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先日仕事で東北の新庄(しんじょう)市に行ってきました。新庄は山形県の北東にある人口約4万人の市。羽田から飛行機で庄内空港を初めて利用しました。新庄駅前のホテルで前夜泊。チェックインを済ませて同僚と近くの赤提灯へ。すると見事な夕焼けに出会うことが出来ました。たなびく雲が濃いオレンジ色に染まって絶景。先日北欧オスロの国立美術館で観たムンクの「叫び」を想い出したのです。うねうねとした線で描かれた、歪んだ赤い空。 ムンクは、赤い夕焼け空から 空と大気を震わす、声にならない叫びを聞いたのです。 この雲を、ムンクは 「血と剣のように垂れる燃える雲・・・不安」と メモに書きのこしているとは現地で購入したガイドブックから。歩いていると刻々とオレンジの色が変わっていく東北の夏の夕焼けでした。
2011.07.31
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町歩きの最後に、コペンハーゲン一番の繁華街『ストロイエ』を散策。ロイヤル・コペンハーゲン店。1775年の創業、王室御用達のデンマークを代表する磁器のブランド店。煉瓦造りの17世紀全般の建築であり美しいルネッサンス様式1階は最新デザイン商品、2階には伝統的なラインの品々と博物館のロイヤル・コペンハーゲン コレクションが。妻の土産に代表的な手書きデザインのコーヒーカップ を購入。1775年に開窯した歴史のあるロイヤル・コペンハーゲン"ブルーフルーテッド"は開窯当時から続いているデザイン。 ロイヤル・コペンハーゲンの裏印。王冠マークに明らかに手描きの3本の波線その3本の線はデンマークを囲む3つの海峡を意味しているとのこと。そしてペインターのサインも確認できた。この後日用品のデパート「ILLUM」にも立ち寄る。カラフルなそしてユニークな形のローソク立てが売られていた。これを最後にこの朝の観光を終了しホテルに戻ったのであった。土産として購入したブルーベリージャムは液体扱いとの添乗員の説明で慌てて荷物の再整理。ホテルを12時に出発し、カストロップ空港に10分強で到着。復路もタイ・バンコク経由。タイ航空TG951便 14:25発2回の機内食。予定通り10時間35分のフライトでバンコク・スワンナブーム国際空港に到着。ここで1時間半のトランジット。免税店を散策し小物の土産をここでも購入。そして成田行き TG676便 7:35発で日本へ。機内食は1回。途中飛行機の窓から沖縄周辺の島々が青い海に浮かんでいるのが美しく見えた。沖縄本島の北部に浮かぶ伊江島。与論島。成田空港には空港混雑のため20分ほど遅れて到着。入国手続き、トランクを受け取りお世話になったツアーの皆様に挨拶。駐車場に預けておいたSさんの車で多少の渋滞の中、2時間で帰宅し、今回の北欧旅行を終えたのであった。北欧3国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)の格安な弾丸旅行であった。今回も、北欧の日の長さに恵まれ、旅友のSさんと早朝から夜遅くまで歩き回った旅であった。今回の旅行を振り返ると(順不同)1)天候にはあまり恵まれずに曇、雨の肌寒い日が多かった。 ただしフィヨルド観光では雨のお陰で多くの滝が落下水量を増し 見事な白い帯を楽しませてくれた。2)フィヨルドから突如切り立つ断崖絶壁。そしてそこを落下する白き滝の数々を 楽しむことが出来た。 氷河の氷が自分自身の重みによって、速くても1年間に数百mというスピードで山の斜 面を下り、滑りながら底にある地面を深く鋭く削り取り、深い谷を形作って来た数百万 年にわたる悠久の歴史を目の当たりにすることが出来たのであった。 フィヨルドの波のない界面は鏡のように静かに周囲の山々と白き帯を映し出していた。 そして 山岳鉄道の旅はその全てが絶景の連続であった。多少のトラブルはこれも想い出。3)物価が高い。消費税が20%、一人当たりの所得がフランス、ドイツなどと比べて高い、 豊かな福祉社会のための高所得税制、などであろう。 所得税は収入の45~60%である。豊かな福祉・教育社会であるため、保育施設は 整 い、教育も小学校から大学まで公立ならばすべて無料。出産や病気で入院したり 医者にかかったりするのも無料であるとのこと。 オスロのレストランでのビールがグラス一杯1000円には驚き。4)自然を大切に 自然を愛し、大切にし、自然とともに生きる民族。 北欧の美しい自然を身近に感じているからこそ、次の環境を守る意識が高いのだと 言えそう。5)北欧は環境意識が極めて高い 風力発電、水力発電、バイオマス発電に注力している。 デンマークは風力とバイオマスを中心とする自然エネルギーを劇的に増やし、2050年 には、石油や石炭、天然ガスといった化石燃料からの脱却をめざすという野心的な 戦略目標。 ノルウェーは殆どが水力発電。原子力発電を保有しないのである。 そしてスウェーデンも脱原発の議論が盛り上がっているのだ。 街には缶ビールや缶ジュース等の自販機は一切無し。ビン類は完全リサイクル。 過剰包装なし。スーパーでは袋を購入しなければ袋に入れてくれない事実を経験。6)広場の舗装はデコボコだらけ。水溜まりの多いことに気がついた。 それとも昼間の時間に多くの光を浴びたいと水溜まりの反射光まで利用しているので あろうか? 日本の舗装仕上げ技術の素晴らしさを再認識。7)公衆トイレが北欧も極めて少ない。あっても有料。 当たり前のように用事を済ませている日本人にはカルチャーショックであろう。 バスにも付いているトイレも基本的には使用不可。あくまで非常用と。 それにしても日本人の(特に女性の)トイレの近さは世界一? これも日本の便利なトイレ環境により膀胱の大きさが小さくなってしまったので あろうか。日本人女性も訓練が必要。そして海外旅行の添乗員の大きな仕事の一つは トイレの場所と時間の確保であることを今回の旅行でも再認識。8)自転車専用道路が整備されている。 エコの一環として自転車利用者がとても目に付く。政府が利用の普及策に力をいれて いるとのこと、国民の環境意識の高さからくるものだそうだ。自転車専用道が自動車用 車線と歩道の間にあり、白線でちゃんと区分けされているから安全度も高い。私も数回 自転車専用道を歩いてしまい、後ろから「チンチン」とベルを鳴らされたり、すれ違う人 に注意されたり。9)開かれた王室 日本は皇位継承者は、「皇統に属する男系の男子」に限られている。 デンマークでは1953年の憲法改正により女性の王位継承を認め、1973年に今の 王女が王位に就いた。スウェーデンでは、1979年に王位継承法の改正により、 男女を問わず長子に王位継承権を認めた。ノルウェーも女王制度を採用している。 3月11日に発生した大震災、津波、原子力発電所事故に対するお見舞いと援助を 目的に、デンマーク皇太子が6月に来日とデンマークは極めて親日国。10)スターブ教会 ノルウェー各地に存在するスターブ教会は日本の古寺にも繋がる歴史的な建造物。 ヨーロッパのキリスト教会というと、どこへ行っても、ゴシック式かロマネスク式と相場が 決まっていて、またか、と感激もやや少ない。しかし、北欧の歴史ある木造教会には 感激を覚えたのであった。 内部にも入りもっとゆっくりと見学したかったが・・・。11)冬の北欧 冬の北欧を「少しだけ」感じてみたいが・・と我が儘な想い。12)今回も『Mysteriousな二人組の男連れ』旅行者。 初めての会話は「どの様な関係?」、「奥様は?」といつもの問いかけ。 3人、4人なら少しは想像もつくが、初老の男2人連れ、ホテル同室はいかにも Mysteriousなのであろう。 個人情報保護の観点からツアー参加者名簿の配布や自己紹介の場を作らないのが どの旅行会社のツアー添乗員も同じなのである。 「二人からツーショットの写真撮影を頻繁に頼まれたら引くよね」はツアー仲間の若い 女性の言葉。折りしも、米国ニューヨーク州では同性の結婚許可の法律が施行された と・・。13)いろいろな夫婦 今回の旅行でご一緒した11組のご夫婦から色々な夫婦、色々な夫婦関係があるのだ なあ~を実感。 今回のご夫婦は旅行中は皆奥様がリード。これが夫婦での海外旅行の秘訣か。 今回の旅行でもいろいろな人間模様が垣間見えたのであった。 ・似た者同士 ・蓼食う虫も好き好き ・割れ鍋にとじ蓋などなど・・・ とご夫婦との 会話の後で勝手に決め込む自分がいたのであった。 さて我が家は如何?? いや我が男2人連れは如何??? 来年は『トルコ』を計画している還暦オジサン二人連れの北欧旅行 周遊記はこれで『完』
2011.07.30
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今回の北欧旅行の最終日の午前中は自由行動を選択。この日も早朝起床し5:30からの朝食を済ませて6時過ぎにツアー仲間の女性2名も加わり4名で小雨降る中、ホテルを出発し地下鉄駅に向かう。地下鉄車内には自転車を前に置いて座席に座っている女性乗客が。昨晩利用したNorreport(ノアポート)駅で下車しローゼンボー宮殿に向かう。1606年に夏の離宮として造営され、クリスチャン4世の多くの建築計画の一つとのこと。オランダルネサンス様式で建てられ、この時代のデンマークの建造物の典型的なものであると。ローゼンボー城庭園の一角にはバラや各種花々が雨に濡れながらも綺麗に咲いていた。次ぎに訪れたのは国立美術館。もちろんデンマーク最大級の美術館。早朝のため入館は出来なかったが周囲から見物。美術館の裏の庭園の池沿いを歩く。モネの『睡蓮』の作品の如き池と柳。睡蓮の仲間の『コウホネ』の黄色い花。花の名前は連れの女性から。再びローゼンボー公園を縦断して街に戻る。 途中ドア工事の男性が俯せで横たわり床との隙間を確認している姿を発見。道路から何をしているのかと見つめていると笑顔になったのでシャッターを押す。あくまでもFRIENDLYなデンマーク人なのであった。ラウンドタワーに到着。ラウンドタワーは、高さ34.8メートルの展望台。コペンハーゲンの街を一望できるスポット。ラウンドタワーの建物内は階段ではなく、立体駐車場のようなスロープになっているとのこと。最後に角度が急で狭い階段を昇りきると展望台になっているのだ。1716年にロシアのピョートル大帝が馬に乗って、エカテリーナ妃が4頭だての馬車に乗って一気に上まで駆け上がったと。勿論ここも早朝につき外からの見学のみ。女性群の希望でトイレ休憩のためコーヒー店に立ち寄る。カフェラテを注文。リーフのラテアートが見事。この店の椅子の高さにビックリ。座ると全く脚が届かないのであった。平均身長が最も高い国を順番にあげると以下のようになる。1.オランダ2.ノルウェー3.デンマーク4.ドイツ5.アメリカデンマーク成人男性の平均身長は優に180cmを超えるとのこと。165cmの私には足が空中で漂い辛いのであった。そして小トイレの便器も同様に背伸びして、??に手を添えること無しでは・・・。その姿は・・・・・ご想像にお任せいたします。しかし私だけでは無いのです。同じくやむなく足をぶら下げてカフェラテを楽しむ旅友Sさん。「ギネス・ワールド・オブ・レコーズ博物館」という過去ギネスブックに載ったものを展示してある博物館。巨大なくいだおれ人形みたいなオジサンであるが、世界最高身長だった人と。その高さ、なんと2メートル72センチ。時間が無く店の前を通るだけであった。再びニューハウンを訪ねた。今年は象がテーマの街中アートをやっているようで、至るところに象が。
