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「ベランダも紅葉しました」 ベランダだより 2019年12月 チッチキ夫人が道端のドングリを拾ってきて、丹精(?)した植木鉢が紅葉しています。「これって、何の木なん?」「さあ、いつ拾ったかも忘れたし。トトロの気分やったんちゃうかな?」「トトロの木か?」「ちやうと思う。」 ベランダから見える裏庭の紅葉です。まあ、我が家の所有物ではないけど、風景は我が家のものか?sんな気分で30年暮らしてきました。 なかなかな秋の風情としみじみ。手前の広場が「ゆかいな仲間」達の遊び場でしたね。鉄棒とか砂場とかはまだあります。砂場は子供が触ると不潔なんだそうです。網がかけてあります。 冬休みになっているのでしょうが、子どもたちの声はあまり聞こえてきません。子供たちが「ケン・ケン・パ」をしていた、飛び石になっている石畳を、この秋、半年かかって、敷き直してくださった、ぼくよりずっと高齢のおじさんがいました。もちろんボランティアです。 お手伝いもせずに言うのは、ちょっと、なんですが、そいうことが何気なく行われているこの団地って、イイ団地だと思いません?と、まあ、自画自賛です。 今年も暮れますが、皆様良いお年を!ボタン押してね!
2019.12.31
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濱口竜介「ハッピーアワー」元町映画館 そろそろ2019年も終わりますね。今年は長い映画をよく見ましたが、これが見納めでしょうか。元町映画館では2015年完成時の先行上映以来、年末にはこの映画の上映会をやると決めているようで、今年で5年目だそうです。モチロン、ぼくは初めて。同じ監督の「寝ても覚めても」を見て、妙に引っ掛かって以来、心待ちにしていた映画でした。 午後1時30分から始まって、7時30分まで、5時間17分ですね。1時過ぎに映画館について、入場予約番号が18番でした。想像したほどの混み方ではなくてホッとして、いつもの座席に座って、一つ目のおにぎりを頬ばりました。 トンネルが正面に見えて、やがて視野が開けてきて、4人の女性がケーブルカーの座席に座っています。六甲山ですね。山上のテラスはあいにくの雨で、街並みも海も見えません。 ここから「重心探し」のワークショップでの鵜飼君くんとの出会い、「純」夫婦の離婚裁判、有馬温泉旅行、「純」の失踪、小説家の朗読会、中学生の妊娠、次々と小さなエピソードが、ケーブル・カーの席にならんで座っていた4人の人間関係や生活を重ね合わせながら展開します。 映画は長いですが眠くなるわけではありません。4人、それぞれのポートレートが描かれていくわけですが、それぞれの家庭や職場を描くシーンも、飽きずに見る事が出来ます。役者の熱演(?)、いや真剣な演技も悪くありません。4人は、それぞれの明日を生きようとして映画は終わります。 5時間17分、見終わって少し寂しいものを感じました。若い監督が作った、力みまくってはいるけれど、素直な力作、そういえばいいのでしょうね。中々印象的な映像も随所にありましたし。なんといっても、舞台は神戸。風景から、彼らがどのあたりにいるかなんてことも興味津々で、なかなか面白い。 でもね、頭で考えた映画という印象がぬぐえないんです。見ながらずっとそう感じていました。登場する4人の女性の在り方、その相手の男性たちの姿、それぞれを丹念に追って5時間というフィルムに仕上げた力技は悪くないと思います。しかし、現代の三十代のカップルたちは、本当にこういう葛藤を生きているんでしょうか。 妊娠騒ぎの対応も、父親の発言は意味不明ですし、なんぼなんでもアホすぎますね。女子中学生の家族の反応も理解できませんね。朗読会で延々と読まれた小説も、小説としてはさっぱりでしたね。何だか、凄いことをやりたがっている作り手の「上から目線」のようなものが、映画を支配しているのではないでしょうか。残念ながら「寝ても覚めても」で感じた引っ掛かりは持ち越しのようです。 監督・脚本 濱口竜介 脚本 野原位 高橋知由 製作 高田聡 岡本英之 野原位 製作総指揮 原田将 徳山勝巳 音楽 阿部海太郎 撮影 北川喜雄 キャスト 田中幸恵(あかり 看護師)菊池葉月(桜子 専業主婦 中3の息子)三原麻衣子(芙美 学芸員 )川村りら(純 離婚訴訟中)申芳夫 (桜子の夫 良彦)三浦博之 (芙美の夫 拓也)謝花喜天 (純の夫 公平) 柴田修兵 (鵜飼)2015年 日本 317分2019・12・28 元町映画館no32追記2019・12・29映画「寝ても覚めても」・小説「寝ても覚めても」それぞれクリックしてみてください。にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.30
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バカ猫百態 2019年 (その15)「結局、ここが安住の地か!?」「ナア、あんたが仲ようなったあの子やけど、棲みかはあそこなん?」「そうなんちゃうか?ヤサイクンの大将、ここんとこぼくらのこと、ちょっと冷たいやろ。」「新しモンがええんとちゃうの。あんまり構われてもめんどくさいやないの。あの子、個室やんなあ。うちらもアンナンほしいなあ。」「そうかあ?ぼくはべつにいらんけど。」「あの子ら、あの高いとこがええねんやろかしら。うちは、こっちのほうがええわ。」「ぼくら、もうここで寝よな。なんか、落ち着かん十二月やったなあ。」「うちら、もう、ここしか落ち着くとかなんかしら。あんた、すぐ寝られんねんから、幸せやなあ。」追記2019・12・29「バカ猫」(シリーズ1)・(シリーズ14)はここをクリック。ボタン押してね!
2019.12.29
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「団地の冬 12月の桜」 徘徊日記2019年12月 これって、四月の写真じゃないんです。11月の末だったでしょうか、天気の良い「小春日和」の午後の写真なんです。 サクラですよ。春の桜並木が自慢の団地なんですが、一本だけ、この季節に花をつける桜の木があるんです。種類も名前もよくわからないんですが、遠くから見るとこんな感じです。 不思議ですねえ、「枯れ木に花が」の感じで、おもしろいですよね。 冬桜 常陸風土記の 空青し 原 和子 満開に して淋しさや 寒桜 高浜虚子 冬ざくら 満開といふ こともなく 岸田稚魚 まあ、ここ団地は、地理的にいえば、どちらかというと「播磨風土記」のほうが近いのですが、それにしても「満開」の豪奢がないんですねこの花には。ヤッパリ、季節外れの感じが流れてしまうんでしょうか。 探してみましたが、他の俳句も、何だかさみしい花ということのようですが、青空の花は、やっぱりいいと思いましたね。 狭い団地ですが、一年間、色々と見せてくれました。さあ、来年は、もう少し徘徊力をつけないと、そんな気分の年の暮れです。追記2022・02・09 昨年の12月に灘区の南を歩いていて同じ桜を見かけました。「コフクサクラ」というらしいですね。他にもこの季節に咲く秋のサクラはあるようなので、団地のサクラと同じかどうかは確かではありませんが、ここのサクラには名札がついていました。漢字で書くと「子福桜」、一つの花に複数のサクランボがつくのが特徴のようです。 西郷川河口公園という、岩屋の南にある公園です。ボタン押してね!
2019.12.29
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鈴ノ木ユウ「 コウノドリ 19 」(講談社) ヤサイクンがクリスマスの「マンガ宅急便」を届けにやってきました。「あと何巻あるの?」「28巻かな?最新は。うちには20何巻やったかな?コユちゃん姫が読んでるから、読み終わったら持ってくるわ。」「エエー、小学生が読んでるの?」「テレビでやってたやろ、知らん?19巻の腰巻になってるやん。下の二人が出産ごっこしてんの見たやろ、チビ二人で。あれ、テレビ見て、やってんねん。」ポカーン!? テレビを見ないシマクマ君とチッチキ夫人は、一年生と保育園のチビラ2号、3号の二人が、ぬいぐるみをスカートの中から引っ張り出す、その遊びにはおぼえがあります。 それにしても、「どうして、そんなことを知っているのか?」と思っていたわけなのですが、なんともはや、今ごろ言うのもなんなんですが、テレビの教育力はすごいですね。 一方で、四年生のオネーちゃん、チビラ一号は読み仮名を振っているわけではない、ちょっと大人向けの、この「産婦人科」マンガを、65歳のジージと(この程度の漢字なら、一応、軽く読める)競い合って読んでいるというのも、考えようによれば、かなり「???」という感じがしないわけでもありません。 さて、19巻。このマンガの面白さの一つは、病院内の人間関係の描き方にあるんじゃないでしょうか。鴻鳥サクラくんを中心に、巻毎にそれぞれの人間模様が描かれる。今回のお話は二つ。 54話「NICU part12」は白川先生の成長譚。何巻か前に壁にぶつかって「救急救命」にいってった下屋カエさんと同期の自信家ですが、彼がぶつかる壁は「医療ミス」の危機でした。 自分の診断を過信するとはどういうことか。たぶん、教育の現場なんかでもありがちな、一生懸命やっている自分に対する過信。適当な人はぶつからないかもしれない壁ですね。「ここ(NICU)のスタッフが何か変だと思ったときは何か変なんです」「白川先生はその助言をないがしろにしました」「それは明らかにあなたのミスであり・・・実力を過信したに過ぎない」 先輩今橋先生の厳しい一言。なんか、40年前に学年の主任の先生に言われたことばを思い出しましたね。「シマクマさん、あなただけで働いているわけでもないんですよ。」 微妙なニュアンスなんですが、けっこう記憶に残ってますね。 55話「羊水塞栓症」は助産師小松ルミ子さんと親友の助産師武田陽子さんの究極の友情の物語でした。大げさな言い方で申し訳ないが、ちょっと究極でした。 小松さんが武田さんと出会ったのは助産師免許を取る学校ですね。 回想シーンのお若いとき、(多分お二人は十代ですね)と、ちょっと高齢出産の年齢になられたお二人に、絵柄上ほとんど差がないのが、このマンガ家さんの特徴ですね。普通、へたくそって言うんですが、あんまり気にはなりません。 小松さん、悩んでたんですね、助産師になるかどうか。背中を押してくれたのが武田さん。いい友達ですね。その武田さんが、、親友小松さんの病院で、無事、出産、めでたしのはずが、出産直後「羊水塞栓症」という、よく知らないんですが、読んでると分かる症状を発症するんです。 帝王切開の手術室が、命がけの現場になってしまっています。 小松さんは、武田さんが出産した赤ちゃんを、約束どおり取り上げて、保育器の部屋に運んだあと、手術室に走ります。そこでは心肺停止した武田さんに「除細動」の電気ショックが施されようとしています。勝負がかかっています。ボー然と立ち尽くす小松さんが祈ります。「武田・・・ちゃんといるぞ。」「私はちゃんとそばにいるぞ!」 ね、読者はここで、やっぱり泣くと思うんです。「心拍再開!」にじゃなくて、小松さんが、そこに駆け戻って、祈りながら、呼びかけることにね。祈るなんてどこにも書いてないんですが、読んでるとわかるんです。小松さんは心から祈っていました。 「赤ちゃん」が誕生する漫画を描き続けている鈴ノ木ユウさんは、テレビドラマ化もされ、きっと人気者になっているに違いないんですが、このシーンで、このセリフがでてきて、こんなふうに描けるかぎり読者は読み続けるでしょうね。 思うに、このマンガは、始めっから、わたしはあなたのそばにいるぞ! という、「祈り」の話なんですよね。相手が「赤ちゃん」なんですから。追記2019・12・27「コウノドリ1」はここをクリックしてください。ボタン押してね!にほんブログ村
2019.12.28
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「団地の冬 12月の公孫樹」徘徊日記2019年12月 団地あたり すっかり葉を落としましたね。12月の公孫樹の木です。ほんの半月ほど前にはこんな感じでした。 お天気が違うので、かなりイメージが変わりますが、その半月前がこうでした。 色合いが違うのは、多分お天気のせいですね。ついでなので、ミドリだった頃も載せましょう。 こうなると、新芽の頃も載せてみましょう。ちょっと面白いですね。 葉っぱだけの木なんですが、一年間楽しませてくれました。今年も暮れてゆきますね。追記2019・12・27「団地の秋」の続きです。ここをクリックしてみてください。追記2021・11・01団地のイチョウの木の写真を見ていて、ちょっと寂しくなりました。マア、枝が伸びすぎることを懸念して、かなり剪定されていて、そのうち大木化すると切り倒したりするんでしょうね。ボタン押してね!
