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今朝のNHKテレビで、「NPOカタリバ北海道」の活動を知った。大学生が高校生を対象に、小グループの座談会形式で語り合うというワークショップ活動で、高校の正規授業として取り入れているようだ。事前に学校の問題意識や生徒のアンケートなどでその高校の生徒のニーズを把握し、スタッフのミーティングを重ね、どのように何を高校生に伝えたいかを考え、その中で自分を見つめて、自分自身の課題を見出してゆく大学生たち。その中でしっかりと自分が伝えたいことをどのように伝えるかを考え、高校生たちの前に立つ時、彼らは素晴らしい先輩へと変身していた。飾り気のない本音の先輩の語りかけが、高校生たちの揺れる心にストレートに伝わり、その心を揺さぶり、自分の中の何かに灯を付ける。その彼らの姿に胸が熱くなり、このような場こそが若い人たちに必要なのだろうと思った。大学生が思わずつぶやいた言葉、「こんな場があちこちにあればいいんだよな」。しかし続いてつぶやいた。「無理だよな」。若者たちが成長するのにこれほど大切な場が、その活動をしている若者たちですら「普通は無理だ」と言わせる現代。彼らの姿に希望を感じるとともに、とてもとても深い悲しさが湧き上がる。間もなく社会人になる彼らが、そのような場を自分の周りにつないでいってくれることを心から願う。せめて私は、多少のカンパでもしようかな。
2012年09月30日
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テレビで、昨今の大学生の就職状況についてのニュースと共に、大学などでは親のための就職相談などもされているようなことを知った。大学を卒業してもなかなか正規の就職ができない現状は私も憂いているし、親ならばもっと心配なことはよくわかる。自分のできる応援をしたいという気持ちも共感できる。しかし、親ができること・できないこと、して良いこと・してはいけないことくらいは、親たる者肝に銘じておかなくちゃならないと思う。テレビで放映されていた、大学での親を対象とした就職ガイダンス(?)では、試験の心構えや、就職面接で担当者がどのようなところを見るかなど、社会人生活(仕事)をしてきた人であれば誰でもわかるようなことを説明していたようだ。それを「参考になった」なんていう母親のコメントが流れていたが、今頃そんなことがわかるなんて遅いんだよ!と言いたくなった。大学卒業する子供を一人前の大人として認めるのが、まず親がするべきことだ。どれほど未熟で世間知らずでも、だからこそ大人として扱うのが、大人にさせる第一歩だと思う。親として知っておきたいことは、今の就職事情一般の厳しさだろう。だからこそどんな仕事でも、自分がよほど嫌な仕事でない限り、頑張ってチャレンジしてみなさいと励ますことだろう。(中小企業には、なかなか就職希望者がないとも聞く)子どもが選択したら、多少自分の期待とは違っても、足をひっぱらずに送り出すことだろう。「自分に合った仕事を探せ」などと、安易に留年や留学など勧めるな。とにかく、大学を卒業したら、どんな形でもいいから働いて自立することを、少なくても大学入学した頃から、念仏のように唱えておくべきだと私は思っている。「正社員じゃなきゃだめ」「公務員や大企業じゃなきゃ」なんて、口が裂けても言わないで、子どもが頼んでもいないのに、親自らが就職先を探すなんてことはせずに、子どもが八方ふさがりで「どこかつてはないだろうか」と頭を下げた時に初めて、父親や母親の知人などのつてがあれば紹介すればよい。(私は、いよいよになったらコネでも使えという立場だ。あくまでも、もう手だてが無いという時だけど)子どもの人生は、子ども自身が選んで歩かなくてはいけない。苦労という経験も、人生には必要なことだ。子どもに苦労をさせたくないという気持ちはわかるが、それでは子供の大事な経験を奪うことだ。親ができることは、子どもの成長する力を信じて、じっと我慢して見守ることが基本だろう。障害があったり、「いじめ」などの辛い体験を学生時代にして、そのためにフォローが必要な場合は別として、元気に就職活動ができる子どもならば、親は引っ込んでろと言いたい。
2012年09月24日
