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前略 さて、何が「コモン・センス」なのか皆目判らない時代になり、どちらを向いて生きていけば良いのか。日本の政治は何をどうしようとしているのだろうか、応えられる知識人がいなくなった気がするが、貴君はどう思いますか。僕らのこれまでの「コモン・センス」では、これからの時代は全くとは言わないまでも通用しなくなった。小泉純一郎は、やはり「稀代の阿呆」なのだろうか。アメリカは既に独り勝ちの時代から崩壊のスイッチが入ったとしたら、次はやはり否応なく中国の時代なのか。そして、人類は「核戦争」という名のモンスターに苛まれる運命なのだろうか。ふとテロや狂牛病の脅威は、未来に対する「滅亡の序曲」かも知れないと思ってしまう。 処で、僕もあと精々何年かと余命を考える年齢になったしまったが、それ以上生きたとしてもそれが何なのだろうか。少なくともまともな脳ではなくなっているだろう。つい、何をみても見納めかも知れないと思うようになった。たとえ愚かな言動であろうとも、物を言わない何の責任もとらない存在でいたくはない。思いはするができているだろうか。どちらを向いても、誰と会ってもさして物を言わない自分に愕然とする。自己嫌悪の日々だよ。近頃、やたら勉強したくなった。遣りたいことは山ほどあるが、頭脳も、体力も、ましてカネもない。それでも後先を考えないで前を向いて生きてゆくしかない自分が見える。どうも今までの身についた贅肉を全部削ぎ落として行かねばならないらしいよ。それこそゼロから始める決意がいる。あとは、10年かは、知らないが、100年も1000年だって、地球の起源を思えば一瞬でしかないだろう。要は遣るしかない。「おい、貴君よ、貴君のブレインマップはまだ大丈夫か、アルツハイマー病になるまえにすることはないか」それこそ、逆境の中で生きている方が、僕たちは相応しい学生時代だったではないか。その方が少しは真面目になれるのは飢餓の時代に少年時代を過ごしたものの宿命であり、誇りではないかと思うよ。いつか、また逢いたいね。 早 々朋友へ ヘイフリック限界2
2006.01.31
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コスタス・アクセロスの「マルクスとハイデッガー」という論文は魅力的なテーマであることは間違いない。二人ともヘーゲルに強烈な関心をもつ共通点がある。ハイデッガーは「家郷喪失性は、世界の遺産となる。それ故に、歴史的に思索することが必要だ」といい。マルクスは、疎外をアウフへーベンすることにおいて、歴史の或る一つの本質的次元の内へまで到達しているが故に、史的唯物論であるという。久しぶりに未来的な思惟の案内人だ。「われら無し、われらの探すもの、全てなり」(「ヒュペーリオン」)>歯科に行く。まだこれからだ。
2006.01.30
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自分でも知らない内に孤立してしまう時があるだろう。それは、誰かに助けられるか、自分で気付くしかない。家族や友人はそのためにあるといっても言い過ぎではないだろう。「孤立」が過ぎれば、取り返しのつかない事になる。併し、ひとに特質としての孤立由来の狂気は、多くの天才を揺り動かして珠玉の作品を残した。堀江貴文氏も或る意味で孤立していたのではないだろうか。それもかなり以前から、他人も忠告を聞き入れなかったのであろう。そのひとが孤独や孤立であることを見抜くことは難しい。死ぬまで口を閉ざしたまま孤立を通す人もいるだろう。そして、孤立が狂気に変貌するかも知れない。人知れず、狂気を演じるとすれば寂しい気がする。ひとは、良くも悪くも狂うのであろう。優しい世界ではない。家族や友人とこころを通い会わすことはかけがえのないことなのであろう。
2006.01.30
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のどかな世界にゴリラが入って来たような騒ぎだろうか。そんなことはない。それは、毒が毒を消そうしているだけだろう。ライブドアショックがまるでトルネードのように吹き荒れているが、時を同じくして今度は、またホテル業界で朝青龍と言われる「東横イン」の違法改造が発覚して、西田憲正社長が暴言を吐いた記者会見が報道された。「これくらいは、制限速度60キロのところを67キロか68キロくらいで走っても良いだろうと思って遣ったまでだ」という。呆れた暴言が続いたが、とんでもない言い訳だし、問題のすりかえだ。これは身障者を排除する行為であり、許すことはできない。唾棄すべき悪質な行為である。弱者保護のために最低ラインとした条例をさえ守れないようでは、ホテルという職業に適さない。身障者を優先することは文明の象徴だし、最低のモラルだ。この社会倫理さえ遵守できないホテルであれば、営業停止でもすべきだろう。「東横イン」では、全社的にこれらの違法行為を認知していたというから呆れる。というより、社会的存在理由を問われるだろう。損益優先の社会では、ゴリラが動き回るらしい。
2006.01.30
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日本人であることは、或いはひとつの重大な病気であろう。病原菌と同じでいくら病原菌が入っても発症しないひともいるだろうが、時として日本人病が発症する。「日本人病性シンドローム」になってしまっている人たちもいるだろう。世界を相手に競争して勝たねばならないという思いに駆られて走り続けてもいる。しかも古い体質と非合理な体系が強い日本社会が残っている。世界を相手にするまえに遣ることは多くあるだろう。碌なスキームもないくせに、国際社会でなにができると言うのだろう。思い上がった日本人病で、世界で貢献することなどできはしない。この病気は死ぬまで治らない病気で日本人を止めない限りは治らない。どうしたら良いかわからないが、ひとつは、寧ろ病を深めることだろう。今更、「日本人とは何か」でもと思うだろうが、実は、「文化の病」でもあり根深い。どこにでも見られ、その兆候はあるだろう。「脱日本人」しかないというのでは寂しい限りだろう。「この遠い過去からきた客人は頑迷で手強い相手だ」
2006.01.30
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私たちは、自分以外の人との触れ合いや出会いを絶えず経験している。それは、幸運だったり不運だったり、事件や災害に遭遇することであり、他の人の災害の巻き添えだったり、他の人の行為の巻き添えだったりすることさえある。それは、自己と他者とは同一の地平に存在するだろうか。自と他なるものとの対比を通して、それは、自己が他者に対して如何なる態度をとるべきかの問題であり、自己が他なるものとしての他者をどのようにみているか、常に他者認識や他者評価が行われる。主体は飽くまでも自己であり、他者ではない。神でさえ客体となるだろう。ひとはいつも自分を主体と見做し、他者を何らかの仕方で客体化或いは対象化しようとする。喩え他者を主体と見做し、自己を客体と見做したとしても、それはただ形式的に主客を倒置しているだけだ。平面的に考えれば、何時まで経っても、自己の有限性は自覚されず、単に自己形成とその可能性でしかないのだろう。自己について、何らかの了解も得られないでいるのが自分の状態であることに気付かないままだろうか。他者性とは、自己の地平にある働きなのではない。寧ろ無限的他者性なのであろう。これこそが自己に目覚める指標ではないかという。「有限と無限」西井元昭著より。
2006.01.30
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ひとの心臓は、一日10万回以上拍動し、平均耐用年数は、70年間以上あり、その間25億回以上拍動する。その間保守点検や不凍液も必要ではない。機械装置のように性能アップもするし、無茶な扱いをしてもそこそこ無事に機能してくれる。この拍動する筋肉のかたまりは、小さな奇跡と言える。その信頼性の精確さにおいて、ロレックスの腕時計をはるかに凌ぐという。心臓は、これまでずっと体の中心的な臓器と思われてきた。心臓手術をした先駆者たちは、みな第一人者としての名声を手にしたが、いまでもまだ一部には、その能力以上に尊大な態度をとる心臓外科医もいる。医師でさえ進化についていけない者がいる。
