全6件 (6件中 1-6件目)
1
日曜日に隣町の大型店に出かけたら、そこで懐かしい人に会った。以前に(主に)精神障害者の就労支援事業所で仕事をした時、パート職員として働いていた人である。実は彼は、「双極性障害」で障害者手帳を持つ人で、もともとは別の作業所の利用者だったのだが、症状も安定しているということで、事業所を立ち上げる時に社長が職員として雇用したのである。私はその時、精神障害についてさほど詳しくは知らなかったけれど、その人のことを聞いた時に、正直なところ心の中に不安がチラッとよぎった。すべてがゼロからのスタートの事業所運営は、そこで働く者にとってはすべてが手探りであり、利用者もすべて新しい人ばかり。(何人かは別の作業所や病院での顔見知りのようであったが)別に格別の偏見は持ってはいなかったが、そんな中で、その病気を持つ彼の心のバランスが心配だったのである。彼はとても張り切っていた。入退院や作業所に通うなどの経験もあるので、誰よりも利用する人たちの気持ちもわかるという自負もあったであろうし、だからこそ自分が頑張らねばという気持ちもあったであろう。しかし、それが自分でも気づかぬプレッシャーとなったのではないかと思う。人によって違うとは思うが、この病気の躁鬱の激しさを、私は彼と接することで初めて知ったと言える。きちんと通院していたし、薬もちゃんと服用していたと思うが、私が在席した一年ちょっとの間に、ピッタリ三カ月ごとに激しい躁鬱が発現した。鬱の時はピタッと仕事に出られなくなるのだが、躁の時の方が私にはきつかった。何度目かの鬱でしばらく休職している間に、彼は退職することになった。躁の時に、人間関係を悪化させることを重ねてしまったのだ。同じように精神疾患や障害を抱える人たち同士が、必ずしも相手の問題行動や発言に優しくなれるとは限らない。それぞれ精一杯我慢したり頑張ったりしているからこそ、許せないということもある。何よりも、そのような障害や病気を持つ人たちは、人一倍辛いことや心の傷を抱えていることが多いから、健康な人よりもストレスやプレッシャーに弱い傾向があるのだ。彼が、もっと向いたところで自分の体調に合った仕事ができれば、本人も回りもこれほど苦しまなくても良かったのではないかと、彼のためによかれと安易な善意で雇った人に反省を促したこともある。もちろん、私自身が適切な対応ができなかった結果でもあるので、その時の挫折感が彼にさらなる傷をつけていなければ良いと苦い思いとともに願っていた。その彼が、穏やかな笑みをたたえながら接客している。彼はもともと、その業種で働いたことがあり、店を任されたこともあると言っていた。そのプレッシャーが発病につながったと言っていたが、彼自身はその仕事が好きなのだと言っていたことを思い出した。思わず声をかけると、びっくりした表情ではあったが、笑顔で「お元気ですか?」と言ってくれた。「良かったねえ。好きな仕事につけたんだねえ」と言うと、あれから何度目かの職場だと答えた。それだけで、私には彼がやはり病気によって就職し退職することを繰り返したのだとわかる。「でも、ここはパートで無理が無い形で働けるので…」と言うので、「ああ、それならマイペースでできるかな。無理せずに続けられたらいいね」と店内であるのでそれだけで別れた。本当に、彼の無理のないペースで楽しい職場で働けたらいいのだけど…。まだ働き始めて一か月と言っていた。病気のことを理解して雇ってくれているのだろうか。それとも、それについては黙って働いているのだろうか。これからもその障害を抱えながら生きてゆかねばならない彼のことを思うと、「なんとか頑張って!」と祈るばかりだ。彼だけではない。あの事業所で出会った人たちも、みんな笑顔で毎日を暮らしていてくれますように。今の私は、そう願うしかない。
2012年01月31日
コメント(0)
