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生が肯定されている世界で活きてきた。生は善であると肯定された社会である。いま生と死がパラレルだという本を読んでも、これまで教わってきたこととは違う。自由という意味も、権利であり義務もある。社会が個人の生命を守っていると本当に言える社会システムだろうか。表と裏があるといわれてもそれをすべて確かめて行くだけの時間もない。あることは神実であることは虚偽の世界だろうか。「生命は誕生し、成長し、生殖し、移動して死ぬ」。あとは「死」へのプロセスを歩くしかない。それを思うと、「死への道」には違いはない。どんなことばを修飾しようとも同じことだ。 ・生が善であり、死は悪である社会である。健康もそのルールに従っている。自分が求めているQOLも皆そのためにある。宗教もそのためにある突き詰めていけば、死生観になる。それを強調するかしないか、でしかない。そして宗教を利用する人たちがいる。仏教の「四苦」や輪廻転生でもない。天国も地獄もない。「貧困と無知」がある。「知愛」の哲学でもない。あるのは減数分裂でしかないだろうか。21世紀になっても未来は啓かれてはいない。 ・へ2・・・子どもに戻っていくのだろうか。昨日のことを忘れている。脳が委縮しているのだろう。自分の見えるものしか見えなくなるだろうか。広い識見と深い洞察も怪しいものである。まともな時間は短くなる。夜長の時間はシーズンよりも夜の時間が長くなるのがラストランの宿命だろうか。まだ時間はあるのかも知れないが、大した時間ではない。 ガイドブックは、好いことばかり書いているのだろう。人生は一行に如かず。要約してしまえばそれこそ皆同じにしか見えない。でも町にもそこにしかない雰囲気とか生き物がいる。 人は他人から愛されてナンボの価値があるのだろう。その愛の形が問題だ。愛欲はいつか色あせてしまうだろう。儚く切ない人もいるのだろう。宇宙に存在する星たちは孤独な存在らしい。隣の星にたどりつくことは難しい。そして膨張宇宙でもある。
2019.12.31
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ゴールデンロックからだから水分が抜けていくらしい。どうも目まで乾燥してしまう。使わないと細胞は劣化するらしい。昨年眼の手術をしたが、末端の毛細血管が遣られるらしい。 脆い新生血管ができて出血するのだ。ぼんやりこれまで風景や光景を見てきたが、自分の体のことを知らずにいた。どうも世の中のいやなことばかり教えられてきたのだろう。絶望しろと言うようなことばかりだ。 ・どうして犯罪を起こすのだろうか。そういうことばかり気をとられていたのではないのだろうか。こっちのことはさておいている。スポーツや芸術とか、精神とかより技術の向上でしかないのだろう。それは優秀な部品になることでしかない。他人を尊重していては勝てないのだ。はたしてなにが人間のためになるのだろうか。 ・へ2・・・生きるということのために犠牲にしてきたことは、大切なものが含まれれいたかも知れない。それがコストだと思っていた。死に近づくまいと努力してきたのだろう。自分の利益になることしか考えなかったのだ。それはエゴイストではないのだろうか。
2019.12.31
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バイブリー今年と同じように、来年も行けると思うのは自分の甘さかも知れない。それでも、そうして繰り返している事は多い。来年のことを考えるのも寧ろ遅いくらいだが、今年とは違うことも沢山あるだろうという予感はする。その時に為ってみなければ分からないことばかりだろう。病気のことも、講座のことも、そしてライフスタイルも、思うように行くとは限らないだろう。それでも悲観はしない。為るようになるという気持ちさえあれば大抵は切り抜けられるだろう。 ・善い事もあれば悪いこともあるがそれは個人的な感想でしかない。政治や経済にしても、今までとは違う苦しさがあるのではないだろうか。頭の切換えができないと社会に付いていけなくなる。自分の持っているキャパもある。想定外も起きるだろう。 ・へ2・・・何があろうと、その中で自分の活き方を考えるしかない。できることとできなくなっていくものもあるが、頑張れば、それだけのことは付いてくると思う。この世の中を信じられるかどうか、信じられないことが起きないことを祈るしかない。まあ、来年も、心だけは穏やかでありたい。
2019.12.31
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ミャンマーの僧院学校2070年~2100年の間に、何があるか、気温は現在より3℃上昇していると予想される。世界人口は100億を超えているだろうか。まだ人間の予見も大したものではない。大雨にさえ都市は守れないでいる。まして巨大津波に無防備でしかないし、テロ攻撃されたら日本の原発はどうなるのだろうか。北朝鮮から突然核攻撃されたら・・・。 ・自分の口でアベノミクスなどという首相の言などあとで笑止といわれかねない。誰が国民の命を守れるだろうか。警察でも自衛隊でもないだろう。戦争をしなくても、生態系が乱れてやがて絶滅種が増えていく。ジワリと迫ってくる危機に目を向けようとはしない。囚人のジレンマの話を昨日の講義でされていたが、逮捕された共犯の二人の犯人たちが、おちるジレンマのことらしい。これは商売でも言えるし、この社会ではさまざまの場面で起きる。 ・家庭の中でも起きる。お互いに少し我慢すれば仲良くやれるのに、それをしないとジレンマにもなる。安売り競争のジレンマの例が面白かった。これは、中国と日本のジレンマでもある。冷戦時代の米ソの軍拡競争にも言える。世の中は馬鹿なことばかりしている。その研究がゲーム理論らしい。相手を知らなければ、こちらも的確に動けない。 ・へ2・・・これだけ悧巧な人間がいて、囚人のジレンマを解決できないのだろうか。自分だけは他人より楽をしたいと思うからだろうか。公徳心のない社会のリーダーたちがまだたくさんいるからだろうか。
2019.12.31
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和白干潟のクロツラヘラサギ8羽。 2019.12.30. 日本経済が、下層の不特定多数の人々の犠牲の上に成り立っているのは、それこそ国家が成立して以来といっても過言ではない。飢饉になれば飢え死にする人々が居り、戦争になれば真っ先に犠牲にされた。それは兵士に為るのは経済的弱者の人たちでもあったからだ。多くの犠牲者はいつも最下層でもある。先の戦争でも兵站さえない戦争を強いた国家でもある。人間軽視の伝統がある。 ・原発は安全保障のないまま54基も建設された。六ヶ所村は中間処分場でしかない。3.11福島第一原発の事故で、まだ放射線は放出されており、汚染された土地の回復の見込みもない。そしてそれはできるのだろうか。数十年もかかるとすれば、被災者にとって喪われた時間は、取り返しの効かない時間にもなる。東京電力は、何を根拠に再出発といえるのだろうか。 ・へ2・・・原発事故の最前線で働いている人たちが命がけの仕事に従事している。それは被曝して犠牲者に為らないとも限らない。ベトナム戦争でも、アメリカの貧しい人びとの子どもたちが最前線で兵士になったといわれる。容は変わってもそれは、最下層の人たちでもある。日本でも戦時中朝鮮から強制的に連れて来られた人々が炭鉱で過酷な労働をしたという。戦後ロシアに抑留された日本人も不当な扱いを受けたという。世界中で、人間は根拠もなしに差別をしている。原発は、最終処理の方法も決まらないままだ。 ・つい昔のことを、この年末になると思いだしてしまう。楽しい思い出もあるが、戦後中国から引揚げてきて人並に貧乏という苦しみを味わったものだ。悔しい思いもした。庶民はそれこそ弱い存在であり人間らしい存在でもあるからだろう。時に非情でもある。人情もないのではないだけだ。 ・へ2・・・庶民として暮らしたからこそ分かる人間の心もある。カネのあるところには人は集まってくるものだ。ないところには人は寄り付かない。ひとはその環境次第で、変わるという法則は生きている。ふつうの人間が兵士になれば、平気で敵を殺すだろう。平時だからこそ、安倍首相も真珠湾でスピーチができるのだ。甘く見てはならない。いえるのはそれだけだ。
2019.12.31
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アイト・ベン・ハッドウ無理はしないが、しないと出来ないこともあるから困る。窮屈な世の中でもある。直ぐ勝ちか負けるか、とばかりいわれる。反骨を悦ばない社会は堕落もする。他人の言うことばかり聴いていたら、先には行けないことがある。八方美人は誰とも結婚できなくなる。「わが道を行け」と言いながら、世間は違うルールである。政府の言うままの人間は、世界から措いて行かれもする。 ・自分で好いと思ったことをやり遂げるしかない。自在で逢って活きるしかない。世渡りが上手い、下手ではない。自分の表現ができるかどうかでもない。それは誰に対してかだ。大荒れは、何とも思わない。自分のすることがはっきりできて好い。何でもする。その決意が必要だ。トイレの中にも手を入れる。ひとのいやがることもする。優しい社会でなければならない。劇場ではないし、芸人でもない。日常の中に勇気を発揮すべきだろう。 ・へ2・・・世の中は、乱れ始めているのであり、いまやらなければならないことは多い。なにもしなければ忽ち平和は遠のくのだ。軍事力の強化は、平和への道ではない。果たして安倍内閣は、憲法改正を推し進めようとしている。そして集団的自衛権の行使を口実にして再軍備への準備をしてはいないだろうか。歴史を見れば、政府が始める戦争がそこにあるということを知っている。
