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綿井健陽「リトルバーズ- 戦火のバグダッドから」(晶文社) 2019年の春、どういう偶然なのか「イラク戦争」の内幕暴露映画を3本続けてみた。「記者たち」という映画を見たのは偶然だったが、見終えてみると、ぼくの中の何かに火がついた感じで、「バイス」、「バグダッドスキャンダル」と見ながら、思い出した。 綿井健陽ドキュメンタリー・ブック「リトルバーズ」 今から15年前、2004年のことだが、当時の高校生向けの「読書案内」でぼくはこんなふうに書いている。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 先日、体育館で観た『リトルバーズ』の監督、いや、報道記者といった方がいいのかもしれないが、綿井健陽について、朝日新聞が夕刊で連載している『ニッポン人脈記』のなかに紹介を見つけたのでココに載せてみます。 イラク戦争のさなか、幼い三人きょうだいが空爆で死んだ。その墓標に誰かが書いた「お父さん泣かないで。私たちは天国で鳥になりました」切ない言葉が、フリーのビデオジャーナリスト綿井健陽(わたい・たけはる)(33)の胸を突いた。 綿井は、2003年の開戦後1年半にわたってイラクを取材。膨大な映像から今年4月、戦火の中の家族を描くドキュメンタリー映画を作った。 題名は墓標から「リトル・バーズ(小さな鳥たち)」とした。 泣くのはいつも弱い者。そんな、戦争への怒りを込める。 開戦が不可避になっていた2003年3月11日未明、撤退を始めた日本の新聞、テレビと入れ替わるように、綿井は陸路バグダッドを目指した。 「爆弾を落とされる側」から報告したかった。 紛争地報道で実績はある。だが、いつにない不安に身を硬くしていた。バグダッドは真っ先に空爆の標的になるだろう。市街戦も予想された。 「無謀だろうか」揺れる綿井を、ベトナム戦争報道で名をはせた新聞記者の言葉が支えた。「一国の崩壊に立ち会えれば、記者冥利(みょうり)に尽きる。」 サンケイ新聞の近藤紘一(こんどう・こういち)。 1975年4月30日、南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)が陥落し、戦争が終わる。国外へ逃れる人々で恐慌状態の中、近藤はこの言葉を自分に言い聞かせ、現地からニュースを打電し続けた。綿井が3歳のときだ。 「【四月二十八日夕 サイゴン発】クレジットを打ったあと、しぜんに文章がでた。『サイゴンはいま、音をたてて崩壊しつつある。つい二ヶ月、いや一ヶ月前まではっきりと存在し、機能していた一つの国が、いま地図から姿を消そうとしている……』」(「サイゴンから来た妻と娘」=文芸春秋刊=から) 近藤はサイゴン特派員時代、ベトナム人と再婚し、妻の実家に転がり込んだ。妻も再婚で11歳の娘がいた。市場に近い下町での暮らしが、記事に「人のにおい」を吹き込んだ。妻子を連れて帰国、「サイゴンから来た妻と娘」で大宅壮一ノンフィクション賞を受けた。だが、86年に45歳で早世する。 綿井は長じて、戦争と人間を活写した近藤のルポに感銘を受ける。インドシナも訪ね、ジャーナリズムの世界に導かれていった。 2003年3月20日未明。米軍の空爆で戦争は始まった。米地上軍がバグダッドに迫る。市内から警官が消えた。制服を脱いで一般市民にまぎれたのだ。大統領宮殿が制圧された4月7日、綿井は中心街の広場から日本のテレビに向けて中継リポートをした。「フセイン政権がいま、音をたてて崩壊しつつあります」ここ一番の場面で使ったのは、28年前の近藤の言葉だった。 開戦時、バグダッドには約20人の日本人フリーランスがいた。綿井と同じホテルに村田信一(むらた・しんいち)(41)がいた。炎上する大統領宮殿に向けてシャッターを切った。元自衛官。最前線で銃撃戦を撮るのが生きがいだった。いつしか「撃った撃たれたは戦争の一部」だと気づく。銃後にも膨大な光景があるのだ、と。 村田の脱帽する一枚が、米UPI通信の酒井淑夫(さかいとしお)(99年没)がベトナムで撮った「より良きころの夢」だ。酒井は繊細だった。「無残な死体や、瀕死(ひんし)の負傷者がどうしても写せない」と悩んだ。一歩引いた目線で本領を発揮する。砲撃のやんだ雨期の戦場、つかの間の眠りに安らぐ米兵の写真は、68年にジャーナリズム界最高とされるピュリツァー賞を受賞した。ベトナム戦争が終わって30年。「泥と炎」と形容された戦場から、報道写真やドキュメンタリーの多彩な群像が生まれ出た。(ニッポン人脈記・2004・朝日新聞) ジャーナリストはその現場に何故行くのか、という問いにはいろいろな答があるでしょう。しかし彼らがそこでしか写す事のできない映像や写真、あるいは、そこで実際に見て書かれた記事や打電された電文の中で真実を伝えようとしてきたことは共通しているに違いないと思います。 『リトルバーズ』というフィルムを構成している映像は、文字通り命がけの現場で撮られたものです。『あなたはここに何をしに来たんだ。』という、破れかぶれな質問をアメリカ兵にぶつけるカメラマンの発言には、ミサイルが撃ち込まれた現場に一緒にいて、そこにいる人たちの姿をを見てしまった人間のこらえきれない怒りを感じたのは、ぼくだけではないと思います。 歴史の現場での真実を求める情熱、崩壊する国家の姿を報道するというヒロイズム。それだけではこのこの発言は生まれないし、この映画もできなかったのではないでしょうか。 ぼく達の前に差し出されたあの映画は『どうしてこんなことを』という怒りと哀しみを表現しているとボクは思いました。それは、社会が報道に求めているとされる客観的事実性を超えた、主情的、主観的な問いかけとして迫ってきました。「正義のミサイルが他でもないこの子供たちの上に撃ち込まれたことをどう考えますか?」 戦争という現場を向こう側から見てしまったに違いないカメラマン綿井健陽が、そう問いかける厳しさをぼくは受け取りました。そして、あなたに問かけたいと思いました。「あなたはどう考えますか」 アメリカから戦車に乗ってやってきたあなた。 異国の食事に驚いて笑顔をふりまいている自衛官のあなた。 学校の体育館でこのフィルムを見ているあなた。 TVが戦争を実況中継し、ミサイルの軌跡を打ち上げ花火のように眺めるようになった現在、ミサイルが破壊するものがなんであるのか、想像力の真価が問われているのではないでしょうか。 あのフィルムのブック版として出版されたのが、この「リトルバーズ-戦火のバグダッドから」(晶文社)です。 本の中でも、戦場の哀しい家族や少女の瞳が印象的です。綿井がいのちがけで写真にとらなければ、我々はこの表情を見ることができないのです。もちろん、見て何を考え、何をするのか。我々自身の問題です。 ページを繰るたびに少女の眸は問いかけてきます。「あなたはどう考えますか?」 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 脅しのような問題提起をしながら、ぼく自身が何をしたのか。その後の暮らしを振り返ると、ほとんど批判を免れない体たらくです。しかし、あの「アルカイダ=ビン・ラディン」ウォンテッドに始まる「イラク侵攻」騒ぎが、当時の高校生たちにとって「海の向こうで戦争が始まる」他人事だったことにいら立ちながらの案内でしが、自分自身の中にも何かをため込んでいたようです。 「イラク侵攻」ペテンシリーズ第4弾は、思い出の「リトル・バーズ」でした。週刊 読書案内 綿井健陽「リトルバーズ 戦火のバグダッドから」(晶文社)2019-no22-233 発行所 The astigmatic bear`s lonely heart club 発行日 2019/04/30追記2020・02・06「イラク侵攻」ペテン師シリーズ第1弾「記者たち」・第2弾「バイス」・第3弾「バグダッド・スキャンダル」はタイトルをクリックしてみてください。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.30
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佐藤泰志「海炭市叙景」(小学館文庫) 2010年に映画になりました。残念ながら見ていませんが、監督は熊切和嘉。帯の写真は映画の写真からとられているようです。 この小説がとてもいい小説だと、上手に伝えられたらうれしいと思って書き始めました。ある作品がいい作品かどうかなんて、学校の国語の時間にはもっともらしく解説されるのですが、本当はそんなことは、読んだ人が決めればいいことであって、客観的にいい作品なんてものはあるんだろうか。教室でかたる仕事をしながらいつもそんなふうに感じてきました。 それにしても、この小説がいい小説だと上手に言うことが出来れば。というのは、読み終わった人の多くはどちらかというと暗くて哀しい印象に捉われるだけかもしれない、そんな小説だからです。 その上、この作品は未完です。佐藤泰志という作家はこの連作小説を短編小説のように雑誌に掲載していたのですが、書き終えることなく、自殺してしまったらしいのです。それが1990年の10月のことで、もう20年以上も前のことです。彼は何度か芥川賞の候補として名が出た人であるらしいのですが、それも、もちろん1980年代のことです。 ところで、人というものはどこからかはわからないけれども、この世に投げ出された存在であるという考え方があります。この小説は、人という生きものが、投げ出された存在である自分というものと格闘しつづける姿を書き綴った作品でした。 この案内を読んでくれる人たちの中で、お正月の朝、二人の全財産がポケットにある230円ポッキリだという、27歳の兄と21歳の妹という境遇を想像できる人はいるでしょうか。それが「まだ若い廃墟」という最初の小説の設定です。 妹は兄が389メートルの山を歩いて下りてくるのを、ふもとの待合所で待ち続けています。なけなしの所持金をはたいて、初日の出を見に登った展望台のロープウエイの帰りの料金が、一人分、足りなかったのです。 帰りのロープウエイに乗るとき、兄は残った小銭でキップ一枚しか買ってこなかった。どうしたの、とわたしはその理由を知っているのに、きかずにいられなかった。百も承知だ。兄は前歯を覗かせて笑い、ズボンのポケットから残りのお金を出し私の手に渡した。 一時間待ち、二時間待ち、三時間待ち、とうとう六時間になろうとしている。時間はだんだん濃密になる気がする。なんということだろう。 女が売店の少女に、「この人、頭が少しおかしいわ」と聞こえよがしにいっていた。「厭になっちゃう」少女は大声を出した。「そうでなくったって、元旦から仕事に出てきているっていうのに」あやまらない。誰にもあやまらない。たとえ兄に最悪のことがあってもだ。兄さん、私はあやまらないわよ。もしも、どこかで道に迷いそこから出てこれなくなったのだとしたら、それは兄さんが自分で望んだ時だけだ。 街を見下ろす展望台のある山の中で遭難死した、貧しい青年を巡るエピソードでこの連作小説は始まります。街の中の、どこにでもある哀しい話が、季節のめぐりとともに書き継がれ、秋の始まりに作家自身が描き続けてきた「投げ出された生」に耐え切れなくなったのではと考えさせるような絶筆となりました。 あやまらない。だれにもあやまらない。たとえ兄さんに最悪のことがあってもだ。 つぶやき続けて待合室のベンチから立ち上がれない二十歳を少し過ぎた女性の姿を思い浮かべながら、読者の僕にはとめどなくわきあがってくるものがあります。 そして、うつむきながら、小説に向かって、こんなふうにつぶやいている自分を発見することになるのです。 「うん、あやまる必要なんかないよ。」 やはり、うまくいうことができませんね。今では、もう古い作品かもしれませんが、「お読みいただければ・・・」そう思います。(S)追記2020・01・10同じ作家の「きみの鳥はうたえる」(河出文庫)の感想はこちらをクリックしてみてください。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.30
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フィリップ・ド・ブロカ「まぼろしの市街戦 Le roi de coeur」元町映画館no5 元町映画館とか神戸アートヴィレッジセンターの企画で、時々やってくれる古い映画の再上映。デジタル・リマスター版という言葉の意味もよくわかっていないが、うれしいですね。 この日は一日に三つもすることがあって大変でした。須磨の高倉台で一つ目の用事を済ませて、JR須磨海浜公園まで徘徊。兵庫駅からアートヴィレッジまで再び徘徊して「マクベス」のお勉強会に参加。元町映画館まで歩いて、午後7時20分のブザーに無事着席。ペットボトルのお茶で一息ついていると劇場が暗くなりました。 「まぼろしの市街戦」が始まりまりました。 第一次大戦、だから1910年代のヨーロッパです。フランスの小さな町のようですね。ドイツ軍のヘルメットはこのころから同じスタイルです。街では戦況危ういドイツ軍が時限爆弾を仕掛けて、撤退の準備をしています。 占領されているフランス領土の解放にやってきたのはスコットランド軍です。例のスカートをはいていますね。もうそれだけで笑いそうになるのですが、スクリーンの中の人々は懐かしい喜劇特有のドタバタ歩きをしているのが、なんともいえずおかしいですね。 成り行きで爆弾解除を命じられたのが通信兵ブランピック(アラン・ベイツ)。通信兵とはいううものの、要するに伝書鳩の飼育係が、最も危険な任務、「アホかいな」と叫びそうになるお仕事をやらされているところが不可解至極です。 いやいや、そういう映画なのでした。街に入ったブランピックはドイツ軍と遭遇してドタバタ。わけのわからない通信文を伝書バトに託し、ほうほうのていで逃げ込んだ先が精神病院(?)というわけでした。 ドイツ軍の爆弾騒ぎで人っ子一人いなくなった街に、ゾクゾク繰りだしてくる狂気の人々。いったいどこにこんなに大勢の人がいたんでしょうね。 教会で礼服を手に入れた司祭、入念に化粧しエロティックに着飾った娼婦たち、きどった公爵、パスし続けるラガーメン、ブンチャカ楽しい楽隊。ハートのキングをひいて王様になった男だけが、気もそぞろのようすです。 サーカス、戴冠式、記念撮影、パーティー、乱痴気騒ぎ、あれこれ、これ荒れ、何がないかわからないカーニバル状態、もちろん壁の模様はすべてハートですよ。 檻から出ようとしないくせに、やたら咆哮するライオンもいれば、街角をうろつきまわる熊もいます。オジサンととチェスをするチンパンジー、こっちを向いて立っているアフリカゾウ。ラグビーボールがパスされて、美少女が綱渡りをしています。あどけない娼婦は王様に恋していて、こちらでは、将軍だか元帥が奪い取った装甲車を陽気に乗り回しています。 一つ一つのシーンがバカバカしくて、で、陽気で、なぜか美しい。素晴らしき「阿呆たち」。いつかどこかで見たことがある、そんな気分を煽り立てています。 正気といえばいえないこともない、王様で通信兵のブランピックですが、彼は彼で、成り行きまかせと偶然の大活躍。時限爆弾は解除され、花火が乱れうちのように打ち上げられて、カーニバルは最高潮に達します。 花火を爆発だと思い込んで、戻ってきたドイツ軍。バグパイプを鳴らしながら進駐してきたスコットランド軍。二つの軍隊が正面対峙し、互いの銃が連射される。双方の兵士たちは次々に倒れ、死者の山が築かれていく。 目の前で繰り広げられた「狂気」にシラケた「狂気」の人々は、きっとこう思ったに違いないでしょう。「俺たちの芝居に比べて、お前たちの芝居はやりすぎだ!気が狂っているとしか思えない。付き合いきれない。」 とうとう、王様役だったブランピックに向かって、恋人役の美少女コクリコがこういいます。「帰るところに帰りなさい。」 別れの言葉を残して、陽気で夢見る人々は鉄格子の錠前を自らおろし病院の中へ去ってゆきます。 軍に復帰し、勲章をもらい、最前線を命じられ、軍服に身をかためたプランピックを乗せたトラックが、ずっと向うの戦場に向かって去ってゆきます。映画はあっけなく終わりました。 と、トラックの去った街角から、銃を捨て、ヘルメット捨てながら走ってくる男がいるじゃあありませんか。病院の鉄格子の前にたどり着いた彼は素っ裸ですよ。その「狂気」の男を修道女はにっこり笑って受け入れるのです。 通信兵ブランピックは修道院へ戻り、再びハートのキングの生活が始まりましたとさ。 スクリーンが暗くなる。思わず拍手!そういう気分ですね。元町映画館の企画にも拍手!映画館を出ながら、顔なじみの受付嬢と目が合いました。「よかったでぇ、明日も来るし。」「ありがとうございます。」 外に出ると商店街は暗くて、不思議な文字の垂れ幕が薄緑色に浮かんでいた。「令和てなんやろ?だれが、正気なんかわからん時代が始まってノンかな?えらいこっちゃなあ。はよ帰ろ。」 帰って調べてみると、原題の「Le roi de coeur」はトランプカードの「ハートのキング」。映画を見ていて、このままの方が「題名」の意味はよくわかるような気もしましたが、邦題というのは、まあ、そういうもんなんでしょか。 監督 フィリップ・ド・ブロカ 製作 フィリップ・ド・ブロカ ミシェル・ド・ブロカ 原案 モーリス・ベッシー 脚本 ダニエル・ブーランジェ フィリップ・ド・ブロカ 撮影 ピエール・ロム 音楽 ジョルジュ・ドルリュー キャスト アラン・ベイツ(プランピック) ピエール・ブラッスール(ゼラニウム将軍 ) ジャン=クロード・ブリアリ(公爵 ) ジュヌビエーブ・ビヨルド(コクリコ ) アドルフォ・チェリ フランソワーズ・クリストフ ジュリアン・ギオマール ミシュリーヌ・プレール ミシェル・セロー 原題「Le roi de coeur」 1967年 フランス 日本初公開 1967年12月16日 上映時間 102分 2019・04・25・元町映画館no5にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.29
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折口信夫 生誕の地 石碑 徘徊日記2018年6月1日(木) 大阪浪速区あたり 大阪市浪速区「鴎町公園」に「折口信夫生誕の地」の碑があります。 ほい駕籠を 待ちこぞり居る 人なかに おのづからわれも 待ちごゝろなる 芦原橋でJR環状線をおりて、迷いながら見つけました。大阪の、いや、浪速の空気が充満していました。 公園のある界隈から、今宮戎とか通天閣とか、行き当たりばったりで、うろうろして、最後は難波の近鉄の駅の売店でクリームアンパンをお土産に買ってきました。あんことクリームといっしょの、いかにもミナミという感じの菓子パン。働いている同居人へのいいわけです。 大阪のミナミは、本当に久しぶりでした。(2018/06/01)追記2019・04・29 徘徊老人デビューの懐かしい記事です。一年近くが経過しましたが、それからも、大したところに行っていません。 出かけることの楽しさは、どんなふうにブログを書けばいいかなという気分とセットになってきました。まあ、主人公であり書き手であるという、暇だからこその楽しみですね。 さて、街角探索。今年はどこに出かけようかな?追記2020・04・19 徘徊老人デビューから二年経ちました。街には新コロちゃんウィルスが跋扈しています。二年前には想像もしなかった事態が蔓延して、社会は右往左往しているによう見えます。徘徊老人にも、決して他人ごとではありません。 煙草を常習し、日々のお酒もきちんと服用している65歳は、罹患すれば、かなり危険なウィルスのようですが、だからといってこうすれば大丈夫という方法は誰も教えてはくれません。 思いたったのは近場の徘徊です。徘徊先に人がいないことという条件で思いついたのが「墓場」でした。垂水の丘の上には大きな墓苑があります。広大な敷地を小一時間うろついても誰にも会いません。 偶然目にした帝国海軍水兵長の石塔には、大正末年の出生日と昭和20年7月25日という命日だけが記されていました。 石段に腰掛けてタバコを喫いました。当分、この徘徊が続くでしょう。 ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.29
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ペール・フライ「バグダッド・スキャンダル」元町映画館no6 神戸の元町映画館は毎週金曜日がプログラムの最終日です。で、今週、この映画館で見たいと思っていた映画が三本ありました。 「審判」、「まぼろしの市街戦」、そして、この「バグドスキャンダル」です。 「まぼろしの市街戦」は木曜日の夜の19:20分開始を、頑張って見ました。さあ、最終の金曜日です。朝からの二本立ては、やっぱり、挫折!シマクマ君的「イラク侵攻」ペテンシリーズ第三弾「バグダッドスキャンダル」12:50開始。これで決まりです。 スクリーンにビルが立ち並んでいます。うーん、これはニューヨークなのでしょうね。高層ビルの入り口に一人の青年がいて、ガラス張りの建物の中に入ってゆきます。 「初めて見る顔ですが、男前ですなあ。」 彼は転職を希望しているらしく、夢は国連外交官のようです。5歳の時に死に別れた父親の仕事を追いかけているらしく、いわゆる「ビルドゥングス ロマン」の始まりのようです。「マイケル・サリバン(テオ・ジェームズ)の修業時代」の始まりというわけです。 マイケルを国連に引き入れるのが、父の同僚だった事務次長ベン・キングズレー演じるコスタ・パサリスという人物です。「うーん、どこかで見たことがあるなあ。」 調べてみると映画「ガンジー」の、ガンジーでした。下の写真の人ですね。いやはや、本当に同じ俳優ですかね?(笑) 彼はサダム・フセインのイラクがクウェートに侵攻したことい対する経済制裁下での、国連による人道支援を取り仕切っている男という役柄です。で、200億ドルという大金が動く、そのプロジェクトの特別補佐官としてイラクへ向かうのが、マイケルの初仕事でした。 そこで出会うのが現地事務所のやりて女性所長デュプレ。このプロジェクトを批判していたパサリスの政敵です。 写真をよーくご覧ください。この方がなんと、あのジャクリーン・ビセットだとおわかりでしょうか。もちろん現在の74歳のお顔です。ボクとか、学生時代でした。映画館に通っていたあの頃、だから1970年代ですが、そのころにはセクシー・アイドル女優だった、あの人です。スティーブ・マックイーンの主演した「ブリット」のヒロインだったあの人です。下の写真の方ですね。まあ、ぼく自身は格別あこがれたわけではないのですが、人気があったことは事実です。うーん、今の人は知らんか? で、映画に戻ります。マイケルが出会う、もう一人の女性がナシームという現地通訳です。実はクルド人の反フセイン闘争のスパイです。ベルシム・ビルギンという女優だそうですが、この人は知りませんでした。 結果的にいうと、国連外交官というマイケルの夢は成就しません。原題が「Backstabbing for Beginners」とあるのですが、「初心者をだます奴」とでもいう意味のようですね。マイケルをだましたのは「ガンジー」か、「ジャクリーン・ビセット」か、はたまた「クルド人の女スパイ」か。 そのあたりのサスペンスが、なかなか面白いし、筋運びもオーソドックスです。錯綜した現実の中、成長途上の青年のピュアな失恋も悪くなかったです。にもかかわらず、スクリーンが暗くなって明かりが点灯したときに、思わずため息が出た。「あーあっ、国連も金まみれかよ。チェイニーが宝の山を見つける前哨戦を見せられてもなあ。」 「インチキなイラク侵攻」シリーズ第三弾でした。結果、アメリカも国連も、尻馬に乗ったどこかの国も、どいつもこいつもカスという結論でした。金に群がった百何十社の中にどこかの国の企業も名を連ねているに違いないし、気分が悪くなるような話がもっとあるのでしょうね。 何となく元気が出ないまま、商店街に出て、見上げると「令和」の大きな垂れ幕です。ますます気分が載らないので南に出て、西に向かって歩き出す。「センセー!」 ママチャリに乗った、ちょっと見はおばちゃんふうの女性が手を振っています。こんなところで、誰かに手を振ってもらうなんてめったにないことです。ちょっとたじろいで、ジーっと様子をうかがっていて、ようやく思い出しました。神戸の地震の前の年に高校を卒業して、東京に進学した女性です。「おー、シッカリ者のゆみこさん。こんなとこで何してんねん?」「トーキョー行って、ホラ、マキユウスケ、気流の鳴る音、センセーが教えてくれた。んで、文化人類学が面白そうで、オキナワ、ホントは、イシガキやけど、行って、今は、そこの小さな出版社。クトウテンっていうとこにおるの。」 路上で小一時間、ウダウダ、ウダウダ、立ち話でした。今買ってきたばかりという「スイミー牛乳店」のヨーグルトまでいただいて、またね! を約束して別れました。 「今日は映画みてよかった。元号イヤで、道かえてよかった。こういう日もある。捨てたもんやない。」 監督 ペール・フライ Per Fly 製作 ラース・クヌードセン ニコライ・ビーベ・ミケルセン ダニエル・ベーカーマン マリーヌ・ブレンコフ 原作 マイケル・スーサン 脚本 ダニエル・パイン ペール・フライ 撮影 ブレンダン・ステイシー 美術 ニールス・セイエ 衣装 ルース・セコード 音楽 トドール・カバコフ キャスト テオ・ジェームズ(マイケル・サリバン) ベン・キングズレー(コスタ・パサリス) ベルシム・ビルギン(ナシーム・フセイニ) ジャクリーン・ビセット(クリスティーナ・デュプレ) ロッシフ・サザーランド レイチェル・ウィルソン 原題「Backstabbing for Beginners」 2018年 デンマーク・カナダ・アメリカ合作 106分 2019・04・26・元町映画館no6追記2020・02・06「インチキなイラク侵攻」シリーズ第一弾「記者たち」・第二弾「バイス」・第四弾「リトル・バーズ」はそれぞれクリックしてみてね。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.28
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ルーファス・ノリス 「マクベス」神戸アートヴィレッジ 映画com すっかりおなじみになってきたナショナルシアター・ライブ。今回はオリヴィエ劇場という、たぶん大きめのホールの映像。演目はシェークスピア悲劇の定番です。 シェークスピア戯曲「マクベス」演出:ルーファス・ノリス 流石のぼくでも話の筋は知っているわけで、その上、アートヴィレッジが開催している「シェイクスピア演劇の面白さとマクベスの見どころ」というカルチャーにまで参加して、おベンキョーした上での鑑賞だったから・・・ いつものように、解説と紹介の映像が流れて、「核戦争後の世界」として設定された時間に「マクベス」が登場するという、まあ、歴史に縛られない、今風といえば、そういえる演出らしいですね。 大きな橋のような装置が目を引いて、魔女がやってきます。いつの時代でも魔女はでてくるのです。でも、ちょっと派手かな?「Fair is foul,and foul is fair,」「きれいは、きたない。きたないは、きれい。」 聞きたかったこのセリフを、魔女たちが、どこで言ったのか聞き取れませんでした。字幕なんか見てたって、耳に届かない、いや耳が届かない音はしようがないのです。英語ができないのに英語の芝居を見るのはつらいものです。言葉の不自由を実感します。お芝居の面白さというのは、意味じゃなくてそこに現れる世界を身体で感じることだとは思うのですが、その世界が遠いことを痛感します。 舞台の人物たちは、あたかも内戦を戦っているゲリラ兵のようないで立ちです。そういう服装のマクベスとマクベス夫人の語り合いが始まります。 眠い。参った、文字通り「劇場でお昼寝」になってしまいそうです。。気持ちがついていきません。舞台の上の「マクベス」が、妙に線が細くて頼りない男に見えるんです。 設定された舞台とシェイクスピアの「ことば」が紡ぐ世界に素直に入っていくことができません。「なんか、ズレてへんか。マクベスって、こんな男やった?」 そんな疑問が、しきりに湧いてきます。 手に染み付いた血をこすり落とそうとする、マクベス夫人の演技は印象的です。しかし、破滅する「悪」というより、リアルに「弱い人間」の不幸を感じてしまうんですよ、見ていて。「そうなんかな?なんか、チガウ気がするなあ。」 「男性」や「男の子」役の女性俳優の起用、体に障害のある俳優、そのほかにも現代的な演劇の演出の工夫はあちらこちらにあります。ビニール袋の生首も、ガムテープで張り付ける鎧も、きっとそうなんでしょうね。ビニールかなにかを仙台の七夕の飾り付けのようにたくさん垂らして背景化した森の視覚効果も面白いんです。 中でも、身体から首を切り落とし、頭のない死体をころがしたまま、切り落とした生首をささげる工夫は、俳優の頭はどうなっているのか、思わずも一度舞台を見つめなしました。。 そういう工夫、それも舞台の面白さなのですね。 そういえば、先日見た映画「バイス」の中でチェイニー夫妻が突如シェークスピアのセリフを語り合うというシーンがありました。アメリカやイギリス、英語文化の中の人たちにとってのシェークスピアは、どうも、うかがい知れない広さと深さがあるようなんですね。 シェークスピアのことばのリズムや抑揚は、おそらく、イギリスの人たちにとっても古い言い回しだと思うのですが、現代を模した戦場で響き渡るセリフとして、イギリスの舞台の中の観客は、当たり前として受け入れているようです。 こちらでいえば、江戸時代の初めころの、たとえば「曾根崎心中」という人形浄瑠璃や「忠臣蔵」とかの歌舞伎のセリフが、そのリズムや抑揚も維持されたまま、現代演劇として上演されることは、日本では、ちょっと考えられません。 パロディかなにかのようになってしまうようなイメージしてしまいます。もちろんイギリスにも古典的な舞台はあるのでしょう、でも、彼らにとっての「文化としてのシェークスピア」は、もう少し「今」に浸透しているのでしょうね。そういう感じの興味をボンヤリ考える舞台でした。「ええっ?結局、おもろなかったん?」「まあ、そういうことかな?マクベスとかの長い台詞についていけんかったというのが正直な感想かな?でも次はイアン・マッケランのリア王やから。」 「今回もロリー・キニアって、有名な俳優やろ。」「でも、よう知らんからええねん。」「なんや、それ!?」 なんというか、現代イギリスの舞台感覚に敗北という印象の舞台でした。 演出 ルーファス・ノリス 作 ウィリアム・シェイクスピア キャスト ロリー・キニア (マクベス) アンヌ=マリー・ダフ (マクベス夫人) 原題「National Theatre Live: Macbeth」 2018年 イギリス オリヴィエ劇場 160分 (2019・04・24・アートヴィレッジ)ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.28
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アダム・マッケイAdam McKay「バイスVice」シネリーブル神戸「あかん、終わってしまう。」 先週「記者たち」(感想はここをクリック)を観て、これも観るぞ、と気合を入れたイラク侵攻ペテンシリーズ第二弾。(まあ、ぼく的に、ですが。)題名は「バイス Vice」。 副大統領のことをバイス・プレジデントというそうだが、あの時のチェイニー副大統領とか、ラムズフェルド国防長官とか、インチキ臭い連中が何をしたのか、題名のもう一つに意味は「悪徳」。 罪のないイラクの人々の命を何万と奪って、アメリカの石油会社がイラク石油の利権を手に入れて、詐欺まがいの金儲けをして、その裏でこっそりリベートをポケットに入れたやつ、儲けたやつがいた。そいつが「バイス」だ。 今や、全部バレていて、アメリカではだれもが知っている。尻尾を振って、憲法をうやむやにした総理大臣は誰だったっけ。この国では、誰も彼の責任は問わない。「観るぞ!バイス!」 バスに乗ろうと、焦って家を飛び出して、予約番号を書いた紙を忘れていた。大慌てでUターン。も一度駆け出して高速バス。「うーん、このドタバタぶり!」 大汗もようやく引いて三宮。シネ・リーブルは今週二度目か?今日も、それほどお客さんはいない。 9・11の大混乱の最中、一人だけ「チャンス」だと感じているらしい、あのチェイニー副大統領の姿から、映画は始まった。 画面は、どこかなんてわからないけど、アメリカの田舎に「ダメにーちゃん」がいるところへ切り替わる。しっかり者の彼女と、電柱にぶら下がっている青年。そこから始まる。 どうしてそうなっていくのかはともかく、なぜか、なり上がっていくこの青年。グレードアップするにつれて、今でも覚えている悪人顔、あの副大統領チェイニーに似てくる。妻のリンは、ヒラリー・クリントン似てると思ったが、そのほか、周りに現れる国防長官ラムズフェルド、大統領ジョージ・W・ブッシュ、補佐官ライス、国務長官だったコリン・パウエルまで、「喜劇」的に似ている。 それぞれに「からかいの強調点がある」らしく、ブッシュに関していえば、「間抜け野郎」のイメージが強調されている。そんなに知っているわけではないから、ゲラゲラ笑えるわけではないが、アメリカの人は笑うに違いない。 もっとも、この映画で工夫されている、映画を映画の中で、何度も終わらせるという手の込んだ演出も、わざとらしいナレーションも、デフォルメされたマイナス・イメージも、これらの政治家たちが笑って済ませられることをしたわけではないという、アメリカ人の怒りを反映しているに違いない。 映画で笑われている政治家の多くは、まだ生きている。日本の映画にはできない表現の過激さがうらやましい。戦争をダシにして権力を握り、金儲けをした奴なんて笑われて当然なんだという共通の意識が社会にあるに違いない。 ぼくが一番笑ったのは、ブッシュを演じていたサム・ロックウェルという俳優さんが、ファイターのおばさんがとことんやるあの映画、「スルー・ビルボード」でプッツンの警官をやっていた人だと気づいた時だった。「ホント、ようやる!」 監督 アダム・マッケイAdam McKay 製作 ブラッド・ピット デデ・ガードナー ジェレミー・クレイマー ウィル・フェレル アダム・マッケイ ケビン・メシック 脚本 アダム・マッケイ 撮影 グレイグ・フレイザー 美術 パトリス・バーメット 衣装 スーザン・マシスン 編集 ハンク・コーウィン 音楽 ニコラス・ブリテル 特殊メイク グレッグ・キャノン キャスト クリスチャン・ベール(ディック・チェイニー) エイミー・アダムス(リン・チェイニー) スティーブ・カレル(ドナルド・ラムズフェルド ) サム・ロックウェル(ジョージ・W・ブッシュ) タイラー・ペリー(コリン・パウエル) アリソン・ピル(メアリー・チェイニー ) 原題 「Vice(悪徳)」2018年アメリカ132分 2019・04・22・シネリーブル神戸(no3)ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.27
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ロブ・ライナー 「記者たち Shock and Awe」シネリーブル神戸 2019年、春。四月の二週目に入って、映画館が遠くなってしまった。咲き始めた団地の桜や芽吹いてくる木々に気を取られていたこともあるのですが、徘徊生活二年目の億劫な倦怠感が、もう一つの原因ですね。 「ヤレヤレ、どこに出かけようの毎日がまた始まるなあ・・・」 これではいかんと気を取り直して、たどり着いたのがシネ・リーブル神戸です。 観たい映画はロブ・ライナー「記者たち」でした。アネックスという大ホールでの上映です。とはいいながら客は少なくて、予約でど真ん中を選んで座ってみると、なぜか、少ない客が周りに群がって集まっています。「これはいかん」と小さな群衆から前の方へ逃げ出して、ほっとしてポットのコーヒーで一休みです。 ロブ・ライナーといえば、ぼくの中では「スタンド・バイ・ミー」ですかね?アメリカの60年代の青春を描いた好きな映画ですね。主題歌(?)も好きです。今回は「イラク侵攻」の内幕を暴いた社会派ドラマのはずです。チラシを読みなおして、ご機嫌を直していると、暗くなって、映画が始まりました。 画面で車椅子で軍服姿の黒人青年が証言しています。公聴会のようです。なぜか、画面で静かに話している人物の声が聞き取りにくいので気付きました。誰もいないはずの後ろの席からシャガシャガ、シャガシャガ菓子袋の封を切る音が響いていたのです。 「エッ、なんで?」 ちょっと後ろをうかがうと、暗くなってから入ってきた人が座っているらしい。 「なんでやねん!こんな広いホールで、一人ぼっちの席選んだのに。そこに座らんでもええやら。いやがらせか!」 どうしたことか、シャガ、シャガが止まりません。しばらくイライラしながら辛抱していましたが、我慢できなくなって「指定席なんて言ってられるか(いや、もう移ったやろ、一度)」と、再び席移動です。ああ、スクリーンの正面からどんどん遠のいていきます。 ヤレヤレ・・・ ようやく落ち着いて鑑賞再開です。映画は堅実で丹念に作られていました。志願してアフガニスタンからイラクへと転戦した兵士。事実を追い続ける小さな新聞社の編集部。「奇をてらう」という感じのシーンは全くない。そういう印象の作品でした。 柳沢協二という、自衛隊イラク派兵を統括した人が書いた「検証 官邸のイラク戦争」(岩波書店)という本がありますが、その中でこんなことを言っていたことを思い出しました。 一般に民主主義国家の戦争は、議会の明確な支持を条件としている。日本においても、防衛出動や海外派遣に対する国会承認の制度がある。だが、議会や国民に提示される情報は、政府が提示したい情報に限定される。意図的かどうかは別として、偏った情報を前提とすれば、議会のチェックは形骸化する。私の経験から言っても、政府による危機管理は、すぐれて政権の危機管理であり、政権の判断を正当化する方向性を持たざるを得ない。それゆえ、情報の偏りをただすメディアの責任は重い。 「記者たち」とは、「ナイト・リッダー」という、小さな新聞社の編集部にいる人たちであり、その家族たちです。彼らはあきらめないし、なんといっても、プライドを捨てない。 「ワシントン・ポスト」、「ニューヨーク・タイムス」といった大手のメディアは「大量破壊兵器の存在」という事実無根の大統領発言を検証することなく、「正義の戦争」を支持する報道を続けています。「アフガニスタン空爆」から「イラク侵攻」へと「アメリカ・ファースト」を演じることで、9・11に対する大衆的憎悪に乗じたブッシュ人気を、結果的にはメディアも煽っています。それは、この戦争を支持した、ぼくたちのこの国の政府も同じです。 その中で、執拗に事実を探り続け、すべてが終わった現在からみれば、特ダネ中の特ダネである「イラク疑惑」を暴くのです。しかし、結果的に戦争は遂行され、志願した青年は両足を吹き飛ばされて、やっとのことで帰国した現実があります。 この作品は「戦争」に対してはっきりノー!を主張していると感じました。監督のロブ・ライナーは編集長として事実究明を指示し、戦争報道のプロ「宇宙人ジョーンズ(トミー・リー・ジョーンズ)」と二人で、若い記者たちをフォローし、激励する役を演じているし、若い記者の一人は「スリー・ビルボード」の署長だったウッディ・ハレルソンですが、ちょっと武骨で、へこたれないタフな感じがいいですね。 中でも、心に残るセリフがありました。「アフガニスタンがどこにあるのか知っているの?」 大衆的盛り上がりの中で、「かっこいい!」を求めて、戦争に志願しようとする少年、映画の冒頭、車椅子に乗って登場した青年ですが、彼に向かってと諫めようとする母親の、このセリフに、ロブ・ライナーのこの映画に込めた、まともなメッセージが響いていて、印象に残りました。 「こうなったら「バイス」も見んとなあ。」 明るくなったホール、さっきの席の後ろには、もう、誰もいませんでした。 「イラチで、行儀の悪いやっちゃなあ。さあ、神戸駅まで歩くか。」 監督 ロブ・ライナー Rob Reiner 製作 マシュー・ジョージ ロブ・ライナー ミシェル・ライナー エリザベス・A・ベル 脚本 ジョーイ・ハートストーン 撮影 バリー・マーコウィッツ 美術 クリストファー・R・デムーリ 衣装 ダン・ムーア 編集 ボブ・ジョイス 音楽 ジェフ・ビール キャスト ウッディ・ハレルソン(ジョナサン・ランデー) ジェームズ・マースデン(ウォーレン・ストロベル) ロブ・ライナー(ジョン・ウォルコット) ジェシカ・ビール(リサ) ミラ・ジョボビッチ(ヴラトカ・ランデー ) トミー・リー・ジョーンズ(ジョー・ギャロウェイ ) ルーク・テニー(アダム・グリーン ) リチャード・シフ 原題 「Shock and Awe」 2017年 アメリカ 91分 (記事中の画像はチラシの写真です) 2019・04・15・シネリーブル神戸no2追記2019・09・27 柳澤協二が指摘する、政権のご都合主義が、この国の合意、総意、であるかのごとくまかり通りはじめています。 NHKをはじめとするメディアが、政権の判断を、あたかも客観的真実であるかのごとく報道しています。いつの間にか「ことば」を変える、起こっている大災害を報道しない。何の仕事もしていない政治家をタレント扱いで取り上げる。 全体主義は「徴候」としてなら、もう始まっています。ということは「戦争」はすぐそこに来ているということかもしれません。 ぼくは、この国に限らず、「記者たち」のプライドに期待しています。 ところで「バイス」の感想は題名をクリックしてみてください。追記2022・11・16 コロナ騒ぎが始まったころの映画館通いは、やっぱり不安でした。この記事から3年たちましたが、コロナ対策は迷走を続け、今度はロシアが戦争をはじめ、香港の民主化運動は圧殺されています。そうこうしているうちに、役に立たないマスクを配った人物が銃撃され、死亡するという驚くべき事件まで勃発し、権力の裏にはインチキな宗教団体が跋扈していることまであからさまになってきました。流動化する世界はとどまるところを知らなという様相ですが、これから、どっちに流れていくのでしょうね。 ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.27
