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男なんてどいつもこいつもしょーもない根性なしや 徒然亭草若今日は仕事が休みだったので、いつもの休日のように8時に起きて、ニュースを見ながら朝御飯を食べていたのですが、チャンネルはいつの間にかうちの日課であるNHKになってました。今までにも何度かうちの両親はNHKの連続ドラマ小説である「ちりとてちん」を楽しみに見ていると書いたことがあると思いますが、今日も今日とてそのチャンネルに。僕は休みの日にしかそのドラマは見ないのでいつも飛び飛びで見ているのですが、今日の「ちりとてちん」はなかなか良かったです。というか、むしろ感動してしまいました。物語としては、草原兄さんの緑姉さんとの馴れ初めの話だったのですが、男が頑張る理由というのを主題にしていつまでも目の出なかった草原兄さんと緑姉さんを結びつけた草若師匠の語りというもので回想しながら展開していったのですが、この話はまさしく男の僕の立場からしてもその通りのものだなぁと思いました。一口に頑張ると言っても自分ひとりのために頑張ることほど、張り合いもやりがいも湧かないものはないと思います。けれど、誰かのため、誰かを喜ばせたいために頑張るとなると話は違ってくるもので、そのためにはどんな苦労も苦労と思わないくらいの力を出すことが出来るものです。冒頭の草若師匠の言葉は、最後の新人コンクールに出場した草原兄さんが落選すればいつまで経っても芽の出ない落語家に付き合わすわけにはいかないと緑姉さんと別れるケジメを宣言したにも関わらず、落選してしまったときに草若師匠が草原兄さんのネタを見たときに言った言葉です。お前はこれから賞を取ることは出来ないと断言した師匠、それは誰かを喜ばせたいという存在がいなくなったときに、男というものの本質を知っていた師匠が本当に大事なことは何かと草原兄さんに教えた言葉でした。僕はこの「ちりとてちん」を本格的に見始めたのは、徒然亭が解散して一門のみんながばらばらになったとき、まだ草々兄さんが草原兄さんの家に厄介になってた頃のときです。それまでの話の流れは全くわからなかいながらも草原兄さんの落語に対する思いや、落語家を辞め上手くいかないながらも普通の仕事に就いた草原兄さんをあたたかく見守る緑姉さんの姿がいまだに印象的だったので、まさかここでその二人の馴れ初めが見れるとは思わなかったのですが、とてもいい話だったと思います。いや~、本当に今回のNHKテレビドラマ小説はなかなか面白くて奥が深いものです。
2008.01.31
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僕は毎朝通勤で電車を利用しています。今までも何度も書いています、京阪電車、通称おけいはんから乗り換えて地下鉄を使っているのですが、この2線の電車はある意味対照的な感じになっています。というのも京阪電車は昔からですが、各駅のアナウンスは車掌さんがやっていまして、ついでに近くに何かあったり乗換え路線があるとそれも言ってくれるというのに対して、地下鉄のほうは音声のメッセージを流すというもの。まぁ、地下鉄のほうはワンマンみたいなので、あっちもやりこっちもやりとなると難しいかと思うのでそれも仕方ないことなのかなと思いますが、子供の頃からおけいはんを利用している僕としては京阪電車やJRのように車掌さんが話してくれるほうが落ち着くというものです。それなのに、今朝電車に乗り込むと不思議なことが。いつも朝は半分寝惚けながら電車に乗っているので、微かに聞こえてくるアナウンスを頼りに乗り換えたりするのですが、乗り込んだはいいのですが、しばらくしていきなり電車がスピードを緩めたかと思えば駅に着いたのです。あれ?そういえばアナウンスがなかったなぁとか思いながらも僕が聞き逃したのかと思えば、発車してからも次の駅のアナウンスもなく、代わりに無線で話している音が車内に流れてました。って、完璧に車掌さんはマイクの電源を入れ間違えてるし。1両目に乗っていれば、たまに無線のやり取りが聞こえてくるのですが、僕の乗っていたのは4両目くらいでしたから、まず聞こえるはずもなく、その無線の脇からアナウンスをしているであろう声は聞こえてくるのですが、なんか普段当たり前に聞いてるのが聞こえてこないってのは不思議な感じでした。と、まぁそんなある意味で不完全燃焼な気分で京阪から地下鉄に乗り換えると、今度はその地下鉄で驚かされたのが、隣の駅に着きそうな頃に音声テープでアナウンスが流れた後に、運転手さんが~線の乗り換えですぅってな感じでアナウンスしだしたのです。いや、こっちはこっちで普段アナウンスを聞きなれてないので逆にびっくりしてしまいました。というよりも地下鉄にそんなアナウンス機能がついてるっていうのも知らなかったです。まぁ、乗り込む駅の次の駅は他の路線に乗り換えるというある意味話すネタがあるのでまあ納得したのですが、そうすると次からは付近にはこれといった特徴のない駅が続くのでどういうのか楽しみにしていますと、次の駅ではちょうど雨が降っていたということもあり、傘などのお忘れ物にはご注意下さいとのこと。これは運転手さんも考えたなと思い、うちの会社があるその次の駅では何を言ってくれるのか楽しみにしていましたら、そこで意表のつくことが!なんと、運転手さん、僕の会社のある駅では無言でした…。って、確かに何もないところだけど、それはひどいでしょうに。
2008.01.30
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オロオロオロオロオロオロオロオロオロ…ただいま、うちの家ではこんな意味不明な言葉を発するのがマイブームとなっています。その言葉を言い出したのはもちろん、うちの母親。他にも違うバージョンとして、デロデロデロデロデロデロデロデロデロ…とかいうのもあったりします。こちらとしてもその意味不明な言葉を言うときに、意識していればそんなに驚きはしないのですが、突発的にするものですから、朝起きたときにいきなりそんなことを言われたりすると驚かされたりするわけで。いや、こっちにも余裕があれば対抗して同じように言ったりするのですが、いきなり五十を過ぎたおばさんがそんなことを言い出したりした日にゃ、何があったのかと焦らされたりします。この言葉をうちの母親が言い出したのには、一応訳がありまして、趣味で習っているハーモニカの新しいテクとしてマンドリン奏法なるものを教えてもらったらしく、これがなかなか難しいもの(母親談)だそうです。で、どのようにしてハーモニカを吹くのかというと舌を素早く左右に動かしながら吹くとか。で、その舌の動きに慣れていない母親は、その奏法をマスターするためにも舌を左右に動かす練習をしているのですが、一応動かすだけではなくイメトレでハーモニカを吹いているようにするために息を吹きながらそれをするものですから自然と言葉が出るらしく、それが意味不明な言葉を言っているという風に先の言葉のようになるわけです。と、母親は力説しているのですが、別に声を出さなくても息を吹きながら舌を動かすことは出来そうなものですが。レロレロレロレロレロレロレロレロレロレロ…タチが悪いのはこの練習を母親が大マジメでやっているところにあるんですね。マジメにやっているから冷やかすことも茶化すことも出来ないので、僕がマネをして対抗するしかないのですが…。いつの日か、インディアンか!とツッコみたい年頃です。
2008.01.29
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いつものようにお店回りをしていますと、あるお店で店の人から唐突にハガキサイズの紙を渡され、もう確認しましたか?と聞かれました。いや、いきなり言われても何のことかわからない僕としてはとりあえずその紙を見ると、今年の年賀状のお年玉賞品の当せん番号が書かれている紙。あ~、そういえばもうそんな季節なのかぁと思いつつ、ここ数年年賀状の当せん番号なんてチェックしたことないなぁとぼんやりとその紙を眺めていると、いろいろな豪華景品がずらりと並んでいました。って、あまりにも豪華すぎるような気もするのですが…。昔は毎年その当せん番号を確認するのが楽しみだったのですが、賞品ってすごいなぁって思うものではなかったような気がするのですが、ひさしぶりに見る賞品の豪華なこと。ちょっと驚きながらその賞品のラインナップを見ていたのですが、その中で謎な賞品が2つくらいありました。そのうちのひとつはC組限定賞のダンボール家具セット。いや、ダンボール家具ってどんなの?という疑問ばかりが先行してしまい、何のことかさっぱり。昨今のエコブームに便乗してダンボールで家具を作っちゃいましたぁ、てへっ♪とかいう類のものだと思うのですが、まさかその表面に有田みかんとかプリントされていないことを祈るばかりです。ただ、ダンボールでの家具ってどんなセットかまったく想像つかないのですが、あくまで紙で出来ているので汎用性が狭そうな。むしろ、わざわざダンボールで家具を作る必要があるのかどうか微妙なところなのですが。う~ん、いくら賞品とはいえ、それを選ぶ人がいるのかどうかちょっと疑問です。もうひとつの謎な賞品は年賀オリジナル賞ということで年賀オリジナルニンテンドーDSLiteという今流行りの賞品。素直にこれが欲しいなぁと思いながらも、年賀オリジナルって何?普通にDSでいいのに、わざわざオリジナルにする必要ってあるのか、任天堂と郵便局に聞いてみたい年頃です。いや、任天堂が協賛とはいえ、そんなオリジナルを作ること自体がびっくりでしたが。そこでお店の人と盛り上がったのはこのオリジナルがどんなものなのか。で、しまずんばさんはどう思う?とか聞かれたので、僕は年賀オリジナルを公言している以上、DSの表面が年賀状になっているのではないかなと答えました。考えてみればDSのサイズってなんだかハガキサイズっぽいし。画面の表面に年賀ハガキをプリントしているのってなんだかステキな感じが。そのうえ、宛先に自分の住所を書いておけば落としたときでも届くって寸法で。いやでも、DSってそれなりの重さがあるから80円では届かないか…、というような話をしていました。後で調べてみると、インターネットにちゃんと賞品が写真つきで載ってました。さすがにDSは年賀ハガキじゃなかったみたいでちょっと残念。どうやら郵便ポストをイメージした赤色っぽいのでしたが。それよりも謎なのはダンボール家具セット。どちらかといえばインテリア家具みたいなものでしたが、その中にあるイスが。いや、ダンボールのイスってのも何だかなぁ~って思うのですが、この耐久荷重ってどれくらいでしょう?あまり頑丈そうに見えないので、座ったりしたらあっさりつぶれそうな…。
2008.01.28
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銀河英雄伝説6 飛翔篇だけど人生はままならぬものでな。おとなになるってことは、やりたいこととやらねばならぬことを区別することさ。今や至尊の冠を戴く存在となったラインハルトを襲う暗殺事件。各処で暗躍する“地球教団”の差し金と知り、ラインハルトは彼らの聖地たる地球に軍を派遣する。一方、悠々自適の退役生活を楽しむヤンも、己の周囲に監視網が巡らされていることに気づく。やがてある日、彼の元を黒服に身を包んだ男たちが訪れた。一度は平穏の時を迎えた銀河は、再び動乱に呑まれようとしていた。 両英雄による戦いが勝者も敗者も生み出さないままに終わった戦争後の銀河がこれからどんな方向に向かっていくのか、それこそが戦争という共通認識から治世という新しい価値観を生み出す過渡期の中で一番難しい問題だと思います。その平和を享受しながらも事は単純なものではなく、複雑に変化していく世界というものの喜劇とも悲劇ともいえない群像劇を描いているという点で新たなる幕開けには相応しいスタートだったのではないでしょうか。賽は投げられたヤンたち一向の今後の動向に期待したいと思います。それにしてもこの巻を読んで強く思ったのが、とても深い物語だなということです。前巻までは戦争をメインに展開していたので、面白いスペースオペラだなという風にしか読んでいなかったのですが、昨今の世界情勢とその対立をニュースで聞く限り、それらの縮図がこの巻に描かれているというのは23年前に発表した作者に先見の明があったのか、それとも人類の歴史を凝縮したこの物語が何度も語るように人類はいつまでも同じ過ちを繰り返すのか、かなり悩むところです。
2008.01.27
