2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全26件 (26件中 1-26件目)
1

暫定税率が復活するようです。私は、大幅な道路特定税収減という事態を受けて、予算の組み替えなど考え方を根本的に変える方がいいと思うのですが、自民党は慣れ親しんだ今までどおりを続けて行くそうです。切羽詰らないと試験勉強をしないのと同じように、税収がそのままだと無駄使いを大きく見直すことは出来ないように思うけどなあ。役人さんは、許認可権を持ち、税金という形で、強制的に稼いだお金を巻き上げる権限を持ち、民衆に対してとても強い。その横暴を規制するために議員がいる。議員は役人に対して強いが、議員は民衆の選挙で選ばれるから民衆に対して弱い。じゃんけんのグー・チョキ・パーのような関係を作って、それぞれが強くなりすぎるのを防いでいます。道路特定財源の無駄使いがこれだけ表沙汰になってきているのに、それをどうするかの論議を置いといて、暫定税率だけが元に戻るのはいかがかと思う。自民党だ民主党だなどは、どちらでもいいことです。いろんな形で役人さんの懐にポッケナイナイにされた税金を、ポッケナイナイした役人さんから取り戻すことが出来ないと、議員としての役目が出来ていないように思う。民主党が参議院で多数派になったおかげで、いろんな無駄使いが明るみに出るようになりました。役人さんに対し、これを正す権限を持ってる与党政府が何もしないと、次の選挙では大敗するでしょう。知恩院さんガソリンスタンドには列が出来ているようです。私も、月曜日の朝車のタンクを満タンにしてきました。年間走行距離3000kmぐらいなので、ガソリン代はあまり懐に響かないのですが、ここはやはり世間様のはやりに乗り遅れては・・・ということでいつも行く近所のGSさんに行ってきました。ここは、学生時代からメインでお世話になっているところですが、数年前にセルフになってしまって、オイル点検やタイヤ購入とかいろんな面で物足りなくなったところです。暫定税率復活で、ガソリンのポリ容器への買いだめの危険が指摘されていますが、どこかで事故が起こるだろうな思ってました。学生時代から船に乗ってるので、燃料の種類による危険度は知っているつもりです。学生時代は、艇庫の入口に重油タンクを置いて、GSの車が来て給油していきました。そこからポリタンクに移し変えて船に給油していました。揮発性・引火性がガソリンより随分劣るので、当時はそういう保管でも良かったのでしょう。最近は軽油になりましたが、軽油も引火性が低いので、ポリ容器でもOKです。ハーバーの給油所から船に直接入れることもありますが、町のGSの方が安いので、ポリ容器持参して入れてもらうこともあります。でもガソリンは危険です。揮発性と引火性が格段に高く、2サイクルの船外機に使うためにガソリンとオイルの混合燃料を補給しに行く時は、金属容器でないとダメです。セルフで自分で給油するのも怖いので、必ず店員さんのいるGSで入れてもらいます。ガソリンだけを給油し、オイルを自分で入れてもいいけれど、それもしたくないので、給油所で混合してもらいます。室内などでガソリンの入った容器を開けるのも揮発ガスが室内に充満して危険なので、必ず表で開けます。原付の燃料タンクにガソリンを給油する時は、近所の有人のGSを利用しています。タンクが車のようになっておらず、今どれくらいタンクに入っているか分かりません。油断しているとこぼれちゃうし、あれは難しいです。吹き零れたまま、綺麗に拭かずに走り出して、それに引火するかもしれません。数日前、とうとう神戸でセルフ給油所でのガソリン引火事件が起きました。「やっぱりなあ」というのが感想でしたが、ちゃんと金属容器だったそうです。でも金属容器を車内に置いたままで給油したから引火したようです。ちゃんと外に出して給油しなきゃ・・・その前に、店員さんのいる店でやってもらわないと・・・一気に車内に揮発ガソリンガスが貯まったのでしょう。それにしても、火薬庫のようなGSに、火のついた容器を放り出して逃げ去るなんて常識はずれです。給油中の他の車に引火したら大惨事になるところでした。自宅でポリ容器に買いだめる人が出ないだろうか?ガソリンはやばいです。大事故が起きなければいいが・・・
2008/04/30
コメント(2)

以前から、そう遅く帰ることはありませんでしたが、最近は定時で仕事を終えて、一目散に帰るようにしています。4月からは、子供が家にいないので、ボディーガードにならなきゃなと思って。一目散に家に帰るのは、子供達が小学生の頃以来でしょうか。本読みと一緒に風呂に入るのが、私の担当だったので、仕事終わりの定時も早く設定していました。それと、玄関のピンポンを鳴らすと、「おかえり~」と大きな声を上げながら駆けてきて、玄関を開けてくれるのが嬉しかったし。昨夜も、いつものように台所で用事をしながらメールチェックしてる家内の横で、夕食を食べていました。次男からメールの返事が来ないし、電話しても出ないし、ちゃんとやってるのかなあ・・・と言っています。彼が大学生になって下宿し始めた時でも、こんなに気にしてなかったのになあと思いながら、「音沙汰のないのが元気な証拠だよ」と軽口で返していました。「これ見て」と渡されたのは、保険会社から次男宛に送られてきた書類でした。学生時代学校で怪我をした時の保険請求がまだのようで、その処理に関するものでした。「このことで連絡ちょうだい」と送ったのに返事が来ないとのことです。10時過ぎ家内が寝床に行った後、自宅にはスキャナーがないので、書類に書いてある質問をメールに打ち込んで、次男のPCアドレスに送りました。更に携帯にも、PCを確認するようにメールを入れました。そして風呂に入ると、すぐに次男から電話が入ってきました。起きてきた家内が楽しそうにしゃべっています。家内が電話した時は、風呂に入っていて電話を取れなかったそうです。次男が下宿を始めたときは、長男が自宅から学校に通っていたし、長男が就職で東京に行ってしまったときは、入れ替わりで次男が自宅から学校に通うようになりました。子供達が2人ともいなくなったのは、これまでになかったので、家内の気持ちの深い部分が寂しいのでしょう。京都 浄土宗総本山知恩院私は、学生時代のクラブの関係で、今でも長い付き合いの友人が大勢いますし、新たなヨットつながりもたくさんいます。でも家内はそういうプライベートな友人がほとんどいません。仕事上の知り合いはたくさんいるのに、休日に一緒にという付き合いではありません。私では子供の代わりには全然ならないけど、しばらくはできるだけ近くにいようと思っています。
2008/04/29
コメント(8)

