2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全24件 (24件中 1-24件目)
1
日曜日は、琵琶湖に行ってきました。お手伝いしている大学ヨット部のレースです。朝6時前に家を出発です。6時までに高速料金所を通るとETC深夜割引になるので、小市民の私はつい釣られてしまいます。起きて階下に下りると、玄関前の廊下に長男の洋服が広げられています。そういえば、クラブの先輩の結婚式で帰ってくると、家内から聞いていました。自分の部屋で寝てるのでしょうね。昨夜は何時に帰ってきたのだろう。全く知らない私は、番犬の役目ゼロですね。大会会場のヨットハーバーに寄り柳ヶ崎YHの掲示板を見にいきましたが、いつものところに土曜日の結果掲示がありません。ひょっとすると1レースも成立していないのかも?と思いながら、しばらく本を読んで時間を潰し、艇庫横に車を着けました。風はないけど、雨だけがしっかり降ってる一番嫌な天気です。艇庫に入ると、「おはようございます」の挨拶がたくさん飛んできます。体育会系の力の篭ったものではなく、ごく普通の挨拶が、どうも私の性に合っています。今大会は当ヨット部が運営主管のようで、泊まっていたのでしょう若手OBがたくさんいます。今年OBになったばかりの学年は、レース後飲み会だそうで、徳島と名古屋から元マネージャーもやってくるそうです。4年間一緒にやってきた絆でしょうか同学年の仲がいいです。次男君も東京に行くまでは、よく集まっていたようだし、いいですね、こういうの。8時にレスキューに向かう予定で待機していましたが、予想通り風がないので、レース延期旗が揚がったそうです。人数分持ってきたダイバーズ・ボードをプレイヤーに渡しながら、750ccバイクに乗ってるOB・N君にバイクの事を聞き、OB・S君には、昆虫の話を聞きました。ダイバーズ・ボードは、ダイバーが水中で会話をするために鉛筆で書くボードです。消しゴムで消えるので、ヨットの練習やレースで気づいたことをメモしとくには最適です。私も長年首からぶら下げて使っていますが、とても重宝で全く壊れません。プラスチックまな板の薄くて小型のものです。まな板でも使えそうですが、さすがにまな板を首からぶら下げていては、怪しまれます。というより、先に首が逝かれそうです。S君の下宿は修学院の山手なのだそうですが、普通にクワガタがやってくるらしいです。「こないだなんか・・ゴキブリという町にはいないゴキブリがやってきて、一人で興奮していました」なんて。彼は昆虫、特にゴキブリの研究をしています。ゴキブリに関しては語ります。でも、あんまり彼女の前では語らない方がいいかもね。S君はダイビングも始めたそうです。潜れる深度、洞窟に入れるなどいろんな資格があるそうです。艇庫前の琵琶湖に潜って、歴代の先輩が落とした雑多物をサルベージしたら一財産築けそうです。今度沖縄に行くとのこと・・・あの熱帯色の魚の群れに入れるなんてうらやまし過ぎます。口元を少し上に上げたニヤケタ顔が戻らなくなったらどうするのでしょう。まさか熱帯色の縞模様に同化することはないと思いますが、昆虫の研究家ですので、葉っぱに同化する術を会得しているのかもしれません。人力車の車夫でもあるN君は、車輪物に興味があるのか750ccバイクの乗り手でもあります。数年前、同回生を後ろに乗せて私の仕事場までやってきました。「東北自動車道を友達の400ccで走りましたが、やっぱり750ccの方が楽です」750ccは高速でも余裕で、400ccとは大分違うそうです。ただ街中では750ccでは余力があり過ぎで、400ccでも能力を発揮する場面がないそうです。彼もバイクに関しては何時間でも語りそうです。仕事もバイク屋さんから三輪車までいろいろある車輪物にするのかなあと思っていましたが、就職は銀行だそうです。でも銀行も転がり物であるコインを扱うので、おんなじような物かもしれません。無理があるかなあ?就職が決まって、久しぶりに艇庫にやってきた4回生マネージャーは、京都での就職にこだわったそうです。「京都は自然が残っていていいよね」と言うと、別の女子マネさんが、「こないだ哲学の道を歩いていたら、普通にホタルが飛んでましたよ」と。哲学の道なんて、京都駅からタクシーで10分とか15分の距離です。こんな大都会ないんじゃないのかなあ。彼女の話を聞きながら、「京都の町が好きだから」がほんとに卒業後も京都にこだわる理由かなあ?と・・・ほんまは「別れたくないいい人が京都にいる」のではないかと・・・昨今の部員&マネさんカップルのウェディングに、そんなことを思ってしまいました。10時半になり、延期旗が降下しました。出艇です。1回生、女子マネさんは新人さんから4回生、OGマネさんまで、そして私と、大勢で観戦・コーチングしました。時折比叡の北の山から雨雲が下りてくる辛い天気でしたが、風は弱いながらも無風まで落ちることはなく3レース、昨日と合計で8レースできました。レース回数が多いと結果に納得でき、楽しめますね。結局帰宅は10時頃になりましたが、楽しい1日を過ごせました。雨が降ったけど、前回プレゼントしたマネさん用カッパ使用初日になり、良しとしましょう。ヨット部ユニフォームをプレゼントされ、ちょっとお得した日でした。
2008/06/30
コメント(0)
今、自動車学校に通っています。来週の月曜日は、第一段階の見極めです。これから、不定期シリーズとして、おじさんバイク小僧誕生までの泣き笑い?を書いていくことにします。先月末のとある金曜日。原付バイク通勤を復活させて、3年ほど。冬と雨はちょっと辛いけど、車の通勤の面倒臭さを考えれば、厚着やカッパを着る方がいいし、夏は風切る涼しさはクーラーより快適で、30分圏内なら迷わず原付を選択するようになってきました。こうなると、30km/hの速度規制がある分、国道では車にかなりのスピード差で追い越される怖いので、いつでももっと大きなバイクをステップアップできるようにバイク免許を取りに行こうかなと考えるようになりました。400cc以下普通自動二輪バイク免許に挑戦するために、30年ぶりに自動車学校を訪問する。しかし、金曜日が休み、残念。すぐ近所のもう一つの自動車学校を訪問したがこっちも金曜日が休み・・・残念。でもこっちは人がいたので、とりあえず聞いてみるかと思い声をかけると、「どうぞ」とのこと。教師風のおじさんと事務のお姉さんが1人いるだけでしたが、大体のことは聞けた。不安に思っていた400ccバイクを起こせるか?体力的に大丈夫か?を聞くと、身長があるから大丈夫、か弱い女性も取れますから・・・とのことで教習所に通うことに決定しました。しかし、ここで問題が・・・入校日が火曜日の夕方からと土曜日しかない。両方とも、もっとも仕事をサボりにくい時間です。30年前だけど自動車学校の経験があるので、入学日パスできないか、あるいはもっと早い時間帯に出来ないか聞くが、どうやらこれは無理らしい。再考することにした。もらってきたパンフレット、特に料金のところを見た。自動二輪小型限定~125ccは、84630円。自動二輪普通~400ccは、116550円。どうせ取るなら~400ccでないと、バイクという感じがしない。でも、教習車両を見ると、125ccと400ccでは大きく違う。その他に、AT限定免許もあるが、やっぱりシフトチェンジを取らなきゃね。普段原付ATに乗ってるので、まず125cc免許を取る過程でバイクのシフトに慣れて、それから400ccにステップアップすることも考えたが、400ccで何度か不合格・再履修をしても8万円も失敗しないやろうと考え、いきなり400ccに挑戦することにした。バイク免許を取ろうと思った動機は、その他にもあります。最近車がATばっかりになり、我が家の車もそうなって、運転が実に面白くない。ワンボックスワゴンで、急発進・急加速もなく、実におとなしく乗ってるのだけれど、シフトチェンジの楽しさは欲しい。小さい方の車はMT車だったのだけど、次男が東京に乗って行っちゃったので、もう乗れなくなってしまった。去年、長男の買った車に乗せてもらったとき、ATとMTと両方ついてる車だったので、いいなあと思った。お手伝いしてる大学ヨット部の部員が、結構バイクに乗ってて、原付、250cc、400ccに乗ってる。今年、OBになったばかりの元部員が、250ccのオフロードバイクに乗ってやってきた。「京都の山、行ってます」という泥んこの雰囲気がいい。山道を走り回ろうとは思わないが、それを見てとてもうらやましくなった。きっかけになった動機は、これですね。信号待ちの先頭から、ギュイーンなんて車をぶっちぎって発信するお兄さんに対抗しようとは思わないが、バイクのエンジン音はかっこいい。むき出しのエンジンなどが、車と違って、マシーンという感じがする。自動車学校に通うようになって、バイク小僧の夢がちょっと膨らんできた。技能教習2日目に、「あそこは40kmまで出して」と言われて、横の車の教習コースの半分ぐらいしかない直線コースで、一気に40kmオーバーまで加速する爽快感と、ブレーキングで一気にトロトロまでスピードを落とせる400ccバイクにちょっと興奮してしまった。子供達も働くようになって、僕のネクストステージに400ccバイクの世界があってもいいかなと思うようになった。いくつになってもチャレンジすることは楽しいことです。
2008/06/28
コメント(2)
北関東まで、親戚の法事に行ってきました。父の兄弟は11人で、5番目の3男です。長女の旦那さんが亡くなりました。母のところに電話があり、「行ってきてほしい」と家内に連絡がありました。関東に住んでいる子供達が親戚に顔を売るチャンスですが、告別式が木曜日だし、親や祖父母が亡くなったわけではないので私が行くことにしました。母の話では埒が明かないので、従兄弟である本家の長男さんに連絡を取り、具体的なことを聞きました。母は、こういうことがあると張り切るのですが、具体性がなく、あれやこれや気がつくと、こっちに言ってきます。それのお相手をする家内は、いつものように参ってます。日に何度も仕事場にやってきて・・・当日の朝、5時に起きて、仕事の段取りをしに仕事場でゴソゴソやってると家内から電話です。「お母さんが、・・・してと、今言ってきたんだけど・・・」かわいそうに朝5時にたたき起こされて・・・「今頃、何言ってるんだろうね。放っといたらいいよ」自分が直接僕に言えないから、立場の弱い家内を使って・・・「だったら自分で行ったらいいのに・・・。長男の私に任せたらいいのに・・・」といつも思うのですが、人に任せられない性格で、困ってしまいます。具体的に動かない仕切り屋さんは厄介です。小学生時代の私に接したように今でも接してきます。毎度のことなので、「僕が行ってくるよ」で後は聞く耳を持たない私が無視するので、立場上無視できない嫁である家内になんだかんだ。家族さえ信頼して任せられない、損な性格をしています。ほんと、ちっちゃな人間です。『弱い物ほど相手を許すことができない。相手を許せる者こそ強いものだ』マホトマ・ガンジー告別式は午後1時ですが、荼毘に臥されるのは午前9時半からです。関西では、告別式後が相場ですが、北関東は反対なのかもしれません。まあ前日のお通夜は、ご遺体があるので、そこで最後の別れができるからね。新大阪6時ののぞみ始発に乗ろうと家を出ましたが、6時の自由席は結構混んでいたので次のにしました。次と言っても4分後に出発するので、ほとんど始発とかわりません。品川まで2時間半。京浜東北線で新橋まで出て、地下鉄で浅草まで。東武電車の特急りょうもう号で館林を目指します。運賃860円に特急券で倍の運賃になります。切符を買ってから特急を待つ間、うろうろ見ていると、特急に乗ると20分ほど時間短縮になるようですが、特急を20分ぐらい待ってるなんて、何してるこっちゃ。特急のホームには、きれいなお姉さんがいてはったり、新幹線のように座席の掃除をしてたりするけど・・・急行にしたらよかったと後悔しました。館林駅に着いてタクシーで800円ほどで葬儀会館に到着しました。親戚は、荼毘に臥した後、焼きあがるまで食事をしながら待っていました。