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しばらく肌寒いジメッとした日が続いていたのだけど、このところ急に天気が回復し、気温も急上昇。昨日、一週間ぶりに息子達のブドウ畑の手伝いに、夫と張り切ってでかけた。しかし、午前九時半で24℃という気温には、多少の不安が頭をよぎった。それでも、からりとした青空で、時折風もそよいでいたので、「最高にいい天気!」と除草作業を始めた。失敗だったのは、水を手元に持って行かなかったこと。休憩小屋まではさほどの距離でもなかったので、うっかりしてしまったのだ。ところが、作業を始めると一所懸命になってしまい、どんどん急勾配のブドウ畑の上に進んでしまう。上まで行ってしまうと、一度降りてから給水するという時間がもったいなくて、下まで降りたら水を飲もうと思ってしまう。(何せ急勾配なので、作業しながらズリズリ上がったり降りたりとは違い、登山の上り下りに近いのだ)途中で、顔から汗がポタポタ流れてきた。私は、汗をかきにくい体質なので、汗が出るというのは悪いことではない。うん、この調子なら下まで持つだろうと思った。しかし、あともう少しというところまできたときに、急にのぼせる時のような感じになった。あ、ちょっとまずいかなと思ったその時にやめれば良かったのだ。でも、「あともう少し…」と作業していたら、次男が別の作業を終えて近寄ってきた。「暑いねえ。大丈夫かい? これ終わったら、お昼にしよう」。それで、約二時間半作業をしていたことに気づいた。それで、「ちょっとのぼせに近くなってきたので、私、先に上がるね。あと、頼むね」と、汗をふきふき屋根のある昼食場所に戻ったのだが…。そこには、長男がすでに戻っていた。(別の場所で芽かき作業をしていたのだ)やれやれと、持参した冷たい麦茶をクーラーボックスから出してごくりごくりと飲む。いつもなら、体中に水分がしみわたるような気持ちのよさがあるのだが、昨日は違った。冷たいのはいいのだが、なんだか水分が冷や汗に変わってくるような不快感。「あれー、なんだか変だなあ。のぼせたみたい」そう言っているうちにも、気持ちの悪さがこみ上げてくる。吐き気でもないのだが、なんだか気持ちが悪い。テーブル代わりにしているビールケースに両手をついて…。気がついたら、私はブルーシートに寝ていて、頭に濡れタオルを当てられていた。長男の「お母さん倒れた! このままにして大丈夫かな」という声が聞こえる。夫の「のぼせたんだろう。少し休ませて様子見よう」。次男の「あ、途中で休憩しなかったからなあ」という声。そうか、私、のぼせて倒れたんだ。それにしても、今まで何度ものぼせた経験があるけれど、その時はいつも、気を失うような前兆があったのに。(高いところに登った時に、耳がキーンとなったような、音が遠くで聞こえるような感じから始まる)声を出してみる。「私、倒れたの? でも、もう大丈夫だと思うよ」。ちゃんと話ができる。病院になどいく必要はないな。息子達が口々に言う。「お母さんって、こんな経験あるの?」「お母さんは血圧が低かったっけ?」子供達って、案外親のことなど知らないもののようらしい。今までにも、具合悪くなって瞬間的にではあるが倒れたことがあるし、そんな話もしていたと思う。ここの畑作業の時にだって、「のぼせてしまったら困るから」と口にしていたのは、そのためである。それでも、私が倒れるのを目の当たりにしたことのない息子達は、実感がなかったのだろう。しばらく横になっていてから起き上がるが、用心して水分だけを口にする。まだ、頭がジーンとした感じがある。そのまま、夫や息子達と話をしていたら、また頭から血が下がるような感覚がある。「あ、またまずいかも。もう少し横になっているね」そのまま、おやつに持参したパイ饅頭とアクエリアスを少しずつ口に入れる。よし、もう大丈夫と思ったのは、どのくらいたってからだろう。起き上がって何よりもびっくりしたのは、首筋から背中、お尻にかけてびっしょり濡れていたこと。濡れタオルを頭に当てるとき、長男が水をかけたんじゃないかと一瞬疑ったくらいだ。(もちろん、そんなことはしていない)次に思ったのは、気を失ったときに失禁したんじゃないかということ。しかし、それなら濡れている場所が少し違う。「えー! なんでこんなに濡れてるの?」と不思議がる私に、夫は「ドッと汗が出たということだろう」という。こんな汗の出方を経験したのは、記憶している限り生まれて始めてである。どちらかというと汗が出にくくて、私には汗腺が少ないのだろうと思っていたが、少ない汗腺でも全開しっぱなしになると、こんな風になるのか。これだけ体から水分が出てしまったのだからと、さほど飲みたくもなかったけれどまた水分補給。それで体調は回復したが、息子達が「もう作業しないで帰ってくれ」というので、お言葉に従い午後からは何もせずに帰宅した。帰宅してからも、昨日一日は喉が乾く感じが続いていた。よくよく考えると、あれはいわゆる「熱中症」だったのかもしれない。これからは、暑い日に作業するには、早めの水分補給と休憩を心がけよう。これからも毎日、暑さの中で農作業に励む息子達にも、参考になったことだろう。息子達よ、母の体を張った教えをありがたく思えよ!
