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いつもこれから 霧島では50数年ぶりの大噴火らしい。被害も広がっているが、どこまで続くのか懸念されている。大雪の被害も出ているし、今年も何かとありそうだ。善いことであれば好いが、必ずしもそうはいかない。勝手に書いているのだから、他人から誤解されても仕方が無いが、変な風に思われているのかもしれない。ひとは身勝手でもある。まあ、気にしないで遣るしかない。 ・人間の遣って来たことは、個人は小さなドットに過ぎないが、全体から視えれば陳腐な相になっていたりする。文字を知らなければ、絵でしか伝えられなかった時代もあるし、今も他人の意見に従うしか知らない人さえいる。「帝国」も、色んな国家の政治形態があり、古代、中世、近代と時代の推移がある。広い意味で、中国も日本もかってはそのカテゴリーに入るだろう。 ・へ2・・・西欧中世史も中々思うように読み進めないが、ルーツを探れば、人間の考えることと言えば大した違いはないのだろう。目の前の日常に追われて、全体である森を見ようとしないで活きてもいる。何でもない日常にこそ、真実がある。それを認識できないでいる。ハリー・ポッターも外国人女性を殺した男も愛読していたらしい。何を考えていたのか解らないが、ぞっとする。人は、悍ましい存在でもある。
2011.01.31
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風邪? どうも新型インフルエンザではないのだろう。薬は飲んだが、今朝は風邪の気分はしない。何時ものように遣ってみようと思う。歩けば体調も判るだろう。昨日一日自重したので、今日は少しは動いてみて様子をみたい。過信して、コケても仕方が無い。丁度寒い日と重なっていたので、風邪の症状が出ただけかもしれない。2月最初の日であり、これからすぐ節分も来る。 ・少々細かい気分の問題ばかりになってしまったが、社会や、これからのことも考えたい。生活の糧を得ること。自己実現を図ること。社会的な連帯を実現すること。ひとの仕事はある。食べていかなければならないが、それがどんなライフスタイルをもつかでもある。憲法の27条の勤労の権利と義務は必ずしも「すべての国民に実現されている」わけではない。生き甲斐を失くした国民も多いのだ。まだ国会では、レベルの低い議論がされている。 ・へ2・・・やる気のない政治家に任せていられない。国家権力が怠惰の夢に浸っている。国際社会は、日本を見棄てるだろう。自然淘汰される国家を救いはしない。既に日本は、破綻するだろうと言われている。それに対する何のビジョンもない政府だ。そうしたのは国民の責任であり、そのためのどんな報復も甘受しなければならなくなる。「ポイント・オブ・ノーリターン」 は近い。私たちは、崖っぷちだ。
2011.01.31
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修道女フロツヴィト(935年頃ー1002年)俗名ロスヴィータは、ファウスト伝説に継承される、人間と悪魔の契約「テオフィルス」の話がある。そして、「サピエンティア」では、 信仰深い処女が裸にされ、手足がちぎれるほど鞭打たれ、乳房を切り取られ、皮をはがれ、油鍋でゆでられた挙句、首をはねられてしまう。このヒロインのようにアガタなどウォラギネの「黄金伝説」に出てくる聖人や聖女は、普通なら一度で命を失うような拷問や処罰を繰り返しても死なないのは、途中で神や天使が現れて、その都度いやされるが、最終的には天に召される。 殉教者に加えられる残酷な仕打ちは、ひどければひどいほど、それに耐える信仰者の徳性が裏打ちされ、フロツヴィトの文学も残酷というより、女性の貞潔と魂の救いを賞賛するための手段と見るべきだろう。 聖女アガタの殉教を画題とした一枚がある。両手をしばられ上半身をの衣服をはがされたアガタが、その豊か乳房を二人の男によって大きな剪定鋏で切り取られようとしている場面。アガタには苦痛の表情はなく、口を半ば開いて右手上方を見ている、そこには天使の姿がのぞいている。 アガタは、シチリアの提督の好色な誘いを拒んだため、娼婦の身分におとされ、次にはこの絵のように両乳房を切りとられ、更には熱したガラス片の上を裸でころがされ、殉教してしまう。 絶えず世紀末のトラウマに脅えていたヨーロッパの人たちが、人間性を喪失した行動に走ることが多かったのは何故だろうか。その心理の奥にあるものを探り出すことは、同じ人間として知らなければならない課題ではないだろうか。日本人にも昔も今も、隠された残忍な行為があるであろう。人間性の問題は、私たちが生きている間は、常に注意を払うべきテーマでもあるのだ。
2011.01.31
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修道女フロツヴィト(935年頃ー1002年)俗名ロスヴィータは、ファウスト伝説に継承される、人間と悪魔の契約「テオフィルス」の話がある。そして、「サピエンティア」では、 信仰深い処女が裸にされ、手足がちぎれるほど鞭打たれ、乳房を切り取られ、皮をはがれ、油鍋でゆでられた挙句、首をはねられてしまう。このヒロインのようにアガタなどウォラギネの「黄金伝説」に出てくる聖人や聖女は、普通なら一度で命を失うような拷問や処罰を繰り返しても死なないのは、途中で神や天使が現れて、その都度いやされるが、最終的には天に召される。 殉教者に加えられる残酷な仕打ちは、ひどければひどいほど、それに耐える信仰者の徳性が裏打ちされ、フロツヴィトの文学も残酷というより、女性の貞潔と魂の救いを賞賛するための手段と見るべきだろう。 聖女アガタの殉教を画題とした一枚がある。両手をしばられ上半身をの衣服をはがされたアガタが、その豊か乳房を二人の男によって大きな剪定鋏で切り取られようとしている場面。アガタには苦痛の表情はなく、口を半ば開いて右手上方を見ている、そこには天使の姿がのぞいている。 アガタは、シチリアの提督の好色な誘いを拒んだため、娼婦の身分におとされ、次にはこの絵のように両乳房を切りとられ、更には熱したガラス片の上を裸でころがされ、殉教してしまう。 絶えず世紀末のトラウマに脅えていたヨーロッパの人たちが、人間性を喪失した行動に走ることが多かったのは何故だろうか。その心理の奥にあるものを探り出すことは、同じ人間として知らなければならない課題ではないだろうか。日本人にも昔も今も、隠された残忍な行為があるであろう。人間性の問題は、私たちが生きている間は、常に注意を払うべきテーマでもあるのだ。
2011.01.31
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年月日曜日気温起床 歩数2011/1/1土2 3;1511,5332011/1/2日3 3;5028,9502011/1/3月3 7;401,5512011/1/4火5 4;1513,2922011/1/5水3 4;0522,9342011/1/6木5 4;5523,3872011/1/7金1 6;0027,3192011/1/8土1 3;4522,2712011/1/9日4 4;0524,1322011/1/10月3 4;1027,2222011/1/11火2 5;0522,4892011/1/12水5 4;4024,3022011/1/13木3 4;5237,8432011/1/14金0 3;3031,1312011/1/15土4 4;4021,5212011/1/16日マイナス25;0026,8402011/1/17月マイナス12;5027,3232011/1/18火1 3;4026,6102011/1/19水2 3;2224,2642011/1/20木2 5;3028,6532011/1/21金2 3;2024,2322011/1/22土2 4;1524,1282011/1/23日1 4;2530,2852011/1/24月2 53823,6692011/1/25火0 3;1522,1742011/1/26水2 3;1027,6202011/1/27木0 ;3;2523,2562011/1/28金1 3;2320,8712011/1/29土2 3;2023,8612011/1/30日0 1;5518,0572011/1/31月0 2;453,841合計 715,561 年月歩数日数平均2008年4月258,1241517,2082008年5月461,5053114,8872008年6月454,8283015,1602008年7月492,0533115,8722008年8月479,1753115,4572008年9月607,6123020,2532008年10月635,3993120,4962008年11月562,3743018,7452008年12月629,7233120,3132009年1月628,6033120,2772009年2月587,3912820,9782009年3月700,3663122,5922009年4月686,1263022,8702009年5月704,5173122,7262009年6月610,3923020,3462009年7月646,1263120,8422009年8月655,7423121,1522009年9月682,6473022,7542009年10月749,5923124,1802009年11月682,1703022,7392009年12月683,6813122,0542010年1月675,5253121,7912010年2月637,7272822,7752010年3月735,9033123,7382010年4月778,0753025,9352010年5月814,5473126,2752010年6月780,4073026,0132010年7月748,6433124,1492010年8月733,6653123,6662010年9月706,6563023,5552010年10月714,4283123,0462010年11月646,6983021,5562010年12月635,0043120,4842011年1月715,5613123,082累計21,920,9851,02121,470 またも平凡な歩数実績になったが、風邪だから仕方がない。このままだと、明日朝のウオーキングはできると思う。あと丸3年まで、73日間あまりになった。気を抜かないで遣りたいと思う。 >パムッカレの夕焼け