我が家だけが、遠く大阪に住んでいるので、「遠くから・・・」とお相手してくれます。告別式の要領は、地方でいろいろ違うので面白いです。今回は無理だったけど、これからは出来るだけ子供達に我が家を代表する役目を振っていかなければなりませんね。長男を立ててメインにしながら、次男にも経験を積んでもらいましょう。天変地異や大きな不幸で家族の存続の一大事の時、頼りになるのは血縁です。反対にドカンと引き受けることも必要です。親父が、兄弟やその子の就職に口を利いたりしていたことが、私や弟、そして私の子達に影響していると感じます。日頃は自分の家族を守ることばかりですが、「自分の家族さえよかったら」では一家を構える資格はないように思います。そういう行動が、次の代に伝わって紆余曲折ありながらも末広がりの家系を作っていくのだろう。告別式が終わり、すぐにお墓に納骨に行きました。うちの方では四十九日までは、自宅にお骨を置いて、毎週お寺さんにお経を上げてもらいますが、こちらではすぐに納骨するので、告別式の前に荼毘に臥すのですね。納骨の後、大勢で食事です。それが終わる頃、軽井沢のおじさんに誘われて、車で高崎まで話しながら送ってもらうことにしました。1時間ほど、いろんな話が出来ました。高校生の時、おじさんのやってる農場で働いたことがあります。浅間山の噴火直後の春休みでした。ちょうど国鉄のストと重なり、東京から長野に入る電車が走らず、駅員に聞きながら八王子回りで軽井沢まで入りました。「まあ、しゃあないなあ。行けるところまで行って、最悪駅で野宿したるか」と行き当たりばったりで軽井沢を目指しましたが、家では電車の窓ガラスを割る労使衝突ストのニュースを見ながら、私が行方不明で大変だと大騒ぎだったようです。関東の親戚に連絡が回ったそうです。当初の到着予定時刻から大幅に遅れて夜に長野原の駅に着いて、おじさんに電話をしました。すると「今どこや?兄貴が心配しとったぞ。家に電話ぐらいせな」と言われてしまいました。でも、駅に迎えに来てくれたおじさんは、「たくましいなあ」と笑っていました。「こっちはちゃんとなんとかなるからヘルプの電話をしなかったのに、勝手に心配してかなわんなあ」と思って、結局家に帰るまで家には電話しませんでした。あの時は、ほんと面白かった。やっと来た電車の窓ガラスは、たくさん割れていて、座席に落ちてるガラスの破片の掃除をしてから座りました。次の駅からは電車が出るとのことで、1駅分バスに乗ったこともありました。壊れて開閉できなくなったドアをみんなで閉めて出発したり、乗客同士が妙な連帯感でつながりました。雄大な浅間山が、まるで庭のように広大な農場の正面にそびえています。入植した時はそれほど大きくなかった農場は、厳しい気候に辞めていく人の農場を加えて、すごいことになっていました。まだ小学生の長男君は、既に車の運転をこなし、牛に与える干草を積んで走っています。公道だってちょっとだったら平気です。子供だって重要な労働者として働かないとやっていけないこの土地では、警察官も見てみぬふりです。「高校生になってまだ運転できないんか」と言われてしまいました。座布団を何枚も重ねた運転席で運転している小学生の横に座ってるのは、なんか情けなかったです。まあ道もない農場に中を走ってるだけだから、どこにぶつかることもないのですが。このおじさん、うちの親父の弟ですが、外に出る思考が強く親父に性格が似ていました。実家は、歴代村長を出す大きな農家なので、子供には農地を分けて近所で独立させる感じで、近所の家はみんな同じ姓です。でもそれに反発した父は、中卒後農業学校に入り、卒業後東南アジアで独立しようと思っていました。でも赤札で軍人になりました。戦後、ボルネオに残って農業をしようと思っていたそうですが、一旦内地に帰ることになり頓挫してしまいました。おじさんは、戦後県の農業留学に応募し、アメリカの大規模農場で働きました。70を過ぎた今でも、英語は大体分かるそうです。「ヒアリングが出来たら、なんとかなるさ」とのこと。一緒に働いた労働者はメキシコ人が多く、スペイン語とそれに似たポルトガル語も適当にいけます。息子さんもアメリカに留学させ、こっちからの留学の世話を今でもしています。反対にアメリカ人やヨーロッパからの研修生を受け入れ、留学していた頃一緒だったオーナー一家や労働者が日本に来た時は、自宅に招待しているようです。高崎までの楽しい1時間はあっという間でした。おじさんの話では、「軽井沢から東京までだって新幹線で1時間ちょっとだから、すぐだよ。だってここら辺は東京の通勤圏だがね」とのことでしたが、1時間かからずに東京駅に着き、東海道新幹線に乗り換えて2時間半で大阪に戻ってきました。便利な世の中になりました。長野新幹線に初めて乗りましたが、東海道より新しいので、ゆれが少なかったような感じがしました。
2008/06/27
コメント(4)

日曜日の京都の同窓会の帰り、大阪駅で下車しました。法然院電車が遅れたので、家内との約束時間5時をもう20分も回っています。家内からの電話は鳴らないし、不安になってるんじゃないかなあと気をもんでいました。急いで阪急梅田駅改札まで行くと、家内が柱にもたれていました。「御免、遅くなってしまった。電車が遅れてしまって・・・」「いいよ」「電話してくれたらよかったのに・・・」「催促してるみたいで悪いじゃない」ううむ、久しぶりの幼馴染との会話に水を差したくないということか・・・気遣いを感じるなあ。6:30から、ロフトの地下の映画館で「山桜」を観る約束でした。ロフトの黄色いバッグを息子達が持って帰ってくる時があるので知っていましたが、お店に行ったことがありません。場所を聞いてそちらに向かうと、結構駅から離れているのに若者さんがいっぱい歩いて行きます。魅力があるのでしょう。地下に下りて映画館前にくると、係の人が暇そうにしています。数日前に混み具合を問い合わせたのですが、6:30の最終上映は空いているとのことでしたが納得です。上映までまだ1時間もあるので、腹ごしらえをすることにしました。マクドナルドが目の前にあり、久々にマックを食べることにしました。注文の要領がつかめずお姉さんに誘導されながら、ハンバーガー2個と家内はミルク、私はマックシェイクを注文しました。お会計は500円・・・え~と思うような安さでした。席に着いて家内はレシートを確認しています。ミルクが一番高いわ。「ハンバーガー100円だって」と驚いています。私は次男君のヨットの遠征などで、そこまでご無沙汰ではないけど、家内は10年以上マクドナルドに縁がないのではないでしょうか。まだ時間があるので、ロフトの最上階にある「無印良品」でベルトを買いました。2日前にベルトが壊れたところでした。いつもウエストポーチをベルトに通しているので、ベルトの負担が大きいから壊れたのでしょう。決してメタボでベルトをぶち切ったのではないと思います。いや思いたい。「山桜」は大好きな藤沢周平原作で、予告編で見たときに、随分前に読んだことがると思いました。この監督さんは原作に忠実に作っているようで、原作の雰囲気そのままのようでした。う~む、藤沢周平の作品に出てくる主人公達は、潔くって生き方がかっこいい。凛としています。藤沢周平には珍しい女性主人公の作品です。以下、内容が分かる記述です。手塚は、役回りで民の困窮が増していくのを見て、元凶である実力家老を斬り、大目付に自首する。手塚は、かつて野江と縁談があった相手だった。損得で手塚批判をする主人に主人公野江は意見し、暇を出されて実家に戻された。密かに思いを寄せる野江は、家中の者が誰も訪ねなくなった手塚家の様子を伺う。実家の母の許しを得て、彼の帰りを1人で待つ手塚の母親の元に向かい、母親の家事を手伝いながら手塚の帰りを待つ。暗に生涯独り身でもいいと覚悟を決めている野江。手塚騒動で民の生活は楽になり、暗に拍手を送っている家老達は、安易に手塚に極刑の裁きを下せないので、上様の国許への帰国を待って沙汰を願い出ることにしている。やがて再び山桜が咲き誇る春になり、獄中に春の光が差す。上様が江戸から国許に帰ってくる。ここで映画は終わる。にくいねえ・・・この終り方。果たして、ハッピーエンドの結末になるのか・・・。重罪を問われ、野江は独り身で生涯を終えるのか・・・。映画館を出た家内が、「出て来なかったねえ・・・」と。「そうだね。晴れて罪を問われず自由の身になり、みんなの笑顔が揃うとハリウッド映画。スターウォーズの世界だね。あえてそこまで描かないところが藤沢周平ってところかな」言葉が少なく、目や演技が言葉を発する素敵な映画でした。こういう映画を夫婦でゆっくり観れる・・・四半世紀重ねてきた夫婦の年月なのかも。
2008/06/25
コメント(4)

日曜日は、京都に行ってきました。幼稚園の同窓会です。友人は、「幼稚園?」と驚きますが、私立の特殊な幼稚園に通ったので、教育熱心な母親の集まりの関係で、こんなことになりました。内村鑑三さん系のキリスト教独立会派の幼稚園です。なんと大学まであります。小学校の時は、母親と一緒に同窓会に参加し、中学からは自然休会になり、社会人になってから今度は子供達だけで集まるようになりました。教育熱心な親の子ばかりだから、ほとんどが中学受験をし、通学電車などで会ったりしたので、何となく関係が続きました。4才から電車とバスで1人で幼稚園まで通っていたツワモノの集まりです。私が声かけして京都にしました。1学年1クラス全員で15人しかいな小さな幼稚園だったので、同窓会といったって6名集まれば盛況です。今はみんな国内のようですが、九州から関東まで広い範囲で済んでるので、仕方ないですね。今回は3人集まりました。私以外は元少女です。両手に花というところですね。JR京都駅に集合して、銀閣寺参拝して雨が降らなければ大文字火床登山の予定でした。大雨という予報は外れて、傘がいるかいらないかの雨が時々降る程度でしたが、この1週間雨が続いたので、登山はやめにしました。地下鉄で蹴上まで出て、琵琶湖疏水の日本初、世界2番目の水力発電所蹴上発電所からインクライン、疎水に沿って歩き南禅寺に入り、隣の永観堂で休憩しました。永観堂には家内一族が分骨されているので、そのお参りということで拝観料無料コースでした。哲学の道を銀閣寺に向かって歩きましたが、哲学する雰囲気ではなく、しゃべくりで疎水もろくに見ていません。予約していた法然院のところの豆腐屋さんで、昼食をとりました。江戸時代からやってる豆腐屋さんの新しく出来た支店で、1Fは豆腐屋さんで2Fがレストランです。こじんまりしたレストランで、前もって調べておかないと見つけられないでしょう。お品書きが達筆な文字ばかりなので、すぐにお勧めを聞き、2500円のコースにしました。豆腐料理です。いろんな豆から作ったいろんな豆腐があります。最後のデザートまでおいしくいただけました。お店の雰囲気がよく、BGMは何故かジャズです。いい感じで2時間も居座ってしまいました。会計の為に1Fに下りると、元女子大生たちは、無料のおからの袋をしっかり脇に抱え、「これおいしかったわあ」とか言いながら、豆腐をいろいろ買っていました。私のリクエストで法然院拝観です。哲学の道を少し東山側に入る見つけにくい山寺でした。これが幸いして、ほんとに静かです。雨が止んで、木々の間に霧が立ちこめている中に法然院があります。ひょっとして一番いい時に来たのではないだろうか?静かです。続いて東山の定番銀閣寺に回り、修理で白工事ビニールに覆われた銀閣寺を見て、参拝コースにしたがって庭の一番上まで来ました。ここから吉田山・真如堂の森が見えます。銀閣寺の門前お土産屋さん通りを冷やかしながら、タクシー乗り場までやってきました。もう4時前です。家内との約束もあり、タクシーに乗って京都駅まで戻りました。JR快速で大阪を目指します。この快速、この日はとても鈍足でした。関西一・・事故が多い路線なので、またかもしれません。車内アナウンスは、電車の遅れをお詫びするばかりですが・・・親の健康の事、お墓のこと、子供達のこと・・・1年ぶり?2年ぶり?に会ったのですが、「こんにちは、あのね・・・」って、同窓会の始まりのぎこちなさとは無縁の同級生です。また来年かな?
