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経済学では、人は合理的意思決定者であり、損失・利益のバランスによって、最大の利益を追 求するはずである。では、人は実際そのように行動しているだろうか? 何らかのコストを負いながらもある事柄、個人に固執しつづけることであり、人はコミット メント感情が非常に強い。コミットメント感情は適応的である?友人が文無しになったら捨て られるか。コミットメント感情を見せる人は信頼できるし、信用される。故に、パラドキシカ ルにコミットメント感情をもつことは適応的だ。 人には利他的行動の進化があり、血縁淘汰を通じた互恵的利他的行動がある。コミットメン ト感情の適応性は人に固有のものであると考えられる。 松林が朝の雨と爽やかな微風に揺れている。耳を澄ましてみると小鳥の囀りが聴こえる。ゴ ルフ場の緑が鮮やかだ。 宗教、イデオロギー、探求、特定の個人に対するコミットメントについての旅がつづくだろう。
2019.06.30
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カワセミ何故これまでの優れた智慧が使えないのだろうか。「人と人とのつながり」というのが女子大の公開講座のテーマだった。「絆」が言われたりした。これは、2011。3.11 でのことがあった。利益社会だけでは生きていけない。共同社会だけでも暮らしてはいけないだろうが、過去に還ることはできなくても、何か新しいものを作ることはできる。行き詰まりを感じ始めた社会では、新しい社会システムが必要なのだろう。 ・難しいことと不可能なことは違う。可能なことをすべきであり、プロセスが重要でもある。人生は、完成するのではなく、如何に努力して生きるかだろう。人は死ぬが、死が目的ではない。良い社会を造ろうと考えても何をすべきかが解からないでは、人と人との繋がりもいつも好いばかりとは行かない。他人は泥棒と思え、他人は悪人だと思えとこの社会は教えている。それでは人と人とのつながりができる筈はない。理論と実践が一致しない矛盾を抱えている。 ・へ2・・・理想社会も遣い方次第で、善にも悪にもなる。北朝鮮も社会主義だろうか。理論はあっても、現実は違うことがある。人は神ではないから誤りを冒す。権力は腐敗もする。軍隊は戦争するためにあるのであり、平和のためではない。然しその装置が必要だという。それが正しいと信じろという。それは果たしてそうだろうか。人が未だ人に対して狼でしかない。
2019.06.30
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パリ ノートルダム寺院僅かな知識でこの社会を理解することなどできはしない。毎日でも弛まず努力して、新しい知的シャワーを浴びてこそ得られるものもある。育てる知識の薔薇には新鮮な水を与えてこそ。何が自分に足りないのか、それが解かるまでやるしかない。それでは終わらない。そこから新しいステージが始まるからだ。生き死にばかり考えていてもそれは、門の入り口でしかない。 ・同じ本を何度でも読むこと。「古事記」の文庫本を毎年買って読むという研究者がおられた。そんな努力をしているのが本物の研究者なのだろう。いつも智識に謙虚であるからだろう。自分を甘やかせる人は人生にも甘える。甘えた人の話は聴くに堪えない。どこの世界でも甘えた人は多いだろう。それが社会のガンにもなる。日本は潰れるだろう。それは厳しさが足りないからだ。 ・へ2・・・真剣に生きているものだけが知る社会がある。真剣でなければ視えないOUV がある。自分にとってのOUVを、探して行かなければならない。時間は無いが、時間は作らねばならない。自分の生きている間が、そのわずかな光の輝く時間でもある。智的シャワーを毎日浴びねばならない。
2019.06.30
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無為に過ごしてしまいそうになる日々を生甲斐のあるものにするための努力は、誰でもしているだろうが、それがすべて上手く行くわけではない。それは自分でも日頃感じている。然し、努力は報われるものだと思うようになってはいる。しないからできない。しようと思えば大抵のことはできるだろう。できないと思うからできない。そして不可能と困難は違う。 ・大学では、広い見識と深い洞察力だといわれる。その双方が足りないのは事実だろう。だから委縮し始めた脳を大事に遣っていかなければならない。誰のためでもない自分のことだ。独りで活きているのではないから、我儘もそうできるわけではないが、まだ暮らしていけるだけの社会がある。何時までも寿命があるわけではない。欲張らないで、自分を見詰め直す事だろう。 ・へ2・・・犀の角のように独り生きよとある。宗教に救いを求めるつもりはないが、真理はある。人に優しい教えはある。自分の解るものは、自分の役にも立つ。挫けそうになる心を励ましながら、活きていくのは苦ではない。この社会の中で、自分を見出しながら、自然とともに生きることが、自分に相応しい活き方だ。 生きるための工夫が無くなれば人生が終わっても仕方がない。それほどヒューマンスケールには、空地はないのであり、真面目に生きようとしなければ終わりだ。
2019.06.30
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百舌鳥略1億8千万年前 、「卵生」から「胎生」への進化があったという。ヴィンセント・リンチ「おそらくは、卵が生殖管のなかにとどまった期間がどんどん長くなっていった。ある時点で殻が失われ、卵黄にすべての栄養を頼る必要がなくなり、かわりに母親の子宮から栄養が得られるようになった」からだという。 ・この変化とともに、進化の大洪水が水門が開かれたのだ。子宮の誕生が脊椎動物に劇的な進化をもたらした。種としてのヒトにも進化のルーツがある。そして人間の脳の巨大化がある。第二の進化は、有体胎盤類が有袋類からわかれた際に起きた。然も植物と動物の分化も16億年前に起きているのだ。 ・へ2・・・進化の科学を正しく認識していない人たちが、この社会を混乱させていないだろうか。明白な自然選択の証拠があるにも拘わらず、進化の爆発を理解していないのだ。「胎生」のコストは高くつくのではないだろうか。男は消滅する運命を抱えている。
2019.06.30
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ホーリー・トリニティ教会 シェークスピアの墓が教会内にある。自然淘汰には、目的がなく、ランダムに起きる。たまたまその時の状況や環境で有利な因子があり、 「変異」は想像を超えてモンスターになる。進化時間は長い。生存ではなく繁殖することで遺伝子は は次世代に承継される。 natural selection は、変異のある遺伝子形質に淘汰がある。 すべて社会は、その時代のルールで形成されるが、実はランダムが支配している。ヒトは、そうして進化し た特質を持つからであろう。はじめから目的などないのだ。ヒトは、GOD を創造したのだ。 其れは、必要だったのだろうか。その答えは未だできない。何故目的もなく、巨大脳があるだろうか。 神経細胞は、この宇宙をも凌ぐ、ネットワークをもっているのだ。ランダムであることはヒトという種の 戦略であることには違いないし、私たちはそれに因って生かされているだろう。エラーを創り、病気で さえも或いは、戦略のひとつであろうか。「ヘイフリックの限界」も同じだろう。 どう生きねばならないと考えるのは、寧ろ淘汰に逆らうことになるだろう。ランダムであることが、ひとの 特質であることを知らねば、この社会をいつまでも理解できないのだ。
2019.06.30
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情報が氾濫しているように見えて、自分に有益なものばかりとは限らないし、無益ばかりではなく有害なものもある。病院に病気を治してもらうために行くが、これも改善出来るばかりとは限らないだろう。その逆効果もないとは言えない。治療や薬が間違っているかもしれないだろう。所謂誤診もある。薬も反作用があり、他人には有益でも自分には益より害が大きいことだってある。まだ医療も個人のメデイカル・データは完全ではないし、効能も多様だからだ。 ・薬も飲んでみて効果を見ないと解らないことだってある。人体は複雑で、自分が特異体質であるかどうか事前に分かるのでもない。一つの部分が改善しても他の部分が弱ったりもする。それが老化現象の怖さでもある。総体的なからだの増悪化が加齢による衰退でもある。それこそ高齢になれば診察して問題がないはずはないのだ。 ・へ2・・・褒められているときは半分聴いて、注意されたものを確り認識しなければならないのだ。それが、自分の命を守ることだし、これからの予見につながるのだ。そういう意味では、安穏としてはいられない。注意深く見極めねばならないようだ。
