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日本財団のHPに、イージス艦と漁船の衝突事故のことが書いてありました。『・・・乗組員親子2名が行方不明になっている事故が発生してから今日で1週間が経ちました。行方不明になっているお二人の早期発見を願うばかりですが、読者の皆さんには、あらためて海の安全についてお願いします。・・・海上保安庁よれば、・・・海難の原因としては、居眠りと見張り不十分による海難が全体の約25%を占めていて、海難原因の約73%は人為的な要因です。・・・運航する時にはくれぐれもルールを守っていただき、無理のない安全航行をお願いします。また、仮に海上衝突予防法により自分の船が進路を保持する立場にあったとしても、相手船は回避しないで漫然と航行することも考えられます。周囲の状況を常に注意するとともに、早めの回避を心がけてください。また、ライフジャケットの着用については、これまでにも何度もお伝えしてまいりましたが、あえてもう一度お願いします。海中に転落した人が無事生還するためには、海面に浮いて救助を待つことが鉄則です。そして浮いているためにはライフジャケットが必須なのです!船に乗るときばかりではなく、岸壁や磯等で釣りを行う時にも必ずライフジャケットの着用をお願いいたします』日本財団は、モーターボート振興会という競艇の収益金を基にした財団です。モーターボートという性格から、海賊から船を守るためにマラッカ海峡周辺国に警備艇を寄付したり、海に関する寄付が多いように思います。下部組織のB&G財団を通して、わが子君のジュニアヨットクラブの艇庫などに援助いただいています。ここにもあるように、『ライフジャケットさえ着ていれば・・・』最悪の事態までには至らなかったかもしれません。車のシートベルトと同じです。誰も事故を起こそうなんて運転していませんが、事故は起きてしまいます。事故が起きた時を考えて準備をしておくと、生存の確率はぐんと高まります。私は臆病というか、準備さえしておけば十分防げることで怪我をしたり命を落としたりしたくないので、粗食・野菜・肉の食べすぎ・薄味、タバコ・アルコールは飲まない。車の免許を取った時は、まだ着用義務がなかったが、友達の「カッコワル~」の言葉も平気で、シートベルト着用していたし、助手席の同乗者にもそうしてもらっていました。船に乗るときは、桟橋にいる時からライフジャケットを着ています。海が荒れそうだったり、少ない人数での乗船の時は、レスキューされるまでの時間がかかるので、登山者がロッククライミングする時用のライフハーネスを着て、それにフックしたカラビナつきのロープを船に固定して、落水しないようにしています。ところで、昨夜ニュースで、事故を起こしたイージス艦の船長さんが、行方不明家族の家と漁協を訪問したことを告げていました。数日前の日記に、「何故当事者が頭を下げないのだろう」と書きましたが、やっとここから、当事者双方の深い悲しみへのリハビリが始まるような気がします。よかったです。それともう一つ。海上保安庁に無断で、海上自衛隊幹部が事故艦幹部から事情聴取していたことが問題視されていますが、交通事故ならドライバーが警察と共に会社に連絡するのは普通のことなので、なんであかんことになるのか、ようわかりません。接触事故と死亡事故とでは、対処が違うのかなあ?自衛隊だから、あかんことになるのかなあ?電話で話していたはずなのに、更に防衛庁にまで呼んだからなのかなあ?電話だけならいいけど、防衛庁にまで呼ぶのには、捜査機関の許可がいることになってるのかなあ?
2008/02/28
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日曜日、朝起きると雪で庭が真っ白でした。この冬2度目の積雪です。母を連れて、次男の卒業制作展に行く予定になっていましたが、母からドタキャンが入りました。しょっちゅう、当日になってドタキャンする気まぐれな性格は、どないかならないものでしょうか。道路から雪が解けるのを待って、母を車に乗せて行く事も考えましたが、またごちゃごちゃ言うのも面倒なので、家内と2人で電車で行くことにしました。会場に着き、受付で名前を書いて入場です。家内は一刻も早く次男君の学科の方に行こうとします。私は、おいしいところは後にとっておきたい。どうせ次男君の所で会うのだから自由行動でいいと思いましたが、家内は私に付き合ってくれます。卒業生達のいろんな面白い、素晴らしい作品が並んでいます。製作者が近くにいて、自分の作品の評判が気になってる様子です。先を歩いていた家内が、「あら、来てたの」と、次男と話している声が聞こえてきます。次男君の作品のところにやってきました。親の欲目関係なしでも、圧倒的な存在感です。天井に届くほどの大きさで、とても綺麗にシャープに出来上がっています。壁にはプレゼンテーションパネルが貼ってあります。デザインコンセプトから、ここから得られる優雅な時間まで紹介しています。横の机には、次男愛用のマックがあり、BGMと作品の製作過程を写した写真がエンドレスで流しています。今まで描いてきたデザイン画や、製作作品の写真がファイルに閉じられています。それらを見せながら、次男君が熱心に苦労話などを話してくれました。それを聞いている家内は、幸せそうな顔でした。パネルの横に、「賞候補」という紹介パネルが付いています。そのことを聞くと、最優秀賞にノミネートされているということです。「次男君、すごいなあ~」「うまいなあ~」って、何度言ったことでしょう。卒論MVPなんてすごくないですか?親だけ、既にもらった気分になっています。土曜日は、ヨット部の後輩が差し入れを持ってやってきてくれたそうで、私達のいる間に同期君がやってきました。更に、更にですよ。東京で働いているGFさんが、なんと東京からやってきました。学部は違いますが大学の同級生で、学部卒で就職したので、先に東京で働いています。行きの電車で家内は、「来るんじゃないかなあ。きっと来るよ」と言ってたけど、「東京から来ないだろう」と思っていました。が、女心の読みはやっぱり家内の方が当たりでした。家内が次男君に会ってすぐ、「GFさん来た?」と聞いて、「今日来る予定」ということだったので、待っていました。「すいません。遅くなってしまって」と恐縮して、でも笑顔でやってきました。その少し前に彼女から電話が入ったようで、2Fの休憩室の窓際にいた私達の下を、電話を耳に当てながら、次男君が駅の方に歩いて行きました。「きっとGFさんからの電話ね。下に行ってよう」って、さっさと次男君のブースの方に行きました。私は、しばらく次男君の後姿を追ってから、下に降りました。エスコートしてやってきました。「あなた、写真撮ったげて」作品をバックにツーショットを撮りました。次男はクラスメイトもいるので照れていましたが、彼女の方は、ニコニコしていました。色白美人で、明るい子です。家内がとっても気に入っています。私は昨秋の次男の全日本レース会場が初めてで、それ以来だけど、なんとなく家内に似てて、素敵です。「あなた、帰りましょう」そうか、お邪魔虫は消え去るのみだな。幸せのおすそ分けをもらって帰りました。この辺の退散のタイミングも、女心を読んだものなのでしょうか?
2008/02/26
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イージス艦と漁船の衝突事故で、当事者の肉声やコメントが出てきて、段々全容が明らかになってきたように思います。私が当初思っていたように、大型船であるイージス艦の方は、漁船船団が来ているが、海上衝突防止法でのルールとは関係なく、「いつものように向こうが避けるだろうと思っていた」。衝突した漁船の近くを走っていてイージス艦を避けた漁船の船長さんは、「大型船に対しては、いつもこっちが避けていた」。これが、小さな船に乗っている私達のごく普通の日常です。でもぶつかってしまったら、当然ルールにのっとった海上審判が行われ、イージス艦に非があると判決が出るでしょう。今回の件で2つ気づいたことがありました。1つは、「人数が多いがための無責任」イージス艦の艦橋で当直操舵指令以下、何人も漁船を見ているのに、誰かが・・・上司が・・・の無責任によって、回避行動に入るのが、あるいは安全航行のために速度を落とすのが遅れました。もし、たった1人でステアリングを握っていたら、全責任が自分にあるので、もっと慎重な行動を取ったはずだと思います。次に、「何故当事者が謝らない?」軍、防衛省、あるいは国という大きな組織であるがゆえに、事故そのものより、後に続く裁判や保障の方に目が行っていて、「悪いことをしてしまったら素直に謝る」という、人対人ではごく当たり前のことが出来ていません。仕事柄万引きという問題に時々出くわします。そういう人を捕まえたら、説教などはしませんが、「出来心だから許してください」の声に左右されず、警察に通報します。初犯なら、書類送検までされないのはわかっていますし、警察官に挟まれて警察署に連れて行かれ、保護者や学校・会社など関係者に迷惑をかけることが、次のもっと大きな事犯の予防になると思っているからです。その人を更正させるのは、親の役目です。許すのは親です。そして、そのときの親の対応を見ることが、更正させると思っています。私自身、子供の原付バイク2人乗りで、身元引受人として警察署に出向いたことがあります。その他、友達と喧嘩して怪我させてしまったなど、いろいろありました。いつも、子供を責めることはしませんでした。世間である警察や先生から、もう十分に叱られているからです。でも、相手様には、当事者の子供と一緒に出向いて、何度も何度も頭を下げてきました。こういう時は、家内ではなく、家長である私が対応しました。相手のお宅へのうちの精一杯の誠実だと思うし、そんな親を子供が見ることが最も大きな教育だと思うからです。万引きをした子とその親が、後日謝りに来ることが1/4ぐらいでしょうか。きっとそういう家庭の子は、若気の至りで、立派な大人になっていくでしょう。でも何の音沙汰もない家庭の子は・・・あまりいい予後にならないような気がします。今回のイージス艦衝突事故で、何故、当事者であるその時目視任務をしていた人、操船していた人、レーダー監視していた人、操船指揮者、艦長が、謝らないのだろうと思います。大臣や防衛省幹部が謝っても・・・と思ってしまいます。操船当事者は、艦長に謝り、艦長や士官は、組織本部に謝り・・・組織の上司に謝って小言を言われ、ペナルティを与えられ・・・上司の何に謝ってるのだろう?上司が更に上司に謝る手間に謝ってるのだろうか?本当に被害を受けた人は、上司じゃなくて、漁船関係者です。行方不明になった方の家族・親族も、本当に気持ちをぶつけたい相手は、大臣ではないと思います。監督責任者ではあるけれど、当事者ではありません。「申し訳ない」という顔をしておられますが、本心から申し訳ないとは思えないと思います。だって、その現場にいたわけではなく、自分が操船したわけでもないから。艦長以下の操船者は、事情聴取などの事情として隠されていますが、これでは本当に人として誠実に頭を下げる機会が奪われてしまいます。そりゃ騒然とした雰囲気になるでしょう。でも双方に、大きなプラスを与えると思います。操船当事者も、本当は、漁船関係者に会って謝りたいだろうと思います。自分の親が、自分のミスを何度も何度も頭を下げる姿を、子供はどう思うでしょう。かっこ悪いと思っても、誠実に対処する姿は、きっといい影響を与えます。そして、ミスを隠さず、堂々と頭を下げるお父さんの姿は、かっこいいとさえ思えるかもしれません。万引き後、その子が親と共にやってきた時、文句を言ったりしませんが、私自身の嫌な気持ちが晴れていくのがわかります。多分、その子や家族の気持ちも同じだと思います。私自身が加害者として謝りに行った時、いつもそう感じるからです。お互いにけじめが付いて、気持ちが晴れて明日に向かえます。道徳教育がどうのこうのより、よっぽど多くの子供達に印象に残る教育だと思うのですが・・・
