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日曜日は朝4時半起きでした。家内が子供達の寮ツアーをするからです。家内を新大阪まで家内を送り、その足で琵琶湖に向かいました。琵琶湖では、用務員をしている大学ヨット部の部内新人戦です。毎年、春休み集中練習期間の最終日に1回生の部内新人戦を行います。今まで参加したことがなかったので、興味津々での参加です。艇庫に着き、今大会の実施要綱などを読ませてもらいました。様式は本式のレースに沿っていますが、文言は実にユニークでユーモアにあふれています。選手紹介も笑ってしまいます。誰の作かと聞くと、前年度優勝でレース委員長君作とのこと。いいねえ。このキャラクターでHPなどを作ったら、面白いものが出来そうです。部員紹介のところだけでもやったらどうかなと思いました。時間になりました。艇庫前で開会式。選手入場では、部旗を先頭になんかよくわからない歌を歌って入ってきます。こんな歌あったか?知らんぞ~。レース委員長の進行で、大会会長だとか審判委員長の挨拶です。みんな部員なのですが、ちゃんとしたレースの形式にのっとっています、でもユニークなアイデアが散りばめられておりおもしろいです。口調が、本番レースでのエライさんに似てるし。選手宣誓もありましたが、突然の終り方で・・・あれっそれで終わり?って感じ。絶対笑いを取ろうと思ってますね。本部船要員はレスキューハーバーに移動です。カッパを着ながら、予備カッパを1つバッグに入れました。天気予報通り雨に降られるかもなあ?マネさん2人来てるから2つ入れる方がいいかな?でも降らないかも?と、少し考えながら結局1つだけにしました(これが失敗)。レース海面は、新人戦にはおあつらえ向きの風速1m/sです。第1レーススタート。抜群のスタートを決めたように見えたS君がスタートマークのアンカーラインに引っかかって大きく出遅れです。でもヤケクソ?で突っ込んだ海面がよく一気に挽回しましたが、上りすぎで艇速が上がりません。本部船からは、「S君止まってる~」「Y君が来た~」と賑やかです。トップホーンとウンタ(ビリを何故ウンタというのか不明。どっかの方言?)ホーンが鳴ります。1人乗りヨットを使ったレースなのですが、残った1人乗りに2回生以上も乗ってレースに混じっています。上回生が先頭に立つと、審判艇が寄ってきて無常の帆走違反の笛が鳴ります。「ちょっと身体が動いた」「ちょっとシートが動かしたみたい」と、謂れのない違反で720度回転を強いられます。先のハンドボールオリンピック予選ではありませんが、審判が敵側に付いたら勝てませんね。まあ、上回生も暗黙の了解のようで、審判艇がよそに行っててトップホーンを鳴らしそうな時は、フィニッシュ直前で派手にひっくり返ったりしています。と言うのも、トップホーンを鳴らすと、マネージャーから特別なプレゼントがあるからです。これは私が猪突に決めました。トップホーンを鳴らした選手を本部船に呼びます。前日のレースレセプションで残った饅頭を、マネさんから愛情をこめて食べさせてもらえます。マネさんは「仕方ないわねえ」みたいな乗りですが、選手は大きく口を開けニカッて笑っています。基本的にバカな男子の乗りに付き合ってあげる母性愛は、いい女にとって欠かせないもののように思うのは私だけでしょうか。MさんとUさん、マネさんが2人来てくれています。レースフラッグを担当し、時にはインフレータブルボートの方に乗って、選手を間近から応援してます。少しずつ風が上がり1時頃から小雨が落ちてきました。Mさんはセーターが一番上でUさんは、ヘリハンのクラブユニフォームです。「Mさん、カッパある?」「いいえ」「じゃあ、これ貸したげるね」この子は、色白でお肌が綺麗です。Uさんはまあ大丈夫そうですが、やっぱりもう1つカッパを持ってきた方が良かったです。好感度をあげるチャンスを逸してしまいました。レースが終わり、ハーバーバースへの着艇です。1回生マネさんのUさんがドライブして帰ります。北向きバースに槍付けで、風向が北なのでやり易い状況ですが、いい感じで入れることが出来ました。上出来です。この日寄付したボートフックも活躍しました。艇庫に戻ると閉会式です。選手宣誓したK君が1レース失格をもらったにも関わらず優勝で、Y君とS君が僅差で2位・3位でした。全部で12レースできました。後半は風が3~4m/sに上がり、みんないいパフォーマンスで、毎レーステールtoノーズのマーク回航になっていました。1位・2位・3位には、それぞれ賞品が出るのですが、これは上回生からの寄付のようです。いろんな物がありました。優勝賞品に枕がダブっており、精力剤があったり、もう何年もこのレースの賞品になっているツワモノ(誰も必要としないので、翌年レースに出品されている)まで、逸品からガラクタまでいろいろです。選手が賞品紹介するたびに、上回生から突込みが入っています。4時半から、春合宿の打ち上げとカトウ君の誕生日を祝って、「餃子の大将」に繰り出します。3/30生まれなんて、あと数日お母さんのお腹でがんばれたら1学年下だったのですね。みんな大量に注文します。「こんなに食べれるのか」?と思うほどテーブルに並べられたお皿から、どんどんうまいものがなくなっていきます。さすがに大学生はよく食べます。親御さんも安心ですね。ちょこっと寄付して帰路につきました。
2008/03/31
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今朝、5時に起きてしまいました。カーテンからの光を見ると、まだ暗いので、まだ随分早いなあというのはわかりました。お水を飲んで時計を確認し、「こりゃやばいなあ」と思いながら再び布団に入ると、すぐに夢の中に戻っていきました。2度寝のときは、どうも寝坊しやすいです。朝、8時前。「もうすぐ8時だよ」って家内に起こされました。やばいって思った通り、やはり起きるのが遅くなってしまいました。仕事にはまだ十分間に合うのですが、朝ニュースを見ながら、だらだらゆっくり着替える時間がなくなってしまいました。明日の日曜日は、朝早く家内を送って行かなければなりません。それが頭にあって、今朝こんなに早く目がさめたのでしょう。よくこういうことがあります。随分前から予定していた子供達の寮巡りです。次男君が就職して東京に行くことになって、まだ1度も行ったことがない長男君のとこも回ることにしたそうです。1~2ヶ月前、「寮、回ってこようかな」と家内が言い出しました。「あなたも行く?」「う~ん、いつ行くの?」「次男君が東京に行ってからだから、3月末か4月」「予定作っちゃったなあ。それに父親が行くのはなあ・・・」ということで、方向音痴の家内のために、大阪からの道順と大体の時刻スケジュール、それに東京での電車路線図を調べて渡しました。先週とその前の日曜日に、本屋さんに行って、住んでるところの周辺のことを書いてある本を探したそうです。「なかったわ」「観光地じゃない普通の町だから、ないのが当たり前だよ。この町の観光案内もないじゃない」「だって京都なんて、詳しいのがあるのに・・・」「・・・」どうも子供が住んだら、即特別な町になってしまうようです。確かにそうだけど・・・個人的にはそうだけど・・・我が家のために観光案内を作ってるわけでもないから・・・仕事してる姿と大いにアンバランスです。こんな時、「この子、かわいいなあ」と思ってしまいます。私は明日、朝一番に家内を新大阪の駅まで送って、その後琵琶湖に向かう予定です。クラブの部内新人戦だそうです。家内は10時ぐらいに次男君のところに着いて、なにやらゴソゴソするのでしょう。次男が下宿している時、初めて下宿に行ったのが、4年後のたった1回です。ただ外から見るだけの予定だったそうですが、たまたま次男がいて、たまたまヨット部の他の子の卒業制作展に行く予定があったので一緒に行って、みんなと楽しく過ごしました。長男の寮には、一度も行ったことがありません。次男君も本格的に家を離れて、寂しくなったのかな?次男の寮から、「親が行くのをきっと嫌がるから」と何も言わずに長男の寮にも行く予定にしていました。次男のところから長男のところまでの行き方も調べて渡しました。ところが数日前、長男君に連絡をとったそうです。「行ってもいい?って聞いたらね、え~来るのと言われたけど、それなら次男君のところまで迎えに行ってあげるよ、と言われちゃった」と喜んでいます。きっと車で迎えに来るのでしょう。次男君のところも見に来るのでしょう。次男君が1才前に保育園に入園した時、同じ保育園にいた長男君は、毎日数回次男君のクラスに顔を出して声を掛けていたそうです。まだ3才なのに。それを先生から聞いた時、やっぱりお兄ちゃんやなあと思いました。あの頃と一緒やなあと、嬉しくなりました。子供達が生まれた時、家内がよく言っていた「この子達の運転する車に乗りたい」がまた出来そうです。彼らのGFさんが一緒かもしれないけど、家内にとっては、思い出に残る素晴らしい1日になりそうです。天気がいいといいけどなあ。
2008/03/29
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昨夜は、20数年の時を経て、再び家内と2人だけの家になった初日でした。何となく玄関が広くなったような・・・靴が減ったのですね。大好物のスパゲッティをほおばりながらTVを見ていると、家内が電話でしゃべっています。次男君に会社の寮に無事着いたか電話したようです。この電話で一大事が判明しました。家から宅急便で送った荷物が盗難にあったようです。9個口を次男が確認したのですが、新生活を始めるために買い物に出た間に1個どこかに行ってしまったようです。いつも使わない郵便局のキャッシュカードが入っていたようです。こちらに通帳があるので、電話を切り、慌ててカード無効手続を取りました。他に何が入っていたのか、他の荷物をあけないとわからないので、次男君はその作業をすぐに始めることになりました。バタバタしていたことと、下宿経験があるので油断があったのかもしれません。「また電話が入るかもしれないので起きてようかな」なんて家内が言うので、「寝ちゃったら」と言い、いつものパターンでお風呂に入りました。風呂から出て、寝ようかなと思ってると、「電話かかってこないねえ」と家内が起きてきます。「何かあったら電話してくるから大丈夫じゃないの?」と言うと、「電話してみるから、ダイヤル回して」とのこと。その後の様子を聞きたいけど、取り込んでるだろう次男君に電話をするのに気が引けるとおう感じです。ダイヤルを回して家内に渡すと、ちょっと話してすぐに電話を切りました。どうしたのかなと思ったら、会社に電話したら警察に連絡するように言われて、今警察が来て取り込み中だそうです。「警察が今来てるねん、って笑ってたわ」社会人初日に警察沙汰か、と自分で可笑しくなったのかもしれません。真夜中、途中経過の電話が入り、今朝再び電話がありました。その箱に入れていたのは、大学入学からつけていたメモファイルだったようです。1回生の時の講義で聞いた「次男大独自ファイル」です。A6の大きさのしっかりしたファイル用紙に、気づいたことや心に残った言葉など、何でもメモしておき、専用ファイルに綴じていくといいそうです。次男からそのことを聞いたことがあります。いつも机の上に載っていました。金銭的には、一銭の価値もないものでしょうが、PCデータが全部消えてしまったようなもので、次男君にとっては大きな損害だったように思います。出てくればいいのですが・・・そこにGメールのパスワードなど、いろんなパスワードも書いていたそうで、他の銀行カードの暗証番号など、みんな変更するそうです。ありゃりゃ、大変だね。入社式まで1週間ほどあるそうなので、ちょうどいい仕事が出来たのかもしれません。これで、いろんなことが学べます。まあ、いろんなことがあります。下宿を始めたときも、すぐに自転車がなくなっちゃったし。ここで、こないだのレースで先輩が言ってた言葉が思い出されました。「死んだわけでも、病気になったわけでもなし、こんなこと大したことないやん」先輩は、ヨット部同期の悪友と飲み歩いた後、その悪友から飲み屋さんのお姉さんの写真が送られてくるそうです。それが奥さんに見つかったり、奥さんも元ヨット部員でよく知ってる悪友なので、直接奥さんに送信してきたりします。奥さんから、「こんな子がいいの?」と蔑まれた目で写真を見せられたりするそうですが、基本「病気になったわけでも、怪我をしたわけでもないので、大したことないわ」と、特に行動の制限もされないそうです。美人先輩マネージャーさんだったので、「のりまき君、うちの亭主・・・どう思う、やんなっちゃう」と愚痴をこぼしていますが、しょっちゅう2人でどっか行ってるし、仲良しです。今回の次男君の盗難事件、たとえお金が通帳から抜かれても、命を取られたわけでもなし、怪我も病気も大丈夫なんだから、ドンマイです。汗かいて、いっぱい書類書いていろいろ学び、次気をつけるようにしたらいいです。しかし、いきなり新入社員の有名人ですね。ワハハ。
