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宗谷丘陵。ここ数年間朝晩ウオーキングをしているが、健康のために歩いている人やジョギングをしている人が増えている。皆が始めている事もある。歩道の整備はまだまだだが、以前に比べると歩き易くなっている気がする。ハワイに行った時、気持の好い公園を早朝から歩いている人やジョギングしたりしている人たちを見て、「ああ、いいなあー」と感動したことがあった。その爽快さは、それだけの環境が整ってもいたからだろうが、それでも、疲れの取れた朝に新鮮な空気や、太陽の光を浴びるのは生気が湧いても来る。 ・鳥渡真剣にやり始めたら、体重が10キロ減量できたし、運動効果が覿面に出たので驚いた。やればできる。遣らないからできない。体は化学反応だということを自分の体験で知る思いがした。気が弱いので、すぐに止めてしまい長続きがしないことが多かったが、ウオーキングは4月で満5年に為る。雨が降ったり、寒かったりもするが、無理をしなくても続けられたのは、不可能ではなかったからだろう。頑張る気さえあればできる環境でもあったことは言える。 ・へ2・・・スパイスの効いた紅茶を飲んでいる。何が自分の日常のスパイスに為るかでもあるだろう。自堕落になりがちな自分を奮い立たせるには工夫がいる。夜5,6人の中年の女性クループが毎日ウオーキングをしているのに出会うことが多いが、もう1年くらい続いている。話しながら歩いている。仲間がいるから続けられるのかもしれないが、男はどうもそういう人たちはいないようだ。私も一人だから続けられるのではないだろうか。マイペースで、街歩きのつもりでいる。励ましてくれるツールは沢山ある。空港へ向かう着陸態勢の航空機とか、JRの列車を見ながら歩くとか、ブログや歩数の集計とかも励みに為る。それも私には、スパイスである。 ひとは何かを成し遂げたいと思うだろうが、それは希望でしかない。願いが自分に相応であるのだろうか。それを冷静に判断することができるだろうか。
2022.01.31
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FEZひとは、追い込まれないと本当の自分の力を発揮できないところがある。死に直面するとか。それほどではないにしても、ある緊急事態がないと出て来ないものがある。それがそう度々あっては堪らないし、有るものでもない。作家たちの作品の中にもそれを感じることがある。一葉のジャンプもそれがあったのだろう。漱石の修善寺の大患もある。ひとは不治の病を体験して生きることに目覚めた人も大勢いるに違いない。自分がどんなに太平楽であったか、どん底に落ちて知ることもある。 ・簡単に頭が切り換えられる訳ではない。その状況下というのは想像だけでは済まないものがあるのだろう。その気にならないとできない。自分の脳内のニューロンネットワークがあるに違いない。脳内ホルモンがドバっと出るには、それなりのプロセスが要る。安穏としているときには神経も緩んでしまう。碌なことは思い描けない。ストレスがなければできないことばかりだろう。フォーリン・ラブにもTPOがある。 ・へ2・・・動物に備わった遺伝子には、通常の時と、非常の時の想定があって、その非常の時に出るパワーは、あるいは最期の時なのかもしれない。よく大物釣りの時の魚の最期のファイトがあると聴く。人間の最期も間際になれば安楽のホルモンがでるらしい。にやりと笑うシーンも創り事ではないのだろう。ネズミも猫からがぶりと噛まれると脳内ホルモンが出て即死するパターンを持っている。緊張感がないということは、その高見に立てないということだ。それが有難いことなのかそうでないのか?
2022.01.31
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宗谷丘陵。・脳と体の連携もずれるのが加齢の特徴でもある。末梢神経だって、若い頃のようには行かない。毎日ウオーキングしていて、若い連中に追い越されるのは、歩くスピードが遅いからである。1歩を大体1秒で歩くのが普通の人の所要時間であるが、歳をとってくるとそれが少しずつ遅くなる。足の筋肉が弱って歩幅も短くなるからだ。年寄りの冷や水というが、無理をするとダメージに為る。マイペースというのは、欠かせないウオーキングの基本でもある。人の歩き方を見ると、其の人の性格も顕われるようだ。 ・自分では気付かないことも心理学の解かる人には、心の裏側を覗かれてしまうだろう。ことばだけでなく表情や行動もその人の表現をする。人間は解かり難い動物だが、それは複雑系だからだ。多くの情報を処理しながら活きてもいる。無意識の世界を知らないが、そのひとの形質は、他人にも観察されれば特徴をあるに違いない。嘘が本当であり、本当が嘘でもある。 ・へ2・・・意外とうまく行き過ぎるとひとは増長し、遣り損ないがちだ。安倍首相の外遊も半分はパフオーマンスなのだろうが、国際社会では、彼が思うほど評価されてはいない。日本の実力は別にあるからだろう。これまで戦争の放棄をした憲法を持っているのは日本だけだが、あとに続く国家がない。理想と現実は違うと言うのだろう。70年近く自衛隊で遣ってきた国家が今更軍事大国にはなりえない。中途半端な平和主義ではなく、むしろ平和に徹して国際社会からの支持を得たほうが理にかなっている。世界から武器を無くすことだろう。
2022.01.31
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血縁係数を視野に入れて考えれば、近親に対する利他的行動は生物学的には意味がある。家族の誰かを助けることは、自分がその家族と共有する遺伝子、つまり自分の遺伝子を助けることにもなるからだ。場合によったら、自分の子どもを育てるより、血縁者の適応度を高めることに労力を注いだ方が生物学的には有利になることもある。日本にも、昔貧しい時代には、その風習があった。女性が、自分の孫の世話にエネルギーを費やせば、自分の遺伝子の25%が残る確率を高めることが出来る。母親なら、同じ行動によって50%の利益になる。ハミルトンは、一見非利己的に見える行動もコスト上に適応度を高める可能性があるとしたら、遺伝子レベルで利己的な意味をもつことを明らかにした。ハミルトンは、進化を推し進めるのは、生物が子孫を多く残そうとする働きではなく、遺伝子が自分のコピーを多く残そうとする働きだ、ということに初めて気付いたのだ。利他的行動を取る個体は、自分にもっとも近しい親しいもの世話をすることで、自分の適応度を高めている。弟を守っているという行動は、実は、弟の遺伝子を守っている訳だ。進化生物学は、これまでの私たちの常識を覆すかも知れないが、そこに科学の目があるのであって逃れることの出来ない科学的真理でもある。それが何であろうと、恐らく、デッドロックは続くのだろう。フランス同時人質事件など、現在非常事態宣言が出されているフランスなど、今回のツアーでキャンセルした人たちいたらしい。行ってみないと解らないと思っていたが、反面何があるか分からないとは覚悟していた。自分たちと違う思想を持った人間たちすべてを否定してしまうようなことができると思うのだろうか。いつも疑問に思っている。誰も自分が信じてきた世界観をすべて否定されたら反対するに違いない。そのやり方が違うだけだろう。そして自分が絶対だとは思わない。顔が違うように違う考えを持った人たちがいる。誰が言うから正しいとは限らないのだ。親も我が子にいつまでも同じことは言わない。ひとは成長するからだ。セーヌ川から、クルーズをしながら川辺に遊んでいる人たちは平和そうに見えた。それは現実とどこまで違うのだろうか。
2022.01.31
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宗谷丘陵。マイケル・ボウルター「生物多様性は複雑な系(システム)だ。2億年前のジュラ紀でさえ、生物多様性はピークを過ぎていたものの、複雑さの度合いを着実に増やしつつあった。大陸が移動した為に気候と生態環境がわずかに変わり、食物連鎖にも変化を生じた。二酸化炭素の濃度が上がり、気温も上昇した」という。生命は「破壊されて粉々になり、無にすることだってある」地質時代というタイムスケールを理解することは困難に近いだろう。このような変転きわまりないシステムの中へほうり込まれたとしたら、どうだろうか?自分のいる場所の状態を把握できずに立ち往生するに違いない。2億年前は、ビックバンからの約138億年の内の2億年間だ。たとえば、天気予報でさえ、どれだけ長く気象データを蓄積しているかによって、正確さのレベルが決まってくる。種としてのヒトが誕生したのは、余りにも近時に過ぎない。タイムスケールがショートしている。かって大陸移動や、破壊されて無になることもあった。これから「人類の絶滅」だってあっても少しも不思議ではない。人類がタイムスケールをもつには、地球や、宇宙の歴史は壮大過ぎるのだろう。少しの知識を驕るべきではない。訊かなければならない人たちの声を聴かないでもいるだろう。ひとに、残された叡智だけでもない。ヒトの生きてきた歴史など取るに足りないからだ。私たちが持っているタイムスケールなど幼稚なものでしかない。 自分でも本当は急いでしなければならないことが沢山あるに違いない。EUで滞在税やトイレの使用料を取られたが、利口なのかどうか?それが知恵をひねったことなのだろうか。 いまだに間抜けなことを人間たちはしているのだろう。問題の本質を見抜けないでいる。
