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高学歴ワーキングプア「フリーター生産工場」としての大学院 水月昭道/著、光文社非常勤講師とコンビニのバイトで月収15万円。 正規雇用の可能性ほぼゼロ。 大学院重点化というのは、文科省と東大法学部が知恵を出し合って練りに練った、成長後退期においてなおパイを失わんと執念を燃やす“既得権維持”のための秘策だったのである。 折しも、九〇年代半ばからの若年労働市場の縮小と重なるという運もあった。就職難で行き場を失った若者を、大学院に釣り上げることなどたやすいことであった。若者への逆風も、ここでは追い風として吹くこととなった。 成長後退期に入った社会が、我が身を守るために斬り捨てた若者たちを、これ幸いとすくい上げ、今度はその背中に「よっこらしょ」とおぶさったのが、大学市場を支配する者たちだった。 (本文より)現在の若者たちの「非正規雇用」の問題については、間違いなく日本の政策の問題だと思っていたけれど、大学院までの学歴を持つ人たちがワーキングプアとなってゆくのも、同様に政策の結果だったとは…。多少はそのような背景もあるだろうとは想像しながらこの本を読み始めたのだがその内容は、この国がこれほどまでに若者たちを食い物にしていたという現実であった。そしてそれは、「学歴信仰」にどっぷりと洗脳されている親世代の問題でもある。学歴信仰信者の親たちや小・中・校の教師たちや、それを疑うことなく信ずる若者たちを意図的に食い物にするのはもちろん悪いけれど、食い物にされる立場の私たちは、ここでもっとあらゆることに疑いの目を持って考えなくてはならない。今現在、安倍政権がやろうとしている政策は、はたして本当に私たち大多数の日本人のためになるのだろうか。今現在はワーキングプア状態ではあるかもしれないけれど、少なくても「大学院で学んだ博士たち」は、それなりの理性や知識欲、判断力も身につけているはずだ。日本にはそんな力を持つ若者たちが活躍の場を待ちながらたくさん潜在しているということに希望を持ちたい。
2013年01月28日
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2月から退職金削減の埼玉県で教員110人が「駆け込み退職」の動きこのことで、退職する教師に対して保護者からは批判の声もあるようだが、本当に無責任なのは誰なのか?この時期に担任を持っていたり、管理職であったりする教師が退職をせざるを得ないには、苦渋の決断があるのがほとんどだろう。本当に批判すべきは、この時期にこんな条例を施行する国や地方自治体だろう。体罰事件もそうだけど、ほとんどすべてのしわ寄せは弱い立場の人に向かう。そのことに、弱い立場である我々庶民はもっと感度を高めて見つめ、本当に批判すべき相手を間違ってはいけないと思う。
2013年01月24日
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アルジェリア拘束 「ドア開けろ」叫び発砲 邦人殺害のテロリスト産経新聞 1月21日(月)7時55分配信今朝の朝刊で、アルジェリア軍特殊部隊は「ニンジャ」と呼ばれていることを知った。 何とも皮肉なことである。 忍者の本家の日本としては、これから海外駐在邦人の居住地は、忍者屋敷にしてほしい。 今回の事件でも、もしも「忍者屋敷」のように「隠れ部屋」や「どんでん返し」のような仕掛けがあったなら、無事に隠れて逃げおおせることもできたのではないか。 しかし、このことをテロリストには決して知られてはならないので、あくまでも隠密にしてほしい。 この「忍者屋敷」の構造で助かったとしても、そのことを決して知られないような工夫も同時に必要だ。 忍者の歴史を持つ日本人の誇りと名誉にかけて、次にこのような悲惨な結果にはならないように、是非とも関係者にはお考えいただきたい。
2013年01月21日
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橋下市長、体育科入試の中止求める 体罰問題の高校朝日新聞デジタル 1月16日(水)0時11分配信昨日このニュースを見たときに、いいようのない不快感を覚えた。まず、この極端な激しさが「怖い」と感じたのだが、この怖さは、いじめっ子を前にした時のような怖さに通じると思ったのだ。何かもっともらしい理由があると、徹底的に責め立てて相手を威嚇する。今回のことも、彼が従来の「体罰容認論」を反省し撤回したことまでは良かったのだが、次はこうくるか!という感じだ。橋下市長のやり方は、体罰で子どもを支配する教師のやり方と、基本的には同じではないのか?教育のプロと言われる人たち、ここは怖さに耐えて、何とか橋下氏をいさめてください。