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日時計が発明されるまで人々は、自然時間に従って暮らしていた。太陽、 月、星が生活のパターンを決定していた。日時計は5千年以上に亘り、人々を 支配し、ひと社会で使われていた。そして、近代の時計が果たした役割は大 きい。コミュ二ティ全体を共有できて、眼に見える指標が齎されたのだ。 周期が一日より長いリズムをインフラディアン・リズムという。13年または 15年ごとに2週間の繁殖クライマックスを迎える蝉など、ずっと長い周期があ るとされる。 J.T.フレーザーは、 「同じニッチを共有している動物や植物は、お互いの生物リズムを合わせる 必要がある。狩りをする時間、食事をする時間、交尾をする時間、巣をつく る時間など、それぞれきまっていなければならないはずである」という。 ひとが、共有する時間は一定であるが、或る意味でウルトラディアン・リズ ムや、インフラディアン・リズムを遣っていることも価値があるかも知れな い。不安定性が齎すものが進化に繋がる蓋然性があるのではないか。 葉を日中に開き夜に閉じるという光合成の形成が必要な植物の形質であるが 其の中で、概日リズムに則って、日没を予測し、香りをも生成するという時 間を持っているというのは驚異であろう。 ひとしての私たちの一日も、「香り」を放つ仕事があらねばならないと信じ たいと思う。 宝石なんて一生、縁のない者だが、 こんな石に心を捉われている人がいるとしたら、なんと可哀想な人間だろうか。捉われし心が人を狂わせてしまう。それはどの世界にもあるらしい。これだとしんじようとさえするのだろう。ふつうの小石が宝石に見えるのだ。
2016.01.31
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経済学では、人は合理的意思決定者であり、損失・利益のバランスによって、最大の利益を追 求するはずである。では、人は実際そのように行動しているだろうか? 何らかのコストを負いながらもある事柄、個人に固執しつづけることであり、人はコミット メント感情が非常に強い。コミットメント感情は適応的である?友人が文無しになったら捨て られるか。コミットメント感情を見せる人は信頼できるし、信用される。故に、パラドキシカ ルにコミットメント感情をもつことは適応的だ。 人には利他的行動の進化があり、血縁淘汰を通じた互恵的利他的行動がある。コミットメン ト感情の適応性は人に固有のものであると考えられる。 松林が爽やかな微風に揺れている。耳を澄ましてみると小鳥の囀りが聴こえる。 宗教、イデオロギー、探求、特定の個人に対するコミットメントについての旅がつづくだろう。 それこそ芸術の前には ことばもない。LOUVRE美術館は、人間をひれ伏させる力がある。芸術など知らないが、頭に穴をあける感動があるのだろう。血を流して死なない人間がそこにいる。
2016.01.31
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時差8時間 「慢性疲労」・・・脳からの危険信号。 ・三大アラーム・・発熱、痛み、疲労 ・「疲労」と「疲労感」との違い・・・疲労感は主観的なもの。 ・ATMT法とアクティグラフの検証 ・TGF-ベータという免疫物質とは、ひとが運動するとTGFベータが増加し、止めて安静にすると自然に減少する。疲労も回復する。 ・慢性疲労を感じている人は、運動したわけでもないのにTGF-ベータが多く、たとえ安静にしていてもTGF-ベータが減少しない。つまり疲労が溜まっている時はTGF-ベータが生産される。 ・慢性疲労シンドローム ・悩みごとなどのストレスを抱えると免疫細胞の働きが低下する。その状態でインフルエンザなどのウィルスに感染すると攻撃命令であるTFG-ベータが免疫細胞からどんどん放出されて、脳内のグルタミン酸やGABAなどの神経間の 情報を伝える物質の合成を低下させる。脳内の情報がうまく伝わらなくなり、体のだるさや集中力の低下などの症状を呈すること。 ・慢性疲労が続くと脳内の変化が神経伝達能力の低下に止まらず脳の「前頭前野」を萎縮させる。 ・つまり、慢性疲労は、免疫系が変調と脳内に異常が発生しているという危険信号でもある。 ・うつ病患者の脳ではセロトニンが減少しているが、慢性疲労患者にもセロトニンの減少がみられるが、内容が全く異なる。 ・ビタミンC などの体の酸化を抑える物質や、クエン酸、ある種のアミノ酸などが疲労回復に効果がある。 疲労回復には、森林を散策するなども効果があるようだ。私もいつも疲労感 を抱えて生きてきた気がしている。慢性疲労と如何に闘うかが課題だし その機序を知ることだろうと思う。小鳥の囀りが聞こえているが外は薄暮だ ろう。 権力者の片棒を担いでいる。それは現実を肯定するからだろうか。エリートになってしまって無神経になるのは保身ためもある。平気でうそをついても恥じない人間になるのだろうか。欧米の植民地支配は筋金入りだ。裏と表を使い分けるのが巧い。そこへ行くと日本の政治家の脇が甘い。何も知らないで政治ができると思っているのではないだろうか。賄賂を賄賂とも思わないらしい。正解中でコネが横行しているのは誰でも知っている。相手のことはよくわかるが自分のことは知らないというのだ。知りませんでしたが通用しない仕事もあるのだ。社会的ステータスがなければただのひとでしかない。権力は腐敗するのであり、長くやれば好いことはない。それこそツアーで撮ってきた写真を見ながら、酒でも飲みたくなってきた。
2016.01.31
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ルーブル美術館 現在の進化学では、定向進化説は否定されている。突然変異によって生じた 形質が自然淘汰にかけられて、進化が起こるが変異そのものには方向性 がない。進化に方向性が見られるとしたら、其れはその方向にたまたま、よ り有利なものがあるからに過ぎないと考えられている。サイズが大きいこと が有利なのは、飢えに強いことだ。体重の半分に減少した時点で、多くの動 物は耐え切れず死亡する。また体重当たりのエネルギー消費量は、サイズの 大きいほど小さいし、寒冷や酷暑にも強い。強くて大きいものが、より多く の子孫をのこせる可能性も高いこともある。こうして、考えると「コープの 法則」の現代風解釈から言えば、背が高く、給料が高く、学歴が高い男に、 女が高のぞみをもつのは、動物学的には、利口な選択のように見える。 然し、進化は小さいものからスタートする。その理由は、小さいものほど 変異が起こりやすいことだと言われる。大きいものは、一寸した環境の変化に も耐えて長生きできるが、その安定性ゆえに、新しいものを生み出しにくい のだ。 企業も同じだ。 そして、大きいと個体数は少なくなり、大きな環境の変化に出遭うと、変異 種を創れず、絶滅するだろう。小回りが効くことと安定していることは相容 れない性質だが、ある程度は生きていけるもののようだ。 さて、「島のルール」では、ゾウは、島に隔離されると世代を重ねるうちに どんどん小型化してゆく。食物量と面積が狭いからだ。処が逆にウサギやネ ズミは大きくなる。これを古生物学では、「島の規則」という。 地球は、だんだん狭くなり、ひとつの島になりつつあるだろう。もう大陸の 時代ではない。とすれば、これからは、「島のルール」が適用されるべきで はないだろうか。アメリカの巨大化は、次代には生き残れないかも知れない。
2016.01.31
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科学の本質は、自己修正的であることだ。宇宙は、昔も今も将来も「存在す るもの」のすべてである。私たちの思考力はきわめて弱いけれども、宇宙の ことを考えると、私たちは興奮する。思えば、人間は疑問を持つようにでき ており、人間にとって、知ることは喜びである。知識はまた、生き残る ための前提条件でもある。私たちは、孤独のうちに成長する。宇宙のこと は、ゆっくりとしかわからない。頭がよくて、情熱的で、好奇心の 強い人たちの間に、私たちは生きている。知識を探求することが称賛される時代 に私たちは生きている。そういう意味で、私たちは恵まれている。 21世紀を生きる者にとっても・・・すべてのひとたちにではないにしても・・・。 これから、何かをはじめようとしているひとには、「COSMOS]は、素 晴らしいカール・セーガンからの賜物だろう。 過去のことは忘れて、これから、何かをしなければならない私にとっても、 何より勇気を与えることばがあふれている。出水のつるが帰り始めているらしい。和白干潟の渡り鳥たちも変える準備を始めているのだろう。講座から帰って鳥渡草臥れていたが、干潟に様子を見に行ってきたが、あまりいなかった。
2016.01.31
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時差8時間ルーブル美術館 怪我をして知る痛みもあり、病気をして、健康の有難さ解ったり、戦争になって平和の尊さが解かるのかもしれない。自分がなってみないと解からないことがある。頭で解かっていると思っていてもその場にいなければ理解できないことさえある。善意と悪意というのは法の世界では、知っているか、どうかだ。知らないが善意で、知ってすることが悪意になる。 ・善意無過失というのは法で保護されるが、それが一般の庶民のことでもある。何も知らないことが好いことなのだろう。「倚らしむべし知らしむべからず」がある。善意の庶民を奨励している。一人で自由に生きることや独立独歩をあまり勧めてはいない。寧ろ自己犠牲が美徳とされていた。上の人たちが目下のものに野蛮な行為をする陰湿ないじめの土壌がある。 ・へ2・・・トラウマを受けたものが、その被害者が加害者の立場になると逆転してしまうことがあるという。大人が大人になりきれない環境が確かにある。それこそ危険な賭けをしたがる企業の社員は、不幸だ。それは国家でもある。皆でやれば怖くないばかりではなく、皆でやれば怖いこともある。