2019.12.27
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小林まこと・惠本裕子「JJM女子柔道部物語(07)」(講談社・EVEING KC) ヤサイクンの「マンガ便」、今回は「女子柔道部物語 07」です。2019年、10月発売の最新号ですね。これで、今のところの全巻揃いました。 内容は快調ですね。「カムイ南高校」の女子柔道部「神楽えも」ちゃんも、高校二年生。一年生の秋の新人戦で、素人ながら、超ラッキーに恵まれて「全道61キロ級準優勝」の実績を引っ提げて高校総体、北海道大会出場ですね。 これが強くなってるんですよね、というわけで名場面。 雄叫びですね。ぼくは、こういうの好きなんですよね。なんか、「絵」柄が無邪気でしょ。「ピョンピョン」と「雄叫び」と、相変わらずの「ほめられ好き」、ホントいいキャラしてるんですが、決勝は高2で全国3位の強豪、極大高校3年生、大高選手に惜しくも敗れましたが、新人戦が楽しみですね。 善戦実らず、惜しくも負けてしまった神楽えもちゃんの後ろ姿です。いいでしょ。泣いているのは、テレビ観戦のお母さん、神楽由紀さんですが、上の「出た、えもちゃん、雄叫び」って叫んでいる3年の小室亜弥ちゃんと同じ顔なのがおかしいですね。 とにかく、「カムイ南」の女子柔道部、大活躍ですよ。 4人とも二年生ですから、秋の新人戦が楽しみですね。しかし、まあ、単行本の発売は、来年の春ですかね。 ところで今回のお笑いシーンはこれ。「いや~この作者の小ん林まこと先生って、こんだけの漫画描くってことは実際ものすごく柔道の強い人なんだろうねぇ!!」「1回勝負したいわ」 ナンデヤネン! しかし、惠本裕子さんが「柔道部物語」の読者の世代の人だということに、ちょっと感動しました。追記2019・12・26「女子柔道部物語 1」の案内はこちらをクリックしてください。ボタン押してね!にほんブログ村
2019.12.27
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古井由吉「ゆらぐ玉の緒」(新潮社)より「後の花」 眠りの浅瀬にかかるたびに、まだ夜道を歩いていた。それをまた端から眺めている。 昔深い縁のあった人らしい影がやってくる。背を丸め、うつむきこみ、小刻みに足を送って近づき、息をひそめて見まもる目の前へ通りかかると、はるか行く手へ顔を上げて、何を見たのか、ほんのりと若返った笑みを浮かべてうなずき、それきり背も若やいで、しなやかな足で遠ざかり、また微笑むように背が照ったかと思うと掻き消された。 その時になり、人の行くのを目で追っていたその背後から、もうひとり、こちらを見ていた者のある気がしてふりむけば、木の下に人影が立つかと見えて、そのあたりだけが花でも散るように白んで、夜が明けかかり、何もかも知っていたなと目を瞠ったが、姿は現われなかった。 古井由吉の短編集「ゆらぐ玉の緒」(新潮社)の中の、最初の作品「後の花」の末尾です。ここまで、読み進めてきて作家の脳裏に現れた、いや、現れなかった人影を思い浮かべながら、作中に語られていた和歌のくだりに意識は戻ってゆきます。 見ぬ世まで 思ひのこさぬ 眺めより 昔にかすむ 春のあけぼの 今年の花も終わりを迎えた、四月の末に藤原良経の風雅集で目にとめた、この歌が、一月ほどたった五月の夜更けに思い出される。 それがいまさら、息とともに吐かれるようにあがってきてもどうにもならない。見ぬ世まで思い残さぬ眺めとは、後世のことは思い及ばぬところなので、今生の涯までもというぐらいにとるとしても、そんなはるばるした眺めは、今の世に生きる人間にはとうてい恵まれるものではない。末期に近く見れば、もう思い残すこともないとは、自身を慰めるために、あるいは残される者たちの心をいくらかでもやすくするためにも、口にするかもしれない。心底から出たの出ないの、そんな分別を超えて、死に行く者たちに共通の言葉の一つとも考えられる。しかしこの歌は末期の、切り詰まった境にはない。かりに死に至る病のひそむ観であり、世の無常をその一身に受けとめてていたとしても、歌のかぎり、のびやか自足のうちにあり、恍惚に包まれている。 しかも、見ぬ世まで思い残さぬ眺めが、そこからというよりもほとんど同時に、そのままに昔に霞む。その昔も後の世にひとしくはるか彼方へ、過去の記憶も通り越して、さらに前の世まで及ぶ。昔に霞むとは、ほのぼのと明けてくるように、今生では見えぬ前世までが見えかかるということか。思い澄ました諦念の前句を、後句が恍惚へ、蘇生の恍惚へ、花咲かせた。後の世まで渡る諦念と、前の世まで渡る恍惚とが、永遠の今を束の間現前させた。 和歌をめぐる、この一節は、三月から、四月へと移り変わる季節の日常の、夢、うつつの中で、浮かび上がる焼け野原になった町の記憶がたどられた、つい、そのあとの出来事です。 小説末尾の記述は、外出先から電車に乗り、下車駅を気にかけながらも、おもわずのうたたねから覚めて、駅からの夜道を歩いて、どんどん遠ざかるように見える自宅へ、なんとか帰宅し、寝付けないまま、想念に浸ったのか、寝付いた夜明け方の夢の中でのことなのか。 「何もかも知っていたな」と、作中の「わたし」が目を瞠るその先に見えたはずの、こちらを見ていた「人影」。読んでいる「わたし」の中に、時間が重なりあい、わだかまって、不思議な永遠が浮かび上がってきます。 すでに語られていた和歌のイメージが、描写の底に、確かに流れていて、正体不明の感覚が立ち上ってくるのです。 ゆっくり、ゆっくり読むことだけを要求しています。そうでないと、この正体不明の気配を読み落とすことになりそうです。たどり着く先は、「至福の不安」とでもいえばいいのでしょうか。 これが、今の「古井由吉の世界」です。追記2020・10・21 古井由吉が、この次の年の「春の終わり」を迎えられなかったことを思っています。「言葉」で錯綜する意識のほつれを、執拗に解きほぐしていく「文章」が、新しく書き加えられことはもうありません。 なくなって、半年がたちますが、喪失感は深まるばかりです。追記2022・03・25 友人から「古井由吉のどの作品がお好きですか。」と尋ねられて、そういえば案内を書いたことがあったと探し出した記事です。なにを書いているのかわかりませんね。感想を書くとそうなる古井由吉が、ぼくは今でも好きです。ボタン押してね!にほんブログ村
2019.12.26
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諏訪哲史「アサッテの人」(講談社文庫)『あちらこちらに未だ田畑を残す町並みを、バスはのろのろと寝ぼけたようにすすんでいった。と、書いたところで不意にポンパときた。― 虚を衝かれた拍子につづく言葉を眼前から取り落とし、不様にうろたえる今の自分の面の皮などまだ捨ておけるにしても、・・・・・・要するに、こんなのっけからポンパとこられたのではこのまま小説を続ける気も失せるというもの、出端を挫かれるとはまさにこのことで、すでに胸中では語り手である「私」がとある冬の日の午後、駅から乗り継いだ市営バスに揺られて叔父の寓居をたずねてゆく様子が、これ以上なくありありと浮かんでおり、降りそうで降らない澱んだ曇天の下、いやいやながらやっつけ仕事に向かう「私」の不平顔、乗り合わせた二三の年寄もさらに言葉なく、バスは役場、農協を過ぎ、病院前に来たところで残らず年寄りたちを降ろしてしまうと、最後部の座席に未だ一人乗っているのを知ってか知らでか、のんきな運転手のみるみる調子づく鼻歌、とこうしたさほど褒められるものでもない月並みなシチュエーションが、脇から順にあれよあれよと霧散してゆくのを両手振り回して搔き集め、急いで紙面に結わえてしまおうと焦る間にもポンパの余波に押され流され漂うは我が家の自室、見飽きた机上の風景であり、かといって一行のみしたためた原稿を破り捨てる気概もあればこそ、むろん今の自分にはそれさえ及ばず、ただただ自らのふがいなさの前に如何ともする術見つからぬまま、ポンパポンパと相も変わらず魅せられたような自失のつぶやき、時に「ポンパった!」の張り裂けるような叫びもろともに我を取り戻そうとする意志の垣間見えもするものの現に果たせず、自分かこのまま紙面に突っ伏して気を失うのではないか、これはつまり世にいうところの発狂に他ならぬのでは云々と、脱魂し高みから見下ろすようなもう一人の自分がまるで他人事のように思案に暮れている。・・・・・・とはいえ、一行のみしたためられた紙面に臨んで呆然としている書き手の図を、いかにも作為ありげにしたためているこのもう一人の自分、つまり正真正銘の現実の自分というものも、ぶっちゃけた話ここにこうして現実のキーを叩いているのであってみれば、その事実をあえて意識の上に上らせないまま小説のおしまいまでポーカーフェイスを決め込み続けるというのもまた、それはそれで息の詰まるバカげた努力に思わないこともない。が、他方こうした知らぬ顔の持続こそがすなわち小説の自立を保証するといった通念もいまだに歴然として存在するわけで、‥‥・何はともあれ、今の自分に与えられるべき書くための口実はどうしても例の因果なバスの中にあるものらしく、その緩やかな道行きに合わせて、自分の筆は、否ボード上のキーは、この不案内な小説のどこともしれぬ終末に向かって弛まず運行されねばならないのである。』つづけてこう記されます。幾十枚かの草稿を経て、結果、やむなく折り合いをつけることになりそうな『アサッテの人』最終稿の書き出しがすなわちこれである。 諏訪哲史という人は、この作品で芥川賞をとりました。その時読んだのですが忘れていました。今回、本を読んでおしゃべりする会のテーマになったので、当時購入して、どこかにあるはずの単行本が『アサッテ』状態で、仕方なく文庫を、もう一度買って読みなおしました。で、驚きました。面白いんです。引用したのは、この作品の冒頭です。めんどうくさがってとばさずに、ちょっと読んでみてください。いかがですか、変でしょ。 思うに、変な理由は三つ。 一つ目は、「文」が異様に長いことですよね。一行目の最初の句点と二行目の句点、特に、一行目は、実質、引用の提示ですから、無いも同然で、そうなると、二行目から十五行目迄一文ということです。そのあとも、結構長くて、『 』には、四つの「文」しかありません。そのうえ、この文を書いている作家は、登場人物をバスに載せて、叔父さんの家に行かせていたはずなのですが、いつの間にか、自宅で小説を書いていますよね。悪文の見本のような書き方ですが、きっとわざとですね。 二つ目は、『 』の描写は、一つ目で明らかになった作家らしき人物の、彼自身による、「ポンパ」との格闘のようなのですが、実は、鍵カッコのあとの「『アサッテの人』最終稿の書き出しがすなわちこれである」という表現を読むと、こっちが作家のようですね。 その結果「ポンパ」に困惑している作家、「アサッテの人」を書き始めている作家、そして、それら全部を書いている作家と、これだけで、三人の作家が、あるいは「わたし」が登場していますね。バスに乗っていた人と、それをクヨクヨ書いている人を分ければ、四人と言えないこともありません。 「『昔々あるところにおじいさんとおばあさんが・・・』と語っているおばあさんがいた」と、おばあさんは孫に語り始めました。 こんな感じですよね。おそらく、これもわざとですね。 三つ目は、既述の内容ですね。「と、書いたところで不意にポンパときた。」という表現がありますが、「ポンパ」って何でしょうね?それに「ポンパ」は「バスに乗っている時」に来たのか、「バスに乗っていると書いている時」に来たのか?わかりますか?何だか、よくわかりませんね。 一つ目と二つ目の、変な感じをお読みになって、小説の技法とかお好きな人には、「入れ子」型メタ・フィクションなんていう言葉を思い出す人もいるかもしれませんね。ある種の、まあ、こういっちゃあなんですが、「小賢しい」前衛小説の手法ですね。ぼくも、そう思って、残りの160ページを一気に読みました。 結果、どうだったでしょうか?どうも違うようですね。「方法」として、メタ・フィクションが選ばれた、「一つ、こういうふうに書いてみようか」というわけではなさそうです。そうならざるを得ない理由こそが、この小説の肝だと思いました。 そして、その理由というの、原因というのかが、三つ目の「ポンパ」の謎ですね。「ポンパ」の不意打ちを食らった人は、必然的に、この「入れ子」の世界に入っていくほかないんですね。じゃあ、「ポンパ」って何だということになりますが、それは作品をお読みいただくほかありません。 多分、「ことば」は世界を描くことができているのかという、普通は考えない「疑い」にとらわれた人にやってくる「ポンパ」、いや逆でしょうか、「ポンパ」に不意打ちされた人は「ことば」の世界から『アサッテの人』にならざるを得ないというべきでしょうか。 現前する世界が発語を禁止するかのような体験としての「吃音」、「ドモリ」ですね、を作中で描いていますが、そのあたりには小説の「すごみ」を感じましたね。 ともあれ、生きている人間ならだれでもが出会っている、「ありありとした現前」に、我々はちゃんと出会うことができているのでしょうか。そういえば、唐突ですが、保坂和志の猫の生きる歓びの話が面白い理由には、「ポンパ」の不意打ちとの格闘が隠されているんじゃないか。そんなことを思い浮かべる「キョウコノゴロ」でした。なかなか「アサッテ」に行くのは難しいですね。にほんブログ村にほんブログ村岩塩の女王 [ 諏訪 哲史 ]ハレルヤ [ 保坂 和志 ]
2019.12.25
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大沢真幸・橋爪大三郎「ふしぎなキリスト教」(講談社・現代新書) 12月に入ってしばらくしたころかな、バスで星陵台を通過して、垂水駅に向かっていると、「高校前」のバス停から、まだ、昼過ぎなのにおおぜい高校生が乗ってきました。「そうか、もう、期末テストの時期なんだ。」 隣の席の腰かけた女子高生が「倫理」の教科書を広げて読み始めたので、なんか、とても気になって、覗き込みそうになってしまうのを、なんとか辛抱して、素知らぬ顔をしながら思い出しました。 この高等学校で、お勤めしていた10年ほど前に、生徒さん相手にこんな本を「案内」してましたねえ。※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 「赦しと責任」という文章で国語の教科書に出てきましたが、著者の大澤真幸の新刊「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書)の紹介です。大沢真幸は京都大学で教えている気鋭の社会学者ですが、その彼が聞き手になって、キリスト教について、実に基本的なんだけれど皆が知らないこと、特に日本人にはよく解っていないことを質問すると、その疑問に答えるのが東京工業大学で教えている橋爪大三郎という宗教社会学の先生。 まあ、大澤先生もよくご存知のことを質問するわけですから、一種のやらせインタビューみたいなもんですけれどこれがなかなか刺激的なんです。なにしろ対談ですから、読みやすいことは間違いありません。 受験生である諸君もそろそろ「世界史」や、「倫理」なんて教科をまじめにやり始めているのではなかろうかと思うのですが、世界史、とりわけヨーロッパ史あたりをまじめにやり始めて気にかかっている人はいるかもしれませんね。 「倫理」でデカルトとかヘーゲルなんて近代初頭の哲学者の名前が出て来はじめるとちょっと引っかかる。うーん、引っかからないか。ナチスやシオニズムを言葉では知るわけだけど、これって何だろうと思う。えっ?思わない?そりゃあ困った(笑)。 あのね、わかってないようだから、ちょっとエラそうに言うけどね、そもそも、ギリシア文化から始まってローマ帝国。それが東ローマ、西ローマと分かれて、神聖ローマ帝国とかがあって、王権神授説なんてものが大手を振ってあらわれるヨーロッパ社会の権力争奪戦にあって、キリスト教がキーになっているようなのだけれど、キリスト教って、実はよく解らないでしょ。 そう、だいたい、ユダヤ人て何者なの?ヨーロッパの人たちはユダヤ人はいじめてるのに、一方では自由平等ってなんでしょうね。自分たちが信じているイエス・キリストってユダヤ人だったんじゃないのとか。 ユダヤ教とキリスト教と、ついでにいえば、イスラム教とは、もともと同じ宗教じゃないの。信じている神さんおんなじじゃないの?なのにキリスト教の人たちはユダヤ人を差別して、イスラム教徒とは戦争する。最近では9・11の後、当時のアメリカ大統領ブッシュがいきなり「クルセイダーだ(十字軍ね)」と口走ってアフガニスタンを攻撃し始めたのには驚きませんでした? 日本の文化や宗教観からすると、ブッシュのやったことはなかなか理解しづらい事件でしたが、キリスト教文化の社会にはこういう発想があるんだということは教えられた気が、ぼくはしたんですが、そのあたり気になりませんか。 近代科学革命の二大スーパースター(まあ、ぼくが勝手にそう思っているだけかもしれませんが)の一人、あのニュートン先生だって怪しげなキリスト教徒だったりするらしいし、もう一人の、哲学や数学のデカルトだってキリスト教の真面目な、どころか、熱烈な信者だったらしいですよ。 「われ思う故にわれあり」という、まあ、自己発見が反キリスト教ならわかる気がするけれど、神様はご存知だけれど、そんな神様に頼らなくても人間の存在を説明できるんだということになると、「何でそんなことにこだわるんだ?」 とならないですかね。「どうなってるのヨーロッパって?」「キリスト教って何?」 そんな疑問湧いてきませんか。 科学や哲学に限らず、芸術、音楽や美術なんて、もう、キリスト教なしには考えられないですよね。音楽だったらバッハなんて、みんな宗教音楽だと思うし、この本の腰巻の絵はレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」という有名な絵だけれど、日本人は遠近法がどうの、構図がどうのなんてことをわかったふうに解説するけれど、ヨーロッパの人にとってこれは聖書の有名なシーンであることがまず重要だったんじゃないでしょうか。 イスラム教ではお金を貸したりした場合、今でも利子を禁じているらしいし、ユダヤ教だってそうだった。シェークスピアの戯曲「ベニスの商人」で金貸しのユダヤ人シャイロックが敵役で出てきますが、彼は利子を要求したのでしょうかね。利子を正当化したのは、キリスト教だけだというのはどうなっているんでしょうね。利子という金の殖やし方なしに現代の資本主義なんて考えられないでしょう。 まあ、あれこれ並べ挙げてみたけれど、この本を読めば、必ずしも、すべてがスッキリ!というわけではありません。むしろ、そういうヨーロッパ文化とキリスト教の不思議に気づくようになるというべきかも知れません。 教科書から、半歩ほど、外に出るだけかもしれませんし、かえって分からないことが増えちゃうかもしれませんから、勘違いしないでくださいね。 なにか新しいことに気づいて歴史を眺めれば、出来事の原因や結果が重層化して、違う流れを感じ始めるということがあるでしょう。歴史を勉強する面白さは、きっと、そこから本物になっていくのです。センター試験形式のプリントの穴埋めが上手になっても、歴史の本当の面白さには、まだ手は届いていないかもしれません。 できれば、通学のバスの中ででも、お読みください。バスの中で、教科書を広げてに赤線引いてるのも、ちょっと寂しいでしょ。(S) 2011/09/05 にほんブログ村にほんブログ村不可能性の時代【電子書籍】[ 大澤真幸 ]キリスト教と近代の迷宮 [ 大澤 真幸 ]