2022.01.31
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宗谷丘陵。 社会に適応して生きるということは、如何に有利な形質を以ってことに当たるかでもある。皆が貧しい暮らしをしているのに自分だけは贅沢にできるというのは罪悪にもなる。安楽な暮らしに慣れてしまうと、そう出来なくなった時に困ることにもなる。少しでも欲望を満たせるように遣れる方が好いと思っていたが、それは他人も思っている事で、一番は一人しかいない。自分が一番長生きしたからといっても、それは意味が無い。 ・活きる価値を見出す事がより深くできるかだ。日々を油断することなく、空不ウしながら活きることでもある。知恵が無くなれば、それまでだ。固定観念だけでは生き残れない。仏教は、諦観でもある。不生不滅だ。煩悩があるから 度一切苦厄 にもなる。何故こうも神仏や、神社や寺社があるのだろうか。必要とするものがあるからそうなのだろうか。 ・へ2・・・自分の準拠枠の中で足掻きつづけているが、それは苦厄ではないと思う。自分がそれをどう受け止めるか?時の流れに身を任せていては、ネガティブ・マインドになる。固定観念と闘いながら、自分のエリアを工夫しながら活きるかだろう。 ステレオタイプな人がいては、この淀みきった社会の腐敗を拭い去ることはできない。既成政党の観念は限界にきている。カネをばら撒かれて沈黙してしまうようでは社会では進歩もない。新しい世界観や、価値観を創造すべきであり、1%の富裕層が、50%の富を支配するようになるのではテロのある社会もあり得るのだろう。優雅に暮らしている人間を追い出さなければ、貧困や無知は無くなりはしない。英知を発揮すべきであり、手遅れにならないように急ぐべきだ。地上に世界遺産ばかり作っても仕方がない。
2022.01.31
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適応には、生物の形態や行動が非常に精巧にデザインされている。生存や繁殖の上で有利である形質を備え持つこと。それを持つことによって同種の他個体に対して、生存繁殖の上で有利さが生じるような形質をもつ。 事例として、・インドガンのヒマラヤ越え、・カッコウの托卵、・さまざまな擬態、・蝙蝠の超音波利用、・人の手の器用さ、・優れた知性 等。 現実社会に埋没せず、如何にジャンプできるかだ。それだけのパワーを内包しているかだ。誰も後押しはしない。自分で一から遣らなければできない。誰にもできないからやらなければ死んでもできない。デッドロックを乗り越えてきた。それが今日であるが、それは先人の成果であって私たちのものではない。このチャンスを活かし得るだろうか。あるのはそれだけでしかない。 山のようにチャンスがあってもそれを活かせないでいる。どうしてだろうか。時間はないのにあると信じている人たちがいる。崖まで来ないと分からないようでは、何もできないのに。未来の匂いがわかなくなっている社会である。言っている意味を解するものだけが分かるのだ。新しい形質をもつことだろう。
2022.01.31
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宗谷丘陵。旧制五高は、漱石でも有名だが、寮歌も流行ったらしい。当時地元熊本出身の学生がどれだけいたのだろうか。地元との関係も余り深いとは言えない。どこか遠い存在だったのではないだろうか。いまも九州でも遅れている熊本の行政・文化レベルではないだろうか。福岡は九大ありだが、熊本はどうだろうか。大学や学生は、熊本にどれだけ貢献しただろうか。 ・熊大の原田正純氏は、水俣病で有名だが、大学の仕打ちは風上にも置けないものだ。日本の最後の内戦の西南の役で歴史は止まったが、熊本城はどんな役割を果たしたのだろうか。庶民たちはなにをしたのか。九州は、文化でも僻地だろうか。有為な若者たちが九州から出て行き、アフリカ大陸のようになってはいないか。こころの砂漠になっていく運命ではないだろうか。 ・へ2・・・九州に優秀な人材が残らないのではなかろうか。そうしたのは中央政権を目指すからでもある。その体質はすべてにある。低い文化レベルに甘んじているのは誰の責任だろうか。自己卑下してしまう百姓根性が抜けないでいる気がする。アミラーゼが高いとかで、検査結果を聞きに行くことになっている。そのあと眼科にも薬をもらいに行く。年を取ると、余計なことが増えてしまうが、これもコストだろう。いいことばかりではない。給付には反対給付があり、作用と反作用だ。日本史を、あちこち読んでいると、意外と新しい発見があるg、おそらく忘れているのだろう。頼朝は、どんな人物だったのだろうか。どうせ宇宙の塵になる。
2022.01.31
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稚内港~宗谷岬。本土最北端へ。どれほど親たちに教養やキャリアがあったとしても、子どもは赤ん坊から始めなければならないし、母親の体内では生命の誕生のプロセスを経て生まれても来る。生命はそうして進化もしている。遣り直していることは同じように視えて同じではない。子どもにどれだけの継承が出来ているのだろうか。殆どないのではないだろうか。親の笑顔でさえ引き継ぐことができない。 ・社会システムの企みは巧妙であり、容易には襤褸は見えない。見えないところにいれば視えないに違いない。どんなに資産を蓄えたとしても親子三代で終わるのが普通だ。そうならないのは、それを避けている智慧者がいるからだろう。働かなければ食えないようにできているのだ。例外があるに過ぎないが、これも公平ではない。 ・へ2・・・権力者たちは、自分の存在を正当化しようとしてきた。愚かにもそれを丸呑みにしてきた社会に育てられたのだ。聖人たちが作った世界ではない。欲望の塊のような人間たちが、聖書を利用したのだろうし、ブッダの弟子たちも人々をだましたかもしれない。その成れの果てが、欧米でありアジアであり、私たちでもある。ただ造形美を見ただけで驚くべきではない。感動して往生するにはまだ早い。
2022.01.31
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西欧中世事典では、部族(Stamm)という概念から始まっている。基礎的なカテゴリーのひとつである。「家族、ジッぺ、共同体、集落の集団」が言語共同体、文化共同体であるとみなすものを部族とみなすという。血のつながりの観念が想起される。日本に於いても家を中心とした結束によって血族による一族が形成され、それがやがて淘汰されながら発展し近代国家の基礎になった。こうした部族が血統共同体であるという観念は、政治的イデオロギーの根幹をなす要素でもある。 ・何故私たちは、他人と同じことをしようと思うのだろうか。集団の一員として生きることに安心感を持つからだろうか。集団で行動するある種の魚にはセロトニンが出て快感になるという話を聴いたことがある。自分の育ってきた人間を信用しようとする傾向は、自分が幼いころから親しんできた環境から来るのだろうか。ルーツを探せば過去に遡及してしまうのだろうか。 ・へ2・・・西欧の中世の教科書を読んでみたい。近いところからよりも遠いところの方から遣る方が遣り易いこともある。成功した人たちのマネをしても成功するとは限らない。サクセスにもピンからキリまである。どうすればいいというのでもない世界である。マラソンの先頭を走る人たちがペースメーカーでもある。誰のために死ぬのだろうか。それが問題だ。
2022.01.30
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モンサンミッシェル。 現代病はいくつもある。食生活や運動といった生活習慣の歪みが大きく介在している。 "life-style related disease" の観念が一般化してきた。日常のライフスタイルの活性化が基本である。散歩やジョギングによる有酸素運動を一日30分以上が目安になる。せめて自分の年齢に見合う歩数を目標にすべきだろう。私は、今一日2万歩を歩いている。一年くらい歩いて、体を作ってから、ジョギングしたいと思っている。 ・何も準備する必要がないのがウオーキングだろう。戦争をしているわけではないのだから、日本でならどこでもウオーキングはできる。場所を選ぶ必要もない。同じところをぐるぐる回っても好い。景色のよい場所でなければならないのでもない。自分の歩く場所が散歩道だ。夜でも昼でも、どこでも歩けば良い。足は、第二の心臓と言われる。心臓は動いて価値があるのだ。 ・へ2・・・綺麗な足ではなく、働く足で好い。この大気の重力に逆らって歩くことが、健康を増進させる。眼が覚めて動き出すのは歩くことだ。歩くことで臓器も働きだす。食欲を増し、意欲も湧くだろう。歩くことに対する障害がないわけではない。あるのは当然でもあるだろう。どう工夫して続けるかが問題でもある。それでも呼吸を止めるわけにはいかないし、心臓を止める訳にはいかないように、歩くのを止めるわけにはいかない。
2022.01.30