2016.01.31
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消費者感覚で学校教育を受けて、気付いて思ったらすぐ「自分には合わない」と投げ出してしまう今どきの学生を無責任だというのは簡単だが、果たしてその責任は学生だけにあるのではない。日本の大学のランキングは、それこそ非常に低い。そんなお粗末な教育しか受けてこなかったのだろうか。もしそうならその責任は誰にあるのか。 ・ 泥まみれの現実を高見の見物してきた人たちが、あれはダメだと言ってきただけだ。それこそ大学の自治もない大学で、「予測困難な時代において生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学」になりどんな状況になっても対応できる多様な人材」が育成できるだろうか疑問だ。 ・へ2・・・市民はどこにもいないところで議論がされ、或いは他国の翻訳でしかない論理で、体験学習プログラムも質の高い教育実践とは言えないと思う。それこそ植民地支配のテクニックを学んでも仕方がないのだ。文化人類学はそうした亜流でしかない。それこそ真の人間を馬鹿にした教育がされているのではないだろうか。 華やかなようにみえて現実はうそ寒いのだ。
2016.01.31
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ルーブル美術館 「今どきの学生」とは。いまこの世界で行かされている自身として確認する。つくる。大学教育の今日的課題。女子大の体験学習実践。学生の体験談。 社会人基礎力。それこそ今どきの大学の先生が、これからの大学を牽引しようとしているようだ。行政がどのように考えているかまでは知らないが、確かに女子大の組織改革が推進されていることは確かだろう。 ・そしていつも気になることは、アメリカの大学で研修してきた人たちだということだ。自分の考えがどこまであるのだろうか。それこそひとは小学生からスタートする。6334制は戦後取り入れられた。大学教育の今日的課題に取組むことは必要だが、4年間だけでできることは、その人間の全体を変えることではないのだろう。 ・へ2・・・社会システムを修正していかない限り、他国へ行って体験して来ただけでは足りないのではないだろうか。779大学があり、公立女子大は 、4つしかない。いわば真面目で「いい子」が多いと言われている。良妻づくりがされてきた。この大学は全国初の公立女子大で、「次代の女性リーダーの育成」が建学の精神だそうだ。それこそ上からの指導でしかないのだろう。
2016.01.31
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ヴィジュアルデータ百科の「現代の世界」ケンブリッジ現代社会研究所の翻訳本を読んでいる。現代社会を理論的に把握することはかなり困難な問題でもある。日本の文化の状況もある。どのような教育を受けてきたか、その人の置かれた社会的環境と個人的な能力もある。学校教育と社会に出てからこれまで学んできたものがどれだけのグレードかは個人差がある。そのひとの識見と洞察は常に社会環境に影響されてもいる。 ・総論まで行くまでにはその時々の観察の概括でしかないが、各論が何かも重要だろう。この本では、6分類されている。 ・環境 ・社会 ・国家 ・金融とビジネス ・テクノロジー ・文化 環境だけで終わりそうな感じがしてしまう。だが怖れることはあるまい。 どこから初めても好いが、簡単に終わってはならない。先が未だあるから。私は、環境と文化に関心がある。 それをこれからも続けたい。 人生は生きている限り終わらない。前向いていよう。
2016.01.31
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マイケル・ボウルター「生物多様性は複雑な系(システム)だ。2億年前のジュラ紀でさえ、生物多様性はピークを過ぎていたものの、複雑さの度合いを着実に増やしつつあった。大陸が移動した為に気候と生態環境がわずかに変わり、食物連鎖にも変化を生じた。二酸化炭素の濃度が上がり、気温も上昇した」という。 生命は「破壊されて粉々になり、無にすることだってある」地質時代というタイムスケールを理解することは困難に近いだろう。このような変転きわまりないシステムの中へほうり込まれたとしたら、どうだろうか?自分のいる場所の状態を把握できずに立ち往生するに違いない。 2億年前は、ビックバンからの約130億年の内の2億年間だ。たとえば、天気予報でさえ、どれだけ長く気象データを蓄積しているかによって、正確さのレベルが決まってくる。種としてのヒトが誕生したのは、余りにも近時に過ぎない。タイムスケールがショートしている。 かって大陸移動や、破壊されて無になることもあった。これから「人類の絶滅」だって、あっても少しも不思議ではない。人類がタイムスケールをもつには、地球や、宇宙の歴史は厖大過ぎるのだろう。少しの知識を驕るべきではない。 訊かなければならない人たちの声を聴かないでもいるだろう。ひとに、残された叡智だけでもない。ヒトの生きてきた歴史など取るに足りないからだ。私たちが持っているタイムスケールなど幼稚なものでしかない。
2016.01.31
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何故この部分または他の部分が変異したのかということの原因を特定できない。条件の変化は、普通 にただの彷徨変異性を誘発するに過ぎないが、時々直接に明確な効果の原因となることがある。これら の効果は時間の経過とともに極めて明確なものになることもある。習性が体質の特徴を生じ、使用が器 官を強化し、また不使用が器官を弱く縮小させる効果は多くの場合に有力であったように見える。相同 部分は同じ状態に変異する傾向がある。また結合し、節約し、他の部分に影響を及ぼすだろう。 多様に使用し、未発達で、下等な有機構造は変異し易いのだ。自然淘汰はもっぱら有益な変容の保 存によってのみ作用する。私たちは、前さえ向いて生きていれば、明日を見失うことはないと言うことか。
2016.01.31
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人生のマイルストーンとなる重大な変化を何度となく経験する。それを戸惑いなが ら通過儀礼のように熟すことができればいいが、意外と人生のハードルは高い。一見うま く遣ったようで、実は消化不良も多い。 ・殊に人間関係で、苦労することになるのは何故だろうか。有機体としての私たちはホメオスタシスを求めるあまり変化の態様に対応できないことが多いからだろうか。 へ2・・・どうしたら、うまく世渡りができるかではない。この本を読めば頭が良くなるというのもまやかしでしかない。作者の準拠枠は、他人には当て嵌まらないからだ。それは偽善でもあるだろう。ブサンのマインドマップに関する本もよく読んでみると殆ど、「脚注」が確りしていないだろう。どうも成功するいうのは、なにが成功かよく分からないものが多い。
2016.01.31
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国民の政府への信頼性というのはアンケートでも先進諸国では、かなり低いらしい。小泉首相以来だが、どうも首相がテレビの前でちょこちょこ出てきて、パフオーマンスをするが、軽すぎではないだろうか。必要以上ではないか。マスメディアを利用しているつもりらしいが、どうもタレントのようでしかない。 ・政府の言動を公表することは確かに価値がないことではないが、単なるコメントでしかない。言い過ぎたでは済まないのであり、やはり軽すぎる。「十字軍」は、イスラムでは、略奪を繰り返したならず者の集団のことでしかない。それは視点の違いでしかないが無視することのできない事実でもある。 ・へ2・・・強者にすり寄っているだけでは、これからの世界では選択を誤るのではないだろうか。アジアの存在は、これからますます国際社会では重くなっていくに違いない。10年後、世界はどうなっているだろうか。「あと3分」の意味を考えると、政府は信頼できない。
2016.01.31
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パリ20℃ 国民の政府への信頼性というのはアンケートでも先進諸国では、かなり低いらしい。小泉首相以来だが、どうも首相がテレビの前でちょこちょこ出てきて、パフオーマンスをするが、軽すぎではないだろうか。必要以上ではないか。マスメディアを利用しているつもりらしいが、どうもタレントのようでしかない。 ・政府の言動を公表することは確かに価値がないことではないが、単なるコメントでしかない。言い過ぎたでは済まないのであり、やはり軽すぎる。「十字軍」は、イスラムでは、略奪を繰り返したならず者の集団のことでしかない。それは視点の違いでしかないが無視することのできない事実でもある。 ・へ2・・・強者にすり寄っているだけでは、これからの世界では選択を誤るのではないだろうか。アジアの存在は、これからますます国際社会では重くなっていくに違いない。10年後、世界はどうなっているだろうか。「あと3分」の意味を考えると、政府は信頼できない。