2019.06.30
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「文学は連想」という講師の講義を受講しているが、記憶力の権化のような講師の話に何時も驚く。折角下読みして講義を受けているが、恐らく学生時代より準備しているつもりだが、どうもそれでも講義に付いていけないようだ。頭も硬くなっているし基礎知識もない。文学は遠い存在でしかなかった。知的レベルが違うだろう。毎回詳細な資料や、照会される本も中々読めない。余程真剣さがないと半分も理解できない。 ・学生たちは、卒業するだけが目的ではない筈だし、言われることを理解しなければ学生の意味もない。ことばの奇術師である作家という普通の人間が理解できないようなことを解かり難く書いているものを、他人が理解できるようにまとめないと商売にならないのだから大変だ。言葉の根幹は沈黙だともいう。そのことばの洪水の中で何かを把握しなければならないのだ。 ・へ2・・・それこそ、一から十まで理解しようとすれば、ことばの大海に溺れてしまう。錬金術師のような作家たちの野望に付き合わねばならないのが文学だろう。登山家は、無理と思えば、途中で引き返す。其の潮時を知らなければ命はいくつあっても足りない。ミイラ取りがミイラになる。突き進むだけではなく、引き返すのが解からなければ長生きはできない。
2019.06.30
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経済学では、人は合理的意思決定者であり、損失・利益のバランスによって、最大の利益を追 求するはずである。では、人は実際そのように行動しているだろうか? 何らかのコストを負いながらもある事柄、個人に固執しつづけることであり、人はコミット メント感情が非常に強い。コミットメント感情は適応的である?友人が文無しになったら捨て られるか。コミットメント感情を見せる人は信頼できるし、信用される。故に、パラドキシカ ルにコミットメント感情をもつことは適応的だ。 人には利他的行動の進化があり、血縁淘汰を通じた互恵的利他的行動がある。コミットメン ト感情の適応性は人に固有のものであると考えられる。 松林が朝の雨と爽やかな微風に揺れている。耳を澄ましてみると小鳥の囀りが聴こえる。ゴ ルフ場の緑が鮮やかだ。 宗教、イデオロギー、探求、特定の個人に対するコミットメントについての旅がつづくだろう。
2019.06.30
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それこそ日本で一番ノーベル賞に近かった一流の科学者でさえがん死するという現実をどう受け止めたらいいのだろうか。それは、それで仕方がないと諦めるしかないだろうか?立花隆にしろ、これまで取り組んできた題材をみれば、その科学的解明について並み並みならないものを感じさせた人でもあったが、予防という意味で万全だったと言えるだろうか。どうも疑問を感じる。知識のないものがそれは想定外だというのは理解できるが、知識を持っているものが、それに対応していないという現実はどう理解したらいいだろうか。 ・そうならないために、つまり病気にならないために、どうすべきであるか。その方法を知らない訳ではない人が、何故、それを遣らないだろうか。これだけ、禁煙や、禁酒が叫ばれながら、それを止めないのは何故だろうか。誤魔化しが多過ぎるのではないだろうか。或いは社会システムに大きな欠陥があるのではなかろうか。足元がガラガラと崩れ出してはいないだろうか。そういう危機感を感じさせるようにもなっている。その足音がきこえなくなってはいないだろうか。もし、私たちの子供のころに、急に昆虫がかいなくなれば、その異変にすぐに気付いただろう。しかし、いまでは誰も昆虫のことを口にしなくなっている。知らないからだろう。死んで行く者も、自分の死を語ることはない。 ・へ2・・・言うべき人が言わない社会になろうとしている。知識のある人が知識を信用しないからだろうか。ひとは信用ならない、ひとは信頼できない社会システムになっている。周囲はマシーンだけになってしまうのだろうか。私たち一人一人が違うものを追っており、その追い求めているものは何なのだろうか。
2019.06.30
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戦後培ってきた平和への資産をかなぐり捨ててまでアメリカに追随する姿をみたら、平和のために戦った人々はどのように悲しむことだろうか。戦争の悲惨さに散った多くのひとを悼んで平和を決意した先人たちのことを忘れている。安易に戦争を容認してしまう姿勢には国家の危機が潜んでいる。また戦争の戦禍に慄く日が来るのではないだろうか。若者たちが血生臭い戦場に駆り立てられるかも知れない。その危うさをどこまで知っているのだろうか。 ・二度と戦争をしないと誓ったのではなかっただろうか。世界人権宣言を世界の言葉にしようとしたのではなかったか。国連はアメリカやその他の大国の横暴で、その根幹を骨抜きにされ、その企みの一端を日本も担いだのだ。朝鮮戦争やベトナム戦争では、経済的アニマルになった。そしてイラク戦争でも平和の敵になった。 ・へ2・・・まだ旅は続くだろう。それが平和に続くのか、悲惨な戦争が待つのか、誰にも分らない。ただ、平和に対してカードを切ってはいないことだけは言える。憲法を改正してなにをしようとしているだろうか。それは甘い罠ではないだろうか。そうして、ずるずると転げ落ちた歴史があった。行きつく先は地獄であり、絶望ではなかったか。愛国を叫ぶ人々が国民を狂わせて行ったのではなかったか。安心することのできない未来がある。油断をすると平和は遠のくだろう。平和への願望を曇らせてはならない。
2019.06.30
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これまでも、メディアで取り上げられているが、ゴーン被告の妻キャロルさんは、トランプ大統領やマクロン仏大統領の友人でもあるのだろうか、それは上流社会というのかもしれない。フランスでは、かなり有名なカルロス・ゴーン被告だからだろうか。G20の首脳に対して、日本の司法制度について人質司法だとして、安倍首相に説明責任を求めるように要請する声明を発表したとある。 ・これから、裁判が始まろうとしているが、既に保釈されているが、妻との接触が禁止されているからだろうが、嫌疑もかかっている。恐らく彼女は、罪の意識がないのだろう。経営者として当然の権利を行使していると思っているのかもしれない。日本の司法制度は、人権を無視していると主張しているが、それは、その国が決めるものでもある。金持ちだからできることでもあるが、日本社会を蔑視しているとしか思えない。とすれば許されることではない。 ・へ2・・・来年から、裁判が始まるという。判決がどうであろうとしてきた事実は。曲げられない。してきたことは社員を裏切った行為でもある。誰であろうとも、裁判の前には平等であるべきであり、日本の裁判官も法の番人である。公正な裁判がされるだろう。その前に、口を出すべきことではないと思う。
2019.06.30
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人類滅亡のシナリオは意外と簡単にできるのではないだろうか。寧ろ生き残ることは、万分の一の確率ではないだろうか。人類と言わず、日本でもいい。これはもっと簡単だろうし、個人となるとあり過ぎるくらいある。せめて、日本の滅亡くらい考えないと詰まらないかも知れない。政府が乗っ取られる。食料品が汚染される。伝染病でも、核攻撃でも、何でもある。 ・一夜にして平和は壊され、秩序は崩壊する。人々は絶望して為す術を知らない。殺し合うか、自殺するか。誰もこの国を守るものがいないことに気付いても、もう遅い。すべてはツー・レイトなのだ。国民はすべての国民は、末期医療の患者でしかないのだ。しかも誰も介護する者がいない。崖の淵で何を考えるかでしかない。 ・へ2・・・いつか、そんな日が来るのではないだろうか。100億人の人間が選択するのは何だろうか?、と考えるとき、その選択は多くはないはずだ。その残る中に日本人がいる確率は殆んどないのではないだろうか。そんな悪夢もないとはいえない。
2019.06.30
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別に疲れてもいないし、痛いところもない。こういうときの気分は何ともいえず心が穏やかになる。いいなあ、という思いがする。あと5年間。うまくいけば10年間。自分の時間はそんなものだろう。何も考えずに来れるというのもいいが、時間を計りながらそのスペースを愉しむのも悪くはない。 ・先のことは分からないけれど、取り立てた悩みもなく暮らせるのはいい。毎日歩いているが、これも自分のためである。自分がやりたいからやっていることで、強制でも何でもないからいい。勝手にやって自分のためだ。丁度6年前のメディカル・チェックの資料が出てきた。意外と悪くはないものであった。 ・へ2・・自分の体を侮り過ぎていた。ここまで来れたのは、親のお蔭である。大事に使わなければ申し訳ない。少し粗雑に使って来たようだ。せめて、これからは自分の運命とからだと仲良くやりたい。少しだが最近は青空が高い。