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何?何だったの、今回のガンダムは!新クールになったので、新しいガンダムが出てくるのはわからないでもないけど、まとめて三機も出てくるってのはさすがに強引すぎかも。しかも、マイスターズたちに対抗してにぃにぃズって…。あっさり鹵獲されたガンダムたちを解放するのもちょっと出来すぎだし。さすがにジェリドくんは見せ場を知っているので、指揮を執ったのはオレだと言い放った矢先に撃沈。砂漠に響くどうやって帰りゃいいんだよ~!という声が哀愁を漂わせていたわね。わたしの名前はルナマリア・ホーク。またまた新キャラに女性が混じっていたけど、やっぱり西暦2307年の女性ってあんなに巨乳なのかしら?それがステータスとか?公式設定を見ると推定17歳って…、わたしと一緒の年じゃないの?でも、この違いって何だか納得いかないわ!わたしたちのときもそうだったけど、クールごとに総集編はどうにかしてほしいものだわ。まぁ、このクールからの視聴者に説明が必要なのはわかるけど。それに言うなら、今回のストーリーって今までのガンダムのパクリが目白押しだったような。無表情少女は同じ超人機関の人間は感応する設定だったと思うんだけどなぜかプレッシャーを感じてるって、木星帰りなのかしら?新キャラの次男坊はファンネルを使って攻撃しているわ、金髪のおにーさんは聞いてないとか某マスク大佐の台詞をそのまま使って退散するし。ファースト世代からの視聴者に対してのアピールもあると思うけど、どうせならわたしたちの活躍に魅せられたSEED世代の視聴者も喜ぶようなものにすればいいのに。それはそうと、今までよくわからない監視者たちの存在もようやく公に出てきたわね。でも、やっぱり意味がわからないけど。全員一致の拒否権を行使するしかないって、それで会議する意味があるのかしら?まぁ、これまでの活動の成果を再評価するってことで初っ端にはやはりジェリドくんの活躍が挙げられたのがうれしいサービスだったけど。でも、拒否権をメインにしているにも関わらず、にぃにぃズたちを承認するってのも別にされようがされまいが、あんまり関係ないような。だいたい、CBの活動の成果の再評価はどうなったのかしら?わたしが思うに今回のガンダムがいまいち感情移入しにくい最大の理由って、最後の敵が見えないところだと思うのよね。まぁ、わたしのときみたいに主人公クラスが所属しているところがいつの間にか最後の敵になっててやられる側に大どんでん返しがあるのも問題だけど、敵が見えない限りは何を目的に戦っているのかわからないから、先が読めないのよね。今までのどんなガンダムにせよ、敵が明確にされていたからこそ、主人公たちに共感して戦うべき相手とどうなるのかとわくわくしながら見れたんだけど、今回のガンダムは全くそれがないから困りものだわ。でも、今回こうして新キャラとして出てきたにぃにぃズの破天荒ぶりと言ったら、まさしく悪役以外の何者でもないから、ひょっとしてこのにぃにぃズたちが最後の敵としてCBの前に立ちふさがるのかしら?だいたい誰も知らないままに開発されていたってのも怪しいし。今回の新OPでもガンダムがファンネルに攻撃されている場面があるのも怪しいわよね。恋する乙女の脳内補完計画
2008.01.26
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最近、時の人としてよく聞く名前に岡田斗司夫氏の名前を耳にします。わずか1年で50キロの減量に成功した氏は、その体験談を自身の著書「いつまでもデブと思うなよ」で発表され、無理なく続けられるダイエットこそ成功するというようなことを語られています。実際にその本を僕はまだ読んだことがないですが、氏のダイエット方法はいろいろな雑誌でも取上げられており、そのレコーディング・ダイエット、いわゆる書くだけダイエットは徹底的なカロリー制限のみの方法なだけともあり、無理せずに痩せることが出来そうで僕も一度挑戦してみようかなと思ったりしているところです。で、ちょうどこの氏の本を読んでいるうちの父親がこのダイエットに挑戦しようとしているのですが、まずは記録するよりも自分の体型を知るところから始めようとしたらしく、うちにある体脂肪計を持ち出してきて使い方を教えてくれと言ってきました。その体脂肪計は体重を測るのはみんな使うのですが、体脂肪計としては一時期ダイエットしていた僕しか使ったことがないので、まずは年齢と性別と身長を入力しないと始まらないところからスタートで、なぜだか体脂肪計の講習をさせられることになりました。で、まずは僕がやってみてこう使うんだと説明していたのですが、久しぶりに使う体脂肪計に表示される数字の無情なこと…。体脂肪率やら体重に内臓脂肪レベルなどもう目も当てられない数値になっており、極めつけは現役でダイエットしていた頃には1800近くまであった基礎代謝が1600強まで下がっていました。そりゃ、どんどん太っていくわけですね。次に父親を載せてこう使うんだと解説しながら数値を見ますと、激しく驚かされてしまいました。当然ながらうちの父親は僕よりも背が高いので体重も重く、見た目もでかいので体脂肪率も僕とさして変わらなかったのですが、体組成年齢は実年齢より2歳ほど若く、何より驚かされたのが基礎代謝の量。全然運動してないにも関わらず、1700を越えているって…。いや、父親よりも御飯の量が多い僕が太るのも無理のない話ってもんです。何より定年間近の父親に体力面でも惨敗していたというのはなんかショックでした。こりゃ、書くだけダイエットなんて呑気なことを言ってられず、運動して体力をつけないと。
2008.01.26
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今日、第80回記念選抜高校野球大会への出場校が決まったとかで出場する36校が発表されていました。僕は学生時代には特にスポーツをしていたとか、クラブに所属していたというのでもなく、かと言って野球に興味があるのかと聞かれる人並み以下の知識しかないですが、それでも高校野球だけは毎年応援しています。かつては純粋に応援していただけでしたが、高校を卒業してからはうちの母校が出場したのをきっかけに毎回うちの母校は出場しないものかと冷や冷やしながらその経過をチェックしてたりします。そんなうちの母校でしたが、今回のセンバツでは見事に大阪代表として選出されたので、この春の大会が今から楽しみです。僕がまだ高校生だった頃、母校はスポーツが盛んでしたが、どちらかというと進学色が強く、自分で言うのも恥ずかしいですがどこをどう間違ったのか僕も進学組に所属していたのでクラブ活動には参加していませんでしたが、その当時はバレーと剣道はかなり有名でした。僕が高校を卒業してちょっとしてから、あれよあれよという間に夏の大会に出場したのをきっかけに母校は野球でも有名になり、いつの間にやら男子校から共学へと変わりながらも一昨年は春のセンバツに出場し、今年も出場することになったのは、在学していた僕としてはちょっと驚きです。しかし、激戦区の大阪の代表校として選ばれ、実力は評価されていながらも惜しくも一回戦敗退を繰り返しているので、今年こそはぜひとも甲子園で校歌が歌えるように頑張ってほしいです。一昨年は残念ながら仕事の都合で応援に行けなかったですが、今年こそ何があろうと応援に行って、六甲おろししか歌ったことしかない甲子園に大声で校歌を何度も歌えるように頑張ってもらいです!
2008.01.25
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先週から週間の天気予報で今週はかなり冷え込むという話でしたが、その中でも今日は特に冷え込み雪の恐れがあるという話だったのですが、ひそかに僕の中では内心わくわくしてたりしました。というのも先日の日記に書いたように雪が降ったのは見たのですが、結局見てただけで直に触れるというようなことをしてなかったのがかなり無念だったので、今度こそはという思いがあったからです。で、今日の天気予報を見てると他の地域は結構雪マークになっていたのですが、どうも大阪は雪ではなかったのでちょっとショックを受けてたのですが、自宅は枚方にあるので大阪というより京都だろうということでひょっとすると窓の外は雪かなと楽しみに出勤したのですが、青空広がるピーカンな晴天。地面が濡れていたので雨上がり後の空という感でしたが、冷え込みはすごいながらも雪が降るという気配がなくがっかりしながら内覧会の会場に向かいました。で、会場に到着して先輩たちといろいろと話していると、どうもちょい前には雨が降っていたそうで、雪とは違う趣。う~ん、残念だなぁと昨日・一昨日に引き続きお越しいただいたお客さんのホストをしながら過ごしていたのですが、今日はばたばたで唯一お昼御飯を食べた後にたばこを吸うことが出来たのですが、外の喫煙所で吸っていると雪がちらほら。おお~、週間天気予報通りに雪が降っていると少しうれしい気分になったのですが、いつ来るかもしれないお客さんを待っていないといけないので、あまり気分的に雪に浸っているわけにもいかず、後ろ髪をひかれながらあっさりと展示場館内に戻り、午後からは休憩なしでひっきりなしに接客をしていました。今日は撤収作業があるということで、僕らはその作業は手伝わなくていいのですが、閉館時間が17時と早めの時間なので早くに上がることが出来た帰り道、冬模様で暗くなっている中ふらふらと帰り、地元駅に着いたときに衝撃の光景が。なんと、雪が激しくちらついているではないですか!ようやく待ちに待った雪だぁ~♪と思いながらうきうきと夜道を家まで歩いて帰っていたのですが、ここで問題発生。日中なら日の光があるので雪がちらついていようがそれなりにあたたかいので楽しむことが出来るのでしょうが、夜はただただ寒いだけ。まだ雨ではないだけマシなのかもしれないのですが、かなり冷え込んでいたので体感温度は低い上に雪というシチュエーションが輪をかけて寒く感じるという悪循環。街灯が照らし出す光に映る雪はかなりの量で、とても楽しむという余裕もなく、むしろもう勘弁してという気分でとぼとぼ家路をたどっていました。う~ん、なんかシチュエーションによってせっかくの雪もこんなにいやいやな感じになるとは。人間って現金なものですねぇ…、って、それは僕だけなのかも。
2008.01.24
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最近よく見るパフォーマンスに「エア○○」というものがあります。特に有名なのがエア・ギターで、ぶっちゃけた話ギターの弾き真似をする演技のひとつですが、そもそもはハードロックのヴォーカルがギターのソロ演奏のときに手持ち無沙汰になるのを解消するために始めたとか何とか。それがいつの間にか、憧れのギタリストの真似をすることでその音楽にトリップするというものになり、いつしかそれが競技になって世界選手権まで開催されるようになったのですから、なかなか面白いものですね。それの延長線で、ある種のパントマイムや演技をすることを無理矢理に頭に「エア」をつけて呼ぶようになったとか。その中にはいろいろと見ていて面白いものがあるので、意外と奥深いものです。ここ数日、いきなりの冬の到来のような冷え込みでかなり寒くなってます。なんでも明日は雪が降るとか、降らないとか。寒いのは何ともしようがないので仕方ないことなのですが、そんな寒さだからこそ出来ることがあるのです。それは、吐く息の白さ。この冷え切った温度だからこそ、吐く息は白く、幻想的なものを感じさせるのですが、妄想癖のある僕はそれをたばこの煙と思うことでたばこを吸っている気分を味わうことを楽しんでいます。そう、これこそがエア・スモーキング!これは冬にしか味わえないものなのです。寒いからといって後ろ向きに物事を考えるのではなく、今しか出来ないものとしてポジティブに過ごせば冬もそれなりに楽しむことが出来るかも。これならハタチにならなくても雰囲気を味わえますし。決して、給料前でたばこを買うのが厳しいからだとかそういう理由じゃなくて…。って、昨日に引き続きまたたばこネタで日記を書く僕は時代に逆行しているとかいう突っ込みはなしでお願いします。
2008.01.23
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今日から3日間、大阪は堺筋本町にある会場で新商品内覧会があります。お得意先の人対象の内覧会で、この春に発売される新商品の説明やら従来商品の店頭で説明するよりも突っ込んだ内容盛りだくさんの展示会というイメージのものなのですが、以前まではこの内覧会も僕ら営業の人間もお客さんとして参加していたのですが、ここ数年の社内体制の激変により僕ら営業がお得意先のお越しいただいた方々に直接説明するというものに変わりまして、いわゆるホストちっくな感じにお得意先の方々を紹介してお越しいただけた方について説明してまわるというものです。各種カテゴリーがブースごとに並んでいまして、普通に説明して回ると1時間コースになってしまうというものなのですが、店頭ではなかなか伝えにくいものを目で見て実感してもらえるというものなので、ゆっくりと話し込むことが出来るいい機会だったりします。お越しいただく方々も休日に来ていただく方々がほとんどなので貴重な時間を無駄にしないためにも何かを感じてもらえるような説明をしたいわけなのですが…。いつものパターンなのですが、新商品の説明はある程度社内で勉強会があったりするのでまだいいとしても、当日1時間くらいふらっとどんな感じで展示しているのかを見てから、その日の土壇場で説明して回るというものでなかなか初日に来られるお客さんに対してはどのように上手いこと説明することが出来るかというのを考えながら話すので、ちょっとデンジャラスなものです。しかも、入場時間は朝の10時から晩の18時ということになっており、その間にふらりと来てもらうというもので時間を区切っての招待になってないから、いつお客さんが来るのか完全に待ちの状態。今までの内覧会では来場客数が少ないほうだったのでどきどきだったので今回は気合いを入れて招待したのですが、最終的にはフタを開けてみないとわからないというものでしたが、結果的には僕らの担当法人の人数の割りにはたくさんのお客さんに来てもらえたものでした。会場してすぐはさすがに来場される人たちも少なかったのですが、お昼前にはどどどっとなだれ込んで来られたらしくひっきりなしに説明しては次のお客さんにまたつくというのを繰り返していて、ついてない時間でも休憩するのではなく、いつ来るかもしれないお客さんを入り口付近で待つというのを繰り返すのでほとんど休憩なし状態。ただ、お客さんをお見送りしたついでに軽く休憩ということでたばこを吸いにいくのがやっとという状態だったのですが、1組目の接客が終わったときにたばこを吸いに行くとそこにはサメ先輩の姿が。サメ先輩は世話役のような係をされていて、お越しになられたお客さんを担当しているセールスに案内するという役だったので、常に前線待機の状態ですがたばこを吸うのは息抜きも含めて大事なことですから、お疲れ様ですぅと声をかけてたのですが、不思議なことに僕が2組目のお客さんが終わって喫煙場所に行ったときにもサメ先輩がちょうど帰るところだったり。また3組目が終わったときにもまたサメ先輩が帰るタイミングでまた会って、これだけ同じタイミングで会うというのもなかなか面白いものでした。まさか4度目はないだろうと思いつつ、会場が閉館前に喫煙所に行ったらそこには誰もいなかったのでふぅ~と一人休憩して、あと少し踏ん張ろうと思い喫煙所を出たところでばったりサメ先輩に会ってしまいました…。いや~、みんな喫煙に行きたくなるタイミングと時間は重なるもので。これだけ会うのはなかなかミラクルなものでした。