でも首相直属「教育再生実行会議」で体罰も議論 来週に初会合産経新聞 1月17日(木)↑も、なんだか不安なのだ。この記事の中に、「下村氏は15日、自殺の経緯や学校側の対応を調べるため、義家弘介文科政務官を大阪市教育委員会に派遣。」とある。義家弘介氏が文科政務官になったニュースを見た時、「エーッ!」と思いがっくりきた。彼が教育者であった時期は本当に短い期間だ。彼の北星余市高校で「ヤンキー先生」として注目を浴び、メディアに取り上げられ、その後あの学校の広告塔として、自身の体験談からのサクセスストーリーの講演活動をしたことは、私もよく知っているし、講演会も聞きに行ったことがある。グレていた彼を受け入れ、親身に辛抱強く教え導いた北星余市高校の教師集団はすばらしいと思うし、期間は短くてもその高校での教師体験は貴重だとは思う。それにしても、それでここまで上り詰める経験や実績があったとは思えない。何より私が教育者として義家氏を評価できないのは、あの人はとても上昇志向が強く、また基本的に自己中心的な人に感じるからだ。これは、まだ教師時代に講演を聞いた時の感想であり、その後北星余市を退職した経緯や、議員になっていった経緯を見るにつけ、「やっぱり…」という感じがしているのだ。(彼は、とても自己弁護、つまり言い訳やごまかしが上手だと、その時感じたのだ。これは、非行系の体験をした人達に残念ながら多い傾向があり、彼もその例に漏れないような気がする。それに、私はずるい人間だから、他人のずるさも見えるということもある。これが私の勘違いであることを願うのだが…)まあ、教師よりは政治家向きだろうとは思うので、それはそれでいいのだけど、そんな彼を教育行政の重要な位置に置くことは、とても怖いのである。
2013年01月17日
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今月末に、図書館で東直己の講演会があるというので、それまでに一冊くらいは読んでおかなくちゃと借りてきた本「立ち向かう者たち」。東直己については、北海道出身のハードボイルド作家くらいの知識しかなく、著書を読んだことは一度もなかった。講演会があるということで、図書館には彼の作品が紹介コーナーに並んでいたが、その中でも短編集なので読みやすそうだと借りてきた。予想通り、あっと言う間に読めた。というより、予想以上に引き込まれて、気がつけば読み終わってしまったという感じ。特に最初の「立ち向かう者」では、主人公と一緒に涙がこみ上げた。きっと、似たような事件を傍聴した体験をもとに書いたんじゃないかな。こんな形の罪や、悲しい事件は世の中にあふれていると思う。「疑惑」と「責任」は、きっとあの事件をヒントに書いたのではと思わせる。それぞれ、妙に納得しそうで怖い。それが人間というものであろうし、人が人格形成してゆくには、それなりの過程があるということを実感させる。「ケンシの人」で、それまでの作品で人間のやりきれない部分を感じさせられ、重苦しくなった気持ちが明るく転化した。この短編の並べ方自体に、「起承転結」があるように感じる。東直己氏の書いたものを、もう少し読んでみようかと思う本であった。彼の講演会も楽しみである。
2013年01月16日
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大阪・高2自殺:「体罰です」顧問謝罪 通夜で母の問いに 毎日新聞 2013年01月08日 21時02分体罰を熱意の表れと思う風土が、日本の体育会系部活の世界にあるのではないか。 テレビで生徒たちへのインタビューを聞いたが、「厳しくされることで強くなるものだ」というような言葉もあった。 このような「体罰容認」の子ども達が成長して大人になったら、やはり子どものためと言いながら体罰をするようになるのではないだろうか。 厳しさと体罰は別物であるし、どんな厳しい指導をするにしても、その子の個性に配慮し本人の納得の上でなくては、逆効果にもなりうる。 基本的に、体罰で何とかしようと思うのは、教育の敗北ではないかと思うし、どんな理由をつけようと、体罰は教育とは言えず暴力を是認することを教えることだと思う。学校という場は治外法権的なものがあり、学校内でも実績(対外試合で良い成績をおさめたということ)のある指導者の部活動は、もう一つの治外法権区域のようである。部活動ではなくても、たとえば小学校などは担任は「クラス」という治外法権区域に君臨する暴君となりうる。部活動はもとより、担任による「厳しい指導(体罰を含む)」による「指導自殺」ともいう事例が全国にある。