2008/03/28
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サッカーガンバ大阪の遠藤選手のインタビューが新聞に載っていました。Q、声を荒らげるイメージが、ほとんどないですよね。僕が指導者なら褒めて育てるみたいなのが好きなんです。怒鳴られていい気分にはなりませんから。そういうのは・・・に任せて、できるだけ気持ちよくサッカーをさせてあげようと思ってます。Q、そういう人って、忍耐力が強くないと駄目じゃないですか。心の中で「もう~」みたいなのはあるし、言うときは、優しくですが言いますよ。でも、あまり怒ったことはないですね。子育てでも嫁に怒らせてという感じです。Q、お子さんは3人ですよね。家にいるときは家事もやってますよ。全員お風呂に入れてるし。子供と遊んで「疲れた」って言う人がいるけど、僕にはない。一緒に遊ぶと楽しいですから。Q、奥さまは助かりますね。・・・これを読みながら、いいなあと思いました。私の理想のパパさんで、こういうパパさんでいようといつもしているつもりです。私も、子供と遊んで疲れることはまずありません。多分、自分が子供だからだと思うのですが、精神年齢を一緒にして、同じように遊べます。でも他の人には見られたくないかな。だって、平気で赤ちゃん言葉使うし、ヒーロー者の主人公の真似を真剣にやってる姿は、大人から見ればかっこいいとはとても思えません。「奥様は助かりますね」はどうなんでしょうか?お風呂に入れるのは助かるのかもしれませんが、子供と一緒になって遊んでいるので、子供が1人増えたとがっかりするのではないかなあ。
2008/03/27
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とうとう、この日が来ました。今日、次男君が東京に引越して行きました。明日、次男の誕生日の1日前、社宅なのかな?鍵をもらうということで、昼までには、出発するようです。子供達は学卒後、更に2年勉強したので、子供達が家を去るのが少し先送りになりました。先に次男が下宿で家を出ましたが、長男が就職で東京に行くのに入れ替わって、次男が下宿から帰ってきました。それもとうとうお終いです。今月は、いろいろなところの仲間と、お別れ会のようなものをしているようでした。ヨット部の同期で勉強を続けていた3人が、今年めでたく就職します。その飲み会を京都でやってて、結局電車に乗り遅れて、「お父さん、大阪まで迎えに来てくれる?」と電話が入りました。おとといの晩は、ほとんどの子が就職する学部時代の同級生とお別れ飲み会で、やっぱり同じパターンで、大阪駅まで迎えに行きました。そして昨夜家に帰ると、次男君が持っていく本などをバタバタ下ろしているので、夕食後家内と一緒に家内の店にダンボールを取りに行きました。車に積んで家に戻ると、「友達と食事してくるわ」と迎えに来た車に乗って出て行ってしまいました。か「またお別れ会のようね」わ「今度は小学校の友達かな?」か「引越しの荷物、どうするんだろう?」「もっと早くから準備しとけばいいのに、いつもギリギリなんだから」と言っていますが、当座の食料品や下宿で使っていたものを出してきており、楽しそうに準備をしています。そういえば、長男のときも、海外にのんびり卒業旅行なんぞしている本人を尻目に、家内に先導されて、布団など買いに行ったなあ。今朝起きると、次男君がダンボールに本などを積めています。自分の車に乗って行きます。こんなに積めるのかなあ?と思っていると、PC関係と布団・洋服だけを積んで、あとは宅配便だそうです。か「あなた、こっちのダンボールを店に運んどいて」わ「うん、わかった。じゃあ車に積むわ」と、店に運びました。車を置いて、仕事に行くためにバイクのヘルメットを被っていると、次男が布団を車に積んでおり、わ「気をつけてな。なんかタイヤの空気圧減ってるんじゃないかなあ」これでしばらく次男君とはお別れです。今夜から我が家は、新婚以来の2人きりです。人生の1つの区切りの日です。
2008/03/26
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日曜日は、3人乗りヨットの今シーズン初戦でした。土・日の2日間でしたが、私は日曜日のみの参加です。朝8時半に集合だったので、5時半に起きました。ハーバーまでは30分ほどですが、その前に家内の実家のお墓参りに行きたかったからです。先週うちの方のお墓に参った後で行こうと思っていたのですが、「5月に予定している義理父の17回忌の時でいいよ」と家内が言うのでそうすることにしていました。でも土曜日家内が、「明日までお墓に行くバスがあるから、私やっぱり行ってくるわ」と言い出しました。わ「じゃあ明日一緒に行こうか」か「でも明日ヨットでしょ」わ「朝6時に出発すれば、間に合うように帰ってこれるよ」か「次男君のこともお願いしとかなくちゃね」ということで、2人で墓参りと相成りました。「やっぱり、行きたかったんじゃん」と心の中で思いました。いつでも行くよと言ってるのに、「大丈夫」なんて遠慮しちゃうんだよね。でも本当は行きたいから、そういうのが伝わってきます。「遠慮なんかするなよ」と言いたいけど、こういうところが好きなところでもあります。これからもきっとこんなんでしょうね。車で話していると、次男君のGFさんの住んでるところとか、仕事内容の話までしてくれました。「そんなことまで、よく知ってるなあ」って言ったら、「あの子は、何でも話してくれるよ」とのことです。確かに聞けば話してくれるけど、どうも遊びのことじゃないこういうことに関しての父親の言葉って重いような気がして、口に出せません。「こうした方がいいよ」なんて、相談されるまで言うつもりはないけど、子供の自由な意思に影響を及ぼしそうで・・・母子の関係は、どうも父親と男の子の関係とは大きく違うようです。そういえば、彼女が留学する時も、向こうの親御さんと一緒に見送りに行ったなんてことも知ってたし・・・家内は、次男君のGFさんをとても気に入っています。話の端々で、そういうのが伝わってきます。先週、卒業制作展で撮った2人の写真をA4にプリントしてもらいました。近所の現像屋さんで写真の現像を何枚か頼むと、おまけで引き伸ばしタダ券がもらえます。それで引き伸ばしました。そこで額も買い、「タダ券で引き伸ばしちゃった。押し付けになっちゃうとだめだから、次男君が就職で東京に行ってしまうまで隠しとこうと思うねん」と家内に渡しました。家内へのプレゼントのつもりだったんだけど、「今度引越し先に行く時に持っていこうかな」なんて言い出しました。「おしつけみたいになっちゃわない?」と言ったら、「じゃあ、普通の大きさの写真をあげたら」と言う。「デジタル写真データは、もう次男君のアドレスに送ってあるよ。だから、いつでもプリントできるよ」と言うと、「じゃあ、持っとく」とのことです。しっかりしてるけど、なにやらこういうところがかわいいんですよね。
2008/03/24
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「母校通信」が届きました。年に1回なのか2回なのか?卒業の時、終身OB会費なるものを払ったので、卒業してからずっと送られてきます。時計台、芝生・・・の写真、懐かしいです。結婚式を挙げた校内のチャペルの写真もあります。そういえば、イースター(復活祭)に式を挙げたので、ちょうど今です。キリスト教国では今、イースターホリデーです。来月開学する付属小学校の入試のことが載っていました。新1年生は、9月に5.5倍の倍率で入試があったそうです。新2・3年生の入試は先月あったとか?面接と・・・あとどんな入試をするのだろう?小学校の宗教主事の先生の言葉が載っていました。『「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」 (ローマの信徒への手紙12章15節)私は、高校3年生の秋に父を亡くしました。息を引き取り、病室のベッドに横たわる父の傍らで涙を流していた私を、当時親しくしてくださっていたアメリカ人宣教師が何も言わずに抱きしめ、私と一緒に泣いてくださいました。父を失い、こんなに辛く悲しいのに、宣教師の先生に抱きしめられて流す涙は、単に父の死を悲しむ涙ではなく、その悲しみが受けとめられ、共感されていることへの安心の涙であったことを今でも鮮明に覚えています。これまでの人生の中で、このような悲しみや辛さが共感の涙によって慰められる経験を何度もしてきましたし、そのような経験を重ねる度に、聖書が「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」と教えている意味が、実感として分かるようになりました。今ではこの聖句が、慰めを与えられた恵みの経験を思い起こさせる聖句であると同時に、私の生き方の支柱ともなっています。自分の心に寄り添い、共感してくれる人がいるからこそ、私たちは安心して生きることができます。また、他者と共に流す涙は、悲しむ者を慰め、その悲しみを希望へと変える力があります。この他者の心に寄り添い共感できる心こそ、聖書が私たちに求めていることなのではないでしょうか。初等部がいよいよ開校します。初等部のキリスト教主義教育を担う者の二人として、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という聖旬の意味を子どもたちと共に考え、この聖句を実践できる者へと共に成長していきたいと願っています。』悲しみや苦しみは、結局のところ自分で乗り越えるしか道はありません。一緒に涙を流してくれる人が一人いれば、乗り越える勇気と明日の希望につながるような気がします。人の痛みを分かり子供達を育てて欲しいと思います。どんなに素晴らしい技術も資金も、それを使う人の心によって、表にも裏にもなってしまうから。
2008/03/22
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『それは夢ですか?リスクですか?』東京海上日動のCMを見ました。裸の赤ちゃんの姿をバックにした冒頭のキャッチコピーにキャッチされてしまいました。「そりゃ、夢でしょう」とすぐに思いましたが、数日前にあった秋田のお母さんがお子さんを手にかけてしまった事件の判決記事や、昨今のお子さんを虐待する事件報道を思い出して、リスクと捉える方もいるのだろうなと思いました。このCMが気になって、もう少し調べてみました。『あの人は一生冒険をしませんでした。さて、「あの人」はシアワセだったでしょうか?』『リスクがあるからやめよう。リスクがあるけど、よしやってみよう。あなたはどちらの生き方が好きですか?』『ハプニングのまったくない人生は、ワクワクする人生だろうか?』『長生きは夢ですか?リスクですか?レーサーになることは、子供の憧れ、でも事故は一大事。そう考えると、レーサーは夢ですか?リスクですか?人間がやりたいことは、どちらか一方だけでできているワケじゃない。夢とリスクは、いつも背中合わせ』胸に届く言葉が並んでいました。私が賢いなあと思う人種は、「小説家」「理学部数学科にいる人」、それに「作詞家」です。メロディーに隠れがちになりながら、じっくり歌詞を読むと、いろんな想いを凝縮してる言葉が並んでいる。人に「リスクに向かう勇気」を湧かせる言葉が。 私も文字は好きですが、私のとは随分違い、吟味・推敲されてそぎ落とされた言葉が並んでいる。しかも吟味・推敲がなく、いきなり頭から短時間で出来てくるみたいです。この東京海上日動のCMコピーを作ったのは、誰なんだろう?そういう会社の人なんだろうが、作詞家に劣らない能力を持ってる人なんだろうなと思います。子供は多くの親の夢の塊なんだろうなと思います。でも子供は、私がそうだったように、自分が家族の夢の塊だってことに気づいていない。自分で「リスクがあるけど」生きていこうとする子供と、「リスクがあるから」それを避けさせてあげようとする親、「リスクを子供に代わって背負ってやろうとする」親の間に、軋轢が起こるのは必定なのかもしれない。私は・・・「リスクをきっと自分でいつか乗り越えるだろう」と、子供達をのんきに眺めて、「ほほう、そうするか」とハッピーエンドになるに決まってる長いドラマを楽しんでいるようなものだな。UFOに乗って飛んでるのもアリ。私の思うように運ぶドラマは、あまり面白くないだろう。子供が自分の裁量で、リスクと夢を天秤にかけて選択し、それが意外な展開を見せるのが面白い。リスクに足元をすくわれたと思ったら、再起、逆転してくる展開なんて、痛快ですらある。このドラマ、「リスクと夢が背中合わせ」になりながら、更に次の世代に続いていくから、エンドレス・ストーリーなんだけど・・・
2008/03/21
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昨夜は、昨日の日記に書いたようなことがあったので、早めに仕事を切り上げ、家内の方の集計と注文のために自宅に戻りました。昼こちらを出発して、5時ごろ三重県から全部済んだと電話が入ったので、帰宅は10時ぐらいかなあと予想しました。一昨日から友達と車で一泊旅行に出ている次男君が帰宅していたら、「お母さんから電話が入れば、私は仕事場にいること」を伝えてもらおうと思っていましたが、生憎まだ帰宅していません。お風呂のスイッチを入れて仕事場に向かいました。そしたらなんと家内がそこに戻っていました。「あれ~、早かったやん」「行きは迷ったけど、帰りは迷わなかったから。近かったわ。4時間ぐらいだったよ」とオフの日に行きたそうでした。大阪の難波から近鉄に乗って伊勢まで行ったそうです。車では何度か行きましたが、今度は電車で赤福もちを食べに行かないとね。相手の方からのお土産を見せてくれました。焼けばすぐ食べられる魚がいっぱいです。「親戚がやってる旅館があり、無料で宿泊させるから、また来てください」なんて言われたそうです。もし私が行っていたら、男同士、こんな話は出なかったんじゃないかなと思いました。美人はいくつになってもお得です。女性がいるから、世の中、丸く収まってるようなところがあるのでしょう。もし男ばっかりだったら、戦いだらけになってしまいそうです。家内と一緒に集計などをして帰宅すると、ちょうど次男君のご帰還でした。一昨日の夜、1週間ほど行っていた東京から帰ってくるとすぐに、「今から、友達5人で四国に行ってくるわ。1泊」「何処に泊まるの?」「友達が宿を手配してくれてるねん。どこか知らん」家内と帰りながら、わ「四国だったら道後温泉とちゃうかなあ?ぼっちゃんや」か「学生が温泉なんて行く?なんかディズニーランドみたいなところがあるじゃない、あそこじゃないかなあ?」わ「レオマワールドか。昔家族で行ったねえ。男5人でそんなとこ行くか?」次男君に聞くと、私が当たりでした。卒業旅行というやつに行ってきたのでしょう。車から荷物を降ろすのを手伝っていると、布団と毛布も積んでありました。家族旅行では、いつもこの一式を積んで、2・3列目のシートを倒してそこに布団を敷き、いつでも子供が寝れるようにしていました。夜出発の時、寝ている子を抱っこして車の布団に寝かせ、朝起きた時、「ここ何処?」と、家ではないところにいる自分に驚いていたこともあります。「全く同じやん」と心の中で笑ってしまいました。
2008/03/20
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また仕事でミスってしまいました。1年に1度ぐらいやってしまいます。おとといの夜、帰ろうかなと思っていたところに電話が入り、お望みのレベルには届かないけど、お試しになる商品はありますよと答えました。すると、翌々日の午前中に着くように送ってくれとの依頼です。昨日の朝で郵送手配しないといけないので、どうも自信がなくその次の日には必ずと返事しました。でも、どうしても送って欲しいと言われるので、家内の方にある商品なので家内にその旨FAXしました。その日既に帰宅していた家内は、そのFAXを翌日見て、いつもの感じで昨日の午前中に発送できませんでした。朝はいつものようにいろいろ忙しく、出れませんでした。荷物を取りに来てもらうと少し送料が余計にかかるので、お客様負担の送料が安い方がいいだろうと、いつも郵便局まで持って行きます。私のFAXに、お客さんに頼まれた到着日時指定を書かなかったからです。書いたと思っていましたが、忘れていたようです。今日の午前中、何度もお客さんから「まだ着かない」と電話があり参りました。私は昨日発送してるから大丈夫だろうと思って家内に確認すると、上記の事情が分かり、お客さんに謝りの電話をしました。すると、大変な剣幕です。まるで鬼の首を取ったみたいに、「電車に乗って今すぐ持って来い」とのことです。しかも三重県です。・・・謝りに謝り、代金をいらない旨を申し出ても、「おまえんとこなんて潰れてまえ」と聞く耳を持っていただけません。謝りの電話の時、家内が発送したことを言ってしまったので、家内の電話番号を教えろとすごまれました。「発送は家内でしたが、FAXに書き忘れた私のミスですから、勘弁してください」と何度も何度も謝りましたが、「家内の電話番号を教えろ」の一点張りで勘弁してくれません。埒が明かないと思い、「どうか怒鳴らないでやってほしい」と、とうとう電話番号を教えてしまいました。すぐに家内に電話しましたが、もう先方から電話が入っているようです。5分ほどして、再び電話しました。呼び出し音が、FAXに切り替わる9回まで鳴って、家内が受話器を取りました。呼び出し音が鳴っている間、「家内が電話におびえて受話器を取らないのだなあ」と思いましたが、明るくいつもの調子で取りました。「今から三重県まで行ってくるから」「え・・・ごめん、ほんまにごめんな。でもそこまで・・・」「大丈夫よ。あれだけ言われたら、意地でも行ってくるわ。私のミスだし、お客さんの納得するようにしたらいいのよ。商売やってたら、いろいろあるわよ」と、あっけらかんとしています。暗に、これは女である私が行った方がいいと、言葉の裏が読めました。「最寄の駅に着いたら電話するようになってるから、店を従業員さんに頼んでこれから行ってくるわ。伊勢志摩でも見てくるよ」と、冗談まで交え・・・さすがに、あのお母さんの娘です。私なんかよりよっぽどしっかりしています。日頃、美容命でおとなしくしてて、女性という感じなのに・・・ここという時は男らしいです。と言うより、世の中の女性は、たいていそうなのかも知れません。とても勝てないなと思います。わが子君たちにも、この血が行ってるのでしょう。数時間後、家内から電話が入りました。「大丈夫、終ったよ。いい人だったよ。お土産までもらっちゃった。今から帰るからね」ホッとしました。家内に何かあったらどうしようと思ってました。帰りは夜になるでしょう。せめて帰りは、駅まで迎えに行ってあげなきゃと、思っています。家内のことだから、そのまま夜遅く自宅まで帰ってきちゃいそうです。仕事場に電話をしてくるといいがなあ・・・家内の「とてもいい人だったよ」を聞きながら、最近ごく普通の人が些細なことで切れてしまうのが多くなったなあと思いました。かつては、こんなことはありませんでした。私の認識が甘いのかもしれませんが、今回も「たった4000円の商品が1日到着が遅れるということで、兵庫県から三重県まですぐに来い」との大剣幕です。日頃、小さなことにそうされているのだろうなと思ってしまいます。お宅まで謝りの品を下げて商品を届けるとわかりますが、大抵生活にあまり余裕がなさそうな感じがします。今のような弱肉強食がちょっと行き過ぎの世の中になり、こういう人が増えているように思います。正社員を減らして契約社員やフリーターを増やして人件費を抑制してる結果だと思います。子供が困ったら、見ず知らずの周りの大人に気軽に聞けるような、そんな時代に戻ってほしいと思います。
2008/03/19
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日曜日、午後からは昨日書いた日記のように、母校ヨット部卒業生たちと船に乗ったのですが、朝は早く目覚めました。6時前です。この時間帯は・・・とTVをNHK教育にあわせ、「心の時代」だったって?キリスト教の番組を見て、民放の政治時事放談を見ました。この時間帯に目が覚めた時は、いつもこのパターンです。7時になったので、隣の家に行き、仏壇にチンして仏壇のご飯を換え、母に墓参りに行く旨を伝えます。数日換えていないようで、またご飯が石ころのように硬くなっています。我が家には家内の両親の写真を飾って簡易仏壇があり、毎朝「こんにちは」みたいな感じのことをしているのですが、隣の家には、休みの日、朝から用事のない時しか行けていません。朝8時に3人で出発です。気持ちよく晴れて、1時間の田舎道も心地良いです。墓地の事務所でお花を買い、うちの墓と隣の弟の墓の掃除をして、線香をたいて、お水をかけ手を合わせ、お終いです。管理も行き届いており、いい墓地なのですが、まだ歴史が30年ほどのところなので、戦争で亡くなられた兵隊さんの墓標がありません。それだけが今一だなあと思っています。両親の実家のお墓もそうでしたが、家内の実家のお墓も、墓地の入口に、大きな戦死者のお墓が立っています。無縁仏さんのお地蔵さんのようなお墓もあり、こういうところにお参りすると、自分の家だけでなく、長い歴史を感じることが出来ます。実家のお参りの後、子供達と必ず戦死者と無縁仏さんにも線香を手向け、お水をかけ手を合わせることをしていたので、なんかまだ終ってない感じがしてなりません。子供達が小さな頃は、うちのお墓に手を合わせると、子供達は水を持って一目散に戦死者の大きな墓標の方に走って行き、無縁仏さんの多数のお墓まで、水をかけるのを競っていました。「お兄ちゃん、ずるいで~。僕もやる~」と追いかけていく弟。私の手から線香を取り、1本ずつお墓に置いて行く。少し大きくなると、フィリピン沖とかボーゲンビル島とかの文字を見ながら、質問してきて、なにやら考えています。こういうのが歴史教育にも、不戦にもつながるのではないかと思っていました。綺麗に整地され、最近は新しいデザインのお墓も増えてきた我が家の墓地ですが、何か少し物足りなく感じるのは、もう時代遅れなのでしょうか。