2011.01.31
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そういえば自分の体温が低いと思ったのは、毎朝起きてすぐ病院で体温を測っている。基礎代謝を高めるには体温を上げる必要がある。ウオーキングを始めて暫らくすると体温が上がり始める。免疫力も高まる。どうも自分が低体温だということをその時知った。そういえば体温と基礎代謝とは関係がある。体温が低いのは基礎代謝が低いということで内臓もそれだけ不活発だということでもあるからだ。 ・自己管理票にこれまで体温を入れていなかったので、これからは計測したいと思う。よく手が冷たいと妻から指摘されるが、血流が悪いからだろうと思っている。血管が大事である。加齢とともに生命活動は劣化し血管が脆くなっても来る。血管は細くなったり、硬くなったりもする。体温も重要なポイントでもあった。 ・へ2・・・「血液を上げる」という本がよく出版されているらしい。いつも朝の体温は35℃台ではないだろうか。ウオーキングをした後と比較してみようと思う。体温を上げるというのもひとつの視点ではある。免疫力を高めて風邪と闘いたい。>ベリーダンスショー
2011.01.31
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何者であろうと昨日は昨日であり、過去のことでしかない。真宗では「朝に紅顔ありといえども夕に白骨になれる・・・」という。これまでのことに執着し、固執してはならないという教えでもある。在るものいつか終わり、変質もする。これまでの常識もいつか通用しなくなる。世の移ろいとは何と激しく無情でもある。 ・昨日までのブログも足跡でしかなくなる。いつまで続けられるか、それは社会環境にもよる。送り手と受け手、そしてシステムがある。そのどれかが止まれば、衰退する。多くのことで昨日と違う出来事に愕然としてきたことだろう。父母が死ぬことを予想してはいなかったし、その事実は心の中では、中々認知できなかった。必ず、結果には原因があり、プロセスもある。注意さえすれば見えるだけの機序もある。予兆も知ることはできるだろう。 ・私は、何もあすに期待しないことにしている。目の前の現実に背を向けないようにして生きていきたい。それでも自分の時間と在るのは現実でしかない。多くの人たちや自然と共存してわずかな営みにスペースを探したいと思う。 >トルコのリンゴとぶどう
2011.01.31
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試して見る 自分では解かっているつもりでも、解からないことばかり。夕方になって、風邪がどの程度か試しに買物に行って来た。どうやら歩くのに支障ない。なんのため今日まで用心して、ウオーキングを自重しようと思う。今日が一月の最終日であり、できれば記録を少しでも伸ばしたいが仕方が無い。熱もないし、咳も少し減っているが、夜の寒さで元に戻るかも知れない。寒さも今日明日が山のようだし、少しは暖かくもなりそうだ。 ・新型のインフルエンザではないのだろう。これで恢復して呉れたらよいが。昨夜もホームベーカーで、パンを焼いてくれたが、自分でもできるようになれば、と思っている。パンもできたものがどんな素材を使っているか解からないのでは、翻弄に知ったことにはならない。見せかけのものが多いのは、この社会の常でもある。何を信じたらよいかを、自分で確かめるしかないのだろう。 へ2・・・試して見るということを怠っていると、大きな過ちを冒してしまいかねない。許される範囲でそれをスマートに遣ることをしなければならない。相手を信じるから疑いもするのだ。一方的な信用は、自分が油断してしまいかねない。毎日、万歩計を遣い、そして計器を遣って検査もする。それは、自分のアバウトな思いと現実が齟齬しないためでもある。それを確かめながら、前進する。それでも違うことがある。最後の油断が命取りにもなるのだ。 >トルコの店
2011.01.31
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逆境といえども、苦悩を続けているとしても、何かに夢中に打込んでいれば苦痛とは思わない。真剣さとはそういうことではないか。下手に弛んだ時、悲哀を覚えるのだろう。所詮個人としての自分は、何ものでもない。徒の微力、非力の輩に過ぎない。 只一匹のハエのように狭い空間を、与えられた時間をせっせと自分の子孫を残そうとしているだけだろう。こっちから見るか、反対側から見るかによって物事は逆転して見えるだけだ。 宗教は、内に向かう人々ではないか。或いは外に向かって、万里の長城を築こうとしている人々ではないだろうか。もしそうだとすれば、この地球を分割しなければならなくなる。 私たちに何ができて、何ができないか? 不可能が何か、困難とは何なのだろうか? 不可能はいつまで経っても為しえないことであり、困難なことは努力次第で為しえるだろう。人は、困難を克服する為に努力しなければならない。常に、その見極めをすべきだ。 やがて夢は覚めねばならない。ひとはいつかその時がくる。自分が遣ってきたものが何かを知らねばならない。それは、個人のなしえることは、すべて果敢ない一事でしかない。短い夢か、長い夢かの違いでしかないだけだ。 それは、「一炊の夢」に過ぎないだろうか。・・・かも知れないし、そうでないかも知れない。東洋人も西欧人もその他の人びとも同じ遺伝子を持った種としてのヒトであって、遣っている来たことも、遣っていることも同じだろう。ただそれぞれが利己的に見えるだけだろう。 私の中の多忙は、自分を夢中にさせただけに過ぎないし生半可であれば自身の蒙眛に終わる。
2011.01.31
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深夜、グレートヒエンの部屋で逢引するために、ファウストは母親に睡眠薬を飲ませることをグレートヒエンに承諾させる。ところが、結果的にはそれがもとで、母親を死なせてしまう。 私はあなたのために余りにたくさんのことをしてさしあげて、 私にはも何も残っていないような気がします。18世紀後半のドイツでは、結婚前の妊娠は、世間の笑いものであり、世間的に抹殺された。この時代の結婚と恋は別という現代の風潮とは大きな隔たりがあった。戒律の厳しい時代で、恥ずべき行為を犯したと看做された。グレートヒエンの兄、ヴァレンティンはいう、 ・・・ もうまざまざとその時が見えるようだ。 堅気の町の衆は 疫病から出た死人を避けるように 売女のおまえを避けて通るのだ。世間的に抹殺された形でしか、あるいは身を売る形でしか生きていくことができないグレートヒエンの将来がまざまざと描かれている。それは、立ち直りを拒否して、むしろひとを徹底的に破滅に追いやるものでしかない現実が横たわっている。恋人を愛する余り、仕組まれた罠に嵌る娘たちの哀れな姿でもある。ゲーテは何をいいたいのだろうか?
2011.01.31
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何が優雅な日々なのだろうか。それはその人次第でいい。誰にも決められないから好いのだ。勝手に決められたくはない。それを、決めたがる社会は、いい社会ではない。優雅であろうとなかろうと、それは変わりはしないだろう。自分でいいと思うことができる社会が一番豊かなのではないだろうか。できないことだから童話にもなる。うそをついて真実を語るのだ。 ・この社会はうそつきである。だからみんな虚偽なのではない。そのなかに真実がある。つくられた真実の中には真実はないからだ。なかは空っぽだ。宝は実体がないから宝なのだろう。簡単ではないから神秘的にもなるのだ。優雅であることは、果して美しいのだろうか?或いは幻想ではないだろうか。それこそ、すべてを失ったホームレスの暮らしが優雅なのではないか。乞食の生活が悟りの道だと説いたひとがいた。 ・へ2・・・山頭火は優雅な一生だったのかも知れないなあ。 うしろすがたのしぐれていくか
2011.01.31
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モタモタしていたら、もう明日は二月。寒気が張り出して寒い二月のスタートになりそうだ。別に死ぬほどの寒さではない。こころが凍りつかなければいい。西欧の精神的ルーツとは何だろうか。それは手に負えないものだろうか。最近のニュースで、些細なことで簡単に人を殺しているのではないだろうか。人間の尊さをどこまで学んでいるだろうか。そうさせている社会の背景とは何だろうか。処罰を厳しくすることが、そういう犯罪を減少させることはできないだろう。何が、現実と言えるのか。その認識がなければならないだろう。ご都合主義では駄目だ。もっと真剣でなければ真実を見失うかも知れない。それは、現在の日本をどう観るかでもあるだろう。「美しい日本」とか、世界レベルだと言えるだろうか。「女性は、産む機械だ」とする発言単なる失言ではない。それを、言い逃れようとする姿勢こそが問題だ。安易なことばがこれまでも命取りにもなってきた。
2011.01.31