日曜日は、またまたヨット部の手伝いに行ってきました。今月の日曜日は全部、京都経由琵琶湖行きでした。当初、最後の試乗会だから、参加者も少ないかなあと思い、先輩とのクルージングや私達夫婦の死後の分骨の為のゴソゴソをしようかなと思っていました。でも金曜日に届いた参加人数が、前回とほぼ同じということで、いつでも出来る他を後回しにすることにしました。朝7時に家内と一緒に自宅を出発。家内と京都のお寺を回り、家内は実家に、私は大学に回ります。家内には、実家解体前の掃除をしようと義理姉から連絡が入っていました。実家近くの姉の家で昼食を取ってから実家に行くので、京都を9時頃出なければなりません。8時前に知恩院に着きました。朝早くから対応してくれるお坊さんがいることを少し期待していましたが、やはり10時ぐらいにならないと無理そうです。久しぶりの知恩院は、以前より大きく感じ、何となく大きすぎるなあという感じを家内も受けたようです。本堂などを回って、案内パンフレットを数冊手にして、百万遍知恩寺の方に回ることにしました。先週、お坊さんから聞いた話をしながら、案内して貰った本堂や納骨堂を、家内ともう一度見て回りました。家内が、隣に次男の通った学校があるので、「将来子供達がココに来たとき、懐かしく感じるかもしれないね」と乗り気です。百万遍さんの納骨堂 ここに家内と一緒に私の骨の一部をお願いしようかなと思っています続いて、永観堂さんに回ることにしました。永観堂さんに分骨されている家内両親と先代の法要が先週ありましたが、ウィークデーだったので義理姉だけが出席しました。そこで遅ればせながら、我々夫婦も手を合わせに来ました。まだ参拝時間前なので入れるかどうか心配でしたが、参拝受付の準備をしていた方に話すとOKとのこと。観光客ではないので、参拝料も無料でラッキーです。お墓の奥の納骨堂の前で手を合わせてきました。周りのお墓には、古いお寺なので、歴史上の有名人のお墓があるのかもしれません。もみじの永観堂として有名なお寺で、東山のかかりに建つ五重の塔が、京都らしい風情を感じさせる綺麗なお寺です。拝観料収入があるからなんでしょうか、百万遍さんより庭に手が入っています。そこからJR京都駅まで車を走らせ、家内を下ろし大学に向かいます。朝早くから京都市内をぐるぐる回りましたが、みんな近所にあり、思ったほど時間がかからず、予定していたお寺巡りの全メニューをこなすことが出来ました。大学正門から、第3弾として琵琶湖の艇庫に向けて出発です。いつも比叡山越えをするのですが、先週上り下りで車に振られちょっと気持ちが悪くなった子がいたので、今度は三条から国道1号線を琵琶湖に抜けるコースにしました。時間的にはどちらの30分ぐらいですが、山越えコースは道が混むことはまずありません。艇庫に着くと、いい風が吹いていて、セーリングを満喫できる試乗会になりそうです。キャプテン君を見つけて、頼んだユニフォームの代金を払おうとすると、なんと「いつもお世話になってるので、部員からプレゼントさせてもらいます」とのこと。ううむ、確かに交通費だけでも結構かかりますが・・・でもまあ、世の中そういうもので、学生時代には私も先輩によくしてもらいました。息子もこのクラブで、生涯にわたる大切な、そして素敵なものをいっぱいもらったし、多くの親御さんの感謝が、そういうことが出来る立場にいる私を通してクラブのみんなに行ってるだけだけどなあ。なんて考え、「気にしなくていいのに」と言いながら、「ラッキー、嬉しいわ。悪いなあ」とありがたく素直に好意に甘えることにしました。きっとミーティングでこの話題が出て、みんな賛成してくれたのでしょう。こういう気持ちがある限り、卒業後世の中を渡っていくのはそれほど難しくないと思います。類は友を呼び、いろんな助けが都度入ります。そして、都度助けを周りにできる大人になるはずです。本日2回目のラッキーです。12時に試乗艇が艇庫出艇なので、それに合わせレスキューの方に回ります。4人でレスキュー担当です。この船で次々ゴムボートでやってくる新入生のライフジャケットを点検し、装備を着脱させてヨットに乗せ替えます。レスキューをアンカリングし、試乗艇が浜から出てくるのを待っていると、本日のレスキュー担当のキャプテン君が日焼け止めを出しました。資生堂のアネッサ3000円だったので、「高いのを使ってるなあ。俺はコーセーの1200円のを使ってるのに、家内は次男が帰ってくるといつも日焼け止めの在庫を聞き、アネッサを渡していたんだ。男の子やのに贅沢やなあと思ったわ」と言うと、女子マネさんから「いいのを使わないとダメですよ」と。さすがに色白マネさん、「私も子供が出来たら、絶対いいのを使わせますよ」とのことです。家内にはいつも綺麗でいてほしいので、高い化粧品を見るとむしろ嬉しくなる方ですが、息子に3000円の日焼け止めが必要か?1200円で十分じゃないのと一度言った事があります。そのとき、同じ答えが返って来たことを思い出しました。男の子だって女の子だって、母親にとって同じ子供なんですね。アネッサを出してきたキャプテン君のお母さんの息子にこれを渡した気持ちが推察されます。本人が絶対買わないと思うから。試乗会が終わり、艇庫のOB部屋でくだらない話をしていると、今年の新人勧誘隊長君がやってきました。どうやら帰りは部員の車で対応できるようで、私の本日のお役目は御免になりました。そして「これ、奥様と一緒に食べてください」と、京都・・堂?とか書いてあるお土産をもらってしまいました。本日3回目のラッキーでした。家に戻り、9時前に家内から電話が入りました。駅まで迎えに行き、家でもらった包みを渡すと、「気を使う必要なんてないのにねえ、部費大変だろうに・・・お世話になってるのはこっちの方なんおにね」と包みを開け、「おいしそう。少しずつ食べようね」とのことでした。気楽にヨットに行けるのも、今朝のように、慌しいお寺巡りにも文句一つ言わず、「十分手伝ってあげて」と送り出してくれる家内のおかげです。「こっちの方がお世話になってるのに・・・」の台詞は、息子がお世話になってることにプラスして、旦那がお世話になってるのが多分に含まれているような気がしました。確かに・・・二十歳前後の彼らや彼女らと親しく話せることは、私に1つの豊かさを与えてくれています。息子に縁のある子達・・・というところもいいじゃないですか。息子にも家内にも、そして温かく迎え入れてくれるクラブのみんなにも感謝です。ラッキー続きの日曜日でした。
2008/04/28
コメント(2)
今朝は5時半に起きました。いつも11時過ぎに寝ていることもあるのでしょうが、最近少し暖かくなってきてから、早く目が覚めるようになってきました。天気もいいようですので、すぐに着替えて、仕事前に生垣の手入れをすることにしました。我が家は、道路から階段で4段高くなっています。石垣で囲まれていて、階段部分だけが切られて、門扉になっています。階段があるので、自転車を玄関前に入れるのがちょっと大変ですが、いつだったか道路が大雨で川になった時でも、高みの見物でした。石垣の間に生垣によく使われている植木が適当に植わっています。子供の頃から、生垣の手入れは私の担当でした。植木屋さんが使ってるはさみを使って、パチパチ切って行きます。深く切りすぎると、葉っぱの部分がなくなり枝だけのかっこ悪い感じになります。親父にダメ出しをくらいます。いい感じで、何となく全体が丸く刈れると大成功ですが、中々これが難しいです。道路を隔てたお隣さんは大きな家で、定期的に植木屋さんを数人入れて、生垣から庭の手入れまでやっておられます。最近は電動のものを使ってるので、みるみる綺麗になっていきますが、我が家は人力です。病気をして家にいるようになった親父が手入れの番になり、昨年亡くなってからは、同じく家にいる母が・・・というはずだったのですが、全然やらないので、家内がやっていました。先週、家内が生垣の手入れの用意をし始めたので、それを引き受けることにしました。朝の散歩をしているご近所さん、犬の散歩から帰ってきたお隣さん・・・道路を通り過ぎる方に朝の挨拶をすると、挨拶が返って来ます。挨拶を交わすというのは、気持ちがいいものです。あまり車も入ってこない古くからある住宅地の道路なので、無言ですれ違う方が、何か不自然です。うちの家から母親の家の周りまで、結構パチパチやったつもりですが、家に入ると1時間ぐらいしか経っていませんでした。子供の時のように丁寧じゃなくて、「どうせ伸びるから」というのもあるし、はさみがあまり切れなかったので、美を追求しようという気になりませんでした。熊手と箒で切った枝や葉っぱを集め、ゴミ袋に入れます。子供が小さかった時は、これを屋根の下に積んで乾燥させ、日曜日に庭で焚き火して、芋を突っ込んで、家族みんなで焼き芋を楽しみました。父が、アルミホイルに包んだ焼き芋を用意して、子供達が取り合いで火の中に入れていました。あと、庭に桜の木と名前は忘れましたが緑色の成長の早い木があって、その手入れも結構大変でした。緑の木は、すぐに隣の家の庭に進出するので、脚立をかけてのこぎりで枝を切っていました。桜の木は、綺麗な花をつけたあとしばらくすると、毛虫が発生します。この毛虫を長男が触って手がはれたことがありました。手入れ担当だった親父が、独断で桜の木を切ってしまいました。孫が刺されたからといって、切らなくても・・・と思ったのですが、ある日家に帰ると木が切られていました。同じく、手入れが出来ないという理由で緑の木も切られてしまったので、今は庭の木は大きくならないものばかりで、手入れの手間要らずです。長男が生まれた記念に作った池も、埋められしまい、家でのお父さんらしい仕事が減っています。年に2回、池の水を抜いての池の底掃除は、子供達と1日仕事で、結構楽しかったのになあ。
2008/04/26
コメント(2)
とうとう我が家にカメラ付き携帯電話がやってきました。次男が東京に行ってから、東京にいる2人の子供との連絡のために、PCメールをするようになった家内。先月東京に行った時、子供達との連絡の為に私の携帯電話を持って行ったが、結局発信できませんでした。公衆電話から連絡を取ったそうです。今まで、着信経験だけあるだけです。帰ってきて、基本的に私同様、電話を持ち歩くのが好きでない家内が、「電話買おうかな」と言い出しました。日頃、電話が横にある生活をしているので、どんなに使っても、私同様週に1日です。私自身、休日に携帯しても、電源を入れない日の方が多いから、夫婦で1台あれば十分だと思います。でも、家内の気持ちに応えたい。結局ほとんど使わなくなっても、それはそれでいいです。「メールしたい」と言ってるので、まず私の電話をメールが出来る機種に更新することにしました。先月電話屋さんに、「電話の音が大きい」「文字盤の文字が大きい」「操作ボタンが大きい」「操作が簡単」「メールが出来る」「基本料金が安い」を条件に相談したら、「らくらくホン」を紹介されました。前述のような使い方なので、現在の基本料金1890円を越える請求が来たことがないと話すと、電話機は高いけど基本料金が1050円になるものが今月発売されると教えてくれました。そこで昨日、「基本料金が安いのが出ましたか?」と、ドコモショップに行ってきました。発売されたところでした。先月聞いていた1~2万円台という値段より随分高い4万円でした。4年使えば元が取れるのか・・・と思いながら、購入することにしました。「らくらくホン4S」というやつで、カメラ・歩数計(毎日定時に任意の人にデータを送れる)・防犯ブザー(同時に任意の人にメール連絡できる)・今いる場所を地図に出せる(それを任意の人の送れる)・操作を読み上げてくれる・拡大鏡・・・いろんなものが付いています。痴呆症になっても、この携帯を持っていれば、家族のPCで追跡できます。アドレスは、家内が覚えやすいように、家内のPCアドレスとよく似たものにしました。昨夜帰宅すると、家内がPCを開いていました。子供達からメールが来なかったと、ちょっとがっかりしています。「用事がないとメールなんて送って来ないよ」数日前、「お母さんです。メール始めました」と家内が子供達に送りました。長男から「メールが来てビックリした」と明るい返事が届き、喜んでいました。でも次男からは音沙汰がありません。その返事が今日もなかったと言ってるんです。「そりゃ、返事が必要なほどの要件じゃないし・・・」仕事場に置いたままになっていたPCを自宅に持って帰り、帰宅後練習しています。先日買ってあげた本もあるけど、分からなくなったら私に聞けるからです。昨夜は、お姉さんから来たメールを見せてくれました。義理両親の遺骨を分骨した京都の永観堂さんの法要が昨日あり、姉が行ってきました。行きの電車からと帰りの電車からのようです。3行も書いてあったから、姉さんは携帯メールを打つスピードが女子高校生並かもしれません(そんなことないでしょうが)。永観堂さんからの帰り、次男の1才上の京都に住む甥のマンションを掃除してきたそうです。「私の返信は1行だけだったんだけど、送れてる?」と家内が聞いてきました。送信済みボックスに入ってて、未着のメールが届いてないので大丈夫そうです。姉さんとやり取りがあれば、上達スピードが上がりそうです。数日前の姉さんとのアドレス交換も笑いました。ほんとにはかわいそうなので笑っていません。心の中だけです。姉さんにアドレスを電話で聞いたら、そんなの分からないとのことで、姉さんが姪に連絡して、姪からFAXが届きました。それを家内がPCのアドレス帳に登録しましたが、送れません。紆余曲折あって、2日前の夜、私が登録したものを点検すると、ハイフォンがアンダーラインになってました。どうやら、これが同じものと思ったようです。「僕も最初おんなじと思ってたんだ。でも違うんだよな」と、キーを叩いて違いを説明しました。修正してめでたく送れるようになりました。姉は、家内以上にPCがたくさんある仕事場にいるはずですが、どうやら自分のPCは持ってないようで、家内以上にPCは使えないような感じです。業務に特化したPCは、事務員さんがほとんど操作しているのかもしれません。この姉妹、機械関係は、どうもダメみたいです。そして本日、初めて携帯電話からメールをしてみました。無事私のPCに届きました。数年前、次男がヨーロッパに行ってた時、彼の携帯を預けられて以来です。あの時は、「友達から連絡来たら、適当に返しといてね」と気楽に私に預けて行きましたが、携帯を仕事場の机に置いて、おっかなびっくり番をしていました。友人からのメールに、何度も失敗しながら返信しました。その経験があるのと、「らくらく」と名前が付いているだけあって、「簡単メール」にすると、ほんと簡単に出来ました。アドレスは、家内が覚えやすいように、家内のPCアドレスとほぼ同じものにしました。そして、今度は家内のPCにメールしておきました。毎晩楽しみにメール受信してるので、何もないとかわいそうだから、「昼間だけ遠距離」なる題名を付けて、毎日何かメールを送るようにしています。今晩は、新しい携帯電話を家内に見せようと思います。果たして、家内が姉さんのように、携帯メールを使う日が来るのでしょうか?
2008/04/25
コメント(4)
光市のお母さんと赤ちゃんを殺害した事件の広島高裁判決が出ました。広島高裁には、知り合いが働いているので、大変な日々を送っていたのだろうと思います。判決文は、被告側に厳しいものでしたが、ごく普通の庶民感情の判決なんだろうなと思いました。被告が殺人事実を認めている事件にしては、異様に多い弁護団だなあと私には見えました。死刑廃止を目指す弁護士が集まったように報道されています。地裁・高裁で無期刑判決があった後、最高裁控訴審で定められた期日に弁護士が出席しないなど、国会の牛歩戦術に似た引き伸ばし作戦のようなことをしました。おかしな弁護士だなあと思っていたら、今度は「死者を蘇らせるための・・」だとか、「ドラえもんの・・」とか、荒唐無稽の論理を被告が信じていたことを出してきた。恵まれなかった家庭環境は気の毒だとは思うけど、被告が弁護団の目的には手段を選ばずの戦術に踊らされたように見えた。刑事事件の被告弁護士の役目とはなんなんだろうと思いました。「被告の利益を守る」のが弁護士の役目と謳われているが、刑を軽くすることだけが被告の利益なのだろうかと思う。犯してしまった罪をしっかり償うためには、その罪・被害者と正面から向き合うことが第一歩のような気がする。自分の犯した事の重大さに我に帰り、「ドラえもんの助けを借りたい」と思うのはあると思う。普通の人でも、やってしまった失敗の前の時間に戻るタイムマシンがあればと思うのと同じことだと思う。でも、それを信じきっていると言わない。それを前面に出すことで、自分で自分を貶めることになるし、誰も相手にしてくれなくなるだろう。前を向いて生きていく上で、最も大切なものは、自分のプライドだと思う。他がどう言おうと自分への自信を自分自身が失ってしまえば、もうまともに顔を上げて歩けないように思う。弁護士に従いなんかおかしな論理を展開したので、被害者に向き合い、しっかり頭を下げる機会を逸したように思えてならない。弁護士団は、被告の利益を代弁したのだろうか?弁護士さんの死刑廃止の主張を展開する手段にこの事件が使われたのではないかと思えてならない。被告の判決前の言葉に、「・・・自分は死刑になってもかまわないが、後に続く人への悪い判例になりたくない」とありました。この言葉は、弁護士さん達の死刑廃止を実現する主義の言葉と同一だと思った。被告は、自分が犯した罪に向き合わず、自分を客観視して、被害者への贖罪や自身の罪の償いから目をそらしているように聞こえました。それと、被告のお父さんの話が新聞に載っていました。「息子の起こしたことだから息子が償うべきで・・・私も大変な被害を被っている・・・」には、「もう勘当したから関係ない」と言われた池田小学校襲撃事件の被告のお父さんと同じ考え方でした。拘留されてから一度も被告である息子さんに接見せず、最近初めて接見したそうだ。うちのお店で万引き事件を起こし警察に通報した少年や少女のその後の経過は、警察官が後日報告に来られる。信じられないことですが、まだ中学生のお子さんなのに、身元引き受けに来られない親御さんが何人もいる。片親で祖父母に育てられている・・・親御さんはほとんど家に帰ってこない・・・「もう勘当してるから煮るなり焼くなりしてくれ」と言う親までいるそうだ。そういう時、学校の担任先生や教育委員会の先生が、夜警察に向かい、身元引き受けして、自宅に泊めている。何度もそれをしている先生が知り合いで、その子たちの家庭環境の辛さを聞かせてもらいました。親は世間と全く違う存在です。小さな時の小さな失敗に怒らず、被害を与えてしまったら一緒に謝りに行く姿勢があれば、子供はいつか更正すると思っている。一度でダメなら二度、二度でダメなら三度・・・親が諦めなかったら、いつか更正すると思う。世間と同様に、「あいつはおかしいやつだ」と背を向けてしまっては、帰る家を失い、最も小さな社会への反発が、もっと大きな社会への反抗につながるような気がする。もう一度・・・更にもう一度・・・被告の悪さに一緒に謝っていれば、今回の被害者はいなかったかもしれない。親御さんは、被害者ではなく加害者だと思う。家族の犯した罪を一緒に被る行動をする義務があると思う。そしてその行動が、加害者になってしまった家族の目を開かせ、自ら更正していくと思う。被害者の方はもちろん、被害者の夫が判決後語った「被告も被害者」という表現に、そうだなあと思いました。
2008/04/24
コメント(5)