2019.12.31
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ミヤコドリ枯れ木もひとの役に立つだろう。知恵の無いものは、生きることを壁としか見ないかも知れない。ネガティブな側面だけを見ていても恐らく人生が厭になるだけだ。然し良いだけの人生であるはずはない。光と影とこの社会を形成している。一葉の世界が遠くなってきた。然し、私も老耄れたお蔭で見えてきたものがある。多分若い時には感じなかっただろう複合の文脈が面白い。でも、一葉や、明治や、昭和に嵌っても仕方がないだろう。本当に分かるものが分かるだけだが、それでも仕方がない。時代は、ただ必要なものだけを残すだろう。価値があるからではない。 「たけくらべ」の最終章で、美登利は、 「ある霜の朝水仙の作り花を一輪挿しにする」。
2019.12.31
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シジュウカラ 逆境で、苦悩を続けているとしても、何かに夢中で打込んでいれば苦痛は薄らぐらしい。真剣さとはそういうこと。下手に弛んだ時、悲哀を覚えるもの。所詮個人としての自分は、何ものでもない。徒の微力、非力の輩に過ぎない。そうしているのは自分である。 只一匹のハエのように狭い空間を、与えられた時間をせっせと自分の子孫を残そうとしているだけだろう。こっちから見るか、反対側から見るかによって物事は逆転して見えるだけだ。 宗教は、内に向かう人々ではないか。或いは外に向かって、万里の長城を築こうとしている人々ではないだろうか。もしそうだとすれば、この地球を分割しなければならなくなる。 私たちに何ができて、何ができないか? 不可能が何か、困難とは何なのだろうか? 不可能はいつまで経っても為しえないことであり、困難なことは努力次第で為しえるだろう。人は、困難を克服する為に努力しなければならない。常に、その見極めをすべきだ。 やがて夢は覚めねばならない。ひとはいつかその時がくる。自分が遣ってきたものが何かを知らねばならない。それは、個人のなしえることは、すべて果敢ない一事でしかない。短い夢か、長い夢かの違いでしかないだけだ。 それは、「一炊の夢」に過ぎないだろうか。・・・かも知れないし、そうでないかも知れない。東洋人も西欧人もその他の人びとも同じ遺伝子を持った種としてのヒトであって、遣っている来たことも、遣っていることも同じだろう。ただそれぞれが利己的に見えるだけだろう。 私の中の多忙は、自分を夢中にさせただけに過ぎないし生半可であれば自身の蒙眛に終わる。
2019.12.31
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人は先人の作ったオリジナルの物語をアレンジして、自分の物のように描いて作品にするのが常なのだろうか。角度を変えて違うものにする。まるで料理のようだ。人間の心象風景を魚や野菜を煮たり焼いたり蒸したりする。結局多くの作品は、過去の何かの亜流か変形でしかないものばかり。オリジナルを読むことは稀なのだろう。堀辰雄の「曠野」(あらの)も、そうした流れの一つだという講義を長々と聴いた。 文学を愛することは難しくなった。昔は、皆純真だったか、文学を愛してもいた。然し、いつかだれも言葉を信じなくなってしまったのだ。嘘ばかり付いている社会だからだろう。豊かな社会など、夢のような夢だったのだろう。アレンジばかりが上手くなり、オリジナルは真実と一緒に消えてしまったようだ。 ・へ2・・・どうもアクセサリーを有難がっている。化粧するのが当然と思っているのだろう。そうではなく素直な気持ちこそ取り戻すべきなのだ。
2019.12.31
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和白干潟のツクシガモ100羽以上。「絶滅事変の周期性」に関する研究は、アルバスらや、スミットとヘルトゲ ン「隕石衝突が白亜紀末の大量絶滅の原因である」と提唱した1980年以 前にもあったという。この1000万年オーダーの周期性の根拠は定かではな い。然し、カンブリア紀後期から繰り返された、気候の寒冷化、海水準の低 下、海洋無酸素事変は、大量絶滅を齎した。現状は、周期性の有無の定説は ないが、それがランダムであっても絶滅を回避させるものではない。 私たちは、今絶滅周期の中ほどにある。太陽系は現在銀河系に極めて接近し ているが、まだ彗星雨を経験していない。ギリシャ神話のネメシスや宗教で は終末もあるだろう。そして現代は、核戦争という破滅的な爆弾を抱えている。 元々地球外物体の衝突に由来する事変で地球は誕生してもいるのだ。またひ とつ調べたいものが出てきたが、以前から関心はない訳ではないが、データ が少ないというよりどこを調べるか判らなかったのだろう。 勿論絶滅に関心があるのではなく、そこから何を学ぶべきかを知ることだ。
2019.12.31
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人の心理は複雑だ。恐らく自分で自覚している以上であることは確かだ。人間の意識は、無意識の分の意識でしかない。分母は水面下であるが、意識はその氷山の一角でしかない。自分の気分を決めているものは無数ではないが、百や千ではないだろう。自分で思い当たるだけでも数十はあるからそのまた数十倍か数百倍あるのではないだろうか。日々体調は変化している。雨が降れば気温も違うし、昨日の夜のウオーキングの負荷で、今朝の血糖も違う。モードも一寸したことで微妙に振れている。 ・大学の入試も学生が好きな大学に行けるわけではないが。公平な社会とは、或る意味忍耐を要することでもある。 ・へ2・・・視覚からはいる心理的変化や、その他の五感から来るもの、そしてメンタル面もある。人間と云う生物の複雑系は、ダイナミックな変化の中にある。その中で免疫系も複雑な変化をしている。何を食べるか、どこを観ているか、そしてどういう環境で暮らしているか、対人関係はどうか。ストレスをどう受け止めているか。天候はどうか。
2019.12.31
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落ち目になると不思議と暗い話ばかりが増えていくようだ。たいしたことでもないのに大袈裟に云いたがることもある。これまでやってきたことが、できそうもない気持にもなってくる。耐えられない人生はないのであり、それができないときは終わりなのだろう。腹をくくっていかなければならないのは、これからばかりではなく、これまでも何度もあったのだ。それが、豪く大仰にも見えてしまう。高齢化社会を迎えて、これまでのようにはいかなくなる。そういう時代に、不適応な人物が国のリーダーでいいのだろうか。少なくとタフな精神を持った人物であり、苦難を抱えて平然として立ち向かう情熱ぐらい持った人であって欲しい。 ・何ができるのか、何ができないかではなく、できることを一つ一つ積み上げるような忍耐力のあるリーダーはいないだろうか。自分の権力奪取に凝り固まったようなことでは困る。大局を把握できるだけの見識も必要だ。党利党略で、この複雑怪奇な国際社会を乗り越えることはできない。確り国政のかじ取りをしなければ百年の計を誤るだろう。また「空白の10年」のような轍を踏むことがあれば、日本は後進国の仲間入りをすることになるだろう。 ・へ2・・・いよいよ時代は、減数分裂をしていくだろう。日本の未来を担う若者の教育こそ何よりも大切であり、それを優先すべきだろう。教育、教育、そして教育なくして未来はない。その教育現場が、汚職の巣窟では困る。創造性豊かな人材を育てるべきだろう。促成栽培では役に立たない。営利ばかりではなく、対局でものを考えることのできる人材がそれこそ、富士山では足りない。チョモランマでも中国に負けるだろう。それこそそれ以上の人材を育てて、物理学的には不可能な地上一万メートル以上の重力に耐えねばならない。
2019.12.31