2016.01.31
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いつも同じことばかりしている。このままではいけない。どう反省すべきだろうか。小手先のことばかりしているが、いつか6回目の大量絶滅も来る。これくらいと思うことが、致命傷になりかねない。下らない歌謡曲とか、毎日のように流行り歌を聴いてその歌詞に酔っているような人生でいいのか。文学も同じだ。政治も経済も真剣にやらないと。 ・「あと3分」しかない地球の危機的状況をいま遣らないと間に合わないのだ。努力しなければならないのは全方位だ。総力戦でもある。武器は使わないが、能力は最大限に使わなければならない。日本はこのままでは文化も財政も破たんするだろう。 ・へ2・・・思いはショートしてしまう。無為に時間ばかり過ぎている。これまであまり他人からしてもらうことがなかったが、他人から世話をしてもらうことが増えている。人生は甘くないとつくづく思う。今日のテーマは、「世界と出逢う~大学教育の今日的課題と海外体験学習~」とあるが、次回から3回は外国人講師である。
2016.01.31
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それこそ全方位で人びとは夫々の人生を活きている。職業も多様であり、キャリアも違う人生でもある。士農工商が在り、産まれたときから、其の定めが決まった時代もあった。堀辰雄の「曠野」も万葉の頃の貴族社会の女性の運命の物語でもある。都育ちで貴族のみめうるわしい娘に産まれたが親の投資を受けられなかったために、一人の男を愛したが棄てられ、やがて田舎の男の妾に為り、偉くなった前の男と下女になって再会してショック死する話である。どこがゆかしいのか解からないが、それが当時の女の「源氏物語」由来の女性の一生でもある。 ・近代文学の堀辰雄の時代が、古典の頃とは社会環境も違うが、そういう女性が作家は好きだったらしい。確かに従順で相手の男を怨まない女性であったが、何故、最期に死ななければならないのだろうか。それが作家の見識でもある。名を為した近代の作家たちがみな情けないほど、女性蔑視なのは時代がそうだったからだ。いまだに女子大では、男女共同参画であり、ジェンダーの運動を続けなければならない社会風土がある。情けないのは政治ばかりではない。そこに活きている文化のレベルが低過ぎるのだ。 ・へ2・・・社会には偏見がいまだにある。職業で社会の目は貴賎を問うところがやまない。どんなに知識が在り、キャリアがあっても下劣な人間はいる。情けない社会だ。文化の根底にあるものが歪なのではすべてが歪曲化してくるしかない。中世の女性の短い一生の中に精神の曠野(あらの)があるという。作家の目は、そこから旅立とうとはしない。悲惨な運命ばかりが、砂上に書くような話で終わるのみだ。
2016.01.31
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エッフェル塔の建設の意味は、それが鉄の塊であるということのためにパリ市民の反発を買ったが、それは新しい時代のシンボルでもあったらしい。そしてプランス文化の開花でもあった。その存在価値は計り知れないものがある。世界中の人たちが知っているからでもある。その時、なにをしたかで歴史的価値も決まるのだ。 ・EUは、揺れているが経済は経済だというのだろう。観光に打撃を受けたが、観光は、重要産業でもあるパリは世界一の観光地でもある。 私には初めてのパリだったが、セーヌ川から眺める風景は、その装飾された歴史のある美しい街でしかない。就中戦争をしているフランスは微塵も感じなかった。人々は平和に散歩していているように見えた。 ・へ2・・・どちらがバカなのか知らないが、人間の一生は、時間とともに消えてしまう。パリに憧れていた画家の友人がいたが、彼は巴里に行ったと話した。そして東京で個展を開いた。その抽象画のどこにパリがあるのだろうか。おそらくあるのだろう。ルーブル美術館の見学をしたが、彫刻の前で学生たちが模写していた。パリの学生になりたい画家の卵が羨ましがるのだろうと思った。
2016.01.31
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コピーからスタートしている。セルもそうだが、私たちのやっていることと言えば大抵コピーだろう。パクリもある。そうして、いつか突然変異がある。元々その因子を私たちは育てている。無駄と思われているものが、遂に役割をはたすのは、いつかわからない。役割は来ないかも知れない。只管、コピーを繰り返している。歳月も同じだ。地球は46億年の時を刻んでいる。ビッグバンから140億年過ぎた。そして、生命が誕生して30数億年近くコピーを続けて、多細胞となり「ヒトという種」として私たちがいる。アフリカのルーシーがヒトのルーツである。コペルニクスやダーウィンは、科学的真実を指摘したに過ぎない。ひとは知らないのではない。知りながら今なお宗教戦争を続けている。愚かなのは、過去ばかりではないだろう。 ・思えば、人の一生もコピーからスタートしているが、皆同じ人生ではない。少しの違いが夫々の個性になり違う一生を終える。春が来て夏になり秋が過ぎて冬となる。朝がきて昼になり夕方が過ぎて夜になる。人は誕生して、成長し生殖し、移動して死ぬ。人間には、まだ為さねばならない命題があるのではなかろうか。それさえ判らないでいるように思える。肉体の苦痛は、時が過ぎれば消える。そうできているのだから、生物は炭素でできている、自然に還れば消えてしまう。私が今遣っていることと言えば、図書館で先人のコピーをしている。それだけだ。それが生甲斐でもある。 ・へ2・・・コピーでありながら、なぜ生々しい感性があるのだろうかと思う。生きることは喜怒哀楽に満ち、夢を追い続けている。
2016.01.30
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トイレ券 言いたいことはあるが、どうもどこまで通じているのか。恐らく舌足らず。文才がない。勝手気ままに書いている。一を言えば十を知るひとでないと。そんなことも簡単にあるわけでもないが。知っていると思うことを知らずなのかもしれないのだ。最先端の知識から時代が動いていくのではない。のろのろした民意の中に動かすエネルギーもある。どこに真意があるか汲み取る力こそ重要だろう。 ・エベレストでさえ元をただせば海底だったのだ。今見ている世界がすべてではない。いわばプロセスでしかない。五大陸はまた一つに戻るだろう。私たちのみている世界は束の間のそれでしかない。いいたいこともあってない。ないからといってそれだけでもない。 ・へ2・・・このブログもいつまで遣れるか分からない。自分がやりたくてもシステムが亡くなることだってある。あっても自分がやれなくなることもある。誰が正しいのでもなく、悪いのでもない。私の人生は、他の人には無いに等しい。いつか誰もいないところに立ってしまうのではないのだろうか。それは覚悟している。言いたいことも最期まで訊くのは自分自身だけでしかない。
2016.01.30
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一人一人持っている個性は、多様である。それは幼児体験からくる。どんな環境で育つかは一様ではないからだ。個人の持っている素質もある、そして個性ができて行く。個人差があることは誰もが認めているが、差別をしてはならないと、できるだけ他の子どもと同じように育てようとするのは、間違いだろうか。個人の才能を見つけることは容易ではない。生まれた環境がその才能に必ずしも最適ではないこともある。他人の才能は、何時開花するか解からないからでもある。早い人もあれば遅い人もいる。長い歴史が積み上げた性の遺伝子もある。 ・振り返ってみると、自分の履歴にも他人とは違う個性があったと思う。何故内向的であったか分析してみると、理由もわかる気がする。病気になったことも、それは自分の責任もあるが社会にも原因がある気がする。避け難い遺伝子もある。社会が決めた定年のルールもアバウトではないだろうか。個性を無視してもいる。それでありながら政治家には定年がないのは何故だろうか?それこそ、国家のリーダーたるべき人が、脳の委縮と闘ってもいるという現実がある。 ・へ2・・・ひとも動物であり、自然の摂理から逃れられないし、何時か人は老いる。人間の歴史は長くはないが充分人の一生は理解できるまでになった筈だ。科学の進化は、やっと渚から出ようとしている。いつまでも旅に出ないのは勇気がないからで、それでは腐敗するし、「種としてのヒト」の役割を放棄してしまうことになりかねないと思う。最大限に個人の能力を発揮できる環境こそ重要なのではないだろうか。エネルギーを無駄にしてはならない。在るものを使うしかないのが生命のミッションでもある。 ドイツ・スイス・フランスとあっという間の一週間だった。最近はあまり健康に自信がないので、どうなるだろうと内心は心配もしていた。EUも難民問題とかテロ事件などで、観光どころではないないようだ。天候に恵まれて、シーズンオフだが、パリでは20℃だったりしたが、数日前は寒波だったらしい。ノンシュバンシュタイン城では、零下10℃近くの予報だったが、当日は思いのほか気温が高かったようだ。しかも一般の開館前に私たちだけで見物出来たし、運がよかったのだろう。これからルーブル美術館の感動もある。ラッキーだったのだろう。
