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リンクしているsowonさんの日記「県議の口利き」を読み、アラアラ・・とニュース検索。篠原実氏のご当地新聞愛媛新聞社の記事県議の口利き 文教委員を務める資格はない を見つけた。記録のためにコピー。 自民党県議の篠原実氏のパソコンがウイルスに感染し、多数の文書がインターネット上に流出した。有権者名簿など個人情報が含まれており、多くの人に迷惑をかけたのは残念だ。 ウイルスは日々進化しているが、撃退ソフトを備えるとか、重要データが入ったパソコンはネットに接続しないなど対策はあるはずだ。パソコンの利用者はこれを教訓に、データ管理に万全を期したい。 とんでもないおまけまでついた。篠原氏が県の教員採用試験にからんで、口利きをしていた事実が明らかになったのだ。 「県教委の最高幹部にお願いしたが、最後は本人の地力がものをいう」という趣旨の、支持者あてとみられる文書が流出した。文書は昨年七月末の作成というから、二〇〇六年度の採用試験にからむのだろう。 篠原氏は受験番号と氏名を県教委に伝えたことを認め、依頼者からの謝礼受領は否定した。当の受験者も採用されなかったとしている。それが事実だとしても、厳正であるべき教員採用に県議が口利きをしたのは全くモラルに反している。 しかも、篠原氏は自民党県連総務会長であり、県教委関係の議案などを審議する文教委員会に所属している。県教委に通常以上のにらみが効く立場だけに、よけい悪質である。 県教委側は「(依頼が)採用に影響することはない」としているが、本当に影響がなかったのか。経緯を精査し、明らかにすべきだろう。 複数の県教委幹部は、県議らからの人事面での要望が「皆無ではない」と述べている。効果のあるなしにかかわらず、そんな働きかけをする議員がいること自体情けない。 とりわけ、最近は少子化で教員の採用枠が減っている。〇六年度の県内公立学校の教員採用試験は最終倍率が一八・八倍にもなり、定員が半減した本年度試験をさらに上回る「狭き門」だった。 そんな厳しい状況だけに、口利きがあった事実は、教員志望の若者にどれほど失望や嫌悪感を与えたことだろう。 また、県教委は教員の質を高めるため、人物重視など採用方法の改善に努めている。そんな努力を文教委員自らが汚すような行為は言語道断だ。 篠原氏は文教委員を務める資格はない。それだけでなく、政治家として何らかのけじめをつける必要があろう。 国も地方も口利きをめぐるスキャンダルは後を絶たない。元大阪市助役の大平光代弁護士によると、助役時代に議会改革の必要性を指摘すると、一部市議が「わしらは口利きの看板を掲げて市議をやっている。何が悪い」と開き直ったそうだ。 もちろん、地域の要望を伝えるのは大事だが、権力をかさにきた利益誘導はあってはならない。防止策として官庁が口利きの事実を記録し、情報公開する動きも広がっている。 県議会もこの際、「口利き全廃」の決議など思い切った再発防止策を検討すべきだ。 -愛媛新聞2006/01/30(月)付-私の住む自治体も、一昔前までは議員や有力者のコネがなければ、自治体職員や教員にはなれないと言われたものだけれど、現在は議員の口利きの効果は低いらしい。(しかし教員の異動などでは、結構出身大学閥などのコネが有効らしいと・・)有権者に頼まれたら断れない議員体質を利用している人も、口利きを当然の権力行使のように考えている議員も、どっちもどっちとも言える。口利きを依頼できる人は、お金がなければならないからね。
2006年01月31日
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一週間ほど前、テレビで「単騎、千里を走る。」 についての番組があった。私は全部を見ていないのだが、高倉健の俳優生活50年の記念とか、映画撮影のエピソードなどの番組だった。普段は、自分から「映画を見よう」ということはあまりない夫が、珍しく「これ、見に行くか?」と誘ってきた。もちろん、私に異存はない。というわけで、昨日、近くのシネコンに行くことになった次第。いつになく、シネコンは混雑していて、チケット売り場は行列だった。「え? こんなに人気があるのかな」と思ったけれど、どうも人が殺到していたのは別の映画のようだった。(上映時間から推測すると、多分「オリバー・ツイスト」、または「博士の愛した数式」)上映スクリーン会場には、我々のような中高年の男女が、30人前後というところ。つまり、ガラガラと言って良い。テレビ番組で宣伝していた割には、観客は少ないという印象だった。さて、感想はといえば・・。まず、「高倉健は、何を演じても高倉健だなー」。これは、けなしているのではなくて、感心しているのである。あの独特の雰囲気というか、存在感は、高倉健でしかかもし出せないものだろうという意味である。演技が上手なのかどうかはわからないのだけれど、人としての誠実さや孤独や、胸に秘めた熱いものなどを、その姿だけで感じてしまうというのは、観客としての条件反射に近いものがある。もっとも、私自身はさほど高倉健の映画を沢山見ていないので、まだ条件反射にまではなっていないと思うのだけれど・・。私は、この日記を書くために公式サイトを見たのだが、映画を見ている途中で、中国側の登場人物は俳優ではないだろうと思い始めた。でも、その素朴さゆえに、言葉もわからない日本人を受け入れ、親身に協力しようとする中国の人たちの大らかさや優しさが、そのまま伝わってくるような気がした。きっとあの雰囲気は、高倉健さんと中国人スタッフ達との心の交流そのものだったのではないだろうか。もう一つ、特に心に残ったこと。親を失った少年の面倒を見るのは「大人の責任なのだ」という村長の言葉。それは同時に、「子どもは何もわからないのだから、大人がしっかり考えて決めてやらなくてはならない」という、子どもの意思や心を無視したことにも繋がるわけだけれど、それを高倉健が演じる高田に指摘されて、ちゃんと子どもの気持ちを聞き、それを受け止めようとする姿勢も描かれていて、製作者の思いの一端を感じた。それにしても、「言葉」って何だろう。言葉を理解することで、相手の気持ちは理解できるという前提で、私達は言葉を駆使しようとする。それはそれでとても大切なことだけれど、言葉に頼りすぎて大切なことを見失っていることも多い。実は、言葉は「補足説明」なのが本来の役目なのかもしれない。心を伝えるために一番大切なことは、体で表現することなのかもしれない。それは、「身振り、手振り」であったり、目の動きであったり、具体的に誰かのために行う動き、つまり「行動」なのではないか。主人公の高田は、とうとう息子と語り合うことができなかった。息子のために単身中国に渡った父の心は息子に届いたとは思うが、やはり、もっと早く、何らかの行動があって欲しかったと思う。私はやはり、生きている間に、わだかまりのある関係は解いておきたいと思う。もう一つ印象的だったこと、それは「中国の自然の雄大さ」だ。あのデッカイ中国の大地の光景が、今も目に浮かぶ。
2006年01月30日
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今朝は、日記リンクしているスコット五郎さん日記に、強く同感!「鹿児島の芋焼酎「海童」製造メーカーの工場全焼」については知らなかったけれど、東横インのことも、京大アメフト強姦事件のことも、私の気持ちを代弁してくれているみたい。ほかに付け加えることは何もありません。スコット五郎さん、ありがとうございます。【追記】今、きっこのブログの「諸悪の根源は自民党」を読んで、ム・ム・ム・・・単細胞の私には、理解するのも想像するのもかなりキツイ。でも、ご参考までにご一読を。
2006年01月29日
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昨日、関わっている会で、一人の女性と出会った。子どもの頃に、辛い体験を重ねていた人だった。家庭環境も劣悪だったけれど、そのことが大きく影響してか、学校でもイジメにあい、先生達も助けてはくれなかったのだと・・。やがて現在のご主人と出会い、結婚。今は母親として精一杯頑張っている。「虐待の連鎖」がよく言われる。たしかにそのような人もいるのだろうけれど、世間の人が考えるほどには、「虐待された人が我が子を虐待する」ケースは一般的ではない。その分かれ道がどこにあるのか。そのことに詳しい友人は、「たった一人でも、身近に親身になって心配してくれる人がいたかどうか」が、大きな要素になるようだと言っていた。その人の話を聞きながら、息子を保育園に預けていた頃、心配だった女の子を思い出していた。母子家庭だったような気がするが、母親は昼間からパチンコ通いをするような人だった。パチンコ屋の前で、その子が遊んでいる姿を時々みかけ、私はとても心配だった。やがて小学校に入学し、ある日、学校帰りに幼馴染の息子に会いに、その子が我家に立ち寄った。多分、その日は土曜日で、昼食のチャーハンが出来た時だった。私は気軽に、「○○ちゃん、食べていくかい?」と声をかけると、嬉しそうに家に上がった。そして、何度も何度も「おばちゃん、美味しいね! おばちゃん、お料理上手だね!」を繰り返した。その時から、土曜日にはいつも我家に顔を出すようになった。(普段の日は私は仕事をしていたので、息子は学童保育所に行っていた)いつか、当然のように来るようになった彼女に、私はとても複雑な気持ちを抱き、その母親に対しての怒りのようなものも抱くようになった。そしてある日、私はとうとう言ってしまったのだ。