2019.12.24
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マーティン・スコセッシ「アイリッシュマン」シネリーブル神戸 ロバート・デ・ニーロを初めてスクリーンで見たのは、はっきり(ウソだけど)覚えています。三宮にあった、阪急シネマという映画館です。封切で見ました。あの頃、封切映画は高かったのですが、モギリのアルバイトを、友達と掛け持ちして、映画館の人には隠れて、こっそり見ました(犯罪ですね)。 本当に、びっくりしました。「タクシー・ドライバー」のデ・ニーロは、正真正銘、危ない人、そのままでした。監督の名前はマーティン・スコセッシです。1本で覚えました。40年以上前のことです。 その二人が、二十数年ぶりに映画を撮ったということを聞いて、勇んでいシネ・リーブルにやって来ました(老人割引ですが、料金はちゃんと払いました)。見たのはスコセッシ監督の「アイリッシュマン」でした。 年を取ったデ・ニーロが運転手で、バカでかい車に乗っています。そんなシーンで映画は始まりました。 ロバート・レッドフォード「さらば愛しきアウトロ―」 クリント・イーストウッド「運び屋」 ハリー・ディーン・スタントン「ラッキー」 バート・レイノルズ「ラスト・ムービ・ースター」。 あの頃、カッコよかった映画スターたちが、老人になって、ぽつぽつスクリーンにあらわれています。バート・レイノルズやハリー・スタントンは別れのあいさつのようなもんでした。 今、目の前に、笑ってるのか、困ってるのかわからない顔の、あの、デ・ニーロがいます。まあ、それだけで満足です。別に、ドンパチや、狂気じみた振る舞いなんてなくていい、そう思っていると、妙にテンションの高い、ぐりぐり目玉の、チビが演説を始めました。目を疑いました。 なんと、あの、アル・パチーノじゃないですか。 「スケアクロウ」のジーン・ハックマンの親友ライアン、「狼たちの午後」で、「ゴッド・ファーザー」にも一緒に出ていたジョン・カザールが演じる、友達サルを撃ち殺されて、ブチ切れるソニーを演じたアル・パチーノ。それが40年前の出会いでした。 映画のポスターとかチラシとか、気付いてもよさそうなものなのですが、気付きませんでした。 スクリーンに映った姿に気付いてみると、何だか、やたら得をした気分になって、血が騒ぎ始める気がしました。とにかく楽しい!意味なく楽しい! 70年代の、狂気の青年たちの世界が一気によみがえってきます。 デ・ニーロが何人殺そうが、アル・パチーノがどんなインチキで成り上がろうが、みんなOK!いいぞ、いいぞ、ヤレヤレ!。 マフィアの殺し屋デ・ニーロが、とどのつまりは、親友アル・パチーノを撃ち殺す破局は、70年代から、80年代にかけて、映画館に通い続けていた、ぼく自身の、あの時代にピリオドが打たれたような、もの悲しさと寂しさが滲んでいるような気がしました。たぶん、この二人が共演する映画も、もうそんなには撮られることはないでしょうね。 デ・ニーロが部屋を出てゆく人に、なんか指図しました。 「ちょっと、そこのドアをあけておいてくれ。」 その、少しあいたドアの向こうの暗い部屋に、殺し屋アイリッシュマンじゃなくて、老いたデ・ニーロがいます。そう思って、ぼんやりしていると画面が暗転しました。 暮れかかった、栄町通をJR神戸駅に向かって歩きながら、たばこをくわえて、火をつけることを何となく、ためらって、あの頃、タバコの吸い殻は、そのあたりにポイ捨てしてたことを思い出しました。 もちろん、今日も肩をそびやかして煙草をくわえているけれど、吸殻をポイ捨てしたりはしません。でも、ちょっと思います。ほんとに、いい時代になったんだろうか、って。監督マーティン・スコセッシ原作チャールズ・ブラント『I Heard You Paint Houses』キャストロバート・デ・ニーロ(フランク・シーラン「ジ・アイリッシュマン」)アル・パチーノ(ジミー・ホッファ)ジョー・ペシ(ラッセル・ブファリーノ)ボビー・カナヴェイル(フェリックス・ディトゥリオ)レイ・ロマーノ(ビル・ブファリーノ)ハーヴェイ・カイテル(アンジェロ・ブルーノ) 2019年 209分 アメリカ 原題「The Irishman」2019・11・25・シネリーブル神戸no39追記2019・12・23「さらば愛しきアウトロ―」・「運び屋」・「ラッキー」・「ラスト・ムービ・ースター」の感想は題名をクリックしてください。 それにしても、皆さん、亡くなったり、年を取ったり。時間は止まらないのですね。でも、皆さん、いい味出してますよね。にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.23
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バカ猫 百態 2019年(その14)「アンタ、もう仲良うなったん?」「上に来えへんから見に来てんけど。なに、その友好ムード?ジジちゃん、あんた、ひょっとして、もう仲良うなったん?ちょっとお、大丈夫なん?」「アッ、来たん?結構ええ奴みたい。こいつ、カルちゃんいううねんて。」「うん、ウチ、平和が好きやねん。こうして、ぬくぬくが一番やん。キキちゃんていうの、あんた?」「オレらとはちやうらしいけど、なんや寒がりみたいやで。」「バカねこシリーズ13」・「シリーズ12・カルちゃん見参」はそれぞれクリックしてくださいね。にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.22
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鶴谷香央理「メタモルフォーゼの縁側(1~2)」(角川書店)ええ、なんと申しましょうか、また、はまってしまいました。ハイ、ヤサイクンの「マンガ宅急便」の紙袋の隅に転がってたんです。 「メタモルフォーゼの縁側」(角川書店)って題らしいですね。表紙が、ヤサイクン得意の少年漫画系とは少し違いますね。お年を召した女性と、男の子かな?が縁側でマンガ読んでます。「何じゃこれ?」 で、手に取ってこたつでゴロゴロしていてやめられなくなって、いま、第二巻が終わりました。 一応、ここで、訂正しておきますね。表紙のお年を召していらっしゃる女性の方は市野井雪さん、75歳。一人暮らしですが、自宅で書道教室やってらっしゃいます。男の子に見えたのは、女子高生で、佐山うららサン。お父さんとお母さんは、どうも別居中、(離婚かな?)らしいですが、本人は近所の書店でアルバイトしています。ああ、17歳ですね。 書店の店員と高齢の女性の出会いは、もちろん書店のカウンターですね。女性が買った、マンガ本が、所謂、ボーイズ・ラブを描いたマンガですね。BLというふうに略すんだそうですが、買って帰って寝どこで読み始めて、まあ、こんなふうにハマっちゃうんですね。 女子高生で、アルバイトの書店員である、「うらら」ちゃんは、自分の本棚の奥に段ボール箱一杯のBL本の人なんですね。というわけで、いつの間にか二人は「雪」さん家の縁側で「BLともだち」になっちゃうというわけです。 「うらら」ちゃんは、自分がBLファンなことがちょっと後ろめたいんですね。だから、まあ、こんなふうになるんですが、面白いことに、「雪」さんは、意に介さないわけなんです。 本当は、このあたりのページを全部コピーしてお見せしたんですが、興味がわいた人には、お読みいただくとして、意に介さない「雪」さんの態度に、なんというか、とてもいいものがあるんですね。 男・女であろうが、男・男であろうが「恋」は恋。今も昔も「恋物語が面白い」という普遍的事実の中で、性別に差別はありませんというおおらかさを、御年75歳という姿で、ノンビリ描いているところが、このマンガ家のエライところですね。 17歳と75歳の、ボーイズ・ラブ友達。この58年の差が、今までにない新しい物語を生んでいくんでしょうね。 なんといっても、「雪」さんにとって、最大の問題は、マンガの単行本の場合、最新号は一年半に一冊程度の頻度でしか読むことができません。まあ、ぼくにとっても他人ごとじゃないんですが、というわけで、今回の名場面はこれです。 二人がハマっている、マンガ家「コメダユウ」さんの「同人誌即売会」とかに出かけていって、とうとう、あこがれの作家に出会って、握手して一言がこのセリフです。あのーそれで出来れば一年半に一冊よりもう少し速く描いていただけると… 素晴らしい発言ですね、笑えます。トホホ・・・・が付きますが。ここが、ぼくにとっては、このマンガの肝だと思うんですが、いかがでしょう。ボタン押してね!ボタン押してね!メタモルフォーゼの縁側(2) [ 鶴谷 香央理 ]【中古】 【コミックセット】メタモルフォーゼの縁側(1〜3巻)セット/鶴谷香央理 【中古】afb
2019.12.21
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大沢真幸「三島由紀夫 二つの謎」(集英社新書) ここに、二つの小説の、最後の文章があります。 これと云って奇功のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰るような蝉の声がここを領している。 そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。・・・・・ まろうどはふとふりむいて、風にゆれさわぐ樫の高みが、さあーっと退いてゆく際に、眩くのぞかれるまっ白な空をながめた、なぜともしれぬいらだたしい不安に胸がせまって。「死」にとなりあわせのようにまろうどは感じたかもしれない。生がきわまって独楽のように澄む静謐、いわば死に似た静謐ととなりあわせに。・・・・ この、とてもよく似た二つの文章を読んで、すぐに作家と作品を言い当てることができる人は、小説家三島由紀夫と、かなりなお付き合いをしてきた人だと思います。 ちなみに、一つ目は、三島由紀夫の絶筆「豊饒の海」第四部「天人五衰」(新潮文庫)の最後の文章で、二つ目が、三島、十代の文壇デビュー作、「花ざかりの森」(新潮文庫)の結末部です。 大沢真幸は、「三島由紀夫 二つの謎」という、この評論で、この二つの小説の作家三島由紀夫が結果的に二つの謎を残してこの世を去ったと話を始めます。 大沢のいう二つの謎とはなんでしょうか。 一つめは三島が選んだ最期についてです。1970年11月25日、自衛隊の市谷駐屯地において、割腹自殺を遂げた、あの死の謎です。「なぜあのような、愚かな死を死んだのか。」 二つめの謎は長編小説「豊饒と海 四部作」、最終巻「天人五衰」の結末をめぐる謎です。一般的には、輪廻転生を失敗に終わらせた安永透という登場人物と、ただの覗きオヤジだったことが暴露された本多繁邦あたりの顛末のくだらなさあたりを予想されるかもしれませんが、そうではありません。 齢八十をこえた本多が、六十年の年月を越えて「再会」した月修寺門跡綾倉聡子が口にする、驚くべき、この一言の謎です。「その松枝清顕さんいう方は、どういうお人やした?」 「豊饒の海」をお読みになった方であればご存知でしょう。この言葉の後、会話はこう続きます。 「しかし、御門跡は、もと綾倉聡子さんと仰言いましたでしょう」「はい。俗名はそう申しました」「それなら清顕君を御存知でないはずはありません」「いいえ、本多さん、私は俗世で受けた恩愛は何ひとつ忘れはしません。しかし松枝清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?何やら本多さんが、あるように思うてあらしゃって、実ははじめから、どこにもおられなんだ、ということではありませんか?お話をこうして伺っていますとな、どうもそのように思われてなりません。」「では私とあなたはどうしてお知り合いになりましたのです。又、綾倉家と松枝家の系図も残っておりましょう。戸籍もございましょう。」「俗世の結びつきならな、そういうものでも解けましょう。けれど、その清顕というお方には、本多さん、あなたはほんまにこの世でお会いにならしゃったのですか?又、私とあなたも、以前たしかにこの世でお目にかかったのかどうか、今はっきり仰言れますか?」「たしかに六十年前ここへ上った記憶がありますから」「記憶というてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようなものやさかいに」「しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば・・・」「それなら、勲もいなかったことになる、ジン・ジャンもいなかったことになる。・・・そのうえ、ひょっとしたら、この私ですらも…」「それも心々ですさかい」 輪廻転生をテーマにしたこの、長大な小説の結末に、小説の結構そのものを、すべて無にしかねない、この会話を用意した、三島の意図とは何か。それが大沢が解き明かそうとした二つ目の謎でした。 その謎を、大沢真幸がどう解いているのか、あるいは、解けているのかは本書をお読みになっていただくほかありませんね。 よく知られていることですが、三島の遺作の題名が「豊饒の海」という、月面上にある、一滴の水もない「海」であるということが、この評論の起動エンジンの役割を果たしていると思いました。「花ざかりの森」の、向こうに見える「海」から、「豊饒の海」へ、三島文学における「海」の変容とでもいうべきでしょうか。引用も面白いですね。 ただ、「大沢真幸が、何故、今、三島由紀夫を論じるのか」というこの本を読み始めた時の疑問は、結局、解けませんでした。 しかし、収穫はありましたね。こうして「天人五衰」の結末部、ト書き的な書き込みは省いた「会話」部分だけを書き写しましたが、ここを指摘した、大沢の慧眼もさることながら、「記憶もなければ、何もないところ」を書き残した、三島由紀夫の予見性を、死後五十年の社会がリアルに際立たせ始めている気味の悪さを、書き写しながら実感できたことですね。 三島由紀夫の作品を、今、読みなおそうとは思いませんが、読みなおせば、それはそれで、面白いのだろうなと思いました。ボタン押してね!ボタン押してね!【中古】 春の雪 豊饒の海 一 新潮文庫豊饒の海第1巻/三島由紀夫(著者) 天人五衰改版 豊饒の海第4巻 (新潮文庫) [ 三島由紀夫 ]
2019.12.20