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山形孝夫 「黒い海の記憶」(岩波書店) 東日本大震災2011・3・11。あれから8年の歳月がたちました。神戸に住むぼくの記憶の中には1995・1・17という、もう一の節目があります。あれからは24年の歳月がたちました。 阪神大震災の記憶は、不思議なことに古びません。いくつかの印象的な記憶の塊のようなものがあって、年月がたつこととは関係なく夢の中とか、ボンヤリとした物思いの中で浮かんできます。「恐ろしい」とか、「辛い」とか、ことばで説明できる記憶としてではありません。 大体、ぼく自身はそれほど切実な体験にさらされたわけではありませんし、長田区の真ん中にあった勤務先は「全壊立ち入り禁止」の黒いステッカーが貼りまくられた学校だったのですが、まったく想定外の現象に対して陽気な観察者のような気軽さで震災の日々を過ごしていたように感じます。 一ヶ月ほどの休校期間を過ぎて登校した生徒たちの表情もおおむね明るく、被害の「ものすごさ」を自慢しあうような被災者ハイぶりで、閉じ込められた高層マンションからの脱出術や、水くみや食料配達といった、避難所のボランティアの経験を語り合っていました。それを笑って聞くのが僕の仕事だったわけです。 しかし、数年後に転勤した郊外の学校での授業中、震度3程度の地震に4階の教室が揺れ始めた時に、震災当時小学生だったはずの高校生が泣き叫ぶのを前にして、ぼくの中で、いわばがふつふつと湧き上がるのに気づきました。以来、記憶の意味が変わりました。風化が止まったといってもいいのかもしれません。 あれから二十五年、ぼくは還暦を通り越し、あの時の高校生たちは不惑の年を迎えようとしています。 最近読んだ「黒い海の記憶」(岩波書店)の中で山形孝夫はこう書いています。 私たちは、3・11大震災まで、近代日本の合理的で安全な国民国家に住んでいると思っていた。そこでは、生活のあらゆる領域に合理性と安全性が行き渡り、それが政治・経済のシステムを法的に支え、政教分離や福祉・教育行政の専門技術化とあいまって、市場の透明性を支えている。その限り、過去における不合理な政治神話とシステムは一切排除され「国民」の等質性と「国家」の透明性が保障された安全で、平和な国土に暮らしていると思っていた。 3・11の黒い海がその真相を暴露した。近代国家は「国益」の名のもとに「国民」を教育し、動員し、それに反対する者を排除し、抑圧する装置として機能していた。 近代資本主義は、市場の自由化と透明性を旗印に、激烈な競争によって生じる富の分配の不公平を隠蔽し、正当化してきた。その矛盾がバブル崩壊以降、経済的格差として現れた。 この格差を、国家はこれも市場の透明性を理由に、正規職員と非正規職員に区分し、逆に支配の道具として使用してきた。要するにシステムの矛盾を犠牲者の自己責任に転嫁することによって、日本国家はシステムの強化と権力の正当性を維持し続けてきたのである。 原発安全神話が新興宗教の呪術的救済神話と似ているのは、決して偶然ではない。 それは、近代的な進歩史観や技術優先の効率主義のシステムの中で精巧かつ巧妙に構築された聖なる物語であり、貧困からの解放を告知する救済のシナリオであったのだ。安全神話が近代国家の象徴的な物語であるのは、その背後に、自作自演の「犠牲」の寓話を隠し持っているからである。 ここまでが、ぼくたちが日本はいい国だとかいっている近代社会の正体に対する分析です。 ここからが、おそらく本物の宗教学者である山形孝夫の真骨頂だと思います。 犠牲とは、本来供犠に通じる宗教人類学の用語であるが、もともとは神の祭壇に捧げる生贄をさす。個人もしくは共同体が、自らの所有物を犠牲にしたり、場合によっては自己自身を犠牲として祭壇に捧げ、そのことによって神の保護を獲得しようとする呪術的行為である。 ここで問題なのは、神聖化されるのは単に犠牲者だけでなく、犠牲を要求する主体も、ともに神聖化されるという点にある。渡すたちは近代国民国家と資本主義が、国益という名のもとに、こうした犠牲のシステムと一つに手を結んでいることに敏感でなければならない。 その中核に位置を占めるのが原発安全神話なのである。そうした神話の欺瞞を黒い海は暴露した。 ぼくはここで、二つのことに思い当たります。 一つは阪神大震災における多くの犠牲者や、今も存在し続けている犠牲はどうなったかということです。 二十年以上たつということが、出来事を歴史化してしまうということは、たしかにあるのです。その中で「忘れない」ということが、墓碑やモニュメントの前に頭を垂れることではすまされない、積極的な何かを生み出す契機になることは出来ないかということです。 もう一つは、ここ数年来ブーム化している、戦争下での特攻死の美化についてです。 兵士たちの犠牲的な死を美化することが、いつのまにか、戦争をした国家の美しい神話化へとすり替えられ、新しく育っている子供たちの意識を、ねつ造された歴史意識へと歪めはじめているとのではないかという現代的な状況についてです。 「黒い海」や「黒い街」は、ぼくたちの存在の根のようなところに、言葉にならない記憶として残ります。国家や資本主義のシステムは、それを美化することで欺瞞の神殿を作り上げようとしているかに見えます。本当の信仰は、その欺瞞を見破るところから始まるのです。山形孝夫の文章はそう語りかけているのではないでしょうか。 ぼくは宗教を信じるものではありませんが、山形孝夫の主張の論旨には共感します。現実の新しい経験を検証し続けるところに記憶は生き続けるのでしょう。「忘れない」ということは能動的な行為なのです。(S)追記2019・11・25 原子力発電所の建設や推進事業が、近代社会のが追い求め来た気「進歩」への夢の素朴な現実化など絵はなかったことが、少しづつ暴露されている。 関西電力の社長をはじめとする責任者だけではない、福井県の職員たちも、数十人(?)いや、百人を超えて(?)、原発還流資金と呼ばれる賄賂を手にしていたことが報道されている。「なぜ受け取ったか?」「怖かったから。」 このような関電の責任者の発言は「大人」のことばとは、到底思えないのだが、恐喝の被害者を装うことで、犯罪者としの告発から逃れたい言い訳としても、本当は成り立っていないのではないだろうか。まさに「近代国民国家と資本主義が、国益という名のもとに、こうした犠牲のシステムと一つに手を結ぶ」中で育ってきた「ヤクザの思想」が、ぼくたちの税金や電気料金を食い荒らしている。 事故が起きれば、想定外と開き直り、もう一度税金を投入することで、その場を収めるのだから、責任主体がどこにもいない「国家事業」として、先の戦争と、全く同じ構造と言って過言ではなさそうだ。 ぼくたちにできることは「神話の欺瞞」をまじめに考え始めることではないだろうか。追記2020・02・09 福島の除染土や汚染水は、結局処理に困って海や工事用の土砂としてバラまくのだそうで、「そうなんだ」とあきれていると、四国の原子力発電所では40分を超える電源喪失事故が報告もされていなかったという報道が聞こえてきた。そういえば、関電の重役がわいろを受け取っていたニュースもあった。実際に「想定外」と責任を逃れた人たちは、何の反省もしていないのだろうか。 ウンザリしている日々なのだが「チェルノブイリの祈り」の著者の「戦争は女の顔をしていない」がマンガ化されたのを見て、少しだけ気が晴れた。「チェルノブイリの祈り」も漫画にしてほしいものだ。追記2020・08・29先日見た「れいこいるか」という映画の登場人たちが、4階の教室で泣き叫んだ、あの時の高校生とダブって見えました。映画は、まあ、言ってしまえばへんてこな映画だったのですが、「こころ」のどこかに「ことば」にならない「悲しみ」や「不安」を抱えながら暮らすのが、普通の暮らしなのだということを強く感じました。 新長田の「鉄人28号」には、ヤッパリ、「ごくろうさん!」と声をかけたいものですね。「れいこいるか」の感想はこちらからどうぞ。ああ、それから「鉄人28号」はこれです。 ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.27
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ハロルド作石「RiN」(全14巻)講談社コミックス 我が家の「愉快な仲間たち」の一人、ヤサイクンがとどけてくれた「RiN」(講談社コミックス全14巻)。地震で大変な世間を尻目に、一気に読み終えた。ぼくは、結局、ストーリーにもまして、この絵が好きなのかもしれない。 読み終えて、ぼくはフラワー・カンパニーが20年にわたって、オジサンになっても、歌い続けている「深夜高速」を思い浮かべていた。 「今さら、フラカンかよ!?」 まあ、そういう声も聞こえてくる。でも一人で聞くと泣けるでしょ。 「創造か、破壊か」とか、「絶望か、希望か」とか、真綿で首を絞められるような二者択一の脅し文句や、「自由からの逃走」が横行する現代という時代がある。 この時代を乗り越える方法として「とどまることなく前に進んで行こう」とする青年を、肯定的に描き続けているハロルド作石に拍手したいと思う。 「青春ごっこ」といいたい奴は言えばいい。「それが時代遅れだとは誰にも言わせない」とでもいうような、漫画家の気概を感じる漫画だった。(S) ハロルド君の「7人のシェークスピア」の感想はこちらをクリックしてください。2018/06/19ブログ村ボタンにほんブログ村にほんブログ村
2019.04.26
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ハロルド作石「7人のシェイクスピア」(第1部小学館・第2部講談社) 2019年の6月のことです。我が家の「愉快な仲間たち」の一人、ヤサイクンが日曜の朝早くやってきて、紙袋いっぱいの漫画を二袋も置いて帰りました。 これで、有意義な日曜日を、ということなのでしょうか、はたまた「父の日」プレゼントなのか、断捨離とやらの結果なのか、ともかく、覗いてみると、その中にハロルド作石の「7人のシェークスピア」(第一部全6巻小学館・第二部1巻~5巻講談社)が入っていました。 ハロルド作石が、おバカ高校生マンガ「ゴリラーマン」で講談社漫画賞をとってからもう20年以上が過ぎました。 いかれた天才サウスポー「ストッパー毒島」、感動の「ロックバンド・マンガ」(そんなジャンルがあればだけど)「BECK」、ぼくは、どれこれも、みんな、愉快な仲間たちの読みのこしを読んできましたが、新たなラインナップに「7人のシェークスピア」が加わったわけです。 第1部全6巻が数年前に完結していて、その後「RiN」(講談社コミックス)の連載をどこかにしていることは知っていましたが、それも一緒に入っていました。ワオ!!ですね。 (「RIN」の感想は表題をクリックしてくださいね。) さて「7人のシェークスピア」ですね。不思議な題名なのですが、第一部は少年時代から商人として暮らしていた青年シェークスピアのお話です。シェークスピア研究史では「The Lost Years」と呼ばれているそうですが、その時代を描いていています。しかし、ここでは、まだ題名の秘密はわかりません。ただ、第二部のおもしろさを堪能したいなら、ここを読んでおかないと話にならない仕組みになっています。 第二部では、エリザベス朝のロンドンで劇作家として名を成していくシェークスピアですが、「リチャード3世」に始まる戯曲群が世に出てゆく姿を描いています。 題名の下には、新たに「NON SANZ DROICT」と、たぶんフランス語で書かれています。のちに彼が手に入れることになるシェイクスピア家の紋章に刻まれている文字らしいのですが、英語に直せば「not without right」です。直訳は「権利がないわけではない」くらいでしょうか、でもよくわかりませんね。「7人のシェークスピア」という最初の謎が、第二部を読み進めていて、ようやくわかったぼくの頭では、これが何故ここに加えられたのか理解できません。このマンガの題名の二つ目の謎です。 わかっている人がいらっしゃれば、ご教示願いたいと思います。 歴史的に実在の人物を伝記のように描いている作品だし、実際の劇中のセリフが、どんどん出てくる展開だからでしょうか、作中に「シェークスピアとその時代」という、マンガの進行に熱中している人が読むかどうかはわからないのですが、当時の世相や、お金、食べ物や、暮らしに関して、実に学究的なコラムが入っています。 書き手はれっきとしたイギリス史の専門家、指昭博という神戸外国語大学の学長さん。こう書くと、ちょっと引く人もいるかもしれないが、ご心配なく。学習漫画ではありません。 ハロルド作石を知っている人でも知らない人でも、きっと納得する「読ませるマンガ」です。マンガは、演劇や映画と同じで、こうやって書いていくと、くそおもしろくないことになってしまうのですが、それは案内人の実力がないからであって、作品の罪ではありません。お読みになれば、きっと納得いくと思いますよ。乞う、ご一読。(S)2018/06/18追記2019・11・23「7人のシェイクスピア(9)」・「7人のシェイクスピア(10)」は、それぞれ表題をクリックしてくださいね。ボタン押してねにほんブログ村にほんブログ村
2019.04.26
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夏目漱石 「門」 (新潮文庫) 2018年の秋の話なのですが、十月になって漱石の「三四郎」(新潮文庫)を案内しました。この秋は漱石で頑張ってみましょうか、そんな気分で、十月の半ばに、はその続編、「門」について書きました。 夏目漱石の長編で前期三部作と呼ばれているのが「三四郎」、「それから」、「門」(新潮文庫)。後期三部作が「彼岸過迄」「行人」「こころ」(新潮文庫)ですね。 漱石という人は題名に関して実に無頓着な人だったそうで、「それから」は「三四郎」のそれからの話という意味で、「門」はお弟子さんの森田草平が口にした題名を適当につけて、門という言葉に話を合わせるのに苦労したとか。 「彼岸過迄」は「彼岸過ぎまで」と読みますが、正月に書き始めた小説を、お彼岸、だから3月かな?くらいまで書き続けて終わらせようという意味でつけたとか。「漱石の登場人物はまじめすぎてついていけない。」 まあ、そんなふうにおっしゃる人がいらっしゃるようですが、こと、題名に関してはマジメなのかどうか(笑)。 最近の小説家で「雑誌に掲載するのに少し長すぎるのですが。」という編集者に対して「じゃあ、適当に切ってください。」という返事をする人がいるそうです。「カンバセイションピース」(新潮文庫)とか、「明け方の猫」(中公文庫)とか、「未明の闘争」(講談社文庫)とか、ボクとしてはオススメの作品を書いている保坂和志という人なのですが、まあ、不思議な人が昔も今もいるもんだと思います。 さて、「門」ですね、。主人公は、前作「それから」の主人公「代助」の、その後の姿を描ているという説がありますが、友人の恋人であった女性を奪って、一緒に暮らしてきた中年の男です。一人の女性をめぐる三角関係の勝者の話というわけですだ。名は野中宗助、細君の名は御米(およね)です。 で、話はこんなシーンから始ります。 宗助は先刻(さっき)から縁側へ坐蒲団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。秋日和と名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。肱枕をして軒から上を見上げると、奇麗な空が一面に蒼く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較べて見ると、非常に広大である。たまの日曜にこうして緩くり空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、眉を寄せて、ぎらぎらする日をしばらく見つめていたが、眩しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして障子の方を向いた。障子の中では細君が裁縫をしている。 「おい、好い天気だな」と話しかけた。細君は、「ええ」と云ったなりであった。宗助も別に話がしたい訳でもなかったと見えて、それなり黙ってしまった。 青空です。 仕事をやめて、これといってすることがありません。うろうろと歩き回って、海べりのベンチや、高台の上の石碑の前で、煙草を喫います。周りには誰もいません。振り向くと、向こうのほうに男女の二人連れが歩いていたり、小鯵を釣っているおじさんがいたりします。 見上げると青空が広がっていることがあります。ボンヤリと見上げていると、心が騒ぎ始めることがあります。格別、何が見えるというわけではありません。空の隅々まで青い色が広がっていることが、何とはなしに不思議な気がしたり、ふと、昔の思い出が浮かび始めたりすることもあります。見上げ続けているとまぶしくなって、下を向くきます。急に、ここにいることは誰も知らないし、何もすることがないことが、浮かんできて、誰かに話しかけたくなるのです。 「青いなあ、まぶしいなあ。」 もちろん、話しかける相手なんて、誰もいません。独り言です。もう一度見上げると、もう、ほっとした気分が戻ってきて、じっと見入りなおします。長く見上げていると、やはりまぶしい。 宗助が見上げた青空が、まあ、季節は違うのかもしれませんが、そんなふうに見えることもあるということを、ぼくは、この年齢にまで知りませんでした。 小説はこんなふうに続きます。 宗助は仕立おろしの紡績織の背中へ、自然(じねん)と浸(ひた)み込んで来る光線の暖味を、襯衣の下で貪ぼるほど味いながら、表の音を聴くともなく聴いていたが、急に思い出したように、障子越しの細君を呼んで、「御米、近来の近の字はどう書いたっけね」と尋ねた。細君は別に呆れた様子もなく、若い女に特有なけたたましい笑声も立てず「近江のおうの字じゃなくって」と答えた。「その近江のおうの字が分らないんだ」 細君は立て切った障子を半分ばかり開けて、敷居の外へ長い物指を出して、その先で近の字を縁側へ書いて見せて、「こうでしょう」と云ったぎり、物指の先を、字の留った所へ置いたなり、澄み渡った空を一しきり眺め入った。 宗助は細君の顔も見ずに、「やっぱりそうか」と云ったが、冗談でもなかったと見えて、別に笑もしなかった。細君も近の字はまるで気にならない様子で、「本当に好い御天気だわね」と半ば独り言のように云いながら、障子を開けたまままた裁縫を始めた。すると宗助は肱で挟んだ頭を少し擡げて、「どうも字と云うものは不思議だよ」と始めて細君の顔を見た。「なぜ」「なぜって、いくら容易い字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分らなくなる。この間も今日の今の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違ったような気がする。しまいには見れば見るほど今らしくなくなって来る。―― 御前そんな事を経験した事はないかい」「まさか」 日向ぼっこをしている夫と縫い物をしている妻。なんともいえないのどかな、中年の夫婦の様子が描かれています。なんでもないことがふと分からなくなるような、しかし、笑って終わる話です。縁側で青空を見上げながら、独りごちるように話しかける宗助の後ろには、うつむきながら裁縫をしている御米が座っています。秋の日ざしが、座敷に座っている御米の膝のあたりまで差し込んでいます。その陰影が、小さな庭の垣根越しに見えるシーンのように目に浮かんできます。 小説を読み終えると、このシーンがじっと尾を引いてくるおもむきがあります。街の中を歩いていて、見たこともないこの二人のシーンが浮かぶことが、時々あります。夢を見ているわけではありません。長い間に、何度か読みなおして、こうして引用していても、涙がこぼれそうになるのはぼくだけなのでしょうか。 小説はこんなシーンで終わります。 御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、「本当にありがたいわね。ようやくのこと春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。 秋から春へ移り変わった季節の中で、小説の登場人物たちには体何があったのでしょう。 小説の最後の、このシーンで、春の光に眉を開いて季節の歓びを口にする御米に対して「またじきに冬になるよ」とうつむいたまま答える宗助の、ちぐはぐな言葉に出会うぼくの中には、、身ごもった子どもを次々と失った妻の哀しい心持や、過去の影におびえる夫の気弱な煩悶の記憶が呼び返され、淡淡とした哀しみとなって広がっていきます。で、涙がこぼれそうになります。2018/10/13 追記2019・11・21夏目漱石「三四郎」の感想はこちらをクリックして下さいね。 ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.26
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佐伯一麦 「空にみずうみ」(中央公論新社) 佐伯一麦の新しい小説「空にみずうみ」(中央公論新社)を読み終えました。新しいといっても2015年に出版されているわけで、すでに文庫になっているようですし、「麦主義者の小説論」(岩波書店)とかと出版は同じ時期、2014年から15年にかけて読売新聞の夕刊に連載された小説のようです。もう五年ほどたっていますね。 本のカバーの絵が面白いのですが、樋口たつのさんという絵描きさんの絵で、新聞の挿絵は同じ人だったようです。単行本には、挿絵はありません。 食卓のテーブルで夜中の二時くらいに読み終えて、しばらく座ったままボンヤリしました。 「空にみずうみ」という作品の題名が、最初から、小説の構想のシンボルとして書きだされていたことが最後になってわかりますが、ここでは詳しく書きません。「登場人物たちは、いったい、どこで空にみずうみを見るのだろう?」 読み進めながら、ずっと考え続けていた疑問です。読み終えてみると、その題名にこそ、しばらく立ち上がれなかった理由があったと、今、感じています。どうぞ、お読みになって気づいていただきたいと思います。 小説を書いている早瀬と、草木染の作家で、編み物をしている柚子という、もう中年とはいえない夫婦の日常が、春先から、次の年の三月まで綴られています。 早瀬の名前は、「コウジ」だったか、一度どこかで出てきたように思いますが、思い出せません。廸子の旧姓は輿水といい、東京育ちです。 日々の暮らしに大きな事件は何も起きません。二人が出会う人たちが、その他の登場人物ですが、恐ろしげな人は一人も出てきません。鳥の声を聞き、日々の食卓があつらえられ、ちょっとした事件や、困りごとが季節のめぐりとともに描かれているわけで、読んでいてなにが面白いのかと言われれば、「さあ、なんでしょうね。」 と答えるよりほかにないのかもしれません。 青葉木菟(アオバズク)、画眉鳥、鶯、時鳥、トラヅグミ、雀、ジョウビタキ、カモシカ、タヌキ、蛇、クサガメ、ゾウムシ、青虫、チョッキリ、水琴窟、御衣黄、枝垂れ桜、上溝桜、山法師、欅、小楢、筍、かなかな、ニイニイ蝉、なめくじ、エダナナフシ、アメリカシロヒトリ、アシナガバチ、ミヤマカミキリムシ、紙魚、ヒメシャガ、半夏生、藍、臭木、鉢植え椿、栃、シオジ、ハンカチの木、合歓の木 冷や奴、赤かぶの酢漬け、きゅうりの辛子漬け、さやいんげんのおかか和え、自家製梅干し、無花果の甘露煮、カレーうどん、冷やしきつねうどん、麩まんじゅう、鰹のたたき、スイカ、鳥ソバ、はらこ飯、栃餅、参鶏湯ふうスープうどん、しおむすび、千切り大根の梅漬、七草粥 一年の季節を巡る中で、出てきた鳥や、虫、樹木や花を上にあげてみました。今、思いだせるものを並べたのですが、知らないものはチョッキリくらいです。その次に食楽に並んだり、客をもてなしたりする料理で、食べてみたいと思ったものを上げました。 普通の生活ですね。この普通の生活を描写するに際して、書き手である佐伯一麦はいくつかの工夫をしています。 一つは、視点人物の複数化とでもいうのでしょうか。 「私小説」の手法では視点人物は、普通、一人です。作中の主人公が作家として語るというのがよくあるパターンです。三人称で書かれている場合もありますが、事情は変わりません。ところがこの小説には視点人物が二人いるのです。佐伯と等身大の人物である早瀬以外に廸子も語るのです。 二人の家庭を、立体的に構造化するために使った手法なのかもしれませんが、今まで読んだ佐伯作品にはなかった書き方で、現実に暮らしている、別の人間に語らせるわけですから、かなりスリリングです。 読み手にすれば、二人が同時に登場する場面で、例えば、「あたたかかった」というような言葉が主語なしで使われると、「えっ?」という疑問と、その場が「ことば」を生みだしているような不思議な錯覚を生みます。 それにしても、佐伯一麦が、「私小説」世界から離陸し始めている印象は、なかなか興味深いのです。 二つめは、新聞小説という執筆の条件を、作品の中に取り込むことによって、読み手の読書の印象を重層化するとでもいえばいいのでしょうか。 小説の後半に前半で読み終わった部分を書いている作家が登場します。時間をずらしたトートロジーの世界で、読み手は不思議な臨場感を味わうのです。作家が、書いている自分自身を書く。読者は、今、書いている時間を読むわけですから、現場に立ち会っていると錯覚する、そんな感じですね。 三つめは複数の時間を、同時に書き込んでいるということです。 カモシカ騒ぎの話の中で、早瀬は誰も来ない高台でひとりの少年と出会います。さびれた山中の出会いを不思議に思った早瀬が少年に声をかけます。少年は噂になっていて、一度出会ったことのあるカモシカに出会いに来たことを告げます。 「また、シカサブロウがいないかと思って」「シカサブロウ?」「カモシカ。前にこのへんで見つけたの」「えっ、カモシカみたんだ」 早瀬が驚くと、、男の子は得意気にうなずいた。「一緒に見つけた大人の人が、たぶんまだ子供のカモシカだろうって。一頭しかいないから、親からはぐれてしまったみたい。それで、ぼく、シカサブロウって呼んでいるの」 シカサブロウは、漢字で書くなら鹿三郎だな、と早瀬は思った。「でもどうして鹿太郎や、鹿二郎じゃないんだ」「ぼく次男だから、弟がほしくて」 ― 略 ―「あ、キビタキの声だ」相変わらず囀っているのを聞いてシン二郎君が言い、あたりを見回した。「そうだね。よくわかったね」「だって、ぼく、前にいた県の鳥だから知ってる」 この少年が、ここで、一人、はぐれたカモシカを、弟を慕うように探している姿の中に、この小説の2014年という現実の時間の底に流れている、もう一つの時間が顔を見せています。東北の震災から三年という大きな時間の流れです。 早瀬には早瀬の三年の時間が流れたのですが、この少年の過ごした三年の時間、具体的な境遇や友達について、読者が言葉にして聞くことは、つまり作家が小説として書くことはできません。しかし、この少年が、なぜここにいたかということこそが、この作品が描こうとしていることじゃないかという印象が浮かび上がってきます。 作品は最後にこんな詩を引用して幕を閉じます。息子はどこかの墓に眠っているでもわたしにはどこだかわからない母親が息子をみつけられないでいるのだから神の小鳥たち、どうか息子のためにさえずってあげて母親が息子を見つけられないでいるのだ から 小説の中で、小鳥が囀り続け、二人の男女は耳を澄まし、木々や花々、小さな虫やドングリや栃の実に、コンクリートの壁から聞こえてくる騒音や、喘息の発作や手首の痛みに一喜一憂しながら、静かに暮らしています。 作家は神の小鳥や花々を描きたかったのではないでしょうか。 ともあれ、佐伯一麦という作家が新しい書き方に挑みながら、震災後の文学として、鎮魂の結晶化! を、見事に成功させた作品だと思います。どうぞお読みください。(S)追記2019・11・24 佐伯一麦はこの作品とほぼ同じ時期に「渡良瀬」という作品を完成させています。感想はこちらをクリックしてくださいね。「渡良瀬」追記2022・03・26 最近、佐伯一麦の「アスベストス」(文藝春秋社)という、新しい作品を読みました。その感想を書きあぐねて、昔の作品のことを考えています。もう少ししたら感想をアップしますが、やはり胸に迫る作品でした。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.25