2008.01.22
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あまり自慢できることではないのですが、僕の話はとても長いというので有名だったりします。それは僕の日記を読んでみればわかるかなと思いますが、生まれつき話好きということもあり、伝えたいことが山ほどあるというのもあるのでどうしても話が長くなるのですが、変化球もかなり投げるらしく、たまに意味がわからないと言われるたりして投げっぱなしの状態で会話をすることもしばしば。自分でもかなりの問題かなと思ったりするのですが、言いたいことをコンパクトにまとめるというのは苦手だったりします。今日は年に一度あるかないかの朝礼当番になっていまして、うちの会社の朝礼はだいたい月曜と金曜にありまして、月曜は会社がモットーとする難しい古典的言葉で書かれた七精神の巻物を読み、金曜は七精神だけ言うというものからスタートし、それが終わると所感ということで、普段感じていることを手短に話すというものがあります。朝礼当番は絶対に回ってくるものなので巻物になるかならないかというのが天国と地獄の分かれ目とも言えるくらいに緊張度が違うのであと数回で僕に回ってくるという計算をしたときに金曜パターンになりそうでしたから安心していると、一度金曜の朝礼が流れたおかげで僕が巻物を読む羽目に。巻物を読むとそっちに気を取られて所感で何を話すのか内容が飛んでしまうということがあるので注意していたのですが、今日は内容はすっ飛ばなかったのですが、話すネタが変化球すぎました。先日の日記に世の中不思議なことがたくさんあるという内容から、それらに疑問を感じるように普段の仕事や生活でも疑問や不思議に思ったこと、また納得いかないと思うことを自分なりに考えて改善していきたいというような内容を話したつもりだったのですが、終わってから言われたのが内容がわかりにくいということです。日記のネタをそのまま言うのはエンターテイナーを自称する僕としては面白くないということで違う不思議に思う電車内でのアナウンスの謎の話をたとえにしたのですが、どうして連結しているだけの電車なのに後部車両から全車両に車掌さんの声が聞こえるのかわからない、さらに路線によっては拡声機能まで搭載しているのはどういうことなのか、それを疑問に思うというたとえは、かなりの不評でした…、しくしく。あまりに変化球すぎた模様で、そっちの話にみんなが気が向いちゃったためにまとめまでよく聞いてなかったとか。後でコイ先輩に言われたのですが、電車は連結と電線っぽいのを接続してるからそれで全車両に接続してるねんとあっさり疑問が解消したのは、うれしいような悲しいような。以前にもみんなの前で発表したときにぐだぐだになってしまいましたが、今回は話の内容がぐだぐだになり、さらなるトラウマになりそう。本当なら違う内容を話そうかなと思っていたのですが、そっちはちょっとシャレにならないくらい長くなりそうだったので土壇場で変えたのが失敗だったかも。次こそは頑張ろうっと!と思っても次に回ってくるのはおそらく来年の話のような…。
2008.01.21
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うちの家は弟くんが東京に行ってまして、今は父親と母親の三人で暮らしているのですが、僕には自室があり父親は弟くんの部屋を書斎に、そして母親はリビングをメインで占拠しているという風になっています。今日は休みだったので8時くらいに起きて朝御飯を食べようと2階の自室からリビングに降りていきますと、母親が難しい顔で分厚い紙束とにらめっこをしていたので何をしているのかと尋ねるとどうも母親が所属しているハーモニカの定例発表会なるものがあり、突然その司会をすることになったそうです。前々からその発表会があるとは聞いてたのですが司会をするとは僕も初めて聞いたのですが、昨日にあったハーモニカの教室のときに突然先生に言われたそうな。台本をそのときもらったのだそうですが、自分の意志に関係なく司会進行係の欄にはすでに自分の名前がプリントされていたので断れなかったとか。そのハーモニカ団体の中では母親は若いほうから数えて2番目だそうで、仕方ないといえば仕方ないのですが、あまりの大役に具合が悪くなりそうとかぼやいていました。うちの母親は多趣味な人間でして、ハーモニカをはじめとして南京玉すだれやオカリナ、それに皿回しなどを習いに行ったり、ボランティアに行ったりとしているのでそういう司会もあんまり苦にならないだろうと思ったのですが、よくよく聞いてみるとその発表会の後の打ち上げも司会をするそうな。で、さらっと言ってたのがその打ち上げに参加するのは70人くらいだからそっちは大したことないとか何とか…。いや、ちょっと待ってと僕が聞きなおしたのが、打ち上げの参加が70人くらいってことは本番の発表会は何人くらいの参加かと聞くと200人くらいで、しかも先生の先生である大先生も参加するとか。先生からは気楽にアットホームな感じでやってくれとか頼まれたそうですが、簡単に進行を書いている台本は分厚くしかも簡単に書いており、そりゃいくらうちの母親であろうが具合が悪くなるって話です。その上、打ち上げではハーモニカでボランティアに行くアンサンブルのチームごとに何かをやるというのがいつものパターンらしくなぜか芸能部と呼ばれるチームに所属している母親はそっちでも出し物をしないといけないそうで。まぁ、多趣味なところをみれば芸能部に所属しているのもわからないではないのですが。とりあえず頑張ってとねぎらいながら、これ以上話を聞くといろいろと言われそうな気がしたので切り上げて朝御飯を食べようとしたのですが、後の祭りでした…。何でもハーモニカだけでなく玉すだれのほうでもいろいろとしがらみが増えたみたいで、今度は練習、次はチームでの練習、さらにはボランティアというのを玉すだれとハーモニカの交互で繰り返しているそうな。これじゃあ、今年新しくデビューしたいと思っていることが出来ないとか。へ?と思った僕はちょっと怖くなりながら新しくデビューしたいと思ってることって何?と尋ねると何でも腹話術を習いに行きたいそうで。どうもボランティアをしていると場の繋ぎに何かあったほうがいいと思ったそうで、それには腹話術がベストと考えたらしくいろいろと調べると1年くらい基礎を習いに行けばそれなりには出来るとか。ちなみに人形は一体10万近くするみたいですが。いや、趣味に走ってくれるのはいいのですが、また新たなコメディアンな道を開拓しようとするとは。そんな変わったベクトルに足を踏み込もうとするから司会なんて役を言われたりするんじゃないかと思ったのですが、まぁ言わぬが華ということで。
2008.01.20
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う~ん、まだ登場2回目だけど、メガネ大佐ってなんだかステキね!ちょっと憧れちゃうわ~。相変わらず受難続きのジェリドくんの鼻っ柱を軽く折ってあしらったかと思えば、肝心なところでは男にしてやると立てるそのほれぼれしちゃう采配。ジェリドくんは砲撃に当たるな~とか言ってたけど、一番やられてる人間が言っても説得力がないけどね。でも、メタボガンダムを鹵獲出来てオレのおかげと豪語してるところがジェリドくんのジェリドくんたるところね。まぁ、何もしてないけど。今回のメタボガンダムを鹵獲出来たのは物量作戦っていうのもあったけど、メガネ大佐の暗躍がMVPじゃないかしら。わたしもああいうオトナな女性になりたいわ。わたしの名前はルナマリア・ホーク。相変わらず意味不明で挿入されるぼんぼん学生と金髪少女。何気にOPで冬服仕様に変わっていたのが納得いかないところだけど、今回は母親が帰った寂しさを物理的に埋めて欲しいとペアリングをねだるというまったくストーリーに関係ないほのぼのエピソード。いや、学生のくせに12万のものをねだるのもどうかと思うけど、それよりも気になったのは値札の下の欄に書かれていた税金のほうね。ふ~ん、西暦2307年の消費税は1%なのね…、なんかうらやましいわ。いや、これは経済特区だから消費税が安いのかもしれないけど。今回の軍事演習による合同の鹵獲作戦は末端の人間までその全貌は知らされてなかったようだけど、とても腹黒い作戦みたいね。わざわざテロによる攻撃を知っていながらもえさとしてCBをおびき寄せるなんて。それぞれのマイスターたちが次第に追い込まれていくのは見ていてハラハラするものがあったけど、それぞれのマイスターを個別で観察すると、ちょっと納得いかない展開じゃないかしら?ハレルヤのほうは無表情少女とフラグが立っているのは仕方ないにしても超人同士の共感がハレルヤばかりに負担をかけるっていうのもどうなのかしら。前に更迭された研究員って、生き方は中途半端だったけど、仕事はきっちり仕事してたのね。ロン毛は前の邂逅から金髪のおにーさんとフラグが立っているし。やっぱりわたしの予想どおり、君の瞳にロックオンの恋愛介入したのかしら?金髪のおにーさんは「抱きしめたい」とか「眠り姫」とかわたしでも言われたことのない口説き文句を高らかに語っていたけど。それにボーイはライオン隊長とフラグが立つのは仕方ないと思うけど、あのライオン隊長の機体って…、最初シルエットを見たとき連合のゲルズゲーかと思っちゃったわ。で、何もフラグがない無愛想メガネはジェリドくんっていう消去法も、やっぱりジェリドくんは浮かばれないわね。前回登場した勘違いキャラはやっぱりそれ相応の制裁を受けたからいいけど、マイスターズきっての勘違いキャラであるボーイは相変わらずよくわからないわ。ライオン隊長に追い詰められて何にもなれぬままとか言ってたけど、ガンダムになれたんじゃないの?いや、そもそもガンダムになるっていうのが意味わからないんだけど。せっかく主役交代でマイスターたちから金髪のおにーさんとジェリドくんの時代が来ると思ったのにまた新しいガンダム登場って…、どこまでご都合主義なのかしら?せっかくヒロインも一新ということになって次こそわたしが登場しようと画策していたのに。新クールになったので新しいMSが登場するというのもわからないでもないけど、いまだにキャラを整理できていないからこれ以上増やさないで~!ちなみにこの軍事演習が行われたタクラマカン砂漠って、ウイグル語で死の場所、意訳すると生きては帰れぬところという意味らしいわ。って、それなのにやられるどころか、新キャラ登場にこのままの勢いでは旧キャラの生還になりそうだし、せっかくのロケーション台無しの展開ってどうなのかしら?恋する乙女の脳内補完計画
2008.01.19
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今日は休みで、明日も休みという素晴らしいウィークエンドを過ごすにはごろごろしているだけではもったいないと思ったりするのですが、今までの習慣というのは抜け切らないもので、いつものパターン的に怠惰な生活を送ることになる土曜だったのですが、あいにく今日は珍しいことに予定が入っていました。そうは言っても、個人的な予定というものではなく、会社の先輩であるキタマクラ先輩が本日結婚されまして、僕は式には呼ばれていなかったのですが、二次会に参加。酒の席とおめでたい席には何はともあれ参加したがる僕としては声がかかった時点で即答で参加を表明したのですが、今回の二次会は20時スタートというものでした。まぁ、式が15時スタートだったそうなので、その時間から始まるのも当然といえば当然なのですが、それまではまぁいつものようにごろごろ過ごしていざ二次会へ。少し早めに会場のある駅に着くと、テンヤくんとその同期が駅を出たところに立っていたので誰かと待ち合わせしているのかなと思って声をかけるとどうやら会場がわからない様子。僕はまだその辺の地理は何となくわかっていたのでこっちじゃないかなと一緒に会場に向かうと駅のそばすぐに見つけて乗り込むと、幹事の先輩たちを除くと一番乗りでした。そりゃ、開始時間の30分前に到着したらまだ早いほうだったかも。とりあえずてきとーに席について、祝福したい気持ちが大多数、後はひょっとすれば出会いがあるかもという邪な気持ちを持ちながら楽しみに待っていると、幹事の一人からテンヤくんとその同期、いわゆるキタマクラ先輩の所属する担当法人の最若手は余興として歌を歌うように任命されていて、いきなり振られた後輩くんたちは何を歌うのか困りながら考えていた様子だったので、結婚式といえばこれだろうと僕が問答無用で「ハッピーサマーウエディング」を歌うように任命。すると、それを聞いていた幹事がついでにお前も歌えということで藪をつついたら蛇が出てきた状態になってしまいました。まぁ、歌を歌うくらいならと思いながら、幹事たちも歌うそうだったので、メインは後輩くんたちかなと思っていたのですが、よくよく後で聞いてみると後輩くんたちは僕と11歳年齢が離れていまして、あまり知らない様子。でも歌はもう変更できないということで僕がメインで歌うの!?と動揺しながら待っているとこれまた突然幹事が僕に無茶振りをしてきました。どうも今回の二次会の参加は大多数がうちの会社で占めていまして、新郎・新婦の友人は2人だけしか参加できないようなので、うちの会社の人間が騒ぐとその2人が大変だから、直接同じ席に座って接待っぽく相手をしてほしいと。むむむ~、気楽に来たつもりだったのですが、まさかここでも気を遣わないといけないとは。でも待てよ、ひょっとするとその友人というのが女性だったらこんなにおいしいチャンスはないということで確認してから返事をするのはやらしいので、二つ返事で引き受けた後にどんな人が来るのかと聞くと、キタマクラ先輩のお友達ということでもちろん男性でした…、ちょっと早まったかも。なぜに新婦の友人は来ないのかと尋ねると、新婦の友人たちは和歌山のほうに住んでるらしく、二次会に参加すると帰れないからみんな来なかったとか。それも仕方ないなぁと思いながらも、出会いのチャンスが開始前から潰えたことに凹みながら、しばらくして二次会が始まりました。さすがに主役であるキタマクラ先輩と奥さんは幸せそうにしてたのでなかなか良かったです。会社を退職した先輩の同期の人たちもいたのでしゃべりに行きたかったのですが、今日は先輩のお友達のほうもほっておくわけにもいかず、以前僕も一人でふらっと友人の結婚式から二次会に参加したときにこれほど浮くというのがつらいものだとは経験したことがなかったので、先輩そっちのけでその友人2人としゃべりまくり、後で傍から見てた人にはえらい盛り上がってたなぁと言われたくらいにわいわいしていました。で、縁もたけなわで幹事たちが歌を歌い、次は僕らの番かとどきどきしてると変化球でビンゴ大会。こりゃ時間が押してるので免れたのかと肩透かしされた気分が半分、ほっとしたのも半分でビンゴ大会に参加してたのですが、僕はいつもビンゴ運がないので今回も景品なしでした。で、次は何が始まるのかなと思うと、いきなり僕らが指名されて歌を歌うことに。いや、気を抜いた矢先の出来事だったのでかなりドキドキ。歌が始まり、パラッパラとか歌っているとどうやら後輩くんたちが思い出したみたいで、メインを歌ってくれていたので僕は合いの手だけで済んだのですが、思った以上に盛り上がって良かったです。その後、いつも物真似をする先輩が飛び入り余興でアントニオ猪木氏の物真似が始まったりと混迷を極めたのですが、みんな楽しく過ごして終了することが出来、いい二次会だったと思います。ぜひともキタマクラ先輩には幸せになってほしいなぁと思う一方、僕にはいつ春が来るのやら…。