2008/02/25
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こないだ家内と話していると、昔の話になりました。その時、思いがけない人Dさんの名前が出て、ビックリしてしまいました。私は忘れていたのですが、結婚してからしばらくの頃、その人のことを私が話したようです。結婚する時、「昔のBFさんからのラブレターとかもらったプレゼントとか、みんな持って来なよ。絶対捨てたりするなよ」と家内に言いました。その通り、箱に入れて手紙とかを、嫁入り道具と一緒に持ってきました。何故か私の部屋の引き出しに入っているのですが、開かずの箱になっています。私の思い出も同じようにトランクに入れて置いてあります。多分家内も見ていないような気がします。堂々と、ここだよと言って置いてあると、内緒で開けて見れないものです。「その代わり、教えて」と、いろいろしゃべらされたことがありました。その時に、そのDさんのことをしゃべったように思います。彼女は、幼稚園の同級生で、4才の初登園から多分2~3回目の時の幼稚園前の階段での強烈な記憶まで遡れます。通った幼稚園は、電車とバスを使って1時間ぐらいかかるところでした。1人で登園するために、幼稚園の規則で、1回目は玄関まで、2回目は幼稚園前の階段を上がったところまで、次が階段の下まで、という具合に、段々と親が付いていってもいい場所が少なくなります。10回ぐらいで、家から1人で通うようになります。4才で、住所と名前を書いた名札をつけて、首から電車とバスの定期をぶら下げて登園するんだから、のんきな時代です。まあそれはいいとして、親が階段のしたまでしかいけない日、50段ぐらいある階段の中ほどに蛇がいたのです。そこまで来た私は、怖くてそれ以上上がれず、母を呼びました。何度呼んでも頑なに、「行きなさい。怖くないから」と言うだけです。でもどうしても行けませんでした。とうとう泣いてしまいました。でも母は来ません。その時、下からDさんが上がってきて、私の手を取って、「一緒に行こう」と言ってくれました。大人に取っては、実にバカらしいことですが、私にとってDさんはヒーローで、ずっと幼稚園では特別な存在でした。同級生のサブリーダー的な存在で、リーダーも女の子でしたが、その子は番長タイプなので、私にはDさんの方がよかった。男の子達が、2人の女の子に動かされていた時代でした。ただ彼女は、翌日には蛇のことを忘れてたんじゃないかなと思います。そして母を遠く感じた最初の日だったと思います。中学で再び私立に通うことになると、乗り換えの駅で週に1回ぐらいDさんとすれ違うようになりました。ただ「おはよう」と言うだけでしたが、時には「ねえねえ」と話しかけてくれたりしました。私は男子校で、向こうは女子校なので、文化祭のチケットを駅でもらったり渡したりもしました。彼女は、とても綺麗で明るく、とても目立ちます。彼女を見て、友達には冷やかされました。でも、彼女の家はとてもお金持ちで、親達が集まりたくてずっと続いている幼稚園の同窓会に行くと、彼女は私とは全然違う服装で、不釣合いすぎて気楽に誘える感じではありません。もちろんデートなどしたこともないけど、大学生になり、彼女がデートしてるとき私の車がすれ違い、私を見つけた彼女がUターンして追いかけてきて、BFさんを紹介されたり、偶然何処かであったとき、私のGFさんのことをしゃべらされて、紹介させられたりもしました。「へえ、すごいじゃない」とか「のりまき君ならできるよ」と、誰に対しても相手を上手におだてて乗せるしゃべり方なので、ついしゃべってしまいます。4才といえば、ほとんどの場合、女の子の方がしっかりしています。当時の力関係そのままに、同級生だけど、彼女の方がちょっと立場が強い関係が今でも続いています。幼稚園からの異性の友達とは、こういう関係になるものかもしれません。家内と結婚する時、婚約披露パーティーにも来てくれたし、結婚式にも来てくれました。そして彼女のウェディングドレス姿も、拝ませてもらいました。幼稚園からの異性の友達とは、こういう関係になるものかもしれません。でも、こんなに長く付き合ってる幼稚園の友達は彼女だけで、その後お互いの子供が同じ私立の中高に通ったり、ほんとに縁があります。去年、彼女の母親が亡くなった時は、私に連絡があり、お花を出したり等の幼稚園の同級生のとりまとめを私がしました。こんな気軽な関係が長く続き、年賀状のやり取り等も続いているので、家内も彼女のことを私の呼び方そのままに、Dちゃんなんて呼んでるのですが、「あなた、Dちゃんとなら結婚してもやっていけないけど、私とならやっていけるなんて、言ってたわねえ」なんて、私自身忘れてしまった昔の私の言葉を掘り出してきました。忘れてしまいましたが、そのときの私は、到底ありえない相手として彼女を引き合いに出したのか、結婚する前から紹介し、話している私の女性友達として対象にしたの思います。でも、今度の話の流れでは、「えっ?嫉妬してるの?」という感じが伝わってきました。「Dちゃんは高嶺の花だから、私で手を打った」と言いたげな・・・「なんで?なんで?」と意外です。彼女は今でもとても綺麗だからなのか?こんな気持ちをずっと持ちながら、25年も私と一緒に暮らしていたなら、とても悪いことをしていたような・・・そう言えば、彼女がうちに来て、夜お茶しようとどこかに出かける時も、「私、夜は眠たいし、積もる話もあるでしょう」と、私と彼女だけにしたりします。せっかく一緒にって誘ってくれてるのに・・・と家内を誘っても、一緒に行こうとしませんでした。・・・何かほんとに、家内に悪いことをし続けていたような気がして、Dちゃんと私の関係を、ちょっと照れくさいので、手紙に書いて家内が見つけるところに置いておきました。弁解でもないけど、なんかそのような、微妙な手紙になってしまいました。う~ん、女ごころとは・・・
2008/02/23
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今朝、家内と話していると、「起こしに行かなきゃ」と次男の部屋に上がっていった。「お母さん、明日・・時に起こして」息子たちが、夜、よくこれを言っています。東京に住んで働いているのに・・・何年も下宿生活してたのに・・・家に帰ってくると、うちの子達はいつもこれです。家内は10時には寝てしまう人なので、それより遅く帰ってきた時は、食卓に「明日・・時に起こして」と書置きを置いています。「朝7時」とか「6時半」とか、家内が起きる時間とあまり変わらなかったり、それより早い時間だったりするので、「大丈夫か?」と思うのですが、いつ見ているのか家内はその時間にちゃんと起こしに行っています。彼らの部屋で目覚ましが鳴り、起きなければ鳴らない準備をちゃんと整えているのに、いつもこれをやってます。次男が下宿をし始める時は、毎日のように起こしてもらっていたので、朝起きられるのか心配でしたが、ちゃんと卒業したから大丈夫だったようです。最近は、それを聞いたり見たりしながら、「母親に甘えているのだなあ」と「子供に甘えてもらっているのだなあ」と思うようになりました。本当に必要なものではないと思っています。だって、父親には一度も言ってきたことがないからです。子供達が皆勤賞や精勤賞をもらって来た時、「あいつらがんばったよな」と言うと、「私ががんばったのよ」と家内が返してきます。「お母さん、甘えさせて」も「よしよし甘えておいで」も、お互いに言えない年齢になったから、別の手でそういうものをお互い満足させているような感じがします。ちょっと子供達がうらやましいと思う部分でもあります。私は中学から、自分で目覚ましで起きていました。そんなこと母親に頼んだら、「何甘えてんの、中学生でしょ。自分で時間の管理をきちんとしなさい」とダメ出しと、小言が返って来るのがわかりきってるからです。そういう言葉を聞くと、「あんたはあかん子や」と、自分の値打ちをどんどん下げられているように感じます。奥さんをもらえば、家内の役割がそっちに移るのでしょうか?ひょっとすると、すでにモーニングコールなるものをお願いしているのかもしれないが・・・
2008/02/22
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Yさんからメールが届きました。「のりまきさん、お久しぶりです。おげんきですか?」で始まり、ジュニアヨットクラブについて教えて欲しいとの内容でした。費用から始まって、指導者数、レスキュー体制、子供達が楽しく活動できる秘訣、そしてクラブ員の公募方法まで、いろんな質問が並んでいました。彼女とは、去年秋の全日本以来です。先月、オーストラリアの世界選手権で、2人乗りヨットの北京オリンピック代表が決まりました。Yさんは、アテネオリンピック代表でしたが、今回は2位で残念でした。今年1年、ジュニアヨットをリサーチして、来年彼女の会社のある岡山県でクラブを立ち上げるようです。所属会社は、うちの子も定期購読していた「子供チャレンジ」の会社で、会社のミッションにも合ってるように思います。会社主体ではなく県連主体のようですが、彼女の会社がスポンサーになったら、財務体制は磐石でしょう。彼女自身、広島ジュニア出身で、中学生まではお父さんとともにいろんなところに遠征し、ヨーロッパ選手権にもに出場しました。高校で、新しくヨット部を作り、国体優勝しました。彼女と組んで優勝した子が、母校の後輩として入部してきたり、彼女自身が母校といつも定期戦をしている大学ヨット部に入学したり、そして次男が大学生になって、オリンピック種目でもある2人乗りヨットにステップアップして、更に交流が深まりました。オリンピックを目指すのに一段落し、すそ野を広げることに目が向いたのかもしれません。子供達との交流で、エネルギーをもらい、しばらく休憩してまた4年後を目指すのもいいと思います。質問に私なりの答えを書いて返信しました。そして、今クラブの代表をしている現役クラブ員のお父さんに連絡とって、うちのクラブを数日体験したらどうかな、と提案しておきました。そして今日、「自分たちが活動しているとは違い、裏方の立場を改めて見てみると、指導をしながら、いかに組織を成り立たせるかが大変だと思いました。いいクラブには組織がきちんと成り立っています」とお礼が返って来ました。確かに、選手と人を育てるのは随分違います。特に子供達相手だと、熱血漢では無理です。一呼吸置いて、自分で学び、育つのを待つ余裕が、結局は大きな選手につながったりします。猛練習をコーチが強制することで成功している子供のクラブは、他競技でももうないと思います。上手に褒めておだてて、プライドをくすぐり、それを潰さないように、タイミングと言葉を選んで、コーチングする。何より、自分で考え失敗を恐れずやってみる習慣をつけてあげなければならないと思います。スポーツ先進国のメンタル面重視のコーチングでいかないと子供は無理です。そして、子供達の好成績にでしゃばらず、影のようなコーチでいないとね。かつて軟弱だと言われて、日本ではまだそういう認識が残っている「嬉しい・楽しい」の効果と優位性を学んで、素晴らしいジュニアクラブがたくさんできるといいと思っています。文部科学省のスポーツ指導者講習などでは、それが言われていますが、受ける側がまだまだのような気がします。年齢の下のスポーツクラブから変わって行ってるように思います。そういうクラブが実績をあげていっています。熱心なコーチングは、どやしつけることと思ってる指導者が、相変わらず君臨しているクラブは、クラブ員が集まらず衰退していってるような気がします。彼女は温和な感じで、いい子なので、きっと素晴らしいクラブを作っていくでしょう。がんばってね、Yさん。
