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基本的に第5週のある月に開かれる唄野先生による静まりのセミナーも7回目を迎えました。今日は、詩篇55篇から「絶望から安息へ」です。いつものように、姿勢を整え、呼吸を整え、体、そして心をリラックスさせてみことばの朗読を聞きます。 神よ。私の祈りを耳に入れ、私の切なる願いから、身を隠さないでください。 私に御心を留め、私に答えてください。私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。 それは敵の叫びと、悪者の迫害のためです。彼らは私にわざわいを投げかけ、激しい怒りをもって私に恨みをいだいています。 私の心は、うちにもだえ、死の恐怖が、私を襲っています。 恐れとおののきが私に臨み、戦慄が私を包みました。 そこで私は言いました。「ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら、飛び去って、休むものを。 ああ、私は遠くの方へのがれ去り、荒野の中に宿りたい。セラ あらしとはやてを避けて、私ののがれ場に急ぎたい。」 私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。 夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。 主は、私のたましいを、敵の挑戦から、平和のうちに贖い出してくださる。私と争う者が多いから。 詩篇55篇 1~8、16~18節みことばの朗読を聴き、唄野先生の解説の後、思いめぐらしの時間がもたれます。解説の中では、こんな部分に現実的に共感を覚えました。ハレルヤ~。この詩篇作者は、彼の絶望状態の極みにまで到達して、彼が苦しみにとらわれていることを見た。とらわれから逃れるには逃げるしかない。「遠くの方へ逃れ去る」。そうだ、いろいろなもつれが解かれている、さびしい空っぽの場所に逃れ、そこに留まるのだ。「荒野の中に宿る」のだ。そのような荒れ果てたところでは、逃れ場がなければ生き延びることがはできない。彼は自分のための逃れ場について語る。彼は自分が逃れる秘密の逃れ場を持っていたのだ。彼がその逃れの場に逃げ込んだのは、この時が初めてだったのではなさそうだ。彼はそこで「休む」ことが、再びいのちがあふれ出る源、回復への中心であることを、経験から知っていたようだ。想像の中でのこの「鳩の逃避行」こそが安息に向かう始まりだったのではないだろうか。それでも彼の思いはまた大きな苦しみに向かう。苦しみとそこからの解放の思いは行き帰りする。彼は再び苦しみを思い出す。親しい者の裏切りの苦しみにはらわたが煮えたぎる。しかし、逃れの場での休みを思い返した時、苦しみと心のうちの苦悩から解き放たれて、「私が神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。」との確信をもって告白するに至る。そうなると、苦しみのさなかで(下線=ぽん)、主の救いを確信し、苦しめる者へのさばきを宣言することができるようになる。そして、同じような苦しみに有る者に対して、「あなたの重荷を主に委ねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」と語るのである。また、解説の中で唄野先生が、詩篇作者が、祈り始めた頃に求めたであろう具体的な解決(希望)が、希望的観測に過ぎず、現実的ではない=バーチャル・リアリティに過ぎないことに作者には見えた、ということをおっしゃられました。この「バーチャル・リアリティ」ということばが、ずっと今日のキーワードとなりました。なぜか、人はどのように苦しみや不安を感じるのか、その過程(プロセス)を考えさせられたのです。人は五感をもって何かを感じ取ります。直面するその客観的な情報をもとに、今までの経験や知識をもとに分析します。そして、よくない結果が予想される場合、苦しみや困難、心配として認識されます。詩篇作者は、敵・迫害・死の恐怖といった現実に取り囲まれていたようです。その現実からもたらされるものは、恐れとおののきと戦慄でした。戦争であれば、敵が近づいてきた、敵の大軍が近づいてきた、敵に完全に取り囲まれた、味方の援護はないようだ、といった情報から、直面している状況を分析し、まだ、大丈夫だ、かなり危険(心配)だ、もう絶望的だ、という判断をします。現代であれば、不景気だ、会社が危ない、近所の支店が閉鎖された、同僚がリストラされた、という情報から現状を分析し、これまでの経験などから、例えば、自分も職を失ったらどうしよう、という予測をし、心配します。日常生活では、受験や就職の心配、病気に対する心配、人間関係から来る心配などなど、現実を分析し、未来のことを(まだそうなってはいないのに)憂うことがなんと多いことでしょう。