2008/03/18
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日曜日はお墓参りに行ってきました。その帰り、家内を途中の駅で降ろし、母を自宅に送り、浜に出発です。午後から母校ヨット部の今年の卒業生達と船に乗る予定になっています。これがなければ、家内の実家のお墓にも参るんだったんだけど、これは次回に回しになりました。車を置き、ちょっと直してもらった船のソファをかかえて船に向かっていると、3人乗りレーシングヨット置き場にHさんの車が止まっています。うちのレース艇は、この土日にマストを立てて整備です。レース艇に寄りましたが、Hさんはいません。土曜日にマストを立てたようです。やっぱりヨットはマストが立ってないと様になりませんね。クルージング艇の方に行き、ソファをくっつけ、エンジンを回します。いつもと同じように、セル一発ではかかりませんでした。暖かくなってきたのになあ。1週間前に乗ったのになあ。ハッチを開け風の入れ替えをしながら、トイレの水を流します。学生を迎える準備はできたので、クラブハウスでパンを食べているとHさんから電話が入りました。「今どこ?」「クラブハウスです」「暇ですか?整備してますねん。待ってますよ」ということで、すぐレース艇の方に向かいました。マスト周りの整備など、Hさんのアシスタントをしました。と、ヨット部卒業生のマネージャーさんから電話です。「終りました。今から行きます。2時半に1人来るのですが・・・」「じゃあその時間に一旦戻ってこよう」「お~い、飯行くぞ~」午前中あったクラブの理事会に出席していた先輩方が、クラブハウスに向かい途中でやってきました。「あいつらすぐ来るので、これから出艇します」卒業生達も艇庫でそれに出席していて、後片付けをしてからやってきました。プレイヤー3人、マネージャー3人という少ない代でしたが、全国制覇をなしとげました。このマネージャー達はよくがんばりました。懸案の現役HPを軌道に乗せ、マネージャーの海上練習サポート体制を確立しました。毎学年最低3名のマネージャー確保を目指し、彼女達が食事と海上練習サポートに分かれ、マーク打ちからホイッスルまで一応出来る体制にしました。そういうマネージャーの役割を確立しました。これで随分プレイヤーの負担が軽減されました。このHPが出来るまで、3年ぐらい私がOB会HPとして現役情報をマメにアップしていましたが、やっとこ熱心にHPを更新するマネージャー部員が入ってきてくれました。最初は、「そんなの無理です」とか言ってたけど、彼女は4月から大手メーカーにSEとして就職するまでになりました。彼女は、HP担当をちょっとしたキーポイントにしたのかもしれません。最初はいろいろサポートしたけど、2年ぐらい過ぎると、もうほっといても大丈夫になり、彼女が考えたマネージャー日記は大人気です。最初やってきたのは、マネージャー2人とプレイヤー1人の3人です。風は3~4m/sで、ハーバーを出てセイルを上げると、快調に走ります。4年間もヨット部だったのに、クルーザーでのセーリングは初めてのようです。私もそうでした。最初にクルーザーに乗ったときは、最初にヨットに乗ったとき同様、すげ~と思いました。でもドライバーを代わり慣れてくると、楽しそうにはしゃいでいます。セイルアップもウインチ操作も学生に任せ、指示だけ出していました。ウインチを手だけで回そうとしているので重いです。方向転換の時のシート引きとウインチ操作の見本に見せると、「S君、だめ~。のりまきさんに負けてる~」とマネさんからだめ出しが入りました。プレイヤーのS君も、その後腰の入ったいい感じになってきました。2時半に一旦ハーバーバックしました。やってきたのはプレイヤーのKちゃんです。彼女は去年の女子インカレ優勝者です。ちょうどこの日、学校でこの1年活躍した学生の表彰・祝賀会があって、そっちに行っていました。キャプテンとマネージャーボスも行っており、2人はその後の祝賀会から抜けられず来れなくなりました。全国制覇したから仕方ないね。Kちゃんを乗せ再び大阪湾に出ました。いきなりKちゃんにドライブを任せましたが、さすがにプレイヤーは安心して任せられます。大阪の風景を見ながら神戸方向に進路を取りました。そっちで大型クルーザーのレースをしているようです。本部船に向かっていると、いい具合にレース艇が上マークを回航しそうです。レース艇が本部船近くの下マークを回航するのに合うように速度調節します。先に下マークに着いて、次の風上マークに向かう角度に合わせて待ちます。邪魔にならない風下でレース艇と並んで走ります。ですが、当然のようにスピードでかなうはずもなく、後ろから来たトップ艇が10艇身ほど風上を突破していきます。マネージャーさん達は、写真を撮りながら楽しんでいます。4時が過ぎ、帰ることにしました。1日中天気がよく、典型的な海風陸風のパターンです。夕凪の時間に入ったようで、段々風が落ちてきました。ハーバーまでもう少しのところまで帆走で帰ってきましたが、最後は、セイルを下ろして機走でハーバーに入りました。何処の勤務地になっても、現地のクラブのOB会に連絡しなよと言うときました。せっかく4年間ヨット部にいたのだから、ヨットに乗る機会を失わないで欲しい。年齢は違えど、同じ釜の飯を食った仲間です。何処だって大歓迎です。家庭と仕事だけの人生に、趣味という花も添えて欲しいと思います。これが結構、人生の浮き沈みのとき力になるんだよね。
2008/03/17
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今朝起きると、家内は台所に立っていました。まだ6時半だというのに・・・まあ10時になると寝る人だから、いつもこんなもんです。しばらくすると、勝手口を開けて隣に行く様子です。わ「写真、どうしたっけ?」か「今、持って行くところ」わ「ちょっと置いといて。アルバムに入れるわ」今日は、姪の保育園卒業式のようで、隣に住んでるお婆ちゃんが行くらしい。私と弟が通った保育園に、甥も姪も通いました。うちからでも片道1時間かかるのに、弟の岸和田からはさらに遠いのに・・・ご苦労さまなことです。おばあちゃんから「土曜日忘れちゃうといけないから起こしてね」と家内にリクエストがあったらしい。子供達の起床の声かけに加えて、おばあちゃんからも・・・家内を中心に我が家は動いていますね。私は起こしてもらうことはありませんが、1つ甘えているところがあります。読んだ本を階段に置いておくと、家内が適当に片付けてくれます。片付けると言っても、私の部屋で山になってる本の上に乗せるだけですが、何故か家内にやってもらいたくて、自分では片付けません。「自分で片付けて」なんて言わずに、何十年もこれを続けてくれています。私が甘えているのを分かっているのだろうかなあ?隣に持っていく次男君の卒業式の写真をミニアルバムにファイルして、勝手口に置いておきました。また家内が持って行ってくれるでしょう。家内から母に、「お母さん、卒業式の写真なんです。卒業作品が準グランプリに選ばれたんです。うれしそうでしょう」なんて言う方がいいように思うんです。外に出ると、気持ちのいい晴天です。見上げる空に、「今日は暖かくなりますよ」と書いてあります。こういう朝は、近所の公園内を通っての通勤です。公園の入口でバイクのエンジンを切り、押して歩きます。池には、釣りをする人が10人ほど出ています。さすが土曜日です。ブランコなどの遊具があるところでは、お年寄りが3人、大きな犬を囲んで話をしています。いつもここで出会う方達、と言う感じです。そしてお目当ての梅林。バイクをそこに止め、梅林の中に入っていきます。ピンク・赤・白・・・いろんな色の梅が咲いています。その向こうには、鴨が泳ぐ池。かすかに香る梅の香をかぎながら、青い空を見上げ・・・いいところだなあ。人は綺麗なものを見ると、気持ちが和むような気がします。美しい音楽を聴くのも同じ効果があるような。ここでの楽しかった思い出が蘇ってきました。ベンチに座ると、子供達が小さかった頃の事を思い出しました。長男君がやっと歩けるようになって、毎日のように散歩するようになりました。この梅林の緩やかな階段を、ハイハイしながら上りました。しばらく上ると、すっくと立ち上がり、上ってきた後ろを振り返り満足そうにしています。更に上にいる家内を見上げて、再びハイハイで上っていきます。あの時、彼は何を考えていたのだろう?パンを持って池の周りに行くと、目ざとく見つけた鴨や白鳥さんがやってきます。長男君が、パンを池に投げると、バチャバチャ食べます。パンがなくなると、座ってる横の砂を取り上げ、池に投げます。しばらくの間、毎日これを繰り返していたように思います。あの時、彼は何を考えていたのだろう?オムツで大きくなったお尻で、地べたに座り、砂だらけになって家路についていたが、あの頃、お散歩をしないと機嫌が悪くなり、お散歩から帰ると上機嫌になっていた。人は、外の気持ちのいい空気を吸わないとあかん動物のようです。1日1度は、広いところで自由に動き回らないとあかんようです。美しいものを見ることで気持ちを和ませているのかもしれません。素敵な土曜日の朝でした。
2008/03/15