2008/02/21
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イージス艦と漁船の衝突が起きました。今朝の新聞を読みながら、何となく全容が見えてきた感じがしました。海上衝突防止の法律では、相手艇を右舷に見る船が避けなければなりません。でも現実問題、大きさに今回のような差がある場合は、小型艇が大型艇を避けます。ヨットレースをしている海面を、大型本船が、警笛を鳴らしながら多少減速はするものの、進路は変えずにレース海面のど真ん中を突っ切るのはよくあることで、それでレース艇が停船したりして極端な不利が出た場合は、ノーレースにしてやり直します。僕らのような小さな船が、本船航路を横切る時は当たり前ですが、貨物船など大型船の進路を遠くから注意して見ています。向こうは15~25ノットで走っています。当方は5ノットぐらいなので、スピード差は3倍以上。大きさは、数百倍。三輪車とダンプカー以上に視線の高さが違います。本船が近づいてくると、そのスピード差にビックリします。「目測を誤ったらぶつかる」というより、「轢かれる」という感じです。遠くから視認しながら、このままではミートしそうだなと思ったら、かなり手前から進路を変えます。そうすることで、大型船に、こっちがあなたの存在に気づいていますよ、という意思を伝えます。視認状態だと、大型船には、そのままのスピードと進路を保ってもらうのがいいです。大型船から見れば、当方のような小さな船が近づいてくると、急に止まれないので神経を使うと思います。当方のような5トンぐらいの船でも、桟橋に着けるときには、手前からニュートラルで惰性で走らせ、桟橋と船との近づき具合を見ながら、スクリュー逆回転を何度かして十分減速します。桟橋に着ける時は、ほぼ停船状態にします。今回の衝突事故の記事によると、イージス艦が漁船に気づいたのが2分前ということに驚きました。夜明け前とはいえ、軍艦がこの程度のものなのかと。レーダーなしでも、艦橋指令室や左右の周囲警戒場所には、高性能双眼鏡や暗視鏡が装備されていると思うのですが。大型船を警戒しながら、どうせ小型船は避けるだろうと思って、そっちの警戒を怠っていたのだと思います。一方漁船側ですが、昨夜のニュースで数隻の僚船とともに漁に出たとなっていたので、船団を組んでいたのだと思いましたが、今朝の新聞でそれが確認できました。朝というか真夜中というか、3時や4時頃大阪湾を走っていると、突然遠くの陸地にとても明るいサーチライトを視認する時があります。最初見たときは、「何だ?」と思いましたが、それが段々近づいてきて、何かわかりました。漁船です。ものすごいスピードで走り抜けていきます。海上保安庁の巡視船でも、とても追いつけそうもないスピードです。大きな船団や好漁場で稼げそうな時は、漁船だけど魚網などを積んでいない高速ボートが先頭を走ります。漁船のディーゼルエンジントップメーカーのヤンマーさんにお勤めの知り合いがいますので、教えてもらったのですが、ハイパワーのエンジンを2基載せて、高性能レーダー、灯台の光のようなサーチライトを供えたハイテク漁船だそうです。ただ好漁場の場所取りだけに使われるボートです。高速で走るので、流木などを避けきれず、よく修理になるそうですが、それでも場所で大きく漁が違うので、十分ペイするそうです。それが過ぎ去ってしばらくすると、漁船船団の本体が、これも全速でそれを追いかけるように走っていきます。その漁船を見ると、猟師さんが忙しそうに漁具の整理などをしています。僕らのような素人では、あのスピードで立っているのさえ怖くなるところで、慣れたもので仕事をしています。操舵する人も、オートパイロットに入れて、いろんなことをしているのだと思います。『事故を起こした清徳丸と同じ頃出航した幸運丸の船長さんの話が新聞に載っていました。清徳丸を含む船団は幸運丸の後方3km付近を走っていた。AM3:30頃レーダーに前方からやってくるイージス艦が映った。「何の船?」「タンカー?」と僚船同士の無線会話があったが、清徳丸からの声はなかった。幸運丸は、イージス艦から見て、左から右に斜めに前を横切った。「危ない」と僚船同士の無線会話があり、漁船はイージス艦を避けたが、清徳丸からの会話はなかった。清徳丸の(イージス艦から見て)左斜め後方を走って、イージス艦と正面衝突の位置にいた金平丸の船長さんの話も載っていました。AM4時ごろ、青い明かりを見せて正面から向かってきた。最初(イージス艦から見て)左に進路を変更したが、それでも衝突の危険があると思って、(イージス艦から見て)右に舵を切りなおした。船は真っ直ぐ近づいてきたので、左右どちらに避けるか迷った』そこで私の想像です。幸運丸は、高性能レーダーを積んで先頭を走っていた高速艇なのでしょう。後続艇が3kmも離れていたので、余裕を持って魚場に一直線にイージス艦の前を横切ったのでしょう。最新鋭イージス艦は、軍用高性能サーチシステムを装備しているので、レーダーなどでは捉えていたと思うが、いつものように向こうが避けると思って進路速度を維持する。正面から近づいてきた大型船を避けるために独自に回避行動を取った船団の各漁船は、大型船の青(緑)灯を視認しているので、自艇の左側から近づいてきているというのはわかっている。大型艇の前を横切れると思った漁船は、自艇の舵を右に切って、早めに進路を横切る。前を横切れない、あるいは危険を冒したくないとより安全を求めた漁船は、自艇の舵を左に切る。金平丸の船長は、最初前を切れるかなと思って右に転蛇したけどやっぱり怖いので、より安全な左に転蛇しなおした。では衝突した清徳丸はどうしたか?船団の3km前を走っていた高速漁船レーダーがイージス艦を捉えていたので、かなり前から、船団はその存在がわかっていた。でも、その会話に清徳丸が加わらなかった。ただ聞いていただけか、オートパイロットにして親子2人で漁具の用意をしていたのかもしれない。1人は寝ていたのかもしれません。いよいよ近づいてきて、避けないと危ないと思って交信された会話にも清徳丸が加わらなかったので、イージス艦の存在の発見が遅れ、直前になって危ないと思い右に転蛇したが間に合わず、イージス艦の船首に衝突してしまった。では巨大船が自艇の斜め左から近づいて来たのに、何故その前を横切るように右に転蛇したのか?衝突を避けるためには、相手艇の後ろ側に向けて転蛇する方が、相手艇も前に進むので避け易いです。ヨットレースでは、風上マークに向かう時、ヨットは風に対して45度ぐらいしか風に向かえないので、各艇ジグザグに進路変更しながらマークを目指します。だからしょっちゅう左右から交差します。ヨットレースでも右から来る船優先なので、相手艇が自艇の進行方向に対して右からやってきて、そのままならぶつかる状況なら、相手艇の後方、つまり右側に転蛇します。でも衝突の直前まで相手艇に気づかず、衝突が避けられないと思ったら、相手艇の進行方向、つまり左に急転蛇します。なぜなら、右に転蛇して、相手艇のどてっ腹に直角にぶつかるより、左に切って、進行方向を同じくして、より相手艇と平行に近い状態でぶつかる方が、損傷が少ないからです。反対に、自艇が航路維持の権利がある相手艇を左に見る位置でも、非権利艇が自艇の存在を認識せず突っ込んで来る場合があります。この場合、当然相手は自艇を認識してると思ってるから、進路とスピードを維持します。こっちも権利艇だけど、ぶつけられたら損なので、認識していることが確認できるまで非権利艇を意識しています。最終今なら転蛇して衝突を避けられるというギリギリまで待ち、「こりゃ気づいてない」と思った時は、最悪右に転蛇して、相手艇と進行方向を同じく平行になるように避けます。海上衝突防止の法律から言えば、イージス艦の方に避ける義務があり、清徳丸はそのままの速度と進路を維持していればいいだけですが・・・清徳丸を操舵していた方が、衝突直前になって気づいて、暗くてイージス艦の全体像や、速度を視認できなかったこともあり、とっさに右に転蛇してイージス艦とより平行にぶつかって損傷を少なくしようとしたのか?あるいは、イージス艦の直前を横切れると思って、速度を上げて右に転蛇したのか?いずれにしても、ライフジャケットを着用していれば、命は助かったように思います。千葉県沖の太平洋だと、水温は15度はありそうだ。気温より大分高いような気がする。毎日海に出ている海のプロでもミスは起こします。船でのライフジャケットは、車の安全ベルトなど比べようもなく、命を守るために重要です。何もしなくても数日は浮いていられる規格になっています。
2008/02/20
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昨日の続きです。ランドマークであるアジアトレーディングセンタービルや、大阪市のごみ焼却場煙突を説明し、波が上がってきそうなので、尼崎から神戸にかけての長い一文字防波堤の内側に入ることにしました。夏場は防波堤の上に鈴なりで釣りをしているのに、誰もいません。寒い時期なので釣り人も冬眠のようで、渡船屋さんも商売にならないでしょう。防波堤端の白灯台を回って、2回生部員にステアリング交代です。ここからハーバーは、風上に上れるギリギリで行かなければならないので、マネさんより部員の方がいいでしょう。船酔い気味になったマネさんも、走り出して船が安定し、もう大丈夫そうです。が、ここで予想外に風がなくなってきました。10m/sブローで走る予定だったのにがっかりです。無風に近いところまで風が落ちたので、エンジンをかけ機走します。風向が変わり北からの風を感じて再びセイリング、でも続かずすぐに風が落ちてしまい、また機走です。ハーバー西出入り口まできて、やっとしっかりした北風を受け始めました。時刻は1時半。いい風でセーリングしたい気分を収めて、芦屋の高級ヨットハーバーに上陸することにしました。あまり長い間、寒い海上で女の子達を連れまわすのは趣味はありません。「女は度胸、男は優しさです」ハーバー内に、大阪の有名ホテルが出してるおいしいと評判のレストランがあります。お茶でもしてちょっとリッチな体験もいいかなと。そこに奥にある県のハーバーから、ジュニアが出てきました。次男君の後輩達です。先頭で出てきたのはMちゃんのようです。Mちゃんに伴走して声を掛けます。インフレータブルボートが近づいてきます。ボートの舳先に乗ってるのは、次男の母校に合格したばかりのM君です。ジュニアを引退して、今日はコーチのようです。Uさんが乗っています。Uさんの長男君はうちの次男君と同学年で、何年も一緒に日本全国を遠征していました。お子さん達はとっくにジュニアを卒業してるのに、熱心です。「綺麗どころさん達クルージングです」「学生さん?いいなあ。そっちに乗ろうかな?」なんて軽口を叩きます。ハーバーに入り、桟橋つき邸宅の方に回って沖から見物。「こんなとこに住んだら招待してな」と学生達に頼んでおきます。ゲスト桟橋に向かっていると、ハーバー隣接の結婚式場から鐘の音が聞こえてきます。結婚式をやってるようです。ゲスト桟橋はちょうどハーバーレストランの前です。食事を取りながら、我々の方を皆さん見ています。ちょっとした景色のアクセントなのでしょう。着艇をミスるとかっこ悪いので、いつもより丁寧にステアリングとエンジンを調節して、部員君たちに指示を出して。レストランに結構人が入っています。レストランに入り、人数とお茶だけでもいいかと聞くと、1Fは満席で4時まで無理だそうです。ココのハーバーのメンバーさんだと2Fに席を用意するそうですが、隣のハーバーなのでそれは無理です。まあ半分は予想されていたことなので、諦めて・・・隣のガーデン結婚式場を見物しに行くことにしました。それにしても、2月のしかも雪まで降ってるこんな寒い日に、海なんぞに来る物好きは少ないだろうと踏んでいたのですが、レストランの評判はとてもいいようです。