2006.01.29
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一日家の中で過ごしてしまった。運動不足だ。どうも外出するチャンスを逃してしまった。ガスメーターの取替え工事があったり、大掃除を手伝ったりしたら、夕方になっていた。そういえば女子マラソンの中継を観ていた。だらだらしていたら、もう来週は二月になる。「二月は、にげる」と商売ではいうらしい。それほどはやく過ぎると言うことらしい。月日は、ボーッといていたら、半年はあっという間である。明日は、少し暖かくなりそうな予報でもあり、どこかにでかけようと思っている。どうも代謝異常が高まりそうである。それと「飲み過ぎ」でイエローカードが家族から出てしまった。それと、PC の遣りすぎで目が翳んできた。身体を動かさないとホルモンのバランスの崩壊の危機だろう。リクールはいう「世界は超越のアナロジーであるがゆえに驚嘆が可能なのである。世界は超越とは全く別のものであるがゆえに希望が必然的なのである。」
2006.01.29
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「ひとはしばしば愛から野心へ移行するものである。しかし、野心から愛へ戻ることはない」(ラ・ロシュフコーの「マクシム」)戦争・飢餓・パニック・大災害などの極度の社会的混乱は、恐怖・疑心・自信喪失・無気力・狂乱の状態を惹起する。そこにあるのは意味など存在しない狂気であろう。然もそれは、コトの一つでしかなく単なる事象でしかない。ヘーゲル的な見方に立てばコトそのもの。コトとは、次のようなモノを指す・事由、事宜、事理・事実、事況、事情、事象、事態・事件、事故、事変・事例、事項、事務、事業ものの世界とは、客体としてのものと、事物化されたコトで成立つ。「こころ」の多様性とは、・こころは、知・情・意の根本の働き・思考、志、思惟、思慮・中心・根本・思い遣り、情け・趣向、工夫 etc感知・認識・思考の能力を意味している。想像力を豊かにし、知性を活性化することでもある。デカルトの「コギト・エルゴ・スム」が出てきたので、まあそのあたりの本であろう。それほど興味はないが、面白いフレーズが出てきた。「青春とは、絶えざる陶酔のことである。即ち、それは理性の熱に浮かされた状態なのだ。」「おおかたの女性たちの才智は、自分の理性よりも自分の狂気を強めるのに役立っているだろう。」どうも暗い室内で目を悪くしたのか、本が読めなくなったので止めるけど、あとで推敲します。
2006.01.29
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今朝の日経春秋で「閉塞した社会に夢や希望を振りまくトリックスターの顔から転落したホリエモン。・・・失敗した道化師の悲哀ばかりがある。」27日はモーツァルト生誕250年で「モーツァルト年」が始まった。7歳で神童と呼ばれ、35年の短い生涯に600曲余を残している。ゲーテをして「人間どもをからかう悪魔の音楽」と言わしめた。モーツァルトは、正気と狂気の狭間をとおり抜けた天才だろう。狂気と天才は同居しているのであろう。菜食が肉食になって活動をひろげた人類は、やがて病気をも抱え込んだのだ。一つの特性をもつことは、必ずマイナス特性を生むのであろう。自省しない人間は、だんだんと自分がみえなくなるのだろうか。これから、ホリエモンはトリックスター扱いされるだろう。そのネタは自分でわざわざテレビで多くのシーンを作っている。「詐欺師」「ペテン師」は、文化人類学では、トリックスターは「おどけ者」と訳されているそうだ。拘置所の中では、彼が莫迦にしていた「ただの容疑者」だし、裸で身体検査をされる立場を経験することになる。何故そうするかと言えばそれは単なる身体検査ではない。何時殺されても誰も守っては呉れないと言う恐怖の実感だろう。人間の尊厳を傷付けられても反論が許されない世界だ。国家権力と言うモンスターを見ずにすむ人は、その怖さも知らないだろう。「スタンドアップ」で、ヒロインが炭鉱に就職する時、恥部まで検査されるのだ。それは、もう人並みに扱われていないことを表象している。
2006.01.29
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何事も決心あるは生命知らずのモノにして怖いことだ。テロと言われながら中東ではいまも已むことなく自爆者がいる。西欧流は理解できないと震え上がっている。それとも嘲笑しているだろうか。かって日本にも「神風」があったが、もうそのこころをもつ若者はいなくなった。それは社会環境から当然の成行きでもあるが、「正義」を口にするものさえいなくなった。それは公平をなくした教育であり、豊かさへの渇望をしつづけた所為だろうか。それこそ、戦前や戦後の方がある意味で貧しさ故に公平だっただろうか。美術や音楽は学問ではない。若者たちは、肉体美、恋愛や芸術に生きようとしているのだろうか。それは、刹那の世界に追い込まれる牛や豚のようなものではないだろうか。それは、手段であって目的ではない。美しい言葉や、音楽に人生など見えはしないのだ。神を求めようとして永遠につかまることはない。やがてすべてに草臥れてしまうだろう。仕組まれた罠に嵌るだけだ。種としてのヒトは、減数分裂という戦略をとり生き残った者たちである。より確実に生き残るためには、ただで死ぬ者たちが必要なのだろう。勿論それも或る意味で必然なのだろう。いつか生命知らずとなりて立ち上がるものがいなければならない。それまでは永い、永い更に永い時間を必要とするに違いない。謂わば、平和は幻想だろうか。
2006.01.29
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「天才と分裂病の進化論」から、確定した事実の要旨とは、1、人間とチンパンジーは、共通した祖先であること。2、ヒトは、殆ど皮下脂肪がなく、菜食で、言語を持たず、半ば樹上、半ば地上で生活していた。3、原人の遺骸の発見は、川辺、湖畔、海などの水辺であること。4、人間に必要な放熱システムには、水が供給されなければならない。腎臓はあまり水を貯蔵できず、皮膚や裸の身体は汗によって効果的に冷やされる。人間に充分な水がなければ、死がおとずれること。5.人間とチンパンジー・類人猿との違いは脂肪である。脳の大きさ、皮下脂肪の蓄積、体形は、すべて脂肪が関与している。6.分裂病は、人間が分岐する前に人間に入ったこと。7.人間が、以前の脳の大きさのままで、人間としてジャンプしたのは謎であり、こころの機序が未だ説明できないこと。科学的解明が確定した事実から、物事を出発するのが有効であろう。余計なことを知り過ぎて挫折を味わうことになるのは、減数分裂に学ぶことができる。長文過ぎると駄文になるのと同じように、できるだけ無駄をなくすことが必要である。科学の解明は単純ではないが、言葉に置き換える能力がいるのではないか。膨大なコストを払うことになるが、生命の機序が解明されねば次のジャンプはできないだろうと思う。
2006.01.28
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歴史に if はない。当然人間は諦めて死んでゆくのだ。取り返しの利かないことばかりがおきては過ぎてゆくだろう。最早過去の知識で生き延びる時代ではない。過去をリセットできない人間は、これからは、勇気のないものだろう。知識の質が違う。ゲノムは、人とチンパンジーは違いよりも類似点がはるかに多いことを示している。遺伝子のうち人間特有のものは極めて少ないのだ。イギリスのロバート・メイ卿は、人間は50%の遺伝子をバナナと共有するという。突然変異は、タンパク質を構成するアミノ酸の配列暗号を指定する塩基の一つにおきる変化で、特別な原因なしに偶然、自然発生的おきる。そのような変異をもつひとは病気になったり、死んだりするのだ。ほとんどの突然変異は、重要な部位でないところで起きて、結果的には害でも益でもない。私たちの日常も同じかも知れない。if は、過去にはないが、未来にはいくらでもあるだろう。併し、何れにしろ、やがて、ターニング・ポイントが来るだろう。
