おしゃれ手紙

2017.08.08
XML
カテゴリ: 八百八橋散歩
鉾流橋(ほこながしばし)

堂島川に架かり、
中之島北岸(大阪市中央公会堂や東洋陶磁美術館付近)と西天満(大阪高等裁判所付近)を繋ぐ橋。
毎年7月24日の朝、橋のたもとで天神祭の「鉾流神事」(川に神鉾を流し、その年の神霊渡御地・お旅所を決定する行事)が行われることから、この名前がついたそうだ。
初めて橋が架けられたのは、大正7年(1918)とされているが、現在の橋は昭和4年(1929)に完成。
 高欄、照明灯、親柱など日本調にクラシックなデザインが採用されたのは、天神祭の鉾流神事が行われることを考慮したためと思われる。
その後、戦争中の金属供出などによって、これらの高欄、照明灯は失われたが、昭和55年(1980)に中之島地区にマッチしたクラシックなデザインの高欄や照明灯、 レンガ敷きの歩道などが整備され、現在に至っている。

7月24日の「鉾流神事」が行われている約40分間は、普段閑静なこの橋も、橋上からの見物人で埋め尽くされている。
江戸時代の初めにはこの行事は、お旅所の常設化にともなって廃絶したといわれる。
大阪町衆の切なる要望によって昭和5年(1930)に復活し、現在へ受け継がれている。
  天満警察署の前に立つ鳥居のある場所が、

神鉾を流す浜である。
そこへかけられた橋の名が「鉾流橋」となった。

(▲鳥居には「明治四十三年仲秋建立」とある。)
ちなみに鉾流の神事は、明治維新の混乱で船渡御が中止されたのに伴って、長らく行われてこなかった。
船渡御は明治15年に復活したが、鉾流の神事は中止されたままであり、復活したのは昭和5年(1930年)になってから。

つまり鉾流橋が架けられたとき、鉾流の神事は行われていなかったのであり、昭和4年(1929年)の架け替えがきっかけになって復活したということになる。


橋の上から中之島の方に、石段が見えた。
この橋は大正7年(1918)に出来たというが荷揚げに使ったのだろうか?
それとも、神事に使ったのか?

石段のすぐそばには■ 大阪市立東洋陶磁美術館 ■がある。

靴 鉾流橋(ほこながしばし)

住所
〒530-0047 大阪市北区西天満2丁目~中之島1丁目


地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」より徒歩5分


・・・・・・・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.08.10 00:05:57
コメントを書く
[八百八橋散歩] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Favorite Blog

高市首相の国会答弁… New! h1212jpさん

読書レビュー 「幸… New! キメジマさん

集団自殺への道 New! inti-solさん

「馬門石」♪ New! snowrun29さん

京都三山縦走?? 船… New! ふろう閑人さん

Comments

天地はるな@ Re[1]:へび年ですから:口縄坂(10/01) ミリオンさんへ 最近忙しくて朝ドラを見る…
天地はるな@ Re[1]:9月のおしゃれ手紙:連歌と茶道(09/30) ミリオンさんへ 京都は観光客が多すぎて最…
ミリオン@ Re:ごちそうさん歌・サラダ記念日(07/06) こんばんは。 サラダは美味しいですね。食…
ミリオン@ Re:ウラワザをもって、おフジ様、登場!!(07/05) おはようございます。 野球は面白いですね…
ミリオン@ Re:へび年ですから:口縄坂(10/01) おはようございます。 大阪に行くのが楽し…

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: