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日本に戻ってから1週間が経とうとしています。5月に、マスターたちから日本に戻るよう伝えられてからは3ヶ月ちょっと経ちました。あの時のことを思い出せば今、こうして、違和感なく日本での暮らしがスタートしているなんて不思議な感じがします。5月末から、2週に渡って多次元レベル2クラスを行い終わってすぐ、6月はサルディーニャ島、ロンドンエジプトに3週間の旅。ニューヨークに戻ってから個人セッションや移住の準備みんなとのお別れ会と駆け抜けたような感がありますが日本に戻ってから急に時が流れるのがスローになったかのような感覚です。さて、これまでも、年に一度は、日本に帰っていたとはいえいざここに住むとなるとまた違ったところが見えてきたり感じたりするものですね。アメリカでは、当たり前だったことが日本では当たり前じゃない訳でその反対もあり。先日、区役所に住民票を入れに行ってきてついでに、国民保険に加入してきました。日本の国民保険って歯の治療もカバーするのがすごい。私は、もし病気になってもキネシで身体の声を聞いて行くだろうなと思うので保険が必要だと思ったことはこれまでなかったのですが歯は、定期的に歯石を取ったりチェックアップが必要なので保険でカバーされるのは、ありがたいなあと。そして、35年も日本を離れ、その間税金払ってないのに日本生まれで日本人というだけですぐに国民保険に入れるなんてこれって改めてすごいことだなと。(必要なのは、パスポートだけでした)日本人って、恵まれてるなあと。もっとも、あのニューヨークの歯医者に行けなくなったのはとても残念ではあるのですが。ニューヨークを離れる最後の週に訪れて、ニューヨークを去ることになったことを伝え全部の歯をチェックしてもらって最後の治療を受けたのですが先生に「半年に一度、日本から飛行機でニューヨークにチェックアップに来た方がいい」と言われたのですが、さすがにそこまではやらないなあと。福岡でもいい歯医者さんが見つかりますように。一方で、不便だなと思ったのは福岡では、ウバーがほとんど機能してないこと。ウバーの良さって、料金が最初に提示されるので渋滞も関係ないし、知らない土地でも安心して使えることだと思うのですが日本は、ウバーはタクシーと同じ、メーター料金なのですね。先日の旅の時に、エジプトのカイロでもイギリスでも、イタリアでもウバーを使いましたがメーター料金のところはどこもなかったので、これにはびっくり。これでは、ウバーの意味がないというか。しかも、普通のタクシーを呼ぶより料金が高い。一昨日、雨が降っていたのでマルキョウまで食料品を買いに行くのにウバーを呼んでみたのですが行きは1860円で帰りは、普通のタクシーで帰ってきて1230円。ウバーの方が高いって、ありえん。日本でウバーが普及しないわけだなあと。実家は、福岡市でも、はずれの方なので交通は、なかなか不便です。さて、昨日は、台風の影響で福岡は1日中雨だったので朝から、実家の片付けをしました。前回、年末年始の時は、キッチンの片付けと古い食器や食器棚を処分して新しい食器棚を購入しその後、私がニューヨークに戻った後キッチンの壁や天井も全て張り替えてすっかりきれいになっていました。今回は、和室のリビングの整理。チェストを母のベッドルームに移動しチェストの中に詰め込まれていた服を母に処分してもらいました。それだけで大量のゴミ。ついでに押入れの中のものも処分。鏡台とテレビ台も古くなっているので買い換えるつもりでネットで探しています。とにかく、母のめんどくさがりの性質でほっとくと何年、何十年もそのままになってしまうのだけど私が、一つずつ「これ要る?」と聞けば「要らない」と言うので、どんどん処分。布や木などは、古いものはエネルギーが籠るのでちょっと引っ張り出して片付けているだけでもネガティブなエネルギーが充満してくるので浄化しながらじゃないと、疲れてきます。ニューヨークでの引越しを終えて日本に戻ってきたけどこっちでも引越しするかのような勢いです🤣一方、ここ数日、自己調整はマイナーな遺伝調整をいくつか行いました。いつも、自己調整の時に、マスターのメッセージを受け取ったりするのですが日本に戻ってからは今のところ、メッセージをくれるのはアマテラスのみでトートや他のマスターたちはまだ現れてないです。エジプトから戻って、ニューヨークにいた時はほぼ毎日のようにイシスが現れてメッセージをくれていたのですが日本に帰ってからまるで、管轄が変わったかのようにピタリと現れなくなりました。と言っても、まだ1週間なのでそのうち、また変わってゆくのでしょうが。しばらくは、アマテラス大御神のもと精進して参ります😇って、日本に戻ってから朝は、母とドジャーズの野球観戦夜は、母とワインで乾杯してまだ完全にバケーション気分ですけどね。今日は、弟家族が実家に来るのでみんなで母のバースデー祝いに近くのイタリアンレストランへ行くことになっています。甥っ子やYちゃんと過ごすのが楽しみ。来週からは家探し。セッションやクラスの準備などは家が見つかって、引越してからスタートする予定です。(なので、私の個人セッションの予定が入っている方少々お待ちくださいね🙏)
2024年08月31日
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昨日、宗像大社を訪れ日本帰国のご挨拶をしました。世界遺産の宗像大社は、私にとっては節目節目に訪れている福岡の神社の中では最もご縁の深い神社です。この日は、夕方から台風の影響があるというので朝早く、電車に乗り駅からバスで宗像大社へ。まだほとんど人がいない神社。この日は、風があって気温も暑くなく、心地よいです。まずは、辺津宮にてアマテラス大御神、そして日本の神々へ帰国のご挨拶。それから、高宮祭場へ。何度か書きましたがこの高宮祭場が最も神聖な場所でありまさにパワースポットです。祭場に向かうまでの森の道が好きです。祭場に到着すると他には誰もいませんでした。ここ最近は、年末年始に日本に戻ることが多くいつも、人が多かったのですが今回は、台風の直前だったこともあってか誰もいないのでゆっくりとお参りできました。再び、ここでアマテラス大御神にお礼をお伝えしたあと「私が、これからどうすればいいのかお導きください」とお伝えしました。心地よい風が吹いて静かに時が流れて行きます。すぐにメッセージを受け取るとは思っていなかったのですが意外にも、アマテラスからのメッセージを受け取りました。それは、「何をするか、ではないのです。必要なタイミングに必要な場所にいるということが大切なのです」というメッセージでした。その時は、そこまで深くそのメッセージの意味を受け取ってはいなかったのですがただ平穏で祝福された時間でした。心地よい風が吹き続けて全く暑くはなく誰も来なかったので結局、30分ぐらいこの高宮祭場で過ごしました。何度も、この場所を訪れていますがこれは、初めてのことでした。帰りの電車の中でちょうど、ある方からメールが届いて何気なく開きました。そこに書かれてあった文章の中で日本はこれから不安要素ばかりある状況で正直言うと、どう生きていくべきかと迷ったりしています。 でも、のりこさんが日本にいるというだけでも勇気が出る気がしています。 のりこさんのブログを読むたびに可能性は無限大だと思えるし宇宙への信頼が高まるのでどんなに辛い状況でも何処か大丈夫と思えるから。。。それにしても、10年以上かかさず読み続けているブログものりこさんのブログしかない。 そして、色々なヒーリング技術を学んでは手放してきた私ですが20年近くやっているのはキネシオロジーだけなんですよね。。。。 本当に継続できない私が唯一継続出来ているものがキネシ。だからこそ、なのか、本当に、「のりこさんが日本にいる」それだけで、勇気が出ます。ありがとう🙏このブログをずっと読んでくれていることもキネシを続けていることもこのタイミングでメールを送ってくださったことも。このお参りの直後に受け取ったメールがまるで「今、このタイミングで日本にいることが大切です」というアマテラスからのメッセージを後押ししているかように思えて、電車の中で自然と涙が溢れました。家に戻ってから改めて筋反射で確認したアマテラスからのメッセージは「よくこの時期に日本への移住を決意しましたね。あなたは自分の運命をベストのタイミングで展開しています。高次元のマスターやガイドたちと繋がればどんな時も、平穏でいることができるのです」そういえば、離婚した時も同じように「今が(離婚の)ベストのタイミングです」と伝えられたことを思い出しました。その時は意味がわからなかったけれどその離婚の直後にコロナが始まりオンラインでのリトリートを開催することをスタートしたことも含めあれは運命のタイミングだったのだなと後になって思います。ちょうど、家に戻る時に雨が降り始めました。この日、このタイミングで宗像大社を訪れることができたこともベストのタイミングでした。台風が近づいて雨風も強くなってきました。みなさま、どうぞお気をつけて。(台風のことをブログに書くというのが初めてな感じがします)
2024年08月29日