日曜日の続きです。艇庫に戻ると、いつもの鍋の用意ができています。部員が新入生の間に散らばり、ここからが部員獲得の本番です。OB部屋であまり為にならない話をしている横でヨコゼキ君がクジを作っています。彼の本名はとても立派でちょっと長く「横綱大関」と言います。日本広しといえども横綱大関さんはまあいないでしょう。あまりに長いので通称「ヨコゼキ」君です。いつも落ち着いてOB達の突っ込みを巧みなお惚けで飄々とかわし作業しています。ラーメンでも食べに行こうと国道を歩き始めました。道がいつものように混んでいて、車で行くより早そうです。日曜日の夕方は、琵琶湖へのレジャー帰りの車で南行きが混みます。するとOBが乗るバイクが追い抜いていき、後ろから徒歩のOBがやってくる。サイゼリアに行くということなので、それならご一緒しようと、先週に続きみんなで夕食です。サイゼリアは長男君が学生の時バイトしていた店ですが、食べたことがありませんでした。スパゲッティが299円からあり、なんという安さと驚きました。周りを見回すと、家族連れに混じって高校生や中学生のグループが結構入っています。小遣いで食べられるからなんでしょうね。399円のたらこスパゲッティを注文し、その他数品を数人で分けて食べ、一人頭700円ほどでした。艇庫に戻りOBコタツにたむろしていると、鍋部屋から部員や新入生が時々出てきます。ちょっとサボりに、OBコタツにやってくる部員もいます。鍋とアルコールで、頬が赤い子もいます。我が家の庭に咲いてる花 第三弾7時半定刻に鍋がお開きになり、京女まで7人という指令を受け、ハーレムを満喫できない小心を情けないと思いながら、適当にしゃべりながら送りました。鍋の時間に、みんなにアンケートが配られます。名前・アドレスなどのほかに、「気になった部員」という欄があります。私は、ちょっとこの欄を見るのが楽しみです。試乗会後のアンケートについて話題を振りました。インフレータブル(ゴム)ボートを1人で担当していたK君しか名前知らないし、優しそうだからという理由で「気になった部員名」欄にK君の名前を書いた子が多いことが判明しました。あのアンケートでの一番人気に、何でかなあと思っていたら、予想通りでした。部員の配艇をホワイトボードに書いて、正味の人気投票したら面白そうだと思いました。「本日のトップ賞」を用意すると、もっと良さそうです。選ばれた人材のキャラクターを見ながら、豪華賞品(はないと思うが)でもいいし、みんなの前で演芸を披露出来る権利でもいいように思います。盛り上がるかも。K君の名前が出ると、「Kさんの面白い話を聞いたよ」と、ビラ配りで京女の門衛さんに追いかけられて壁に激突した事件を披露した子がいました。鍋の席で部員から聞いたようです。銀歯の話題が出て、K君の人気が乱高下です。そこでK君人気を再び上昇すべく、「K君は自分で作った弁当を持って学校に行く」男児であることを披露しました。経済性とマメさ、そして栄養バランスも考えるしっかり主夫をアピールしておきました。吹き荒れるギョウザ禍を果敢に生き抜くでしょう。「何か似合いそう」「料理する男の人って素敵です」・・・予想以上に再上昇してしまいました。入部してK君のズッコケ姿を見て、好印象だったからこその大きな反動が心配です。まあ、「私には関係ないし」と、よそを向いて無関係を装っておくことにしましょう。全員寮生のようで、今度はGPSの指示通り間違えずに京女正門への裏道を進んでいると、「うわあ、もう着いた。早い。あ、ここでいいです」と寮の前で6人降ろしました。1人は大学構内の別の寮で正門まで送って、本日のミッションを全て終了しました。しばらく家内を車に乗せず、年頃の女子7人の色香をゆっくり退散させましょう。「今夜は夕食抜き」宣言は辛すぎます。
2008/04/23
コメント(2)

日曜日の続きです。ほぼ約束どおりの時間に正門を入っていくと、先週までより多くのクラブが勧誘活動をしていました。ヨット部にも随分集まっており、すぐ第一便として出発になりました。空模様、雲の流れを見ると、何となく琵琶湖も風がありそうな気がします。女子4人と前回も参加してくれた入部有望新人男子が3人です。助手席に座った女子は、新潟出身だそうです。次男がジュニアだったころ新潟の柏崎にレースで行ったことを話すと、その隣町からやってきたそうです。気さくにしゃべる新潟美人さんでした。私が元部員の親だと自己紹介すると、その子は即座に「ご苦労様です」と。自分のお父さんの年齢の初対面の人に、なかなかこうは答えられないように思います。いつものように比叡山を越えて、眼下に琵琶湖が広がると、「うわあ、きれい」と女子が嬉しそうです。いい天気で湖面がキラキラ輝き、前面にブローが入っています。今日はいい試乗会になりそうです。艇庫に着くとすぐに次の指示が飛びました。「京女に迎えに行ってもらえませんか?」。もちろんOKです。大体、正門の集合場所で、「今日は京女担当でお願いします」を期待してましたし。鼻息荒く勇んで出発です。大津京駅からバイパスに入り、下りてすぐの三叉を・・・あっミスりました。三条方面に入ってしまいました。1号線を五条方面の方が近道です。道が混んできたので、すぐに1号線の方に左折しました。1号線は順調に車が進みます。艇庫を出る時にGPSが示していた到着予想時間10:56分がミスで11時を越えましたが、挽回出来そうです。五条道路に入り、再びミスしてしまいました、東山五条交差点の手前で近道に入るようGPSが音声でも画面でも指示したのですが、CDを熱心に聴きすぎていて失敗です。東山五条交差点が混んで結局11時10分ほどに京女に到着です。それでも30分ぐらいだから京都より近いのですね。集合場所には10人ちょっとの女子と部員の車が2台。2台あるなら1台は第一弾として早く出たらいいのにと思いましたが、そこは男子部員、1対4で車中で圧倒されるより他の部員がいるなかでのちょっとがんばった会話を楽しみたい気持ちは分かるので、からかう一言を言うのをやめときました。1対7の状況で、第一弾として私が出発です。自己紹介と本日の予定とたまに彼女達の会話に混じる程度で、やはり私も圧倒されながら艇庫に向かいました。男子たるもの、いくつになっても女子には弱いものです。ハーレムな状況を望んでいながらも、このテイタラク、ああ情けなや。我が家の庭に今咲いてる花 第2弾艇庫に着くと、試乗会第一陣が着替えて艇庫前でブリーフィングを受けています。勧誘隊長カタカワ君から「すぐにレスキューに向かいます。アイドリングしてますので、2Fで昼食を食べてから来てください」との指示。2Fでマネさんが「ご飯少なめですよね」ってハヤシライスをよそってくれます。部員と同じように特盛を食べてたら私のメタボは大変なことになりそうです。先週と大きく違い、4~5m/s程のいい風で試乗会が出来ました。いい感じです。もうすぐ終了かなあと思っている頃、風上から網を引きながら流れてくる漁船に気づきました。乗ってる2人は網ばかりみているからか、こっちに気づいていないようです。すぐにホイッスルを吹き続けます。気づいてくれましたが、そのまま流れてきます。「アンカー上げろ」と漁船から指示。「なんでこっちが?」とも思いましたが、やばい!すぐにエンジンをかけ、緊急避難しようとアンカーを上げようとしましたが、すでに遅しです。アンカーが網に絡まったのか、部員のアンカーを上げる手が止まりました。部員に船の間に手を入れないように何度も指示しながら、前進・後進ギアを入れながら、漁船と出来るだけぶつからないように平行になろうと動かします。アンカーと網の引っ張り合いでは状況が変わらないので、レスキュー側のアンカーラインを解き、漁船に渡すと漁師さんに提案しました。海上衝突安全法ではこっちに権利があるのでしょうが、プレジャーボートと漁船では、圧倒的に向こうの立場が強いから、ここは何度も「すいません」と頭を下げながら下手に出ます。若者らしい正義感で権利の主張とかしちゃって、漁師さんが怒り出したら大変です。アンカーを渡して、一旦船を離します。しばらくして漁船に引き上げたアンカーをもらいに行きました。一旦引き上げた網の中途にブイを付けて湖に落とし、それからアンカーを上げていました。藻は絡まっていましたが、すんなりアンカーを上げていたので、上手なものだなあと関心しました。漁船との接触で、フェンダーの上のFRPが3cmほど欠けてしまいましたが、これだけで済んでよかったです。何より部員に怪我がなくて良かった。テープを巻いて応急処置しました。後日、部員にFRPでしっかり修理してもらいましょう。
2008/04/22
コメント(0)

