2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全8件 (8件中 1-8件目)
1
2011年3月7日と8日、熊本でのこと。震災が起こる3日前。奇しくも・・・、といえる。長くは書くことが出来ぬが、渡辺京二の言う、《無名に埋没せよ》が、今の日本へのメッセージとして強烈に伝わる。別の言い方、今世で言う、自己実現は出世主義と同義語ではないか。自己がそこに居るかぎり自己は実現されているのではないか。渡辺京二は女子学生を前にそう語る。それは、今の日本へのメッセージである。渡辺京二は『逝きし世の面影(平凡社ライブラリー)』で知られる。ボクもそれで知った。そして、昨年末『女子学生、・・・』を読み、『未踏の野を過ぎて』を読み始めた。このエッセイ・評論集は渡辺京二渾身のものだ。女子学生、渡辺京二に会いに行く渡辺京二×津田塾大学 三砂ちづるゼミ2011年9月29日 第1版第1刷 発行亜紀書房
2012.01.30
コメント(0)
今日は、『麦秋』(むぎのあき、と読みます)。以下【】は、allcinema http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=28176 の解説。【大恐慌下、スタジオにそっぽを向かれた企画を名匠ヴィダーが自主製作で世に問うた力作。失業問題の解決として“共同体組織に基づいた農場経営の可能性”を提示した『リーダーズ・ダイジェスト』の中の、ある大学教授の寄稿に着目した監督は、そこから若い夫婦が困難にぶち当たりながらも同じ境遇の仲間たちを組織し、ついには荒地の潅漑に成功するというヒューマンなアメリカのドキュメントを製作した。これにJ・マンキウイッツ(台詞協力)ら彼の理想に共鳴したスタッフが、ほぼ手弁当で参加。チャップリンは自身所有のユナイトからの配給を約束したが、完成した作品はあまりにも左翼的であるとされ、満足な評価を得られなかった。全般にリアリスティックなタッチで演出されている作品だが、圧巻はヴィダー自ら“サイレント音楽”と名付ける音楽的な映像構成で魅了する(実際、一切の録音機材を排し、メトロノームと大太鼓のリズムに則って撮影された)、旱魃の農場に水を引くクライマックス・シーン。かつてアメリカにも、こんな光景があったのである。】タイトルの「Our Daily Bread」下に Inspired by Headlines of Todayとある。物語の展開は、先が読めるほど今では簡素な作りである。が、馬や車で荒地を耕すシーン、ラストの川から水を引くシーンのスペクタクルは見応えがある。悪そうな人も出てくるが、おしなべて皆善意の人たち、性善説がその根底にあると感じた。双葉十三郎は『西洋シネマ大系 ぼくの採点表 戦前篇(1997年3月25日 第1刷)トパーズプレス』で【彼(キング・ヴィダー)は個々の人間の努力を、喜びや失望を、まことに力強く感動的に描き出した。ヒューマニストとしての彼(キング・ヴィダー)は、ここにその全面目を発揮したのでる。そして、政策的な結論を強調せず 云々】こう書いている。今見れば、左翼的な点など欠片もなく、人と人との協力や、人を信じることで成し遂げられるものという観点からの人道的作品の典型と言える。その後、こういう角度から人々を捕らえた作品は山ほど作られたのではないかと。今での採点=70点(優)
2012.01.29
コメント(0)
『映画史上ベスト200シリーズ「アメリカ映画200」昭和57年12月15日発行 キネマ旬報社』にも入っている。ジョン・フォード監督の代表作という評価も。【コマンチ族に弟一家を殺され、二人の姪をさらわれた男イーサン。以来、彼はコマンチ族に対して憎悪を燃やす復讐鬼となった。そして、さらわれた姪たちを求めて、彼は何年も捜索を続けていたのだった。だがやっと探し当てた姪のデビーは、インディアンの言葉を操り、イーサンから逃れようとする。完全なコマンチ族となってしまったデビーに、イーサンは銃を向けるが……。J・フォード&J・ウェインのコンビによる、一人の男の復讐を描いた傑作ウェスタン。】【】は、http://www.allcinema.net/prog/index2.phpの解説。http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=13073時代は1868年、南北戦争(~1865)の3年後。日本は明治元年。イーサン(ジョン・ウェイン:当時49歳)は南軍。この映画では、インディアンを憎んでおり、最後にスカー(コマンチ族)の頭の皮まで剥ぐ、そこまでやるかという過激な役どころ。西部劇には欠かせないモニュメントバレーと砂漠、雪の中を馬で行くシーンやバッファローの群れ、それらがロケーションで撮影されている。当時の制作とすれば当たり前なのだろうが、今2012年見るとそれが魅力。ファーストシーンとラストシーンの構図、最後にイーサンから逃げるデビーを捉えるシーン、また家族、女たちのスカートが風にふくらむシーン、その様式的な画面の美しさもこの映画の見所でも有る。手許にあるDVDを順次見ていこうと・・・、その手初めが『捜索者』見た時点での採点=75点(優秀+)※例えば「立川談志」の特集「ユリイカ」のことや、その他にも、書きたいこと山ほど・・・。
2012.01.28
コメント(0)
CSを録画。言わずと知れた原作藤沢周平の短編。藤沢周平の諸短編はすでに幾編も映画やテレビになっている。いずれもそれなりに面白い。ところが、この『必死剣鳥刺し』は食いたりない。藤沢周平が湿っぽいのは已むをえないが、ラストに至るまでの語り口が詰まらぬ。というのも、最後を途中で割っていると愚を犯している。最後の立ち回りは凄惨だ。繰り返すが、その後の結末が見ている側に既に知られている。やはり詰まらぬ。物語は、女に政道を牛耳られている主君、その過ちを正そうとした家臣、主君に諫言を言える主君の別家、その裏で実権を握ろうとする藩の重役。役者はそろっている。話はすでに分かっているのだから、肝心な剣は?その点にのみ展開を絞ればよい。それがこの映画の全てだと思うからだ。尚且つ、池脇千鶴はミスキャスト。その上、池脇と豊悦のラブシーンも不要。65点及第。
2012.01.15
コメント(0)
人を殺すこと容赦なし。殺るか殺れるかに一瞬の隙も躊躇もない。これが彼らを生き延びさせている。裏切りも裏切りと言う概念では図ることは出来ぬエネルギーがそこにある。さて、チラシの惹句・・・、【『ゴッド・ファーザー』×『シティ・オブ・ゴッド』=『ゴモラ』世界最大級の犯罪組織をリアルに描いた重量級社会派エンタテイメント】ボクはどうしても『仁義なき戦い』を思い出してしまう。二人組みの若きチンピラ、トトという少年にもならぬ子供。そしてその後ろにいる偽ブランド造りや産廃不法処理の大人達。その誰もが、格好よく背広を着こなすマフィアやギャングとはほど遠い。彼らはその成果、金で欲望(思い)のまま暮らしているのか?その保障は?やはり不安はぬぐえない。故に恐怖と不安から自由であるためその組織的犯罪を誰に任せることなく自らの手で続けていかざるを得ない。自らファミリー(=守りの組織)をいずれ作るのか?遂には保守的な安泰(=安らぎ)を得るのだろうか?犯罪と表裏一体の人生にはやはり安泰はない。若きチンピラたちの向かう先には何があるのか?