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いくら感情移入できたとしても、他人が感じているとおりに感じることはできない。この落差の所為で人は孤独感に苛まれたり、自分の存在におびえたりもするのだ。過去の経験が違うことで、その意味も違ってくる。感覚そのものは消えて、残るのは構築されたパターンであり、何を構築したかが私たちの唯一の知識となる。世界を認識できるのは、自分の脳が理解できるのは自分のなかで再構築できるわずかなスペースでしかない。 動物が番いになって子どもをつくるとき、脳には特殊な化学物質が分泌される。それが父親、母親らしい子育ての行動パターンを呼び出すのだ。なかでも重要な役割となるのがオキシトシンである。オキシトシンそれ自体はよろこびを誘発しない。むしろ過去の経験をつなぎとめるニューロン接続パターンを溶解して新しい経験を形成しやすくしている。接続パターンのメルトダウンが起きる。メルトダウンと同時に絆ができるのではない。そのあと活動をともにし、協力を通じておたがいの理解をふかめていく必要がある。 セックスをするだけでは信頼関係は生まれない。気晴らしや闘い、競争をともに経験しながら、相手を信頼する方法を学んでいくのだ。(Mapping The MInd より) 私たちの脳は環境から情報を取り込み蓄積して、あとで引き出しているが、新しく何かを学習した神経細胞の接続が変われば、いま記憶していることも変化していくのだ。 何が「寂しい脳」だろうか。孤独感に苛まれ、自己の存在にさえ怯えなければならない存在だからだろうか。喜びが入りこむ余地はわずかでしかない。 いまから5万年~10万年前に人類の脳の容量がいまと殆ど変わらないくらいに増えた。脳が構造的に変化してから、それが文化に反映されるまでの長いあいだも、人類は言語の発達を通じて、寂しい脳の闘いをつづけている。
2019.12.31
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インド自分であって自分ではない観念のコピーでしかない。誰かの真似でしかない。その多くの切れ端を寄せ集めているフレーズでしかない。自分が持っているオリジナルカードはないのが普通だろう。他人と同じことをして自分のものだと思っているに過ぎないものばかりだ。価値のあるものが見えないでいる。 ・また挫折感を味わう。心の痛みを感じることができないでいる。それは自分を捨てきれない未練があるからだろう。恐らく、それは生きている間はつづくのだ。完全な人間はいない。現代にいないだけだ。理想がないわけではない。宗教を信じないものにいないだけだ。 ・へ2・・・一部のコピーを大切にしても、新鮮な時は一瞬でしかない。すぐに腐ってしまう。だから新しいものを探さねばならない。その旅を続けている。そして疲れる。明日が続く限り、旅は果てしない行程と苦悩を連れてくる。さて、今夜も更けてきた。時々、心にもメンテナンスが要る。
2019.12.31
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和白干潟若いころは医者とあまり付き合いはなかったが、ここ10年ばかりは何かと医者の言葉を聞く機会がある。肺がんを疑われた時は、「肺炎なら他人に迷惑を掛ける」「肺がんなら命にかかわる」「その他なら大抵たすかる」と言われた。なにか、「ああ、そうなのか」と変に納得した気持ちがして落ち着いた。老医者は、精密検査を進めてくれた。行った病院で、若い女医が、「あなたは、良い方に転んだ珍しい例だ」と話した。 ・それから、しばらくして、今度は横浜の病院で、「これで、10年は命拾いしましたね」「ここなら、何があっても、治療ができますから、どんな病気でも安心していいですよ」といわれて、「ああ、任せてもいいのだ」と思った。勿論それは気休めでしかないが、そういわれると、たとえ、不治の病でも、最大限の努力をしてくれるだろうと信じる気持ちになったものだ。最高の治療が受けられるという安心感があったからだろう。 ・へ2・・・福岡に帰り、国立病院で治療を受けることになったが、そして310年余になるが、どうもその信頼感が湧かない。医者が違うからだろうか。それでも、福岡県東部で専門医たちで、この地域でたった10人しかいないらしい。田舎に住むというのは、最高の医療が受けられないということでもある。それが現実だ。これからも、医者のことばを待っている。どんな医者がいるか楽しみだ。
2019.12.31
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内藤耀(あろう)が、熊本生まれなのは知っていたが、北原白秋と佐賀の伝習館で知り合いとは知らなかった。WEBで内藤耀を探したが詳しいのは出てこなかった。翻訳者としてあれだけ有名なのに何故だろうか。それにしても彼が70歳の時に ”Le Petit Prince”(内藤耀が「星の王子さま」に日本訳した) の翻訳をした。半年かけた。この翻訳はただの翻訳ではない。日本人の為の「星の王子さま」の誕生である。翻訳として名訳だ。戦争の悲惨を体験した内藤の戦争で傷ついた日本人への思いが込められている。これは、北原白秋・内藤耀という日本人のやさしい心であり、それとサン=テグジュペリの作品の奇跡のような出会いでもある。その後内藤耀は74歳で亡くなっている。その昔、フランス語の先生が、また少年のような人だったが、この「星の王子さま」は、多くの日本人をどれだけ癒してくれたのだろうか。私も熊本出身であり、数十年前にこの本に知ってから、長いおつきあいをしているが、何回か、不思議と忘れたころに「星の王子さま」の話題が出てきた。そして、改めてその素晴らしさを感じたものだ。 ・へ2・・・「こどもの心を忘れない」、ということは、自分が相手の気持ちになれるということだ。相手の痛みでさえ自分の痛みとして感じる柔らかな感受性をもっている。大人たちは、その感性を喪失している。それを「星の王子さま」は、「あなたたち大人も昔は子供だった」という。その心を思い出すために書いた、大人たちへのメッセージでもあるのだ。
2019.12.31
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リマメルズーガに取材に来たテレビ番組のクルーが、尋ねていたが、ここはツアーのコースにもなっている。日本人がたくさん来ている場所でもある。80歳過ぎの兄妹も、私たちの参加者にもいた。ここからさらに何10キロか離れた砂漠の中を、彼らは取材に行かなければならなかったようだ。日本人も、好奇心旺盛なのだろう。 ・日本ばかりが世界ではない。寧ろ75億人分の1.3億人でしかない。アメリカ人だって3億人だ。勿論人口だけで、優劣は決められないが、多数決となると、その数が問題である。質より量が、現代の価値観の基準になる。1,000,000長者よりも億万長者が上である。 ・へ2・・・「核の傘」も空論でしかない。」いざとなったら、どんな条約もあてにはならないのが世界の常識だ。強かな外交能力のない国家は一番に滅びる。平和は容易に得られるものではない。もっと世界を知ることである。多くの情報を得ることこそ生き残るために必要だろう。
2019.12.31
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ナスカ日本と欧米の差は、文化的質量の差でもある。まだ日本の文化の蓄積は薄いし少ないのではないか。ホテルで全国展開の店が条例違反して話題になったが、それは文化のレベルを示すものでもある。 ドイツは、国土約35.7万平方キロだから、日本より狭いし人口も少ないが、世界での存在感はどうだろうか。いうまでもあるまい。ドイツ人と日本人は、いくつかの共通点があると思う。そして矢張り決定的に違うのは、文化的質量だろう。 日本は、アメリカから学ぶものはないとはいわないが、もう充分ではないか。あとは、パートナーシップでも何でも言わせておけばいい。軍事同盟でなければいい。友好は悪いことではないが、共謀では駄目だろう。寧ろ古い友人を大切にすべきではないか。 たとえかってのスイスのように、国民皆兵制をとったところで、国を守れるはずはないのだ。よしんば最強最高の軍備をしたところで、それは、国民にとって不幸でしかない。文化を犠牲にして軍備を優先したところで、国土が要塞化するだけだろう。だれもそんなところで生き延びようとは思わない。 第二次世界大戦で共に敗戦したドイツに、現在なお、中世の史跡が多いに驚く。いくつも街道が残っている。日本にも街道があったが、どれだけ残っているだろうか。これは、文化の差でもあるだろう。 知的蓄積が、日常的に国民の中に根付いているだろうか。文化は高められているだろうか。戦争がひとのこころから始まるとすれば、確固とした国民主権や平和主義が教育されているだろうか。その気概があるだろか。ひとりになっても抵抗する決意があるだろうか。妻子や、国のために死ねるだろうか。 国を愛するとは、愛すべき国があるからできることだろう。愛せない国にだれがしているだろうか。 親子や、兄弟が反目してどうするだろうか。そうしているのは、個人であり、国家の体制ではないか。どこかが間違っているのだ。このままでは、日本は、自滅するだろう。自業自得と諦めるしかないだろうか。そうかも知れない。 個々人がプライドをもち、自分たちの文化の蓄積をすべきだろう。それしかないだろう。
2019.12.31
