全30件 (30件中 1-30件目)
1
直木賞作家坂東氏の「子猫殺し」の話題は、少し落ち着いたのだろうか。それよりももっと悲惨な事件があれば、子猫の死などぶっ飛ばされるのが今の世情だろうから・・。彼女の行為は、フランスの刑法に触れる可能性があるということなので検索してみると、次の記事があった。「子猫殺し」直木賞作家 タヒチ刑法に抵触か J-CASTニュース 2006/8/28以下記事の一部をコピー 「子猫殺し」にはフランス刑法「art.R655-1」が適用されるという。これには、「むやみに、飼っているあるいは管理している動物を意志を持って殺害すると、762.25~1,524.5ユーロの罰金(再犯の場合は3,049ユーロまで)が課される」とある。「むやみに(必要なしに)」が該当すれば、あきらかに「違法」だ。また崖から突き落とす行為が「残虐行為」に該当すれば、「禁固2年と30,000ユーロの罰金」が該当し、さらに罪は重くなる。日本においては 日本の動物愛護管理法では「愛護動物をみだりに殺し又は傷つけた場合は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金」とある。「子猫殺し」にある行為が「みだりに」かは判断が分かれるが、環境省によれば、「生まれたら殺すを繰り返していれば、それは『みだり』が当てはまるかもしれない」という。ただし、これまでに「間引き」で動物を殺害したことが問題になった事例はなく、「あくまでも司法の判断」によるという。刑法で罰せられるかどうかは別にして、生きて動いている動物を崖から投げ落とすことができる人の気持ちは、私にはわからない。「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した」という言葉も、私には全く共感できない。猫が発情し交尾し出産することは自然なことではあるが、その価値ばかりを大切して、その結果に対しては「殺し」か。それは、セックスの快楽を重視して妊娠し、中絶したり出産後に殺したりすることと同じではないか。こんなことを書くつもりではなかった。私が今日書こうと思ったのは、私と猫の思い出である。私が幼い頃には、実家が農家だったこともあつて、いつも猫がいた。私は、「農家だからねずみ退治のために猫を飼っていた」と思っていたが、「一家に猫一匹を飼いなさい」という国のお達しのために、日本中で猫を飼い始めたということは、二月に放送された「その時歴史が動いた 伝染病から日本を守れ ~細菌学者 北里柴三郎の闘い~」で始めて知った。ペスト菌を発見した北里柴三郎の提唱で「伝染病予防法」が施行され、ペストを媒介するネズミ駆除のために猫を飼うことが省令で奨励されたらしい。私の子どもの頃に、ペットとしてではなく各家庭に猫がいたのは、その名残だったのだろうか。まあ、少なくてもペストの危機は去っても、ネズミは農家にとっては敵だったから、猫は大事な働き手であったことは確かだ。我が家には番犬としての犬と、ネズミ捕り役の猫がいたが、小さい頃に野良犬に追いかけられてから、どうも犬は苦手となった。その分だけ、猫は私の大切な友達だった。近所に友達もいなかったし、妹は四歳年下で遊び相手とはならず、もともと外で遊びまわるような活発な子ではなかったから、家で猫とくっつきあっていることが多かった。猫はいつでも「野良猫」だったと思う。私以上に猫好きだった妹は、物心がついた頃からよく捨て猫を拾ってきた。だから、我が家にはいつも何匹もの猫がいた。必然的にメス猫は妊娠し子猫を産む。私は、猫が発情し、交尾し、出産し、子育てをする姿を、普通の光景として見ていた。初めて猫の交尾を認識したのは、小学生の頃。それまでも見ていたと思うが、ケンカして仲直りとでも思っていたのではなかろうか。二匹の猫が唸り声を上げて向き合い、やがてオス猫がガバッとメス猫に重なり、ジーッとしている姿を見ていた時、背後に来た祖母が、当たり前のように言った。「あれは、子どもを作ってるんだよ。猫も犬も、人だっておんなじだ・・」今考えても、すごいことを平然と祖母は言ったものだと思う。でも、昔の人はそのような形で性教育をするのが自然だったのかもしれない。子どもの私にはただ重なり合っているようにしか見えなかったけれど、やがて色々な知識がつながりあって、妊娠とはそういうことだと知ったような気がする。その後の猫の子育ても、私の心には深く刻まれている。母猫はいつも子猫を嘗め回し、排泄物もなめてきれいにする。子猫がチョロチョロ動き回るようになると、片時も目を離さずに、少し離れた子猫のところに走っていって、口にくわえて戻ってくる。やがて尻尾を振って子猫に飛びつかせる遊びを繰り返す。それは、ネズミを捕るための動きを体得させるための実習だ。やがて、自分で捕まえてきたネズミを子猫たちの前に放す。練習台とされるネズミは可哀想なものだが、子猫たちは一所懸命ネズミを捕まえようと追い掛け回す。しかし、体力も技術もない子猫たちから、すぐにネズミは逃げる。母猫はそれをサッと捕まえて、また子猫の前に放す。何度もそれを繰り返してから、いよいよ母猫はネズミにとどめをさし、子猫と一緒にネズミを食べるのだ。そうやって、多分子猫たちは、食事のマナーも学んでいたに違いない。当時の猫たちは、私たちの食事の残り物を与えられていた。彼らの本分である「ネズミ捕り」のための獲物は母屋の屋根裏、納屋、蔵にいくらでもいたから、それで十分だったのだろうと思う。猫に食べさせる食事に苦労することはなかったと思うが、それでも毎年毎年生まれる子猫の処分には、大人たちは苦労していたと思う。子猫が生まれると、まずは飼い主を探すのは今も昔も同じこと。当然、可愛い猫から引き取られていく。しかし、時には何匹か「メンコクナイ子猫」が残った。そんな時は、母が山に捨てに行っていた。私たち子どもは「可哀想だ」と多少は抵抗していたが、毎年繰り返されるうちに、それも仕方が無いことだと思うしかなかった。どのような場所に捨てに行っていたのか、私はわからない。私たちは「山に捨てた」と聞いていたが、それは私たち子どもへの配慮だったのかもしれない。ある時、母が「・・川に捨てた」と言うのを耳にしたことがある。ショックを感じはしたけれど、それも仕方が無いのかとも思ったような気もする。ひょっとするとあの直木賞作家の家でも、彼女が幼い頃毎年そのようなことが繰り返されていたのかもしれない。私は「メンコクナイ子だ」と母から言われることが多かった。無口で明るくない子どもだったからだろう。それに、少なくても「器量よし」ではなかったから、捨てられる子猫たちが自分と重なって、切ない気持ちになったこともある。時には、捨てられた猫が舞い戻ってきたこともある。本来は猫好きの母は、「あんなところからよく帰ってきた」と言い、そんな猫は再度捨てられることはなかった。私はといえば、そんなことをありありと覚えているのだから、きっとあれこれ心を痛めながら、そんな様子をじっと見ていたのだろう。自分が子育てをしていた頃、私はよくあの当時の母猫の姿を思い出していた。辛抱強く子猫のネズミ捕りの練習に尻尾を振っていた姿。子猫が遊びまわって危険だと感じるや否や、パッと飛んでいって子猫を連れ戻す姿。子猫がいなくなったとき、一所懸命探し回る姿。餌を持っていったときに、子猫が食べ終えるまでは自分は食べようとしなかった姿。どれもこれも、「母親のモデル」であった。申し訳ないが、いつも口うるさい自分の母親よりも、ずっと母親らしいと感じたのが母猫たちだった。人間の子育てと猫の子育てを同列にすることはできないが、猫たちから学んだことはとても多い。だからこそ私は、自分が大人になったときに動物を飼うことができなかったのかもしれない。町の住宅街に住む私は、猫を自由にさせることはできなかった。息子たちは犬を飼いたいと言ったけれど、共働きだった私は、十分な運動や相手をしてやれるとは思えなかった。猫にとっての幸せが何なのか、ずっと猫たちと一緒に育った私は少しはわかる。猫を自分の愛玩物にする気持ちにはなれないのだ。人間の勝手な都合で可愛がったり捨てたり殺したりなんて、本当に気分が悪い。地球上で一番罪深い動物は、人間であることに間違いは無い。