2008/06/24
コメント(4)
ガソリンがどんどん上がっています。170円を突破しています。石油製品全般の値上がりで、あらゆる商品の値段が上がっています。でも、この値上がりの原因の主な原因は、世界中を巡っている投機資金が石油に向いているからのように思えてなりません。現物の石油の売り買いではなく、先物取引市場の売買価格が現実の取引に反映するという、何とも腑に落ちないメカニズムです。石油を買っている投機マネーは、現実にタンカーを手当てして現物を動かすのではなくて、ペーパー上だけの取引ではないでしょうか?価格が高くなれば、売れなくなるのだろうけど、石油製品はあらゆる生活の中に入り込んでいるインフラともいえる商品になっており、買わざる終えない。ニューヨーク石油取引所の少数の会員が値を吊り上げて、売り買いするブローカーやファンドが利益を上げ、ロシア・中東などの少数の産油国にお金が集まる。ほんの一部の巨大リッチと、それに翻弄されて苦しむ大多数の全世界の一般庶民。この構図は、江戸時代、大阪に起こった米騒動、大塩平八郎の乱に似てないか?大正時代、富山で起こった米騒動に似てないか?第1次世界大戦で大もうけした一部の人間が、米相場にお金をつぎ込んで米相場を高くして・・・確かに不作という原因がありましたが、それを材料に投機に走った一部の相場師。電気・ガス・電車料金など、多くの人に影響する社会的インフラ料金が乱高下しないように料金決定システムが備わっている。今回の原油の値上がりは、需要対供給の問題と片付けられるものだろうか?いつか原油バブルは崩壊するはずと、思ってるのですが・・・
2008/06/23
コメント(4)
先週、ヨットの上で撮った家内の写真とホタル狩りに行ったときの写真、それに母の日プレゼントにもらった鉢植えの蘭が満開になった写真を、家内への定期PCメール「昼間だけ遠距離」に添付して送りました。その夜、家に帰ると家内が次男へのメールを書いていました。それに今回の写真を添付して送りたいとのこと。操作を教えて、家内がゴソゴソやってます。写真をじっくり見て、「この写真はブスに写ってるからダメ」などとボツにしています。以前お笑い番組でやってた、写メールでかわいく撮るテクニックを披露しておきました。「斜め下から見上げる感じにする―目が大きくなり、あごが細く写る」「真正面ではなく、少し斜めにする―顔が細く写る」それと、「そう?綺麗に写ってるよ~」とか言葉のフォローを付けておきました。夫婦なんだから、何でも包み隠さず、全てをさらけ出して・・・なんていうのもあるでしょうが、やっぱり「おなら」はNGですし、トイレの音が聞こえる場所にいるのもNGだと思っています。中学生の頃だったのだろうか・・・万葉集の勉強で出会ったコノ作品。教科書に載っていたのか?先生が好みで解説したのか?クラスメイトが質問したのだろうか?その辺はもう忘れてしまいましたが、この解説が妙に頭に残りました。数日前、NHK教育TV『視点・論点』を見ていたら、万葉集の解説があり、ソレが出てきました。『恋ひ恋ひて』ここが、少年の心にストレートに甘美に届きました。「絶対コレやったぞ」そんな年頃でした。「懐かし~。コレやったなあ」と少年時代に聞いたあの解説が蘇りました。早速調べてみました。『恋ひ恋ひて 逢へる時だに 愛(うるわ)しき言尽してよ 長しと思(も)はば』大伴坂上郎女解説:「恋しくて恋しくて やっと逢えたそのときは くりかえしくりかえし愛してると言って ずっと私といたいなら くりかえし くりかえし 君だけと言って」先生に教えてもらったのは、当時は母系家族であり、女性が家を持ちそこで殿方を待ち、男性は、今日はこっち、明日はあっちと、様々な女性の待つ家を渡り歩き、居を移す。(オオ~)コノ詩は、たまにやってくる殿方を想う気持ちを詠ったもので、『恋しいひとよ 逢えるときは 愛しい言葉ばかり言ってください 長く想ってくれるなら』のようなことを習ったような。一人の人と長く一緒にいたいなら、相手への本当の気持ちをストレートに言うのではなく、うそでもいいから美しい・やさしい・いたわりの言葉を言うことだと言ってました。「そうか、僕もそうしよう」と、男女の機微など何も知らなかったのに、マセタことを考えていました。これからも続けますよ。「今日は一段と綺麗だね~」「何着ても似合うね~」「どう見ても20代だね~」「調子のいいことばかり言って」とか「どっちがいいか聞いてるんだから、ちゃんと考えよ~」とか「当てにならないんだから~」なんて言われ続けて行く年月。先人に学ばなければなりません!僕は万葉集の勉強で、唯一学んだものがコレかもしれません。今更、別の言葉を言えるもんですか・・・ちょっとその反応を怖がっているのかも・・・歯を浮かし続けますよ~!
2008/06/21
コメント(4)
また、あのお客さんが来られた。多分20代、もう何年うちをごひいきにしてくれているだろう。ありがたいお客さんです。でもなんかいつも・・・この方が来られると・・・なんかむなしくなってしまいます。お母さんは離婚されたのでしょう。水商売をがんばっておられます。たぶん、お子さんと2人でがんばってこられたのだと思います。お子さんは、お店で使うようなものを買いに来られます。今は随分増えたけど、いつも「袋は要りません」と包装を断られる。お会計金額を言うと、「ちょっと待ってください」と言う。お金を出すのに少し時間がかかると、また「ちょっと待ってください」。ゆっくり待ってるのに、なんかこちらが「早くお金を出せ」とせっついているような気持ちになってしまうので、最近は手に届く商品をちょっと動かしてみたりしてじっと待たないようにしている。清算が終わり「もういいでしょうか」と私に確認してから、商品を持たれて帰られる。毎度このパターンの繰り返しで、10年近くなると思います。いつもマイバッグをお持ちなのだけれど、たまたまお持ちでない時買い物が多くて袋に入れようとしたら、「入れないでください」ときつく叱られた。「もういいでしょうか」の後、私は「どうぞ」と言うまで手に持とうとしない。とにかく徹底している。焦っている時だと思うのですが、「あ~遅れる~」とか小声で言いながら、慌てて手を動かしたりされるので、どうもこっちが落ち着かない。最近はお子さんが来られるのが増えたが、以前はお母さんが来られていました。そのお母さんも、「袋は要りません」ときつい目をして命令するような口調で言われる。ECOをキーワードに、徹底的すぎる、過激すぎるどこかのおば様に似ている。そういえばこんなこともあった。このお母さんがうちに来られ始めの頃。私が接客中のとき、そのお客さんの後ろで待たれた。手に品を1品だけ持っておられ、レジだけで済みそうだったので、「あちらにどうぞ」と別のレジカウンターを示した。「・・・」。あれ、聞こえなかったかな?と思い、もう一度言った。「ここで待ってますから」ときつい目線。そのまま先客の接客をしている間、示したレジカウンターではお2人のお客様がお買い物を済ませました。「あちらにどうぞ」とはもう言えない雰囲気で、お母さんも意地で待ってる感じがする。やっとこ終って、お母さんの番です。「大変お待たせいたしました」と頭を下げてからレジをするが、終始無言・・・それから、どうも苦手です。臨機応変とか、適当にとか、笑いでごまかすとか、そういうのは大切なように思う。一生懸命正直に、真面目に暮らしているのはヒシヒシと感じるが、自分に厳しく、周りに厳し過ぎるように思う。多くのお客様と日々接していると、いろんな親子を見ることができる。「この親にして、この子あり」がよくわかる。「子は親の鏡」とはよく言ったものだ。知らず知らずのうちに、親の行動や言葉が、子供を大きくデザインし、行動を制限し開放していると思う。「袋はもったいないから、もらわないようにしようね」が、「なんで袋に入れてもらったの(怒り)」になってしまってら、制限し萎縮させ自分で考えない人間をデザインしていくと思う。私は、こういうとき、親に文句をいい、反発し、喧嘩したので、親子のいろんな関係を考える人間になったけど、この方はたぶん考えることに諦め、お母さんの言うとおり動く道を進んだのだろう。二十歳を過ぎているのに、自分で働くこともなく、未だに親の後ろにくっついているようなお客さんが何人かいます。ちゃんと1人で買い物も出来るし、普通にみえるんだけど、自立していないというか、自立しようとしないというか、そんな雰囲気が漂ってくる。こういう方の親御さん・・・大抵はお母さんは、ほぼ命令系の言葉使いをなさる方です。「うちの娘は情けなくて・・・」とか自立しないお子さんを卑下なさる言葉が時々出ますが、私には出来ないことや失敗を叱って、自分への自信を喪失させているように見えてならない。自立させないようにしているように見える。自分に自信がないのに、自立できないと思う。自分の遺伝子を半分持ったわが子なんだから、飯を食わせていたらちゃんとした大人に勝手になると、わが子に自信を持てないのだろうかなあ?今回のご来店、珍しく親子で来られた。息子さんは何も言わず、黙って荷物持ちをしている。「袋、要りませんから」「ありがとうございました」と私が言うと、商品を息子さんに渡し、息子さんを引き連れて帰られた。なんかなあ・・・
2008/06/20
コメント(4)
我が家が、母からアジサイの花瓶攻撃を受けていることを書きましたが、その後の動きがありました。まず、我が家の食卓に飾ってある花瓶の中身が突然アジサイに変わっていました。母が、僕らが留守の昼間、家内が庭から取ってきた花を捨てて、アジサイを飾ったようです。ポロポロと花粉のような銀色の綺麗な粒が食卓にいっぱい落ちるのが気に入らず、2日目には、家内がアジサイをゴミ箱に捨て、花瓶自体を隠してしまいました。しかし、父の仏壇の前にあったもっと大きな花瓶を母が持って来て、また食卓に置いてありました。家内のPCを開ける場所だったので、家内が私の食べる場所にPCを避難させました。おかげで私はアジサイの横で食べることになり、銀色の粒々の食卓になってしまいました。翌朝、アジサイは再びゴミ箱行きになり、母の家から遠征してきた花瓶は綺麗に洗われて、母だ出入りする勝手口に置かれています。次の日の朝も、まだ花瓶はそのままです。ここまで、前回報告しました。これで我が家の花瓶戦争も終結だと思っていました。そして次の日、つまり昨日の朝、目が覚めてゴソゴソしていると、勝手口を叩く音が・・・母です。家内が応対し、なにやら楽しそうに話しています。いつもの嫁姑の会話の雰囲気です。寝ぼけ眼で階下に下り、勝手口を見ると、母の花瓶に見事なアジサイが・・・思わず笑ってしまいそうになりました。が、ここで笑ってはいけません。第三者の立場ではダメで、母寄りはもっとダメ、母に突き返したらいいと全面対決の提案は最悪です。サザエさん家のマスオさんの立場でいないと。狭い我が家をうろうろし、「困ったねえ、玄関に置いておく?」と家内に提案しました。「・・・」うそ無言・・・「また食卓に置いとくわ」と元気のない言葉が・・・母は、典型的な自己中人間で、自分の考えが誰より優れていると思っています。そしてそれを押し付けます。でも、悪気があるわけではないのです。いろいろ深く考えているわけではなく、単純にそう思うからそうするだけなんです。単純に「アジサイが見頃だよ」と息子夫婦に教えてあげてるんです。「食卓に飾ったら、いい気持ちで食事が出来るよ」と親切心でやってるんです。