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アイト・ベン・ハッドウ 空威張りしていても仕方がない。化けの皮は剥がれることになっている。要領がいいか悪いかで、早いか遅いかの違いだ。狡猾な西欧は、宗教や姑息な手を使って、相手国の無知と貧困を利用して懐柔しようとしたのだろう。そして世界に「よじれ」ができた。それこそ、汚れた手で世界を支配しても来た。西欧の真似をしようとした明治政府は、西欧列国の植民地支配から逃れようとする面があったのは事実だし、国民も富国強兵に協力もした。しかし、それだけで済んだわけではない。それは一側面に過ぎない、というより一つのスローガンでしかない。 ・戦後における日本の内閣の目まぐるしいほどの政権交代は、それは政党の脆弱性が原因であるが、その他にも理由がないわけではない。それはこの世界が日本に安定内閣を現出させるだけの平和な時代でもないからでもある。戦後、世界史的には、すぐにアジアでは中国で内戦があり、朝鮮戦争があり、東南アジアでは各国の独立への戦いがあり、米ソの冷戦期にはベトナム戦争があったし、混乱した中で日本も翻弄され続けてもきたからだ。どんな事態になるかは自国の事情だけでもすまなかった。他国の介入があったからでもある。 ・へ2・・・政治学や、社会学や、経済学やその他、それぞれの学者はもっと正確に評論するに違いない。にも拘らず、日本はいまだに古臭い日本でしかないのは何故なのだろうか。戦後、学問の自由は確立されたのではなかったのか。メディアは何物にも支配されることなく社会正義にまい進するのではなかったか。その自由を得るために、どれだけの犠牲を払ってきただろうか。先の第二次世界大戦では、おそらく世界では数千万人のひとが犠牲になっている。その被害の総体はいまだに把握されてもいない程の痛手でもあったはずだ。しかし、広島や長崎で原爆投下された意味さえ、世界はアメリカに道義的責任さえうやむやにしている。それはたとえ戦勝国であろうと許されるべき行為ではない。社会的正義とはそれほど次元の低いものなのだろうか。その権威のなさが、今日もなお世界を混乱させている根本原因ではないだろうか。 ・私たちは、まだ模索続けてもいる。それは世界が各自がもつ政治的スケールが必ずしも同じではないからだろう。科学では、1mはどこも、同じ1mである。それによって、スケールが測られるが、政治はそうはいかないからだ。それはコンセプトでもある。科学的認識の精度を高めていかなければならない。
2019.12.31
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和白干潟に飛来したハクチョウここまで生きて来なければ見れなかったものがあるとしたら、それが何なの か理解できなければ何の意味もない。見逃すとすぐ消えてしまう空間もある だろう。余程豊かな水源をもっていないと枯らしてしまう。こどものころに 降り注ぐ愛情のシャワーを受けなければこころの水源はない。そして蒸発しない ための悦びと環境が必要だ。ほとんど無知の中で私たちは旅を続けてきたか も知れない。周囲ばかりに気を配り、自分が誰かを知らないで生きてきただ ろう。誰を責めることも出来はしない。みな同じ運命なのだ。それは無知 からだが、私たちの環境のすべてだ。就中、こころの水は、一日では蓄積など できはしない。 何をしても良いのではないだろう。しなければならないことばかりだが、余 りにも、私たちは小さな生き物に過ぎないだけだ。一人の命は、一滴の水で しかないだろう。 めでたさも中くらい哉、おらが春 一茶
2019.12.31
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いくつかの選択肢の中から選んでいる暮らしがある。その自覚があるかでもある。安易な生き方をすれば人間はどれだけでも堕落もする。贅沢な生活に慣れたものは、そこから容易に抜け出せない。口で言うほど人生は甘くはないというのは本当のことだろう。本音と建前が違う世界に生きている。どんな理由があるにしろ、何かを選択している。それが価値があるかどうかはある程度、認識できるだろう。何でも分からないままでもない。解るものもある。公開講座は、まだそれほど評価されないだろうが、市民が学ぶきっかけには充分なるに違いない。 ・このままでは日本の社会は衰退してしまう。それは文化だけではない。人間の品格もある。安易な経済優先主義が人間を貶めてもいる。何かを学ぼうとする態度があり、自分が何を選択するかで生活も変わる。自分が変わらなければ他人も変わらないし、社会も変わらない。結局誰と付き合うかでもある。そして何を相手にするかだろう。 ・へ2・・・自分の価値観を他人に押し付けることはできない。自分が善いと思うことをするだけだ。 国家から奪われている自由権が、内心の自由まで及ぶことはあり得ない。それがあるとすれば真の自由権ではない。公共の福祉の制限はあるとしても、個人の自由権は最大限に守られるべきでもある。普遍性のない論理が罷り通っていもいるのは人類の不幸でもある。それは、必ずしも想定外ではないが、狭心症のカテーテル・インターベンションをして、大晦日を迎えたわけだ。このままいけば、危なかったのかもしれない。これも通院していたお蔭だろう。眼科も5年前にあった。そろそろカードもなくなってくるに違いない。ブログの合間に、炊き込みご飯を作っていた。あと最近凝っているキンピラ牛蒡である。料理は暇つぶしになる。到頭年賀状を書いていない。知り合いたちから死んだと思われているかもしれないが、そろそろ人間関係もない。
2019.12.31
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カワセミ 家のすぐ近くの調整池に来ていたが、最近は見かけなくなっている。歴史的理性の覚醒は、神話を正面の相手とし、ロゴスとミュトスがある。統一的神話そのものが歴史的理性の所産である側面があることを忘れがちである。神話は、象徴的出来事を報告し、命名し、その起源を物語る。記述であり、確定であり、説明である。くりかえされ、暗誦され、編集され、神話となる。世界は、神話の中で、神の思召し、あるいは約束として、人間の支配にゆだねられる世界にかわる。これこそ、ミメシス的呪術からの大きなジャンプである。 ヨーロッパにおける市民的理性は、そもそも出現のときから、自然支配的性格の刻印を自分にきざんでいる。人間は、自然を支配する過程を通じて、自然の一環としての自己を、自己によって支配された自然から疎外させないわけには行かない。人間の自己疎外の原過程は、自然からの根源的自己疎外であり、自己確立と自己疎外の弁証法的過程である。 歴史的理性は、その発端において、進歩と疎外の弁証法的モイラ Moira を背負っている。 理性は、神話からすべての材料をうけとりながら、神話をやぶるために、この材料を逆用しようとし、逆に、神話の呪縛におちこむ危険をはらんでいることだ。つまりヨーロッパの形而上学が自然と人間の永遠的秩序を規定する為に使用した根本的カテゴリーの重要な部分が、統一的神話をルーツとしているという事実である。
2019.12.31
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NHKの番組で、72時間スポットを当てて、その場所に集う人たちを見つめるのが、人気トップが、草千里に10年に一度集合して撮影をするというのがあった。今年のお盆に、何十年か振りに、その場所に出かけたこともあり、興味深かかった。なにしろ阿蘇登山ドライブは、有料とばかり思っていたのに、フリーだったのに驚いていたくらいである。まだトウモロコシを焼いて売る店があったころしか知らない。 ・10年に一度、然もバイク野郎が、北海道から来ているという。一枚の写真を残すために来ているというのだ。登場人物は、まさしく庶民たちでもある。有名人たちの追憶の歴史が時々放映もされている。それで知る個人のプライベートな側面を見て、ほっこりもするが、庶民のそれは、生々しいものだ。そこにあるのは人生そのものでもあるのだ。成功者ばかりではない。殆どの人たちは、挫折し回り道をしているのだろう。10年間という時間の流れが、愛しくもなる。 ・へ2・・・日曜日にカメラのバッテリーをネットで注文したら、届くのが今日の大晦日だと思っていたら、昨日届いた。便利になったものである。今度のツアーで使うので、明けてからでもよかったが忘れそうなので頼んだ。流石に中央ヨーロッパは、1月だから寒そうである。どんなドナウ川クルーズになるのだろうか。今年の2月下旬のロンドンツアーは、暖冬で最高気温が14℃だった。
2019.12.31
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ユングフラウ「誰のために」、というなかれ、「時は来る」だろう。鍛えられると自分のチャンスがあるだろう。大騒ぎしたい空騒ぎもいつかは終わるのだ。フィードバックがある。「戦後レジューム」などという言葉を使った首相がいたが、自分も世襲を利用したではないか。曖昧な言葉を弄して姑息な手段で人の上に立つような奴は信用ができない。自分の利益だけを追いかけているような人間は軽蔑されるしかない。 ・妥協しないことだ。自立とは、自分の心を他人に任せないことだ。「個」として自分に責任を持たねばならない。感情に溺れないことだ。人間として弁解しないことだろう。自分が何ものになろうとはしないことだ。死ぬまで夢を諦めないことだろう。どうも取り巻きを作るような人間は信用できない。自分を鍛えない人間は壁を乗り越えることはできない。 ・へ2・・・これだけ大勢のタレントがいながらメジャーにならないのは、スケールの違いではないだろうか。そうさせているのは芸能界とファンたちなのだろう。ソウルのない人たちばかりではないだろうか。というか自己主張さえないひとをタレントいうのは変な話だろう。社会が歪になっているからだろうか。原石を磨きもしないで世に出しているからだろう。そして大量消費している。そんな「柳の下にドジョウ」がいるわけがない。一つの現象として、芸能界に同性愛や麻薬常用者が多いことだろう。これはこの時代が如何に混迷を深めつつあるかということでもあるだろう。