「今度から、お家でご飯を食べたいってお母さんに言いなさい」と。(言った内容はそのようなことだが、精一杯優しく言ったつもりではある)その子は、困ったように私の顔を見ていた。それきり、彼女は我家には立ち寄らなくなった。昼食を準備するような母親なら、彼女は私の家に来ることはなかった。近くのお店に、まだ保育園児の頃からパンなどを買いに行っている姿を何度も見かけた。「お母さんは?」と聞くと、「寝てるよ!」などと無邪気に返事をしたこともある。幼いながら、様々な思いを重ね、大人の顔をみながら育った子だ。私の言葉がどのように聞こえたのか・・。少なくても、「もう、このおばさんには甘えられない」と思ったのは確かだろう。私も仕事で忙しい時期だった。時々、彼女のことを気にしながらも、年月は過ぎていった。やがて、小学校の卒業式。当時は、卒業式には進学する中学校の制服(標準服)を着る子が多かった。みんな、新調の学生服や標準服に身を包み、誇らしげに晴れの日を迎える。私は、卒業証書を受け取りに行く彼女の姿を見て、愕然とした。着古してテカテカに光った紺色のスカートが、とても悲しげだった。彼女は、どんな気持ちでこの服を着て登校したのだろう。私の胸は彼女の心情を思うと苦しくなり、それ以上その姿を見ることができなかった。中学の途中で、彼女は結婚した姉の家に行ったと聞いた。それきり、彼女の消息を聞くことはない。あの子は、身体的虐待を受けていたかどうかはわからないが、間違いなく「ネグレクト」だった。そして、今は31~2歳になっている。ひょっとすると母親になっているかもしれない。時々、彼女のことをチクリとする心の痛みと共に思い出し、「どうしているだろうか・・」と思っていた。そして、あまり良い想像ができずに悲しくなっていた。しかし、昨日、かなりのひどい状況の中で育ちながらも、努力と人との出会いの中で、親を反面教師として生きている女性に出会い、私の心には希望の光が見えたような気がした。ひょっとするとあの子も、良い人と出会い、本来の人懐こさを損なわず、元気に生きているかもしれない。そしてもし、いつかそんな彼女に再会することがあったら、「あの時は、ごめんね」と謝りたいと思う。毎週土曜日にご飯を食べさせることくらい、イヤミを言わずに続けたら良かったのに・・。私の作るものを、あんなに喜んで食べてくれたのは、彼女だけだったのに・・。
2006年01月28日
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数日前のことが、どうにも気になっている。20人くらいの集まりで、ある人が「いっけんはひゃくぶんにしかず・・」と言ったのだ。私はその時、うつむき加減でその人の話を聞いていたのだが、そのフレーズを聞いた時に、「エッ?!」と思って、思わずその人の顔を見てしまった。しかしその人は、自分の間違いには全く気付かぬように話を続けていた。人には「言い間違い」ということが良くある。私だって言い間違えて慌てたことも数知れず・・。そう思って、そのまま聞き流していた。ところが・・。場面が変わって、再度その人は「いっけんはひゃくぶんにしかず、で・・」と言ったのだ。私はまたもや、「エッ?!」と顔を見てしまった。先ほど同様、まったく普通に(いや、得々と)話している。この時にはさすがに、周囲の人の様子が気になり、視線を移すと一人の人と目が合った。その目には「違うよね?」というような戸惑いがあった。多分私も、そんな目をしていたのではないだろうか。多分その人は、「百聞は一見に如(し)かず」を「いっけんはひゃくぶんにしかず」というフレーズで記憶しているのだろう。同じ場所で二度もそう言うということは、ひょっとするとお気に入りの言葉なのかもしれない。そんなことを考え始めたら、私はその人が何を言っているのかよりも、いつもこの間違いを重ねているのだろうかと心配でしかたがなくなってしまった。うーん、遠慮なくお互いの間違いを指摘し合える仲でもない。もしも私が、細心の注意を払って間違いであることを言ったとしても、きっとその人のプライドは傷つくのではないか。私よりも親しい人はこの場には居るのだから、私は気付かぬことにしておく方が良いのでは・・。結果として、私は何も言わずに終わってしまった。多分、私と目が合った人も、何も言わなかっただろう。人には「記憶違い」というか、「間違えて覚えている」ことがままある。今、頭によぎる「偉い人の挨拶に登場する間違い」では「枯れ木も山の賑わい」 (集まっている私は枯れ木か?)「役不足」 (謙遜しているつもりだろうけど、それを言うなら「役者不足」)「情けは人のためならず」 (本来の意味とは違う使い方をしているような・・)などなど・・。偉くなってしまうと、誰も間違いを指摘してくれなくなってしまうから、多分、「慣用句」のように使い続けてしまうんだろう。それにしても、「一見は百聞にしかず」じゃねえ・・。早く間違いに気付いてくれればいいけど。
2006年01月26日
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昨日、多少気になっていたことが終わった。某市の市民講座で、今関わっているボランティア活動についてのお話をしたのだ。最初は別の人が行くことになっていたのだが、体調が悪いのでピンチヒッターだった。まあ、それなりに打ち合わせをしたりレジュメや原稿を準備したりしたので、無事にお役目は終えたと思う。今月の気になることは、これで終了。あとは、二月に一つちょっと気になることがあるのだけれど、一ヶ月あるのでボチボチ準備をしよう。今日は、久しぶりにプラス気温となった。我家の前の道路にもさきほど除雪車が入り、狭くなっていた道幅が少し広くなった。といっても「排雪」ではないので、脇に寄せて残されている雪を、ママさんダンプで処理してきたところだ。近所の奥さん達と交わす言葉は、「もう、雪いらないねえ」「でも、ホントはこれからなんだよねえ」などというボヤキ節。本州はどんな様子なんだろうと、ニュース検索してみた。大雪による死傷者200人超える、県内過去最多ペース青森道路冠水、夜を徹し排水作業大雪:災害救助法延長など、県に豪雪対策を要望--県市長会・県町村会 /長野大雪:降雪再び、疲労困ぱい 雪かきに住民うんざり /新潟あっちもこっちも、大変だ。
2006年01月25日
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センター試験 ICプレーヤー実は“受験生買い取り”大学入試センター試験で初めて実施され、トラブルが続出した英語・リスニングで使用されたICプレーヤーの費用は、受験生が負担する形になっていたことが分かった。プレーヤーは自由に持ち帰れるが、検定料も前年度より2000円アップ。受験生の経済的負担が増すと同時に不公平感も拡大した現行方式に、批判は一層高まりそうだ。 21日のリスニングは49万人余りが受験し、461人がプレーヤーの不具合などを理由に再テストの対象となった。 プレーヤーは「電源」など三つのボタンと音量調整のつまみがあるだけで、音声データのメモリーカードを差し込む簡単な構造。再生機能しかない。 大半の受験生は持ち帰ったが、「ほかに使い道はない。自己採点したら捨てる」と仙台市青葉区の女子高生(18)。青葉区の女子予備校生(19)も「おもちゃみたいで…。いらない」と切り捨てた。 今回の検定料は3教科以上が1万8000円、2教科以内は1万2000円。前年度に比べ、それぞれ2000円値上げされた。入試センターは「リスニング導入や試験科目の増加、志願者減が要因」と説明し、プレーヤーの単価は明らかにしていない。 ある大手予備校は対策用に、ほぼ同じ構造のプレーヤーを3000円で販売したが、「サービスの側面があり、人件費と合わせるとほとんど利益はない」と担当者。仙台市内の大手家電販売店も「センター試験のプレーヤーの原価は3000円程度ではないか」とみる。 試験後、インターネットのオークションには数多くのプレーヤーが出品され、500―3000円の値段が付いている。ただ、新年度に現行方式が継続された場合も、そのプレーヤーは使えない。 長女が来年、大学を受験する宮城野区の主婦(45)は「ただの無駄遣いに思える。センターの関係者はもっと真剣に考えてほしい」と話している。(河北新報) - 1月24日7時5分更新今年からセンター試験にリスニングが採用されたと聞いても、私は身近に受験生がいないこともあり、「ふーん、そうなんだ」程度で、多少引っ掛かりがあったのは、全員が同じ機材を使うということだけだった。つまり、「これで儲けた業者と、便宜を図ったどなたかが美味しい思いをしたんだろう」ということ。しかし、まさかその費用が受験生負担で、「買い取りになっていた」なんて、想像もしなかった。多分、来年以降もそのプレーヤーが使用されるのだろうと思っていたのだ。これは、あんまりだ!!従来も、大学によっては英語の聞き取りの試験があった。私の長男も、受験したのが外国語を専門とする大学だったためか、「テープで流される英語を聞き取っての(ヒアリング)試験」だったと聞いたように思う。風邪をひいて鼻をかむ人がいて、それがジャマだったとも・・。人によっては色々な不都合や不利はあるかもしれないが、私はリスニングの試験はその程度で良いのではないかと思っている。(ふと思ったのだが、ヒアリングとリスニングの違いって、何なのだろう・・)これで大量の(受験)産業廃棄物が生まれるんだろう。まったく、偉い人たちは何を考えてるんだ。受験生に二重の負担を強いるリスニング試験なんて、いらない!!