2011.07.29
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コペンハーゲン中央駅まで辿り着く。時間は20:45。ティエットゲンス通り陸橋上からの中央駅ホーム。陸橋から直接ホームに直接降りられる階段がある。この国には駅の改札というものは無い模様。駅構内の中央コンコースを探索。コンコースにはファーストフード店や各種の小さな店舗が。駅を後にし駅前通りを歩くとチボリ公園入り口が。市庁舎1905年に完成した6代目のコペンハーゲン市庁舎。中世デンマーク様式と北イタリアのルネッサンス様式を取り入れた威風堂々たる建物。市内で最も高い105.6mの尖塔を持ち、塔上からの眺めは絶景とのことだが・・・・。コペンハーゲンの中心地のビルにあった温度計のネオンサイン。この時は15度を指していたが、一番下はマイナス20度になっていた。それだけ冷え込むこともあるということか。オルステッド公園内を歩きNorreport(ノアポート)駅へ向かう。駅は直ぐ見つかったがここは近郊電車駅と地下鉄の両方のホームがあるのだ。地下鉄のホームの場所が解らず、すれ違ったオジサンに聞いてみると、『ThoroughlyDownstairs』とのことで近郊電車のホームを歩き更に階下へ行き漸く発見。途中地下鉄線路の保線のための単線運転開始時間になったとのことで途中下車を強いられながらも、なんとかホテルのある駅まで22:30過ぎに辿り着いたのであった。そして降車しようとすると、前に座っていたデンマーク人の青年がこの駅ではない、次ぎの駅が空港駅であると。我々が空港近くのホテルに宿泊していると誤解したのである。あくまでも親切なデンマーク人なのであった。
2011.07.28
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ホテルに戻りその足で近所のスーパーに行きビールや土産のブルーべリージャムを購入。ビルベリージャムをお土産に希望されたため、スーパーの店員に聞いたが良く解らない模様。ブルーベリーより青紫色の色素「アントシアニン」の含有量が多いもの、切った断面も紫色と説明したが我が英語能力と相手の理解力不足?でダメであった。なにせ「アントシアニン」の正しい発音が解らず理解してもらえない事が主要因か・・・勉強します。ホテルでバイキング方式の夕飯を済ませた後コペンハーゲンの街に向かう。ツアー仲間から二人で20時過ぎのこの夜?に街に出かける目的は何?との問い。あくまでも『♪潔しこの夜・・♪』の二人なのであったが。いや夜ではなく未だ昼のコペンハーゲン。ホテルから徒歩5分強の地下鉄駅「KASTRUP」に向かう。ホームにある券売機でチケットをVISAカードで購入。チケット購入方法は事前に添乗員から説明あり。あくまでも心配りのある親切な添乗員。隣の空港駅発のメトロに乗る。この地下鉄路線は駅も無人であるが列車も無人運転。地下鉄網全体が、ATCと呼ばれる完全自動のコンピューターシステムで運営されているのだ。街の中心街のKONGENS NYTORV駅で下車。地上駅にはホームドアはないが、地下駅にはホームドアが備えられており、旅客が線路に下りたりトンネルに入ったりできないようになっていた。ホームからエスカレーターに乗って地上へ出ると、すぐに外である。この「プラットホームからいきなり外」がどうも慣れない。改札という、内と外を区別するものがないとなんだか落ち着かないのであった。ホルメンス・キャナル大通りを歩いていくと、デンマーク国立銀行の前の広場に立つニルス・ユエルの像が。ここを過ぎるとスロッツホルメンと呼ばれる運河に囲まれた島に入って行くのだ。ガイドブックの地図を頼りに進む。ホルメン教会1619年建立の王室教会とのこと。教会は小さいが荘厳さが感じられた。西洋人たちが日本の寺や仏像に惹かれたり憧れたりするように、我々もも宗教の枠を超えて何か感じたり惹かれるのは、祈りとか願いが人類普遍のものだからあろう。クリスチャンボー城。この城はデンマーク王室および政府の迎賓館として使われているほか、国会議事堂や内閣府、最高裁判所など、デンマークの三権に関する施設がおかれているとのこと。旧証券取引所塔が細いソフトクリームの如し。これは神話に出てくる商いを守る4匹の竜が一緒になってとぐろを巻いている姿を表していると。ニコライ教会ニコライ教会は、13世紀に建てられた教会。1795年の大火で炎上した後は、海軍博物館、中央図書館などを経て、1957年からアートセンターとして利用されているとのこと。ニュー・カールスベア美術館チボリ公園の南に1888年に開設された美術館。ゴーギャン、モネ、ゴッホなどの著名な画家たちの作品のほか、エジプト、メソポタミア、ローマ、ギリシャの各文明の遺物コーナーも人気があると。チボリ公園のゴールデン・タワーとジェットコースター・デーモンデンマーク郵便局
2011.07.27
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14;00出発でバスで『フレデリックスポー城』見学に向かう。OPツアー参加者は約半数。フレデリックスボー城デンマークで最も美しい城とも言われているのだ。フレデリックスボー城は地方貴族から16世紀中ごろフレデリク2世が購入。 建築王といわれたクリスチャン4世によってルネサンス様式の居城に改築されたと。1859年火災で焼失、再建にあたり国王が今後居城として使用しないという条件で、ビール販売で成功したカールスバグ財団の出資によって再建、完成後は国立歴史博物館として活用されていると現地ガイドの説明。美しいレンガの色合い、そして柱一つ一つが実に凝っていて、見ごたえある城。正面正門前はここも工事中。ここをくぐりぬけていよいよ場内正面広場へ。城内は国立歴史博物館となっていた。館内には貴重な装飾品、絵画、宝物などが展示されていた。見どころとしては、各部屋のマイセンのコレクション、謁見の間、騎士の部屋、礼拝堂、それに舞踏室など。庭園も美しく、湖の北側はバロック様式、東は英国式。城の中に入って見ると色々な衣装が展示されていた。ここは「バラの部屋」。「騎士の部屋」とも言われていると。クリスチャン4世の時代の晩餐ホールを再建させたとのこと。火事で焼けてしまったが、絵が残っていたので再建できたと現地ガイドの説明。ここで現地ガイドが人数を確認すると1名足りない。単独参加の私より先輩の男の方。入り口で『16時にここに集合』との話であったため、単独にて城の中に入らずに城の外部からの見学を行っているのでは が他の参加者の推察。しかし現地ガイドは何故か非常に心配し展示品や部屋の説明もやや上の空か?我が添乗員の話によると、現地ガイドは労働時間に対して非常にセンシィティブで、時間延長をいやがるとの話を聞いていたのでおそらく・・・と思ったのは私だけではあるまい。 謁見の間は火災の焼失から免れ、建設当初1682~1688年の時のまま。フランス・バロック様式。シャンデリアは鹿。天井は高く装飾が美しい。礼拝堂ステンドグラスが美しかった。舞踏会が行われた舞踏室の天井城を囲む湖の対岸にはバロック式の美しい庭園が。正面中庭のトイレ入り口からの景色。城を囲む堀に架かる橋から。見学が終わり入り口に戻ると、やはり我々の想像通りで、行方不明者?は定時に無事合流し一件落着で現地ガイドにも笑顔が。見事なデンマークの歴史を語る古城であった。湖をを巡る遊覧船からこの古城を眺めるツアーもあるとのこと。1日ゆっくりと古城周囲、庭園、絵画、装飾品を鑑賞したいと、極めて少ない後ろ髪を引かれる思いでこの城を後にしたのであった。ここはもう一度ゆっくりと訪れたい場所であったが・・・・・。
2011.07.26
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先ずは『人魚姫の像』を見学。人魚姫の像はアンデルセンの童話・人魚姫を基にした像。ここデンマーク・コペンハーゲンにあり、観光名所として知られているのだ。岩の上に腰掛けた格好をした像。この像は腰から下が魚(鱗状)になっているわけではなく、二本足の足首あたりからヒレという形。モデルの足があまりに美しかったためとのガイドの説明。もう少し大きい物かと思ったが原寸大?。背景には 対岸の工業地帯が見えて、決して美しい場所とは・・・。しかし多くの観光客が・・・何故。ガイドによると「世界三大がっかり」というものがあると。ブリュッセルの「小便小僧」とシンガポールの「マーライオン」に加えて、コペンハーゲンの「人魚姫」があげられていると。なるほどと何故か妙に納得した自分がいた。次ぎにアマリエンボー宮殿に向かう。途中対岸には斬新なデザインのオペラハウスが。アマリエンボー宮殿入り口。遠くに見える緑のドームは、フレデリクス教会。アマリエンボー宮殿は冬の王宮で、8角形の広場の全周に配された4棟のロココ調の建物があった。1794年に当時の宮殿だったクリスチャンボー城が炎上したため、4人の貴族のマンションを宮殿としたとのこと。女王が滞在する宮殿の屋根に国旗が翻っていると、在宮のしるしであるが、この日は旗は揚がっていなかった。4つの建物のひとつがクリスチャンVIII世王宮殿で、アマリエンボー博物館として一般公開されていたがこれも・・・・。広場の中央にはこの宮殿の造営者であるフレデリクV世の騎馬像があるが現在工事中。毎日、午前11時30分になると近衛兵がローゼンボー城を出発し、正午にはアマリエンボー宮殿の前で衛兵交代が行われ、観光のひとつの見所となっているとのことであったが待っている時間が無い弾丸ツアー。次ぎに訪れたのがニューハウン地区。ニューハウンの「ニュー」は「新しい」、「ハウン」はコペンハーゲンの「ハーゲン」と同じく「港」という意味と。カラフルな建物が並んでいた。長い航海をした船乗りたちが集まる港町らしい景観と活気が感じられる町。アンデルセンが、ここを愛し、住んでいたという部屋の窓際の外壁には彼の名前を刻んだ板が取り付けられていた。運河沿いの北側の通りのビルの1階にはレストランが並び、路上のテーブル席は観光客で賑わいを見せていた。この日の昼食はオープンサンド。デンマークの名物料理と言えば、"スモーブロー"と呼ばれているオープンサンド。パンの上にチーズやハム、野菜、シーフードなど具を挟まずに乗せただけの物。オープンサンドと聞いてダレもが容易に想像できる姿。とは言え、コレが名物と聞けば、やっぱり食べてみよう!と思うのが、旅人のココロ。というコトで丁寧に味わう。夫婦参加の奥様から、帰ったら我が家もサンドイッチからオープンサンドにしようとの声が。こちらは『手抜き』が主目的?その後コペンハーゲン市内を通る。コペンハーゲンの街は至る所でビルそれとも地下鉄建設の工事中。郊外の今日のホテルへの到着は13:30。ホテルはクオリティー・エアポート・ダン。チェックイン後一休みして我々は今日のオプショナルツアーの『フレデリックポー城』見学に参加したのであった。