2019.12.31
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和白海域生命は鏡像非対称性をもつのだ。これは、単に左利きの人より右利きの人の ほうが多いとか、私たちの心臓と胃が普通左側にあるとかいった問題ではな い。ある形の生体アミノ酸と生体分子からできあがったものには、自らが存 在することを知り、宇宙を認識する能力がある。(フランク・クロース著 「自然界の非対象性」) 球形は宇宙にあふれているが、何故人間は球形ではないのだろうか。左右対称 だが、上下対称ではない。人体の構造は内部にある原子と分子の間に働く電 磁相互作用の結果である、という。 星は驚くほど単純な形で、その形は基本的に重力で決まるが、生物は構造 と力学が理解しにくいが、非対称性が重要なポイントである。 「美しさは目の中にある」ことを理解しているだろうか。対称性と非対称性 がこの世界を支配しており、物質と反物質がある。生命は非対称性が生み出 したのだ。畢竟、生命は宇宙に繋がっている。
2019.12.31
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どこまでの健康であるか、ベストではないが、ベターなのだろうが、それでも歩くのが楽しい のは何と幸福なのだろうか。最も安全でカネもかからないし、自分のスペースで人間的でもあ る。誰もそれができない筈はないのだろうが、中々だ。こう暑いと昼間歩くというわけにはい かない。未だ歩きたい場所があることは幸福なのだろう。私たちの環境は悪化しており、よく なるという保障はどこにもない。私個人としても、明日が、いまより良くなるとは思えない。 今という時間はかけがえのないステージなのではないだろうか?そう、思えてならない。 これでもまだ、少し長く歩いた方が、体調は良くなる気がしている。 日々を慎ましく生きているつもりでいる。運転したり、肥満にならない程度に食事をし、PC で自分の能力に応じた世界で、それらしく生きていたい。
2019.12.31
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貧乏性が抜けない生き方をした。それは餓鬼のようでもある。他人を出し抜こうと汲々と走り回っていた。周囲を確かめようともしなかったのだろう。そんな姿を心ある人たちも見ていたに違いない。欧米思想を過大評価していた。幻想を抱いていたに過ぎない。見せかけの論理を妄信しただけだ。 ・自分の心の所在がどこにあるのかを忘れていた。傷つき汚れてしまった心と体を横たえようとしているときに、そのことに気づいて遅いが、空を見上げている。既に負け犬の遠吠えでしかないが、泣く力くらいはあるのだろう。 ・へ2・・・朝が来て、今ある心と体がある。 馬にまたがり屁をこけば、おれはばかかと思わるる。
2019.12.30
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荘子「人間世篇」で、今は有用の用、つまり役に立つものはかえって自分の身を損なう世である。 肉桂の木は香りがいいので伐られるものだという。何の役にも立たないものだけが、無事に無傷に 生き延びるという。役に立たぬと思われてこそ生命の燃焼もあることを知るべきだという。ある 時、楚の威王が莫大な金品と大臣としてきて欲しいとの要請に、荘子は「私は汚れた溝の中で遊び戯れて いるほうが楽しいのだ」といって断ったという。繁栄を極めて得意の絶頂にある者も、今苦しんで いる自分も同じだと考える。世の中とは、ひとつの混沌とした塊のようなもので、その中にい るものは、実はみんなひとつのおなじものだという。なぜならば、あいつもわたしも同じひとつの もので、金があってうれしい、金がなくて悲しいといった感情は、どちらも同じまぼろしに過ぎない。 そして荘子は、胡蝶の寓話をする。「夢の中でみたのは、私が夢で胡蝶になったのか、胡蝶が私に なった夢をみたのだろうかと。」 人生は、まぼろしに過ぎないとは思わないが、世の中の役に立つということが、いわれるほどあて にならないことはいえるだろう。何がいいかも一概には言えない。
2019.12.30
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和白干潟 どうやら今年も人間関係よりもバードウオッチングのほうが多かった気がする。何もしようとしないだけでしかない。完璧な人間がいるはずがない。60兆の細胞を持つ多細胞には遣ることが無数にある。生きるだけが使命ではない。いつか終わるいのちを道連れにしているだけだ。宇宙も泡であり、地球も泡であり、私たちはその中の黴菌のようなものかもしれないが、自意識を以てものを考えている存在でもある。 ・別に威張ることもないが、祖先たちがしてきたことは価値がないとは言えない。進化の歴史がある。しっかりと子孫に遺伝子を残せるのだろうか。地球を住めなくしてしまっている。これ以上悪くしないことだろう。それしかできないに違いない。取り戻すことができるものを探さねばならない。それでも種としてヒトも、太陽系も崩壊していくのだろう。それを見極めることは使命でもある。 ・へ2・・・笑って消えていこうではないか。生命の尊厳はないのかもしれないが、誇りは必要だ。成し遂げてきたことを過大評価すべきではないが、過小評価することもない。残すものはないかも知れないが、絶対零度まで付き合うことはできるだろう。
2019.12.30
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それは、ひとのこころやからだは、一瞬も油断がならないということだ。歯が抜けるくら い何でもないと多寡を括っていたら、歯が欠けると顎の中心が狂い、噛む位置がズレ てくるらしい。ダメージは脳にも影響があるかも知れない。食物を噛む力が 弱くなると、いずれ胃にも負担をかけるようになり、消化にも影響して 来るだろう。脳ホルモンのバランスを壊すかも知れない。歯が弱くなること は、ヒトの脳やからだにもさまざまに波及をして良いはずは無い。もともと 現代は便利さの追求に走り、五感を減退させてもいる。このままだとヒトの 種としての生命力にも係わるのではないないだろうか。 人間にとって、五感を豊かに保つことは、大いにその人の人生にも係わるこ とでもある。多くの病気は、五感に係わることだからだ。 それは、歯が白いことだけが、「歯が生命」のタレントではいられないが、歯は、 生命にとって侮れない存在だ。そして何を学ぶかだろう。いくつかの人生に 必要なハードルをクリアーできずに、自己撞着していては、 五感を磨くことはできない。自分の謂わば「心の歯」を磨かないと、何れ現 実と言う手強い相手に対して、舐める味も噛みしめる力もなくしてしまい、 理解力も失せることになるだろう。 就中、自分の周囲を見回してみることだろう。どこから創めるかだ。
2019.12.30
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ジョウビタキホルモンの複雑さがある。色んなことが世の中で起こるのも当然だろう。性 行動も脳のオス化、メス化が必要とされる。案外オス化には、オスになるた めのハードルがあり、脳のオス化へのノーマルなプロセスが形成されないと 暴走することになるかも知れない。最近の犯罪に見られる傾向は、オス化に 失敗しているケースが多いようだ。 ところで、戦争は何時の時代にも起こり人々を苦しめたが、この自堕落な人 間の社会を大きく変貌したことも事実であろう。その影響は、広範な社会変 数を規定し、時代によりその差はあるとはいえ、不可避的に現代を規定している。 そして、これまでにない60年間余の平和を日本は維持しているが、また 澱み始めた状況を戦争ではなく、それに換わる社会変数を創り出せるだろう か。危険な省略化が、全てを解決できることはないだろう。 童謡のCD 100曲を聴いていた。その中で下の童謡のフレーズが気に入っ たので紹介したい。 「グッドバイ・グッドバイ・グッドバイバイ 赤い夕日のお日さまも沈んで しまえば、グッドバイ・グッドバイ・グッドバイバイ」
2019.12.30