2006年01月24日
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あとからゆっくり読むことにしよう。<ライブドア>関係者から詳細資料 堀江社長追い詰める捜査は、家宅捜索から1週間で頂上に達した。ライブドア(東京都港区)グループの証券取引法違反事件で、東京地検特捜部は23日、同社社長、堀江貴文容疑者(33)を逮捕した。堀江社長をはじめ、企業買収を絡めて巨額の利益を生むシステムを発案した側近で財務担当取締役の宮内亮治容疑者(38)も容疑を否認しているとされるが、法務・検察幹部は「容疑は揺るがない」と自信を見せる。【小林直、高島博之】 ◆昨年秋に捜査班…東京地検 「事件で東証(東京証券取引所)までパンクした。これで捜査に失敗すれば、責任問題になる」。逮捕前日の22日、法務・検察幹部は言葉を選びながら語ったが、口調に自信がのぞいていた。 東京地検特捜部は、成田国際空港を巡る官製談合事件の強制捜査に着手した昨年秋ごろ、極秘に捜査を本格化させた。官製談合事件に特捜部外からの応援検事を投入しながら、特捜部内に数人の検事を残す専従班態勢を維持した。 端緒はマスコミなどからの情報提供で、その後、グループ会社の元幹部から重要な証言を引き出した。“動かぬ証拠”である幹部間の電子メール、財務諸表なども入手して、強制捜査の準備を進めた。その保秘は厳重を極めた。ライブドア側がサーバーからメールなどのデータを消去することを恐れたからだ。ライブドアは重要な決定や連絡も文書によらず、メールを活用する。文書は廃棄・処分に時間がかかるが、電子データのメールは一瞬で消え去る。このため、特捜部は上級庁にもほとんど情報を漏らさないほどの保秘を貫いた。 1月16日午後、特捜部は事件を東京高検、最高検に報告し、家宅捜索のゴーサインを得た。家宅捜索が始まったのは、その数時間後の午後6時半。約15人の係官がライブドア本社に乗り込んだ。 半日にわたる捜索では、サーバーのデータをコピーし、堀江社長のノートパソコンなどを押収。捜索で得たメールは計約10万件に達した。 ◆消去メール復元へ 「メールがない」。万全の態勢で捜査に着手したはずの特捜部だったが、押収物の解析によって予想外の事態に直面した。サーバーに残っているはずの電子メールの一部が削除されていた。 地検サイドが最初に疑ったのは、午後4時過ぎにNHKが放映した「強制捜査に乗り出しました」という速報ニュースだった。この時にはまだ、捜索には着手していなかったが、NHKを見たライブドア側が、実際に捜索に入るまでの約2時間半の間に、慌ててデータを削除した――というストーリーだった。 だが、後に“真犯人”が判明する。関係者によると、特捜部が昨年参考人聴取したライブドア関係者が、会社側に事情聴取を受けた事実を伝えていた。特捜部が「内部通報者」と信じた関係者が、実はライブドアグループ側の人間だった。特捜部は現在、専門家の協力を得て削除されたデータの復元に努めている。 18日夜に飛び込んだエイチ・エス証券副社長(38)自殺の情報も、特捜部を驚かせた。ライブドアグループの子会社社長を務め、宮内取締役と関係が深い副社長が、那覇市のホテルで失血死していた。19日朝、地検幹部らは普段より早い時間に出勤して対策を協議したが「副社長は事件に深くは関与していなかった」と判断した模様だ。 とはいえ、堀江社長の逮捕にはまだ、時間がかかるはずだった。「もう少し時間をかけたい」というのが現場の本音だ。メールなどのデータ復元や関係者の供述の食い違いの検討などに時間を要するからだ。だが、東証で全銘柄の売買が停止したライブドアショック(18日)を受け「経済の混乱を早期に収拾させたい」との意向が強く働き、当初の設定より10日ほど、逮捕日を前倒しした。 ◆二つの容疑 堀江社長らには、大別して二つの容疑がある。ライブドア本体や関連会社「ライブドアマーケティング」(LDM、当時バリュークリックジャパン)が買収済みの企業6社を「これから買収する」と発表して市場をあざむいた証券取引法違反(偽計、風説の流布)と、粉飾決算を行った同法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いだ。 ■虚偽公表=逮捕容疑 虚偽公表の疑いがあるのは、03年11月19日~04年10月25日に発表された6社の買収。まず、グループが出資・支配する投資事業組合が、現金で安価に相手先の全株式を買い取り、買収を完了。この事実を隠したまま数カ月後、グループ側が多数の新株を発行し、この新株と組合が持つ買収先の株式を交換する――と発表していた。 なぜ、これで巨額の利益が転がり込むのか。 情報誌出版会社「マネーライフ社」の買収では「VLMA2号投資事業組合」が買収の際に支払った現金は4200万円。ところが、LDMは発行した新株16万株を、同組合経由で海外のファンドに売り、手数料などを差し引いた約6億6000万円を還流させた。4200万円が15倍超になったわけで、他の5社の還流分と合わせ、計約100億円がライブドア本体に流れ込んだという。 「株券をどんどん印刷して、組合を通じて海外に売り払う。お札を刷っているようなもの」。関係者は「錬金術」をこう解説する。 ■粉飾決算=今後捜査 粉飾決算容疑はライブドアの04年9月期と、LDMの04年12月期の決算が対象で、いずれも買収を終えた企業の預金などを自社に付け替え、利益として計上する手法を取った疑いがある。 このうち、ライブドアは消費者金融「ロイヤル信販」(現ライブドアクレジット)と結婚仲介サイト運営「キューズ・ネット」の利益約14億2000万円を3回に分けて自社に付け替え、本来は利益がないのに、約14億2000万円の経常黒字と公表していた。LDMも、キューズ・ネットから1億1000万円余の利益を付け替え、2億2000万円余の経常黒字と公表した。 (毎日新聞) - 1月24日5時42分<ライブドア>世界一狙い「虚業」 違法も二人三脚時代の寵児(ちょうじ)が、頂点から転げ落ちた。ライブドア(東京都港区)グループによる証券取引法違反事件で23日、同社社長、堀江貴文容疑者(33)が逮捕された。出頭直前の午後3時、記者が携帯電話にかけると堀江社長は「あの、取材は受けかねます」と丁寧に答えて切った。「人間を動かすのはお金です」。自著でそう言い切った起業家の「株の時価総額世界一」という野望は、道半ばでついえた。 関係者によると、堀江社長の聴取は午後4時前から東京都内のホテルで始まった。6時半ごろ東京・霞が関の東京地検に移送され、その後、右腕の取締役、宮内亮治容疑者(38)ら他の3人とともに逮捕状が執行されたという。 「迷惑をかけるかもしれない」。堀江社長はグループが強制捜査を受けた16日深夜、うわずった声で知人の女性社長に電話をかけ、弱気な一面を見せたという。 しかし、22日のブログでは「疑いをかけられている件につきましては私は身に覚えがない」と容疑をきっぱり否定してみせた。関係者の事情聴取が進む中、連日深夜まで、会社と自宅がある六本木ヒルズで対策会議に追われた。 堀江社長は福岡県八女市出身。市立岡山小学校時代は「5分で100点満点を取る神童」と呼ばれた。進学校として知られる久留米大付設中・高校に進学。ソフトバンクの孫正義社長は高校の先輩にあたる。中学で物理を教えた深山重行さん(82)は「生徒に電動モーターで推進する木製の模型ボートを作らせたら、彼だけはかじを無線制御できるよう改造していた。当時からみんなより頭一つぬきんでていた」と振り返る。 高校の時、下から10番目まで成績が落ちながら「東京に行く」と決めた。1日10時間の勉強を課し、現役で東大文3(文学部)に合格した。だが、高校では目立たなかった。同級生たちは「いたかいないかもよく分からないやつだった」と言う。 