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工 事 中
2006年08月18日
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朝、山形を発ち、大阪に向かいます。米沢から会津に抜け、新潟から北陸道で戻るという行程です。途中、昭和59年に廃止になった日中線の終着駅、熱塩駅跡に立ち寄ろうと思いましたが、その直前で検問がありました。聞けば、昨日のこの時間、駅跡の真向かいにある郵便局に強盗が入ったとのこと。同じ時間に通る人々による目撃情報を求めているそうでした。ちょっとびっくり。さてさて検問の後は、本命熱塩駅、昭和初期風の駅舎がそのまま記念館として保存され、除雪車と客車も保存されています。 レトロな駅舎。 入り口天井部分の丸みを帯びたカーブが何とも言えません。 今にも列車が入ってきそうな雰囲気です。 保存されている除雪車と客車。 除雪車の内部を、連結器側からガラス越しに見ることができました。中はからっぽだったんですね。 なつかしい客車。 背もたれも窓枠も木でできています。真鍮製の取っ手もなつかしいです。 昭和60年まで活躍していました。続いて喜多方市内に入ります。お昼時になったので(というかお昼時に着くようにしたのだけれど)、喜多方ラーメンを食べに行きます。駅前で、車が停めることのできた食堂へ。 いやぁ、さすが喜多方ラーメン、うまい! しかも安い! 幸せなひとときです。喜多方から、阿賀野川沿いに日本海側に抜けます。喜多方を抜けたあたりで阿賀野川を渡りました。 奥に見えるのが会津磐梯山。 空と山と川の青が美しい。途中から、磐越道を利用、五泉から三条燕までは一般道でショートカットし、三条燕から北陸道で大阪に向かいます。途中、富山に立ち寄りました。もう、夕方近くになっていました。例年、泊めていただいている富山の教会の牧師先生のお宅ですが、今回は日程の関係で立ち寄るだけにしました。ごあいさつ程度のつもりでしたが、手巻きずしの夕食でおもてなししていただきました。お食事をいただいている間に、大学受験中の次男くん、教団キャンプに行っていた長男くん、東京(千葉)の神学大学で学んでいる長女さんが相次いで帰宅、牧師先生ご一家5人が全員集合と相なりました。 学生の頃、赤ちゃんだったのが、今や、立派な青年になりつつある様子を垣間見させていただき、感慨深いものがありました。また長女さんは、今年の頭でしょうか、韓国の延世大学の語学堂という韓国語研修期間で1期3か月、留学をしてきたということで、韓国ネタで話もはずみました。 意外なところでの韓国つながりにびっくり。もっともっとお話ししたかったのですが、名残惜しくも今晩中に大阪に帰らねばなりません。後ろ髪を引かれながら、牧師先生宅を後にします。そのまま直行するつもりでいたのですが、富山のインターのすぐそばにある銭湯でひと風呂浴びることにしました。子どもたちは、車で寝てしまうだろうから、まだ寝ていないうちにお風呂に入れて、家に着いたらそのまま寝かしつける作戦です。銭湯を出て、富山インターに乗ったのが21時、東名高速に入って渋滞にあい、吹田にたどり着いたのが深夜1時、家には午前1時40分に到着。こうして、今年の帰省旅行も終わりました。
2006年08月11日
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結局、台風はそれて、結局、今日もいいお天気となりました。山形市の東側にある大きな公園に行きます。まず、アスレチックで思い存分、体を動かしてから、山形市内を一望できる展望台へ。山形市全景 小中高と11年間過ごした、思い出のいっぱい詰まった町です。お昼は、山形郊外にある「あづまや」というそば屋に行きました。自分と奥さまは、健康によいというダッタンそばを注文。 ちょっとレトロな店内午後は、長男くんと市民プールで泳いで過ごしました。
2006年08月10日
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台風が近づき、明日から天気が下り坂ということで、天気のいいうちに蔵王に行ってきました。車で1時間ちょっとで、山形・宮城県境にまたがる山頂に到着です。蔵王には、いくつかのピークがありますが、この刈田岳は標高1759メートルで宮城県側に属します。残念ながら、山頂付近はガスがかかり、視界はよくありませんでした。 30秒ほどだったでしょうか、ほんの一瞬だけ、蔵王のお釜(噴火口の火山湖)が姿を現しました。