2006.01.28
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図書館から車で帰途に、ふと「空の詩」というお店を見つけてしまった。今日は、冬の晴天で、然も抜けるような青空が広がり、爽快な日で、カーステレオの尾崎豊の澄んだ声を聴いていた。「空の詩」が、妙に弾けて見えた。CDの尾崎豊の日本人らしからぬ、あのテンションとは何なのだろうか。こんな田舎の郊外で「空の詩」なんて看板を出す人もいるのだ。看板を出したひとは、どんなひとだろうか。詩人だろうか。多分恍けたひとだろう。ことばだけの世界で溺れた、若者を崖っぷちに連れ出す案内人だろうか。世の中には、狂気が溢れているが驚くことはない。私たちは狂気の天才の末裔でもあるだろう。尾崎豊の「スクランブル・ロックンロール」が、どこか狂気を孕んで聴こえてきた。
2006.01.28
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「教授のレクチャーは面白いよ」と言った女性がいた。馬場孤蝶の「一葉全集の末に」から引用分をプリントしてくれた。「・・・一葉君の初期は、・・・純想像裡ものであつたやうだが、一葉君の筆が熟するに従って、人物も材料も大抵は一葉君自身の目撃したものに限られるようになった。其所に一葉君の一面即ち写実的手腕が認められる。其所に又芸術的良心が認められる。・・・28年(27年?)の秋かと思はれるのだが、一葉君の北隣りに越してきた一家に若い狂女があった。「うつせみ」の材料はそれから得たのであろう・・・」興味深い引用はまだあるが、割愛する。文学的課題も意外と一般人レベルと同じなのだろう。時間とスペースが違うだけであろう。どう捉えるかは、感受性の問題だ。一葉君だけを読んでいたらそれこそ「片恋」になれかねない。恋愛は、片恋だけでは面白くない。一葉を同時代の人間はどうみていたのか、一葉はどこから材料を得たのか。敷かれた道を歩くより迷いながら散策するのも愉しいものだ。またひとつ妖しげな小径が山の彼方に繋がっているようだ。
2006.01.28
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漱石「こころ」は、狂ったと思われても本望という。人間は、「孤立」することが狂う大きな要因になるだろう。「ことば」も同じでそれは生理でもある。食べたものは出さねばならない。「飲食と排泄」だろう。それは「表と裏」でもある。新陳代謝ができないとあちこちに障害を来たすのだ。かって日本だって、ドイツだって、孤立した。いまは北朝鮮がそうだろう。孤立したものは狂うだろう。それは、文学であれば、名作を生むかも知れない。正気と狂気の狭間に歩く作品が人々を刺激するだろう。「孤立」がやがて、人間の心身を狂わせて行くことは、多くの事例があるだろう。堀江氏もあるいはそうだったのだろうか。或いは小泉首相もそうなのかも知れない。イエスマンに囲まれたひとたちも、実態は「孤立」なのではないだろうか。対等な立場で話し合うことが孤立を避けるのだろう。それが新陳代謝でもある。代謝異常を来たし始めた個人や社会は、謂わばその兆候を示していることになる。大事なことは、自分の傲慢が、自分の孤立を生んでいることに気付くかどうかではないだろうか。何が真実なのか、を判断するのは、他人ではない。自立した自分の意識でなければ意味がない。今朝は、暖かいようである。私も孤立しないようにしなければならない。厄介なことにそのチャンスを逃すと自分では解らなくなるらしい。
2006.01.28
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ひょんなことで「恵方巻き」を知ってから、節分の日にコンビニで太巻きを買い込んで家族と毎年食べているが、意外とその日に買えなかったりして大騒ぎしている。別に縁起を信じている訳ではないが愉しいので遣っている。元々巻き寿司は大好きである。本当を言えば、亡き母の巻き寿司は兎に角美味かった。時々作って貰っていた。具沢山で太巻きだった。だから、口実をつくり食べている。そういえば、具は何が入っていただろうか。ほうれん草と竹輪と玉子焼きと朧と干瓢とあとなんだったのだろうか、母の味付けが絶妙だった。それでも、もう30年位も昔の話だ。もうあんなに美味い巻き寿司は口にしていない。今年は、恵方は南南東だそうだ。そちらを向いて黙って巻き寿司を丸かじりをして1本食べると福が来ると言う。それでも、今年も食べようと思っている。愉しみだ。
2006.01.27
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第8回講座メモ。女子大I教授。・小説は、物語の内容が確定するより分からない方が良い、分かってしまうと面白くない。・「うつせみ」と「十三夜」の共通点は、男ふたりに女ひとりの三角関係。・「うつせみ」は、「狂った女」が、モチーフ。自殺した男の記述が曖昧で狂った理由が書かれていないのでぼやけてしまっている。一葉は、ここでは「狂気」を描ききれていないために、長文であるが観念的で類型的な内容にとどまってしまった。・それに比較して「にごりえ」の菊井のお力は違う。具体的でインパクトがある。短文でしかも説得力のある表現がされている。お力は七歳の時、極貧の中でお遣いの帰途大切なお米を溝泥に落としてしまう。それは、幼いお力に取って身投げをしたいと思うくらいの切なさであり、私はその頃から「気が狂うた」のでござんす。と言わせている。・文章を多く書いた方が優れているとは限らない、寧ろ多く書くことにより切れがなくなり文章が駄目になってしまう。・「にごりえ」は、世の中は「濁り濁り」していることから来ている。・芸術家とは、「正気と狂気」の境界で彷徨いがちである。どちらにでも振れるだろう。・カフカ「変身」も狂気である。ゴッホやモーツアルトやニチェも同じ。・「うつせみ」の一葉は、狂気を扱ったが、狂気に気付いていないために長文にしたが描き切れていない作品と言えるが、兆候はある。・「うつせみ」は、寧ろ「周辺の人間への影響」がテーマだという説もある。・「文学と狂気」は切り離せない。三島・太宰・川端など自殺した。・一葉も狂気がある。そして晩年そのことに気付いている。20代で気付いたことは、才気を示し凄いことだ。・「十三夜」は、父の存在は世間であり、当時の常識者である。離縁によって、子や弟への影響を諭している。お関が「変身」すれば、子や弟も影響があることをお関は気付かされて離縁を諦めるが、リアルを体現している一葉はお関に寧ろ同情してはいない。お関のいう「鬼の良人」とは、はたしてそうなのだろうか。ワザと「鬼」という抽象的な一言にしていること。・お関が、子を連れて来なかった背景には男子相続がある。お関は男の子を産む為に嫁入りしたのだから、子を連れて実家には帰れない。時代性ある。・録之助は、ここではお関の目で書かれている。自分が結婚したために落ちぶれたと思っているが、そのお関が、別れ際に小銭を渡そうとする。録之助は思い出にしますという。お関は、世間知らずである。・お関は、男に恥を掻かせても気付かない。併し一葉は、録之助の気持ちが分かって書いている。・お関の思い込みがある。「・・・阿関は振り返って録之助を見やるに、何を思ふか茫然とせし顔つき、時たま逢いし阿関に向つて左のみは嬉しき様子も見えざりき。」・「十三夜」は、リアルな現実を知っている一葉が寧ろ録之助の側でかいたのではないか。一葉は、貧乏に苦しみ庶民の苦しみを舐めた作家であり、その心を描こうとした作家である。芸術家は、寧ろ狂気の中で天才を表現するものであろうか。次回は2月10日「にごりえ」だ。>写真は、今日、大学の構内で見つけた梅花です。もう3部咲きです。
2006.01.27