2011.07.25
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この日も5時前に起床。着替えてトランクの整理をし船内早朝散歩に出発。船外デッキに出てみると既に朝日が昇っていた。日の出は4:30頃であったのであろう。船内にはクルーズ船の現在位置をオンタイムで表示するディスプレーが。6:30から朝バイキングスタイルの朝食。巨大なパブリカを丸かじり。予想外に甘く歯ごたえもあり美味であった。階下にも別のレストランがあり、ここでも既に観光客が朝食を楽しんでいた。船はわずか幅7kmのエーレスンド海峡 (デンマーク語 Øresund) を通過。ここはデンマークとスウェーデンの国境の海峡。バルト海に浮かぶデンマーク領シェラン島と、スウェーデン領のスカンジナビア半島南部を隔て、バルト海と北海を結ぶのだ。対岸には見事な城が視界に入ってきた。『クロンボー城』スウェーデンを望む岬、その先に建つクロンボー城は、16世紀のデンマーク国王フレゼリク2世によって完成された北欧ルネサンスを代表する傑作。この城は、シェークスピアの戯曲「ハムレット」の舞台「エルシノア城」としも知られているとのこと。このクロンボー城は、15世紀に、スウェーデンとの間の海峡を通行する船から通行料を確実に徴収する為の役割を果たしたと。その為、この城には、海に向けた砲台が据えられてあるとのこと。このエーレスンド海峡を横断するフェリーの姿。かなり頻繁に出航している模様。定刻の9:30にコペンハーゲン港に例のエンジントラブルもなく無事到着。外はこの日も雨。もちろん出番がなかった救命ボートも雨に濡れていた。歓迎の挨拶板待っていたバスに乗り込み、オスロで預けたトランクの入ったコンテナを待つ。30分程でコンテナが到着。ドライバーと添乗員がバスに積み込んでくれ途中待っていた現地ガイドをバスに乗せコペンハーゲン観光に出発。途中のヨットハーバーから乗ってきたクルーズ船の後ろ姿が見えた。そして港の奥には巨大な風力発電がかなりの本数で稼働していた。ここデンマークでは、1973年の石油危機以来、自前のエネルギー源として、風力発電に力を入れているのだ。現在、電力量の20%を風力発電で賄っていると。
2011.07.24
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この船旅で利用するクルーズ船はDFDS SEAWAYSが運行する「パール・オブ・スカンジナビア」(スカンジナビアの真珠)号PEARL OF SCANDINAVIA)。デンマーク船籍で約4万トン、全長178m、全幅31m、乗客定員2090人、車両350台と。日本の豪華客船・現『にっぽん丸』がたしか約2万トン強であるから、その倍の大きさ?の豪華客船なのである。ただしにっぽん丸には車両運搬機能はなく、乗客定員は500名強であるから内部はにっぽん丸の方が超豪華?DFDS SEAWAYSは同名のフェリー3隻を保有し、午後5時になると、2隻のフェリーがノルウェーのオスロとデンマークのコペンハーゲンからそれぞれ同時に出港し、翌日の午前9時半に目的地に入港するというダイヤを組んでいるのだ。乗船チケットをもらいチェックインカウンターへ向かう。通路の途中にはこのクルーズ船の小型模型が展示されていた。そしてエスカレーターで上階に上がり乗船。我々二人は9階デッキの9347号室。残念ながら旅行費用の関係上海が見える部屋ではなく窓のない内側の部屋。しかし2段ベッドの4人定員のキャビンを2人で使用し、約16時間の船旅を。船内廊下に掲示されていた船内説明図。クルース船は出港予定時間通りの17時JUST。出発後すぐに夕食。クルーズ船内のレストランBlue Ribando。メニューはポーク+ペンネ・1ドリンク付き。夕食後、船内を二人で散策調査。前方には同時刻に出港した同じく大型クルーズ船が。何処に向かっているのであろうか?船からはオスロの丘に点在する民家の家並みが。船首からの眺め船尾のベンチでくつろぐ日本人観光客が。部屋に戻るとトイレの中からピューという音。これでは旅友のSさんの鼾以上の睡眠妨害(お互い様であるが)となること間違い無し。何かと確認してみると換気口からの音。Sさんがいじってみると何かの拍子に音が小さくなったのだ。換気口の入り口がずれて狭くなっていたのだ。紙のパンフレットを小さく折り込みこれを挟んで応急処置完了。そしてもう一つ。洗面所の手洗いのオーバーフローパイプが詰まっていたのだ。これも手慣れたSさんがビニールホースを外し詰まりを除去して解決。くらし安心-クラシアンの体操金メダリストの森末氏に勧誘されそうなSさんの活躍で一安心。シャワーを浴びた後、残っていたウィスキーを二人で飲みながらこの夜を楽しんだのであった。
2011.07.23
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朝食後7:30にホテルを出発し再びオスロへ戻る長距離のバスでの移動開始。往路と同じくフェリーに乗り対岸へ。早朝のため我々のバス以外に利用客は数台の乗用車のみ。遠く橋脚工事が行われていた。数年後にはこのフェリーもなくなり橋での移動が可能になるのであろうか?フィヨルドの切り立った崖の姿を車窓から楽しむ。相変わらず雲が多く日本の梅雨の様な天気が続くのであった。途中雪渓で臨時停車。久しぶりの雪の感触を楽しんだのであった。途中GOLの街のレストランでミートボールの昼食。ビール一杯1000円にビックリ仰天。45%から50%が税金とのことであるが、ノルウェーはなにしろ物価が高い。スーパーマーケットですら500m缶(ノルウェー産)で600円近くした。異常である。全世界で一人当たりの所得が多いのはスイス、リヒテンシュタイン、ルクセンブルグ、日本、ノルウェーと聞いた。皆小国であるが日本は人口が多いため特殊な国。実際のところ日本人としては所得が多いとは実感がわかないところでもある。ノルウェーは人口約450万人の国。人口は少ないが国土に人が散らばっている。そのため交通経費や社会インフラに投資が多い。寒い国であるため食料も海外からの輸入に頼る部分が大きくなる。それでも、なおノルウェーが金持ち国であるのは北海油田のおかげ。これが国に富をもたらしているのだ。そして、ノルウェーは世界で最も税金の高い国の一つ。高齢者への社会保障も整っているが、それがビールの値段に高騰に繋がってくるのであろう。ヨットや別荘を持っている人が多く、税金貧乏になることはないとのことであったが・・・・。途中車窓からは古いゴルスターブ教会(Gol stavkirke)が。そしてバスは順調にオスロに向け進んでいったが急遽STOP。よく見ると前方で道路工事が行われている模様。添乗員とドライバーがバスを降りバスの前方の工事現場に向かう。暫くして戻り『ここで1時間停車します。道路拡張のため、道路横法面のダイナマイトによる発破作業の為』と。勿論事前に連絡や道路手前に告知板など全くなし。これが『ノルウェーのやり方』と。我々もバスを降りた。気がつくと我々のバスの後ろは車の長蛇の列。脇の林に入るといろいろな高山植物が花をさかせていた。何というキノコであろうか。食用?それとも有毒?ようやく1時間弱で通行許可が。道路脇には発破で落下した巨大な岩がゴロゴロと転がっていたのであった。勿論、片側交互通行。幸い我々の進行方向が通行許可となったのであった。2~3kmと暫くの間、対向車線も車の長蛇の列。多くのドライバーが車を降り会話をしていたが、何故の道路封鎖か解っていたのであろうか?「Gol」と「Oslo」の中間地点「Kroderen」の「Kroderen Kro Motel」にてトイレ休憩。湖の畔にあるホテル兼ドライブイン。先ほどのバス内での1時間停車が原因でトイレに走っていく方も。このトイレは往路にも利用させてもらったが無料で利用することができた。トイレの後、売店をちょっと覗いてみたが、アイスクリームに心惹かれたがグッと我慢・・・。天気も回復し久しぶりに青空がKroderen湖面を青く染めていた。森林道を走りながら、もみの木、白樺、楓、菩提樹、ルピナス、柳ランなどを見ることが出来た。ステインスフィヨルド、テリリーフィヨルドなど淡水のフィヨルドを眺め、オスロフィヨルドの横を通り、17:00頃オスロの街に漸く入ったのであった。長時間のバス移動でオスロ港到着は予定の30分遅れの16時ジャスト。約1時間の遅れをドライバーの懸命な努力?により30分に短縮し滑り込みセーフ。ここからクルーズ船でデンマーク・コペンハーゲンへの船中泊の旅が始まるのであるがトランク等の大型荷物の受付終了は16時とのことで、事前に添乗員が携帯電話で交通事情により遅れる旨を連絡してくれていたのであった。この日に乗るクルーズ船の姿が。添乗員のKさんが、私と旅友SさんのトランクをNO.13のコンテナへ運んでくれたのであった。
2011.07.22