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<太宰のぼんやり> ・太宰・・・女のマネ・・・女になる。女になることを意味している。「女語りをするものは女である。」女語りを太宰はやめようとしなかった。・太宰と鱒二との相違点 ・太宰も芥川も、生涯にわたり庶民への差別意識をもっていた。 ・「ぼんやりと待つ」・・・太宰の本質。・太宰:ブルジョアに生まれた。貧困に対して屈折したコンプレックスがある。・太宰は庶民の側にいないから庶民の側に立てない。庶民はケチ臭い。庶民の考えに共鳴できないという思い。・S5.S10年太宰は、鎌倉で自殺を図っている。鎌倉の「実朝」に対する思い入れがあった。実朝と太宰の距離。実朝になりきろうとしながら、距離を置こうとするという矛盾。・「似ている」・・太宰のキーワード。切っても切れない相手に対して使っていることば。 「富士には月見草がよく似合う」・・自分の思いを込めている・太宰は、とめどなく言葉が出てくる天才 といわれる。ロマネスクの変型。・太宰は落語に親しんでいたことで、落語の話芸を知っていたこと。造詣が深い。・太宰は、同じキーを叩き続ける。・太宰のユーモア・・・西鶴との関係。・太宰は「カネのこと」に触れるときは真面目になる。「三界に家なし」。生き方が下手。・太宰は自意識過剰の人。・太宰には負い目があった。憎悪と愛情。兄は議員。貧しさを尊ぶ・・時代にマッチしていた。少しも旅先でも住民と会話をしようとしていない。・太宰の心理的コンプレックス・・あばただった。・堤重久「太宰との七年間」・・なぞるように書いている。作品・・をそのまま評価できない。・作品だけが救い。芸術は私だ。という太宰が、芥川賞に落選した。自分の作品が無視された。才能をのばせないという苦悩があった。自意識と世間の作品評価との乖離と逆比例。・太宰にとって、芸術とは自分のこと。「芸術は私だ」・太宰の読み方は普通(単純)にはいかない。・「人間失格」・・・女性遍歴史がある。「書くものがない」一方的に書いている。・鱒二と太宰の師弟関係。師はいやなもの。オリジナル・・・めざめる。・「ヒューマンロスト」・・・「パピナール中毒」になり太宰は拘りを持っている。・太宰の入院。鱒二に入院させられたことを恨んでいる。・鱒二著「薬屋雛女房」で、太宰の病気のことを書いている。太宰の恨みは続いた。・太宰は、自然のままを書かない。へそまがり。老婆=自分の変型。(太宰の小説の原型)・作家の発想はひとつでしかない。違った作品に見せかけているだけ。それが上手いか、下手かの違いでしかない。それから抜け出せない。・「背後にひそむ何者かがいる」「死は背後にある」・・・気付かない。・太宰の純潔に対する考え方。嗅覚の比喩。悪臭という表現を使う。・文壇・・・ 井伏、川端。 太宰は、疎外されていた。集団嫌い。被害妄想。・富嶽百景は問題作。富士をどう描き分けるか。見方はTPOで変わるのは、見方が変わるから変わる。・小説に使う「私」を使うのを嫌った。大庭葉蔵ペンネームとして気に入っていた。「人間失格」に出てくる。・「滝」をみたら滝を忘れない。 ・「ぼんやり」・・・作家になろう。しかし作家はぼんやりと書くときは実は本気である。 ・恥ずかしことを書く。本当のことはなかなか書けない。作家になりたくない。・「ぼんやり」という表現。・・・アンニュイ。ボードレール。・ストーリーがない。分かり難いのは当り前。・・・太宰の本質。 ・才能のある人間のある話を書く。小説家が、小説家を書く。 ・川端を憎んだ。菊地寛は、当時文壇のボスだった。芥川賞に絡んで太宰は落選。 ・昭和10年は、太宰のターニング・ポイント。 ・道化の華。道化の精神(太宰の道化)
2011.01.31
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有島武郎「カインの末裔」を読んで思ったのは、決してユダヤの民の話ではない。人間は謂わば、それこそ降ってわいたボウフラのように暖かい血を求めて生きているのであり、この地上で失うものなど初めからありはしないということだ。あると思う永遠などありはしないのだ。それを想像しただけでしかない。ボウフラから進化しないものは、短い一生をただ蚊でしかないのではないだろうか。 ・比喩でしかないが、人間には失うものはないのだろう。元々この世に残すものもないだろう。あるのは足跡でしかない。踏みつけられた人間の重みなどすぐに波に消されてしまう。謂わば砂浜の足跡に過ぎない。そして、それは絶望するほどの存在でもないのではないだろうか。あるのは自分のわずかな1クールのカリキュラムでしかない。それこそ運が良くて、温かくて軟かな皮膚に辿りついて得られるものは蚊ほどの小さな腹を満たすだけではないだろうか。 ・へ2・・・ヒトは皮膚の色が違ってもそれこそ同じ形質の種のひとつに過ぎない。やることは変わりはしない。人に差別を作ったのは思い上がった一部の人間の欲望に過ぎない。それがいつしか慣習化しただけだろう。何度も作り替えながら住処を変えてもきた。そして、その果てに、多くの言語と、民族を作り上げたのだ。もうその社会システムも変えなければならない。何故なら、この100年で地球を汚し始めたからだ。科学文明の急速な発展による環境破壊で、温暖化が深刻さを増している。このままでは、あと100年もすれば、平均気温が6度以上も上昇し、生態系はズタズタになるという。そして絶滅する種が増え、それはやがて、種としてのヒトの運命にもなるかも知れない。ヒトが成し遂げてきた足跡でさえ、消し去られる。それでも、それは憂えることでもない。その意味はあるからだ。
2011.01.31
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風邪を引いて それ程、自惚れていた訳ではないが、少しは風邪など引かないだろうと思っていた。処がどうやら、あっさり罹患したらしい。昨夜は用心してウオーキングも止めて、今朝も止めているがそれでもまだ熱はないが、本調子ではない。どうやら今日は一日自宅で大人しくして措いた方が無難のようだ。日課を熟して見ようという気もないではなかったが、遣り過ぎれば元も子もない。 ・何がどう悪かったのか。よおくわからないまま風邪らしい。やはり娘の新型のインフルエンザなのだろうか。風邪は200種類くらいあるし、検査してみないとわからない。何であろうと、これ以上悪くしないことだ。昨日は、家族で宗像大社へ出掛けたが、前の二週は、妻子で出掛けていた。やはり、私が行かないとどうも日曜ドライブらしくない。そう思っているのは、私だけではないようだ。私は我儘なオヤジだと思われているが、こうして一緒に暮らせるのだから親子の縁が深いのだろう。これも亡き父が私の名前を付けたのは易学に頼んだらしい。父母との縁はそれ程長くはなかったが、私は、深いので其の易は必ずしも外れではない。 ・へ2・・・易学は信じないが、それでも父母の願いが込められている。父母は親の縁の薄い人たちであった。体力もなく、直ぐに病気にもなるが、こうしてこれまで活きて来れたのは、天と親のお蔭である。感謝するこころを何で表わせば良いか解らないが、其の思いをこのブログで書いている。妻子に通じるかどうかではない。何かしていないと落着かないが、それでも、出来ることをしている。
2011.01.31
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従士団は、原則的には主君のまわりに集った自由人男子の戦士の共同体である。従士制についての具体的な叙述が中世の英雄叙事詩のなかに、すなわち、北欧のサガ、アングロサクソンのべオーウルフ、ニーべルンゲン伝説、グードルーン伝説の中に見られる。これらの叙事詩は、「従士叙事詩」ともいわれる。従士を率いていたのはたいてい国王や太守たちであったが、北欧では、従士団がこれらの者たちに独占されていたとはいえない。むしろ従士団への加入は自由意志に基づき、自由男子であれば誰でも加入は可能だった。若者のなかには名声と資産を得る為に、信望ある従士団の首領の屋敷に行ってしばらくの間仕える者もいれば、高齢まで主君の屋敷にとどまる者もいた。デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの王権の一層の強化は、従士団の拡大を齎した。親衛隊として君主の宮廷で生活するものは一部に過ぎず、他者たちは自己の所領に居住した。このアルカイックな組織は国王の支配権や国家構造の重要な構成要素となっていた。フランク王国の建設は、ゲルマン人の民族移動の中で最も重要な出来事のひとつであった。ヨーロッパのその後の発展に影響を与えたからだ。ゲルマン人とローマ人の共存により、ゲルマン、ローマ末期、およびキリスト教に由来する制度、生活形態および理念の融合が招いた。フランクの従士制はゲルマン起源の要素のひとつである。しばしば、奸計と暴力が行なわれた。国王は自分の競争相手の家来を唆し主君を裏切らせた、それが成功すると今度は、不忠な従士には贋物の金で十分だとした。騙しのテクニックは、詐欺や強迫の類であり、それが人々を翻弄させた。他人を信用できない歴史的体質だ。 憐れなサビ猫は、春を迎えて放浪を繰り返しているため、どうやら手術をされる運命のようだ。>バンベルク
2011.01.30
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何のためにどうやらこれは風邪の症状らしい。咳や鼻水が止まらなくなった。新型インフルエンザかどうか、保菌者が娘で、先週は一週間会社を休んで家にいたから、その直撃を受けた可能性は高い。おまけに今年一番の寒さも続いている。朝晩寒い中を1万歩ずつウオーキングしている。家にいるよりか寧ろ外の冷たい風に中っていた方が好いと思っていたが、選択を間違えたのかもしれない。昨夜は念のため歩くのを止めて早く寝た。その分今朝はいつもの起床の時間帯である。まだ咳がするし鼻水も出る。 ・寝ていた方が好いのかも知れないが、ふと変な夢のことを書きたいと思った。それは、この前から何度か触れている(成功のゆえに没落する」話の延長でもある。私は大きな船の中にいるらしかった。近未来なのだろう。私という意識の存在はあるが、自分のからだが無い。人類は滅亡したのだろうか、と不安になった。他人の声が聴こえている。どうやら人の気配もする。人類は素晴らしい進化を遂げたが、「そのゆえに」没落もした可能性がある。 ・へ2・・・病気に為ると碌な事を考えない。時間が短縮され、破滅した自分の未来さえも感じられてくるのだろうか。地上では、人間のからだでは活きていけない時があるだろうか。有得ないことではない。人の数だけ明日があるが、それは地上の生命の範囲内でもある。宇宙の中では限られたスペースに過ぎない。種としてのヒトは、存在している事自体が奇跡だとよくいわれるが、それだけ儚いことでもあるだろう。船の中はぼんやりしていたが、外は闇だった。波の音がすると想ったが、どうやらそれは、眠っていた部屋に雨戸を打つ強風の音を聴いていたのだろう。ふとそれだけの瞬間に、どっと恐怖が襲ってきた。ヒトの破滅のストーリーはいくつも考えられてくる。
2011.01.30
