。それが一層、全国の同業小売業から多くの賛同者を得た。そして一挙に全国展開にのりだしたのである。つまり集中するメリット、規模の経済による仕入れコスト削減、人材と資金の集中をはかることで、より安価に、安定して、お客様によいものを届けることを目指してきた。こういった岡田の政策の数々は、すべて家訓の「大黒柱に車をつけよ」「店は客のためにある」の実践的な応用である。■1996年の時点で「インターネット時代への対応」を重視1996年に受けたインタビューで岡田卓也は、「次に大黒柱に車をつけるのは、インターネット時代への対応だ」と答えている。東海友和『イオンを創った男』(プレジデント社)東海友和『イオンを創った男』(プレジデント社)実際に、ITの進化で、距離的・時間的・金銭的なコストはもはや過去のものとなった。ほとんど気にかけなくともよいくらい低減された。その結果、企業でなくとも個人が、全国、あるいは世界にむけて、商品やサービスを提供することが可能になった。そして市場というかたまりではなくして、個人へ直接のアプローチが可能になった。仮に素人であっても、店舗といった存在すらなくても、商人となりえる世界になった。こういった、新しいチャネルの登場によって、「顧客とは誰か」ということすら変えてしまいつつある。過去において衰退没落した企業に共通しているのは、「顧客を見失った企業」「世の中の変化に適応できなかった企業」「大きな変化の潮流と小さなインシデントに気付かなかった企業」「顧客志向と言いながら実はわが社志向に陥った企業」等、いずれも企業組織の神経系統がマヒした企業であると言える。思い切った改革を行わなければ、企業は必ず衰退する――。岡田卓也が、もしいま現役であったなら、いったいどういった革新を行ったであろうか。おそらく、「大黒柱に車をつけて」また新しい何かを創り出しているに違いない。----------東海 友和(とうかい・ともかず)東和コンサルティング代表三重県生まれ。岡田屋(現イオン株式会社)にて人事教育を中心に総務・営業・店舗開発・新規事業・経営監査などを経て、創業者小嶋千鶴子氏の私設美術館の設立にかかわる。美術館の運営責任者として数々の企画展をプロデュース、後に公益財団法人岡田文化財団の事務局長を務める。その後独立して現在、株式会社東和コンサルティングの代表取締役、公益法人・一般企業のマネジメントと人と組織を中心にコンサル活動をしている。著書に『イオンを創った女』(プレジデント社)、『イオン人本主義の成長経営哲学』(ソニー・マガジンズ)、『商業基礎講座』(全5巻)(非売品、中小企業庁所管の株式会社全国商店街支援センターからの依頼で執筆した商店経営者のためのテキスト)がある。----------(東和コンサルティング代表 東海 友和)
2021.10.11
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眞鍋氏のノーベル賞受賞は日本の誇り?岸田首相の賛辞に波紋 - 記事詳細|Infoseekニュース《眞鍋淑郎氏のノーベル物理学賞の受賞を、心からお慶び申し上げます。日本における研究活動の積み重ねをもとに、海外で活躍されている研究者の独創的な発想による真理の発見が、人類社会の持続的な発展や国際社会に大きく貢献し、世界から認められたことを、日本国民として誇りに思います》10月5日、Twitterにこ…【全文を読む】眞鍋氏のノーベル賞受賞は日本の誇り?岸田首相の賛辞に波紋WEB女性自身 / 2021年10月7日 13時51分写真《眞鍋淑郎氏のノーベル物理学賞の受賞を、心からお慶び申し上げます。日本における研究活動の積み重ねをもとに、海外で活躍されている研究者の独創的な発想による真理の発見が、人類社会の持続的な発展や国際社会に大きく貢献し、世界から認められたことを、日本国民として誇りに思います》10月5日、Twitterにこう投稿したのは岸田文雄首相(64)だ。同日、アメリカ・プリンストン大学の上席研究員で気象学者の真鍋淑郎氏(90)がノーベル物理学賞を受賞。それを受けて冒頭のように岸田首相は賛辞を送った。しかし、現在このツイートが波紋を呼んでいる。岸田首相は「日本国民として誇りに思う」というが、そもそも眞鍋氏は日本国籍でないためだ。「眞鍋さんは愛媛県で生まれ、東京大学大学院の気象学博士課程を修了。そして’58年に渡米し、’70年にアメリカ国籍を取得しました。すでに渡米から63年が経ち、国籍を変えたのも50年以上前のことです」(全国紙記者)眞鍋氏は「なぜアメリカ国籍になったのか」を6日に開かれた記者会見で明かしている。『ハフポスト』によると「日本の人々は、いつもお互いのことを気にしている。調和を重んじる関係性を築くから」といい、「アメリカでは、他人の気持ちを気にする必要がありません」「アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。おそらく、私のような研究者にとっては」と国民性の違いを語ったという。「また眞鍋さんは、当時の日本に研究環境が整っていなかったから渡米したといいます。『国民性が合わず、研究の態勢も整っていない』と日本を離れた眞鍋さんに対して、『日本国民として誇りに思う』と呟いた岸田首相は認識がズレているような印象です。近年も研究環境が悪化し『海外に出ていく研究者がますます増えるのでは』と問題視されていますから、尚のことです」(前出・全国紙記者)そのため岸田首相のツイートに、こんな声が上がっている。《これは、日本国民として誇りに思ったらダメだと思います。日本人が、日本ではなくアメリカを選んで研究活動を続けた。その状況は、むしろ日本国として恥ずべきことなのでは》《むしろこういう研究者が魅力を感じなかった日本を変えていくのがあなたの仕事じゃないの? 恥ずかしいと思いこそすれ、誇らしいはないだろ》《何十年も前に日本を出て、アメリカで研究されてた方を政治利用する。日本がこの方にどんなサポートしてきたんだ?》《いや、この人27歳からアメリカで研究してるんだよ?日本の功績ではないよ》
2021.10.07
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議会を長期欠席、女性都議に出頭要請の文書「辞職勧告についての考え説明を」 - 記事詳細|Infoseekニュース7月の東京都議選期間中に無免許運転で人身事故を起こし、都議会から辞職勧告を受けている木下富美子都議(板橋区選出)に対し、都議会の三宅茂樹議長、本橋弘隆副議長は4日、議会に出頭するよう要請する文書を送付した。木下都議は事故後に都議会から2度の辞職勧告を受けているが、体調不良を理由に議会に姿を見せていな…【全文を読む】議会を長期欠席、女性都議に出頭要請の文書「辞職勧告についての考え説明を」読売新聞 / 2021年10月5日 15時56分写真写真を拡大する木下富美子都議 7月の東京都議選期間中に無免許運転で人身事故を起こし、都議会から辞職勧告を受けている木下富美子都議(板橋区選出)に対し、都議会の三宅茂樹議長、本橋弘隆副議長は4日、議会に出頭するよう要請する文書を送付した。 木下都議は事故後に都議会から2度の辞職勧告を受けているが、体調不良を理由に議会に姿を見せていない。文書では、今月13日までの第3回定例会の会期中に、辞職勧告についての考えを議長へ直接説明するよう木下都議に求めている。 都議会局によると、文書は4日、板橋区内にある木下都議の事務所宛てに速達で郵送した。要請に法的拘束力はなく、9月末に自身のホームページで議員を続ける意向を示した木下都議が応じるかは不明だ。
2021.10.05
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