出来立ての頃は、気楽に来れたのに、予約を取らないと席につけないようになってしまったようです。海側からなので、結婚式場の入口がわからず裏からぐるっと回ると、中庭でウェディングドレス姿の新婦さんが、皆さんに祝福されています。ウェディングドレスにあこがれるお年頃のマネさん達は、羨望の眼差しです。正面入口に回り、パンフレットをもらいます。費用を聞いたら、ドレスなども含めて1人5万円ぐらいだそうです。ホテルでの結婚式とさほど差がないのかなあと思います。船に戻る私達に式場のお姉さんが1人着いて来ます。「船で来られたのですか?」と私に声を掛けます。式の時、レンタルヨットで新郎新婦が、海からエントリーすることも出来るようです。また雪が降ってきました。「雪降って来たから戻って、濡れるよ」最近増えてきたガーデン結婚式ですね。建物の大きさから見て、庭の仕切りから見て、同時に2組がキャパシティかもしれない。その割りに、受付にお姉さんが多かったなと思いました。ケータリングなどの仕事が終わったからかなあ?それとも披露宴がもうすぐお開きで、お見送りのためかなあ、なんて関係ないけど仕事の段取りをいろいろ考えてしまいました。船に戻り、もやいを解いて出艇です。バースに戻ってきて、ヨットクラブのレストランでお茶です。白人の綺麗な奥さんが2人、食事をしています。5~6才の子が2人近くにいます。英語でない言葉をしゃべっていました。フランス語でもロシア語でもないし、ポルトガル語でもスペイン語でもなさそうです。テーブルに着くと、年頃の女の子なので、さっき見たウェディングの話になります。去年の部内カップルの結婚式の話や、次男君と同期の部内カップルが今年ではないかとか。「・・さんは何処で結婚式を挙げたのですか?」と話が振られて来ました。「大学のチャペルで、中学の時の校長先生が牧師さんなので、その方に挙げてもらったよ。チャペルを出ると、日曜日だったから多くなかったけど学生が歩いていて、立ち止まって見てたよ。そこからタクシーでホテルに行き、披露宴」「うわあ、すてきです」「本当はスキー場の教会で挙げる予定だったんだけど、参列者がどうして行くのと親に反対されて・・・その前に親に内緒で2人だけで、白馬のホテルにスキーに来たことがあったんだよね。そのとき、ちょうど結婚式があって、僕らにもチャペルに来ないかとホテルの方から声がかかって、普段着で参列したの・・・」「スキー場で結婚式なんて・・・いいなあ・・・。・・さん、素敵な旦那さんですよね・・・」のような話になって、ちょっともててしまいました。海から帰ってきた時、正面に見える六甲山を見ながら、「あの手前に少し低い摩耶山という山があって、去年のクリスマスプレゼントは、あの山からの夜景だったんだよね。家内と2人で行ったんだ。摩耶山の夜景って、日本三大夜景って知ってた?」「プライスレスなプレゼントですね」「いかにお金をかけずに、を考えてるからね」なんてことも言ってたからかもしれません。でも私の友達には、結婚記念日に毎年花束をプレゼントするヤツもいるし、結構たった1人のためには、やってるような気がします。4時前に解散といういい感じの時間になりました。時々雪が降る冬らしい日でしたが、8m/s以上の風が入ることはなく、全面白波になるほどの風が入らずよかったです。天気予報が、いい具合に少し外れてくれました。
2008/02/19
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日曜日は、久しぶりに浜に行きました。用務員をしているヨット部の部員達とのクルージングです。2ヶ月のオフ明けに、体育会とは別のヨットの世界を体験するのもいいかなと去年より始めました。1回生のオフのこの2ヶ月で、ヨット部から離れていく部員がいます。その対策です。キャプテンに連絡して、1回生の感触を聞くと、3人と部員が少ない分絆は強いようです。去年同様、1回生と女子マネージャーさんを招待です。寒いですが、後期試験後のこの時期しかありません。しかし、1回生は3人とも車の免許を取りに合宿免許教室で行ってるようで、2回生2人とキャプテン君、そしてきれいどころのマネージャーさん4人になりました。あまり吹かなければいいがなあと願っていましたが、前日の天気予報は、昼からみぞれの予報です。気温も低く、風向は西で終日6~8m/s前後です。この季節の西風は強くなる可能性大です。「寒そうやなあ」と思いながら起きた日曜日の朝は、きれいに晴れています。自宅付近では風もあまり吹いていません。長靴を履いて「このまま、うららかな天気だったらいいのになあ」と思いながら出発です。エンジンはかかるだろうとは思いましたが、一応約束の1時間前に浜に到着です。クルージング船のドッグハウス内は、修理予定のソファがないので今一の雰囲気です。ハーバー内のヨット屋さんに見積もってもらったところ、4点のソファの中身交換だけで15万以上の見積もりでやんぺしました。家具の修理屋さんに見積もってもらったら、新しく作っても10万いきません。1ヶ月かかるそうですが、こっちにしました。エンジンを回します。寒いので一発でかかることはありませんでしたが、2回目には回りだし、排水もされています。2分ほど回して、トイレの流れを確認し、船内をゴソゴソして、センターハウスに向かいます。本を読んで、学生さん達を待ちます。この日は大型艇のレースのようで、桟橋でレース艇が準備をしています。ジュニアからヨットをやってた知り合いの子が「こんにちは」と声を掛けてくれます。相変わらず明るくいい子です。はよ、結婚しちゃえばいいのに・・・と思いながら、彼女の親御さんから聞いたBFさんではないかと思ってる子が、北京オリンピック代表に選ばれたから、ひたすらBF君の一段落と例の台詞を待ってるのかもしれません。みんながやってきました。服装の用意を一応聞いてみるが、着込んできたとはいえ、風を通さない素材がなく、長年の間にたまった持ってきたカッパを使うことになるなあと思いました。4人分しかないので男子は我慢ですね。そこで思いかけずマネさん手作りの本命?(であるはずがない)チョコをもらってしまいました。家内からのチョコ味ケーキに続き、本年2つ目のバレンタインです。陸上置きのレース艇にライフジャケットを取りに行くと、サイドボトムがきれいに塗装されています。次はボトムの塗装になるのでしょう。船に行き、全員ライジャケを着て出艇です。ハーバー出口を出てすぐにセールアップします。4~5m/sのちょうどいい風ですが、天気予報のこともあり、メインセイルは2ポイントリーフで、前のジェノアセイルは半分ファーリングして小さく展開です。フルセイルでも十分走れますが、初めて乗った女の子達を怖がらせる趣味はありません。赤灯台を越え、神戸空港方面を目指します。時折ブローが入り、6ノット弱のいい走りです。天気予報の本格的な西風が入って来るかと、周囲を注意しながら、マネさん達に交代でステアリング体験してもらいます。メインセイルをコントロールするメインシートトリマーはキャプテン君、ジェノアトリマーに1人、ステアリング補助に1人、3人の男の子を配置し、私はオーナーズチェアで口だけさんです。西の人工島からあまり離れず、西からの強風が入ってきても、大きな波だけは避けるコースを取ります。でも、それらしい天気になってきません。大阪湾中央に出ても大丈夫そうです。そこで、大阪方面に向け、大型艇のレース海面に向かうことにしました。レース本部船付近に来ると、ちょうど第1レースのフィニッシュでした。続々とフィニッシングラインを切って行きます。次のスタートを見るべく、ラインの付近にいると、レース艇が近くを通ります。手を振ると、向こうからも返って来ます。女の子が乗ってるのでなおさら返してくれるのかもしれません。ここで周りを見渡すと、六甲山が白く煙っています。どうやら中腹以上では雪が降ってるようです。「寒くない?雪来るから、カッパ着て」とドッグハウスから用意していた4人分のカッパをマネさん達に渡します。着替えながら気持ちが悪くなった子が出ました。しばらく後ろから風を受けて、左右に船が揺れたのと、着替え終わるまでと小さい方のセイルをファーリングして船を止めたのがいけなかったようです。こりゃあかんと思って、メインに風をいれ、風を横から受ける状態にして船を走らせることにしました。カッパを着終わり、スタート海面に戻り始めた時、風と共に雪が降ってきました。グッドタイミングでカッパを着れたようです。目の前をレース艇がスタートしていきます。大型艇のスタートは迫力があります。
2008/02/18
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天台宗大阿ジャリ酒井さんのインタビューが新聞に載っていました。多分1週間ほど前にも読んだので、2回連載なのでしょう。天台宗の大阿ジャリというのは、天台宗総本山比叡山延暦寺界隈の山を、1000日間毎日歩き続ける行を成し遂げた人を指します。酒井さんは2度それをやり遂げました。2回成し遂げた人は、今までに3人だけだそうです。随分前にTVで、そのドキュメンタリーを見たことがありますが、一汁一菜の食事だけで、それはすごい修行でした。最後に、9日間房にこもって水だけで経をあげ続ける断食行を終え、生き仏さんになります。学業で落ちこぼれ小学校しか出ていないそうです。仕事でも、落ちこぼれ、人生に打ち破れ比叡山にやってきました。そこで誰でも、いつからでも修行を積めばお坊さんになれることを知り、何故かお坊さんの学校だけは主席で卒業します。Q、2度の千日回峰行を終えて、何を得ましたか?A、何もないよ。みなが思ってるような大変なものじゃない。今でも毎日歩いてるし。大げさに評価されちゃうんだよ。戦後東京でラーメン屋やってたけど、今でも材料があれば、チャッチャって作っちゃうよ。朝起きて仕込んで、材料買いに行って、お昼に店を開けて、夜中に店を閉めて、寝て、また朝起きて・・・くるくるくるくる。屋台があったらラーメン屋の親父だな。おんなじだよ。Q、行は形じゃないと?A、みんな背伸びしたくなるの。自分の力以上のことを見せようと思って、ええかっこして足元をすくわれる。無理しなくていいの。無理と言うのは、自分にとって理に通らないこと。そんならやんない方がいいの。無理せず、ひがまず、焦らず、慌てず、水の流れの如く生きる。やってるうちに、いつのまにかそういう風な考えが生まれてくるだけのこと。昔の人は葉っぱが落ちるのを見ただけで悟りが開けたというじゃない。理屈は、枯れて葉っぱが落ちるんだけど、青く茂っていた葉っぱが時期が来たら落ちて、また来年になれば青い葉っぱが茂ってくる。それを見ながら、生命と言うのは1回で終わりじゃなくてつながっているんだなあと気づいていく。バカみたいだけど、固く信じている輪廻の話に、嬉しくなりました。次は、息子達の孫に生まれてきたい。
2008/02/16