日曜日の朝トイレに立つと、隣の母の家との間の庭に相変わらず綺麗にチューリップが咲いています。小学生の頃育てたそれより倍ぐらいの大きさです。「あんなに大きくなるのかなあ?でも種類が違うんだろうな」といつも見ていました。その先に見える元父の部屋にある仏壇にチンしにいきました。朝余裕がある日曜日の日課です。仏壇に電気を入れ、チンして、お水やご飯を替えます。いつもは家内がやってくれてるけど、たまにはしなきゃね。そこに母がやってきたので、この大きなチューリップの事を訊いてみました。「何にもしなくても毎年咲くのよね」と、詳しいことは何も知らないようです。農家出身の父が手入れなどしていたのでしょう。そこから話が進んで、淡路島にチューリップがいっぱい咲いてるところがあるとTVで流れていたので、そこに行かないかとのことです。家内も私も用事があるので行けません。早速PCで調べてみました。花博会場跡地でたくさん咲いてるようです。電車とバスの道順を書いて母に渡します。「今日は日曜日だから混んでるかねえ?」「ウィークデーだったら空き過ぎて寂しいかも知れないよ。行くなら日曜日」と答えておきました。我が家で雑草のように毎年見事な花をつけるチューリップ約束の10時の30分前に京都百万遍交差点にいました。この日曜日もヨット部の手伝いです。東山通りを北に向けて信号を待ってると、学校正門担当のイシイちゃんがバイクで白川通りから東大路通りに向けて曲がっていきました。いつもの黄色のバイクに新人勧誘の看板を下げています。正門側に向かうのでしょう。私はそのまま百万遍知恩寺さんの駐車場に車を入れました。以前から気になっていた分骨の相談をするためです。家内の実家のお寺さんの本山は京都の永観堂さんです。昨年、義理父母・義理祖父の分骨をしました。義理祖母はかなり前に分骨されています。そのときの法要が素晴らしく、1000年近く続いているお寺さんで永代供養されるというのもいいものだなあと思いました。うちのお寺さんの本山は百万遍知恩寺さん、浄土宗総本山の京都知恩院さんの下に位置する7ヶ寺の大本山の1つです。うちのお寺さんに相談すると、総本山でもどっちでもいいとのこと、その他のお寺に分骨してもいいとのことです。「僕は次男君が隣の学校に進学した縁もあるし、百万遍さんに分骨してほしい。できれば親も僕らもと思ってるけど・・・」と家内に相談しました。家内は合点承知ノ介でした。父も次男君が進学する以前から、百万遍や吉田山のことを家内に話していたそうです。独立以前に、ここらへんの取引先と懇意にしていたようで、私も数度話を聞いた記憶があります。総本山知恩院は全国的にも有名ですが、あまりに大きく、京都の中心地四条に位置するので観光客も多く、永代供養していただくには大きすぎという感じがします。家内も同感のようです。父の葬儀でお寺さんが入場された時、1分ほどお寺さん紹介ビデオが流れました。こういうのをするのかと見ていると、本山が百万遍さんと流れ、ドキンとしました。縁を感じました。先月、母と3人で下鴨神社と知恩寺さんを訪問しようと思っていましたが、母に行かないとあっさり断られました。母にお寺の雰囲気を感じてもらい、分骨のことを話そうと思っていましたが、もくろみは外れました。今度はしっかり内容を聞いて、母に話してから訪問しようと思いました。母がOKなら、父の分骨を母にも体験してほしいと思っています。知恩寺の駐車場は、街中によくあるコインパーキングと同じ様でした。パーキングの中には、バスの駐車スペースも数台分確保されています。寺院事務所棟に入ると、「ピンポン」と鳴ります。しばらくすると作務衣姿の若いお坊さんが出てこられました。分骨費用は5万円で、1年間は骨壷のまま納骨堂に収められ、その後すり潰して粉にし、納骨堂の仏様のお腹に納められます。最近は全骨の方もいるそうです。核家族化で、先祖からのお墓がなく、跡継ぎのないご夫婦がお墓を作らず、お願いに来られるそうです。確かにパンフレットを見ると、毎年の個別法要をお願いしても、お墓を作るより一桁安くなります。30万円だって。ただ他の方のお骨と一緒になるので、また出してくれということは出来ないそうです。ここは、百万遍さんの手作り市が毎月15日に催され、境内は人でいっぱいになりますが、この日はとても静かで、ちいさな娘さんの手を引いたお父さんがいるだけでした。知恩寺さんは数百年前、京都に疫病がはやった時、ここの上人さんが百万遍参りして疫病を鎮めたことから、天皇さんに百万遍と名前をもらい、以来俗名百万遍と呼ばれるようになりました。多分全国的には百万遍さんの方が名が通っていると思います。義理両親が分骨された永観堂禅林寺さんと同じですね。ますます百万遍さんでの分骨の意思が強くなったところで、ヨット部新人勧誘試乗会集合場所の大学正門の方に回ることにしました。料金表のない駐車場から車を出す時「駐車料金はいくらかなあ」とパーキングチケットを通しました。無料でした。30分ぐらいだったので、無料だったのでしょう。
2008/04/21
コメント(4)