でもまあ余計なお世話なのですが・・・家内が花瓶をしまっても、何故アジサイが没にされ、花瓶をしまったのか考えずに、「じゃあうちの花瓶を持ってきたげよう」なんです。続いてアジサイが没になっても、何故そうなったかは考えません。万事がこれだから、父も私も家内も振り回されてる続けてきました。父と言う喧嘩相手を失って、矛先が我が家に向かってきてるのが、ちょっとかないませんが、私も子供の頃からのバトルで、母がよくわかりいなすコツが分かりました。母の言うことが違うと思っても、反論せず全面対決を避けると、しばらくすると母は忘れてしまいます。忘れっぽい性格は以前からで、1週間前に言った言葉と全く逆の意見を堂々と言い出したりしてたまげますが、「前、逆のことを言ってたよ」なんていっちゃダメです。「そう」と一言いなして、「どうせ本気じゃない」と悟ってさえすれば、その通りになり腹も立ちません。家内はもっと上手で、「そうですよね」とニコニコしながら、その場は話を合わせて母を気分よくさせます。後ろ向いて舌を出してると思います。さあて、無言のモーションにも何にも感じない母に、元気をなくしてしまった家内ですが、今度はどうするのでしょうか・・・ちょっと楽しみです。という感じで、昨夜家に帰りました。アジサイは、母の持って来た花瓶に入って、食卓に飾られていました。家内のPCがなくなっていたので、どうしたのかと聞くと、2Fに持って上がったそうです。もう使われていない長男か次男の部屋の勉強机の上にでも移動したのでしょう。庭のアジサイの勢いがなくなるまで一時避難のようです。ところで、母の家にはアジサイが飾られていません。これがまた不思議なんだよなあ・・・自分も飾ればいいのに・・・どういう考えをしてるのか、息子ながらようわかりません。
2008/06/19
コメント(4)
日曜日、ヨットレースから帰ってくると、家内が既に戻っていました。まだ5時で、家内とのデートは7時です。8時から「インディージョーンズ」を観にいく約束をしていました。まだ時間があるので、スーパーに買い物に出ました。この日一緒に乗っていた先輩も奥さんと神戸の映画館に観にいくと言ってました。ジョージルーカス、スピルバーグ、ハリソンフォードのこのシリーズは押さえとかなきゃね。今まで同様面白い作品でした。1作目に出てきたヒロイン(確か考古学の重鎮の娘だったような)がまた出てきて、彼女には息子がおり、なんと彼は2人の子供でした。父親譲りというか祖父譲りの破天荒な行き当たりばったりの行動が、面白い。インディ同様、親父と同じ名前が付けられており、「ジュニアと呼ぶな」とインディが父親に言っていた台詞を息子から言われていました。ハリソンフォードも、60歳を過ぎており、次のシリーズは、今回登場した息子に引き継がれるのかもしれません。家内と一緒の洋画は、日本語吹き替え版を観ます。外人はみんな同じ顔に見えて区別がつかないそうです。「面白かったなあ」と聞くと、「何かよくわけがわかんなかったけど・・・」とのこと。う~む、確かに、今までのシリーズ作より展開が早かったかもしれない。
2008/06/18
コメント(8)

日曜日は、朝庭の掃除をして、3人乗りヨットの月例ポイントレースに参加しました。お隣さんに鉢植えでもらったハナショウブが咲き始めました8:30にハーバーに着きましたが、もう艤装を始めている艇が多数で、うちが一番のんびりしているようです。まず、最近ちょっと気になってる係留艇の方に行きます。バッテリースイッチを入れ、キーをスタートに回すと、ピー音の他にキュルキュルという異音がまた出ました。10秒ほどで異音が消え、それからスターターボタンを押せば普通にエンジンがかかるのですが、どうも異音が気になります。1週間ほどエンジンを回さないと異音が出るようです。異音が出るようになってから1ヶ月ほどです。素人治療は、大怪我の元なので、専門家に点検をお願いしましょう。陸上のレース艇バースに戻り、艤装を始めます。この船に乗るメンバーは誰も来ていないので、1人で艤装開始です。船が変わって2回目の乗艇で、この船が、まだどういうシステムか把握できていないので、1人でやるといろんなことが頭に入ります。桟橋に降ろしセイルセットをしていると、お隣の大学の監督さんのクルーザーがクレーンで降ろされてきました。日頃は桟橋係留なので、船底塗装をしていたのでしょうか。監督さんに聞くと、近畿地方のインターハイ予選で、うちの次男の母校S高校ヨット部父兄をたくさん乗せて観戦に向かうようです。監督さんの息子さんも、次男同様S中学からS高校に上がり、1年生です。ジュニア上がりなので、3年生にいるジュニア上がりとともにもうエースです。土曜日の結果を聞くと、予想通り私の母校ヨット部と次男の母校S高校ヨット部の優勝争いになってるようです。天気予報では、朝9時N5m/s、12時N1m/s、午後3時S3m/sという予報でした。午前中にNで1レース、長い風待ちの後、1時から軽風で2レースというとこかなあと予想しながら、N3m/sを受けて沖に出ます。今日のポジションは一番前のクルーです。定刻にJ24に続いてスタートです。北風なので、左に出してハーバーからのブローを拾いながら走るか、右に出して左のブローが切れた時、右からの安定した風で寄せるか2択です。当艇は左を選択し、一番左の位置からスタートしました。いい感じのスタートでしたが、どうもスピードが出ません。「何かおかしい」といろいろコントロールロープをいじくって、スピードが出てきた時には、トップ艇に5艇身のビハインドになってしまいました。気まぐれな北風(陸風)なので、強弱や風の振れによって、一時「トップ艇を捕らえられるかも?」から5位まで、めまぐるしく局面が変わり、楽しいレースになりました。結局4位でした。風が落ちて行ったので、コース短縮になりましたが、それでも1時間半のレースでした。昼食を摂りながら、安定した南風(沖風)が入って来るまで、バカ話をしながら風待ちです。S先輩のお嬢さんが北海道で結婚式を挙げ、M先輩も出席したようです。新婚さんは大阪に住み、新郎さんの実家があるわけでもないのに、なんで北海道で結婚式を挙げるの?「北海道観光したかったから」ということでしたが、ほんまかいな?話題の旭山動物園の見学記を聞かせてもらいました。オラウータンは、雨を嫌うそうで、雨が降ればほとんど動かないそうです。S先輩は、花嫁の父なので、バージンロードをエスコートする大役がありますが、夜店で売ってる怪しく光る発光物(子供が腕輪状のものを付けて走り回っています)バッジを胸に付けて登場したそうです。さすがに神父さんに事前OKをもらったそうですが、外人さんの神父さんが、本番に実物を付けて登場した神父の父に、「オ~」と大げさに両手を天に向かって広げて、おったまげていたそうです。「受けたぞ」って。家族はもうこんな親父に慣れているので、どうも思わないのでしょうが、新郎のご両親はどう思ったのでしょう?「しまった、早まったか」まあ、新郎側は、息子が連れてきたのだから仕方ないですわなあ。「あの神父なあ、ほんまに神父なんかいな?ノバのバイトとちゃうか?外人さんやったら誰でもOKなんちゃうか?」なんて、私も思っていたことを言ってはりました。弟君も来年結婚するそうで、お相手は隣の学校の私も知ってるヨット部員でした。彼が学生時代から、付き合ってると知っていたが、そのままゴールインのようです。息子の父親ということは、披露宴の最後の挨拶をすることになるのですね。今度はどんなアイデアを実行するのやら、楽しみです。「お嬢さんの生涯の一大イベントに、ぴかぴかバッジでエスコートとは何すんねん」と思いながら、大阪人として尊敬してしまいます。吉本興業のお膝元の大阪人は、こうでなくてはいけません。参列者のハートをわしづかみしたでしょう。良い印象かどうかは別にして。披露宴は、最初から和やかになったのは容易に想像できますがね。結局、いい風が入って来ず、この日のレースは1レースのみでおしまいになりました。ハーバーに戻っていると、弱い風が出てきたので、学生達が出てきました。隣の大学のレスキューも出てきましたが、なんと、Sさんの息子さんのお相手さんが乗っていました。コーチに来たんでしょう。すれ違う時、思いっきり笑いかけてやると、後ろに将来の義理父が乗ってるのを見つけ、極秘時効が伝わっていると分かったのか、照れくさそうに笑っていました。すれ違ってから彼女の方を見ていると、義理父に小さく手を振り、Sさんも振り返していました。中々いいですね。着替えてヨットクラブのウェットバーに寄り、各艇のメンバーが適当に集まっており、ワンセグ携帯で阪神ロッテ戦を見ていました。ワンセグ携帯でTV見ても、ほんまにただなんやろうか?家内との約束の7時には早いけど、5時ごろ帰宅しました。朝は4つ咲いていたのですが、5つ目も咲いていました。
2008/06/17
コメント(6)

日曜日は、月例の3人乗りヨットのポイントレースでした。11時スタートなので、ハーバーを10時出艇、9時に着けばOKです。8時過ぎに家を出ても間に合うので、目覚ましなしでOKです。いつものように7時前に目を覚まし、庭掃除です。小さな庭なのに、植物はどんどん伸び、生活道路を侵食していきます。アジサイが背の高さより高く伸びています。ここにもアジサイ4箇所もアジサイが咲いています。土質や日当たりの違いでしょうか、ブルーの集落、ピンク集落、混合集落とあります。でもアジサイはやはりブルーが一番だと思います。ピンクはどうも色に深みがありません。 先週刈った草をゴミ袋に入れて、ゴミ出しの日の準備です。この時期、我が家の庭はアジサイが一番の勢力です。ほっといても育つので、我が家向きだということでしょう。このアジサイを巡って、我が家で密かな戦争が勃発しています。トイレや玄関に花が飾ってあるのですが、食卓に飾ってあるものが問題を引き起こしています。いつも、家内が小ぶりの花瓶に、適当に庭の花を取ってきて飾っているのですが、母が昼間僕らが留守のときに、アジサイに変えてしまいました。「アジサイが綺麗だよ。しっかり観てね」という母の言葉が見えそうです。ブルーのアジサイで綺麗なのですが、銀色の小さな種のようなものがたくさん落ちます。それが食卓にいっぱいです。家内がPCを広げる場所なので、それに当たって、もっといっぱい・・・家内は、アジサイを捨てて、花瓶までしまってしまいました。すると翌日、父の仏壇の前に花を飾る大きな花瓶がやってきて、その花瓶の大きさに合うように前回の倍くらいの綺麗なアジサイが飾られていました。もちろん種みたいなものもたくさん落ちています。「あら、どうしたの?アジサイが綺麗だから見てったら。ほらもっと」と母が言ってるようです。家内のPCは非難して、私がいつも食べる所に場所に来ています。私の食事場所は、アジサイの横ということになり、綺麗なのですが近すぎます。種みたいなのが食事に入りそうで・・・次の日の朝、食卓にはアジサイがありませんでした。多分ゴミ箱行きになり、大きな花瓶は、母がいつも出入りするお勝手のドアのところに、綺麗に洗われて置かれています。ううむ・・・無言の戦争です。「僕が、種みたいなのがいっぱい落ちて掃除が大変だから飾らないで」と言おうか?とも思うのですが、こういう全面対決は家内が好みません。「何も言わないでいいの」がいつもの台詞なので、ただ笑っていることにしています。さて今夜、食卓の上はどうなっているのでしょうか?