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義理母、弟の奥さんの父親、うちの父親、一連の一周忌を終えました。父の一周忌のお礼状を写真を同封して、発送を準備していました。今日中に出来る予定でしたが、万年筆のインクがなくなり、明日に持ち越しのようです。一連の行事で、2ついいことがありました。1つ目は、義理妹の実家での法要で、向こうの親戚の方から、「きれいなお嫁さんですね」と言われたこと。母がそう言われたそうで、嬉しそうに家内に報告していました。私が横にいると、年齢が想像されるのかもしれませんが、1人でいると年齢不詳でしょう。「きれいな嫁さんなんか、すぐに見飽きるもんや」と結婚したての頃、友人によく言われましたが、あれはウソです。今でも家内が忙しくしている姿を、ただボ~ッと見ている時があります。それに気づかれ、「なに?」と言われたりします。ちょっと私には、ストーカーが入っているのかもしれません。もう一つは、父の法要後のレストランで次男が話したことです。私の横が次男君で、前に姉夫婦が座っていました。姉のところは3人の子供がいて、女・女・男です。うちの子達とほぼ同年齢で、姉の長女、1学年空いて姉の次女、うちの長男、姉の長男、うちの次男と、1学年違いで続きます。よく2家族でキャンプなどに行っていたので、とても仲がいいです。姉の長男君とうちの次男君は、学部は違いますが同じ大学になりました。姉の長男君が1年留年したので、次男と学部の卒業が同じになり、姉と家内が姉妹で卒業式を見に行ったりしていました。姉の長男君は卒業してからも、勉強を続けていましたが、去年の末、公認会計士になりました。学部の時は適当に勉強をしていたようですが、時々集まる中高の友達が、企業で働きだし、司法試験に受かった子などが出てきて、さすがにあせり始めたそうです。やっとこ試験に受かり働き出したので、姉は大喜びです。長女と次女は、すでに子供もいるので、これで一安心というところです。この5人で最後に残ったのは、うちの次男です。気安いので次男にいろいろ訊いています。「海外で仕事したいんですよ」「今、英語を勉強中です。でも向こうに住まないと、ほんまには自由に使えないでしょう」とても気楽に、しゃべっています。中学の時、ヨットレースで海外遠征し、その後そこで知り合ったアルゼンチンの女の子と文通をしていました。少人数遠征だったので、1人でブラジルやアルゼンチン、チリやイタリアのチームに入って練習させてもらい、子供同士で数週間の間、毎日話していました。その後海外に行ったり、外国の子の世話係になったりと、そういう道を歩んできました。私が、海外から呼んだコーチの世話係を何とか英語でこなし、曲がりなりにも通訳をするのを見て、親父の意外な一面を知ったのも、そういう将来像につながったのかもしれません。いずれにせよ、気楽に自分の将来を語る次男君がとてもいい感じに見えました。「まず言葉ありき」ここからみんな始まります。調査して石橋を叩くのも大切ですが、叩き続けていては何も始まりません。積極的に生きる人生は、失敗も多いですが、学びはその数倍あり、豊かな人生になります。数日前の仕事の勉強会で、今グループで一番の実績を上げて、全国でも有数の実績の方が、「現在、頭打ちで困っています。こんな時どうして打破されましたか?」という質問に答えていました。「頭打ちで悩むのは、とてもいいことです。何も悩まない人は、もう伸びません。やってもやっても打破できないのを楽しんでください。それを続けていると、今日の私の言葉になるか1年後の会合での誰かの言葉になるかわかりませんが、自分の悩みにピッタリの言葉にぴんと来ます。そこからまた伸びますよ。やって失敗して、やって失敗して悩んで、でも笑顔でね」と言われていました。次男君も、目標を持って行動し、やって失敗してを繰り返していれば、いつかきっと大きな人間になるでしょう。そしてそういうことを気軽に言える自分への自信は、きっと僕ら夫婦が、彼の行動や決断を何も否定してこなかったからだと思う。世界中にたった1人、自分をとことん信じてくれる人がいれば、どんどん自分の足で進んでいけるような気がする。そういう親がいて、そういう配偶者がいれば、明るい将来は保証されているようなものだと思う。
2008/02/14
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橋下大阪府知事が動き出しました。「子供の笑顔」をキーワードに当選したので、とても期待しています。子供は大人と違って、いつでもどんな状況でも笑顔でいます。そして段々年齢を重ねて、笑顔がなくなっていきます。いつまでも笑顔が消えない世の中は最高だと思います。いろんな圧力があるでしょうが、がんばってください。そして海の向こうの大統領選挙では、オバマさんが破竹の勢いになってきました。若さ、有色人種、民主党・・・、選挙のことが詳しく伝えられるようになってきたスーパーチューズデー前の頃、イラク反戦のオバマさんになったらいいなと思っていました。ブッシュ大統領で進んだアメリカの価値観のグローバリゼーションに懐疑的で、それで大きくなった国内の貧富格差や国内失業問題の改善も謳った。でも最後はヒラリーさんだろうなと思っていました。民主党の州選出選挙人獲得数は、共和党のように勝者がその州の選挙人を全部獲得できるのではなく、投票率に応じての比例配分だから、スーパーチューデーが終わった後の差を逆転するのは、中々難しそうだと思っていましたが、ココにきて連勝でとうとう逆転したようです。オバマさんが大統領になると、イラクからアメリカが完全撤退するだろうと思っています。双方にあんなに多くの犠牲者を出し続けている戦争はダメです。直接関係ない私たちにとっては、新聞に出る犠牲者・・人という数字でしかありませんが、当事者にとってはその1人がとても重いです。犠牲者の家族にはオンリーワンな人です。この恨みは、巡ります。撃ってしまった方も、生涯背負っていくことになります。ベトナム戦争の時、アメリカは戦争で散在し、ドルが下がってしまい、一気に超裕福国から転げ落ちました。でも今は、日本や中国などがアメリカ国債を買い支え、ドルを買っているので、外国で散在してもお金がアメリカ国内に還流して、経済がガタガタにならない構造になっています。普通に考えれば、スポンサーである日本が、何故赤字垂れ流しのアメリカにペコペコするのか不思議です。日本・中国・産油国がアメリカから手を引いたら、アメリカは破産します。オバマさんが大統領になってイラクから撤退して欲しい。こんなこと続けていたら、きっと日本に対する派兵圧力が強くなって行きます。show the flag といい、日本は血を流さないと言いますが、日本が戦争を始めたのではないのに、何故血を流さなければならないのか、不思議に思うだけです。結果的に得しているから、という論理の後づけではないのかと疑問に思います。グローバリゼーションという題目で、国際標準に合わせるということで、日本国内もアメリカ同様貧富の格差が広がり、実質失業である低賃金労働者を大量に生んだ。小泉さんが進めたそのグローバリゼーションは、アメリカの価値観の他への押し付けでしかなく、長い歴史に根ざした様々な価値観の否定です。様々な価値感が生き残るために、いろんなところで対立が起こった。オバマさんになってアメリカが内向きのひずみ解消に向かうと、きっと価値観の対立が少なくなると思う。今問題になっているサブプライム問題も、貧富の拡大で生じた問題だと思う。オバマさん、がんばれ。
2008/02/13
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日曜日の法事。おじさんをピックアップして自宅に戻り、家内と母を乗せて出発です。朝、車に荷物を乗せておいてよかったです。何かと時間は足りなくなるものです。お寺さんの前で、供物の果物やお菓子などたくさんの箱を下ろしていると、今朝東京から帰ってくる長男から電話が入ったということで、次男が自宅から車で空港に向かうとのこと。法要後食事をする造り酒屋さんのレストランの駐車場に皆さんの車も置く予定でしたが、その酒屋さんのお祭りで使用するらしく、隣の大型家具店の駐車場に置くことになりました。義理妹の実家関係の方が来られ、最後に義理姉夫婦がやってきました。阪神高速で事故が2件起きていたらしく、10分前の到着でした。「焦った~」なんて義理兄さんが笑っています。このお寺は、江戸時代に焼失してから再建され、300年ほど経ってるそうです。阪神大震災で外壁などの修理をしたが、本堂の柱などは当時のままだそうです。最初は自宅でする予定でしたが、お寺さんにお願いしてよかったです。雰囲気が全然違います。法要が終わり、皆さんにお礼を言い、食事の用意をしている旨を伝えました。終わって外に出ると、副住職さんが法衣で出かけるところでした。住職さんの息子さんですが、どこかでお勤めなのでしょう。今日はもう一組本堂で法要があるような感じです。私たちと同じような服装の方が前の道路におられ、集まってこられた方に段取りを説明しておられます。お寺さんも、商売繁盛のようです。次男と私がお寺さんからの荷物の撤収担当で、家内と長男がレストランへの誘導担当です。いつもなら迷うような距離ではありませんが、この日はお祭りで大勢人が出ています。さすが全国区の造り酒屋さんです。駐車場からお寺さん前まで車を回し荷物を乗せ、再び駐車場へ。大型家具店が日曜日で車が多く、10分ほど時間が余計にかかりました。駐車場に車を入れると長男君から電話です。「お父さんが来ないと始まらないからさあ。次男君に頼んでおいでよ」とのこと。あと数分で行けるからと答えましたが、長男に進行を頼んだらよかったかなと、電話を切ってから思いました。宴会隊長の彼は、私よりよっぽど上手に、全体を把握しながら出来るはずです。レストランの席に着き、遅れたお詫びと、再度お礼を述べて、食事が始まりました。少しお腹に入れたところで、参加していただいた方の紹介です。私からの皆さんを紹介することも考えましたが、できれば一言いただければと思い、ざっくりとグループを紹介し、自己紹介をお願いしました。それぞれ、思い思いの話をされ、父の思い出の披露もあり、正解でした。1時間半ほどでそれを終え、お墓に参ることになりました。弟の5年生の長男君は、塾のテストに間に合うようにお母さんと家路に着きます。来年の今頃は中学受験です。これからの1年は、一生懸命勉強しないとね。うちのお墓は遠く片道1時間ほどかかります。土曜日の雪だったらとても無理でしたが、この日はいい天気になり、午後からは車のヒーターも要らない温かい日になりました。お墓にお花をあげ、イチゴやキャンディーを供えます。父にとって、子孫で始めて生まれた今年1年生になる女の子が大活躍です。みんなで集合写真を撮って、現地解散です。私と家内と母は、JRの駅まで関東に帰る皆さんを送り、ご仏前を送っていただいた方へのお返しを贈るためにデパートに向かいます。長い1日が終わりました。
2008/02/12
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日曜日は、父の一周忌でした。先週の義理妹の父親の一周忌に続いて2週連続の法事です。そして来年は同じく2週連続の三周忌法事ということになるでしょう。11時に市内のお寺さんでの法要ですが、ホストということもあり1時間前にはお寺さんに行こうと準備していました。前日の土曜日、朝から夕方まで雪が降り続き、ちょっと車が気になり、屋根の雪を下ろしながら、キーを回してみました。ワゴン車の方がピクリともしません。前日の雪の寒さでバッテリーが上がったのかと思い、すぐにJAFに電話です。もう1台の雪下ろしなどで待っていると、20分ぐらいで来てくれました。「ライトの消し忘れですか?」「よく使って週1回の車ですから、雪で冷えたのだと思います」「バッテリーは何処でしたっけ?」と小さな箱のようなものをそれにつなぎます。「エンジン掛けてみてください」えっ、もうおしまい?JAFさんの車のバッテリーとケーブルをつなぐのだとおもっていました。すぐにかかりました。「しばらくエンジンを回しておいてください」「はい。ありがとうございました、助かりました。早かったですね」「ええ、昨日だったら中々来れなかったと思いますけど。小さい方のサイドミラーがないでしょ。昨日雪で突っ込んで壊しました。昨日は大忙しでした。ここにサインをください」サインをするために前に回ると、ヘッドライトが付いています。ありゃりゃ、「ライトの消し忘れだったようです」JAFさんは昨日、サイドミラーを壊すようなところでがんばってたのですね。それに引き換え、バッテリー上がりとは情けない。ガソリンを補充して自宅に戻り、着替え終わるとすぐに関東から来るおじさんから電話が入りました。「空港に着いたよ。何処にいてたらいい?」予定では次男君が迎えにいくことになっていましたが、昨夜ヨット部の同回生と飲みに行って朝帰りの次男は、朝風呂に入っています。「帰ってきたらすぐ出発だから」と家内に言って、空港に向かいました。次男から昨夜電話がありました。「お父さん、今ヨット部の同期と飲んでるんだけどさあ。明日の朝、何時までに戻ってたらいいかなあ?」「9時にスタンバイできてたらいいよ」彼の同期のプレーヤーは3人でした。1人は既に関西に就職しています。この春、次男は関東に、もう1人は名古屋に就職です。京都にいる同期マネージャーも含めて、飲んでたのでしょう。全員で6人、仲がいい同期でしたが、核になる男の子達がバラバラになるので、この集まりもそうは開けなくなるのでしょう。