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歴史上で言われる、ひとの「心身両面の弱さ」というフレーズが出てくるが それはどういうコンセプトなのだろうか。勿論成功事例ではなく、政治家や 権力者が苦境に立たされ、それを打開できなかった結果に対する理由付けの ひとつかも知れない。殊に傀儡政権の場合に於いて、彼の評価は多くは「心 身両面の弱さ」よって崩壊する運命だ。例えば、かっての南ベトナム政権の ゴ・ディン・ジェム、グエン・ヴァン・チュー、或いはグエン・カオ・キ たちのように。果たして、彼らは自らの「心身両面の弱さ」で追われただろ うか。それは誰であっても同じだろうか。凡人が英雄になるかどうかは、そ のチャンスがあるかどうかでもあるだろう。彼ら自身の不幸はまた、それゆ えに、多くの人民に多大の犠牲を強いることになる。権力の私物化となり、 彼らのイデオロギーは、急速に変貌してしまうのだ。 敗北者に対する評価は厳しいものになりやすい。それを個人の心身の弱さに 起因させるのは、良くある手法でしかない。人間が強いとか弱いとかという 表現は意味があるのだろうか。ことばにすることは本質を表現もするがそう ではないことが多いのではないだろうか。
2019.12.30
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和白干潟のクロツラヘラサギ8羽。2019.12.30.歴史を学ぼうとする者にとって、「無知」は確実に弱味になる。然しこの社 会で歴史に弱味をもたないひとはいないであろう。私たちは21世紀初頭に 生きているが、どうして自分が此処でなければならないかを本当は知ってはいない だろう。「われ在りゆえに、われ思う」のであろう。人間は、すべてを知っ て生まれて来るのではなく、完全にリセットされた姿で生まれる。生命誕生 から40億年もの歳月を経て、ヒトという種が存在している。ヒトが数十万年か けて成し遂げた形質を胎内で経由しなければ、人間として誕生できない。少 なくとも現代はそうである。ガプリエル・コルコ「ベトナム戦争全史ー歴史 的戦争の解剖」を読み始めたが、この戦争を学生時代に体験した者として、 冷静に読みたいという思いが永年あったし、ベトナム旅行もその延長 にあっただろう。「統一会堂」に行った時、アメリカ人の観光客を見かけた が、まるで工場見学のようであった。歴史は風化もするのであろうか。然し アメリカは「戦争屋」のように自分たちの戦争を止めようとはしない。 1949年以降のアメリカのジレンマは、みずからの巨大な軍事力をいかに 局地戦争に振り向けるかを求めていたのだ。歴史を読むのにも、識見が要る のかも知れない。否、識見なしに読むべきではない。更に問題の所在であろ う。私には、幸いにして自習時間の延長がありそうである。暫く、自由な空 気が吸えそうだが、永くはないだろう。
2019.12.30
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命名したのは、ウォルター・キャノンで「恒常性」と訳されている。 アントニオ・ダマシオは、その著「生存する脳・・・心と脳と身体の神秘」 の中で「進化の過程では、脳のない生物は存在したが、脳や心があって身体 のない生物は存在しなかった」と述べている。人間の感情も合理的な思考も W.E.も「生存」があって創めて可能なのだ。生物の体内にある器官が、外部 環境の変化に応じて、内部環境を一定の範囲に保っていることを「ホメオス タシス」といい、その維持には「情動」が重要な役割を担っている。 ダマシオは、脳内には、内部環境を評定するシステムを持ち、評定が悪いと きは、ネガティブな感情が起きるという。そして行動や理性という高次脳機 能もその評価に対して改善を誘導するのだ。それは、そうすることが生存す る確率が高まることを意味している。「情動」は、人間にとって未来予測や W.E.をする上でも重要なポイントになるものだ。脳科学の研究の成果は、殺 人や社会問題に対する解明に役立つはずだ。 はやく、自分なりの脳機能のフロチャートを作りたい。
2019.12.30
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アイト・ベン・ハッドウ「貧乏」であることが今恥辱であるだろうかと思う時がある。「飽食」故に 多くの人たちが生命と健康を失っている。身体の健康ばかりでなく、こころも壊れ始 めてはいないか。叫ばれる個人主義の弊害もあるだろう。切望してきた贅沢 な生活だけが人間を豊かにはしないだろう、全て虚構が優先した現状がある。 真面目な人間が、莫迦にされる社会であってはならない。余りにも、頑迷と 偏頗な世界が、人間を苦しめ続けている現実をどうすべきだろうか。 私も、なかなか過食が止められない。如何に「空腹」を取り込むかでこれまでと 違うステージにもなるだろう。「断食療法」は、生体の反発力を引き出す といわれる。所謂「病は口から入る」のだ。 贅沢に慣れた生活を、清貧に戻すことは難しいだろうが、不可能ではない。 甘えをなくすだけだろう。 生き残るためのテストにトライする勇気と決意の問題だ。
2019.12.30
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コウノトリ「占有トハ自己ノ為ニスル意思ヲ以テ一定ノ物ニ付事実上ノ支配ヲ為スコトヲ謂フ。而シテ其ノ支配ハ必ズシモ物ノ全部ニ及ブコトヲ要セズ、物ノ 一部ト雖之ヲ事実上支配シ得ベキ限リ亦之ヲ以テ占有ノ目的ト為スコトヲ得 ベキモノニシテ、如何ナル部分ニ対シ事実上ノ支配ヲ為スコトヲ得ベキヤハ 取引ノ通念ニ照ラシテ之ヲ判断スルノ外ナキモノトス。土地ハ自然ノ状態ニ 於テハ一体ヲ為セルモノナレドモ之ヲ区分シテ数箇ノ土地ト為スコトヲ得べク、一旦区分セラレタ各個ノ土地モ更ニ之ヲ細分スルコトヲ得ベキモノニシテ其ノ区分若ハ細分ニ依りテ土地ノ性質作用ヲ失フニコトナキモノナルヲ以テ、土地ハ其ノ一部ト雖之ヲ占有スルコトヲ得ルモノト解スルヲ相当トス。・・・」 とある。これを現代文に置き換える作業は、何処まで進行しているか調べて いないが、恐らく語彙を再現すれば大変な作業になるし余り意味もないだろ う。判決理由が安易に構成されては困るが、無駄なことば遊びで長引いた裁 判も迷惑な話だ。勿論判例も必要だが、何時までも引用ばかりではあるま い。温故知新も限度があるだろうし何時までも大審院判例でもないだろう。 新しいチャレンジが、判決にも為さるべきではないだろうか。 形式を踏まなければならないことが多過ぎて潰れる若者が多いのではないだ ろうか。判決文に苦しめられている学生もまだまだ多いことだろう。 寧ろ難しくしている社会を、判り易くするにはまだ多くの努力と決意が必要 かも知れないと思う。ここでも現代に「置き換え」の必要がありそうだ。
2019.12.30
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私は私なりの伝統を学んでいるつもりでいる。どこを掘ってもこんこんと出てくる冷たい泉があるような気がする。それを誇らしく思う気持ちがあるが、それが不生不滅、不垢不浄、不増不減の教えもある。これまで繰り返されてきた伝統とは、封建社会や身分社会を背負ってきたものでもある。それこそ脳外科のメスのような繊細な眼を以っていなければならないのだろう。 ・一つ切り損なったらアウトになる。名を残したいという野心はないから、衆生ともに死ぬ覚悟さえあればいい。極楽浄土も要らない。悟りが無くてもいい。生臭坊主にならなくとも、己を知ることはできるだろう。音楽を聴き、テレビを視て、できる範囲の事をして生活を楽しめば好いと思う。 ・へ2・・・どうも家族と一緒だと、自分の時間が減ってしまうが、これもまあ楽しくない訳ではない。愚かに過ごしていくのも人の世の常なのだろう。ブログもPCも講座もいつまで続けられるか解らない。できることをして、自分なりに活きて行くしかない。いつかどこかの海に辿りついて水面の上から何が視えるのだろうか。 いつの間にかネコたちはいなくなったが家の中のどこかにいる。こちらから見えないだけだ。よくもこんな狭い家の中に5匹も生きていけるものだと思うが、賢く共存しているのだろう。人間も自己主張はかりではやっていけない。おそらく日本のような島国では、トランプ大統領のような人間は生まれない。世界が統一されるためには、共存共栄のできる形質を持った人がリーダーになるに違いない。 贅沢をしようとは思わないが、したい人もいるのだろう。この社会の現実は、差別社会である。ツアーをしているとよく理解できる。それでも誰が次代を担うのだろうか知らないが、他人に手を差し伸べる人であってほしい。弱い人への同情のない人ではない。猫を飼うようになってから、知ったことは多い気がする。毎日猫の糞の処理が大変だが、それをしなければ大変なことになる。何時か体中ネコ臭くなっているのだろう。片目の見えない子猫ちゃんも、あちこち小便をして回るので困りものだが、という私も同じような存在でもある。
2019.12.30