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この日の朝も5時にホテルを出、二人で早朝散歩。ホテルの横のフィヨルド沿いの道を登歩く。キャンプ場の標識。キャンプと言うよりは別荘の如し。車のナンバーを見るとヨーロッパ各国から来ていることが解ったのであった。EU諸国のナンバープレートは、数字とアルファベットの組み合わせによって、車両が登録された国の識別がなされているのである。欧州連合におけるナンバープレートは一定の形式を共有して「ユーロプレート」と呼ばれているとのこと。プレートの左端に青色の帯が入っていた。この帯には欧州旗(青地に円形に並んだ12の黄色星)と車両登録地の自動車用の国際識別記号が記されていたのだ。N:ノルウェー S:スウェーデン FIN:フィンランド F:フランス D:ドイツ DK:デンマーク E:スペインロッジの屋根には雑草が一面に生えていた。この草屋根は周辺の景観にとけ込み、美しい眺めをつくっているだけでなく、天然のエアコンの役目を果たしているのだ。ノルウェーでは、草屋根が断熱性と耐久性を高める屋根材として、昔から使われているとのこと。草屋根は白樺などの樹皮の上に土をのせて芝を植えたもので、断熱性の高い屋根。夏は草の蒸散作用により屋内を涼しくし、冬は厳しい寒さを緩和する断熱材であると。さらに草屋根は虫などの小さな生き物の生息場所ともなっており、自然環境の保全に役立っているとのこと。キャンプ場からの我がホテル山道を登っていくと途中に小型水力発電所が見えた。ホテル越しのフィヨルドの朝の静かな風景。地元の学校ホテルの近くのCOOP。もちろん未だ開店していない。開店は9~19時。我がバスの横に立つ旅友のSさん。フィヨルドの水面に浮かぶ木船。フィヨルドの海水を掬って舐めてみたが、全く塩の味はしなかったのであった。フィヨルドの最深部では山からの沢水等が豊富に流れこんでいるためであろうか?最後に部屋の中から記念にフィヨルドの姿を撮影。
2011.07.21
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予定通り13:30発のソグネフィヨルド~ネーロフィヨルドの観光船に乗り込む。フィヨルドの岸には他の観光船が停泊し、小さなロッジも陰を水面に落としていた。ソグネフィヨルドはノルウェー西部にあるフィヨルド。ノルウェー最大のフィヨルドであり、グリーンランドのスコルズビ湾に次ぐ世界で2番目に大きいフィヨルド。フィヨルド内の最も深い場所は内陸部にあり、その水深は1,308m。逆に入口付近はそこが土台のように盛り上がっており水深は100m程度。フィヨルドの幅は平均5kmほどであり、両岸は1000mを越える崖に囲まれているとの添乗員の説明。約100万年前に形成された2000~3000mもの厚さの氷河が約1万年前に溶け出し、海側に移動する際、その重さで谷底がU字型に削りとられ、その後に海水が入り込んで現在のようなフィヨルドが形成されたと考えられているのだ。ネーロイフィヨルドは2005年にノルウェー初の自然遺産としてガイランゲルフィヨルドと共にユネスコの世界遺産に登録。また、全長17km、全幅250mと世界で最も狭いフィヨルドとのこと。船内で昼食を取る。メニューはスープ、サーモンと鱈のクリームソース+温野菜。写真撮影は忘れてしまった。 途中Underedalの村に立ち寄り下船。渓流沿いの山道を登りスターブ教会に向かう。スターブ教会教会には説明員の若い女性が待っていてくれた。Undredalスターブ教会は1147年に建造されたと。当初は、ノルウェー独特のスターブ式の建物だったが、1722年に抜本的に改築され、現在の姿になったとのこと。教会内部は、天井が聖書の人物や天使で飾られていた。40席の教会は、スカンジナビア半島で最小の教会。教会内は写真撮影禁止であった。スターブ教会横からのフィヨルドの絶景。絶壁が間近まで迫り、雪を頂きに残した山がフィヨルドの水面に映り、迫力ある景色。この村は人口130人、農家が多く、主に山羊を飼い、チーズを生産しているという。緑の木々に覆われてはいるが、険しいフィヨルドの崖を後背に、雪融け水で激流となった川が海に注いでいるのが印象的。船はネーロイフィヨルドとの分岐点まで進む。そしてこの場でエンジン音が聞こえなくなり暫く停泊・・・・・・・・・・・・・・。しばらくすと船長の船内放送が。エンジンが故障しこれから修理すると。そして水面を見ると明らかに船が流されていたのであった。旅友のご夫妻の中には、エンジン故障を知り、ライフジャケット置き場を離れない方もいたのであった。15分程度の漂流の後、船長が息を切らせての説明。『1台のエンジンは修復できたが、このまま観光を継続できない状態。ここで観光は中止し船は先ほど立ち寄ったUnderedalの村まで戻ると』旅にトラブルは付きものであるが、観光中止は初めての経験。船はゆっくりとUターンし、更にゆっくりゆっくりとUnderedalの村まで戻っていったのであった。途中再び船長が『料金の半額は返却する』と。ようやく岸壁に船を着けて一安心の船長が窓から顔を出した。我々のバスは到着予定の港グッドバンゲンで待っていたが、船の故障を添乗員のKさんが携帯電話でドライバーに電話し車を急遽Underedalの村へ回送してくれたため10分ほど待つとバスが到着したのであった。他の船の乗客も我々のバスに乗り込もうとしたが、このバスはツアー用日本人専用の貸し切りバスであり、フィヨルド観光会社が手配したバスも暫くすれば来る との説明で、しぶしぶ理解していただいたのであった。バスはその後フィヨルド観光終了後の予定の訪問地スタルハイム渓谷に向かったのであった。スタルハイム渓谷スタルハイム渓谷は氷河が大地を削り取って生まれた氷河谷で、ノルウェー屈指の壮大な景観。ヘアピンカーブを登坂中、車窓から豊富な水量を誇るスタルハイム滝が見えた。その上のスタルハイム・ホテルでコーヒー&トイレ休憩。BOSS経由でホテルに向かう。途中、Tvindeの滝(ノルウェー語 Tvindefossen)に立ち寄る。落差100m以上の豪快な滝。滝の周囲はキャンプ場になっていた。連泊のホテルに戻りバイキングスタイルの夕食を楽しんだ。しばらく部屋でくつろぎながら、その後日本から持ち込んだソーメン作りに挑戦。旅友のSさんは毎回ソーメンと電気鍋を持参し、旅先で日本食を楽しむのが我々旅仲間の習慣。今回は私が粉の麺のつゆと海老入り天かすを持参。そして22:30の部屋からのフィヨルドの風景。まだまだ明るいのであった。この地の緯度は北緯60度以上。東京の35度強と比べると、60度がいかに高緯度かを再度実感したのであった。
2011.07.20
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北欧旅行周遊記をアップ中であるが1日の掲載写真枚数に制限があるため、思うように進まない日々。よって余った掲載可能写真数で我が農園の珍客を紹介したい。珍客は長身の白人カップル?実は、一ヶ月ほど前、我が社の仙台営業所所長と呑んだ折、我が農園の話題となり私の方から、野鳥被害防止やミツバチのオオスズメバチ対策として案山子を農園に置きたい。自分で一から作る能力はないので廃棄マネキンでも手に入れば嬉しいと冗談半分に語ったのであった。すると所長の知り合いにデパートに勤めている友人がおり、この関係の取扱をしているはずなので聞いてみると。そして先日、2体のマネキンが胴体を分割され段ボール箱に入れられ送られて来たのである。 そして昨日早朝に我が古着を纏い、我が農園へのデビューを飾ったのである。自宅で古着を着せ、近所の方に訝しがられぬよう(笑)、早朝 後部トランクを開けたまま車で畑に移送。女性のマネキンにも我が古着を着せボーイッシュに。帽子は百均で購入。こちらはスイカ畑の監視を任命したのである。嬉しそうな笑顔が眩しい(笑)。そして男の方はミツバチの巣箱の横に置きオオスズメバチの門番を任命。刺されては可哀想なので上半身は蜂の嫌いな色の『白い』セーターを。あくまでも優しい農園主なのである!!この案山子の効果で、スイカも野鳥に突かれずに収穫を迎え、又オオスズメバチの来襲を少しでも抑制できればと勝手に考えているのである。『白人、長身で何よりお腹が出ていないのでいつもの農園主ではないことは直ぐ解ってしまうので効果は期待できない』とは妻の厳しい言葉ではあるが・・・・・・・・。しかし設置後、数時間して農園に行ってみるとドキッとするほど生々しい姿なのである。薄暗い夕方に、我が農園の前を犬を連れて散歩する方がビックリして腰を抜かさないことを祈っているのである。一つ間違えば危ない道に迷い込んでしまいそうな農園主の『お遊び』なのであるが・・・・。
2011.07.19
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VOSS駅9:58発のミュールダール行きのベルゲン鉄道に乗車するためにホームで待つ。駅には、すでに多くの客が列車の到着を待っていた。日本の観光グループが他に2グループ。古びたしかし瀟洒な駅舎の待合室は満員で、乗客はホームに溢れ出していた。山間の小駅とは思えない人出だが、本数が少ない列車は全席指定。到着してみないことには指定号車は分からないと添乗員のKさんの説明。VOSS駅構内の土産物売り場の横には巨大なトロール人形が我々を出迎えてくれていた。ノルウェーでは有名な妖精?。どちらの方から入線して来るのだろうときょろきょろしていると、左手に真っ赤な列車が見えた。定刻にやや遅れて列車が到着。指定された号車には貼り紙があるということで添乗員が見つけ慌ててその号車に乗車。列車は急峻な崖を横に見ながら、徐々に高度を上げてゆく。線路脇に生えた灌木の切れ目から、清冽な水の流れが見え隠れする。やがて、崖が途切れ、なだらかな丘陵が眼下に広がって来た。ところどころに白く光るのは雪解け水が溜まってできた小さな池。放牧のための小屋か、一軒家がぽつんと建っていた。万年雪が残る山が近づいた頃、列車は止まった。ミュールダールに着いたのだ。ミュールダール駅でフロム山岳鉄道11:50発に乗り換え。ノルウェーの厳しい地形そして自然に挑戦するかのように、岩盤を削り、多くのトンネルを完成させたフロム山岳鉄道が、ただただ人間のすごさを感じさせたのである。ミュールダールを出ると列車は次第に下りはじめる。しばらくして、駅もないところに臨時停車。下車して進行方向に歩いて行くと、突然右側に目の前に大きな滝が。フロム山岳鉄道観光の目玉、『ショースの滝』。この滝は落差93m。(海抜670m)、正確には滝の全落差225m、全長700mと。滝の水源はレイヌンガ湖(海抜767m)、写真の如く非常に水量の多い滝だが、冬は湖が凍結して、滝は大きな氷の塊のようになると 隣で写真を撮っていた日本人観光客の会話。