うたのおけいこ 短歌の領分

うたのおけいこ 短歌の領分

2007.02.20
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カテゴリ: ものぐさ枕草子庵


病気は、胸、もののけ、脚の気。
それに、ただなんということもないけれど、ものが食べられない気分。

十七、八歳ぐらいの人が、髪がとってもきれいで身の丈ほどもあって、その先はすごくふわゆらふさふさしてるの。
とってもふくよかで、ものすごく色白で、顔が可愛らしくて、いいわ~と思える女の子が、歯をメチャクチャ患って、垂らした前髪もぐしょぐしょに泣き濡らして乱れ掛かっているのも知らず、顔も真っ赤にして押さえているのは、ホント、すてきなのよね~。

九月あたりに、白い一重のふんわりしたのに袴のよく合うのを着けて、紫苑の着物のすごく上品なのを纏って、胸をひどく煩っているので友達の女房(キャリアウーマン)なんかが次々来てお見舞いして、部屋の外の方にも若々しい公達がたくさん来て、「大変お気の毒なことです。いつもこんなにお苦しみなのですか?」なんてお座なりに言う人もいる。
心を掛けている人は、本当に可哀想だと(人知れぬ仲などはまして人目を忍んで、そばに寄るに寄れず)思い嘆いているのがホントにすてき
とっても麗しく長い髪を引き結わえて、吐こうとして起き上がった様子も、可愛らしいわね。

陛下にも聞こし召されて、おまじないの御読経の僧侶の声のいいのをお遣わし下さったので、枕元に几帳を引き寄せて、隔てて座らせた。
さほどでもない狭さなので、お見舞いの女性が大勢来てお経を聞いたりするのも丸見えで、ちらちら見ながら読んでいるのは、こりゃバチが当たるよ~、と思われたわよ。

(拙訳)



註:

胸:不詳だが、この文の場合、結核(肺病、労咳)のことではないようである。角川ソフィア文庫版は、註釈で結核説を真っ向否定している。結核の場合、当時は不治の病。
この文の場合、胃酸過多による胸やけの悪化したもの、みたいな感じか。・・・「太田胃散」でも服用すると利くだろうか。

もののけ:怨霊(に取り憑かれること)。今でいうと、何らかの慢性疾患に、精神的な抑鬱状態が重なったようなものか。

脚の気:脚気。ビタミンB1欠乏症。ビタミンB複合体が多い胚芽(米ぬか)を摂取せず、肉食をしないことによって起こる。悪化すると死に至る。後世、江戸時代には白米常食による「江戸わずらい」として恐れられた。

樋口清之「おもしろ雑学日本意外史」(三笠書房・知的生き方文庫)によると、平安貴族の死因は、おおよそ肺結核が55%、脚気が20%という研究結果もあるという。
平均寿命も、せいぜい35歳ぐらいだった。

背景には、運動不足とストレスによる免疫力の低下もあったろう。
当時の主食は玄米だったので、適量を食べていればビタミンB群は摂取できたはずだが、現在の炊いた(「煮る」ことの一種)ご飯と異なり、蒸し飯(いい)だったので、食感は非常にパサついて、とてもたくさんは食べられない代物だった。


おかずも、運輸流通・冷蔵庫のない時代とあって干物ばかりで、あまり食欲をそそるものではなかったようである。

虫歯も、口腔内の糖質などの富栄養が背景にあると思われるから、これらはすべて当時の王侯貴族ならではの“特権的”病気だったともいえる。非常に贅沢な生活をしながら、食生活は糖質・炭水化物に著しく偏った、一種の栄養失調状態だったとも言われる。

さらに、当時すでにけっこう発達した医学もあったが、平安貴族は医師を呼ばず、不例(病気)の時はこの文のようにもっぱら当時舶来のモダーンな先進思想であった仏教・密教の加持祈祷に頼った。
宗教のもつ心身症(最近ではガン発生への精神的ストレスなども指摘されている)や精神病などへの一定の癒す力・治癒力は認めるが、これでは治るものも治らなかったろう。

なお、庶民は野山を駆け巡る比較的健康的な生活をし、動物性蛋白質、すなわち肉類も食べ、またその日その日を生きるのに精一杯で、もののけに取り憑かれる暇もなかった?

十八、九:数え年(生まれた時に一歳、正月ごとに一歳加える)なので、現在の満年齢でいえば、16~18歳に当たる。

八月:太陰暦(旧暦)なので、現行の太陽暦(新暦)ではほぼ9月頃。

(  )内「人知れぬ仲・・・」のくだりは、能因本(写本)のみに存在。この部分は、どうも贋作臭いように思われる。



病は、胸。もののけ。あしのけ。
はては、ただそこはかとなくて物食はれぬ心地。

十八九ばかりの人の、髪いとうるはしくてたけばかりに、裾いとふさやかなる、いとよう肥えていみじう色しろう顔愛敬づき、よしと見ゆるが、歯をいみじう病みて、額髪もしとどに泣きぬらし、みだれかかるも知らず、おもてもいとあかくておさへてゐたるこそをかしけれ。


心かけたる人は、まことにいとほしと(人知れぬ仲などはまして人目思ひて、寄るにも近くえ寄らず)思ひなげきたるこそをかしけれ。
いとうるはしう長き髪をひき結ひて、ものつくとて起きあがりたるけしきもらうたげなり。
上にもきこしめして、御読経の僧の声よき賜はせたれば、几帳ひきよせてすゑたり。
ほどもなきせばさなれば、とぶらひ人あまたきて経聞きなどするもかくれなきに、目をくばりて読みゐたるこそ、罪や得らむとおぼゆれ。


〔寸評〕


19世紀末にフランスの詩人シャルル・ボードレールが詩集「悪の華(病気の花)」を以って西洋世界に呈出した、病的なデカダンス(頽廃)の美が、わが国ではすでに900年も前に清少納言によって見出されていた。

・・・ただ、こういう才気走ったところにカチンとくる人もいるのは世の常で、強烈であからさまなエリート意識もあいまって、彼女が嫌いという人は、政敵でもあった紫式部をはじめ、当時も今も少なくない





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Last updated  2010.09.13 14:37:34
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くまんパパ @ 短歌では、ありですね(^^) New! 七詩さん、そうですね、同感です。 私も…
七詩 @ Re:ニヒルなれども面白し(06/08) くまんパパさんへ あの「世の中にたえて…
くまんパパ @ ニヒルなれども面白し 七詩さん、いつもありがとうございます(^^…
くまんパパ @ めっきり蒸し暑くなってきました やすじ2004さん、いつもありがとうござい…
くまんパパ @ のんびり行きたいですね(^^) やすじ2004さん、いつもありがとうござい…
くまんパパ @ びっくりするほど暑いですね やすじ2004さん、いつもありがとうござい…
やすじ2004 @ Re:松尾芭蕉  あらたふと青葉若葉の日の光(05/03) お元気ですか 今日は夏のような暑い一日…

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