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レベッカ・ブラウン「家庭の医学」(朝日文庫)「家庭の医学」(朝日文庫)という変な名前の小説があります。お読みになられるとわかることですが、小説というよりもノンフィクションという印象をお持ちになる作品かもしれません。でも、これは小説です。 元の題名は「EXCERPTS FROM A FAMILY MEDICAL DICTIONARY」。直訳すれば「家庭医学事典からの抜粋」となるのでしょうか。 「家庭の医学」という題名は訳者の柴田元幸が日本で翻訳出版するときに考えた題なのでしょう。訳者というくらいだからこの小説の作者は外国の人です。 レベッカ・ブラウン。1956年生まれ。アメリカのシアトルに住んでいる女性の作家です。新潮文庫にもう一冊「体の贈り物」という短編集があります。これも柴田元幸の訳です。他にもいくつか翻訳されている作品はあるようですが、簡単に手に入るのはこのニ冊です。 目次を開いてみると【貧血】anemia,【薄暮睡眠】twilight sleep、【転移】metastasis,【無能力】incompetence・・・・【幻覚】illusion,【塗油】unction,【火葬】cremationと続いて最終章が【remains】 はたしてこれらのことばが本当に家庭医学事典にあるのかどうか、ちょっと疑わしい気もします。しかし、こうして羅列して読んでみると家族の誰かが病気を患い、闘病生活を送り、やがて死に至ったということは想像がつくと思います。 このいささか風変わりな書名と各章の章名について訳者である柴田元幸はこんなふうに解説しています。 ここにはどういう意味を読みとることができるだろうか。病にせよ死にせよ、いつかは誰にでも訪れるものであって決して特殊な事件でも個人的体験でもないことを「事典」というきわめて非個人的な書物を引用することによって示唆しているのだろうか。 病気、入院、手術、治療、死、葬儀・・・確かにすべては個人的でも特殊でもない、事典的・客観的に記述しうる出来事なのだ。 一患者として、あるいは一患者の家族として、病院である程度の時間を過ごした経験のある人なら、自分や自分の家族が、客観的に見れば、二百人なら二百人いる患者の中の二百分の一に過ぎないことを思い知らされた覚えがあるにちがいない。 本書のタイトルや構成が、そういう厳然たる事実を暗に示していると考えることもできるだろう。だが、この本を読んだあとでは、その全く逆の読みとり方も可能であるように思える。」 あらゆる生き物は死という出来事から自由になることは出来ません。もちろん「人間」も例外ではありません。魂の不滅をいう人や、来世の存在を信じる人がいますが、一人の人間としての考え方や信仰としてそのように信じることを、ぼくは非難することも、バカにすることもしません。 しかし、死ねば「死にっきり」だろうという確信は揺らぎません。人の「死」は「生きている人たち」にとっての問題であって、「死んでしまった人」にとって、何の関係もありません。言い換えれば、人は死んでしまえば、それで終わりというわけです。 そして、人間というものが、そういう存在であるからこそ、レベッカ・ブラウンのこの小説は、読者の心を打つのだと思います。 この作品では、各章の章名が老いた母親の発病から葬儀までの暮らしの中で起こる様々な出来事を暗示しています。母との日常生活の小さなエピソードの集積として描いている小説です。そこでは、かけがえのない家族の死が静かに、そして誠実にとらえられています。 【幻覚】illusionの章にこんなエピソードが記されています。 「荷物はできたの?」「うん、母さんの荷物はね。僕たちみんな行くわけじゃないから、行くのは母さんだけだから。母さんの必要なものは全部揃っているからね。」「まあ、ありがとう・・・じゃあ、土曜日はどう?土曜日なら道もすいているだろうし・・・」 母はその土曜日には死ななかった。誰が思っていたより何日も長く母は生きた。やがて、母が死んだ時、それは安らかでも楽でもなかった。辛い死に方だった。母が死を押し戻そうとしていたあいだずっと、支度はできたよとあのとき母に言いはしたけれど、私たちは支度なんかできていなかった。 命の「かけがえのなさ」とは、幻覚の中でうわごとを発する母と交わされる会話の一言一言がくっきりと記憶されることであり、生きていることの「悲しみ」とは、正気の中にいる家族が、もうろうとしている母に語りかけたことばの嘘を誠実に引き受けることなのだと作家は語っているように、ぼくには思えます。 小説は虚構を書きますが、書いている作家は「嘘」を書いているわけではないと思います。「かけがえのなさ」や「悲しみ」の真実というものがあるのではないでしょうか。 レベッカ・ブラウンのもう一つの文庫本「体の贈り物」はエイズ患者と周りの人たちの世界を描いています。小さな、おだやかな小説ですが、きっと心をうつものがあると思います。是非一度手にとってみてください。(2007/04/23)追記2019 10年以上も昔のことですが、高等学校で国語教えていました。その頃、授業にいっていたクラスで配布していた「読書案内」をリニューアルした2019年版です。「案内」している作品が古いですね(笑)。 今でも新刊書として手にすることは出来るのか調べてみると「家庭の医学」(朝日文庫)は絶版ですが、「体の贈り物」(新潮文庫)はあるようです。「若かった日々」(新潮社)・「私たちがやったこと」(マガジンハウス)という単行本もありました。レベッカ・ブラウン、いい作家だと思います。また案内します。追記2022・05・27 また「案内」するとかいいながら時はたちましたが、いつまでも「また」になりません。昔の「読書案内」を整理しようという目論見も、一向に現実化しません。新しい作品も読むことは読んでいるのですが、「なんだかなあ・・・」という感じのままほったらかしています。 先日、時々お出会いすることのある大学生の女性に「面白い本とか、読めばいいよっていう本、教えていただけませんか。」と声をかけられて、「ああ、そうかあ、でも、ボクが思いつくのは古いんだけどいいかなあ。」と答えながら思い出したのがレベッカ・ブラウンでした。 どうせなら、もう、誰も読んでいないかもしれない「古い作品」を、もう一度読み直して「案内」してみようかと思いました。世の中の変化にあらがうというのが、老人の心意気という気張った気分もないではないのですが、あの頃いいと思った小説や映画を確かめ直してみたいという「自分探し(笑)」の気分もあります。今頃探してどうするというわけでもないのですが、いつまでもわからないのが自分自身だということは、あんまり変わりません。 件の女子大生には、まあ、とりあえず昔の投稿を紹介してみようと思います(笑)。ボタン押してね!にほんブログ村
2019.04.24
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フィリップ・クローデル「リンさんの小さな子」(みすず書房) フィリップ・クローデルという人のことをぼくは知りませんでした。そのクローデルの「リンさんの小さな子」(みすず書房)という作品は、たしか保坂和志の「試行錯誤に漂う」(みすず書房)というエッセイ集の中で、同じクローデルの「ブロデックの報告書」(みすず書房)いう作品が紹介されていて、読みもしていないのに、この作家の作品を立て続けに買いこみました。その中にあったのがこの作品でした。ぼくは時々そういう本の買い方をするのですが、紹介している人を信用しているか、尊敬している場合に、そういうことが起こります。今回は信用している場合ですね。 結果的にズバリ的中でした。この作品は2016年から2017年にかけてぼくが読んだ小説の中でベスト1といっていいと思います。 「リンさん」はその名の響きから類推すると東南アジアのどこかの国の貧しい農民であるらしいのですが、戦争の中で息子夫婦を失い、戦場となった故国を逃れ、たった一人残された孫、生まれたばかりの小さな女の子を連れてフランスに逃れてきた難民のようです。長い船旅のすえ、ようやくたどり着いたフランスの港町の難民収容所に暮らし始めたところから物語は始まります。 殺伐とした収容所を抜け出し、連れてきた小さな女の子を抱きかかえて街を歩き回る日々の中で、アジアの老人リンさんはフランス人の老人と知り合いになります。 フランスの老人は妻に先立たれたさみしい老後を暮らす身の上であるらしく、海の見える公園まで散歩してベンチに座り込みパイプ煙草をふかしながらボンヤリ思い出の時間を過ごすのが、毎日の日課です。そんなある日、彼はひとりの東洋人の老人と知り合いになるというわけですね。 妻も友達も失った人生の黄昏を生きるフランスの港町の老人と、働いてきた土地も家族も失い、望んだわけでもないのに異国の地に連れてこられたアジアの老人の出会いとお付き合いから、ほんのりとした友情が芽生えてゆきます。 フランスの老人はアジアのどこかの国から来た老人リンさんの言葉を理解できないし、リンさんはリンさんでフランス語が、まったく理解できません。二人は「こんにちは」というそれぞれ国の挨拶の言葉を互いの名前だと取り違えて呼びかけあっています。 実に頓珍漢な会話を交わしながら、互いの寂しさが感応しあい、読者には哀しさの響きが場面が変わるごとに木霊してくるように友達になってゆくのです。 小説は二人の老人の、奇妙といえば奇妙な友情を、淡々と描いてゆきます。友情というのは、本当はこういうものだと沁みってきます。60歳を越えた読者であるぼくは久しぶりに友達や友情について考えながらページを繰ってゆきます。 で、それが「生きる」ということが「いいことだ」 という考え方を支える大切な何かであったことに気づいてゆくのでした。「リンさんは、戦場の故郷で死ななくてよかった。死んでしまいたかったリンさんを支えたのが、残された小さな子の命を守るという文字どおり必死の思いであったのだが、生きていてよかった。」 そんな気持ちが、自然と湧いてくる二人の関係は実に自然なのです。 フランスの老人はリンさんの小さな子のために可愛らしいドレスをプレゼントし、かつて、誕生日には妻とやってくることにしていたレストランでの食事に招待します。リンさんは小さな子にフランスの子供服を着せ、初めて食べるフランス料理やワインがおいしいのか、まずいのかわからない不思議な喜びを味わうのですが、フランスの老人にはそんなリンさんの様子が面白くてしようがない光景です。 しかし、小説はここでは終わりませんでした。やがて、リンさんは、最初に収容された場所から、新しい収容施設への移動を命じられます。同じ町の中にあるらしい、美しく清潔な建物へ自動車で運ばれたリンさんは、そこがどういう場所であるのか、なぜそこに運び込まれたのか、そこにいる人々は何をする人なのか全くわかりません。 読者にも、もちろん、よくわかりません。わかるのは、監視付ではありますが善意の施設であるということだけなのです。リンさんが何故ここへ移送されるか、その理由がよくわかりません。 なんとなく隠されている秘密があります。小説のどこかにあるに違いない謎がほのめかされています。そんな感じが、読みながら漂ってくるのです。しかし、何が謎であるのかは読み取ることができません。 その美しい白亜の建物には門番がいてリンさんは繰り返し外出しようと試みるのですが、行動は監視され、外出は禁じられています。リンさんは友達と会うことができません。意を決したリンさんは、その建物からの脱走を試みます。まんまと施設からは逃げだすことに成功したものの、友達がいつもいるはずの港の見える公園がどこにあるのかわかりません。 しかし、ひたすら街をさまよい続けたリンさんは、ついに、あの友達の姿を見つけるのでした。 友達を見つけた喜びに思わず車道に駆け出したリンさんを、無情にも一台の自動車が跳ね飛ばしてしまいます。瀕死のリンさんと投げ出された小さな子がフランスの老人の目に映ります。 小説はそこで終わります。そこで初めて読者は、二人の老人の悲しみの、本当の深さを知ることになるのでした。作品の哀しみの深さはリンさんの「無残な死」にではなく「小さな子供との生」のほうにあったことに気づくのです。 謎は作品の最初から隠されていた?いや、リンさんの真実の悲惨は、読者のぼくには、あからさまに見えすぎていて気付かなかっただけのことだったのです。謎はリンさんと一緒にずっと見えていたのです。ぼくは驚くべき結末に絶句して座り込んでしまいました。 知られていない作品ですが、傑作! だと思いました。どうぞ、読んでみてください。(S)ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.04.24
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「空を押し上げて♪ ハナミズキ 満開!」 徘徊日記2019年4月22日 わが街あたり 桜が潔く散って、木の花から花壇の白や紫のチューリップ、パンジーへ目移りする季節です。 アネモネの花も開いて、名を知らない花々が競い合う様子が鮮やかなものです。 「ははは、ここにも一人で咲いてる。アネモネや。」「これはキンギョソウいうのんかな?」 「このまっ赤な花はなんやろ。」 「わっ、ここはブルー・デイジー。明るい花やなあ。」 ふと目をあげると、ハナミズキが満開。 空を押し上げて♪手を伸ばす君♪五月のこと♪ 「ああ、桜と風情が違うなあ。満開の木から、空に向かって緑のオーラが出とるようや。ほんとに空を押し上げんてんで、わー、これは不思議で見事やなあ。」 その向こうの生垣の白い花は馬酔木か。 咲くよりは 垂るるこころに 馬酔木咲く 林翔わが袖に 君が袖にと 馬酔木ゆれ 阿波野青畝月よりも くらきともしび 花馬酔木 山口青邨「そういえば、浄瑠璃寺の馬酔木も、満開かなあ?連休に徘徊してみるかな。」追記2023・04・20 古い記事の修繕をしています。今年も同じ季節になりました。浄瑠璃寺、行ってみようかなと思っています。でも、不便なんですよね(笑)ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.24
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中井久夫「時のしずく」(みすず書房) 神戸大学医学部の精神科の教授だった中井久夫というお医者さんがいらっしゃいます。 2005年の著書「時のしずく」(みすず書房)の中に、「21世紀に希望を持つための読書案内」(筑摩書房)にも載っている「秘密結社員みたいに、こっそりと」というエッセイがあります。最近出ている「中井久夫集」(みすず書房)であれば第7巻「災害と日本人」に収められています。おもしろいから紹介します。 読書は、秘密結社員みたいにこっそりするものだ。私は推薦図書は書かない。書店で手に取ったときに、まるで自分を待ちかねていたかのような感じがする本が『あなたの本』だ。立ち読みして文章が目に飛び込んでくるようだと、絶対に買いだ。自分の財布を痛めて買う。図書館の本はすぐ期限が来る。借りた本は読もう読もうと思っているうちに時間が経って返し辛くなる。もらった本は真剣に読まないかも。 教科書は、先生が解説するためのもので、読む本としては不親切だ。理系志望だろうと文型志望だろうと、私は、数学、物理学、天文学、生物学、地質学、世界史の本を一冊でもいいから読んでみることをお勧めする。よい新書版がある。しかし、本格的な本に挑んだっていい。せっかく、この世界に生まれてきて、この世界の成り立ちを知らずに終わるのはもったいないと思わないか。そして、専門家はジュニア向きの解説書を書く時、とても真剣になる。レベルを落としたお子様ランチではない。名著が少なくない。 人工衛星の望遠鏡で撮影した写真集を開いてみるといい。あるいは、古生物学で五億年前の生物種の爆発を。学則や対人関係の悩みなど、実に小さいものに思えるはずだ。現代数学の出発点の集合論など予備知識不要だ。世界の歴史にはいいシリーズがある。地図を傍らに置いて読むことだ。世界地図は一度描いてみると、すごくよく頭に入る。日本史は世界史を読んでから読む方がいい。 そんなことをしていて高校生のあなたは大学に通るかって。大学の先生は大学の発想で出題する。高校の教科書はお義理で見るだけだ。そして、先生はだいたい自分の専門から出す。間違った問題を出すと世間が騒ぐ。大学前の書店で、教養(前期)過程の教科書か副読本を買って読むのがお勧めである。実利だけでなく、おもしろい。おもしろいから頭に入る。 英語で受けるならラテン語の初歩をかじっておくといい。漢字かな混じり文の漢字に当たるのが英語の中のラテン語系の言葉だ。漢字の意味を知れば熟語がわかるのと同じだ。またドイツ語かフランス語で受けるのもいい。高校生からで充分間に合う。英語の問題の意地悪さと対照的に、ドイツ語フランス語の問題は『よくぞこの言葉を選んでくれました』という感じだ。西洋の言語では英語はかなり変則的な言葉だ。といってやらないわけにゆかない。 英語は世界史か生物学かに英語の副読本を使うのが妙案だ。内容がわかっている文章だし、立派な叙述文、議論文でいっぱいのはずだ。辞書は大きいのにも慣れること。そして、英英辞典に挑戦することだ。外国語の問題は、実際には日本語の読み書き能力と関連している。的確で歯切れのよい日本語の文章を筆写するといい。構成がよくわかり、著者がどこで苦心したかもわかる。和歌、詩だって筆写すると理解がぐっと深くなる。外国語の文章だってやってみる値打ちはある。 極論に思えるかもしれないが、筆者がやらなかったことは書いていない。ただうっかりすると知識欲は権力欲の手段に成り下がってしまう。権力欲はサルやその他の動物にも立派にある。知識欲は動物にはないとはいわないけれど、人間の人間であるもとはこちらだろう。ただ新しいだけ知識欲はひ弱く、権力欲は古いだけしぶとい。基本的な三大欲望という睡眠欲、食欲、性欲だって、権力欲の手段に成り下がることが少なくない。 そうなると何がどう変わるか。三大欲望は満たされるとおのずとそれ以上求めなくなり、おだやかな満ち足りた感じに変わる。ところが権力欲だけは満たされれば満たされるほど渇く。そしてその手段になった他の欲望は楽しさ、満足感がみごとに消えうせる。 仙人になれというのではない。けれども、知的好奇心は、勉強や学問が権力欲に手段となると同時に見事に消えうせる。 知識はふやそうとしても、楽しさも満足感もないのだから、炎天下のアスファルトの道を歩くように辛いだけになって心身の健康をこわしかねない。 知的好奇心だけは『よい学校』に入る手段にしてしまわないことだ。でないと、かりに『よい学校』に入っても面白くもなんともない。教授になっても多分そうだろう。 冒頭部分を少し省きましたが、これで、ほぼ全文です。本人が非常に出来る人ですから、本人もおっしゃっていますが、極論と言えば極論ですが、面白いと思っていただいた方は、できれば中井久夫という人の他の著書に出会っていただきたいと思います。 高校生なら受験勉強にバカにされないために。大学生なら面白く勉強することのヒントとして。お子さんをお育てになっている年代の方なら、お子さんたちにベンキョウは楽しいんだと伝えるために。ぼくのような老人であれば、もう一度勉強を始める意欲を掻き立てるために。 いや、どなたであっても、今日の穏やかで、意欲的な生活のために。 精神科の専門的論文は無理だとしても、たくさん書かれているエッセイや、詩の翻訳は、素人にだって読むことは出来ます。もちろん繰り返し読み直さないと分からない文章もあるかもしれません。しかい、一冊読み通していただけたなら、こんな「案内」を書いている気持ちが、少しは理解していただけると信じています。でも、やはり、むずかしいのでしょうか?(S) 追記2022・08・11 中井久夫さんの訃報(2022年8月8日逝去)を知りました。学生時代から、複数の親しい友人が門下生であったこともあり、まあ、学部は違うのですが同じ学校の先生ということで、勝手に師匠と決めて出される本はみんな読もうと思い込んで暮らしてきた40年でした。 専門書はともかく、素人にも読める詩集やエッセイ集は読みごたえのある名著がそろっていると思います。案内したい本がたくさんあります。出来れば一冊づつ読み直し、紹介していきたいと思っていますが、とりあえず、筑摩書房の学芸文庫に「中井久夫コレクション(全5冊)」というシリーズがあることを追記しておきます。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.04.23