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宗谷丘陵。赤血球の老化の生体内の寿命は、ヒトでは120日で、赤血球由来の問題か、生体内という環境要因によるのか不明である。若い細胞が老化細胞になるのは酸化障害が起こることに原因があるという。赤血球の老化がある。また、長寿命固定性分裂終了細胞がある。これらの細胞は120年は生き続けるらしい。その機序は明らかではない。笑うしかないくらい人間の生体内のことを知らずに生きてきただろう。そして、人間社会も人間が造ったとすれば人間の生理に相似してもいる。個人的には分からなくともあらゆることは現在説明することができることばかりだが、まだ分からないことが残っており、どうやらそれが未来をひらく鍵なのかも知れない。それを探しており、もうそのために研究している人間はいるだろうが、恐らく尊重されてはいないだろう。概して、先覚者の道は厳しいのであろう。
2022.01.30
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ひとは失意のうちに死ぬのか。(失意)disappointment; despair; a broken heart;《フォーマル》 loss of hope; 〈不遇〉 bad [《口語》 hard] luck; 《フォーマル》 ill fortune; 《フォーマル》 adversity失意の境涯にある 《フォーマル》 be in adverse circumstancesこの社会では、到る所に失意が溢れ、大きな口を開けてひとびとを引き摺りこもうとしている。いつかはその時が来るだろうか。そのための宗教かも知れない。自分の心を奮い立たせなければ、この試練を乗り越えられない。日々目にしているものは失意の時を迎えた人たちの話ばかりだ。身近な人たちが、失意がなく逝ったといえるだろうか?それは到底いえないだろう。病に倒れ、悲しみの中でこの世を終わっている。そうでないひともいるのは、確かだろうが、それは稀有なことだ。したいこともせず、忍耐に耐えて一生を終えただろう。その憎悪さえ知らないのは、無情だろうか。知らぬが仏で生きてもいる。活きている時間を無駄にしてはいないか。失意に負けてはいないか。問うのは日々の中にある。
2022.01.30
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「におい」の正体をどれくらい知っているだろうか。現代科学でさえ知らないし、アルツハイマーと嗅覚も関係があるらしいくらいしか解っていない。「におい」の識別能力の衰えを気付いていない場合に、アルツハイマーとの関係が特に高いようだという。嗅球のほかに、海馬がニューロンの再生という特色を持つ脳の領域であることが発見された。海馬は嗅覚中枢と密接に関係している記憶中枢であり、アルツハイマー病の患者では損傷していることが多い。嗅覚能力の異常や衰えが、脳のニューロンの再生喪失に関係している可能性があるという。 ・脳は、自分では気付いていない「におい」にも反応している。空気が運んでくる化学物質の「におい」が、無意識のうちに記録されている。偏桃体、海馬、視床をふくむ脳の特定の組織が化合物と反応して活性化を示すことがスキャンされるようになった。化合物の濃縮度が低い場合自覚していないケースがある。「におい」が多くの場合、私たちの意識的自覚の末端の世界か、それを超えた世界にあることを示す証拠もある。 ・へ2・・・「におい」は説明し難いだけでなく、他の方法で言語的に分類することが開発されていないこともある。嗅ぎ慣れたものでも、それがどんなものの「におい」かがわからない。危険かどうか、区別する脳と違う組織があるだろうか。わかっていることは、「におい」の意識的な区別が子どものころにゆっくりと発達することであり、成人期の初期にピークに達して、加齢とともに衰えるということだ。
2022.01.30
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宗谷。ひとも昆虫も夢中になっているときは、<すき>があるのかも知れない。ピークというのは、終わりが近いのかも。絶頂期にポツリと終わりが来るかも知れない。それはそれでいいのではないだろうか。油断がある。すきがある。それを狙われる。ひとの弱味につけこんでアクドイ商売もある。そういう忌むべき人間がいるし、生物もいる。植物の戦略もそういうツールがあったりする。 ・花の戦略も、綺麗ごとではないかも知れない。蜜を求めて集まる昆虫も、騙されながら生きている。知らずに蜜を出している女性もいつかそのことに気付いてしまう。自分の行いや生き方を求めて男たちが近づいてくるのではない。自分のものであって、自分のものでないものがあるかも知れない。所有者が所有を許されない世界が人間の歴史でもある。思えば紛らわしい世界でもある。 ・へ2・・・美しく見えるものが、実は意外と醜悪だったりして、絶望感を味わうことがある。純粋がそれは見せかけだったりもする。重荷に感じたものが実は愛情だったりもする。それがかけがえのないものであることを、あとから知る。そのときは当前だとおもっていたものが、そうではなかったのだと、自分が経験して思う。コストのないものはこの社会には殆んどないといっていいが、それでないことをするひとの行ないもある。だから、人間の行動は分からないのかも知れない。それと気づいた時には、遅いことばかりでもある。ピークのあとは何があるかだろう。いろいろあるが、いつまでも未練を残すのは自分を惨めにするだけでしかない。老いぼれて死んでいくのだろう。それが相応しい。
2022.01.30
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科学の本質は、自己修正的であることだ。宇宙は、昔も今も将来も「存在するもの」のすべてである。私たちの思考力はきわめて弱いけれども、宇宙のことを考えると、私たちは興奮する。思えば、人間は疑問を持つようにできており、人間にとって、知ることは喜びである。知識はまた、生き残るための前提条件でもある。私たちは、孤独のうちに成長する。宇宙のことは、ゆっくりとしかわからない。頭がよくて、情熱的で、好奇心の強い人たちの間に、私たちは生きている。知識を探求することが称賛される時代に私たちは生きている。そういう意味で、私たちは恵まれている。 これからの21世紀を生きる者にとって、すべてのひとたちにではないにしても。
2022.01.30
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羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 羯諦の文字が気になる。「諦めろ」なのではないのだろうか。小さな罪は見逃さないが、大きな罪は見逃しがちでもある。原子爆弾の被曝を受けた国家が、安全の保障もなしに原発を作り、しかもこれだけの被害を受けながら、まだやるつもりらしい。誰のために何のためにだ。そこにある暗闇に気づかないのだろうか。これまで人類が数百万年かけてきた努力が一瞬で消えてしまう。愚かな人間たちのすることは、墓穴を掘ることだ。 総てを台無しにしてしまう。 ことばの魔術ではないが、大きな力に逆らうなということになるのだろう。親に逆らうな、国家権力や権威に逆らうなに通じている。 親が子のためにならないことはしないという前提がある。弱い立場にあるものたちが、それを守らなければならない者たちから迫害を受けてきた。同じ仲間からでさえ虐めがある。大自然への畏敬を忘れている。
2022.01.30
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稚内港から宗谷岬へ向かう。ストックしている写真も、もう15年ブログをしているので、写真は途中からだが、かなりの量になる。小さなコマの写真が、よく見えないので、時々失敗もする。自分も初めての場所が多いので、改めで驚くこともある。「何故生きていなければならないか」と問われたら困るだろう。自然科学では、生命は目的をもって生まれていないという。偶然の産物でしかない。それを神が創りたもうたといってきただけだ。その評価は人によって違う。その慣習を今更止められないで苦労している。長い歴史の果てでもある。どうするつもりか誰も知らない。アメリカの大統領でさえ「神のご加護」と言っている。それでもいつまでも神のご加護を待っているわけではない。 ・本音を隠している。そうして、言葉を弄してきた。人々は言葉を信じなくなっている。その場限りのウソをつく。人間の特徴は、ウソをつく動物なのかも知れない。分かったようなウソをついているが、それをぼんやりと皆が知っている。悧巧な人間は上手に話している。「私はウソを言っています」という。「ああ、またか、あの人は解ってうそをついているのだ」と聴いていて理解する、ことのできるのが現代人であり、社会人なのだ。 ・へ2・・・妙な話になった。私がしていることは私の問題で、他人には何の関係もないことだろう。それが個人の存在でもある。社会的な動物だとしても、いつもそうだとは限らない。社会性をもつときだけその行動を問われる。自由であることは、自分の前の自由でしかない。神ではない。脅しや誤魔化しに屈してはならないだけだ。ミヤコドリは、ちょこまかと走り回るので見ていて面白いこともある。写真のアップが大変でもあるが。クロツラも働き者で、寝ているとき以外は餌取りが忙しい。ミヤコドリは愛好家が多いようで、何度もいますかと尋ねられた。
2022.01.30