2008/02/11
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数日前、家に帰ると、次男への学校からのはがきが、階段に置いてありました。着替えながらそれを見ると、発表会の案内のようです。家内がそれに気づき、「あなたにも同じものが来てたよ。多分あなたの友達からだと思うけど、いいこと書いてあったよ。明日持ってく荷物に入れといたから、楽しみに読んで」ということでした。食事をしていると次男が帰ってきて、その案内を家内に渡している様子です。「ありがとう。見に行くね」と話しています。翌日荷物の中に入ってた案内はがきを読むと、息子の学校で事務局長さんをしてる大学の時の同級生からのコメントが余白に書いてありました。「息子さんの作品、大賞の有力候補らしいということです。是非見に来てあげてください」「お~」学部を卒業する時にも、専攻学科の関係で、論文の他にスケールダウンモデルを作っていただろうに、それを目にする機会はありませんでした。彼の学科は少人数なので、卒論の製作物を下級生が手伝う伝統があるようです。2回生の時は、大阪空港の建て替えモデルを手伝ったと聞いていましたが、彼の卒業の時は、論文のテーマぐらいしか聞いていませんでした。あれから2年経って、再び卒論の季節が巡ってきました。今回は、提出期限が迫ってきたのか、年末に一度家その作品を持って帰ってきました。毎晩遅くまでなにやらゴソゴソやってました。朝、30分ほど手伝わされました。FRPで整形されており、部屋に入りきらない部品もあり、実用に供するのではないかと思われる、くみ上げたら結構大きくなりそうな大作でした。「すごいなあ。こんなん1人でで作ったん」「ほんまはカーボン使いたかったんやけど・・・。モデルを作って、それに積層して・・・難しかったのは、このパイプにR(カーブ)を入れるとこかな・・・」プレゼンテーション用パネルをMACさんで作り、でかいプリンターで打ち出しているのを目にしていましたが、スケールモデルがこんなにでかいとは思いませんでした。ということで、母も誘って3人で見に行くことにしました。果たして大賞に輝きますでしょうか?この世界の方は、みなさんMACユーザーらしく、次男君もMACが一番お気に入りのようです。他にWINさんのデスクトップとノートも持ってます。長男が司会をした友人の結婚式のウェルカムパネルも、次男がすばらしいのをPC駆使して作っていたし、彼の先輩の結婚式の二次会の司会と、舞台の大看板も数枚のパネルに打ち出していました。今年就職して社会人になりますが、この子も長男同様多才です。ヨーロッパを一人旅するバイタリティーがあります。貧乏旅行なので、向こうで格安域内飛行チケットを買い、地下鉄などにも乗りました。赤ちゃんを出汁にしたお母さんスリに危うくやられそうになる。ローマで建築物と調度品の写真を取り捲っていると、日本語がたくさん聞こえてくるようになったが、日本人と話しても意味ないので、留学している韓国人と、しかも女の子と、ちょうど話題になっていた小泉さんの靖国神社訪問のことを英語で話したそうな。きっと女の子の方が英語は達者だったと思うが、会話をするエネルギーが素晴らしい。社長面接で将来の夢を聞かれ、「社長をしたいので、MBA取って独立します」と言ってのける自分への自信があります。それに何より、高卒までほぼ皆勤賞というサボらない意思と、身体の丈夫さを持っています。この子を雇う会社は、きっとお得だと思います。我が家の自信作です。長男も次男も、必ず企業のトップになると思っています。そういう器を感じます。今日は書きながら、思いっきり親ばかモードになってしまいました。
2008/02/09
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序の口の力士さんが亡くなった件で、やっと親方以下数名が逮捕されました。やっとです。それにしても時間がかかりました。「親が諦めなかったことが逮捕につながりました」とニュースで言っていましたが、死亡診断書を書いた医師が、歯が折れ、人相が変わるほど変わってしまった顔を見て何も思わなかったのかと、思いました。医師には不審な怪我や死を通告する義務があるし・・・警察官が彼を見て何も思わなかったのだろうか?不審死を検視する医師不足を取り上げていたが、それ以前の問題です。当初稽古で亡くなったということになっていたが、親方が親に「こちらで荼毘に臥して帰します」と伝えたから、もうおかしい。交通機関が発達していなかった時代じゃあるまいし、親元に遺体を返すのが常識です。「お子さんが亡くなりました。こちらで荼毘に臥します」などと言われたら、即座に断ります。もう生き返ることはなくても、たとえ冷たくなった身体でも、最後は家につれて帰り、たとえ数時間でも何かを語りたいと思います。この親方、自らの保身だけが頭にあって、人の親の心を持ち合わせていないようです。そして、その一部始終を見ていたであろう部屋の弟子達が、誰一人何も語らないのかと思うと、恐ろしい世界です。私には、何故この部屋が、そのままの名前で続くのか不思議でなりません。儒教的な思想が色濃く残った封建主義的な部屋のようです。儒教の根本的な考え方である「目上の者を敬え」は、支配者階級にとても都合がいいです。上からの命令が絶対として下に伝わっていくピラミッド組織の維持に好都合です。しかし、こういう世界は、変化することに臆病で、スピードが遅いので、いずれ淘汰されます。進化論のダーウィンの言葉「生き残るものは、強いものでも大きなものでもなく、唯一変化できるものだ」親方がビール瓶で弟子を殴り、それに呼応して兄弟子がバットで叩く世界に、日本人の男の子が魅力を感じないでしょう。大相撲を目指す子が減っているのは当然でしょう。日本人の心を持たない外国人力士の行動に文句を言う以前に、日本人の子供達を引き込む魅力的な組織や企画を出していかないと・・・Jリーグがクラブに下部組織育成を義務づけ、有名強豪高校や大学以外に、クラブチームでプロサッカーを目指すコースを作り上げたように、各部屋でジュニアチームを作り、その全日本をやったらどうだろう。大相撲新人賞、25歳以下最優秀選手賞、20歳以下、100kg以下、・・・いろいろあるように思います。親御さんは無念だったでしょう。SOSを発していたのに、それを受け止めることが出来なかった親の無念は・・・同じ親として辛いです。
2008/02/08
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昨夜家に戻ると、父方の親戚と弟の奥さんの実家関係の方からご仏前が届いていました。次の日曜日は、父の一周忌です。父方の親戚が関東から3人来られますが、高齢で出て来れない父の兄弟さん達からご仏前がここ数日届きます。義理妹の実家関係からも数人参加していただけるのですが、お寺さんでの法要ということもあるからか、事前に弟がケースの果物とご仏前を持ってきたようです。お寺さんとレストランに、最終チェックを入れました。などしながら、ちょいと落ち込んでいます。日曜日に家内と母と3人で、義理妹実家での一周忌に行きましたが、あと5分で到着という所でスーパーでトイレ休憩をしました。先に車に戻り、何気なくスーパーの方を見ると、たこ焼きの屋台の前に母がいます。「まさか買うんじゃないだろうな」と思って、慌てて屋台に走りました。案の定、注文していました。「お母さん、向こうで食事を用意してくれているから」って、注文をキャンセルしました。車に戻り、「小一時間もすれば食事が出るのに、失礼でしょ。たこ焼きの匂いを付けて、法要に参加するなんて・・・」と、言ってしまいました。すかさず家内が、「あなた、まあまあ」家内「お母さん、朝ごはん食べなかったんじゃないですか?お腹空いちゃいますよね」母「お腹空いちゃったから、何か食べようと思って。せっかく用意してくれる膳だから、お腹すかしておいしく食べないとね」というやり取りがありました。「やっちゃった。年寄りいじめて最低だな・・・」と、運転しながら反省しました。家内には、私の母に対する事情を話しているので、私の気持ちを察してフォローしてくれます。子供時代、母から厳しく叱られ叩かれて育てられたから、母といるとまた欠点を指摘されるようで苦手です。私は、家内と結婚する時に両親との同居を覚悟してもらいました。長男として両親の隣に住んで、長男としての責務は果たしてきたつもりですが、大人になっても事務的な話以外は、母との接点を避けているので、母の機関銃しゃべりのお相手は家内は引き受けてくれています。でも私や家内の悪口を直接家内に言ったりするので、家内もへこみ、私が何故こうなったかも理解しています。連休になるお盆や正月は家族旅行で家から離れるようにしてきました。そうでない休みの日でも、用事もないのにデパートなどに逃れている生活になりました。私は小学校の高学年ぐらいから、母からとにかく離れていたく自室に入って来るのを拒み、怒りました。それに対して、我が息子君達は、留守中に親が自分の部屋に入って来るのも平気で、いつも開けっ放し。GFさんも連れてくるし、GFさんとのトラベルさえちゃんと言ってきます。私は母との関係で、いろんなことを学びました。しっかり立派に育てようと、子供に強いる親は、結局親子の一番大切な心の絆を失ってしまいます。子供が決める前に、「こうした方がいい」「こうしなさい」「こうしてはいけません」・・・と言ってしまうと、子供はストレスがたまり、自立できません。親が強いた道を歩み、うまく行っても、子供が自分の実力で成し遂げたとは今一思えません。なぜなら、「自分が決めたことではなく、親が決めたことだから」うまく行かなかったら、親に責任転嫁します。だって「自分が決めたことじゃないから」だから、自分の子には、彼らの前に線路を引きませんでした。子供の人生は、親の人生に大いに影響しますが、その人生の主役は子ども自身ですから。「今度・・あるけど、どうする?・・日までに返事をするんだって」あとはじっと待ちました。長男が少年野球を始めたのも、次男がジュニアヨットを始めたのも、彼らが言ってきたからです。ヨットをやってほしかったけど、「市の広報にヨット教室開催って載ってたよ」とそれを渡しただけでした。長男は、返事の変わりに「野球をする」と言ってきました。次男は「ヨット、行ってみようかな」でした。中学受験して欲しいなと思いましたが、塾に行き始めたのは子供達です。小1になった長男は、しっかりした幼稚園で勉強を習った子に負けていました。「僕、・・ちゃんより字が書けない」とべそをかくので、家内が教えながら塾を探しました。公文と学研が候補でしたが、学研にしました。「塾に行くと、先生がちゃんと教えてくれるよ」と言うと、「僕、行く」塾に慣れると、隣の部屋でやってた英語教室に行きたいと言って来たので、そちらにも行くことになりました。1年後、塾の先生から「長男君はよく勉強ができますよ」と聞きました。長男はプリントがどんどん進み、なんだかつまらなそうになってきました。中学受験専門塾の入塾試験のチラシを見つけ、「別の塾のテスト受けてみる?」と話すと、即座に「受ける」合格通知が届き、「賢いなあ。