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昨日までは、北海道らしからぬ夏日が続いていて、夜も気温があまり下がらず、連日寝苦しさと闘っていた。昨夜から、やっと夕方には涼しさを感じて、夜も窓を細めに空けただけで寝ることができた。(今までは、窓は全開でした)「暑い暑い、今年はどうなってるの? ここは本当に北海道?!」とぼやく毎日だったが、今日の爽やかな空気に改めてカレンダーを確認すると、もう九月下旬に入っているではないか。暑さの中、熱中症に注意しながらの蕎麦の刈り取りや脱穀も終えた。(今年は、息子の使用していない畑に植えた)昨日は息子の葡萄畑に手伝いに行ったら、今まで見たことがないほどたわわにブドウが実っていた。昨年までは、天候のせいもあり病害虫に痛めつけられ、さらにスズメバチやアライグマに止めをさされた哀れなブドウたちしか見ることができなかったので、このまま収穫までがんばってくれよと祈る思いだ。昨年のわずかなぶどうで仕込んだワインは、本数が限られているせいもあり、予約受付開始半日で完売したそうな。あーあ、もう少し売るものがあればお金になるのにと、嬉しいと同時に悲しくなる私であった。この夏の暑さがこたえたのか、実家の90才の父は二度目の入院中。どこが悪いというよりも、食欲不振などでの栄養不足と脱水状態による体調不良らしい。入院して点滴をすると、どんどん顔色も良くなってきて、声もしっかりしてきた。何とか、この夏は乗り切った。さて、どこまで頑張ってくれるだろう。今年の夏は、本当に長かった。もう、これで残暑は終わりにしてほしい。
2012年09月21日
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友人と子育て時代の思い出話をしていて、ふと気付いた。友人の娘さんは、もうちゃんと社会人になり、首都圏でしっかり仕事をしている。しかし、時々大きなポカをやって、いまだに母親をハラハラさせるのだという。そんな失敗のエピソードについては、私自身のことはもとより、二人の息子たちも人には負けてはいない。(こんなことでも自慢合戦となるのが女のおしゃべりだ)そんな話の中で、その娘さんも私の息子たちも、小中学校で忘れ物がとても多かったという共通点があった。我が家では、特に二男の忘れ物が多くて、参観日に学校に行くと、「忘れ物調べ」みたいなものが壁に貼ってあり、忘れ物をした数だけ子供の名前の上にグラフが伸びていた。なんと、息子の忘れ物は群を抜いていて、息子のためにだけのように紙が継ぎ足されていた。さすがの私も、穴があったら入りたいような気分であった。もちろん私も、一応前の日には「忘れ物のないように、明日の準備をしなさいね」と言ってはいた。そのたびに息子は元気に「ハーイ」と返事をして、一応学用品をそろえているように見えていた。その結果での忘れ物の多さである。参観日か家庭訪問でか忘れたが、先生に「お母さんも気をつけてあげてください」とも言われてしまった。次男は天然記念物的なマイペースの子供だった。自分の関心のあることには夢中になるが、それ以外のことには全く興味を抱かない。それだけではなく、耳にも頭にも入らない傾向があった。だから、小学校に入る頃まで文字にも興味を抱かず、入学直前にやっとのことで自分の名前を書けるようにしたものだ。だから、学校の授業だって推して知るべし。一番困ったのは、算数に全く興味を抱かなかったことだ。足し算や引き算、そして掛け算、割り算と、息子は学校の授業では理解できなかった。先生からも、「少し家庭で教えてあげてください」と言われた。これには私も少し焦り、何とか授業についていけるようにと教えた記憶がある。当時私は仕事をしていたので、それをすることが本当に精一杯だった。その上に、「忘れ物チェック」までは手が回らなかったのが現実だ。というより、足し算引き算のレベルで理解できなければ、これからの算数の授業は絶望的なので、それに比べたら忘れ物の問題は優先順位は低かったといえる。先生に忘れ物の多さを指摘されて、私は息子に聞いた。多分、以下のような会話だっただろう。「あんなに忘れ物して、学校で困ったでしょう?」息子はちょっと困ったような顔をして答えたと思う。「うん、でも隣の子に借りたりするし…」「でも、いつも借りてばかりじゃお友達もいやだって思うよ。 ちゃんと忘れ物がないように、準備しなくちゃダメだよ」「うん、わかった」私は、息子の様子を見て、これは私が手伝わない方がいいと思ったのだ。先生には申し訳ないが、この素直で天然な息子は、私がピリピリとチェックしても、忘れ物をしない子にはならないだろう。それよりも、私に依存していよいよ自分で気をつけることをしなくなるかもしれない。それよりも、忘れ物をした時に、先生や友達に手助けしてもらうノウハウを身に付けた方がいいんじゃないか。それほどはっきりとした信念があったわけでもないが、何よりも、本当に困ったら何とかしようとするはずだとは思っていたから。多分、当時の担任の先生は、「本当に何も気にしない親子だ」と思っていたことだろう。ちなみに、学校の勉強の補習も、何とか掛け算割り算ができるようになった時にやめた。それだけできれば、何とか生きてはいけるだろうと思ったし、自分の興味のないことを強制される不快さは、私がよくわかっていたからだ。ちょっと息子のエピソードが長くなったが、友人の娘さんも同じようなタイプだったらしい。それでも、困った時は何度もあったし、親に助けを求めたこともあったようだが、困っても何とかできるという自信をつけながら成長したようだ。