2006年08月31日
コメント(2)
稚内の事件、 福岡での飲酒運転追突の事件、 山口県周南市の専門学校生殺人事件、ニュースの表題をちゃんと書くのも躊躇してしまうほど、嫌な事件が続いている。その少し前には、直木賞作家の「子猫殺し告白」のことも話題になって、これも実に不快な話であった。飲酒運転での悲惨な事故が話題になっているにもかかわらず、自分は関係ないとばかりに、その後も飲酒運転で55件が摘発されたとか。このような人からは、問答無用で免許を取り上げて欲しい。飲酒運転事故は別にしても、親しい者による殺人は、他者への身勝手な愛が根底にある。愛するということは、支配することではない。誰かのためにと自分を抑え続けて尽くしたりしたら、いつしか「私はこんなにやってあげているのに」と不満が募り、それは無言の圧力となって相手を息苦しくさせてゆくものだ。息苦しくなったら逃げ出したくなる。逃げようとしたら追いかけたくなる。それが悲劇の始まりかもしれない。誰かを自分の思い通りになんてできない。自分の考える幸せが、相手の幸せとは限らない。どんなに苦しくても切なくても、「去るものは追わず」でいこう。そして、「誰かのために」と自分を抑え続けるのはやめよう。独りよがりの余計なお世話なのかもしれないのだから。私は、大切な人を傷つけるのも傷つけられるのもいやだ。
2006年08月30日
コメント(4)
図書館の返却期限が一日過ぎたのに、まだ読んでいなかった本を慌てて読んだ。読み始めると面白くて、一気に読むことができた。「白洲正子自伝」白洲正子/著、新潮社、1994年彼女の夫君である「白洲次郎」が近年クローズアップされていて、以前に白洲次郎に関する本を何冊か読み、白洲正子の本も読んでみようと思ったのである。この二人、ご本人も言っているけれど、他の人とではどうにも収まりがつかなかったであろう。白洲次郎もカッコイイ男性だと思うが、正子も実にカッコイイ女性。幼い頃から「本物」に囲まれて育まれた審美眼は、人を見る目も育てたのだろう。昔はこのような人が育つ土壌が日本にはあったのだな。現在はどうなのだろう。ふと、そんなことを思った。
2006年08月29日
コメント(0)
<ビラ配布>「住居侵入」否定し無罪 東京地裁 (毎日新聞) - 8月28日当然の判断だと思う。だいたい、どうしてこのようなことで訴えることができるのか、不思議なくらい。規制して欲しい訪問活動などは、ゴマンとあるのに・・。最近は、「どうして?」と思うことが多いので、当たり前の判決が新鮮に感じてしまう。夜回り先生が講演を突然中止、モニター中継に反発 (読売新聞) - 8月28日 「夜回り先生」として知られる元高校教師水谷修さん(50)が、宮崎市で27日に開かれた「日本PTA全国研究大会みやざき大会」(日本PTA全国協議会など主催)での講演を、会場運営の不満から突然キャンセルしていたことが28日、わかった。 全国から約8000人が参加した大会での講演だっただけに、会場は一時騒然となった。 主催者側によると、講演は午前11時から、「さらば、哀(かな)しみの青春」と題して、約3300人が収容できるメーン会場で行われる予定だった。収容できなかった聴衆へは、近隣2会場でモニター中継する計画だった。 ところが、水谷さんは26日になって、モニター中継に反発。会場入りして登壇はしたものの、「モニターを通しては言葉が伝わらない」「聴衆全員に直接、話をする形でないと講演できない」と述べ、講演をしないまま会場を立ち去ったという。もしも私が参加者の一人だったら、多分とてもガッカリしたことだろう。しかし、水谷先生の著書を何冊か読み、かつては開いていた水谷先生の掲示板を見ていたことのある私は、主催者のやり方にどうしても納得ができず、かつ怒り、強い反省を求めての行動だったのだろうと想像する。単にモニター中継への反発だけではないだろう。このニュース記事を読んだだけでは、水谷氏が8000人の参加者を前にしながら、腹立ち紛れに講演をキャンセルしたように感じる人がいるかもしれないので、それが心配である。主催者側は、そのような事態になった本質を強く反省して、間違っても水谷氏に責任転嫁をしないでほしい。<加藤氏実家放火>小泉首相が初コメント「許せない」 (毎日新聞) - 8月28日今頃、コメント?? 今まで何も言わなかったのには、何か理由があるんだろうか。理由がないとしたら、「間が抜けすぎ」=マヌケ。この程度のコメントなら早いほうがいいのに、もう何やってんだか。
2006年08月28日
コメント(0)
前日の「沼田町夜高あんどん祭」を見た後は、息子の家に泊まる。この日は、浦臼町で「ワインの里フェスティバルin 浦臼」があるというので、前夜に続き息子一家とでかける。この日は、まさに「北海道晴れ」ともいうべきすばらしい天気。気温は30℃近くあったはずだが、小高い場所にある広大なワイン用ブドウ畑の(ワイナリー)の一角が会場なので、吹き抜ける風が爽やかであった。このワイナリーは、「北海道産ぶどうのみによるワイン醸造」にこだわる北海道ワインの直営(契約?)農場のようだが、その規模は全国一だということである。話には聞いていたが、行くのは今回が初めて。その壮大さには、北海道の広大な景観を見慣れている私も度肝を抜かれる気持ちだ。あの広いブドウ畑に植えられているブドウたちは、勝手に自生しているわけではない。きちんとした手入れや管理が無くては果物は成長しないし、良い果実にもならない。これほどのブドウ畑にするために、どれほどの情熱と努力と挫折があったのか・・。それを思うと、「安いワインを手軽に楽しみたい」なんて、本当に身勝手な言い分だと思ってしまう。それでもやはり、庶民にとっては「安価」は重要な購買基準でもある。フェスティバル会場に行く手前に数日前に開店したという、鶴沼ワインの直売所では、定価の1~5割安というワインが並んでいて、勧められるままに何種類ものワインを試飲して、三本も買ってしまった。でも、これは「開店大サービス」だと思うので、これから行っても多分定価販売だと思うのであしからず・・。今まで知らなかったけれど、浦臼産ブドウで醸造した「鶴沼シリーズ」は、国産ワインコンクールで賞をとっているようで、なかなか美味しかった。北海道らしい景色と爽やかな空気と、ジンギスカンとワインを堪能し、孫たちは広い草原を存分に走り回り、北海道に住んでいる幸せを実感する一日であった。
2006年08月27日
コメント(0)