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昨日、福岡に到着しました。今回は、ニューヨークの夜中1時40分発の便だったのですがJFK空港の搭乗ゲートの前でまさにこれから飛行機に乗り込もうとしていた時さっき別れたばかりのともこちゃんからラインが入り「大谷翔平くんが40-40(40ホームラン40盗塁)を達成しかも、9回裏2アウトからの満塁サヨナラホームランという劇的な展開」というニュースを聞いて「え~~マジで??」とびっくり。門出の祝いだ、のりぴーすごい祝われ方!と、ともこちゃんきゃ~嬉しすぎる。飛行機乗り込む直前に嬉しいニュースを聞いて本当に(宇宙に)祝われてる気になりました。さて、飛行機に乗って飛び立つ時に「ニューヨークの夜景を見てどう感じるのか事前に感じてみたら涙が止まらなかった」という話を、少し前にブログに書きましたが実際にどうだったかと言うと、、なんと、飛び立つのを待っているうちに眠ってしまってました😱目覚めたら、すでに上空で夜景は、見えず。この日は1日中、動いていて自由の女神を見に行ってワインも飲んで、その後最後の部屋の片付けやパッキングもギリギリに終えて空港に着いたので夜中にはすっかり疲れていたのです。これは予想外。いや、むしろ私らしいのかも?😂それから機内で6時間ほど爆睡し起きてから、食事をして映画を見ました。この何気に選んだ映画が「陰陽師」で、面白かった。陰陽師、安倍の清明が学生だった頃の物語。無意識の世界に迷い込んでそこで、呪いの龍と対決するんですが映画の中で出てくる言葉がなかなか的をついているのです。「無意識の世界では私たちはみんな繋がっている』「心が死ねば、身体も死ぬ」「呪いは、意識に作用し意識が身体に作用し身体を崩壊させることもある」そして、その「呪い」が生まれる根元は人々が抱く「私のものだ」「私のものにしたい」と言うエゴと渇望。この映画では、人々が権力や地位を巡って、「私のもの」にしようと争うのですがでも、権力や地位だけでなくお金にしても、才能にしても「私のもの」を求めようとする限りそれを得られなかった時の妬みや恨み、もしくは失望や恐れなどを生み出しそれが、「呪い」となって無意識の世界で、人を縛り時には、身体も壊してしまうわけです。呪いは「縛るもの」だから、何かに囚われていると言うことは呪いがかかっている状態だと言えます。でも、多くの人は自分が何に囚われているのかにも気づかないで無意識に縛られているから呪いや霊的なエネルギーはどこにでも生まれ存在しているわけですね。多次元キネシオロジーとリンクするような内容で面白い映画でした。さて、ニューヨーク出発の瞬間は意外にもノスタルジックさや寂しさは感じなかったのですが「もうすぐ日本に到着です」と機内アナウンスがあり日本が見えてきた時急に涙が溢れてきました。ああ、本当に私日本に帰ってきたんだな。長いようで、あっと言う間だったようなニューヨークでの35年間。これから新しい章が始まる。これから先への不安などは全くないけれどでも、これからどんな風になって行くのか未知数です。過去への後悔や執着もなく先への期待や不安もなく今、ここにいる感覚ってもしかするとこう言う状態なのかしら?ということで早朝4時半に羽田到着。そこで荷物をピックアップし4つのスーツケースのうち2つを宅配便で送りました。今回、結局、音叉は量が多いので税関の検査は必ず入ると言うことで検査が入れば、他の荷物も到着が遅くなってしまうため結局、全て手荷物としてスーツケースに入れて持って帰りました。大きなスーツケース3つと持ち込みサイズのスーツケース1つ。ほぼ音叉とフラワーエッセンスなどのヒーリング道具で手荷物のバックにはクリスタルボール2つ。服やも日用品は、いつも使っているものでもできるだけ処分して詰め込みましたがつくづく、ヒーリング道具以外はほとんどなくても生きていけるなと。羽田から乗り換え福岡に着いて、実家に戻りました。母の作ってくれた朝食を取り一緒にドジャーズの試合を見て翔平くんがホームランを打ったので母とハイタッチして大喜び。(試合は負けてしまったけど)いつも日本に帰る時は野球のオフシーズンだったので一緒に観戦できて嬉しい。夕方から、ワインで乾杯。時差もあって夜8時には眠くなり寝てしまって今朝、4時前に起きてこれをアップしています。今日は、朝5時から野球なのでまた母と見る予定。実家を離れて一人暮らししないとこんな老後のような生活が続くのは目に見えているので来週から家は探し始めようと思っていますが今週は、こんな感じでのんびり過ごしつつ自己調整するつもりでいます。ただいま〜帰ってきたよ〜〜💕
2024年08月26日
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今、JFK空港のラウンジにいて、これをアップしています。(搭乗まで、あと1時間アップできるかどうか)これが、ニューヨークからの最後のブログです。さて、ニューヨーク最後の週は古くからの友人たちとの個別の食事会でした。思い返せばこの人生の中でたくさんの人と出会い友人になりました。幼稚園の頃「ともだち100人できるかな~♪」と歌い、願っていた頃のことを思い出します。あの頃の子供の時は、同時に100人と手を繋いでいるようなイメージだったけど大人になってわかるのは、この人生を通じて100人以上の人たちと友人となってゆくのだということ。でも、その中で、深いレベルで信頼関係を築き長く付き合ってゆくことができる友人はそう多くはないということも。若い頃から、人が大好きだったし誰とでも、すぐに友達になって出会った瞬間に「なんでも話せる長年の大親友~」みたいな感覚になることも多く毎日のように語り合ったり遊んでいた友人もいます。でも、10年、20年、30年と変わらない信頼関係でつながり続けている友人は数えるほどしかいないのです。あれだけ毎日、遊んでいたのにいつの間にか、会わなくなったり連絡が取れなくなった人たちが結構、多いなあと。いつもパーティしたり、飲んでいた友人たちが私のステージが変わった途端周りから一人もいなくなったこともありました。そんな中で、今週、ニューヨークを去る前に会ったのは、このニューヨークで長く続いていてそして、これからの人生を通じてつながってゆきたい友人たちでした。日曜日にはちさとちゃんとたかしくんとの3人での食事会。この二人のことは何度もブログに書いたけれど一緒にいて、ほんと楽しくてそして、お互いに全く違うのに見ている視点が共通しているという安心感があります。この3人でいると毎回、話が尽きず。今回もそうだったのだけどいつも、レストランの必ず最後の客になり店の人から言われて、追い出されるまで話し込み、そして、次のバーでもバーをクローズするまで、話し続けじゃあ帰ろうかと、地下鉄の駅に向かって歩いて、交差点で立ち話で話し込んでしまうという事態になります。毎回、何をここまで話すことがあるんだろう?と思うのだけど後から、内容も思い出せないぐらい90%は、どうでもいい話なのです。世間話とも言えるのだけどでも、世間で一般的には話されていないような話。最近あった笑い話や面白い出来事を話していることもあれば政治やビジネスのこと最近、注目の国のことトレンドなどの話になることもあれば宇宙の話、アセンテッドマスターの話多次元のことになることもあり、内容は、多岐に渡っているのだけど裏の情報を知り尽くしどんな話題でも答えてくれるたかしくん(たかしGPT)と人脈と交友関係が尋常じゃなく幅広いちさとちゃんの二人による豊富な情報網に加えそれぞれの視点や感覚からの見解を3人が絶妙な割合とタイミングで話すこの時間は、私にとっていつも最高に楽しい時間なのです。そして、何より、この二人が多次元キネシオロジーの発展をサポートしてくれたことへの感謝と信頼は言葉には言い表せないです。間違いなく、これからの人生を通じて、つながり続けて行きたい二人です。これは、3人で行ったTHE GALLERYという日本食レストラン。美味しかった〜。そして、フィンランド人のマーカス。以前にも話しましたが彼とは、30年以上の付き合いで今回の私の帰国を誰よりも寂しがってくれている一人かもしれません。私たちが最初に出会ったのはイーストビレッジにあるタイルバーという名前のバー。たまたま、私は別の男性の友人とそこに飲みに行った時バーカウンターで隣に座っていたのが写真家でアーティストのマーカスでした。私は、その時、一緒にパーに行った友人とはもう20年前ぐらいに自然と会わなくなったのですがなぜか、マーカスとはそれからずっと友人関係が続き一時は、ほぼ毎日のように会って飲んでいました。男性で、めっちゃ仲良くても男女の関係にはならず最初から最後までずっと友人という人が私は何人かいますが彼もその一人で、昔は、酔っ払って同じ部屋に雑魚寝したことも何度もあるけれどそう言う関係にはならないんですよね。先日、彼と会った時「のりこ、僕たちがタイルバーで出会ってから、何年になる?」と聞くので「30年ちょっとじゃない?」と答えると「そうか~幸せなことに僕は30年、君に恋し続けることができたってことだ。ほっぺにキスしかしたことないけどね」と冗談っぽく笑います。冗談でもそう言うことを言ってくれるのが日本人の友人とは違うところかも。以前は、彼の親しい友人たちとも私は、パーティでよく会っていたのですがほぼ全員がアーティスト。生粋のアーティストなのでやっぱり話題はアートや音楽になることが多いです。フィンランド人の男性ってちょっと昔の日本人みたいな気質があります。正義感や義理人情に熱く自分の好きな分野ややり方へのこだわりが強く遺伝的に言えば、冥王星気質。北欧の人たちは、基本お酒が強いらしいのですが彼の場合、酒が強すぎて永遠に飲み続けることができる体質でそれが故に、過去に酒で身体を壊しそれから、キッパリと酒を飲むのをやめて、もう10年以上になります。でも、先日、レストランで会った時に日本酒を頼んでいたので「え?飲めるの?』と驚くと「今日は(私との最後という)特別な日だから」と彼。く~日本酒で最後の杯だなんて😭ニューヨークに住む日本人の友人なら、日本への帰国の際に会うチャンスがありますが彼は、日本に、そうそう訪れるわけじゃないので次回、いつ会えるのかはわかりません。彼が夏にフィンランドに帰省したタイミングで、いつか私がフィンランドを訪れることを約束しました。バーでたまたま隣り合わせになっただけでこんな長く続く信頼関係を築くことができたことは本当にラッキーでした。「そういう出会いが人生の面白いところで僕が大好きなところなんだ」とマーカス。最後に、彼の写真、載せとこう。そして、ブルックリンの寿司屋に一緒に行ったのは、くれちゃん。くれちゃんのことはここで何度か話しましたが私の35年間のニューヨーク滞在の中で最初の1ヶ月以内に出会っているのでニューヨークで出会った中では最も古い友人です。