大丈夫な確率が90パーセントあったとしても、悪い方の10パーセントを憂うことだってあるような気がします。ところが、目に見える現実とは違う、霊的な現実に目が開かれてくると、今まで見えなかった、まったく違う世界が見えてくるのです。詩篇の作者にとって、敵に囲まれている現実は切迫したもので、生存率1%以下という計算がなされたことでしょう。しかし、隠れ場にのがれる時、安息に包まれました。そして、守られている現実と、それまで現実として思われていたことが、悪い予測を選択していたに過ぎないことが分かってくるのです。そう、今まで絶望的な現実と思われていたこと自体が、仮定に過ぎなかった、実はそちらの方がバーチャル・リアリティのように思えてくるのです。神さまから来る平安と安心と安息、それは仮想現実でも思い込みでもなく、現実です。その世界は、ただ隠れ場にのがれることによってのみ得られる現実です。 わたしは、あなたがたに平安を残します。 わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。 わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。 ヨハネ14:27ああ、どんな状況にも関わらず、逃れ場に行く時に絶対平安、完全安息を与えてくださるイエスさま・・・ただ、あなたの愛と恵み、救いと憐れみに感謝します。
2006年07月30日
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妻と子どもたちが、妻の実家に里帰り。 朝5時、家を出るのを見送りました。敦賀まで高速で行き、そこからフェリーで秋田に向かいます。
2006年07月27日
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7月22日、いよいよYS11に乗ります。鹿児島行きJAC3653便は、到着地悪天候による天候調査のため、約1時間遅れで福岡空港を飛び立つことになりました。松山からの便が着陸し、駐機スポットに向かいます。展望ホールで到着便を眺めた後、チェックイン・カウンターに行き、フライトが飛ぶか尋ねます。欠航にならずに、飛行機が飛ぶことになったため、大急ぎでチェックイン、駐機場には歩いて向かいます。さあ、いよいよYS11。近づいてきましたYS11。翼は、思ったより四角い感じ。 (今風の飛行機は根元は太く、先に行くに従って先細り) いよいよ乗り込みます。主翼 だいぶ疲れているようです。背もたれに縫い付けてある案内、 右と左の座席で微妙に布の大きさが違うぞ^^機内風景 天井取り付けの、スチュワーデス呼び出しボタン 読書灯ボタン 冷気取り込み口 何ともレトロです。コップの収納。 折りたたみ可能。 昔の特急電車にもこんなのがついてました。悪天候で、時折、グラグラッと揺れる中、雲の中を飛び続けます。雨の鹿児島に到着。 YS11を降ります。 これでYS11ともお別れ・・・。こうしてYS11搭乗を終えました。小学2年の時に乗った初めての飛行機がYS11。当時、岩見沢にいた母の妹の出産による家事手伝いについていくための旅でした。秋田の新屋にあった古い空港から、札幌の丘珠空港まで、東亜国内航空のYS11。果物ナイフが機長あずかりになったことも思い出です。途中、雲の切れ間から見えた津軽海峡、北海道の南側と、本州の北側の形が地図通りでびっくり。そんな思い出のつまった飛行機でした。さよならYS11!
2006年07月22日
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旅行2日目です。 今日の行程 宇部 ー(レンタカー)ー 新山口 ー 下関 ー(フェリー)ー 門司 ー(ソニック) ー 博多駅 ー(地下鉄)ー 福岡空港 ー(YS11)ー 鹿児島 ー(飛行機)ー 関西空港宇部の宿泊先を7時過ぎに出て、新山口に戻ります。今日は、山陽本線沿いの道を経由します。ブルートレイン「富士」「はやぶさ」がやってきました。かつては、たくさん走っていた寝台特急もめっきり少なくなり、しかも2列車併結。ちなみに東京から九州への列車はこの1本だけになってしまったようです。 前6両が「はやぶさ」熊本行き 後ろ6両が「富士」大分行きです。昔は両列車とも西鹿児島行きでしたが、最後まで乗る乗客が少なくなり、熊本・大分までの運行となりました。ヘッドマークの拡大新山口では、機関区で、仕業前のやまぐち号を見学。レンタカーを返却してホームに行き、やまぐち号を見送ります。 新山口から下関までは、普通電車で1時間ちょっとの道のり。下関駅から、バスで唐津というバス停まで移動し(7分くらい)、そこから関門フェリーで九州へと渡ります。 下関のバスのシートは、ふぐの模様! 関門フェリーと、関門フェリーの操舵室です。 関門海峡を渡ります。 