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資源は無尽蔵ではない。人間も同じだ。限られた時間と限られた世界で生きている。個人にとって、未だ自分のスペースを選択できるが、いつかそうもできなくなる。のびのびしていられるのにも限界があるだろう。私たちはただ黙って、それを受け入れるしかないのだろうか。一生恙無く生きられれば幸福といえるだろうか。何か今しなければならないことが私にもあるのではなかろうか?それが、正直な気持ちでもある。 ・石炭や石油や、或いは人間の生命でさえ限界がある。自然は、人間の文明や社会的活動を後押ししてくれた。私たちは子孫に誇れるものを残せるだろうか、悩み始めている。彼らの健やかな一生を守るべき資源を残すことができるだろうか?それだけの時間と智慧があるだろうか。生気を失った残骸だけを残すのではないだろうか。勝ち負けや損得だけを追求している社会が、人間の叡智といえるだけの資源をのこせるのか? ・へ2・・・個人主義の限界があるのではないだろうか。無謀な野心がすべての存在を絶滅させ、目的を見失いショートしてしまうかもしれない。そう思い始めてはいないか。少なくとも個人としてそのことを思っている。人間の未来を類としての存在として考えることはある。そろそろ部屋の中にたまった資料を整理しなければならない。このままではゴミの山になる。後継ぎはいないから、妻子はすべて焼却場に捨てるに違いない。消されないためにもこれから少しは残ったエネルギーを使わねばなるまい。今日から2月のスタート。
2011.01.30
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太宰が穏やかな心境だったころ <作品>「I can speak」、 「富嶽百景」、「黄金風景」、「女生徒」、「愛と美について」、「花燭」、「秋風記」、「新珠の言葉」 「黄金風景」=「花燭」=「新珠の言葉」 共通する作品。・姉―弟がテーマ。「I can speak 」 家族の話(物語)似たような題材。リレー形式。・富嶽百景の前の作品。解り難い。表現したいことがうまく出てきていない。・「無心」にひかれている。・井伏・・・「夜ふけ」と「梅の花」。「秋風記」・・・姉と弟の関係に関心をもったこと。発禁。「花燭」 ・・・姉と弟。全小説につながっている。・<作家の発想>はひとつでしかない。違った作品に見せかけているだけ。それが上手いか、下手かの違いでしかない。<自分>・・・から抜け出せない。・話す・・・はじめにことばありき。初心に戻るということ。「富嶽百景」は問題作。富士をどう描き分けるか。見方はTPOで変わるのは、見方が変わるから考えも変わる。・日本文化・・・「風景」・・・国木田独歩が初めて書いた。風景を対象として・・・で見方が違う。日本にはそれまで「風景」という概念がなかった。・<亀井秀雄、柄谷行人>見ることが自覚的。仏教・・自然を受け入れる。・キリスト教は、砂漠の宗教。そこから創り出したもの。・仏教とキリスト教は自然の見方が違う。自然を対象化できるか、できないか。・漱石の見方は単純ではない「富士山」。・太宰は、自分の見た富士を描こうとした。読者の寧ろ「期待はずれ」がテーマ。・志賀直哉・・・小説に悩んだ。天才ではなく、努力家。見たままを書く才能があるといわれた。(注、全集でないとわからない。全集も最新版しか価値がない。但し、今の分は買わない方がいい。内容が間違いばかりで誤解する。)・太宰は、自然のままを書かない。へそまがり。老婆=自分の変型。(太宰の小説の原型)・太宰のことばは、俗化され易い。自分の共鳴しているものを、相手にも共鳴させたい。(できるのか?)・「ラス・ゲマイネ」(俗化)気の利いた事を書きたかった。・「似ている」が太宰のキーワード。愛情表現である。・文章全体を流してみること。部分的なことに拘らないで全体を見ること。・女性の「一途さ」に魅かれている。富士を見ながら人間を描いている。太宰には所謂「風景」がない。「心」で風景を見ていない。見えない。太宰は素直には読めない。ひねくれたこころがある。「黄金風景」と「花燭」は裏返し。表と裏。・梶井基次郎の作品の太宰のパクリである。・太宰と梶井は雪国の育ち。共通する観念がある。イプセンが頭にある。「秋風記」だけが違う。出版前に<発禁>となる。・「有明淑日記」のパクリ。圧縮して一日にしている。「女生徒」異性を内側から描こうとした。男のマザーシップ。「にんじん」・・母親との関係の障害。母と息子。父と娘。交叉や、ねじれもある。いじめ。閉塞感。・レオン・フラピエ「女生徒」<参考>堤 重久( 1917年8月 - )は京都産業大学名誉教授。太宰治の一番弟子で、著書に『太宰治との七年間』がある。
2011.01.30
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静かに時を待った死神は人知れず動いて当然嵐のように私たちに襲いかかってくる。何も用意して待つことはない。ファウストのように悪魔との契約など必要はない。環状ではなく直線状のヒトの染色体は、タンパク質と結びついた特別な染色体末端に結びついたDNA配列をもっている。この非コード配列タンパク質であるDNA末端、テロメア telomere は、ヒトの中で唯一接近しやすい染色体複製の構成要素である。テロメアは、150~ 2000の TTAGGG 配列をもっている。 ・染色体の末端はテロメアの核タンパク質によって保護されている。 ・テロメラーゼは老化した染色体を維持している。 何故 telomere crisis は起こるのだろうか。ヒトの分子生物学は、まるで初心者にとってパズルのごとくである。テロメアの欠損による染色体末端の欠失は染色体の不安定化をもたらす。つまりそのような損傷は高い割合で組み換えが起こりやすい。 それこそ、精子の如く数億の競合を経て、苦難を乗り越えて、始めてひとの遺伝子は卵子にたどり着くことができるのだろう。ヒトの生命の先端で繰り広げられる闘争は、単純でも平易でもない。まさに複雑で熾烈な闘いの場でもあるのだ。そこにこそ、人間の生命の根源があるのであり、私たちの日常はその上に立った社会でもある。
2011.01.30
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今夜のウオーキングを諦めた。道半ばで引き返すのも仕方がない。明日も様子を見て決めたいと思う。今夜は早寝でもしたい。別にウオーキングもやればやれそうな気もするが、無理をする理由もない。妻子の忠告を聴いて遣るのも親父の芸の裡だろう。鳥渡寒いこともある。 年月日曜日気温起床 歩数2011/1/1土2 3;1511,5332011/1/2日3 3;5028,9502011/1/3月3 7;401,5512011/1/4火5 4;1513,2922011/1/5水3 4;0522,9342011/1/6木5 4;5523,3872011/1/7金1 6;0027,3192011/1/8土1 3;4522,2712011/1/9日4 4;0524,1322011/1/10月3 4;1027,2222011/1/11火2 5;0522,4892011/1/12水5 4;4024,3022011/1/13木3 4;5237,8432011/1/14金0 3;3031,1312011/1/15土4 4;4021,5212011/1/16日マイナス25;0026,8402011/1/17月マイナス12;5027,3232011/1/18火1 3;4026,6102011/1/19水2 3;2224,2642011/1/20木2 5;3028,6532011/1/21金2 3;2024,2322011/1/22土2 4;1524,1282011/1/23日1 4;2530,2852011/1/24月2 53823,6692011/1/25火0 3;1522,1742011/1/26水2 3;1027,6202011/1/27木0 ;3;2523,2562011/1/28金1 3;2320,8712011/1/29土2 3;2023,8612011/1/30日0 1;5518,057合計 711,720 >トルコで見た朝の月
2011.01.30
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現代は数々のストレスとの闘いの中にある。謂わば生まれてから死ぬまでストレスとの闘いが続く。それこそ気圧か水圧みたいなものだ。「ストレスに対してどう闘うか。知らない者は早死にする。」私たちが生きている限り、自己以外からストレスを受け、そして私も他人のストレスの原因になるかも知れない。平気で楽々と耐えている人もいるし、無神経で判らない人もいるだろう、人はさまざまだ。私などは、負けて病気だ。それでも、未だしぶとく生きているのは生への執着だろう。愚かな努力かも知らないが、私は、これまで楽して生きてきたので世間にお返しをしたいだけだ。吸い込んだものを吐き出したい。吸い込んだ思いは、数かずあるから。ひとはいつか炭素に戻り、空気となり、地上に暫く留まりそして、宇宙へと還っていくだろう。ストレスは、生きている証明かも知れない。私たちは、歴史を学んできたが、いつか私たちも歴史になるだろう。
2011.01.30
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テーマをもっていることは大切なことだ。それが、実現可能であり、自分にとってプラス思考であれば、猶のこと生甲斐にもなる。だらりだらりとしているから何もできない。毎日歩いていると、歩くのが楽しくなるが、恐らく、苦しくなる時が来る。その時それをどう乗り越えることができるかだろう。病気をしたり、怪我をしたりしてどうしてもできない時があるだろう。問題はそのあとだろう。いつもハイではいられない。暗いモードのときもある。それにどう対処できるかだろう。 ・最初はわずかな差でしかない。それはライフスタイルと言うまでには相当時間の経過が必要だ。そして、良いことはすぐに苦しくなり、息が続かない。我慢してどこまでやれるか。ひとつのことをやれれば、次もやれる自信がつくだろう。できなければ挫折する。その挫折感もどこまで自覚できているかだろう。人の人格の形成はそうして積み上げられていく。そうした経歴はその人性質になり、そう簡単には変わらないだろう。そのひとの体型や態度が示すものはその成果でもある。 ・へ2・・・それこそ、一日の始まりは無からではない。これまでも自分の生活を引きずっており、昨日の続きの延長でもある。自律神経は生まれてからこれまでも歴史をそのまま刻もうとするだろう。脳は置かれた環境から自由であろうとするが、すぐに縛りあげられる。束の間のまどろみの中で私の脳は何かの口実はないかを探している。何も弁解できない日常が来る。そしていつまでもテーマを探している。
2011.01.30
