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人間の姿をどの方向から眺めると本当の姿が見えるのか。そんなことを考えたことはありませんか。自分の姿を眺めなおしてみるという言い方が、ある場合にはとても比喩的な表現だったりする。鏡を長い時間かけて眺めたからといって、そこに自分の姿を見つけることができるとは限りません。ところで、この本の出だしに、こんな一節があります。
十年前の本ですから、当時、爆発的に流行った 「ソフィーの世界」 も、 『わたし探し』 なんて流行語も、今の高校生諸君にとっては 「ん?」 という感じかもしれませんが、主旨は今でも通用するでしょうね。 「わたし」 は探され続けてきたのです。さて、ノルウェーの高校の元哲学教師が書いた子供向けの哲学ファンタジー 「ソフィーの世界」(ヨースタイン・ゴルデル=日本放送出版協会) がベストセラーになった。この本、一人の少女がある日、郵便受けに一通の差出人不明の手紙を見つけるシーンから始まっている。そこにはたったひとこと、「あなたはだれ ? 」とだけ書かれていた・・・。そういえばしばらく前には、『わたし探し』ということばも流行した。
が、これはなにも新しい問いではない。今からちょうど三十年前、1966年に、 マーシャル・マクルーハン はテレビというメディアに関する講演の中で、つぎのように語っていた。「今日、精神分析医の病院の診断用の椅子は 『わたしはだれなのか、おしえてください』 とたずねる人々の重みにうめいている」と。
いや、十七世紀フランスのひと ブレーズ・パスカル は、後に 「パンセ」(中公文庫・前田陽一訳ほか) としてまとめられることになる紙片群の一つに、「わたしとはだれか ? 」という問いではじまる一文を書きつけていた。さらにさかのぼって、古代ギリシャの ソクラテス もまた、デルフォイの神殿に掲げてあった「汝みずからを知れ」という神託をきっかけとして哲学的な反省をはじめたといわれる。「わたしはだれ?」という問いはほとんど哲学的思考の出現と同じくらい古い問いのようである。
「わたしと解剖学、何のカンケーがあるねん?」 まあ、そんな感じの疑問が湧いてくるだろうと思うわけですが、それが、大ありだということは読めば分かる。
じぶんのからだ、などとかんたんに言うけれど、よく考えてみるがいい。わたしたちはじぶんのからだについて、ごくわずかなことしか知らない。背中やお尻の穴をじかにみたことがない。 これに対して、 三木成夫 はこの普通は見えない 「からだ」 について、塗ったり、描いたり、穴を開けたりしているつらの皮をひっぺがし、受精した卵の時から徹底的に切り刻んで、顔や口からお尻の先まで、何がどうなっているのか調べた人なのですね。
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