2008.01.19
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先日の日記に書きましたように、ここ数日はよくCMも目にすることの増えたデアゴスティーニ社から創刊された新シリーズ「歴史のミステリー」ですが、せっかく買い始めたのですからいつまで買い続けるかはまったくわからないですが、感想でも書いていこうかなと。当然のようにこの雑誌の感想を書かなくなったときにはもう買い続けるのを止めたものだと思ってそっとしておいていただければ幸いです。今回、創刊号ということもあり、初回のものにしてはなかなか内容に力が入っていたかと思います。これからその取上げられた内容から僕がこれはと思った記事について感想を書いていこうかなと。今回のトピックスとしては、○本能寺の変の首謀者は誰だったのか?○イエス・キリストに子供は存在したのか?○チャビン・デ・ワンタル(ペルー)○アポロ11号月面着陸は捏造だったのか!?○『大使たち』ハンス・ホルバイン○ハーメルンの笛吹き男○人類の起源~1万年前○トーマス・エジソンというものです。アンデスの古代神殿であるチャビン・デ・ワンタルの話は初めて聞く名前だったためイマイチ感じるところがなく微妙な内容だったのですが、それ以外の記事は概ね面白かったと思います。この中でも特に取り上げたいなと思ったのがハーメルンの笛吹き男についてです。そもそもこのハーメルンの笛吹き男の伝説というのは童話や昔話で馴染みのあるものだと思うのですが、この本ではこれが実際にあったことなのか、どうして忽然と130人もの子供が失踪したのかというところを焦点に検証されています。歴史的事実やいろいろな解釈を掲載されていますが、僕はこの物語には思い入れがありまして昔読んだ「MASTERキートン」というマンガにこの伝説のくだりが登場してこの本とは解釈をしていまして、それを支持したいなぁと思います。この伝説が語られた当時は黒死病が流行っていて、ハーメルンの笛吹き男はその原因ともなるネズミをそもそも笛の音で誘い出して退治したにも関わらず、街の人が報酬を出し渋ったために怒った男はその笛で今度は子供たちを連れ去ったということになってますが、このマンガではその伝説の当時の人々は天然痘を黒死病のひとつと考えられていたそうです。天然痘という病気は一度かかると二度とかからないところから、ジェンナーの種痘によって予防法が確立する以前には比較的症状の軽い患者に触れて免疫を得る方法があったそうです。この笛吹き男はそんな天然痘を防ぐために良性の患者を探す旅に出た道すがらに黒死病(天然痘)が流行っていたハーメルンで何人かを治療し、その中から良性の菌を持つ子供を選んで130人の子供たちと天然痘の治療をする旅に出たというものです。これはこのマンガの中での仮説でしかないのですが、残酷なハーメルンの笛吹き男の伝説もこうした偉業を称えた物語の一節と思うと夢があってロマンを感じてしまうものですね。
2008.01.18
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今日もいつものように仕事でお店回りをしていたのですが、阪神高速で神戸は三宮まで行こうと外気温は寒いながらもぽかぽか陽気の中、機嫌良く運転していたら神戸線に入って神崎川を通過するかしないかのところで遥か遠くを見晴らしていると神戸の山の手のほうがどてっとした曇天空が広がり、その上何だか霞みがかていました。今日は確か天気予報でも雨とかいうのは言ってなかったように思いながらも、傘なんて当然持っているはずもなく少し憂鬱になりながら車を走らせていると、芦屋の料金所を通過するかしないかのところでちらほらとほこりっぽいのが。いや、これはほこりではなく、雪だぁ♪と思いながら今年の初雪に喜びながら運転していると、目指す目的地である生田川で降りる頃にはかなり激しく雪が降っていました。僕は寒さは嫌いなのですが、雪は好きだったりします。なんか雨とはまた違った格別な趣きがあるような気がしませんか。タイトルにもある「雪やこんこん」の歌のとおりに犬は雪を見ると走り回るみたいですが、僕は雪を見ると妙にテンションが上がるもので、生田川を降りてすぐのところにある信号で青になるのを待っているときなんてもう、高速の高架の間から激しく雪が降り込んだりしていて、早く駐車場に車を停めて雪の中を走り回りたい衝動に駆られて仕方なかったです。自分一人だったらすぐそばに路駐をしてでも車から外に出ていたかもしれませんが、あいにく今日は上司と同行だったため、おとなしく三宮の市営駐車場まで我慢と思いながら、街中を流しているときなんてすごい勢いで雪が降っているのでわくわくしていました。ようやく市営駐車場に着き、地下駐車場に車を停めて、地上に上がってセンター街からお店へと行く一瞬だけ屋根がないところがあるので雪が見れるぅ~♪と思いながら楽しみに地上に上がると、さっきまでの雪は何だったのかというくらいに晴天が…。いや、あんなに吹雪いていたのに、5分もしないうちにからっと変わっているなんて。せっかく雪が降ったというのに、眺めているだけでさして絡むことが出来なかったです、なんか残念…、しくしく。一気にテンションが下がってしまいました。
2008.01.17
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世の中には普段当たり前のように目にしているので意識はしないですが、よくよく考えてみるとどのような仕掛けや工夫がされてそうなっているのかという疑問がたくさんあったりします。そのような疑問に思い至ったとき、いくら考えてみてもどうなっているのかわからないときには、それを作ったというか発明した人ってすごいなぁ~と思わず、感心してしまいます。ここ最近ずっと疑問に思っていることがあります。それに気付いたのは仕事でお店回りをしているときに兵庫県は宝塚方面のほうを車で走っていたときのこと。いつも車を運転しているときは何気なしに景色を見ながら運転しているのですが、たまたま信号で停まったときにふと上のほうに目をやると、三色の信号の上に電光掲示板がありました。地元である大阪のほうを走っていてもそのような信号の上にある電光掲示板ってのはあまり目にしないので珍しいなぁ~とそれを見たときは思ったのですが、それに気付くと宝塚から西宮の信号の所々にそのような掲示板がちらほらと。にくいことに、その掲示板に文字が出ているのは信号が赤のときだけで、もうすぐ青になるというときには文字は消えるという仕組み。うん、これはよく出来ているなぁ~と思ったとき、ふと疑問に思うことが。その掲示板に書かれている内容というのが、確か宝塚ハーフマラソンが行われるとかで時間帯交通規制の呼びかけと歩行者には気をつけて運転しようというような交通マナーの声かけだったのですが、その掲示板ってよくあるような右から文字が現れて左に動き、端にいくとフェードアウトするというもの。ふと思ったのが、この文字が流れていく掲示板ってどのような仕掛けで出来ているのかと。いや、そういうものだからと言われればそれまでなのですが、よくよく考えてみると不思議なものだと思いませんか?日が暮れてから街中を歩いていると目を惹くのが電飾の看板。特にパチンコ屋さんの看板は色とりどりのアピールで、光に寄っていく虫のように僕らの心を捉えてついつい目がいってしまいます。ただ、この電飾の看板というものはしばらく眺めていますと、どれだけ鮮やかな躍動感のあるちかちかきらきらのものでも、そのポイントはそのポイントだけの光の色しか出てなくて、ある一定の規則の電気のオンオフによってそれらがいくらど派手な仕掛けでもあくまでクリスマスツリーにつけるような電飾の仕掛けの大掛かりなものでしかないのに対して、この電光掲示板というものは同じ光のポイントでの明かりを出すにも関わらず、いろいろな文字が崩れることなく右から左に流れていくっていうのはどういう仕組みなのでしょうか?いや、どう考えても無数にある光のポイントに文字を浮かび上がらせた上にそれを動かすってかなり高度なテクのような。いつも電光掲示板の文句の内容が同じものなら、規則性があるのでそのパターンだけを組み込めばいいんですが、よくニュースの内容やら天気予報やら現在時刻やらいろいろな電光掲示板な看板が至るところにあったりします。それら違う文章の内容を文字を崩すことなく流すっていうのってどんな仕組みなのか、いくら考えても想像もつきません。大阪で有名な電光掲示板といえばマルビルをイメージすると思うのですが、あれって僕が物心つく前から電光掲示板でのニュースなどをやっていたような。その技術はそんな昔からあったというのに、どんな仕組みなのかまったく想像つかないです。う~ん、世の中は当たり前のように見ているものでもよくよく考えてみれば疑問だらけなものですね。
2008.01.16
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今日、いくつかやっちまいましたことがありましたので、報告がてら書こうかなと。僕は仕事で営業車に乗ってお店回りをしているのですが、最近この車がトラウマになってたりします。というのも、日記には書かなかったのですが、年末のときのこと出勤して朝一に車を動かしてさくっとお店を回ろうかなと思ってたのにどうも運転した感じがおかしいと思ったので社内の駐車スペースに停めて見てみると後輪のタイヤがパンクしているではないですか!昨日までは何ともなく駐車場に停めたというのに。ぼやいてても仕方ないので説明書を見ながら時間をかけてタイヤ交換をして出発しようとしてたのですが、いざジャッキで車を上げてタイヤを交換しようとネジを外したのはいいのですが、なぜか備え付けのジャッキで説明書通りの位置にジャッキを当てているのにタイヤは外れてもはまらない。これはおかしいと思いつつも他にジャッキをはめる場所も見当たらずあえなく断念し、クルマ屋さんに取りに来てもらう羽目になったのですが、後々確認すると後ろの部分にはジャッキを所定の位置に当ててもちゃんと交換できないそうです。って、それってクレーム対象じゃないの?そんなことがあってから、車のタイヤには敏感になっていて高速もよく走ったりするので、そんな時にバーストやパンクしたらシャレにならないと思い、スタンドで点検してもらうのは無料なので違和感をちょっとでも感じたら点検してもらおうと心に決めていた矢先のつい数日前、何だか運転してて空気が抜けてるような違和感を感じるようになりました。なんか段差では必要以上にがたぴし感を感じるし、よく自転車の空気が抜けているときにカーブとかにさしかかるとタイヤが滑ってる感覚があると思うのですが、ちょうどあんな感じに運転してると感じたり、車体が曲がっている気がしたりと。で、今日たまたまガソリンの給油に行ったついでにタイヤの空気圧を確認してもらったのですが…、なんと満チンに空気がパンパンでした。いや、むしろ圧が高いくらい。4つのタイヤとも確認してもらってそれを言われたときの気まずさと言ったら…。いや、僕は安心を買いに行ったのだと心に言い聞かせていたのですが。どうやらその車はその状態がノーマル使用ということで無理矢理納得することにしました。気をとりなおしてお店回りをしていたとき、あるお店でちょっとデンジャラスゾーンを発見してしまいました。それはレジの中なのですが、床のところにレジなどの配線が棚とレジ間に横断しているところがあって、ちゃんと配線カバーをしてるところがあるのですが、レジの中をうろうろと歩いていると何かにこけそうになったので何かと思って見てみると、その配線カバーが割れていて、配線がむき出しになっていてちょうどトラップみたいに線に足がひっかかったのです。いつもの僕のパターンでしたらこれにひっかかって大ゴケしているのですが今回はそんな失態にはならずに、それを見て冷静にこれは危ないと思った僕は、すぐさま他の人の被害にならないように補修しようと、飛び出た配線をカバーの奥のほうに直しこんで上からガムテープでキレイに補修したんです。本音を言うと透明テープでしたらもっとキレイだったのですが、お店にストックがなかったのでないものねだりするのもどうかなと。で、一仕事終えた僕は、お店の人に注意して下さいねと言いながら、自分の仕事に満足していたのですが、ふとよく見るとガムテープが波打っててきっちりと貼れてなかったのでいい仕事をするためにもしわを伸ばそうとしゃがんだ瞬間衝撃が走りました。