2016.01.30
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時差8時間 フランシス・ベーコンは「随筆集」で「歴史はひとを賢くし、詩人は発想を 豊かにし、数学は精妙にし、自然科学は深くし、道徳は重々くし、論理学と 修辞学は議論ができるようにする」の述べる。しかし「諸学はそれら自身の 使いかたを教えてはくれない。そのしかたは諸学の外にあり、諸学の上にあ って、観察によって獲得される知恵である。」 この知恵は「古来の哲学者の調和的な知恵」に対して、「相反する極端な動 き」を処する行動の知恵でもある。それは、それ以前のスコラ学的「大全」 との決別の所以である。 「哲学」由来の歴史の流れを知ることは、虚妄と真実の弁別もまた確信の 無い不信と疑いの泥海を行くようにさえ思えてくる。 哲学と科学は分岐しているのだろうか。その始点はどこにあるだろうか。 泥濘の中の迷走が哲学的議論に他ならない。だからこそ、それが不毛の苦役 とも見えるし、不屈の決意を自らに課す所業とせねばならない。
2016.01.30
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時差8時間 世界の人口は、国連統計によれば74億人を突破しそうだ。 世界で一日20万人が増加している。一年で8千万人増えている。 日本の人口は、1億2776万人。毎日3千人が産まれ、毎日3千人プラスアルファが死亡している。 貧富の拡大と温暖化などが山積し、地球の表土や森が失われており、水や食 料が不足しているし、深刻さは増大して行くだろう。 それこそ戦争など遣っている場合ではない。 これは誰もがもつ共通認識ではなかろうか。これが常識でないとしたら、な にをもってコンセンサスなのか。然も、事態は悪化しているのは何故だろう か。人類には自浄能力がないということだろうか。誤りを糺すことができな ければ、ホモ・サピエンスとは言えない。集団自殺するねずみと同じで はないか。否そのねずみたちでさえ、いくつかのグループに別れて、全方位 に走り出すのだ、種の生き残りをかけた決意さえあるといわれる。 予見することができるのが、人間の特質だとすれば、かかる事態に対する考 えがないというのであれば、世界は破綻する前の、企業の放漫経営と相似し ている。
2016.01.30
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セーヌ川 加齢とともにミトコンドリアのゲノム・DNAに変異が蓄積すること。ことにゲノムの複製に重要な1千塩基対より特定のDNA断片に変異の集中が判った。若い内は惹起せず高齢者に5%~50%の確率で起きる。ミトコンドリアのDNAは、核のDNAと異なりヒストンのようなタンパク質による保護が無いため変異の確率が10~20倍高いと言われる。せっかちマウスは短命でのろまの亀が長生きなのはミトコンドリアの活性酸素の放出と無縁ではない。大食いは大量の活性酸素を作り出し動脈硬化と老化を早めることになる。複製のエラー:ミスマッチが発ガンと結びつく。体のメンテナンスは、常に点検を怠らず傷ついた部分を修理しなければならない。手当てをしないと家屋のメンテと同じで怠ると木造家屋ももたない。パーツも大事にしないと修復できない運命だ。 生殖に到るまで個体差が少ないのは子孫を残す為だ。生殖との係わりが希薄になると多様な個体差を生じてくる。熱力学第二法則のエントロピー増大:生物を含む全ての物質は劣化を免れない。 PALE BLUE DOT "A vision of the human future in space " "pale blue dot "の地球が何時か太陽に呑み込まれ、或いは、r=10mm なるかも知れないが・・・。 存在理由 「問題の所在」は何か。意義があり。沿革・構成要件の総論があり。そして存在理由がある。企業も生きているのだ。遺伝子からみれば人体は道具である。脳も精密マシーンでしかない。感情も化学作用で喜怒哀楽がある。どれだけの情報を持っているかで未来は決定される。情報能力のない個体は生き残れない運命だ。蚯蚓でさえ移動しなければ同じ環境で生き残れないことを知っている。遺伝子にプログラムされているからだ。シンメトリーな異性を好み優れた子孫を残そうとして、仕組まれたDNAが遠い数十億年の彼方から来ている。 存在理由のないものは、この世界では消去される。
2016.01.30
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時差8時間 「何故生きていなければならないか」と問われたら困るだろう。自然科学では、生命は目的をもって生まれていないという。偶然の産物でしかない。それを神が創りたもうたといってきただけだ。その評価は人によって違う。その慣習を今更止められないで苦労している。長い歴史の果てでもある。どうするつもりか誰も知らない。アメリカの大統領でさえ「神のご加護」と言っている。それでもいつまでも神のご加護を待っているわけではない。 ・本音を隠している。そうして、言葉を弄してきた。人々は言葉を信じなくなっている。その場限りのウソをつく。人間の特徴は、ウソをつく動物なのかも知れない。分かったようなウソをついているが、それをぼんやりと皆が知っている。悧巧な人間は上手に話している。「私はウソを言っています」という。「ああ、またか、あの人は解ってうそをついているのだ」と聴いていて理解する、ことのできるのが現代人であり、社会人なのだ。 ・へ2・・・妙な話になった。私がしていることは私の問題で、他人には何の関係もないことだろう。それが個人の存在でもある。社会的な動物だとしても、いつもそうだとは限らない。社会性をもつときだけその行動を問われる。自由であることは、自分の前の自由でしかない。神ではない。脅しや誤魔化しに屈してはならないだけだ。
2016.01.30
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「盾はヰリアムであり、ヰリアムは盾である」。これは「一心不乱」の極致であり、絶対の境地である。(石井和夫著「漱石と次代の青年」より)漱石の「幻影の盾」解説の中にある。拘りは拘りを生む原因になる。一片の小説も内奥に至れば、二度とこの世には、帰って来れないかも知れない。文豪の小説と云うものはそんな原生林の世界でもあるのだろうか。謂わば一端踏み込めば蟻地獄にもなる。作家の仕掛けた罠に嵌まるからだろう。ミイラ取りがミイラになる運命でもある。 ・何時も現世に帰る準備をしておかないと偉大な作品ほど、迷わされるだろう。好きな場所でミイラになるのだから本望だと云う研究者もいるだろうが、如何に自分の精神を燃焼できるかでもあるだろう。ことばに溺れることが、人生を台無しにもしかねない。AはAであり、非Aではない。「盾」はヰリアムではない。あり得ないからだ。然し、小説の中ではそれが通用する。あり得ないことが起きるから小説でもある。ひとは想像力の威力を持つ存在でもある。 ・へ2・・・詭弁を弄して平気でいるひとがいる。それを許す社会もある。何が言われているのか、本当のことは中々証明できない。すべてを知る目を持たないからだ。聖職者が500人も幼児虐待をしたと海外ニュースで報じられている。ローマ法王は知っていたのではないかと疑いを持たれているが、そのことさえ真実は解からない。宗教さえ誠実さが欠けているのだろうか。
2016.01.30
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時差8時間 ヘリテージ・ツーリズム 観光の目的によってその価値も違うのだろうが、それが擬似イベントであることには変わりはない。それでも異文化を知ることは、国際社会において重要な意味があると思う。ただ殆どの観光産業システムが受動的で消費的であり、観光の仕掛けが、商業的であることには言うまでもない。一方「観光」という現場のゲストとホストの出逢いであると捉えようとする観光人類学の立場が注目されている。もともと人類学者は、観光に対して敵意を持っていたのであり、物見遊山としての位置づけでしかなかった。 ・「学」として成立させるのは研究者の努力によるのであり、為されていないものが多いのではないだろうか。それは新しい発見をしようとするパイオニアの減少からも来る。資源は荒らされて荒廃して行く。破壊された後からでは間に合わなくなる。寧ろ他人が見つけたものではなく、自分の眼を信じるべきではないだろうか。 ・へ2・・・疑似イベントであるツアーで何を見たかだろう。パリ見物は、なんと気温20℃であった。防寒も殆ど必要がなかったし、まるで春のような陽気だった。テロ事件もうそのようだったが、ルーブル美術館で、武装した警官が、警邏している姿をちらりといただけだ。
2016.01.30