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鈴ノ木ユウ「コウノドリ(1)」(講談社) 十二月に入って、留守中にやって来たヤサイクンの「マンガ宅急便」ですが、なかなか、アタリ!が多かったですね。小林まことの「女子柔道部物語」、原泰久「キングダム」最新号、そして、これ、鈴ノ木ユウ「コウノドリ」と山盛りです。 主人公は産科のお医者さんでジャズ・ピアニスト。2013年に連載開始で、ただ今、28巻、進行中だそうです。この間、テレビドラマにもなって、世間では、世の中のことを何にも知らないとシマクマ君が思っている女子大生でも知っている、当たり前の人気漫画であるらしいのですが、テレビも見ないし世間様との付き合いも、ほぼ、無い徘徊老人は知らなかったというわけです。なにげなく手に取って、ちょっと引きました。 「なんですか、これは?」 「鴻鳥サクラ」、名前がまず、「はてな?」でしょ?絵は微妙なので、イケメンなのかどうかはともかく、ジャズピアニスト「ベイビィ」がアンコールで舞台から突然消えるんですね。病院で緊急出産手術というわけなんです。フツーは、ここで終るのですが、次のページでこんな展開。 「でも未受診なのは母親のせいで、お腹の赤ちゃんは何も悪くないだろ」 これが、最初の「あれっ?」 最近、産婦人科の医師である増崎英明さんに最相葉月さんがインタビューした「胎児のはなし」(ミシマ社)という本を読んで、いたく感動して、あちこちで「付け刃」を振り回しているのですが、その「付け刃」に、このマンガが繰り出してくる「妊娠」と「出産」の話題が次々とジャストミートし始めるんですよね。 こう言っては何ですが、私こと、自称徘徊老人シマクマ君は65歳を越えています。ここからの人生で、誰が考えても、まず、関係のない出来事が、妊娠・出産なんですね。なのにどうして? 「胎児のはなし」を読んだ、一番大きな収穫というか、なるほどそうか!というのが、いま生きている人間にとって、死んだらどうなるかと、これから生まれる赤ちゃんは、どうやってこの世にやってくるのかという二つの領域は、相変わらず神秘の領域として残されているということだったんですよね。 まあ、とはいいながら、死んだらどうなるかは、個人的にはですが、ただの「死にッきり」で結論が出ているわけで、やっぱり、興味がわくのは、「赤ちゃん」の神秘ですね、というわけなのです、きっと。 ページを繰っていくと、下手をすると、きわどいというか、人間のエゴが噴出しかねないこのテーマに対する、マンガ家のスタンスというのでしょうか、構えという方がいいのかな、に、どうも、ちょっとほっておけない独特なものがあるのですね。そこのところに惹かれてしまったようです。止まらなくなりました。 というわけで、たとえば、第1巻の名場面はこれです。 妊娠23週の超早産児と父親との対面のシーンです。 この二人のの出会いまでの経緯が、母親と胎児、妻と夫、そして、担当医師と先輩医師という関係を三本の、少し太い経糸(たていと)にして描かれています。そこに、それぞれの家族、産科病棟職員、患者と医者、医療技術など、様々な横糸が張り巡らされ、破水、切迫流産、帝王切開と畳みかけるように出産へと緊張の展開です。読んでいて息つくひまもない印象です。 そして、このシーンなんですね。ここまで、けっこう緊張しながら読んできた徘徊老人は、マンガの登場人物の涙に、思わずもらい泣きというわけでした。「胎児のはなし」の中で、増崎先生は出産に立ち会った男性は泣くものだとおっしゃっていましたが、年のせいでしょうか、やたら涙もろくなっていることは認めますが、マンガの対面シーンで泣くとはねえ、困ったものです。 第二巻以降については、おいおい、名場面をご案内しよう目論んでおります。ああ、それから「胎児のはなし」(ミシマ社)・「女子柔道部物語」・「キングダム 56巻」はそれぞれ題名をクリックしてみてください。追記2022・09・24「コロナ編」を読みました。で、昔の感想を修繕しています。追記2020・01・23「コウノドリ19」の感想書きました。クリックしてみてください。ボタン押してね!ボタン押してね!【あす楽/即出荷可】【新品】コウノドリ (1-28巻 最新刊) 全巻セット
2019.12.19
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原泰久「キングダム 56巻」(集英社) 待ちに待った「キングダム56巻」、総大将「王翦」率いる「秦」VS決死の覚悟を決めた「李牧」率いる「趙」防衛軍の激突、「朱海平原の決戦」も兵站と用兵をめぐって、一進一退の攻防戦も、15日目が始まりました。 表紙は、「李牧」とその配下の名将たちです。 今回の名場面の一つは瀕死の重傷を負っている、貴公子「王蕡」がかつての三大天、藺相如の十傑中、最後に、ただ一人残っていた「堯雲」に挑む場面ですね。 堯雲の偃月刀が一閃し、辛くもそれを受けた王蕡の手槍が堯雲を刺し貫きますが、いまわのきわの堯雲は師であり主人であった藺相如の言葉を、その場にいた王蕡と信に伝えます。「中華を一つにする刃たらんと願うならば、何があろうと、必ず、振り上げた刃ば、必ず、最後まで振り下ろせ」 この戦いで、形勢は一気に「秦」に傾いたかに見えますが、さすがは「李牧」、奥の手を放ったようで、ここから、総大将同士の決戦が始まるようですが、ザンネン!57巻に続く、でした。 ああ、また、待ち遠しい日々が続くようです。(「55巻」・「57巻」の感想はここをクリックしてみてください。)ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.12.18
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小林まこと・惠本裕子「JJM女子柔道部物語」(講談社EVNING KC) ヤサイクン「マンガ宅急便」ですね。今回、荷物に入っていたのは、小林まこと「JJM女子柔道部物語」(EVNING KC)でした。 女子のJ、高校柔道部のJ、物語のMで、JJMなんてカッコつけてますが、なんといっても「1・2の三四郎」で登場して以来、アホバカ猫ギャグ・マンガ「What's Michael?(ホワッツ マイケル?)」、眉毛ばっかり目立った「三五十五」(人名ね、さんごじゅうごッて読みます。)というトッポイ少年をスターに育てた、名作「柔道部物語」(全11巻講談社)の「小林まこと」ですからね。格闘技ギャグ・マンガに決まっています。それにしても、「小林まこと」の格闘技マンガも久しぶりだと思いながら、表紙にある惠本裕子という名前が気になりました。 調べてみると、女性柔道家で、アトランタ・オリンピック、金メダリストでした。小林まことは、彼女の原案を、このマンガで描くために引退していた、「格闘技ギャグ・マンガ」のリングに復帰したようですね。もう、それだけで、メデタイことです。 さて、マンガですが、のっけから懐かしの「三五十五」登場ですね。 モチロン、「三五十五」は顔見世、記念出演で、以後、登場しませんが、主人公、カムイ高校一年生、「神楽えも」ちゃんは、ここからアホバカ柔道部物語、炸裂ですね。 褒められれば、褒められるほど自信を持つ、最高に「イイ性格」の本領発揮で、いきなり「あたしって…」「天才だべか?」という柔道との出会いでしたが、現実は現実です! こっぴどく投げ飛ばされて「おこると、帰っちゃう。」という、これまた「チョーいい性格」を炸裂させて、道場を飛び出して、誘ってくれた「二瓶ちゃん」を困らせる初日の巻きでした。 何はともあれ、一気に5巻まで読み終えましたが、小林まことの明るいおバカギャグ炸裂のビルドゥングス・ロマン。とても実話とは思えないアホバカドタバタが、随所で、小気味よく笑わせてくれています。加えて、北海道弁なのでしょうか、「おもしろいんでねぇの・・・」「負けてたまっか」 に引っ張られてしまうのです。 はい、6巻、7巻が楽しみですね。とりあえず第5巻の裏表紙はこんな感じでした。一年たって、新入生・部紹介の舞台でうたっている神楽えもちゃんです。追記2019・12・27「女子柔道部物語(07)」最新号はこちらをクリックしてください。ボタン押してね!にほんブログ村柔道部物語1巻【電子書籍】[ 小林まこと ]
2019.12.17
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ケン・ローチ「家族を想うとき Sorry We Missed You」シネ・リーブル神戸 30代の半ばから30年間、映画館から遠ざかっていました。それでも記憶に残っている数本の映画があります。たとえば「麦の穂をゆらす風」、ケン・ローチがアイルランドの悲劇を描いた映画でした。 そのケン・ローチの新作がシネ・リーブルにかかっていました。邦題が「家族を想うとき」、原題は「Sorry We Missed You」。直訳すれば「すれちがいばっかりで、ごめんね」とでも訳せるのでしょうか。 チラシには4人家族のスナップ写真が載っています。就職の面接かなにかの会話が聞こえてきて、映画は始まりました。 おそらく四十代でしょうね、妻のアビーは介護福祉の仕事しています。夫のリッキーは、仕事を失っているようで、新しく運送業を始めようとしているところのようです。新しい自動車が必要ですが、お金はありません。アビーが訪問介護で使用している軽自動車が売られて、リッキーの新しい仕事が始まります。夫婦は二人ともまじめに働いています。しかし、朝早くから、夜遅くまでの労働時間は尋常ではありません。仲のよさそうな兄のセブと妹のライザの二人の子供がいます。高校生と、まだ小学生でしょうか。セブは、多感な時期を迎えているようだし、ライザはまだ小学生ですが、二人とも素直ないい子たちです。父親と母親の、子どもたちとの接し方も、温かいし、誠実です。「何か」が失われていきます。 毎日の暮らしに必要な、小さな「何か」ですが、それがなになのか、多分、言葉にすると微妙に間違いそうな「何か」です。家族のそれぞれが、その「何か」を失い、少しづつ「すれ違い」が始まります。あたたかく、しかし、哀切で不安に満ちた世界が、小さな家族の中に少しづつ広がってゆきます。 いつの間にか、水も食料も失って疑心暗鬼になった漂流する難破船の乗組員のようになっていく家族の姿が映し出されてゆきます。 誠実な夫リッキーが身も心も、まさに、満身創痍で破滅の渦としか思えない現実の中に、自ら飛び込み、押し流されていくとでもいうほかないシーンでスクリーンは暗転し、絶望を暗示して映画は終わりました。 暖かい大団円の好きな人は、見ない方がいいかもしれません。そういえば「麦の穂をゆらす風」でもそうでした。あれから10年以上たって、80歳を越えたケン・ローチの現代社会を、そして、そこで生きる人間を映し出す映像の「きびしさ」と「やさしさ」が、この映画を忘れられないものにすると思いました。アビーが介護の現場で出会う老人や障害者の生活と彼女の誠実な態度、リッキーの業務の過酷さ、セブの自己表現である落書き、小さなライザの家族に対する思いやり、丁寧に撮られたシーンの一つ一つが記憶に刻まれたように思います。 しかし、それにしても老監督の「絶望」(いや「怒り」というべきか?)は、半端ではありません。中途半端な、涙を許さないラストシーンは、生ぬるい「カタルシス」を求める、甘さを断罪するかのようでしたよ。 シネ・リーブルを出ると、ルミナリエ最終日の雑踏とスピーカーから流れる交通整理の音に出くわしてしまいました。いつも、映画のあとで一服する喫煙コーナーは封鎖されていて、町の風情が変わっていました。雑踏を逆流して歩きながら、何とも言いようのない、「落ち着かなさ」が沸き上がってきました。 「Sorry We Missed You」は、「ごめん、忘れていたよ、君たちのこと。」って、訳せるんじゃないかって、ふと思いました。監督ケン・ローチ Ken Loach製作レベッカ・オブライエン 製作総指揮 パスカル・コーシュトゥー グレゴリア・ソーラ バンサン・マラバル 脚本ポール・ラバーティ 撮影ロビー・ライアン 美術ファーガス・クレッグ 衣装ジョアンヌ・スレイター 編集ジョナサン・モリス 音楽ジョージ・フェントンキャスト クリス・ヒッチェン(父親 リッキー) デビー・ハニーウッド (母親 アビー) リス・ストーン (高校生の息子 セブ) ケイティ・プロクター (小学生の娘 ライザ・ジェーン) ロス・ブリュースター(運送会社の現場監督 マロニー)2019年・100分・イギリス・フランス・ベルギー合作原題「Sorry We Missed You」2019・12・15シネリーブル神戸no38追記2019・12・23 「Sorry We Missed You」について町山智浩さんがラジオで語っているのを読みました。この言葉は、宅配の人の「不在票」の言葉なんですね。「残念ながら、ご不在でした。」っていうあれを、英語で言うとこうなるそうです。なるほど、納得しますね。それにしても、作品全体を実にシャープに表した題だと思いました。 それにしても、「自己責任」っていう言葉が、何故、はやり始めたのか、どんな世界を作りつつあるのか、ちょっと立ち止まって考えてみる必要があると思いました。麦の穂をゆらす風 プレミアム・エディション [DVD]にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.16
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土本典昭 「パルチザン前史」 淀川文化創造館 シアターセブン 映画館情報を検索していて、1969年、50年前の出来事を映したドキュメンタリー「パルチザン前史」の上映を見つけました。「懐かしいなあ、滝田修やって。土本典昭やって。40年まえに見たなこれ。京大の時計台や。もう、見る機会ないなあ。どないしょうかなあ?やっぱ、行きましょう。」 朝から高速バス、阪急と乗り継いで、やってきました十三シアターセブンです。「オイッチニ!オイッチニ!」 暗い画面を集団で駆け足する映像が流れ始めて、それが、当時、軍事訓練と呼ばれた行動であることを思い出しました。思い出しながら、悲しくなりました。馬鹿としか言いようのない幼さです。 大学生になったばかりの頃、この映像をまじめに観たことを覚えています。でなければ、今日こんなところで見直そうなどと思わなかったはずなのです。今、こうして見ながら、まじめに観た自分の幼さがありありと浮かんでくるこの感覚は何なのでしょう。 百万遍の交差点の市街戦があり、時計台の落城があり、滝田修の素顔や、アジテーションがあり、全共闘諸君の議論があり、敗北を乗り越えるはずのパルチザン理論の実践が映っています。 遅れてきた青年の一人であったぼくに、それらは、強烈に、しかし、陰気な印象を残したことも思い出しました。陰気になった理由ははっきりしています。連合赤軍事件と呼ばれた一連の出来事の顛末を、すでに知っていたからです。 それから、40年。映像を見ながらフィルムというものの「恐ろしさ」とでもいうものを実感しながら、しかし、一抹の感動というか、羞恥というか、いかんともしがたいやるせなさとともに見終えました。 たとえば、ドラム缶に突撃してゲバ棒とやらで突き転がすことを軍事訓練だと、大まじめに京大生が考え、実践している愚かさは、竹やりで藁人形を突き倒して鬼畜米英を叫んだ、戦時中の町内会の人々と、完全な相似形だということを、今、映像が雄弁に語ってしまっているのに、気づかなかったのはなぜなのでしょうね。 このドキュメンタリーを土本典昭は学生たちの議論の幼さや、行動の愚かさを告発するために作ったわけではないのでしょうね。むしろ、彼らの真摯さや、反権力の正当性にたいする、連帯感のようなものが色濃くにじんでいる映像といってもいい作品なのです。 にもかかわらず、今、無知で愚直な青年たちの悲劇というよりも、世間知らずなボンボンたちの喜劇として見せてしまうものは時の流れなのでしょうか。 この映像に登場する青年たちの、その後の略歴をエンドロールとして流せば、映像の印象をかえた力の正体もはっきりするのかもしれませんね。彼らは、生きていれば70歳を越えているはずなのです。 今のボクは、かつて、陰気な気分で映像に見入っていた青年の略歴だけはよく知っています。しかし、観客であった青年に限らず、フィルムが期待した未来を、パルチザンどころか、平凡な生活の略歴として生きることができた青年が、この映像には一人もいないと感じさせるものはなになのでしょうね。 それを悲劇と呼ぶのか、人の世の常と呼ぶのか、あまり興味はありません。しかし、時間の経過とは何の関係もなく、映像の中には、半世紀前の、20代の青年たちの幼い表情や裸の思想が、そのまま、そこにあることに胸を揺さぶられながら見終えた老人がいることは、やはり、事実なのです。 暗くなった、小さな映画館で、不思議な感覚を味わいながら、周りを見回した。数人の観客の中に一人だけ二十代の青年の姿がありました。 「あの人は、どう思ったんかな。」 エレベーターを降りて、十三の繁華街を外れたあたりのパチンコ屋の前で煙草を吸いながらそう思いました。 監督 土本典昭 製作 市川隆次 小林秀子 撮影 大津幸四郎 録音 久保田幸雄 1969年 日本 120分2019・02・26七芸・シアター7no2追記2019・12・15 私的な欲望が「政治的な表現」として噴出している時代です。「公共性」という言葉が滅んで行く姿を目の当たりにしているような気がしています。あの映像が伝えていた、50年前の、幼い理想は、いったいどこに行ったのでしょう。恥とか、外聞とか、当時、旧時代の遺物のように批判されていたと思うが、本当にそうした意識さえもが死に絶えた世界が、ここから広がっていくのでしょうか。にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.15
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バカ猫 百態 2019年(その13)「なあ、このひと(?)だれ?」「ちょっと、この、向うにおってやねん、あのひと(?)。」「ふーん、オレなんか落ち着かんねん。あいつが来てから。」「なっ、おってやろ。」「ホンマや。ウロウロしてるやん。あいつも、落ち着きはないなあ。」「ワッ、こっち来よった!」「あんたら、なにしてはんの?なんか面白いことないのん?うち、退屈してんねんけど。」「ひぇー!知らん、知らん!寄ってこんといてください。」「たのむわ、寄ってこんといてぇな。」「どないしてん?何、こわがってはんの?うちのこと怖いん?セッショウやわ。仲良うしようと思ってんのに」「この人(?)、後ろからみても、やっぱり、ウチらとちゃうなあ。」「おいど見て何言うてんの?なんか付き合いわりい人(?)らやわ。」「おッ、おまえ、そんな、すぐ横、通るなや。べッ、べつにケンカうってるわけとはちやうねんやろ。」「で、あいつなにがしたいんやろ?エライ、余裕しゃくしゃくやな。」「なあ、もうしばらく様子見てた方がええんちゃう?」 カルちゃん登場で、落ち着かない日々のジジ君(黒)とキキちゃん(しろ)でした。 「バカ猫シリーズ1」へはここをクリックしてください。「バカ猫シリーズ14」はここからどうぞ。ボタン押してね!