彼とも、最初からずっと友人関係でいることができた人ですが途中で10数年のブランク期間がありそして、コロナ中に偶然、再会してから再び、親しい友人関係になるという他の友人とはちょっと違う経緯です。20代、30代に親しくしていた友人だと例えば、今、私がやっている多次元の世界などは共有しがたいこともあるのだけどくれちゃんは、再会した後すぐにそういうコンセプトを受け入れて一緒に音楽や動画制作できたことはとても大きかったな~と。そして、昔から、私に取っては気楽に甘えることができる存在です。昔も、よくレストランでおごってもらったりご飯作ってもらったりしたけど再会してからは歩いて数分の距離に住んでいるし彼は、釣りが趣味なので魚が釣れると、家に呼んでくれてよく彼の手料理をご馳走になりました。今回の20人以上のお別れ会でもお料理を二つ返事で引き受けてくれたし昨日も、ガスのアカウントをクローズするためにガス会社に電話したらアカウント名が元夫になっていて「元夫が電話しないとだめ」とガス会社の人に言われたのでくれちゃんに家に来てもらって代わりに電話してもらったり。そして、最後にこの空港まで車で送ってくれたのもくれちゃん。先日のお別れ会で彼が語っていたのは「のりこがニューヨークを去る寂しさもあるけどそれより、コロナの時に再会できてよかったと思うことの方が大きい。もし、あの時、あそこで再会していなければ、のりこが日本に帰ったことも知らずにいたのだろうし。再会して、一緒に動画制作ができて本当によかった」ということ。本当にそうだなあと。単なる飲み友達を超えて人生を通じてつながることができて彼との再会は宇宙の采配そのものでした。そして、昨日会ったのは京子さん。彼女とも、本当によくご飯食べに行ったり花見に行ったりたくさん話しましたがこの前のお別れ会の時にはたまたま体調を崩していて参加できずにいました。彼女は、グループになるとあまり話さなくなるけれど二人で会うとじっくりと話しをする感じです。京子さんが聞き上手なのか彼女といると私は、饒舌になって話しながら「ああ、そうか~」と私自身がどう感じているのかに気づくこともよくあります。昨日、二人で話した話の一つは「アートや音楽やヒーリングなどの分野で才能があって、経験もあるのにそれで食べていけない人たちは何が問題なのか?』という話題でした。実は、これに関しては少し前に、マスターたちに質問していたんですが昨日、改めて、彼女と話す中で「なるほど〜、確かにそうかも~」というワードが彼女から出てきて納得。(また、この話は、いつか書いてみたいな)ずっと日本食レストランが続いたので最後は、やっぱりギリシャ料理。このタコのグリルのクオリティは日本にはなかなかないのです。こうして、改めて友人との関わりを見てゆくと古くからの友人であってもそれぞれの友人に対して自分の中から出てくる性質や意識やエネルギーが違うのが面白いところだなあと。どれも自然な自分ですがいろんな自分がいるのを発見します。さて、今日の午後にニューヨークを去る前にくれちゃんに付き合ってもらって自由の女神への50分のクルーズに行ってきました。今更、自由の女神だなんて初めてニューヨークに観光に来た人見たいだなと思いつつどうしても、自由の女神を見ておきたいという気持ちが湧いてきて、最終日に行くことにしたのです。すると、たまたま昨日、たかしくんとちさとちゃんと3人でラインをしている時にたかしくんが「自由の女神から時々、メッセージをもらっている」という話になり「え!~自由の女神ってアセンテッドマスターだったの?」と私とちさとちゃんが突っ込んだのですが一部では、そう言われているとのこと。で、その後「自由の女神ってアセンテッドマスターなの?』とガイドに聞いてみたのです。それで返ってきた答えが「アセンテッドマスターとは言えないが人間の意識がクリエイトした創造物と言えます。人が創造したものは具現化してパワーを持つことができます。人の創造のエネルギーを軽く見てはいけません」という答えが返ってきました。それを伝えるとたかしくん曰くモーフィックフィールドに作られたマスターとのこと。なるほど~すごく納得です。自由の女神というニューヨークの象徴的な建造物に対して過去、多くの人々が抱いた想いや意識が、モーフィックフィールドにエネルギーとして具現化しパワーを持ったということなんだなと。ここニューヨークで自分の夢を叶えたい自由に生きたいという想いをサポートしてくれる存在。自由の女神。ここに来る前私は、どんなメッセージをもらうのかな?と思ったのですが船の上で受け取ったのは「ニューヨークを離れてもチャレンジし続けなさい」というメッセージでした。はい、そうします。ニューヨークだけが夢を叶える場所ではなくてどこでも、自分次第でチャレンジの場所になるということ。やっぱり自由の女神は人々にパワーを与える存在なんですね。ブルックリンブリッジを見ながら最後のワイン。このレストラン、意外に美味しかったです。それから、家に戻って最後の片付け、パッキングをしてスーツケースになんとか詰め込み夜の9時30分にくれちゃんが車で迎えに来てくれました。と、近くに住んでいる茜ちゃんが、お見送りしたいと来てくれてなんとそのまま、一緒に空港へ。渋滞もなく、JFKに到着しくれちゃんは、車を離れられないので茜ちゃんがスーツケースをカウンターまで運ぶのをやってくれてとても助かりました。サンセットパークの茜ちゃん家が近かったからもっと遊びたかったなあ。そして、なんと空港に、ともこちゃんも見送りに来てくれていました。車で家から1時間半もかかるのにともこちゃんに取ってはたいしたことがない距離なんだそう。茜ちゃんが去った後しばらくの間、ともこちゃんと近況を立ち話。近況と言っても、この前一緒にドライブしたばかりですがこの1、2週間でまたいろんなことあったから話しは尽きないのです。こうして、最後はともこちゃんに見送ってもらってゲートをくぐりました。くれちゃん、茜ちゃん、ともこちゃん本当にありがとう🙏おかげで、寂しくなかったよ。ニューヨーク離れる時はきっと泣くなと思っていたけれどでも、みんなの暖かさが私の全身を包んでいて今、ただ幸せな気持ちです。そしてニューヨークで私と関わってくれた全ての人へ。たくさんの愛とサポートをありがとうございます。またいつかお会いできますように。それでは、行ってきます!(ちょうど1時間。ブログアップ間に合った!)
2024年08月23日
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今回の引越しで、日本に持っていく物を選んだり処分すると言うシンプルな作業の中でも自分の中にある感覚や想いに改めて気づいたり人の暖かさを感じたりまた、宇宙のサポートを感じたり。私にとって、全てが大切な時間でした。幸いなことに、20数枚あった絵はほとんど売れて最後に残っていた数枚の絵もお別れ会に来た人たちが引き取ってくれました。とても嬉しかったのは、イルカの絵。これは、以前の多次元スキャンリストの表紙にもしていたぐらい私に取って思い入れのある絵だったのですがサイズが大きいこともあって最後まで残っていました。このサイズは日本には持って帰れないしでも、捨てたくはないのである日、宇宙に「どうか、この絵の引き取り手が現れますように」とお願いしました。そのお願いのこともすっかり忘れて、また忙しい日々を過ごしていたのですがお別れ会の2日前ぐらいに突然、ある方から「イルカの絵が欲しいです。ずっと欲しいと思っていました」とご連絡があったのです。もともと300ドルの値段をつけていたものですがもうギリギリのタイミングだったので引き取りに来てくださったその方に「引き取って頂けるだけでありがたいので150ドルでいいですよ」とお伝えしたのですがその方は、「いえ、それは絶対にだめです。この絵は、ずっと前からいつか購入したいと思っていた絵なんです」そう言われて、600ドル置いて行ってくださってそのお気持ちがありがたく。金額そのものではなく本当に私の絵を気に入ってくれる方のもとへ引き取られて行ったことが何よりも嬉しくて。やっぱり宇宙は私の小さなお願いも叶えてくれるんだなと。さて、お別れ会が終わった次の日からテーブルや椅子、ワゴンや食器などの処分を始めたのですがお別れ会に参加した方の中で食器やコーヒーテーブル折り畳みのテーブル、鏡、ライトなどをもらって行ってくれた方が2人ほどいらしておかげで、引越し当日に捨てるものがかなり減って助かりました。先日、ここに写真を載せた35年以上も使い続けたあの時計も、引き取ってくださってもちろん、いつでも捨ててもらっていいものだけどこれまで刻まれた時を引き継いでもらった感じがして嬉しかったです。大型ゴミの日と日本への配送の日を同じ日にしたので引越し当日の朝から残った家具や椅子折り畳みテーブル掃除機、扇風機などを家の前に出しました。数時間後にはマッサージテーブルをのぞくほとんど全てのものを誰かが持っていてなくなっていました。ゴミとして出すものはできるだけ減らしたかったので、ほっ。そうこうしているうちにヤマトの配送の人が荷物の引き取りに朝9時頃に来られて先日の金髪、鼻ピアスの人とは違う方でしたがこの方もいい感じの方でした。日本に配送する絵が5枚ほどありそれを専用の箱に入れて梱包してもらうことになっていたのですがその方が「絵を描かれるんですか?わ~これいいですね。ちょっと見ていいですか?』と言われて、そこから、彼も絵を描くことそして、ヘビーメタルのバンドをやっていると言う話をしてくれました。私が「お~ヘビメタですか~最近のヘビーメタルは知らないけど私は、高校の頃マイケルシェンカー大好きでした」と言ったら、しばしヘビーメタル談義で盛り上がり。彼のライブ光景のビデオも見せてくれてめっちゃ激しく歌っていて会場大盛り上がりの様子が写っていました。「わ~この(彼の)優しいイメージとすごいギャップですね」と私が言うと「ライブで自分の中の全ての激しさを出し切るので普段は、落ち着いて穏やかでいられるんです」とのこと。