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フランシス・ベーコンは「随筆集」で「歴史はひとを賢くし、詩人は発想を豊かにし、数学は精妙にし、自然科学は深くし、道徳は重々くし、論理学と修辞学は議論ができるようにする」の述べる。しかし「諸学はそれら自身の使いかたを教えてはくれない。そのしかたは諸学の外にあり、諸学の上にあって、観察によって獲得される知恵である。」この知恵は「古来の哲学者の調和的な知恵」に対して、「相反する極端な動き」を処する行動の知恵でもある。それは、それ以前のスコラ学的「大全」との決別の所以である。「哲学」由来の歴史の流れを知ることは、虚妄と真実の弁別もまた確信の無い不信と疑いの泥海を行くようにさえ思えてくる。哲学と科学は分岐しているのだろうか。その始点はどこにあるだろうか。泥濘の中の迷走が哲学的議論に他ならない。だからこそ、それが不毛の苦役とも見えるし、不屈の決意を自らに課す所業とせねばならない。
2022.01.29
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タージマハール。一人一人持っている個性は、多様である。それは幼児体験からくる。どんな環境で育つかは一様ではないからだ。個人の持っている素質もある、そして個性ができて行く。個人差があることは誰もが認めているが、差別をしてはならないと、できるだけ他の子どもと同じように育てようとするのは、間違いだろうか。個人の才能を見つけることは容易ではない。生まれた環境がその才能に必ずしも最適ではないこともある。他人の才能は、何時開花するか解からないからでもある。早い人もあれば遅い人もいる。長い歴史が積み上げた性の遺伝子もある。 ・振り返ってみると、自分の履歴にも他人とは違う個性があったと思う。何故内向的であったか分析してみると、理由もわかる気がする。病気になったことも、それは自分の責任もあるが社会にも原因がある気がする。避け難い遺伝子もある。社会が決めた定年のルールもアバウトではないだろうか。個性を無視してもいる。それでありながら政治家には定年がないのは何故だろうか?それこそ、国家のリーダーたるべき人が、脳の委縮と闘ってもいるという現実がある。 ・へ2・・・ひとも動物であり、自然の摂理から逃れられないし、何時か人は老いる。人間の歴史は長くはないが充分人の一生は理解できるまでになった筈だ。科学の進化は、やっと渚から出ようとしている。いつまでも旅に出ないのは勇気がないからで、それでは腐敗するし、「種としてのヒト」の役割を放棄してしまうことになりかねないと思う。最大限に個人の能力を発揮できる環境こそ重要なのではないだろうか。エネルギーを無駄にしてはならない。在るものを使うしかないのが生命のミッションでもある。
2022.01.29
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沖縄。必ずしも暮らし易い世の中になっていくのではなく、昔が懐かしいことが増えてきたが、それは歳の所為ばかりではない。商業主義にならされた味覚とか、人の良い国民性とか、そういうものは作為的なCMとか、セレブ信仰とか、本当の自分を忘れさせる悪意のある扇動から来ている。アクドイ商法が未だにある。 ・美味しい野菜とか果物とか、知らないで育った子どもたちが大人になり、本物の野菜や果物の味を知って驚いている。未だ多くの隠された真実があり、汚染された毒で苦しむ日が来るのではなかろうか。水俣病を思い出す。その時政府や大学はどう動いただろうか。そして肝心の企業も、中々表に出て来なかった。芸術もクラッシックの世界に珠玉の作品を見出している。現実社会の中で、現代にある美しいものとは探さねば解らない。 ・へ2・・・汚れた環境で、汚れてしまった魂が喘いでいてもそれさえ気づかない。本当に美しい川や、海や山を知らない。飾り立てられた建造物しか美しいと思えなくなっている。質ではなく量でしか判断できない人間たちの社会が絶望へと向かっている。山ガール達が山に登り、こんな澄んだ空気があったのかと思うだろう。そしてこんな場所で子どもを育てたいと思うに違いない。
2022.01.29
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宗谷岬へ。言いたいことはあるが、どうもどこまで通じているのか。恐らく舌足らず。文才がない。勝手気ままに書いている。一を言えば十を知るひとでないと。そんなことも簡単にあるわけでもないが。知っていると思うことを知らずなのかもしれないのだ。最先端の知識から時代が動いていくのではない。のろのろした民意の中に動かすエネルギーもある。どこに真意があるか汲み取る力こそ重要だろう。 ・エベレストでさえ元をただせば海底だったのだ。今見ている世界がすべてではない。いわばプロセスでしかない。五大陸はまた一つに戻るだろう。私たちのみている世界は束の間のそれでしかない。いいたいこともあってない。ないからといってそれだけでもない。 ・へ2・・・このブログもいつまで遣れるか分からない。自分がやりたくてもシステムがなくなることだってある。あっても自分がやれなくなることもある。誰が正しいのでもなく、悪いのでもない。私の人生は、他の人には無いに等しい。いつか誰もいないところに立ってしまうのではないのだろうか。それは覚悟している。言いたいことも最期まで訊くのは自分自身だけでしかない。
2022.01.29
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宗谷丘陵。この世で美を見出すことは、容易なことだ。世界はまだ美しい。少なくともそう思わせる自然美がある。それは満ち溢れていると言えるだろう。まだ私にも今日をいつものように遣るだけのエネルギーがあるように思える。それは誤解かもしれない。そう楽館化させている前頭葉があるだろうか、それを確かめるだけの能力はない。自分の確信もそれ程強くはない。それでも今朝、何事にも耽溺せず、というフレーズが頭に浮かんだ。 ・この一年は、自分で思っていた以上にダメージだったのかもしれない。未だ二月の中旬だが、少し心身が重い。これまでとは少し違うようだ。冬季鬱もある。色々考えれば理由が想起される。目がそちらを向き出すとネガティブ・マインドにもなりそうだ。この4月で、ウオーキングを始めて5年に為る。そこが当面マイルストーンでもある。泰山には6600段の石段がある。それを上るだけの自信はまだない。それこそ平地をただ歩いているに過ぎないからだ。 ・へ2・・・誰でもできることを続けているだけだ。それでも気持ちよく歩けるという悦びを感じている。しなければ分からないだろう。それが出来るだけでも恵まれているし、そのために必要な時間は自分では徒ではないという確信はある。からだがこれまでとは違うという認識は難しくなりつつある。自分が安全だと思おうとする。客観的に自分を冷静に視ることは容易ではない。それでも懼れず、前を向いていきたい。
2022.01.29
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<作品> 古潭 「山月記」・文学講座の教室が、以前の図書館のある教室から、広い多目的ホールに変更。・レジュメ2枚・原典は、「人虎傳」のみではない。・カフカ「あな」、穴のような家。・カフカ「罪・苦痛・希望・および真実の道についての考察」より。・変身。むしろ、引用は、種本になるのは、・司馬遷は「任小卿にかえす手紙」参照。司馬遷は宮刑された。これと「山月記」は関係がある。ふつうの人ではなくなる。・トーマスマン「トニオ・クレエゲル」・中島敦は、日本人には珍しく、英語や中国語が堪能で原本を理解できる。鴎外、漱石と同じくらいの語学力があった。東大卒。英文学に進むと思われていた。・「虎狩り」。との共通点。・何かに「憑かれた人間」というのも中島という作家のモチーフである。詩に憑かれた人間。・虎を「文字に憑かれた獣」という中国で伝習がある。・作中のあのシーン「月に吠える」のは「虎」でなければならない。・何故虎なのか?かっこ悪くてはいけないのか。太宰も格好悪さを格好良く書こうとする。・自分が虎になったことを自分自身で理解できない。カフカの変身もある面リアルに描く。詩人の悩みと虎の悩みは同じではない、そこに違和感がある。・「李徴」は、何故虎になったか、答えの無い苦しみ。・人間にはどう考えても判らないものがある。人間の限界がある。・有限と無限。・哲学的な問い。いくら考えても判らない。・詩人の悩みと虎になった悩みは、別のテーマである。・三島や北杜夫は、トーマスマン「トニオ・クレエゲル」を愛読した。・「北方行」参照。・生活への愛着を棄てきれないのは、プロではない。・俗人・・・「生活」。画家のプロ意識もある。・芸術は何に向かって描くか。人に向かう。・やましい良心をもった芸術家。・中原中也 明治以前事象・妻子への愛情の欠如。・・・反面、妻子のために衣食のためにと書いていると別のところで書いている。・どう読むか。非人間的ではない。・虎になったのは非人間的だからではない。安易な答えではない。・アリ地獄の苦しみを書いている。具体的に描こうとする。中島風のあり地獄。・「問いそのままの答えである」。何を問うのか、が問題である。・納得できないこと。答えを求めていない。哲学的。・生活への愛を棄てきれない。李徴の嘆き。・志賀直哉「荒絹」。蜘蛛にする。女神から妬まれた孤独な少女。・人との接触を断つと可笑しくなる。孤高の人。・世の中から離れていく。コミュニケーションの断絶が異類になっていく。・自殺する人間の気持ちは誰にもわからない。他人には、解って貰えない。・人間は「教育だ」と思っているひとがいる。漱石。教育次第である意味。・「聖書」を読まないでも、キリスト信仰者はいる。・あらゆる芸術は凡庸を否定できない。・選ばれた人間である李徴と、トニオ・クレエゲルとの比較。芸術と生活。愚かな人間と天才。その対立。・司馬遷「史記」。宮刑。・「李徴の独白」。司馬遷の境遇。男でなくなることと同じ。内面の葛藤。・手紙と語りと独白など同類。外枠は人虎傳だが、内面は、司馬遷とトニオ・クレエゲル。・人がトラになる話と一致するかしないか。カフカの作品では解からない。確かめる作業がある。モチーフ。発想。が気になる。調べてみる価値はある。・中島のカフカのメモがある。・Man and Books 漱石、秋成、鴎外。カフカなど。・定説に捉われないことが大事である。「人虎傳」とは内容が違う。