日曜日の続きです。随分話が逸れてしまいましたが、風がほとんどなく天気予報でも風を期待できないし、夕方からの雨の予想のこともあるのでしょう、いつもより30分早く出艇することになりました。今日もレスキュー要員です。前回同様、レスキューで新入生の艇の乗り換えをしますが、ほんと風がなくて・・・そこで本部船場所にマークを打ち、レスキュー艇紫雲も走り回ることにしました。新入生達にも全員運転を体験してもらいました。みんなボートの運転は初めてなので喜んでいます。20~30分間隔の艇の乗り換えの時にマークを打った定位置に戻ります。レスキューでかっ飛ばし、琵琶湖の南岸に迫りました。他大学が試乗会をしています。ここも風がないです。でも北にある琵琶湖大橋の方から下りてくるクルーザーはセイルがはらんでいます。もう少し下まで風が下りてくれればと願いながら、結局お終いの頃やっと少し風が入っただけでした。3時頃になり、時々小雨が落ちてくる天気になり、少し早めに試乗会終了です。艇庫に戻ると、例のお鍋が7つ並んでいます。3月の追い出しコンパ以来のマネさんが来ていたので、「ちょっと痩せたんじゃない。綺麗になって」と振ると、就職活動でやせる思いだそうです。他のマネさん4人で、てきぱきと楽しそうに鍋を作っています。パチリ。これから来てくれた新入生を囲んでみんなで腹ごしらえしながら勧誘です。履修のこと、他クラブの情報・・・いろんな話で盛り上がるのでしょう。で、私の方は帰りの車の様子を聞きました。「京女の寮に帰る子が1人いるので彼女だけ送ってもらえますか」というありがたい指示を得ました。なんと30分も車でお見合いです、なんという幸運、ラックスです。それを聞いて、鍋終了まで2時間、OB達と焼肉を食べに行くことにしました。焼肉というのはいつ以来でしょう。M君が慣れた手つきで食べ放題を入力します。テーブルの横にあるタッチパネルでメニューを選ぶようになってます。食べ放題を選んで、どんどんメニューを選んで数量を入れていきます。最後に注文をタッチして終了です。う~ん、最近はこういう風になってるんだ。知りませんでした。また1つ賢くなりました。店員さんがやってきて、飲み物の注文を聞き終わりの時間を言っていきます。「終了は・・時・・分です」なんか心の中でゴングが鳴りました。制限時間いっぱいまでいくら食べられるかのバトルが始まったようです。「最近食べられなくなった」とか「現役の頃は」とか言いながらも、若者達はガンガン食べて行きます。彼らの食欲に圧倒されながら少しずつ食べます。お腹がいっぱいになってペースが落ちるだろう後半戦勝負の作戦です。お皿の焼く肉やソーセージ・野菜がどんどんなくなり、どんどんタッチパネルで注文していきます。隣のテーブルではN君がご飯のおわんを3つも重ねています。グワ~強烈な食欲です。京都名物飛脚、じゃなくって人力車のバイトをしているので腹が減るのでしょう。人力車になるのではなく、人力車の引っ張る車夫です、って当たり前ですね。先週は花見でたいそう走り回り稼いだのでしょう。そろそろ終わりのゴングが鳴る頃、店員さんがやってきて最終注文を聞いていかれます。タッチパネルの他に口頭でも注文できるようです。外は大雨です。日中でなくて良かったですが、「みんなどうして帰るの?駅まで送っていこうか?」と禁句を口にしてしまいました。「どうする?京都に帰るOB車は1台だけ?」という流れになり、再び「京女まで1人送るだけなんだけど乗ってく?」と再びの禁句です。ということで、30分間車内お見合いが御和算になりました。指定された7時半に艇庫に戻ると、ちょうど宴会が終わるところでした。OB諸氏と京女のA子さん、大津京駅まで送るB子さんを乗せて出発です。助手席に座ったB子さんはなんと姫路から新幹線通学だそうです。学校まで通学時間は新幹線でも2時間だそうです。でも食事などなんだかんだ合わせると下宿するより安いそうな。すごいです。2列目に座ってるOBマネKさんが横のA子さんと、いろいろおしゃべりしています。後輩マネさんになるかもしれないからなあ。楽しくしゃべる女子2人の話を聞きながら、女子のしゃべりにはかなわないなと思いました。3列目の男子3人も出る幕なしです。東山三条でOB達を下ろし、ここから本日のメインイベント車内お見合いの始まりです。助手席に座ったB子さんはとても明るく、レスキュー運転の時も「楽しい~」っとはしゃいでいました。ヨットから下りた時も、「すごく面白い」と場の雰囲気を盛り上げていました。新入生が30人も集まった花見に同級生と参加し、先輩マネさんから誘われて試乗会に来たそうです。京女のクラブも回ってるそうですが、他大学のクラブには入らない方がいいよと言われてたそうです。でもヨット部員の雰囲気が和やかで、同大学先輩マネさんがとてもいい方で、このクラブだったら1人で参加してもいいかなと思ってやってきたそうです。この日女の子は5人でしたが唯一の京女さんでした。こういう1人でも参加する人材はいいですね。料理がとても好きなんだけど、寮に入ったから料理が出来ないのが残念なんて言ってたのも、クラブでその腕を大いにふるってもらえればありがたいし、入部しないかなと思いました。朝、初めて上がった女坂を上がり、朝Uターンした所までやってきました。「ここでいいです。ありがとうございました」この神社みたいなところを上っていくのかな?明るいとはいえないけどいいのかな?と思ったら、横にこじんまりした正門がありました。門衛さんがいる門を入って行きました。こっちだったのか。焼肉を食べてる時聞いた面白い話を思い出しました。ここで新人勧誘のビラ配りをしていた部員K君が、門衛さんに見つかり追いかけられたそうです。そして何故か壁にぶつかり歯を折ったそうです。そういえばK君の笑い顔に燦然と銀歯が輝いていました。「どんな風にして壁にぶつかって歯を折るねん」と本人がいないことをいいことにOB君達はつっこんでいましたが、確かにその場面をいろいろ想像しながら笑ってしまいます。さぞ痛かったでしょうが、その甲斐あってたくさん新人が入部することを願います。K君の銀歯世代ですね。
2008/04/19
コメント(2)
今朝、起きて階下に下りると、家内が玄関で何やらドライバーを持ってゴソゴソやっています。「おはよう。何してんの?」「この扉、外れちゃうから直してるの。ほら」「壊れてるとかっこ悪いし、がっかりさせちゃうと悪いから・・・」家内は子供達のGFさんが来た時の事を考えているようです。もう来てるし別にいいんじゃないの、と思うのですが、まあ主婦としてはそうも行かないのでしょう。諦めて、隣の母の家に行ったので、私が直すことにしました。玄関の物入れ家具で外見は普通ですが、片方の扉を開けると、下の蝶番が外れることがあります。家族はみんな知ってるので、外れないような使い方をするので問題ないので、そのままになってました。ドライバーでネジの締め方をいろいろ試して外れなくしました。家内がゴミ袋を持って帰ってきて、次は新聞を持って帰ってきました。ゴミの日なのに、母は何にもしないので、家内がやってくれています。「直ったよ」「あら直ったの、すごい。ありがと」「ここをもうちょっと・・・こうしないとだめだったみたいよ」「今日、お母さんね、歯医者さんの日で、それを言いに行ったらちゃんとわかってたよ。やっと時計が役に立つようになったわ。せっかく今日の曜日と日付が分かる時計をプレゼントしたのに、全然ダメだったから、置く場所を変えてもらったの」母は高齢だけど、何でも自分で出来ます。でも忘れっぽくなっています。自分でもそれを自覚しているようで、テーブルには赤文字で書かれたメモがたくさん置いてあります。でも忘れちゃう。カレンダーに丸が入ってても、今日が何日で何曜日か分からないので意味がないようです。笑ってしまいます。家内によく、「今日は何日?何曜日?」と聞きに来て、テーブルに置いてあるメモでも重要なやつは2枚作って、うちの家のテーブルにも置いていきます。つまり家内に「忘れるから言ってね」ということです。そこで、デジタル表示される時刻の横に日付と曜日が大きく出る置時計を買ってきました。「これ持ってって。・・ちゃん(家内)からのプレゼントの方が喜ぶから」って、家内に持って行ってもらいました。それでも置く場所がよくないようで、「何日?何曜日?」の定期質問は終りませんでした。「せっかく買ってきたのにねえ。見ないんだったらこっちに持ってくる?」「時計足りてるし、まあ、しゃあないなあ」と笑っていましたが、数日前その置き場所を変えたそうです。どうやらそれが良かったらしく、「お母さん、何曜日か分かってたわ」と喜んでいます。本当は実子である私がするべきことなんだろうけど、どうも母は苦手です。子供時代の関係が、どうも母を避けさせます。もう立場は私の方がよっぽど強く、そうなるわけないのに、また出来ないことをなじられ叩かれる気がして・・・初めは普通の会話だったものが、話が続くと、私の失敗や選択ミスが悪い結果になるだろうこと、そして教訓、親戚の誰かさんとの比較、最後は「私はね・・・」という自慢話になり、機関銃しゃべりがうんざりして反論すると喧嘩になって自室に逃げ込む繰り返しでした。母の立派な人の基準は、持ってるお金の多寡と持ってる資格の難易度、そして働いてる会社です。今でも母の話に出てくる人は、名前の前に肩書きが必ず付きます。「・・会社をやってる・・さん」「・・資格を持ってる・・さん」これが出ると、すぐにその場を離れるようにしています。いくらでも反論できるけど、それをすると母の唯一のよりどころの土台を壊してしまうみたいでかわいそうで。いつも比較されていた従兄弟は、公認会計士になり資生堂や大手の会計を手がけていたけど、結局結婚もできず40歳ぐらいで自殺してしまいました。姉夫婦であるその親をたいそう褒めていましたが、ご夫婦は老後、立派な店を継いだ次男さんではなく、嫁いだ娘さんのところで過ごしました。叔母さん夫婦が亡くなった連絡を親戚にすることなく、全てが終ってから連絡がありました。線香をあげに行かせてほしいとの連絡にも、お断りの返事だった。私は甥だけど、母は実の兄弟なのになあ・・・と思いました。何故そういう風になったか、その家に何度も泊まったことがあるので私にはわかります。そういうことがあると、母はコロッと人物評価を変えます。外観や付属したものではなくて、心の中から出てくるその人の行動など、目に見えないものの方がよっぽど大切だと思うけど。幸せというものは、親がワイワイやらせて子供に肩書きをつけてもやってきません。子供の悪さや失敗に「まあ仕方ないね」と、怒らず許して許して許しまくって、親から信頼されているというベースから生まれる子供自身から沸き立つチャレンジからやってくるように思います。「怒りたいけど怒らない」「言いたいけど言わない」親の忍耐は必要ですが、数年すれば、子供が自主的に動き出し、見てるだけの子育てという楽なものになります。そして何より、親子喧嘩がないので、何でも気楽に話してくれる関係になります。家内が送ったメールへの返事なんだけど、「またメール来たよ」と最近毎晩のように息子たちのメールを見せてくれる家内は、ほんとに幸せそうです。父が亡くなって、母が何もしないので、いつのまにか母の電気・ガス・水道・電話・保険・・・みんな僕らが払うようになったけど、文句も言わず飄々とこなしてる家内には、幸せが向こうからやってくるようです。1通のメールに幸せを感じる家内が横にいることが、私の最大の幸せのような気がします。母がかつて私にしたようなことを、立場が逆転した私が母に対してしたら、辛い辛い人生になるでしょう。親は、何度言っても同じ失敗をするわが子を許し続けていても、一向に結果を出せないわが子を励まし続けていても、絶対に損なことはありません。自分が1人で立ち行かなくなった時、誰が離れて行ってもわが子だけは離れていきません。恩など着せずに、何も言わずに淡々とサポートしてくれます。親子とは、そういう風に出来てるものだと思います。
2008/04/18
コメント(6)
ここ数日、スター級というヨットの世界選手権の様子がメールで入ってきます。スター級というのは、2人乗りのヨットで、オリンピック種目の中では最もステイタスがあると思います。オリンピックのヨット競技は9艇種11種目あります。建造技術や素材の発達で、より軽く、よりスピードの出る、よりアクロバティックな動きが要求される種目に変更される中、東京オリンピック以前からずっとオリンピック種目であり続けています。というのも、他種目でのメダリストがステップアップして最終的にエントリーしてくる種目であり、比較的高年齢の選手が多いことに由来しているように思います。私がレース活動をしているドラゴン級という3人乗りヨットも、オリンピック種目だった頃は、ヨーロッパの王侯貴族がよく出場していました。高校でヨットを始めた時から、その優美な外観もあり、「いつかはドラゴンに乗りたい」と思っていました。先週は、ヨット部の手伝いのために休んだけど、毎月1回あるドラゴンのポイントレースには、いつも6~7艇が参加しています。半数以上が私より高年齢の方が乗っている艇ですが、名球界のお楽しみ試合ではなく、かなりハイレベルです。元オリンピック選手が2、プレオリンピック選手が1います。その方達が勝てない長く外洋レーサーだった選手が1。年齢が下の者も、ほとんどが学連ヨット部出身者で、現役時代が名を売った選手ばかりです。年齢が上がり、陸上では温和になってはいますが、レースになると厳しいところで相手を執拗に攻撃し、10cm前に出ることに固執します。3トンもあるので、ぶつかると大きなダメージになります。エンジンもブレーキも付いておらず、帆を巧に操り風だけで動かすので、相手の技量を信じられなければ、とても接近戦は出来ません。そのフリートに、年齢は下だけど、オリンピックに2連続参加中のS選手が入ってきました。前大会までは1人乗りで出場していましたが、オリンピックでは歯が立ちませんでした。今度は、有名プレイヤーがそうするように、最もステイタスのあるスター級にステップアップしてオリンピックにチャレンジするためです。彼のスター級ヨットもハーバーに置いてありますが、日本でほとんどない艇種なのでレースがありません。そこで比較的似ているドラゴン級でレース活動しています。そのS選手でもなかなか勝てません。全日本でも、いつも優勝を逃しています。S選手は今オリンピック目指して、世界選手権に参加しています。昨年世界選手権では上位に残れず、そこで決まるオリンピック参加枠17カ国に入れませんでした。今年の世界選手権で、最終の残り4カ国の枠に残らないといけません。昨年枠をとった17カ国以外の国の中で上位4カ国に入れば、日本のスター級でオリンピック活動をしているのはS選手だけなので、自動的にオリンピックに内定です。100艇以上参加しているレースで、3レースを終え総合4位、オリンピック枠は1位です。ところが4レース目に失格してしまい、5レース終了でオリンピック枠2位に後退してしまいました。残りはあと1レース、レポートではスピードがいいようで、失格など大きなミスをしなければオリンピック枠は取れそうです。もし取ったら、東京オリンピック以来のスター級オリンピック出場です。東京の時は主催国枠での出場だったので、実質初出場です。毎月レースをしているたった7艇の中の1艇で、いつものレースフリートのメーリングリストは華やいでいます。多分、ドラゴンフリートで、北京オリンピックS選手応援ツアーが企画されるでしょう。
2008/04/17
コメント(2)
日曜日の続きです。大学正門にある大銀杏の下に腰掛けるとすぐにI君が、ヨット部勧誘看板を持ってバイクでやってきました。相変わらずニコニコして感じがいい。ヨット部員と共に新入生も段々やってきます。艇庫行き第一弾として私の車に7人乗せて出発です。部員がいないので自己紹介してから、ヨット部について、安全である、女子でも男子と差がない、頭を使うので体力勝負にならないスポーツであること・・・、今日の大体の日程などを説明します。質問も出てそれに答えていると比叡山を越えて、眼下に琵琶湖が見えてきました。艇庫で新入生を下ろし2Fに上がろうかなとふとタイヤを見ると、左後輪の空気が減ってる感じです。すぐにGSさんに向かいました。空気を入れてもらうと、いつも2.5~3気圧ぐらいなのに1気圧ちょっとしかないとのこと。パンクのようです。タイヤをはずし点検してもらうと、小さな金属が刺さっています。早速修理してもらいました。ペンチで釘を抜き、接着剤のような液体を専用の器具で傷口に入れて、この液体に溶けながらくっつくゴムのようなものを専用器具で突っ込みます。これで万全だそうです。なんら心配せず新品タイヤと同じように使えるそうです。艇庫に戻るとマネさんが昼食を持って来てくれました。美味いです。今年卒業したマネージャーKさんが来ています。彼女は名古屋で就職したはずです。先週はTさんが来ていたし、出身クラブの最重要行事新人獲得に遠くからご苦労様です。何か大人の色香が加わってました。何か綺麗になってるし・・・こういうときはまた小心者になってしまいます。美人を前にすると・・・朝の女子大の前に続いて本日2度目。随分前の中高生の頃はミニスカート全盛時代でした。階段を上がる女性がバッグなどを後ろにしてスカートを押さえていました。「だったらミニスカートなど着るな」と大いに憤慨したものです。家内とデートしてた時、向かいに座った家内が食事で前かがみになる時、何気なく胸を押さえます。「だったら、胸の開く服を着るな!」と思ったものです。でも思っただけで、口に出してなんかとても言えません。最近は、丈の短いシャツとか、股上の短いパンツで、更に僕をいじめます。「目の前でしゃがむな!」「最近の女子高生は漫画の主人公か?小学生低学年女児か!」と言いたくなるほどドキンとさせます。反則や!そんなに・・したら僕の・・が・・に反して行ってしまうと、目が夏でもないのに泳いでしまいます。けど何も言えません。怒り以上に圧倒的なこの千載一遇のチャンスに微笑む心があります。小心者万歳です。
2008/04/16
コメント(4)
日曜日は先週に続き手伝ってる大学ヨット部の応援です。3人乗りヨットのレース予定でしたが、レースメンバーを代わってもらいました。先週の新人勧誘試乗会の様子だと、新入生が増えたらしんどそうだったので、急遽この日も手伝うことにしました。クルージング艇の方は、母校ヨット部の新人勧誘に駆り出されており、この時期どこぞの大学ヨット部も甘い言葉で新人を誘っています。1年でもサボると一気に弱体化してしまうので、4年で入れ替わる大学のクラブはどっこも大変です。前4回生9人が抜けたので、新人を同数ほど獲得しなければ、オー!というところでしょう。みんながんばっています。先週京都南インターから少し混んだので、30分ほど早めに家を出ました。京都南は8時半ぐらいでした。今週はもう京都の花見客は減ってるだろうから大丈夫だろうなと思いながら寄ってみたいところがあったので早く京都に入りました。早速行ってみたい所目指します。東山七条まできて、右に曲がって、初めて女坂を上ってみました。「女坂」という音がどうも魅惑的に響きますが、今まで一度も行ったことがありませんでした。学生時代、クラブの資金稼ぎスキーのパンフレット配りで京都まで遠征したときも、ノートルダム女子とか同志社女子に回ってて、こっちには他のメンバーが行ってました。聞いていたとおり、なだらかなだらだらした上り坂でした。大学前らしく喫茶店・コピー屋などが並んだ坂を上がり、神社やお寺の入口の雰囲気になってきてUターンしました。結局学校の正門が何処にあるかわかりませんでした。車で上ると道は狭く、何か男子禁制の秘密の花園に近づくようで、ゆっくり周りを見渡す余裕もなく、あっさりUターンしてしまいました。小心者です。マネージャーの勧誘をどんなところでしてるのか興味がありました。坂を東山通りの方に下りていくと、クラブに向かう女子学生さんが数人上がっていきます。信号待ちしていると、どっかの学校名が書いてある揃いのジャージで女子の団体さんが反対側で待っています。京女で試合をするのかもしれません。目的の大学の時計台前の広場に車を入れ、門番の警備員さんに一言入れて、トコトコ歩き出しました。あの有名な年代わりの折田先生の像が今年もあるかなあと、いつものところを見に行ったのですが何もありません。もう撤去されてしまったのか?今年はなかったのか?毎年楽しみにしてたのに、とても残念です。学生時代ロックコンサートで有名だった西部講堂を見に行きことにしました。その横に日仏交流協会という白亜の建物がありました。写真をパチリ。西部講堂のある敷地に入っていきました。ユーズドの冷蔵庫や洗濯機が表に並べられており、生協の職員さんでしょうか並び替えています。多分3月で京都を離れた学生から買い取ったものを、4月から京都にやってきた学生に販売するのでしょう。クラブの看板のかかったプレハブが立ち並んでいます。そう言えば敷地内に入る時、建築確認が掲げられていました。ここに新しい建物が建ち、綺麗になるのでしょうね。屋根にとても目立つ★マークが2個付いた西部講堂が見えてきました。まあかなり悲惨な状態です。元はお寺の講堂だったのか、瓦葺の大屋根の伽藍という雰囲気ですが、学生が長年使うとこういう状態になるのは仕方ないことです。築何年なのだろう、ひょっとすると江戸時代とか・・・もう百年したら国の重要文化財に指定されるかもです。パチリ。帰りにヨット部の新人勧誘看板を見つけました。次男君たちが作った看板から新調されています。パチリ。東側門から構内に入り、桜をパチリ。校舎の間から見える時計台をパチリ。工学部方面の校舎の間の並木をパチリして正門に戻りました。つづく
2008/04/15
コメント(4)