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遠藤豊吉編「日本の詩」(全10巻)小峰書店 夏休みの午後。5年がかりで片づけてきた職場の図書館の書庫。カビだらけの汚い本は捨てる!と腹を決めた仕事が終わりに差し掛かっていました。汗まみれになって段ボール箱に廃棄する本を詰めながら、目の前の棚にあった薄汚くよごれた小冊子のシリーズが、ふと目に入りました。ビニールカバーをカッターナイフで切り裂き、茶ばんだ表紙カバーもひきはがしてみると、なかなかしゃれた詩集が出てきました。 「日本の詩(全10巻)」(小峰書店)、1970年代の終わりころ小峰書店という出版社から出された現代詩のアンソロジーです。 一冊に二十篇ほどの詩が紹介されていて、全10巻。遠藤豊吉という小学校の先生だった人の個人編集です。 「へー」と思いながら、中の一冊の詩集「たび」を読み始めて、やめられなくなりました。 出さない絵葉書 新川和江 遠く 来てしまいました 春は たけなわですけれど・・・・・・・ このさびしさには もう 散りしく 花びらがない つかまる 手摺りがない 通す 袖がない まぶす 粉砂糖がない 梳く 櫛がない まわす ノッブが つき刺す フォークが いれる袋が ない 遠く 来てしまいました もう、帰らないでしょう 帰れないでしょう 詩の解説のようにして、編者遠藤豊吉のことばが添えられています。〔編者の言葉〕 特別攻撃隊員になって一か月ほどたったある日、二泊三日の帰郷が許された。 梅雨でぬれた故郷の町はなつかしかったが、特別攻撃隊員として〈死〉の世界にあゆみはじめている心には、もはや無縁、という思いのほうが強かった。 二夜とも、父と継母とわたしと三人で、一つの部屋に寝た。町は無縁の風景と見えても、両親はやはり無縁ではなかった。父はほとんど何もしゃべらなかったが、継母は夜半すぎても、私にむかってしゃべることをやめなかった。 わたしは、自分が特別攻撃隊員になったことを告げずに故郷を去るのだが、ふたりともわたしの身の上に重大な変化がおこったことを感じとったにちがいない。 故郷を去る日、継母は駅まで送ってくれた。目にいっぱい涙をため、彼女は車窓に手をつきだし、せいいっぱいわたしの手を握ってくれたが、その手は雨にしとどにぬれて、つめたかった。 その日の午後、ぼくは、一編一編の詩と、その詩の後ろに書きつけられている遠藤豊吉の「編者の言葉」を蒸し風呂のような書庫で、汗だくになって読みながら過ごしました。 遠藤豊吉は1924年生まれ。幼年時代に生母を亡くし継母に育てられたが、師範学校卒業と同時に出征し、特攻隊員となったそうです。出撃の機会なく生き延びて敗戦。戦後、小学校の教員として生き、のちに数学者の遠山啓とともに「ひと」という雑誌を主宰した人です。 実は、この方の教育実践を読んだことはありました。しかし、こんなふうに詩を語る手法と、経歴、そして、その人柄にあらためて心が動きました。 紹介されている詩はどれも子供向けなどではなく日本の近現代詩の傑作です。詩を読むということの原点に帰らせてくれる名アンソロジーといえるでしょう。こんな出版が可能だった時代があったのだと、一人でため息をつきました。 のちに、調べてみると昨年(2017)シリーズが復刊されていることがわかりました。今が最悪というわけでもなさそうだと、ちょっと嬉しくなりました。 最近出会っている大学生の皆さんが、単なる教養としてではなく、こんなアンソロジーの中の一つ一つの詩を受け止めてくれると嬉しいと思いました。2018/06/09 追記 2019・04・22 今となっては、数年前の出来事になっていまいましたが、高校に入学したばかりの一年生の少女が、文字通り埃まみれの図書館再生作業を手伝ってくれたことがありました。彼女が何故、図書館のじーさんのところに通うようになったのか、それは今でもわかりません。 百人近い職員の中で、たった一人、生徒が本を借りる図書館にしたい。 と意地になって、放課後、勤務時間もとうに過ぎた図書館の、薄暗がりでうろついていると、運動部のマネージャーの仕事をおえた彼女がやってきて雑巾がけ手伝ってくれた日々を、徘徊しながら思い浮かべることがあります。人は何に励まされ、何を励ましているかなんて、その時にはわからないものですね。 この春、大学を卒業した彼女が市内の公立中学に教員として採用されたと報告してくれました。新採用の気遣いと不安に涙をこぼす日もあるようです。高校生だった彼女が、定年を迎えんとしていた老教員を、三年間にわたって励まして続けてくれたことを思い返しながら、心の中でエールを送り続けています。 「あなたなら大丈夫ですよ、心配しなさんな。」追記 2019・08・02 中学校の教員になった、新卒の一学期はどうも大変だったようです。学校現場の労働時間に対する無頓着な「異常さ」は、ぼくらの頃からありました。夕刻の7時、8時を過ぎた職員室で、昼の2時、3時のように働いている教員が一人や二人ではなかったりするのです。毎日の疲労が積み重なっていく結果は目に見えません。そのうえ、土・日には、若い教員にはクラブ活動の付き添い・引率が、必ずあります。 で、「若さ」が終わるころ、ようやく気付くんです。「これはおかしい。」 って。そういう仕事ぶりが、かえってルーティーンに枠づけられた、狭い思考しか育てないってことに。そんな、教員に育てられる子供たちはやはり不幸です。 思い切って、自由にふるまうことには勇気がいりますが、せめて6時くらいには帰宅して、家族とおしゃべりしたり、仕事とは離れた本の一つも読むことを選ぶ勇気を持ってほしいと、いまさらながらに思います。なんか説教臭いですね。うまくいえません。追記2020・04・27 中学校の教員になって一年がたった彼女から久しぶりの便りがありました。「図書室」の係になったそうです。「中学校の図書室に置く、いい本はありますか?」 なんというか、聞かれそうなことが書いてあります。答えは簡単ですね。「これがいい!なんていいきれる本なんてありません。」 こう書くと、困ってしまうかもしれませんね。いい本は図書の係の人が自分で探すよりほかに方法はないと思います。一冊一冊の本には、結局良いも悪いもないのです。ぼくが「いい」と思った本があるだけです。だから、学校の図書館の仕事を始めた人に言えることは、たった一つです。「『これは面白いよ!』あなたがそう言える本を、一冊づつ探し出してください。」 簡単そうですが、思いのほか大変ですよ。よく一年間に何冊とか、目標にして本を読む人がいますが、何かを調べる参考に読む場合は少し違いますが、純粋に本を読むという作業は結構手間がかかります。 ぼくは読んだ本の感想をノートに書いていたことがあって気付きましたが、仕事をしながら、好きな本を読んで、一年間、何冊くらいかと調べてみるとせいぜい150冊くらいなものです。150冊を30年続けると4500冊です。あなたの卒業した高校の、あの頃ぼくがいた、あの小さな図書館でも、うろ覚えですが、3万冊くらいは並んでいましたからね。 150冊とか、4500冊とか、大した数ではないのです。でも、一年間に100冊くらい読むと、これは面白いよといえる本に何冊か出会えることは確かです。それを紹介すればいいのです。 あなたが面白かったり好きだった理由は何でもいいのです。そのうち、真っ当そうな理由も見つかりますよ。さあ、本を読んでください。あっという間に60歳を越えてしまいますよ(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!にほんブログ村
2019.04.22
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「こころに春が来た日」徘徊日記2019年 わが街-15 白ツメ草やスミレの芝生に降りて、そこからベランダを覗くと、赤い花がひときわ可愛らしく咲いている。「なに、それ?」「スイートピーじゃないの!」 「エンドウ豆とは違うの?」 「そうよ、それはスイートピーよ!葉っぱばっかり茂っているから、エンドウに見えるけど。」 「セー子ちゃんか?」 ♪心に春が来たぁーひは、赤いスイートピー♪「わっ、うとてる。」 「その隣りの黄色いのは?葉っぱはレンゲみたいやけど。」 「ようわからへんけど、カタバミかなあ?前の花壇にもあるでしょ。」 「あっちの白いのは?」 「スミレやんか。黄色いカタバミも白いスミレも勝手に生えてん。スミレなんか根もちゃんとついてへんよ。」「ほんなら、植木鉢の雑草やんか。」「まあ、そうかな。」 玄関から家に上がってくると、ベランダ農園主チッキチ夫人の声。「ちょっと、大変よ!アゲハよアゲハ!」 もう一度、ベランダに出てみると、ミカンの苗木のプランターにアゲハ蝶が羽を休めている。「オッ、もう来たか?」 「ああ、もうおしまいやわ。ミカンの木、まだ、葉っぱの芽が出たばっかりやのに。去年の食べられ方がひどかったから、葉っぱが出てくるのに時間がかかってんよ。モー、ヒドー。もう食べられちゃうの?」 「今年初めての蝶やな。」 「モンシロチョウはだいぶ前におったよ。でも、このアゲハ、ちょっと弱ってるみたいね。」「そやから、卵産みよるともいえるわな。おお。今年もモスラ来襲かあ。」 「なに喜んでんのよ。」「写真取れるやん。 ♪心に春が来たぁ日は♪モスラ―や♪モスラ―や♪やな。「アホ!かいな。」 アゲハはここで死ぬのかと思ったが、目を離しているすきに消えていた。さあ、モスラの赤ちゃんはいつ出現するのだろう。押してね!ブログ村ボタンにほんブログ村にほんブログ村
2019.04.21
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「ホラ、風に揺れるタンポポだ!」徘徊日記 2029年 わが街-14 裏の芝生ではタンポポが風にそよいでいますね。ああ、飛んでしまいそうや。 昔、ブルーハーツが歌ってましたね。 むき出しの100万ボルト♪ 風に揺れるタンポポだ♪ ワーワーワーワー♪ ワーワーワーワーワー♪ おっと、その向こうではシロツメ草とスミレがそよいでいます。 こうやって撮ると大草原やな。ちょっと寝転んでるんです。なんでもない裏の芝生なんやけど。まあ、雑草の原っぱですね。ぼくはこの風情が好きなんですが。 こうやって草っぱらに座ってるとええ気分や、エエ季節になりましたで。 前の庭の八重の桜は満開や。これが散ったらホンマに春は終わりやな。 八重桜の下でフリージアと、ン?これは何ていう花やろ?ハナニラか?これも満開やな。誰か名前教えてくれんかな。 染井吉野は葉桜、コンクリートの歩道には花びら、まるで雪の道やな。 桜並木の横にある、団地の竹やぶでは竹の子が顔を出した。これはそよがない。じっとしてる。どっちかというと掘って食べたい。知らん人が見たら、団地に竹の子が生えるとか、ビビるやろな。でもホンマやねん。 向こうでは新しい葉っぱが芽生え始めて、一人立ちっぱなしの銀杏の木。 今日はいい天気。銀杏も気分よさそうや。 ワーワー♪ ワオワオ♪ ワーワー♪ ワオワオ♪ ブログ村ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.21
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佐藤泰志「きみの鳥は歌える」(河出文庫) 以前、佐藤泰志の「海炭市叙景」(小学館文庫)について、この小説がとてもいい小説だと、上手に伝えられたらうれしいと思って案内を書いたことがある。 その佐藤泰志のデビュー作が「きみの鳥はうたえる」(河出文庫)。2018年、映画になったので読み直した。映画は、この小説が描いている決定的な「暗さ」を避けることで、青春映画として成功している。 佐藤泰志の小説の「暗さ」や「貧しさ」が、読者を遠ざけるようなところがあると思うけれど、彼が描き続けた世界には明るさは似合わないのかもしれない。ひとが生きるということを、小説として描く。作家が「生きている人」として描く登場人物の「ぼく」や「静雄」は、どうにもやりくりのつかない「今」を、こちら側の世界から投げ出された人として生きるほかはないという様子だ。 彼らは高校を出て、そのままアルバイト暮らしを始めて、偶然知り合った友人同士として、今ふうにいえば部屋をシェアして暮らしている。学校に通って将来に備えているわけでもないし、「静雄」に至ってはアルバイトもやめてしまい、ポケットにある資金が尽きたときの算段すら放棄している。 「ぼく」がアルバイトをしている本屋の同僚だった「佐知子」も、「ぼく」が放つ、出たとこ勝負のいい加減な快活さに逃げ込むようにして、この部屋にやってきた。しかし、彼女はやがて、「ぼく」との刹那的に繰り返される肉体関係にではなく、深く静かに絶望している「静雄」に惹かれてゆく。 映画が描くことをやめたのは、ここから後だ。 兄と一緒に病気の母を見舞ったはずの「静雄」は、世界から投げ出された人になっていた母を殺し、彼の身を案じた「佐知子」はあとを追うように街を出る。残された「ぼく」はすべてを知るが、アルバイトに出かけ、いつもの酒場に立ち寄る。 小説がここで終わることを、納得できない人たちは、新人作家の失敗小説と評する場合もあるだろう。映画を作った監督が、この結末を予想すらさせない映画的なラストで締めくくったのも、そういう読みの結果だったのかもしれない。 しかし、今、映画の最後で、120数えて佐知子の部屋に向けて歩き出した「ぼく」を思い浮かべながら、このシーンは佐藤泰志には決して描けなかったし、「静雄」の母親殺しと、その顛末の描き方もこれ以上書き込む必然がなかったのではないだろうか。 「投げ出される」とはそういうことだ。佐藤泰志の絶望的な出発点がここにあったのではないだろうか。それでも、彼は、その世界を書くことでこっち側の世界とつながろうとしていた。それだけは確かなことだったと思う。2019/02/03追記2019・11・20映画「君の鳥は歌える」の感想はこちらをクリックしてください。「海炭市叙景」の感想はこちらをクリックしてください。押してねボタン!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.21
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三宅唱「きみの鳥はうたえる」元町映画館 佐藤泰志の小説「きみの鳥はうたえる」が映画になりました。 観る前に読むか、読んでから観るか問題がまたしても勃発したわけです。柴崎友香と同様、ひいきの作家です。以前に読んだはずだったのですが、全く覚えていません。書棚を探すのですが行方がわかりません。そういうのって、贔屓というのかどうか難しいのですが、最近こういうことが多いのです。困ったものです。しようがないので、神戸駅を降りて、駅中の大垣書店で再購入してしまいました(笑)。「おいおい、二冊目ちやうのん、これ。」「うん、まあ、しようがないやん。おっ、柴崎の『きょうのできごと 十年後』もあるな。ついでや、買うてしまおう。」「えー、仕事なくなって、新刊書店では買えへんと決めたんちゃうの。」「そうか、柴崎のは、古本で出るの待つつもりやったやんな。まあ、ええわ。」「調子に乗って、新刊二冊も買うて。こないだ、西脇に行って、文藝春秋の先月号か、掲載しとった芥川賞の、あれ、「送り火」、読んで「うーん」とかうなって、帰ってきたら新しい単行本が届いとったけど、ああいう場合はおんなじ本、二冊目とは言わんのか?」「うーん、あれは失敗やった。おばーちゃんが文春読んでるとはな。そやけど、もう、注文してたからな。古本言いながら、サラの本が来てたなあ。元値で売れんかなあ。」「あほか。」 とか何とか、一人議論を戦わしながら、元町映画館へ向かいました。席について、文庫本の表紙カバーと映画のチラシがおんなじなのを見くらべてホッとしていると場内が暗くなりました。 人相の悪い青年が画面の中でウロウロし始めて、映画が始まりました。「こいつが柄本佑か、弟はもっと人相悪いいうてたやつがおったな。これが、友達の静雄か。見たことある顔やな。一緒に住んどるんか。」「そういえば、学生の頃、ぼくの下宿に住んでた玉ちゃん、どうしてるんかなあ。この子ら二段ベッドか。玉ちゃんとぼくは、押入れの上と下に寝てたなあ。」「あっ、この女の子ええな。ヤレヤレ、すぐこうなるか、まあ、そんなもんやったかな。でも、この子ら学生ちゃうな。」「うん、部屋の中、今、最中やねん、二人。静雄君、君だけちやうで、その経験。ドア開けようとしたら『ああ、そうなん。しゃあないなあ。』って、なさけないやろ。考えたらきわどいことしてたんや、あのころ。真っ昼間、そんなもんか?って、平気やったし。まあ、ドア、ノックする側しか経験ないけど。」「エッ、仲直りしようってか、それはできんやろ。だいたい、お前、いうてること意味わからんし。アルバイト同士やろ、先輩面スンナや。気ィ弱いだけやろ。柄本くん、やっぱり怒るやろ。そうそう、そうなりますね。ああ、あっ。トイレ抱えて倒れちゃった。弱いなあ。」「わー、お兄さんこん棒持ってきてるやん。そうか、鉄パイプにする根性はないか。つくづくカスやな、こいつわ。あーあっ、柄本くんの死んだふりにビビりよった。」「佐知子いう名前やったか、アップに耐えるええ顔やな。」 ヒロインの困惑(?)のアップで映画は終わりました。記憶に残るに違いない、いい顔でした。 チラシで柄本佑、染谷将太、石橋静河の名前を再確認し、納得して席を立ちました。「そういえば、スーザン・ソンタグという人が「孤独は連帯を制限する、連帯は孤独を堕落させる(Solitude limits solidarity;solidarity crrupts solitude)って、言うてたというのを最近読んだけど、映画の中の人相の悪いきみ、柄本くん、あんたの姿を見ていて思いだしたわ。」「あんたが、何かを拒絶してる姿に、なんや知らん、ものすご、グッときた。共感いうんかなあ。何があって、そうしてるんかはようわからん。でも、それは、例えば、青春とか、潔癖とか、そんなもんとちやうって、今でも思もてんねん。いっぺん拒絶と決めたら、拒絶や。結果的に、一人になっても、それはシャーナイ。幾つになってもや。そやろ。」 それで、映画の中の柄本君は120数えて、振り返って走り出しました。そこが小説とは違っていました。確か、原作では佐藤泰志君には走り出させるとこができなかったように思うのですが、三宅唱君は走り出させました。映画が小説を追い抜く瞬間がそこにあったのかもしれません。でもな、それが、サイコーによかったで!ソンタグはな、あくまでも「安寧は人を孤立させる(Comfort is olates)」という前提で言うてんねんな。ぼくはな、あんたが走り出したのを見てて、『それで、どうすんねん!』って、アホみたいに目を瞠っててん。 人を好きになるというのは「solidarity連帯」とも「comfort安寧」ともちがうのです。で、何かと問われたら困るのですが、走り出すしかほかに方法がないことなのでしょうね。 映画館のカウンターを通り過ぎようとしたら、声を掛けられました。カウンターで知り合いの女性が笑っていました。元気そうで、何より。少し動揺して、トイレに行くのを忘れました。神戸駅まで歩きながら、トイレに行きたくて困りました。トホホ‥・・・ そうや、帰って原作読まな!監督 三宅唱原作 佐藤泰志脚本 三宅唱撮影 四宮秀俊照明 秋山恵二郎音楽 Hi'Specタイトル題字 佐藤泰志キャスト柄本佑(僕)染谷将太(静雄)石橋静河(佐知子)足立智充(森口)山本亜依(みずき)柴田貴哉(長谷川)2018年製作・106分・G・日本2018・09・26・元町映画館・no4追記2019・11・20小説「きみの鳥は歌える」の感想はこちらをクリックしてください。追記2020・01・09偶然つけたチャンネルでこの映画をやっていて、見始めたら最後まで見てしまった。映画とは違う小説の結末も覚えているので、テレビでやっていることに、勝手なイメージが重なって面白かった。小説の結末で映画を撮ればどうなるのだろう。ラストシーンがイメージできない。映画の結末は、明るいわけではないが、まだ三人に未来があるように感じた。追記2023・01・18 三宅唱の新作、「ケイコ、目を澄ませて」を観ました。主役のケイコは「君の鳥はうたえる」の柄本君でした。 押してね!ブログ村ボタンにほんブログ村にほんブログ村
2019.04.21