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フランクの法史料において従士団は、国王直臣団という特殊な形で現れる。「サリカ法典」によれば、国王の従士団の成員は国王の保護下におかれて、三倍の人命金が認められた。従士の人命金は600ソリドゥスとされた。自由身分のフランク人の三倍の額だ。 人命金とは、殺人に対して被害者の親族に支払われる賠償金のことだ。その額は地位や身分にに応じて段階付けられていた。 Rectum est, ut qui nobis fidem pollicentur inlesam, nostro tueantur auxilio. Et quia illi fidelis, Deo propitio, noster veniens ibi in palatio nostro una cum arma sua in manu nostra trustem et fidelitatem nobis visus est coniurasse: propterea per presentem precernenus ac iobemus, ut deinceps memoratus ille inter numero antruscionrum conputetur. Et si quis fortasse eum interficere presumpserit, noverit se wiregildo suo soledos sexcentos esse culpabilem.(Formulae Marculfi,MGH Form.S.55) 国王の手のなかで「臣服と忠誠」を誓う。宣誓後、国王直臣の仲間に加わり、以後国王の保護を享受した。今日の欧米人たちの世界観は、どのように形成されたのだろうか。他人の命をどのように考えているのだろうか。精神的損害としての慰謝料があり、その補填として、それは金銭の量で見積もられている。「目には目を歯には歯を」というタリオの法則ではない。 親の仇を討つことが正義とされたがそれは、無制限ではない。
2016.01.30
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時差8時間。 知らぬが仏というが、知れば絶望?もありか。知りたくもないようなことをテレビで遣っている。情報の氾濫だ。韓国の女性タレントのギャラの話まで知る必要がどこまであるのだろうか。離婚とか、個人の問題を、インタビューまでしている。心の渇望が何でも貪欲に呑み込もうとしているのだろうか。常に飢えているようだ。渇きはいつまでどこまでも止むことなくカネを求めている餓鬼でもある。 ・人の上にいないと安心できない人間もいる。特別扱いされないと我慢できない。日本の文学のルーツが「源氏物語」だとすると、作家には貴族意識があるのではないだろうか。そういう人たちの書いたものを当然のように読んでいる文学愛好家の神経は衰弱している。真実に立ち向かわないベクトルがやがて奇妙な世界を創り出してしまう。ことばの美学は、修辞の迷路に嵌まりがちだ。愛読者にはなりたくない。 へ2・・・一知半解でいい。古典や中世を知り尽くさなくても、文学の微妙を、わびさびまで理解しなくても、自分流で理解していればいいと思う。自分のエネルギーには限界があり、そこでブレンドして、先に行かねば一生も尽きてしまうだろう。今日は一日底冷えしていた。仔猫と炬燵で丸くなっていた。 今回の「イスラム国」二人の人質については、日本政府は少なくと一人について、かなり前から知っていたはずだという。何が事実かよくわからないようだ。知れば絶望するような話ばかり。
2016.01.30
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コンプレックスは、生まれて数年のうちに形成される。それは、個人の態度 行動・夢などを決めたり引き起こしたりする一群の無意識的傾向である。コンプレックスには、去勢・劣等・エディプス・離乳などがある。ひとは、何らかのコンプレックスを持っているが、それを克服できるかだろ う。併し、それは、津波のように忘れた頃に何度でも遣ってくる。 人間は弱い生き物だと思う。それだけ柔軟なのでもあるだろう。ひとは、弱 く、然も忍耐強い生命なのかも知れない。 誰かが、この腐敗した蒙昧から抜け出すのであろう。そしてナチュラル・セ レクションがあり、次のステップを迎えるだろう。 私たちは、これまでできそうもないことを易々とできるようになる。 私たちの常識は、常識ではなくなる。私たちは、誰もみなコンプレックスを 抱えた存在でしかない。だから、総てを疑いながら生きねばならない。 それでも、卑屈になることはない。大抵のことは克服できるからである。 修正しながら、コンプレックスをのりこえることもできる。それが前進に繋がる からだ。課題を抱えるから成長できる。体の持つ抵抗力を高めてウイルスと闘う。
2016.01.30
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短期記憶が段々怪しくなる。不正確な記憶を持っているのは前頭葉の陰謀もあるらしい。生きるために都合のよいように修正するのだろうか。懐古主義に見られるのはその延長かも知れない。大した違いではないことも時には大きな相違にもなる。「坂の上の雲」も司馬史観の為せる業だ。卑下しないことは大事なことだが尊大でも困る。自分を過小評価する必要はないが、思い上がると怪我もする。 ・最近の冬山で中年以上の人が山で遭難するのも日頃の自分の体力を知らないこともある。毎日歩いているが、どうもこの年齢になると容易には耐久力はつかない。からだは簡単ではない。長い間運動をしていなかったので、急に体力もつく筈はないのだ。すぐに成果を求めたがるのも忙しい社会に暮らしてきた由縁もある。物事はそう簡単にはいかない。都合よくいくと思うのは、CWの世界でもある。 ・何でも、上手くいかないと自信を無くしてしまう傾向がある。ハードルの低い目標しか立てないから、何でもできると思ってしまうらしい。どこにでも安全に行けるのが当然だと思うようになっている。食べることも、歩くことも、すべて簡単にできてしまうのは、必ずしも自分の能力とは関係がない。健康であることも、実はこの時代大変な努力をしなければ得られない。世の中を甘く見てしまう傾向は、そうさせられてもいる。 ・ドラマで何でもハッピーエンドにされる。だから自分の人生も上手くいくような気もちになる。処が、実際はどうだ、そううまくいく筈もない。サクセスストーリーだけをそれだけ多く知っていても何の役にも立ちはしない。 ・「食べる・生きる・楽しむ」という講座があったが、その意味をどれだけ理解しているだろうかと考えると冷や汗が出る。解かったふりをしているだけだろう。本当の人間の体の子を知らないのではなかろうか。食べるということの真実も、生きることも、楽しむことも考えてみると深い。子どもにもわかるようなことが、それが実は本当は理解していない。自分の体で何が起きているのか、本当に知っているだろうか。明日死ぬかも知れないということを考えているだろうか。知らなくていい人にはなりたくはない。 緊急事態宣言の出ているパリだが、セーヌ川クルーズをしてきたが、市民は川のほとりで日向ぼっこをしたり散歩をしている人が多かった気がした。
2016.01.30
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世界は、勿論誰かのものではなく、みんなものであり、それは人間だけの独占物でもない。思い上がった人間の奢りが歪なものにしてしまうことがある。平家は滅んだから、「平家物語」が出来たのだろう。NHKで大河ドラマ「平清盛」が始まったが、それはどんな意図があるのだろうか。野球や大相撲にしろ、国民の娯楽のための演出は、どうもローマ以来の飴と鞭のそれだろうか。 ・「ローマの休日」という映画があったが、その本来のローマの休日とは、競技場で、猛獣に奴隷を喰わせるローマ人の娯楽のための休日だったらしい。今でこそ残酷な儀式だが、当時はそうではなかったということだ。人を人とも思わない政治は昔からある。それどれだけ脱却しているだろうか。 ・へ2・・・「平家物語」を読んでいたら、「数寄」という当て字が出てきたが、心「好き」なひとを風流・風雅に心を寄せられる人のことを「心数寄給える人」と書いている。企みのある社会であり、時々、誰のための社会だろうかと解らなくなる。そして、偽りの社会が長く続くと虚偽が本物にすり替えられてしまうのだ。
2016.01.30
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キリスト教やイスラム教では、同源であり、人間は唯一絶対の神によって創られ、世界は神の支配下にあると信じられている。生きている間に神を信仰することで救われる。 仏教の考えでは、この世は唯一絶対神で創られたんではなく、人が誰かに裁かれることはない。すべての物事は、お互いのかかわりから生まれるものであり、単独で存在するのではない。こうした「縁起」思想は、死後よりも生前の世界を大切にする傾向がある。死後の世界についてはとくに触れていない。「輪廻」の思想は、インドで古代から信じられたものを、そのまま受け継いだものといわれている。 キリスト教やイスラム教の思想が、これまでの人間社会に肯定できる世界にして活力を与え、世界をリードしてきたことは否定できない。仏教は、その点、時にその時代の権力に烏合して来たことは歴史が明らかにしている。にも拘わらず、三大宗教にあげられるのは何故だろうか。世界での仏教徒の宗教人口は、約3億7880万人だから、世界の人口74億人に対して約5%に過ぎない。 私は初心者に過ぎないが、宗教の役割を考えてしまう。地球の歴史がダイナミックな流動性をもってきたように、時に、その役割があったのではないだろうか。これまで、人間が知ったのは、絶対はないということだろう。宗教にも役割があれば、欠点もあるのではないだろうか。 信じる者は救われると言うが、信じないものも生き残ってもおかしくはない。 太古、大陸は移動したし、長い間ニッチを獲得していた恐竜は約1億年君臨したが7000万年前に絶滅したのだ。栄枯盛衰はあるのだ。宗教も同じではないだろうか。中国やインドがもつ潜在力が新しい時代を予見させるだろう。そのための準備がどこまでできているかは知らないが、沈んでいくものと、これから力をつけていくものがあるとすれば、宗教の歴史は、大きな課題になる。