2008/06/16
コメント(4)
毎晩家に帰ると、玄関の靴を表向きに揃えるのを日課にしています。大抵私が最後に戻るので、みんなの靴を揃えることになります。以前は、なんでこんなに靴が出てるの?状態の日もあったのですが、最近は家内のとスリッパ、それに私の靴の3足だけです。最近の家内の仕事靴は、足首まである黒の靴で、ファスナーで閉めるタイプです。これは、2人でうろうろしている時に買ったものです。それ以前は、ちょっとかわいいテニスシューズなんかを履いていましたが、新しい靴は、普段の休日に履く靴とよく似ています。普段の休日靴は、義理母からのお下がりです。母が亡くなって実家から持ってきたものです。それを履いている家内を見ると、なんかこういうのいいなと思ってしまいます。衣装道楽の母の形見をたくさん持って帰ってきて、履いたり着たりしています。単に「もったいない」というだけじゃなくて、母も一緒にいる感じがし、とても大事にしている感じがします。20代の頃、高校ヨット部の1年先輩が外洋レースで落水し亡くなりました。その時、若くして未亡人になってしまった奥様から、靴を形見にもらったことがあります。少し大きかったですが、当時随分履きましたが、それを履くたびに先輩を思い出しました。もう靴底が減って履けませんが、まだうちの靴箱に入っています。仕事靴を買うとき、また前と同じような靴を買うと思っていたのですが、「今度は母さんの靴みたいなのにしようかな?でも母さんみたいに高いのじゃないよ」と、いくつか選んでいました。紳士靴など見ながら時々家内の方に行って待っていたら、最終候補を3足に絞って、「どれがいいと思う?」って聞いてきました。底にエアクッションが入っていたことも選ぶポイントになりましたが、形見の靴に一番似ていたのが一番のポイントにして「これがいい」と言いました。すぐにそれの足に合うサイズを店員さんに出してもらって買いました。「当分、洋服買わなくてよくなっちゃった」とか、「すごく履きやすいの」なんて言いながら、母親のものを身に着けている家内は、なんかいいです。結婚してからも母親と一緒に買い物に出かけたりしてたし、今までだって十分衣装持ちで、長男の部屋や次男の部屋の衣装ダンスも、家内の衣装の方が多いです。「母さんを身につけたい」娘心を感じます。
2008/06/14
コメント(0)
先週、ちょっと大変なことがありました。「あのね、変な電話がかかってくるかもしれないから聞いてね」と仕事中に家内から電話が入りました。お互い仕事中は接客の邪魔にならないように、FAXでのやり取りなので、緊急のもののようです。またストーカーのようです。まあ不特定多数のお客さん商売なので、軽いものならよくあります。花束を持ってお付き合いを迫ってきたり、家に帰る時間を外で待っていたり。今回の人も適当にいなしていたようです。でも「車に乗って」とか言われるようになって、きっぱり断ったそうです。それで今度は、腹いせに「写真を買え」と言ってきたそうです。卑怯にも電話で(声で誰だかわかったそうですが)。「旦那さんに言うよ。あんたが浮気してるのは、ご近所はみんな知ってるよ・・・写真ばらまくよ・・・」と、どこかのドラマのようなことを。「これなんですか。恐喝ですか?立派な犯罪ですよ。どうぞ主人に見せてください。現在も警察に相談してますけど(本当はしてないけど)、今度言ってきたら通報します」と強い口調で、きっぱり言い切ったそうです。その後あまりいい生活をしていないご近所の方が来られて、「知り合いがね・・・僕が止めてあげますよ・・・」と言ってきたそうです。家内はえらい怒ってました。反対に私は静かに聞いていました。何も言わずに聞いているので、「あなた、聞いてる?」と聞かれちゃいました。家内の話を聞きながら、頭が冴えてきて、「ICテープレコーダーを家内の胸ポケットにでも入れといた方がいいかな」などと、次の策を考えていました。「よっしゃ来い」と闘志が湧いてきました。グルですね。古くからのご近所なので、生活の足しにと、屋根の修理や、ちょっとした修理の仕事を振ってあげてるのに。お嬢さんの相談に何度乗ってあげたことか・・・最低な人間です。だいたい僕は、家内のどんな写真を見せられたって動揺しません。結婚する時、家内に過去も写真やラブレターなど捨てずに持ってくるように言いました。だって、過去のいろんなことがあって僕を好いてくれたのです。元彼が家内を訪問してきた時もありました。東京に転勤になるのでと「デートに誘われた」こともあって、そのとき「行っといで」と言いました。一度、結婚式の披露宴をするホテルで出くわしたことがある彼です。家内が行ってもいいと思うならいいです。女性は誘われるもので、それで美しく輝くものです。それだけ素敵な女性だということです。僕は今までもこれからも、家内を丸ごと受け止めます。家内は、絶世の美女というわけではないけど、相手の話をゆっくり聞く聞き上手です。モデルさんみたいに近寄りがたい美女だと反対にいいのだろうけど、まあまあなとことかわいさがあるので、なんか惹きつけちゃうようです。まあ僕もそうだけど。家内は一線を越えると、ドンと度胸が座るので、日頃と違う家内の態度に最低さんも予想外の展開に驚いたでしょう。「変な写真、見せられるかもしれないけど、抑えてね」と家内に言われてしまいました。どんな写真か知らないけど、どんなものでも私が家内を責めることをしないけど、家内を庇って相手に対しては相当言うのを知ってるからです。卑怯な弱いものいじめに対しては、小学生時代の喧嘩っぱやい私が戻ってきます。長男が中学で担任先生の授業ボイコットをしていた時、「お父さんは絶対に面談に来ちゃダメ」と長男から言われたのも、その性格を知っていたからです。平気で長男を侮辱する言葉を投げかける担任と、私が喧嘩するのを予想できたからでしょう。「あなたが行ってたら喧嘩してたわ。成績が落ちただけで、人間性まで否定することを言うのよ。私だってもう少しで反論するところだったもの。あの子は何を言われても、口を結んで下を向いていたわ。ギリギリの所で我慢してたのよ。偉いわ」と個人面談に行った家内から聞きました。結局この先生は2年後退職なさいました。表向きは塾をするからということでしたが、長男のようなクラスのトップクラスから準トップに落ちたぐらいでひどいことを言う人だから、多くの保護者から批判が噴出したのでしょう。どんなに出来の悪い子だって、面と向かって人間性を否定されたら親は激高します。またそうでなくちゃ、親としての資格はないです。「大丈夫。僕はどんな写真見せられても大丈夫だよ。いつでも死ぬまで味方だから」と言い、次何か言ってきたら警察に通報することにしました。もし最低さんが、私に何か言ってきたら、警察に通報し、町内会などに事の次第を連絡し、ご近所から出て行ってもらうように動くつもりです。たとえどんな写真でも、そう動きます。近所にばら撒きたいんだったら、そうすればいい。家内を絶対に責めません。家内を守ってみせます。そんなことしたら家内から帰る家を奪ってしまいますし、私自身が、もっとも嫌う「弱いものいじめ」をする人間に成り下がってしまいます。それで怪我をすることになっても、子供達に親父の生き方を見せることができます。肉体は痛んでも、心は言葉に乗って生き続けます。これは性分だから仕方ない。自分が嫌に思う自分より、痛んでも自分を好きでありたい。たぶん家内もそういう僕を好いてくれたのだと思う。そうでなくちゃ、家内のような人が僕のところに来るわけがないです。その夜は少し早く仕事を切り上げ帰宅しました。家内はいつもと変わらない様子です。こういう時、男勝りの芯の強さがあるので、安心です。予想外に怒った家内に、またちょっかい出してくる度胸は、最低さんにはないでしょう。そして男である私に、写真を見せに来る度胸もないはずです。弱いものいじめする最低な人間は、強者に対しては何も出来ません。腕力はなくても度胸の座っている者は強いです。1週間経って、音沙汰ナシです。グルの最低さんが集まって「あそこはあかんわ」と諦めたのでしょう。
2008/06/13
コメント(6)
スピード社の水着、レーザーレーサーが話題になっています。先日の大会で、この水着着用の選手が、世界新はじめ日本新記録が続々誕生させるのを見て、これはすごいなあと思いました。いつだったか、鮫肌水着がオリンピックを席巻し、短パンと相場が決まっていた男子選手が長ズボンタイプのを着ているのを見て驚いたことの再現です。アスリートは、トレーニング・食事・サプリメントなどで科学的肉体改造をし、マテリアルも科学的根拠を持って変化させる。私のやってるヨットは、マテリアルの差が大きく成績に現れる競技だと思う。だから、細かいチューニングを風速や波の大きさごとに試し、ノートしていた。このノートさえあれば、すぐにそのコンディションに合わせた自分のベストセッティングが出来るし、ノートする段階でどんどん頭に入っていくので、ノートなどなくとも各チューニング箇所の数字が蘇っていた。1%スピードアップできれば、100m走れば1mのアドバンテージを得られる。ヨットではこの差は大きい。相手艇の前に出れば、相手艇の風を奪うことが出来、1mの差ではなくなる。有利にコース展開でき、反対に1%アドバンテージ取られれば、リスクの大きなコース選択を強いられ、たいていはもっと大きく負けることになる。レース艇は練習で使わず、レース前になると、水の抵抗を減らすために、目の細かい水やすりで船底を磨いたものだ。「全くのツルツルより、適当な滑らかな凹凸があった方が、小さな気泡が船底を覆い浮力を増す」とか、「ワックスを掛けると撥水性が増し、浮力が増す」・・・いろんなウワサが耳に入って来るたびに試したものだ。これも、ヨットの楽しみでした。子供の船のセッティングをしていた時は、明らかに私のマテリアル選択ミスで失敗したレースもありました。申し訳ないことをしました。マテリアルの恩恵と最も遠いところに位置すると思っていた水泳までが、これだけ変わるのであれば、陸上競技にだって大きな変化が出そうです。レーザーレーサーは、NASAの協力を得て開発されたそうで、着るのに他の方の手を煩わせながら30分もかかる選手がいるそうです。強力に締め付け、身体を細くし水の抵抗を減らす。陸上競技でも、レーザーレーサーを着てもっとスリムにすれば、スピードが増すのかもしれない。「すごいんだなあ」と感心していると、ある事実に思い当たった。「そんなの随分前からやってたじゃない」レーザーレーサーは、身体をガンガンに締め付けて、バスト5~6cm、ヒップ2cm、太もも2~3cm細くするという。ウン? どっかで聞いたような?思いつきました!『女性用矯正下着』『女性用矯正下着』なんて、レーザーレーサーの比じゃないだろう。「こらっ、詐欺や!金返せ~」という男子の(怖くて言い出せない)心の叫びを聞いたような・・・数十万する本格的なものじゃないですが、普通に売ってるものでも多少は変わります。一番分かりやすいB方面ですが、家内に「どう?違うでしょ」と言われて、「ほんまや」と思ったことが一度や二度ではありません。私はスレンダーな方が好きなので、ついていくようなことはありませんが、街中で「うそっ」という人に出会うことは時々以上あります。数年後、日本水連のスポンサーに『ワコール』や『トリンプ』が並ぶでしょう。そして『ワコール』なら、レーザーレーサーの無機質の機能美に、フリルはないだろうけど、花柄を追加するでしょう。『トリンプ』のそれに対抗してヒョウ柄を出すはずです。北島康介が、花柄を身につけ、これは一石二鳥と思ったおばさんが、午後のスポーツジムでヒョウ柄に身を包み、プールでウォーキングをしているでしょう。