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現生人類は脳内脂質の生化学的性質、そのごくわずかな遺伝子的変異によって「人間」になったと言われる。それらの変異の中のひとつに分裂病も含まれていた。狂気は、天才たちの中にも存在する。それはわれわれ現生人類を人間につくりあげた生化学的変異と密接な関係があるかも知れない。肉体的には、30万年前から20万年前までの間に体格と脳容積は現生人類とあまり変わらないが、20万年前から5万年までのある時点で精神において、それ以前と、あきらかな断絶が存在すると言われる。ヒトの誕生はまだ解明されていない。「狂気」にしろ、「病」にしろ、それは、生命に関わる重要な示唆が隠されているのではないだろうか。それこそ、既成観念に捉われず、新しい視点をもって取組むべき課題が多いのではないか。私は、勉強や研究するのに弁解などいらないと思っている。ランダムな勉強は成果はあまり期待できないが、ストレスにならない程度に進めていこうとと思っている。さて、そろそろ出かけます。先程昼間で久しぶりにシャワーをしたけど、もう春が来たような気分でいます。
2006.01.27
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資料を見ていたらブログを始めたのは、MSNスペースで「ニッチ」からだ。1年半前だから振り返るにはちと早過ぎるのだけれど見直したくなった。どうやら、略2500件位はプレビューしている。勿論カスばかりだが。最近は、昨夏から、楽天ブログが多いが、MSNスペースは未だ続けているし、ライブドアスペースもある。それこそ、フリータイムの遣りたい放題である。テーマは特に決めていないが、メインは自分のスペースについてであり、勿論「ヘイフリックリミット」が、念頭にいつもある。それでも、大抵それは、メモであり、日記であり、読書観・世界観などでしかないけれど、実は、散漫だし、締まりがないのは、まだ見えないところがあるからであろう。それでも日本人的資質はあるらしく、先行きは茫洋としているかも知れない。楽天スペースになったのは、偶然前職と関連があったからで、一寸覗いてみたのだが、10ヶ月経過したのは、何故かと言えば、少ないがブログ仲間ができたことだろう。魅力のない我儘で気紛れオヤジのブログにコメントをしてくれる方がおられるからだろう。ブログは、当初はコピーしているが少し増えすぎて中止しているので、楽天ブログがいつまで続くのか気にはなっている。土台、今後どうするのかコンセプトがあるのだろうか。これから重複した文章を検索することがさっとできるようなシステムくらい造って欲しいけどね。著作権の問題とか、色々課題はありそうだ。まだ「スープの海」なのだろう。処で、「ニッチ」とは、種としてのヒトの「ニッチ」の意味ではなく、単なる凹みとしての自分の居場所の意味でしかないだろう。だから、いつも絶望するが、まだ生きているし、考え続けている。何の価値もないが、ブログを続けることは切ないこともあるが書きながら気づくこともある。これから日本のことが、やっぱり心配されるけれど、少なくとも私の考えてることとは違う軌道を進むに違いない。それは愉しみとは違う次元だろうが現実とは、そんなことだろうと思わないでもない。まだこれから、新しい発見ができる人生にしたいものだ。さて、今日は午後から福岡女子大学で樋口一葉の第8回目の「十三夜」等の講義がある。明るい陽射しがあり、庭の愛犬ミルクが最近散歩に連れてもいかない駄目飼い主に尻尾を義理で振っている。
2006.01.27
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ヒトの本性とは、・ダーウィン・・・普遍的特性・ゴールトン・・・遺伝・ジェームズ・・・本能と・ド・フリース・・遺伝子・パブロフ・・・・条件反射・ワトソン・・・・連合・クレペリン・・・経過・フロイト・・・・形成期の経験・ボアズ・・・・・文化・デュケーム・・・分業・ピァジュ・・・・発達・ロレンツ・・・・刷込みとひとつでも欠けても本性は語れないと Matt Ridley は言っている。明日に向かうものは、人間の行為の因果律を具有する遺伝子を知らなければこれからの先を進むことができないだろう。これからの自分は何をすべきかだろう。
2006.01.27
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おもちゃ箱には、昔の夢が詰まっていたか。もう大人のくせにおもちゃ箱を持っているのも可笑しいけどそれを離すことのできない奴がいるだろう。勿論居てもよい。そんな奴もいないと世の中は面白くない。おもちゃ箱が、何より大切でそのためには死ぬ奴もいる。酒は、飲んでも呑まれないで昔を懐かしむ奴がいても良い。いま何が価値があるかといえば、抽象的なモノでしかないだろう。それは家族だというものがいるが、そうだろうか。国家だろうか。それとも世界だろうか。個人の幸福とは、ひとによっても違う応えなるだろう。だから、おもちゃ箱でも良いだろう。それは、玉手箱だろうか。こどもに戻ってひとりでニヤニヤするようなモノをではない。現代のおもちゃ箱とは、個人の退行現象でもあるだろう。その小さな箱に中に何もありはしないだろう。
2006.01.26
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もう菜の花が咲いているところがあるんですね。今は寒さの真っ盛りですけどね。春はそこまで来ていると思うと元気が出ますね。ただ気温が上がるだけで事態が好転するする訳ではないけれど、ほっとした気分がします。自分の身体のことではなく、自然が優しく穏やかになる心地がします。緑が芽吹いてくるのを観るのは愉しいだけではない。現象に影響されている人間も自然の一部であるということだろう。寒いが日があってもそれが一年つづくことはこれまで人間の歴史ではないでしょう。少なくともそれくらいは信じられる世の中でしょう。春の兆しを見つけるのはうきうきする。
2006.01.26
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過去への旅は、自分をよく知るために必要なことだろう。友人で詳細な家系図を作ったひとがいて思ったが、「病の家系図」があったら面白いのではないか。併し、現実にはそう簡単ではない。個人情報の問題でまず事実関係の判明が困難だろう。恐らく、親戚は何百人かいるだろうから、すぐできる状況ではないが、できればかなり精緻なデータにはなるだろう。マイステージを知る上で貴重なものになる。数多くのことを学ぶ生きた歴史学になる。ハーバード大の発達心理学者ジェローム・カガンは、家族史をこどもに伝えることは家族の誇りを身につけさせる契機になると言っている。併し、忘れてはならないことは、科学的観察が前提条件であることだろう。目的を明確にして遣らないと「ミイラ取りがミイラになる」かも知れない。明日は、一葉の県立女子大講座「十三夜」「うつせみ」がある。
2006.01.26
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私たちは、自己認識による苦しみと、罪の意識や、羞恥心や、疎外感や、フラストレーション等と闘っており、そのために甚大な代価を払い続けねばならない。そのコストを埋めながらも他人のために尽すという誇り高い精神を持っていることを忘れてはならないだろう。この利他的行動が、人類の進化になくてはならない原動力でもある。新生児は、自分と周囲の世界の間に境界があることに気づかない。自分が介添えをする人たちから独立し、切り離されていることを理解しない。例えば、「いないないばあ」で劇的に証明される。母親が手で顔を隠すと子供はその真似をする。併し子供が手を下ろした時、母親がまだ顔を隠していると、子供は、びっくりしてしまう。2-3歳の子どもなら、1歳の弟妹がかくれんぼをしてもすぐ見つかることを知っている。1歳児は、見つかる前に隠れたところから飛び出してくるだろう。1歳児は、自分と他人との意味が判らない。これらは、脳の発達のプロセスが関与している。3歳児が屋根の上にトナカイがいたといっても、うそをついているわけではない。その子は、ほんとうになにかを見たのか、話を聞いただけなのか、たんに想像しただけなのかをおぼえていない。その子がおぼえているのは、頭のなかで考えたというだけなのだという。「幼いこどもはうそをつかない」人間社会も、こうしたまだ未成熟な脳のプロセスを進んでいるのではないか、やがていずれ、「うそをつく脳」と出逢うことになるだろう。