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インフルエンザか? 娘のインフルエンザが感染したかも?咳が止まらない。昼から家族と宗像大社にお参りに行ってきたが、どうやら、否定できなくなった。熱はないし、どこも他に風邪の症状はないが、咳だけは出る。違うかもしれないが用心はしなければならない。今夜のウオーキングはその時に決めようと思う。特に気分が悪くはないので。 ・昔はよく風を引いたが、ウオーキングを始めて風邪を引かなくなっていたが、それは運が好かったからに過ぎないだろう。ウイルスと薬の闘いは終わってはいない。自分の免疫力も減退しており、隙間だらけの予防でしかないのだ。雪が降っていたので、今日は参拝者も少ないだろうと話していたが、大社に着いたら人がいつもより多いくらいだった。節分祭のイベントがあっていたようだ。神社も最近は経営面が重視されているらしく色々なイベントをして参拝者を呼び込んでいる。 ・へ2・・・パワースポットというフレーズで、宗教には関心のないひとをメデイアを遣って呼び寄せている向きもある。訳の分からない話が、巷に溢れているようだ。病理は体の病気ばかりではない。心の病もある。さて、今夜のウオーキングは、どうしたものか。「江」でも観ながら考えたい。 >宗像大社で。
2011.01.30
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なぜ変貌するか?経済社会はなぜ変化し、変化するのか?アメリカと日本の経済について、リーマンショック以後と以前について、学んできた。金融資本主義のあとにどんな経済・社会が来るのだろうか。経済の変貌は必ずある。成長と危機は循環する。果たして資本主義は変質するだろうか。そこまでは見通せないようだ。講師は最後に二人印象的なフレーズを紹介された。 1.資本主義はその成功ゆえに没落する。(シュンペーター) 2.何も根本的に変化しないためには、すべてが常に変化しなければならない。 (ヴィスコンティ監督「山猫」) ・上記(1)の「成功」の中にはリスクを包含しているのではないか。完璧な成功もないからだろう。何を成功とみるかもある。(2)は、何も変化しないものはないのではないか。変化しないという前提が問題だ。資本主義が利潤の追求という意味では、モノやカネを商品化することによって成長をしてきたが、それが人に向かっているのは最近の傾向でもある。ひとや心まで商品化しようとするとすれば、あとがないような気がしてくる。 ・へ2・・・「順調な経済社会は必ず危機に陥る」。というのは人体に喩えれば必ず病気になるということでもある。それを克服できるかどうかであり、経済社会ではそれ(病気)は「危機」と呼ばれる。今後の経済の変貌を見極めるだけの能力をもちたいものだ。
2011.01.30
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海の中道海浜公園に行き、帰りに和白干潟を廻って徒歩で帰宅していた折、干潟と近くで、あっとおもった。何しろ草臥れていた。公園から雁の巣を通り、家の近くまで来ていたので、自分ではかなり歩いた方で頭がぼーっとなっていた。いつも干潟で天然記念物のクロツラヘラサギで探していたが、そのチャンスがなかった。突然目の前に現れたサギ姿に半ば夢中でチャッターを切っていた。初めてでもあり、自分の眼を信じることができなかった。近くには誰もいなかったし、しばらく夢のような時間が流れた。 ・先日、市の図書館に行ったとき、クロツラヘラサギの写真展があっていたので、やはり本物だとわかって、今紹介している。その時もブログで紹介したが、あまり自信がなかったので今詳しく見ていないが一枚か数枚しか載せていない。結構写真も増えていつ撮ったのか、探すのに苦労するようになっているが、やっとその時の写真の日付がわかり、これからぼつぼつ紹介することにしたい。慌てていたらしく、変な写真もある。 ・へ2・・・腹が減っていたようで餌を夢中で探していて、私には気付いていただろうがそれどころではなかったのだろう。結構長い時間見ることができた。疲れていなかったらとその時思ったものだ。然し、それが天然のクロツラヘラサギに相応しいのかも知れない。こんなところまでよく来てくれた遠来の賓客でもある。和白にきて長いがやっと会えた。
2011.01.30
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遅いウオーキングになったのはアジアカップを観戦したりして二度寝した。小雪が舞っていた。今年一番の寒さに為りそうな予感がする。雪雲が上空にある。福岡で雪に為るのは一年に何回もない。その貴重な一日に為りそう。咳が時々出るのが、娘の新型インフルエンザに感染していないことを祈るしかない。信じて歩くしかない。 ・家に近づいてきたら餌を食べにくる野良猫の三代目の白黒のホルスタイン猫が、どこからか出てきて出迎えてくれた。どうやら挨拶しているつもりらしい。猫の世界は面白い。異次元の世界が、身近にあるのだということを感じる。その気にさえなればどんな発見でもできるのだろう。それをする勇気があるかどうかだけだ。 ・へ2・・・ゴールを決めたダイレクトキックをした李選手の技術力の高さでもあり、それが出来るようになったということ。それまでに長い時間がかかった。サッカーはメジャーなスポーツであり、そこで勝利するのは難しい。体力ばかりではなくメンタル面のこともある。それだけ闘魂が必要でもある。
2011.01.30
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昨日とは違う 頭と体が必ずしも一致しない、ずれてきている。その認識はあるが、つい忘れてしまいがちだが、段々と思い知るようにもなってくる。失っているものを余り気にしていたら遣りきれなくもなるのだが。微妙なバランスの上に私たちは存在している。今日という日は、過去にも明日とも違う。一日の重みは増している。それは他人には問うものではないのだろう。自分は他人とは違う。自分の今日のエリアを探している。 ・やっと朝になって、昨夜の日本のアジアサッカーの優勝のニュースが報じられるようになってきた。賑やかになるのはこれからなのだろう。まあ、単純だが、これくらいしかない日本ではある。カネと時間をかけてやっと日本のサッカーもこれまでになったと言えなくもないが、それでもスポーツの話であり、どちらを向いても暗い話ばかりではある。こんな世の中で、明るく生きていられる人は、どんな人間だと。 ・へ2・・・アイロニカルや、ドッペルゲンガーばかりでは、閉塞してしまいもする。悲しい時ばかりでは切ない。日常の中に見出し得るだけの明るさが大事でもある。それは文学であろうと何であろうと構わないのだ。朝の気分の好さを味わえるだけ幸福なのだろう。それさえ得られない日も来る。それ程スキルがあるわけではない人生を活きてきたのだから、大して我慢性もない。忍耐力もなく逝くのだろう。今年一番に為るかも知れない寒気が朝の道に立ち塞がっているようだ。それでも今日一日の日課を果たしたいと思っている。 >さとうだいこんの山
2011.01.30
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予想していたよりも、多くの写真を撮りましたが、それだけ見所が沢山あったと言えなくもない。食事はグルメでもなかったが、それでもトルコ料理の一端を知ることが出来たし、ホテルはオフだった所為か、スーペリアクラス。勿論トルコでは一流というものだろう。近代化は進んでいるが、まだ完璧というわけにはいかないのだ。インフラも遅れているようだった。 ・政教分離がどこまでドラステックに進められるかは難しい課題でもある。酒が自由にどこでも飲めるというのには驚いたが、それが現実的な政策であることには違いがない。トルコ人にとっては活きていくためにイスラム教徒になったのであり、それが現実的な道だったからだろう。厳しい自然の中で生き残るためには、周囲にあるものを利用して活きていかなければならないからだ。彼らは現実主義者なのだろう。 ・へ2・・・広大な草原を眺めながら、人間の存在の計り知れない強さを想ったし、勇気を奮い立たせた人々の苦闘を想起せざるを得なかった。痛みを伴った先の長い一日を過ごしたのだ。自分の足で歩いてみて、その遠さの意味が解かる。地平を見て、目の届かない物はない世界で生きてきた。相手の顔もない天と地だけしかない世界を知らないできたのだ。
2011.01.29
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魂が足りない ブラウニングは19世紀の英国の詩人。第二行目は「最上のものはこれからくる」とつづく。「われとともに老いよ」は詩人の口にふさわしいよいフレーズである。「春風春水一時に来る」ごとく、春が来たかと思った急に冷え込んで寒の戻りを味わっている。気紛れなのは人間だけでもないようだ。 Rachel Carson は、56歳で死んでいる。環境汚染を警告したひとでもある。自然の価値を知る人が早く死んでしまうのだろうか。エコロジーが彼女のコンセプトであった。 われ見ても久しくなりぬ住吉の岸のひめ松いくよ経ぬらん (作者不明) 日本人のそういう松の伝統の中に育った来たという文化が、この古松の長寿をめでたく詩的に受け取ることができるのだろう。それが古典文学を持つ国のゆたかさでもある。龍之介も多くの作品で、「松林」をある感情をこめて描いている。古典文学が自分の国にあることは、そういう意味では大したことかもしれない。古典を読む力を養っていることは、つまり人生の知恵を知ることができることであり、その蓄積の恩恵にも浴し、楽しむというゆとりがあることでもあるからだ。 そうした日本の古典を、現代社会は如何にも陳腐なこととして遠おざけるのは全くあたらないのであり、外国の古典も決して外国の昔語りに過ぎないのではない。人類が営々と経験した積年の叡智が含まれている。むしろ泡沫の表現を有り難がり、功利に走る経済社会をこそ警戒すべき現象だろう。 ある名画工がいう。 「見な、あれはラファエロという五年前に死んだ男の描いた画だ。腕のつけかたなんか間違っている。チョークをよこしな、直してみせる。こういうふうにならなくちゃいけないのだ。だが、精神というやつ、心、魂、これはどうにもならない。おれあやつに、かなわない、やつの画は天へ昇っている・・・。」 精神が、魂が足りない、あまがけるものがない、世俗に汚れた画工や教師や小説家たちがたくさんいるのだろう。