前から気になっていた、沼田町の「夜高あんどん祭」。想像以上に素晴らしかった。携帯から初めて写真添付。うまくいくかな?【追記】息子の家に立ち寄り、息子一家と合流して沼田町の「夜高あんどん祭」に行った。会場に着いたのは6時半過ぎで、会場一帯は人で混雑していた。どこをあんどんが通るのかもよくわからなないまま、夕食前でお腹がすいている孫たちに何か食べさせなければと、出店でたこ焼きやホットドック、焼きそばなどを買ったが、屋台近くのテーブルやいすなどは当然空いてはいない。大人ならば立って食べることができるけれど、6歳と4歳ではそれも難しい。仕方ないので、人がズラーッと並んで座り込んでいる道路脇の歩道部後方に座り込み、バックなどをテーブル代わりにして孫達に食べさせはじめた。その場所は、商店街というよりは住宅街の一角で個人宅の玄関出入り口の脇だったのだが、その他の場所には入り込む隙間も無かったので、申し訳ないけどお許しいただこうと思ったのだ。するとまもなく、ゴザを持ってその家のご主人が声をかけてくださった。「これ敷いて見物してください。もう少しでこの場所を、行灯の大きいのが通るからね」「エーッ、そんな、申し訳ないです。孫達に食べさせたら、立って見ますから」と言ったが、「いいんですよ。私たちもここから見るんですから。 せっかく遠くから来てくれたんでしょ。ゆっくり見て行ってください」そういう初老のご主人の後方から、奥さんを始めとするご家族も出てくる。お嫁さんか娘さんか、優しそうな女性が、四歳の孫のために、小さな子供用の椅子まで持ってきてくれた。私たちの驚きや恐縮など関係なく、孫はすぐに「ありがとう」と言って、ちゃっかりとその椅子に座ってしまった。ここまできたら、遠慮なくご好意に甘えることにして、その家の前の特等席で、その親戚のような顔をして行灯見物」をすることになった。本当にありがたかった。予想以上のあんどんのすばらしさに感動した以上に、見物に来た人を温かく受け入れ歓迎しようとする沼田町の人たちの気持ちを感じ、このお祭りが4,000人ちょっとのこの町で、これほど盛大に続いている秘密があるような気がした。北海道のこんな小さな町にも、こんなにすばらしいお祭りがあります。私の携帯電話でのカメラの写真では、そのすばらしさがわかりません。ぜひ、リンク先の写真をご覧ください。そして、機会があればぜひ沼田町に本物を見に行ってくださいね。
2006年08月26日
コメント(2)
太陽系惑星 冥王星を除外 賛成多数で最終案採択 IAU【プラハ会川晴之】チェコのプラハで総会を開いている国際天文学連合(IAU)は最終日の24日、全体会議で惑星の定義案を議決、1930年の発見以来76年間、第9惑星の座にあった冥王星を惑星から降格する最終案を賛成多数で可決した。太陽系の惑星は一つ減って8個になった。全体会議に出席した数百人の科学者による投票で、教科書を書き換える歴史的問題が決着した。 可決された定義は、太陽系惑星を(1)太陽を周回する(2)自らの重力で球状となる(3)軌道周辺で、圧倒的に支配的な天体--と規定。「水金地火木土天海」の八つが惑星となる。軌道周辺に同規模の天体があり3番目の条件を満たさない冥王星は、惑星から外れた。 冥王星や03年に発見された冥王星より大きい2003UB313、小惑星セレスは、惑星とは異なる「矮(わい)惑星」となる。 水星から海王星までの八つを「古典的惑星」とする一方、冥王星などの矮惑星も惑星の一種とする対案も提出されたが、否決された。 惑星の定義案とは別に、冥王星を海王星以遠にある天体群の典型例と位置づけることも可決された。ただ、その名称を「冥王星系天体」とすることは否決された。IAUで名称の議論を続ける。 観測技術の進歩で冥王星周辺で新天体の発見が相次ぎ、「惑星とは何か」を巡る議論が盛んになったため、IAUは2年前に惑星の定義づくりを始めた。惑星を専門とする天文学者には最終案支持が多かったが、冥王星の社会的認知度を重視する人々など、他分野の専門家にはさまざまな見解があり、複数の案を提示して決着を図った。 ◇ ◇ アニメ「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」では、冥王星は敵の前線基地が置かれたり、人間の墓地として利用されるなど、太陽系の重要な惑星として描かれた。 原作者である漫画家の松本零士さん(68)は「冥王星こそが太陽系の果てで、そこを離れることが太陽系から外宇宙に旅立つことだと描いてきた。今回の決定は、論理的には正しいのだろうが、多くの人が少年のころから抱いていた夢、心情的なものにも配慮してほしかった。心構えができていないうちに突然決まってしまった感じがする」と残念そう。そのうえで「冥王星はこれからも太陽系の一族だ」と強調し、存在感が低下しないよう何らかの形で配慮してほしいと訴えている。 ▽観山正見・国立天文台長の話 他の八つの惑星とは形成過程が明らかに違う冥王星が惑星に入らなかったことは、適切な結果だ。冥王星がなくなったわけではなく、残念に思う話ではない。今回の議論の内容を国民の皆さんに正確に伝えていきたい。(毎日新聞) - 8月25日 「すいきんちかもくどってんかいめい」と太陽系の惑星の名前を覚えた身としては、「どってんかい・・」で止まるのはちょっとズッコケル感じがするが、それ以上の不都合は別に無い。でも、このことでテンテコマイをする人達もいらっしゃるのだろう。だけど、冥王星はそんな地球人の悲喜こもごもなんて全く関係なく、今までどおり悠々と宇宙を回り続けるだけだ。すこしズッコケル感じはするけれど、天文学にさほど興味のない私にも、これは納得できる再定義だ。子どもの頃から、「同じ惑星のなのに、どうしてこんなに動き方が違うんだ」と不思議だった。太陽系惑星を兄弟としたら、全く協調性のない身勝手な弟という感じだもの。個性の異なるものをはじき出したような気もするが、太陽を回っていることに違いはないのだろう。これからの子供達は、太陽系の惑星は「土(どっ)天(てん)海(かい)」までしか習わず、冥王星は忘れられてしまうのだろうか。漫画家の松本零士さんには、何かの都合で持ち上げられたりはずされたりする星の運命をテーマに、新しい漫画を描いてもらいたいな。
2006年08月26日
コメント(2)
本州に住む幼馴染が一泊二日でやってきたので、二日間行動を共にした。彼女は、小学校四年生のときに転校してきたのだが、その時以来の友人である。クラスメートとして仲良くしたのは小学校の頃だけなのだが、彼女が転校してからも私の「筆まめ」が功を奏して、現在まで友人として付き合っている。彼女の希望に応じて恩師や友人を訪ね、一緒に昔話などを楽しんだ。夜は同じホテルに泊まって、じっくりと色々な話をすることができた。二人だけで話すことは、彼女が独身の頃に遊びに来て以来のような気がする。今回話をしてみて、忘れていた昔のことをずいぶん思い出した。あまり思い出したくないことまでも・・。青春というのは、本当に恥ずかしいことが多いものだと思う。でも、この年になると、すべてが過去の思い出として整理されるのか、あまり心がざわつかずに話すことができたように思う。話の合間に、彼女が聞いた。「もしも、私が転校せずに北海道に住んでいたら、私たちどんな友達だっただろうね」私、「うーん、それほど仲良くしていないかも」彼女「えっ! どうして?」私 「だって、近くにいたら私は手紙を書かなかっただろうから」彼女「ああ、そうかもしれないね」離れているからこそ、結びつきが強くなるということもあるのだ。