2019.06.30
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半年過ぎたが、個人的にはまたひとつ歳をとる。昔から、あまり気にもしていないが、ここに来ると、そろそろかと思わないでもない。いつもシャワーをしながら、自分の体を見て、加齢を思い知ることになる。自分の顔を見るのはあまりしないので、床屋の鏡で自分の顔にショックも覚えたりする。だから行くのが嫌いだ。7月はツアーもあるので、その前に行くが、思えば、いつもそうである。ツアーの前にしか行かない。 ・最近は、何かと家族が祝ってくれているが、何をしてくれるか知らない。どうでもいい。その日だけ大事にしてくれてもあまり有難くはない。そろそろ後期高齢者になる。一年間の重みが分かるようだ。然し、日々は、軒先から雨粒が落ちるように、拾おうとしてもさっさと掌のあいだから落ちていく。懐かしい人たちも消えて行ってしまった。どうやら、大雨が降るという予報が出ていて、熊本では警報が出ているようだ。 ・へ2・・・今日は、食事に行くという話があっていたが、雨らしいので、どうしようかとも言っていた。どうやら雨次第らしい。そんなものだ。それほどの意味でしかない。G20が、大阪であり、昨日で終わったようだが、大阪のひとたちは大迷惑したことだろう。警戒態勢が敷かれていた。テロ防止というが、どこまでその可能性があるのだろうか。恐らくいい加減な調査なのだろう。32,000人も警察官動員したという。また一年間が始まるが、人生は気力しかない。
2019.06.30
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ワット・ポー 「涅槃寺」日本での「金」の産出は徳川二代将軍秀忠のころから急激に減少を始めたようだ。従って経済の拡大とキンの供給量のバランスが取れなくなっていくが、この危険性を考えなかった。金鉱の現場では、坑道が深く狭くなっていくことで、気付いていたものはいただろうが、上にそれがいえなかった。かたちはちがっても現在と同じように役人たちが、沈黙したのだろう。都合が悪くなればなんでも「想定外」という。想定してもいないのだ。 ・大津波の時の防波堤も、それこそ毎年やってくる台風や大雨にも、危ない河川はいくらもあるが、氾濫すれば想定外というに違いない。キンの産出が減少するかもしれないと解っていれば慶長小判も造らなかったかもしれないが、家康やその子孫たちは過ちを繰り返した。原発の下にあるといわれている活断層も想定外の地震が起きた時に誰が責任が取れるのだろうか。 ・へ2・・・事なかれ主義の役人たちが、この国を崩壊させかねない。問題があるのを知りながら事業認可のハンを押しているのではないだろうか。原発事故でいのちをはっている政治家や高級官僚たちがどれだけいるだろうか。敗戦の時、軍部の高級将校たちがどこにいたのか。事実がまだまだ明らかではない。
2019.06.30
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ハリーポッターシリーズ ロンドンでシアターを見たが、どんなことをしているのだろうか?主な登場人物が白色人種として描かれているために、欧米の多民族国家においては人種的マイノリティー(ヒスパニック、黒人、アジア系など)に属する児童からの支持が得られ難い[1]との指摘がある。宗教的批判 詳細はen:Religious debates over the Harry Potter seriesを参照 ハリーポッターシリーズは魔女・魔法使いの冒険を描いたストーリーであり、児童文学において同様のテーマ(オカルト)を扱った小説が多数出版される原因となった。本国イギリスはもとより、子どもの活字離れに歯止めをかけ、世界中にセンセーションを引き起こしたとも言われる。そのため、大ベストセラーになるにつれて、神以外に由来する超自然的な力である魔術を罪だとするキリスト教やイスラームの保守派・原理主義者から、『オカルトを助長し魔術を美化する』、さらには『悪魔的で許しがたい邪悪な物語』などと批判を浴びた。(聖書では魔術を罪と明確に定めている)(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 偶々横浜で読み始めた本で、それほど人種問題や、宗教のことまで考えず読んでいたが、ここまで大ベストセラーになると色々あるものである。必ずしも愉しいというばかりではすまないらしい。賛成もあれば反対もある。どうも西欧型の思考が刷り込まれてしまっているのだろう。少し甘いのも確かだ。英語の勉強のつもりだったが、白人社会のはなしではある。 ・然し、殺し合いをしなければ生きていけないはずはない。ローリングは白人であり、自分の環境でのイマジネーションで創作したに過ぎないのではないだろうか。それを責める気にはなれない。寧ろ彼女の経歴が示しているように、シングルマザーが書いた本であることには間違いないのだろう、と思う。 ・へ2・・・横浜での単身赴任の4年間を慰めてくれたのは事実である。そしていつも出かけていたスタ―バックスコーヒーが今般営業不信で従業員の解雇や多くの閉店をするというニュースを聴いて、なにか一つの夢が消えていくような思いもないわけではない。せめて後味の悪いもになって欲しくないものだ。やっと、熱帯夜も暑さが引いて行くような時間帯になったようだ。
2019.06.30
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1945年 の一年できごと ・ 1月 5日 トルコ、対日断交 ・ 1月17日 ソ連軍、ワルシャワ解放 ・ 1月27日 ソ連軍、アウシュビッツ収容所に到着。生存者約7000人を救出 ・ 2月 4日 ヤルタ会議。(~2.11)スターリン対日参戦を約束 ・ 4月12日 ローズベルト死亡(63)。トルーマン昇格。 ・ 4月23日 ソ連軍 ベルリンに突入 ・ 4月28日 ムッソリーニ銃殺(61) ・ 4月30日 ヒトラー、ベルリンの地下壕で自殺(56) ・ 5月 2日 ソ連軍、ベルリン占領 ・ 5月 7日 独軍、連合軍に無条件降伏 ・ 5月 8日 トルーマン日本に無条件降伏を勧告 ・ 6月 1日 米スティムソン委員会、日本への原爆投下をトルーマンに勧告 ・ 7月16日 米、初の原爆実験に成功 ・ 7月17日 ポツダム宣言発表 ・8月 6日 広島被曝 ・ 8月 8日 ソ連、対日宣戦布告 ・ 8月 9日 長崎被曝 ・ 8月15日 日本無条件降伏。(1939~)第二次世界大戦の終結。 ・ 8月16日 スターリン、ソ連軍の北海道北部の占領を正式発表 ・ 9月 6日 朝鮮人民共和国樹立の宣言 ・ 9月 8日 米軍、朝鮮に進駐開始 ・10月24日 国連正式発足 ・11月20日 ニュルンベルク国際軍事裁判開廷(~46.10.1) ・12月 9日 イタリア、デ=ガスペリ連立内閣成立 ・12月16日 米英ソ三国モスクワ外相会議(~12.26) ・12月27日 重慶、国共正式会談開始 ・日本人を翻弄した戦争は13年間余。1945年・日本は世界の孤児になった。この長い一年は、日本人に忘れることのできないトラウマである。それを乗り越えるためにどれだけの辛酸を舐めただろうか。しかし現在の政治をみていると情けない。勿論過去に埋没すべきではない。然し反省のないところに進歩はない。コンセンサスとなる歴史認識を明確にすべきだ。戦時中国内は誰に支配されていたか。人権は無視され自由は圧殺されねばならなかったか。誰が何のために原爆投下をしたのか。それこそ一から十まで検証して、二度と過ちを繰り返してはならない。腐敗官僚たちは日本社会の新生物のようだ。その温床は重要問題の先送りであり、体質的甘えであり、曖昧さであり、歴史認識のなさでもある。
2019.06.30
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カワセミ 福岡市東区頓珍漢なことが真面目にされると手におえないことにもなるのであり、何故かそういうことが増えてくると、社会が捩じれてきて、そのことに誰も気づかないようにもなる。それは内からばかり事象を見ているからだろう。大きな目や外から見れば解ることも崩壊するまで解らない。悪気がないでも他人を傷つけてしまうことがある。真面目な官僚たちが国民を苦しめることを平気でしているかもしれない。 ・常識が非常識に変わらないと、その罪悪が解らないものらしい。佛とか菩薩とか、六道とか勝手な世界をつくってしまう。自分が安心したいから都合のいい論理を作り出してはいないか。他の宗教も同じだが、大事なところで欠落している部分がありはしないだろうか。それはいのちさえ奪いかねないからだ。ひとの生死の弱点を逆手に取っている。 ・へ2・・・どちらが頓珍漢なのだろう。私の方かもしれない。自分がいいと思ってはいない。過去を棄てられない人たちがいるが、忘れてはならないことはあるとしても、いつまでも同じことを言っていても前進はない。日本国憲法は、日本人には世界が求めていた民主主義の立案ができなかったからでもある。そして押しつけの憲法だとしても当時の国民や世界は承認したのだ。