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何度も書いているが、2月に念願のロンドンツアーをした。出雲大社やお伊勢参りもしたし、正月には、家族で宇佐神社詣でもした。7月にミャンマーは、僧院学校の寄宿生たちのこどもたちに心を打たれた。措かれた環境次第で、どんな苦労もあるだろうし、人生も変わるだろう。自分の少年時代も、敗戦後で惨めな思いをしたものだ。然しそれを、どのように感じていたのだろうか。今ではほとんど忘れている。 ・猫の気持ちなど分かりはしない。猫にはなれないからである。彼は家に来てすぐ去勢されている。家にはほかに3匹のメスがいるが、発情しても目的を果たせないでいる。残酷なことを人間社会はしているのだろう。外には野良猫が来て、時々家の中を覗きに来るのだ。彼は外に出たくなって出て行ったのだろう。寒くなり、餌もないのではないかと妻子は心配しているが、ブタのように食べていた猫が、今どんな暮らしをしているのだろうか。 ・へ2・・・いつもいたところにその猫がいないのは、寂しいものだ。絶対服従の姿勢で、おそらく殺されても反抗しないかもしれないと思われた。手くらい噛むかもしれないが。その猫が逃げた。本能だろうか。理屈ではわからないこともある。所詮人間と猫は違う次元で生きてもいる。理解などできる筈があるまい。となると北朝鮮のミサイルも九州の都市に飛んでこない保証はあるまい。
2019.12.30
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ジョウビタキのオス毎日体験しているこの日常が自分の人生のすべてであって、それ以上でもそれ以下でも、以外でもない。自分の言葉を吐きだす事は自分の私見の範囲でしかない。若さが美であり正義であることが、いつか行き詰ってくる。それが解かっていながら、若さが主張されるのを止めることができないで、やがて自分自身さえ否定されるようになるのだろう。50歳くらいしか平均寿命が無かった時代が、あ或いは肯定される時代が訪れるのではないだろうか。 ・今の常識は、否定される時が来るかもしれない。自然を愛する人間がいなくなれば、この世から自然は消えて行くだろう。それが淘汰のルールでもある。価値を見出す事が出来なくなれば、そこに愛が無くなるのだ。人間はどこへ向かって駈けているのだろうか。そして私も。 ・へ2・・・「無智亦無得 以無所得故」でしかないという。人間はどこまでも「菩提薩?」にはなれない。なぜそのことを般若心経を書いた人は知っていたのだろうか。「般若波羅蜜多」その何なのか。神とは何か?その神はいくつもあるのだろうか?始まらなければ終わりもないという、疑問に答えられない。私という存在も始まってしまっているのであり、それは終わらなければならないのだ。 18日に家出したネコがまだ帰りません。8年余り家の中にいたのに、なぜ家出したのだろうか、誰にも心当たりがないらしい。妻子は愛猫家でもあり落胆している。私は、愛猫家ではないが、毎日のように枕もとに来てねていた猫でもある。これも青天の霹靂かもしれない。猫の世界を知っているつもりでいたが、これはショックでもある。彼が、家族のみんなから愛されていたのに、それに満足していなかったのだろう。私の手術よりも妻子は、その方がショックのようである。
2019.12.30
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モロッコでみた月秘密を知ろうとする。「どんな神にも、人間にも、知らせない一つの秘密の名があった。」 それが「ラーの秘密」だ。中島敦の「セトナ皇子」の講座。 「セトナ皇子」 ・大きな疑いを抱く。 ・この世の初め。ラーはどこから生まれたか。「ラーの神話」。 ・みんなが信じて疑わないものを疑う。そのことに不安を感じて行く。「文字禍」も同じ。 ・疑い始めて、「木偶」のようになる。「名人伝」。結末に似ている。中島の木偶がキーワードである。 ・にやりとわらった。自分を見て、何故お前は笑うのか。 ・参考にした本。原典を突きとめた人はいない。つづきがある。 ・ラーの前。そこからの不安が起きる。見過ごしていたものに気付くと不安になる。同じテーマ。 ・疑う。知恵が動き始める。疑いから始まる。 ・聖書で言うなら、知恵のリンゴを食べること。 ・セトナ皇子・・・英文の文献。かなり前の作品。ミイラ。「セトナ王子物語」。先行論文はない。 ・ミイラとの対話。 ・余り調べられてはいない。 ・ショーペンハウエル ・作家がどの本を読んで書いたか? ・怠けものにはできない。 ・段々勉強しなくなっている。 殆ど手を付けていないので、ラーの秘密の解明は・・・?それは、疑問に立ち向かおうとする人のテーマでもある。 何も考えていない時間が増えている。其のまま時間ばかり過ぎるのだろう。気付いたら100年も過ぎているとか、そして1000年にもなる。からだはどこかへ消えている。幻想は子供のころから付いてくるものらしい。 こうしていると実は何も考えてはいないのだろう。
2019.12.30
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ブルーモスク人間はつねに進化している。生物学では退化も進化である。或いは反動も前進である。負けることも、勝ちに繋がる。人民は、負け続けているが、懼れることはない。人類は何れ、本当の意味で合理性を獲得するだろう。どうするかを悩む必要はない。その時は、人類には未来が消えている。 私たち人民は、何ものかに従属しているだろうか。追われし者たちだろうか。そうあらねばならないために何を為すべきなのだろうか。 苦悩することには慣れている。これまでもそうして来たし、これからもつづく。それは、常に人民のサイドにいることだ。自分の信じる正しいものが何かを考え続けること。 敢て、他人を傷つけたいとは思わないが、そうなるかも知れない。相手は、所謂「敵」でも「味方」でもない。 季節は巡ってくるだろう。繰り返されるシーズンは、ヘイフリックの限界のように、やがて細胞分裂を終わりにするように、めぐり来る季節の中で人生を終わりに導くだろう。 真冬の寒さは、そのことを知らせてくれるのかも知れない。今朝の寒さは、凛としている。 段々と重くなる身体と、萎縮していく脳があるとしても、まだ噛み砕くだけのエネルギーがあることはうれしいことではあるだろう。何を食べても旨いだろう。 親しくした多くの知人たちと、このまま逢えないままかも知れないが、悲しむことはない。人として、繋がっているだろう。多様な人生があり、人民のサイドに立てばいい。 どうも昼夜が反対の生活になっている。昨日は二度干潟を見に行き、それから買い物をしたりしたので、夕食に缶ビールを飲んだので、食後そのまま寝てしまったので、23時過ぎに目が覚めて起きてきた。3時間くらい眠ったのだろうか。これでまた朝まで起きているかもしれない。眠くなればまた短い睡眠になるのだろう。BSで長友のインテルが出ているので中継を見ながらである。
2019.12.30
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カワセミどこにいようと、私は私であり、それ以下でも以上でもなく、この二つの目の奥の歪な形の脳の中で描いているイメージこそ自分の本体でもある。数百万の昔から種としてのヒトが誕生して、累々と続く遺伝子が、設計した通りに生きているが、自我に目覚めたときから、へばり付いている喜怒哀楽とともにある。神さえ創り出した。21世紀は、人間の怨念の炎の中で揺らいでいる。 ・いくつかの都市を観たが、そこにみたものは容の変わった相に過ぎない。みな呪わしく生きているだろう。人類が汚した異物で満ちている。過去の残影を視ているだけではないだろうか。「おまえ、既に死んでいる」と告げられるまで、分からないような、そんな人間ばかり増えている。動いているのは自働人間でしかない。本当の自分を利益社会に売り渡した吸い取られた人間どもだ。 ・へ2・・・貪り食べた物を排泄して、悦んでいるだけの醜いものたちよ。お前の視ているものは幻影でしかない。その造形の美は、美でない。化粧した仮面の下で腐っていく臭いさえ気付かないでいる。何のために生きているかさえ知らない。踵の高い靴は直ぐに崩れてしまうだろう。それがお前の人生だ。
2019.12.29
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タージマハール少々細かい気分の問題ばかりになってしまったが、社会や、これからのことも考えたい。生活の糧を得ること。自己実現を図ること。社会的な連帯を実現すること。ひとの仕事はある。食べていかなければならないが、それがどんなライフスタイルをもつかでもある。憲法の27条の勤労の権利と義務は必ずしも「すべての国民に実現されている」わけではない。生き甲斐を失くした国民も多いのだ。まだ国会では、レベルの低い議論がされている。 ・へ2・・・やる気のない政治家に任せていられない。国家権力が怠惰の夢に浸っている。国際社会は、日本を見棄てるだろう。自然淘汰される国家を救いはしない。既に日本は、破綻するだろうと言われている。それに対する何のビジョンもない政府だ。そうしたのは国民の責任であり、そのためのどんな報復も甘受しなければならなくなる。「ポイント・オブ・ノーリターン」 は近い。私たちは、崖っぷちだ。 宗教を信じない私たちの心の支えは日本国憲法の精神であった。それが押し付けだとか様々なことが言われて否定されようとしている。これまで法の法として根幹にあると信じていた。すべてが幻想でしかなかったのか。平和も夢でしかないのだろうか。
2019.12.29
