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3・11 今日この日は何かを書かねばならない朝から流れていた特集番組を見ているとき、ふと震災後1年ほどNHKから「ねえ ここにいて」という歌が流れていたことを突然思い出した。その後、復興ソング「花は咲く」に置き換えられたが、私は「ねえ ここにいて」も好きだった探しましたありましたよhttps://www.youtube.com/watch?v=anKE8pHYS1E そう、この曲、福島、宮城、岩手、青森の女子高生の競演ものすごく上手いというわけではないが、清楚で朴訥としていて実に良い。私は、「少しだけ ねえ ここにいて キミに会ったら何を話そう」このフレーズが好きだった。当時の映像もそのままで何とも懐かしい。この映像を見ていると、この14年前を思い出す崩れたのり面に土盛りをして平坦にし、水が湧きだしていた庭を50smも掘り、割れていた水道管を修理した片道にも足りないガソリンで盛岡まで向かった津波で壊滅した海岸に何度も足を運び、その復興を見てきたがんばったなと思う。すべての被災者、そして私も
2025/03/11
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私が震災後に初めて大船渡に入ったのは、2011年の8月だった。山間の国道から一気に視界が開ける沿岸部に下り、中心部と思しきあたりを進むと、次第に津波の被害を目の当たりにするようになる。壁が破壊された鉄鋼作りの建物がわずかに残るだけ、木造の建物は跡形もなく流されていた。街はずれまで来た時、突然大きなショックがあり動けなくなった。左前輪を50cmもの段差のある低地に落とした。道路の安全施設が整備されていない当時は、危険がいっぱいだった。この時の顛末はこちらをご参照ください。https://plaza.rakuten.co.jp/kozoeng/diary/201107250000/これ以降、何度か大船渡を訪ねた。大規模な港湾工事が行われ、大型船も見られるようになった。脱輪した箇所もフェンスで覆われ、すっかり奇麗になった。脱輪しジャッキアップしていた場所は、大船渡湾の西側だった。対岸の山が今燃えている。。
2025/03/01
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