2019.06.30
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エフェソス遺跡リダンダンシ- 「昆虫なんか非常にちゃんと生きている。何億年もああいう生活して生きている。何も要らないわけですよね。犬猫だって、われわれよりは利口だと思えないけれど、ちゃんと生きているわけで、私は余分が人間に相当多いと思う。たとえば、お喋りとか・・・」。なんだそうだ、養老孟司のことばだ。 脳のオーバー・デザインの結果としての「お喋り」。 要するに、リダンダンシー(剰余)。例えば、言語では、お喋り。実は、哲学的な思考は、抽象的であって、結局は自慰的な行為といえるのではないか、と。 ところが、「お喋り」というのは、脳を維持する為に大事な運動でもある。寧ろ、ポジティブ・フィードバックをかけると、脳が小さくならず大きくもなってくる。器官は使わないと機能しなくなる。 脳があるから仕方ないから「お喋り」もするが、その道具の使い方が問題なのだろう。 いままでないものを若いころからつぎ込んで、その先がどうなるかを見るのが、教育のひとつの側面であり、それは、私たちにとっても、新しい試みを常に心がけることが大事なのではないか。 ・どうも最近お喋りをしなくなっている。このブログもモノトークでしかないが、弁証法がないと進化しない。
2019.06.29
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ロンドン人も物質であり、こころも物質から生じている。長い進化の過程で創り上げたものである。それを奇跡と言っているが、ありふれたものかもしれない。それを確かめてはいない。現代の科学が証明できないだけだ。言えることは、私たちが知る範囲でしかない。そして生まれたものは、終わるということであり、その過程のなかで成長しやがて、劣化していくことだ。 ・人間の一生もヘイフリックの限界という証明から脱することはできないでいる。将来否定されるかもしれない。それはあり得ることだ。正しいと信じられることも、やがて修正されることが殆んどだからだ。ひとの生命現象も化学反応でしかないし、物理現象に生命活動を委ねてもいる。自分という存在の狭い世界の中で死んでいくしかないのだろう。 ・へ2・・・事実を懼れては何も出来ない。洞窟から出て行かないものは洞窟で死ぬだけだ。或いは自分を慰めているだけのことをしているだけではなかろうか。生殖能力を失った人間は無駄な人生でしかないのだろうか。高齢化社会は、種としてのヒトの自滅への序曲だろうか?このままいけば近未来では、人の寿命もコンピュータが決めてしまうだろう。
2019.06.29
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日常はそれほど面白いことばかりあるのではない。平凡な日常を面白くすることのできる能力も必要なのだろう。自分の人生の中で、限られた世界で暮らしている。思えば極東の日本と言う島国のまた九州という世界で、長い間活きている。狭いエリアでしかない。この厖大な宇宙でさえ胡桃の中とする考えもある。小さなことで齷齪生きているばかりではない。 ・遣る気あれば、できることは無限にあるだろう。決して狭い宇宙ではない。自分を狭い人間にしないで、目を少し変えるだけで違う世界が見えてくるに違いないのだ。視点を換えればどれだけでも広がる魅力的な世界になるだろう。此の人間というかけがえのない瞬間を愉しみたい。 ・へ2・・・もし苦しい日があったとしても、それは何十年も続かない。耐えていれば必ず明日が来て、喜びを見出すこともあるだろう。楽しいことも哀しいこともあるが、それはけっしてつまらないのではない。
2019.06.29
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ハイデルベルク城「西東詩篇」の中の、ズライカ書の箇所を読んでいた。読んでいるのは「ゲーテ全集」で出版が大正15年5月版。「汝この日より逃れ行くべからず。汝が急ぎ行きつかん日も 今日より善きに非ざればなり。・・・」なのだ。翻訳が旧過ぎる。 ズライカは、マリアンネのことで、ハーテムは、ゲーテだと言われる。優れた「相聞歌」として知られている。昨日、ネットで「西東詩篇」を調べたら、余り多すぎて少し意欲をなくしてしまった。それくらいある。ゲーテ66歳の老人とマリアンネ30代の人妻との恋愛といえば、些か萎れてしまいそうだが、大詩人ゲーテであり、マリアンネも只者ではない詩人なのだ。読み解く力があるだろうか。 そして、彼女のいくつかの詩が、この「西東詩篇」に収められている。「愛しながら互いによみがえるのは、天国の歓喜でしょう」と、大いなる愛を予告し、ハーテムの詩は「あなたの胸の中で私はよみがえった運命を喜ぶのです」と表白する。 これは、単なる男と女の「相聞歌」ではなく、大詩人と対等に類稀な女性詩人との練り尽くされた軽妙な遊戯的表現ではないだろうか。そして、夫のヴィレマーがいる。養女を妻にした男だ。 ハイデルベルクの古城に、あの「二裂葉の銀杏」があるそうだ。「ハーテムは、もう一度、春の息吹と夏の灼熱を感じます」と刻まれたベンチがあるそうである。 「・・・・われ一つにしてまた二つなるを?」
2019.06.29
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バンコクツアー「共感」とは他の誰かが何を感じ、何を考えているかを知り、さらにこれに反応して適切な感情を引き起こす傾向だ、という。相手が考えていることや感じていることをただ機械的に推測する(マインドリーディング)のではなく、またサイコパス(反社会的な人格障害)でもない。 もともと女性型の脳は、共感する傾向が優位にできているという学説がある。どうやら、普段にみられる女性の行動はそれを裏付けているようでもある。併し、必ずしも当たらないと思うのは、世界には、サッチャーなど「鉄の女性」と呼ばれている人たちもいるからだ。あれは特異的な存在なのだろうか。 何れにしても「共感」する脳は、これからの世界、人類にとって欠くことのできない資質になるだろうことだけは確かだろう。それを妨げるものが多いのは、これまでの進化の歴史が証明するだろう。「共感」だけしていては多くの場面で生き残れなかったかも知れないからだ。 併し、核を手に入れ、狭い地球に溢れた人口を抱えた種としてのヒトは、あらゆる場面で欲望にブレーキをかけなければならない事態を認識すべきだろう。安易な楽観論は命取りににもなるからだ。ふやけた心に楔を打たなければならない。 誰が、これからヘゲモニーをもつべきなのかを選択すべきだろう。少なくとも利殖に心を奪われし者たちであってはならないだろう。ブレイブ・ハートをもち、人々の平和に対する願いに共感できるひとでなければならないだろう。
2019.06.29
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記憶力について、ラットの実験で、豊かな環境・・・道具や、遊び仲間、学ばねばならないことの多い環境で育ったラットと、そうでない刺激のない空っぽの檻の中で育ったラットの比較研究がされ、前者のラットが後者のラットよりも大きな脳になり利口になったという。つまり樹状突起や、シナプスの数が多く、学習経路も多様で、知能も高かった。人間でテストしたわけではないが共通点はあるだろう。同じ実験で、刺激のない環境で育ったラットでも、年を取ってから豊かな環境に戻すと、脳がより大きくなり利口になった。それだけ脳が柔軟性があるということだ。新しいライフスタイルと環境に劇的に反応できたのだ。 ・成人期の仕事以外の知的、身体的活動の頻度と多様性が、痴ほうの予防の効果を持つが言われている。最近の研究では、知的活動が最も重要な要因であること、殊に外国語の勉強が成果が顕著であるという。アルツハイマー病に効果があるかも知れない。根拠があるだろうか? ・へ2・・・知的活動が脳細胞の蓄えを殖やし、それを老後に必要に応じて引き出すことができるという。加齢による構造上の低下が起きても、余分のニューロンやニューロンの回路が、その埋め合わせをするのに役立つのだ。多様で刺激的な活動の経験も新しい脳細胞の発達のサポートをするらしい。どうやら「海馬」に関係があるようだ。海馬は学習と記憶の中枢だからだ。
2019.06.29