2016.01.30
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モンサンミッシェル 人間はつねに進化している。生物学では退化も進化である。或いは反動も前進である。負けることも、勝ちに繋がる。人民は、負け続けているが、懼れることはない。人類は何れ、本当の意味で合理性を獲得するだろう。どうするかを悩む必要はない。その時は、人類には未来が消えている。 私たち人民は、何ものかに従属しているだろうか。敗北者たちだろうか。そうならないために何を為すべきか。 苦悩することには慣れている。これまでもそうして来たし、これからもつづく。それは、常に人民のサイドにいることだ。自分の信じる正しいものが何かを考え続けること。 敢て、他人を傷つけたいとは思わないが、そうなるかも知れない。相手は、所謂「敵」でも「味方」でもない。 季節は巡ってくるだろう。繰り返されるシーズンは、ヘイフリックの限界のように、やがて細胞分裂を終わりにするように、めぐり来る季節の中で人生を終わりに導くだろう。真冬の寒さは、そのことを知らせてくれるのかも知れない。今朝の寒さは、凛としている。
2016.01.30
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大天使ミカエル 議員になれば高所得が得られると議員になったと思われる人物さえいる。公務員も飲酒運転はするは、破廉恥行為も厭わない連中さえいる。これでは汚職もしている。中国がどうのという資格はない。オスマントルコもキリスト教徒には野蛮人に見えたのだろう。十字軍も、トルコで聴いた話は、これまで読んでいた本とは相当違っていた。 ・ベトナム戦争では、アメリカでは、毎日攻撃のたびに相手国の死者数を発表していたらしい。今度の「イスラム国」への爆撃の成果の発表は控えているそうだ。していることはあまり変わりはないが、狡猾な配慮がされている。アメリカは、日本の自衛隊を軍隊にして利用しようとしている。恐らく日本がどんなに軍事力を保有したところで、軍事的には、尻の毛まで調査済みであり、ピンポイントで攻撃できると思っているからだろう。怖くないと思っている。 ・へ2・・・日本政府をパートナーだとは信じていない。利用できると思っているだけだ。好い気になっていると、裏で米中関係が手を結びかねない。目的のためには何でもする。強かな日本外交といえるだろうか、とても言えない。外交能力もない人が政権を持っている。国益は喪うばかりだろう。
2016.01.30
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多動性の性質があると自分では思っていたが、それはどうも頭の中だけのようだ。文化の本源的蓄積が足りないのかどうかわからないが、社会を卒業して、10年余り講座で戴いた資料も山ほどある。書籍も集めていたが、残っているものは僅かだが棄てられないでいる。残している宿題があるから。収集したものは一つ間違えばゴミでしかない。使って初めて活きるだろう。ブログで載せる写真には総量のリミットがあるので思うようにはいかない。 ・ツアーでは、数台のカメラでばちばち遣るので、結構ストックがあるが、ありすぎて整理もあまりしていない。いまごろになる破目になっている。見直して、また感動もする。自分のエリアでしかないが、分かってくれる人もいるかもしれないとずうずうしく載せている。PCの中で凍結していた写真を取り出してみて一人で楽しんでいる。 ・へ2・・・今朝は雨が降って暗かったが、朝寝して起きて着たら、春のような明るい陽射しが部屋の中に満ちていた。居間のガラス窓を開けたら、さっそく猫たちが来て、外を覗いている。猫は外が好きのようだ。時々、虫や小鳥が庭に飛んでくるからだろう。
2016.01.30
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先ほどまで違うことを考えていたが、今はそれとは全く脈絡のない違うことを考えている。 分裂気質である。子供のころから他人の話を聴かない。というより色々想像してしまう。被害妄 想もあったようで、可愛がられたが夜首を絞められたらどうしようと思ったり、朝目が 覚めた時には、そのことを忘れていた。怖がりでもあった。漱石の「吾輩は猫である」を、1 ページを虫メガネで読むようなスローペースで、意外と長い。自分の存在の総量は、自 分の住んでいる社会の総量を超えることはないし、人類もたとえ70億人の人口があったとし ても、地球の総量ではないし、地球も銀河系の総量ではなく、銀河系も宇宙の総量ではない。 ・物事を反対から観たほうが理解しやすい。子供のように自分中心に観念したいの は、それは幼稚でしかない。全体と個はスケールが違いもする。脳も自分の総量の一部でしか なく、ヒトの平均で1400gの重量でしかない。ひとつのことを考え続けている人間はいな い。人間の視覚は多くの情報を脳につたえている。目が悪くなればその分脳には影響がある。 聴力も同じだし、嗅覚だってそうだろう。動かない体はすぐ動くことを忘れてしまう。1週間 で、人間の体は動けなくなる。 ・へ2・・・呼吸や心臓だってもっと早く脳を破壊する。血液の流れがとまれば生命活動は 終わる。思えば奇跡のような人生の毎日を生きている。五感が衰えていくが、それに 代わるものを創り出しているだろうか。自分の生命を甘く見ている。自分の持つ自分 で作っただけの準拠枠だけで終わろうとしている。個としての総量はあるとしてもま だ使っていないツールが山ほどある。それを見つける努力をしているだろうか。来年 の1月はないかも知れないという決意はあるか。
2016.01.30
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社会の枠の中で人は50歩100歩でしかないし、そこをはみだすと際限がなくなる。そこそこで暮らすのが好い。人から羨ましがられ妬まれもする。侮辱されるのも腹が立つが、他人を見下げるのも好きになれない。運が好いでもなく不運でもなく、時代の波に揉まれても来た。人がどんな生き方をしようと、他人の権利を侵害しない限り、人は自由だ。国際社会ではそうはいかない国家があるだけでしかなく、それはどこかまともではない。表向きだけでしかない国もある。個人の自由は尊重されるべきだ。それだけは言える。 ・国家が在るべき体制であるとは限らない。権力の指導者が正しい方針を打ち出せないことはよくあることだ。ひともいつも正常ではない。山道を登らねばならなくなると躓きもする。子らを背中に負っている時は、弱音も吐きたくなる。あとか先かの友人や知人たちが人生を終ろうとしている。何ものかであろうとしてきた人たちだ。縋ってきた杖も無くなっている。活きるのは、何でもないが、1ミリも寿命を延ばすことはできない。ルールを守るしかないのだ。 へ2・・・走り出した時間を止める術はない。おとなしくしている人にもその時は来るだろう。騒いでも騒がなくても同じだ。他人を強制したくないし、されたくもないだけ。夢を見られるから幸福でもない。自己満足するから立派でもない。遣り遂げてもやり遂げなくても、価値あるものには価値がある。誰の審判も要らないだけだ。
2016.01.30
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太宰も三島も意地に拘った作家だろう。言行一致と三島は言って自殺した。「人間失格」と言い続けた太宰も同じだ。どこか文中にある「言葉から起こった難儀」に苦しまねばならない。太宰は落語が好きで、とめどなく言葉が出てくる天才でもあったそうだ。彼の文章を見ているとそれを彷彿とさせるフレーズがいくつもある。これが龍之介にはできなかったようだ。太宰は落語の造詣が深かったのだろう。相変わらずオリジナルが少ないのであり、一つの作品が、いくつかの連関をなしている。 太宰は、突き詰めると逃げ場のない生き方をしており、女ではないが「女三界に家なし」のような感さえする。それともまじめ過ぎて生きるのが下手だったのだろうか。それは作品のなかで繰り返されてもいる。太宰のユーモアのルールが或いは「落語」にあったかも知れない。 ・へ2・・・国民の選択を残していくことが政府の役割でもあるが、ワンウェーばかり行こうとしているのではないだろうか。引返すことができない道が国民を長い間苦しめた歴史がある。硬直した思考が感じられてならない。
2016.01.30