在学中の96年、ホームページを制作する有限会社「オン・ザ・エッヂ」を設立した。資本金600万円は当時の恋人の父親から借りた。六本木の7畳しかない雑居ビルの一室に事務所を構え、社員はわずか数人だった。 宮内取締役は高校野球の名門、横浜市立横浜商業高校(Y校)の元野球部選手。外野手だったが、ベンチ入りはできなかった。卒業し、税理士になった。28歳の時、インターネットのサイトが縁で知り合った堀江社長から同社の顧問税理士に迎えられ、二人三脚が始まる。株式分割やM&A(企業の合併・買収)を一手に仕切り、99年7月に取締役に就任した。00年4月に果たしたマザーズへの上場を勧めたのも宮内取締役だ。 「株の時価総額で世界一の企業を目指す」。これが2人の目標だった。交友のあったIT関連会社社長は「M&Aなどは、堀江さんの大まかな指示を受けた宮内さんが具体的に実現させた。多少違法行為があっても、宮内さんが黙って推し進めていく形だった」と明かす。昨年9月時点で、グループ会社は49社に上った。 こうした経営方針が批判される一幕もあった。 昨年12月25日、東京都内のホテルで開かれた株主総会に株主ら約8000人が出席した。一部の株主が、上場以来配当がない同社の経営戦略を巡り、退任を要求した。堀江社長は涙ながらに持論を展開した。「株主への利益還元は会社を成長させ、時価総額を上げること」 その夜、都内であったグループの忘年会で堀江社長は「3年で世界一の栄冠をもぎ取りましょう」とこぶしをつき上げ、社員も「おー」と声を張り上げて応じた。 しかし、ライブドア本体の時価総額は1月23日時点で約2686億円。強制捜査直前の16日終値の約7300億円から3分の1近くまで減った。 宮内取締役は知人に「悪いことをしたつもりはない。だが、責任は取る」と話し、逮捕を覚悟していたという。 23日午後9時29分。堀江社長は東京地検のワゴン車で東京拘置所に入った。集まった報道陣や見物人は異例の200人を超えた。(毎日新聞) - 1月24日5時42分ライブドアの堀江社長ら4人逮捕…証取法違反容疑<ライブドア>政界に衝撃駆け巡った堀江社長逮捕堀江容疑者逮捕、ネットブームや株式相場に冷や水「金のため」豪語の末、IT錬金術で墓穴…堀江容疑者 (読売新聞)うーん、全部読みきれないかも・・。
2006年01月24日
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ネットを見ていたら、下記の記事を見つけた。細木数子 ホリエモン占いのデタラメぶり 私は、占いの類は面白がって見聞きしたりすることはあるが、この年になると本気にすることはほとんどない。昨今は、占いが随分と人気があるようで、細木数子なども随分テレビなどに出て、エラソーなことを言っている。はっきりいって、私は彼女のようなタイプは嫌いだし、そのせいもあって、どうしてあの人の人気が高いのかよくわからない。細木数子は随分昔から本なども出しているし、かつて、20年以上も前に同僚の女性が結構はまっていたので、その頃から多少は知っている。彼女に薦められるままに本を見たこともあるし、当時から疑い深い私は、その占いが当たっているかどうかを気にして成り行きをみていたこともある。その結果「占いが当たる」という印象はまったく持てず、まあ、占い師なんてこんなものだろうと思っていたけれど、最近の彼女のもてはやされ方を見ると、「これは何なんだ?!」と異常さを感じる。それにしても、お正月の特番といえば、ほんの少し前のことだ。それでこれだけの「大はずれ」をしてくれたのだから、少しは細木数子信者も、我に返ってくれるだろうか。私は、それだけを願う。
2006年01月23日
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昨日(22日)の北海道新聞三面「時代の肖像」に、「映画日本国憲法」の監督、ジャン・ユンカーマン氏のインタビュー記事があった。この映画のことは何かで見ていたのだが、この新聞記事を読んで、ぜひ観たいと思った。この映画のHPで、ジャン・ユンカーマン氏は次のように語っている。(新聞でも、同様のことが書かれていた) 私が初めて日本を訪れたのは1969年のことである。その頃、ベトナムのジャングルでは50万人以上のアメリカ兵が戦っていた。私は16歳だった。当時のアメリカには徴兵制があったから、いずれは自分も不当で無節操な戦争に参加しなければならないという不安を感じていた。 日本の平和憲法は、アメリカにあふれ返る軍国主義と明確な対照を成す、悟りと知恵の極致のように思えた。そのことが、日本にいるといつもやすらぎを感じられた理由の一つであろうし、私が長い間、日本に住み、日本で子供たちを育てようと決めた大きな理由ともなっている。将来、私の子供たちが、平和憲法をもつ国で子供を育てる道を選択できなくなるかもしれないと考えると、恐ろしくてならない。 平和憲法と、それに守られている人権は、空気のようなものである。私たちはそれらを当然のものと感じ、ことさら考えてみることがない。現在の改憲論議は、私たちに憲法の意味をふたたび気づかせてくれる。日本に住み、日本で働き、日本で家族を育んでいるすべての人にとって、それがなぜ、どのようにして書かれたのか、そしてどうすればその精神を守り、広げていけるかを考えるよい契機となる。この映画は、自主上映で上映されているらしい。DVDがあるようだけれど、レンタルでは多分ないだろうなあ。思い切って購入しようかな・・。
2006年01月23日
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私は、あまり食材にこだわる方ではないと思う。同じようなものなら価格の安いものを買うし、産地にもさほどのこだわりはない。野菜価格が高い時は、可能な限り実家の室(むろ)に備蓄してある「ジャガイモ、人参」でしのぐ。要するに、食べ物に関しては普通のケチな主婦だ。しかし、そんな私も多少はこだわることがある。☆お米は北海道産米せっかく北海道の農家が苦労して品質の良いお米を生産している。冷涼な北海道の農薬の使用料は、本州より低いともいう。価格だって、味だって、決して本州米に負けてはいないだろう。道民が道産米を食べないで、どうするのだ!昨年、農協など農業を応援すべき仕事をしている人たちの半数近くが、実は本州米を食べていたと知って、私は頭にきた。これからも私は、北海道米だけを食べ続けるだろう。関連サイト 北海道のお米☆アメリカ牛肉は食べないあのBSE騒動があってから、特にアメリカ産は決して買わない。安全性云々より、日米政府の姿勢へのささやかな抵抗。まあ、さほど牛肉を食べる必要もない食生活だし、たまに食べる時には、やはり国産(可能ならば北海道産)を奮発して、私なりの「ニッポン、頑張れ!」。☆ワインも北海道北海道では、「北海道産のぶどう」にこだわったワインが結構ある。一時期は、安くて私の口に合う「ドイツワイン」を買っていたけれど、ある時期から、自分で買う時は北海道産ぶどうのワインにしている。もちろん、他の人からいただくワインは、ありがたくいただいている。これもある理由から、結構ワインのお土産などいただくことがあるのだ。はっきり言って、やはり私はドイツワインが好きだけれど・・。北海道のワインはやはり世界的には発展途上なので、値段の割りに「うーん」ということもあるが、北海道の農業の可能性を信じて応援して行きたいと思う。野菜や果物に対しては、さほどのこだわりを持ってはいない。しかし、似たような価格ならば、できるだけ産地が近いものを買うようにしてはいるけど。
2006年01月22日