2006年08月25日
コメント(0)
「裏金で寄付されても…」ユニセフが岐阜県に返還へ 岐阜県庁の裏金問題で、職員個人や各課で保管していた裏金の一部が、国連児童基金(ユニセフ)をはじめ、複数の慈善団体などへの寄付金に充てられていたことが22日、わかった。 総額は約1940万円で、一部は裏金問題が発覚した今年7月まで行われていた。手元で保管しづらくなった裏金処理のために続けていたらしい。 ユニセフは「公金でつくった裏金の寄付は非常識。事実が確認されれば、全額を返還する意向を県に伝えた」としている。 寄付は1999年に始まり、岐阜県などが出資する財団法人「愛のともしび基金」など福祉財団にも送られていた。ユニセフへは、現金書留や現金を入れた封筒が偽名で送られていたほか、裏金を管理していた人物が個人名で2003年から06年にかけ、毎月3000円を自動振り込みしていたケースもあった。日本ユニセフ協会によると、裏金による寄付は60万~70万円に上るという。(読売新聞) - 8月23日個人名で送金していた人、自分の寄付金控除などに利用してないでしょうね。
2006年08月23日
コメント(0)
この数日、湿った天気が続いている。気温は25℃前後らしいが、湿気が強いので蒸し暑く感じる。明日・明後日と、関西の友人が来るのだけど、爽やかな北海道というわけにはいかないようだ。昨日、電話で明日のことを話した時、「せっかく北海道に来るのに、パッとしない天気で残念。 今も、蒸し暑いよー」というと、「気温はどのくらい?」と聞く。「うーん、25℃前後かなあ」と応えると「ヘエッ?! そんなの暑いとは言わないんだよ」と鼻で笑われた。そうだろうけど、私はこんなこのような状態が蒸し暑いのだから、しかたがない。この天気、あと二日ほど続くようだ。早くすっきりとした青空が見たい。
2006年08月22日
コメント(0)
<高校野球>早実、悲願の初優勝 駒大苫小牧3連覇成らず 2006年8月21日(月) 15時5分 毎日新聞 両校とも、本当によく頑張った。最後は、文字通りエース対決。最後の瞬間まで緊張感のあるすばらしい試合だった。斉藤君、田中君、本当にお疲れ様。感動をありがとう。【追記】8.22記クールな右腕、初Vに涙 3連覇止めた早実・斎藤 [ 共同通信社 2006年8月21日 ] 悔いなし、最後にいい試合 笑顔の“北の怪物”田中 [ 共同通信社 2006年8月21日 ]
2006年08月21日
コメント(8)
駒大苫小牧・早実、1-1で引き分け 37年ぶり再試合いやー、両校ともよく頑張った。両投手の壮絶な投げ合いに、両者とも「すごい!」の一言しかない。でも、打撃では早実の方が良かったと思うから、やっぱり「負けない駒苫」である。決勝戦が延長になって、さらに再試合なんて、駒苫は歴史的な伝説をつくってくれたような感じ。苫小牧から甲子園に行った応援団は、そのまま残るのだろうか。泊まるところあるかなと、変なことを心配してしまう。明日から仕事の人たち、どうするんだろう。「こんな歴史的な日に、仕事なんてどうでもいいっしょ!」そんな声が聞こえてきそう。(夫は、「仕事行きたくないなー」って言ってます。今週は夏休みだったのに)明日はどうなるのだろうか。両校とも優勝って、ダメかなー。<高校野球>白熱の投手戦…37年ぶりの決勝引き分け再試合 2006年8月20日(日) 18時8分 毎日新聞
2006年08月20日
コメント(2)
この記事を読んだ時、何かの間違いじゃないかと目を疑った。裏金で停職の職員に“裏生活費”、岐阜県で7人判明 (8月19日3時6分 読売新聞)ほかにも色々あるんじゃないですか?
2006年08月19日
コメント(2)
駒大苫小牧、V3へ王手 全国高校野球選手権勝ってしまいました。あとは優勝か準優勝しかないわけで・・。私は野球はよくわからないけど、この三年間の駒大苫小牧の勝利は、田中投手のおかげなのかも・・。本間篤史キャプテンも頼りになるし、明日も楽しみ。
2006年08月19日
コメント(0)
<漁船銃撃拿捕>北方四島を実効支配されている現実が厚い壁 (毎日新聞) - 8月19日<漁船銃撃拿捕>外務政務官ら国後島沖合に到着 (毎日新聞) - 8月19日地図で見たら一目瞭然だし、根室の納沙布岬に行ったら驚くのだけれど、拿捕された地域は北海道からすぐ見える場所だ。【参考】北方領土の位置と面積今回拿捕されたのは貝殻島周辺らしいが、この島は北海道から3.7キロ。まさに、目の前に見える島なのだ。今回拿捕された漁船は、残念ながら確信犯のようであるが、それはこの船だけのことではない。危険を承知で漁をせざるを得ない現実がある。それに、いかなる事情があろうと、人間に向けて銃で撃つのは間違っている。絶対に正当防衛とはいえないと思う。これに対しては、もっと強く抗議しても良いのではないか。ロシアとの折衝や遺体引取りに行く人たちの顔ぶれをみても、政府はこの問題を軽んじているような気がしてならない。
2006年08月19日
コメント(4)
先日、子どもや家族のことで悩みを抱える何人かの人たちと話をしていた時のことである。その集まりでは、政治や宗教、商売のことなどでの勧誘の話はご法度になっているので、今まで、それぞれが信仰する宗教のことなどを話すことはなかった。たまたま「摂理」のことが話題になっていて、「オウム真理教もそうだったけど、どうして若い大学生たちがあのような宗教まがいのことに惹かれるのか・・」という話になった。私自身は特定の宗教を持っていないことは、この日記でも時々書いているが、信仰を持つ人に対しては、私は好意的だ。しかし、どう考えても理不尽で怪しいことを盲目的に受け入れることは、とても危険なことだと思っている。だから、一般的ではないことに対しては、少しは疑ってみることも大切だと。・・と、そんな話をした時に、一人の青年が口を開いた。「実は、母が昔○一教会にはまってしまって、それが原因で両親が離婚寸前になったのです」私は心底驚いた。その母親とも何度も話をしているし、以前に別れ話があったことも聞いていたが、それが原因だったとは・・。それが口火となり、「実はうちのやつも・・」と、別の人も話し始めた。その人は、宗教ではないけれど、子どもの教育方針でとても極端な信念を持っているとのこと。そのことで、家庭生活がとても窮屈なものになっていたらしい。うーん、家族の悩みの影には、生真面目すぎる極端さがあるかもしれない。私の知っているカルト系宗教に入っている人は、みんなとても真面目で優しい人ばかりである。その集団内では、みんな家族以上に親身に助け合うこともあるようで、それがまた精神的に信頼感や安心感をもたらし、いよいよはまってゆくのかもしれない。しかし、そのことが一番身近にいる家族を悩ませているとしたら、それはどのように受け止めているのだろう。私には、それがどうもよくわからない。そのことで家族内で緊張感が生まれ、親子や夫婦関係もギクシャクし、それが要因となって誰かにしわ寄せがゆき(たいていは子ども)それがまた悩みの種となって、いよいよ宗教の力に頼ろうとしていったり・・。つまり、悪循環に入ってゆくわけである。そんな話を聞くと、私はまた自分の信念が強まるのを感じる。「何事も極端は良くない」「バランスが大切」「ほどほどが何より」うーん、この信念に固執するのも危険なのかな?