なるほどなあ~自分の中の怒りや抑圧された想いを、大声で叫んで発散するセラピーがあるのですがもしかするとそう言う効果もあるのかも?なんてことを思いました。でも、こんな風に運送の配達の方に限らず今、その人がやっている仕事ではなく本業は、ミュージシャンとかアーティストなどが多いのがニューヨークの好きだったところかもしれません。私も昔、レストランやバーでバイトをしていた頃、よく「ところで、あなたの本業は何ですか?」と聞かれました。ここでは、本業というのは生活費を稼いでいる仕事ではなく自分が本当にやりたいこと情熱をかけていることを意味するのです。彼に最後に「ライブ、頑張ってくださいね!」とお伝えしたけれど本当にこういう人たちを応援したいなと。今回、その方との何気ない会話の中にニューヨークに来た頃の感覚も思い出しました。ということでヤマトの方は、2人でてきぱきと作業を進めあっと言う間に荷物を運び出して行かれました。残ったのは、大家が引き取ってくれるソファーベッドとエアコンのみ。テーブルがなくなったのでスーツケースをテーブル代わりに。この左側に、ドアが見えますがそこに小さな部屋があってそれが、この家の造りのちょっと変わっているところなのです。そこを、セッションルームにしていたのでこのリビングで、少し話をした後そのセッションルームに移動する流れでした。これは、リビングからのベッドルームに向けての風景。物が何もないと、めっちゃ広い。踊れそう。(てか、一応、踊って見た🤣)何も物がないと、音が響きます。ニューヨークには多いのですがこんな家の造りをレイルロードと言ってリビングからベッドルームまで4つの部屋がつながっています。奥のベッドルームは、そこそこ広いですが中の2つの部屋は、それぞれクローゼットがついていますがそれ以外のスペースは使い勝手は悪いのです。で、なんでこの写真を撮ったかというとニューヨークのアパートは玄関がないという話をしたかったからなんです。上の写真の右側のドアから階段が見えますがこの2階へ上がる階段は、私しか使わないのでこのスペースが玄関みたいになりここで靴を脱ぐわけです。でも、この玄関、一階からつながっているので完全にプライベートではなく日本の家みたいに玄関のたたきもないので正式な玄関というわけではないんです。ニューヨークのアパートで多いのは、玄関のドアを開けたらすぐにキッチンというパターン。私が以前住んでいた家もそうでした。ここは、1階から階段を上がってくると二つのドアがあって一つは、この写真のリビングにつながるドアもう一つのドアを開けると廊下があってその先にキッチンがあります。だから、日本に戻ってから楽しみなことの一つにオープンスペースではなくたたきがあって靴を脱ぐためのスペースがある玄関がある家に住むこと。日本では当たり前ですけどね。それと、日本ではバスルームとトイレが別々になってバスルームに湯船と洗い場があることも楽しみです。もうこちらに長いのでこちらのバスルームが嫌だとも思わなかったのですけど改めて、やっぱ日本のバスルームいいなあと。ワゴンと小さなテーブルがなくなっただけで広くなったキッチン。このバカでかいだけの冷蔵庫とお別れできるのもちょっと嬉しいこと。ニューヨークの賃貸は冷蔵庫などは、備え付けなので引越しする際に、楽なのですが一方で、この100年前からありそうな古い冷蔵庫を使い続けなければならないわけです。少し前にメールに「日本に帰ってきたら家電を買う楽しみができますね」と書いてくださった方がいましたがそんな楽しみ、もう長いこと忘れてました。でもね。色々日本の方がいいところはあるんですがそれでも、この家は最高に居心地よかったんですよね。ということで引越しから、3日間この何もない家で過ごしていますが何もなくても、結構やっていけるものだなと。物がなくても、落ち着いています。もっとも、ここ最近、ランチや夕食は友人と外食しているので家では朝食ぐらいなのですが。ニューヨークでの思い出を思い出しつつ最後のニューヨーク生活を楽しんでいます。(といっても、後1日だけどね)
2024年08月21日
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前回の日記から5日間。みんなとのお別れ会、家具や食器類の処分友人との夕食会、最後のパッキング日本への荷物の発送と怒涛のごとく時は流れてブログも、書きたいと思いつつ自己ヒーリングの時間さえも取れないでいました。いろんな方から、暖かなメールやカードを頂いてまだお返事もできていませんがこの場を借りて、本当にありがとうございます🙏今から、古い友人とのランチなので手短に(まとめることができるのか?)まずは16日の朝。全ての部屋を掃除しました。少人数の時は、掃除はリビングだけなのですが20人以上になると家中に人が散らばるので「え~そこの扉、開ける?😱」「え~そこで寝る!😲」みたいなことになりがちなので(これまでの経験上)どこを開けられてもいいようにどこで寝てもいいように、掃除。と言っても、掃除下手な私のことけして行き届いてはいないんですが一通り、終わってから、マスターたちに「今日、集まってくれるみんなに私は何をすることができるの?と聞きました。遠方からこのために飛行機に乗って来てくださったり予定が詰まっている中時間を割いて来てくださったりそして、この会を開く準備をしてくれているちさとちゃんやくれちゃん他のサポートの人たちに私は何をすることができるのだろう?と。マスターたちの答えは「今日は、ただ愛を受け取りなさい。あなたは、それにふさわしい人なのだから」という言葉でした。「ふさわしい」というのがその時、ピンと来なかったのですがそうか、ただ甘えればいいのだなと、その時はその言葉をさらっと流していました。かなり家具や物は減らしたけど椅子やテーブル類はこの日のために取っておいたので一見は、それほど変わってない家。前日から、くれちゃんが仕込みしたものや出来上がったローストビーフなどをここの冷蔵庫に持って来てくれていました。夕方4時に、くれちゃんが家に来て料理がスタート。サバのバッテラが美味しそう。その後、ともこちゃんがくれちゃんのヘルプに訪れてくれてちさとちゃんが、おつまみなど買い物に行き、旦那さんと一緒にワインなどを持って来てくれました。6時になって、人が集まり始め早い段階で、みんなで乾杯しました。この時のたかしくんのスピーチが素晴らしかった。「(彼が)自分の内側を見ていて抵抗や恐れを手放すことで今回の日本への帰国につながったこと、そして、そのツールをのりこさんから与えられた。だから、みんなもそれを生かしてそれぞれの歩く道を選んで行くことができます」というような内容でそんなことは普段は滅多に言わない人なので心の中でめっちゃ感動でした。乾杯の後、酔っ払ってしまう前にみんなで写真撮影。何人か後からこられたので写ってない方がいるけれど(後からも撮れば良かったですがやっぱり忘れてました)ニューヨーク在住の方を除くとニューメキシコからお2人カナダのトロントからお二人。多次元をやっている馴染みのメンバーもいれば以前、IHヒーリングの時によくセッションを受けられたり一緒にご飯したりしたけど何年もお会いしていなかった懐かしい方もそして、オンラインでは会ったことがあるけれど初めて対面でお会いする方もいて本当に、様々な方が来てくださっていました。くれちゃんの料理はいつもの如く美味しかったです。私はいつもパーティの中盤になるとお腹一杯で(気持ちも一杯になったのもあり)食べられなくなってしまうので後半に出て来たお料理は食べてないのですがみなさんから大好評でした。くれちゃんと、キッチンで手伝ってくれたともこちゃんの笑顔がとても良かったのでここに載せてしまいます。題して「熟練夫婦の厨房」だそう。あ~それと、この場を借りてなんですが後で、それぞれの方と写真を撮ったのですが私は、自分の携帯では、全く撮ってないので送ってくださ~い。この会の連絡のためのライングループにはみなさん写真や感想を送ってくださっているようなのですが私は、そのライングループに参加してないのでこれらの写真はちさとちゃんから転送してもらいました。会の途中、お互いに初対面の方も多いので、途中で一人ずつ自己紹介をしてもらいました。私が、「なぜアメリカに来たのか~とかそれが今、どう変わったのか~とか手短に話して」と言うと「え~そこから話すと超長くなる~」とみんなの声。確かに~🤣で、みなさんからの自己紹介なんですが、面白い過去のエピソードトークも飛び出して笑ったりまたは、その方が涙するのをもらい泣きしたり一人一人、みんな素晴らしくてずっと、みんなの話を聞いていたい気持ちでした。その中で、何人かの方が伝えてくれたことがいかに、私のセッションが支えになっていたかとかこの場所は、いざと言う時の駆け込み寺だった、とかそれがなくなるのが寂しいというようなことで自己紹介しながら泣いてくださって。なんだか、それを聞きながら心の中で「え~私、そんなすごいこと何もしてないんだけど」「何年もお会いしていなかったのにそんな風に思っていてくださったなんて」「まだセラピストとしても未熟だった頃にセッションに来てもらって、感謝するのは私の方なのに」と驚くことばかりでその時、何か、私の中にモヤモヤとした感覚があって何かすっきりと受け取れなかったのです。後で気づいたのが例え、何もしなくても自分が受け入れられているとか、愛されていると言う感覚は10代後半から持っている意識でしたがここまでの感謝や称賛や愛を受け取るのは(何もしてないし)ふさわしくないと感じていたことに改めて気づきました。だから、この日の朝マスターからわざわざその言葉を伝えられたことに後から気づいたのです。それで、次の日に自己ワークしました。自己ヒーリングした後改めて気づいたのは私は、ずっとやりたいことしかしてないと思っていたし実際そうなのだけれど毎日毎日、対面セッションをしていたあの頃。