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がん告知をされた人たちがグループ療法で、免疫力を高めている話があった。人が免疫力を高めるというのは重要な要素であろう。好きなものを見るとか、喜びを感じると元気になることでもその価値が判る。心は持ちようである。妻の従妹が、孫の顔が見たいと思う気持ちが医者の予想を覆してその夢を叶えることができたのも、強い意志が免疫力を高めたのではないだろうか。孤立して孤独になり、まだ充分その体力があると思える人も絶望で生きる力を失うこともある。人間の免疫力は疎かにできるものではない。寧ろ免疫こそ私たちの身体を生成する形質であり生命を守っているのだろう。 ・グループ療法が医療行為に見られないということで問題になっているらしい。医師が病気を全部治しているというのだろうか。アメリカの高名な医者が、患者が治るのは殆ど医者の能力による医療行為ではないといった。一番大きいのは人間が本来持っている本人の治癒力だという。それは免疫力ではないだろうか。 ・へ2・・・その力はどこから生まれるのか。それは容ではない。強い精神であり、強い意志ではないだろうか。生きるとことへの執着ではないだろうか。何かをやり抜くことではないだろうか。それが免疫力を高めるのではないだろうか。心と体は一体なのだ。即ち、不屈の精神力を高めることだ。 天に恥じない生き方をしてこそ勇気もわくに違いない。
2016.01.30
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時差8時間。 人生を捨てようとする人が、若くても増えてきたのではないだろうか。まだやれることは沢山あるのに。何が良くて悪いか一様には判断できなくなってきた。これは自由の代償だろうか。自分の権利を主張すれば義務も負わねばならない。コストを払わねばならない。生きておれるのはただ恩恵だけではないからだ。 ・他人の権利を奪うだけでは生きておれない。皆とともに生きていることを自分の暮らしの中で感じていくべきなのだ。高齢者を解雇しないでそのまま働いている外国の会社の紹介をテレビで観たが、雇用モデルになる。高齢者で、働きたい人に働く場を与えることは確かにそれだけの工夫が要ることだ。社会が必要な人に、それをするかしないかだ。カネの必要な人に安易に適正な職場から高齢者を締め出している。 ・へ2・・・加齢に伴う体力や脳の委縮を、正しく理解することだ。若い人間だけが必ずしも社会のエースではない。経験やキャリアが役に立たないものもあるが、そうでないものもある。いつも人生のエースでいたいと誰しも自分では思っている。この多様な社会の中で、高齢者の人びとが増えていく中で、少なくとも見棄てられるべきではない。寧ろ死ぬまで健やかに働く場を与えるべきだ。
2016.01.30
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ひとの人生はコップ一杯のスープであり、その中で活き、やがて運命から飲み干されてしまう存在でしかない。こうして自由に生きているようで、意外と狭いスペースを彷徨いつづけているのだろう。それは前進でも後退でもなく、ただ寿命のままだ。ヘイフリックの限界から抜け出せない。いつか解き放たれる宇宙の放浪者に戻るだろうか、それを夢見てもいる。追い求めるものが必ずしも幸福とは限らないように。「 山のあなたの空遠く 幸いすむと人のいう」子どもの頃好くそのフレーズを耳にしていた。夕焼けが輝きだすと、家を飛び出したくなった。その幼い頃のその自分の発見を誰にも伝えられなかったが、祖母から叱られながら山の夕焼けを追いかけていた。子どもたちは見棄てられていたころだ。それどころではない大人たちが、貧しさに日々の暮らしに飢えていた。活きているだけが幸福だったのだろう。死ぬよりましだと思うしかなかったのだ。 やがて時は流れて、時代とともに社会は変化した。もうカップ一杯のスープも底がみえる。鴉の声がする。母の亡くなる朝に、大きなモズの鳴く声がしたのを思い出す。 ツアー帰り朝の静けさの中で、こうしてクラッシックを聴きながら至福の時を過ごしている。福岡の今朝は雨で気温は11℃らしい。朝食の時間までがいい。人の幸せは追い求めるほど遠くへ逃げてしまうものだ。一昨年の今ころグランドサークルを観光したが、夢のようだった。かってアメリカに移住した日系人たちは酷い差別を受けたが、耐え忍んで現在もなお差別と闘っている。人々はいわれのない差別や社会環境に負けず自分の厳しい人生と闘い続けている。
2016.01.30
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<作品>「泥濘」 ・政治と小説とは違う。そして、何れも、一言二言では済まない。 ・カネへの拘り・・・が、TPOで変わっていく。 ・読者は、脳をクリアーにして読むこと。 ・文学は、「ことば」にならないものを書く。 ・趣旨のわからないもの。作家の真意を探す。 「泥 濘」 ・影の部分を視ることが重要。 ・自分の気持ちを、「泥濘」という比喩で表現している。 ・「自分の気持ちを書きたい」という強い意志がある。 ・「時間」に拘る。東京人は、事が、1分でも遅れるといらいらする。 ・川端「伊豆の踊り子」・・・「ことことと笑ひ続けた。」表現やモチーフに梶井との共通点。 「拭われたように」感じる。 ・気持ちを他のものに転換しようとする。 ・「ドッペルゲンゲル」・・・鏡像現象。同じ自分ではない。二重人格。 ・胎児が胎内で聞いた母親の心臓の音が、安心させるという。この世に一つしかない音。 ・鏡を見て、自分の姿をみる。見る自分と、見られる自分のふたりの自分。・・・幻覚をみる のが小説家で、それが見られないなら小説は書けない。 ・「ぼんやり」・・・文章の中に沢山あるのは何故か?それに気づかないと理解できない。 ・「ぼんやり」ということばを簡単には作家は使わない。「羅生門」の最後にも「ぼんやり」と いう表現がある。 ・ぼんやり・・・と生きているのは、凡人で、そうではない「ぼんやり」もある。 ・「ぼんやり」は、・・・ぼんやり読んでいては、その意味がわからない。 ・作家は、同じ言葉を何度も繰り返さない。(ことばがダレるから・・・)。敢えて使うのは異常である。「泥濘」の、<ぼんやり>が繰り返される。 ・梶井の「ぼんやり」・・・単純には理解できない。 ・何かに魅せられている。そういう自分に魅せられるこころがわかるかどうか。 ・普通にないことを書いている。 ・どこが異常なのか。 ・不快な気分がないと「想像力」が生まれない。 ・「泥濘」の中からイマジネーションが湧いてくる。 ・「泥濘」、それがなければ、梶井のイマジネーションが生まれないと感じていた。 ・「泥濘」の状態は、異常な精神(心理)。 米科学誌「プレテイン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」2015.1.22の記事では、終末時計は、2分進んで「あと3分」だという。80年代以来とあるが、世界の平和への取組が後退していることの観察でもある。核戦争の脅威や、環境破壊は政治家たちの甘い認識では間に合わなくなるだろう。
2016.01.30
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聖書は、信仰の出発点でいきなり最終回答を与えてしまって、回答に至る道筋を各人で自発的に「発見」させる物凄い発想だ。イスラム教は、異なる宗教の間のややこしい問題を、実にシンプルに権力と支配の関係に還元する。異教徒が支配下に入れば、異教徒のままで、待遇には確り差をつけて服従させる。その待遇に不平を言わない限りかまわない。 教義をめぐって、異教徒はイスラム教に反する主張をしなければいい。ただし「なにがイスラム教に反するか」の判断基準と判定の権限はイスラム教徒の側にある。勿論軍事的な優位を確保してという前提がある。 まさに同じことを、戦後の日本人はアメリカの占領政策で体感している。中国も、キリスト教国も同じ戦略をとっているだろう。これは、点と点の距離でもある。遠いか近いか、それは、物理的には距離として可能だが民族間では難しい。 ドイツの教会の門柱に刻まれた建築の基準になったという二つの点の空間に魅入ってしまった。権力と支配は、あらゆる社会に見られる構造である。それが彩るものは文化の質ではないだろうか。息苦しくなると、ひとは、他人との距離を知ろうとして来たのだろう。 あの光源氏でさえ、いつか女たちから襟裳との真夏のあつ苦しいだけの残り香でしかなくなるのだろう。点から点のまでの距離は、人間が創り上げた空間でもあるだろう。 アメリカ人は、日本人に民主国家になり世界から尊敬される国民になってほしいと、平和憲法を押し付けたのではない。そのほうが自国に有利だと思ったからに過ぎない。日本の権力者たちはアメリカの権力を利用し、アメリカも日本を手懐けようとしたに過ぎない。パートナシップが聴いてあきれる。
2016.01.30
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農耕民である私たちと、遊牧民との違いは、世界観の違いでもあるのだろう。コーランを少しだけだが読んでみてそのことを感じた。同じ農耕民でも中国人の大陸的な思想にもその民族的な相違があるのだから、世界的な分母を考えれば、日本人のそれは、さらに特異な形質でもあるのだろう。人質ビジネスと聴いて度肝を抜かれるようではとても遊牧の民の歴史は理解できないだろう。 ・何か月も広大な砂漠の中を僅かな水と食料で生きていく忍耐とか、強靭な体力とか精神力もあるのだろう。宗教的な信仰の力も一筋ではあるまい。そんな世界の中で島国の日本人たちが、これまでしてきたことは恵まれた自然の中で、豊富な水と温暖な気候によって支えられた農耕の民の一つなのだろう。 ・へ2・・・バブル崩壊後、日本経済は不況を乗り越えられず、さらに自然災害も次々に起きて、日本人は自信を喪失している。集団的自衛権と安倍内閣は邁進しているが、文明の衝突といわれる深刻な問題に対する認識がどれだけあるのだろうか。今回のIS事件にしろ解決を誤れば、また同じことが起きるだろう。平和外交があるから、これまで来れたのであり、それだけのスキルも強かない外交能力もないことで、国民の命は守れはしない。