「自殺」という手段をとる時、遺書などによって「いじめ、体罰」が告発される場合もあるが、それも教育行政の隠蔽体質によってごまかされたり、遺書などがない時は、家族すらも原因がわからず、結果として「自殺」を公表せずに「突然死」「事故死」などになってしまうこともあるだろう。だとすれば、苦しみぬいて死を選ぶしかなかった子どもの気持ちは、宙に浮いたままだ。北海道でも、いじめや教師の行き過ぎた指導によって裁判になった事例がある。「滝川市いじめ自殺」では、教育行政の隠蔽体質のひどさが全国で注目されたが、結果として和解となった。遠軽町立丸瀬布小学校6年の女子児童の自殺は、担任の「行き過ぎた指導」によるもので、現在も裁判中。稚内市の道立稚内商工高校2年だった男子生徒が08年に自殺したのは長時間にわたる教諭の指導が原因として、これも裁判中。彼も、今回大阪で自殺した子のように、生徒会のリーダー的な存在だったようで、先生による執拗な叱責と停学処分が、彼の自尊心を再起不能なまでにズタズタにした結果だったと思う。「体罰」が原因で児童・生徒が自殺した事件は、全国で多数あるし、自殺未遂や、これらの「行き過ぎた指導」による不登校や退学、転校なども含めたら、その数は想像を超えたものではないかと思う。このようなことが蔓延する教育現場では、少子化にも関わらず不登校の児童生徒はあまり減らないのも当然だし、良識ある子どもの心に沿おうとする心優しい教師が精神的に病んでゆくのも当然だろう。安倍政権になって、またまた競争力を高めようなどというスローガンが強くなってきた。日本の教育は「過度に競争的である」などと、「国連・子どもの権利委員会」から日本政府への勧告が数度されているが、ここにも「体罰」についても触れられている。「教育」とは何なのだろうか。このような悲しい辛い事件のたびに思うことだが、それぞれの立場で、特に直接青少年にかかわる仕事をしている人たちは、真剣に考えなくてはならないと思う。
2013年01月10日
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もともとこのブログは、左側のフリーページにある通信で大学を卒業した体験記で、通信で大学卒業を目指している人たちへの応援や参考になればと思って始めたものである。しかし、卒業してすでに13年。時代遅れになっているのではないかと、正直なところ心配である。そんな気持ちで、現在の慶應大学通信課程について書いてある他の人の記事を少し見てみたら、最近は入学選考で不合格になる人も多いとか私の入学時は、実際のところはよくわからないが、在学中に出会った人から入学そのものが難しいとは聞いたことはなかった。小論文(多分、入学動機や学びたいことなどを書く程度だったと思う)が必要だったが、それに格別苦労した記憶がないので、高校卒業程度の文章力があればいいのだと思っていた。私は、通信教育の良いところは、入口(入学)は広くて卒業が難しいことだと思っている。レポートや試験である程度の力をつけて、卒業に値するということを認めてもらってこそ、卒業の喜びがあるというものである。それが、入学選考で不合格となってしまうなら、一般入試と変わらなくなってしまうではないか。私が入学した頃は学生数も多く、レポート提出者も多かったようで、レポート返却が遅かったこともあった。また、スクーリング受講者も多かったから、毎日の席取り争いも熾烈で、少しばかり選考基準のハードルを上げたのかもしれないと思う。しかし、入学者は多くても、やがて単位をとれずに去ってゆく人たちもたくさんいた。挫折する人たちの多くは、私の想像や印象では、レポートを書く力が少し弱いことや、学生の頃の「一夜漬け」的な勉強で試験を受けようとする人ではないかと思う。どんな形で入学しようとも、たぶん卒業までたどりつく人たちは、諦めない粘り強さと、学ぶ喜びを味わっている人たちだろうと思う。そんな意味では、通信での学び方には普遍性があるのではないだろうか。ということで、私の体験記は少し時代遅れにはなっているでしょうが、こんな先輩もいたのだという程度に、お読みいただければ幸いです。
2013年01月09日
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昨年11月に、小樽市での文化セミナーで茂木健一郎氏の講演を聞き、その時に「『赤毛のアン』に学ぶ幸福になる方法(講談社文庫)」茂木健一郎著を購入した。茂木氏は、少年時代に「赤毛のアン」に出会ってファンとなり、高校時代には原書でこの本を読み、以来彼の座右の本であったようだ。もちろん私も、少女時代には赤毛のアンシリーズを愛読したのだけど、アンから離れてもう50年近くたっている。彼の本を読んで、もう一度アンに再会したくなって、年末に図書館で「赤毛のアン」ルーシー・モード・モンゴメリ作、 掛川恭子訳、 講談社を借りてきた。