もし誰かに何かがあればどんなに忙しくてもなんとかその人のために時間を作ったし1回のセッションで5時間以上も立ちっぱなしでやることも多かったなあと。その頃は、当たり前だと思ってやっていた自分を思い出しああ、私は、いつも全力で頑張っていたのだなと。(今は、他に任せるセラピストさんも増えて来たからやらないけどね😉)それと、セッションを受けられる人に取って対面でのセッションはオンラインとは違うのだなと言うことに、改めて気づきました。セッションの効果云々ではなく自分が不安だったり、辛い時にセラピストがそばにいてセッションを受けられることがより安心感につながるのだなと。トロントから来られた方が「のりこさんが、遠くに行ってしまう~」と、涙されていたので「トロントって、もうすでに遠いじゃん」と言ったのですが彼女曰く『飛行機で1時間半の距離だし対面でセッションを受けに来ることができる距離だから」なのだそう。私は、ずっとセッションを行う立場だったからそれぞれがどんな気持ちでここに来られていたのかを本当の意味では気づいていなかったのかもしれないなと。たくさんの思い出が詰まったこの場所を離れることはとても寂しいことだけれど。でも、離れることを決めなければこの大切なことにも気づくことができなかったのかもしれません。最終的に、この日のお別れ会が終わったのは、朝6時でした。次の日。一人で部屋の片付けをしながらみなさんから頂いた寄せ書きと手書きの手紙を読んでボロボロと泣きました。「のりこさんがいなければ今の私はいませんでした」「エンパスの私はのりこさんのセッションがなければ、今の私が生きているかどうかもわからなかったです」「いつもセッションが楽しみで仕方ありませんでした』「のりこさんに感じている感謝をどう言葉にしていいかわかりません」ああ、私もみんなへの感謝を言葉に表すことができないでいます。パーティーの時はモヤモヤしていたけれどやっと、みんなからの愛と感謝をちゃんと受け取ることてきたよ😭みんな本当にありがとう。私を信頼してくれてつながってくれてあなたの人生の旅の一部に関わらせてくださって。本当にありがとう🙏ここでのたくさんの素晴らしい思い出をありがとう。そして、これからもよろしくね。
2024年08月20日
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ニューヨーク出発まで、残り1週間。一瞬、一瞬、いろんなことを感じてます。日本に住むことへのワクワクとニューヨークを離れることへの寂しさとが静かに溶け合っている感じ。いつもの慣れた道を通りながら「ああ、もうここを歩くこともないのか~」とノスタルジックな気持ちになる時もあれば友人の暖かさを受け取れば、感謝と共に別れの寂しさが大きくなったり。日本への便は、夜に出発の便なのですが先日、窓際の席を取ったことを友人に話したら、彼女が「飛行機の中でニューヨークの夜景を見ながら何を思うののだろうね〜』とラインで聞いてきたのでそれまで、その瞬間のことは考えたことなかったけど出発の時に、空からニューヨークの夜景を見ている自分をイメージした瞬間にボロボロ泣いていました。やっぱ、私、めっちゃ、寂しいんじゃんそりゃそうだよね。人生の半分以上を過ごしたたくさんの思い出が詰まった場所を離れるのだから。また他のニューヨーク在住の方とメールのやり取りをしていてたまたま、そのことを書いたら「のり子さんがニューヨークを離れると涙が出そうになるってわかってちょっと安心しました。なんかブログからはもう気持ちは日本でニューヨークはきれいさっぱりなのかと感じたので。とお返事がきたのだけど大抵、ブログを書きたい時って前向きな気持ちの時の方が多いし例えば、ブログで楽しいことを書けばそれだけの感情しかないように思えるかもだけど人は、いろんな感情や感覚を同時に持っているものなんです。ブログに書いて、もう数時間後には、全く違う感情や感覚がやってくることもよくあります。さて、先日、ニューヨークでの最後の対面のセッションが終わったのですが最後にふさわしいセッションとなりました。その方は、私がキネシを始めた頃から来られている方でしたがここ何年かは、セッションはやっておらずお会いするのも1年ぶり。その方が「私、実は、のりこさんがニューヨークを離れると知った時見捨てられた、って感じたんです」と言われるのです。もちろん、その方は最近は対面セッションを受けられているわけじゃないし会うのも1年ぶりなぐらいなので私に見捨てられた、と言うより彼女が、もともと持っていた見捨てられることへの恐れが今回の私のことがきっかけで表に出たのだろうなと思うのですがでも、これって、ここがニューヨークだからこそ感じる感覚なんだろうなあと。もし、これが逆に、二人とも日本で1年に1度、会うか会わないかの関係の人がアメリカに行ったとしても見捨てられた感には、ならないでしょうから。つまり、私もそうですが一人で、ニューヨークにやってきてこの地で、頑張ってここに長く暮らしている人って友人というだけでなく戦友のような、同志のようなつながり感があるように思うのです。ニューヨークで暮らす方が日本より楽な部分も多いのですが一方で、ここで生き抜いていくのはそれなりの強さやエネルギーが必要で長いニューヨーク生活の中ではいろんなことがあるしそれぞれ超えてきたものがあります。もちろん、もう今となってはこちらでの暮らしに慣れているしそこまでの大変さはないにしてもこれまで、この地で生き抜いてきた同志が去ってしまうような感覚なのかもしれないなあと。その日の、彼女のセッションのテーマが「困難を手放し本当にやりたいことだけをやること」だったのもリンクしていてセッションの中で、これまでいかに、彼女が辛い状況でもここニューヨークで頑張って来られたのかが、ひしひしと伝わってきました。でも、もうその困難を手放してより楽に、より自由に生きるためにどう変化すればいいのかその道標となるようなセッションで私にとっても、とても印象的なセッションでした。ニューヨークに住んだとしても日本に住んだとしても他の地に住んだとしても。ハートで繋がっていればつながりの深さはずっと変わらないからね。さて、明日は私の家でのお別れ会です。25名以上が来られるとのこと。遠くは、カナダやアリゾナからも来てくださるそうでこれは、もはや「のりこ、ニューヨークを離れるの巻」ではなく、「のりこ、北米大陸を離れるの巻」になってるかも~~🤣まだ日本への荷物は出していないので段ボールが積まれている家に25名も入ったら、どうなるのかわかりませんが。(掃除、行き届いてないけど、まあいいか)←ここは達観しようニューヨーク組と海外組のそれぞれの歴史やストーリーを聞いてみたいなと。きっと、一晩じゃ足りないわね☺️
2024年08月15日
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一昨日、ロードアイランド州にあるお店にクリスタルボールを買いに小旅行をしました。ロードアイランドって言われても土地勘が全くない私に取ってはどこ?って感じなんですがニューヨークからだと車で3時間半ぐらい。今回、そこに行くことになったのはニューヨーク郊外ウェストチェスター在住のともこちゃんが去年、たまたま、その店を見つけてクリスタルボールを購入したのですがその店の話がとても面白そうだったので日本への帰国が決まった時点で帰る前に、一度、行ってみたいと言うことで連れて行ってくれることになったのです。この日、8月11日に一緒に行く約束をしたのが確か6月の初め頃。つまり、私が6月にイギリスでクリスタルボールをスられて失くしてしまう前のことでした。その後、その旅から戻ってから私はクリスタルトーン社の人とメールでやり取りをして一つ、アルケミーシリーズを購入したばかりだし今、引越しの準備も大詰めになっているので一瞬、どうしようと思ったのですがガイドの後押しもあり予定通り、行くことにしました。まずは、ニューヨークの中心の駅グランドセントラル駅へ。ここに来るのでさえ、久々です。ここから快速の電車に乗り、1時間でStamfordの駅へ。そこで、ともこちゃんが車でピックアップしてくれてそこから車で2時間のドライブです。久々のニューヨーク郊外のドライブなのでそれだけで、楽しい。おしゃべりしているとあっと言う間に到着しました。一人のイカツイ男性が出迎えてくれます。ここは、予約オンリーで事前予約しないと店は空いていないのでともこちゃんが、6月に予約を入れておいてくれていました。一軒家の2階がショールームになっていてクリスタルボールを展示している場所の前に、キッチンやバスルームがあり雑然としているのですが嫌なエネルギーはありません。クリスタルボールが逆さに展示されているのは少し前に小さな地震があったからだそう。やっぱり、たくさんのクリスタルボールを目の前にするとテンション上がります。私は、持ち運べるサイズのものがいいのでそのサイズの中から選びながらそれぞれの音を聴いてみました。クリスタルトーンのアルケミーシリーズはどれも素晴らしくて迷うところなのですが一応、ガイドに聞いてみると今日、選ぶものはこの階にはないと言われます。それで、店の人が1階にも展示していると言うので1階に降りて行きました。床には、シンギングボール。棚のクリスタルボールを見てみるとそれは、見つかりました。Sugilite Platinium 7インチのG。スギライトは、昔から私の好きな石の一つで癒しや浄化に有効とされている石ですが私に取っては、癒しとともに深い叡智を感じさせる石です。私は、喉が弱くていろんなものが喉に来てしまうので喉のチャクラに対応しているGなのもいいし鳴らした時の波動もめっちゃ高い。あ~巡り合えた感。もう即決して、購入しました。他にもいいなと思うものはあったのですがこれ以上は、手荷物として日本に持って帰るのが大変になるのとガイドにも止められたので一つだけにしましたがやっぱり、実際に音を聴き比べて選ぶことができるのはいいなあ。ともこちゃんはエジプシャンブルーのハートチャクラFクリスタルボールを購入。