2008/06/12
コメント(2)

昨日の日記の続きです。20分ほど走り、中国道に入ります。高速クルージングに入ったので「現地に近づくと分かるから、シークレット・ツアーを当ててね」と言うと、「ホタル」と一発で当てられてしまいました。初めて行くところなのに、「西脇、日没後」だけで分かってしまったみたいです。四半世紀も夫婦やってると、私の考えることなどお見通しなんでしょうね。時間調整の意味も兼ね、赤松PAに停め、トイレ休憩です。壁に貼ってあったポスターに書かれていた「名物卵まるごとプリン」に目が留まったようです。「ねえ、あれ食べない?」『いいよ』椅子に腰掛ける時、横のたこ焼きが目に留まり、本日の夕食はたこ焼きに決定。久しぶりのたこ焼きはうまいです。そしてメインイベントの「名物卵まるごとプリン」です。ちゃんとした卵の殻に入り、何処にも割った形跡がありません。ゆで卵そのものです。2つに割って添付のシロップをかけて食べるようですが、机の角に当てて力を入れるとグシャって殻がかなり粉々に・・・「ゆで卵みたいに殻を剥くんじゃなくて割るんだよ」と笑っています。いびつですが何とか割り、シロップをかけると、少し硬めの普通のプリンでした。「名物にうまいものナシ」と達観したような台詞を吐いている家内に、もう一つの「名物赤松コロッケ」を買おうと提案しましたが、あっさり却下されました。『でもコロッケは絶対うまいよ』「さっき生協さんで、コロッケ買ったもん」滝野社インターを下り西脇市に入ります。家内の料理学校時代の友達の家の前に来ました。お寺も併設の幼稚園も、子供達が小さな頃、イチゴ狩りとか芋ほりとかで来た当時そのままです。「あれ、彼女が乗ってる車かなあ」弟と同じゴルフが駐車場に入っています。「何かお土産持ってくれば良かった」としばらく車を停めて見ていましたが、寄らずに目的地に急ぐことにしました。途中からGPSが地図上の道と少しずれて、何もないところを自車が走っています。右手の川の方に、車が数台路上駐車しています。それらしき小屋もあります。そこに車を停め小屋に行くと、ホタル愛好会のホタルマップという看板が立っています。細い人工河川があります。しばらくぶらぶら歩き、車に戻って当初の目的地「双葉小学校」まで上がることにしました。この小学校から下流の公民館までが一番多いところと紹介されていました。小学校横の路肩に路上駐車して川を見ると、一面草に覆われています。「いかにもホタルがいそうです」川の横の幅3mほどの道は、車が入らないように赤三角の車避けが立っています。すぐ横に小さな水門に下りる階段があり、日没までそこに座って待つことにしました。7時過ぎに日没になったようで、どんどん暗くなっていきます。街灯はまったくありません。まだ白い空を見上げていると黒く見えるホタルが飛び始めました。ホタルは甲虫なので、カブトムシのように硬い殻を広げ、その下の薄い羽で飛びます。ホタルに間違いないと思うのですが、光っていません。どんどん飛ぶ数が増えていきます。道の入口に車が停まり、「ホタル愛好会」のジャンパーを着たおじさんがやってきて、階段入口に置いてあった机の上に何かを置き、20mぐらいごとに道端に立ってる箱の中のろうそくに火を入れていきます。その周りだけぼんやり明るくなり、道を照らします。机の上の箱を見に行った家内が、「ホタル募金だって」。早速本日のホタル募金第一号になっときました。いよいよ暗くなってきました。日曜日のイベントにはちょうど適当と思われる人数が、パラパラと道を入っていきます。カップルと家族ずれがほとんどです。「僕ら2人は、はたしてどっちなんだろう?」戻ってきた愛好会のおじさんが、「ここは道路を走る車の光が入るからあまり見えないよ。もう少し下ったあたりからたくさん観えるよ」と教えてくれました。お礼を言いながら川沿いの道を下り始めると、30mも下ったところで「ほわ~ん」と光りました。「あ、光ったよ」と家内が言うと同時に、あっちでもこっちでも光りだしました。7時半ごろです。写真では光ってはすぐ消えるホタルは撮れないと思ってビデオを用意してきています。ビデオで映しながら下ると、ホタルの光の数が加速度的に増します。その方角にビデオを向けているのですが、液晶画面では光が確認できません。「撮れているのかなあ?」などとごちゃごちゃ話しながら下ります。道に落ちて光っているホタルを子供が拾って手の平に乗せています。家内のアップされた髪のすぐ上をホタルの光が・・・すぐ近くの草の上を・・・対岸の高い木の中間ぐらいでも光っています。ホタルを観に来たお客さんは、出来るだけ光をつけないようにマナーがとてもいいです。反面、ろうそくの光だけで、すぐ近くにある対岸の景色もよく見えません。最近都会になくなってしまった闇の世界です。30分ぐらい堪能したでしょうか。8時を少し回ったところで帰ることにしました。それにしてもすごい数のホタルです。こんなに多くのホタルの光を観たのは初めてです。家内なんて「すごいわ。あそこも・・・あそこも・・・ビデオなんてやめて観なきゃ、すごいわ」と、はしゃいでいます。時々液晶画面が光を捉えます。4倍ほどに拡大する方が大きく写るみたいです。ほとんど何も写っていない闇の時間に時折、ホタルの光が写ります。車が走り出し横を見ると、家内の寝顔がありました。朝早くから船に乗り、一旦自宅に戻って大工さんを迎え、またハーバーにやってきて、今日は大活躍でした。いい1日を過ごせました。
2008/06/11
コメント(2)

昨日の日記の続きです。家内と30分だけセーリングし、家内にハーバー前のバス停の場所を教えて、船に戻り出艇です。あらためて写真を見てみると、日焼けノーサンキュー美容命の家内らしく、ズボンは黒で、手にも黒のUV手袋です。「4時にセンターハウスのマーメイド号の前にいなかったら、家で待ってるからね」と言われて別れました。北風の最初のレースは、途中で風が落ちノーレース。30分ほどして吹いてきた南風で4レースできました。土曜日と合わせて、全部で8レース。470は勝利、スナイプは敗戦で総合は僅差でK大優勝のようです。M先輩のモータークルーザーも出ていました。オーナーの先輩も乗っていましたが、現役が運転しているようです。アメリカン・トラディショナルな雰囲気があるのに、速い。船を知ってる方なら、ベネトウのグランドバンクス型トラディショナル・モータークルーザーと言えばわかるでしょう。この大きさと船型で、小型モーターボートのようにバウ(船首)を浮かせて20ノット以上で走ることが出来ます。レースの合間で、時々バウを浮かせて疾走していましたが気持ち良さそうです。「う~ん、運転してみたい」今年の1回生は、プレイヤー・マネージャー半々ですが総勢26名入部したそうです。すごい数です。彼ら彼女らが全員4回生になったら、とんでもないことが起きそうです。人数も足りてるので、レース後直接バースに戻ることにしました。ホースとデッキブラシでデッキを洗います。先輩の船のメンバーさんが桟橋を歩いてきたので、「クルージングですか?」と聞くと、「オーバーナイトのレースでした」とのこと。毎年恒例のあのレースですね。「夜光虫は出てました?」と聞くと、「去年ほどではないけど、観れましたよ」。幻想的な真っ暗な海を夜光虫で光る引き波を伴ってセーリングなんて、うらやましいです。今夜のシークレットツアーの成功を暗示しているようです。携帯電話を艇庫にもらいに行く旨マネさんに言ってセンターハウスに戻りました。ハーバーに帰着申告をし、7月にジュニアヨットクラブが企画している「親子ヨット体験会」のパンフを置いてもらえないかハーバーと交渉です。顔見知りのカウンターのお姉さんにその旨話すと、担当さんが出てきました。最初ハーバーマスターのM君と交渉しようかと思っていたのですが、生憎横のテーブルで接客中です。M君は、今日対戦した大学ヨット部出身で、私と同期です。現役時代は、とてもここにはかけないような名前でした。あいつがここのハーバーマスターなんて、笑ってしまいます。難なくOKをもらいコピーしてきた100枚のパンフレットを渡しました。掲示板にも張り出してくれるそうです。続いて一点鐘というハーバー内のヨット用品屋さんに向かいます。頼んでおいたウォータープルーフバックの代金を払い、パンフレットのことも話します。私の携帯電話・らくらくホンがちょっと大きく、携帯用ウォータープルーフバックに入らないので、小物用のを電話で頼んでおきました。いつもの女子がいます。この子、美人なんだよね。次男と高校生から知り合いで、こちらも難なくOKでした。すぐに前のパンフレット入れに入れてくれました。時間は4時10分。期待していた家内はマーメイドのところにおらず、ちょっとがっかりして、母校艇庫に携帯電話を受け取りに行こうと、カッパなどを入れたバックを背負ったら、家内がセンターハウスに入ってきました。走って来たようで、息が少し上がっています。ちょっと遅れてハーバーバス停に着き、うちの車がまだあることを確認してからこっちにきたようです。しかも艇庫に預けておいた携帯電話を持っています。ディンギーヤードの出入口の所で、母校ヨット部のユニフォームを着ていたマネさんとちょうど会い、しかも彼女が私の携帯を持っていたということで、とてもラッキーなことが起こったようです。ハーバー前のコープで買い物をし、ちょっと早いけど、「シークレット・ツアー」に出発です。
2008/06/10
コメント(2)