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金大偉「花の億土」十三第七芸術劇場 亡くなってしまった石牟礼道子の声が聞きたくて、顔が見たくて、朝から、市バス、JR、阪急と乗り継いで十三までやって来ました。チッチキ夫人、ピーチ姫と連れ立って、家族で映画鑑賞会。「おー、十時開演に間に合ったぞ。」 そのとき、フト、そういえば、学校は夏休みですが、世間の方々は、お仕事だったのだと思いだしました。三人並んで観たのは金大偉のドキュメンタリー、「花の億土」です。 座って語り続ける石牟礼道子の顔。ユラユラと歩きながら、諤諤と首が動く様子で暮らしている立ち姿。いいよどみ、いいよどみする、あの声が、宇宙だか、あの世だか、海のむこうのほうだか、をかたり続けているように聞こえます。「これ、これ、ふふふふ。これが聞きたかった。石牟礼さん、何を言ってもいいよ。宇宙の果てまで行こうが、魂の奥底をのぞき込もうが、人類の滅亡を予感しようが。あなたが、文字通り懸命に語りかけていらっしゃる、どもって、言いよどんで、頭もからだも、ゆらゆら、ゆらして。なんのかっこも、わざともなく、悶えていらっしゃる。それを見ていて、聞いていて、ぼくは気持ちが軽くなるのがわかるのに、涙が止まらない。」 映像にくぎ付けになりながら、ふと、違和感が萌してきました。書店のプロモーションフィルムの匂いがにじみ出ています。 「監督さん、ひどいことだと、失礼なことだと分かっていていいます。監督さんがなさっている編集というか、解釈というかは、勝手な思い込みの老人には邪魔なんですよね。石牟礼道子の、いつわりのない声と表情を、自分の頭だか、こころだかのどこかにこすりつけて帰りたいだけなんです。申し訳ないんですが、彼女を、なんだかえらい人にしないでほしいんです。」 観終わって、十三の商店街を歩いて、チッチキ夫人とピーチ姫と三人でうどん屋さんに入りました。「おとん、大阪やねんから、うどんやろ。なんでそばやねん。」 「キツネそばって書いてるから、うん?って思って頼んだのに、ハイ、タヌキねって,なんやねん。いっしょやん。」 「ああ、そばならタヌキか。」 「自分もざるそばやん。」 「ああ、暑いから、でも、カヤク飯つけたし。ちょっと、その卵とじうどん、ツユ飲ましてよ。」 「神戸と一緒やで、はい、どうぞ。」 「やっぱり、ぬくいうどんがよかったかな。」 お土産には、いつの間にかチッチキ夫人が「酒蒸し饅頭」を買っていました。「いつ買うたんや?油断もスキもないな。」「ここに来たら、やっぱり、これやんか。食べへんの?」監督・撮影・編集・音楽 金大偉ナレーション 米山実配給 藤原書店2013年 日本 113分 2018・08・17七芸・シアター7no4追記2023・05・26古い記事を修繕しています。もう5年位前の出来事です。三人でうどん屋さんに入ったことだけ、妙に覚えていました。 押してね! ブログ村ボタン ブログ村ボタン
2019.04.20
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伊藤比呂美「あのころ、先生がいた」(よりみちパンセ:イーストプレス・新曜社) 風変りで、不思議で、恐ろしい詩を書く詩人がいます。伊藤比呂美さんです。まず彼女の代表的な詩について紹介すべきところなのですが、しかし、それは容易ではありません。父は老いて死にかけです母も死にかけて寝たきりです夫や王子様には、もう頼れません そんな言葉で始まる彼女の評判の詩集は「とげ抜き新巣鴨地蔵縁起」(講談社文庫)といいます。みなさんがお読みになれば、まあ、ぼくもそうでしたが、小説だと思うでしょうね。何しろ文庫本で300ページを超える長編詩なのです。ぼくには、異様に面白かったのですが、今ここで、どう紹介していいのかわからないのです。 そのかわり、というのもなんだけれど、「よりみちパン!セ」(イーストプレス・最近では新曜社)という中学生から高校生向きのシリーズがあるのですが、その中に彼女が書いた「あのころ、先生がいた」(よりみちパンセ:イーストプレス・新曜社)というエッセイ集があります。 その一節を紹介しましょう。 組替えの後、しばらくして、みんなの友人関係が落ち着いたとき、あたしはアベさんに、気がつきました。キムラさん以上に何もできない、ウラタさん以上にしゃべらない子で、まったくひとりぼっちだということ。 なぜあたしがそれに気がついたか。 それは、あたし自身、他に組む相手がいなかったからです。だからウラタさんとだってキムラさんとだって、ほいほい組んでいられたんです。 しつこく言いますが、あたしは肥満児でした。 他の女の子たちと群れるより、マンガや本を読むのが好きでした。組のリーダーだったけど、とくべつ仲のいい子はいませんでした。つまり、あたしもじゅうぶんにふうがわりで、じゅうぶんにひとりぼっちでした。 アベさんは、からだが飛びぬけて小さく、勉強も体育もできず、ただ黙ってすわっているだけの存在でした。あのなんとなく聞こえるシミズ先生の「伊藤、たのむな」に背中を押されて、行動をいっしょにするようになったら、気が合いました。 ウラタさんみたいに「口をきかない」と決めているわけではなかったから、隣にすわって、あたしからいろいろ話しかけ、おたがいがおたがいに慣れてくると、いろんなことを、あたしに話すようになりました。 そうして、しばらくは、何をするのもいっしょでした。アベちゃんはなにもできないから、あたしがひっぱっていくかたちで。 あたしが「アベちゃん」と呼ぶので、みんなも、先生も、そう呼ぶようになりました。 授業参観にあたしの父が来て、アベちゃんを見て、びっくりしていました。アベちゃんのことは、うちでもよく話してたんですが、父としては、ここまで何もできない子とは思っていなかったようです。 「だいじょうぶなの、あんたの勉強は?」と何度も父に聞かれました。そういう心配する父を、初めて「つまらない」と思いました。 夏休み前のある日曜日、とつぜん、アベちゃんが、予告もなしに、あたしの家に遊びにきました。アベちゃんちとうちとは、校区の端と端にあって、とても遠かったので、そんなことは初めてでした。 あたしはアベちゃんを、近くの公園に連れて行きました。そこにはちょうど白い花が満開で、あたしは図鑑をさんざん調べて、やっとその名前をつきとめたところでした。あたしはその花を、ひみつの宝物のように、アベちゃんに見せました。公園で、夕方までいっしょに遊んで、アベちゃんは帰りました。そして、次の日、アベちゃんは、学校に来ませんでした。 「アベちゃんは、なんとかヨウゴ学校というところへ転向しました」とシミズ先生がみんなに言いました。「えっ」 あたしは息をのんで、おどろいて、ことばが出なかったんです。 それから彼女が何を考えたのか、知りたい人は本を手に入れて、続きを読んでください。小学生の頃から高校生時代まで。先生との出会いの思い出が描かれています。エッセイのスタイルで書かれている文章ですが、伊藤さんらしい、ある純粋なこころが表現されていると思います。彼女は、まあ、こんな詩人なのです。(S)2018/06/07ボタン押してね!ボタン押してね!とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起 (講談社文庫) [ 伊藤 比呂美 ]間違いなく、傑作。良いおっぱい悪いおっぱい完全版 (中公文庫) [ 伊藤比呂美 ]ここから始まった、いとうひろみ体験。
2019.04.20
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小山鉄郎「漢字は楽しい」(新潮文庫・共同通信社)山本史也「神さまがくれた漢字たち」(理論社:よりみちパンセ) 白川静という、とんでもない学者さんに、そうとは気づかないで初めて出会ったのは、もちろん本の中で、高橋和巳という中国文学者で作家の「わが解体」という、1970年ごろの、ある傾向の学生の必読書の中でした。 その中に、1960年代の終盤、大学紛争(?)、闘争(?)で騒然たる、立命館大学の校舎の中に、灯の消えない研究室が一つだけあって、「S先生の、その研究室には過激派(?)の学生たちも畏敬の念で接していた。」 という内容の記述がありました。その部屋が白川静研究室だったのです。 1980年代の後半「字統」「字訓」「字通」という、文字通り字書である辞書が、世に問われる15年ほど前のエピソードですが、あれが、この白川静のことだったと気づくのは辞書が評判になって、実際に手に取った2000年を超えてからのことでした。 その白川静さんもなくなって、10年以上の年月が経ちます。 ここのところの元号騒ぎで、この人が生きていたらなんというのか、気になったので、「令」という文字について、「字統」を探してみると、ありました。「令」について許慎(「説文解字」という後漢の字書の著者)は「?(しゅう)」と「卩(せつ)」とから成るものと分析し、その「?(しゅう)」は、「集める」の意味をもち、「卩(せつ)」は、「節」の意味をもち、それで、人を集め、竹の節でこしらえた「竹符」を与えて命令するのである、と述べますが、迂曲にすぎる説です。 「令」は、礼冠をつけて、神の声に聞き入っている人の姿を、「象形」した文字にすぎません。 これを読めば、話題の二文字の漢字の連なりの意味は、まあ、こだわらずに素直にとれば、神さんの声を聞いて仲良くしましょう、くらいの意味になりそうですが、いかがでしょう。 皆様も、一度、「字統」ぐらいをお引きになれば、もっとよくわかりますが。 さて、そろそろ本題ですが、「漢字は楽しい」(新潮文庫)を書いた小山鉄郎さんは「これが日本語」でも案内した方です。 今はどうなのか知りませんが、共同通信の文化部の記者で、村上春樹や吉本隆明に関する著書もある人です。特に吉本には私淑した人らしく、新聞のコラムを本にした「文学はおいしい」(作品社)なんて本は、吉本隆明のお嬢さんで、マンガ家のハルノ宵子さんに挿絵を描いてもらっているだけでなく、吉本の著作からの引用もちょこちょこ目に付くところが面白い本です。 白川静に関していえば、小山さんは、最晩年の弟子ともいうべき人かもしれません。師匠が亡くなった後、小山さんがこういう本を作って、遺髪を継いでいらっしゃる。「はやり便乗の金儲けかよ」、そんなふうに思っていたこともありましたが、じつは、大切なお仕事をなさっていると、今では思います。 もう一人の山本史也という人は、高校の教員をしていた人らしいですが、立命館大学が作った文字文化研究所で教えを受けて、そこでのお仕事として「神さまがくれた漢字たち」(よりみちパンセ・理論社)を書かれたようです。白川静という巨大な存在のエキスとでもいう部分について、10代の少年や少女たち楽しく解説されている本のつくり方には好感を持ちました。 この二冊の本には、最初から読み続けて、結果、読書したという読み方は似合わないかもしれません。気になったら取り出して、気ままに読むのが良いかもしれませんね。トイレとかに常備して、いつの間にか読む、そんな感じがいいと思います。 小学生の子供たちに、「漢字の成り立ち」劇かなんかやってもらって、右手にお椀、左手に呪具かなんか持って、首を抱えて土饅頭の上にのせて、「さあ、いくつ漢字が出てきたでしょう?」 とかやったら、面白いだろうなあ。そういうふうに、漢字を理解していく子供を育てる世の中になればいいのになあ。そういう気持ちが作らせた本だと思います。 みんな機械が覚えてくれてる世の中を生きていく子供たちが、だからこそ、成り立ちの姿くらい、面白がらせてあげないと、かわいそうじゃないか。ぼくはそう思います。 そうそう、大人の人たちでも、たとえば中島敦の「文字禍」とか、円城塔の「文字渦」なんていう小説を読む前に、読んでおくのもいいかもしれません。円城さんが描く意味とはまた違った意味で、漢字は生き物かもしれませんよ。 ともあれ、「白川漢字学」と小学生とか中学生の頃に出会い、「口(さい)」 を知っている高校生が教室に座っているなんて、教員には夢のような話ですね。 漢字嫌いの学生さんも、子供向けにとらわれず手に取ってほしいと思います。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.04.20
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上田慎一郎 「カメラを止めるな!」 元町映画館 no3 世間で起きていることは何事にもウトイぼくでさえ、評判になっていることは知っていました。元町映画館4時30分開始のチケットを3時50分に購入して44番でした。 「おっ、バースやんけ。やっぱ8時半の来週来たほうがよかったかな?」 「今日はまだ少ないですよ。」 「えー、そういう評判なんや。シネ・リーブルもやってるやろ。」 「そうですね、人気ありますよ。」 「10分前くらいからか?ちょっと、ぶらついてくるね。」 「はい。」 ・・・・・・・・ 「おっ、ならんどる、ならんどる。」 昔はよく座っていた一番前の真ん中へ座りました。結局、最前列なのに、いや、なのでか、ぼくの右側だけが空き席で、後ろは、どうも満員ポイ様子でした。最近の映画館では、あまり感じないムードが漂っていました。 で、「カメラを止めるな!」が始まりました。 隣はアベックでした。映画が終わって、おにーちゃんの方が拍手していました。ぼくはしませんでした。もちろん泣いたりもしませんでしたし、いまいち、ドキドキもしませんでした。 前評判や、レビューは読まない方がいいタイプだと思って、全く予習なしで観ましたが、チラシを見て、なんとなく予想していた展開で、高校生の映画コンクールの作品みたいでしたが、おにーちゃんの拍手には、もっともだと思いました。とか何とかいいながら、結構喜んで見ていたんですね。 トリュフォーの「アメリカの夜」を思い出しましたが ― 古くて、しゃらくさいことを覚えていますね ― 残念ながら、この映画にはトリュフォーの映画の、時代や文化に対する批評性はないとしゃらくさいことを思いました。 久しぶりに、映画の最中に笑い声が上がるのを聞きました。みんなが喜んでいる雰囲気の映画館はいいものです。終わった時に、みんな拍手するのかなと待ち構えましたが、隣のおにーちゃんだけでした。それも、変といえば変でした。「きっと、映画ファンが増えるタイプの映画なんやろうな。」 そう思いました。それは、やっぱりいいことかな、と思いました。でも、こういう雰囲気の映画がもてはやされて、こういう雰囲気を賞賛するムードが広がるのもどうかなと思いました。 「でも、まあ、これは、ぼくが見たがっている映画とは違うということに過ぎないかもしれなあ。『アメリカの夜』はもう一回見てもええんやけどなあ。そこのところがよくわからんなあ。」 そんなことを考えながら、三宮まで歩きました。 どんよりと曇った夕暮れでしたが、元町商店街も三宮センター街も、思いのほかの人で、ごった返していました。2018/09/12 元町映画館no3 追記2019・04・19 見たのはブームの始まりの頃だったのか、そのあと、ますます評判になりました。知り合いの大学生さんが、映画を作る側になる夢と一緒に語ってくれたりするのに出会ったりしました。「いいなあ。」 と思う反面、「ちょっとちゃうんちゃうかなあ。」 と思ったりもしました。もちろん口には出しませんが(笑)。追記2020・03・30 テレビのバラエティ番組に見たことがあるなと思った顔が映っていたので、チャンネルを止めてみていると、この映画の主役のカメラマン役で、多分、監督をしていた男性でした。「ブームから一年半経つとこういうところに出るようになるんや。」 新しい映画の宣伝でもしているのでしょうか。なんか不思議な気がしましたが、チャンネルは、すぐに変えました。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.04.19
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佐伯一麦 「渡良瀬」 (新潮文庫) 佐伯一麦という作家のエッセイ集「とりどりの円を描く」(日経新聞社)を読み終えた。 本の紹介を集めた本だが、書評というには短い、新聞を読む読者に向けて小さなエピソードと、作家の考えが過不足なくつづられていて読みやすい。いつから、こんなふうに穏やかで落ち着いた文章を書くようになったのか。老成した作家然としている落ち着きように少しいやみだと感じないわけでもない。 「ショート・サーキット」(当時、福武文庫・現在、講談社文芸文庫)が初めての出会いだった。続けて読んだ「ア・ルースボーイ」(新潮文庫)でハマった。たしか、野間文芸賞新人賞、三島由紀夫賞をそれぞれとったはずだ。 印刷用紙を触っていて手を切ったりすることがある。たいして切れているわけではいないのに、じわじわ痛い。数日すると細く長いかさぶたができる。そんな小説だった。 2005年くらいまで、新しい作品が出ると、しようがないような気分で買いこんで読んでいた。この春に書棚の整理をしていると、大きめの判型の「鉄塔家族」(日本経済新聞社)が、妙に邪魔になる感じで座っていた。ところどころに付箋が貼ってあるから、読んだことは確かだ。たしか、これを読んだのを最後に、この人の小説を読むのを一旦やめた。 家族との不和、仕事の現場で被災したアスベストによる喘息、ずっと、ルースボーイのままで、職場や家庭はいつまでもショートサーキットしている主人公のありさま、読み終わると、切れないカミソリきずのようなひりひり感、大作の「鉄塔家族」を読み終えて、つくづく、この人の作品は疲れると思ったはずだ。 あれから十年余り、とっている新聞の書評欄に佐伯一麦が書評を書き始めた。地に足が着いたというか、穏やかな物言いで作品をほめている文章に、はてなと思った。「この人、何か変わったかな。」 何が変わったのかは、よくわからない。知り合いが勤めている大阪にある大学の文芸科で先生をしていると聞いたのもこのころだった。 新潮文庫の新刊のラインナップにあった「渡良瀬」(新潮文庫)という小説を久しぶりに読んだ。 読み終えて、 最後のシーンが引っ掛かった。しかし、全体の印象は化けた! という感じだった。以前のイメージが、小枝にとまって囀り続ける小鳥だったのに対して、かなり大きな鳥が大きく羽ばたいて、空をゆく感じがした。 主人公を取り巻く家族や、職場の状況が大きく変わっているわけではないし、主人公の描写も年齢を重ねた様子が違うだけのようだが、読んでいると読者まで傷つけるような、錆をなめたような不快感が消えていた。 あわてて、なんであわてなきゃあいけないのかわからないが、気分はあわてて「還れぬ家」(新潮文庫)を読んだ。家族も仕事も変わっていた。40年前に飛び出したはずの仙台が舞台だった。東北の大地震を被災したふるさとの町に主人公は帰っていた。 微妙なニュアンスは、以前の味わいを残しているが、この作品も「渡良瀬」に近い印象だった。 「渡良瀬」は「鉄塔家族」と描かれている時期が重なっているように感じたが、何かが変わっている。小説世界は1980年ころの作家の生活、子どもがいて、小説を書きたがる主人公がいて、それを嫌がる妻がいる。街の電気工事ではなく、配電盤製作工場の勤め人をしている。 今、手元にないのであやふやな記憶で書くが、小説の中で、時々訪ねる遊水池の野焼きのシーンが、日々の配電盤の製作のシーンと対照的なイメージで描写されており、ここに妻や子供たちを連れて来たいと思う気持ちを生活のなかでは素直に表すことができない主人公の哀切な心情の穏やかな深さがこれまでの作品にはなかった印象だった。しかし、最後にもう一度描かれた、この「遊水池」のシーンに引っかかった。 何故このシーンがもう一度ここで描かれるのか、そこまで書かれてきた電気工の主人公の描写と、このシーンがどうつながるのか。 ここで湧きあがった 自分なりの疑問に答えを出したいからというより、「還れぬ家」(新潮文庫)を読んだあと、再び自分のなかでブームになっていて、図書館という強い味方を得たこともあり、今まで読まなかった小説論やエッセイ集にも手を出しはじめた。 「とりどりの円を描く」の次に手にとった一冊は「麦の日記帳」(プレスアート)という佐伯の最新の著書だ。そのなかに「渡良瀬遊水池ふたたび」と題したこんな文章があった。 はるか上流の足尾銅山の鉱毒によって渡良瀬川は汚染され、流域の農地にまで及んでいった。日本における郊外に始まりととされる足尾鉱毒事件。そのために、時の明治政府によって、洪水調整の名目で、もともとは肥沃な農地で流れている川には魚影も濃かったこの土地は、遊水池として強制的に水没させられ作り替えられたのだった。 そして今、上流の足尾山地や赤城山一帯は、放射能の汚染地帯が広がっており、大雨のたびにセシウムを含んだ大量の土砂が、遊水池へ運ばれてくる。震災によって三年ぶりにおこなわれた野焼きは、放射能の悲惨を懸念する声を配慮して、焼く葦原の面積を例年の四〇%にとどめたという。百年を経て歴史が繰り返されている思いが湧く。 「あっ、そうか、ここが『谷中村』の水没地点だったんだ。」 さすがのぼくでも、渡良瀬川が足尾銅山の鉱毒が垂れ流された川だということくらいは知って読んでいた。 しかし、主人公が自転車に乗ってやってくるこの場所の水底には100年前に沈められた村が一つある事には気づかなかった。 気づいてみると、この場所を小説の中に描こうとしていた作家の意図のようなものが浮かび上がってくる。作家は、人が生きている、小さな「とりどりの円」を描きながら、癒しの風景としての自然としてこの場所を描いていると読んでいたのだが、そうではなかった。この風景もまた100年を超える時間をたたえた「とりどりの円」の一つだったのだ。 日々のうたかたのような人の暮らしを描く小説の最後に、この風景を描くことで、人の命や生活を越えた時間が小説世界に流れ込んでくると作家は考えたに違いない。それがぼくの納得だった。 この日記は2013年の春に書かれていて、「渡良瀬」(岩波書店)が単行本として出版されたのはその年の暮れだ。小説は20年以上も昔の生活を描いているわけで、震災も放射能汚染も想像すら出来ない主人公の暮らしが描かれている。しかし、作家のなかには100年を超える時間の流れが意識されていたことは間違いなさそうだ。 引っかかっていたとげのような読後感はこうして解消し、小説「渡良瀬」の大きさ を、あらためて実感した。2018/12/30 追記2019・04・19佐伯さんの新作「山海記」(講談社)が出ましたね。楽しみです。朝日の書評委員を退かれたのは、とても残念ですが。追記2019・11・24「山海記」を読みました。ぼくの中では2019年のベスト3に入る作品でした。感想はいずれ書きますが、ほかにも「空にみずうみ」の感想を書いています。表題をクリックしてくださいね。 ついでというわけですが、黒川創「鴎外と漱石のあいだで」(河出書房新社)という評論で、「渡良瀬川の遊水池」をめぐって田中正造と吉屋信子の父の出会いのエピソードが書かれています。で、それについて感想を書いています。表題をクリックしてみてくださいね。追記2022・09・29 「山海記」の感想は書けないまま3年経ちました。難しいものですね。自分の家のどこかにあるはずなのですが、読み終えたその本がどこにあるのかもわからない状態です。黒川創の作品の感想も書きたいと思いながらうまく書けないのでほったらかしです。「読んだ本はどこに行った?」と、自問したのは晩年の鶴見俊輔だったと思いますが、とりあえず「ああ、ここにあった」にたどり着きたい今日この頃です(笑)。 にほんブログ村(ボタン押してね!)にほんブログ村(ボタン押してね!)