2006.01.26
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生後1年近くなると赤ちゃんは、おとなのじっと見つめる視線から、見ているものや考える内容を推測するようになる。1歳を過ぎると周りで話される単語を口にする。平均的な子供で50くらいのことばをいうようになる。それから「ママ、いく」という「二語」のステップに移行する。3歳までには文法的なさらに複雑な仕組みを理解する。4歳までにはおとなと略同じ文法的に誤りのない言葉を話すようになる。成長期の人間の脳に対する悪い環境の影響は甚大であるが、実験するわけはいかないので研究はあまり進んでいない。生後3年間はワンダーランドだが、このことは、現代に於いても、希望と不安を感じざるを得ない。こどもたちを守るだけの環境を用意できないでいるからだ。こどもが適切な量と適切な種類の刺激を遮断されれば、人間としての可能性を開く重要な窓を閉ざしかねないからだ。そして、そのこどもたちは、人間として永続的に能力を制限されたまま社会生活に耐えねばならなくなる。人間は社会的な動物なのだ。「愛情が脳を育てる。」私たちは、完璧な環境で育っていない人間たちだ。だからこれからもそれを補う努力をしなければならない。何が自分に足りないかを知るべきだろう。
2006.01.26
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たとえ毒を吐くだけでも、意味の無い発言は無いと思う。それは何かの表象ではあるからだ。偽計を弄すれば犯罪となる場合が多いし、他人の利益を害することにもなるだろう。そうでない限り、思ったことをいうことは意味があるだろう。自惚れや自己卑下はながつづきはしない。そうのうち飽きてしまう。どれだけのエネルギーがあるかは判らない。大地に根差しているかはそのうち露呈するだろう。堀江氏が10年遣ってきたことは何だろうか。早過ぎた訳ではない。恐らく遅過ぎたのであろう。化けの皮はいずれ剥がされる。毒なのかそうでないのかを見破ることができなければいずれショートする。ライブドアに振り回された人たちは、いま何を考えているだろうか。
2006.01.25
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福岡県西方沖地震があってからもうすぐ1年と言うのに、まだ志賀島の崖崩れの補修が完工していない。崖崩17ヶ所の内2ヶ所が通行止のままだ。志賀島は、島だが橋で繋がっている。道路は島の周り11キロ。全戸数790戸、人口約3000人である。この島も、福岡市である。海ノ中道が通り、国立海ノ中道公園やホテルもあるリゾート地でもある。志賀島を有名にしているのは、何といっても、江戸時代の1784年に偶然田圃から農民が発見した「漢倭奴国王」の金印だろう。これは、卑弥呼の「親魏倭王」の金印よりも、約200年早い。蒙古襲来時の古戦場であり、歴史を秘めた由緒のある島だ。博多湾と玄海灘に挟まれて風光明媚な地である。自宅から約15キロくらいなので、年に数回は、ドライブしているが、地震のあと通行止で志賀島国民宿舎のある場所までしか行けずにいる。玄海灘に面した場所の崖崩れは土砂が酷くてそのままの状態である。観光地が半死のままで放置されているのは残念だ。美しい海を観ると、爽快な気分になるものだ。それと海の中道の北側に広がる青い海と海岸線をはやく観たいと願っている。
2006.01.25
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「さやけき月に風のおと添ひて、虫の音たえだえに物がなしき上野へ・・・」一葉「十三夜」の一場面で、お関が幼馴染の今は落ちぶれて車夫になっている録之助に言う。「・・・阿関はさめざめとして誰れも憂き世に一人と思ふて下さるな。」と。お関は、親から諭されて離婚を諦めて、鬼の良人の元に帰ろうとして、昔淡い恋心を抱いていた二人が出逢うシーンの中にある。父は、「・・・同じく不運に泣くほどならば原田の妻で大泣きに泣け、なあ関さうでは無いか、・・・」そして、「・・・阿関はわっと泣いて夫れでは離縁をといふたも我ままで御座いました・・・唯目の前の苦をのがれたとて何うなる物で御座んせう、ほんに私さへ死んだ気にならば三方四方波風たたず、兎もあれ彼の子も両親の手で育てられまするに、・・・今宵限り関はなくなって魂一つが彼の子の身を守るのと思ひますれば良人のつらく当る位百年も辛抱できさうな事、よく合点が行きました、・・・」お関は、良人に屈しているのではない。新しい目標をもったのだ。そして生きる意味を覚った言うべきだろうか。子を守ることは、たとえどれほど理不尽な世界でもこれほど崇高な使命はないだろう。良人はいつの時代もちゃちな暴君である。性をただで買っているだけであろう。かかる文章は、時代背景を見て考えなければならない。勿論有名な作品であり、一応予備知識はあるだろうし、一般の方なら理解してくれるだろう。それでも最近では、大学でも、古文でもないかかる文章さえ正しく解釈できなくなっていると聞いた。明治の一葉の訴えたいことや、時代の暗さを知って、今の社会を考えて欲しいことだ。昔と何が違い、何が違わないのか。テキストはどこにでもあることを。一葉が、私たちに問うていることを考えなければならない、と思う。
2006.01.25
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堀江氏が拘置所で「株価やインターネットが見れない」のか言ったとの報道がされていた。同情するか、嘲笑するかはあるだろうけれど、容疑者がどういう扱いを受けるのかさえ知らないとすれば笑止だろう。「上」しか見ない人間とはそういう物かも知れない。六本木ヒルズに住み、グルメ人間が、暫くは所謂「臭いメシ」を食べることになるし、外の見えない狭い拘置所の中だ。法に触れることが、個人の自由を奪うことになることは誰でも知っているが、他人事に思っている人が多いだろう。ちやほやされて育った人間には想像もできない世界であろう。天国と地獄はパラレルではない。天国を急ぎ過ぎると、地獄に急落することにもなるモデルだろうか。法の網をくぐるということは得てしてこんな結果が口を開けて待っているものだ。若い頃裁判所で、世間で暴君を衒い暴れまくった男が、多くは手錠を嵌められて萎れた姿を何度も見て、成る程、公権力の威力とはこういうものかと肝に銘じたものだ。27日に一葉の大学講義「十三夜」の準備をしているが、今様お関の心情とはどこにあるだろうと思ったりしている。
2006.01.25
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謂わば美しい風景やフレーズを毎日探して旅を続けている。気障にいえば、新しい涙を流すために。もう老境を感じ始めている。この旅をいつまで続けられるだろうか。それこそセリーヌ・デオンの ”My Heart Will Go On" のタイタニックを思い出す。ささやかな社会へのレジスタンスであるか、悪足掻きであるかは知らず。それくらいの個人の自由はあるだろう。他人の褌で生きたくはない。ドンキホーテを気取るつもりもない。偏頗な社会の寄生虫でも居たくはない。日本では、ホープとなる人物はいるのだろうか。勝ち組の「時代の寵児」が晒し者にされている。無残というしかないだろうか。半月も経たないのに、世間の評価は豹変した。ライブドアショックは何を物語るだろうか。これが、現実であるか。私は、美しい風景やフレーズを探しているが、それは、勿論世の中に溢れていると思っているが、悲しいことばかりが起きているし、そちらにばかりに目が奪われてしまう。かって、イザヤ・ベンダサンが「日本人とユダヤ人」3百万部のベストセラーになり山本七平の卓越した日本人論が話題になったことがある。彼は、戦争中は、聖書学を、戦後は紙くず同然の値段のだった人たちの著作を読みふけったという。20年の沈黙のあと生まれた作品だ。その忍耐は、報われただろうか。日本人は学んだのだろうか。堀江貴文は、その我慢をしたのだろうか。証券市場から何を学んだろうか。私たちの行方を阻むものはいくつもあるだろうが、その読み解く鍵がいつも眼前にあるとは限らないだろう。寧ろ逆に歩かねばならないこともある。自分が碑にならなければならない時もあるだろう。その覚悟なければ何事も本当の成果をあげることなど出来はしない。旅に死ぬのも本望である。人間は、先人の屍を超えて生き残りし、そも誇り高きモノどもである。