2012年06月27日
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<核燃サイクル秘密会議>「もんじゅに不利」シナリオ隠蔽毎日新聞 6月19日(火) 内閣府原子力委員会が原発推進側だけを集めて開いた「勉強会」と称する秘密会議で3月8日、使用済み核燃料を再利用する核燃サイクル政策の見直しを検討していた原子力委の小委員会に提出予定の四つのモデルケース(シナリオ)について議論し、このうち高速増殖炉(FBR)推進に不利なシナリオを隠すことを決めていたことが分かった。「表」の小委員会の会議には三つのシナリオしか提出されておらず、秘密会議が核心部分に影響を与えていた実態が一層鮮明になった。(後略)こんなことをやっているから、すべてが信用できなくなるってものですよ。<核燃サイクル>見直し案提出反対…原子力小委委員ら要望毎日新聞 6月19日(火) 原発推進側だけで「勉強会」と称する秘密会議を開いていた問題で、内閣府原子力委員会の有識者会議「新大綱策定会議」のメンバー4人が19日、核燃サイクル見直しについて取りまとめた原子力委・小委員会の報告を政府の「エネルギー・環境会議」に提出しないよう求める要望書を園田康博・内閣府政務官に出した。 細野豪志・原発事故担当相と近藤駿介・原子力委員長あてで「民主主義的手続きを無視しており正当性を持ち得ない」としており、今後のエネルギー政策決定に影響する可能性がある。(中略)要望書を出したのは、伴氏と金子勝・慶応大教授、阿南久(ひさ)・全国消費者団体連絡会事務局長、浅岡美恵・気候ネットワーク代表(弁護士)の4人。(後略)せめてもの救いと感じるのは私だけ? 頑張ってください。こんなニュースを見ると、「電力不足」の大合唱で原発再稼働に進もうとする基礎データーも、信用できかねますね。
2012年06月19日
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再稼働は拙速…脱原発首長会議、抗議文提出へ(読売新聞)<福井・大飯原発>再稼働、思い複雑(その1) 「原発があって今がある」「結論決まっていたんでしょう」--おおい町今や日本中隅から隅まで各種の依存症に罹っているようだ。この病(やまい)に罹ってしまうと、自力で治すことはとても難しい。国家的病となると、うーん、本当に難しそうだ。こんな感じでずるずると、病気が重くなるんだろうか。その行き着く先は…
2012年06月18日
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ふと思った。50年前の私にとって、現在ははるか未来の世界であった。かつての私は、どんな未来を思い描いていたのか。少なくても、「おばあちゃん」になった自分のことは想像もしていなかったはずだ。子どもの私が未来の世界を想像する手掛かりは、あの当時は何と言っても「鉄腕アトム」の世界だろう。それよりもう少し前は、ヴェルヌの「海底二万里」とか「月世界旅行」など、未来冒険小説などの世界かな。(何となく読んだ記憶がある)科学が進歩して、夢のような世界が現実化することを空想していたのかもしれない。少し大人になって、40数年前くらいの私は、未来なんてまったく見えなかったような気がする。自分がこんな年まで生きているなんて、考えることも恐ろしかった。それでも生きなきゃならないんだなと思う私に、明るい未来は見えてはいなかった。しかし子どもを産んでからは、せめてこの子たちが大人になった時代に、日本が戦争に巻き込まれるようなことがないようにと願っていた。自分の未来なんて、その前にはどうでもよかったような気がする。40歳になろうとするころ、このままうかうか生き延びていいもんだかと不安だった。挫折ばっかり繰り返して、何一つ自分に誇れるものがないように感じることも多かった。子ども達も成長し、自分の中に何とも言えない飢餓感がふくらんでいた。