「死後の真実」E. キューブラー・ロス 図書館で借りてきた一冊。随分前に、彼女の『死ぬ瞬間』を読んだ記憶がある。その本は、これほど死後の世界には踏み込んではいなかったような気がする。「死後の真実」は、彼女が多くの臨死体験者の話を聞き、自分自身もその体験をしたことに基づき、死後の世界について語っている。これを信じるか信じないかは人によって違って当然である。私自身はこれを読んで、これはこれなりに筋が通っていて、納得できる人には納得できるだろうとは思った。また、これが真実であればいいなあとも思う。現在、死の恐怖と戦っている人、愛する人との別れの苦しさに耐えがたい思いをしている人には、大きな救いというか、希望になるようにも思う。昨夜、これを読み終えた後、私の死の瞬間に誰が迎えに来てくれるのだろうかと夢想した。その時には、私を愛してくれた人が迎えに来てくれるのだそうだ。私は覚えてはいないが、赤ちゃんの私が水をおいしそうに飲む顔がとても可愛いと、何度も水を飲ませようとしたという祖父かなあ。101歳で私が病院に到着するのを待っていたかのように亡くなった祖母だろうか。私が生まれた時、「五体満足で良かったねえ」と喜んだという、叔父だろうか。ちなみにこの叔父は、もちろん五体満足で生まれ、人並み以上の知力を持っていたけれど、私が一歳の時に自死している。多分、この三人の誰かが来てくれるのかな。私はおじさんの顔は記憶していないので、もし会えるのなら楽しみだ。まあ、このようなことを期待することができても悪くはない。
2012年01月14日
コメント(0)
<広島刑務所脱走>外壁工事の足場使う 警察庁が特別手配毎日新聞 1月12日(木)1時45分配信昨年のオウム真理教元信者の平田信容疑者の、自首の顛末にも驚いたけれど、これにもまた驚いた。どうも、最近の(いや、昔からか?)警察関係は、レベルが低下しているとしか思えない。いやいや、ことは警察だけではないだろう。日本国中、公的な仕事に携わる人たちの使命感やモラルが低下しているのではと感じることが、とても多い。いや、そうではないな。メディアやマスコミだって、政治家だって、みんなそうだ。つまりは、日本全国、無責任と危機感のなさが症状の病気になってしまったようだ。つまりは、私自身もそうなのか?他人事のようにこんなことを書いているのは、その症状に違いない。
2012年01月12日
コメント(0)
三月の大震災とその後の原発事故以来、私なりにずっとその推移を気にしてきた。福島原発が爆発した直後は、テレビなどでの原発専門家や、テレビの解説者などの話しを信じたいと思ったし、心のどこかでは「大変なことが起きているのでは」という思いと、「それでも何とかするのだろう」と信じたかった。でも、その後徐々に色々なことが明らかになるにつれ、これは現在の科学ではどうしようもないものがあるのだと思うようになってきた。昨日のニュースで野田首相「中間施設は双葉郡に」 佐藤知事、不快感表明河北新報 1月9日(月)6時10分配信ということを知った。とりあえず三十年めどにとお願いしているようだが、その後どこに移すというのだ。できもしないことを気休めに言っているとしか思えない。日本のような狭い国土を、原発事故は海も空気も大地も汚染してしまった。みんなで痛みを分かち合うと言っても、「みんなで放射能にまみれよう」とはならないだろう。少なくても、現在は汚染されていない場所は、大切にしなくてはならない。このような事態になったのなら、被害は最小限度にとどめるしかないだろう。私の気持ちとしては、放射能汚染されたものはすべて、原発の敷地内に集めてほしいくらいだ。そこで働かなくてはならない人や、その周辺で住まざるを得ない人には本当に申し訳ないけれど、日本の国土を守るためにはそれしかないのではないか。除染しても限界がある。何と言っても、福島原発から今後一切放射性物質が放出されないという保証もないのだ。故郷は大切である。自分の心の基地として、かけがえのないものなのだろう。成人の日を迎えた被災地の若者たちが、「ふるさとのために頑張りたい」などというのを聞くと、そのけなげさに涙が出そうになるが、少なくても放射性物質が漂っている可能性のある場所からは、子どもや若者たちは離れてほしいと願わずにいられない。