今朝目覚めて台所に行くと、いつものように家内が新聞片手にパンを食べていました。「おはよう」に続き、「また連絡先が消えちゃった」と。次男が東京に行ってしまってから急に熱心になったPCメールの左下に出るアドレス帳が消えてしまったようです。数日前にも消えてしまいました。「変なとこ触ってないのにねえ」確かに・・・PCなんて触り倒して、「あれ~なに~これ~」なんて言いながら、一生懸命またいろいろ触って元に戻すことを繰り返すと覚えるので、「直したるからもっと触ったらいいよ」と言うものの、臆病なんですよね。家内の性格から、変なとこさわらないだろうから何故消えてしまうのか疑問です。「おかしいね」と言いながらPCを立ち上げ、表示からチョコチョコ動かして元に戻します。「このやり方、書いといたげるね。PC操作用ノートを用意して、いろんなことをメモしておいたらいいよ」とアドバイスしておきました。「ねえ、ター君から返事があったよ。ほら見て」と教えてくれます。そこには寮にPC環境を整えメールが見られるようになったと書いてありました。「アドレスが消えたのによくメールできたねえ」とちょっとおだてると、「前のメール見たもん」との返事です。まだ別のところからアドレス帳を開けることは出来ないようです。まあ、何も言わずにおきましょう。「これ見てみて」次男からの返信メールに載ってたウェブサイトをクリックすると、3月まで指導いただいた学科の先生の書いてる日記が出てきて、卒業制作展で準グランプリを取った時の写真とコメントがありました。校長先生?からと学科部長さん?から何やらもらっています。「ねえ、大きく写真が載ってると書いてあるけど小さいよ。大きい写真は何処にあるの?」「写真をクリックすると大きくなるよ。ここをほら、写真をクリックすると」「あら」ついでにこの写真を家内のPCに保存しておきました。仕事に向かおうと玄関に出ると、小さくホケキョが聞こえています。今年2回目です。桜は散ってしまったけど、今度はウグイスの声狙いで近所の公園をバイクを押しながら抜けていくことにしました。ウグイスは別のところだったのか、全然歌声は聞こえませんでしたが、公園の朝の気持ちのいい空気の中、ふと頭を過ぎりました。「あなたにとって大事な人ほど近くにいる」どこかで読んだのか、歌で聞いたのか、心に残っている言葉でした。親も大事、子供も同じように大事・・・だけど1世代25年、別の世代なんだよね。兄弟も同じ世代だけど、それぞれ家庭を持って、もっと大切に守らなければならない家族がある。「家族の中で唯一血のつながっていない人」「夫婦は血がつながっていなくても家族になれる」車の免許ぐらい取ればいいのになあ・・・携帯電話・・・PC・・・新しいものに臆病にならなくてもいいのになあ・・・夫婦といえども自分じゃないので、「もっとなあ」というところはたくさんある。でも自分にないいいところも、それはそれはたくさん持ってる。それら全部ひっくるめて夫婦。これからも、いろんな今一に気づかない振りして、ちょっと出来たところをおだてて笑って暮らしていきたいものです。偉そうなこと思っても、きっと、家内の方が僕よりいっぱいいろんな僕への不満を飲み込んでくれているように思う。
2008/04/14
コメント(4)

昨夜家に帰ると、夕食はスパゲッティでした。「おいしそうや」と言うと家内が、「それがあんまり・・・ちょっとすっぱいよ」「そうなの?麺が?・・・かける方だよね」ミートスパゲッティがちょっとすっぱいらしいです。家内がPCメールを見ている横で、すっぱいスパさんを食べ始めました。「おいしいよ」とお代わりしました。そういえばすっぱいようにも感じますが、言われなけりゃ分からないです。大体私の舌は美味を見分けられないし、お腹がすいてりゃ何でもうまいです。学生時代、合宿生活を経験したので、大概のものは平気で食べられます。砂浜に建てられた艇庫だったので、少し風が吹くと2Fの合宿所まで風が入り、砂入りご飯は当たり前です。男ばっかりだから、文句が出ても不思議はありませんが、聞かなかったような。全員食事当番を経験してきたからかもしれません。料理人は、1回生男子部員ですから内容は知れています。女子マネージャーが入部して、とんでもなく美味くなったのを記憶しています。今考えれば、それでもたいしたことなかったのでしょうが。結婚してから一度も家内のご飯にダメ出しを出したことがありません。というか、食事に文句を言ったことはないんじゃないでしょうか。小学校の時、ずっと我が家の料理人をしていたので、料理の手間は分かっているつもりです。家に帰って、そこに食事が出ている以上の幸せはありません。さて子供達が東京に去って、家内がPCを始めました。子供達と連絡を取りたいが、仕事中だったら電話では迷惑をかけることもあると考え、メールで送りたいようです。業務でPCは使っているのですが、文章を書くとか表を作るとかの業務は全部私がしていたので、発注や顧客名簿打ち込みなど限られたPCの使い方しかしてきませんでいた。ここにきて本格的に始めようとしています。PCの必要性は十分わかっており、OSがXPに代わった頃個人用PCを買ってきました。でも仕事・食事作りなどで、あんまりやってきませんでした。商工会議所のPC教室にも通ったことがあるようですが、使わないと覚えられませんね。「ねえねえ、これどうするんだったっけ?」ここ数日、横で質問に答える日々です。私が学習した本は捨ててしまっているし、次男の部屋にあった本を渡したが、難しすぎるそうです。「本で勉強した方がいいよ」「でもなんか難しすぎるもん。初歩の初歩でわかるのじゃないと」早急に入門書を買ってくることを約束しました。
2008/04/12
コメント(2)

数日前、銀行に向かってトコトコ歩いていると、いつもの場所に路上パン屋さんが出ていました。「パンでも買うかなあ」と思い、横断歩道の信号で待っていると、お母さん方が「かわいそうねえ」なんて、パン屋さんの方を向いて話しています。そのパン屋さんは、障害を持った方の共同作業施設で作ったパンやクッキーを売っています。机を1つか2つ置いて、後ろに店員さんが数人いて、健常者もついています。ちょっと縁のある遠方の同じような作業所に、4月になったので定期寄付を振り込んだところでした。銀行の用事を終え、そのお店に寄って食パンを購入しました。店に近づくと、いつものことながら、みんな満面の笑顔で「いらっしゃいませ」などを言ってくれます。「これいくらですか?」「・・円です」と大きな声で答えてくれます。小銭がなかったのでお釣りになってしまい、指導員さんに手間をかけてしまいました。指導員さんはなんとなく後ろの方にいて、出来るだけ店員さんに任せています。寄付をしている作業所から送られてくる通信により、何となく作業内容を知っています。店員さん向きの子や作業向きな子、1人がいい子や誰かに手伝ってもらわないとすぐに作業をやめちゃう子、いろんな子をそれぞれに向いた作業に割り振りながら、別の作業にも挑戦させる。指導員さんは地道な仕事です。私になど出来そうもありません。それにしても、あの横断歩道の所で聞いたお母さん方の話は、まるでドラマの1シーンのようでした。幼稚園バスが停まるところなので、幼稚園から戻ってくるお子さんを待ってるのでしょう。「お気の毒にねえ・・・うちの子は健常に生まれてよかったわ・・・」のような話を1人の方がされて、他の方は聞いている感じでした。私は男だからだろうか、こういうことを人と話すことはしません。中学の時、「人は使命を帯びて生まれてくるから、どのような人にも同じように接することが大事です」と言われ続けていたからかもしれません。友人と話すことが、特別視しているように思えて。ただ時々、パン屋クッキーを買うだけです。それにしても、ほんまドラマのような台詞を聞きました。「こんなこと言う人ほんまにいるか?」「思ってても言わんやろ」と心の中でドラマに突っ込んでいたけど・・・ほんまに聞いてしまいました。
2008/04/11
コメント(5)