2019.12.14
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中村哲・澤地久枝「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」(岩波書店) 「九条の会」の発起人に名を連ねる澤地久枝さんが、空爆下のアフガニスタンで井戸を掘り、水路を作り続けていた、医師中村哲さんをインタビューした本があります。「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」と題されています。題名が、大仰だとお思いの方も、騙されたと思ってお読みになってください。 映画「花と竜」で、その名を知られた玉井金五郎の孫であり、「土と兵隊」、「麦と兵隊」で知らている作家火野葦平の甥っ子で、昆虫好きで、赤面恐怖症であった少年時代の中村哲君の回想から、1980年代の初頭、全くの自腹でアフガニスタンに渡り、診療所を開き、歴史的な大干ばつの飢餓の危機と、アメリカ軍による空爆の中、ペシャワール会のスタッフを率いて命がけの人助けを続けた2010年に至る、人間「中村哲」の「ホンネのすがた」を聞きだしたインタビューです。 澤地さんは、この本の巻頭にこんな文章を引用しています。堅苦しいと思われるかもしれませんが、是非お読みください。ここに中村さんの活動の、公式的な要約と、彼の考え方が凝縮して表現されています。 2001年10月13日、衆議院「テロ対策特別措置法案」審議の場に参考人として出席した中村哲さんのこんな発言です。「私はタリバンの回し者ではなく、イスラム教徒でもない。ペシャワール会は1983年にでき、十八年間間現地で医療活動をつづけてきた。ペシャワールを拠点に一病院と十カ所の診療所があり、年間二十万名前後の診療を行っている。現地職員二百二十名、日本人ワーカー七名、七十床のPMS(ペシャワール会医療サービス)病院を基地に、パキスタン北部山岳地帯に二つ、アフガン国内に八つの診療所を運営。国境を超えた活動を行っている。 私たちが目指すのは、山村部無医地区の診療モデルの確立、ハンセン病根絶を柱に、貧民層を対象の診療。 今回の干ばつ対策の一環として、今春から無医地区となった首都カブールに五カ所の診療所を継続している。 アフガニスタンは一九七九年の旧ソ連軍侵攻以後、二十二年間、内戦の要因を引きずってきた。内戦による戦闘員の死者七十五万名。民間人を入れると推定二百万名で、多くは女、子供、お年寄り、と戦闘に関係ない人々である。 六百万名の難民が出て、加えて今度の大干ばつ、さらに報復爆撃という中で、痛めに痛めつけられて現在に至っている。 アフガンを襲った世紀の大干ばつは、危機的な状況で、私たちの活動もこれで終るかもしれない。アフガンの半分は砂漠化し、壊滅するかもしれないと、昨年から必死の思いで取り組んできた。 広域の大干ばつについて、WHOや国連機関は昨年春から警告し続けてきたが、国際的に大きな関心は引かなかった。アフガニスタンが一番ひどく、被災者千二百万人、四百万人が飢餓線上にあり、百万人が餓死するであろうといわれてきた。 実際に目の当たりにすると、食料だけでなく飲料水が欠乏し、廃村が拡がってゆく事態で、下痢や簡単な病気でおもに子どもたちが次々と命を落としていった。 私たちは組織を挙げて対策に取り組み、「病気はあとで治せる、まず生きておれ」と、水源確保事業に取り組んでいる。今年一月、国連制裁があり、外国の救援団体が次々に撤退し、アフガニスタンの孤立化は深まった。 水源の目標数を今年以内に一千カ所、カブール診療所を年内に十カ所にする準備の最中に、九月十一日の同時多発テロになり、私たちの事業は一時的にストップした。今、爆撃下に勇敢なスタッフたちの協力により、事業を継続している。 私たちが恐れているのは、飢餓である。現地は乾期に入り、市民は越冬段階をむかえる。今支援しなければ、この冬、一割の市民が餓死するであろうと思われる。 難民援助に関し、こういう現実を踏まえて議論が進んでいるのか、一日本国民として危惧を抱く。テロという暴力手段防止には、力で抑え込むことが自明の理のように議論されているが、現地にあって、日本に対する信頼は絶大なものがあった。それが、軍事行為、報復への参加によってだめになる可能性がある。 自衛隊の派遣が取りざたされているようだが、当地の事情を考えると有害無益である。」 「私たちが必死で、笑っている方もおられますけれども、私たちが必死でとどめておる数十万の人々、これを本当に守ってくれるのは誰か。私たちが十数年かけて営々と気付いてきた日本に対する信頼感が、現実を基盤にしないディスカッションによって、軍事的プレゼンスによって一挙に崩れ去るということはあり得るわけでございます。」 「アフガニスタンに関する十分な情報が伝わっておらないという土俵の設定がそもそも観念的な論議の、密室の中で進行しておるというのは失礼ですけれども。偽らざる感想でございます。」 この発言に澤地さんは怒りをこめてこんなふうに付記しています。 「議事録では笑った議員を特定できない。しかし語られている重い内容を理解できず、理解する気もなく笑った国会議員がいたのだ。」「命がけで医療と水源確保を行ってきた中村哲の十数年間へ、「日本」が出した結論を心に留めたい。」 ここからが、インタビューの本番になります。 澤地「先生はもう60歳を越えられましたね」中村「ハイ。1946年の九月十五日生まれですから、もう超えています。」澤地「あまりごじしんのことかたりたくないとおかんがえですか。」中村「どちらかというと、自分をさらけ出すのはあまり好きではないです。でも、必要であれば話はしますので。」 どうも、何でも、ペラペラしゃべるタイプではなさそうです。ともあれ、こうして、会話が始まりました。最初は、あのトレードマークのような「髭と帽子」の話でした。 何時間かけて、インタビューされたのか、詳らかにはしません。読みでのあるインタビューだと思いますが、さすがに澤地久枝さんですね、最後の最後に、中村さんの性根の根っこに触れるような、こんな会話になったのです。「このお子さんたち二人が生まれたのは、92年ですか。」「92年です。」「何月生まれですか。」「十二月。」「そして、2002年の十二月。」「十二月に生まれて、十二月に亡くなったんですか。」「だったと思います。ちょうど十歳でした。」「小学四年生ですか。」「ごめんなさい。四月一日生まれです。」「先生の、今までの人生の中に生涯忘れられないクリスマスというのがありますよね。これは患者さんの苦しみの問題だけれども、そのほかに、「あれは自分にとって厳しかったな」というのは、この坊ちゃんが亡くなったことですか。」「そうです。」 まるで、尋問のような問い詰め方なのですが、愛児の発病と死について、ここまで、悲しみを越えて、聞きただしてきた緊張にみちた態度が、そのまま伝わってくる口調なのです。 ここまで読んで、読者であるぼくは、冒頭での国会での発言は、ご子息の不治の病の発病を知った最中の出来事であり、彼の発言を笑った国会議員に対する澤地さんの怒りの、もう一つの理由にも気づくことになるのでした。「アフガニスタンが直面する餓死については、自民党だとか共産党だとか社民党だとか、そういうことであはなくて、一人の父親、一人の母親としてお考えになって、私たちの仕事に個々人の資格で参加していただきたい。」 2001年、中村医師の国会証言の中のことばを、澤地さんは「訴える一人の父親の心中には、不治の病床の愛息の姿があったはずである。」 と、この会話の記述の途中に記しています。 死んでしまった中村哲の「真心」が2001年の証言の中に残されているのではないでしょうか。「医者、井戸を掘る」・「空爆と復興」は表題をクリックしてください。追記2023・12・21 池澤夏樹の「いつだって読むのは目の前の一冊なのだ」(作品社)をパラパラやっていて、2010年の3月25日の日記に出ているのを見つけて、ちょっと嬉しかった。 かなり長い日記の最後に彼はこう書いています。 中村哲のような偉人をどうあつかえばいいのか? 彼個人を崇拝することに意味はない。自分には決してできないことをする人物への思いは容易に妬みや悪意に変わり得る。イラク人質事件の際の大衆のグロテスクな反応を思い出せばわかることだ。 彼だけではなく、彼が指さす先を見る。アフガニスタンを見る。アメリカのやりかたに徹底的に反抗する。それを是とする議員を次の選挙で落とす。そして、言うまでもなく、中村哲とペシャワール会を支援する。 そういう当然の結論に至るためにこの本はあるのだろう。(P284) 彼をして、ここまで叫ばせる状況が2010年にはあったわけですが、2019年に、その中村哲が、まさに、凶弾に倒れ、コロナ騒ぎで明け暮れ、アフガン空爆などなかったかのように、新しい戦争が次々と始まっている現在があります。 中村哲が指さした向うを、もう一度見据えるための覚悟が求められていることを、一人で痛感する今日この頃ですね。ボタン押してね!にほんブログ村
2019.12.14
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中村哲「医者井戸を掘る」(石風社) アフガニスタンで井戸を掘っていた医者、中村哲の悲報が流れてきました。と、ほぼ同時に「憲法九条は中村さんを守らなかった」という趣旨の、心ない発言が、ネット上で飛び交っているのを目にしました。「憤り」を通り越えて、「哀しみ」しか浮かばない「やるせなさ」を感じました。 中村哲の、何冊目かの著書「医者井戸を掘る」(石風社)がここにあります。風土病化して蔓延する「ハンセン病」の治療のボランティア医師として、1983年にパキスタン、ペシャワールに渡り、以来、十数年、戦火を避けて逃げてくるアフガニスタンの人たちの悲惨を目の当たりにし、ついに、土木作業である「井戸を掘る」ことを決意した中村哲とペシャワール会の、西暦2000年から2002年にかけて、ほぼ、二年間の活動報告書です。 それから二十年、活動は続いていますが、医者が井戸を掘る、現場の苦闘を伝える、最初のドキュメンタリーといっていい本です。 中村哲の活動を伝える書物はたくさんありますが、この一冊を読んでいただくだけでも、ネット上に垂れ流されている発言が、命がけで他国の、貧しい人々を助けようとしながら、志半ばにして凶弾に倒れた「人間」に対して口にするべき言葉ではないことは理解していただけると、ぼくは思います。2001年、「正義のクルセイダー」を標榜した、アメリカ軍によるアフガニスタン空爆は開始される直前、日本の外務省による指示で、国外退去を余儀なくされた中村哲の発言があります。現地のスタッフに向けられた別れの挨拶です。本書に挿入されている、石風社の「石風」というパンフレットにある記事です。「諸君、この一年、君たちの協力で、二十数万名の人々が村を捨てず助かり、命をつなぎえたことを感謝します。今私たちは大使館の命令によって当地を一時退避します。すでにお聞きのように、米国による報復で、この町も危険にさらされています。しかし、私たちは帰ってきます。PMS(ペシャワール会医療サービス)が諸君を見捨てることはないでしょう。死を恐れてはなりません。しかし、私たちの死は他の人々のいのちのために意味をもつべきです。緊急時が去った暁には、また、ともに汗して働きましょう。この一週間は休暇とし、家族退避の備えをしてください。九月二十三日に作業を再開します。プロジェクトに絶対に変更はありません。」 長老らしき人が立ち上がり、私たちへの感謝を述べた。「みなさん。世界には二種類の人間があるだけです。無欲に他人を想う人。そして己の利益を図るのに心がくもった人です。PMSはいずれかお分かりでしょう。私たちはあなたたち日本人と日本を永久に忘れません。」 これは既に決別の辞であった。 続けて、帰国した中村哲が見た「日本」に対する感想が続けられています。 帰国してから、日本中が湧き返る「米国対タリバン」という対決の構図が、何だか作為的な気がした。淡々と日常の生を刻む人々の姿が忘れられなかった。昼夜を問わずテレビが未知の国「アフガニスタン」を騒々しく報道する。ブッシュ大統領が「強いアメリカ」を叫んで報復の雄叫びを上げ、米国人が喝采する。湧きだした評論家がアフガニスタン情勢を語る。これが芝居でなければ、皆が何かにつかれているように見えた。私たちの文明は大地から足が浮いてしまったのだ。 全ては砂漠のかなたに揺らめく蜃気楼のごとく、真実とは遠い出来事である。それが無性に哀しかった。アフガニスタン!茶褐色の動かぬ大地、労苦を共にして水を得て喜び合った村人、井戸掘りを手伝うタリバンの兵士たちの人懐っこい顔、憂いを称えて逝った仏像…尽きぬ回顧の中で確かなのは、漠々たる水なし地獄の修羅場にもかかわらず、アフガニスタンが私に動かぬ「人間」を見せてくれたことである。「自由と民主主義」は今、テロ報復で大規模な殺戮戦を展開しようとしている。おそらく、累々たる罪なき人々の屍の山を見たとき、夢見の悪い後悔と痛みを覚えるのは、報復者その人であろう。瀕死の小国に世界中の超大国が束になり、果たして何を守ろうとするのか、私の素朴な疑問である。2001・9・22 2001年九月に、やむなく帰国した中村哲は、十月一日には、もう、ペシャワールに戻り、米・英軍が空爆を始めた十月七日の二日後にアフガニスタンに入国し、空爆難民のための食糧の配給のボランティアを開始しています。 その間、日本政府は「テロ対策特別措置法」を成立させ、憲法九条に抵触する可能性の高い、自衛隊のインド洋派遣、海外派兵を断行しています。 アメリカ大統領ブッシュによって始められた「正義の戦い」がいかに、正当な根拠に欠けた愚かな振る舞いであったかは、アメリカでは、2018年に公開された映画、たとえば、「新聞記者たち」や「バイス」が暴露していますが、日本の中では、きちんと批判しているメディアは、あまり見かけません。 この十数年、中村哲が、上記の発言の中で指摘している、「夢見の悪い後悔と痛み」を反省として発言する政治家など、もちろん、この国には一人もいませんでした。 モラルも見識もない権力が、アメリカの御機嫌取りのように、今年も海外派兵を繰り返そうとしています。まさに、九条をないがしろにするこういう政策が、命を張って弱者を助け続ける「人間」を背後から撃つような、愚かな仕打ちである自覚など、残念ながら、何処にも感じらません。 本書をお読みになれば、「井戸掘り」としては全く素人のボランティアたちが、知恵をしぼり、肉体を酷使し、一人、また、一人と、現地の人々に生きる希望を与えていく様子が手に取るようにわかります。毎日、毎日の活動が、大地の姿を変えていく感動がここには記録されています。 「アフガニスタン社会の実相」、「タリバンと民衆との関係」、「バーミヤンの仏像破壊の真相」、「空から米軍によって投げ落とされる食糧を信用できないと焼き捨てる民衆」、印象的な報告が随所に記されています。 中でも面白いのは、実際に井戸を掘る技術や、水路を作る工事の実況です。アフガニスタンの人々が、何故、中村哲をはじめとする日本人ボランティアを信用し、その死に涙するのか、その実況を読めば、おのずと納得がいくと、ぼくは思いました。(S)追記2019・12・12「中村哲ってだれ」・「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」・「空爆と『復興』」はそれぞれここからどうぞ。「バイス」・「記者たち」も題名をクリックしてください。追記2022・09・27 以前、テレビで放送された「荒野に希望の灯をともす」というドキュメンタリーの「劇場版」が、元町映画館で上映されているのを観てきました。生きて、動いている中村哲の姿に、感無量でした。こんな人がいたという事実を見失わないこと、次の世代に伝えること、は、ぼくにもできるかもしれないと思いました。 苦難の続く作業の中で、絶望的な表情を浮かべている仲間に「ここで生きている人たち一人一人が心に灯をともせば何とかなる。」とアジッている、いや、説得している姿が心に残りました。出来れば、是非ご覧ください。 ボタン押してね!にほんブログ村
2019.12.13