2006年08月18日
コメント(6)
東洋大姫路(兵庫) - 駒大苫小牧(南北海道) の試合終了。またもや、逆転勝利それにしても、 駒大苫小牧は負けない。この強さの秘密は、どこにあるのだ?私は、甲子園三連覇など期待しては可哀想だとずっと思っているのだが、ここまできたら欲が出てしまう。しかし、無理しすぎて田中投手が体を壊さないかと、それが心配。この甲子園で野球はオシマイという選手ではないだけに・・。だから、あまり無理せずに頑張って欲しい。かつては、「せめて一回戦は勝って欲しい」と思っていた北海道チーム。こんな時代が来るなんて、考えてもみなかったなー。ありがとう、駒大苫小牧
2006年08月17日
コメント(2)
家族たちの夏休みのために、慌ただしい数日を過ごした。今日は小雨交じりの天気だが、息子一家が来ていた数日は天候にも恵まれ、いつもは静かな我が家が、孫たちの歓声が響いていた。一緒に遊びに出かけたり、食事をしたり、暑苦しいとゴロゴロしながらも、孫の寝息や寝顔の愛らしさに思わず笑ってしまったり・・。これが、やっぱり幸せというものだろうとしみじみと思う。13日は息子一家の初キャンプのために、物置や押入れにしまいこまれていたキャンプ用品も再登場した。息子たちが用意したのは「ダッチオーブン」と食材。それらを車に積み込み、私たちも一緒に支笏湖のキャンプ場に行き、ワイワイ騒ぎながらテントを張ったり石で竈を作ったり・・。子どもたちが小さい頃と同じような光景がそこにあった。久しぶりに湖に遊んで、キャンプは初体験というお嫁さんに多少のアドバイスをして、私たち祖父母・曽祖父母(私の両親)は帰宅。キャンプは、子どもたちと両親の濃密な時間を作るためのものだと思っているから・・。食事をするためには竈を作って、薪を拾って火を起こし、火加減に注意しながら鍋の様子を伺い、多少焦げたり、灰の調味料が加わった食事をし、次第に暗くなる周囲の風景を存分に味わい、星空の下で花火やキャンプファイヤーを楽しむ。そんな時間は、日ごろ忘れている生活の原点を思い出すものだ。キャンプに行くと、幼い子どもたちでも重要な助っ人になれる。みんなが助け合う楽しさや喜び、それが生きる原点のように思う。私は一人でもさほど寂しさを感じるタイプではなく、孫たちに対しても「来てよし、帰ってよし」という祖母だけど、時々豆台風のようにやってくる時間は、生きていることのありがたさを感じさせてもらえる。目を政治や世界に転じれば、心痛んだり腹が立つことが多いが、どんな世界に生きる人にとっても、喜びとは家族や身近にいる人が笑顔でいること。ひもじい思いや危険を感じることなく、安心して眠ることができること。それは誰だってよくわかっていることのはずなのに・・。私は、自分の家族の命を誰かに奪われたくない。他の人の命を殺めるようなことは、自分はもちろん家族にはしてほしくない。復讐心に心を奪われたり、単純な正義感で他人を否定したりしたくない。孫たちや家族の笑顔に囲まれながら、何度も何度もそう思った。幸せは、こんなささやかなことで良いのだ。これ以上、何を望もうか。
2006年08月17日
コメント(0)
記録として載せておく。根室漁船銃撃、1人死亡 ロシア警備艇が拿捕 カニ密漁で聴取 貝殻島付近 北海道新聞2006/08/16 【根室】第一管区海上保安本部(小樽)によると、十六日早朝、根室半島沖の北方領土・貝殻島付近の海域で、根室湾中部漁協所属のカニかご漁船、第31吉進丸(四・九トン、坂下登船長ら四人乗り組み)がロシア国境警備隊の警備艇から銃撃を受け、甲板員の根室市千島町一の二二、盛田光広さん(35)が死亡したとの情報が同警備隊から入った。同船は拿捕(だほ)され、国後島古釜布に連行されているという。海上保安庁によると、北方四島周辺でロシア(旧ソ連)側から日本漁船への銃撃で死者が出たのは、一九五六年十月以来。 他の乗組員は、同漁協組合長の坂下船長(59)=同市温根沼三○五の六=、甲板員川村昭充さん(29)=同市明治町一の一=、同紙屋春樹さん(25)=同市昭和町四の一七二=。一管本部がロシア側に確認したところ、三人とも無事という。 ロシア治安当局関係者によると、日ロ中間ラインを越えたロシア主張領海内で操業していた吉進丸に停船を命令。同船が従わずに蛇行して逃げようとしたため、威嚇発砲したところ、漁獲した海産物を海中投棄していた乗組員に銃弾が命中したという。無許可操業の疑いで船を調べたところカニ三十キロ、タコ十キロ、カニかご二十五個が見つかったとしている。 水産庁によると、貝殻島付近はコンブ漁についての民間協定はあるが、ロシア側はカニかご漁は認めていないという。 一方、拿捕後に坂下組合長から同漁協組合員に電話があったといい、関係者によると、「照明弾を撃たれた後、威嚇というより、まともに撃ってきて、(盛田さんの)頭に弾が当たった」などと話していたという。 同漁協によると、吉進丸は十六日午前零時に根室の花咲港を出港し、同日午前十時ごろに戻る予定だった。 道は今月十日までに、ロシア国境警備隊から「七月以降、越境操業する日本漁船がある」と指導徹底を要請され、十一日付で同漁協を含む根室市内の四漁協に文書で指導していた。 北方領土周辺では、終戦直後から旧ソ連による拿捕事件が多発し、国境警備隊の銃撃で死傷者も出た。旧ソ連崩壊後の一九九○年代にも、日本側からの越境漁船に対する銃撃事件が相次ぎ、日ロ間で国際問題となった。 こうした事態を受け九八年二月、当時の小渕恵三外相とネムツォフ・ロシア第一副首相との間で、北方四島周辺での日本漁船の安全操業に関する協定を締結。同年十月、羅臼漁協所属の漁船二十隻が初出漁した。 以後、ロシア側による銃撃事件は激減。二○○○年四月、宮城県の遠洋底引き網漁船が根室市落石岬南方沖の海上で銃撃、拿捕される事件が起きたが、九八年の安全操業の協定締結後、北方四島周辺での銃撃事件は起きていない。海上保安庁に記録が残る五○年三月以降、ロシア側から日本漁船への銃撃は今回で四十件目。
2006年08月16日
コメント(0)
午後から、息子一家がやってきます。来週は、夫が夏休み休暇となりますし、パソコンからの更新はあまりできないかもしれません。はっきり言って、みんなの夏休みは私の「繁忙期」となります。まあ、いつも自分のペースで生活しているのですから、たまには「妻や母、ばあちゃんと娘」という四役を、目いっぱい味わうのもよろしいかと・・。今日は、北海道らしい涼しい風が窓から入ってきて、「お盆だな」という感じです。
2006年08月12日
コメント(0)