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もうすぐ6歳になる孫が、半年ほど前から「ムシキング」にはまっている。ゲームコーナーなどにある「ムシキングゲーム」をして、その時得られるムシキング・カードを集めている。私にはいまだに遊び方がよくわからないのだが、手持ちのカードを活用しながら遊ぶらしい。いつもカードホルダーをお宝のように持ち歩き、暇があればジーッとカードを見つめている。やがて、色々なカブトムシやクワガタの名前を覚え、カードに書かれている説明なども覚えてきた。そんなに好きなのならと、クリスマスにムシキング関係の本をプレゼントした。私は、かつての息子達の少年時代の怪獣ブームのように、架空のカブトムシ類なのかと思っていたら、本物のカブトムシなどが主人公らしい。私は今まで全く知らなかったが、世界にはカブトムシやクワガタの仲間が、星の数ほどいるらしい。会うたびに、孫の甲冑類に関する知識は増えてゆき、見ただけで名前を当てるのはもとより、それが生息する地域や国までわかるようになってきた。それがきっかけで、地図にも興味を持つようになり、地図をジーッと見ていることも多くなる。さらには、その地図で覚えた国名がテレビなどで流れると、「あ、○○のいる国だ!」などと言ったりする。カブトムシ・クワガタ関係の本を熱心に読むようになったおかげで、彼の読解力や黙読のスピード向上は、ビツクリするほどである。そのうえに、体長などを表す「センチメートル、ミリメートル」についても、興味に引きずられて理解するようになった。昨日から我家に来ているのだが、テレビで「旭川市科学館」の特別展「世界のカブトムシとクワガタムシ」を見て、興味津々で「行きたーい! 見たい、見たい!」と両親にせがんでいた。今や、孫の興味はムシキングゲームと同じくらいに、甲冑類そのものにある。その様子を見ながら、このように身についてゆく知識が、子どもの生きるエネルギーになるのだろうとつくづく思う。おりしも、今日・明日は「大学入試センター試験」。受験勉強に多くの時間を費やしてきた受験生達には希望がかなうようにと願ってはいるが、今まで努力してきた学びの時間が、本当の意味での生きる力となっていて、さらなる知的好奇心へと繋がるものであってほしいと思う。
2006年01月21日
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私の姑とのつきあいは4年くらいだった。結婚当時にはすでに70代で、私の祖母と同じ年だったと思う。結婚間もなく、義父が病気→死亡、それから間もなく姑が病気になり入院一年くらいで亡くなった。最後の頃は、義姉たちと交替で病院の付き添いなどもした。その時に、たくさん姑と話すことができ、色々なことを教えてもらったように思う。今回のライブドア騒動や耐震偽装のニュースなどを見ていて、ふと思い出した言葉がある。「働くということは、傍(はた)を楽にするということなんだよ」姑は頼まれたらイヤとは言えない、お人よしのタイプだったらしい。その言葉の通り、「働くことは周囲の人を楽にするため」と肝に銘じていたのか、元気な頃は一時もじっとしておらずにクルクルとよく働く人だった。もっとも、面倒見が良すぎて人のために借金をするなど、家族にとっては「いいかげんにしてよ」という面もあったらしい。姑の「はた(傍)」は、家族以外の人たちだったのかも・・。そんな姑や夫の家族のことはさておき、その言葉を聞いたときは「なるほどなー」と思った。その教えのためだけとは言えないが、私は「仕事には本来の目的がある」と思っている。建築会社であれば、建て主に喜ばれる家を作ったり、業務に必要な設備を整え、仕事が快適にできる工場やオフィスビルを建設するなど。商売であれば、人が求めるものを適正な価格で良い品物を提供すること。公務員であれば、行政や自治の仕事を通して、市民の安全や権利を守ること。・・などなど、社会的に認められている仕事ならば、どんなささやかな仕事でも、社会的役割遂行が第一の目的だと思うのだ。それに対して、人はお金を支払うし、税金だって払う。そんな基本的なことが、どうも忘れられてしまっているような気がする。生きていくために、「お金」は必要である。そのために働くという側面も間違いはない。しかし、自分の欲望を満たすために金儲けだけが目的になっては、これはとても歪んだ状態だと思う。パソコンやインターネットは、とても便利である。私だってそのおかげで、かつてとは比べ物にならないほどの情報の海に触れられる。しかし、その海に溺れてはいけないといつも思う。自分に必要な分だけ利用させていただこうと思っている。ネットでの株の売買ができることは知ってはいるが、ただ座っていて操作するだけで金を儲けるなんて、私には多少(いやかなり)邪道だと感じるのだ。(それを全面的に否定するものではない。念のため)働くことの基本は、自分の額に汗して傍を楽にするため。それがまわりまわって自分に戻ってくるものだ。そうやって、人はずっとずっと昔から生きてきたのだ。人間の歴史は、もっと大切にしなくてはならないと思う。
2006年01月20日
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テレビも新聞も、ライブドア一色。私は株には関心がないので、その仕組みもよくわからないのだが、とにかく大変なことらしい。2日前の証人喚問で名前が上がった政治家たちのことなんか、ドラエモンじゃなかったホリエモン君がかき消してくれたような気が・・。政権をゆるがしそうなことが起きそうになると、ピンチに陥りそうなのび太クンを、いつもドラエモンが現われて助けているような感じ・・。今、具体的に「あの時も、この時も」と挙げる事もできないボケ中年の自分が情けないが、これって本当に偶然なのだろうか?でも、マンガとは違うのだから、登場人物の配役はいつも入れ替わり、のび太だと思って調子に乗っている人は、思わぬしっぺ返しで痛い思いをするかも。私には全く読めない世界ですけど・・。
2006年01月19日
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先週は、市内の先生や子どもに関係する仕事をしている人たちの研修会で、一つの分科会の提言・助言の役目をいただいた。(子どものことに関する活動をする会の世話人として)現場の先生達とお話しする機会は非常に少ないので、多少緊張したし、私なりの心構えというか、抵抗感なく先生達に私の言葉を受け止めていただけるようにと気を使った。来週は、また別の活動のことで、他市で開催されるセミナーで活動報告をする。本来は別の人が報告する予定だったのだが、体調が悪くてしばらく休会するとのことで、ピンチヒッターなのである。こちらの方の準備もしなくてはならないのだが、その前にY会の「会報」作成をしなくてはならない。ということで、今日中に会報の編集作業をするつもり。朝からパソコンに向かい、気分転換に楽天日記を書いたりしながら、3分の1はできたかな・・。絶対に今日中に仕上げると自分に課している。夕方には、「完了」と追記したいと思う。(11時47分/記)【追記】とりあえず、集まっている原稿は編集し終わった。編集作業の途中で、依頼してあった原稿がひとつ届いていないことに気付き、電話確認。やはり、年末年始をはさんだので忘れられていたようだ。とりあえず目途はついた。次はいよいよ、来週の準備をしなくては。でも、今日はパソコンに向かいっぱなしだったので、もう疲れた。運動がてら買い物にでることにしよう。肩がゴリゴリだよー。(15:27/記)
2006年01月18日
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「訴追の恐れ」理由に「証言控える」27回…小島社長 (読売新聞)バカバカシイというか、アホクサというか、私は当事者ではないので呆れるばかり。<連続幼女誘拐殺人>死刑「何かの間違い」面会人に宮崎被告ただただ、虚しい。ライブドア本体も粉飾決算、数社利益を付け替え黒字に「お金がすべて」の結果でしょ。ライブドアだけの問題じゃないと思うけど。アブナイ方々、今のうちに反省なさい。