展望台に設けられた鉄柵に張り付いてカメラを構えていると、突然音楽が流れ出し、滝の中段あたりに位置する岩壁の上に赤いドレスを纏った金髪の女性の姿が現れた。その場で踊りながら現れては消え、あちらの岩からこちらの岩へと移動したのだ。演劇学校の夏休みの美人アルバイト学生と。これも先程の観光客の会話。2人いて交互に現れているのだと。よく調べていることに感心。プラットフォームからこれだけの瀑布を見られるチャンスは世界広しといえど、フロム鉄道をおいて他にないのでは。見上げる空から飛び出す大量の水、急な斜面を落ちて岩に砕け、轟音をあげて泡立ちほとばしる足下から消えていく強烈な瀑布。正しくど迫力の風景。5分の臨時停車とのこと。残されては一大事と列車に慌てて戻る。カーブで先頭車両が見えた。世界中探しても、フロム鉄道より急勾配の摩擦レールのみによりロープや歯車を使わない路線は、世界中のどこにもないとのこと。全線の80パーセントが傾斜度55/1000、いいかえれば傾斜度18分の1。山壁を出たり入ったり、スパイラル状に堀り抜かれたトンネルは、ノルウェー鉄道史上最も厳しい難工事を完遂した金字塔。そしてFlåm駅に到着。車窓から、荒々しい自然の壮大な景観を20キロにわたって大いに楽しんだ。深い峡谷を流れる川、雪をいただく山頂と絶壁から落ちる滝、切り立つ斜面、そして山の斜面に張り付いた農場がいくつか見えた。先頭で引っ張った機関車。機関車の前面の黄色の大型雪除けが雪国の山岳鉄道らしさを感じさせてくれた。1時間ほどの自由時間があったため、下の写真のFlåm駅周辺を散策。COOPでサワーとソーセージを買い二人でベンチで楽しみ出発時間を待つ。港には大きなイタリア・GENOVA船籍の豪華客船COSTA LUMINOSAが停泊していた。全長300m? 10万トンクラスの巨大豪華客船。いつの日か私もこのクラスの豪華客船で・・・。いや船旅は行動派には耐えられないのではと・・・。
2011.07.18
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この日は旅行4日目の7月11日。4時15分に起床。ホテルの部屋のベランダに出ると、フィヨルド周回道路の街路灯のオレンジの光がフィヨルドの水面に映っていた。5時15分の我が部屋からのハダンゲンフィヨルドの再びの絶景。部屋の位置が最高の場所。旅友のSさんと早朝散歩に出発。小雨が降ったりやんだりの中、カッパを纏い折りたたみ傘を片手に出発。この日も散歩コースは事前調査済み。ホテルの近くにある小さな教会。昨日乗ってきたフェリーがこの日の仕事に供えて停泊中。道路脇に咲いている山野草や高山植物の花をカメラに納めながら湖畔の道路を歩く。この日はもう一人旅友の女性も同行。目指すは対岸の照明が黄色く輝いている小屋付近。この小屋の煌々たる明かりは何?花の電照栽培?水面に浮かぶ豪華クルーザー。この地では道路脇に各家のポストが集合して置かれてあった。戸別に郵便局員が廻るには、家のある斜面が急峻でそれぞれの家が離れているためであろう。途中フィヨルドを見下ろす斜面の畑でイチゴを収穫している農婦?二人を見つけ話し掛ける。何故こんなに早く散歩しているのかとの問い。イチゴは出荷用に栽培しているとのこと。採りたてのイチゴをご馳走してくれたのであった。イチゴの他にタマネギ、セロリ他が栽培されていた。私が趣味で養蜂を行っていると話すとビックリした模様。この地では冬の寒さが厳しく養蜂には無縁の地なのであろう。旅友のSさんも苺の収穫を手伝う。ホテルに戻り朝食を済ませ8:30にソグネフィヨルド観光のために出発。VOSS駅までバスで40km、約1時間の移動。途中大きな滝に出会う。9時半に予定通りVOSS駅に到着。電車の出発の時間まで近くの教会を二人で訪ねる。VOSS教会正面1277年に建てられたゴシック教会。当時は木造教会が主流だったそうだが、ここの教会は厚さが1~2メートルもある石造り。第二次世界大戦時、ドイツ軍に破壊されつくした町で、唯一この教会だけが破壊されずに残ったと。
2011.07.17
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次第に巨大な絶壁が眼前に現れてきた。氷河がえぐり取った部分は急峻な崖となっている。行き場を失った水の流れは一気に下り落ちていた。雨の為に水量が増えているのだ。山の尾根がU字谷の形を示していた。そして漸くBrimnesのフェリー乗り場に到着。既に多くの車が列を作り乗船の順番を待っていた。運良く予定より30分前のフェリーに乗ることが出来たのだ。フィヨルドの対岸のBruravikまで約15分ほどの船旅。船の前には細い白い滝がかなりの落差で落ちていくのが見えた。再びバスに戻り下船してホテルへ向かう。目の前にこの日から連泊のホテルが見えて来た。ホテルに20時に到着。ハダンゲンフィヨルドに面したホテル。ホテル前庭からの絶景。20時でも空が青いのであった。夕飯はバイキングスタイル。食べ始めてから慌ててシャッターを押す。甘い物が美味しかったのはバスの乗り疲れ?ハダンゲンフィヨルド観光船がホテルの横に停泊していた。既に21:30過ぎ。結局この日は23:30頃まで明るかったのであった。
2011.07.16
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美術館を後に、オスロ中央駅に向かう。工事中のオスロ駅外観・駅の中にあるレストランで昼食。メニューはサラダ・チキンのグリル+温野菜。料理がなかなか出てこない。これぞノルウェー風との添乗員の説明。慌ただしく完食しバスに乗り込む。翌日のフィヨルド観光に供えオスロから340km離れたウルヴィックまで7時間半のバスでの移動であった。途中、幾つかの大きな湖にそって進む。車窓からは大きなキャンピング場があちこちに確認出来た。ガイドの話によると、北欧人は、アウトドアが好きで、キャンピングカーを利用する人が多いと。キャンピングカーの台数は、スウェーデン、オランダ、ドイツの順に多いのだそうだ。ホテルに泊まっているのは、我々のような外国人ばかりで、ノルウェーの人たちは、キャンピングカーで短い夏のアウトドアを楽しんでいるのであった。車窓からの菜の花畑の光景。我が家の蜜蜂たちは元気だろうかと想う。森と湖の国というのはフィンランドのキャッチコピーだが、ノルウェーの森にも大小の湖が点在する。北極探検で有名なナンセンがノルウェーでいちばん美しい湖と言ったというクローデレン湖で休憩。バスを降りるてレストランへ。鈍色の湖面には小波が立ち、雲間からのわずかな光が湖の中ほどにある小島をそこだけ明るく浮かび上がらせていた。道路脇の土手や空地と至る所で野生化した?にルピナス(ノボリフジ)が紫色、ピンク色、白色の見事な花を咲かせていた。窓から不思議な建物を発見。スターブ教会というキリスト教の教会。異様な建築物。低層から中層、高層としだいに幅を狭めていく傾斜のきつい瓦屋根といい、軒を飾るドラゴンの首といい、およそキリスト教会らしくないのであった。途中 KROの村のホテル?でトイレ休憩。ここのトイレは有料で20NKR(320円)/人と高価。この白のビニールのかたまりは何・・??実はコレ、刈り取った牧草を丸めたもの。機械で刈り取って機械で丸めるのだと。一個の大きさは、直径が1.5m、重さはなんと300キロ以上にもなるとのこと。この牧草ロールは、正確には「ロールベール」と呼ぶとのこと。この作業は、牧草を長期保存のするため。このまま置いておくと、腐ってしまうので、早いうちにビニールをかぶせて乳酸発酵させると。乳酸の力で、中身がだいたい半年から1年ぐらい腐らないでそのままの状態で保存できると。一個でだいたい25頭の1日分の餌になるのだと。北海道でも見た光景であるが、この地では左右の車窓の至る所で見ることが出来たのだ。日本国内では放射性セシウムで汚染された稲わらを食べた牛の肉が汚染されていた問題が毎日報道されているのであるが。バスは峠道を少しずつ高度を上げて進んだ。道路横の針葉樹林がいつのまにか灌木の茂みにと姿を変え、やがて一本の木も見えない岩場へとバスは入っていった。森林限界線に達したのだ。標高は1500メートルそこそこだが、高緯度地帯のため、この高度以上では樹木は育つことがないとのこと。遠くの山の窪地に万年雪が見え初めた。茫々たる景色。道端に雪解け水が集まってできた湖が広がっていた。道路脇から水辺まで、岩という岩の上にケルンが積まれていた。ここを訪れた人が積んだものだろうが、不思議にどれも崩れていない。遠く現存する氷河の一部も見えた。
2011.07.15
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11時に予定通りオスロ国立美術館へ到着。「叫び」などムンクの作品を多く収めるオスロ国立美術館。北欧を代表する画家エドヴァルド・ムンクの代表作のうち、58点を所蔵する美術館。最も有名な「叫び」に加え、ムンク作品に欠かせない月や月の光をモチーフにした「生命のダンス」「マドンナ」など、"月光の絵画"を数多く収めることで知られているのだ。現地ガイドに案内されて美術館の内部へ。ここはフラッシュ無しのカメラ撮影は可との嬉しいガイドの言葉。旅友と迷路の如き美術館の部屋を進む。すると見慣れた卵顔の絵が眼に入った。モリジアニの作品そしてムンクの部屋へ。『叫び』の前には多くの観光客が。『叫び』Wikipediaによると『幼少期に母親を亡くし、思春期に妹の死を迎えるなど病気や死と直面せざるを得なかった1890年代のムンクが、「愛」と「死」とそれらがもたらす「不安」をテーマとして制作し、「フリーズ・オブ・ライフ(生命のフリーズ)」と称した作品群のうちの一作であり、『叫び』はその中でも最も有名な作品である。また、同題名、同構図の作品群『叫び』の中で世界的に最も著名なのは、最初に描かれた油彩の『叫び』であり、オスロ国立美術館が所蔵している』と。また『「叫び」はこの絵で描かれている人物が発しているのではなく、「自然を貫く果てしない叫び」のことである。絵の人物は、「自然を貫く果てしない叫び」に怖れおののいて耳を塞いでいるのである。なお、ムンクがこの絵を発表した際、当時の評論家たちに酷評されたが、のちに一転、高く評価されるようになった。』と。『マドンナ』「マドンナ」は英語で「聖母マリア」を意味。頭の上の赤が印象的、死人のような白い顔が何か訴えている作品。この絵は、ムンクの最も有名な作品「叫び」と共に、以前強盗によって盗まれた作品?『思春期』「子供と大人の間で不安定に揺れ、こわばらせた身体や緊張した面持ち、黒く伸びる影で、鋭く脆い姿を見事に描写している作品」とガイドブックに。『生命のダンス』ノルウェーの夏至祭り、白夜の空に日が今にも地平線に沈む時、昼と夜の境に海辺では「生命のダンス」が繰り広がれていると。画面左側の女性は生、その中間は「性、快楽、狂気」、右側の女性は死を表現していると。ムンクの水面に映る太陽の光の描写が印象的。この部屋にはその他に10点以上のムンクの作品が展示されていた。そしてまたゴッホ、モネ、ドガ、ルノワール、などの作品も展示されていた。ゴッホの自画像ルノワールの少女裸像、名前不明ピカソの作品美術館売店。売店にてムンクのガイドブックや『叫び』の描かれた敷物他を妻のリクエストに応えて購入。1時間弱の慌ただしい鑑賞であったが、作品に込められたムンクの心の叫びがわずかながら聞こえてきたような気がしたのであった。