あまりの痛さにしばらく声も出ず、涙目になりながら何が起こったのかを確認すると、その配線カバーのあるところっていうのがレジと棚の間にあるのですが、外からは目立たないように柱の影を走っていまして、ちょうどその柱のところに鉄製のオフィス用ゴミ箱が置いてあったんです、しかもフタを外した状態の。間の悪い僕はミラクルなことにそのゴミ箱に自爆してしまい、ゴミ箱の角が太股の弱い部分に全体重をのせた状態でぶつかった次第でして…。ジャストミートでモロに入ったのか、まだ痛いですぅ~。で、究極にやっちまったのは、懲りもせずにまた新しい雑誌を買ってしまったこと。それはあのあくまでもいろんな毛色の週刊誌を発売し続けるデアゴスティーニ社のもの。このシリーズは結構そそられるものがありまして、過去にも病気系のものや源氏物語、最近では古代文明ものなどを買ってたりしたのですが、創刊号はこれでもかというくらい安いのでついつい買ってしまい、以後は通常価格で買い集めていくのです割には値段は高いくらいな上にボリュームがあったりして毎週増えていくには読み終えることが出来ず、かと言って終わってから買おうとするとどこまで買ったかわからないという悪循環のために挫折というのを繰り返してきました。僕が今まで全部シリーズで揃えた、もしくは揃えてるのはDVDがおまけについているコレクションもののやつで「Xファイル」と「24」だけ。これはまぁ、続きが気になるのでどうしても買ってしまうものだからすべて揃うわけなのですが、こんな途中で止める放置プレイになるのでこのシリーズは止めようと思ってたのですが…。たまたま連休中にCMでやってたのを見たというのもありますが、本屋で見かけましてしかもそれが歴史のミステリーを紐解いていくというもの。歴史好きの僕にはたまらない内容、しかも創刊号は190円と何ともお徳な価格。本能寺の首謀者は誰だったのかやアポロ11号の月面着陸は捏造だったか、さらにはキリストに子供は存在したかなどとこれまた気になる内容だらけで、とりあえず創刊号だけでもとついつい買ってしまいました。まだ途中ですが、これがなかなか面白いのでかなり困ったさんです。ちなみに今回だけで止めようと思ったにも関わらず、次回は魔女狩りの真実やノアの箱舟、さらには徳川家康の晩年は影武者だったと興味をそそる内容。価格は標準価格の560円で週間で発売されていくというものなのですが…。来週気付けばまた買ってそうで、なんかやっちまったっていう感じです…。
2008.01.15
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え~、普段はいつもぽわわわわ~な感じの日記を書いているのですが、今日は気になる記事を見つけたのでちょっとマジメな話でも。今日は休みだったのでいろいろとネットを見ていましたら、たまたま性善説やら性悪説やらについて書かれていたのを見たのでどちらを支持するのかという僕の見解を。僕はぶっちゃけた話、どちらも支持しません。いや、古代思想家の人にケンカを売っているのではなく、僕は生まれたときはどちらでもないと思うのです。いや、これは僕が学生時代の頃、社会の倫理の時間にたまたま先生にあてられたときにも答えて、クラスからは大ブーイングを受けたのですが、僕は人は生まれたときは善いとか悪いとか関係なく真っ白な状態で生まれると思います。で、その後の環境や教育によってどちらの色にも染まるものだと。白色って、何色にも染まりやすいですが、逆に色を混ぜて白色って作るのは難しいものだと。それと同じで、生まれながらにして人は善も悪も合わせ持っているが故に、どちらの色でもないものだと思うのです。そして、年が経つにつれてどちらかの色が濃く現れてくるものではないかと。たとえば、僕という存在がありまして、これを今から同じものを作ろうとしたとき、まず100%無理なものです。教育は同じものが出来ますが、環境だけはいかんともしがたく、ひょっとすると今の環境で僕を作ろうとするととんでもない悪人になる可能性も。ただ、それは環境が悪いのではなく、その個人が育つ過程で受けてきた思想云々の問題になるもので、その人がどう育つかというのは誰にもわからないものです。なぜなら誰しも善も悪も合わせ持っていて、そのスパイスの調合は自身がどのように感じて成長したかによるからです。なので、ある人にとっては平気な事柄でも同じことを他人が受けるととてつもなく苦痛に感じたりするのと同様で、僕らが育った環境での考え方と今の考え方を同じように考えるのがそもそも間違えで、少なくとも世代が違えばベースとなる色が違うので、根本的に違うものだということを認識しなおさないといけないのかもしれません。とまぁ、珍しくこのようなことを書くに至った理由というのも、先に述べました気になる記事を見つけたということからです。その気になる記事というのが今新聞を賑わしている事件の関連記事なのですが、正直言いますとこの記事についてすごく物申したい気分です。というのも、あからさまに言うのは控えたいのですが、この記事に書かれている猟奇的ストーリーの本というのが、昨日僕が日記で書いた小説のシリーズ。いや、これが犯行の動機解明に繋がるかもしれないというので押収するというのはどうかなと思いまして。確かにこの本の主題というのが記事に書かれているような内容なのですが、それが人格形成に影響したかどうかはさておき、事件の契機になるのでしたら、世の中推理小説やましてホラー映画なんて有害図書以外の何ものでもないんじゃないかなと。確か文学作品で事件を起こしたのは金閣寺に火を点けた事件もあったような気がしますが、それは遠因の一つでしかなく、あからさまにこの記事はこの作品をピンポイントで指摘しているみたいな気が。なら僕はこれから犯罪者になるかもね…。人の心の解明というのはとても難しいと思います。僕は事実と真実は別物だと思ってまして、事実はいわゆる歴史上観点から見た時系列で起こった出来事、そして真実は人の数だけ存在するその人が感じ取った出来事のことを言っていると思います。そのあたりは僕が学生時代に書いたエッセイもどきのほうに詳しく書いているのですが、この真実というものは他人は想像することは出来はすれ、語ることは本人の口からでしか出来ないものではないかと。ですので、その真実を想像する過程で参考にするのは一向に構わないのですが、それを一因と報道するのではなく、真っ白な状態で生まれた人が、どうして偏った方向に道を違えてそうせざるをえなかったのかその理由を紐解いていくことで根本的に事件を解決して、同じような環境で育った境遇の人らが悲劇を繰り返さないよう再発を防ぐようにしていかないといけないのではないかと僕は思います。くどくどとマジメなことを書いてきましたが、僕が声を大にして言いたいのは、この小説は面白いということです。それは、僕以外でもこのゲームやらアニメやらマンガやら小説を読んだ人たちならご存知とは思いますが、このように報道されることによって、その作品を穿った視点で世間から見られるというのがどうかなと。
2008.01.14
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ひぐらしのなく頃に第三話~崇殺し編~(下)彼の言った、………死んでもいい命なんか、ないんだという、心からの言葉。そんな、……すごくすごく、…当たり前な一言が、…胸に染み入る。昭和五十八年、雛見沢村。“トラップマスター”北条沙都子を虐待から救うため、奔走する前原圭一。しかし児童福祉司への相談も、何ら変化をもたらさなかった――。出口の見えない状況と、雛見沢に古くから伝わる“オヤシロさまの祟り”が結びついた時、圭一は“ある決断”を下す。そして事態は、さらなる最凶最悪の悲劇へと向かう……!!この第三話の祟殺し編の上巻を読み、北条沙都子の秘められた健気さに心を打たれて以来、ずっと続巻の発売を楽しみに待っていた僕は、書店で下巻が発売されたのを見てすぐさま購入しました。で、一気に最後まで読み進めたのですが…、感想はというと何か違うというもの。いや、この物語はこの物語で下巻としても面白いのですが、上巻からのギャップがあまりにもありすぎる上に、どうしても主人公である前原圭一の主観で物語が展開していて上巻のいい話がうやむやになったような。第一話では巻き込まれ、第二話では追い詰められ、第三話では追い詰めという三話が三話とも別のスタンスから物語が描かれているという意味では成立しているとは思うのですが、どうも本編を読む限りでは圭一の心情が独善できな独りよがりなところが目立ち、目的と手段を掛け違えたままに終わってしまったような。それがラストの悲劇的な結末に至ってしまうのですが、この各人の思いのすれ違いというのは少しせつないものがありました。ただ、この物語だけは先の二話にはない、謎な部分が多く、何が起こって何が妄想だったのかがちょっと理解できなかったのですが、また続編以降でこの謎が解決されることを待ちたいと思います。…あんたも気をつけろよ。俺如キニ、祟リ殺サレルナ?
2008.01.13
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前回から第2クールが始まったっていうのに、OPもEDも変わらなかったからどうなることかと思ってたけど、今回から新しい曲に変更されていて一安心したわ。だって、そうでしょ?わたしとアスランさまの物語の第3期が決定したとき、クールごとに歌が変わらなかったら何だか興醒めよね。まぁ、前クールの歌がそんなに印象に残らなかったので、新クールの歌に期待したんだけど、歌の印象度がわたしたちのときとは違ってインパクトのない代わり映えしない気がするのはわたしだけ?映像はいいんだけどね…、相変わらずジェリドくんは登場しないし、ユニオンはそんな扱いでいいのかしら?わたしの名前はルナマリア・ホーク。やっぱり今回もOPに登場しない不遇のキャラ的扱いを受けてるジェリドくんだけど、初っ端から飛ばした活躍には笑わせてもらったわ。それでこそジェリドくんよね。メガネ大佐に一目惚れって、ガンダムにはありえない展開。やっぱり時代はああいうツンデレキャラを求めているのかしら?わたしも今度アスランさまにああいう態度を取ってみようかしら?ぼんぼん学生のお姉さんの調査によって、200年以上遡る変なおじいさんに端を発するCBの歴史が放送されて視聴率が取れたってのはいいことだけど、不思議なのはどうして今までガンダムの存在が公になってなかったのかしら?そういえば、ボーイがまだ子供の頃の回想シーンにもガンダムが登場してたし、ロン毛も第三世代とか言ってたような。それまでの世代のマイスターたちは何をやったのか、ちょっと知りたいところだわ。どうして今になってこう公に登場するようになったのか。また酔っ払い予報士が水着になってたり、中華娘の服が変わったりしてるのはどうでもいいけど、とりあえずベーダって誰?今回は次回から続く鹵獲作戦の前夜みたいな感じで戦士達の休息という感があったストーリーだったけど、それでも馬しっぽのおにーさんの情報漏洩はさすがに同じ軍人としていただけないわ。本人はスカウトする気で意見を聞いてみたと言い張るかもしれないけど、それじゃどこぞの国のお役人さんみたいに公私混同して仕事してるのと一緒じゃないのよ。まぁ、人は恋をすると盲目になっちゃうのはわたしもわかるんだけど、馬しっぽのおにーさんといい、ボーイが洗濯板王女の寝室にまで夜這いに乗り込んだりと前回から引き続き、およそ土曜の18時からするアニメの内容じゃないわね。馬しっぽのおにーさんの相方の金髪のおにーさんは部隊が増強されるからと喜んでいるとまたまた新キャラが登場して混迷の度合いを増しそうな。まぁ、ああいう主役に食ってかかる勘違いキャラは一度痛い目を見るために登場するってもんよ。勘違いキャラはジェリドくんで間に合っているから今後どうなることやら。何気にライオン隊長はひげを剃って正規軍に編成されているし、帳尻合わせの回とはいえ、無茶苦茶な気がするのは気のせいじゃないわよね。最近気付いたんだけど、もともとこの恋した乙女シリーズってそもそものコンセプトはヒロインの座をジャックするために始まったはずなんだけど、ずっとストーリーに突っ込みを入れているような。今回のヒロインたちがわたしほどインパクトがないからジャックするまでもないので仕方ないんだけど、これでいいのかちょっと疑問だわ、いやわたしの突っ込みじゃなくてガンダムの物語として。恋する乙女の脳内補完計画
2008.01.12