日曜日は、対抗戦の観覧船ドライバーをしてきました。琵琶湖に行く予定でしたがキャンセルになってしまいました。梅雨に入り雨が心配されましたが、朝起きると、「シークレットツアー」に最適な曇り空です。このツアーは、「この辺では6月、日没から1時間半ぐらい、雨が降っていない、寒くない、風が強くない、曇りや新月などで暗い」などのキーワードで大きな差が出ます。懐中電灯・写真は多分無理だからビデオを用意しました。「用意できました」の声で予定通り、家内と2人でハーバーに出発です。7時半に浜に着き、学生達が声を張り上げて船の用意をしているディンギーヤードの方からハーバーに入り、いつもレースに出てる3人乗りヨットを見せようと陸置きバースに向かっていると、ヤマハの修理棟の裏で、今日の対抗戦の相手校の多分1回生が歌っています。そこに監督のTさんもいます。Tさんのお子さんは、ジュニアクラブでも中学でも高校でも、次男の後輩です。大学も後輩になってくれるといいのですが・・・「おはようございます。家内です。こちら監督さん」「あ、おはようございます。初めまして。今日の余興のビックリを練習してるんですよ」1回生に付き合って、監督がコーチングしているとは、監督も大変だなあと思う以上に、T監督は余興が好きなんだなあと思いました。「これがいつもレースに出てる船。去年の全日本は、次男君と一緒に乗ったよ」「きれいな船ね」「ここに並んでいる同型艇は、みんなライバルだけど、仲間だよ」最新鋭のヨットと違い、爆発的なスピードが出るわけではありませんが、「これぞヨット」というとても綺麗な、そして優美なヨットです。センターハウスで出艇申告をしてクルージング艇に向かい、出艇手伝いの学生を呼ぼうかなと思ったけど、家内と2人で出艇することにしました。生憎の北風2m/sで、桟橋から船を離そうとする風向です。係留ロープをゆっくり離していると、風で船が離れてしまいます。家内に手伝わせるわけには行かないので、エンジンを掛けて船を下り、桟橋にクリートされているロープを放し、ササッと船に乗り込みます。無事出艇できました。ハーバー西出口から出て、小さい方のセイルだけで帆走です。帆走には物足りない風でしたが、家内を怖がらせないちょうどいい風でもありました。「ねえ、写真撮って」のリクエストに答えて、一旦船を止めてキャビンに下り、バッグからカメラを持ってきます。「ステアリング、持って」パチリ「今度はこっちから写すよ」パチリ30分ぐらいセイリングして、東出入口が近づいてきました。セイルを巻き、ハーバーに入ろうとした時電話が鳴りました。母校マネージャーのMさんからでした。8時45分の出艇時刻が迫っていたので、心配になったのでしょう。この船の出艇の手伝い要員も用意していただろうに、御免ね、ここは2人だけでセイリングしたかったからね。「あと5分でディンギー桟橋に着けるよ」と返事しようと思ったら電池切れです。日頃携帯電話使わないから、こういう準備がダメですね。桟橋には先輩の船のJ号が着いており、Kさんが乗っています。部員が乗り込んでいます。桟橋に近づくが、誰も来ません、船のロープを受け取ってもらえないと困ります。マネさんに電話できなくなりリラウンドしようと思っていたら、2回生のマネさんが気づいてくれました。2回生以上のプレイヤーは、レースボートや支援艇に乗っています。1回生は、まだよくわかってないし。「こっちこっち、エ号が着くよ」女子マネージャーさんが声を張り上げ、この船の担当なのでしょうか、1回生が数人走って来てくれます。ロープを受け取ってもらいクリート出来ました。しっかりした女子マネさんがいると、プレイヤーも安心してレースに集中できますね。 OGのKちゃんとOBのI君もいたので、Kちゃんに携帯電話の充電を艇庫でしてもらうようにお願いし、どこかに行く家内を連れてバス停の場所などを教える。船に戻り、レース観覧船として出艇です。日曜日の晩、寝る時に、「シークレットツアーよかったわ」と言うと、家内は「私はヨットに乗れたことの方が良かったよ~」エンジンを切り、風だけでスーッと進むヨットが期待以上だったのでしょう。「今日はありがとう」なんて言ってもらえました。
2008/06/09
コメント(8)
一昨日、家内がPCメールに返事をぽっちらぽっちら打ってる横で夕食をし、片付けて風呂に入ろうとしたら次男から電話が入りました。「お母さんいる?」「いるよ。代わるわ」・・・何かを送ってほしいみたいです。家内が、電話機の長いコードを引きずって2Fに上がっていきます。「子機にしたら?」子機の使い方がよくわからないと私に言いながら、「一旦切ってまた電話するね」と次男に言い、私が子機から電話をして家内に渡しました。「あなたも一緒に探して」と言われて、次男の部屋までついていきましたが、家内が次男の指示に従ってすぐに見つけ、他の話になったので私は必要ないようです。風呂に入ることにしました。自分の机の中のイラストレーターCDと、過去のデザインブックを送れとのこと。家内は楽しそうにしゃべっています。楽しい時は、ちょっと早口になり、声色が少し違います。風呂で本を読み始めていると、しゃべりながら家内がやってきて、「お父さん、代わる?」「別にいいよ」「せっかくなのに・・・」と言うことで電話を切りました。男親というのは、用事もないのに息子と電話でしゃべることもないです。その点母親は、「ちゃんと食べてる?」とか「仕事、何してるの?」とかいろいろしゃべっていました。後で家内がいろいろ教えてくれます。まだ研修やってて、設計職だから本職にはならないんだろうけど、今営業の方について行動してるそうです。いろんな職種で入った同期さん全員、会社の全ての仕事を一通り研修で経験するそうです。半分ぐらい自炊してるようです。下宿経験もあるし、元々マメで整理整頓が出来る子ですから自炊出来るでしょう。明日は、出身クラブの定期戦です。またその観覧船のドライバーをすることになっています。そして夕方から、家内をシークレットツアーに誘っています。今朝、「明日何時?」と聞くもんだから、「夕方5時半に家を出るよ」と答えると、「じゃあ朝私も一緒にハーバーに行って、あなたが帰ってくる頃ハーバーに行くわ」とのこと。これは私的にはすごいことです。次男が小6の時のレースで観戦して日焼けしてから、船には全然来なかったからです。トイレもないコーチボートに私が乗るので、レース運営の方に頼んで、大きな船に家内を乗せました。レースを間近で見れるから喜ぶだろうと思っていたら、「トイレはあるけど、トイレに行ってると周りの男の人に分かるから行けなかった」「日焼けしちゃった」と赤くなった足を見せられました。「えらいこっちゃ」と、翌日コーチボートに乗らずにホテルのプールで家内にゴマすりしていました。以来13年ぶりに船に来るようです。「一緒に観戦しようか?トイレもあるよ」と海を誘いましたが、「船、酔っちゃうもん」なんて言ってます。今まで酔った家内を見たことないのですが・・・「じゃあ昼時、一度ハーバーに戻ってくるよ」「いいわよ。私は自由にしてるから、学生さんを観戦させてあげて」結局夕方、自宅にいてもいいし、ハーバーでもいいということにして、何処にいるか電話をもらうことにしました。でも画期的です。朝、少し早く行き、船でコーヒーでも作りましょうか。係留バースから学生の桟橋まで回航するために手伝いの学生が来るのですが、それをキャンセルして家内と2人、ほんのちょっとハーバー内をクルージングでもしましょうか。かなり嬉しいです。
2008/06/07
コメント(2)
一昨日昼間、家内からのFAXで、「ユキクンからメールが来たよ。写真もあったよ。メールの転送の方法分からないから、今夜楽しみにしててね」と、ありました。その夜、帰宅して早速写真を見せてもらいました。ちょっと変わったノッポのビルの前で、笑って肩を組んだ?腰を組んだ?カップルが写っています。世界一高いビルだそうです。もう1枚は、レストランで食事中の2人。それが嬉しかったのか、早速その日の昼間、長男のところに果物などを送ったみたいです。宅急便のナンバーをPCに打ち込んで、荷物が届いたか確認しています。「ああそうか、今日出したとこだから届いてないよね」なんて言っています。昨日メールを開けると、家内から長男の写真付きメールが転送されていました。一昨日の「昼間だけ遠距離」メールで、写真転送の方法を書いて送ったので、それを見ながら自分でやってみたのでしょう。少しずつ、家内のPC腕前が上がっていってます。その写真は、2.2メガもサイズがあるので、携帯電話の写真ではないようです。普通のデジカメでもなく、デジタル一眼レフとかのしっかりしたデジカメのようです。次男はメカ好きでデジカメ一眼レフを持っていますが、長男はそんなことないので誰かに撮ってもらったのでしょう。近くに住んでても、次男のを借りたとは思えません。店員さんや他の観光客に撮ってもらったとは思えない自然な笑顔なので、何人かで行ったのかもしれません。写真を拡大してみました。彼女を見るのは初めてです。家に来た時は、家内とお婆ちゃんに会っていきました。息子達には、親父を見せても意味ないけど、お母さんの美貌はちょっと自慢なんでしょう。家内には会いに来ます。アップに堪えれます。色白の綺麗なお肌・・・長男君との並び具合から見て、家内より背が高く、163cmと見た。素敵な笑顔・・・すらっとした美人です。「綺麗だよ」と家内からは聞いていたが、次男のGFさんも長男のGFさんも綺麗です。しかも才媛。外人さんが来られても、英語が大丈夫な方なら問題ないでしょう。ぐふふ・・・僕ってついてる・・・今朝、仕事に出ようと外に出ると、庭で伸びすぎた枝を切ってる家内がいました。「ま・・ちゃん、いろんな写真を送ってきてくれて、子供達に好かれてるね。怒ったことないから、何も意見されないと安心して、何でもオープンにできるんだろうな」と声を掛けると、「だって、あの子達の方が偉いもん」と返ってきました。「でも子供の頃はそんなことなかったんじゃない?」「子供の頃から偉かったよ」「赤ちゃんの時はそうじゃなかったんじゃない?」「赤ちゃんの時からそうだったよ」普通にすかたんをいっぱいやらかしていた、というより積極的な分、平均以上にやらかしていたように思うけど・・・我が嫁さんながら、すごい母親だと思います。「僕も、ま・・ちゃんの子供に生まれたかったな」「お母さんは賢いから・・・自分に自信持ってるから・・・いろいろだよね」って微笑んでいます。ううむ、自分が全て正しい母親に従っているようでいながら、家内の方がずっと器がでかいように思えてなりません。
2008/06/06
コメント(0)