2006.01.25
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情報が足りないからショートする。堀江貴文は国民を愚弄して墓穴を掘ったが、彼のエリアは狭い。ブレーンの相手も間違えただろう。どんな幼稚な人物でもTOP にしてしまう家督相続が日本にはある、そしてそれを支える機関をもつことが多いだろう。彼は、部下に裏切られた。土台、忠誠心などない組織なのだろう。早くも堀江氏は社長の座を追われた。少なくとも、多くの限界を持ちながら自分のエリアを拡げようと努めているが、容易ではない。併し、何度でも繰り返すことだろう。それしか自分の目標を超えることはできない。
2006.01.24
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「ブレイブハート」とはなんだろうか。19世紀の「オリーバーツィスト」のようではないにしても、日本も貧しい少年時代があった。物資がなく、栄養失調が蔓延していたのだ。その反動で今度は生活習慣病だ。豊かな社会を渇望してこれまできたが、貧しいこころだけが残ったようだ。臆病なことばかりしている。同じ場所にいたら考えろ。でなければ腐るだけだろう。余り優しい世界に居ると老化が加速するよ。新しい涙を流そう。新しい知識を手に入れなければ萎縮するだろう。ハダカ電球の下で勉強して得たものは役にも立たない知識で挫折してばかりできただろう。ことばは力を失い続けているだろうか。ビジュアルでしか表現できないのだろうか。貧しいこころが伝染している。>今日のお気に入り
2006.01.24
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小川洋子原作小泉監督「博士の愛した数式」寺尾聡主演のシネマを見てきました。数学の天才とシングルマザーの家政婦とその子供の物語。「博士の愛した数式」とは、 eΠi+1=0 (オイラーの公式)ルート、素数、友愛数、虚数、完全数などが出てきた。不思議なひとの触れ合いが展開する。哲学的ですらあるフレーズが印象的だ。「時は流れず」「真実は、目には見えない」含蓄在り。ふと感じたのであるが、「老人と海」の少年や、この映画の少年のように、訳は判らなくとも、自分を守り育て、コストを投資するものを感じていることだ。まるで、夢のような物語であろう。善人だけが描かれている。それは誰もが願う至福の理想郷でもあるだろう。
2006.01.24
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美しいマスクに憧れる。いくつかのマスクを脳の中にもっている。そして、ブログでの交流もマスク同士でやり取りしているのかも知れないと思う。自分の顔を隠して他人のこころを知ろうといているだろうか。日常もバーチャルに慣れたひとは容易に友人をつくることができる。それはリアルと違うことを知っているからだろう。マスクは、実は面であって顔でないが、そのことに現代人は慣れてきたのだろうか。そして、先入観で生きている。だから、配偶者や身内や友人やその他諸々のひとと、相手に相応しいお付き合いをするだろう。時々裏切られてショックを覚えることになるが。自分なりのルールがある。マスクは顔ではないが、その表情は変化もするだろう。だから個人にとってもマスクは便利な道具になる。それは女性のメイクに似ているだろう。化粧しないと外出できない女性がいたりする。少年のころ、洟垂れ小僧や腰の曲がった老婆や酔いどれが町を歩いていたし、若者も小柄でモタモタしているように思えたものだ。狭い世界に辟易してもいた。奇妙な場所に自分が生まれたことを悲観したりした。だが、あのころのひとびとの顔はマスクだっただろうか。時代は換わり、もう昔の社会ではない。人々は、マスクに慣れてきたようだ。だが、自殺者が全国年間3万人超えている。マスクに殺されていないか。内からしか見れないひとに取っては異様な世界でもあろう。マスクをもてないニートが増えている。
2006.01.24
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遂にライブドア株は監理ポストになった。それこそ日本人は日頃軽薄な国民性が根底にあるのではないか。物事をはっきりと解析しないと目標の測地を誤るだろう。余りにも同じことを繰り返していると何れ「狼と少年」になるだろう。これは、日本の風土にも因るだろうか。欧米人が、今日あるは寒冷地に根差した標点をもっているからだろうか。20年の沈黙がもたらした山本七平の視点は、日本の思想の対極に生きる民族への畏敬でもあろう。33歳の青二才に振り回される政治や経済は危うい。取り返しの効かない国際社会で「水と安全と自由が空気のようあったら」という甘さは通用しないだろう。目的さえはっきり示せない論理は意味がないし、かかる政治は、国民を無駄死にさせるだけだ。堀江貴文が自滅したのは、彼のスキルのなさにある。彼の育った環境と識見にあるだろうし、それを許した社会という器の脆さにあるだろう。何故祀り上げて落とすのであろうか。これは誰かの差し金か。みせしめか。今様の宗教の儀式であるか。沈思する習慣をなくしている人間に見えるのは幼稚な損益でしかない。「目的さえはっきりさえしていれば、本も著者も向こうからやってきてくるものです。釣りと同じで、釣糸をきちんと垂れていれば・・・」と山本七平はいう。「桃栗3年柿8年」というが、人間の場合は、少なくとも20年は待たねばならないだろう。
2006.01.24
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テレビ中継されて物々しく収監された。自分の悪質さを誤魔化すような彼のブログをみた。「身に覚えがない」などとよく言いますね。まるで悪ガキの言い分だ。それとも根っからの嘘吐きなのだろうか。秘書は「正直な方だ」と泣いてインタビューに応えていた。演出だったのだろうか。それとも勝手な世間知らずの自惚れ屋か。面白いのは、マスコミが豹変したことだろう。今更驚くことではないが、時代の寵児が一瞬で犯罪者になるのではない。衝撃的だというが、恐らくかなり前から東京地検特捜部は調査を始めており、堀江氏と彼の取巻きはそのことに無防備だったと言うことだろう。これは、ITという新興勢力とは、社会のルールさえ知らない集団でもあることを示唆しているだろうか。それこそエスタブルシュメントに対する認識の甘さでもあるだろう。世の中はそれこそ天国の世ではない。それにもまして、マネーゲームをするデイトレーダーへの警告でもあるだろう。寒い夜を迎えて、柔らかな温かい布団で安らかに眠れるだけ幸福なことかも知れない。
2006.01.23