2022.01.29
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宗谷丘陵。幸福になろうと思わなければ、人は幸福になるように創られていないらしい。「お前は私の奴隷だ」という人たちが世の中には沢山いるからでもある。「度一切苦厄」という考えもそうした人間社会への絶望から来ていると思う。周囲との繋がりによってひとは影響されるのであり、身分社会もそうして出来たのだろう。 ・誰にも頼らず生きていけるわけではない。一人では生きていけない。自分の好きな小さなグループだけでも活きてもいけない。カルト集団でもない。社会はそれを支えられる組織によって形成されるものだ。その社会的規範もある。法は完全ではないが、法を守ることによって秩序は保たれてもいる。権利と義務は、恣意的にはならないことでもある。 ・へ2・・・いつもと同じことをしている。自分の中で起きていることを他人には解らないらしい。毅然とできないところが凡人でもある。それは行動によって一つ一つ言行一致していくしかない。1クールが終了し、またリセットして出直さなければならない時期のようだ。それはこれまでの柵と決別することでもある。これから、どういう風にあるべきなのだろうか、考えようと思う。
2022.01.29
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宗谷丘陵。殆どの文化のオリジナルと言えば、古典にあるのではないだろうか。そして中世に於いてその文化の中核となるものが構築されたと思う。近代から、現代と経済の発展あっても文化としてはどうなのだろうか。音楽に於いてクラッシックは名曲の宝庫であり、その存在は圧倒的でもある。西欧に於いても古典から中世への思想は、現代の人々の思想の原型を為してもいるようだ。EUの統合が実現したのも根底には民族のルーツがあると思う。ドイツの中世の入門書でもある「西欧中世史事典」2巻を図書館から借りてきた。 ・日本史もルーツを辿っていけば、古典に到るだろう。あらゆる学問もその根源は繋がっているに違いない。種としてのヒトの起源も、地球の誕生に至る。その根源を探らなければ今日の普遍的真理を知ることはできないだろう。何故、今米中のトップ会談が行われているのだろうか。それはどのような意味をもつのか、それこそ一昔前まで、朝鮮戦争、ベトナム戦争と代理戦争までした、東西冷戦の敵対していた米中である。 へ2・・・米中の接近や対立は、思惑があるのだろう。国家体制の違いは、何れは表面化するに違いない。経済上の利害の一致は長くは続かない。どちらが早く根を上げるかでしかない。それが世界のために決定的なものに為らないことを祈るだけだ。
2022.01.29
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稚内。やみくもに読書をしたところで、それは学問ではない。体系があり、分類がある。日本人は、どこまでいっても東洋であり、島国でしかない。自分には準拠枠がある。一部を知ったからと言って、全部ではない。私の生きてきた日本人の半生であるか、そうではないかは知らないが、貧相なものでしかない。叩いてきたキーも、他人には聞こえないのだろう。 ・疎外されてきた。その他大勢でしかない。だから価値がないかもしれない。或いは、何だろうか。それこそ傷つきまいとしてもそれではすまない。絶望の壁の前で、地団駄踏んでいるひともいるのだろう。それこそ日本の検察は、高圧的に被疑者を扱ってきたのは歴史的事実だ。そして現在も変わらない。つまり民主主義は未熟でもあるのだ。 ・へ2・・・権力に対して、国民はどうあるべきだろうか。議論はされてきただろうか。安倍晋三しか日本には政治家はいないのか。悪人しか政治家にはなれないのだろうか。政治的空白はいつまで続くのか。政治に、ポイント・オブ・ノーリターンはないのだろうか。朝鮮半島は不気味だ。中国も世界制覇に動き出したとしたら、日本はどうなるのだろうか。これまでの努力は、水泡に帰しかねない。犠牲もある。何のためにと悔やんでも遅いのだ。甘えん坊のこどもたちよ、明日はないかもしれないのだ。
2022.01.29
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稚内港。生物は前を向いて生きている。過去を振り返るのは人間だけだろう。それが人間を賢くもしたが、絶望さえ持つにいたる。人の人生は悲劇になり易いが喜劇で終わる。肯定し、否定し、肯定できるかだ。否定のままでしかない人生は悲しい。「平家物語」の根幹は「哀れ」のようだ。「軍記」としての特色でもある。人生を軍記のようにおもうのだろう。 ・歳をとると自分の過去を振り返ってみようとする誘惑から逃れられなくなり、そしてそれゆえに「哀れ」の感情を生んでもいる。それが自然でもあるのだろう。ひとも植物のように枯れて散るための準備が要るのだろう。前を向いて倒れるか、後ろを向いて死ぬか、人生の肯定か否定か、それは個人の問題でしかない。人間も生物であり、生きることに目標も、肯定も否定もない。 ・へ2・・・真面目に考えることは、人間の形質だが、それがどこまでできるかでもある。自由の本質を維持することは簡単ではない。そして前がどこにあるかだ。
2022.01.29
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道の駅わっかない。昔の人は智慧のあることばを残している。先人の知恵を活かさない手はない。今とはちがうものもあるのは当然だ。それを如何に自分のために遣えるか翻訳しなければならない。自分のエリアと自他の境界を見極めなければならない。些細なことでもそれが命取りにもなる。使うべきエネルギーを徒に消費してしまった人は多い。人として生きることの難しさや厳しさは世の常でもあるだろう。誰も完ぺきである訳ではない。 ・自己修正しながらよく生きようと努めている。産まれつきの善人も悪人もない。悪行を為せば悪人に為る。誰にもその可能性がある。多くの矛盾した環境に暮らしており、他人を傷つけずに活きてことは至難だ。他人との軋轢を避けることは難しいことでもある。それでもそれを避けることはできる。圧し通ろうとするから衝突もする。他人も納得できることをすることが重要でもある。 ・へ2・・・いつもよりゆっくり眠ったようだ。いつもよりかなり遅い5時半ころ起きてきたが、2匹の猫たちが待っていてくれた。その態度が違うので面白い。仔猫は、擦り寄ってきたが、もう1匹は遠くで見ているだけだ。猫にも性格が在り、活きる選択をしている。善いか悪いかではない。日々の生活がその人のライフスタイルに為る。私は焦らないことにしている。善い事も悪いこともあるからだ。それを味わうことが出来るかは私の能力でもある。
2022.01.29
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視床下部は小さな神経核の集積でそれぞれが身体の衝動や欲求をコントロールしている。間脳の一部で脳と身体の橋渡しである。 重量は脳全体の 300分の1 しかない。単純な飢餓感が生まれ、みたされるのは視床下部だ。 ホルモン、ニューロンペプチド、神経伝達物質の複雑な働きで、視床下部には身体の状態がリアルタイムだ。体内のブドウ糖、ミネラル、脂肪のレベルが低下すると、血液や胃、腸、脂肪細胞からその情報が視床下部に送られる。その情報が皮質に伝わり脳の各部分を呼び起こして空腹感を起こし、一連の食べるという行動になる。こうして食べ物が体内に入ると、身体は満足したことを視床下部に伝え、そこから皮質にメッセージが送られ、食事止めるという意識が生まれる。 アメリカ人の3人に1人、西欧で4人に1人が肥満であるという。(但し、データが古い)毎年大勢の人が肥満の合併症で早死にしている。世界的な規模で過食症や拒食症が拡がっているのは、そう簡単な仕組みだけではない要素があるのだろう。視床下部それ自体が、摂食障害を引き起こすことある。 食欲のコントロール中枢にある視床下部の「外部核」と「腹内側核」のどちらかが損傷を受けると前者は食べなくなり、後者はいつまでも食べつづける。但しこの二重構造は単純ではない。だから身体は飢えていても、空腹感を覚えなくもなる。 視床下部は大脳辺縁系の奥深くにあるため、外部からの損傷はめったにない。機能不全を起こす最大の原因は、メッセージをやり取りする神経伝達物質だ。実際に食欲不振の人はセロトニンのレベルが異常に高く、食欲亢進の人は低くなるという研究で確かめられている。忘れてならないのは、文化的側面であろう。痩せたいという文化だ。食欲不振の人は自分に厳しく、がまん強く内省的な傾向があるのに対し、食欲亢進の人は外交的で気が散りやすく、衝動的である。そのため心理的治療も行なわれている。