次男も、その後も何度もハラハラと心配はしたことはあったが、ポカをやりながらでも何とかできる力はあるようだ。私は、一番大事なことは、失敗しても何とかできる力だと思っている。先日、中学生で不登校になってしまったお母さんの話を聞いた。どうも私の二男と似たようなタイプのようで、心優しいけれど関心のあること以外は意識に入らず、小学生低学年の頃にあまりにも忘れ物が多くて先生に注意されたのをきっかけに、母親が忘れ物がないかチェックをしてきたらしい。しかし、中学校入学を機に、これではいけないと心を鬼にして、一切その手の手伝いをしないことにしたという。それで、小学校よりずっと管理的になった中学校で、部活や勉強などでも厳しくなった上に、忘れ物が多くて叱られることも増え、色々なことが重なって登校することが苦しくなってきたらしい。「私が急に突き放したのが悪かったのだろうか」というその人に、「そんなことないよ。自分のことは自分でしなさいって言うのは大事なことだよ。 今は大人になる大事な段階だから、悩んだり頑張ったりして、疲れてるんだよ。 息子さんの頑張りを認めて、充電して、元気になるのを待とうよ」そんなことを話した。そして、ふと思ったのだ。今のお母さん達は、子どもが幼いころは失敗しないように、困らないようにと思うあまり、大切な失敗の機会を少なくしているんじゃないかと。確かに、今の世の中は危険もいっぱいある。何か事件があるとすぐに管理が厳しくなったり、登下校には親がつきそったり、危険から大事な子供たちを守ろうとする方向にばかり走ってしまう。しかし、そのような時代だからこそ、自分で自分の身を守ったり、困った時には誰かに助けを求めたりする力が必要なのだ。命にかかわる失敗までをさせる必要はないが、どんな時に身の危険を感じるかという寸前までは、できれば体験させることも大事だ。子どもが頑張っている時は、ハラハラしながら見守ろう。ちょっと様子が変だと感じた時は、「何か困っていることあるんじゃないの?」と聞き、「別にー」なんて言ったら、まだ頑張れるんだなと深く追求せず、いつも味方だからというメッセージだけは、伝えよう。そして、失敗することはとても大事なんだということを、自分の失敗話を交えて伝えたい。失敗を乗り越える経験の分だけ、人は強くなれるし優しくもなれる。強くて優しかったら、世の中なんとか生きて行けると私は信じてる。子ども時代にはたくさん失敗をさせて、人に助けてもらう体験をさせて、思春期を過ぎたころからは「苦労は自分で買ってでもしなさい」と送り出せたらいいですね。
2012年09月07日
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<中学生転落死>札幌で中1自殺か…いじめ示唆する書き置き毎日新聞 9月5日(水)21時28分配信またもや、中学生の自殺のニュースである。いじめが原因なのかどうかの詳細はわからないが、この少年が死にたくなるような苦しい気持ちを抱えながら毎日を生き、もうこれ以上耐えられない、この世界から消えたいと思った結果であることは確かであろう。周りの大人は、そんな彼の気持ちに誰も気づかなかったのだ。生徒が通う中学の校長は5日夜、同市内での記者会見で、「いじめの事実については聞いていない。最近も特に変わった様子はなかった。部活動、委員会活動も積極的にかかわっていた」と話した。男子生徒は入学以来、欠席はなかったといい、前日の4日も通常通り出席していた。部活動も委員会も積極的に頑張り、辛くても苦しくても弱音も吐かず、学校に行っていたのだ。そのような生徒はきっと、先生たちにとっても親にとっても何も心配はなくて、さらに「君はやればもっとできる」なんて更なる努力を期待したりして…。思春期に入った中学生は、自分や他人の関係や、自分自身のことや、周囲の大人の社会に強い関心を持ち始める年頃だ。今まで当たり前と思ってきたことにも「本当にそうなのか?」と思い始め、疑問を持ち始めるとすべてのことにクエスチョンマークが点灯し始める。それは、子どもが大人に成長する大切な階段であり、その階段の高さをどう感じるかは人によって違うだろう。小学校高学年から高校生ころにかけて、どんな子もそのような段階を迎えるのに、その階段が子供にとっては越えられないような壁にも感じるのだということを、大人は忘れがちではないのだろうか。子どもが不安や悩みを抱えるのは当たり前であって、小さな胸を痛めているのは(たとえそうは見えなくても)自然なことだから、学校の先生は一人一人にその子に合った声かけを毎日してほしいと願っている。「ずいぶん頑張っているな。無理してないか? 困っていることはないか?」「最近元気がないようだけど、何か悩みがあるんじゃないの? 何かあったら言ってよ」「いつも元気な笑顔が嬉しいよ。でも、無理に明るくしようとしなくてもいいんだよ」担任する学級の一人一人に声をかけても、きっと一週間くらいで一回りするんじゃないか?先生が自分を見ていてくれると感じることが、子どもの心の支えになるだろうし、学級内でのいじめの防止にもなると思う。