月曜日の朝だったか?ニュースで本屋大賞が決定したと流れていました。森見さんが取ったら愉快だなと期待していると、伊坂幸太郎さんでした。なるほど・・・無難なところです。伊坂さんって、こんな顔なんだ。2位以下はどうなったのか知りたくて調べてみました。一度も読んだことがない近藤史恵さんの作品「サクリファイス」。自転車ロードレースの作品で、どこかの書評が気に入り読んでみる本リストに載せているやつでした。そして3位が森見さんの「有頂天家族」。昨年、「一瞬の風になれ」に続いて「夜は短し、歩けよ乙女」が2位だったので連続トップ3とは大したものです。確実に森見さんのおかしな世界の中毒になってる人が増えている感じがします。もう1人の京都の変人万城目さんの「鹿男あをによし」は8位でした。森見さん・万城目さんのワンツフィニッシュという痛快な結果にはならなかったけど、2作品もトップ10に残っていた桜庭一樹さんのが7位と9位に沈んだことで、私の中のこの賞への値打ちを保ちました。直木賞だったか芥川賞だったかを桜庭さんが「私の男」で取りましたが、なんか表紙の絵も、書評を読んでも、読みたいという気を起こさせませんでした。こんなのが選ばれるのかと、文学賞の横綱である両賞の値打ちを私の中で更に下げました。読んでないのに酷評するのはルールに反しますが、あまり楽しくもなさそうな、なんか暗そうな、そしてなんか将来への明るいメッセージもないような作品が、ごく普通の本好きが集まってる本屋さんの店員さんが選ぶとなると、なんかなあと思ってました。横綱の両賞は、プロの作家さんなどから見たもので、僕には分からない何かがいいのだろうけど。一昨年のリリーフランキー「東京タワー」、昨年の佐藤さんの「一瞬の風になれ」は見事的中でしたが今年ははずしました。1位・2位の作品はまだ読んでないので、読んでみないとね。この賞ははずれがないから。
2008/04/10
コメント(2)

日曜日の続きです。マネージャーさんが大量に作ったカレーで昼食です。いつもながらかなり美味です。前の日の晩、家内に試乗会で帰りも京都に送ることになりそうで遅くなると話した時、「いいよ、十分手伝ってあげてね。あの子があのクラブにどれだけ世話になったかわからないよ」と言われたことを思い出しました。母親としては、下宿生になるので食生活が最も心配だったのでしょう。こんなうまい食事を食べさせてもらい、クラブで食生活と生活のリズムを作ってもらったと思います。ありがたい事です。私は独身時代東京で仕事をしていた頃、住まいの近所のおっちゃんとおばちゃんがやってる小さなお店で夕食をとっていました。棚に並ぶ卵焼きや焼き魚を出して、ご飯と味噌汁をよそってもらいます。毎日は、こういう食事じゃないと病気になると思いました。部員がホワイトボードを使ってヨットの風だけで走る原理などを教え、実際のヨット試乗に出発です。私はレスキュー担当で、数種類のヨットをみんなが経験できるように、中継船になります。マストからぶら下がるハーネスの付け替えなどをしましたが、今年も女子学生の付け替えも手伝えました。まだ二十歳前の娘さんと接近戦になるのは、この上ない幸福かもしれません。これはあほな男子には共通することのようで、女子を乗せるとどのヨットも定刻を回ってもなかなか中継船に戻って来ません。時計を見、待ってる次の新入生のことを考え、「早よ帰って来いよ」と口に出しながらも、「まあその心理はよ~く分かるなあ」と。終了の4時に艇庫に戻りました。マネージャーさん達に、OGになったばかりの元マネージャーTさんが鍋の準備をしています。OB部屋の横で鍋に火を入れているので、おいしそうな香りがお腹を刺激します。まだ京都で勉強すると言っていたTさんが、2日後に京都を離れるそうです。郷里の大学院の方に進学することにしたそうです。この2年間、彼女がマネージャー部隊の先頭に立ってがんばってくれました。笑ってる顔がとてもチャーミングで、笑顔を見てるだけでこっちまで楽しくなってしまいます。同回生のOB・D君と並んでコタツに入っていたので、写真家Y女史によってツーショットに収まっていました。以前からなんとなくこの2人お似合いだと思ってるのですが・・・。まあまた京都に来る時があるでしょう。「またね。地元で勉強がんばりね」
2008/04/09
コメント(0)

日曜日の京都花見のつづきです。丸田町通りを右折し、また東山通りを左折して大学の正門に向かいます。10時数分前になっていたので、既にヨット部看板が出ており、ヨット部員がいます。なかなか苦しゅうない婦女子2名を含め、新入生が数人集まっている。4月1週目の試乗会にしては上出来の人数が集まっているように思います。せっかくカメラを持ってきたのだからと、校内の桜と勧誘風景を数枚写真に収めていると、OGのY女史が自転車で颯爽とやってきました。どうやら私の一眼レフに興味津々のようです。彼女はヨット部と写真部を掛け持ちしていました。私の一眼レフですが、次男君が学校の卒業制作展で、ニコンのデジタル一眼を副賞でもらったのに刺激され、ソニーを買ってしまいました。随分前から持ってるミノルタ一眼レフのズームレンズなどを使えるということでソニーにしました。ミノルタはコニカと合併しコニカミノルタになり、そのカメラ部門をソニーが買収したようです。いろいろカメラのことを聞いていると、「・・さんですか?」と他クラブの部員から声がかかりました。どうやら私にではないようです。当たり前か。「いいえ違います」とYさんは答えていましたが、新入生と間違われて内心彼女はホクホクだったのではないかと思ってしまいました。さて艇庫に向けて出発です。先に紹介した新入生女子2名と、OBのM君・D君が同乗です。本日参加は全部で15名。内2名の女子をきっちり抑えるなんて、さすがにOB、抜け目がないです。艇庫に着くと、部室で談笑が始まっています。お茶?コーヒー?飲み物が出ています。その風景を数枚写真に収めOB部屋に入ると、PCとキャノンの写真現像に特化したプリンターをOB達がゴソゴソいじくっています。一眼レフをYさんに貸すと、慣れた手つきでいろんな設定を変えて、そこにいるOBの写真を撮っています。早速現像すると、かなりいい出来栄えです。しばらく外に持って行って花の写真などを撮っていましたが、帰宅してそれを見ると、私が撮る写真よりかなりハイレベルです。う~ん、写真はこうして撮るのか。
2008/04/08
コメント(2)