2022.01.29
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「言語は根源的に創造的であり、人は常に「新しい文」を聞くし、新しい文を話し得る」(Chomsky の Skinner 批判) 同一の文でも、文脈によって全く異なる物理特性をもち、あるいは、同じ物理特性が文脈によっては全く異なって聞こえる。 故に、言語は、生得的な言語能力によって習得や経験の積み上げでは習得不可能であるという。(ある「人間を科学する」という講座から引用した。) ・語彙を理解したからと言って、文が書けるわけではない。小説はひとつの事例でしかない。すべてを表現することなどできはしない。まして短歌や俳句で、それが、どれだけ優れたものであっても限界があると思う。それは短歌や俳句の世界で通用するものでしかないだろう。日本文学も日本という国が作り上げた文化の一現象でしかないだろう。お山の大将も所詮は狭い世界の話だろう。そして、現代は「あなたが、「おもしろい」と思ったことを、「あなたがやりたいやり方で」やりなさい」としか言わないのだ。 ・へ2・・・それは認識科学が、いかなる意味での「科学」かを問い、新しい意味での「科学」を、「ホント」であろうと「ホント」でなかろうとも・・・「おもしろい」をつきとめることが、「ホント」を突き詰めることになるというのだ。成程。広い視野という漠然としたものでは宇宙など分るはずはないのだろう。
2022.01.28
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稚内・海産物のショッピング。「老化」は「加齢」だけの問題ではない。生命に係る問題でもあるが未だ解明されていない。基本的特徴は、アメリカのストレーサー(1982年)によれば、4つある。・老化とは、斬進的、不可逆的である。・老化とは、生体に有害で、機能の低下を齎す。・老化とは、生命体の内因に由来し、環境要因によらないこと。・老化とは、種の全構成員に等しく起きること。ヒト正常細胞には寿命があることはわかっても、何故生命が誕生するのかのメカニズムが分からなければ意味がない。老化も同じ。老化するが、答えは一つではない。人間も相手を好きになったり嫌いになったりする。嫌いで堪らなかった相手が急に好きになったりする。一葉の作品や、古典文学でも飽きるくらいに同じようなストーリーがあるが、現代でも同じことが繰り返される。況して、人生は不可解だらけだし、「老化」もそうだろう。一寸甘い汁を吸って世の中が甘いなどと勘違いしている向きが多いのはそのうち泣きをみる。恋愛に飽きない形質は、ヒトの誕生に関係する。
2022.01.28
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歴史をどう読むか。どう考えるのかで、世界観もある。20世紀は、目覚ましい科学の進化を齎したが、その根底には戦争があり、戦争の世紀でもあった。1億人以上の犠牲者がいる。それは飽くまでも表面的な数字でしかない。傷つき不幸になった人々は無数にいたことだろう。もっといえば勝利者はいない。暴力による勝利は、心を腐敗させるからだ。 ・戦争という手段を利用とするものは、そのために目には見えないが、自滅していく。他国との約束を次々に破って行った何でもありのヒトラーをの侵略をあのドイツ人たちが何故支持したのだろうか。何を血迷ったのだろうか。然し、それが人間の正体でもある。ヒトは天使になり悪魔にもなる。ヒトラーの遺伝子は、ミームであり、どこの国にも誕生する可能性がある。独裁者は現代にも存在している。 ・へ2・・・日本国憲法は、2度と戦争の惨禍が起こることがないように戦争放棄条項が制定されたが、もうそのことを忘れている人たちがいる。戦争屋たちがいまどんな姿をしているのか見破ることは難しい。美しい顔をしているかもしれない。天使のように近づいてくるかもしれない。このままテロがやがて戦争に成りかねない。
2022.01.28
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稚内港。九州には平家の落人伝説がある。平家の末裔や流れだという民謡もある。那須の大八と鶴富姫の物語もある。 那須の大八、鶴富おいて、椎葉立つときゃ目に涙 稗搗節椎葉村に行った時に、桃源郷のような小さな小学校があり、夢のようなその風景に見惚れたことがあった。鶴富屋敷もあって、昔をしのばせる物があふれていた。村人の強い郷土愛が感じられたものだ。昔ながらの姓名を引き継いでいる人々もいる。本当の貴族ではないが、心だけは貴族の末裔だという気概もあるのだろうか。 ・運転している車のフロントガラスのそれこそ天井近い所にみえた人家を見付けて父と二人で感嘆の声を上げた。道路までどれだけの距離があるか解らないが、とても人間の住む場所ではないように思えた。 ・へ2・・・どんな暮らしをしているのだろうと思わないではいられなかったが、それでも住民のプライドや悦びがあるに違いない。生きていることを感じるのは、怠惰な中から生まれないに違いない。何か目の覚めるような思いがした。「平家物語」にある哀れは、今の私たちの憐れではない。
2022.01.28
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稚内港。自分がアブノーマルになってもなかなかそれと気づかないものらしい。3.11後、マスメディアは固まっていた。思考能力を喪失したようだった。凍結した世界を見るような日常が続いていたが、誰も沈黙していた気がする。然し、それは3.11があって目立ったのであって同じことがあっていたともいえる。使い捨てのマスクのような政権がどれだけあれば気が済むというのだろうか。 ・無能になった社会は、思考の力のない社会でもある。妙な言い訳ばかりしている犯罪者ばかりではない。原発事故にしても、東電や、保安院や、政府までだれが責任をとるのか解らないようなことばかりしていた、そして自分を泥鰌だというような首相が、居座っている。日本は滅びるだろう。 ・へ2・・・守るべき国家と言えるのか知らないが、国民は不幸だろう。そんな惨めな社会を見るのか見ないで逝けるのか知らないが、あまり愉快なことではない。自分のしてきたことが水泡になって消えて行くような寂しさを感じないではない。日本語もなくなるのだろう。みんな他国の方へ目が向いている。老人が姥捨て山になるのではなく日本人がそうなる日が来る。どうしたらいいのか知らない。
2022.01.28
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鴛泊港~稚内港。宗教の衝突もあれば、文明の衝突もある。そして国家の衝突、文化の衝突もある。男と女も、個人間の対立もある。なぜ人はこうも争うのだろうか。生き残るためだろうか。敵と味方も、目まぐるしく変化する。日韓関係の悪化も深刻になってきたようだ。友好国といえるだろうか。お互いのメディアが罵り合いを始めたようだ。戦争はいまや総力戦の時代と言われている。文化の衝突でもある。 ・自民党政権は、国内の分裂を助長させているように見える。自分の仲間が支持してくれれば何でもするのだろう。トランプ大統領に、最初に頭を下げたのは安倍晋三首相である。韓国に対しては、丁寧だろうか。強者に対してはすり寄ろうとするが、弱者には傲慢ではないだろうか。目先のことしか考えてはいないのだろう。韓国の動きも怪しい。北朝鮮は、あれだけ人権を無視した国だといっていたのに、金正恩政権と連帯しようとしている。それは、韓国の北朝鮮化でしかない。 ・へ2・・・終末期には、自殺行為をしてしまうことが多いのだ。日本でさえ、そのリスクがあると思う。憲法改正は、軍国主義への近道になりかねない。近隣諸国と戦争をするつもりではないだろうか。どれだけ日本列島を不沈母艦にしたところで、核兵器では全滅する。喧嘩したら死ぬだけだ。もともと最新兵器はアメリカから購入しているのであり、戦争で勝つ見込みはない。すべきことは平和を維持することだ。
2022.01.28
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住めば都というが、そう思える人は幸せなのだろう。幸福なヒトもいれば不幸な人もいるわけで、自分もその時次第だ。モードでも違えば、自分のステータスが気に入らないこともある。若かくてもカネがなかったり、好きな時間がないとか、恋人がいないとか、相性の悪い上司がいたりとか様々あって、満足できない日々に時間だけが過ぎていく。いらいらしていたのだろう。ストレスばかり。 ・同じ時間でも、ゾウの時間とネズミの時間がある。自分はどんな時間をいるのだろうか。どんな空を飛んでいるのだろうか。自分で自分の運命を生きている。他人には見えない。その時、その時々で、自分の世界を創っている。自分だけの物語を創るのは自分でしかない。 ・へ2・・・宇宙の終わりを、イメージすることもできないが、始まりがあれば、終わりもある。短い命を、何も知らないでいるよりか、少しでも知りたいと思うのだろう。やがて、100憶人の世界人口になるだろうか。日本民族は、消えていくだろうか。俯瞰的にさえ見ようとしない。破滅への道へ誘い込もうとさえするのだ。「貧老、他の計らいあらんや」。