2006年08月09日
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お昼前に能代を後にして、山形に向かいます。国道7号線を南下、途中、昨年立ち寄った西目のひまわり畑に、今年も立ち寄りました。昨年に比べ、ひまわりが少ないようです?午後は、酒田の父の実家でいとこ夫妻と会い、その後、鶴岡の教会に立ち寄り、山形には晩の8時過ぎに到着しました。
2006年08月08日
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いよいよ、ソウルから秋田に向かいます。インチョン空港発が8時50分なので、5時に起床。6時に宿を出て、空港リムジンでインチョン空港へ。朝で道が空いていたので、7時過ぎにはもう着いてしまいました。さあ、これから秋田に向かう飛行機です。 ボーイング737型機です。 2時間25分のフライトです。半島を横断します。 山なみと雲がきれいです。日本海が見えてきました。 カメラを向けた途端、飛行機が進路を変えて右に傾いたため、翼が写り込んでしまいました。朝の飛行機ですが、大韓航空では機内食が出ます。 日本海に抜けた飛行機は、隠岐の真上を通過、本州の日本海側沿いに北東に飛んでいきます。その後、能登半島の先をかすめ、佐渡の上空を通り、秋田へと向かいます。ソウルから妻の実家秋田に向かう2時間あまりの間に、大学で住んでいた富山、帰省のたびに通った新潟、生まれ故郷の酒田と、自分になじみのある場所が次々と現れます。まさに人生の縮図のような時間。信濃川河口新潟・山形県境手前、村上・坂町付近上空。 真ん中を流れる川は三面川、山形の小国・米沢方面から流れてきます。(山形県)鶴岡市生まれ故郷の山形県 酒田市も一望できました。山形・秋田県境にまたがる鳥海山(2237メートル)も、空からこんなに間近に、はっきり見えました。父に連れられて登ったのは、小学4年生の時でした。 左下に火山湖の鳥海湖も見えます。朝霧にかすむ秋田の平野。日本の風景に戻ってきました。 もうすぐ着陸です。11時過ぎに秋田空港着陸。空港バスで秋田駅に移動、JRの各駅停車で北上、東能代で久しぶりに家族との再会を果たしました。夜は、花火大会。ちょっと涼しげな東北の夜を満喫しました。
2006年08月07日
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さて、午後は、オンヌリ教会日本語礼拝で、主に礼拝をお献げします。また地下鉄を乗り継いで最寄り駅、西氷庫(そびんご)へ。前回、オンヌリ教会に来たのは4年前。この時は金サムエル先生のメッセージでした。今は、高見沢先生が責任を負ってくださっています。礼拝はワーシップからスタート。韓国CCMを日本語でカバーしたものも歌われています。メッセージは使徒27章から。囚人として護送されるパウロ一行が乗った船が、パウロの警告にも関わらずクレテを出航し、嵐にあい、漂流してマルタにたどり着く物語です。パウロが、霊的なことがらが、目に見えることと同様に、いやそれ以上に分かる人物であったということが、高見沢先生のメッセージ全体を通じて伝わってきました。クレテを出航すべきでないという判断。船乗りたちは、間もなく航海が難しくなる季節になるということを知っていました。だからこそ、少しでも早く出航したかったのです。そんな専門家に対して、パウロは出航を控えるように言いました。御使いが教えたのか、何らかの方法で、パウロはこの航海が危険であることを感知しました。しかし、護送の責任者百人隊長は、航海士や船長の言うことを信頼し、パウロを退けました。嵐にあい漂流し、10日ほど経った頃のパウロの奨励。すでに積み荷や船具も捨てて、行く当てもなく漂う絶望的な状況の中で、パウロは言います。 今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。 昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。 『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。 そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』 ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。 私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」パウロは言います。「私の主」「私の仕えている神の御使い」と。それだけ、日常生活の中の現実として、霊的事がらをとらえていたことが分かります。霊的な事がらを知っていただけでなく、パウロに現れた御使いが「自分の仕える神の御使い」であると分かるほど、親しく身近な生活であったことが分かります。数日後、パウロはさらに語ります。 ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。 「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。 ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。 あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」 こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。 そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった。船にいた私たちは全部で二百七十六人であった。 十分食べてから、彼らは麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。まだ、何の兆しもない中、パウロは啓示によって救いが近いことを知ったのでしょう。こうして、船の人々は、最後の食事をし、パウロの言うことに耳を傾け、残りの食料をすべて投げ捨てるほど、パウロを信じ、信頼し、すべてを託すのです。パウロの励ましによって、船のすべての者が、今やパウロの指示に従うようになっていました。メッセージの後、お二人の奉仕者が、今日の礼拝を最後に、オンヌリ教会を去られるということで、皆で祝福して按手の時が持たれました。心ある人々が、前にひざまづいているお二人を取り囲み、手を置き、祈る時。どれほどまでに愛され送り出されるか、また主にある一致を垣間見させていただく感動的な時でした。その後、聖餐式でパンとぶどう酒をいただき、礼拝式が終わってから、引き続きお二人の送別会が持たれました。送別会の中で、日本企業のソウル駐在で働いておられる方とお交わりさせていただきました。間接的にですが、仕事の中で関わりがあることもあり、仕事のこと、信仰のことなどを話すことができ、楽しいひと時となりました。また、伝道師のI先生や、90年代初頭のオンヌリ教会の日本語部の草創期から活動しておられた姉妹とも、いろんなお話をすることができました。日本語礼拝を後にして、教会内にある書店で、ワーシップ(コリアンCCM系)のCDやDVDなどを買い込みます。帰路につこうとしていたら、礼拝堂本館から、ワーシップの音が漏れています。のぞいてみると夕方の礼拝が始まったところでした。せっかくなので、のぞかせてもらいました。ワーシップに続き、アメリカのゲストがギンギンのヒップポップ系のワーシップ。そしてメッセージと続きました。集会が終わったのが8時半。 えっ? 7時間も教会にいた?鐘路の宿に戻たのは9時過ぎ。奥さまが欲しいと言っていたCDやりんご酢などを探しに街に繰り出します。ソウルの街に夜はありません。残念ながら、近くにCDショップは見つかりませんでしたが、なかなかおもしろい市内探訪となりました。一歩路地に踏み込むと、ソウルには町中に、今でもこんな素朴な通りがたくさん残っています。夕食は、コンククス。 豆でつくった冷たいあっさりした麺でした。12時過ぎに就寝・・・。
2006年08月06日