2006年01月18日
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坂東玉三郎特別舞踊公演が、3月18日に札幌教育文化会館であると知ったのは、先週の新聞記事。私が、「歌舞伎ってステキ!」と思ったのは、初めて歌舞伎を観た20代前半の頃。その大きな要因が、坂東玉三郎の美しさであった。しかし残念ながら、その後何度も歌舞伎を観る機会はあったのだが、私を歌舞伎に導いてくれた玉三郎をじっくり見る機会はなかった。だから、ファンということにはならないのだけれど、他の演劇や映画などにも精力的に取り組んでいる様子をニュースなどで見聞きし、違うジャンルでの玉三郎も見たいけれど、まずは女形としての彼をちゃんと観たいという気持ちがあった。だから、新聞での公演情報を見た時には、「あっ! 見よう!!」と思ったのだが・・。そのチケットの金額に、私は固まってしまった。【特等-18000円 一等-16000円 二等-14000円】老眼と近視のダブルパンチとなっている私の目のことを考えたら、絶対に良い席を取りたい。しかし、18,000円である。私は「舞踊の師匠」などではなく、ただの趣味だ。歌舞伎公演ならば、歌舞伎や舞踊など色々な演目があるし、何より多くの歌舞伎役者のお姿を拝むことができる。しかし、今回の舞踊公演は、どうやら玉三郎様お一人のようだ。このような舞台は、一人で行ったのでは楽しさは限定される。誰かと一緒に行って、「ステキだねえ!」などと感動を共有した方が、楽しさは倍増する。せっかくの高額チケットならば、なおさらである。しかし、この値段では、気軽に誰かを誘うというわけにも・・。何日も私は迷っていた。そして、日曜日、おずおずと妹にこのことを話した。ちなみに彼女は、まだ歌舞伎観劇の経験がない。玉三郎だって、名前しか知らない。「う~ん、あまり興味はないのだけど・・」しかし彼女は、その言葉にガッカリしたような私を気の毒と思ったのか、「まあ、いいよ。私、独身貴族だから」というわけで、チケット発売開始の10時、チケットぴあの電話予約をした。もちろん、特等席を二枚である。以前の「中村勘三郎襲名興行」のように、電話が繋がらないということもなかった。だから、「いかに玉三郎でも、札幌ではさほどの人気じゃないのかな・・」と思ったのだが。夕方、ちけっとぴあのHPを見ると、もう「残席なし」だった。ひぇー、やっぱりさすがの玉三郎だ。意気揚々と妹にメール。すぐに彼女からの返信メール。「貴重なチケット、ありがとう。期待しちゃう!」妹にとっては、私の言葉よりもチケットの希少価値を感じた方が、説得力があったようである。
2006年01月17日
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あの日から、11年。11年前のこの日は、北海道に住む私にとっても忘れられない日である。そのことについては、一年前の日記で書いている。あの日(阪神淡路大震災)のこと(2005.1.17) 今日は、その日のことについて書いていらっしゃるブログを探し、ここにご紹介させていただこうと思う。11年たっても、私たちは阪神大震災の被災者です。 阪神大震災 阪神大震災から11年 阪神淡路大震災から11年あの大震災から11年・その1(2005年1月17日の日記)毎年、この日は、少し変ですがんばれ神戸の日に・・・忘れられない日震災体験記震災11年目震災11年目の阪神淡路大震災阪神大震災 11年目阪神大震災・・・あれから11年あれから11年。あれから11年・・・1.17 阪神淡路大震災の記憶(その1)※再掲阪神淡路大震災の記憶(その2)※再掲阪神大震災の記憶(つづき)無断でリンクさせていただきましたことを、ご了解いただければ幸いです。
2006年01月17日
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ダジャレのような題名で、ごめんなさい。でも、昨日のスキージャンプ・岡部選手の三連勝のニュースには、この真面目な(?)私も駄洒落でも言いたい気持ちなのだ。岡部、ハンデも圧勝!最高! スキージャンプ・コンチネンタル杯STV杯3連勝の岡部-STV杯ジャンプ 時事通信 01月15日 20:30 岡部孝信選手のひそかなファンになったのは、リレハンメルオリンピック(1994年)の後だった。原田選手の失速ジャンプで「団体金メダル」のはずが「銀メダル」になってしまった時、ショックと申し訳なさで打ちひしがれ、ランディングバーン上でうずくまっていた原田選手に岡部選手が静かに歩み寄り、「原田さん、銀メダルじゃないですか? ここで何やってんの?」(←私の記憶では。正確な言葉ではないかも)と明るく声をかけたという記事を新聞で読んだ。その記事を読んだ時、私の胸には熱いものが湧き上がり、岡部選手の優しさと大きさを感じたのだ。そして、心の中で「岡部くん、偉いっ! よく言ってくれた」と何度も呟いた。自分の息子に近い年齢であることもあり、それ以来私は、彼を心の中で呼ぶ時は「岡部くん」である。地味でパフォーマンスとは縁遠く、あまり目立たないけれど、それだけに控えめな照れたような笑顔を見る時は、私の心もほんわりと暖かくなるような気がする。長野オリンピックの時も、切り込み隊長などと言われながらチームの勢いをつけるジャンプをしたのだが、その時のコメントも彼らしかった。「自分が少しでも遠くに飛んで、楽にしてやりたかった(←多分原田選手)」いつも近くにいて、チームメイト、特に前回のことが心の重荷になっているでであろう原田選手の気持ちを、岡部選手は誰よりもわかっていたのだろう。そしてまた、いつもジャンプ陣の顔として、人々の関心や期待を引き受けてくれる原田選手に対して、パフォーマンスが苦手な岡部選手は、感謝もしていたのではないかと思う。ルール改正があって、身長の低い彼には不利だと知ってから、心の中では「岡部くん、頑張れ!」と思いつつも、「もう、彼が脚光を浴びるのは無理なのかなあ」とさえ思っていた。しかし、そんな中を岡部選手はコツコツと努力していたのだ。それだけに、彼の三連勝には「岡部くん、エラいっ! 岡部くん、ヤッタ!」という言葉しかない。それにしても、人より五段もスタート位置を下げてのジャンプなんて、あまり見たことがない。今の彼の力がいかに本物であるかということの証明だろう。その姿は、技を磨いてきた「職人」のような感じだ。この勢いで、トリノでも外国勢に一泡吹かせてほしいと思う。ジャンプ職人・岡部孝信、トリノでも会心のジャンプを!
2006年01月16日
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このところ、立て続けにレンタルビデオ・DVDを楽しんでいる。昨日も、買い物ついでに一本借りてきた。楽しいものを見たいなと思って、コメディなどが並んでいた近くから手にとった「僕はラジオ」。「実話に基づく・・」などと説明書きがあったので、それも借りた一つの理由。でも、この映画の基礎知識はゼロだった。さて、見終わった後には夫と二人でうなってしまった。全身が震えるような気がした。このようなことがありうるアメリカという国に、「おぬしはデッカイ!」と脱帽。時代背景を差っ引いても、日本では限りなく可能性がゼロに近い実話だと思った。まあ、アメリカにおいても映画になるくらいなのだから、そんなにある話ではないだろうけれど・・。私は、人にとっての成長や学びは、色々な人との出会いの中で深まるという思いがあるのだが、それを再認識させてもらったような気がする。そして、人が生きる上で大切なことは何かということも。ありがとう、ラジオ!