日曜日は、一眼レフを抱えて京都に行ってきました。手伝ってる大学ヨット部新人勧誘試乗会の1回目です。今月の日曜日は毎週試乗会です。例年同様ですが、前からキャプテン君から打診があり、1週間前には今年の新人勧誘隊長の2回生K君から「行きと帰りの車」の打診を受けました。今年は現役車に8人乗りが1台加わったようですが、次男車含めて学部卒業後も勉強している車所有の子達が大量に京都を去り、台数が減っています。勧誘を指揮する新2回生がプレイヤー3人、マネージャー2人と少人数ということもあり、今年はがんばって手伝ってあげようと思っています。と言っても、これも人生勉強になるので、頼まれたことをやるだけで余計な口出しはしませんが。10時大学正門集合でしたが、8時ごろ家を出ました。京都で1時間ぐらい花見をしようという計画です。京都南インターを下りると、花見客でしょうがいつもより車が多いです。このまま東寺まで北に上がってしまうと、JRを北に越えるところで渋滞に入ってしまいそうなので、早めに東に折れ京都中心部を避け、東山通りを北上です。京都女子大のところから七条通りを東から中心部に向かい、鴨川沿いを右折して北上しました。京都の桜の名所はたくさんありますが、鴨川沿いが一番好きです。次が哲学の道の北、白川通りより北の疎水沿いかな?どこか駐車場に入れて写真を撮ろうと思っていましたが、所々に車退避場所のようなものがあり、そこに車を入れて写真を撮りました。ジョギングしているおじさん、自転車をこいでる学生風、乳母車を押している夫婦など、日常の人々に混じって、桜目当ての観光客が桜をバックに写真を撮っています。階段に下り川べりに下りると、下から桜並木を見上げる感じになります。西側の対岸では、さくら祭りのイベントの準備に忙しそうです。二条の所で、右折して琵琶湖疏水沿いの桜を見に行きました。国立近代美術館から平安神宮にかけての疎水沿いの桜はちょうど見ごろでした。満開の桜を写真に収めていると、疎水遊覧船がやってきました。これも絵になります。パチリパチリ、既に30枚ほどシャッターを押しました。疎水沿いにある偽電気ブラン密造所夷川発電所を横目に、再び鴨川に戻ります。ここが下鴨家と対立する夷川家の重要拠点だなあ・・・などと不敵な笑みを浮かべながらしょうもない事を考えていました。全うな一般人にはなんのこっちゃ分からないと思いますが、詳しくは森見登美彦氏の新刊「有頂天家族」をお読みください。スリルとサスペンスにイリュージョンも重なり、あまりのばかばかしさを真剣に読んでいる自分に大笑い間違いなしです。
2008/04/07
コメント(2)
家内は今年に入り、実家の取り壊しの件で何度か実家の片付けのために帰りました。そのとき、姉さんとの待ち合わせのために私の携帯電話を持って行きました。数回帰ったところで、「私も携帯電話持とうかなあ」と言い出しました。先週、東京の子供達に会いに行った時も電話を持っていきました。電話を掛ける予行演習したのに、結局掛け方が分からず公衆電話から電話したそうです。今まで受信しかしたことがないです。「使い方がわからなかったら、近所にいる誰かに聞いたら教えてくれるよ」と言っておいたのですが、恥ずかしかったのでしょう。新幹線切符を早割りで買うと東京大阪間で片道2000円も割安になります。出発前だったら、何度変更しても追加料金がかかりません。でも、PCか携帯でネット予約しないといけません。結局、携帯でネットにつながる環境を持っていないので、普通の料金で乗ることになりました。家内は業務用でPCは毎日使っていますが、個人で持ってるPCはほとんど使っていません。「じゃあ、何のために買ったの?」なんて言うとかわいそうだから言いませんが、時々アドレスを聞かれることがあり、アドレスを得るためにPCを買いました。それを知った時は、「なはは」とずっこけそうになりましたが、それもかわいそうなので、「そうなの」と無難に応えておきました。次男がノートPCを買うまで、持ち運び用に使ったり、私が時々メンテナンスをしているだけです。私の携帯は、ネットにつながるようにしていないので、電話機能だけです。外に出歩く仕事ではないので、仕事場の電話やPCで事足りるので、携帯電話の電源を入れること自体、週に1日以下です。私達夫婦の携帯電話環境は、大変遅れています。家内が持ちたそうなので、電気屋さんに行って最近の携帯電話事情を聞いてきました。ボタンの押しやすい簡単で単純な機能のものが良かったので、その旨告げると、「らくらくホン」なる物を紹介してもらいました。料金は、電話機は1円ですが基本料金が1890円です。今月、新しく基本料金が1050円だけど、電話機が3万円ぐらいなものが出るそうです。3年使ったら電話機金額の元が取れるので、そっちにしようかと思っています。ついでに私のも買い換えて、ネットにつなげられるようにしようかなと思っています。「音が大きく聞こえる機能が付いてる」というのに惹かれてしまいました。私のはもう10年は使ってる代物で、音声がもっと大きくなればなと思っていたところでした。家族への通話やメールが無料ということでした。まあ、あまり使わないとおもうけど。子供達に携帯事情を相談して知識を仕入れたいと思います。
2008/04/05
コメント(4)
ガソリンと軽油にかかっていた道路特定目的税の暫定税率分がなくなりました。私が車に乗るのは週1回程度なので、買い控えなどの世の中の流行とは無縁のところにいます。暫定分の徴税根拠となる法律が失効してまだ数日ですが、政府は今月中に衆議院で再議決して復活させようとしているようです。それに賛成する衆議院議員が多ければ成立して、暫定税がまた復活するでしょう。民主主義の世の中なので、それは仕方ないことです。でもこれに対する議員さんや地方自治体の首長さんの意見を聞いていると、何か不毛な気持ちになります。「生活に必要な道路が作れなくなります」「どうしても必要なんです」法律が失効してから、「建設予定道路の半分の予算めどがたたず、建設中断になりました」そもそも揮発油税は、自動車所有者が、使用者負担の原則に沿って、道路に使うことを条件に納めている税金です。自動車が爆発的に増えていた頃、早く全国高速道路網を整備するために、暫定税率分が上乗せされました。現在の状況はどうでしょう。自動車販売台数は減っています。保有台数も同様。人工増加も止まり、緩やかに減っていくようです。今から緊急に道路を更に整備する必要があるのでしょうか?そりゃ誰でも、新しい道路は気持ちいいです。家庭でも、新しい家、新しい家電製品、新しい・・・快適で気持ちいいに決まっています。でも、子供の学資、老後のたくわえなど、いろんな他の必要なことと相談して家計の割り振りを考えています。国でいえば、高齢化で必要になる医療費、老後施設、年金・・・もっと緊急に必要なものがあるはずです。参議院で野党多数になったおかげで、いろんな税金の無駄使いが表に出るようになりました。道路特定財源の無駄使い振りは、社会保険庁に匹敵しそうです。単年度決算なので、余ったら使い切る体質が役人に染み付いているから、いくらあっても足らないという風になります。先日、母校ヨット部から、OB理事会で年会費増額が決まったとの通知が来ました。「やっぱり」と思いました。年額1万円から2万円への倍増が決まったようです。監督から、現役学生の支出額の具体的数字を並べて、増額承諾のお願いが同封されていました。数年前まで、前監督がずっと1万円でやってきました。その収入に見合った運営をしてきました。全国優勝までは届かなかったけど、関西水域では常にトップグループで毎年のように優勝していました。数年前、昨年のクラブ創立70周年優勝を目指して、大きく舵を切りました。他大学出身のコーチをヘッドコーチに迎え、インターハイ優勝選手をスポーツセレクションで迎えるようになりました。選手やその親の交通費をクラブ会計から支出してまで・・・そこもでして、スポーツセレクションの優秀な選手に媚びないといけないのか。真面目に勉強して一般入試で入ってきた後輩とがんばりたい。私自身も以前、インターハイに出向いて優秀な選手に声をかけていましたが、私の交通費も全部自腹でした。監督・コーチ、みんな学生時代お世話になったお礼のつもりで、クラブに何らかの金銭的負担をかける人はいませんでした。だから百万ちょっとの年会費で回っていました。強化に舵を切ったので、コーチ代で年会費のほとんどがそちらに流れてしまいました。OB総会で、私は1人で反対しました。「毎年赤字の垂れ流しではやっていけない。落水事故など緊急支出が出た場合どうするのか。いずれOB会費アップにつながるのではないか」「クラブ会計の他に、多額の寄付をされた先輩の基金がある。艇庫新築時集めたお金の残りがある。大丈夫やっていける」結局私の予想通りになりました。当時私の質問に答えた回答のことは、もう昔話になっているようです。世の中には、こういうことが山ほどあります。かつて緊急に整備しようとした暫定税が、いつしか恒久化して、「もっともっと」です。議員さんも、家の家計では、そういうことはしません。自分の収入の丈に合わせた生活をしているはずです。人のお金だからこういうことが出来るのです。税金の基本は、相互補助です。安全を守ってくれる警察官を1人雇う時に、2人より3人で雇うほうが、1人の負担は減ります。そのための互助組織の大きなものが国です。もっと、もっと・・・人様のお金を使っているのに、「必要な道路が出来ません」と身の丈以上のことをしようとするのはどうも変です。お金の無心をするのではなく、今の収入でどうやりくりするかを考えるべきだと思います。「だって、暫定だよ」暫定というのは、期限が来たら終わるものだよ。
2008/04/04
コメント(2)
昨夜は、映画「Sweet Rain」を観て来ました。久しぶりの映画です。1月の「銀色のシーズン」以来。横の家内が何となく眠そうでかわいそうな気になりました。行きの車の中で少しお鼻の調子がおかしそうです・・・鼻炎?かなと思いながら「またにしようか」と言いませんでした。少し風邪気味のようです。体調が・・・と思いながら、「付き合ってあげようか」という感じで一緒に来てくれたのでしょう。悪いことしちゃいました。この映画で、「え~そうだったの~」を発見してしまいました。名わき役女優の小西真奈美さん演ずる藤木一恵さんが歌手になるのですが、藤木一恵って、どっかで聞いたことがあるような・・・と思いながら映画を観ていました。映画の最後に、藤木一恵さんの歌声が流れ思い出しました。最近有線放送でよく流れている曲です。最初聞いた時、雰囲気が良く気になる曲だったからチェックしました。それで藤木一恵さんという方の歌だと知りました。新人歌手さんなんだろうなと思っていました。この映画とタイアップして売り出してる歌手なんだあと思って調べたら、小西真奈美さん自身が、映画の役名で歌っていることが分かりました。歌声を聴いても小西さんとは分かりませんでした。てっきり藤木一恵さんという別の歌手さんがいるものと思っていました。小西さんは、中々魅力的な声質をしています。これからも時々新曲を出して欲しいですね。藤木一恵(小西真奈美)「Sunny Day」
2008/04/03
コメント(2)
家内の息子達の寮めぐりの写真が出来上がってきました。寮の前で、家内と長男君が写った写真がありました。会社名も入ってるし、2人とも笑ってていいなと思って、A4に引き伸ばしまし額に入れました。写真を家内に渡すと、「綺麗に整理されてるでしょ、こっちが次男君の方。ちょっとごちゃごちゃしてる方が長男君の方」と説明してくれます。説明を受けなくても、すぐ分かりました。2人の自宅の部屋の様子そのままです。大きく引き伸ばした写真を見て、「この人に写して貰ったの」と寮の正面ガラスを指差します。よく見るとガラスに暗い人影が・・・次男君のようです。その写真を家内の部屋の電子ピアノの上に並べました。子供達がピアノを習っていた頃買ったものです。一時中学生になった次男が、自分の部屋に移動させて弾いていましたが、今は単なる台になっています。こないだの卒業製作作品の前で撮った次男と家内の写真も載っています。次男とGFさんの写真が2枚あります。学生だった頃の長男君と家内の初詣の写真。入院中の父と義理母を勇気付けようと、おととしの全日本でプロの写真家さんが撮った次男のレース中の写真もあります。ここに長男君とGFさんの写真を加えたいものです。子供達とGFさんとは今後どうなるか分かりませんが、世の中に家族以外にたった1人でいいから、自分をとことん信じきってくれる人がいたらそれでいいと思います。子供達を好いてくれる人がいることは、とてもありがたいことです。BF君の実家に自分の写真が飾られているのを見たら、お嬢さんはどう思うだろう?でもまあ、これがうちだからしょうがないね。
2008/04/02
コメント(4)
日曜日の続きです。家に着くとちょうど家内が帰ってきました。「電話したんだけど」。しまった、もう少し早く帰宅していれば迎えにいけたのに・・・。家内はすぐに息子達に無事帰宅した電話を入れていました。「すごく面白かった」と、饒舌に寮や子供達の近況の話をしてくれます。入寮初日に、引越し荷物の1箱は行方不明になって警察沙汰になった詳細(家内が次男の寮にいる間に警察官がやってきました)。やってきた長男を含めて3人でイタリアンを食べに行ったこと。長男から「今度来たときは、都内をいろいろ案内してくれる」って言って貰ったことを嬉しそうに話しています。「また行くんだ~」って楽しそうです。家内が行くということで、長男のGFさんが来る予定だったらしいですが、「急に仕事が入って来れなくなったんだ~」と長男が言ってたそうです。今アムステルダムにいるそうです。長男はちょっと出世したそうです。それに伴って給料が上がったそうな。目出度いことです。きっとこの日は家内にとって、素晴らしい日になるだろうなと思っていましたが、予想通りになったようです。「お金、ちょっと置いてきたよ」「うん」「それからね、こないだ入金した分ね、お金出してからカードを止めたんだって」「そう」今回の盗難事件で、暗証番号を書いたメモと銀行カードが1枚なくなりました。すぐにカードを止めたので、そこからお金を引き出せなくなりました。紛失当日の電話で、「明日の朝一番にお父さんに入金してもらうから当座の資金にしなさいね」と言ってました。翌日一番に、いつも使ってる口座に入金しました。さらに日曜日にお金を置いてきたようです。私達の口座から一緒に払ってる次男の携帯電話料金と、次男の車の高速道路のETC料金の切り替えを言ってきたそうですが、もうちょっと落ち着いてからでいいよと言ってきたそうです。横にいた長男君も、「僕もちょっと慣れた夏か秋に変更したから・・・」って。私も言って来るまでそのままでいいし、それを催促しようとも思いません。自分から言い出すことが、自分の人生を自分でプロデュースしてることになると思うからです。自分の財政を考えてまだ無理だから言えないのでしょう。それでいいです。自宅から通っていた長男と違い、下宿生だった次男の口座は時々家内がチェックしていました。バイトなどでがんばってたけど、残高がピンチになったら適当に振り込んでいました。友達に話すと、中には「甘すぎる」と言うヤツもいますが、こういうことをする家内が気に入っています。私が就職で東京に出る時、新幹線の駅で、「東京には素敵な人がいっぱいいるから、私を忘れてもいいよ。がんばってね」とボロボロに泣きながら言われました。「浮気しちゃダメよ」なんて言うより、ずっと重く響きます。絶対そんなことするものかと思いました。私にしてくれてることと、子供達にしてることが同じだと私には感じます。男の子なので世間並みというか、それ以上に失敗をやらかしてきましたが、家内は全く怒らず、「あらっそう、仕方ないわねえ。どうしようか?こうしてみる?」なんて、全然大したことないみたいに軽く言います。あれで、子供達の落ち込んだ気持ちを少し和らげたと思います。悪いことしちゃったなんて親がわざわざ言わなくても分かっています。だって私達の子だから。この日も、「何でも話してくれるよ~」と、子供達がいい子でよかったみたいに言いますが、日頃からああいう接し方をしていたらそうなるだろうと思います。「・・ちゃん(家内)がそう接してきたからやん」と、言っときました。家内の実家は、みんなこんな感じだけど、母親に損得、出来たらもっと上を目指す、出来なかったら必罰で、たくさん叩かれひどい言葉で育てられた私には、この接し方の素晴らしさが分かります。3人が別れる時、長男が「いいスーツ買ったるって言っててまだ買ってないな。今度買いに行こう」と次男に言ってたそうです。「あの子、就職する時おじいちゃんに高いスーツ買ってもらったんだよね」と私の知らないことを話してくれました。「今度は自分がする番だって張り切ってるのよね」と、長男の心理を推察し、そういうことを弟にする長男を頼もしそうに話していました。「誰かに何をしてもらうか」「してもらえなかったら損した」ではなくて、「見返りを求めずに、家族や困っている人に自分のできる範囲で何をしてあげられるか」「何かをしてあげることが自分の喜びになる」、そんなのがいいです。家内の何でも許しちゃう大きな心が、子供達に伝わって、孫や子供達の周りに伝わっていくといいと思います。そしたらきっと、いい人たちに囲まれて、多少なりとも周りから慕われる人になり、楽しい人生が過ごせるように思います。この人、やっぱり私の一番の宝物だな。
2008/04/01
コメント(4)
全26件 (26件中 1-26件目)
1

![]()