合格通知が来たよ」と言うと、「合格って、塾に入れるん?」「そう」「だったら入る」理解度別クラス編成なので、クラスが上がったり下がったりしましたが、上がったときは「すげ~賢いなあ。よっしゃハンバーガー買って帰って、みんなでおめでとうや」下がった時は、「まあそんなこともあるわな」いろいろと褒めまくりましたが、自分で実力をつけていきました。「塾の方が学校よりわかりやすい」と塾に行くことを嫌がったことはありませんでした。弟はお兄ちゃんが楽しそうなのと、自分のがんばりで家族にハンバーガーを食べてもらいたくて、「僕も塾に行きたい」と言ってきました。中学受験のことなど一言も言ってないのに、塾友がみんなそうだから、「僕、お父さんと同じ学校を志望校にしたから」それからもっと偏差値の高い学校に変更したいと言ってきました。子供達は、自分の人生を自分の選択と努力で歩んできました。何も強いない親は、ただサポーターであるだけです。私にとっての親は、壁です。僕の意思を、「どうせできっこない」「あんたは何もわかっていない」「ほうらみてごらん」と腐らす、僕の人生の邪魔者です。立場の強い時に、その立場を利用しないと、反対の立場になった時、同じように接されます。それが人の道理だと思います。子供の生活費を提供し、家を提供する親は、子供にとってとてつもなく大きいです。子供が生きていくために、理不尽なことでも我慢します。でも子供が自立し、親の動作が鈍くなると、理不尽を返されます。私と母、立場が大きく逆転しています。でも、親が私にしたようなことを母に返そうとは思いません。でも、でも、つい、母の粗を探ってしまう自分がいます。そんな自分が実に情けないです。私が年末に買った携帯GPSのミニゴリラですが、正月に使った長男が車でうまく使えなかったそうです。でも、何も言わず「お父さん、ありがとう」と返してくれました。それまで2回しか使っていなかったので、「どうやった?」と聞くと、「あんなあ、高速で位置をロストして、僕の車のみたいに使えなかったわ」「そうか、ごめんな」「いいや、だいたいの場所わかってたから平気やったで」きっと、困ったのだと思います。外付けアンテナを購入して、次に次男が使いました。「お父さん、ありがと」「どうやった」「使えへんわ。高速で出口を過ぎてから案内するねん」それで、GPSをしっかり車に固定出来るように日曜大工して、長男の車のように使えるようになりました。僕だったら、「こんな変なん買って・・・」と親に文句言っていたかもしれません。日頃の恨みのいいはけ口です。でも子供達はそうしません。小さな時から、私の失敗をなじったりしませんでした。私が親の失敗を見つけたら、「謝れ~」と大声で反発していたのとは大違いです。私が失敗した時、「謝りなさい」ときつく強い、「謝るまでご飯を食べさせません」「あんたなんてろくな大人にならないわ」と馬鹿にしたような視線を投げかけられたからだと思います。子供は、元々ちゃんと育つようになっているようです。親子喧嘩は、親が他人様には決して言わないようなきつい言葉を平気で言ったりするから始まります。他の子と比べるから起きます。親に認められたくて、いい子過ぎたり、わざと悪さをしたり変な態度を取ったりします。そういう時は、親に甘えたいのだから、甘えさせてやったらいいと思います。そういうときに、世間での一般論を説教として、あるいはシツケとして返して、子供には何の益もないと思います。子供は、それが悪いことだと十分わかっています。甘えたい時に甘えさせてくれ、激励して欲しい時に「きっと成功するよ」と言ってあげるだけで、子供は世間様に出て行って勝負してきます。失敗でも成功でも、どっちでもいいと思うのです。だって、子供が自ら選択したことですから、親がその責任を感じる必要はありません。「大丈夫、また次や」と飯を食わせていると、また気力が充実してがんばりだします。こないだの日曜日の母に対する私の言葉は、最低でした。因果応報だと思うけど、それを繰り返していたら我が家の家系は成長しません。そして私自身の魂が一つ上のステージに上がれません。数十年後、肉体が滅びて魂がまた別の肉体を得て、この世に生まれてきます。知識の記憶は失っても、目に見えない魂の記憶はずっと積み重なっていきます。「やさしさ」「うれしさ」「喜び」「励まし」・・・私はサンタさんの心を持ち、行いが出来る魂を持ちたい。
2008/02/07
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広島の雪山でのスノーボーダーさん達が無事生還しました。良かったです。ニュースで、「みんなベテランだから無理することはないので、きっと天候の回復を待っています。大丈夫です」と語っていた方がいましたが、その通りでした。同じベテランでも、栂池スキー場で事故を起こした大学の先生の判断は良くなかったですね。初心者迂回コースでも、スキー場パトロールがクローズしたところに、初心者を連れて柵を乗り越え入るなんて、やんちゃなお兄ちゃんがやることで、いい大人のすることじゃないなと思いました。更に、教育機関の先生の取る行動とは思えませんでした。スキーが好きで、一時毎週のように行っていた時期もありました。雪は楽しいですが、一旦深雪に足を取られると、一歩がかなり大変です。圧雪していない深雪を滑るあのふんわりした快感は、筆舌に尽くしがたいですが、コース脇の部分を滑るぐらいで、林の中に分け入ることはしません。一度コース脇を滑っていてこけたことがあります。こけたのはいいのですが、そこで片方の板が外れてしまいました。さあ、板が雪に隠れて見つかりません。足で踏んで圧雪しながら範囲を広げて探しましたが、こけたところより予想以上に下まで滑っていました。見つけるまで1時間もかかりました。リフトから見えるところだったので、「あの人、まだやってるわ」みたいな視線は感じていましたし、「大丈夫ですか?」なんて声がかかることもありました。学生の時、一度林の中に入り、不安な時間を体験しました。気の合った友人3人で八方尾根スキー場で滑っていた時、そろそろ終わりにしようかなと思い、滑りながら下山しました。上の方にいたのですが、ガスが出てきて視界が悪くなって来たからです。既に3時を回っており、結構雪が降っていて寒く、お客さんも少なくなっていました。ゲレンデに雪が積もっていってるので、いつもより楽しく飛ばしていました。もう何度もここに来ており、ゲレンデマップは頭の中に入っていたのですが、霧でコースを間違い、ゲレンデからはずれてしまいました。急に林が前に迫ってきたので、一旦止まりました。どうやらゲレンデを突っ切ってしまったようです。もう一度歩いて上のゲレンデまで上がろうかと思いましたが、更に下にゲレンデがあるのは知っていたので、このまま林を抜ける方が楽で早いと考えました。林をゆっくり歩くように3人つながって下山し始めましたが、予想以上に雪が深く板がどんどん埋もれていきます。林で光が入らなくなり、斜面を見誤ってこけると、1人では起き上がれません。誰かに手伝ってもらったり、木を頼りに立ち上がる状態でした。これはやばいと思い、3人とも無言で黙々とスキーでラッセルしながら歩きます。やがて林が切れるところまで出るまで数時間もかかりました。既にリフトは止まっており、遠くに宿の明かりが見えるだけです。ここでラッキーだったのは、霧が晴れていたことです。更に雪も止んでいました。宿に戻ったのは7時頃だったと思います。ちょっと自信を持っていたスキーなのに、雪の怖さを思い知りました。あの時、人の声が聞こえていたゲレンデに上がるべきでした。30分もあれば上がれる距離でした。「もうちょっとで遭難してたなあ」と熱い風呂に入り、ホッと話し合いました。広島のスノーボーダーさん達も、お詫びのインタビューで言っていたように過信があったのでしょうが、「いつも食料を携帯していますから」という知り合いの言葉にあったように、準備があったから冷静に行動出来たのでしょう。もしあの頃の私だったら、闇雲に下山を急いで命を落としていたかもしれません。
2008/02/06
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ガソリンにかかっている揮発油税の暫定税率分を維持するかカットするかでもめています。「早急に道路を整備するために本来かかっている揮発油税に、暫定税率を加味して税金が倍になっているが、最初は田中角栄さんが首相の時2年間と期限を設けたのに、ズルズル引き伸ばされている。道路も大分良くなったので、暫定分をカットして本来の税率に戻したらどうか」と、「まだまだ道路整備はたくさんあるから、さらに10年延長しよう」が、民主党と与党の考え方の違いのようです。私は暫定分はカットした方がいいと思っていますが、マスコミで双方の議員さんがしゃべっているのを聞いても、どうも中身がよくわからない。言葉巧みに、自分に都合のいいところのみを主張しているようにしか聞こえない。私がカットした方がいいと思う根拠は、まず暫定をこんなに続けるのは本来の姿ではないと思うことと、日々体験する役人の予算消化と無駄を思うと、相当分が必要ないと思うからです。市や県との取引で、年度末に駆け込み注文があります。ボランティアで市の事業を手伝ったりしているので親しくなった役人さんや、役人をやってる友人との話で、「予算消化しないと、次年度の予算が削られるから・・・」と言うのがよく出る。「余ったら次年度に回せばいいのに・・・」「それが出来ないんだよね」制度上、そういうことになってるので、必ず無駄に使ってしまう宿命にあります。そしてそれは、役人さんの自分の懐に痛まないので、どんどん膨らんでいくのが容易に想像できます。政治家さんの話し合いを聞いていていつも思うのは、人が話している時に話をしだして腰を折るのと、数字を示して具体的に話さないこと、それに検証をしないことです。何処の企業でもやってる、小さく実験-検証-ちょっと変更して小さく実験-検証-うまく行くようなので大きく行動、という道筋が示されない。声の大きな人の意見が通る世界のようです。そこで自分なりに調べてみました。ザックリだと、現在の道路事業費 7.5兆円暫定分が廃止されると、-2.7兆円(国税1.7兆円+地方税1兆円)道路予算がゼロになるわけではなく、2/3になる。足らなければ、一般会計から持ってこれる。どんな税金が減るか?ガソリンと軽油にかかっている税金が半分になる(具体的には今1リットル50円の税金が25円になるので、店頭価格が25円下がる)。毎年かかっている自動車重量税が6割下がる。自動車取得税が4割下がる。大きなものはこういうところです。地方の首長さんが暫定分廃止に反対しています。「必要な道路はまだまだあるから」というのなら、一般会計から回したらいいし、国と地方の税金配分を変えればいいこと。元々道路特定財源として、道路のみに使途が限られた税金だから、ややこしくなるだけのような気がする。普通の企業では、収入が減ったらいろんなことを我慢し、人も減らします。暫定税率をカットしても、道路が全く作れなくなるわけではなく、2/3の予算は残る。暫定税率分の2.7兆円という金額はどのような金額か、具体的に興味のある分野で調べてみました。教育費の2/3です。現在、学部生 243万人(学部生+短大生 330万人)院生 18万人専門学校生 5.6万人全国高校卒業生 121万人大学入学者数 56.7万人文系学部生学費 70万理系学費 100万国公立学部生学費 50万300万人×100万円=3兆円を考えると、北欧並み学費ゼロ社会も非現実的ではないなと思う。天災復興費年間全壊家屋1000軒×1000万円=100億円なんて、余裕のような気がする。結局、国民みんなのお金を何に使うかなのだと思う。より立派な道路に使うか、大学の授業料を無料にするか?ほんのちょっと立派でない道路を作るか、地震で家を失った方に無料で家を建ててあげるか?