2006年01月15日
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<北海道新聞>「泳がせ捜査」失敗報道で、「おわび」掲載 北海道新聞社(本社・札幌市)は14日付の朝刊で、北海道警と函館税関の覚せい剤捜査を巡る昨年3月の記事について、「記事の書き方や見出し、裏付け要素に不十分な点があり、全体として誤った印象を与える不適切な記事と判断した」とするおわび記事を1面に載せるとともに、第2社会面に社内調査報告の内容を掲載した。 同社は、昨年3月13日付朝刊社会面トップで、道警と函館税関が2000年4月ごろ、「泳がせ捜査」に失敗し、その結果、覚せい剤約130キロと大麻約2トンが道内に流入し、密売された疑いがあると報じた。 道警は、記事掲載後、「記事は事実無根」として訂正と謝罪記事の掲載を要求。これを受け、同社が社内調査を進めていた。 社内調査報告の記事では、捜査関係者の証言の多くは伝聞に基づくものであり、麻薬特例法に基づいた組織的な「泳がせ捜査」が行われたとの確証は得られなかったと指摘。一方で、「泳がせ捜査」がなかったという確証も得られなかったとしている。 新蔵博雅編集局長のコメント「社内調査の結果、全体として説得材料が足りず、不適切なものであったとの結論に至りました。疑いを裏付ける続報を展開し得なかった力不足についても素直に反省いたします。編集局を挙げて取材力の向上に努め、読者の信頼に応えていきたいと思います」 岩田満・道警広報課長の話「泳がせ捜査の事実は全く存在しないことから、抗議を行い、記事の訂正、謝罪を申し入れたが、今回の記事によれば、訂正も行われておらず、道民の誤解を解くものとは言えない」[ 2006年1月14日13時47分 ] 北海道新聞を購読しているので、朝刊で読んだ。道警に道新は睨まれているだろうしね。私は、道警の「泳がせ捜査の事実は全く存在しない」との言い分は信じがたい。どちらの言い分に信憑性があるか判断するのは、読者の勝手ですから。もう一度この件について考える機会があって、私は良かったと思ってる。道警はこの事件が風化して、みんなの記憶から消えて欲しいと思っているだろうに、ヤブヘビみたいなものでしたね。お気の毒に。
2006年01月14日
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出産無料化を検討、少子対策で政府 (読売新聞) - 1月13日10時39分猪口氏、「出産無料化」朝令暮改 混乱招き発言修正 1月13日 (金) 23:20 asahi com猪口氏は女性だから、女性の気持ちがわかるだろうと期待していた私がバカだったかな。子どもの数を増やすより、今生きている子どもたちをもっと健やかに育てることを考えてよ!
2006年01月14日
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午前中は、乳児検診会場での絵本の読み聞かせ。といってもまだ赤ちゃんだから、「絵本で遊ぶ」みたいなものだけど・・。まだ冬休み中なので、対象児の兄・姉たちも多く、とても人数が多いような感じがした。二時間あまり乳幼児の相手をすると、私は結構疲れてしまう。「赤ちゃんと触れ合うことで元気を貰う」という人も多いが、私の場合はエネルギー消耗の方が多いような気が・・。それでもやっぱり、赤ちゃんの笑顔を見るととても幸せな気持ちになる。私のエネルギーなんかどんどんあげるから、元気に健やかに育って欲しいという気持ちになる。疲れたけれど、やっぱり笑顔をありがとうという感じ。帰宅して一息ついてから、洗濯。その後、気になっていた屋根の雪下ろしに取り掛かる。こっちはまさに「肉体労働」。これこそ本当に、疲れた~。いやいや、本州の豪雪を思えばこんなことくらい文句言えない。雪を落とせるだけまだマシだ。こっちもあっちも、もう雪はおしまいにして欲しい。
2006年01月12日
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「決意表明」というわけでもないのだけれど、年頭に当たって今年の目標なんぞを考えてみようかな・・と思った次第。テーマで適当なものが見つからなかったので、昨年の1月の日記を見たら、このテーマで書いていた。というわけで、今年もこれで・・。昨年は、やろうと思っていた行事が二つほどあったのだが、今年は特にない。それだけでも、とても気楽な一年が過ごせそう。通信教育で学んでいた時には、「今年は卒論指導登録を」とか、「科目試験で○○単位取るぞ!」なんて具体的な目標値があったが、今はな~んにもない。それだけに、もともとグータラな私は「うかうか一年」となるのはハッキリしている。ふと思ったのだが、最近はじっくりと本を読むということをしていない。私は「速読・乱読タイプ」で、興味の赴くままに図書館で手当たり次第借りてきて、時には斜め読み、時には期限切れで半読で返却なんてことを繰り返している。キチンと記録を取っていないので正確にはわからないのだが、多分年間100冊くらいには目を通しているはず。でも、私の目を通り過ぎていったものが多くて、心に残る本はあまり思い出せない。今年は、たとえば「半年かけて一冊の本を読み込む」なんてことをしてみたいなと思った。(1年もかけていたら、私の性格ではだれてしまうと思うので・・)しかし、今現在、そのように読んでみたい本が思い当たらないし・・。そのように読むなら、やはり古典だろうな。まずは、ちょっとばかり考えてみよう。この日記を見ている方で、そのような読み方をして良かった本がありましたら、参考までに教えてくださいませんか。
2006年01月11日
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「白いカラス」が重そうだったので、もっと楽しめそうなものをと借りた映画。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」私は、この映画についての事前の知識は全くなくて、一緒にレンタル・ビデオ店に行った妹が、「これ、実在の人物の話みたいよ。見たかったんだよ」というので借りたものである。「実在の人物」ということにも興味があったし、「面白いって話だよ」という言葉も95円の後押しをしたわけだ。さて、感想は。うん、面白かった。「本当に、本当の話?」と信じられなかったけれど、よく考えたら昔から詐欺師はいたわけで、詐欺師にまんまと騙されるというのには、それぞれドラマもあるのだろうと思い直した。十代の少年フランク(レオナルド・ディカプリオ)が、父親の事業の失敗や両親の不和などなどで家出し、生きるために人を騙したり、非行を重ねるのは昔も今もよくある話。しかし、彼が尋常ではなかったのは、自分の能力全部を駆使しての詐欺のスケール。これはもう、見ていて痛快とも言えた。まだ少年の彼にとっては、あまりにも大人が簡単に騙されるのに驚きつつも、次第に詐欺の手口が高度化していっただけで、一種のゲーム感覚だったのだろう。しかし、ゲームを楽しみながらもその心の底に流れるものを思うと、これはまた心がとても痛むものがある。彼を追いかけるFBIの捜査官カール(トム・ハンクス)との追いつ追われつは、フランクにとっては、これも「鬼ごっこ」のようなものだったかも。時代背景も犯罪手口も現代とは違うけれど、犯罪を犯す少年たちの根っこは、昔も今も変わらないのかもしれない。諦めずに追いかけるフランクとカールの間には、いつしか奇妙な心の通いあいが・・。この映画は、この天才詐欺師フランクの自伝を基にしたものだという。彼はこの時の経験を生かし、セキュリティの専門家になったとか。色々な意味で、これもまた考えさせられる映画である。しかし、見ている時は純粋に面白かった。ディカプリオの映画はそれほど多くは見ていないのだが、なかなか大した俳優だなと思った。彼を最初に見たのは「ギルバート・ブレイク」。あれはとても鮮烈だったな。
2006年01月10日