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今日から三連休ということで、相も変わらず休日にはまったく予定がなく自宅待機な僕は両親に近くにおいしいイタリア料理屋さんがあるから行かないかと誘われたので、行ってみることにしました。軽くランチに行くのかなぁと思っていましたら、なぜかディナーのほうに予約を入れていたのにはちょっとびっくりしてしまいましたが。それよりも僕の住む地元枚方にイタリア料理店なんてあったというほうがびっくりだったりしましたが。というか、いつの間にそんなオシャレなお店が出来たのか。僕の中でのイタリア料理というのはスパゲティーというイメージがあり、某スパゲティー屋さんのチェーン店くらいにしかイメージなかったのですが、晩になって連れて行かれたのは枚方とは反対の樟葉方面。まぁ、ここいらの地理はマニアックなのでわからない人のほうが多いかと思いますが、樟葉といえばジョッキーの武豊氏や歌手の倉木麻衣女史が住んだりしているので、オシャレなお店が多くなってきているところなので納得です。で、お店の前に着くと唖然としてしまう大きな店構え。ガラス張りの店構えの前には洋風庭園っぽい開けた芝生にカフェテラスっぽくなってるので、日中に来れば違う異世界に来たのではと思える構えだったのですが…。中に入ろうとすると親にそっちじゃないと言われました。へ?と思いながら親が歩くのはそのオープンテラスの端のほうにあるドアで、ここはガラス張りだから入り口はこっちのほうなのかと思っていくと、扉を開けるとずっと奥のほうまで続く5席くらいしかテーブルのないお店。いや、あの外観は何なの?と思うとどうやらお隣はパーマ屋さんだそうで。って、パーマ屋さんにそんな外観はいるのか?とか思いつつ、パーマ屋さんの敷地内のテナントでこのお店があるのかと納得しました。オシャレなのはオシャレなのですが。僕らが入ったときにはすでに一組いらっしゃったのですが、他のテーブルにも食器が用意されているところを見ると全席予約で埋まっているみたいでなかなか繁盛している様子。飲み物は何にするかで悩んだのですが、ビールとワインとカクテルしかないみたいなので、せっかくイタリア料理なのだからとワインをボトルで注文することに。もちろん、一番安い白ワインのボトルですが。で、一番最初に出てきた料理がカワハギの白身と肝をパンの上に載せたもの。こんなの食べたことないと思いながらナイフで切ろうとするとパンが固くてあっちこっち飛び跳ねてちょっと苦戦しましたが、なかなか美味でした。次には前菜でいろいろなプチ単品の盛り合わせが出てきたのですが、エリンギをはじめブロッコリーやらチーズやら自家製シメサバもたっぷり脂がのっていてとなかなかオシャレな感じ。その中でも特に生ハムを柿ではさんだものがあったのですが、よく生ハムとマスクメロンを一緒にしているのがありますがあれはちょっと僕的には許せないタチだったのでどうかと思ったのですが、これがなかなか美味でほど良い柿の甘さが良かったです。そこからホタテのパスタが出てきておいしいおいしいと言いながら食べてますと、今度はまたマカロニの料理が出てきたのですが、この食材がなんと鯉と猪の肉で和えたもの。いや、鯉も猪もまともに食べるのは初めてなんですけど…、と思いつつ鯉なんておいしいのかなと思いながら食べるとこれがまた臭みもなくおいしいものでした。そしてメインにイベリコ豚が出てきたのですが、これまたおいしくいただけ、そこからデザートまでと満腹になりながらフルコースを平らげることが出来ました。まぁ、3皿目くらいのときにすでにワインのボトルを空けてしまってからビールを飲んでいたので、ちょっと酔いが回るペースが早かったのですが。ここのお店の料理は創作に近いと思いますが、これだけおいしいイタリア料理のお店が近所にあるとは意外な盲点でした。なにより、自分で料理を選ぶのではなく、シェフのお任せに料理をしたので、自分ではまず頼まないであろう、珍しい料理も食べることが出来たので大満足です。また行ってみたいなぁと思いました。
2008.01.12
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僕は自分ではそんなに目立つ存在ではなく、地味に暗躍することを生きがいとしているのですが、それでも思わぬところで様々な目撃情報が寄せられたりしています。その僕の仕事外での目撃情報のほとんどが仕事が終わった後の帰り道で、何度となく酔っぱらっているときに限って得意先の人に見られたりしています。まぁ、僕の場合、酒を飲んで帰ってもほとんど暴れたりしないのでそんなにタチの悪いところは見られていないのですが、それでもそのときに会ってたらどうということはないのですが、後日に見ましたよ~とか言われると、そのときの記憶がないのでかなり居心地の悪い思いをすることもしばしば。だいたい僕が出没するところといえば、だいたいが京橋駅界隈なので、大阪でもそんなにメジャーじゃないところなのですから、誰かに見られる機会って少ないはずなのに…。ばったり誰かと出会う偶然なんてテレビや映画やマンガでは当然のように描かれていますが、現実世界ではほとんどと言っていいほどありえない状態なのですが、そういう偶然の積み重ねが時として降って湧いてくるというのはなかなかありえないので面白いなぁと思う一方で、厄介だなぁと思う次第でして。今日も会社の帰りに飲んで帰ったわけですが、連日の新年会ラッシュのせいで酔いの回るのが早く、ひょっとしたら帰りの電車の中で寝ちゃうかもと思い、寝過ごすと京都まで一直線ですから、それだけは避けたいと駅のホームに着いて、もう電車が入ってくるというタイミングにも関わらず、週刊誌を買って読みながら帰ることで無理矢理目を覚ましておこうと売店に寄って雑誌を買っていると、どこからともなく囁き声が。電車がちょうど入ってきたところなので、電車待ちしている人たちが話し合っているのかなと、雑誌を買い終わった僕がはっと並んでいる列を見ると、そこには僕の担当しているお店の人2人が笑顔で立っているではないですか!いや、このタイミングで謀ったように待ち受けているなんて…。向こうはちょうど仕事が終わった帰りだったみたいなのですが、時間は22時半過ぎという時間に目撃されるとは、なんと間の悪いことで。結局合流して一緒に途中まで帰ることになったのですが、かなり居心地が悪かったです…。雑誌なんて買わなくても酔いが醒めちゃいました。う~ん、壁に耳あり、障子に目ありとは本当のことだなぁ~と、人間なかなか悪いことは出来ないようになってるとつくづく思いました。いや、別に悪いことをしたわけじゃないですけどね。
2008.01.11
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たいていの人もそうだと思うのですが、僕は自己紹介というのが苦手です。他人にどう思われているのかはあまり気にしない性格なので他人の目に僕はどう映っているのかはわからないですが、自分で自分のことを評価するというのは何を基準にしていいのか、なかなかわからないものです。評価というものは自分で作るのではなく、自分の行動に対して勝手に付いてくるものだと思うので僕はたいてい天然ものの直球勝負で過ごしていますからこういう風に演じているという姿というのはあまりなく、そういう意味では自分というものがどうあるのかを他人に説明するときは難しいものです。ブログのような、自分の思いのままに物事を発言できる場所でしたら自分のことを全自動ミラクルコメディアン体質な、お気楽極楽のー天気男ですと言えるのですが、これが対会社的なものでしたらそうも言ってられずかしこまった物言いをしないといけないのでなかなかに困りものです。と言っても、いくら自分でこうだと言っても他人にはそうは受け止められなかったら一緒なので何を言おうが気にするほどのこともないですが、これがほとんど行ったことはないのですが、合コンの席とかになると人見知りする僕としては困ったりします。基本的には対個人としてはこれでもかと言うほどしゃべるのですが、団体さんの中に紛れてしまうと途端に影が薄くなりますから。そこでも初対面の人にアピールするためには何かいい文句はないかなと思っていると、一時期流行った某メーカーの自己紹介版として自己紹介工場なるものを見つけました。で、これで早速チェックしてみたところ、コタツのスイッチを切ったかどうか気が気でないしまずんばです。よろしく。という文句が。微妙に当たってるし。いつもあれはしたかなとかこれはしたかなとか、外出するときには色々と指先確認してからじゃないと後々気になって仕方なかったりしますので。でも、これって、なかなか微妙な紹介のような。ちなみに僕の本名だと、シャンプーとリンスのメーカーがそろったことがない管理人です。よろしく。というもの。う~ん、残念ながら、これはハズレですねぇ~。何気に僕はシャンプーとリンスのメーカーは揃っているし…、って本当言うとチャンリンシャンなシャンプーとリンスが一緒になっているのを使っているので、そろわざるをえないものだったりして。ところで、ふと思ったのですが、これらの診断をするときに名前入力で本名を入れるときって、名字と名前の間をあけたりするものなのでしょうか?シャンプーとリンス云々のほうは一文字あけてのパターンで、あけないパターンならしまずんばと同じコタツのスイッチになるのですが…。う~ん、謎なんですが、みなさんはどちらで診断されているのでしょう?
2008.01.10
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今日、帰り際に軽く飲みに行こうかと組長らに誘われてどこに行くのかなぁ~と思いながらついて行ったのですが、駅まで帰り道すがら小阪のそのお店は15年ほど行ってないなぁ~といつも一緒に帰る釣り淡水部部長と話していたので、まさかなぁ~と思ってたのですが、駅に着いて部長が後学のためにそのお店に行くぞとおっしゃられました。うわさではよく聞いていてキロ先輩がそこの女将さんのマネをよくしているお店だったのですが、軽く行くという距離じゃないのでネタで話しているのかなと思っていたら本当だったとは!いや、話にはよく聞くので一度は行ってみたいと思っていたのですが、その機会が今日急に訪れるとは思ってなかったのですが、なんだか面白そうだったので一緒に着いて行きました。ちなみにうちの会社は現在は鶴見緑地公園の向かいくらいにあるのですが、今から十数年前はまだ東大阪の小阪のほうにありまして、今と変わらずみなさんは帰り際によく飲んで帰ったそうで、そこには行きつけのお店がたくさんあったそうです。移転したのが僕が入社する5年ほど前のことで、ベテランの人しかその当時のことは知らず、若手の人間はほとんどウワサしか知らないというところなのですが、今の会社から行くには思ったよりも距離があったのには驚いてしまいましたが。直線で行くのなら中央環状線を下っていけばすぐに着くのですが、電車ならJRに乗り換えて近鉄線という回り道。まぁ、でも一緒に連れて行ってくれる組長と淡水部部長も移転してから一度も行ったことがないらしいので、それでも行きたくなるお店ということでどんなところだろうと楽しみに行きました。小阪駅から歩くこと10分ほど、まだそのお店が営業しているかも確認しないで行くと、お二人が言うには外観はそんなに変わらないですが、回りの景色はだいぶ変わった様子。その立ち呑み屋さんは酒屋さんと同じ敷地でいわゆる区画を分けてお店の中で飲めるタイプのお店で、中に入るとイスがずらっと置いていて立ち呑みから座って飲むお店に変わっていたみたいですが、平日の早い時間というのにお客さんがいっぱい入っていてスペースが限られていたため、僕らは立って飲むことに。すると、どこかで聞き覚えのある声が…、と思いながらカウンターを見ると品のよさそうなしゃべり方の女将さんらしき人が。ううっ、まさしくキロ先輩のマネそっくりのしゃべり方。いや、そのまんまな話し方で女将さんがお二人を見て久しぶりやね、と話しかけてきました。で、そこから女将さんを交えて組長や淡水部部長らが思い出話に花を咲かせていまして、僕としては初めてのお店ということもあったのですがあまりにそのまんまな女将さんを見ていて唖然としていたのですが、なぜか女将さんは僕にもひさしぶりやねぇと。いや、僕は初めてだし…、と思いながらもそう話すと、わたしは絶対に会ったことがあるとか言い出されまして。そんな特徴的な話し方の人に会ったら間違いなく忘れないと思うのですけど…。まぁ、似たような人と見間違えてるのかなと思いつつも名物のおでんをつついたりしてさくっと飲んだり食べたりしていました。で、驚きだったのはそのおでん、昔よく来ていた人たちからウワサで聞いてたのですが、一度お皿に盛られたおでんでも口や手をつけていなかったら返品オッケーって。まさか、いくら何でも昔は良くても今のこの時代にはないだろうと思ってると、しばらく置いておいた串を女将さんが手にしたかと思えば、さくっと持っていってあたたかいのと交換してくれたりしました。って、やっぱりおでんの返品はオッケーなのね…。ちなみにそのおでんは煮込んでるところにまた入れなおしたりしてました。話には聞いてましたが、まさかその光景を目にするまでは信じられませんでしたが、マジでしたとは。さすが小阪、何でもありだなと思いつつ、後学のためと言われながらもなかなか新鮮な経験の出来た立ち呑み屋さんでした。ちなみにお会計の割り勘より往復合計の電車賃のほうが高かったのは立ち呑み屋さんならではかなぁ~っと。
2008.01.09
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僕はよくお昼御飯に牛丼屋さんを選びます。一口に牛丼屋さんと言っても、最近ではいろいろなチェーン店があるので、いつもお店回りをしている途中に見つけたところに入るので、ここというお店は決めてないのですが、一人で入るには気楽だし、御飯はすぐに出てくるし、値段はリーズナブルだしとよく利用させてもらっています。僕が学生時代の頃の牛丼屋さんといえば、牛丼一筋三十年と言われるお店を筆頭にあともう1件ほど知ってるかなというレベルだったのですが、今では結構なお店の種類もあり、しかもメニューは豊富、さらに価格破壊をしているのであのときの値段は何だったんだろうと思うことしきりです。まぁ、それは某ハンバーガーショップにも言えることなのですが。で、今日はそのある牛丼屋さんに入り、以前から気になっていたメニューを緊張しながら注文してみました。そのメニューとは季節限定のもので、クリームシチューもの。僕はクリームシチューが好きでよく晩御飯に出るときには御飯にかけて食べたりしているので、そこにお肉がコラボレートされるのはどんな組み合わせなんだろうと。まぁ、シチューそのものにもお肉は入っているのですが、それはそれで丼もののお肉とのクリーミーな組み合わせとはこれいかに?と去年から気になってはいたのですが、これを頼むのはかなり勇気がいるので去年は頼めずじまいだったのですが、今日はかなり遅めのお昼で僕の他にお客さんもほとんどいなかったので、これを機会に注文してみました。一応、カロリーを考えて豚丼のほうで頼んだのですが、出てきたのは本当に豚丼の上にまんまクリームシチューがかかっているし。まずは味見ということでクリームシチューを食べてみるとこれがなかなか美味。これを豚丼と絡めて食べるとなんとステキな味になるのかと想像しながら混ぜてから食べてみると…、なんか違う。あれ?と思いながらも口に運んでみるとやっぱり違う。クリーミーなシチューの味はすれどもちょっと辛いのはなぜ?と思いつつよくよく見ると、せっかくのシチューなのに豚丼のやや辛口のタレまでかかっている…。ぬぉ~、こいつがシチューの味を帳消しにしてるとは!なんたる不覚っ!しかもシチューにお肉に御飯にと妙にもたれるコラボレーション。健康を考えてサラダセットにしたのが余分なくらい、並にも関わらずおなかにくるボリュームでした。せっかくのおいしい豚丼とクリームシチューだったのに…、なんか一緒に組み合わせるとイマイチでした。う~ん、やっぱりおいしいものは一緒に食べるのではなく、別々に食べるのがいいなぁと思った今日のコラボレーションでした。