2011.07.14
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オスロ市庁舎観光後、バスでフログネル公園へ向かう、途中車窓から先ほど訪れた王宮などの歴史的な建築物を楽しんだ。約40分ほどでブログネル公園に到着。私の持っている「地球の歩き方」ではヴィーゲラン公園(Vigelandsparken)と別名で紹介されている公園。Wikipediaによると『32万平方メートルの面積を有する彫刻庭園の中には、ノルウェーの彫刻家グスタフ・ヴィーゲラン(Gustav Vigeland, 1869年 - 1943年)の作品のみが展示されている。「人生の諸相」をテーマにした、ブロンズと花崗岩でできた大小の彫刻の総数は212点で、これらの彫刻を構成する人物の合計は600以上にもなる。ヴィーゲランはその一つ一つの作品の原型を粘土で原寸大で制作し、それらを職人たちがブロンズ像や石像に仕上げて庭園内に配置していった。これらの作品は、庭園を南東から北西に向けて貫く850メートルの軸線に沿って、6つのセクションに分かれて展示されている。すなわち、「正門」(Hovedportalen)、「橋」(Broen)、「子供の遊び場」(「橋」の一部とされることもある)、「噴水」(Fontenen)、「モノリスの台地」(Monolittplatået)、「生命の環」(Livshjulet)である。』と。今回は逆コースの裏門からの入場。裏門には女性の裸像が。鉄扉を飾る左扉の3人の女性の真ん中はヴィーゲランの妻がモデルだとの説明。裸像の形の輪郭や筋肉、肋骨、髪などを鉄の棒を曲げて見事に表現してあるのだ。モノリットの丘この丘の中央には、モノリッテン(人間の塔)に向かう環状の階段が。この階段の上に放射状に36の花崗岩の彫刻が配置されていた。この公園の目玉というべき作品・「モノリッテン」。一枚岩から切り出されているこの塔は14.12メートルの高さで、121人の人物像が浮彫にされているのだ。これらの人物は裸体で抱き合うようにもつれ合い、積み重なりながら空へと伸びている。これは、精神的なもの、聖なるものにより近づこうともがく人間の欲を表していると。下から上へ順に『子どもたちに向かってひざまずく女』⇒『赤ちゃんを中央に置いて座る男女』⇒『群がる赤ちゃんの像』若い女に御辞儀をしているのであろうか、それとも愛情の形?少年を持ち上げる3人の少女頭で立ち微笑む2人の少女正面側の扉には男の裸像が同様に。男と女、これぞ人生そのもの。モノリットの丘の下の大きな噴水。6人の巨人が大きな皿型の水盤を高く支え、そこから水が白いカーテンの如く溢れ落ちていた。重い水盤を持ち上げている姿は人生の重荷に苦闘している姿であると。そして周囲の60の青銅の彫刻も、人生を永遠の輪廻の一部を表現していると。更に噴水の廻りの地面は、黒と白の花崗岩のモザイク模様となっており、この模様は迷路になっているのであった。終わりかけたバラ園を通過すると幅15m、長さ100m程の橋が。花崗岩の手摺りの上には青銅製の58の単身像や群像が並んでいた。オスロの顔「おこりんぼう」 Angry boy橋の欄干の中程に人だかりのする銅像が。これが有名な「おこりんぼう」で、一度盗まれたこともあったという。幼児がだだをこねている裸像だが、絵葉書にもなっていて、オスロの顔となっている。記念写真の列が絶えず、写真を撮るのに苦労した。左手と『大事な物』の先が銅色に輝いていたのであった。皆お呪いの如く触っているためであろう。地団駄ふんだ表情が可愛いかった。私にもこの様な表情をした子供の時代が確かに存在した事を確認出来たのであった。南東から北西に向けて貫く850メートルの庭園全景正面入り口にはこの公園の設計者のノルウェーの彫刻家グスタフ・ヴィーゲランの像が。折りしも頭の上に白い鳩が留まっていた。これも人生の一期一会。人の一生のエッセンスを垣間見ることが出来たのであった。ちょっと哲学したい人はここで一日潰すのもお勧め。開園時間中は無料で出入り自由とのことで、芝生で寝転がっているだけでも気分転換にはなるし、かなり贅沢な時間を過ごせる空間ではなかろうか。しかしこれだけの数の生々しい姿を見ると、夜間一人では遠慮したい空間でもあったのだ。
2011.07.13
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この日は5時に起床し6時半に早朝散歩に二人で出発。出発前に事前にホテルの住所から、ホテルの場所を確認しGOOGLE MAPやYAHOO MAPで散歩コースを計画。付近の地図と航空写真を自宅で印刷しこれを持っての散策なのである。目指すは徒歩で15分ほどのヨットハーバー。迷うことなくヨットハーバーに到着。朝早いためひとっこひとりいない静かな波静かなヨットハーバーヨットハーバーの横の広場には大きなモニュメントが。リハビリテーション訓練機関であろうか赤煉瓦の建物が。道路脇の街路樹には真っ赤に実ったサクランボの実が雨に濡れていた。朝食前の身には堪える風景。しかしコンプライアンス最重視でじっと我慢。日本風の瓦屋根の民家も。ホテルに戻り朝食を済ませ、9時にホテルを出発しバスでBygdoy港まで行き、9:30発のフェリーボートでオスロフィヨルドを観光。ノルウェーの首都オスロは、オスロ・フィヨルドの最奥部に位置し、三方を山に囲まれた街並み。芸術の都でもある緑豊かな自然と見事に調和して美しい景観をつくり出していたのであった。遠くホルメンコレン・ジャンプ台が山裾に白く輝いていた。船を下りオスロ市庁舎に徒歩で向かう。急に雨が強くなったが傘とカメラを片手に見逃す物かと。海側の市庁舎前広場。市庁舎は、海からの来客のために、むしろ海に向けて建っているように思えたが、ガイドの説明では海側はあくまでも裏口とのこと。この建物はその特徴的な建築・絵画と、毎年12月10日にノーベル平和賞授与式が行われることで、オスロでも著名な建造物の一つ。ノーベル平和賞は、アルフレッド・ノーベルの遺言によって創設されたノーベル賞の五部門のうちの一つ。多国間の友好、軍備の廃絶・削減、平和交渉の進行のいずれかに大きな貢献のあった人物・団体に与えられるのだ。選考はノルウェー国会が行い、授与式は、毎年ノーベルの命日である12月10日にオスロ市庁舎のこの大ホールで行われるとのこと。日本人では、1974年に佐藤栄作が唯一受賞しているのだ。正面入口を眺めると、海や山で働く人たちの姿が描かれている巨大な壁画が。ボートに乗り、網を持った漁師が中央に描かれていた。ガイドの説明によると、漁業はノルウェーの大事な産業だと。大ホールの脇の小部屋を覗くとアメリカ・オバマ大統領が2009年12月にノーベル平和賞を受賞した時の写真が掲載されていた。確か、この時「成果を伴わない受賞」との批判が各国から上がり、それに対してこのホールでのスピーチで「私の世界の舞台での仕事は始まったばかりで、歴史上の受賞者に比べて成果はわずかだ」と認め、私よりもはるかにこの賞に値する人がいるということには反論しない」と話したと言う新聞記事を想い出したのであった。本来、この場所には昨年2010年に受賞した中国人・劉 暁波(りゅう ぎょうは)氏の写真が掲載されるのであろうが、投獄中であった為出席できなかった事は周知の事実。投獄中の人に平和賞が贈られたのは、ミャンマーの政治家アウンサンスーチー以来、3人目であった事も新聞報道から得た情報。いずれにしてもこの賞の選考については、口角泡を飛ばす毎年なのである。市庁舎裏側の左右の壁の彫刻画。市庁舎ホールの壁には様々な彫刻作品やレリーフが飾られていた。
2011.07.12
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昼食後ストックホルム中央駅へバスで向かう。ここからノルウェー・オスロまで国際列車で向かったのだ。約500km、6時間強の列車での移動。駅舎内のエレベーターで荷物を男性達で役割分担しホームに上げる。出発時間は14:25であったが20分遅れで出発。これぞ北欧スタイルか。もちろん発車のベルも合図も放送も一切無し。駅を抜けると斜め後方に先ほど訪れた市庁舎の全景が。私の前の席には可愛い子供を連れた家族が。途中の駅で何故か15分程の一時停車。ホームに降り立つと国際列車であってもホームから最終車両が溢れていた。夕食はおにぎりを車内で。これも格安の弾丸旅行の為せる結果。くやしいかな、このおにぎりとタクワンが旨いのであった。木材を積んだ超長い貨物列車とすれ違いながらオスロに向かう。途中、スウェーデンとノルウェー国境をあっと言う間に通過。ノルウェーはEUに加盟していないが「シェンゲン協定(ヨーロッパの国家間において国境検査なしで国境を越えることを許可する協定)」により自由通過出来るとの添乗員の説明。よって今回の旅行でパスポートからはノルウェーに入出国した証拠はないのである。事前に車掌の英語?による国境通過の案内があったため、デジカメを構えていたが気がついた時は遅く撮影出来なかった。国境には石造りの塔が建ちその両側に両国の国旗が掲げられていた。車窓から湖や田園風景、牧場風景を楽しみながらオスロ駅手前のリレストローム駅に20分遅れの21:05に漸く到着。現在オスロ駅が全面改修工事の為、この駅止まりとのこと。まだ外は昼間の如く明るい。待ってくれていたバスでホテルまで40分。オスロ市内から車で10分ほどの郊外にあるホーヴィック 「SCANDICK」 ホテルに到着。
2011.07.11