2022.01.28
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芥川にしろ、漱石にしろ、幼児体験から来る、その後の人間への影響は計り知れない。捻くれた性格はついてまわるからだ。人格形成に重要な要素でもある。何も知らずに活きていくことはできないし、苦労のない人間もいないだろう。その人生の味の、深みを知るかどうかでもある。結婚して初めて知るものがあるし、子供を育てて知るものもある。人は様ざまであり、その味をどのように感じるかで違うだけだ。それこそ人の数だけ人生の味があるだろう。生まれて間もなくその味も知らないで死んで逝くものもある。 ・人生の味や、綾を描こうとしても描き切れるものではない。一つの人間の生き方はその人の物でしかない。人それぞれの人生が在り、それは描き切れるものではない。この60兆の細胞が綾なす複雑系の所業はとても文学で語れるようなものではあるまい。只一つの絵でしかない。然し、それは意味がないのでもない。ひとつの文化的遺産に為るからだろう。その時代の商品価値として価値あるものとそうでないものを見極めた人間が成功し、そうでないものが挫折もする。 ・へ2・・・誰にも、諂わず聖人の如く活きることなどできはしない。それを追及するとすれば、早死にするだけだ。この社会に適応して活きて初めて自分のスペースもできるだろう。人生の味をどれだけ知ることが出来るだろうか。それは自己満足でしかない。自分の能力を顧みることのできないものは、何も為すことはできない。自分の出来ることをどこまで続けられるかだ。自分にとっていま感じている人生とは、朝から飲んでいる一杯のコーヒーのようなものだろう。
2022.01.28
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・ストレスは、神経系、内分泌系、免疫系のシステムと病気の発生と進行に関わること。・厚生労働省基礎調査で「自分の健康・病気・将来・収入・家計・借金」の順でアンケート。・戦後の社会環境の変化に因るストレスが見られること。原因:人間関係の希薄化・家族の崩壊など。・ストレスとは、当初は、物理学で、物体に歪みを生じさせる外からの刺激をストレッサーといい、歪みを生じる状態をストレスと言った。・セリエは、ストレスとは、外界からのあらゆる要求に対する生体の非特異的反応。ストレッサーは、引起す刺激や要因であると言った。・ストレス度について。配偶者の死が最大。・心理的要因・身体的要因に分類される。・日本人の現在60歳余命・・・平均男22.17歳: 女27.74歳。・ストレッサーに対するホメオスタシスの個人的資源により個人差がある。
2022.01.28
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フッシュ&チップス何がきっかけでそう思ったのだろうか、良く思い出せないが、自分が調子のいい時は、その次にはよくないことが起きるという想いがある。塞翁が馬という言葉もかなり前から知っていたが、恐らく子どものころから知っていた。中学生のころ教科書で教わった。物事は反対でもある。善人にみえる人が悪人で、悪人が善人にもなる。偉いという人は心が卑しい。貧しい人の中に凄い人もいる。 ・幸福な人が不幸で、哀しいと嘆いている人の中に幸せな人生もある。そんな風に視ていると、世の中が子どもには、不思議に思えてくる。何でも反対に視るという習慣は、もうひとりの私の裏の趣味でもある。美人が反対でもある。この社会で社会的身分があるとすればどちらが優位だろうか、そしてそれは実はそうではない。 ・へ2・・・健常な人と病人がいるとして、これも「実は」がある。からだを鍛えてスポーツ選手が早死にもする。美食家も大食家もその<ゆえに>自滅する。成功<ゆえに>没落する。然し、これも作用と反作用でもあろう。楽な時が苦しく、苦しい時が実は楽でもある。
2022.01.28
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隣国とでさえ、文化の違いがある。日本の常識が、中国の非常識に為るとよく言っていたが、そのことをどこまで本当に理解しているだろうか。殆ど知らないでいっていないだろうか。アバウトな知識は却って大きな間違いだ。両国のマスメディアでさえ、いい加減なのは公正な報道には為らない。本当に解かる人がすべきことはあるのだろう。 ・日中の民間レベルの交流が拡がっていたのに情けない話だ。これではEUのような共同体がアジアではできはしないだろう。何故できないのか、しようとしないこともある。軍備を強化して自国の言い分を通そうとするのは逆行である。難しいが、相手を知ることから始めなければならない。そして、もっと自分の信念を信じることでもあるだろう。求めているのは平和であって戦争ではない。 ・へ2・・・より深い人間関係のお互いの成長を目指してもいる。それは常識であって非常識ではない。自分の正しいと信じる道を歩いていれば、理解できることがあるだろう。そのためには広い識見と深い洞察力なのだろう。それを続けなければならない。
2022.01.28
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隣国とでさえ、文化の違いがある。日本の常識が、中国の非常識に為るとよく言っていたが、そのことをどこまで本当に理解しているだろうか。殆ど知らないでいっていないだろうか。アバウトな知識は却って大きな間違いだ。両国のマスメディアでさえ、いい加減なのは公正な報道には為らない。本当に解かる人がすべきことはあるのだろう。 ・日中の民間レベルの交流が拡がっていたのに情けない話だ。これではEUのような共同体がアジアではできはしないだろう。何故できないのか、しようとしないこともある。軍備を強化して自国の言い分を通そうとするのは逆行である。難しいが、相手を知ることから始めなければならない。そして、もっと自分の信念を信じることでもあるだろう。求めているのは平和であって戦争ではない。 ・へ2・・・より深い人間関係のお互いの成長を目指してもいる。それは常識であって非常識ではない。自分の正しいと信じる道を歩いていれば、理解できることがあるだろう。そのためには広い識見と深い洞察力なのだろう。それを続けなければならない。
2022.01.28
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鴛泊港~稚内港。ブレーキとアクセルを踏み間違えることは滅多にあることではないが、やはり時々あるようだ。大事故になることさえある。事故は神経が鈍った老人だけとは限らない。色んなケースが考えられる。確かに車の操作はよくできていると思う。併し、改良の余地がないわけではあるまい。ブレーキやアクセルももっと安全な装置にならないものだろうか。酔ったらエンジンがかからないようなものが考えられているのだから、他にもアイデアがあるのではないだろうか。専門家だけに任せるのではなく、一般の人の英知を集めてはどうだろうか。 ・必ずしも、良いアイデアを専門家が持っているとは限らない。一寸した工夫で改良できるものがあるのではないだろうか。脳と運転の関係も研究の余地があるし、飲酒運転の問題もやろうと思えばやれることではないだろうか。現に、福岡では道交法の改正で4割飲酒運転が減ったいるという。例の海の中道大橋の飲酒運転事故が影響したのではないだろうか。 ・へ2・・・車の初心者が、危ない方に危ない方に自分を追い込みがちである。安易な状況判断が大事故につながる。どうも人生においてもアクセルとブレーキを間違えるととんでもないことになる。アクセルとブレーキでは、全く違う機能がある。その僅かの差は余りにも大きい。アクセルとブレーキの使い方次第で変わる人生もある。
2022.01.28
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鴛泊港。よくリスク管理ということを聴いたが、実際それがどれだけドラステックに実施されているかは極めて怪しいだろう。土台国の安全でさえ誰が本気でいるだろうか。最前線では違うというだろうか。多寡がそれだけで守れるはずもない。自慰のようなものだろう。会社も放漫経営を続けていたが、幹部は何もできなかった。何故か、現場を知らなかったからだろう。誰も自分の手を汚そうとはしなかった。知ろうとしないものに正しいデータが得られるわけではない。どんなに有能だろうと関係はない。寧ろそのことに気付かないほど能天気であったのだろう。 ・面白いことに手だてを知る人に権限が与えられず、口だけの適材適所が叫ばれてもいた。やがて水が枯れて、生物はバタバタと倒れて行った。「桐一葉落ちて天下の秋を知る」ことがあって動くのは賢い坊主ではない。現代は、多くのデータが氾濫しているが、何を求めるかであろう。その選択肢を誤れば、次代つなげなくなる。 ・へ2・・・リスク管理は、何のためにするかでもあるだろう。守るべきものが価値がなければ無意味になる。真実は容易に知ることはできない。それは、まだ知ろうとするもだけに与えられたチャンスでしかない。そのチャンスを生かすことができるだろうか。無防備なものはリスクに潰されるだろう。自分を取り囲むリスクとどう闘うのか、何から、自分を守るのかを知り、所謂「リスク管理」をどこまで拡げられるかでもあるだろう。