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和白干潟 2019.6.29.絶対はないと知っているが、信じようとする体質は自己保全のために必要な形質でもある。安心したいのだ。安心できない社会の中で自分だけは別格でありたいと願ってしまう。何の保証もないのにあるとしようとする。それはいつも果敢ない。担保もない残された人生が私たちの存在であるが、それを認めようとしない気持ちがある。 ・仔猫のように、か弱い存在であろう。殺されてしまいかねない。直ぐに誰からも忘れられるだろう。有名人たちこれまで次々消えて行ったが、残したのは足跡だけだろう。それこそ遊びの延長でしかないことばかりしているが、これでいいのかとは思う。挙げればいくらもハンディがある。嘲笑されるようなことばかりあるが。平和を望む気持ちはある。 ・へ2・・・女性の地位向上に一生を捧げて来られた秋枝簫子氏の講演を聴いたが92歳でなお情熱は燃えていた。すでに生前葬をされたようだ。 その価値があるかどうかはこれから次第だが、まだ私にも余命がある。
2019.06.29
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海の中道絶対はないと知っているが、信じようとする体質は自己保全のために必要な形質でもある。安心したいのだ。安心できない社会の中で自分だけは別格でありたいと願ってしまう。何の保証もないのにあるとしようとする。それはいつも果敢ない。担保もない残された人生が私たちの存在であるが、それを認めようとしない気持ちがある。 ・仔猫のように、か弱い存在であろう。殺されてしまいかねない。直ぐに誰からも忘れられるだろう。有名人たちこれまで次々消えて行ったが、残したのは足跡だけだろう。それこそ遊びの延長でしかないことばかりしているが、これでいいのかとは思う。挙げればいくらもハンディがある。嘲笑されるようなことばかりあるが。平和を望む気持ちはある。 ・へ2・・・女性の地位向上に一生を捧げて来られた秋枝簫子氏の講演を聴いたが92歳でなお情熱は燃えていた。すでに生前葬をされたようだ。 その価値があるかどうかはこれから次第だが、まだ私にも余命がある。
2019.06.29
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自画自賛のようだが、日本人は、優しくて、忍耐強い民族だと思う。勿論みんなではないが、それが長い島国の伝統でもあり、遺伝子ではないだろうか。極東の島国で他国と争ったのは、必ずしも好戦的な国民性からではない。列強に潰されないためであり、貧弱で劣悪な社会的環境が根底にあった。それこそ文化的には赤ん坊だったのだ。 ・長い封建社会を体験した日本人は、慎ましい暮らしの中で暮らしてきた。奴隷のように武士たちの社会の中で搾取されてもいたのだ。鎖国で、300年も産業革命後の外国の文化の進歩さえ知らなかった。遅れた国家は三流国でしかなかったのだ。そして列国の帝国主義は、アジアを植民地にしていった。中国民族でさえ欧州列国に蹂躙されたのだ。 ・へ2・・・2011.3.11の東日本大震災は、あらゆる意味で日本の転換点にならざるを得ないだろう。いわば屋台骨が折れたのだ。そのことに気づいていない政治家たちがいる。指導者の放漫経営は、国家を破綻させるだろう。甘い見通しによってなされる政策は、国家の未来を困難なものにする。今やっていることで続けていいものと続けてはいけないものがある。その選択を誤れば、世界の舞台で恥をかくことになる。そしてそれだけではすまない。 未来に自信が持てなくなっているだけではなく、自分の心に自信が持てない人間が増えているのではなかろうか。悲しいことだ。プライドをなくした民族は崩壊の道を辿りかねない。自虐的な事件ばかりある。猟奇的な事件を喜んでいる人間はいないだろうか。事件を面白がっていると、人間の心も歪んでしまうだろう。今回の熊本地裁の、ハンセン病被害家族への「人生被害」というコンセプトは、画期的な判断ではないだろうか。然し、国家がどこまで、それができるかでもある。
2019.06.29
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安直に、理解しようとしても分かるものは少ない。結論を早く見つけようとしてもすぐに終わらないものばかりだ。聖書もおそらく一生読みつづけてもすべてを理解することは難しい。どんな小説も終わりがない物語であろう。終わりがあるのは、便宜的な区切りでしかない。小説には終わりがないのは人類が絶滅していないから終わらない。比喩として描かれるストーリーは、読者の理解度で違う。人生を理解しようとし、結論を出そうとするのは無駄なことだろう。 ・判らないことや、終わらないことばかりであっても焦ることはないのだ。小説は作家が、判らないように書く、少し読んで理解できたとしても、それは罠でしかない。騙されているのが常だろう。作家は判らないようにしているからだ。そして終わりがない。終わりがあるとすれば作家の敗北でしかない。ハッピーエンドも商業主義の戦略でしかない。 ・へ2・・・人生について、理解や結論を求め過ぎるのではないだろうか。それは、できたとしても安直なものでしかなく真実ではない。自分のエリアを狭めるだけだろう。ゆっくり構えて誤らないことではないだろうか。毎日約3時間歩いているが、どうも終わりがない気がしている。あきらめたら終わるだけだろう。
2019.06.29
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天安門広場 意外と厄介に思い煩わしく思いながら自分のエリアから離れられずにひとは死んで逝くのだろう。西太后も子孫から見れば偉大な人なのだ。一般の話とは随分と違う。当時西欧人とは多くの中国人にとって、「毛唐」どもでしかない。李来中は義和団を前にして檄をとばす。 「・・・長年にわたり西洋の奴らは我らの土地を侵略し、いわれもない理由で無辜の同胞の命を奪ってきた。奴らは宗教を利用して我らを愚弄し脚下に踏みつけて、いばりちらしてきたのだ。・・・朝廷では皇太后陛下が我らを支持され、・・・赤子の如き素直な心で朝廷への帰服を受け入れ、官軍とともに奴らに立ち向かい、我ら血を持って我らの大地を守り抜くのだ!」 ・少なくとも八カ国連合軍を前にして、当時の中国人たち統治能力を失っていた。大清国は崩壊の寸前でもあった。権力者が換わるたびに歴史も変えられた。それは史実に基づかない歴史でしかない。それでも語られることばはすべてが間違いではないだろう。だがそれは一部の話であって総体ではない。ラストエンペラーにも視点があったというだけだ。 ・へ2・・・当時も紫禁城では、皇帝だけでなく、数千人の宦官や妻や女官たちの存在は不気味である。それは歴史的所産であろうが、それを支えた人々のことを忘れてはならない。それが原因であり、その歴史的史実や結果を招いただろう。恐るべき歴史観だ。 「替天行動、扶清滅洋!」 ・日本では「尊王攘夷」だろうか。短いフレーズでアイデンティティを得ようとしたのだろう。中国では、いまもその手法は使われているようだ。まあ小説を読むような面白さがあるが、とても史実とは思えない。
2019.06.29
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バイブリー 熊本地裁で、ハンセン病患者の家族に対する国の責任が判決されたニュースが流れていたが、同じ場所で、胎児性の水俣病患者に対する判決を現地で見たことを思い出した。琵琶崎待労院のハンセン病施設のすぐ近くに住んでいたので、子供心に胸を痛めたものだ。あれから60数年年になるが、国は何をしていたのだろうか。何もしなかったのだ。やっとだが遅すぎる。見た目で物事を見てしまうという悪癖はなかなか治れない。心の目をもてだろう。禿げ頭の親父に育てられたイタリヤの娘たちは、禿げ始めた恋人を嫌がらないのだと聴いたことがある。寧ろ優しくしてくれた人たちへの好感があるという。CMもいつも見ているとそれが良い製品と思うようになるという心理がある。それを狙ったCMが溢れている。子どもたちが親たちから恵まれた環境で育ったのに逆に我儘にもなる。何でもできると思い込みもする。過保護でも逆効果になる。 ・母親がわが子を放置して殺してしまったりするニュースが流れている。自己本位な自己チューが話題になって久しい。自分の親さえ好感を持てないでは、他人と巧くやることは難しいのだろう。親にも責任はあるが、この社会が善意を持てない人間関係でしかないとすれば寂しいことだ。アスベルガーシンドロームもあるが、心の闇は、自分ではなかなか気付かないようだ。 ・へ2・・・ボタンをかけ違ったような生き方をしてしまうのは、必ずしも本人だけの問題ではない。社会に問題もある。自分の力であるところまで行かないと社会のサービスを受けられないからだ。医者は、自分の患者の治療はしても、病人は治療しないからだ。病人がいることを医者たちは知っているが、とてもそこまでやるつもりはない。それが当然だと思っているひとたちもいる。人と人とのつながりがうまくいかなくなっているのは、利益社会から来ることもあるだろう。競争社会でもある。同級生を敵だと思わせる教育をしている。砂のような人間をどれだけ作っても好い社会にはなれない。
2019.06.29
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カササギ ユーラシア大陸には、結構広く分布しているらしいが、日本では、佐賀と北部九州しかいないらしいが、最近北海道でも見つけられたそうだ。同じ場所から、離れない習性があるらしい。韓国で見たが、どうやら秀吉の時代に、韓国から、珍しい鳥として連れてきたという。鳴き声がカチカチと聞こえることから吉兆とされたという。「ゾウの時間、ネズミの時間」という本を読んだことがある。サイズが大きいことと、サイズが小さいことは、どう違うのだろうか。何が価値があるかを知ることは、どこに繋がるだろうか。 サイズが小さいと循環系は必要ないが、サイズが大きいと酸素や栄養分の濃度を一定に保つ為の攪拌装置としての循環系が必要になる。呼吸系も同じだ。入る量は表面積に比例し、消費量は組織量に比例し、これはまさに体積に比例する。サイズの大きいものほど需要が増える割には供給が増えないため特別に表面積を増やす必要があり、これが呼吸系の存在理由だ。 ネズミはこせこせと動き回り活動量も多いが寿命も短い。ゾウの時間はゆっくりと流れるがそのぶん寿命も長い。体のサイズの差異が寿命とも関係があるのだろうか。しかしネズミもゾウも細胞のサイズは同じである。細胞は10ミクロンだ。植物は50ミクロンある。 因みに、ミミズはヘビサイズになることが可能だろうか?ミミズは、呼吸系も循環系ももたず、太さの限度は半径1.3cmといわれる。 動物を理解するためには、空間と時間と力・・・に対する感覚が必要だ。種としてのヒトは視覚主導型の生き物である。空間認識やサイズの違いを判断できるが、時間感覚があまり発達していない。自分のもつ時間さえ時計を見ないと定量を測る事が出来ない。ヒトは殆ど自分の眼に頼って生きており、目を通してまわりの世界を頭の中で再構成しているのだ。
2019.06.28
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モロッコのモスクある偶然から誕生し、成長して、自覚を持つようになり、やがて自分の命を守ろうとして、自分以外の環境を知ろうとする。細胞は分裂して増殖して自分の体を大きくしていくが、その袋はいつか遺伝子の命令で膨張することを止める。この社会で一人の個性という社会的存在があり、それで一生を生きていかなければならない。 ・子供のころ、狭いところにいるのが好きなのは、それは自分の世界を知ろうとするかららしい。その空間にいると、自分のエリアが良く理解できるかららしい。服を着るのは、自分と自分以外の境界を確認できるから安心するのだろうだ。水の中に永くいると、自分の体温を水と区別できなくなって頭が混乱してくるらしい。自分という存在を常に確認できないと不安になるのだ。 ・へ2・・・孤独になるまいとしているのか、自分の存在を確認しないと安心できないのだろうか。おそらくその矛盾の中にいる。自分を自分以外の社会の中で発見しようとするが見つかりはしない。自分はそこにいないからだ。いるのはイメージでしかない。自分という世界の内と外を感じながら生きてもいる。動かなければ止まってしまうだけなのだろう。自己表現して自分もある。
2019.06.28
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ロンドン ジョージ・カニング像遺伝子操作については、たいていの人が本能的に尻込みする。確かに危険は ある。だが、時代遅れの道具をいつまでも使っているのはそれも危険だ。し かし、私たちが世界を変えるスピードに進化が追いつけないだろう。それは、 自分たちが作り出した環境に適合するように、自らを変えていく時代がやっ てきたのではないだろうか 何百万年もかけて発達してきた脳の複雑なシステムは、最近までとてもうま く機能していた。資源の乏しい世界では、快楽を求めたり、目標に向かって 行動する時の報酬ははっきりしていたから、食べ物や獲物を得るのに、長い 時間と労力をかけるのをいとわなかった。ところがいまや手間をかけずに手 に入れることができるが、得られる満足感もそこそこでしかない。 止むことのない欲求のとりこになっている人もいる。欲求の対象はセックス や食べ物、危険、薬物といろいろだが、どこまで行っても満ちたりることが ない。アメリカの遺伝学者ケネス・ブラムとデビット・カミングは、この種 の不満状態を報酬不全症候群と名づけ、多くの障害はすべてここに含まれる と考えた。報酬系のどの部分(つまり脳のどこ)がいちばん関係しているか によって、かすかな不安やいらだち、見境のなさといった軽いものから、摂 食障害、買い物強迫症やギャンブル強迫症、薬物、アルコール依存症まで程 度に差が出てくるとした。脳の働きのどこかがおかしくなって、欲求をそら すことができないのだ。ある調査によると、4人に1人の割合で存在すると いう。おいそれとは治せない。つまりこの衝動には、脳が無意識的に果たし ている役割と、非常に高度な役割が関わっている。それは、脳幹から前頭葉 の皮質まで総動員されているからだ。(by Rita Carter)
2019.06.28
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ニュートリノ、ほんとうにちっぽけな存在。 電荷も質量もない。だれとも交わろうとしない。 あるものすべてを通り抜けてしまう。 地球でさえ、ただの阿呆な豆でしかない。 人間社会の中で、私たちもニュートリノのように、 孤独に生きている。
2019.06.28
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スリランカ般若心経を読んでいると不思議な気持ちになる。300字くらいしかないこの文章をどれだけの人が、その意味を理解しようとしてきたのだろうか。そして何を理解したのだろう。読んだ人たちにどのような影響を与えたのだろうか。経典として残っているのだから、時代を乗り越えてきたには違いない。科学のない時代にも人びとは人生の意味を見出そうと努力したに違いないのだ。 ・生命誕生のなぞは未だに解明されていない。解明できないかもしれない。ただ生物には活きていかなければならない目的はない。目標は人びとが自分で創るもでしかない。夫々の自分の人生を活きて死ぬ。炭素に還るだけだろう。生命は奇跡でも何でもない。 ・へ2・・・生命は仕組まれたストーリーでしかない。より壮大な因果律の中に埋没していく運命でしかないのだろう。般若心経が言わんとしているものが、そこにある気がする。未だよく理解できないでいる。また死ぬまでの宿題だ。
2019.06.28
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シドニーのコアラ ひとを惹きつけてやまないものがある。それは風景や、景観ばかりではない。芸術もそうだろう。その人の好みによってそれは違うだろうが、<ひとはパンのみ、>ではない。パンがなければならないが、そこから先がある。パンがなくなれば、パンのために働かねばならないのはいうまでもないことであり、それぞれの役割を果たすべきだろう。それを勘違いしているから誤りを冒すひともいる。他人を利用しようとばかり考えていたらやがて行き詰まるだろう。自分を卑下するからその反動で、他人を侮蔑することにもなる。やがて憎しみの連鎖になり社会は混乱してしまうことにもなる。 ・差別や、偏見は、特権を握るものに都合のいい論理であるが、やがてそれが自分たちの首を絞めることになるだろう。「貧困や無知」も、世界にとって脅威になりつつある。黙過すれば、やがて致命傷にもなる。手遅れにならないうちに、手を打たなければならない。そのことを政治家は先延ばしにして甘い汁だけを吸おうとする。それを見逃すべきではない。6月の風は、どこかさわやかで生気にあふれてもいる。これから厳しい夏に向かう。 ・へ2・・・目先のことばかりに気を取られてしまう。肝心なことが見逃されてしまいがちだ。国民投票で白黒を決めることの困難さが、またイギリスで証明された。日本の憲法改正で同じことが起きるのではないだろうか。あとで後悔することだってある。今回のケースでは離脱させるために嘘だってあえていったのかも知れないというニュースがある。何故安倍首相は、今度の参院選であれだけ熱心なのだろうか。3分の2の多数与党を目指して、それができれば、憲法改正をするつもりだからだ。そんなことは誰でも知っているが、彼はそのことを一言も言わない。不利になることを隠している。強かな戦略は、必ずしも正義とは限らない。
2019.06.28