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フレデリック・ワイズマン「チチカット・フォーリーズ 」元町映画館 フレデリック・ワイズマン特集第5弾です。「ジャクソン・ハイツへようこそ」と二本立て鑑賞でした。「ジャクソン・ハイツ」が189分。「チチカット・フォーリーズ」が84分。計273分、4時間半の長丁場で、その上、この映画はモノクロ・フィルムときています。 「ジャクソン・ハイツ」を一緒に見ていたチッチキ夫人は、「じゃあ、頑張ってね。」 の言葉を残して、お先にサヨナラしてしまいました。 そうはいっても、ワイズマンのデビュー作、見ないわけにはいきません。結果は期待を越えて、納得でした。ひょっとしたら、ここまで見てきたワイズマンの作品の中で、一番ラジカルな映画だったのではないでしょうか。 マサチューセッツ州にある精神に異常をきたしていると判断された犯罪者の矯正施設、州立の刑務所なのですが、そこにカメラが入っています。 「チチカット・フォーリーズ」という題名は、映し出される受刑者たちによる演芸会の名前でしょうか。チチカットは地名、フォーリーズは「寸劇」という意味らしいですから、「チチカットの寸劇」とでも訳せるのでしょうね。 もっともfollyは「愚か者」ですから、「チチカットの愚者たち」と訳す方が、わかりやすいかもしれません。 さて、この映画で「愚か者」とは精神病者を指しているのでしょうか?そこが、この映画の肝だったと、ボクは思いました。 何本か、最近のワイズマンの作品を見た眼でいえば、「いつものワイズマン」というわけで、矯正施設で服役している受刑者はもちろんのことですが、働いている看守、医者、ソーシャルワーカーというふうに、その場にいるあらゆる人間の行動や発言が、まさに赤裸々に映し出されています。 出来上がった映画、つまり、ぼくが見たこの映画は、当時のマサチューセッツ州政府から訴えられたそうです。「受刑者である患者のプライバシーを著しく侵害するもの」 というのが訴追の理由だそうですが、その後1990年代に至るまで裁判で争われ、最後にはワイズマンが勝ったそうです。まあ、だから、今日、ここで見る事が出来るわけです。 では、本当のところ、なにが、問題だったのでしょうか。それは、この映画を見た人間には、一目瞭然だとぼくは思いました。 精神病患者である囚人たちの日常生活の異常な光景が映し出されます。しかし、その一つ一つの出来事に、全く、たじろぐことのないカメラ・ワークは、結局、彼らを治療し、教導するはずの「健常」な人々の「悪」を鮮やかに映し出します。 この映画で「愚者」を演じているのは、実は、医者であり、看守であり、このような施設の存在を許していた、アメリカという社会そのものだったのです。 マサチューセッツ州政府の権力者たちが隠したかったのは、受刑者たちのプライバシーというよりも、権力による人権侵害、はっきり、犯罪という方がいいかもしれませんが、だったことは間違いないと思います。 ワイズマンは「人間」が「人間として生きる現場」をドキュメントする監督だと思いますが、このデビュー作は「人間」を「人間として扱わない人々」の表情を容赦なく写し撮り、「告発」していると思いました。この監督が「何処からやって来たのか?」それが、よくわかる作品だと思いました。 エンドロールの、一番最後、記憶があいまいなので、不正確かもしれませんが、こんなテロップが流れました。「この映画の撮影後マサチューセッツ州矯正院はシステムと環境の改善を行った。」 それにして、ここまでのシーンを撮影することができた監督の「凄さ」と、公開することを許すアメリカという社会の「深さ・広さ」にため息で、しばらく、立ち上がれませんでした。 元町映画館のワイズマン特集、完走しましたよ(笑)。パチパチ!監督 フレデリック・ワイズマン 撮影 ジョン・マーシャル原題 「Titicut Follies」1967年 アメリカ 84分 モノクロ 2019・12・06元町映画館no31「ジャクソン・ハイツへようこそ」の感想はこちらをクリックしてください。にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.12
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フレデリック・ワイズマン 「ボクシング・ジム」元町映画館no27 ワイズマン特集 第3弾は「ボクシング・ジム」です。 人格を陶冶するとかいうと時に使われる「陶冶」という言葉がありますね。「陶」は「陶器」の陶ですね、「冶」は「冶金」の冶です。要するに、焼き物や鋳物を作る工程から生まれた言葉のでしょうが、この映画を観ていて、この言葉が浮かんできたというわけです。 テキサス州にあるボクシング・ジムが舞台です。男も女も、子供も老人も、肌の色もいろいろです。プロでの試合の話をしている人がいます。「癲癇」の持病を持つ少年の入門の相談をしている母親がいます。町で不良だった人の話があります。次の試合で引退すると話している人がいます。 ワイズマンのお得意技ですね。語る人のシーンを、決して途中で切らない。カメラはジーっと話し終わるまで待つのです。そして、それぞれの話を聞きながら、いつも唸らされるのです。 どの人も、汗にまみれて練習しています。選手もトレーナーも同じです。練習の合間や終わりにボソボソと話しをしています。その二つのシーンを繰り返し見ていて「陶冶」という言葉が浮かんできたわけです。 英訳すればtraining、education、cultivationです。これらの単語を、もう一度和訳し直すと、「練習」、「教育」、「栽培・修養」です。陶冶は個々の意味でも使用可能ですが、すべての意味を感じさせる言葉です。 ボクシング・ジムでは、コブシを使って人を殴る人間を育てています。しかし、練習は、予想以上に禁欲的で、同じ動作の繰り返しです。パンチング・ボール、サンド・バック、ウエート・トレーニング、フット・ワーク、どれも3分という時間単位で、ひたすら繰り返されます。 徹底した、繰り返しの中で、石ころやただの土くれだった人が、熱に溶かされて美しい陶器や金属の器のようになっていく様子が、そこにはありました。そこは、それぞれの人が、自分を「人間」に育て上げている場所なのです。 ここには、どこかの国のような「何とか道」的な形式主義を感じさせるものや、暴力的な上下関係を匂わせるものは皆無です。まさに、アメリカ的な合理主義にみちている場所なのですが、それが、とても爽やかなのです。 画面が暗くなって、エンドロールがまわり始めた向うの暗闇からリングの上でフット・ワークを繰り返している、男女のボクサーの「キュッ、キュッ」 というシューズのこすれる音がかすかに聞こえてきます。これが、サイコーに感動的だったのですが、立ち始める人がいたりして、そこが、実に残念でした。映画は最後まで見てほしいものですね。監督 フレデリック・ワイズマン 撮影 ジョン・デイヴィー編集 フレデリック・ワイズマンキャスト リチャード・ロード原題「Boxing Gym」 2010年 アメリカ 91分2019・12・04元町映画館no27 フレデリック・ワイズマン特集「大学」・「パナマ運河地帯」・「ジャクソンハイツにようこそ」・「チチカット・フォーリーズ」・「ニューヨーク公共図書館」はそれぞれ題名をクリックして感想をどうぞお読みください。 にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.11
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フレデリック・ワイズマン 「ニューヨーク・ジャクソンハイツへようこそ」元町映画館no26 今日はチッチキ夫人と「二人でお出かけ」映画です。元町映画館「ワイズマン特集第4弾」、「ニューヨーク・ジャクソンハイツへようこそ」ですね。 昨年2018年の秋だったか、今年2019年の春先だったか、神戸アートヴィレッジ・センターで上映していましたが、プログラムの日程を間違えて見損ねていました。本当は、この映画がワイズマン初体験になる筈だったのですが、先に「ニューヨーク公共図書館」を見て、すっかりとりこになっての5本目ということです。 ニューヨークという町のドキュメンタリーはロン・マン監督の「カーマイン・ストリート・ギター」を今年(2019年)の9月に見て、これまた、すっかり魅了されていたので、今回は見る前からすっかりのぼせているような状態で映画館の椅子に座りました。 期待を裏切らないワイズマンでしたね。ジャクソン・ハイツという町の人々の暮らしのドキュメンタリー。そこで話されている言語は、なぜだかこの数字だけは記憶に残ったのですが、なんと、167なんだそうです。 キリスト教の教会、イスラム教のモスク、ユダヤ教のシナゴーグ、仏教やヒンズー教の、なんというのだろ?まあ、とにかく、小さかったり、けっこう古そうだったりはするのですが、いろんな宗教施設が映し出されて、そこに集っている人々のさまざまな言葉、そして顔、顔、顔。 レストラン、コインランドリー、肉屋、喫茶店、老人ホーム、街角、いろいろな場所にカメラは向けられていて、祈ったり、話し合ったり、演奏してたり、踊ったり、もちろん、働いたりしている、その場所で生きている人間が映し出されます。 肉屋の解体シーンでは、ニワトリだかアヒルだかの首がちょん切られて、羽がむしられて、内臓が処理されて、半分に切り裂かれて、鶏肉になるところまでキチンと映します。もう、それだけで見ごたえがありますね。隣の、チッチキ夫人は、思わず、のけぞって、悲鳴を上げそうになったりもしていました。 喫茶店なのか、ちょっとしたラウンジのようなところでダベッテいる、ちょっとお金持ち風の女性が「好きになった映画俳優はみんなゲイなのよ。」 とか言ってるのニは、大いに笑えます。 その笑いの一方で、公民館と呼ぶのがいいのでしょうか、集会所に集まっているセクシャル・マイノリティの人たちが、自分たちが集まれる公共の場所の確保や、「神戸まつり」のような街のお祭りで、行進する相談しています。実際の行進には市長までやってきて「マイノリティの人たちを支援する!」 って、堂々と演説しているのです。 老人ホームでは100歳を越える女性の「お友達が、みんな死んじゃって誰もいない。」 という悩みの相談に、おそらく、90歳とかの高齢の女性が応じていて、「さみしかったら、お友達をお金で買えばいいのよ。あなたお金は持ってるんだから、何でもお金で買えるのよ。」 とか答えているシーンなんて、笑えるとか、ほほえましいなんて言ってられない迫力ですよね。 それぞれのシーンに驚くというより、爽快な人間模様というべき映像の重ね方で、「やっぱり、さすがワイズマン!」 というのでしょうか、映し出される映像に対する「信頼」のようなものが湧いてきて時間を忘れるんです。 大型商業施設が進出してくる再開発が、ニューヨークのこの街にも押し寄せていて、肉屋のおやじさんや、小さい小売店の大将たちが集まって相談しています。 それぞれの人が、ジャクソン・ハイツで商売を続けてきた来歴を語り合っています。皆さん、自分たちが愛し、一緒につくってきたはずの町が、何だかわからない「新しい金儲け」 のために壊されていく理不尽を見つめている目をしています。 街を歩いたり、街角でくつろいだりしている人が映り、ラテン音楽の音色が響いています。エンドロールが回りはじめて、なんというか、「さみしい気分」がじわじわ広がってきます。 ワイズマンは、決して声高に「批判」を叫ぶわけではありません。しかし、一人一人の「小さな人間」達の営みを、丁寧に映し出す彼の映像は、「小さな人間」の営みを、外から壊そうとする、何か正体不明の巨大なものに対して、はっきり「NO!」を突き付けていると思いました。ぼくが、彼の映画を見ながら感じる「安心感」は、多分、そこから生まれているにちがいないのです。 ちょっと付け加えると、別に、他のカメラマンと比べて言う眼力があるわけではないのですが、ジョン・デイビーというカメラマンの、カラーの映像がとてもいいな、と思いました。なにが違うんでしょうね。監督 フレデリック・ワイズマン製作 フレデリック・ワイズマン製作総指揮 カレン・コニーチェク 撮影 ジョン・デイビー2015年 アメリカ 189分 英語、スペイン語2019・12・06元町映画館・no26ワイズマン特集「大学」・「ボクシング・ジム」・「パナマ運河地帯」「チチカット・フォーリーズ」・「ニューヨーク公共図書館」の感想はそれぞれ題名クッリックしてみてください。にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.10
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「絶景かな!絶景かな?」 徘徊日記 2018年10月26日 となり街 舞多聞あたり 神戸市の西の端ですが、垂水の街を山手に上ると、高丸、星陵台、舞子墓苑とあって、その北側を阪神高速が走っていて、垂水ゴルフ場、舞子ゴルフ場、神陵台の丘に囲まれた盆地状の地域の真ん中に多聞寺というお寺があります。 地域の西の端にそって山田川という、まあ、何の変哲もない川が南に向かって流れています。川といっても、ここ数年は、小川ふうのせせらぎになってきましたが、それ以前は子供の遊び場にもならない、生活排水で汚れた溝川でした。 10年ほど前でしょうか、いわゆるバブル崩壊の直後ころから、この地域の、一番北側にあった舞子ゴルフ場の跡地が宅地化され、「舞多聞」という新しい町が生まれました。 今まで、ゴルフ場で、中に入れるのはボールを転がす人たちだけだったわけですから、ゴルフなんてしたことのないゴジラ老人には、近場ながら、よく知らない、新しい見学エリアということになりますね(笑)。 というわけで、徘徊老人の出番です。じつは、この舞多聞エリアというのはかなり広いんです。で、とりあえず、山田川の上流から舞多聞中央公園に歩いて上がっていって、西北に向かって、ノッタラノッタラ歩きはじめました。 真新しい建物と、やたら子どもが多いことに、ちょっとビビり気味ですね。垂水の昔からの街は、まあ、どこもかしこも、老人の町ですからね。 「ここには、ヨウサン、チビがおるなあ。」 「なんで、ビビらなあかんねん。」 「そやけど、皆さん、エエ車に乗ってはりますな!」 意味不明の感想を一人でぶつくさ言いながら、阪神高速神戸線の出口の脇までやってきました。で、左折して、すぐに南に入る砂利道をしばらく歩くと、広い空き地に出ました。 崖になっていて、真下が、多聞台の北の端です。ずっとむこう、舞子墓苑の丘の右手に、明石海峡大橋の、ほぼ、全景が見渡せます。「わーっ、えらい絶景やないか。」 左に、だから東に視線を移すと、墓苑の丘の並びには星陵台の高校の北側の高層ビルが見えます。そこから手前が、わが街です。本多聞6丁目から3丁目、公団や、市営住宅の箱がずーっと並んでいます。 この町に40年近く住んでいながら、こういう絶景ポイントが、こんな所にあることは知らなかったですね。転がっていた大きめの石の上に腰かけてお茶を飲んで、一服です。 煙草に火をつけて、ぼーっとしていると、後ろのほうで、ガッチャン、ガッチャン、大きな音がします。振り返ると、パワーショベルとダンプが働いていました。 「ああ、ここも、新しい町になるんや。」 「ほんでも、ここは、ええなあ。時々来たろ。」 立ち上がって、南に歩くと長坂小学校の裏手に出ました。そこからから多聞台の方に降りて、もう一度坂を上って帰り着きました。「ジャンパーに、ヌスビトハギいっぱいよ。どこ行ってたの?」「ほんまや、子供のすることやな。うろうろして、ドロボーいっぱいつけて。舞多聞の向こうに空き地あんねん。けっこう広いねん。ええ景色やで。立ちションしても、叱られへんで。」「えーっ、トイレでしてよ!まあ、一緒やないからええけど。」 でもの、はれもの、徘徊の敵。年かなあ?トホホホ。2018/10/26ボタン押してね!
2019.12.09
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町田尚子「ねことねこ」こぐま社 「バカ猫百態」と題したアホ・ブログの主人公、「ゆかいな仲間たち」のヤサイクン家の黒と白の猫くんたち、ジジ君とキキちゃんの絵本が出来ました。 というのは、もちろん、マッカなウソですが、チッチキ夫人が、どこからか見つけてきた「ねことねこ」(こぐま社)という絵本の表紙は、二人の、いや二匹の肖像画そのものでした。(笑) 中のページを紹介するのはやめます。みんなネコの絵です。二人、いや、二匹並んだネコくんやネコちゃんが、ちょっとづつちがっていて面白いです。本屋さんで探してみてください。 ところで、ジジ君とキキちゃんには、こんな写真があります。 作者の町田尚子さんはどこで、このシーンをご覧になったのでしょうね。ええ、ご覧ください。この絵本の裏表紙はこうなっているんですね。 ねっ!この絵本は、やっぱり、ジジ君とキキちゃんにプレゼントすべきだと思いませんか? そろそろクリスマスもやってくるようですし。最近、バカ犬、カルちゃんの登場で、すっかり落ち着きを失っているお二人に、いや、お二匹に、癒しのプレゼントになるんじゃあないでしょうか。 不思議ですね、「二匹」という言葉の頭に「お」をつけると、何だかバカにしているように聞こえますね。モチロン、バカになんかしていませんよ。 「バカ猫百態 その12」、「カルちゃん」登場はこちらをクリックしてください。追記2022・06・03 そういえば、最近ジジ・キキお二匹の写真が届きません。ジージのシマクマ君の家には猫も犬もいませんから、送られてくる写真だけの猫好き生活なのですが、お二匹とワンちゃんのカル君、元気に暮らしているのでしょうか。にほんブログ村ボタン押してね!