いくつかのことが契機となって、生まれて初めて「学びたい」という思いが募り、慶應大学の通信課程に入学した。その後七年間は、初めて味わう「学ぶ喜び」と、やはり初めて味わう「学ぶ苦労」を体験した。計画の十年より三年短く卒業した時は、「私だってやればできるじゃない」という、これまた初めての自己肯定感を味わった。そんな経験から、本当の自己肯定感は、自分がやりたいと心から思ったことが達成できた時に、やっと得られるものだと思っている。人によって違うとは思うけれど、少なくても私はそうである。いくら他人にほめられたとしても、それが私自身が望んでいることとずれていたら、心から自分を認めることができないのだ。ちょっと本題からずれてきたが、その時点で私は自分の未来を見据えることができたように思う。具体的には、「よき先輩としての老人になること」だ。自分のことを、良くも悪くも納得できた時に、今まで自分がどれほど多くの人に助けられながら生きてこれたかを、心から感謝できるようになった気がする。それまでは、「仕方ないから生きて行こう」だったから、感謝の念も形ばかりで本音ではなかったかもしれない。「子どもを産んでしまったから、育てなくてはならない」と思っていた間は、「生まれてくれてありがとう」なんて、本音では思ってはいなかった。でも今は、本当に私の子どもになってくれてありがたいと思う。どれだけ彼らに私は助けられてきたのかを、今更に思うことが多々ある。子どもが成長したらその時は…なんて思いが時々脳裏をよぎった夫にも、「こんな私とよく付き合ってくれたな」と感謝する。(しかし、現実生活は昔とあまり変わらないけど…。これからの私の未来は、「本格的老人生活」をいかに生きるかだ。そして、その環境となる社会は、幼い頃「鉄腕アトム」でイメージした世界とはどう違うのだろう。鉄腕アトムはロボットでありながら「人間の心」を持っていたが、今の私達の社会での人間は、ひょっとすると「ロボット化した心」(と言ったらアトムに失礼か)になってしまい、何かの指示通りにしかできなかったり、数値化したものだけを信じたり、コントロールされていることをよしとしたりしてはいないか。アトムの十万馬力は原子力だった。原子力発電政策を推進してきた人たちは、私と同じく鉄腕アトム世代。夢のエネルギー幻想は、鉄腕アトムとは無関係かな?私達の子孫の生きる未来は、はたしてどのような世界なのか。とりあえず私は、「次の瞬間」という未来を着実に暮らしたいと思う。さて、夏に開催される行事のために、市役所と教育委員会に行ってこよう。
2012年06月07日
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AKB48については全く関心がなく、女の子のアイドルグループ程度の認識しかなく、総選挙に立候補と聞いても「なんのこっちゃ? グループ内でリーダーを決めるのか?」というような、世間知らずの私であった。(やはり、これは世間知らずと言った方がいいのかな)昨日、やっとその仕組みを知り、テレビでその実態を知って驚愕した。うーん、こんな売り上げ至上主義というか、商業戦略の羊たちだったのね、あの子たちは…。つまりは、お金に物を言わせる投票ということで、政治の世界もビックりではないか。CD売上合戦には関係ないようなテレビまでもが、それに乗っている様子にゲンナリ。おりしも、オウム真理教の菊地直子が見つかり、高橋克也容疑者が逃亡中とのニュースもあるが、なぜか私は、オウム真理教全盛期(?)に選挙に打って出て、選挙カーの上で歌ったり踊ったりしていたことを思い出してしまった。まあ、サリンを製造したりしていないだけ無害なのかとも思うが、この現象はなんだか嫌な感じがするのは、私のようなおばさんだけなのだろうか。私は、あの可愛い少女達が、商業主義の使い捨てや生け贄にならず、しっかりと自分の人生を歩んで幸せになってほしいと望む。
2012年06月07日
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