そのためには、せめてそのくらいのことができるゆとりを、学校の先生たちに保障する体制を作ってほしい。基本的に、子どもは自分の悩みや不安を親にも先生にも自分からは言わない。誰にもわかるようなサインを出したとしたら、それはかなり深刻な心境になっているはずだ。私は教育者ではないけれど、そのくらいのことは自分の体験からわかる。私は中学時代、自分がクラスから疎外されていると感じていた。それにはそのようになるきっかけもあったのだけれど、実際は私は仲間はずれにもされていなかったはずだし、もちろんいじめられてもいなかった。しかし、学校はとても緊張する疲れる場所になり、同級生の些細な言葉や視線にも過敏になっていた。家に帰っても、そんな不安な気持ちを親に言えるはずもなく、多分緊張の持続のせいで様々な心身症傾向が出ていたのだけれど、「私はきっと病気に違いない」と思ってさえも、親に言うことはできなかった。「私はきっと心臓が悪いのだ。ひょっとすると突然死ぬかもしれない」と思っても、「それならそれでいいな」なんて思った気がする。中学生の頃までは、自殺したいとまでは思っていなかったけれどぽっくり死ねたらそれはそれでいいと…。そんな頃、私はおまじないのように大切にしていたことがある。学校では精一杯頑張っているけれど、自分の気持ちや感情を自然には現さず、必要最低限のことは話すけれど、自分の喜怒哀楽を表現することを禁じていた私の態度に、担任の教師は気づいていたらしい。そしてある時、学級の問題でもう一人の委員の子と呼ばれて、「お前たちはどう考えているのだ?」と聞かれた。もう一人の子は、何か言ったと思うし、悔しさか怒りなのか忘れたが、私の隣に立ってポロポロ涙を流した。先生は私にも聞いたけれど、私は一言も発することはできず、ただ固まって先生の胸のあたりを見つめ、涙を流せる同級生をうらやましく感じていた。そんな私に先生は言った。「おまえが何を感じているのか、先生は少しはわかる気がするぞ。 お前は何も言わないけれど、目の表情などで少しはわかるような気がするんだ。」私はその言葉を聞いて、胸にこみ上げるものはあった。先生は私のことを見ていてくれたんだ。私が何を考えているのか、気にしていたくれたんだ。なぜかわからないが、先生にも固くバリケードを作っていた私の心の扉が、うっかり開きそうになったけれど、私の心の鍵はまだかかったままだった。それでも、その時から私は思うようになったのだ。いよいよ辛くなったら、先生に話したら先生は味方になってくれるはずだ。私は結局、中学時代は先生にもバリアーを張ったまま過ごし卒業した。なぜそれほどかたくなになっていたのか、今の私は多少はわかる。しかし、その時はわからなかった。そしてまた、人間が成長するには、そんな時期もあっていいのだと思う。だが、まだまだ柔らかい心は傷つきやすく、誰かがそれをそっと見守ったり支えたり、時には手当をしなくてはならない。いざという時の「お守り」だって必要なのだ。私にとっては、担任の「先生はお前を見ているぞ」というメッセージだった。学校の先生たちに心からお願いしたい。子ども達をきちんと見て、その子に合った言葉がけを続けてください。何かことが起きた時、「まったく気付かなかった」なんて言わないでください。せめて、「気づいてやれなくて、ごめんよ」と、その他の子供達に聞かせるためにも言ってほしい。「言わなくちゃわからない」「アンケートには書いてなかった」なんて、少なくても教師や親は簡単に言わないでほしい。子どもは未熟ですから、感情を隠すのだって無理しているはず。言葉だけではなく、態度や表情、目の動きなどで、きっと表現しているはず。そんな言葉にならない心の声を、一所懸命チャンネルを合わせて探ってください。学校は勉強を教えるだけの場所ではないはずです。
2012年09月06日
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毎日毎日、本当に暑い!猛暑うんざり 常呂で34・6度今日から九月になったというのに、今日も市内の温度計は29.5℃を表示していた。(それでも、昨日よりはマシであるが)北海道では昔から、「お盆を過ぎたらめっきり涼しくなる」というのが定説だった。それなのに、お盆を過ぎてからも真夏日が続くというのはどういうことだ。北海道に行ったら涼しいと期待して来た観光客の人たちは、がっかりしているのではないか。昨日あたりから、私もそろそろ暑さに疲れてきた。夜になったら少しは涼しくなるのがありがたいけれど、それでも毎晩寝苦しくて、眠れないときは本を読んだりするのだけれど、スタンドの電気がまた暑苦しくてそれもイヤ。窓を開けっ放しにして寝ているのだが、本当に涼しさを感じるのは夜明け頃から。もうそろそろ、残暑は勘弁してほしい。
2012年09月01日
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