その後、彼が作っているゴングを見せてくれると言うので地下のガレージに行きました。圧巻のゴングたち。フラワーオブライフ入り。彼が「どれが聞きたい?」と聞くので、一番大きなものを差すと「では、ここに立って」とゴングの目の前に立ちました。これが想像を絶するほど凄かったのです。彼が鳴らしている間私は完全に宇宙にいました。宇宙の愛に包まれる感覚。気がつくと、泣いていました。これまで、いろんなゴングを聴いて、そのパワーは実感していたけどゴングを聴いて泣いたのは初めてのことです。浄化作用もすごいけど完全にハートが開く音でした。終わった後、彼の顔を見てお互いに、目を見つめて笑いました。その優しい目を見て彼は、私が何を感じているのかをわかっているこことが、わかりました。これ、すごすぎるでしょ。正直なところこの部屋にあるゴングのサウンドはクリスタルボールのサウンドが霞んでしまうぐらいのエネルギーでした。ああ、こんなゴングを自分一人で作るなんてこの人、ひょうひょうとしていているけどどんだけすごい人なんだろう。以前、ここを訪れた時にともこちゃんが彼から聞いた話だと元々、彼は、ニューヨーク市で不動産業をやっていたのだけど病気になってしまいそれでクリスタルボールを聴きまくっていたら病気が直ったのだそうで「クリスタルボールに救われた」と語っていたのだそう。それから、自分でゴングを作り始めたのだそう。「クリスタルボールに救われたからクリスタルボールを販売し始めた」というところまでは、わかるのだけどそれをきっかけに、自分で、こんなゴングを作ってしまうだなんてそこが、尋常ではないわけです。私が「ここのビジネスカードある?」と聞くと持ってないとのこと。販売しているけど特にビジネスをする気がないですよね。でも、それでも今から、ロスに出荷すると言うゴングがパッキングされていたしこの場所にたどり着いてこのゴングを手に入れる人たちもいるんだなあと。もし、一軒家に住んでるなら絶対に、このゴング欲しい。そんな時が来ることはあるかどうかわからないけど。日本への配送もできるそうです。本当にここに来れてよかった。それから、別れを告げ海沿いの街で食事しました。レストランの目の前がヨットハーバーが雰囲気も良かったし美味しかったです。その後、私が処分するクリスタルを自然に還すためともこちゃんの住んでいる街までドライブしました。以前、アルクトゥルスクラスのアチューメントを行ったドルメン。中に入ったのですがやっぱり、ここの波動高い。ニューヨークを離れる最後にこの思い出の場所を訪れることができたのも良かった。もうすっかり日が落ちた中で人がこない池のほとりまで歩いてその池に、結構、大きなクリスタルも含め10つほどクリスタルを投げ入れました。多分、ここならずっと安らかに眠っていられるでしょう。ということで日帰りのニューヨーク郊外への旅だったけど素晴らしい1日となりました。連れて行ってくれたともちゃんには、本当に感謝。またニューヨークに住むことはなくてもいつか、またあのクリスタルボール&ゴング屋を訪れるために、ニューヨークに戻ってきたいな〜その時は、ハワイの一軒家とかに住んであのゴングを買って家でリトリート開いたりするのも楽しそう。そんな夢をイメージしてしまうほど心に残る体験でした。
2024年08月11日
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先日、ある多次元のセラピストさんのセッションを行う前に事前リーディングを行ったのですが「ある程度、その人が自己調整した後にセッションを行った方がいい」とガイドから伝えられたのでその方に軽くリーディング内容をお伝えしました。その中に、マーカビアン、ゼータ系遺伝の特徴的な性質である「ヒーリングが問題解決」という言葉をあげていたのですがその後、その方から「「ヒーリングが問題解決」とありますが、この意識のどんなところが問題になるのでしょうか?」というご質問がありました。この問題解決思考がヒーリングにおいて、なぜ問題なのか多次元をやってきた人であっても曖昧な理解なのだなあということを改めて感じたので今回、そのご質問をここで取り上げてみることにしました。「問題解決意識」の全てが問題なわけではないのです。例えば、あなたがある会社のクレーム担当の仕事だったとします。日々、寄せられるお客様からのクレームに対応してゆく必要がありその時に「流れに委ねてみましょう」とか「お客様の怒りが落ち着くのを待ちましょう」などとは言っていられないわけでその問題を早急に解決するのがあなたのお仕事ですからそういう仕事では、ある程度問題解決思考で取り組む必要が出てくるわけなんです。(この「ある程度」というところが大切でそれについては、また後で説明しますが)ヒーリングに関してもある程度は問題解決思考が必要です。例えば、体調が悪いのにそのまま何も対策を取らないでいてはずっと悪いまま、ということにもなりがちだし体調を良くするためにつまりは、問題を解決するためにヒーリングを行うという選択や行動が必要になります。ところが、問題を解決するためにヒーリングを行うという意識が基本になってしまうと実は、深い自分の問題は見れなくなってしまうというパラドックス的なことが起こります。もし、あなたがお金の問題もあるし、夫との関係も問題だし仕事も問題、体調も悪い、など。「私は、あれもこれも問題だ」と思っている人だったとします。そうなると、解決するべき問題が山積みしていて、それを解決するべくヒーリングを行うわけなんですがそれらの問題が解決されない間はずっと「私は不十分」という感覚を持ち続けることになります。この「私は不十分」という意識こそが実は、問題なのですが問題解決思考ではそういう意識になりがちなのです。さらに、解決することが目的になるとその時々の感覚の変化やプロセスを楽しめなくなります。すると、何かのきっかけでヒーリングに対するモチベーションを失ってしまいがちなのです。(そういう人をたくさん見てきました)では、逆に、今、差し迫っての問題を感じていない人の場合もし、その人が「ヒーリングは、問題を解決するために行うもの」という意識だと問題がなければ(特に自分で問題だと思っていなけば)ヒーリングをやらないということにもなりがちで、そうなると、さらに自分の可能性を開いてゆくためのヒーリングを行うことができなくなるのです。例えば、私が事前リーディングを行って「セッションまでにこのレプとグレイを浄化しておいてください」などと伝えると問題解決思考の方はとても頑張って、自己調整に励みセッション当日に再び、リーディングすると「おお~、よく浄化しましたね~」ということになったりするのですがそれは、私が「ここが問題ですよ」と指摘したから「問題解決のために」頑張ったのであってもし、問題だと自分で認識できないと深いところまで見ようとしないのです。多次元キネシオロジーに関して言えばこの問題解決思考は上級レベルになればなるほど手放してゆく必要があります。最初に、多次元を学ぶ時は問題解決思考でもいいのです。というより、ほとんどの人は何かしらの自分や家族の問題を解決したいと思っていなければヒーリングメソッドを学びたいと思わないからです。でも、多次元をやっているうちにだんだん気づいてきます。本当に変化させる必要があるのは自分が問題だと認識している部分ではなく別のところにあることを。ヒーリングをスタートするための取っ掛かりとしてはどんな問題であってもいいのです。でも、それを紐解いてゆく内に本当に深い要因に行きついて「ああ、魂は、私のハイヤーセルフはこれを解放したいためにこの問題を抱え続けてきたのか」などと、その問題があったことで深い要因と向かい合うきっかけを与えてくれていたことに気づくのです。(それが、先日、インスタにあげた「魂が震える感動」であり「魂の学び」となるのだけど)でも、見えている問題を解決しようという思考では、本当に深いレベルで解放する必要があるものが見えてこないのです。また、問題解決思考ではガイドやマスターたちからのメッセージはブロックされます。例えば、今回、私が日本に戻るきっかけはマスターたちから「ニューヨークを離れて日本に戻りなさい」というメッセージを受け取ったことがきっかけでしが私は、それまで、ニューヨークに住むことに関して問題だと思っていたわけではないし日本に帰ろうかどうか迷っていたわけでもないのでもし、私が問題解決思考でいるならこのメッセージは、受け取ることが難しくなるのです。マスターやガイドは私たちが問題としていないところを教えようとしてくれるし人間の意識では到底わからないところまで伝えようとしているので宇宙のメッセージを聞くためには「問題を解決するためにヒーリングをする」という意識から完全に抜けている必要があります。つまりは、問題解決の意識というのはマインドのコントロールなのです。問題を解決しようとせずにただ、その問題から自分が何に気づくべきなのか?を見てゆくのです。そうすれば、結果的に問題解決につながる時もあればその問題は解決されないけれどその問題に対する意識が変化することもあるしその結果は、委ねることが大切なのです。では、ヒーラーではなく普通に会社や企業で働いている人はこの問題解決思考が必要かというと必ず’しもそうではありません。ちょっと、この例が適切なのかどうかわからないのですが最近、あったことで説明してみます。日本に戻ってから、賃貸契約をする時などに日本で住民票がない人は在留証明書(アメリカに住んでいたことを証明するもの)を取っていた方がいいよと勧められたので、先日、日本領事館に在留証明書を取りに行きました。申請書に記入したものを窓口で提出すると担当の女性が「あなた、在留届は出してますか?」と聞いてきたので「出してません」と答えると「それでは、それをまず出さないと在留証明書は、出せませんね。こちらでプロセスを進めていますのでこちらのQRコードからオンラインでアクセスして在留届は出してください」と言われたので「わかりました」と待合の席に戻りオンラインで在留届を登録しようとしたのですが最初にメールアドレスを入れてそのメールに送られてくるURLをクリックして登録とあるのですがメールアドレスを登録してもメールが届きません。