私の曽祖父は、色々な事情の中で故郷から離れて北海道に移住した。その心の中には、ずっと故郷の思い出を抱きしめていたのだろうが、未来の自分の子どもや孫達のために、勇気ある決断をしてくれた。私の今があるのも、息子達が北海道の大地で生きようとしているのも、曾祖父母の開拓の一歩から始まっているのだ。国は責任を持って、原発被害のあった地域の人たちへの補償をしてほしい。そのためにちゃんと使うのなら、消費税を上げるのも私は賛成だ。福島県知事は、「避難者の帰還が収束だ」と言っているようだが、それを目標にするのは、どこか違うのではないかと思っている。避難者の人たちの希望を「ふるさとへの帰還」と決めつけないでほしい。希望はいつも未来にあるはずだ。 過去に戻ることが希望ではないはずだ。新しい土地で、新しい仕事で、新しい絆を紡いでゆくのが、少なくても若い人たちには現実的な希望の持ち方ではないか。昨年を表す漢字が「絆」であった。「絆」ということを、これほど考えた年はないかもしれない。一人一人が自分が将来に向けて紡ぐべき絆を考えているだろう。そういえば、民主党から離脱した人たちが、「新党きづな」を結成したという。「きづな」って何だ?一般的には「きずな」と表記すると思うが、あえて「きづな」にしたのはなぜだろう。昔の地縁血縁タイプの「きづな」をイメージしたと言うなら、バカじゃないのと思う。少しは恥を知っているから、一般的な「きずな」を使わなかったとしたら、恥ずかしいことするなと叫びたい。
2012年01月09日
コメント(2)
「モモ」は、ずっと気になりながらまだ読んでいなかったので、年末に図書館から借りてきた。返却期限が近付いてきたので、一昨日から読み始めて今日読了。子ども向けの本だと思っていたが、これは大人も読むべき本だろう。今までこの本を読んでいなかったことが悔やまれるほどだ。子ども時代に一度読み、子どもと一緒に二度読み、年齢を重ねて再度読みなおしたなら、色々なことが考えさせられる本のような気がする。現代はまさに、この本が警鐘を鳴らしている世界ではないのか。私達はいつの間にか、灰色の無表情の男達に、人間にとって大切なものを奪われているのではないかと…。今、作者のミヒャエル・エンデについて調べたら、日本とも関わりが深くて、翻訳者の日本人女性と結婚していたんですね。
2012年01月08日
コメント(0)
大変だった2011年も終わり、新しい年となりました。わが家は基本的には恒例の年末年始を過ごしたわけですが、年末に縁戚の60歳の男性がくも膜下出血で突然亡くなり、年明け早々葬儀に参列することになりました。実家の母は、31日のお餅つきの日に「頭に湿疹が出て痛い」と言っていて、私は元旦にその様子を見て「帯状疱疹じゃないの?」と言ったのですが、自分の身内がくも膜下出血で亡くなったこともあり、「いや、この痛さは違う。どうも変だ」と言い、父も「救急車を呼べ」と騒ぎ、結局救急車は呼ばずに近くの救急当番病院へ。母は以前にも帯状疱疹に罹ったことがあるので、「これは絶対に帯状疱疹ではない」と言い張っていたのですが、私達の見立て通りでした。さすがにお医者さんには反論はせず帰宅しましたが、「前の痛さとは違うから、それだけだろうか」と、半分は疑ってました。首から頭にかけてのものだったので、以前に出た時とは痛み方が違っていたのでしょう。でも、年齢が年齢なので、多分しばらくは痛みが続き、ぼやきを聞くことになるでしょう。ということで、本年は少しドタバタした年明けとなりました。それでも、家族は一応欠けることなくお正月を迎えられたので、それでありがたいとしなくてはなりますまい。皆様の、ご健康とご活躍を祈りながら、新年のご挨拶にさせていただきます。今年も、どうぞよろしくお願いします。
2012年01月07日
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1