性的暴言の特養「さくら苑」、処分見直しで施設長解任 (読売新聞) 東京都東大和市の特別養護老人ホーム「さくら苑」で、男性職員が女性入所者(90)に性的暴言を浴びせた問題で、さくら苑を運営する社会福祉法人「多摩大和園」は9日、当初の処分内容を見直し、玉川桜子苑長を同日付で解任して本部付とし、男性職員2人も最終的な処分決定まで自宅待機とした。 問題発覚後、同法人は玉川苑長らを減給に、職員を5~7日の出勤停止処分としていたが、批判が高まり処分を見直したとみられる。 今後、苑長を兼任する足利正哲常務理事は男性職員2人について「介護の現場には戻さないだろう」とした。 また、第三者で作る人権侵害調査委員会と内部の改革委員会を新たに設置し再発防止を徹底するとした。 [ 2006年8月9日 ] このような事件は、多分後を絶たないだろう。特養に入るような状態の高齢者を、在宅で家族が介護することは大変なことだ。だから、待機者はとても多いし、やっと入所できたらたとえ虐待が疑われても、それを指摘して改善を求める家族は少ないだろうから・・。それを「家族なのに・・」と責める気持ちには、私はなれない。暴言や体罰などをする人は、それをあまり悪いことだと思っていないのが通常だ。だから、多少の処分をされたとしても、少しの間はおとなしくしているかもしれないが、時間の経過と共に同じようなことをするだろう。それも、「罰せられた」という経験から、イジメや暴言・体罰は、さらに陰湿になって・・。そのようなことを、入所者も家族も多少なりとわかっているから、「どうしてもここでお世話にならなくてはならないのだから」と、見て見ぬふりをしたり、我慢ししたりもしてしまう。それが、相手をさらに付け上がらせる。だからこそ、このような虐待行為があった時には、キチンと第三者機関に匿名で通報できる仕組みをつくり、通報された場合は速やかに調査して、事実が明らかになった職員は、即刻解雇するくらいの処分が可能にして欲しい。施設の運営や職員の質は、施設長や管理者の方針が大きく作用する。このような問題が出た時の管理責任は大きい。また、施設職員の人手不足も、処遇の悪化と連動するのは当然のこと。ぜひ、せめて人手不足だけは解消できるようにと願う。優秀な人材確保のためには、処遇改善も大切なのかもしれないが、福祉現場を垣間見ていると、複雑な気持ちになることもある。正規の職員(お給料も福利厚生もバッチリ)よりも、身分が不安定な臨時や非常勤職員のほうが、ずっと良い仕事をしていることも多いのだ。身分が安定すると、人間はモラルを喪失する傾向があるのだろうか。だから、単にお給料を上げるだけでは、問題は解決しないように思う。たとえ認知症の人であっても、いや、だからこそ、「良い職員」「ダメ職員」ははっきりと見分けることができる。人気投票というわけにはいかないだろうが、頑張って良い仕事をしている職員の人には、それを評価する仕組みもあってほしい。誰かに認められること、自分の仕事で相手が喜んだり感謝してくれること、それが高いモラルにつながることは多いのだ。
2006年08月11日
コメント(5)
8月6日の、広島の平和記念式典での小泉首相の式辞を、「きっこのブログ」で見つけた。その式辞の部分だけを、コピーさせていただく。広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式 内閣総理大臣挨拶 今から六十一年前の今日、原子爆弾の投下により、十数万ともいわれる尊い命が一瞬にして失われ、この広島の地は、廃墟と化しました。 本日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。 また、今なお被爆の後遺症に苦しんでいる方々に、心からお見舞い申し上げます。 政府は、被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。昨年秋からは、在外の被爆者の方々が、我が国の在外公館を通じて手当ての申請ができるよう制度改正を行ったところです。今後とも、被爆者の方々の実情を踏まえた諸施策を誠心誠意推進してまいります。 広島は、焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として、大きく成長しています。今日まで、広島の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。 私は内閣総理大臣として、平成十三年以来、過去五回ずつ広島と長崎の両方の犠牲者に対する慰霊・平和祈念式典に参列してまいりました。我が国は人類史上唯一の被爆国として、その経験を国際社会に語り継いでいく責任があります。 広島、長崎の悲劇は、いずこにおいても再び繰り返されてはならないとの決意の下、我が国は、戦後六十一年の間、不戦の誓いを体現し実行してきました。 私は、ここ広島において、本日の式典に臨み、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、今後とも、憲法の平和条項を遵守し、非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立ち続けることを改めてお誓い申し上げます。 終わりに、犠牲となった方々のご冥福と被爆者並びにご遺族の今後のご多幸、そして広島市の一層の発展をお祈り申し上げます。 平成十八年八月六日内閣総理大臣 小泉純一郎9日の長崎での式辞も、見つけ次第転載してみようと思う。多分、ほとんど同じだろうと思うけど・・。エライ人の式辞は、自分で書くことはほとんどないだろう。担当者が前例を踏襲しながらあたりさわりなく、日時や年次を間違えないことにだけ注意し、少しばかり独自性を入れたければ、言い回しなどを少し変えたりして・・。エライ人たちは、それを事前に受け取り、少しは誠実な人ならば読み方の練習をし、気持ちを込める場所を確認したり、言い回しが自分と合わなければ多少修正して読むのだろう。ずーっとずーっと昔のことだけれど、わが町の首長の挨拶原稿を見たことがある。大きな字で、ご丁寧に漢字にルビまでふってあった。その首長は少し目が悪かったのかもしれないが、その文字の大きさとルビには、本当に驚いた。でも、そのおかげかどうか、挨拶は割合簡潔で、聞いている者にはありがたかった。その次の首長は、自治体職員として式辞を準備するような仕事もしていたはずだ。彼は、全部自分でやりたいタイプだったらしく、担当者の作成する原稿は真っ赤に赤ペンで修正していたという。その上に、「あれもこれも言わなくちゃ」と思うらしく、やたら挨拶が長くなって、「何でも程度というものがあるだろう」と、いつも彼の挨拶が始まると時計を見て時間つぶしをしていた。ダラダラあれもこれも話すより、簡潔なルビ付挨拶のほうがマシと思ったものだ。そんなこともあり、私はエライ人の挨拶にあまり意味を求めようとは思わない。でも、一国の代表の言葉というものは、そこらの小さい市町村の長とは責任の重さが違う。できることならば、もう少し心に響く言葉、内容のある挨拶をしてほしい。小泉氏にはもう何も期待していないけれど、次の誰かには期待できるのだろうか。どんどん威勢だけ良くなるのでは、むなしいより困るけど。【追記】哲さんのブログで紹介されていたのでアップ。やっぱりね 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典内閣総理大臣挨拶 今から六十一年前の今日、原子爆弾の投下により、七万人ともいわれる尊い命が一瞬にして失われ、この長崎の地は廃墟と化しました。 本日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。 また、今なお被爆の後遺症に苦しんでいる方々に、心からお見舞い申し上げます。 政府は、被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。昨年秋からは、在外の被爆者の方々が我が国の在外公館を通じて手当の申請ができるよう制度改正を行ったところです。今後とも、被爆者の方々の実情を踏まえた諸施策を誠心誠意推進してまいります。 長崎は、焦土から立ち上がり、歴史がいきづく観光都市として、大きく成長しています。今日まで、長崎の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。 私は内閣総理大臣として、平成十三年以来毎年、長崎と広島の両方の犠牲者に対する慰霊・平和祈念式典に参列してまいりました。 我が国は、人類史上唯一の被爆国として、その経験を国際社会に語り継いでいく責任があります。 長崎、広島の悲劇は、いずこにおいても再び繰り返されてはならないとの決意の下、我が国は、戦後六十一年の間、不戦の誓いを実現し実行して参りました。私は、ここ長崎において、本日の式典に臨み、犠牲者の御霊と長崎市民の皆様の前で、今後とも、憲法の平和条項を遵守し、非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立ち続けることを改めてお誓い申し上げます。 終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の今後の御多幸、そして長崎市の一層の発展をお祈り申し上げます。平成十八年八月九日内閣総理大臣 小泉純一郎