2008.01.08
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新年、年が明けまして挨拶回りにお店へ行く道すがら運転していますと、いつも何気なしに聞いてるラジオなので前半はしっかりと聞いてなかったのですが、どうやらどこぞのにーちゃんがバイクについてアツく語っているCMが流れていました。う~ん、この声どこかで聞いたことがあるけど…、まさかなぁと思いつつ話している内容はひさしぶりにバイクに乗るといいとか、若い頃はどうだとか、この年になってもバイクはどうだとか云々。僕が気付いてからも結構長いことしゃべっていたので、いい加減誰やねんと思いながらしばらく聞いていると、最後の最後で「BIKEisLIFE」とか言い出し、やはり歌手の藤井フミヤ氏でした。って、藤井フミヤ氏がバイクが好きだなんて初めて知りました。僕はバイク派かクルマ派かと聞かれると、迷わずクルマ派を選びます。なぜなら、クルマは全天候型だから。バイクにはバイクの良さがあるとは思うのですが、僕の中では雨に濡れるわ、夏は暑いわ、冬は寒いわ、音楽は聞けないわ、2輪だからコケる心配があるわ、クルマと事故ったらまず勝てないわ、と様々な理由からクルマ派です。僕がまだ学生時代、警備員のアルバイトをやっていた頃、京都競馬場の付近警備をするときに、立哨現場まで歩くと10分以上かかる場所がありまして、さすがにそこまでの移動はバイクを使うようにということで、競馬場からバイクを借りてそこまで行きましたが、それまでバイクになんぞ乗ったことのない僕はクルマの免許は持っていたので運転しても問題ないのですが、まずバイクの運転から教えてもらってこわごわとのろのろ運転で行ってたのですが、確かによく言う風と一体になれるという雰囲気はバイク独特のものだと思うのですが、あれは怖すぎです。よくクルマを運転してて僕らクルマのスピードと変わらないくらい原付がスピードを飛ばして走っている人を見かけますが、僕から言わせてもらえばよくそこまでスピード出すものだと感心してしまいます。まぁ、性格的にもバイクは性に合わないということでクルマ派の僕なのですが、そのラジオから流れてきたCMの最後のオチに思わず突っ込みそうになりました。手放す時は、チカラになります。って…。それまで散々バイクはいいねぇ~とか、こういう風に走れたらサイコーだねぇ~と、藤井フミヤ氏が言ってたのに、どうしてオチで手放す時のことを?よくよく聞くとそのCMはバイク買取専門店のCMなのでそういう流れになるのは仕方ないのでしょうが、今までバイクはいいとテンションを上げてきたのに…。思わず最後の最後でこのネガティブなプロモーションはどっちを言いたいねんっと突っ込みたくなりました。
2008.01.07
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パフューム ある人殺しの物語 プレミアム・エディション先生匂いを保たせたいんです18世紀のパリ。悪臭立ちこめる魚市場で一人の赤ん坊が産み落とされる。危うく捨てられかけた赤ん坊は、間一髪で拾われ、グルヌイユと名付けられて育児所に引き取られる。グルヌイユは友だちもいない孤独な子どもだったが、何キロも先の匂いを嗅ぎ分ける超人的な嗅覚の持ち主だった。やがて青年となったグルヌイユは、ある時運命の香りと出会った。それは赤毛の少女の体から匂い立っていた。しかし彼は、怯えて悲鳴を上げようとした少女の口をふさぎ、誤って殺してしまう。以来、彼は少女の香りを再現することに執着し、香水調合師バルディーニに弟子入りするのだが…。映画の予告編を見て以来、ずっと見たいと思っていた映画でようやくレンタルすることが出来ました。グルヌイユの究極の香りを求めて一生を描いた作品でしたが、前半の苦難時代はコメディ色に溢れていて楽しんで見ることができ、後半は匂いの調合という目的のために猟奇サスペンスなものに至るという、まさに一粒で二度おいしい作品で、とても良かったです。匂いという画面からはなかなか伝えることが難しいものをテーマにしながらも、その匂いを嗅ぐ人の反応によって匂いが伝わってくるような演出も良かったです。ラストは何でやねんっ!と突っ込みたくなるものでしたが、良い作品でした。
2008.01.06
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ミノタウロスミノタウロスが神なら私たちは皆殺しよでも神じゃないなら…雄牛を神として崇拝する古代ミノス王国。“完全なる神”を創造しようと王妃と雄牛を交わらせ、子を身ごもらせてしまう。そして13ヶ月かけて育てられ生まれた子は上半身が牛、下半身が人間という世にも奇妙な半獣だった…。 ギリシア神話に登場する伝説の怪物を題材にした映画ということでレンタルしたのですが、神話の伝説は関係なしでまったくのオリジナルストーリーに肩透かしされてしまった作品です。それでも内容が面白かったら良かったのですが、怪物ものの映画としては雰囲気とかは良いものの登場人物たちに全く共感できず、さらには主人公も無茶苦茶自分勝手な上に、ラストは救いのないエンディングで、かなり微妙なものでした。これならわざわざミノタウロスを題材にしなくても…。
2008.01.06
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閉ざされた森レンジャーの掟だ“仲間を絶対に見捨てない”ある夜、パナマの米軍基地から訓練に向かったレンジャー隊7名が、嵐の密林地帯で消息を絶つ。17時間後、3名の生存者が発見されるものの、彼らは味方同士で撃ち合っていた。そして、一人が捜索隊の目の前で殺される。結局、重傷者を含む2名が救助され、いまなお隊長のウエストを含む4名が行方不明のまま。間もなく、ジュリー・オズボーン大尉が調査を開始するが、救助された兵士は彼女の尋問に黙秘を続けた。そこで、オズボーンの上官スタイルズ大佐は、かつてウエストに訓練を受けていた元レンジャー隊員で尋問術に長けた麻薬捜査官トム・ハーディを呼び寄せる。なかなかの骨太な軍事ミステリーな作品で、途中からだいたいの筋書きが目に浮かんでしまったりしたのがちょっと残念でしたが、ラストでのネタばれ的な大どんでん返しは面白かったです。ですが、この映画を理解するには問題が山積みで、生還した兵士たちの証言が食い違っていることから物語は端を発するのですが、誰が誰だか途中からよくわからなくなってしまうというところ。兵士たちの証言の再現シーンも嵐の中でのジャングルにある小屋でのアクシデントな上、レンジャー隊員はみんな同じ服や顔にペイントがあるし、とても理解しずらいものが。だいたい、あのラストになるには多少無理があるような2人の証言。誰がどこの立ち位置にいるのかをきっちりと把握してからもう一度見直したら傑作だと思うのですが、サスペンスの展開にこだわりすぎて詰め込みすぎたような気がします。もっとあっさりとわかりやすい驚きの展開だったらなお良かったのですが。
2008.01.06
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ガンダムといえば、モビルスーツ、そして人類の共感、さらにはわたしのような魅力的なヒロインに、マスク男がウリなのよねぇ~。そのガンダムを構成する重要なファクターであるマスク男がようやく登場したと思ったらまさか、あの中華娘の執事さんだなんて…。誰っ、あの執事さんのことを仮面の忍者○影とか呼ぶのはっ!そこは触れてはいけないところだわ。今まで地味な役どころしかなかった執事さんだけど、いざ白兵戦になったらあっさり傭兵たちを倒した強さから考えると最強じゃないかしら。まぁ、アスランさまの身のこなしに比べるまでもないけど。それにしてもモビルスーツは山ほど出てきているけど、人類の共感はあのハレルヤと無表情少女だし、マスク男は執事さんと小さくまとまっちゃったけど、魅力的なヒロインはどこにいるのかしら?わたしの名前はルナマリア・ホーク。今回のガンダムは冒頭にも突っ込んだように、ある意味冒険だらけよね。その上、土曜の18時というお子様も見るような時間帯だというのに洗濯板王女を暗殺しようとした女中さんのあの無残な姿を演出するなんて…、チャレンジャー以外の何者でもないわ。ところで、新年一回目の第2クールだというのにOPもEDも歌が変わらないって、早々と次のクールを歌う人たちが発表されたのにそのまま保留って、いったいどういうことなのかしら?やっぱり今回も金髪のおにーさんの独壇場だったわね。マイスターたちがこそこそっと活躍してたみたいだけど、あのおにーさんのインパクトにはどう頑張っても敵いそうにないわ。潜在的にせよ、遠回しな問答からボーイを見抜いたその眼力といい、口が滑ったとか言いつつもそれとなく情報を教えたり、王国の守備隊が暴発しても最後まで状況を見極めてたりと、ほんと有能な指揮官じゃないの。言論と行動にはやや問題はあるかもしれないけど、これでこそ粋な男というものかもしれないわ、間近にいたら迷惑だけど。「刮目」させてもらうとか何とか言ってたけど、そんな言葉は熱血!平成教育学院のユースケ先生しか使わない言葉と思ってたわ。またまた服の変わった中華娘が、物語に脈絡もなくラストミッションを受けとったとかで出番がないからと無理矢理後半でも登場したことや、ヒゲダンディーなおじさまが乗っていると知っているにも関わらず守護隊がガンダムを撃ったことはまあスルーできるにしても、あのボーイだけはよく理解できないわ。今度こそガンダムに…、って何をもってガンダムになれるというのよ、まったく。その理解不能っぷりを見ていたら、うちの同期を思い出しちゃうんだけど…。どうしてアスランさまのようなキャラが受け入れられず、ボーイのようなキャラをガンダムは量産するのか、永遠の謎だわ。恋する乙女の脳内補完計画
2008.01.05
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毎年のことですが、年賀状というのはなかなかに困りものな習慣だと思います。いや、年始の挨拶をするというのはそれはそれで素晴らしい習慣と思うのですが、毎年年賀状を書く相手というのは決まっていまして今年も去年と同じ枚数くると想定して書いて出すのですが、実際のところは年が明けてから蓋を開けてみないとわからないというのが実情です。たいてい誤差は少ないので年明けには書いてない人から来たときにでも何枚か年賀状を残しているのでそれで対応するという繰り返しをしているのですが、今年に限ってはその予想を大幅にオーバー。元旦には去年まで来たことがないので書いてない人が4枚、2日は2枚、3日も2枚で4日には1枚とここまで遅くになってもまだ書いていない人から来るというのはいったいいつに年賀状を投函したのかと突っ込みたくなる心境。たいてい5枚くらいしか用意しておらず、2日の段階で親の余りをもらい何とかしのいだかと思えば、3日には家のストックすらなくなり買出しに行って一息つけたと思いきや、そこで終わりと思っていたのでぎりぎりしか買って来てなかった僕の読みが甘く、4日にもまた買出しに行く羽目になりと、正月初の買出しがなぜか郵便局ということに。でもまぁ、今年は民営化になって初の年賀状だからどれくらいのタイミングで着くのかな少し心配に思っていましたが、去年よりも優秀で年末ちょい前にあったコメントを書いたものがあり、結構遅くに出したと思われる年賀状でも元旦に届いていたのでやれば出来るものだと思わず感心してしまいました。なぜに去年までにそれが出来なかったのか不思議で仕方ないという疑問はさておき、にも関わらず時間差でうちに届く年賀状らはいったいいつのタイミングで出されたものなのか、まぁそれも触れないでおくことにしましょう。他にも住所は知らないですけど、メールアドレスの交換はしている人たちからもあけおめメールなど元旦に来てたりしましたが、これまたなぜか3日くらいに来た人もいたりしてなかなかマチマチで面白いものだったりしました。まぁ、年末年始はみんなばたばたと忙しいから仕方のないものですし、病は気から…、もとい気は心からのものですので挨拶が来るうちが華かなと。ところで、それらの年賀状を見ていて思ったのが、いつもなら干支のネズミのイラストやら縁起物やら家族の写真やらが年賀状の裏にプリントされているものが多いのが例年のことなのですが、なぜか今年はミッキーマウスがちらほら見受けられ、メールでもミッキーマウスがいたりしたのを疑問に思ったりしてました。僕はたしか門松っぽいのを裏にプリントしたのを送ってたのでいかにも正月って感じの年賀状でしたが、どうしてミッキーマウスなんだろう?という意味にやっと今日気付きました!僕はまったく気付かなかったのですが、ミッキーマウスってネズミだったんですね。ただのぬいぐるみみたいなイメージしかなくてすっかり忘れてましたが。しかも自分で気付いたように書いてますが、実は今日が仕事の初出勤でお店回りしているときのラジオで話題に出ていたから気付いただけだったりして。ふんっ、どうせ僕はディズニーランドになんて行ったことないから気付かなかっただけですよ~、しくしく。まぁ、ディズニーランドはおろか東京はもちろん、長野県より東には行ったことがなかったりするのですが…。まぁ、でもなんでミッキーマウスなんだろう?という謎を悟ることが出来て、胸につかえていたもやもやが解消されたのはいいことかなと。ただ、それはそれとすると年賀状のイラストで後輩から来たケロロ軍曹の意味がわからないような…。え~っと、やっぱりカエルはネズミのエサだから?いや、ネズミがカエルを食べるのかは知らないですが、それはそれでなんかエグいイメージが…。
2008.01.05
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アドレナリン君はいい奴だ出会えてよかったロサンジェルスの裏社会でプロのスナイパーとして生きるシェブ・チェリオス。ある朝目覚めると、宿敵のリッキーから“眠っている間に毒を盛った。お前はあと1時間の命だ”と告げられる。解毒剤を手に入れるため、リッキーの居場所を探し始めたシェブ。やがて、知り合いの医師から、アドレナリンを出し続けると毒の作用が止められると知らされたシェブは、所構わず動き続け、興奮し続けるハメに。さらに恋人イヴも狙われていると知り、やむなく彼女も一緒に連れ回すことになる…。「トランスポーター」を見て以来、地味に主人公をしていたジェイソン・ステイサムのファンになった僕は、ジェイソン・ステイサムの出演している作品はチェックするようにしていまして、ようやくレンタルで最新作から準新作になったので借りてきました。アクションなのになぜにR-15?とか思ったのですが、結構えぐい場面があったりしたのでそれも納得。走り出したら止まらない爽快なスピード感がとても面白かったです。ラストはハッピーエンドなら良かったのですが、そこまで期待通りというのも無理のある展開ですしね。やっぱりジェイソン・ステイサムはこういう破天荒なキャラクターが似合うなぁと思える、気楽に見ることの出来る作品でした。
2008.01.04
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オール・ザ・キングスメン コレクターズ・エディション俺は決して信念を捨てはしない“人々は汚職を許さない”と信じる“時が必ずや すべてを明らかにする”俺はそう信じる1949年、ルイジアナ州メーソン市。郡の出納官を務める実直な男ウィリーは、小学校建設に絡む役人の汚職を告発して逆に自分が職を追われるハメに。上流階級出身の新聞記者ジャックは、そんなウィリーに興味を抱き交流を持つ。やがてその小学校で欠陥工事が原因の事故が起こり、ウィリーは一躍注目の存在となる。それに目を付けた州の役人タイニーに担がれ、いきなり知事選に出馬するウィリー。しかしそれは、対立候補の票を割るためのタイニーの策略だった。ことの真相をジャックから聞かされたウィリーは、与えられていた演説原稿を破り捨て、自分の言葉で聴衆に語り始めた。この演説が貧しい人々の心を打ち、ウィリーは地滑り的勝利を収め、ついに知事の座を射止めるのだった…。これぞ人間の本性を描ききっているという意味ではとても面白い映画だったです。政治の腐敗に憤りを感じて知事選に名乗りを挙げた理想に燃える男が、権力を握るやいなや、その力に溺れて身をほろぼしていく様や過去のたったひとつの選択ミスにより、青春時代の全てを失ってしまい、くずぶり続ける新聞記者の姿はなかなか見応えがあります。全編を通して、複雑なしがらみともいえる人間模様に焦点を当てて語られており、少し退屈なところもあったりしましたが、それでも政治の姿というものを的確に捉えていて、なかなかいい映画でした。
2008.01.04
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闇の中は深く、とても冥い…。そこになにかが潜んでいたとしても不思議はないでしょう…。あの人を待ち続けて、もうどれくらい経ったのでしょう。幾度となく季節は巡り、眠れぬ夜を越えて、今日もまたわたしは待ち続けています。一日千秋の思いで、千秋は万冬になり、万冬は億春へ、億春は兆夏へともうすでに数え切れぬ日々をずっと愛しいあの人を待ち続けています。あのときに交わしたかけがえのない約束、それだけを胸に、わたしはいつまでも待ち続けます。花は咲き誇り、千々に乱れ、葉は芽吹き、儚く散り行くのを繰り返しても、あの人を見舞った苦しみを思えば待ち続けることに迷いはありません。あの人は言いました、必ずわたしを迎えに行くと。その言葉が胸にある限り、わたしは刻を越え、輪廻を超えて、いつまでもあの人を待ち続けます。今では、あの約束がどのようであったのか辛うじてしか覚えていません。ただ、どのようなものであれ、あの約束はかけがえのないものだったと、それだけは覚えています。あの人の名前も顔も声も体温もにおいも、そして自分の名前すらも思い出せないくらいわたしは待ち続けています。このわたしの胸に宿るこの想いだけを支えに、いつまでも待ち続けるには時の流れはとても早いものでしたが、あの人に焦がれる思いを毎日塗り重ねてわたしはここで待っています。この枯れることのない、あの人への想いは愛なのでしょうか、それとも呪いなのでしょうか。夢か現か、それすらもわからなくなるくらい永い間、あの人がきっと来てくれるものと信じて、今日も約束のこの場所で待ち続けています。こうして待ち続ける間に、この約束の場所に何人もの人が訪れました。誰かが来るたびに、あの人かと期待するのですが、何度となくその希望は打ち砕かれてきました。ここに来る人のほとんどがわたしの姿に気付かず、睦みあう二人がここで愛を語り合う姿は、まだ幼かったわたしとあの人の幸せだったかけがえのない記憶を呼び覚ますようで、今はただ待つだけのこの身を儚んで消え去りたくなってしまいます。もう呼ばれなくなって久しいわたしの名前ですが、ふとしたはずみに誰かに呼ばれたような気がしたかと思うと、その間の記憶はわたしの中からすっぽりと抜け落ちてしまっています。あの人を待ち続けて数え切れぬ時間の中で、ほんのわずかばかりの欠落なので、わたしにとっては待ち続けることを思い出すのはあの人に会えない悲しみを募らせるばかりなので過去を振り返るよりも、今にもあの人がわたしの下に来てくれるかもしれないという望みに胸を膨らませて待っているのですが、その都度わたしの下に訪れるのは、徳を積まれた人たち。その人たちだけにはわたしの姿が見えるらしく、わたしに向かっていくつか問答を行い、祓おうとするのですが、わたしはこの約束の場所に縛られた想い。あの人にしか、わたしをこの地から解き放つことはできないのです。そう、うすうすは気付いていたのです。いくらわたしがあの人のことを思って、いつまでも待ち続けようともありえないくらいの日々が過ぎ去ってしまっているということを。わたしは現し世に生きているのではなく、幽り世に生きていることを。それでもいつの日か、あの人が約束を思い出したとき、この場所に待っている人がいないと気付いたときのことを思えば、たとえこの身が朽ち果てようとも、この想いを消し去るわけにはいかないのです。ただただ愛しいあの人との邂逅を果たすためだけに、わたしはいつまでもこの地に留まり続けているのです。いつの頃からか、わたしのこの想いがあの人に届くよう語りかけるようになりました。「ねぇ、思い出して。約束のあの場所を、私の名前を。 あの場所で私はいつまでもあなたを待ち続けるわ。 例えこの身が朽ち果てようと、あの忘れな草の伝えの ようにこの世に証は残せなくても、あなたへの つきせぬ想いは消し去ることはないでしょう。 凍れる刻の中を私はいつまでも待ち続けるわ。 ねぇ、思い出して。私の愛したあの花を。 あの花が咲き乱れる美しき約束の場所、そこで 私は待っている。幾重にも織り込まれた記憶を 紐解いて、あの約束を思い出して。 あなたになら出来るはずだわ。だってあんなに固く 約束したんだもの。あなたが約束の場所を思い出した 時、私の凍った時間は再び刻を刻み始めるわ。 ねぇ、思い出して。約束のあの場所を、私の名前を。 そう、約束の場所、私の名前は……。」わたしの想いはきっとあの人に届いているはずです。あの人がこの約束の場所に来るまで、いつまでもわたしは待ち続けます。「月下の恋」
2008.01.03
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となり町戦争子供みたいなこと言わないで下さいだまっていたことは認めたのと同じですそれが民主主義のルールです舞坂町に暮らす北原修路は、旅行会社に勤めるごく普通の青年。平凡な毎日を送る彼はある日、ふと目にした町の広報紙“広報まいさか”の中に、不可解な一文を発見する。そこには“舞坂町はとなり町の森見町と戦争をします。開戦日は5月7日…”と書かれていた。しかし、翌日の開戦日を迎えても、町にはいつもと変わらぬ穏やかな時間が流れていた。ところがそれから数日後、北原は役場から特別偵察業務の指令を受け取る。要領を得ないまま舞坂町役場を訪れた北原は、そこで“対森見町戦争推進室”に籍を置く女性、香西さんから偵察任務の概要を説明される…。以前レンタルしたDVDに予告編があり、題名に惹かれて借りてきた映画なのですが、何か不思議な感じのする映画でした。日常を描いているのにここに登場する人物たちは明らかに異質な非日常のキャラクターのような。それこそが、このとなり町と戦争するという日常と非日常の境界を描いた妙味を登場人物たちにも持たせたのかも。なかなか設定は面白く、戦争ですら決定されれば行政事業の一環として行うという痛烈な風刺が面白く、そんな血なまぐさい世界をよそにおだやかな日常が開戦からも繰り返されるギャップがこの世界の実情をリアルに描いていたと思います。ただ、登場人物たちにあえて抑えていたのかもしれませんが、個性がなかったのが残念だったような。何かガラス張りの中で行われているものという印象が最後まで拭えなかったのが第三者的な目線から見えてしまいました。
2008.01.02
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あの頃はまだ解っていなかった。“正義”という名の天秤が、何を奪い、何をこの手に為さしめるのかを。己の迷いに終止符を打つため、いよいよ自らの戦いを開始する言峰綺礼。周到なるその策略は、瞬く間に聖杯戦争の趨勢を塗り替え、誰もが予期しなかった展開へと導いていく。見えざる手に翻弄されるがまま、男たちは、女たちは、信念のため、野望のため、或いは守るべき誰かのために、凄絶に命を散らしていく。綺礼の暗躍を察知した衛宮切嗣は、相手がもはや決して避けられざる宿敵であることを了解し、覚悟を決めて、その待ち受ける罠に敢然と挑みかかっていく。そして運命の導きは、二人の男を対決の場に集わせる。激突する三人の王。その真名を解き放ち咆吼するバーサーカー。残る全てのサーヴァントが覇を競う熾烈なる最終決戦の最中、ついに業火とともに降臨する聖杯。秘め隠されてきたその正体が、今、白日の下に晒される……前巻の発売からおよそ半年余り、そもそもこの外伝とでもいうべき“Zero”シリーズは全4巻という触れ込みだったのですが、強烈なインパクトを残すキャラたちはそのまま存命しているバトルロワイヤルの中でどのように終結するのかとまだかまだかと発売日を待っていたのですが、今まで待っていたのが報われるような無上でいて無情を感じる無常なエンディングは、次世代へと繋がれる架け橋としては満足いくものでした。筆者の方は、この作品を二次小説と位置づけてられましたが、二次小説の定義を疑いたくなるような素晴らしい作品だったと思います。全4巻総頁1400頁強に及ぶ衛宮切嗣と言峰綺礼の魂と在り方の行方を端にして語られる魅力的なキャラクターが織り成す壮大な物語は、何も残さなかった故にそれを見た者には測り知れない強烈な印象を与えるものでした。
2008.01.02
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ニーベルングの指環動物は死ぬ人間も死ぬ世の生き物はすべて死ぬだが真の英雄は決して死なない人々の心で永遠に生き続けるヨーロッパの暗黒時代。敵国の王に攻められ王である父親を殺された幼きジークフリート。彼は鍛冶職人のエイヴィンに拾われ、自分の出生を知らぬままに成長していく。12年後。たくましい青年となったジークフリートは、神々の導きにより美しい女性・ブリュンヒルデ女王と出会い、恋に落ちる。女王と永遠を誓った彼は、やがて自身の出生を知るためにグンター王が治めるブルグント王国へ。その時、王国を困らせていた竜を退治した彼は、竜が隠していたニーベルング族の宝である指輪を見つける。だが、この指輪にかけられた呪いと、指輪を狙う猛者たちの憎しみを背負うこととなり、やがてはブリュンヒルデ女王との運命にまで暗雲が立ち込める…。やはり神話世界の冒険譚として有名にして波乱万丈の物語といえば、この「ニーベルングの指環」の他には考えられないと思います。僕がこの神話を知ったのは高校時代ですが、以来この物語を目にするたびにチェックするようにしています。この映画(というかテレビ放送総集編)もたまたまDVDをレンタルしに行ったときに見つけて、すぐさまレンタルしてしまいましたが、3時間ちょっとに及ぶ長編でどのように語られるか楽しみに見たのですが、期待を裏切らないものだったと思います。今から1500年前という時代設定ながらも、得てして神々のことを語るのでファンタジーになりそうな物語を極力リアリティのある展開にしたという意味でとても好感が持てました。まぁ、ジークフリートの竜退治は外すことが出来ないので幾分かの脚色は仕方ないにしても、神話世界の話だからと無理矢理そういうものだからという設定を押し付けるのではなく、現実にありそうな歴史スペクタクルとしての体裁を取っていたのは新鮮だったのですが、どうも尺の兼ね合いからか、一番盛り上がるジークフリートの武勇譚もなければブリュンヒルデとのロマンスも言葉足らずだったのがさびしいところでした。やはりオペラでも4部作が必要なように、もう少し掘り下げてじっくりと人間臭い叙情詩を語ってほしかったところです。
2008.01.01
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