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連休中に映画でも見に行こうかと夫を誘ったのだが、「特に見たいものがない。ビデオ鑑賞でいいだろう」とのこと。まあ、二人で映画を見に行けば2000円。レンタルならば20本も見ることができると思いなおし、妹を誘って二本のビデオを見ることになった。その一本目は、1月8日に見た「白いカラス」。「白いカラス」は、以前、確か哲0701さんに教えてもらった映画だと思う。いつかは見たいと思いながら、随分たってしまったような気がするが・・。さて、感想。見終わった後、夫と妹と顔を見合わせて「うーん」と言葉がなかった。黒人差別、DV、児童への性的虐待、戦争によるPTSD・・。とにかく、現代アメリカ社会の問題がてんこ盛り。どれ一つ取っても重いテーマであり、傷ついた人間同士の出会いと癒しと再生をも描いているのだろうけれど、ラストもやっぱり重くて・・。私には重すぎて、「感動」という言葉はどうしても使えない映画。2日後の今、印象に残っていることを一つ二つ書いておこうか。黒人でありながら白い肌に生まれたコールマンが、「スプーク」という黒人への差別的な言葉を使って糾弾されたのは、とても象徴的だと思った。彼がこの言葉がなにを意味するのかを知らないはずがない。それを何度も言っている。心理学的なことはよくわからないけれど、何度も口にするということは、無意識的・意識的なものが両面あるだろう。本当の自分を隠し通して成功を収めてきた人間が陥る罠の部分と、本当の自分を明らかにしたいという心の奥の叫びが交錯しているように思うのは、私の深読みだろうか。それと、白人女性との結婚を機に、家族との絶縁の覚悟を語るコールマンに対し、母親が言った言葉。「お前は奴隷のような顔をしている。雪のように白い肌なのに奴隷のようだ・・」 (正確なセリフではないかもしれない)人間が何かの奴隷になって生きるということの辛さと重さが、心に突き刺さる気がした。そして、それを息子の頬を触れながら語りかけ、毅然として見送る母親は、決して何ものの奴隷でもなかった。また、縁を切った兄とひそかに連絡を取り続けた妹もまた、決して何ものの奴隷にもならなかった。今思い返し、あの二人の女性の存在が、私にとってはこの映画の救いのような気がする。
2006年01月10日
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今日は、「成人の日」である。成人の日が15日でなくなったのはいつからだったか・・と思い調べてみたら、2000年からだったようだ。しかし、融通がきかなくなっている私の頭は、まだ「成人の日=15日」から離れられず、本州に住む甥が成人だったことを思い出し、先週末に慌ててお祝いを送った。実家で成人式を迎える甥には、ギリギリセーフでお祝いを届けることができた。実は、「成人式」という言葉を聞く時、私の心にはチクリと針が刺さるような気がする。古い傷が疼くという感じかもしれない。私は成人式には出席していない。というか、外出できない状態にあった。今の言葉でいうなら、「ひきこもり状態」だった。つまり、私の55年の人生の中では最悪の状態だったといえる。この時期のことについてはいつか書きたいと思うのだが、何度も書き始めては最後まで書けずにいる。卒業していないわけではない。引きずっているわけでもないと思う。しかし、当時のことを思い出そうとすると、心が騒ぎ当時の辛さがフラッシュバックのように甦ってしまう。それに、当時の精神的混乱のせいか、私自身の記憶自体が自分でも自信がないのだ。消えている記憶、強化され変質している記憶、美化された記憶、それらが入り乱れているような気がするのだ。はっきり言えるのは、あの時期は私にとって大人になるための「さなぎ状態」だったのだろうということ。固い殻で全身をガードし、その殻の中で自分を追い詰め、息をすることさえも苦しかったということ。自分の存在を消したいと思っても、若い体は食べ、排泄し、呼吸をし、どうしても自ら枯れようとしなかったこと。その時期が私にとって最悪の状態であったから、その後の多少の苦労や悩みも、「あの頃と比べたら」と思いながら生きてこれたし、実際、いつもあの頃よりは楽しいことが必ず見つけられた。あの時期は、本当に楽しいことなんて受け止める感受性はぶっ飛んでいた。そう思うと、私の成人はやはりあの頃だったのだろうと思う。誰でも、それぞれの形で大人になってゆくのだ。今年の成人の人たちの中にも、かつての私のように真っ暗闇の中にいる人もいるだろう。しかし、それはその人が大人になるために必要なことなのだ。絶望するのだけは少し先延ばしにして、とりあえず今日を生きてください。
2006年01月09日
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誘拐された赤ちゃん無事保護、身代金目的容疑で捜査このニュースを聞いて以来、やっと産んだ赤ちゃんを突然連れ去られたお母さんの気持ちを想像したり、つい最悪の事態を考えてたりして本当に心配だった。今朝のテレビで、赤ちゃんが無事に保護されたことを知り、とにもかくにも赤ちゃんを無事に返してくれた事で、犯人に感謝したい気持ちにすらなってしまった。6150万円の身代金額を知って、「よほどお金に困っていたのだろうか。根っからの悪人ではないのだろうに、こんなことになって気の毒に・・」なんて、これまた変な同情心まで芽生える始末。いやいや、これは赤ちゃんが保護されたことによる安心感のなせるわざで、このようなことは決して許されないことである。赤ちゃんにもその両親にも、犯人の事情は何の関係もないことだ。こんなことで大切な子どもを奪われたりするなんて、絶対に許されてはいけないことだ。警察は、一日も早く犯人を逮捕して欲しい。「身代金目的の誘拐」は、決して成功しないということを知らしめて欲しい。ともあれ、今は赤ちゃんの無事を喜びたいと思う。
2006年01月08日
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自衛隊が長野で除雪作業・豪雪では25年ぶり 防衛庁・自衛隊は7日、記録的な豪雪に見舞われている長野県の要請を受け、陸上自衛隊・第13普通科連隊(松本市)の約110人を災害派遣部隊として飯山市に出動させた。部隊は7日朝から道路を除雪、警戒したり、高齢者世帯の雪下ろしなどの作業を始めた。 防衛庁によると、豪雪に伴い、自衛隊が主導して雪下ろしや道路の警戒などをする本格的な災害派遣は、1981年に北海道・東北から山陰にかけての13道県で延べ6万1000人が出動して以来、25年ぶり。 自治体が実施する雪下ろしなどを支援した例では昨年、新潟県で地震災害の一環として仮設住宅の雪下ろしをする県を支援したほか、青森市では大雪で体育館などに避難した高齢者世帯の雪下ろしをする青森市を手伝った例がある。昨年12月以降の記録的な豪雪による死者は、7日新たに4人確認され、16道県で計61人となった。気象庁は、8日にかけて日本海側を中心に降雪が強まる恐れがあるとして警戒を呼び掛けている。 (NIKKEI NET 10:47) 日本海側の記録的な豪雪では、場所によっては3mもの積雪だという。本州の雪は湿り気があって重いし、何よりも2メートル以上の積雪となっては、個人が除雪するには限界がある。これはもう完全な災害であり、除雪ができない障害者やお年寄りにとっては、生死に関わる問題だ。このような時こそ、機動力のある自衛隊の出番だと思うのだが、なかなか自衛隊員が働いている映像が見られなくてイライラしていた。なぜ、地元は自衛隊の派遣要請をすばやくしないのだろう。私には、それが不思議である。
2006年01月07日
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年末年始と我家に滞在していた孫達が、お嫁さんの実家に出発した。千歳空港まで荷物持ちとして見送りに行き、つい先ほど帰宅したところ。まさに「嵐の後の静けさ」という家で、久しぶりにパソコンを開いている。時々は孫達の隙をみつけてはパソコンチェックはしていたが、「楽天日記」を書いていることは家族にも「ヒミツ」なので、携帯からこっそり更新するのがやっとだった。これから洗濯などもしなくてはならないのだが、今は少しボケーッとしたい気分である。明日は土日。夫婦ともにゆっくりする時間もなく過ごしてきたので、多少はノンビリとしたお正月気分を味わいたい。それよりもなによりも、ぐっすりと熟睡したい。上の孫はいつも私たちの部屋で寝るのだが、元気すぎて寝相の悪い孫の動きで、私たち老夫婦は夜中に何度も目が覚める。そのおかげで、私は慢性寝不足状態なのだ。それでも、何とか「ジジババ」の役割を果たすことができて、今は本当にホッとしている。孫達が成長した時、「子どもの頃、おじいちゃんの家に泊まるのが楽しみだったな」と思い出してもらえれば、本望である。さて、残っているお餅で昼食にしようかな。
2006年01月06日
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賑やかな「孫との生活」も、あと一日。 今日は、私の実家の雪山でソリ遊び。 明日からは、お嫁さんの実家に行くので、今日一日の頑張りである。 年末からずっと、テレビも新聞もゆっくり見る暇がない状態が続いています。
2006年01月05日
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新年、おめでとうございますm(__)m 家族全員、健康に新年を迎えられることが、何よりありがたく感じます。 今年の抱負は、一にも二にも健康でしょうか。 我ながら、少々年を感じますが、何事も健康あってこそですからね。 今年も、マイ・ペースでのんびりやっていこうと思います。 しかし、6日まではのんびりとはほど遠い毎日でしょう。
2006年01月01日
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