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先週の土曜日、お手伝いしている大学ヨット部の卒業式に行ってきたと書きましたが、この代のメンバーで、とても重要な役目をした子達がいます。それは、2人の女子マネージャーです。1つ上の学年にマネージャーがいなかったこともあり、2年間大車輪の活躍をしてくれました。マネージャーというのは、クラブの成績に残りません。でも、クラブの縁の下の力持ち的なもので、彼女達の活躍なしには、この代の成績はなかったと思います。2年前のEさんという偉大なマネージャーの後を受け、船舶免許を取り、食事や艇庫管理以外に、湖上練習にレスキューパイロットとして常に参加し、安全面と練習面を支えました。彼女のおかげで、のべどれだけの選手がレスキュー要員を外れてヨット練習ができたか・・・数えれば、きっと途方もない人数になるでしょう。強風でずぶ濡れの練習から帰ってくると、おいしい食事が出来ているのは、とても幸せなことです。そのほか、特に日曜日の午後は、レスキューに乗るマネージャーが増えて、ギスギスしがちな練習を少し和やかな雰囲気にしてくれていました。レースではレスキューに乗って湖上から応援してくれました。フィニッシュ後、レスキューで冷たい麦茶をもらい、笑顔で次のレースに送り出してもらうのは、次のレースへの切り替えと、やる気に大いにつながっていると思います。学校や休みに入る7月8月にも、田舎に帰っている期間を少なくしてサポートしてくれました。数年前とは大きく違います。8月の最終週に、学生全日本団体戦の予選があります。近畿北陸ブロックで上位3校に入らないと、ここで終わりです。負ければ、その晩、代交代になります。7月の前期試験期間を終えて夏休みに入ると、1ヶ月間ヨット三昧な日々になります。そんな時、マネージャーが田舎に帰っていなくなります。最初、この現象を見た時、「勝てない」と思いました。プレイヤーが縁の下の力持ちをしてくれているマネージャーに遠慮して、「食事を作ってくれてありがとう」と言う感じです。「夏休みはどうぞ田舎に帰ってください。僕らでやります」のような感じです。プレイヤーでもマネージャーでも部員としての重さは同じだと思ってるので、せめて8月末のレースには田舎から出てきて欲しいと思いました。それからできるだけ練習時、レスキューから見ることに誘い、練習の手伝いを積極的にしてもらいました。レース観戦に誘いました。家から4リットル入るクーラーを持って来て、麦茶を満タンにして、「レースが終わったら、選手達にお茶を配って、声をかけてあげて」とお願いしました。おっちゃんの私が配っても今一です。下級生が配っても同じく。女子マネージャーが、ニコッと笑って、「ご苦労様。次、またがんばったね」の言葉の威力はすごいです。1杯の麦茶で前のレースをリセットして、OBコーチからアドバイスをもらい、次のレースに臨みます。これで、クラブ員みんなが一体になれます。今までも、熱心なマネージャーさんはいました。でも単発でした。そういう雰囲気をマネージャーみんなに浸透させたのは、この2人のマネージャーです。昨年は8月のレースでも練習でも、いつもマネージャーがいました。この2人が上手にローテーションを組んでくれたのでしょう。1年生のマネージャーさんは、レースにレスキューに乗り、応援するのが当たり前だと思ってるはずです。卒業するプレイヤーたちも、女性のこういう姿をこれからもいつも心の片隅に置き、女性を大切にする男であって欲しいと願います。今年もつたない挨拶をさせていただきました。その後思いがけず、「感謝状」と記念品をOB会からいただいてしまいました。このクラブに来るのを楽しみにだいたい毎月1回寄せてもらっていただけですが、こんな光栄なものをいただいて、なんか申し訳ない気持ちになりました。これからも普段着姿で肩肘張らずにサポートしていきたいと思っています。最後は恒例の円陣です。京都駅前で、円陣を組み、応援歌とヨット部枝分かれ前のボート部の部歌「琵琶湖周航の歌」で締めくくりました。卒業生へのエールは、何度聞いてもいいものです。それに大声で応える卒業生の前途を祝したいと思います。
2008/03/14
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『本屋大賞』という芥川賞のような賞があります。読書好きが集まっているであろう本屋さんの店員さんが選ぶ賞だからか、視点が素人の私に近く、ここで選ばれる本はたいてい面白いので、毎年注目しています。久しぶりにそのHPを覗くと、今回のエントリー作品が載っていました。第1回の2004年は、大賞『博士の愛した数式』、2位が『クライマーズハイ』。両方とも大変面白かった。2005年は、大賞『夜のピクニック』、2位が『明日の記憶』。私的には、まあまあ。2006年は、大賞『東京タワー』、2位『サウスバウンド』。東京タワーは、泣きに泣きました。サウスバウンドは、痛快。2007年は、大賞『一瞬の風になれ』、2位『夜は短し、歩けよ乙女』。両方とも最高で、「夜は短し・・」には、笑わせてもらいました。大学のクラブの関係で長男とかなり近い作家でもあったので応援していましたが、作品的には「一瞬・・」の方が良く、妥当な選だと思いました。さて、今年のエントリーを見ていると、直木賞?を取った桜庭一樹さんの作品が2本もエントリーされていました。生々しすぎてあまり好きではないんだけど・・・ここ2年は、注目した2作品が、共にワンツーフィニッシュで、しかもその順位も当たっていたので、大胆に賞予想をしておこうと思います。2005年同様、突出したこれは・・・という作品がなく高レベルではありませんが、大賞「有頂天家族」、2位はどんぐりの背比べで私的には該当なしですが、一応「鹿男」にしておきます。有頂天家族の森見さんの作風は好きですが、去年も思ったのですが、大賞を取るような作品ではないような・・・もし今年、このワンツーだったら、けっさくです。芥川賞や直木賞だったら、絶対ありえませんが、庶民の本屋大賞なら、こういうお笑い作品もありかなと。この2人、共に京大出身者で、30歳前後と年齢も近く、お互いにライバル視しているようです。作風が、いかにも京大らしく、ずっこけタイプで似ています。京大は、なんか面白い学校です。優秀な学生が集まってるのだろうけど、一時代前の自由な学風が流れているようです。私は生まれていませんでしたが、人の話で想像すると、昔の旧制ナンバー高校のような。我が母校の方が、よっぽど真面目です。一昨年から昨年にかけて、百万遍の交差点で見かけた石垣カフェには笑いました。大学側が打ち出した石垣を壊して綺麗にしようというのに反対した抗議行動のようですが、「大学紛争名物の立て看板の伝統的な設置場所だから」という撤去反対理由も面白いが、抗議するために大学側とがちんこ勝負するのではなく、石垣の上にやぐらを組んで、そこで喫茶店を24時間オープンさせるという戦術も面白い。道行く小学生などをやぐらに上げて、お茶を振舞ってご近所さんの好感を集める作戦だとか。大学側も、本気でやぐらを撤去しようとせず、のらりくらり学生と交渉しているのが、これまた面白い。紛争をネタに双方で楽しんでいるのではないかと思えてなりません。同様のものに、毎年入試時期に登場する「折田先生像」があります。元は敷地内に設置されていた銅像への落書きが発端ですが、湯川英樹先生などの像には落書きをせず、折田先生像だけにするというのも、何かユーモアがあり、落書きが半端じゃなく、顔だけくりぬいて太陽の塔の被り物を被っていたり、「ヤキソバン」になったり、自転車担いでサイクリング折田先生になってたりします。折田先生の銅像が学舎内に移動されてからは、元あった場所に、張りぼての像が建つようになりました。「サンデー先生」「永沢君」「ゴルゴ13」、不二家が話題になった年は、「ポコちゃん」・・・私的には「スッパマン」が一番良かったかな?各作品はクォリティーが高く、京都新聞で毎年ニュースになるのですが、何十年も誰が毎年設置しているのか謎。大学側も本気で取り締まる気持ちはなく、しばらくはそのまま設置されています。昨年「大仏さん」が登場した時は、脈々と続く流れではないグループの作品だったらしく、即効で破壊・ゴミ箱行きになったり・・・ほんまこの学校、おもろい人種が集まっています。そして育んでいます。ノーベル賞受賞者を輩出し、現在はiSP細胞という最先端の頭脳が集まるのと、森見さんや万城目さんのようなどこかネジが1本抜けてる作風の作家を出すのとが、おかしくて仕方ありません。こうなったら、このお笑い2人組でワンツーを決めて、東京にない文化の盛り上がりをしてもらいたいものです。ところで、昨年の作品で、私が読んで一番良かったのは、『甲子園への遺書』門田隆将さんです。NHK土曜ドラマ『フルスイング』の主人公の生涯を書いた本です。
2008/03/13
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週末に参加したヨット部の卒業式でもらった卒業文集。卒業生それぞれが、4年間のヨット部生活について自由に書いています。自分の歩み、技術論・・・4年間続けてきて良かったというところは、みんなに共通していました。これを読んでいると、時々私の事に触れた部分がありました。嬉しいものです。『のりまきさんには、本当にお世話になりました。基礎に始まりいろいろと、精神的なことまで、のりまきさんに教えていただいたことは数え切れません。またのりまきさんは、いつでも褒めて伸ばそうとしてくださるので、何か声を掛けていただく度に自信になりました。のりまきさんがコーチを勤めてくださらなかったら、僕らが本選にでることはなかったでしょう。本当にありがとうございます。それから、これはどうでもいい話なのですが、女性に対する態度が(顔もそうですが)、親子二代そっくりで遺伝を感じさせるあたりが、とてもほほえましいです(上から目線で、失礼極まりないです、すいません)』この「どうでもいい話」として書かれていることが、とても嬉しかったりしました。次男君の顔の方がずっといいと思ってるので、ちょっと自分に自信がつきました。女性に対する態度も似てるのか・・・この辺は、親より近い世代の子達の方がよくわかるので、そうなんでしょう。女性に優しくなんくては男ではないと思ってるので、これは何よりです。息子達は絶対もてると思うので、鬼に金棒かもしれません。
2008/03/12
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上村愛子さんが、スキーモーグル競技ワールドカップで今シーズンの総合優勝を飾りました。3連勝で最終戦を待たずに優勝を決めました。モーグルと言えば、里谷さんは金メダリストで実績は上ですが、ずっと上村さんを応援してきました。上村さんが、かわいい系だからだと思いますが、彼女には華があります。同じく美人系で華がある荒川静香さんと共に、トリノオリンピックで優勝すると思ってたけど、上村さんは5位でした。上村さんは、長野オリンピックで鮮やかな髪飾りと屈託のない笑顔の高校生という衝撃のデビューを飾りました。そして次のカルガリーオリンピックで6位に入りました。そのときからその後の2年間ぐらいのドキュメンタリーをTVで見たことがあります。カルガリー以降、ルール改正で、エアリアルの技術点が上がり、エアの出来が結果に大きくものをいうようになりました。難度の高いエアをしたかった上村さんでしたが、その他の部分で十分戦える戦力を持っていたので、怪我と隣り合わせのエアの練習をコーチに止められたそうです。その間に、エアの難度が上がり、結果が全然出なくなりました。早く難度の高いエアを習得したくてエアの練習にはげみ怪我をして・・・という負のスパイラルにはまってしまいました。そんな悩んでいる時、アメリカ人だったかのコーチに変わり、指示するコーチから、自由にやらせるコーチングになりました。「上村はエアを怖がってるから、無理に練習をさせない」と言っていました。上村さんも「肩の力が抜けて、スキーがまた楽しくなってきた」と笑顔で話していたのが印象的でした。スキーが楽しいの気持ちが、苦手なエアも克服していきました。この状態で、トリノに臨んだので、金メダルを取るんじゃないかなと予想しました。荒川さんも同じでした。世界選手権に優勝したあと、優雅な魅せる芸術点から、ジャンプなどの技術点がより重視されるようになり、結果が出なくなりました。一時、A級指定選手の選からも漏れてしまいます。ここで荒川さんは、今ミキティさんをコーチしているロシア人コーチに変わり、ジャンプを気にしすぎるのではなく、自分が楽しいと思える優美さで滑るようにし、オリンピックでは何の得点も得られなくなったイナバウアーをあえて入れて、復活しました。オリンピックでは、自分でハンディービデオを映しながら会場入りしたり、実にリラックスして大会に臨み、オリンピックを制してしまいました。ショートプログラム3位だった荒川さんはノーミスでフリーを滑り、上位の2人が尻もちをついてしまったので逆転優勝してしまいました。