年末年始はバタバタしていて、一昨日・昨日と二日間で、一気に読んだ。アンに再会したというより、アンに夢中になっていた自分に再会したような気がする。もう50年も前に読んだのに、私は読み進めるにつれてどんどん物語を思い出し、(不思議なことに、読む前にはまったく内容詳細を思い出せなかったのに…)ギルバートとのエピソードをはじめとして、様々な困難に彼女が出会い、それを必死に前向きに乗り越えてゆく姿に、胸が何度もキュンとなってしまった。あの頃は想像もできなかったせいか、初めて読むような気持ちになったのは、アンを養子にしたマリラとマシューなど、彼女を取り巻く大人たちの心境の変化などである。私が少女のころに読んだのは、訳者は村岡花子氏だったと思うが、雰囲気は少しは違うのだろうか。次に図書館に行った時は、村岡花子訳を覗いてみたい。この本を読んだ頃、私も思春期の入り口にいた。つまり、親との関係、友達との関係、そして何より自分というものと向き合い始め、不安や戸惑いに突入しつつあったころだと思う。私はずいぶんアンに励まされ、日々の諸問題に向き合うヒントをもらったと思う。あの頃私の机の上には、古本屋でお小遣いで買ったアンシリーズがあったのだが、いつの間にか処分してしまったようだ。まあ、当時の私は読書だけが心の支えみたいだったから、アンシリーズだけではなく、色々な古本をたくさん集めていた。多分、私が処分したのではなく、私が家を出たとたんに親に処分されてしまったのだろう。何せ私には、愛読書を処分するなど絶対に無理なことだから。アンシリーズ、もっと読んでみようかな。大人になったアンに対しては、当時はあまり想像力が働かなかったと思うので、再会というよりは、やっと出会えるのかもしれないから。
2013年01月09日
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遅ればせながら、このブログを見てくださっている皆様、今年もよろしくお願いします。年末年始は、今年も無事に家族で迎えることができました。30日のお餅つきでは、中学一年の孫がとても力強く杵を使い、小学校四年の女の子も、一年前は自分で杵を持ち上げることができなかったのに、多少力は弱いものの、がんばってお餅つきができました。子ども達の確かな成長を、この恒例イベントで感じることができるのは嬉しいことです。お餅つきの「手返し」も、今年はほとんどお嫁さんがしてくれました。ということで、私たち夫婦は力仕事はほとんどしなくてよくなり、確実な世代交代を感じたものです。もう、正真正銘の「老人夫婦」になってしまった感じです。北海道では、大晦日にお蕎麦も食べるけれど宴会もすることが多く、我が家も31日は紅白を見ながら年末パーティ。もちろんそのテーブルには、息子たちの汗の結晶のワインも。紅白が終わってから、息子たちと孫は除夜の鐘を撞きにいきました。一日は、久しぶりに夫の一族が可能な限り集まりました。ホスト家庭としては、それなりにおせち料理など飲食物を準備することになるので、以前子ども達が小さい頃に、お盆・正月とこのお集まりがある時は、正直なところ気が重い側面もありましたが、何年振りかで賑やかな笑顔を見ると、「来年もやった方がいいな」と思いました。夫の姉三人も80代後半に入ってきて、それぞれ様々なことに気を使いながらの日々。集まれる間は、そして私が健康である間は、このような機会は大切だな…と。今年の参加者は、我が家の家族含めて18人。最盛期と比べたら半分くらいだけど、それでも結構賑やかなパーティでした。二日は、私の実家での新年会。こちらはこぢんまりと10人。それでも、90才の父と86才の母がテーブルに一緒につけたのは、やっぱり幸せなことでした。息子一家が帰ってからは、後片付けや残り物のおせち料理を食べ続け、5日には高校時代の友人が里帰りしていたので、久しぶりに友達三人で食事会。続いて6日には、お子さんのことでかなり煮詰まっている様子の人と会って、ガス抜きおしゃべりをしてきました。ということで、今年の私のスタートも、例年とあまり変わらない状態で、新年の目標も「現状維持」という感じです。今やっていること、今の健康などを、地道に続けて可能ならば少し変化をつけて、マンネリのマイナス効果(?)だけは避けるように、せめて気持ちだけは「日々新たなり」になればいいですね。うん、それも大丈夫かも。だって、過去のことは昨日のことでもよく忘れてしまうものね(苦笑)。ブログの更新も、本当に気が向いた時だけになってしまってますが、とりあえず時々はボケ防止のつもりで書いていこうと思ってます。今年も、マイペースな私をよろしくお願いします。
2013年01月07日
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