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日中はそうでもなかったが、日が暮れてきたら博多は3℃になった。底冷えがする。ドイツ在住の方のブログでは、時として零下10数℃の世界だと言うから、博多は、寒いとは言えない。九州以外は大阪と横浜しか生活した経験がないので、冬の寒さといっても大したことのないところばかりだろう。自然と闘うという実感が乏しいのかも知れない。自分の知っていることしか痛みがわからないのであろう。知ることは痛みを感じることでもある。でも誰も「知らぬが仏」ではいられない。寒暖の差は何を意味するだろう。意識だろうか。何をぬくぬくと生きているかと言われそうだ。昼前、歯の治療を受けていたが、これがオペならどうだろうかと思ったら寒気がした。例えば、手術台に乗っただけでショック死したひともいる。自分がどれだけ耐えられるのだろうか。こんな温暖な地で暮らしてきた人間と厳しい季節に耐えているひとたちとでは相違があるに違いない。温度差については、あらゆる面で存在する。そして、相互理解が難しいのは環境の違いが大きいだろう。本音で議論することは中々できない現実があるがだから、是非歩み寄る努力と手間をかけねばならないのであろう。>庭のパンジーも今日は寒そうだ。
2006.01.23
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時々信じられないようなことを人間はするものだ。善くも悪しくも、人間はそういう形質を持ち、そういう社会で生きてきたし生きている。男がどうの女性がどうのと言うことでもなく、人間に上級も下級もないが、時々考えさせられる出来事が起きる。上級だからいつも立派かと言えば必ずしもそうではないし、下劣な精魂の人物もいるだろう。今日、堀江氏が事情聴取を受けているとの報道が流れた。これから本番だ。事態を把握するには、どれだけ現実に根差した知識を持っているかだ。空想でしかないこともある。「川の流れのように」という流行歌を美空ひばりが唄って流行したが、あれは何なのだろうか。理不尽にも耐えて生きろ、ということだろうか。余り歌詞も知らないが。権力に反抗して、弾圧された歴史があり、生活圏を奪われた人もいる。その人たちが賢人かどうかは知らないが、少なくとも勇気のあるひとであろう。何れにしろ、勇気のある先人がいたから、昔よりかはましでいられるのであろうか。原因があるから結果があるという因果律のルールでことは進んでいるとすれば、出てくる結果で、大抵原因が推測されるが、世の中にはずるい奴が多いので解り難い世界にもなっている。更に、未だ人間の能力では、及ばない世界が立ちはだかってもいる。これからも、事実とは、「何がそうさせるのか」を考え続けねばならないし、よく周囲を観察することだろう。いつどこで目覚めるか。
2006.01.23
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証券市場は弱い者が喰われるジャングルだという。それが、グローバル化のコンテンツでもある。外資とデイトレーダーの参入が新たなバブルを形成している。最近の堀江氏のブログを観て、感じることは、何と幼稚な自己表現であろうか。これが素もUT(東大)の名に値するのであれば、さっさとUTの看板を降ろすべきだろう。彼がITのホープと言い出したの誰だろうか。それこそ知性の一片もない人物を祀り揚げる世界がある。誰でもタレントにしてしまうマスコミとは何だろうか。中学生のブログがまだましであろう。現在、何が起きているだろうか。それは、どこからのアタックで、それに対してどう闘うのか、示すことができないような指導者は素も指導者になるべきではない。愈々喜劇の序章だろうか。部下の小さなミスでさえ許さないTOP が、係る事態に沈黙してよい筈がない。日本のホープとは、こういう人物を言うのであろうか。都合の悪い時は目を瞑るのであろうか。いま、国会で衆院本会議で代表質問が中継がされている。どれだけ読み取る能力があるかが問われるだろう。少なくとも国民として自己責任がある。現状の把握とは、それこそ自分の識見が問われるのであろう。外資やデイトレーダーがこれからどう動くのであろうか。これから誰が何をしようとしているのかを観察することが必要だろうと思う。週一の歯科で、先程ガリガリされて気が滅入りました。>写真は、今日の歯科にて。
2006.01.23
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「論語」との接点は、結構昔からあるけど少し理解できるようになったのは何時からだろうか。どうも深すぎて理解できるまでにはそれこそ老人にならないと味が判らないのではという気がする。そういえば「論語」は、いまどこに行ってしまっただろうか。最近小泉氏がよく口にするが、論語は確かに明快で言語中枢の老化が遅い老人向けなのだろう。中国では無視されがちと聞く。知識は学問に始まると言う「論語は」、かって日本人の教養でもあったが今は、感慨でしかないのであろうか。こどものころ味わったあの棒読みは、まるでお経でも読むような気分にさせる。「南無阿弥陀仏」もそうだろう。訳もわからず、祖母の口から出ることばを何度も聴いて育った。そのことばは、まだ自分のことばではないが、いずれ少なくとも遣うことは多いだろう。論語や佛教で育った世代の所為なのだろうか。寄り道の多かったこどものころのない不毛の世代が、白けた社会を築きだしている。それこそ耐震偽装で設計で建築した「現代」と言う名のビル群なのであろう。構造計算も碌にないとすれば、やがて少しの地震で崩壊することになる。それを知りながら設計した一級建築士や確認した専門家がおり、認可した官庁がある。それを知らないふりを極め込んで建設する会社がおり、販売する会社がいる。これが、現代日本の実態なのだろう。これをただ「見せしめ」で終わらせるような政府では、信頼などできる国家ではない。「論語よみの論語知らず」が罷り通ろうとする。>香椎宮名水百選「不老水」
2006.01.23
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「子曰、不患人之不己知、患不知人也。」子曰く、人のおのれを知らざるを患えず、人を知らざるを患うという。江戸時代まで日本人の教養は、佛教と儒教であるが、西欧文化に晒された。もう時代を遡及することはできないが、見直すことはできるだろう。西欧文明が必ずしも世界を支配している訳でもない。違う哲学があるし、宗教も違う。日本人は、明治以後西欧文化を導入して近代化を計りここまで来たが混乱した現状があるだろう。独自の文化を経由してもいるが、和洋折衷でしかないだろう。かって日本は世界の孤児と言われた時期があり、現在もアジアのリーダーと認知されている訳でもない。況して、国連での常任理事国足りうるだけの信頼を勝ち得ているとは言えない状況でもある。日本国民が考えているほど、世界で信頼されているだろうか。経済的アニマルの印象が払拭されている訳ではないだろう。詰まるところ、個人レベルの日本人の国際感覚が問われることになるだろう。どれだけ文化的な成熟をしているだろうか。シビリアンコントロールできるだけのパワーを国民は所持しているか。国民は憲法の精神を正しく理解して公共の福祉を尊重し実施しているだろうか。不正を憎み正義を掲げて臆することがないか。「未若貧而楽者也」という精神があるだろうか。
2006.01.22
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現実は、無味乾燥の世界ではない。うかうかと何時までも「時に非ず」と思っているとそれこそ乾燥してしまうだろう。真剣に学ばないと時機を逸してしまう。学問を優先することが論語の教義だ。孔子は、下級貴族の出身であり、多くの弟子たちも同じだ。ソクラテスより80数年早い。軍国主義の時代は、優秀な人材が戦争を支えていた。金融資本主義では、銀行マンだろう。バブルで破綻してリセットされたが。そしてこれからの時代はどうだろうか。みんながランドマークを探そうとしているが、まだないし、先見者がいないだろう。成果を出すためには多くの優秀なブレーンとなる人材が要る。それがいつかシンボルとなる人物をつくるだろう。核兵器は、科学者集団によって造られた。しかもユダヤの科学者だ。弾圧されてきた者から報復されることもあるだろう。抑圧されればひとはどんなことでもするだろう。憎しみは地球など吹き飛ばすに違いない。世界中の人間が「時に非ず」と仕事をしないで、眠っていると一部のカルト集団から宇宙の塵にされるかも知れない。それはテロリストとは限らない。国家権力かもしれない。論語は、最早文化的遺物だが、そこから読み解くテーマがあるかも知れない。文明を救う新しい視点があるかも知れない。人類の生命を救う生物が未知の海に眠っているかも知れぬ。生命は素材を存在する環境から造り上げたのであり、人類も炭素と水からできている。>写真は、今日の福岡市東市民センター図書館周辺。