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ストックホルムの王宮へバスで向かう。途中ストックホルム中央駅前を通過。もちろんスウェーデン最大のターミナル駅。セルゲル広場。ここは、ストックホルム市の中心となる広場で、地下鉄の中央駅に直結。セルゲル広場の中心にはガラスのタワーが。8万個のガラス片でつくられた「ガラスの塔」と噴水が目印とのこと。広場はバスのロータリーになっていて、地下道から T-Centralen 駅や、高級デパートNK(エヌコー)へ行けるとのこと。夜になると、ガラスの塔がライトアップされて美しいと。王宮横の広場に到着。王宮横にはオベリスクがすくっと建っていた。エジプトのオベリスクに触発されて、1788-1790ロシアとの戦いを記念して作らせた物との事。608室を持つストックホルムの王宮は世界最大の宮殿。グスタフ1世が即位した際に居城とし。歴代の王が生活してきたとのこと。旧式な大砲と衛兵が立つ様子はおもちゃの兵隊の置物の如し。現在の王家は郊外にあるドロットニングホルム宮殿に住んでいるので、旧市街にあるこの王宮は現在「空き家」状態とのことだが、それでもここは「元王宮」ではなく、現在でもここが歴とした「王宮」とのこと。ガムラスタンの北側にあるこの王宮は、1754年に完成したイタリアのバロック様式とフランスのロココ様式の3階建ての建物で、約60年の歳月をかけて建てられたと。 王室の近衛兵。ストックホルム宮殿で行われる交代式はこの地を訪ねる観光客の目当ての一つとなっており楽しみにしていたが、残念ながら時間があわず最後のごく一部しか見学できなかった。王宮の一部は一般開放されていて、観光客も中に入って観ることができるとのこと。また、歴代の王家で使われていた品や王家にまつわる数々の品を展示している博物館もあるようだ。博物館では、美しく華麗な王家の歴史と合わせて、血塗られた悲劇の歴史をも見ることができるとガイドブックに。レプリカでなく、実物が展示されていることも圧巻と。しかしながら、ここも内部見学無しで次の観光場所へ。玉石敷きの古い公道や、狭い小路へ。中世都市の面影をのこす独特な雰囲気をもった街並を楽しみながら、ガムラスタンの中心ストールトルゲット大広場に到着。今はカフェが並ぶ平和なこの広場は、1520年に「ストックホルムの血浴」と呼ばれる歴史的事件が発生した場所とのこと。ストックホルムの血浴とは、デンマーク王クリスチャン2世が行なったスウェーデン人に対する処刑事件。ストールトルゲット広場に面した建物群。広場では軽食やビールを楽しむ人々で賑わっていた。次ぎにフィヤールガータン展望台からバルト海を眺めた。フィヤールガータンは、旧市街ガムラスタンの南側に位置するセーデルマルム島の急峻な崖の上にあった。港に入って来る様々な船や旧市街ガムラスタン、デュールゴールデン島、シェップスホルメン島、そしてストックホルムの北地区が目の前に広がる。目の前にはストックホルムのチボリ公園が。バルト海へと続く道。昼食はレストラン「Morkullan」で豆とマカロニサラダそしてミートボール+マッシュポテトを楽しむ。
2011.07.10
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朝7時にストックホルム・アーランダ空港に到着。ストックホルムの北42kmに位置する国際空港。ストックホルムは、スウェーデンの首都で、スウェーデン最大の都市。ストックホルム空港での出国手続きは出入国カード無しのため順調に進む。添乗員のKさんが人数を確認後、待っていたバスに乗り込む。曇天の暑くない朝であった。首都の空港にしては人数が少ない印象。早朝の為、それとも人口約80万人の為か?。しかし北欧では最大の人口の都市。北緯 59度20分に位置する「水の都」。「北欧のヴェネチア」ともいわれ、水の上に浮いているような都市。空港の管制塔。かなり高く世界4位?バスで小1時間で最初の観光場所の「市庁舎」に向かう。ノーベル賞の受賞祝賀会が開かれるストックホルム市庁舎。外壁の煉瓦の色合いは落ちついた暖かな雰囲気。スウェ-デンの代表的建築物のひとつ。巨大な赤レンガの建物と高いタワーからなっているのだ。イタリア・ルネサンス様式の宮殿に刺激を受けた建築家Ragnar Oestberg のデザインとの説明。建物には全部で800万個の赤レンガが使われていると。ドイツの都市の市庁舎の如き外面の飾りはなく、高い塔のある城砦といった印象。バックヤード(裏庭)に出ると、リッダー湾の水面が見事な景観を提供しており、市民の憩いの場となっていた。晴天であればもっと素晴らしい光景であること間違い無し。左(東)には旧市街(ガムラ・スタン)があり、その西に隣接するリッダーホルメン島に建つリッダーホルム教会の尖塔が威容を誇っていた。そして西には裸像の彼方に大聖堂の大きな尖塔が。タワーは高さ100m。頂上にはスウェーデンのシンボルである3つの黄金の王冠がついているのだ。76mの高さまで上がれ、ガムラスタン、国会議事堂、リッダー湾など、広く市街が東西南北に展望できるとのことだが、残念ながら上がって見下ろす時間は無しと・・・添乗員。市庁舎内部のブルー・ホール(BlueHall)。毎年12月10日にあのノーベル賞の受賞を祝賀する晩餐会が催される場所。晩餐会には1300人のゲストが呼ばれ、乾杯や受賞者のスピーチが行われる場所。ただし6種類のノーベル賞のうち平和賞だけはノルウエ-のオスロで、残りの5賞がこのストックホルムで授賞式が行われると。名前はブルー・ホールであるが、何故かブルーではない?設計者のOestbergは最初このホールをブルーに塗るつもりでいたが、赤レンガの美しさを見てブルーに塗るのを止めたと。それで、名前だけ残ったという次第との説明。床のねずみ色は無理すればブルーとも言えないこともなかったが・・。ホールの隅には、北欧最大の10,000本のパイプからなるパイプオルガンも。さすがに豪華で威厳を感じさせる広間。しかしながら、あの人数が一度に会食するとなると結構狭いのではという感じ。ホールの通路の壁にはノーベルの肖像が。ノーベルは、スエーデンの化学者、企業家でダイナマイトの発明家としてあまりにも有名。写真のリレーフは純金で、直径約50cmか?。市会議場(Council Room)。この会議場に入ると「天井を見てください」とガイドの声。高い天井は伝統的なヴァイキングの家の様式に従って独特の木組みで覆われ、重厚な雰囲気の室内とマッチして、ここで定期的に市議会が開かれている場所と思えないほど。天井など内装にはスウェーデンの豊富な木材が使われていた。そのため、和風の建物のような、なんとなく温かみを感じる雰囲気。日本の総理もこんな場所で議論をすれば、もっと良い建設的な対策や「感」が溢れ出てくるのではと感じたのであったが。ゴールデン・ホール(Golden Hall)700名の席をもつ宴会場。豪華な広間は柔らかな光に包まれた金色の輝きに満たされていた。毎年このホールでノーベル賞受賞者の舞踏会が開かれる場所。壁面はすべての個所が金とガラスの1800万個の小片からできたモザイクで埋まっていると。北壁には、「メーラレン湖の女王」という巨大なモザイクの像が。そして、その左右には、スウェーデンや海外の歴史的事件が描かれているとのこと。土産にノーベル賞の金色メダルのチョコレートを購入。しかし自宅に戻り開けてみると模様が異なるのだ。ノーベル賞の授賞式に参加した受賞者たちが実際に土産にと買って行くという、あの有名な本物にはノーベルの肖像があるはず。しかし購入した物は市庁舎の模様が。なるほど袋の表面には「City Hall」の丸い赤い紙が張ってあり中の模様が見えないように。敵も然る者である。日本人の皆さんご注意を!!。確かに安かったのであった・・・・・。
2011.07.09
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7月8日(金)~7月15日(金)の8日間 北欧旅行に行ってきました。阪急交通社のツアーに旅友のSさんと二人で参加、36人のツアーでした。夫婦11組、4名女性グループ1組、2名グループ2組、母娘1組、個人参加男女それぞれ1名そして我々男二人の「異様な1組」の36人。平均年齢60才?? この日は午前11時にSさんが我が家に車で迎えに来てくれました。これまでは成田行きの高速バスやJR成田エクスプレスを利用して成田に向かいましたが今回はマイカーで。費用を計算してみるとほぼ同額とSさんの提案。荷物を積み込み、妻に見送られて出発。横浜新道、首都高速、東関東自動車道から新空港自動車道を経由して、成田インターチェンジを出る。途中サービスエリアの「すき家」で牛丼の昼食。Sさんが事前予約しておいた駐車場に到着。車で第1旅客ターミナルに送ってもらう。集合時間には1時間程早く到着。南ウイング4F空港待合室ベンチで待つ。そして受付カウンターへ。既に添乗員のKさんが受付中。40歳代のスキンヘッドの市川団十郎似の独身男性。受付で説明を聞き、ユーロに両替し入国審査へ。ディスカウントツアーの為、バンコク経由の南回り。よってバンコク・トランジットのため免税店でのアルコール購入は断念。タイ航空 16:55発 TG677便。窓側の席を与えられ、隣にSさん。タイ・バンコクまで所要時間6時間30分、時差-2時間の飛行。この旅初めての機内食。サラダに入っていたツブツブは何?レンズ豆ではと旅友のコメント。途中インドシナ半島上空を通過。ベトナム・ダナン付近か?バンコク・スワンブーム国際空港到着は21:30。3時間半のトランジット。空港内でビールで時間を過ごす。つまみはベジタリアン風の軽い?ものを注文。免税店でウイスキーを1本購入して待合室へ。まだ人が少ない。そしてタイ出発は深夜の1:10。同じくタイ航空TG960便。スウェーデン・ストックホルムまで所要時間10時間50分、時差-5時間の長旅。今度は幸いトイレに行きやすい通路側。満席の中でのこの飛行機での最初の機内食。そしてフランスでフォアグラ用に供されるガチョウの強制給餌(ガヴァージュ)状態の2回目。ストックホルム・アーランダー国際空港到着は早朝7:00。
2011.07.08