関門橋がきれいでした。門司港から小倉に出て、そこから特急ソニックで博多に移動。博多では、会社の部下に教えてもらった一蘭という有名なラーメン屋さんで遅めのお昼。 「特急ソニック」の車内 博多駅には「ゆふいんの森」が停まっていました。一蘭の店内 昔の屋台の雰囲気を再現しています。 これが一蘭のラーメン! とんこつでおいしかったぁ! どんぶりの底にはこんな文字が・・・ラーメンを食べて満腹・満足した後、地下鉄で福岡空港に向かいます。16時5分の鹿児島行きの飛行機に乗るべく、チェックイン・カウンターに行くと・・・ 鹿児島は天候不良のため、天候調査中、16時過ぎに飛ぶかどうかを決定するとのこと。あちゃちゃ。16時までは、まだ40分くらいあったので、展望ホールから、YS11の着陸を見ました。結局、鹿児島便は、30分遅れでの運行が決定、大急ぎでチェックインしました。小学2年の時に初めて乗った飛行機がYS11でした。もう30年以上前のことです・・・。そして、今年9月限りで、純国産航空機YS11は、日本の旅客便からは消えるのです。今回は、そのYS11に乗ることも目的の一つでした。16時30分過ぎにYS11は福岡空港を飛び立ち、約1時間のフライトで鹿児島へ。途中は、雲雲雲・・・。 時折、がくんと揺れる悪天候でした。(当日、鹿児島から熊本にかけて大雨で、九州新幹線も止まっていたくらいだったらしい。)鹿児島空港で夕食を食べ、夜の飛行機で関西空港へと戻ってきました。(鹿児島滞在1時間半)
2006年07月22日
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長男くんの誕生日お祝いを兼ねて、1泊2日の旅行に出かけることにしました。(実は去年と同じ目的地) 今日の行程 関西空港 ー(飛行機)ー 福岡空港 ー(地下鉄)ー 博多 ー(新幹線)ー 新山口 新山口からレンタカーで、やまぐち号を追っかけて、津和野往復 ー 宿泊のため宇部朝5時過ぎに起床。外はもう白々としています。目的地の福岡・山口方面の天気予報は雨。かさばりますが傘を準備、加えて長男くん用に雨がっぱと長靴も準備しました。5時40分ころに家を出ます。雨が降っていたので、奥さまに最寄り駅まで車で送ってもらいました。泉佐野を出て関空への連絡橋を渡っている間に、雨足は強まり、土砂降り。先が思いやられます。関西空港には6時40分頃到着。7時発の飛行機は、1時間のフライトで福岡空港到着。地下鉄で博多駅に直行、8時49分発の新幹線のぞみで新山口に向かいます。新山口着9時26分。駅近のレンタカーでシビックを借りて、いよいよ今日の行動開始。まずは、新山口駅で発車準備を整えるやまぐち号。 せっかくですから、間近で記念撮影一等展望車 マイテ49の内部なんともいえない雰囲気 昭和にタイムスリップした感じです やはり蒸気機関車。 風向きが変わると、あっという間に煙に包まれてしまいます。 ゲホゲホッ!!!前日の雨の影響で、山口線はダイヤが大幅に乱れていました。やまぐち号も、30分遅れで出発する旨のアナウンスがなされていました。昨年同様、車でやまぐち号を、終着駅津和野まで追っかけます。長門峡にて。 (昨年のリベンジ!)津和野駅到着。 進行方向転換のため、機関車が切り離されます。 駅の駐車場横には、去年いなかったD51が保存されていました。 転回中の2台と合わせ、蒸気機関車3台そろいぶみです。さて昨年同様、津和野から鍋倉まで30分だけやまぐち号に乗ります。津和野から、いったん車で鍋倉まで行き、普通列車で津和野に戻りました。帰りのやまぐち号は、C56が先頭に立ちます。島根・山口県境の峠はトンネルが多く車内にも煙が・・・ トンネルを出た直後でガラスは蒸気で曇っています。 峠を越えると、のどかな風景が続きます。鍋倉で下車、続いてやまぐち号と並走しながら走りますが、途中から振り切られてしまいました。そのまま、やまぐち号と離れたまま、山口市内に入ると・・・ 山口県庁わきを走っていたら、たまたま保存されていたD60というSLを発見。立ち寄ってみました。その後、これまた、たまたまザビエル記念聖堂の案内を見つけ、建物だけ見てきました。新山口に戻ると、今日の仕業を終えたやまぐち号のSLや、客車たちが休んでいました。夜は、車で1時間弱の宇部にて宿泊。
2006年07月21日
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今日は長男くんの誕生日。とうとう7歳になりました。もう、F二屋は恥ずかしいそうで、ちょっとカジュアルっぽいレストランへ。おしゃれなレストランなのに、新幹線型のトレイのランチという組み合わせ^^長男くんの年齢は、ぽん一家が、成田から大阪に引っ越してきた分の年数。もう7年かぁ。早いなぁ。 子どもたちの成長とともに、関西に根を張りつつある生活を思います。いずれにせよ、感謝感謝!