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クスコの郊外大抵つまらないことに拘り続けて、徒なこともする。般若心経の世界を、すべてだという風には思わないが、一面の真理もあると思う。狭い視野の中でひとがたどり着いたエリアなのだろう。勿論凡人の考えることだ。「われらと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」という。前提が真実不虚とあるが、それは誰にもわからないことでもある。唯我独尊は変わらないのが宗教の所以でもある。 ・自分が個性的な存在だと思うのも観念でしかない。ひとはみな同じ化学反応のエリアでしかないのだろう。余りにもいい加減な医学で、医療行為がされてきた。どれだけの患者がそれで早死にしたかわからないだろう。それこそ死んでもらわないとあとのひとたちが迷惑するだろうか。いまや地球上には71億人の世界人口を抱えている。 ・へ2・・・思い込んではならないこともある。然し、だれも正しい人生を歩いているということもない。自分の思うことを信じようと思うだけなのだろう。ウエブの記事で、「スーパーアース」が、太陽系のたった22光年の先に3つ見つかったという。とても人類には行けそうにないがぽっと明かりが見えたようなそれは漆黒の宇宙の中である。
2019.06.28
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聴こえてくる音楽もどこかで聴いたものでしかない。同じことの繰り返しをしてもいる。それが生きていることだろう。新しいと感じようと努力しているだけ。オリジナルを探し回っている科学者たちも、無為な時間を過ごしている。見せかけを続けなければならないのだ。愛だ恋だといつまでも歌い続けるのは苦しい。もうすることがなくなる。諦めきれない老人だけが政治をして若者たちに顰蹙を買うのだ。 ・面白くもない政治をしようとするのは下心があるからだ。成功ゆえに没落もする。期待インフレで何とかなるのだろうか。やがてこけるにに違いない。そうなるようになる。日本が良くなるはずもないし、アメリカも一番でもない。そんなことをスローガンにする奴は嘘つきだ。愚か者たちも付き合いたい人だけが付いていけばいい。自分を忘れることでしかない。 ・へ2・・・自分に相応しい活き方さえできないで死んでいかなければならない。世を恨んでも仕方がないが、段々悪くなっていくようだ。私たちにはそれは元に戻るだけでしかない。あのごたごたしたドヤ街の喧騒を見ることがあるのだろうか。東南アジアのツアーの度に思い出している。 あの用便の臭いがした農家とか。甘く切ない子供のころが蘇る。
2019.06.28
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時は不可逆であり、駆け足で過ぎてしまう。ぼんやりしていたら取り残されてばかり。それでもいいのかもしれない。「無智亦無得」でもある。欲を張り、執着してしまうから徒なことをしてしまう。届かないエリアに憧れてしまう。無理をして挫折もする。 ・「原始経典」本生経(ジャータカ)に、「貧女の一灯」の章がある。どれほど多くの施しをするかではなく、貧しい女の志の高さを言っている。ブッダはいう「阿難よ、汝は無駄に疲労しているのである。・・・」仏典のことばの海をさまよっているが、苦痛ではない。寧ろその反対だ。一緒に和田春樹「ロシア革命研究の課題と方法」も。 ・へ2・・・小さいこと多く知っているからと言って、大きな何かを知らなければ真理には至らないかもしれない。誰にも尊敬されはしない。謙虚さのない人間は世間から嫌われる。大金を手にするとひとは醜くなりがちだ。他人を見さげるようになるからでもある。健気に生きていなければ「貧女の一灯」できはしない。
2019.06.28
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ルーブル美術館できることしかできないけれど、まだできることはある。犬や猫のように生きていくこともあるが、それだけでは物足りない。それでも息をするだけでも苦しい人もいる。先日の高塚地蔵尊で、「どうぞ、おばあちゃんの息が楽になりましように。」という絵馬があったのを見て感動した。素朴な祈願がそこにはあった。 ・病気をしていないとその苦しみはわからない。そのくせ自分でも歯が痛いだけで憂鬱にもなる。大きな不幸や親を殺されて泣いている子供たちのシーンを見るたびに怒りが湧くが、それは行き場のない悲しみが付きまとっている。虫けらのように扱われている人々の目の前に誰かが立ちはだかってもいるにちがいないからだ。 ・へ2・・・ツアーに出かける前に、色んな事件や災害など不幸に出会うことがある。なにか後ろめたいものを感じないではない。そしていつか我が身になっても他人を怨むまいと思っている。自分のいのちも今しかないからだ。全てを諦めて生きてはいけない。自分がいてもいなくても世の中は何も変わりはしない。そのことに気付いた時肩の力が抜けた気がした。何十年か過ぎて、本当のことがわかるのだろう。目の前で起きていることを、精確に把握できないような社会システムでもあるからだ。日本政治は、正直とは言えないだろう。それは、日本ばかりではない。国際社会が、真実を尊重してはいないからでもある。G20は、どれだけの成果があるのだろうか。少しでも、意味があるものになればいいのだろう。それを願うしかない。来年の大統領選挙を目指しているというトランプ氏であるが、脳の萎縮はあるに違いない。あれもこれもできるわけがないのだ。悪事は、心の毒でもある。天網恢恢疎にして漏らさず。期待を裏切らなければいいがそうはなるまい。
2019.06.28
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バリ島観光の目的によってその価値も違うのだろうが、それが擬似イベントであることには変わりはない。それでも異文化を知ることは、国際社会において重要な意味があると思う。ただ殆どの観光産業システムが受動的で消費的であり、観光の仕掛けが、商業的であることには言うまでもない。一方「観光」という現場のゲストとホストの出逢いであると捉えようとする観光人類学の立場が注目されている。もともと人類学者は、観光に対して敵意を持っていたのであり、物見遊山としての位置づけでしかなかった。 ・「学」として成立させるのは研究者の努力によるのであり、為されていないものが多いのではないだろうか。それは新しい発見をしようとするパイオニアの減少からも来る。資源は荒らされて荒廃して行く。破壊された後からでは間に合わなくなる。寧ろ他人が見つけたものではなく、自分の眼を信じるべきではないだろうか。 ・へ2・・・来月に、疑似イベントであるツアーに行くことにしている。
2019.06.28
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筥崎宮 神苑花庭園。生物は環境と遺伝子の産物だという。漸く人は神に似せて作られた存在では ないことを知った。過ちを繰り返しながら社会規範のなかで生きていかなけれ ばならないし、強者と弱者が存在し、様々な構図がある。平等でもないし、 必ずしも自由でもない。損益という論理が、国家でも個人でも共通項として 国際通貨となっているゲゼルシャフトである。併しそれだけが総てではな い。それは氷山の一角でしかないが、それだけで物事を処理してしまおうと するところに紛争があるだろう。人間関係に於いても男と女という存在だけ でことを済まそうとすると軋轢が起きるだろう。そこに思いやりがあるかだ ろう。然も相互に必要なのではないか。思いやりのない社会は不幸であり、 思いやりのない、夫婦や親子や友人関係においてもうまくいかないだろう。 どうしたら、おもいやりのある人間になれるのだろうか。そう簡単ではな い。スキルがなければならないだろう。社会環境の整備が必要だろう。 そしてなによりも私たち一人一人の努力も要る。
2019.06.28
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やっと九州北部も梅雨入りした。混在した社会の特徴は、人の軽さと重さが複雑化する。高度化した社会では、その社会に適応できるための教育は不可欠でもある。経済が優先して、庶民は置いて行かれがちになる。必要な人間だけが優遇され、一般の大衆は差別されてしまう。それが愚かな大衆かどうかはわからない。先鋭化して行く国際社会では、情報の遅延が致命傷にもなるからだ。学者は、時に高慢であり、気紛れであり、無恥でもある。いまこそ勇気を出すべき時だろう。時代は逆流を始めている。 ・知識を共有化できない社会は衰退する。先生がいつまでも学生を見下している間は、相互理解に進歩は望めないだろう。生徒が理解するように努力しない教師は先生ではない。何が足りないかを指摘できないようでは視えていないのと同じだろう。先日、高速道を行くバスに乗った時、長い高い壁の横を通ったが、高いビルの上部だけしか見えなかった。それを観ながら、自分も段々歳をとり高い長い壁が周囲を取り囲こまれるようになっているのではないかと云う思いに捉われた。 ・へ2・・・正しく物事を把握できるためには、多くの要件がいる。原因が自分にあるものと自分以外にあるものがある。他人がいつも優しく親切な人ばかりではない。差別することが当然だという高慢な人間もいるし、無恥なひともいるだろう。大学が市民から尊敬され支持されなければその国家の将来はない。開かれた大学が必要なのは国際社会がそれを必要としているからに外ならない。その努力をしない大学は消されるだろう。志の高い人間を育てる社会であるべきだ。