2019.12.09
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セドリック・ヒメネス 「ナチス第三の男」シネリーブル神戸 高校の図書館で、自称館長を名乗っていた数年前に本屋大賞をとった、フランスの小説を新しく棚に並べたことを覚えています。ローラン・ビネという人の「HHhH (プラハ、1942年)」(東京創元社・海外文学コレクション)という作品です。記憶に残ったのは、翻訳小説としては、珍しく評判になったからですが、表紙のデザインが面白かった。 チラシを見ていて、「ああ、あれじゃないか!」 そう思って観客席に座りました。 いかにも、ドイツの青年という風情の男が画面に登場する。表情のわかりにくい顔立ちですが、傲慢さの(この手の男前がみんな傲慢に見えるのは、全く個人的な勝手な印象なので、誰もがそう思うかどうかはわからない)裏側に、かすかな不安を感じさせる表情でした。 マーロン・ブランドという、もし、個人的に出会ってもどうしても好きになれそうもないが、映像の上ではスゴイなという俳優がいたが、そっくりでした。で、この、金髪で青い目の男が主人公でした。 ナチスのユダヤ人問題の最終解決政策の発案者であり、実質的遂行者となった、この男の内面を映像はクリアーに暗示していました。 劣等感、幼児性、いわれのない不安。 原作小説で、ビネは「4つのH」(Himmlers Hirn hei?t Heydrich、ヒムラーの頭脳、すなわち、ハイドリヒ)というこの男につけられた嘲りの綽名を使っているのですが、「ナチス第三の男」という邦題は、ヒットラー、ヒムラーに続く、三番目のHという意味もありそうですね。 画面が、もう一組の主人公たち、イギリス空軍機から雪原に舞い降りた二人のチェコスロヴァキア亡命政府軍兵士の、敵地と化している故国の町での活躍を映し始めると、もう目を離せません。 秘密の計画、下見、そして、ロマンスもあります。かろうじて成功した暗殺。報復が始まる。次々と人々が殺されて行きます。裏切り、密告があります。自殺、逃亡があります。そして銃撃戦がありました。 追い詰められたヒーロー二人はが、なんと地下室の水の中で自殺して映画は終わったのでした。 殺す側と殺される側、両者を主人公にした筋はこびは、見ていて微妙なずれのようなものを感じさせて、落ち着きません。 穏やかな気持ちで見終えることはできなかったのですが、なぜか、自転車が印象的な映画でした。 映画館を出ると、三ノ宮の町は暮れ始めていました。歩く元気が湧いてこないので高速バスで帰ってきました。バスを降りると時雨ていました。「日が、すこし長くなったなあ。でも、まあ、もうしばらくは冬か。」 そんな気分の夕暮れでした。監督 セドリック・ヒメネス Cedric Jimenez 原作 ローラン・ビネ 「HHhH (プラハ、1942年)」(東京創元社・海外文学コレクション) 脚本 オドレイ・ディワン キャスト ジェイソン・クラーク(ラインハルト・ハイドリヒ) ロザムンド・パイク(リナ・ハイドリヒ) ジャック・オコンネル(ヤン・クビシュ) ジャック・レイナー(ヨゼフ・ガブチーク) ミア・ワシコウスカ(アンナ・ノヴァーク) 原題「The Man with the Iron Heart」 2017年 フランス・イギリス・ベルギー合作 120分2019・01・30・シネリーブル神戸no37にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.08
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フレデリック・ワイズマン 「パナマ運河地帯」元町映画館 元町映画館で見始めたワイズマン特集二日目です。。1977年に撮った映画だからほぼ40年前の作品です。撮影はウィリアム・ブレインというカメラマンで、モノクロです。 双眼鏡で海上の船を確認し、何か運行上の支持を無線で伝えています。船長が明るい声で返答して、船が動き始めました。そんなシーンで映画は始まりました。運河に船が入っていって閘門が閉まります。水面が上昇し始めて船が浮き上がっていくのです。パナマ運河の構造がナレーションされて、ニュース映画のノリで画面に見入っているボクがいます。「これで、3時間持つのかな?」 それが、最初の感想でした。なにしろ、ドキュメンタリーなんだから、そういう実況中継だってありなわけで、その映像が、何にも知らないボクにはそこそこ面白いのですが、それにしても、と思っていると、映像は次第に、ボクが知っているというか、そういう映画の人だと思っているワイズマンになっていきました。映像に映っている人々がしゃべりはじめるのです。そうか、やっぱり、この映画は「運河」の構造を解説する科学ドキュメンタリーなんかじゃないんだ。 そういう納得がわいてきて眠気が消えました。 運河の運営会社の社長が誰かを相手にしゃべりはじめます。無線士が、遠くの誰かとやりとりしています。戦没者の慰霊祭のスピーチが映されます。映像は次々と語る人を映し出し始めました。それぞれの会話が「パナマ運河地帯」を、ひいては「アメリカ」を語っているかのようです。で、そこに、「運河」を航行する巨大な船のシーが挿入されます。トヨタの自動車を運ぶ貨物船が出てきて、ワイズマンの映画に「日本」が出てきたことにでしょうかか?微妙に嬉しい自分にあきれながら見入っています。 ともあれ、映画は「運河地帯」、「Canal Zone」と題された通り、そこに暮らしていたり、働いていたりする人間たち、とりわけ「アメリカ人」の姿を撮ったドキュメンタリーでした。 学生だった頃、アメリカの大統領だったカーターが、なんとなく好きだったのですが、事実上の植民地であり、軍事的にも商業的にも、昨今流行りの言葉を使えば、所謂、地政学的な要衝というべき「パナマ運河」をパナマに返還するという決断を下していたことは知らなかったし、今日にいたるまで「パナマ運河」をめぐる政治状況なんて、全く何の関心もありませんでした。 しかし、今、映像が映し出している植民地の「アメリカ人」たちの、いかにも「アメリカ人」であること、そして、それを執拗に映し出している映画そのものに、あるいは、ワイズマンという映画監督に唸りました。 今では、89歳になっているはずの監督が、なぜ「ニューヨーク公共図書館」のような(表題をクリックしてください)、ビビッドな映画を撮ることができるのか、それが、ぼくにとって謎でした。しかし、その謎の解答の一つが、1977年に撮られたこの映画にあるように感じました。人間、とりわけ「アメリカ人」に対するあくなき関心、きっと、それが答えなのです。 歴史的な構造物や施設、場所があります。で、そこで生きる人間は、多かれ少なかれ、その歴史性や政治性の影響から逃れられません。しかし、だからこそ、生身の「人間」が露出するはずなのです。その人間に対する、あくなき関心がワイズマンを支えているに違いありません。なるほど、いくら長くても飽きないはずだ、そんなふうに感じた作品でした。「さあ、次は『ボクシング・ジム』やな!?」 監督 フレデリック・ワイズマン 製作 フレデリック・ワイズマン 脚本 フレデリック・ワイズマン 撮影 ウィリアム・ブレイン 編集 フレデリック・ワイズマン 録音 ステファニー・テッパー 原題「Canal Zone」 1977年 アメリカ 174分 2019・12・04元町映画館no30にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.07
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バカ猫百態 2019年(その12)「バカ犬登場!」「おい、あれ、なんや?」「なんやて、いわれても、あんなもん初めて見るし。」「みんな、カル、カルっていうてるし、カルいうもんかな?」「カルって、名前ちゃうの?あんたジジで、うちはキキやろ?」「ほんなら、あれは、おれらとおんなじネコなんか?」「なんか、ちやう思うんねんけど。」「なんや、うちのことをゴチャゴチャいうてるネコおってやわ。いっぺん吠えたげまひょか?まあ、初めてのとこに連れてこられて、疲れてんねんし、いらんことせんときまひょ。平和がなにより。」「うちらより大きいし、とりあわんほうがええんとちゃう。」「うん。でも、オレら、ここから降りられへんのんちゃうか。なんかこまるやん。」「そやな、こまるけど、近づかん方がええねんて。君子危うきに近寄らずっていうやないの。」「アッ、立ちよった。」「ご飯ちやう、ほら?アンナン食べてんや。」「おれらのと、ちょっとちゃうな。ホンで、なんていう動物やねん、あれ?」「知らんし!」「落ち着かんし、とりあえず、ごはんでもいただきまひょ。それにしても、騒がしい家やわ、もう。」 新しいワンちゃんが「ヤサイクン」の家族にやってきたようですよ。名前はカルちゃん。年齢不明の雑種だそうです。生まれてすぐ、ここにやって来たバカ猫姉弟(いろいのがネーチャンのキキ、黒いのが愚弟のジジ)は、人間以外の生き物を知りません。というわけで、さて、ここからどうなるんでしょうねえ。追記2019・12・09 ジジとキキの肖像が表紙になっている絵本を見つけました。町田尚子さんの「ねことねこ」(クリックしてみてください)です。バカ猫「シリーズ13」・「シリーズ14」はここをクリックしてくださいね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.12.06
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フレデリック・ワイズマン「大学 At Berkeley」元町映画館 関西の、昔でいえば名画座でしょうか、今はどう呼べばいいのかわかりませんが、小さな映画館や、映画資料館がフレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーを順番に上映しています。夏前に上映した「ニューヨーク公共図書館」の好評を受けた企画なのかどうか、よくはわかりませんけれど、何十年も映画館を忘れていた徘徊老人には天の恵みのようです。 1967年に撮った「チチカット・フォーリーズ」が上映禁止になるという、聞いただけで、(聞いただけだけど)衝撃のデビューを飾ったフレデリック・ワイズマン監督の、そのデビュー作から、最新作「ニューヨーク公共図書館」まで6本の作品を二週間かけて元町映画館が上映しています。どれも見逃すわけにはいかないと、妙に気合が入っているわけですが、今日は「大学 At Berkeley」、244分の長丁場でした。 カリフォルニア州立大学・バークレー校というふうに覚えていたアメリカきっての名門大学の内側をジョン・デイヴィーのカメラが追います。 経営トップの会議、授業風景、学生のディスカッション。大きくはこの三つが順番に、そして繰り返し映し出される。間に挿入されるのは、学生の日常生活、研究室や校舎の風景、音楽会、フットボールの試合、そして構内の日常風景。芝生で寝転ぶ学生の姿も、驚いたことに校内で訓練する軍人さえ登場する。 とどのつまりには、学生たちによる学費値上げ反対の集会があり、対策会議で「言い訳」から「警察の導入」まで、逐一計画する副学長をはじめとした、大学トップの発言がすべて公に映し出されています。ここまで撮って、公開していいのだろうか!?と徘徊老人はびっくり仰天でした。 映画が始まる前は、下手をすれば、今時、この国でも流行りの、大学による広告フィルムになりかねない内容なのではないかと危惧したのですが、全くの杞憂でした。 英語のできない徘徊老人は、字幕を追うのが忙しいのですが、フィルムに登場する学生、教員、事務職員や掃除や工事をしているオジサン、おばさんたちの「ことば」も「風情」も見逃したくない、聞き逃したくないと、必死です。 次は何が映るのか、きっと、面白いうことを言うに違いないし、なにげないにしても、味のある姿を見せるに違いないというと思って見ていると、期待にたがわぬ展開が、確かに繰り広げられるのでした。 ここには、よくも悪しくも、「アメリカ」がありました。「アメリカ」を頂点とした、世界の知性の鍛え方、教育の現場が映っていました。 ほとんど最後のシーンでジョン・ダンという詩人の性的な隠喩を解説する英文学の教授の授業が映し出されました。100人をこえるであろう、階段教室で聞いている学生たちの出自は、人種も、宗教も、国家や社会も、見るからに多種多様ですが、どの顔も話を聞いている顔でした。そのシーンが、何故だかわからないのですが、心に残りました。 家に帰ってチラシを見ると、その顔たちのシーンが写っていました。その写真を見ながら「アメリカ」の広さと深さを思い浮かべました。ただ、ある一つのシーン、図書館を占拠した抗議行動の学生たちが、景気のいいスローガンを叫んでいて、どうなることかと見守っていると、午後九時になって、館長の勧告に素直に従って雲散霧消してしまったのには、啞然とした記憶が浮かんできましたが、そこにも、「現代」という世界の姿があるのだろうなという、少し寂しい気分が残りました。 それにしても、さすがに4時間は、頭は飽きないのだけれど、お尻は、少々痛かったですね(笑)。2019・12・05・元町映画館no29追記2019・12・06フレデリック・ワイズマンの特集です。「チチカット・フォーリーズ」・「ボクシング・ジム」・「ジャクソン・ハイツへようこそ」・「ニューヨーク公共図書館」の感想はこちらからどうぞ。「パナマ運河地帯」はこちら。にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.06
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マイケル・グレイシー「グレイテスト・ショーマン」パルシネマ新公園 毎日通っていた仕事をやめて、映画館に通うようになって一年が過ぎようとしている。好みなのか、気が合うのか、だんだん通い慣れたところに繰り返し行くようになって、なんとなく気分がマンネリ化してしまいつつある。 映画館に行くこと以上に外に出ることが目的だったりするわけだから、最寄り駅をかえたり、近所を徘徊したり、気分を変えようと思うのだけれど、なかなか難しい。 ところが、座席に座って始まる映画は、今まで、あんまり見たことがなかったタイプのミュージカル仕立てだったりして、目を見はる。見たのはマイケル・グレイシー監督の「グレイティスト・ショーマン」。 なんか、舞台か、広場か、客席の後ろにシルクハットで、ど派手な燕尾服の男が、向こう向きに立ってて動き出す。ダン!ダダン!ダン!ダダン! 客席が一斉に足踏みして重厚でリズミカルな響きが広がって、もうこっちの気分は鷲掴み。 うまいなあ・・・・ 映画が始まって、男の回想。仕立て屋の少年と少女との出会い。少女の父親が少年に容赦のない平手打ち。「うちの娘に近づくな!」 何だか怪しげな手口で金を手に入れながら生きのびてきた、かつての少年P・T・バーナム(ヒュー・ジャックマン)は、娘になった少女チャリティ(ミシェル・ウィリアムズ)を略奪、駆け落ち。「あっ、この女の人知ってる。息子が誘拐されて頑張ったゲティ家の人や。男も、どっかで見たことあるかなあ?わからんなあ。」 詐欺師で、ホラ吹きで、山師のバーナム。「ああ、こいつ、バーナム博物館のあいつや。なんでも見せもんにしよんねや。」 サーカスと蔑称されながら見世物小屋の成功で成りあがっていくホラ吹き男。成りあがるために手段を択ばないアメリカンドリーム。親指トムやひげ女をビクトリア女王拝謁の道具にする山師。美しすぎるほどの美女、歌姫ジェニー・リンド(レベッカ・ファーガソン)に執着する色男。 黒人奴隷が見世物だった150年前のアメリカ、ニューヨーク。のっぽ、チビ、ひげ女、狼男、アフリカゾウ、ライオン、空中ブランコ、インチキ、デタラメ、すべてが見世物。歌姫リンドですら、見世物だった。成り上がりのために妻や子供さえかえりみる余裕はなかった。 リンドに見透かされ、フリークスたちとの間には亀裂。興行は失敗。見世物小屋は放火され、妻や子供は去り、すべては灰燼に帰する。 もちろん、映画はここでは終わらない。 ラストのシーンのひげ女ルッツ(キアラ・セトル)の歌う「THIS IS ME」は圧巻だ。髭を生やした顔つきと目つきが素晴らしい。 サーカス小屋の大観衆とフリークスたちのレビューのクライマックスでため息。「うーん、やるなあ。」 「こっちも、おそる、おそる見ていたフリークスやったけど、、まさに、これが私!やもんなあ。髭ヅラの大女が素晴らしいってなんやねん。これが、アメリカ流なんかなあ。すごいなあ。エエ声しとんなあ。あのひげ女。」 映画館の出口で支配人のオニーさんに思わず声をかけてしまった。「二本ともよかったで!」「ありがとうございます、またお越しください。」 湊川公園の陸橋から煙草を喫いながら西を眺めると、夕日が沈みかけていて、大開通りの信号が、ずっと向うの高速長田の駅まで青やった。もうすぐ、春かなあ・・・監督 マイケル・グレイシー 製作 ローレンス・マーク ピーター・チャーニン ジェンノ・トッピング 製作総指揮 ジェームズ・マンゴールド ドナルド・J・リー・Jr. トニア・デイビス脚本 ジェニー・ビックス ビル・コンドン 撮影 シーマス・マッガーベイ 楽曲 ベンジ・パセック ジャスティン・ポール 音楽 ジョン・デブニー ジョセフ・トラパニーズ キャスト ヒュー・ジャックマン(P・T・バーナム ) ザック・エフロン(フィリップ・カーライル ) ミシェル・ウィリアムズ(妻チャリティ・バーナム) レベッカ・ファーガソン(歌姫ジェニー・リンド) ゼンデイヤ(空中ロープ アン・ウィーラー ) キアラ・セトル(ひげ女レティ・ルッツ) ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世(W・D・ウィーラー) サム・ハンフリー(親指トム ) エリック・アンダーソン ポール・スパークス バイロン・ジェニングス ベッツィ・アイデム 原題「The Greatest Showman」 2017年アメリカ 20世紀フォックス映画 105分2019/02/13no13追記2019・12・05「ゲティ家の身代金」はこちらをクリックしてくださいね。にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.05
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「団地の秋 銀杏の木の一年」徘徊日記 2019年12月 今日は11月の末の金曜日。団地の玄関のバス停前の銀杏がみごとに黄葉しました。もう冬ですねえ。 黄葉して 思慮ふかぶかと 銀杏の木 鷹羽狩行 銀杏黄葉 梢は落葉 しつつ燃ゆ 山口青邨 空腹の ここちよきまで 秋澄みぬ 森 澄雄 これが9月頃の姿でした。 こちらが5月の青空の下の姿です。 4月ころの姿です。同じころ、向うの方では桜が満開でした。 こうして並べてみると、12月の姿が気になりますね。徘徊の楽しみができました。写真が撮れたら、また貼りましょう。お楽しみにお待ちくださいね。2019・12・01にほんブログ村ボタン押してね!