2006.01.22
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市川市のブログ仲間から梅花の蕾の話があり、外は晴天で元気が出たついでに、ガソリンを入れて、2図書館を巡り、使用貸借して来た。・有限と無限・マルクスとハイデッガー・「日本人」という病・論語・心の治癒力をうまく引き出す・スーパーヒューマンー人体に潜む驚異のパワー・人類は絶滅する・もっともくわしいガンの本・天才と分裂病の進化論・あなたの知らない脳の使い方・育て方どこの図書館も2週間貸出期間は、長いか短いかは、私の意欲と本のコンテンツ次第だ。気温も上がり気持ちの良い一日になったようだ。図書館近くは公園になっており、池があったりして、狭いが人も少なくのんびりできる。もう少し暖かくなれば、シートでも持ってきて宴会でもするところだ。そういえば、横浜の山下公園でよくそれをやった。中華街で500円のブタマンを買って、明治屋で酒を仕入れた。氷川丸が見えて、かもめが飛んでいた。妙にうきうきして、ひとりで喜んでいたものだ。成功しなければ生きていけない人たちがいる。そういうひとは妻子を残して自殺さえ厭わない。凡人は少なくとも自分の思いは後にする。だから、いつまでも自分の思いは達せられなく終わるだろう。自分の好きなことのできる時間はあっという間に過ぎるだろう。如何にそれば短くともそれを愉しめるひと幸運であろうと思う。自分の仕事は自分で創らねばならない。
2006.01.22
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矢鱈他人を誉める人を信じない。時代の旗手などということを言う人は、元来ことばに責任をもたないひとだ。それを無責任という。テレビを観ているとそんなひとばかりだ。公衆の前で選挙で堀江氏を応援したひとたちが、よく「時代の寵児」だとか、何とか賛辞したがあれは何なのか。ただお世辞を言って応援したというだろうか。それを信じた人は莫迦なのか。よく調べもせず、考えもせず、軽薄に発言することは、私も同じだがどうも良いことではない。蓋を開けたらどうだったという話になりそうだが、これは、そうさせるものがいることを忘れてはならないだろう。政府に騙されることもある。歴史ではよくあることだ。国民はこれまで政府に騙され続けている。誰もそれで裁かれたことはない。敢えて言えば極東裁判だろうが、あれも軍事法廷でしかない。騙されて戦争させられて戦犯だと言われても兵隊は立つ瀬がない。それは国民も同じだろう。そして、現在も同じだ。餌にされて、骨の髄までしゃぶられて捨てられてしまう善良な国民がどれだけいるだろう。役に立たないから捨てられるような社会を「恩を仇」で返すと言うのではないか。「姥捨て山」と少しも変わらない。あちらこちらで選挙のために他人を誉める人を政治家と言うのだろうか。だから、やたら他人を誉める人は信じないことにしている。
2006.01.22
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日本経済は、どうもフレキシブルな対応という面で欧米に較べて遅れている。殊に日本は、この十数年間バブルに振り回されて、若者には明日への希望を持てない或いはチャンスが乏しい状況である。ハングリー精神がなくなりつつあるのは、社会システムの硬直性にあるだろう。平和な時代に英雄は必要ではない。組織のマクロ化だけが優先しようとして個人の尊重が低下しており、体力、知力、学力のない若者が増産されている。無責任な議論だけが先行して、国民に垂れ流しになっており、それこそ不毛な政治が演じられていないか。どれだけ資質があるからと言って、完璧な政治などできはしない。八方美人では、国の進路を誤るだろう。親米でもない、親中でもない、謂わばそのバランス感覚が外交ではないか。フレキシブルな思考を持つリーダーが要請されるだろう。若者に拡がる閉塞感は、じわじわと社会全体に浸透してゆき、やがてボテーブローになるだろう。
2006.01.22
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余り褒め言葉ではないが、できれば、「知らぬが仏」で生きてゆければどんなにかよいだろう。何にもかかわらずに居たいがそうはさせてもらえない。下手に欲を持つから、後悔することになる。利得で動くから他人に嵌められもするだろう。他人から掠めるようなことをすれば報いを受けるだろう。権謀術策などで渉る世の中など疲れるだけだろう。何れショートする。悠々として、他人の後ろを行こう。「知らぬが仏」がよい。
2006.01.21
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関東は雪だ。福岡は一日雨で歩く気力も失せた。近くの Tsutaya で文春2月号を買い。DVD「いま、会いにゆきます」をレンタルしてきた。今夜は、夕飯はひとりになったので、淋しく過ごしている。DVDを今まで観ていた。センター試験が始まったようだ。雪で少し可哀想だ。大事な時に実力を出せないひとがいたりする。一度だけのテストで能力など判る筈もないのに相変わらず同じことをやっている。安易過ぎないだろうか。それしかないのだろうか。試験という制度の弊害は、長い中国の歴史で実験済みではないだろうか。人間の能力とは、年齢で計れるほど一様ではないのだ。教育システムの弊害はもう限界ではないだろうか。50年前の日本人と、現在の日本人は、意識も生活環境も変わった。そして、どれだけグローバル化しただろうか。
2006.01.21
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赤血球の老化の生体内の寿命はヒトでは120日で、赤血球由来の問題か、生体内という環境要因によるのか不明である。若細胞が老化細胞になるのは酸化障害が起こることに原因があるという。赤血球の老化がある。また、長寿命固定性分裂終了細胞がある。これらの細胞は120年は生き続けるらしい。その機序は明らかではない。笑うしかないくらい、人間の生体内のことを知らずに生きてきただろう。そして、人間社会も人間が造ったとすれば人間の生理に相似してもいる。個人的には分からなくともあらゆることは現在説明することができることばかりだが、まだ分からないことが残っており、どうやらそれが未来を拓く鍵なのかも知れない。それを探しており、もうそのために研究している人間はいるだろうが、恐らく尊重されてはいないだろう。概して、先覚者の道は厳しいのであろう。やがて、記録的な豪雪も消える時が来るだろうが、それまでは雪害に苦しむ人たちがいることを忘れてはならない。
2006.01.21
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最近「フライトプラン」をプレミアで見たそうな。映画のコンテンツを考えると何とも皮肉な話だろう。高度1万mで6歳の娘が消えるミステリーだという。テレビでCMを遣っている。今回のライブドアショックは、堀江氏にとっても突然のハプニングだっただろうか。歯噛みしているだろうか。4日間で時価総額は半減したのだ。無防備なだけの裸の王様だったと悔やんでいるだろうか。それとも、狡猾な国家権力に震え上がっているだろうか。相変わらず、体裁を保とうとするだけのブログだ。マスコミを利用しようとしたが、マスコミに見棄てられるショーが観られるのだろうか。ハイエナがまた群がるシーンが再現されるのだろうか。かって、豊田商事の悪夢が甦るだろうか。加害者が、自分がしていた遣り方で自ら被害者になる瞬間だ。何とも皮肉なことだろう。世論は怖いことを知るだろう。悲劇は、喜劇にされる。そしてやがて、大衆の記憶でしかなくなるだろう。
2006.01.21
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