2011.01.29
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一度寝たのですが、目が覚めて延長戦を観戦していましたが、押され気味でハラハラしましたが、よく1-0でオーストラリアに勝ちましたね。その余韻を楽しみながら、しばらく起きていようかと思います。どうせ、日曜日で家族も朝は起きて来ないし。無理に眠る必要もないので、コーヒーでも飲んでのんびりします。今朝は寒くなりそうだし、ウオーキングも急ぐことはない。 ・優勝戦は、民放の中継放送になり、NHKのようにいかないが、放送権の問題があるのだろう。NHKが果たしてきた役割は、必ずしも善ばかりではない。独善になってしまうのも良くないので民放の存在も尊重しなければならないのは当然だ。それにしても、ゲームは、危なかったのはキープ力の違いでもある。 ・へ2・・・勝った、勝ったとあまり騒ぐのも度が過ぎれば厭にもなる。勝てば法外なカネが報奨金として出る国もあるが、アマチュア精神から云うとどうもいけない。プロの選手も出ているのだから、カネの出ない試合には出ないのだろうし、国のために頑張るというのもいい過ぎるのを聴くと違和感がある。時間帯もあるが、中継もあっさり終わってしまった。コーヒーで体を温めている。
2011.01.29
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寝ることと食べることが脳を最大限に引き出す重要なポイントである。「サーカディアンリズム」と呼ばれる生体時計からの命令でリズムを刻んでいる。最低体温で目覚め、最高体温に達すると眠くなる。長年の習慣で生体時計のベースは昼間起きていて、夜寝るようにできている。いちばん目が覚めているのは午前10時から12時までくらいで、14時くらいには眠くもなる。交通事故等もこの時間帯に多いようだ。メラトニンは、覚醒14~16時間後に出てくるホルモンで睡眠に関連しており、抗酸化作用、リズム調整作用、性的成熟の抑制作用がある。老化を防ぐこと、抗がん作用あるとされ、眠気をもたらすはたらきがある。 ・高齢者で日中の受光量が増えると、夜間のメラトニン分泌が増えて、睡眠の質が改善したという研究があるようだ。メラトニンは目覚めて、14~16時間後に暗くならないと出てこないので、夜になっても明るくしておくと、ストンと分泌量が減るのだという。(文春5月号神山潤著「国民よ、脳のためにもっと眠れ」より)朝の光も重要な意味をもっている。朝の光の中にセロトニンのはたらきを高める作用があり、精神を安定させるという。セロトニンは、こころを穏やかにする神経伝達物質でもある。 ・へ2・・・夜遅くまで起きていることや、朝の光を浴びないことが、健康に良くないことくらいは一般的な常識だろうが、それが脳にどれだけの影響があり、やがてホルモンにダメージを与えて、それが<がん>を発症させるスイッチを入れることにもなる。どうしても、そういう生活をしなけれならない人がいるかも知れないが、これにも対抗策はあるに違いない。どうしたら、よりよい環境をつくれるのか、その努力を最低限はすべきなのだ。
2011.01.29
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睡眠不足の影響は大きい。脳に満腹を伝えるレプチンが減少し、胃から食欲を増進させるホルモンが分泌される。空腹感が増し、特に炭水化物への欲求が強まリ、このホルモン異常は、エネルギーの消費も抑制してしまうのだ。体はエネルギーを取り込み、蓄えようとして肥満にもなる。さらに耐糖能低下を招き、運動意欲がなくなる。 ・睡眠不足は、生活上の行動変化になり、体内ではホルモンの作用を乱して肥満になり易い体質を形成する。やがてメタボリックシンドロームのシステムを準備してしまう。睡眠不足は、何かのきっかけから始まることが多いのではないだろうか。ぐっすり眠る為にどれだけ工夫をしているだろうか。少なくとも不眠症にならないために、努力する価値はあるだろう。 ・へ2・・・2時か3時に起きていたので、昼は、眠くなり昼寝をしていた。するとやがて習慣化して運動をしなくなってしまった。歩いても息切れがするようになり、長く歩くと足が痛くなって、さっさと止めてしまっていた。規則正しい食事と、運動とするようになり歩くのがそれほそ苦痛ではなくなった。すると睡眠不足も少しずつ解消してき気がしている。昼寝をしなくなった。自分に仕事を課していなかった所為もあるだろう。未だまだ先がある人生であって欲しいものだと思っている。
2011.01.29
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コピーからスタートしている。セルもそうだが、私たちのやっていることと言えば大抵コピーだろう。パクリもある。そうして、いつか突然変異がある。元々その因子を私たちは育てている。無駄と思われているものが、遂に役割をはたすのは、いつかわからない。役割は来ないかも知れない。只管、コピーを繰り返している。歳月も同じだ。地球は46億年の時を刻んでいる。ビッグバンから140億年過ぎた。そして、生命が誕生して30数億年近くコピーを続けて、多細胞となり「ヒトという種」として私たちがいる。アフリカのルーシーがヒトのルーツである。コペルニクスやダーウィンは、科学的真実を指摘したに過ぎない。ひとは知らないのではない。知りながら今なお宗教戦争を続けている。愚かなのは、過去ばかりではないだろう。 ・思えば、人の一生もコピーからスタートしているが、皆同じ人生ではない。少しの違いが夫々の個性になり違う一生を終える。春が来て夏になり秋が過ぎて冬となる。朝がきて昼になり夕方が過ぎて夜になる。人は誕生して、成長し生殖し、移動して死ぬ。人間には、まだ為さねばならない命題があるのではなかろうか。それさえ判らないでいるように思える。肉体の苦痛は、時が過ぎれば消える。そうできているのだから、生物は炭素でできている、自然に還れば消えてしまう。私が今遣っていることと言えば、図書館で先人のコピーをしている。それだけだ。それが生甲斐でもある。
2011.01.29
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散歩やシャワーなどリラックスすると右脳が活動する。音楽も右脳と左脳が働いている。考えるという愉しみを活かすことだろう。子供のように好奇心をもつことでもある。「街歩き」という小説にもジャンルがある。歩きながら考えることは右脳を使うことでもある。年月 歩数 日数 平均2008年4月 258,124 15 17,2082008年5月 461,505 31 14,8872008年6月 454,828 30 15,1602008年7月 492,053 31 15,8722008年8月 479,175 31 15,4572008年9月 607,612 30 20,2532008年10月 635,399 31 20,4962008年11月 562,374 30 18,7452008年12月 629,723 31 20,3132009年1月 628,603 31 20,2772009年2月 587,391 28 20,9782009年3月 700,366 31 22,5922009年4月 686,126 30 22,8702009年5月 704,517 31 22,7262009年6月 610,392 30 20,3462009年7月 646,126 31 20,8422009年8月 655,742 31 21,1522009年9月 682,647 30 22,7542009年10月 749,592 31 24,1802009年11月 682,170 30 22,7392009年12月 683,681 31 22,0542010年1月 675,525 31 21,7912010年2月 637,727 28 22,7752010年3月 735,903 31 23,7382010年4月 778,075 30 25,9352010年5月 814,547 31 26,2752010年6月 780,407 30 26,0132010年7月 748,643 31 24,1492010年8月 733,665 31 23,6662010年9月 706,656 30 23,5552010年10月 714,428 31 23,0462010年11月 646,698 30 21,5562010年12月 635,004 31 20,4842011年1月 693,663 29 23,919累計 21,899,087 1,019 21,490
2011.01.29
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猫の最期は悲しい やっと「吾輩は猫である」を読了したが、なぜ酒に酔って水死せねばならなかったのだろうか?漱石の頭の中には何があったのか?私の頭の中の眠った部分にある感性は、歩いているときに目覚めるようだ。リラックスしないと出て来ないアイデアもある。好きな女性でなければならない相手がある。脳内ホルモンの量の違いがある。それこそ漱石の猫は偉大な猫であった。仮想の猫だが、殺すのは惜しい。 ・漱石にあれだけの猫を想像することが出来たのだから、もし猫がそのまま生きていたら面白かっただろうに。登場人物たちをそのまま大正から昭和を見せてやりたかった。汽車が文明のシンボルだった時代から、随分遠くまでやってきた日本だが、漱石の猫がいたころとどこが違うだろうか。猫は立派な人間批評家であった。猫が年限を見る目を発見した漱石も偉大だった。 ・へ2・・・猫の最期は悲しい。宅で飼育した猫たちは次々死んだ。それでも10年生きていた猫もいた。私はその白猫が嫌いだったが。白猫は根性があった。ガッツがあったのだろう。追い払っても居続けていた。妻子は、私が好かないのを知りながら養っていたし白猫を「にゃんこ先生」と可愛がっていた。私と猫との喧嘩を無視していたし共存させていた。その白猫が死んだとき、寄生していた虱がどっと出来て来た。 動物の最期はそのままでは無残である。だから誰かが旅立ちを後処理をして遣らねばならないのだ。
2011.01.29