2016.01.29
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パリでタクシースト いくら感情移入できたとしても、他人が感じているとおりに感じることはできない。この落差の所為で人は孤独感に苛まれたり、自分の存在におびえたりもするのだ。過去の経験が違うことで、その意味も違ってくる。感覚そのものは消えて、残るのは構築されたパターンであり、何を構築したかが私たちの唯一の知識となる。世界を認識できるのは、自分の脳が理解できるのは自分のなかで再構築できるわずかなスペースでしかない。 動物が番いになって子どもをつくるとき、脳には特殊な化学物質が分泌される。それが父親、母親らしい子育ての行動パターンを呼び出すのだ。なかでも重要な役割となるのがオキシトシンである。オキシトシンそれ自体はよろこびを誘発しない。むしろ過去の経験をつなぎとめるニューロン接続パターンを溶解して新しい経験を形成しやすくしている。接続パターンのメルトダウンが起きる。メルトダウンと同時に絆ができるのではない。そのあと活動をともにし、協力を通じておたがいの理解をふかめていく必要がある。 セックスをするだけでは信頼関係は生まれない。気晴らしや闘い、競争をともに経験しながら、相手を信頼する方法を学んでいくのだ。(Mapping The MInd より。 26日は、午前中にモンサンミッシェルを見物した後、そのまま夜のパリのオルリー空港から帰国することになっていたので、テレビで空港周辺でタクシー・ストライキの影響があるのではないかと心配していた。 それこそほとんど影響がなかったが、バスの窓から一部道路をふさいでいる様子が見られた。
2016.01.29
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時差8時間 いつもウオーキングをしている時間はゆっくりと流れている。のんびりできるし、好きなことをしていられる時間でもある。朝と夕方の、それぞれ90分くらいウオーキングに時癌を費やしている。そろそろ5年になる。とても仕事をしていてはできないだろう。体力のある人なら出来るかもしれないが。これはペナルティだろうか。これまで運動をしなかったから、その報いかもしれない。 ・運動効果は、数日しか続かない。個人差はあるだろうが、私は毎日続けないと駄目のようだ。一週間も運動をしなかったら体重も増加していくのではないだろうか。食べるのを止めることはできないし、じっとしていたら口の中にいれる欲望を抑えられるだろうか。それほど弱くはないが、といって我慢強いのでもない。 ・へ2・・・こうして日々老化の厳しいシャワーを浴びていると、それはそうなって知ることでもあるに違いない。配偶者が病気になったりもするだろうし、知り合いの人たちもさま座NA憂き目にもあうことだろう。それでも自分はどう生きていくのか、気持ちは負けないでいたい。 モンサンミッシェルの見学の朝は、青空になり早朝満月が輝いていた。 ツアーは天候次第でもある。悪天候になると見たいものも見れない。折角の景観も、その日にしかチャンスがないのがツアーの悩みでもある。あるひとがユングフラウ登山をしたとき、100万円払ってもいいと言ったそうだ。ただ晴れてほしかったらしい。
2016.01.29
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自分が詰まらなくなっているのは自分では解かり難い。尊大になっている時ほど自惚れもする。この世界は貧困であって、豊かでも平和でもない。そういう認識が、欠落しているから贅沢も覚える。努力もしなくなる。世の中の役に立たないことばかり考えてしまうようになる。人間がこれまで生き延びることが出来たのは、免疫力を高めてきたからに過ぎないのだ。 ・何でもできると思うほど、何も出来なくなり、そして詰まらない人間にもなる。自分の寿命を全うしようとする努力をしなくなる。朝1時間歩く、夕方も1時間歩くだけだが、それが今になってようやく出来るようになった。もうあと10年くらいしか寿命はないだろうし、或いはそれも傲りかもしれない。ウオーキングが日課である。それだけでもふうふういっている。当然のことさえできない。他の人は、仕事もしているのに、何も出来ない自分がいる。 ・へ2・・・何が贅沢かは一概には言えないが、健気でない人間は、不遜になりがちでもある。詰まらない人間に為らないように努力するしかない。自分を侮っても、甘やかしてもならないだろう。ウオーキングをすることで、自分の体力も判る。それを知りながら暮らして行くことではないだろうか。
2016.01.29
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道元は、古仏の道を説く。古仏とは釈迦であり、迦葉であり、達磨であり、慧可であり、五祖であり、六祖であり、青原行思であり、・・・臨済の宗風を継承する臨済宗が当時の中国でもっぱら広まったのだという。古仏の如く修行すれば古仏と全く一体となり、証しすなわち悟りをえることだと考える。 ・道元は多くの著書を残したが白眉は「正法眼蔵」である。この難解な講義を理解し、修行の厳しさに耐える人は少なくなかったという。かれはもっぱら坐禅を勧めるが、この座禅の根本体験が「身心脱落」である。 ・古仏のごとく山中で座禅をしていると、一切の自己が脱落し、世界そのものが自己となり、それによって仏性が生じるというのだ。 ・道元は、山も人間のように動き、歩くものであるという。その山の動き歩く姿を理解しない限り、人間の動く姿も理解することができないという。山の運歩を知るのが最も大切だと道元は言うのだ。これはまさに現代文明への警告でもあるが、これを理解することは容易ではない。それこそ逆転の発想が必要な時なのだろう。いつもあるわけではない。時期を誤れば陳腐にもなる。火事場の馬鹿力が要る。一人ひとりが必死になってすべきことをすべきなのではないだろうか。そう思う。 「正法眼蔵」より 「人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月濡れず、水やぶれず。ひろくおほきな るひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月もみ天も、くさの露にやどり、一滴の水にもや どる」 山は 1ミリ も動きそうにない。
2016.01.29
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物欲の果てが今日の心の荒廃を招いているという指摘もされて長いが、それをどう修正していくのか明確な対策があるわけではない。それは、物質文明が改善されるという話はないからでもある。飲酒運転も、一方では酒類の製造が減らないし影響の大きいテレビの宣伝も日常的にされている。今日も飲酒運転による死亡事故が悲惨な事故を起こしているが、レストランで相当の飲酒をしている。それを止めない営業がある。 ・人々は営利企業から欲望を煽られる社会の中で自己責任だけが問われ続けてもいる。その境界を超えた行為がやまないのはある意味当然、予想されることでもあるだろう。大きな矛盾の中で乗り越えろと言われている。それがうまく処理できなければ社会の脱落者になってしまう。そういうルールではたして公正なのだろうか。社会システムが、ねじれてきてはいないか。それこそ適正なルールとは、地球の温暖化という事態の中で再考すべきではないだろうか。人間の理性とは、そも何を以って成立つのだろうか。それは国家によって相違するものであってはならないはずだ。知恵あるものの知恵を借りねばならなず、世界に目を向けて探さねばならない。 ・へ2・・・どこにでも知恵を探しに行くべきだろう。それこそ地の果てだろうと行かねばならない。眼を皿にして、世界の動きを注目し、なにが先見性があるのか。眼先の慾に捉われずに、このままでは、物欲に人間の精神が呑みこまれてしまうだろう。
2016.01.29
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30数年前新築の分譲住宅に入ったが、昔は、子どもが小学校に入学したので小学校区に属していた。その当時、役員をした覚えがあるが、それが持ち回りになっていたようで、今年はその役割が周って来たらしい。子どもたちも成人したし、いまでは校区の係わりもないが、地域の組織の隣保が生き残っている。それで福岡市の市報や回覧板とか、街灯とか管理面のこととか、役割は色々あるようだ。 ・老人会とか、地域の活動があることは知ってはいるが、殆ど参加したことがない。積極的に参加している人もいるのだろう。どうも近所付き合いもしていないので、こういう時は困る。誰かがやらなければならないことで、それが住民の義務でもある。評議員など3人を決めなければならないようだ。以前は、我が家で団地の人たちが集まって集会をしていたが、団地には知らな人たちも増えている。 ・へ2・・・どうも面倒そうで気が重いが、月末までに報告しなければならないようだ。妻もインフルエンザで、暫くは動けないようだし、どうなることやら。地域の人たちや、いやでも社会とのかかわりも増えそう。
2016.01.29
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