2019.12.04
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レミ・シャイエ 「ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん」元町映画館 今日は日曜日なので、映画はパス。働いている人たちには、誠に申し訳ない言い草なのだけれど、徘徊老人は日曜の混雑した映画館が苦手。そんなことをうそぶきながら、元町映画館のスケジュールを開くと、なんとワイズマンの特集が始まっているではないか。「あ、ヤバイ!来週やと思い込んでた。エー、そうすると、ああ、今日、ロング・ウェイ・ノースを観とかんとアカンやん。」 何のことかといぶかしくお思いでしょうが、今週ワイズマンが立て込んでいるということは、他の映画を見る余裕がなくなりますね。この映画の字幕版は今週限りなのです。日本語吹き替えがあまり好きではない、(べつに外国語が分かるわけではないから、単なる好み)徘徊老人は、急に思い立って一言。「ちょっと、元町行ってくるわ。」「映画?」「うん、アニメ。一緒に行く?夕方6時からやけど。」「エー、しんどいやん。」 というわけで、やっぱり一人徘徊出発です。なんと、おにぎり、コヒー付きの至れり尽くせりの徘徊です。。 日曜の元町映画館、午後6時。ヤッパリ、けっこうお客さんはいましたね。席に着くと、さっそく、おにぎりを頬張って、コーヒーで一息です。ちょっと取り合わせがおかしいですが、チッチキ夫人のありがたい心づかいですからね。 おっと、映画が始まりました。 船の汽笛が聞こえて、港から出ていきます。少女と母親が見送っているようで、船では白髪の老人が手を振っています。 時代は1880年代のロシア、サンクトペテルブルグの港です。少女の名前はサーシャ、白髭の船長が北極点を目指す探検家で、彼女の最愛の祖父オルキンです。祖父が乗っているこの船が最新の砕氷船(?)ダバイ号。 華やかな船出とは裏腹に、やがてダバイ号は消息を絶ちます。皇帝は100万ルーブルの賞金を懸けて、船と探検隊を探させますがその行方は杳として見つかりません。 孫娘サーシャは、祖父の部屋から、その計画の海図を、偶然、発見し、捜索が見当外れであることに気付きます。ここから、サーシャの冒険が始まりますが、波乱万丈、ドキドキ満載の展開は、徘徊ゴジラ老人も大満足の結末まで続きます。 主人公サーシャ、北極海に面した港町アルハンゲリスクの酒場の女将オルガ、少年水夫カッチ、サーシャを乗せるノルゲ号の船長ルンド、登場人物たちの表情が素晴らしい。 とてもハスキー犬とは思えない登場の仕方だったのに、サーシャの命を救うシベリアン・ハスキー、カモメや海鳥、もちろん、シロクマも、出てくる生き物の絵の面白さがなんとも素晴らしい。 海、空、、雲、降りしきる雪、ブリザード、崩れ落ちる氷壁、流氷、真っ白な雪原のシーンも素敵です。 北極圏の白いだけの自然描写が、どうして、こんなコントラストがついて、リアルに見えるのか、ため息ものです。見た目には、たとえばジブリアニメとは全く対照的な素朴な印象なのですが、こういうリアルもあるのだと納得させてくれた映像でした。 1880年には、あるはずのないペニシリンに、ちょっと「えッ?」と思いましたが、最後のシーンで、北極点に祖父オルキンが立てた小さな紙の旗が抜けるというオチがあって、で、エンドロールが終わる、その時、ちょっと笑えてOKでしたね。 先日の「ディリリとパリの時間旅行」にも感心しましたが、こんなアニメを見ているフランスの子供たちはいいですね。監督 レミ・シャイエ 脚本 クレール・パオレッティ パトリシア・バレイクス 音楽 ジョナサン・モラリ2015年 81分フランス・デンマーク合作原題「Tout en haut du monde」2019・12・01・元町映画館no25にほんブログ村にほんブログ村
2019.12.03
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山田詠美「つみびと」(中央公論新社) 山田詠美さんの新刊「つみびと」を読みました。読み終わって、ボンヤリ考え込んでしまいました。ぼくにとっては山田詠美は同時代の作家のひとりです。 「ベッドタイムアイズ」(河出文庫)から始まった彼女の作品世界は、当時としては、かなり衝撃的でした。しかし、「PAY DAY!!!」(2003・新潮文庫)・「風味絶佳」(2005・文藝文庫)あたりで、何か変わったような気がしたのを覚えています。 特に「風味絶佳」は、世間ではとても評判がよかったのですが、ぼくにはマンネリにみえました。 久しぶりに新作を読みました。日経新聞に連載された作品らしいのですが、「マンションの一室に幼い子どもふたりを放置し、死に至らしめ23歳の母親とその家族」を描いた小説でした。山田詠美らしい「今、このとき」をテーマに果敢に挑んだ作品だと思いました。 「読書人ウェブ」というサイトのインタビューでこんなふうに語っています。――物語は、蓮音の事件が報道された直後からはじまります。世紀の「鬼母」というレッテルをはられ、その母だということを理由に、琴音のところにマスコミが押しかける。その時点で、蓮音は既に、とんでもない極悪人のイメージになっている。また、取材する側も、「あなたのような人が母親だから、娘が不幸になってこういう事件を起こしたんだ」という先入観に基づいて質問を投げつける。この冒頭で、一読者としてドキッとさせられました。山田 なにか事件が起きたとき、多くの人は、わかりやすくひとまとめにして語りたがりますよね。でも、ひとつの事件にまつわる不幸というのは、けっして画一的には語れない。なぜなら、不幸も幸福も、あくまでその人にしか判じられないものだから。いわば人の数だけ不幸の形があって、それらのいろいろなピースが複雑に組み合わさった結果、事件は起きるわけです。そこを事細かく、ごまかさないようにして書いてみたいと思いました。 母である「琴音」、娘である「蓮音」、そして、四歳の長男桃太(ももた)とニ歳の長女萌音(もね)の「小さき者たち」。それぞれの世界が全部で十章ある章の中で、「母・琴音」、「娘・蓮音」、「小さき者たち」と、いわば、段落分けされて描写されていますが、それぞれに、微妙に異なった文体が駆使されています。 それぞれの世界に生きる四人の登場人物に共通するのは、他者とのつながりを、一方的に断たれ、他者による抑圧と疎外からの自由を奪われていることです。 第一章は「母・琴音」のこのシーンで始まります。私の娘は、その頃、日本じゅうのひとびとから鬼と呼ばれていた。鬼母、と。この呼び名が、実際のところ、いつ頃から使われていたのかは不明だが、まさに娘のためにある言葉だと多くの人は怒りと共に深く頷いたことだろう。彼女は、幼い二人の子らを狭いマンションの一室に置き去りにして、自分は遊び呆けた。そして、真夏の灼熱地獄の中、小さき者たちは、飢えと渇きで死んで行った。この児童虐待死事件の被告となったのは、笹谷蓮音、当時二十二歳。私の娘。 第九章、最後の「娘・蓮音」はこう始まっています。愛なんて、これから簡単に見つかる筈だと、蓮音はタカをくくっていたのだった。 同じく九章、「小さき者たち」の最後の部分はこうなっています。 悪いことをした子には、ばちが当たるよ。 前に、母の蓮音に何度か言われたこの言葉を、今、桃太は思い出しています。 「ばち」の意味が良く解らないままでいた桃太でしたが、今のこのことなのかなあ、と考えて慌ててしまうのでした。ばちが、こんなにも大変な事態だなんて、と気づいたのです。 「一人称の語り」と、「ナレーションの語り」の組み合わせは共通していますが、ナレーターの「言葉遣い」が微妙に異なっているように感じました。特に「小さき者たち」の語りは、いわば「神の視点」の物語です。「桃太」のことばも、一般的に考えられる四歳児の「ことば」としてのリアリティはありません。 しかし、山田詠美が、作家として「作り出した」のは、この四歳児の「ことば」の世界だと思います。どんなに参考文献をあさっても、この世界は憶測でしか表現できません。で、あるなら、作家山田詠美は、まず、ここにいるはずです。 かつて、「画一的な」社会によって、生殺しにされかかっている少年や少女たちの「イノセンス」を肯定した作品群を書いた作家ならではの挑戦がここにあったのではないでしょうか。 作品の読者の多くは、「小さき者たち」の世界に立ちどまり、胸を打たれることは間違いないと思います。その意味で、この作品は成功しているといえるでしょう。 しかし、童話風の語りを語る作家が、どこかで「画一性」の罠にはまっているとは感じられないでしょうか。「本当は残酷な」童話の世界にたじろいでしまう私たちの「やさしさ」の画一性を、あるいは「わかりやすさ」を求める欲望を作家は越えているでしょうか。 「何かが足りない。山田詠美でも書けないのだろうか?」 読み終えて、最初に浮かんできたのがこの言葉でした。 「作家が、資料として提示しているドキュメンタリィの「怖さ」を作品は越えられていないのじゃないでしょうか。」 そう話してくれた友人がいましたが、山田詠美ほどの語り手が、何を前にしてたじろいだのでしょう。そこが知りたいと思いましたが、それはないものねだりなんでしょうか。 「よく頑張りました」とは言えるかもしれません。が、果たして小説としてうまくいっているのかどうか、かなり?な作品でした。 ボタン押してね!ボタン押してね!ベッドタイムアイズ・指の戯れ・ジェシーの背骨(新潮文庫)【電子書籍】懐かしい作品ですぼくは勉強ができない改版 (新潮文庫) [ 山田詠美 ]
2019.12.02
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「信州から秋のたより」 ベランダだより 2019年12月 信州は松本、筑摩神社の境内の公孫樹の木です。さすがの大木ですね。 美しき 銀杏落葉を 仰ぐのみ 星野立子 こんな感じですかね、おや、木の下で銀杏を拾っている親子連れがいますね。銀杏の 一つ拾ひに 子の加勢 平畑静塔母と子と 拾ふ手許に 銀杏散る 高浜虚子 実を言うと、我が家の「愉快な仲間」松本支部カガククン家のチビラ4号ユナチャン姫とサキチャンママですね。ユナチャン姫は、そろそろ2歳ですね。ママと仲良く遊んでいる写真が届きました。ひとつづつ銀杏を拾ってくる動画なんですが、見ながらチッチキ夫人が悲鳴を上げました。「ああ、お洋服が臭くなって、とれなくなるよ!」 でも、何だか、動画の中のサキチャンママは平気そうです。指の匂いを、チビラちゃんと二人で嗅ぎ合って笑っています。はてな、と思っていると小包が届きました。 中にはきれいに処理された、たくさんの銀杏と、サキチャンママからのお手紙が入っていました。「筑摩産の銀杏でございます。しっかり実の部分がとれておらず、お陰で、よいかほりがするかと思いますが、お召し上がりくださいませ。♡」 長野県民は、こういうことは得意なんだ。いやー、おみそれしました。銀杏が小包で届くなんて、初めてです。うれしいですね。 少し煎って、皮をむくとうつくしい実が出てきます。この緑色を「翡翠」と詠んだのは森澄雄でしたかね。ぎんなんを むいてひすいを たなごころ 森澄雄銀杏の にがみは二つ 三つほどに 岸田稚魚 ちなみに、一緒に写っているのは、信州の「かりん」ではありません。団地の生垣に生っていた「かりん」の実です。こっちは、とてもいい香りですが、食べられるわけではありません。 こんな句もありました。かりんの実 天賦をとめの 薫りの実 中村草田男かりんの実 いつもそつぽを 向いてをり 田中芙美 松本では薪ストーブがあかあかとあたたかく燃えているようです。もうすぐ冬ですね。2019・12・01ボタン押してね!にほんブログ村
2019.12.01
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「2004年《書物》の旅(その8)」《三木成夫「内臓のはたらきと子どものこころ」(築地書館)》 人間の姿をどの方向から眺めると本当の姿が見えるのか。そんなことを考えたことはありませんか。自分の姿を眺めなおしてみるという言い方が、ある場合にはとても比喩的な表現だったりする。鏡を長い時間かけて眺めたからといって、そこに自分の姿を見つけることができるとは限りません。 二十世紀を代表するチェコのユダヤ人作家フランツ・カフカはデカイ甲虫になっている自分を発見する小説「変身」(新潮文庫)― 最近では人気のドイツ文学者、池内紀の新訳が白水社からUブックスシリーズで出ていますが、高橋義孝の旧訳と読み比べるのもいいかもしれませんね。これは短い小説だからすぐ読めます。― を書きましたが、彼の場合は自分に限らず世界の方も意味のよく分からない姿で現れてきていたらしいことを知ることができます。「城」(新潮文庫)とか「審判」(新潮文庫)とか、一度手にとってみるのも悪くないかもしれませんよ。 顔とか、しぐさとか、高校生や中学生の振る舞いが奇妙な出来事として話題にされはじめて久しいですね。鏡を覗き込んで顔や髪型の製作に余念のない子どもたちの姿に大人はビビっています。電車の中で自分の顔を相手にお絵かきしている二十代の女性にくたびれたサラリーマンが唖然としています。 その辺の世相を哲学的に語って人気者になった人に鷲田清一という阪大の先生がいます。とりあえずというなら「てつがくを着てまちを歩こう」(ちくま学芸文庫)あたりがお手ごろかもしれません。この人、見かけはダサいのに、著書の題名はシャレています。 この人の本では他に「じぶん―この不思議な存在」(講談社現代新書)が小論文の参考書にお薦め本としてよく出てきます。これを一読して、わかったと思う人は、かなり、おつむがいいとぼくは思います。自信のある人はどうぞ。ははは。 ところで、この本の出だしに、こんな一節があります。 さて、ノルウェーの高校の元哲学教師が書いた子供向けの哲学ファンタジー「ソフィーの世界」(ヨースタイン・ゴルデル=日本放送出版協会)がベストセラーになった。この本、一人の少女がある日、郵便受けに一通の差出人不明の手紙を見つけるシーンから始まっている。そこにはたったひとこと、「あなたはだれ?」とだけ書かれていた・・・。そういえばしばらく前には、『わたし探し』ということばも流行した。 が、これはなにも新しい問いではない。今からちょうど三十年前、1966年に、マーシャル・マクルーハンはテレビというメディアに関する講演の中で、つぎのように語っていた。「今日、精神分析医の病院の診断用の椅子は『わたしはだれなのか、おしえてください』とたずねる人々の重みにうめいている」と。 いや、十七世紀フランスのひとブレーズ・パスカルは、後に「パンセ」(中公文庫・前田陽一訳ほか)としてまとめられることになる紙片群の一つに、「わたしとはだれか?」という問いではじまる一文を書きつけていた。さらにさかのぼって、古代ギリシャのソクラテスもまた、デルフォイの神殿に掲げてあった「汝みずからを知れ」という神託をきっかけとして哲学的な反省をはじめたといわれる。「わたしはだれ?」という問いはほとんど哲学的思考の出現と同じくらい古い問いのようである。 十年前の本ですから、当時、爆発的に流行った「ソフィーの世界」も、『わたし探し』なんて流行語も、今の高校生諸君にとっては「ん?」という感じかもしれませんが、主旨は今でも通用するでしょうね。「わたし」は探され続けてきたのです。 さて、今日、案内したいのは、小説でも哲学でもありません。養老孟司でその仕事を世間の知る所となった解剖学という学問の、その養老先生の先生、三木成夫(みきしげお)という人の本です。東京芸大で芸術家の卵を相手に教えていた解剖学者が保育園の保育士さんや親たちを前にしての講演がまとめられた本、「内臓のはたらきと子どものこころ」(築地書館)です。《みんなの保育大学》というシリーズの一冊です。 「なんで?」といぶかる向きもあるでしょうね。「わたしと解剖学、何のカンケーがあるねん?」 まあ、そんな感じの疑問が湧いてくるだろうと思うわけですが、それが、大ありだということは読めば分かる。 たとえば、先にあげた鷲田清一はこんなふうにいっています。じぶんのからだ、などとかんたんに言うけれど、よく考えてみるがいい。わたしたちはじぶんのからだについて、ごくわずかなことしか知らない。背中やお尻の穴をじかにみたことがない。 これに対して、三木成夫はこの普通は見えない「からだ」について、塗ったり、描いたり、穴を開けたりしているつらの皮をひっぺがし、受精した卵の時から徹底的に切り刻んで、顔や口からお尻の先まで、何がどうなっているのか調べた人なのですね。 生物が何万年もかかって進化してきた痕跡を人間のからだの中に捜し、「こころ」がどこにあるか見つけた人なのです。 人間に「こころ」が生まれてくるプロセスを、生物としての形体から探ろうとした人といってもいいですね。 ちなみに、「こころ」は脳ではなく心臓にあるらしいですよ。決してはったりではありません。しかし、そうなると、「わたし」はどこにあるのか、またまた悩み始めることになるのでしょうね。 まあ、いつものことながら、あれこれ、いい加減なことをいうものだと疑う方は本書を捜してお読みになるといいですね。きっと「なるほどそうか!」にお出会いになると思いますよ(笑)。 三木成夫には中公新書に「胎児の世界」という名著もあります。こっちの方が手に入りやすいでしょう。子どもと出会う仕事をしたいと思っている人は、読むとうれしくなると思います。それは保証します。はははは。(S)追記2023・02・15 このブログで「案内」する本が古本屋さんの棚でしか手に入らない本ばっかりになりつつありますが、めげずにもうちょっと頑張ろうかなと思っています。少し、いや、やたらヒマな2月、3月に頑張って古い本のホコリを払ってご案内できればというようなことを考えながら。とりあえず古い案内のホコリを払っています(笑)。ボタン押してね!にほんブログ村生命とリズム (河出文庫) [ 三木成夫 ]胎児の世界 人類の生命記憶 (中公新書) [ 三木成夫 ]
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