2019.04.19
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「うつむいて!ホラ 春の花」 徘徊日記 わが街2019-13 徘徊を始めて、初めての春、初めて気づいた花の名前を一つ一つ取り上げてみようと思います。 団地の緑地やそれぞれの棟の前にある花壇の奥の方に一叢、紫のちいさな塔のような花が咲いています。 「ムスカリ」 「寛大なる愛、明るい未来、通じ合う心、失望、失意」という花言葉の花なのですが、なんのこっちゃという気もしますね。 かたまりて ムスカリ古代の 色放つ 青柳照葉 「アマリリス」 たぶん、これはアマリリス。花言葉が「おしゃべり」と知って笑いました。 名声消さず 為事せぬ人 アマリリス 中村草田男ウエートレス 昼間は眠し アマリリス 日野草城 「プリムラ・桜草」 写真を撮って、名前を調べていると、要するに「桜草」の一種だと分かって笑いました。花言葉は「青春のはじまりと悲しみ」「青春の恋」だそうで、何だか大変ですね。 句はさすが子規という感じで、加藤楸邨も浮かんでくるイメージがいいですね。でも、まあ、青春でしょうかね? 風吹て 桜ちる日よ 桜草 子規花の奥より 蕾駈け出づ 桜草 加藤秋邨 「アネモネ」 今年、花を求めて、うろうろしていて、一番感動かつ驚愕の花でした。アネモネです。これが緑地の木々の影の薄暗がりに咲いていたのです。もちろん名前も知らない花だったのですが、写真を見せるとチッチキ夫人が一言。 「アネモネじゃないの。どこにあったん?」 「へへへ、秘密やでそんなん。花言葉、《あなたを信じて待つ》やで。探したりよ。」 アネモネの 花いとけなく しどけなく 石田郷子アネモネの むらさき濃くて 揺らぐなし 水原秋櫻子「クリスマスローズ」 地味といえば、これ以上ない地味な風情の花ですね。団地の西の端にある「ひまわり」花壇に咲いていたのですが、はじめは、花だと分かりませんでした。この花壇の花々はボランティアの「ひまわり」さんたちに、よく手入れされていて楽しいのです。 クリスマスローズの花言葉は予想通りというか、実にごもっともという感じで、「なぐさめ」「私を忘れないで」でした。 クリスマスローズ 俯きて春の 風情なり 牧原佳代子 桜が散り始めて、やがて夏が来ますね。
2019.04.19
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山田史生「受験生のための一夜漬け漢文教室」(ちくまプリマー新書) 教員を目指している人にも、だから当然、受験生にも、漢文が苦手という人が結構たくさんいらっしゃいますね。受験勉強でも、授業の教材でも、本当はね、「漢文」は難しくないんですよ、ということを教えてくれる本を紹介します。 山田史生という弘前大学の教育学部の先生がお書きになった「受験生のための一夜漬け漢文教室」(ちくまプリマー新書)という参考書があります。本屋さんに行っても、受験参考書の棚ではなくて、新書の棚に並んでいるので、なかなか気づかれないようです。 漢文を読むということは、ちょっと変な面倒くさい作業なのですが、それ以前に、漢字嫌いの高校生、大学生諸君にはかなり苦痛な作業であるだろうということはよく見かける光景ですね。 というわけで、とりあえず漢文攻略という目的を持つときにまず最初に「漢字って何よ」というところから入らないとしようがないわけですよね。 詳しく話し出すと、これはこれで大変なのですけれど、要するに日本語の中になぜ、どんなふうに漢字があるのかという素朴なところの説明をすっ飛ばして勉強が始まるのが、今の学校という制度の現実なんですね。 学校で習うことや先生が言うことを上手に口真似できる子どもが優秀だという押し付けで、センセーがただの馬鹿かもしれないってことは明かさないないんです。 漢字一つとっても、なぜそうなのかは考えさせない。それじゃだめですよね。ところがこの本では、例えば「仮定」という構文がありますが、こんなふうに説明しています。 父 まず仮定形からだけど、そのまえに「仮定」という表記がダメなことについて説明しておきたい。娘 え?どういうこと?父 「反」という字形をふくむ字には「板・坂・版・販・飯・叛」などがあって、どれもみな「ハン」という音をもっている。「仮」の正字は「假」で「暇・霞・瑕」などがその仲間で、みな「カ」という音をもっている。この中の「假」だけを仲間はずれにして「仮」と書き、板や坂や飯の仲間にするのは、ひどく不都合なんだ。娘 なるほど。だったら「暇定」と書けばいいんじゃないの?父 そうなんだけど、多勢に無勢っていうか、このさい目をつぶって「仮定」で行こうとおもう。どうか軟弱なパパをゆるしてほしい。娘 一句浮かんだわ。「パパもまたNOといえない日本人」オソマツ。おわかりでしょうか。実はセンセー方の大半もご存じないし、知っていても時間がかかるからすっ飛ばしている。そういう所から入るんですよね、この参考書は。 「漢字から漢文への文化の変遷」が意識されてるこういう「漢文」の参考書は、僕が知る限りあまりありません。 次は「漢文から日本語へ」という移入の扱われ方ですね。「反語」の説明のところにこんな会話があります。父 「以臣弑君、可謂仁乎」これは「臣をもって君を弑す。仁と謂ふべきか」と読む。「仁と謂ふべけんや」と読んでもいい。仁じゃないってことが明らかなのに、あえて疑問のかたちに読むことによって、かえって語気を強めているわけ。 娘 「仁ということができるだろうか、いやできない」って訳すんでしょ?父 わざわざ「~できようか、いやできない」と訳すことはない。だって日本語として不自然だろ?いったいだれがそんな話しかたをするだろうか、ってこれも反語だけれど。娘 でも学校でそう習ったわよ。 父 パパを信じてくれ。「家来でありながら君主を殺すのは仁といえるだろうか」のあとに「いや、いえない」と附け足さないと意味が伝わらないというのは、かなりヘンだよ。家来でありながら君主を殺すのは、たいてい仁とはいえないけど、ひどい暴君だったりすることもあるしさ。だからヘタに「いや、いえない」と附け足すと、「家来でありながら君主を殺すのは、かならず不仁であると」ということになりかねない。娘 そうよね。「~だろうか、いや~でない」という訳し方は捨てることにするわ。 内情を言えば、反語の訳の後ろに「~ない」を付けさせるのはセンセーの採点の都合のためだったりするのです。わかっているかどうか、言うことを聞いているかどうか、確かめたくて仕方がないのがセンセーというものなのですね。 ところが、この本は、漢字の本質から漢文へ。漢文から自然な日本語へ。筆者の考えが一貫していて、信用できる。これなら、苦手な皆さんも読めるんじゃないでしょうか。 これを読んでおもしろければ、次は「白文なんか読めなくても大丈夫。」と喝破する加地伸行さんの「漢文法基礎」(講談社学術文庫)がおすすめ。小川環樹さんの「漢文入門」(岩波全書)にたどり着ければ高校の教科書やセンター試験どころの話ではなくなりますね。(S) 大学受験漢文について、トータルな力の養成にはこっちですね。書き手の実力が半端じゃありません。2018/06/05ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.04.18
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エドワード・オールビー「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」KAVC シマクマ君、おなじみのナショナルシアターライブ2019。今回はE・オールビーの名作「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」。エリザベス・テラー主演で映画にもなった有名な作品。見たことはないが、戯曲は読んだことがあるとたかをくくって出かけた。おなじみになったアートヴィレッジの地下劇場に今日は4人。なにせ3時間を超える大作(?)、上映時間を見ると二の足を踏む人がほとんどかもしれない。 「まいりました!」 マーサを演じたイメルダ・スタウントンのすごさを実感した。 三匹の子豚が「狼なんかこわくない」と歌うディズニーのアニメに遠慮して「ヴァージニアウルフなんて…」とやった1960年代の戯曲が全く古くない。 パーティー帰りでかなり酔っぱらっている中年夫婦。いつものように、なのだろう、大声で、いがみ合うシーンから舞台は始まる。そこに、パーティーで知り合った、希望に満ちた若いカップルがやってくる、。時間は真夜中の二時。 何もかもが、非常識で、いかがわしい。 酒を飲み続ける4人の登場人物。大声で、夫をののしり、若い男に媚びるマーサ。怒りに耐え切れないジョージ。飲みつぶれる若い妻ホニー。 繰り返し歌われる「狼なんかこわくない!」。 すべてがはぎとられたマーサ。「怖い」の一言で一晩中つづけられた罵り合いが終わり、白々と夜が明ける。 暗転し舞台は終わる。 マーサとジョージの夫婦が罵り合いながら守ろうとしていたもの、二人の現実を支えている虚構をはぎ取れるだけはぎ取ってみれば、そこに「空虚」しか残らないことを否応なく思い知らされる。 イメルダ・スタウントンの最後の表情がすべてを語っている。 「私たちは、実は空っぽなんだ。」 「人間は哀しい」 この、空っぽに震える表情を作るために、いや、この顔を観客に納得させるためといった方がいいか。この女優は三時間、出ずっぱりで叫んでいたのだ。うーん。 こういう感動が演劇にはあると初めて経験したような気がした。 アートヴレッジを出たところでボンヤリタバコを喫っていると、元町映画館の受付でよく出会う女性が自転車で通りかかりながら声をかけてくれた。 「コンニチワアー」 「いまね、ここで、バージニアウルフ見ててん。イメルダ、なんちゃら、すごいわ。カンドーや」 「スタウントンですね。また寄ってくださいね。」 「うん、ありがとう」 ぶあつい雲が出て、少々怪しい。兵庫駅まで歩いていると、最後のシーンが繰り返し浮かんできた。演出 ジェームズ・マクドナルド 作 エドワード・オールビー ハロルド・ピンター劇場(ロンドン) キャスト イメルダ・スタウントン (マーサ) コンリース・ヒル (ジョージ) イモージェン・プーツ (ニックの妻ホニー) ルーク・トレッダウェイ (新任教授ニック)原題National Theatre Live: Edward Albee「 Who is Afraid of Virginia Woolf?」 2017年 イギリス 210分 ボタン押してね!