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春川(ちゅんちょん)で1泊後、ソウル市内に向かいます。この京春線、終着は一つ先の春川なのですが、京春線全体の近代化工事が行われており、今はひとつソウル側のこの南春川までの運転となっています。南春川からソウルの清涼里(ちょんにゃんに)まで、むぐんふぁ1810号、所要2時間、5000ウォン(たった600円!)の旅です。 南春川駅と駅前のようす。 改札を抜けて列車に向かおうとすると突然バイクが・・・ ホームは仮設のようでした。 韓国のプラットホームは低く、ステップを上って乗車します。 むぐんふぁ号車内8時45分、定刻で発車。しばらくすると、北漢江のほとりに出ました。昨日、バスでさかのぼってきた川です。山にはさまれた渓谷沿いに、むぐんふぁ号は下っていきます。 数日前に雨が降ったのでしょうか、残念ながら、川の水は茶色く濁っています。山の緑がきれいなだけに、ちょっと残念。昨日立ち寄った加平から先は、のどかな田園風景の中を走ります。ソウルに近づくに連れ、大規模に開発されたアパート群が沿線に目立つようになりました。田畑の中に礼拝堂。さすがキリスト教国韓国です。 ちょんにゃんに駅到着。行き先表示板は、すでに折り返しの南春川行きに。 駅の様子は一昔前の日本の国鉄のような感じ。 清涼里(ちょんにゃんに)駅 韓国では、人の集まるところに自然にマーケットが出現します。清涼里駅前にも・・・さて、清涼里からは、昔からなじみの宿に向かうため、地下鉄1号線に。ところがなぜか、電車はホームにいるのですが発車する気配がありません。ホームでは何やらアナウンスがなされていますが聴き取れませんけれど、事故か何かで止まっているようです。仕方なく、別の地下鉄に乗り換え、往十里(わんしむに)経由で光化門(かんふぁむん)に行きました。宿に着いたらもうお昼前。ところが、その宿、門は開いているのですが、主人が不在。15分待ちましたが来ません。仕方なしに、その宿をあきらめ、鐘路(ちょんの)の路地にある宿を探しました。
2006年08月06日
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春川(チュンチョン)に来たので、せっかくなので、名物「春川タッカルビ」(春川鶏カルビ)を食べることにしました。2、3年ほど前には日本も紹介されていました。春川の中心部にはタッカルビ通りなる、タッカルビ専門店が軒を連ね、しのぎを削っている通りもあるそうですが、今回は宿のそば、南春川駅前の大衆食堂で食べました。実は、春川タッカルビを食べるのは、今回が初めてです。来ました、来ました。 タッカルビは、鶏肉とじゃがいも、たまねぎを辛子みそで炒めた「激辛」料理。確かに辛いのですが、うまい!!!鶏から出る脂が辛子みそとからまり、たまねぎの甘さとサクサク感、じゃがいものほわっと感が、口の中で混ざりあうのです。ご飯も、昼(夕方)に続き黒米と呼ばれる赤いご飯。あまりカットされていない大胆なキムチも美味。場末の食堂は、こんな感じ春川を訪れるのは、これで3回目のはず。1回目は20年前、初めて韓国に来た時でした。東海岸から山を越えて春川に入り、一泊してソウルに向かいました。 2回目は、その翌年、春川市内の江原大学を会場に開かれた韓国クリスチャン大学生が2000人集まった全国集会に参加した時です。 当時、韓国では民主化を求める運動が最高潮に達し、集会に参加している学生たちも、真剣に国のため、政治のために祈っていました。その集会中に、ノ・テウ大統領が民主化の約束を宣言、学生たちは大喜びしていました。さすが韓国、クリスチャンの集会のために国立大学の寮と施設が借りられたことと、そして、国のために熱い祈りを捧げている同世代学生たちの姿が深い印象となって心に残っています。あれから20年と、19年・・・。過去のものとなったデモや催涙弾の辛さを思い出しながら、時の早さと韓国の変化をしみじみ思いながら、春川の場末の大衆食堂で食べるタッカルビの辛さは格別でした。
2006年08月05日
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? ちゃらら~ん~ ちゃら ら ら ら ららら~ん妻の実家秋田に向かうため、朝8時前に家を出て、関西空港発9時40分のJAL便でインチョンに飛びます。途中、島根あたりで日本海に抜けました。宍道湖がはっきり一望でき、出雲空港も見えました。インチョン空港には11時10分頃ランディング、20分ころスポットイン、イミグレーションが非常に空いていたので11時40分には外に出られました。両替すると1万円が8万ウォンくらいのレート、昨年に比べ2割ほど円が安くなっています。さて、今日の予定ですが、いちおう二つの選択肢を考えていました。