なんでだろう、とあれこれやっているうちに名前を呼ばれ今度は、別の窓口に行くと出来上がった在留証明書を渡され「在留届はもう出されましたか?」と聞かれたので(なんだ、在留届を出さなくてももう在留証明書できてるやん)と思いつつさすがに、そんな野暮なことは言わず「いえ、トライしているんですけどメールが送られてこないので進められないんです」と答えると「それは、今まで一度も届を出していなかったからでしょう。初めての人は、メールアドレスを登録しなくても、登録できるはずですよ。もう一度、そこでやってみてください」と言われたのでまた席に戻ってやってみたのですがやはり、オンラインには最初にメールアドレスを登録してそこに送られてくるURLをクリックしないと登録できないと書かれてあります。と、ここで気づいたのはここにいる方たちに取っての解決するべき問題は「アメリカに住んでいるのに在留届を出していない人を減らすこと」であって、それは、もちろん安全面などの理由からよくわかるのですがでも、私は、今から日本に戻ろうとしている人なので実際は、在留届を今、出す必要はないのです。さらに、彼らは、オンラインでの登録のことは、よくわかっていないのでここで、もし私が「やはり、オンライン登録ができません」と伝えるとなんとかその問題を解決しようと時間だけが費やされてしまうことは明らかでした。(実際は、私のメールボックスが一杯で、メールを受け取れなかったことが家に戻ってからわかったのですが)ということで、それ以上は何も伝えす在留証明書を持って帰ってきました。(ばっくれた、とも言う🤣)つまり、問題解決思考でいると本当に解決するべき問題でないことを解決しようとしたりまたは、解決するべきタイミングでない時に頑張ったりしてしまうのです。これは、たまたま最近あった一つのことを例として挙げましたがそういうことは、山ほどあって問題解決思考でいると柔軟性を失い本質を見失ってしまうのです。実際、これは典型的なマーカビアン、ゼータレチクル系の思考パターンなのでこの遺伝が強い人は、どうやっても自然とその思考パターンになってしまいがちなのでまずは、自分の無意識の思考パターンに気づくことが大切だなあと。ということで長々と説明してしまいました。その方のご質問に答えているようで実際は、ただ私が書きたいことをつらつら書いてるだけと言えるかも🤣(ブログの題材を頂いた感じかな〜)
2024年08月10日
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先日、ヤマト運輸の方が、段ボールや梱包用品を家まで持ってきてくれたので箱詰めをスタートしました。日本の税関を通るために内容物の全てのリストと価格表を作成する必要があり例えば、日用品とか文房具、雑貨などと書くのは、だめだそうで税関の方が、何が入っているのかはっきりわからないと箱を開けられてしまうとのこと。またサプリメントや化粧品、石鹸などは成分を調べられてラボお送りになる可能性が高いとのことでもしラボ送りになれば船便の通常4ヶ月で到着するところが半年かかってしまうので入れない方がいいとのこと。どちらにしても4ヶ月もなしで暮らせるものならそのままずっとなしでも暮らせるんじゃないかと思ったりもします。このリスト作りが結構、面倒でした。箱に何かを詰めてスペースが残っていると適当に必要な雑貨類を詰めてしまいたくなるのですがそういうわけに行かず小さなものまで一つ一つリストに書いて行きました。で、リスト作成を終わった後ヤマトに送ったのですが担当の方が「音叉が多すぎるので日本の税関に問い合わせます」とのこと。この引越し便は、商用では使えないので量が多いと、商用だとみなされてしまうのだとか。わ~ん、この音叉を送るのが私にとって、一番大切なことなのに。でも、ヤマトにしてよかったな~と思うのは対応もいいし先日、段ボールを持ってきてくれた人もいい感じで(40代ぐらいの日本人男性で金髪に鼻ピアスなんだけど)とても目が綺麗で優しくてやっぱ、人の第1印象って目だなあと思いながら話していました。ヤマトは、最初に電話の画面上で見積もりしてくれた時も手早く、スムーズでした。一方、次の日に、日通にも見積もりをしてもらったのですが日通の方の担当は、融通が効かない感じで余計な説明を長々とするのでここに頼んだら、めんどくさそうと思いもう見積もりに関係なくヤマトにしようと日通の見積もり書を送ってもらう前にヤマトの方に連絡して「そちらでお願いすることに決めました」とお伝えしていました。その時は、日通の方が安そうだけど安さより、心地よさの方が優先だと思ったのですがところが、5日後に日通から見積もりが送られてきたので見てみると、日通は5500ドルでヤマトの3800ドルより1700ドルも高かったのでした。もちろん、たまたま私の場合はそうだっただけで荷物の量によっても違うでしょうがそういう違いがわかっただけでも二つのところに見積もりしてもらってよかったです。さて、昨日は、ドレッサーとファイルキャビネット今日は、本棚を引き取りに来てもらいました。どれも引き取ってもらえるなら無料で構わなかったのですが無料だと問題のある人が連絡してくる可能性も高くなるので、それぞれ20ドルずつで告知したら、すぐに買い手が見つかりました。かなり長い間、使っていたけれどどれも、状態がよくて綺麗だったのでこういう家具って長く持つものなのだなあと。本棚は、私の首の高さぐらいあり結構、重いので一人では、持ち運べない大きさ。もともと、本棚としてではなくフラワーエッセンス置き場として使っていましたが今回、フラワーエッセンスもほとんど処分したり、人にあげたのでもうこれからは、棚は必要ないしドレッサーもファイルキャビネットも今は、なくても問題なく暮らせてます。これからは家具は、できるだけ買わないようにしたいなと。(私の弟は、家具メーカーに勤めているのだけど)20代の頃は、家具がなくて絵だけが飾ってあるギャラリーみたいな部屋が好きだったこともあり25歳の時、トランク一つでニューヨークにやってきた後も家具は、ほとんど買わずにいて29歳で、当時付き合っていた人と結婚するために、一度、日本に戻った時もトランク一つで戻ったので考えて見れば、大掛かりな引越しを体験するのは初めてのこと。18年、同じところに住み続けていたこともありいつの間にか、随分と物が増えていたんですね。そうそう、以前にも話したと思うけれど35年前に、初めて日本からトランク一つでニューヨークにやってきた時に、持ってきたものがまだ一つ持っているのです。壁掛けの時計。何の変哲もない時計だけど35年も、壊れることなく、私と共に時を刻み続けてくれたんだなあと思うと、感慨深く。さすがに、今回は処分しようと思っていますが記念に写真、取っておきます。ベッドは、当日、ヤマトに引き取ってもらいソファーベッドとエアコンは大家が引き取ってくれるので出発前日まで、ソファーベッドで寝ることができるしエアコンも使えるのでラッキーでした。と言っても、昨日から、最高気温23度で外は、半袖だと肌寒い感じですでに長袖は、トランクの中にしまっていたのでまた取り出したぐらいです。また暑くはなると思いますがもしかすると、もうエアコンも使わないかも。日本に行ったら、また夏を体験できるな〜「アメリカから日本への引越し事情」とかタイトルにつけてみたけど誰の参考にもなりそうにない🤣
2024年08月08日
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先日、私の甥っ子9歳とMちゃんの娘が仲良くぬいぐるみを持って写っている2ショット写真を義理の妹、Yちゃんが送ってきてくれました。Mちゃんは、多次元のキネシオロジストで私にとって、妹みたいな存在そして、Yちゃんは、もはや血の繋がった妹。その二人が、最近仲良くなってそれぞれの子供が1歳違いなので一緒にお出かけしてお揃いのぬいぐるみを買ったのだそう。めっちゃ可愛くてそれを見ているだけで、癒されるのですがYちゃん曰く、家に戻った後甥っ子がYちゃんに『僕がぬいぐるみを好きって二人(Mちゃんとその娘)に言っててくれてありがとう。おかげで、かっこつけずに過ごせてめちゃくちゃ楽しかった」と言ったのだそう。ママにそんなことのお礼を伝えるなんてなんと可愛いの、と思うと同時にってことは、甥っ子の周りで「男の子がぬいぐるみを好きなんてかっこ悪いこと」という認識があってそれに合わせることは楽しくないと感じているんだなあと。自分が自然体でいられないことは楽しくない、とちゃんと理解していることがとてもいいなと思うしできれば、これから周りがどうであれ好きなものは好きだと言えるように育って欲しいなあと。周りの意向に合わせる、ということを日本の子供たちはいつの間にか、自然とやっているんですよね。これは、日本人の持っている遺伝的な性質でもあってマーカビアン、ゼータレチクル系の遺伝は「周りに合わせる」「物わかりがいい」「上から言われたことに従う」という性質を持っている遺伝で周りに合わせることをストレスとも感じずいつの間にかそうなっているのです。私も、もちろん、この遺伝は持っていたわけですがそこまでこの性質が活性化してなかったのはきっと、母の影響が大きいのだなあと最近、何人かのマーカビアン、ゼータ系遺伝調整のセッションをして改めて思いました。例えば、私は、昔から重いカバンがダメで革の小さなクロスボディのバックはたまに使いますが普段は、バックすら持ち歩かない状態です。で、思い出すと、小学校1年生に赤いランドセルを買ってもらったものの「重いから持ちたくない」と母に言ったら母は、教科書を入れる布のバックを作ってくれて私はクラスの中で、一人だけランドセル持っていかなかったのです。普通だったら「せっかく買ったのだから使いなさい」とか「みんなが持っているのだから我慢しなさい」とか言われそうだけど母は、そんな風に周りに合わせることは言いませんでした。他に思い出すのは、小学校の頃の女の子の黒いブルマーも嫌いで一人だけ、短パンを履いてました。周りに合わせる必要を子供の頃から感じていなかったのはそういう母の受け入れがあったからなんだなあと、だから、社会人になって問題児となるわけで😅上司や上から言われたことにそのまま従うという意識ではなかったので例えば、会社に入って、オフィスで帽子をかぶっていて上司に「室内では帽子を脱ぎなさい」と言われた時に「帽子も服の一部ですから」と脱ごうとしなかったり色々とトラブルを引き起こしていました。今、思えば「帽子ぐらい脱げよ」という話なのですが私が若い頃に、日本を離れたかった理由の一つはこの周りに合わせる風潮が当時の私には合わなかったことも大きいように思います。日本からニューヨークに来て長く住んでいる人のほとんどは周りに合わせることができない人たちと言えるのかも🤣だから、ニューヨークに住むのが楽に感じるわけなんです。でも、今となっては雇われて働いているわけじゃないし何をしようが、自由なわけで私は人に合わせるマーカアビアンやゼータレチクル系の遺伝は持ってないので周りがどうであれ、息苦しく感じることはもうないんじゃないかなと。暮らしてみないとわかりませんが。そんなことを感じているこの頃です。