2019.06.28
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タナロット・凡人の及ばないことがある。つまらないことに拘り続けている。それでいいのでは勿論ない。釈迦は、「自分の島を頼れ、法を頼れ、他人を頼るな」。これは「犀の角のように生きろ」なのだろう。「師のにぎりこぶしをもたない」というのもある。宗教にしたのは釈尊ではない。ひととしての尊厳に満ちた言葉があると思う。小さな泡粒の中で生まれて死んでいくしかないが珠玉のことばを知ることができるのは何と幸福なことだろうか。 ・へ2・・・自分が何者かと思う前に、この世で何を感じるかがある。感動を知ることこそ、喜びがある。素直な感受性を持つことでも、ヒトとしてのスタートなのだろう。
2019.06.28
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熊本市 本妙寺の胸突雁木の石段 176段。かなりの急こう配。さらに浄池廟の裏手から300段の石段をのぼると清正像の銅像がある。以前本妙寺に行き、山門に立って胸突雁木の石段を見下ろしながら、その先に見える熊本の街を懐かしく思った。真夏の強い日差しが、頭を直撃していたが、それは遠い過去のそれに繋がっている記憶の中あるような気がした。それこそその瞬間まで忘却のかなたにあったものだ。人の記憶と云うものは謎に満ちてもいる。墓参りをした祖母のこともあるが、上熊本駅の前を通って、路面電車を見ながら、狭い商店街を通過してすぐに親戚の墓地がある。 ・昭和47年2月に祖母は亡くなり、私が骨壷を狭い地下の納骨室にいれた。そのことを思い出していたあとでもあった。そんな昔のことを、その場に行って初めて思い出した。記憶と違うのは、恐らくその後変更されたのだろう。年賀状を書くくらいで、殆ど音沙汰がないのは、実は私の方だ。まだ、懐かしい人たちが沢山いる。行けばどういう扱いを受けるかわからないが、私は涙を流すに決まっている。消すことのできない記憶が、そこここにあるからだ。 ・へ2・・・「峠の茶屋」も、どうしようかと迷っていたのだが、妻が行こうと言って呉れたので、見物して来た。それこそ、昔の「峠の茶屋」ではなく、移設して新しく公園になっていた。茶屋の中は展示場になっていた。外観は同じでも、昔の茶屋ではない。私は、子どもの頃徒歩で、近くの町から金峰山に何度も登っている。そのたびに当時の「峠の茶屋」をみていた。道路に面していたが、今は近くの場所になっていた。私が知っているのは戦後だから、それでも漱石のころの茶屋ではなかったが、古い鄙びた茶屋だった。小説の中の茶屋のままだと思ったものだ。観光化するのは残酷なものでもある。疎外された自分の記憶がどこかへ消えていくようでもある
2019.06.28
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人の運命もそのひとの閃きや連想の果てにあるのかもしれない。目覚めた時が起きた時だ。今日何があろうと、それは誰にもわからない。あるのは自分に対する感情であり、行動でしかない。止めるか続けるか決める歯止めは自分の意志だろう。人は無駄なことをしたがる。他人を理解することなどできはしない。何故なら自分自身でさえ、理解できないからだ。人と社会とすれ違いの中で生きてもいる。自分の中の生体リズムは、この環境に適応しようとしてストレスを起こしている。 ・他人が信用ならないのではなく、自分さえ信用ならないのだ。馬に乗った騎士が人間の姿でもある。1400gの腸の奇妙な相の末裔が、胡桃の中の宇宙を操作している。皮膚に包まれた泡の中で何が起きているのだろうか。美しいと思う幻想は、仕組まれた脳の演出でしかない。いつか朽ちてしまう枯葉のように炭素化するだろう。太陽の日差しのシャワーを浴びて一日が過ぎる。 ・へ2・・・突然より大きな存在に踏み潰された昆虫のように生命は終わりを告げるだろう。人間が昆虫を観察するように、人間もより膨大な誰かに観察されているのではないだろうか。そして、突然消される。小さい存在は、ただ消される運命でしかない。潰される。それだけだ。大きな理由を探しても、所詮は理解できはしない。より大きな世界の存在を視ることはないからだ。
2019.06.28
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いつの間にか2mくらいの高さになったので驚いている。何故脳が危ういのか、それは脳の大脳皮質に人としての多くの重要な部分が集中しているからである。そういう意味では、中央集権もそういう社会を形成しているシステムにも言えるかもしれない。ゲンジホタルも寒冷地と温暖地と7つくらいのグループがあり、それは、リスクが高まった時どこか一つでも生き残るための戦略の意味もある。転んで脳を損傷して後遺症が残ることがあるし、致命的にもなる。 ・人が何故肥満になるのかも、犬や猫ならホルモンが出て旧い満腹中枢でそうはならないが、人間には、更に食欲や性欲が限度を超えてしまう。それも新しい大脳皮質がさせている。人が自殺をするのも同じだろう。脳の病気の仕組みが解かってきているが、それに対する薬の製剤が遅れている。 ・へ2・・・人種もこれだけ多いのは、絶滅をしないために編み出した工夫だと言えないでもない。いつ大震災が起きないとも限らないし、暑かったり寒かったりもする。全球凍結も二度あったという。宗教の末世や、最後の審判もある。一極集中することは、想定を超えるリスクがあると一挙に崩壊してしまう。原子力開発はそういう意味では危険な選択だろう。オール・オア・ナッシングで活きていくほど怖いものはない。脳の危うさの選択は、あるいは人類の絶滅を一挙に招くのではないだろうか。
2019.06.28
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ロンドンあまり軽はずみなことをすべきではない。そのためにしくじることが人生をダメにしてしまう。そんなお調子者たち。 誰とは言わないが、そんな傾向のある人たち。尊敬されないことをしてしまう。身から出た錆だろうか。調子に乗ってしているひとたち。これが特権だと勘違いしてしまうのだろう。才能は地に墜ちる。 ・人は多かれ少なかれそんなお調子者たちの遺伝子を持つのだろう。目立ってしまった人たち。丸い顔のKOALASも人気があるが、円い顔は赤ちゃんと同じで好まれるらしい。シンメトリーで丸いものがスキなのだ。そういう形質がある。「からだに触るとストレスになるから、おしりにちょっとだけ触れてください」とKOALAと記念写真を撮影する時に注意された。 ・へ2・・・見世物にされてKOALASには迷惑なのだろうが、いつもユーカリの葉はたっぷり食べられる。ただ食べて寝て羨ましい。シドニー便は、往復ともに満席だったが、楽しい5日間だった。雨には降られたが、あちらは落ち葉が見られた。御調子に乗らないでいたい。
2019.06.28
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すべてのことは過去になる。「よいものもわるいものもともに滅ぶしかない」 と書経にある。気紛れな偶然に拠って立つ世界に生きているが、条理 はあるだろう。神を信じ殉じるひとがおり、信仰に生きている人びとから、 信念は奪えない。が、絶対神であるかぎり、他の宗教は排斥される。どうも そこから先に進めないのは、悲劇だけではすまない。人類は、幾つものデッ ドロックを超えて生き残ったが、「玉石混淆倶に焚く」を止められない。 動物は巨大化して生き残りを図ってきたが、そのために恐竜は自滅したかも 知れない。ひとも巨大化してきた。脳の巨大化はいまのヒトを産んだ貢献者 のひとつだろう。男も女も大きく産まれることは有利なのだろうか。日本人も背が伸 びていると聞く。できるだけ早く大きく産まれる事は動物には有利だと言わ れている。然し、多くは、それだけでは彼の人生は決まらない。取り巻く環 境が生死を決めるかも知れない。 言いたいことは、宗教は共存するしかなく、ひとの巨大化も意味がなくなる だろうということだ。全方位で生物は生きており、そしていつか限界がくる。
2019.06.28
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