一つは韓国南東部の田舎を訪ねるコース、もう一つは東海岸側に抜けるコースです。バス乗り場に行くと、目の前に大邱(テーグ)行きのバスが停まっているではありませんか。渡りに船で南東部に直行できると思いきや、なんとすでに満席。残念!予定変更です。 図書館で借りてきたガイドには、12時半発の東海岸行きバスがあることになっていたのですが、今は直行便は出ていないとのこと。う~ん・・・結局、東海岸行きも断念、目の前に止まっていた12時発の江原道(カンウォンド)にある春川(チュンチョン)行きバスに駆け込み、一路、真東を目指すことに。バス代は13800ウォン(1600円)、約3時間の行程とのこと。朝早く起きたので、バスの中ではうとうと。13時半頃に目を覚ますと、まだまだ漢江(ハンガン)沿いに、江南(カンナム)を抜けた辺りを走っていました。ところが高速道路は大渋滞。ちょうど夏休みの観光シーズンと、土曜日午後の人出と重なってしまったようです。とにかくすごい車の量。その後、北漢江(北ハンガン)沿いに東に向かいますが、ずぅっとのろのろ運転。道は山あいの景色となってきましたが、その後もバスは川に沿って走ります。15時半過ぎ、加平(カピョン)市内に入りました。カピョン?! もしやして・・・ ガイドブックを取り出して見ると・・・、ありましたありました、あの南怡島(ナミソム)がある町ではないですか。ちょうど渋滞に飽きてきたところだったこともあって、もうバスターミナルに着いたところだったので、バスを飛び降り、途中下車します。とはいうものの、ガイドブックにはナミソムへの行き方は書いておらず、バスターミナルをうろうろ。ナミソム行きという小さなバスが停まっていましたが、無人で動き出す気配もなく、タクシーに乗りました。船着き場まで5分、4000ウォン。船着き場にあった「ナミソムへの船」「加平ーソウル列車」「船着き場ー加平バスターミナル」時刻表(※船とバスは、発時間のみの記載です。) フェリー時刻表 (帰りのソウル行き)列車時刻表 市内バス時刻表 駐車場発 ナミソム発 加平発 清涼里着 加平発 清涼里着 ナミソム発 加平バスターミナル 07:30 07:35 5:57 7:20 14:58 16:16 7:50 7:40 いやぁ、南怡島(ナミソム)、日本では冬ソナの舞台、特にあの並木で有名ですが、韓国では「ナミナラ共和国」というリゾート(?)の位置づけのようです。まずは、往復の船と入場料がセットで5000ウォンのパスポートを買い、島に向かうために船に乗りました。 チケット売り場で「パスポート」を購入、「入国審査」を通ります。 船着き場からこんな船で、南怡島(ナミソム)に向かいます。案内の看板です。 島のあちらこちらで撮影された冬ソナのロケ地が示されています。もともとこの土地は地続きでしたが、下流にダムができて島になったそうです。こじんまりとした島ですが、きれいな木がたくさん植えられ、緑の美しい島です。それにしても観光客が多いのと、韓国特有の統一感というかテーマ性のなさ。洋風なのか和風、いや韓風なのか、現代風なのか、昔風なのか、ごっちゃまぜになっているのが残念です。船着き場からゆっくり歩いて15分ほどで、あの並木道に到着。日本人のおばさまたちもたくさん見受けられました。 近くに設置されていた、ぺ・ヨンジュンとチェ・ジウの銅像・・・並木道への交差点 左側には噴水 右側にはトーテムポール・・・ ロッテワールドなどもそうですが、何でもごちゃまぜビビンバ感覚、これぞ韓国! 縄文風の住居の前でキムチ販売 向かい側には西洋中世風のお城とアスレチック 島内のレストランでビビンバを注文。 6000ウォン。 赤いご飯は韓国伝統のごはん。 美味なり。 帰りの船です。 船着き場の門と船と冬ソナのギャップ感・・・^^ ナミソムともお別れ。 川ではモーターボートで黄色いボート引っ張って浮かせるウォータースポーツも。船着き場からバスターミナルまでもタクシー。帰りは3800ウォンでした。この辺りで宿泊しようかとも思い、宿を数件当たってみましたがすべて満室。バスに乗って春川(チュンチョン)に行くことにしました。バス代は2100ウォン、30分の道のり。春川に着いた頃にはすっかり暗くなっていました。南春川駅そばの宿に投宿。
2006年08月05日
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