2024年08月04日
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1)筋反射では、未来はわからないというのは、キネシオロジーの基本です。生まれてからこれまで、または生まれる前のこともハイヤーセルフは、全てわかっていますが先のことは、わからないのです。5分先に、電車がくるかどうかハイヤーセルフは知りません。自分自身の未来に対してもこれから出会う人によってまたちょっとした行動や選択によって変わるので、不特定要素が多いためわからないのです。また2)筋反射では、他の人のことはわからないというのも、基本です。その人へセッションをすれば、その人のことがわかりますが自分に聞いて、他の人のことを知ることはできません。子供の頃に、お母さんに対して本当は自分がどう感じていたのか?はわかりますがまだ会ったことがない人がどんな人なのかを知ることはできないのです。さて、その基本を踏まえた上で、ですがガイドやマスターたちは近未来なら、伝えてくれることがあるし知らない人のことに関してもある程度まで、伝えてくれることがあります。もっとも、その分、ブロッキングも起こりやすくなるので二元的な選択にならないように慎重になる必要はありますが私は、これまで、何度もヘルプしてもらってきました。もちろん、質問しても答えてくれないこともよくあります。今回、私が日本に戻ってどうするのか、に関してはまだ何も答えてくれず「今に意識を向けなさい」『ゆだねなさい」と言われるので今は、知る必要がないことなのだなと理解しています。ただ、私は、ダメもとで、どうでもいいことに関してもガイドによく質問しています。「そんなことは、質問せず自分で選びなさい」と言われることもありますがアドバイスしてくれることもあるからです。ガイドにどうでもいい質問をしたからと言ってガイドは、愛想を尽かしたりはしません。むしろ、コミュニケーションを取らないでいる方が離れてしまうことが多いのです。さて、先日、電子ピアノを売る時のこと。(相変わらず、前振り長いわ😅)こういう時、一番、早く売れるのはクレイグズリストです。他のサイトも色々ありますがクレイグズリストは、圧倒的に、みてる人の数が多いからです。ただし、クレイグズリストはコンタクトする人は、自分の身元を明かすわけじゃないのでスパムや変な人がアクセスしてくることも多いです。特に「無料であげます」と載せると、大勢の人が連絡してくるので無料であげるものは、他の登録制のアプリに載せています。クレイグズリストでの犯罪も結構起こっていて確かフロリダだったかクレイグズリストで、連絡してきた人を家に入れて、殺されたケースなども何度かあっていました。玄関先で、引き渡せる物なら人も周りにいるしそこまで危険ではないのですが家の中まで入ってきてもらう必要がある場合は気をつける必要があり一人暮らしの人は、友人などを呼ぶことなどとどこかに注意勧告も出ていました。なので、少し前に、スチール製のトングドラムを売った時は玄関先で手渡したのでクレイグズリストでも、問題を感じなかったのですが88鍵の電子ピアノは、スタンド付きで、重いので私一人では、2階から1階にはこぶことができず家の中に入ってもらう必要があったため最初、登録制のアプリに掲載していました。でも、1週間以上たっても、誰も連絡がなかったのでクレイグズリストに載せてみたら30分後には「買いたい」と連絡がありそれから、何人もの人から連絡がありました。それで、最初に連絡してきた人とやりとりをしていたのですがなんか、この人大丈夫かな?と思う感じがありました。日本語でも、メールのやり取りをするだけでやばそうな人は、何となくわかると思うのですが例えば、ぶっきらぼうに質問だけ、書かれてあるとか丁寧に答えても、ありがとうの一言もないとかこちらが、名前を書いているのに自分の名前は書いてないとか。それで、念のため、私の住所は教えず近くの角で待ち合わせることにして私の電話番号を教えて「あなたの電話番号を教えて」とメールで書いたのですがそれからの返信が「君、日本人?」とだけ質問があってその人の電話番号は書かれてなかったのであ、これはやばいやつだ、と思ってガイドに一応、聞いてみたわけです。すると、ガイド曰く「彼は大丈夫だ、何も心配はいらない」というメッセージが来たのでかなり半信半疑だったのですが待ち合わせることにしました。そう、ここで前振りとつながるのですが本来は、筋反射では聞くことができないことに関して聞いているので、半信半疑なのです。近くに住んでるくれちゃんとか誰かに一緒に家にいてもらうことも考えましたが、相手は「試し弾きをしてから購入を決めたい」とのことだったのでもし購入しないのならその度に誰かに家に来てもらうわけにも行かないし、とここは、筋反射でのメッセージに従ってみることに。で、引き取り日の当日窓から、何気に外を見てみると黒いガラスで中が見えなくなっているバンが、家の前で止まりそこから、筋肉隆々のいかにもやばそうな黒人男性が降りてきて待ち合わせ場所の角の方に向かって歩いてゆくのが見えました。ヒェ~~やっぱこれ、やばいやつじゃん😱盗まれるのはいいけど殺されたら、洒落にならんわ。と思いつつ、最悪、やばそうだったらなんだかんだ言って断ろうと家を出て、角に向かいました。すると、その角には先ほどの男性はおらず代わりに、ヒョロヒョロと痩せたアジア系の若い男性が立っています。もしかして、この人?と思い私が彼を見ていても相手は、私が日本人だとわかっているので彼の方から気づくだろうと思うのですが彼は、私の方を見ようともしません。しばらく立っていても、他に誰も現れないので「あの、もしかして、ピアノの人?」と聞くと、彼はコクンと頷きました。ああ、なるほど。彼と会って、違和感のあるメールがやっと理解できました。いわゆる、自閉症傾向というか人と目を合わせることができないコミュ障害の人です。韓国人で、まだ10代かもしれません。どう見ても悪いことができそうな人ではないのは明らかで、一気に安心しました。「一人で運べる?」と聞くと、コクンとうなずきます。結局、スタンドを外して本体だけ持って帰ることになり私はいつの間にか「はい、この袋に包んで。あ、この楽譜立てを、忘れないで」とお母さんのように、お世話してました。最後に、彼は、私と目を合わせず「ありがとう」と言ってウバーに乗って帰りました。やっぱ、ガイドの言うことは信頼しよう。ガイドを疑っているというよりこういう情報は、ブロッキングの情報じゃないかととりあえず、疑ってしまうのはキネシオロジストの習性なのですが。で、前回、龍の絵をブログに掲載しましたがそれも、前日に「この絵、持って帰ろうかなあ」と思い「そんなこと、わざわざ聞くな」と言われるだろうなと思いつつ一応、ガイドに聞いてみたら「この絵は、引き取り手が現れるから日本には持って帰らない」と言われたので、半信半疑でブログに掲載したのです。そしたら、やはり、次の日にこの絵を引き取りたいという方から連絡がありました。他にも、具体的な行動や選択に関してガイドのアドバイスをもらっているのですがどうでもいいような荷物の整理までガイドにお手伝いしてもらっているというお話でした。(どうでもいい内容が、長い😅)さて、今日、1階に住んでいる家族から小さなギフトをもらいました。サンセットパークのキャンバス地の小物入れ。この絵、手前に教会があって遠くに、海とマンハッタンが見えるまさにサンセットパークからの景色なのです。カードには「これまで、素晴らしい隣人でいてくれてありがとう。あなたと共に、サンセットパークのコミュニティでいなくなることを寂しく思います。あなたがこれからも最高の人生でいれますように」というメッセージ。なんだか、泣けてくる😭日本でこれを見る度にサンセットパークのことを思い出すのかな。1階の家族は、カメラマンの旦那さんと学校の先生の奥さんとの間に6歳の娘がいます。私は18年、彼らは11年ここに住んでいて彼らも9月に引越すのですがまだどこに行くかは決まってないそう。私は、あまりいい隣人だったとは言えないような気がするけど。私は、日本との遠隔セッションは夜中過ぎることも多くてでも、いつも気にせず音叉やクリスタルボールをガンガン鳴らしていたけれど一度も、文句を言われたことがなく本当にありがたくて。(意外に、2階の音は、一階には響かないのもあるけど)お礼をするのは、私の方なのに。福岡でも、隣人に恵まれたらいいな〜。部屋選びの際は、またガイドやマスターたちにヘルプしてもらうことになりそうです。
2024年08月02日
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