2022.01.28
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利尻島の音と鴛泊港。刺激のない日常よりも変化に富んだ多様性が知能を高めるのだろう。どうしたら都会の中で、それが可能になるだろうか。それが問題だ。そこには発想の転換が必要だろう。そのためにコストを払わねばならない。そのための努力は惜しむべきではない。核兵器を製造するよりか、どれだけましだろうか。 ・小手先で政治が行われようとしている。それに加担する者は誰か、国民は目を皿にしてみなければならない。誰が何をしようとしているか。根掘り葉堀りせねばならない。その試練に耐えたものだけが、政治家足り得るのだ。政治家にプライバシーなどはない。彼が支払う対価は小さいものではないだろう。だからこそ、安易に政治家になろうとするものを信じることはできないのだ。 ・へ2・・・春が来ると思えば、体がむずむずする。まるで昆虫になった気分。どっと地上に這い出してくる生命が溢れだすのだろう。このエネルギーこそ、あらゆるものを変化させる。もう気の早い樹木たちが騒ぎ出した音がする。日本のバブルも外的な圧力があったといわれている。より強大な力が、日本経済を呑み込んでいる。アメリカから流れてくる情報も鵜呑みにしている。新たな世界情勢に対抗できるのだろうか。中途半端な社会システムでしかない。ビジョンのない政治が続いて、日本は、コンパスのない未来があるのだ。捨てるものを潔く捨てなければならない。既成勢力の日本の政治家たちに未来を託すことはできないのだ。
2022.01.28
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利尻島。鴛泊港。「日本はどうも豊かさの概念を間違えている」とマークス寿子はいう。「もっとお金があれば解決する問題なのだと考えてしまった。「豊かさ」を感じられなかったのは、お金が足りなかったのではなく「積み上げてきた豊かさ」が足りなかったということなのではないか、その認識のズレが、積み上げねばならないはずのものを、却ってぶち壊して仕舞うことに繋がったのではないか」、と。「イギリスの全てが良い訳ではないが、古いものから積み上げてできた豊かさと古いものを片っ端から壊していって新しいビルを建てた豊かさとでは、精神的な違いがあるのです。人間の生き方や育ち方には、お金以外のものが大きく影響するのです」「現在の日本の精神の衰弱は、いずれ社会の衰弱というかたちで決定的になるのではないか」という、それは言えるだろう。然し、マークス寿子は、イギリスの貴族と結婚しているひとでもある。20世紀初めのイギリスで、高層建築で育った子供たちの体格や克己心の劣化が社会問題になった。肩幅が狭くなり胸が薄くなって虚弱化し、根気のない子が増えてしまった。これは、どこの国にも共通することらしい。その結果、ボーア戦争時、集めた兵隊の3分の1が虚弱で使えなかったらしい。恐らく、現在の日本であれば半分は役に立つまい。
2022.01.27
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利尻島。オタトマリ港。漢詩の配列法に<起承転結>があり、言い起こし,うけ,意を転じ,全体を結ぶという構成だとある。起承転結のある文章は、 a well organized passage.ともある。まとまりのあるものは、読んいても誰んでも納得いくというのだろう。即ち、物事の順序でもなる。伝統的な文書作法といわれる所以だろう。然し、美しいのかも知れないが、どこまで役に立つのだろうか、漢詩を真似て、何も目指すのだろうか。どこか田圃の風景を思い出した。 ・<起承転結>という言葉が頭に浮かんでいた。型にはまった生き方が楽なのかも知れない。広辞苑によれば「第一の起句で詩思を提起し、第二の承句で起句を承け、第三の転句で詩意を一転し、第四の結句」文章は纏まるかも知れないが、それだけではないだろうか。それだけでいいのだろうか。序論・本論・結論で、収まる世の中でもなかったのではないだろうか。皇帝が「龍」ではなかったし、龍に乗っていた訳でもない。すべては虚構でしかなかったではないか。 ・へ2・・・蜘蛛の巣理論でしかなかった。元々漢詩の絶句に用いられたスタイルでしかない。いつまでも、思い悩んでいることは足元の埃を払うようなことしかしていないのかも知れない。現実社会と自分の生体リズムのタイムラグに悩まされているだけだろうか。
2022.01.27
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こうして書いているのも楽しいのか悲しいのか訳が分からなくなる。それは、「もういいや」、という気持ちになれないことがある。次々に起きることは解決されないまま、積み残されているからだろうか。それこそイタリアの街路のゴミの山と同じではないだろうか。世の中がみな馬鹿なのではないだろうし、社会システムもあり、国家も機能し、政府もあり、官僚機構もありの、経済大国といわれてもう数十年も経つというのに国民のフラストレーションは募る一方で、善くなるのではなく悪くなっている。 ・田舎には若者たちの声がしなくなり、過疎化は改善されず、無医村も増えている。そのうち病気になっても薬も買えない人が増えるのだという。サラリーマンはどんどん不安な日常を送るようにもなる。経済格差は、社会差別になるに違いない。「老人は早く死ね」と言われて、「姥捨て山や、爺捨て山」が現実になるかも知れない。仕事を無くして若者たちが路頭に迷うのだろうか。それとも一発屋が増えて頽廃した世相になっていくだろうか。頭の交通整理ができないと、人生のコンパスを無くしてしまうのではないだろうか。人間関係が、切断されていくようなシステムばかりが増えている。他人を陥れた卑劣な人間だけが勝ち残り栄華を誇っているように見える。少し歌唱力がいいとか、文章が上手だとか、テストの成績や記憶力がいいとか、要領がいいだけでのし上がってしまう。地道な努力が報われない社会ではないだろうか。そうしたのは誰だろうか。 ・へ2・・・人間の価値が公平に評価されなくなっている。VIPなどという一部の者の特別扱いが、大衆の心を穢してはいないか。見せかけの「美」が商品になり、女性を安売りさせてはいないか。二面性を持った作家たちが持て囃されてはいないか。表と裏があるのが利口な人間なのだろうか。うそつき作家が文化人なのだろうか。芸能人が時代を代表する人物なのだろうか。マス・メディアの歪んだ宣伝がヘドロを世間にばら撒き大衆は心を汚染されてしまっているのではないだろうか。寒々としたものが塞がる胸を去来している。
2022.01.27
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ホテルの朝食。権力とカネはセットになっている。世界史の時間は、私たちに語ってくれている。政治家は、カネがあれば遣おうとするし、カネがなくても国債という手段を遣う。カネに狂った社会の中で、ひとびとはカネの亡者になっている。感性を喪い続けて鈍感になっていく。赤信号も、皆で渡れば怖くない。それでいい筈はない。安倍内閣を見ているとまさに、権力とカネの政治でしかない。国家はどうなるのだろうか。 ・理性がない。若者たちが暴走しているのをみても危ないと声を掛ける人が少なくなった。彼らから尊敬されていないことを知っているからでもある。戦後の大人たちは、プライドを喪失したままで頼りない人生を過ごしてきた。大人の癖に子どもの料金でバスに乗っていると言われ続けた。そしてエコノミック・アニマルになったのも資源の乏しい貧しい島国でしかなかったからだ。 ・へ2・・・世界の孤児でしかない。大人になっても変わらない。誰からも尊敬されない。惨めな気持ちばかりさせられた。折角住宅ローンも支払い終わったのにもう家は旧くなり、時間は流れ、老い耄れてしまった。そして大地震だ、大津波だと、すべてが一瞬にして無くなってしまう。
2022.01.27
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利尻島。「文学は作品を読んで感じるものが感じられる」とよく文学部の先生はいう。読んでも分からないものには分からない。宗教のように、思想のように。この年齢になっても他人の眼を理解できるほどのスキルはない。相手が何を考えているか。それだけの体験がなければわかないものがある。何故、天皇があるか。社会があり、日本があり、歴史があるのか。それは誰が、何がそうさせてきたのか。解からないことばかりだ。 ・世の中はカネだけではない。カネから目をそらせば、広い世界がある。緑の森や、透明な川が流れ、美しい水もある。砂漠しか見ないから、この世もすべて砂漠になる。見たいものを見せてくれるミラーの前で、いつまでも立ち続けているからこの世界の素晴らしさも見えなくなる。「無知」とはそういう人たちのことだ。「初めて・・・」を知らない人には解からない。勇気がなければ自分の、自分だけの透明な泡を破れない。 ・へ2・・・同じことを繰り返していると脳は疲れてしまう。新しい新鮮な空気を吸い込まねば退屈もする。自分の人生を豊かにするための努力をしているだろうか。いつも自問している。
2022.01.27
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