2006年08月10日
コメント(4)
裏金で貸付制度、梶原前知事も利用…未返済700万円 (読売新聞) - 8月9日 岐阜県庁の裏金問題で、県職員組合が、裏金を原資に複数の貸付制度を設立していたことがわかった。職務に関して訴訟を起こされた職員に弁護士費用などを貸し付けていた。 梶原拓前知事は8日、県庁内で行った記者会見で、裏金を原資とした訴訟費用の貸付制度を自ら利用していたことを明らかにした。前知事は、貸付制度が裏金で成り立っているとの認識はなかった、と弁明したが、退職後の現在も約700万円が未返済のままになっている。 貸付制度は、全庁の裏金を職員組合に集約した1998年度、「住民訴訟費用に充てる」ことなどを目的に、約700万円の裏金を元に設立された。職務に関して訴訟を起こされた職員に弁護士費用などを貸し付ける。現在は組合費から繰り入れを行い、約6000万円で運営している。裏金問題は、多分程度の差はあれどこでもあるのかもしれないと思いながら、深い関心を持たずに横目で見ていたのだが、飲食費などよりは良いと判断したのか、貸付制度とは・・。ここまでするということは、裏金に対するやましさなんて全くなくなっていたということではないのか?前知事にいたっては、「どうせ裏金だから」と返済してなかったんじゃないの。どんな理由で借りたのかも含めて厳しく追求して、倍返しさせなさいよ。外務省が定員大幅増 来年度要求へ (産経新聞) - 8月7日 外務省は6日までに、「戦略的外交」の実現に向け、2000人規模で職員の大幅拡充を目指す方針を固めた。8月末の平成19年度予算の概算要求で数百人の増員に加え、大使館の新設も求める。ただ、財務省は歳出削減を求めている上、国家公務員を5年間で5%以上純減するという目標もあることから、年末に向けて激しい綱引きが繰り広げられそうだ。 外務省によると、現在の定員は約5500人で中国より約1700人少なく、米国の約4分の1。大使館は国連加盟国192カ国のうち116カ国に設置しているが、アフリカでは53カ国のうち24カ国にとどまり、米国や中国の45カ国に比べて「大きな後れをとっている」(幹部)という。 外交力強化を目指す背景には、アフリカやソ連崩壊を受けて誕生したバルト諸国に対して急速に影響力を強める中国の動きを牽制(けんせい)する狙いもある。自民党の「外交力強化に関する特命委員会」(森喜朗委員長)は8日に初会合を開き、外務省の定員増や在外公館拡充などを議論する。戦略的外交ができないのは、人手不足のせいですか?これ以上、特権的待遇を享受するような外交官や政治家を増やして、どうするの。本当に使命感と能力のある少数精鋭に絞ったほうが、よほど効率的で実のある仕事をするんじゃないかと思ったりする。お手盛り予算要求は、もうやめて欲しい。外務省って、本当にずうずうしいと思う。
2006年08月09日
コメント(6)
毎日毎日、本当に暑い。今日も朝からグングン気温が上がり、正午近くに市内の温度表示を見たら35.1℃。午前中は、乳幼児健診会場でのボランティアだったのだが、自転車で会場まで行った時点で、ドッと汗が噴出してくる。それでも、会場内はクーラーが入っていたので助かった。自宅に戻る時にも、自転車をこぎながらクラクラしてくる感じ。帰宅してからすぐに扇風機の前にへばりつく。あー、クーラーが欲しい!!この暑さ、いつまで続くのだろう。週間天気予報を見ると、まだしばらく続きそうだけれど、台風はこっちへは来ないのだろうか。
2006年08月08日
コメント(2)
日記リンクしているmsk222さんが田中氏を応援していたので、この結果は少し気にしていた。結果は・・それぞれの記事の、必要なところだけコピーしておく。長野県知事選で新人の村井氏が当選、現職の田中氏敗れる (産経新聞) - 8月7日▽長野知事選(開票終了) 当 612725 村井 仁 無新 534229 田中 康夫 無現 ◇ 村井仁(むらい・じん)69 無新(1) 元衆院議員(国家公安委員長・内閣府副大臣)長野市・東大康夫劇場に「NO」…かつての支持者も次々離反 (読売新聞) - 8月7日 県議会との対立、過剰なパフォーマンスで注目を集め、3度目の選挙戦に臨んだ長野県知事の田中康夫さん(50)に、6日、県民は「ノー」を突きつけた。 無党派のボランティアらの支援を受け、選挙ムードを盛り上げてきたこれまでとは大きく様変わりし、有力支援者らが次々と離反する中で初めて「守りの選挙」を強いられた田中さん。 死者・行方不明者13人を出す豪雨災害も重なり、元防災相で経験豊かな村井仁さん(69)との激戦は、独自に掲げた「脱ダム宣言」の功罪も、厳しく問われた。 「信じられない」。長野県松本市の田中さんの選挙結果報告会場では、早々に村井さんの当選が確実になると、テレビの前に集まった約100人の支持者からため息が漏れた。長野知事選、村井氏が初当選…田中氏3選阻む (読売新聞) - 8月7日 田中氏のトップダウン型の政治手法が問われたが、村井氏は、県議会や市町村長と対立する田中氏の姿勢を争点化し、批判票の結集に成功した。 田中氏は「脱ダム」政策など公共事業を抑制して財政健全化を目指す「改革路線」の継続を訴えたが、及ばなかった。投票率は65・98%(前回73・78%)だった。 当選した村井氏は、「責任の重さを改めて実感している。県民の皆さまと対話し、各市町村長や議会、市民団体の声に謙虚に耳を傾け、建設的な県政運営に力を尽くしていきたい」と述べた。同時に「決して改革を後戻りさせず、しっかりやって参りたい」とし、県政改革に取り組む考えを強調した。 私たちは、目新しいものには飛びつくけれど、すぐ飽きてしまう傾向性があるように思う。それは、政治などについて同様のような気がした。それと、自分にとって目に見える不都合があると、それだけで批判するという傾向も・・。投票率は、前回より下がったとはいうけれど、さほど低いとは思えない。これはやはり、前回田中氏を支持した人が転向したということだろう。それはなぜなのか。どうみても、新人とは思えず、旧来型の政治家に見える村井氏だが・・。洋食傾向に飽きて、昔ながらの和食がいいという感じなのか。村井氏は「「決して改革を後戻りさせず、しっかりやって参りたい」と言っているようだが、それは、田中氏の改革路線は踏襲するということなのか?さて、この選択で長野県がどうなってゆくのだろうか。
2006年08月07日
コメント(4)