お客さんの拍手は、荒川さんに一番集まったそうです。やっぱり綺麗、優雅さは見ていて楽しいからね。自分が楽しいということは、とても大事ですね。上村さんは、トリノで5位になってから、結局上村さんを解放してくれたコーチを別れ、別のコーチにつくことになります。今回の総合優勝のコメントに、「スキーがとても楽しい」というのを見つけました。これだなあと思いました。女子マラソンの北京オリンピック代表が決まりました。高橋さんは選ばれませんでした。日曜日のレースの後、淡々とインタビューに答える高橋さんを見ていて、「あの時だったなあ~」と思いました。私の感じたあの時とは、確かシドニーで金メダルを取った後、世界最高記録を狙ってある大会に出ようとした時です。高橋さんは、世界記録が狙えるコースで行われる大会で、狙いに行きました。でも小出監督が、前回のマラソンと日が経っていないことで体力の回復がまだだと言うことと、次のギリシャで連覇を狙う最大の目標のために、ここで無理をして故障してしまっては元も子もないということで反対しました。この後、小出さんと高橋さんは袂を分かつことになります。小出さんは、高橋さんをおだてて乗せる素晴らしい監督さんなんだろうけど、何故選手の強い希望に反対するのだろうと思いました。戦略的には監督さんの方がいいのだろうが、もっと大事なのは選手本人の気持ちなんじゃないかなあと思います。もし私なら、というか、いままでずっと、「やってごらん」と送り出していただろうと思う。それで故障して選手生命を絶たれても、そこまでコーチが責任を感じる必要はないと思う。故障した後、「よし、じゃあ次はこうして復活しよう」とアドバイスすると思う。人にとって最も大切なものは、自由だと思う。自分の選択の結果には、全責任を納得して負える。でも他の人に反対されて変更した選択で、結果がよくなかったらどうしても責任転嫁してしまう。それが、一番信頼している親や家族だったら、悲劇的なその後が待っているように思う。アテネの前も高橋さんを見て思っていたが、シドニーの頃のハツラツさがなく悲壮感が漂っていた。小出さんと分かれて、走る以外のモロモロもみんな自分の背中に降りかかってきたからなんじゃないかなあと思う。選手は、コーチの技量を世間に知らしめる道具ではないと思う。コーチは選手の影に隠れる黒子がいいと思う。コーチが、選手の人生を背負うほど真面目である必要はないと思う。選手自身の選択なんだから・・・選手の人生の主役は、コーチではなく選手自身だから・・・
2008/03/11
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土曜日、お手伝いしている次男君母校ヨット部の卒業式(通称追い出しコンパ)が、いつもの京都駅前のアサヒビールのお店でありました。今年も参加打診があったので、仕事の関係で1時間ほど遅刻しましたが、参加してきました。店の前の受付には、もう誰もいません。卒業記念誌の「フルセイル」と、来訪者名簿があるのみです。受付のマネージャーさん達も、会場に入っているのでしょう。いつもの部屋に入ると、マネージャーさん達が入口付近にいます。すぐ前には、ドクターコースに進んでいるのだろう3年以上前に卒業したOBさん達が並んでいます。その前には現役と若手卒業生、左手には長老のOBさん達がテーブル席に腰掛けています。正面では卒業生達の挨拶が始まっています。これで4年連続で参加していますが、各代に共通する雰囲気があるようです。涙々の卒業式の時もあれば、笑いを誘う言葉が続く時もあります。今年はノーマル型かもしれません。涙はないようです。まあ彼らの涙は、昨年のインカレ最終日の夜にたっぷり見させていただきました。この代は、私がお手伝いさせてもらってから入学してきた代で、新人勧誘の時から接してきました。この日の挨拶で確認したら、試乗会の時、私の車で大学から初めて艇庫に行った子が9名中1/3もいました。1人が覚えていたけど、こんなにいたとは・・・車の中でしゃべったことが、ひょっとすると入部のきっかけの1つになっていたかもしれません。いきなり、どう見ても学生の年齢ではない人の車に乗せられて、「これはどんな人だ?」なんて面食らったかもしれませんね。最初の練習は、1人乗りヨットに乗ります。インフレータブルボートからホイッスルを吹き、基本動作の練習をし、飽きないようにレース練習も入れます。どんなにへたくそでも、やっぱり競争は楽しいです。夏の暑い風のない日には、レスキューに乗っていた1回生に、ライジャケを着て泳いで近くのマークまで行くこともしました。この代のプレイヤー7人はみんな個性的で、それぞれの味を持っていました。このクラブに流れている雰囲気を一言で言えば、「選手を大人として扱う」だと感じています。OBさんや監督さんからの指示しすぎがなく、選手自身が考えて上達していきます。4年間で結果を出すということだけを考えれば、勝ち方を知ってる者からの指示を徹底させる方がいいのかもしれませんが、私は結果ではなく経過だと思っているので、自分達で考える方が好きです。プロのクラブではなく、学校という教育機関のクラブだから、成功も失敗も自分達でした方が、学びが大きいように思います。この代のキャプテン君のこの4年間の歩みが、この代みんなに共通していたように思います。彼は次男君と同じ高校のヨット部出身です。顧問先生とは、お互いの学生時代から存じ上げているので、彼が大学ヨット部に入部した時、彼の中高時代のことを話してくれました。中学は入試成績によってクラス分けがあり、その後の成績でクラスが上下します。彼は入学の時「普通科」でしたが、頑張りによって「理数科」そして一番上の「理科3類」クラスに上がりました。ヨット部に入っても、努力によって少しずつうまくなってきました。「高校3年間ではヨットの腕はまだまだだけど、彼はほんまのがんばり屋やから、大学4年間でかなりのレベルまで行くよ」と予想されました。最初に彼に会ったのは、高校ヨット部での練習でした。次男君はすでに大学生になっていたのですが、乗員交代でレスキューボートに上がってきた彼は、「・・さんのお父さんですよね。僕も同じ学校に行こうと思っています」とはっきり言いました。そして、彼がキャプテンになった昨年の試乗会で、1回生に「今年、全日本を目指しますではなくて、行きます、行く事になっています。一緒に行かないか」と熱く語っていました。彼はそれを実現しました。失礼ながら、1回生の時の1人乗りでは、さすがヨット部経験者・・・とまでは言えないレベルだったのが、最終学年では一般の全日本出場にまで駒を進める選手になりました。最後の学生全日本団体戦では、平均15位という成績を残し、団体戦優勝は、3艇の1レース合計得点が、大体45点から50点ぐらいなので、彼が3人いれば全日本を制するというレベルにまでなりました。これは彼だけに当てはまるものではなく、この学年みんなに共通するもののように感じています。誰かの指示を忠実に守って達成したものではなく、自分達で考え実行してきた結果です。誰かの操り人形ではなく、自分の人生の主役を堂々と生きてきた結果として残したものです。この行動をそのまま続けていけば、次のステージでも輝ける人になるでしょう。このヨット部でやってきた成功・失敗、みんな自分達の意思から始まったものですから、全部肥やしになるはずです。彼らの顔を見ながら挨拶していたら、いろんな思い出が蘇ってきました。
2008/03/10
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昨日の日記で、相撲協会理事さんが力士さんを大人扱いしていないのではないかと書きました。私の子供時代は、時代が忙しかったし、お金の余裕もなかったからかもしれないが、ずっと自己責任の時代だったように思います。近所の公園の池は、野池そのままで、大きな木の枝が池の上に出ていたので、夏になると、そこによじ登って飛び込んでいました。それに飽きたら、池の周りを探せば出てくる糸と針を落ちてる木の枝に結んで釣りをしました。エサは家から持ってきたご飯粒一握りもあれば、大勢で何時間も遊べました。でもその池は今、遊歩道が整備され、釣り禁止になり、子供が遊ぶ姿が消えてしまいました。危険だから・・・事故が起こったら、管理責任が自治体にかかるから・・・最近の「先生が不在だった時、クラブで事故が起こったら、顧問先生・学校・自治体に責任転嫁して訴える」という風潮には、どうも疑問を感じます。全部とは言わないが、自ら休むことで防げた事故もあると思う。高校ヨット部のとき、顧問先生が練習に来られることは一度もありませんでした。試合のときだけです。みんな自分達3学年で自己完結していました。そういう環境を与えてくれた顧問先生には感謝しています。風が強くなってきたら、早めに帰ったし、天気予報も毎日見て、いつも空を見上げる習慣がつきました。そういう環境でスポーツをして、いろんな文献を取り寄せたり、素晴らしい選手と一緒に練習する機会を得て、そのスキルを盗んで自ら上達してきました。だから、ジュニアスポーツのコーチをしていた時も、子供達に箸の上げ下ろしまで指導することはしませんでした。いろんな形があっていいです。レースにはいっぱい出て、トップセーラーと競い、彼らを見る機会を与えました。そこから何かを気付けば・・・壁に当たって、どうしていいか分からず泣いてきた時、「あんなあ~・・・こうしてみたらいいかもしれないよ~」とアドバイスしてきました。コーチの指示を待って、指示通りに動くより、自ら考えて自分にあった結論を得る方が将来の伸びしろが大きいです。結果、日本で一番楽しいクラブと言われるようになったし、ジュニアを卒業しても全員大学卒業まで体育会でヨットをしました。子供の時のヨットが楽しかったのだなあと思っています。わが子がジュニアを卒業して、日本協会の理事をしていた時期があります。その時、世界選手権優勝者を育てたコーチと、彼が今教えている小学生の選手を呼んだことがありました。日本人の選手と一緒に彼のコーチを受けました。親御さんも多数そのクリニックを手伝う形で参加し、彼から何かを学ぶためです。私の地域でのクリニックの時、私が彼らのサポート担当だったので、送り迎えや食事にも私の車に彼らを乗せて付き合いました。そのイタリア人コーチから、いろんなことを学びました。ある朝、イタリア人選手が起きてきませんでした。コーチに選手の事を尋ねると、「昨日、朝はここに何時集合と決めて寝た。起きて来ないのは彼の責任だから、先に行こう」という答えが返ってきました。「私の車が行ってしまうと、彼はハーバーまで来れないのでは?」と聞くと、「何とかするでしょう」と意に介していません。結局、ギリギリ間に合いましたが、コーチは特に注意することはありませんでした。慌てて走ってきた選手に「おはよう」と言っただけでした。日本人コーチならどうするだろう?「すいません、寝坊しているのかもしれません。今呼んできますので、少し待ってください」「こら、何しとってん。みんな待ってるやろ。謝りなさい」練習後のミーティングで、その日の練習を映したビデオを見ながら、時々映像を止めて、コメントをはさみます。重要なところでは、選手みんなにコメントを求めます。通訳が入るので、子供達にも十分質問は分かるのですが、あまり発言がありません。でもイタリア人選手は、小学生にも関わらず、いつも必ずコメントします。「合ってる、間違ってる」ではありません。「自分はどう思う、自分ならその場面でこうする」を発言します。それを聞いて、非常に確率の低い判断だなあと思う時でも、コーチはそれを否定しません。そして、「こういう考えもあるよ」とだけ言います。それにピンと来たら、そのイタリア人選手は、ノートしています。何にも書かない日本人選手、全部書く日本人選手とは、好対照でした。イタリア人小学生が、大人に見えました。同じことを、アルゼンチン人コーチを呼んだクリニックでも感じました。大人が子供をちゃんと一個人として扱うから、子供もそういう行動が取れるようになるのだと思いました。