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マルコ・ポーロにしろコロンブスにしろ、或いは宣教師たちや、シーボルトにしたところが長い苦しい旅をしたあとに、ヨーロッパ人に知らされたものは何だったのだろうか。何故偏見や誤解や、妄想をさえ生んだのだろうか。それが大航海時代を迎え入れ、さらには帝国主義の植民地への道を開いた。 「シーボルト、波瀾の生涯」という本の中に、スペインやポルトガルの商人が日本に来航し、彼らと共に来た多くの宣教師たちが精力的に布教して、比較的短期間に日本でのキリスト教の信者は200万人にも達したと書いている。 宣教師たちにしろ、キリスト教を布教する目的で、使命に燃えて世界を自分たちの宗教を広めようとしただろうが、反面国益のためでもあったことは、例外はあるとしても、言い逃れることではない事実だろう。それが正しいと信じても、利用されたとしてもだ。国家権力と宗教の権威はともに功罪を繰り返している車の両輪の如くだ。
2011.01.29
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年月日曜日気温起床 歩数2011/1/1土2 3;1511,5332011/1/2日3 3;5028,9502011/1/3月3 7;401,5512011/1/4火5 4;1513,2922011/1/5水3 4;0522,9342011/1/6木5 4;5523,3872011/1/7金1 6;0027,3192011/1/8土1 3;4522,2712011/1/9日4 4;0524,1322011/1/10月3 4;1027,2222011/1/11火2 5;0522,4892011/1/12水5 4;4024,3022011/1/13木3 4;5237,8432011/1/14金0 3;3031,1312011/1/15土4 4;4021,5212011/1/16日マイナス25;0026,8402011/1/17月マイナス12;5027,3232011/1/18火1 3;4026,6102011/1/19水2 3;2224,2642011/1/20木2 5;3028,6532011/1/21金2 3;2024,2322011/1/22土2 4;1524,1282011/1/23日1 4;2530,2852011/1/24月2 53823,6692011/1/25火0 3;1522,1742011/1/26水2 3;1027,6202011/1/27木0 ;3;2523,2562011/1/28金1 3;2320,8712011/1/29土2 3;2023,861合計 693,663 突然死の原因の多くは、急性心臓疾患、脳卒中、急性呼吸不全、急性肝不全など。予兆も頭痛、眼痛、めまい、耳鳴り、首の痛みや凝り、肩こり、などが、1か月くらい前から起きていた人がいわれている。いくつか、専門家が有効とされるものがある。その中で、 ・定期健診を必ず受ける。 ・一定の睡眠時間と運動不足にならない、三食を規則正しく食べる。 ・食事は、タンパク質、脂肪、炭水化物をバランスよく食べる。 ・心も体もギリギリまで使わない。 ・ストレスをためこまない。 ・ゆったりと過ごす。 ・肥満を解消する。 ・酒・たばこをやめる。
2011.01.29
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逆境で、苦悩を続けているとしても、何かに夢中で打込んでいれば苦痛は薄らぐらしい。真剣さとはそういうこと。下手に弛んだ時、悲哀を覚えるもの。所詮個人としての自分は、何ものでもない。徒の微力、非力の輩に過ぎない。そうしているのは自分である。 只一匹のハエのように狭い空間を、与えられた時間をせっせと自分の子孫を残そうとしているだけだろう。こっちから見るか、反対側から見るかによって物事は逆転して見えるだけだ。 宗教は、内に向かう人々ではないか。或いは外に向かって、万里の長城を築こうとしている人々ではないだろうか。もしそうだとすれば、この地球を分割しなければならなくなる。 私たちに何ができて、何ができないか? 不可能が何か、困難とは何なのだろうか? 不可能はいつまで経っても為しえないことであり、困難なことは努力次第で為しえるだろう。人は、困難を克服する為に努力しなければならない。常に、その見極めをすべきだ。 やがて夢は覚めねばならない。ひとはいつかその時がくる。自分が遣ってきたものが何かを知らねばならない。それは、個人のなしえることは、すべて果敢ない一事でしかない。短い夢か、長い夢かの違いでしかないだけだ。 それは、「一炊の夢」に過ぎないだろうか。・・・かも知れないし、そうでないかも知れない。東洋人も西欧人もその他の人びとも同じ遺伝子を持った種としてのヒトであって、遣っている来たことも、遣っていることも同じだろう。ただそれぞれが利己的に見えるだけだろう。 私の中の多忙は、自分を夢中にさせただけに過ぎないし生半可であれば自身の蒙眛に終わる。 >エーゲ海
2011.01.29
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寒い日 いつもの食パンを買いに外に出たら、小雪が舞っていた。今夜は夕方から冷え込んでくるとの予報だったが、どうやら本当になりそうだ。下の娘が新型のインフルエンザに為り、峠は越えたようだが、こちらも感染しているかも知れず、私は、家の中に一緒にいるのでその確率も高い。お互いそれを注意しているが、どこまでできているか自信はない。朝晩のウオーキングを続けているが、今のところ自覚症状はないようである。今日の講座は、かなり詳細なレジュメを戴いたが、17ページと参考資料も4ページあり、準備も大変だったのではないだろうか。昔と違って、PCを遣いパワーポイントもあるし、レジュメも残るので講師の負担は小さくはない。 ・不親切な講座を学生時代には体験もしているので、何でも揃っているような講義は羨ましい限りである。講義の時間は、ノートばかりしなければならなかったが、いまなら色んなツールを遣うこともできるし、選択肢も多いだろう。日本人の老後は安心できるかと思っていたが甘かったようだ。そして、文化レベルがお寒い。真実を知らせず、知らなかったのも無理が無いが、日本の政治は決して国民に誠実ではない。 ・へ2・・・豊かな社会もスローガンばかりだった。健常者で、一般の人さえ暮らしは冷え込み始めている。若年者の雇用も冬の時代を言われ就職難である。更に障がい者となればなおのこと厳しい。900兆円を超える赤字財政は、危機的でもある。それに対する政府の対応は甘い。それは、無責任としか言いようがない。にも拘らず、政党の権謀術策ばかりが横行して肝心の政策が蔑にされている。日本は沈没しかねない。どうしたらいいのだろうか。考えてばかりいても仕方が無いのだ。寒い日には余計ネガティブ・マインドになる。 >クシャダスのホテルからエーゲ海のオーシャンビュー
2011.01.29
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手島実郎「脳力のレッスン」序文 「狂気に満ちた時代に正気を保つことは、容易ではない」と書いている。9.11以後、アメリカは「力と正義の論理」という不可思議な論理で「新しい戦争」へ乗り出し、日本はといえば、戦後培ってきた平和の資産をかなぐり棄ててまで、アメリカに追随している。謂わば、「仕方がないシンドローム」と指摘。「イラク戦争」後のステージは、やがて、日本の将来に暗雲を招き入れるだろうか。03年夏のバクダッド崩落後のあるシンポで、イラクのひとりの高校生の質問が紹介されている。「佐世保で少年が、一人の幼児を殺害したことで、大騒ぎしている日本なのに、何故イラクで何千何万人もの人間が殺されている戦争を支持するのか」日本の大人社会の欺瞞を衝く質問だろう。それは、何故日本の高校生からではないのだろうか。否勿論ないはずはないだろう。そうさせない大人社会があるからだろうと信じたい。日本も第二次世界大戦では、何百万人もの犠牲者を出して、日本国憲法を制定して、世界に「戦争の放棄」を宣言したではないか。かって、ナチの台頭を許したワイマールのドイツは、ヒッラーを冷笑しているうちに、抑え難い潮流は大津波となり、多くのドイツの知性をなで斬りにした。日本も同じだ。「テロとの戦い」「核の脅威」とは、それは如何に繕うとも戦争を正当化しようとする陰謀でしかない。自分だけは、平和を愛しているというだけで良いのだろうか。それは、「ワイマールのドイツ」ではないだろうか。何れ何もできない愚民となり、むざむざ殺されていく子供たちさえ守れない人間になろうとしているのではないか。それこそ、私たちは何ものなのだろうか。この時代の、世界の社会事象の変転の背後にあるものとは何だろうか。
2011.01.29
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講座の使い方 人の特性は環境に如何に適応するか。それが出来たから70億人近い人口が在る。だが、いつまでそれが続くか解らない。デッドロックが在り、それを乗り越えるかでもある。その知恵があるか。なければたとえ100億人いたとしても、絶滅もある。いま、車で土曜講座を聴き帰宅した。障害者の諸問題が、一つの日本の社会現象のサインでもある。巷では、新卒者の深刻な就職難の事態が報道されている。 ・そういう日本経済の地盤沈下と高齢化社会の中で未曾有の経済不況がありの、そういう厳しい時代の到来がありの、そういう中で、障害者の就労という問題は、日本が先進国でも一番遅れている。財政赤字は国民一人当たり700万円に当たる。雇用は国家に対する国民の権利である。それをこれまで蔑にしてきたのは障害者への偏見からでもある。それを是正しないことには「国連障害者の権利条約」の批准も出来ずにいる。 ・へ2・・・社会的弱者を守るのは国家だけではなく国民でもある。障害者に生き甲斐を与えるのもその社会の文化レベルだ。働くのは食うためばかりではない。遣り甲斐や、社会参加などの意味がある。働き易い職場とは、どんな人も一緒に働くことのできる公共の場でなければならないのだ。知ることによって理解も深まる。丁寧なレジュメを戴いたので、これから勉強したい。 >ブルー・モスク
2011.01.29