通勤で原付バイクを使っています。自宅と仕事場は、国道などの幹線道路を使わずに10分ほどです。以前は車を使っていましたが、駐車場においてから仕事場まで5分以上歩く必要があり、数年前から再びバイク通勤を始めました。バイクだと仕事場の裏に置けるので、とても便利です。バイクに乗り出すと、近所へのちょっとした移動をみんなバイクでするようになり、幹線道路を使って30分ほどにあるヨットハーバーにも時々バイクで行くようになりました。真夏でもエアコンなしで快適だし、渋滞もスイスイで車より早い。冬だって、それなりの服装をすれば特に寒くもありません。いいことずくめのようですが、難点もあります。制限速度が30km/hなので、車の流れに沿っていけない。3車線道路の右折が出来ないので、2段階右折が必要になる。1年少し前に、それを知らずにお縄になったこともあります。突然、目の前に警官の白い棒が。「なんだ邪魔だなあ。誰か交通違反でもしたの?」と思って、棒を右に避けたら・・・「はい、そこのバイク」と止められてしまいました。なんのこっちゃわからず、ハテナ?という顔をしていると、「あそこの交差点は2段階右折ですよ。原付バイクでしょ」「うそ、そんなのいつ決まったの?」今まで2段階右折は、「バイクの人は道路の左端を走ってるから、右折できない時は2段階右折した方がいいよ」程度のもんだと思ってました。「うそ、これ交通違反になるの?反則切符切られるの?」結局、6000円だったか8000円だったか、特別に国に寄付することになりました。警官に特に怒られることはなかったけど、「毎度ありがとうございます」とか、「おおきに」ぐらいは言ってほしかった。人から寄付されたら、普通は頭ぐらい下げるだろ!なんて、国家に対して右手を突き上げたものの、その後は2段階右折を遂行しております。そして、平気で2段階右折しないスクーターを見て、「あかんのに~」と子供のような正義感の眼差しを向けていました。ところが、去年ぐらいから、ピンクのナンバーや黄色ナンバーのスクーターがあるのが気になり始めました。「僕もピンクがいいな」と思い、それを調べると、51cc以上のバイクがそうなってるらしいということがわかりました。でももっと大きなバイクは白で、51ccをちょっと越えるぐらいなのに白なのもあり、国全体ではきちんと決まっていないらしいということも知りました。そしてもう一つ。「51cc以上のバイクは2段階右折しなくてもいい」ということがわかりました。「白い目で見ていた平気で右折するスクーターは、合法なんだ」多分免許更新の時に説明されたんだろうけど、ほとんどがパネルの部屋を回ってお終いの優良運転手講習だったから頭に残っていませんでした。大体バイクなんて乗ってなかったし、バイクのことは上の空です。このたび、新たにバイクの免許を取りに行くことにしました。教習所に聞きに行くと、50ccまでの原付の上に、135ccまでの自動二輪小型MTとAT、400ccまでの普通MTとAT、無制限の大型の免許があるとのこと。郷愁車両を見ると、135ccまでのATは、今乗ってる原付とほとんど同じ大きさなのでわざわざ教習所に通う必要なく合格できるだろう。135ccMTは、どうもバイクにしては細見で今一かっこよくない。400ccATは、大型スクーターと言う感じで、いかにも大げさで成金趣味が漂ってるので、どうも私の美的センスが許さない。ということで400ccMT免許に挑戦することにしました。でも一抹の不安が・・・倒れたら起こせるのだろうか?元来好きなマニュアルミッションの車を次男が東京に持って行ったので、最近はオートマチックしか乗ってないし、バイクのマニュアルミッションなんて初めてだから大丈夫なんだろうか?でも、受付のお姉さんの「大丈夫ですよ。慣れですから。それに最初の適性検査の時に触ってもらったらいいですし」の一言で、自動二輪普通免許コースに決めました。17時間と実技と、1時間の机上講習で免許が取れるそうです。何度か試験を経ながら第2段階とかやった10代の頃が再びやってきます。楽しみです。それにしても今回のパンフレットで知ったのですが、普通車の免許を取るための費用が30数万円でした。数年前に子供達が免許を取ったのに、費用のことは15万ぐらいだと思ってました。30万なんて車が買えちゃうじゃん。僕が取った18才の時は7万円台だったのに・・・
2008/06/05
コメント(6)
北京オリンピックが近づき、出場権を得るための最終予選というのが多くなってきました。アッパレに出場権を得たスポーツもあれば、残念無念なのもあります。その中で、どうも「こんなんでいいの?」とか「ほんまにそう思ってるの?」と思うスポーツがあります。それは「バレーボール」バレーボールというスポーツが嫌いとかいうのではありません。画面に映る一生懸命やってる選手が今一に思うのでもありません。ただあのTV局が仕掛けている応援に違和感を感じるだけです。「なんでジャニーズ系の男の子なんだ?」男子バレーを応援する女子は許そう。しかし女子バレーを応援するジャニーズ系は、いくらなんでも違和感ないかなあ・・・と思うんだけど。小学生の頃、東京オリンピックがあった。それ以前の日本バレーの実力は分からなかったけど、バレーボールというスポーツを認識した頃、日本は強かった。「東洋の魔女」なんて言われて、体育館で回転レシーブ(古~)の真似事を友達としたものだ。雨で体育の授業が体育館になった時、着替えて体育館に入ると、まず「回転レシーブ」と言って、床を転げまわったものだ。当時のバレーボール女子は、現在のようなかわいい顔の少女はいなかった。いたのかも知れないけど、私の目には「おばさん」にしか見えなかった。小学生から見れば、当然か・・・そして怖かった。鬼の形相でボールを「回転レシーブ」していたように思う。まあ、あれではバレーボールの人気が陰るのは当たり前で、どう考えてもスカートがヒラリとするテニスに勝てるわけがない。人気がないと、高い放映権で権利を得たTV局がスポンサーに売る料金が下がり儲からないので、人気を上げようとするのはわかるが、ジャニーズ系をグループ毎順番に応援させて女子を呼ぼうとするのは、なんかバレーボールと関係なくない?なんかあまりに安直じゃない?私には、彼らが前からのバレーボールファンだとは見えないんだけど。確かに栗原は、身長を別にしたらかわいい。でも、プリンセス・・とか、・・ティとか彼女達を呼んで、さぞ友達のように言うのがどうにも引っかかる。「ほんまにそんだけ親しいんか?」「あんたらがコンサートで相手にしてる女子高生と、女子バレーボール選手とは全然違うやろ」オンエアが終ると、「ほんじゃお疲れさん」とか言いながら、あっさり解散しそうだ。あんだけ力を入れた応援をするなら・・・、負けたとき悔しがるなら・・・、ストーカー一歩手前ぐらいまで選手のオッカケでもしたらどうなんだ?と思ってしまう。と、ここまで日頃思ってることを書きながら、ふと思う。「俺は守旧派だ」今の時代、こうじゃないんだろうな。裏で練習しながら、表ではもっとチャラチャラしなくちゃならないのかも。
2008/06/04
コメント(4)

日曜日の中1の時の担任先生の追悼礼拝は、中学の礼拝堂で午後2時からでした。中途半端な時間だったので、その日の他の予定をキャンセルしました。自転車のパンク修理と、切れた蛍光灯を替えることは、帰宅後にすることにして、午前中船に行って本でも読もうかとバイクで出発しました。いつものように桟橋係留されているクルージング艇のエンジンをかけ、船内の空気を入れ替え、トイレを流していると、なんとなく船を出したくなりました。風も弱く、いい天気だったからでしょうか。高校ヨット部の同期S君に電話すると、鎌倉に観光に来てるということで無理。でも新たな情報が。「K君(横浜在住の高校ヨット部同期)が追悼礼拝のために実家に帰ってるよ」と。早速K君に連絡し、午前中だけ出ることにしました。生憎風がなく、機走で神戸港コンテナ埠頭まで行き、スピーディーなコンテナ荷揚げを沖から見物し、帰りはセイルを上げ、少し出てきた風で帆走で戻ってきました。去年末の高校ヨット部ミニ同窓会に彼は帰ってこなかったので、2年ぶりに顔を合わせます。彼の実家は関西で長男です。弟が関西に住んでいるのですが、母親が亡くなり1人になった父親がやはり心配で、毎月1回帰ってきているようです。その時は、弟と3人で実家で酒盛りし、翌日庭の芝刈りや家の修繕など、いろいろ出てくる維持修理を弟と一緒にしているそうです。こういう父と息子2人だけの日というのもいいですね。帰路についている時、先輩のMさんから電話が入りました。「今何処?」「神戸沖です。昼に帰ります」先輩方3人で連れ立って船に乗ろうとやってこられたようです。通常クルージングでこの船が出艇することは、月に1回平均なのに、この日はえらい人気です。朝起きたら天気が良かったので、「行く?」って連絡が回ったのでしょう。バースに戻ると電話が鳴り、「2Fのレストランから見てるんだけど、すぐ出るからそのままでいいよ」とのこと。センターハウスに戻ると、先輩方3人が出てきました。K先輩と出艇帰着申告の受け渡しをしました。Kさんは、カウンターで明石海峡の潮の流れと強さを訊かれていたので、そちらに行くみたいです。K君は、一旦家に戻って礼拝に行くようで、タクシーを呼んでいたら、3人乗りレーシングヨットの方でお世話になってるHさんが、お嬢さんと一緒に入ってこられました。K君を送ってHさんに電話をします。「食事をするのならご一緒願えませんか?」「クラブハウスの2Fにいますよ」3人で食事をしました。去年の甲子園ボウルでご一緒したお嬢さんは高校2年生で、そろそろ進路を考え始めたようです。これから家具を見に行くということですが、父娘でスポーツ観戦したり食事したり・・・お嬢さんがいるといいですね。男の子とは全然違う感じがします。Hさんにも男の子がいるのですが、お嬢さんしかお父さんとデートしてくれないのでしょう。まあ男の子は男の子の良さがあるけどね。
2008/06/03
コメント(0)

日曜日の午後、母校中学のチャペルで、中1の時の担任K先生の追悼礼拝がありました。先生の印象は、温和と熱心の2つに集約されます。司書の先生で、当時の日本では珍しく読書科という授業がある中学でした。この日の先生をしのぶ言葉で知ったのですが、関西で始めての読書科であり司書教諭だったそうです。今でも硬軟いろんな本を読み続け、文字を書くことが結構好きな私の土台の一部を作っているように思います。K先生は経済的な理由で夜間高校に通っている時に、中学の事務員として奉職なさいました。その後夜間大学を卒業し教員免許を取り、司書として図書室担当事務から教諭も兼務するようになりました。K先生と同世代で中学時代の社会科教諭O先生も苦学生でした。O先生は、中高時代に家庭が経済的な苦境に陥り、大学に通う学費がなく退学して働く旨を中学の校長に報告しに行った時、校長先生から個人的に授業料援助するから大学でしっかり勉強するように促されました。キリスト教を基盤にした建学の精神が実践され、こういう方を包み込む校風があり、生徒を育てているように思います。「人づくり」とよく聞きましたが、こういうのを言うのだろうなと思います。私にとっても、この中学での教育が、最も大きくその後の考え方や行動に影響しています。O先生が追悼の言葉で披露されていました。最若手先生だったK先生とO先生が共同で今後の中学教育について書き、中学の基盤を築いて引退したばかりの前述の校長先生に提出したそうです。元校長は赤線を引いたそうです。「これが最も重要だなあ」と。『一人の生徒も落ちこぼさない』お二人のそれまでの育ってきた環境から出た文章なんだろうけど、恩師によって支えられた実体験が篭った言葉です。あらためて、このような先生と接することが出来た私の幸運を感じました。担任クラスの同級生・学校関係者プラスアルファぐらいの礼拝になるのかなあと思っていたのですが、数百人集まる礼拝になりました。先生は中学だけではなくて大学でも教えるようになり、母校を定年で退職後は、O先生が校長をしている系列中学で教鞭を取られました。なので、系列中高の女子生徒さん、大学を卒業したばかりの20代の方、・・・幅広い方が集まっていました。黙祷・追悼の言葉・礼拝・・・賛美歌を3編歌いました。キリスト教に長年接した方ばかりなので、賛美歌の歌声が大きく、気持ちのいい礼拝を送ることが出来ました。中学の時毎日あった礼拝で一番好きだったのは賛美歌を歌うことでした。歌が下手なのに、カラオケなんて最も嫌いなものなのに、何故か礼拝での賛美歌は好きです。
2008/06/02
コメント(2)
全24件 (24件中 1-24件目)
1
![]()
