先日「ダ・ヴィンチ・コード」を読み終えました!(^^
はい!予想通り、見事に期待「は・ず・れ」の終わり方をしてくれました!ね?
謎解き、謎解き、謎解き・・・
逃げて、逃げて、逃げて・・・
やっとたどり着いたロスリン礼拝堂!(←学校だね)
聖杯はここにあると確信するラングトン。。
ソフィーの叔母だった老女マリーは
「聖杯はもうここにはありません」
「(でも)いつの日かあなたが答えを知る気がしてならないの」
へ?あやふやにして終わらせる気??
ここまで読者をひっぱりにひっぱって。。
エピローグではラングトンは聖杯の探求の目的を
「マグダラのマリアの遺骨の前でひざまずくことだ」と言っている。。
は?なんとも曖昧な結論の一言!?
ダ・ヴィンチ・コードの映画を観て「よくわからない」
という日記をよく目にしたけれど、ごもっともですね!
あれだけ読み手に期待感を持たせて、、
結末にはさぞかし荘厳にして輝きに満ちた聖杯を目の前にして
歓喜の結末で終えることを願っていたんだが・・・
それにソフィーはどうしちゃったわけ?
あれだけ真剣に叔父ソニエールのメッセージを追求してきて、、
ラングトンと共に聖杯の秘密を探求し続けてきたのに、、
叔母マリーと弟に出会えて幸せ~~~で終わり?
聖杯なんかどうでもよくなっちゃったんだ。。
この本ではマグダラのマリアを聖なる女神として崇めようとしてるけど、、
マグダラのマリアよりかは聖母マリアの方が偉大でしょ??
マグダラのマリアとイエスが婚姻関係にあったなんて小さな事実なのでは?
2000年前の真実を掘り起こすのにそんな重大な意味があるのか・・・
大切なのはイエスの解いた「愛」の教えの真実を探求することでは?
そして過去の事実を明らかにする以上にキリスト教徒が知るべきは
イエス自身が生まれ変わって過去のイエスの時代に説いた「愛」の教えよりも
数段進化させた新たな「愛」の教えを説くのではないかということに
思いを巡らせるくらいの智慧を持って欲しいものです。。
なんだか映画を観るまでもない気がしてきちゃいましたが、、
映画はどうなんでしょうねぇ~~~???
結局、ソニエールの最後のメッセージの真意は、、
ソフィーには実は死んだはずの家族がいたんだよ!
っていうことを教えたかったんだね!
っていうかね、一番気になるのは新しい眼鏡の度が合わないよ~~~
なんだか余計頭が( ̄。 ̄)ボ~~~~ッとしちゃう。。
矯正してもらわないとなぁ・・・
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