2006年07月20日
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今日は海の日。子どもたちを連れて、西宮にあるリゾ鳴尾浜に行ってきました。阪神高速で20分あまり、距離も30キロくらいで、あっという間に着いてしまいました。鳴尾浜までは阪神高速西線の手前のため、高速料金も堺からでも700円で済みます。リゾ鳴尾浜は、屋内プールと屋外プール、そして海の見える露天風呂と、温泉のある施設。なかなか立派な建物ですが、休日ということもあってだいぶ混雑しています。加えて、雨が降り、外は肌寒く、外に出る人が少なく、屋内の混雑に輪をかけていました。着替えて、さあ、これから思いっきり遊ぶぞ! 屋内プールはこんな広さ。 ウォータースライダーもあります。屋外の露天風呂「かもめの湯」。 隣は海ですが、肌寒くって。 でもお湯の中はぬくぬく~。屋内プールの一角にこんなコーナーが。 人間水族館状態^^です。屋内プールとはいえ、何カ所かに、プールに隣接したお湯のジャグジーのようなところがあるので、泳ぎ疲れた時には、ぶくぶくぶく~っと休めるのが気持ちよし。別室に行く訳でなし、子どもたちが遊ぶのを横目にぶくぶくぶく~っとできる点もよし。さて、お昼ころには、ものすごい混雑。 中にあるフードーコートも大混雑で、注文にたどりつくまで30分近く。ふぅ~っ。午後4時過ぎ、プール遊びも疲れてきたので、あがることに。続いて、温泉コーナーに行きます。何種類かのおふろとサウナがあるわけですが、こちらは、銭湯とスーパー銭湯の間くらいの施設といった感じでしょうか。備え付けのシャンプーと、ボディ・シャンプーで体をすっきりさせて上がります。お風呂上がりに食べるアイスに、子どもたちも大満足。阪神高速を通り、6時前に帰宅。
2006年07月17日
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イタリアのミラノにある賛美教会に宣教師として派遣されている内村伸之・まりこ先生ご夫妻による、チェンバロ・コンサートを兼ねた伝道集会がもたれました。今日は、午後から、本格的なチェンバロ・コンサート。あまりなじみのない曲もありましたが、聖書をモチーフにした曲も含まれ、当時のイタリアの人々の神さまに対する関心を、音楽を通して感じさせられました。今でこそ、クラシック音楽という芸術的な枠組みで判断されるのでしょうが、当時は、芸術でありながら、最先端のリアルタイムの礼拝と賛美であったんだろうな、という息吹のようなものが、じんじん伝わってきたのです。 チェンバロ演奏の後は、内村先生が聖書から伝道メッセージ。ご両親の問題が、イエスさまを知るきっかけとなり、みことば自体に導かれたこと。結婚後も、クリスチャン夫婦として歩んでいたが、実のところ、内村先生は教師としての、まりこ先生はチェンバロ奏者として、それぞれの「キャリア」志向のばらばらの生活になっていったこと。そんな中、ミラノにいるまりこさんを訪問するたびに立ち寄った賛美教会の牧師先生に「いつ仕事を辞めて、日本人伝道のためにミラノに来るんですか?」と迫られたことも語って下さいました。コンサートの後、ご夫妻で、ミラノ宣教報告をして下さいました。メッセージと宣教報告は、ここで聞ける!
2006年07月15日
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5年間、家族の足として活躍してきたシャリオくんとお別れしました。 みんなで乗る最後の時に記念写真。いざ、お別れとなると、ちょっと家族みたいに感じてしまい、さびしいものです。 シャリオくん、おつかれさま、今までありがとう。
2006年07月01日
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