<広島原爆忌>平和記念式典に4万5000人が参列 (毎日新聞) - 8月6日 核兵器の拡散が懸念され、テロや紛争が世界を脅かす中、被爆地・ヒロシマは6日、61回目の原爆の日を迎えた。広島市中区の平和記念公園で催された平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)には約4万5000人が参列。広島市の秋葉忠利市長は平和宣言で、「人類は今、すべての国が核兵器の奴隷となるか自由となるかの岐路に立たされている」と指摘。同市が中心となり、世界1403都市が加盟する「平和市長会議」から、都市を核攻撃の目標としないよう核保有国に求める運動を展開すると表明した。 秋葉市長は平和宣言で「被爆者の声は心ある世界の市民に広がったが、世界政治のリーダーたちはその声を無視し続けている」と批判した。北朝鮮やイランへの核兵器の広がりや、米国による小型の「使える核兵器」の開発推進が懸念されている。イラクやレバノンでの戦闘で、多数の市民が犠牲になっている。 日本も、在日米軍再編を受けた基地問題に揺れ、平和憲法を巡るせめぎ合いが続く。一方、被爆者に対する援護は今なお行き届かず、原爆症認定訴訟では大阪、広島の両地裁で被爆者側の勝訴判決が相次いだ。平和宣言は、政府に対し、平和憲法順守を前提に、核兵器廃絶に向けた世界的運動の展開や、高齢化した被爆者への援護策の充実を求めた。 オランダ・ハーグの国際司法裁判所が「核兵器の使用は一般的に国際法違反」と勧告してから10年がたつ。平和宣言は核保有国だけでなく、多くの市民が真正面から勧告を受け止めていれば、核兵器は廃絶されていたはずだと指摘。「固い意志と情熱を持って私たちが目覚め起(た)つ時が来た」とも呼びかけた。 式典は午前8時に開始。秋葉市長と遺族代表2人が、この1年間に死亡、または死亡が確認された被爆者5350人の名簿3冊に加え、今年新たに、名前さえ分からない多くの死没者を追悼するため「氏名不詳者 多数」と記した名簿1冊を原爆慰霊碑下の奉安箱に納めた。原爆死没者名簿は計89冊、死没者数は計24万7787人に上る。また、こども代表として日米両国籍を持つ小学6年のスミス・アンジェリアさん(12)らが「平和への誓い」を読み上げた。 続いて小泉純一郎首相、伊藤一長・長崎市長らが献花。原爆投下時刻の午前8時15分、参列者は1分間の黙とうをささげた。式典には過去最多の35カ国の駐日大使らが参列した。【田中博子】毎年のことながら、小泉首相の式辞が通り一遍で虚しく感じてしまう。
2006年08月06日
コメント(6)
この数日は、本当に暑い。ちゃんと温度計を見ていないのでよくわからないのだが、今日も絶対に30℃を超えていると思う。3日(木)から昨日(土)まで、夏休み慰問で息子の家に行っていたのだが、そこでもとても暑かった。昨日の夕方、自宅に戻る途中にある温度計で午後4時頃なのに「35.5℃」という表示を見たときにはクラクラした。照り返しのある道路脇の温度計なので、実際にはそれよりは低いとは思うが、あんな表示を見るのはとても珍しい。昨日・今日と、市内は「夏祭り」で賑わっている。こんなにカラッと晴れて気温も高く、二日間共に夏らしい夏祭りは実は珍しい。夜になると気温が下がるのが常なのだが、昨夜は涼しくはなったけれど寒くはなく、会場の広場は最後まで賑わっていたことだろう。小雨交じりだったり、気温が低いと、最後まで店開きをしているのが気の毒になるけれど、今年はビールもずいぶん売れたことだろう。
2006年08月06日
コメント(0)
<奈良高1放火殺人>事件後長男と初面会 父親の医師が手記 (毎日新聞) - 8月2日この父親、自分がやってきたことの意味をわかってるのだろうか。父親、子どもとのふれあい短く 国際比較調査 (朝日) 8月 1日 「1日あたり平均3.1時間」は、私の予想よりは多い印象。もっとも、接する時間よりも、その質の問題だと思うけど・・。顔を見れば「勉強しろ!」だの「お前はダメだ」や、自分が気に食わなければ「しつけ」と称した暴力では、放っておいてくれた方がマシだろう。とはいっても、家族の絆は共に思い出を共有したり、一緒に笑ったりおしゃべりしたりすることで深まるのだから、このような調査も無意味だとは思わない。
2006年08月02日
コメント(6)
慶應大学では、今日から夏期スクーリングが始まっているはず。今頃は日吉キャンパスの各教室で、受講生たちが意欲と期待に満ちて教授たちの講義を聞いていることだろう。慶應だけではなく、通信課程のある各大学のキャンパスは、様々な年代の学生たちが一杯だろう。外気温の暑さと、教室の冷房との温度差は、体調を崩しやすくなる。一日中座りっぱなしの姿勢は、足のむくみを誘発する。講義の後の仲間同士のコミュニケーションは、睡眠不足になりやすい。受講生の皆さん、体調管理に気をつけて、有意義なスクーリングを
2006年08月01日
コメント(2)
感想を書き出したら怒りがこみ上げてきそうだから、記録だけにしておく。それにしても、「国家」って何だろう。カナ爆撃に「謝罪しない」=攻撃続行を宣言-オルメルト首相 (時事通信)8月1日国連安保理、レバノン空爆を遺憾とする声明を採択[国連 30日 ロイター] 国連安保理は30日、イスラエル軍によるレバノン・カナへの空爆で60人以上の死者が出たことを受け、空爆に遺憾の意を表明する声明を採択した。 声明は「極度の衝撃と苦痛」を表明、「罪のない人々の命が失われたことに強い遺憾の意」を示したが、アナン事務総長が提案した即時休戦を求める文言は、米国の反対で盛り込まれなかった。 声明は「永続的、恒久的、持続的な停戦を緊急に実現」することが重要と主張。「危機の永続的な解決」に向けた決議を採択するため「これ以上の遅延なく」作業を進める方針を再確認した。イスラエル、ヒズボラとの戦闘終結を求める国際社会の圧力を無視 (ロイター)8月1日[ベイルート 31日 ロイター] イスラエルは、ヒズボラとの戦闘終結を求める国際社会の圧力を無視し、レバノンに新たに侵攻した。 ライス米国務長官は、イスラエル訪問を終えるに際し、停戦は今週中に実現可能、と述べた。ただ、子供を中心に54人の市民が犠牲になった30日の空爆に国際社会の非難が広がっているにもかかわらず、イスラエルのオルメルト首相は、現段階では停戦はないとの立場を示した。 オルメルト首相は、イスラエル北部の地方当局者を集めた集会で「戦いは続く。停戦はない。今後数日間、停戦はないだろう」と表明した。 国連関係者は、31日に予定していたレバノンへの国際部隊派遣に関する会議は「政治的な環境が明確になるまで」延期された、と述べた。 ヒズボラを支援しているイランのモッタキ外相は31日夜、ベイルートで、フランスのドストブラジ外相と会談。ドストブラジ外相は、紛争の終結にはイランとの連絡を維持することが重要、との認識を示した。 イスラエル政府は、48時間の空爆停止に部分的に合意したと発表。レバノン南部では破壊された地域から市民らが避難し、救助関係者らは被害地域に物資を運び込んでいる。医療関係者によると、倒壊した建物や車両のなかに数日間埋まっていた遺体49体が発見された、という。 一方、イスラエル軍は、レバノンのアイタシャアブに対して、新たに地上部隊による侵攻を行ったことを明らかにした。ヒズボラ側は、ゲリラ部隊がイスラエル軍の侵攻に対し果敢に抵抗している、としている。<プール事故>ふた外れた状態をなぜ放置…怒りの声が噴出 (毎日新聞)8月1日
2006年08月01日
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1