2012.01.14
コメント(0)
月刊誌「波」の連載。筆者は椎名誠。鳥葬についての記述を引きます。死体は【「まないた岩」の上にうつぶせに寝かされる。うつぶせにされたダワ(死んだ人の名)はまず鳥葬師によって背中をまっすぐ切り開かれ、内臓をひっぱりだされる。病気で死んだダワの患っていた内臓が見届け人に見せられる。体をひらいてしまうと禿鷹は興奮し、興奮し襲いかかるそれらを払いのけながら体を切り離していく作業・・・、何羽かの禿鷹によって死者の上半身が持ち上げられてしまったりするという。(中略)死者は禿鷹が食べやすいようにさらにこまかく切り刻まれていく。固い大腿骨や頭蓋骨はハンマーで砕かれ、骨はツァンパと呼ばれる、チンコー麦(裸青麦)の粉で作られたチベットの主食にバター茶をまぜたツァンパ団子にくるんだりして食べやすくする。・・・】そしてこの項の最後に・・・、【長いあいだのしきたりとして、葬儀料金の安い鳥葬はまだ続けられるだろうが、最近はチベットにもスーパーなどがたくさん進出し、いわゆる「ジャンクフード」などがじわじわ一般化してきており、そういったものを食べつづけた人間の遺体を、自然界にないケミカルな味や臭いに敏感な禿鷹などが食べなくなっている、という現象もおきている・・・】鳥葬については、岩の上に置かれた遺体が鳥に食べられる、という単純なイメージしか持っていなかった。当たり前だが、人の死はそうたやすく取り扱われるものではなかった。ぼくがいま、死について思うこと第四回 チベットの友人、ダワの鳥葬椎名誠波 2011年12月号新潮社
2012.01.09
コメント(0)
前に読んだ『曠野の妻』『愛しい女』のようなメロドラマかと思ったが、これは傑作だ。その哀しみは『白夜を旅する人々』の底に流れる哀しみに共通するものがある。それは、自分ではどうすることも出来ない存在による人の哀しみである。『白夜を旅する人々』の入水した三浦哲郎の姉と思しき人。彼女には姉妹にある病はなかったのだが、家族に流れる血。それを自ら引き受けなければならぬ存在としての彼女の人生そのものに共通するものを『夜の哀しみ』のヒロイン登世(とよ)に感じた。登世の淫乱は、登世が引き受けなくてはならない彼女の人生・存在であったが、それには遂に哀しみがともなった。独りではどうすることも出来なかった。と言って誰かを共犯にすることも出来なかった。やはり、哀しい。全編その哀しみが流れている。『愛しい女』にも『曠野の妻』にも、三浦哲郎描く哀しみは確かにある。だが、『夜の哀しみ』の哀しみの方に深い哀しみを感じた。これで、三浦哲郎昨年から13冊になる。夜の哀しみ(上)三浦哲郎平成八年三月一日 発行新潮文庫夜の哀しみ(下)三浦哲郎平成八年三月一日 発行新潮文庫
2012.01.08
コメント(0)
『井伏鱒二全詩集』『厄除け詩集』の「訳詩」・・・コノサカヅキヲ受ケテクレドウゾナミナミツガシテオクレハナニアラシノタトヘモアルゾ「サヨナラ」ダケガ人生ダ【勧酒 于武陵】の名訳はここにありました。・原文勧君金屈巵満酌不須辞花発多風雨人生足別離この他、漢詩の訳がとてもよい。もう一つ紹介します。【春暁 孟浩然】春眠不覚暁処処聞啼鳥夜来風雨声花落知多少ハルノネザメノウツツデ聞ケバトリノナクネデ目ガサメマシタヨルノアラシニ雨マジリ散ツタ木ノ花イカホドバカリ『厄除け詩集(井伏鱒二)』は、昭和十二年野田書房から出た。今は、講談社文芸文庫にも。詩は韻文である。だから、こういう訳が読みたい。ここまで書いて・・・、平凡社ライブラリー『白楽天詩集(武部利男)』の再版を。井伏鱒二全詩集2004年7月16日 第1刷発行岩波文庫
2012.01.03
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1