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【海外旅行 ブログリスト】👈リンク7月8日~15日まで、会社を休ませてもらい、旅友と今年も海外旅行。今年の訪問国は北欧。成田空港からタイ・バンコク経由の南回りで。今回の旅行のパンフレットも既に送付されてきている。訪問国は3国。最初の訪問国はスェーデン・ストックホルム。水の都ストックホルムではノーベル賞授賞パーティーの場所「市庁舎」、「王宮」、「旧市街・ガラムスタン」他を楽しむ予定。そして国際列車とバスを利用してノルウェー・オスロへ。オスロ市内観光ではJムンクの叫びがある「国立美術館」、200以上の人像が展示されている「フログネル公園」・・・。そして今回の主目的のフィヨルド観光。世界1の規模を誇るソグネ・フィヨルド、ノルウェーで2番目に大きなハダンゲル・フィヨルドをフェリーで見学する。氷河期への旅、壮大かつ繊細なフィヨルド海岸線の美を堪能したい。帰路にはスターブ教会、スタルハイム渓谷を訪れる。オスロからコペンハーゲンまではDFDSシーヴェイズのクルージング。コペンハーゲン市内観光では「アマリエンボー宮殿」、「ニューハウン地区」、「人魚姫の像」。2日間にわたり、半日ずつの自由行動時間があるのでコペンハーゲン市内を旅友のSさんと歩き回りたいと思っているのである。何とか準備も完了。この時期北欧は朝の4時から夜11時近くまで明るいのである。この行動可能時間をフルに活用し、体調の許す限り貪欲に北欧の姿とそこに住み人々との触れ合いをを楽しんできたいのである。5年前から、中国・九寨溝→スペイン→イグアスの滝、ナスカ、マチュピチュ→ネパールとSさん他と旅を続けてきた。今回は初めての30名ほどのツアー旅行での「2人」旅。自然の宝庫、夏の緑の美しさと水面の青、そして歴史有る街並みを思い切り感動してきたいのである。 と言うことで、しばらくはブログも「リフレッシュ休暇」なのである。帰国後は旅行記をアップしたいと思っています。「行ってきます!!」
2011.07.07
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出張で豊橋駅前に宿泊。そして翌朝いつもの早朝散歩。徒歩で15分ほどの吉田城へ。吉田城は、豊橋公園内にある城。戦国時代の16世紀初頭にその前身が築城され、16世紀末に大改築が行われたと。戦国時代には三河支配の重要拠点の1つとして機能し、江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たしたと。別の城名としては、築城当初に今橋城と呼ばれ、明治維新後には、吉田から豊橋の改名に伴い豊橋城とも呼ばれたとのこと。途中見つけた、吉田宿の西惣門のミニチュア吉田神社。国道1号線の豊川にかかる吉田大橋の手前左にに「三河伝統・手筒花火発祥之地」の大看板が。今年は私の誕生日の7月16日に祭りが行われるようであった。豊橋公会堂 ロマネスク様式で正面両側のドーム頂上までの高さは、15m以上。豊橋公園の入り口近くには豊橋ハリストス正教会が。聖使徒福音記者マトフェイ聖堂は国の重要文化財。吉田城。本丸広場からの入道櫓 。江戸時代までは吉田という地名だった豊橋。全国各地に吉田という地名がありすぎてややこしいので、明治以降豊橋に改名したとのこと。今では愛知には「豊」が着く地名が多すぎて、これまたややこしいが...!?豊橋、豊川、豊田、豊明、豊山...と。吉田城の横に流れる豊川。豊橋市美術博物館前の彫刻作品。豊橋駅に向かって歩いていると路面電車が。愛知県下で唯一、路面電車の走る街「豊橋」。大正14年に開通して以来、市民の足として親しまれている路面電車である。商店街のアーケード沿いには多くのブロンズ像の彫刻作品が展示されていた。そして未だ人通りの少ない豊橋駅。
2011.07.06
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先日、我が社の関西支社に行ってきました。近くのホテルの部屋からの土佐堀川。大阪城の西で旧淀川(大川)が中之島(中州)をつくって土佐堀川と堂島川に別れ、北区・西区の境の中之島西縁で再び出合い、安治川・木津川となって別れて流れてゆく川。堂島川が北、土佐堀川が中之島の南を流れているのである。遠くに見える橋が「淀屋橋」、手前の道路が「阪神高速11号池田線」の高架。 ビルの隙間に小さく大阪城が見えた。この日は宿泊し、朝の始発で本社に戻る。6:00発 「のぞみ200号」 東京行き。始発といえども東京へ出張する、そして帰任する多くのサラリーマンが。そして品川駅経由で会社に到着。8:45はいつもの出勤時間と同じ。誰もこの朝大阪から帰任したとは思っていないのである。
2011.07.05
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今年も我が趣味の農園で色々なジャガイモを栽培しました。まずは「インカのめざめ」。インカのめざめは小粒のジャガイモ。切って見るとまるでさつまいもの黄色。そして「シャドークイーン」。皮も中身も鮮やかな紫色のじゃがいも。今までの紫じゃがいもよりも3倍のアントシアニンを含むことと、調理後も鮮やかな色が落ちないところが特徴。最後は「ノーザンルビー」。市場にもあまり出まわっていない大変珍しい品種。色むらの少ないやわらかなピンクの肉色が特徴の赤皮赤肉のじゃがいも。3種類のジャガイモを皿に並べてレンジでチン。それぞれ皆加熱しても殆ど色が変わらないのです。今回はシンプルに塩とバターで楽しみました。味や食感は栗とじゃがいものハーフという感じ。インカのめざめ特有のホクホク感を楽しんだのでした。
2011.07.04
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我が養蜂場のある農園の片隅のアーティチョークが鮮やかな濃青の花を開かせています。とがった葉の茂みから、両手の握り拳を合わせた位の大きさの、松かさを広げた様なものがごろんごろんと梅雨空に突き出ています。花の上で「スイッチョ」が戯れていました。蜜が出ているのでしょうか。それとも花粉が目当て?アーティチョークの和名はチョウセンアザミ。江戸時代にオランダ人によってもたらされたとのことですが、朝鮮とは何の関係もないようです。名前をつける段になって、多分朝鮮か来たものだろうとあて推量 され、花がアザミに似ていることからそのまま命名されてしまったとのこと。フランスやイタリアでは開花前の柔らかいガクと花托がとくに好まれ、食用にされているのです。かなり前、フランスを訪れた時にも、市場にはアーティチョークが山積みにされていたことを想い出します。まだ挑戦したことがありませんが、ホクホクな栗のような感覚・・紅茶のような風味の味・・ とのことですが。
2011.07.03
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我が養蜂は西洋ミツバチを現在4群を育てています。ミツバチの社会には、外見の異なる3種類のミツバチがいるのです。それは、女王蜂、働き蜂、雄蜂の3種類。それぞれが異なった役割を持ち、ミツバチの群を構成しているのです。ミツバチの社会は、人間以上に、役割分担が非常にはっきりしていて、一匹の女王蜂と多くの働き蜂、少数の雄蜂で構成され、働き蜂はなんと「雌」。しかし女王蜂と働き蜂は同じ雌でも、身体の大きさ、生理的にも全く異なるのです。この違いは食料。雌として産み付けられた卵は、女王蜂または働き蜂のどちらにもなる可能性がありますが、おのおのに与えられる食事が全く異なるのです。実は生まれて4日目頃から、女王蜂の候補にはローヤルゼリーが続けて与えられ、働き蜂の幼虫には花粉、蜂蜜に切り替えられるとのこと。我が家の女王蜂です。しかも、女王蜂は王台と呼ばれるVIP ROOMで育てられ、働き蜂は六角形のハニカム部屋で育てられることになり、卵を産みつけられた場所で、その運命が自ずと決まるのです。製造途中のVIP ROOM(王台)です。ハニカムの部屋には多くの働き蜂が蛹となり生育中です。この時期にはハニカムの部屋は蓋で覆われるのです。女王蜂の産卵能力は1日に約1000個~1500個と言われ、まさに産卵のために生まれて来たようなもの。働き蜂との違いは寿命で、働き蜂が1ヶ月余りなのに対して女王蜂は中には6年ほど生き延びるものもいるとのことで、昆虫界ではとても珍しいことなのです。別の群の我が女王蜂です。女王蜂の成長は働き蜂よりも早く、12日目にサナギになり、16日目に誕生するのです。生まれて10日目ぐらいで雄蜂と交尾しますが、交尾は一生のうちその1回だけ。それから死を迎えるまでの約4年間は、ほぼ?ローヤルゼリーのみを食べながら毎日卵を産み続けるとのこと。卵を産む前にはまず、巣房に顔を覗かせて中がきれいに掃除できているかしっかりと点検を行っています。そして、きれいな巣房だけに卵を産んでいくようです。女王蜂の廻りには多くの働き蜂が取り囲んでいました。働き蜂はこの群の全体の95%を占めています。いわばミツバチのほとんどは働き蜂ということですが、働き蜂は、産卵以外の群を維持していくためのすべての仕事をこなしているのです。働き蜂の仕事は、蜂蜜や花粉などの食べ物を集めることから育児、巣内の掃除、巣作りと補修、外敵と戦ったりといったほとんどの仕事を受けもっているのです。 そして雄蜂。中央の働き蜂より大きいのが雄蜂。この雄蜂は働き蜂のする仕事を一切手伝うことなく、時々外出して結婚相手の女王蜂を待ち続けるのです。この雄蜂は春の交尾シーズンになると1つの巣で数百匹にもなり、死に物狂いで交尾の戦いに空中に向かうのです。しかし、これだけ競争の中で生き残った雄蜂でさえも交尾の直後にショック死してしまいその生涯を終る運命。女王蜂はこのとき続けて数回の交尾をして、その数だけの雄の命が奪われることになるのです。中には巣に残って働かずにブラブラしているものも。この様な雄蜂は群の中では役立たずということで、巣から外に追い出されてしまうのです。まさに働かざるもの食うべからず。このように我々人間社会以上に、役割分担が徹底されていて、とても厳しい社会なのです。
2011.07.02
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我が家の6月の太陽光発電(京セラ、5.76kw)の 実績報告です。 発電量 : 555kw消費量 : 542kw自給率 102% と言う稼働実績となりました。6月は梅雨により中旬に晴天の日が少なかったため伸び悩みの結果となりました。発電開始以来の月別発電量実績です。緑が本年2011年の実績です。今年は1月から月別の過去最高を更新中でしたが今年の5月、6月は昨年を下回る結果となりました。
2011.07.01
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