2008/03/08
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『大相撲時津風部屋の序ノ口力士が集団暴行を受けて死亡した事件で、日本相撲協会は6日、大阪市内で理事会を開き、傷害致死罪で起訴された兄弟子3人について、公判で有罪が確定した場合、角界追放にあたる解雇処分とすることを決めた。それまでは無期限の出場停止処分とする。また、傷害致死容疑で書類送検された別の兄弟子3人のうち現役2力士については春場所(9日初日)の出場停止とした。同事件に絡んでは、前時津風親方の山本順一被告(58)=元小結・双津竜=が昨年10月、既に解雇処分を受けている。この日の理事会は、3被告が前親方とともに先月29日に起訴されたことを受けて開かれ、北の湖理事長ら全理事10人が出席。兄弟子側から3日に寛大な措置を求める嘆願書が提出されていたが、人命が失われた重大性から解雇相当と結論づけた。一方で「弟子は師匠に逆らえない。判決を待つべきだ」との慎重論もあり、当面は出場停止とした。理事会後、会見した北の湖理事長は「亡くなった重大さを認識し、事件を教訓にけいこのあり方を考えねばならない」と語った。』『・・・弟子は師匠に逆らえない・・・』を読んで、相撲界の体質を垣間見た感じがしました。弟子といえども成人した男。師匠に言われたからと言って、自己判断・自己責任で行動できないのかと、情けなく思いました。お相撲さんといえば、「気は優しくて力持ち」というイメージでしたが、肝の据わっていない小者のようです。また、相撲界を引っ張る理事に、師匠の絶対性を認めている人がいるのにも驚きです。弟子を大人として扱っていないようです。「俺について来い」「俺の言うようにやってれば間違いない」タイプのコーチからは、自分で考え臨機応変に自分をコントロールする大人は育ちません。ただ指示待ち族が生まれ、コーチに甘え続けます。相撲界は、この考えの人が多いようです。大人として扱えば、最小限のアドバイスを与えるだけで、むしろ自由にいろいろ試せるフィールドを整備することにもっと力を使った方がいいです。自分で失敗を重ねて、学ぶのが大人です。指示だけ受けていた子より、初期の上達は遅れても、結局上に行きます。プロ野球に置き換えると、「王監督が合宿を逃げ出した新人選手をビール瓶で殴り、中堅選手に「お前らもやれ」と命令し、それに従った中堅選手を、「監督に言われたから仕方なかったのではないか」と、プロ野球オーナー会議で意見が出た」ようなものです。暴行し死に至らしめた事実が確認された時点で、監督も中堅選手も即刻球界追放がごく普通の流れのように思います。相撲界を引っ張る人たちが、力士を幼稚園児のように扱っている限り、これからも暴行は続くでしょう。こういうことは、関係者のほとんどが本当はやってはいけないことだと分かっているものです。だけど集団心理、自分が仲間はずれされたくないという心理で、目上の命令に異議を挟めず、追随してしまうものです。そして、感情に任せて平気で人を殴れる人はほんの一握りで、そういう人は、必ず自分より弱い立場の人に制裁を加える卑怯者です。私は、こういう人間は大嫌いです。小学校の時の喧嘩は、いじめている現場でいじめているやつに対して喧嘩していました。喧嘩は弱いので、いつも私がやられますが、いじめを見ていることができない性格でした。だから、私の隣の席はよくいじめられっ子になりました。先生がそうするのです。高校のクラブで、同級生を叩いたキャプテンに反発して大声で口げんかもしました。自分が先輩に叩かれた時は、「あやまれ」と強烈に反発し、あやまらせました。大学のミーティングで、また高校のときのキャプテンがキャプテンになり、後輩をミーティングでぼろくそになじりました。その時も、猛反発しました。ミスをした後輩に注意すればいいことです。人の尊厳を潰すような言葉は、人の成長にはつながらないし、たた自分の感情のはけ口でしかありません。私が猛反発している間、誰も私を静止しようとする人はいませんでした。キャプテンに対し、きちんと敬語を使っていたし、汚い言葉も使っていません。ただ大声で、正論を述べているだけです。感情的な言葉で対抗するキャプテンに加勢する先輩もいませんでした。どちらが正しいか、みんな分かっているのです。キャプテンがみんなのいないところで暴力を振るうので、自己判断・自己責任意識のない者が、それに追随するだけです。集団心理、強いものには巻かれろの心理です。何も反発がないのをいいことにのぼせ上がったキャプテンが、ミーティングという公然の場でそれをして、私に反発されて面目がつぶれた。以来、暴力はなくなり、私に面と向かって言葉をかけなくなりました。ただ、次期キャプテンを決めるOB理事会で、最も実績のある私の就任に頑なに反対し、いつもなら簡単に決まる理事会が数時間に及びました。誰もがみんな私だと思っていたのが覆り、おかしな雰囲気の代交代式になりましたが、私は前キャプテンの小ささにあほらしくなって反発する気にもなりませんでした。儒教の上下関係が、そういう暴力を許す土壌を日本に植えつけていると思います。その最たるものが、親子の間での「しつけ」と称して暴力がまかり通ることだと思っています。誰か1人が正論を堂々と発すれば、集団は目を覚まします。日本の殺人事件の半数が家族間で起こり、最も多いのが親子間です。子供の親殺しにしても、そこに至らしめるもののほとんどが、親が子に対する言葉を含めての暴力です。今回の大相撲理事会の決定ですが、北の海理事長は毅然とした態度を取ろうとしているようです。人一人亡くなっています。直接の死因は、兄弟子からの暴行や親方がやらせた過剰な稽古だと思います。その当事者が兄弟子です。亡くなった力士さんのご両親に、顔を上げて報告できるような決定を望みますし、それが出来なければ、フェアプレイを醸成するスポーツの頂点に立った人間として情けないと思います。
2008/03/07
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明石海峡で3隻がからむ衝突事故が起きました。一番大きなタンカーが、追い越しをかけるために進路変更したところに、その進路を走っていた貨物船が追突したのが、最初の原因のようです。車で言うなら、高速道路での追い越しのために走行車線から追い越し車線に車線変更するとき、後方不注意で追い越し車線を走っていた車が追突してしまったというところでしょうか。明石海峡は、世界最大の釣り橋が架かるぐらい大きな海峡で、大橋の上から見ると広く見えます。でも海を走ると結構狭い感じがします。東行きと西行きの航路が海峡の中央を境に定められており、うちらの小さな船は、大型船から距離をおいて一番外側を通ります。大型船から相当圧迫感を受けます。大型船でも、潮の流れが速いので、他船と距離を開けないと怖いと思います。瀬戸内海と大阪湾を行き来するためには、より狭い鳴門海峡か明石海峡を通るルートしかありません。鳴門海峡は、渦潮で有名なように潮流が早く、あまり気持ちのいいところではありません。いきおい、明石海峡の船の交通量が増えます。今回もオートパイロットが一つの原因となっているようです。オートパイロットは、舵を持つ必要がないので、とても便利です。1人でヨットに乗る人は、オートパイロットにして他の作業をします。船は真っ直ぐ走るときでも、結構舵を動かしています。車が道路のでこぼこを拾ってハンドルを動かすのと同じで、風や波を受けて常にステアリングを動かしておかなければまっすく走りません。そんな時、オートパイロットをオンにしておくと、勝手にステアリングが動き楽です。でも手動のように、船の癖や風・波を考え、事前の状況を学習しながら、あらかじめ当て舵をする頭脳はないので、左右に振れてから元に戻す感じになり、手動ほど真っ直ぐ走りません。大型船を動かしたことないので、本当のことはわかりませんが、手動の方がスムーズに船を動かせると思います。もし自動車でオートパイロットでハンドル操作から開放されたらより眠気を誘うように、オートにしていたことが操船者の注意を散漫にさせた事故のように思えてなりません。今の時期、明石海峡は東京湾沖の太平洋より水温が低かったと思います。せっかく救助されたのに、亡くなった方が出たのは水温の関係だと思います。でも幸いなことに、早く水から上げられた事で、助かった方もいました。あの辺は潮の動きが大きくいい漁場です。いつも潮目には漁船や遊漁船が、たくさんいます。それらの船がすぐに気づいて救助に急行したのでしょう。
2008/03/06
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家内の実家から持ってきた家内の成績表を見ているとき、ある現実に目が留まりました。抜群の学業成績には、ただただすごいなあと思うだけですが、小学生にして『視力0.1』・・・家内とつきあている間、気になっていた点です。近視で乱視もあるから・・・「小学校の時、一緒に住んでいたお婆さんはもう目が見えなくて、私が手を引いて銭湯に行っていたの」知り合った大学生の時に、視力が0.1ないと言ってたので、「家内がおばあさんになって目が見えなくなっても、平気でサポートできるかな?もっと若いうちから見えなくなっても、サポートできるだろうか?」将来の現実として考えました。大丈夫、受け入れられると思いました。僕の欠点より、ずっとずっと小さなマイナス面だと思いました。家内の優しい言葉や、落ち着いた雰囲気に囲まれて暮らせることを思えば、全然大したことないと思いました。幸い、家内の視力はあまり変わっていないようで、ありがたいことです。私は今でも、目はとてもいいです。でも子供達は、大学生になり、メガネやコンタクトをするようになりました。私が、視力検査と言えばずっと2.0や1.5だったことを思えば、これは家内からの遺伝でしょう。仕方ないです。家内には、どうかずっと目が見えていて欲しい。
2008/03/05