2008/02/05
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日曜日は、弟の義理のお父さんの一周忌でした。奥さんの実家の岸和田に、家内と母親と3人で出発です。法要が11時の予定だったので、9時に出発です。家内が持って来ていた仏壇のお皿に炊き立てのご飯を盛り、隣の家に行き、仏壇に供えます。前の日曜日に仏壇に手を合わせに行くと、ご飯が石みたいに固まっていました。「いつから代えていないの?」と家に持って帰ってくると、家内が「私が代えてから代えてないのかしら?」毎度のことだから父も笑っているでしょうが、うちの母親も、たまには自分のご飯のとき、父の分もよそってあげたらと思う。「今日、岸和田の一周忌だからね」と母に念を押して、GSへ。ガソリンを入れ、久しぶりに空気圧を点検です。この日は、朝から雨が降っています。天気予報では平野部でも雪というものだったので心配していましたが、どうやら車で行けそうです。そろそろ着替えてようと思い家に帰ると、母から電話が入り、「岸和田の弟から電話が入り、寒いから無理して来なくていいよと言われたから、行かない」と言ってきたとのこと。すぐに隣に行くと、「どうしても行かなきゃだめかねえ」「車に乗ってるだけだから・・・寒くないから・・・」と行く事に同意してもらいました。まあプライドがあるからきつく言いませんが、「自分の息子がお世話になってるのに・・・無理してでも行くぐらいの気持ちを持たないと・・・」「来週父の一周忌に来てくれると言ってるのに・・・」相手の気持ちを考えるというか、自分の立場に置き換えることが今一出来ないようです。何でも面倒なことは自分でしたくないようです。父が亡くなったとき、「親戚も遠いから呼ばずに、家族だけでしたらいいよね」と葬儀さえめんどくさがる母にがっかりしました。父は、家族だけじゃなくて、いろんな人にお世話になって大往生だった。皆さんにお伝えしないと・・・家族ではわからない友人との関係もあり、お別れのときを作るのが家族の役目だと思うけど・・・「喪主は僕がするから、お母さんはそこにいてさえすればいいから」と言って、普通の葬式が出来た。今回だって、先方へのご仏前の品など、母の分もみんな僕らが用意した。まあ、私の実の母親だから、フォローしまくって顔を立ててあげないとね。高速を下り、あとは地道です。まだ1時間少し時間があるので、途中のスーパーでトイレ休憩と買い物をしました。車に戻ると、母が帰ってきません。あれ?と思うと、スーパーの前に出ているたこ焼きの屋台にいます。慌てて屋台に行くと、「たこ焼きでも食べようかねえ」なんて、もう注文してるし・・・「法事の後、食事を用意してくれてるのに、失礼だよ」って、連れてきてしまいました。車に乗って「たこ焼きの匂いをしみこませて法事にいけないでしょ」と言うと、家内が、「お母さん、朝ごはん食べなかったんですか?じゃあお腹空きますよね」とフォローしました。すると母が、「お腹空かせて食べた方が喜んでもらえるよね」と、自分がしようとしたことの意味を納得したようです。それにしても家内は素晴らしいです。こういう嫁でないと、母の嫁は務まりそうもありません。いい感じの時間になったので実家に向かいましたが、昔からある城下町の道で迷ってしまいました。あまりに細い道をナビさんが指示するので、これはきっと裏道だと思い、記憶に残っている太い道を行くと、たどり着けません。諦めて拡大地図にして指示通りに細い道を入っていくと、実家の裏に出ました。表に回ると弟が車の整理をしています。実家はスーパーをしており、店の前の駐車場に入れて、2Fに上がります。そこには既に50人ほどの方が集まっていました。お父さんは商店街の会長などもしていて顔が広いのと、ずっと地元なので、小学校の友達なども来られているようです。正座は辛いので、胡坐をかかせてもらい長時間の法要を過ごしました。隣の家内はお茶やお花の修行が利いているようで、いつもながら痺れを切らすようなこともなく、まるでお坊さんのようです。前に座った弟は、彼の性格らしくずっと正座をしていました。立ち上がった時、さすがに足にきていたようで、ぎこちない歩き方を見ておかしくなりました。マイクロバスが迎えに来ていて、近所の結婚式場に向かいます。そこの1部屋を借りて飲み食いです。弟のとこの娘は今年1年生に上がります。うちのおばあちゃんに買ってもらったピンクのランドセルは、自分のお気に入りのブランドのらしく、「店に来るお客さんに見せて回っている」と向こうのお婆ちゃんが話してくれました。弟は向こうの家の妹さんと結婚し、スーパーの横の店もやっていますが、こっちのご両親に良くしてもらっておりありがたいです。私は弟の父親ではありませんが、一応実家を継いでいる長男と言うものは、こういう心境になるものだなと自分でも不思議に思います。向こうのお母さん、お姉さん夫婦には、いつも弟がお世話になっていますと頭を深く下げてしまいます。「この子は、何処の子?」という赤ちゃんがいました。様子を見ていると、弟の義理兄夫婦の長男さんの子のようです。「学生とちゃうかったっけ?」お嫁さんも若いです。弟が部屋の外に出たので、訊いてみました。お父さんが亡くなった後に出来ちゃった結婚したそうです。お父さんも生前知ってたようで、公認だったんだろうけど、喪中ということもあり家族だけで結婚式を挙げたそうです。来週のうちの父親の一周忌に、この家のおばあちゃんとお姉さん夫婦に長男さんも来ることになっています。長男さんが来られるのに長女さんが来られないのは不思議だなと思っていましたが、長男さんが来られるのは、次の当主ということのようです。「長男さんも一家を構えたと言うことは、お返しをもう一つ用意しなければならないのでは?」と思い、弟の奥さんに尋ねると、「要らないですよ。気楽に出席するように言ってますから」とのことです。「子供が欲しくても中々できない夫婦もいるから、既に子供が出来てからの結婚の方がいいかもね」なんて言ったら、「お兄さんとこも、もうそろそろ結婚するんじゃないの?」と反対に振られてしまいました。「2人ともかっこいいし。絶対もててますよね」と。まあ子供達のことは私の範疇ではありませんが、もてなくて困ることはないと思っています。家族に恵まれ、まあいい人生を歩ませてもらっているようです。
2008/02/04
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今日は、首都圏の中学受験統一受験日のようです。2月1日・・・私が中学を受けたのも、この日だったような気がします。昔は、全国的にこの日だったのかもしれません。母とまだ小学校に上がっていない弟が付き添いで試験に臨みました。私の小学校から中学受験する子は10人で、過去最高人数でした。私と同じ学校を受ける子がおらず、試験会場で心細かったのを覚えています。模擬テストは何度か受けましたが、今のように頻繁にあるわけではなく、中学受験の塾なるものもありませんでした。同じ教室の子はみんな賢く見えます。神戸などの学力の高い学校からは、たくさん受験しており、同じ教室内に友達がいたりして、試験前の緊張する時間なのに明るく笑ったりしています。2日間の試験が終わり、駅まで帰る途中でお弁当を食べました。道をそれて、田んぼのあぜ道に入り、3人で食べました。母がいやに優しかったのを覚えています。「精一杯やったからね」という感じでした。数日前に40度近い熱があり、両親に受験をやめようと言われましたが、せっかく何年も勉強してきたのに、試合に出ずに敗退するなんて我慢できず、「絶対に受ける」と我を通しての受験でした。母が不合格だろうと思っていたのだと思います。でも私はちょっと自信がありました。算数は2日間とも満点だと思ったし、国語も1問ぐらいしか間違っていないと思ってました。理科の出来で・・・と思ってました。1日目も2日目も、母が買った受験問題に書いた解答を記入し、家庭教師の先生に渡しました。2日目が終わって夕方先生が来て、「算数は2回とも満点や。多分合格してるよ」と言われた時は喜びました。合格発表に再び中学に行くと、やっぱり私の受験番号155番がありました。今までたくさん試験を受けてきたけど、155番だけは忘れません。長男の中学入試の最初の学校の受験番号が、155番だった時は運命を感じました。子供達の中学受験を、親として経験し、試験当日の「十分やったから」という気持ちがよくわかりました。言葉にはしませんが、模擬試験で「ここでこの科目がもうちょっとこうだったら」と思ったものですが、試験当日になると、別に不合格でもいいと思えるようになりました。塾のクラスのみんなとの切磋琢磨で鍛えられ、自分の闘争心から来るのでしょうが、自主的に勉強し、「やりすぎじゃないか。身体を壊さないか」と心配するようになりました。親子ともハードでしたが、素晴らしいものを得たと思っています。関西の中学受験は、もう終わりましたが、関東を含めて多くの受験生が、合否に関係なく、多くのものを得るでしょう。そして、親も子供の頑張りから多くを学んだと思います。神様は、その子が最も輝ける場所に導かれます。
2008/02/01
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