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誰のために、というなかれ、時は来るだろう。鍛えられるチャンスがあるだろう。空騒ぎもいつかは終わるのだ。フィードバックがあるだろう。「戦後レジューム」などという言葉を使った首相がいたが、自分が世襲を利用としたではないか。曖昧な言葉を弄して姑息な手段で人の上に立つような奴は信用ができない。自分の利益だけを追いかけているような人間は軽蔑されるしかない。 ・妥協しないことだ。自立とは、自分の心を他人に任せないことだ。「個」として自分に責任を持たねばならない。感情に溺れないことだ。人間として弁解しないことだろう。自分が何ものになろうとはしないことだ。死ぬまで夢を諦めないことだろう。どうも取り巻きを作るような人間は信用できない。自分を鍛えない人間は壁を乗り越えることはできない。 へ2・・・いつものように朝からウオーキングをしてきます。今日は午前中に土曜講座がある。「障がい者の雇用と就労支援」というタイトルがついている。講座は何でも聴くことにしている。どこに何があるか分からない。手間を惜しんではならない。どうせ自分も役には立たないことばかりしている。ひとは差別に苦しんでいる。知ろうとしなければ解からないだろう。 >エフェソス遺跡
2011.01.29
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つまみ食い もう文学もつまみ食いようなことしかできないが、無責任なことを言わせて貰えば、もっと遣る事があるのではないかということでもある。科学の目で、日本文学を見直す事も遣ろうとすればできるのではないか。PCを使えば、詳細な分析は可能だし、自然科学から視れば、エリアの壁を超えた話も聞けるのだろう。日本文学は、国際社会でそれほど高い評価を受けないのは、そもそも身分社会の名残でもある人権や、人格や人間性に問題がある。何故通用しないのか、考えるべきなのだろう。 ・一人の研究家が、数十年研究しても成果はいくつかの論文でしかないのでは寂しい。漱石には一万人の研究家がいるとあったが、それは同じことをしていたに過ぎないのではないだろうか。つまみ食いで終るから誰の弟子かわからない。官庁の役人が文学を理解していないから文学教育もできない。このままでは日本語は滅びる運命だ。危機感を持たないから文化も滅びる。 ・へ2・・・人生もつまみ食いで終わるから、死に切れなくなる。遣りたいことをして、さっさと次の旅へ行くのが好い。あるものを利用しない手はない。その発想をもたなければそこに沈殿するしかない。怨念ばかりが残る世界では悲しいだけだろう。 >宇佐神宮
2011.01.29
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クライマックス それこそ全方位で人びとは夫々の人生を活きている。職業も多様であり、キャリアも違う人生でもある。士農工商が在り、産まれたときから、其の定めが決まった時代もあった。昨日の講義の「曠野」も万葉の頃の貴族社会の女性の運命の物語でもある。都育ちで貴族のみめうるわしい娘に産まれたが親の投資を受けられなかったために、一人の男を愛したが棄てられ、やがて田舎の男のめかけに為り、偉くなった前の男とはしためになって再会してショック死する話である。どこがゆかしいのか解からないが、それが当時の女の源氏物語由来の女性の運命でもある。 ・近代文学の堀辰雄の時代が、古典の頃とは社会環境も違うが、そういう女性が作家は好きだったらしい。確かに従順で相手の男を怨まない女性であったが、何故、最期に死ななければならないのだろうか。それが作家の見識でもある。名を為した近代の作家たちがみな情けないほど、女性蔑視なのは時代がそうだったからだ。いまだに女子大では、男女共同参画であり、ジェンダーの運動を続けなければならない社会風土がある。情けないのは政治ばかりではない。そこに活きている文化のレベルが低過ぎるのだ。 ・へ2・・・医師の患者に対する偏見がいまだにある。職業で社会の目は貴賎を問うところがやまない。どんなに知識が在り、キャリアがあっても下劣な人間はいる。航空機でも運賃で格差をつけてもいる。情けない社会だ。文化の根底にあるものが歪なのではすべてが歪曲化してくるしかない。中世の女性の短い一生の中に精神の曠野(あらの)があるという。作家の目は、そこから旅立とうとはしない。悲惨な運命ばかりが、砂を書くような話で終わるのみだ。
2011.01.28
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左脳遣いの名人がこの社会を成功してゆく。そういう意味では、世界は左脳社会だ。物質主義を造り上げてもいる。然し反面、体の老化を早めているかも知れない。実はガンや高血圧やDMを著増するかも知れない。左脳は、言語や計算、論理を支配するエリアでもある。脳の研究は、まだスタートしたばかりだ。右脳の役割については、従来「感情脳」と言われたが、どうも違うのではないか。と言うより「先祖脳」がるのではないかという。右脳は、言語を知らないのだ。アインシュタインは「私は、言語では考えない。躍動する形、イメージで考える」という。右脳は、左脳よりも潜在力を内在しているのだ。解っているが、ことばに置き換えられないだけだという。左脳中心で生きることは、自分の能力の1%も生かしていない。人間の脳が、他の種に比べて優れているのは、左脳と右脳が機能分担しているからだ。謂わば二つの脳が、或いは二つの人格が、個人の頭にある。このふたつの脳が生きてゆくあらゆる局面に対応するのだ。仲の悪いふたつの脳では、うまく人生を遣りこなせないだろう。殊に、今の社会は左脳中心だから損得勘定で生きているし、活性酸素で早死にするだろう。突き詰めれば自分中心で生きている。アドレナリン系のホルモンに左右される。
2011.01.28
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ヒトの本性とは、 ・ダーウィン・・・普遍的特性・ゴールトン・・・遺伝・ジェームズ・・・本能と・ド・フリース・・遺伝子・パブロフ・・・・条件反射・ワトソン・・・・連合・クレペリン・・・経過・フロイト・・・・形成期の経験・ボアズ・・・・・文化・デュケーム・・・分業・ピァジュ・・・・発達・ロレンツ・・・・刷込みとひとつでも欠けても本性は語れないと Matt Ridley は言っている。明日に向かうものは、人間の行為の因果律を具有する遺伝子を知らなければこれからの先を進むことができないだろう。これからの自分は何をすべきかだろう。
2011.01.28
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アレンジ 人は先人の作ったオリジナルの物語をアレンジして、自分の物のように描いて作品にするのが常なのだろうか。角度を変えて違うものにする。まるで料理のようだ。人間の心象風景を魚や野菜を煮たり焼いたり蒸したりする。結局多くの作品は、過去の何かの亜流か変形でしかないものばかり。オリジナルを読むことは稀なのだろう。堀辰雄の「曠野」(あらの)も、そうした流れの一つだという講義を長々と聴いた。 文学を愛することは難しくなった。昔は、皆純真だったか、文学を愛してもいた。然し、いつかだれも言葉を信じなくなってしまったのだ。嘘ばかり付いている社会だからだろう。豊かな社会など、夢のような夢だったのだろう。アレンジばかりが上手くなり、オリジナルは真実と一緒に消えてしまったようだ。 ・へ2・・・
2011.01.28
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枯れ木もひとの役に立つだろう。知恵の無いものは、生きることを壁としか見ないかも知れない。ネガティブな側面だけを見ていても恐らく人生が厭になるだけだ。然し良いだけの人生であるはずはない。光と影とこの社会を形成している。一葉の世界が遠くなってきた。然し、私も老耄れたお蔭で見えてきたものがある。多分若い時には感じなかっただろう複合の文脈が面白い。でも、一葉や、明治や、昭和に嵌っても仕方がないだろう。本当に分かるものが分かるだけだが、それでも仕方がない。時代は、ただ必要なものだけを残すだろう。価値があるからではない。 「たけくらべ」の最終章で、美登利は、「ある霜の朝水仙の作り花を」一輪挿しにする。
2011.01.28
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「器楽的幻覚」、・音楽は理屈ではない。絵とか音楽は感覚である。知識ではない。・小説は説明の世界であり、それを梶井は、「感覚」で表現しようとした。「蒼穹」・やむを得ない説明。ポーの作品。奇想天外。・アイデア。絵にできる着想。・詩人としての梶井の評価が高い。・草稿は散文的で、「決定稿」で詩的になる。・感覚は説明が要らない。・奇抜な着想への執着・・川端。シュールリアリズム。一時凌ぎではないもの。・「おや?」、の感覚。日常が非日常に変わる。・刺激が強すぎる。・・・老人には。理解できるかどうか?・梶井の拘り、「刺激」である。感覚表現として書く。「冬の蠅」・写生(文)→視覚の世界の再現 五官(五感ではない)・奇妙なたくらみ。・・・(「檸檬」)にもある。・「意志の宙ぶらりん」。ふと浮かぶ(思いついたこと)。理屈ではない。「ふっー」と浮かぶ。・「おりてくる」。アイデアが湧く。・強い感動が無感動になる。無感動に見える。周囲には容易には分からない事が多い。・この作品の梶井のアイデア。「こころの緊張」が別のものをもたらすという。・「破れ目がもたらすもの」。口笛が。外からの障害物・・・かき乱すもの。感覚の抑揚を書いている。・石化・・・「檸檬」にもモチーフがある。漱石にもある。・「犯行」の意味。・感覚をモノにした。「檸檬」。石化すること。音楽を聴いて感動している聴衆が石化する。固まるようになる。聴衆は、演奏者に注目が集まる。・自分の考えを周囲のだれも解らない。聴いているものの気持ちを表している。・視覚と嗅覚と聴覚。に梶井はその相互作用に関心がある。・他人に知られない犯行。・侯爵を殴り倒すことを想像する。危険なことを想像する。・調和して物を壊す。「石化」で終わるのをそれで済まないのが梶井。爆弾を用意する。梶井や三島には危険なものがある。・この作品は、「檸檬」に通じるものがある。
2011.01.28
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