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アイト・ベン・ハッドウ人間の遣って来たことは、個人的には小さなドットに過ぎないが、全体から視えれば陳腐な相になっていたりする。文字を知らなければ、絵でしか伝えられなかった時代もあるし、今も他人の意見に従うしか知らない人さえいる。「帝国」も、色んな国家の政治形態があり、古代、中世、近代と時代の推移がある。広い意味で、中国も日本もかってはそのカテゴリーに入るだろう。 ・へ2・・・西欧中世史も中々思うように読み進めないが、ルーツを探れば、人間の考えることと言えば大した違いはないのだろう。目の前の日常に追われて、全体である森を見ようとしないで活きてもいる。何でもない日常にこそ、真実がある。それを認識できないでいる。ハリー・ポッターも外国人女性を殺した男も愛読していたらしい。何を考えていたのか解らないが、ぞっとする。人は、悍ましい存在でもある。
2019.12.29
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アイト・ベン・ハッドウ 赤褐色の美しい村として有名である。要領のいい人はいる。いつも勝つ方に付き権力者のサイドにいようとする。昨日までは与党で、負けたら非難を始める。自民党に戻った支持者も増えるのだろうか。日和見主義というが、これはそうしなければ遣れない人たちは確かにいる。公務員は、勝った方の味方でもある。政権も交代すると官僚たちの頭の切換えも出来る人もできない人もいるだろう。 ・適応するというのは、やはり日和見主義だろうか。マスメディアが、手のひらを返したような報道を始めたが、これは些か気持ちが悪い。何だそうか、今更だが、民主党が哀れに見えてくる。たった3年3カ月。これも三日天下よりましかもしれないが、首相も鳩山、菅、野田佳彦の3人も交代した。閣僚も大量生産されたが、選挙ではその価値なく落選した人も多い。 ・へ2・・・なるようになれと投げたしたくなる政治だが、それではすまない。主体性のないことでも行くまい。何が起きたのか、理解できないでは困る。どこが可笑しいのか。軍国主義も、支配者の言うままになって、悲惨な目に遭ったのは国民大衆だ。自民党は、過去何をしただろうか、虎の威を借るような人間にだけはなりたくない。
2019.12.29
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和白干潟現代人は、1日1人当り、原油4リットル分、約4万キロカロリーのエネル ギーを消費する。人間にとって、地上で生きるためには、水と大気と適度の 温度が最低条件である。 ・ひとの体は60%が水である。 即ち、新生児は80%、骨の50%、筋肉の75%が水である。 ひとには、1日2.5リットルの水が必要だ。 ・大気中に、 酸素・・・21. 00% 二酸化炭素・・・ 0.03% ・ひとの体温は、1℃~2℃上昇するだけで正常な活動ができなくなる。 体温45℃で致死温度となり、30℃で無感覚となり、27℃で凍死する。 ・二酸化炭素は、地球温暖化の原因となるが、私たちのエネルギーと 呼吸のためにはなくてはならないものである。相互作用による物質の存在は 微妙な地球環境のバランスを保っている。 宇宙と生物学の正しい知識が必要だ。 ひとはすでに71億人近い人口になっている。地球への負荷は高まっている。地球の存在に学ばねばならない。人間たちだ。
2019.12.29
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アイト・ベン・ハッドウ朝一番で血糖を測っているが、人間の免疫系の複雑には驚く。毎日違う数値が出る。もう10年以上続けているが、それでも思うようにはならないからだ。何故そうなるのだろうかとその積み重ねだ。そして必ず原因があり、結果があるということが解かってきた。どうしてその数値になるか、ヒトのからだは化学反応だということ。 ・メンタル面もある。ストレスを相手にしなければ早死にする。何故食事を摂食し定時にしなければならないのか、そのあとのウオーキングがどれくらい必要か。理屈に合わない話はない。甘えているのは自分であり、社会ではない。社会はあるべくしてあるだろう。ただ公平ではない社会だ。適応できなければ弾き出される。 ・へ2・・・猫たちでさえ、自分が生き残るために何をしなければならないか考えている。そうして生き残ろうとする。健気に生き残ろうとするものが生き残るだろう。それが生きているものの宿命でもある。真面目に遣ろう。 何時も諦めないでいることではないだろうか。次に何をするか。そのことがなくなれば終わる。だからこれから、そしていつも明日のことを考える。それでいいのではないかと思う。 晴れてきたので、これから散歩でもして来ます。
2019.12.29
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和白干潟片面的な視点は正常な発展に至らないことが多い。自己満足ばかりでは成長もない。鎖国が三百年も続いて、日本は世界から取り残された。自虐的でも進歩はないが、お山の大将でも困る。相手が弱すぎる敵と戦って勝っても、相手が強敵では負けるかも知れない。元寇も台風があって征服されなかったまでで、相手が自滅したに過ぎない。日清戦争や日露戦争で勝利したと言っても中身はどうだろうか。ロシアと全面戦争だった訳でもない。一部の歴史家がいうから客観的な歴史でもない。 ・一部の意見を聴いただけでは、それが歴史ではない。少なくとも文化の質量が少ないのが日本の本源的蓄積のない所以であって、もっと多くのサイトからの歴史観が示されねばならないのだろう。300年の眠りと、その後の明治以来の蓄積は軍国主義によって脆弱な文化の継続でしかない。まだ、戦後からの64年の自由の文化も開拓された文化的土壌ともいえないのではないだろうか。そういう意味では、このままでは無為に終わるのではないだろうか。 ・へ2・・・与えられたチャンスを活かし切れないのではないか。自滅するだけの、民族的な形質でしかないのだろうか。御用学者でしかない無批判な歴史観が未だに通用している。毎年同じようなドラマを見て何とも思わないのだろうか。水戸黄門や、司馬史観がまだ続いているではないか。現実社会というフィールドのない研究で満足している学者たちがいる。何かできるだろうか。できないかも知れない。
2019.12.29
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葛藤の中で 作用と反作用と、原因と結果と、動くから何かを破壊し、そこからまた波及して行く。三角関係が、小説の永遠のテーマであるが、聖書の中にもあるというから、その問題は底が深い。男女がシンメトリーを選ぶのは、本性でもあるらしい。それは健康な姿を象徴し、美しいからでもある。というよりそうした遺伝子を受け継いでも要るのだろう。丸顔で表情豊かな赤ん坊は無敵でもある。猫の眼の大きな瞳は魅力的だ。眼は口ほどに物を云う。 ・競合することは、進化のベースにある。より強く、大きな力があるものが勝利する。腕力ばかりではない。自然の淘汰は、必ずしも優秀なものを残してきたのではない。狡くて卑しいものが勝つことさえある。勝ったものが生き残った。この世にあるものは葛藤の結果でしかない。人は眠らなくなってきた。然し眠らなければ健康ではいられない脳と体を抱えている。然し、次代は、どんな人間が残るのだろうか、誰にもわからない。 ・生き馬の目を抜くと言われる時代だ。その成功ゆえに没落もする。三角関係で、勝利した二人がそのために幸福になるとは限らないし、敗けた人が必ずしも人生の敗者に為るとはいえない。男女の愛は幻想でしかない。コーランを読んでいると、そのことがよく出てきた興味深い。欲望とは、ややもすれば遣り過ぎてしまうからだろうか。長生きし過ぎるのも、傍迷惑といわれるだろう。
2019.12.29
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ツクシガモ朝鮮半島から渡ってくる野鳥、そして日本列島を縦断してくる鳥もいる。その要衝に福岡が入っているようだ。全国で沿岸開発が行われ自然海岸は次々とすがたを消している。大部分がコンクリートの固められた。全国で埋立てられ干潟は絶滅寸前だ。まるで日本列島は自然海岸がなくなり、コンクリートの島である。繁殖地と越冬地の間を地球規模で移動する渡鳥は、渡り続けて一生を終わるエネルギッシュな生物である。 ・ひとも一生の間に、多くの人が移動する。「生まれ、成長し、生殖し、移動して死ぬ」。余計なものを捨てて、遠くへ移動するという能力は生き残りのための手段だろう。飛ぶということにすべてをかけているに違いない。健気に見えてならない。ひとつの集中力ではないだろうか。一直線に飛んで行く姿は見事いうほかはない。それこそ、高い空を渡っていくのを何度も見たが、いつも感動する。 ・へ2・・・生物はただ生きるということに一生懸命である。余計な事をする余裕はないのだろう。寒いが歩いていると足から温まってくる。寒さが遠のいて行くのがわかる。目的をもっていることは生きる勇気を与えるだろう。一直線に歩くことはできないが、前に進むことはできるだろう。
2019.12.29
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