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この日の午後は、3人乗りレース艇の整備予定が入っていました。朝一番に家内の実家に行き、我が家に持ち帰る荷物を積み込み、そのまま浜に向かいました。集合時間の連絡はなかったのですが、昼頃からだろうなと思い、陸置きヤードに着くと、ヒライさんの車とダンシングクイーン号が出ていました。その他に1台車があるので、他艇のメンバーさんが整備で来ておられるのでしょう。誰もいないので昼食中かと思い、ヨットクラブの2Fに上がると、タナカさんのチーム3人も居られました。ヒライさんとシブカワさんから、私には門外漢の堺市に出来るシャープの工場の話を聞き、いつものランチです。気温も上がり、外のベランダで食事をしている方もたくさんいます。昼時ですが、テーブルは大体詰っており、いい天気に誘われて、人が出ているようです。もうすぐ春です。うららかで風も弱く、絶好のクルージング日和です。こういう日に出ると、ステアリング担当以外は、昼寝になるでしょう。食後、マストの整備です。去年の最終戦後、マストが折れているのを見つけ、船から降ろして修理してもらっています。バッチリ直っていました。ほんまは新品を買えというとこなんでしょうが、100万ぐらいしそうで、修理でお茶を濁しておくことになっています。船底の塗り替えは、サイドデッキは完成していますが、ボトムはまだのようです。取り外したり新調したステイを取り付け、マストトップにウィンデックスを取り付けます。次の整備の時、マストが立てられるようにします。交換する部品は、ハーバーのショップ一点鐘に買いに行きます。ここのレギュラーの店番さんは、次男君と同じ年で、高校からの知り合いです。大学でもヨット部やってた女の子で、ジュニアからの同級生のGFさんだと息子が言ってました。かわいい子です。オーナーであるシブカワさんの話だと、マストチューニングシステムをよりシンプルにしたようなので、トップスピードをプロデュースするために、しばらくレースをしながらシェイクダウンになりそうです。本来なら、シェイクダウンを兼ねた練習で、チューンナップしていくのでしょうが、今や成績は二の次というチームだから、月1回のレースの時だけ船を下ろします。今月の末から、今シーズンのレースが始まります。あ~だ、こ~だ、ごそごそいじくる日が続くと思います。これもまた楽しきかなです。
2008/03/04
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日曜日は、朝から家内の実家に向かいました。住むものがいなくなってしまった実家がそのままになっています。私は義理姉の息子もまだ結婚していないし、そのままにしていればいいと思うのですが、建て増しを続けた家は、見た目以上に老朽化しているとのことで、更地にしてしまうらしい。兄弟でもめるのが一番嫌なので、家内が相続放棄して義理姉名義にしてもらった。姉のしたいようにしたらいいと思ってるので、「使うものあったら、何でも持って行って」に従い、家内の指示のまま、荷物運びです。結構大きな家なので、荷物がたくさんあります。出来るだけ荷物が少ない方が、解体費用が少なくなるので、持ち出したいのは山々ですが、当方の収納キャパシティに限界があるので、必要なものというより、両親が大切にしていたものを形見分けのように持って帰ることにしました。家内が何日かこっちに来て、姉と一緒に整理し、うちに持って帰るものとしてセレクトしたのは、着物・装飾品・洋服、それに父の趣味だった釣りの魚拓、それから写真でした。5月の解体まで数回はこちらに通って荷物運びかなあと思っていたのですが、1回で終わりのようです。「だって、切りがないもの。母さんもこれで勘弁してくれるわ」衣装道楽だった母は、着物を山のように持っていました。姉は着道楽ではなく、家内はお茶・お華の師範を持ってるぐらいだから、元々着物好きです。ワンボックスワゴンに着物を積みながら、買値で計算したら百万の桁よりきっと1つ桁が多いだろうと思いました。でもきっと箪笥の肥やしになる運命でしょう。最近は家内も着物はあまり着ないし、息子の嫁さんや孫、親戚のお嬢さんが着てくれたらなあと思いますが・・・午後から浜で、船の整備があったので、そのまま姉と荷物整理を続ける家内を置いて、荷物満載の車で浜に向かいました。夕方自宅に戻りましたが、家内が帰ってきたのは8時ぐらいだったでしょうか?「車の荷物、どうしようか?着物だけは先に下ろそうと思うけど、他の荷物、どうする?しんどかったら、毎晩少しずつ下ろして整理する?」と家内に聞きましたら、全部下ろして、長男君の部屋を一時荷物置き場にするということです。車から荷物を下ろし終え、私は写真の整理をすることにしました。家内の小さな頃のアルバムを見ていると、彼女は一見外人さんです。出会った時の第一印象はハーフかクォーターだろうと思いましたが、小さな時からちょっと周りの子と違って写っています。それからあまり伸びずに平均的な身長ですが、小学生にしては背が高く、色素が少ないので、肌が白く、瞳がブラウン、髪もブラウンがかっています。結婚式場のモデルをした時にもらったであろう、お見合い写真のような額に入った着物写真がありました。私とのウェディング写真もありますが、家内にはやはり着物の方がより似合うようです。ピアノの発表会の写真が、とてもかわいい。続いて小・中・高の成績表が出てきました。小学校の成績は、体育や音楽が時々違うぐらいで、ずらっと一番上の欄に丸がついています。学校との連絡帳のようなものがあり、家内の各教科に対するコメント、先生からの言葉、母親のコメントが書かれています。「算数の欄で、やっぱり灘の問題は難しかった」とか書いてありました。私もお世話になった自由自在や応用自在で灘中の入試にチャレンジしての感想だろうと思います。私立中学の時のものには席次が載っています。毎学期ほぼ1番です。3年の3学期は6番になっており、先生のコメントが「1番で卒業させてあげたかったのですが・・・」となっていました。高校のものは、家内が昔から言っていたように、「高校1年までは天才だったけど、高2から下降し始め、高3では普通になった」を裏付けるように、高校受験して入った地域のトップ校では中の上というところでした。「男の子がやる気になったら、馬力でかなわない」の考えの元はここでの経験なのでしょう。ラブレターの書きさしが出てきました。私への最初のラブレターの推敲のようで、家内に見せると、「まあそんな時もあったわね」と笑っています。姉に撮ってもらった、アルバムにはなっていない結婚式の写真がたくさん出てきました。そして最後に、何故家内の実家にあったのか不明ですが、私の保育園時代の連絡帳が出てきました。ぞうぐみ、きりんぐみという、4才と5才の時のものです。結婚する前に、うちの母親が家内に渡したのか?謎です。新婚時代に観光地で2人で焼いた焼き物のVWビートルが出てきました。これも何故ここにあったのか?いろんな思い出が蘇ってきた楽しい1日でした。
2008/03/03
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竹内結子さんと中村獅童さんの離婚が正式に決まったそうです。映画「今、会いに行きます」での2人の印象が強く、とても残念です。あとGTOカップルの反町隆史・松嶋奈々子さんとこも、勝手にずっと幸せに続いて欲しいと思っています。夫の飲酒運転や浮気が別居のきっかけと報道されていますが、夫婦にだけにしかわからない、いろいろな不満があったのでしょう。中村さんとこは、歌舞伎という伝統世界の家柄だし・・・でも中村さんは、しっかりいい仕事をがんばってる俳優さんだし、何より、ずっと謝ってるのだから、許してあげられないものかなあと思っていました。俳優さんなんて、異性にもてることで成立する商売のような気がするので、そこを否定してしまったら、かわいそうな気さえします。竹内さんにとって、ここだけは・・・という譲れない部分を踏んでしまったのでしょう。まあ、仕方ないことですが、あと10年、20年連れ添えば、夫婦の味というものが出てくるだろうし、人生のたそがれ期に入った時、長年一緒に歩いてきた人の存在は、安心できるアンカー(錨)のようになるのではないかなあと思います。ご夫婦で来られるお客さんと話していると、素敵な老夫婦がたくさんいます。総じて言える事は、旦那さんがとても奥さんを大事にしている。家内と結婚する時、これだけは守っていこうと2人で考え決めたことがあります。半紙に家内が書いて、桐の箱に入れて、貸金庫に今でも入っています。「車に乗るときは、シートベルトを締めること」「年に1度は旅行に行く事」それから家内に強く、「これだけは絶対に」として言われた、「浮気をしないこと。もしすれば離婚します」もあります。家内からの強い要望でしたが、私など「女房の妬くほど亭主もてもせず」なので問題なしです。私自身が、思う子が1人いれば十分という性格なので、そういう心配はありません。大学の最後に友人とスキー旅行したことがありましたが、友人が現地調達してきた女の子達とあまりしゃべらない私に、「もうちょっとなんとかならんか~」と文句を言われた事があります。1つが終わって、しばらく寂しい期間があって次という感じで、オーバーラップしたことなど一度もありません。が、家内の方はとてももてます。綺麗で、自分からしゃべる方ではなく、隅でおっとり微笑んで、とても聞き上手。男が放っておくことはないです。男は、自分の話をゆったりと聞いてくれる女性がとても好きな人種だと思います。パーティーやレセプションでは、指名されてプレゼンテーターのサポートで舞台によく上がっていました。女性は華なので、ミツバチがたくさんやってくるのを、旦那だからといって文句を言ったらあかんように思っています。男に一目置かれて、魅力を増すのが女性だと思います。「私も知ってる仕事上の知り合いに、手をつながれて道を歩いた」相手が知り合いなら、手を振りほどいて「やめてください」なんて言えない人で、「仕方ないな」と、相手が満足するまで手を握らせてあげる方です。「悩みを聞いてくださいと、取引先の担当者に誘われてるんだけど、行ってもいい?」彼はいいやつだから僕はいいけど、うちの親やご近所さんに見つからないようにしなよ、と言いました。「元付き合っていた人から電話が入って、長い時間話してたの」「彼が、仕事場にやってきたの」そう、そりゃ良かったな。何か悩みでもあったのかな?と聞きました。どうやら、大きくした事業を、大手に売ってしまい、サラリーマンを始めようとしていた時だったようです。何の解決策も提案もなくても、ただ自分の決断を聞いてくれて、「きっとできるよ。がんばって」と言ってくれる女性が必要な時があります。男なんて、女性の一言で、俄然がんばる人種です。そういうのを話してくれるので、私はそれでいいです。「元彼さんから誘われたらデートしてきなよ。それからの事を話してきたら楽しいんじゃないかな。かつて好きになった人だから、今の幸せを壊したりしないよ」なんて言ってしまいます。一度神戸での勉強会の帰り、駅に向かって歩いていた時、家内とすれ違ったことがあります。「・・ちゃん」と声を掛けたのですが、気づかずに行ってしまいました。急いでいたようなので、何処に行くのかなと思いながら、追いかけることまではしませんでした。つけて行って、脅かしてやろうかと一瞬思いましたが、携帯電話を覗くような行為で、きっと自分が嫌になるだけだからとやめました。プライベートを覗く趣味はありません。そういう秘密の部分があった方が、より魅力的に見えるものです。夫婦と言えど、別の人格で、心の中まで共有できません。お互いの知らない自由な時間が、お互いへの信頼を醸成し、その時間に得た何かがお互いにフィードバックされます。お互いに対する心遣いを自分がしっかり持っていればいいことで、お互いに強制させるものではないように思います。竹内結子さんを映画で見れるのは嬉しいですが、30年・40年後、寂しい人生にならないかなあと思います。離婚したお客さんを見ていると、離婚当初の奥さんは元気がいいけど、結局子供を抱えて生活に追われ、気持ちの余裕がなくなっていくのを感じます。元旦那より元奥さんの方が、女性としての魅力が急速に落ちていく感じがします。離婚するのは、女性がより損になる感じがします。しっかり仕事をしている旦那なら、多少のやんちゃは許してやっていれば、後々奥さんにとても優しい旦那になって行くのになあ。
2008/03/01
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