2019.04.17
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関川夏央・谷口ジロー「秋の舞姫」(双葉社) 高校で授業をしたいと考えている人たちにとって森鴎外の「舞姫」は定番教材です。 「石炭をばはや積み果てつ」 あまりにも有名な冒頭ですが、この美文調の擬古文体の文章は、現代の高校生には苦痛以外の何物でもないらしく、主人公太田豊太郎がベルリンに到着したあたりで早くもギブアップで、教室には、なんというか、オモーイ空気が漂い、ひとり、ふたり、あっちでバタリ、こっちでバタリ、最悪の消耗戦を戦う戦場もかくや、という様相を呈してくる日々が思い出ですが、今回、案内するコミック「坊ちゃんの時代」第二部「秋の舞姫」(双葉社)は授業の幅を広げたい人には、格好の参考図書かもしれません。 関川夏央が原作を書き、谷口ジローという漫画家が作画したこの「坊ちゃんの時代(全5巻)」は、日本という国の「近代」という時代に、言い換えれば文明開化、富国強兵をうたい文句にして驚異的な発展を遂げたアジアの片隅の島国の「明治」という時代ということですけれども、その時代の「人々」に関心を持っている人には、おすすめです。 原作者の関川夏央は、両親が学校の先生という不幸な生い立ち(?)なのですが、上智大学を中退して、週刊誌のコラムを書いたり、ポルノ漫画の原作を書いたりして糊口をしのいだこともある苦労人(?)で、「ソウルの練習問題」(新潮文庫)という作品で批評家として世に出た人です。 どっちかというと「文学さまさま」というようなアプローチではなく、スキャンダルや、エピソードの収集家的な視点と山田風太郎的な奇想の視点で、近現代の文学シーンを暴いてきた人なのです。 その関川夏央が、名作「犬を飼う」(小学館文庫)の漫画家谷口ジローと組んで、日本漫画作家協会賞をとったのがこの漫画なのです。 その第二部、「秋の舞姫」は「浮雲」の作家、二葉亭四迷こと長谷川辰之助の葬儀のシーンから始まります。 明治四十二年六月二日。染井墓地での埋葬に参列する人々は、漱石、夏目金之助。啄木、石川一。鴎外、森林太郎。弔辞を読むのは劇作家島村抱月。他に、徳富蘇峰、田山花袋、逍遥こと坪内雄三、etc。明治の文学史上のビッグネームがずらりとそろっています。 言文一致といえば必ず名前が出てくる二葉亭四迷という文学者がいますが、彼は朝日新聞の特派員として念願のロシア遊学中に発病、帰路インド洋上の船中で客死しました。しかし、その二葉亭四迷が死の床で、脳裏に浮かべた一人の女性こそ、エリーゼ・バイゲルト、すなわち「舞姫」のエリスのモデルであったというのは何故かということが、この漫画のネタというか謎というわけなのです。 言文一致のビッグ・ネーム、二葉亭四迷が、なぜ、雅文体の雄、森鴎外の恋人エリスことエリーゼを知っているのか。なぜ、今わの際にその面影を思い浮かべるのか。 鴎外のドイツ留学からの帰国は明治二十一年九月八日です。ドイツ人女性エリーゼ・ゲイバルトは四日遅れて横浜に到着します。彼女の船賃を工面したのは鴎外自身で、実は、彼はこのドイツ女性と結婚を決意していたのです。 しかし、日本に帰国した鴎外は、エリーゼ・ゲイバルトが日本に滞在した三十六日間の間にたった一度だけしか会うことがなかったのです。「ああ ようやく…」「済まなかった‥‥」「一万哩を旅したこの地の果てで、まともに会えたのがただ一度 なのですか。」「済まなかった。しかし私にとっては欧州もまた地の果てだった。」「‥‥そうなのですね。」「地の果ての決意を私は石のごとくと思ったが、それは砂の塊にすぎなかった。いま、この国で白人が暮らすのは苛酷だからというのはやはりいいわけだ。私は自分の安心のためにあなたを捨てたのだ。」「・・・・・・」 「互いにあまりに遠すぎた。生まれた土地が…ではなく、生まれた土地によって作られた互いの人間性が。私は深く恥じよう。」 「わたくし、十七日の船で日本を去りましょう。コガネイはもう一度リンタロウーの母上に話そうといいました。あなたの弟アツジローも。わたくしは断りました。あなたには所詮無理です。恋人のために命を投げ出す義の心がない。そう思い知りました。」 「家」、「国家」、「社会」、抜き差しならないしがらみに身動きならない鴎外、森林太郎が、エリスによって、切って捨てられたシーンの二人の会話です。 ひとり「鴎外のみのこと」ということはできないでしょう。「明治という国家」と個人がどのように出会ったのか、哀しいというよりほかに、言いようはないのでしょうか。 傷心のエリスは十月の末に帰国し、鴎外は一年後の秋「舞姫」を執筆し明治二十三年正月の「国民之友」という雑誌に発表しました。 彼は彼で深く傷ついていたのではないでしょうか。「舞姫」はこずるい男の開き直りを描いた小説ではなさそうです。 で、二葉亭四迷とエリスの関係についてですが、興味をお持ちになられた方は、どうぞ、本作品をお読みください。 たった三十六日間の滞在なのですが、エリスは実に様々な人と出会っています。彼女自身の人柄も潔癖で純情、自らの精神に一途な、素晴らしい女性として描かれていて、なかなか痛快です。現在は文庫化もされています。(S)2018/06/13追記2019・04・16 このシリーズは、第一部が「坊ちゃんの時代」では、漱石が「坊ちゃん」を書き始めるころの明治を、第三部が「かの蒼空に」では、石川啄木と金田一京助の友情(?)と、啄木のだらしなさを、第四部、「明治流星雨」では大逆事件で殺された幸徳秋水と管野須賀子の半生。最終巻、第五部は「不機嫌亭漱石」と題し、胃病に苦しむ漱石をメインに描いています。 こう紹介すると歴史実話マンガのようですが、おそらく、違いますね。関川夏央の本領は、調べに調べ、調べ尽くしたうえで「嘘を書く」ことだと、ぼくは思っています。 それは、例えば山田風太郎の方法に似ています。ウソという言葉を使いましたが、それはでたらめではありません。 物語のどこかに、「もしこうであったら」という虚構の補助線が一本引かれているに違いないのです。山田風太郎が得意の明治物の中で幼い樋口夏子と、少年夏目金之助を出合わせたシーンを描いたことがありますが、あれと似た方法を関川がどこで垣間見せているのか、是非お読みになって、「にやり」とお笑いになっていただきたいですね。 絵を描いている谷口ジローも関川も只者ではないのです。なかなか、見破れない虚構の底、奥は深そうです。追記2023・04・11 友達数人と100days100bookcoversという本の紹介ごっこをフェイスブック上で続けているのですが、そこでこの漫画のシリーズが紹介されました。そうか、そうか、とうれしくなったのですが、ボク自身もこのブログで案内していたことを思い出して修繕しました。ボクの案内は国語の教員を目指している学生さんにあてて書いたものですが、若い人がこの漫画を読むのかどうか、いささか心もとない時代になってきましたね(笑)。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.04.17
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黒川創 「日高六郎95歳のポルトレ」(新宿書房) 本書の主人公日高六郎について、その名前や業績について覚えていたり関心を持っている人が、今でもいるのだろうか。 今年、2018年の6月に亡くなったことが新聞に小さく出たように思うが、定かではない。101歳という長命だった。ぼくが高校生の頃だろうか、若干の揶揄も含みながらだったが、進歩的知識人という言葉があった。東大の先生だった人では丸山眞男と日高六郎の二人がその代表選手のようだった。 「思想の科学」という、哲学者の鶴見俊輔が中心になって始めた雑誌や、作家の小田実と鶴見俊輔が中心にいた「べ平連」の活動に顔を出していた東大の社会学者というのが、大学生になったばかりのぼくの日高六郎で、「1960年5月19日」(岩波新書)という本で名前を知った。 じつは、その当時すでに東大をやめてフランスに移住していたということは、今回読んだこの本で初めて知った。数年して日本に帰ってきて、当時、京都に出来たばかり(?)の精華短大の教員をしていたのは知っていたが、この本を書いた黒川創は、その頃に日高六郎と知り合ったらしい。 ぼくがこの本を手にした理由は、その黒川創が「鶴見俊輔伝」(新潮社)という評伝をこの秋(2018年)に出版したのだが、そのことを気にかけていた時に、作家の高橋源一郎が書いた書評を読んだからだ。 もう一つ、わたしは、この評伝を読みながら、鶴見さんを言い表すことばは「まともであること(decency)」ではないかと強く思った。 鶴見さんは、「米国で吹き荒れた赤狩りのなか、下院非米活動委員会で喚問された劇作家リリアン・ヘルマン」に触れ、「魔女狩りに対して、はっきりと立ち向かった最初の人が女性であった」ことの意義を考えた。そして、多くのものを失ったヘルマンが、それでも獲得したひそやかなものを‘decency’ と呼んだことに注意を向けるよう書いた。そのdecency’を鶴見さんは「まともであること」と訳したのである。 わたしがうまく書けないと思うとき、鶴見さんの本を開くのは、そこに行けば、「まともであること」が何かを感じることができるからだろう。「まともであること」が、途轍もなく困難であるような時代であるからこそ、いま、この本の中の鶴見さんのことばに耳をかたむける必要があるのだ。わたしは心の底からそう思うのである。 鶴見俊輔の伝記の書評を読んで日高六郎のポルトレを読むというのは、すこし変だと思われるかもしれない。鶴見の伝記が、すぐに手に入らなかったという事情もあるが、要するに黒川創に対する下調べなのだった。 ぼくはこの人を、読売文学賞をとった「カモメの日」(新潮文庫)という小説を読んで知っていたのだが、その記憶がマイナスに作用していたということもあって迂回したという面もある。読み始めて驚いた。 「面白いのなんのって!」 ここにも一人、戦後を生きた「まともな」人がいた。 中国の青島(チンタオ)で生まれ育ったところから、95歳になった現在までを黒川が聞き、日高が答える。 こう書けばインタビューということになるが、どっちかというと対話か対談といった趣だ。聞き手も思ったことをどんどんしゃべる。結果、話し手の、特に日高六郎という人の人柄が実にリアルに浮かび上がってきて、読み手を飽きさせない。 戦前の中国での少年時代の生活、軍隊経験と学生時代の学問、べ平連の片棒を担いだ脱走兵の支援、紛争であらわになった東大教授たちの真の姿への嫌悪、金大中の拉致・監禁事件とのかかわり、日本赤軍との関与疑惑をめぐる顛末、そして老後の現在。 本書で語られている大きなエピソードを並べ上げればこうなる。どれもこれも、語られている内容のおもしろさはちょっと類がない。 1920年代の青島(チンタオ)暮らしから、戦中、戦後80年に渡って、国家と個人がアクチャルにぶつかっている事件の現場に当事者として立ち会ってきたということがまず驚きだが、その立ち姿が全くぶれていないことはもっと驚きだ。 老人の回想によくあるパターンで、ある種ご都合主義的にぶれているんじゃないかと疑う向きもあるかもしれない。そう思われる方には読んでいただくほかにないが、社会学者であった日高の学問の方法、ひいては生き方を説明するこんな会話がある。日高:自分の一生の七〇年なんり八〇年なり、それをものさしとして時代を見る。ふつう僕たちは、時代の流れを、自分の力ではどうしょうもないものとして見ている。たとえば、大正デモクラシーがあれば、その次は何が来る、というように。でも、それだけじゃなくて、歴史は、僕の寿命のものさしで測れるわけ。黒川:なるほど。ただ、それを自分の視野に収めるには、先生くらいの長生きをしないと‥‥。日高:うん、そりゃそうだ。はははは!あなたも長生きしてください。 現実の社会に対して「自分の寿命」という「ものさし」をあてる。 そこからすべてを始める。「ものさし」の精度を上げるのは自分の責任だし、結果を尊重するのは、まず自分に対する「モラル」ということだ。 かれは、さまざまな組織に所属し、多くの学者や活動家と出会ってきたが、党派や主義に従うことはなかったし、偉い人の口真似をしていばることもなかった。だからといって、孤立した世捨て人ではなかった。黒川:子どものとき片言はできるというのは、ボーイとかアマとかから、口伝えにおぼえるんですか?日高:そう。それで、中国語を勉強したいって、家で言ったわけ。中学校の補習授業に中国語があるので、それをやりたいと。だけど、その時だけは、父が「ノー」と言った。中国語は勉強してはならない。中国に来たら、日本人は堕落する。この青島を見てごらんなさい。中国人にいばって、悪いことばかりしている。権力、武力のもとで人間は堕落していく、みんなそうだ。。中国で生活しないようにしてくれ。日本に帰って、日本で勉強しなさい、と。それも一つの見識だよ。 少年の頃の父の思い出を語ったところだが、ここには同じように「まとも」だった父がいて、90歳をすぎてその見識を記憶している「まともな息子」がいる。日高が、ここから「ものさし」の作り方を学んだことは間違いないと、ぼくは思う。 黒川はここでも「まともであること」を生き抜いた人の姿と言葉を書き留めようというモチーフで仕事をしている。多分、これが彼の仕事ぶりなのだ。この本で、ぼくは、彼のことをすっかり見直した。 さて、せっかく残されているまともな人の肉声、読んでみない手はないのではありませんか。 2018/12/31 追記2020・03・24黒川創の「鶴見俊輔伝」をその後読みました。感想は、題名をクリックして、どうぞ。ボタン押してね!ボタン押してね!【中古】 かもめの日 新潮文庫/黒川創【著】 【中古】afbこれは、小説です。鶴見俊輔伝 [ 黒川 創 ]傑作評伝だと思います。暗殺者たち [ 黒川創 ]伊藤博文と安重根、暗殺者と暗殺者。
2019.04.16
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大村はま「教えるということ」(ちくま学芸文庫) ぼくたちの世代、要するに昭和の終わりかけに国語の教員になったくらいの人たちにとって、「つづり方教育」の国分一太郎や「山びこ学校」の無着成恭らと並んで「国語の教員像」の理想として、戦前から戦後を通じての実践者として輝いていた人たちですが、高度経済成長の時代が思い出になる中で「これでおしまい」とでもいうように忘れられていった教員の一人が大村はまという人だと思います。 残念ながら、ぼく自身は教員生活を終えて初めてその文章に接するといった具合で、これから教員になろうかという人たちに対してこれはいいよとばかりに推薦する資格はかけらもない。 まあ、そういうわけなのだけれど、毎週出会う大学生の皆さんが、教員になりたいと思っていらっしゃる、どんな本をお読みになればいいだろうというのが最近の僕の選書の基準の一つになっているわけで、それで手に取ったのが、大村はまの「教えるということ」(ちくま学芸文庫)でした。 2002年に99歳で亡くなっているひとだけれど、筑摩書房の学芸文庫の編集部は「教室を生き生きと」とか「日本の教師に伝えたいこと」という彼女が残した文章を、次々と、新たに文庫化しています。 ぼくは「教えるということ」以外はパラパラとしか読んでいませんが、現在の現場、まあ、学校ですが、のことを考えると再刊して読んでほしいと考える編集者や教育学者、教員がいることに「そりゃあそうだろう」と肯くものがあります。 ぼくにしてからが、高校生で教育学部を目指すような人たちのために図書館の書架にそろえて、借りてくれる生徒を、いや、教員も、かも、を、心待ちにしていたのですから。 みなさんはまだしばらくしかお勤めになっていないから、そういうことをお思いにならないでしょう。私は中学校にいてじっと子どもを見ていますと、非常にすぐれたほれぼれするような力を持った子がいます。私はときどき子どもといっしょにいながら、「同じ年だったら、この人に友だちになってもらえるかしら」と思うことがあります。 たぶんなってもらえないと思うのです。彼はあまりに優秀で、非常なひらめきを持っていて、私なんかほんとうにこの人の友だちになれないといったような、してもらえないというような気がしてきて、心から敬意を表してやまないことがあります。 教師はやはり子どもを尊敬することが大切です。さしあたり年齢が小さくて、先に生まれた私が「先生」になりましたが、子どもの方が私より劣っているなんていうことはないのです。劣ってなんかいないので、年齢が小さいだけなのです。子どもたちを大切にするということはそういうことを考えることです。 「教えること」という本に収められている、同じ題の講演の一節です。短い引用ですが、ここに大村はまという、その時代に生涯教員であり続けた女性の「性根」のようなものを、ぼくは感じました。 それは、「おっしゃっていることはよくわかりますが、少し離れたところで聞いていないと、ちょっと暑苦しいんですが」とでもいう感じ。おそらく、語りかたと時代の空気に、その秘密があるのだと思います。 この案内が、ノリノリの気分ではないのは、そこが理由です。しかし、論旨は正しい。ぼくにとっては、長くつとめた仕事について、強制的に反省を促すようなところがあって、面倒くさいのですが、今から、この仕事をやる人は、何年もの経験の中で、きっと「あの人があんなことを言ってたよな」というふうに思いだすに違いない言葉が、これらの本にはあると思います。 「卒業生がいつでも先生、先生と慕ってくれるのが、なによりもうれしい。」とか、「そういうとき、先生ほど楽しい職業はないと思う。」とかいうことばを聞くことがあります。 わたしが受け持った卒業生は、「先生のことを忘れない」と言ったこともないし、また、私も忘れてほしいと思っています。わたしは渡し守のようなものだから、向こう岸へ渡ったら、さっさと歩いて行ってほしいと思います。後ろを向いて「先生、先生」と泣く子は困るのです。 「どうか、自分の道を、先へ向かってどんどん歩いて行ってほしい。私はまたもとの岸へもどって、他のお客さんを乗せて出発しますから」。卒業した生徒が何か自分で言ってこない限りは、私はあとを追いません。 ねっ、ムキになって言いつのっているところが、やっぱり暑苦しいのですが、職業としての教員の肝というか覚悟というかが宣言されていて爽快です。おそらく、多くの卒業生や教え子たちが彼女のことを「忘れられない」と思ったに違いないし、「何か言ってきた」に違いないのですが、仕事を支える梃子を、そこに求めることをきっぱりと拒否する態度は、ちょっとかっこいいと思いませんか。 偶然、教室で出会い、「教える」ということのその場限りの可能性に真摯に向かい合おうとしたに違いない、教員、大村はまの面目躍如というべき言葉だとぼくは思いました。(S) 2018/06/05追記2019・04・16 その後、知人から「大村はまさんの『優劣のかなたに』という詩がいいですね。」という言葉をいただいた。彼女も長く教職にある人だ。 『優劣のかなたに』 大村 はま 優か 劣か そんなことが 話題になる, そんなすきまのない つきつめた。 持てるものを 持たせられたものを 出し切り, 生かし切っている そんな姿こそ。 優か劣か, 自分はいわゆるできる子なのか できない子なのか, そんなことを 教師も子どもも しばし忘れている。 思うすきまもなく 学びひたり 教えひたっている, そんな世界を 見つめてきた。 一心に 学びひたり 教えひたる, それは 優劣のかなた。 ほんとうに 持っているものを生かし, 授かっているものに目覚め, 打ち込んで学ぶ。 優劣を論じあい 気にしあう世界ではない, 優劣を忘れて 持っているものを出し切っている。 できるできないを 気にしすぎていて, 持っているものが 出し切れていないのではないか。 授かっているものが 生かし切れていないのではないか。 成績をつけなければ, 合格者をきめなければ, それはそれだけの世界。 それがのり越えられず, 教師も子どもも 優劣のなかで あえいでいる。 学びひたり 教えひたろう 優劣のかなたで。 同僚だった彼女たちの心をどのくらい推し量れていたのか。そんな僕が言うのも不遜ですが、こんな詩をつぶやきながら仕事をしている教員が、まだ、教室にいることへの期待が僕にはあります。追記2019・11・10 職場での「優劣」をいちばん気に病んでいるのは、教員だったりすることがあります。子供は道具でしかない。職員会議や、校内でデモクラシーをつぶし続けてきた教育行政は、教員同士のいじめの責任をどう取るつもりでしょうね。ポジションごとの権力主義の横行が、教員のいじめ事件の、一つの、大きな原因であることは、明らかだと思うのですが。 教員は意見の言えない「学校」でなにをしてしまうのか、よく考えたがいいと思いますね。意見の言えない教員は、今、意見の言えない子供を育てているのではないでしょうか。 追記2022・05・03 今年も、国語の教員を目指している人たちと出会っています。「役に立つ知識」を、いかにわかりやすく伝達するか、という効率至上主義の教育方法によって10年以上育てられてきた人たちを前にして、すぐには役に立たないし、ひょっとしたら永遠に役に立たないかもしれない、「本を読んで考えこむ」ことや、自分もよく「わからないこと」を教室で生徒に向かって伝えることの大切さとかについて語り掛けるのは、ちょっと勇気がいります。 それでも、ボタンを押したら答えがわかることしか問えなくなっている社会に「なんか、変だな」と感じる教員になってほしいと、わけのわからないことを繰り返し問いかけている日々です。 たとえば、世界のどこかで戦争がはじまったのを見て「戦争放棄」を謳った、世界でたった一つの憲法を変えなければと宣伝するやり方は「なんか、変だな」と思いませんか? 「なんか、変だな」と感じる力は「役に立つ知識」から生まれるわけではなくて、「わからないこと」を考える態度のようなものが育てるんじゃないでしょうか。学生時代に「わからないこと」をたくさん見つけてほしい一心の日々ですが、ボタン世代は「わからないこと」に拘泥するのはお嫌いなようです。トホホ・・・ですね(笑)。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.04.16
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青年団 「ソウル市民」・「ソウル市民1919」 伊丹アイホール 2018年の秋のことになりましたが、久しぶりに劇団「青年団」が伊丹アイホールにやってきました。演目は「ソウル市民」と「ソウル市民1919」でした。一日通しチケットを取り損ねたので、二日がかりの観劇ということになりました。二日とも満席です。客席に座ると観客の年齢層が妙に高いんです。 「これは、いったいどういうことやねん?」 BGMなし、場面転換・暗転なし、複数同時・観客席背中向けセリフあり。これが、いわゆる「青年団」=「静かな演劇」3原則です。 これに一番弱いのが、たぶん、新劇的舞台の鑑賞経験のある高齢者だと思います。下手をすると腹を立てる人もいるのではないでしょうか。 もう、十年以上も前のことになるのですが、隣に座った女性が寝息を立てて、まあ、いびきとは言いいませんが、寝続けるという困った現場に遭遇した経験が忘れられません。 「青年団」観劇で選べる時の席選びのコツは、そういう可能性を感じる人のそばは避けるというのが、ぼくの心得です。「静かな演劇」鑑賞時の規則的な寝息は、眠気を誘発するのです。今日はリスクを予感させる客が山盛り来ています。 「ヤバイ!どうしょう。」 今回はチケット予約が遅れたので入場番号が大きいのです。従って、席を選ぶ余裕はありません。 「ああ、どうしょう。」 二日とも、そんな、落ち着かない満員御礼の劇場で、久しぶりに「静かな」舞台の幕が上がりました。いやいや、初めから幕はありませんがね。 芝居は始まりました。初日の「ソウル市民」は、イマイチの印象でしたが、二日目の「ソウル市民1919」は文句なしでした。 初日の「ソウル市民」には、舞台の客との間に、何か隙間のようなものがあると感じました。平田オリザの「静かな」芝居が、関西の年配の客の中に浮いていると感じたのは、ぼくの思い込みだったのでしょうか。 日韓併合の前年1909年の漢陽を舞台にしたのが「ソウル市民」です。一方、1919年3・1独立運動当日、つまり1919年3月1日の京城を舞台にした、のが「ソウル市民1919」ですね。 「ソウル市民」は、その劇中で、朝鮮を訪問していると語られている「伊藤公」、伊藤博文が10月26日ハルビン駅で暗殺される、その直前、あるいは当日を描いています。二本目の「ソウル市民1919」では、劇中で屋敷の外が騒がしいのですが、3・1独立運動が始まり、やがて弾圧が始まる、まさに、その日のソウルの出来事を描いているからです。 二つの舞台の間には歴史的な「時間」が流れています。本当は「町」の名前さえもが変わったはずです。人々の生活のなかでも、10年の歳月が確実に経過しているのです。 舞台の上では、山内健司が演じる篠崎家の当主が、宗一郎から謙一へ、天明瑠理子が演じるその妻が、春子から良子へと変わっていることで、時間の経過はあきらかなのですが、同じ俳優で演じられているために不思議な誤解、いや、混沌が生まれます。 もしも、ぼくが同日に二本続けて観ていたとしたら、「ソウル市民」で朝鮮人の女中と駆け落ちした謙一が、実は「1919」では日本を嫌い本土の人間との再婚を拒む妹幸子を叱っている、篠崎家の当主だと気づけたかどうか、そのあたりは判りませんね。 しかし、二つのお芝居で、舞台上の登場人物たちは、あきらかにの変化していました。年齢とか俳優の顔の話ではありません。変わらない同じ屋敷のセットの中で、たとえば、女中たちの仲間同士の言葉遣いや、書生たちの新聞を見ながらの政治談議のなかに忍び込んでいる感覚が変わっているのです。これを演じられるのが「青年団」のすごさだと思いました。 近代の「日本人」の、蝦夷、琉球に始まり、朝鮮、中国、南洋へと至る、アジアの民衆に対する、増上慢とでもいうべき高慢と蔑視の感覚が、ぞっとするほど如実に演じられているのです。 中でも、本土の文通相手を恋人のように待ち焦がれていた女学生だった幸子が、本土の地主の跡取りとの結婚に失敗した経緯を語る激しさと、その論理の異常さを舞台に響きわたらせ、一方で、「イントレランス(不寛容)」という映画の題名を繰り返し口にするのシーンの苛々とした様子が印象的でした。 彼女の不寛容が、この後の二十年、どこに向かうのだろう。ひょっとして、これは大日本帝国そのものの「不寛容」を象徴的に語っているのではないでしょうか? 「1919」は途中、「青年団」の芝居としては珍しいことだと思いますが、歌を歌ったりオルガンを弾いたりするのですが、その声や音の響きが、遠い「時間」を感じさせて胸を打ちました。 平田オリザの芝居はいつも、どの演目もぼくには「哀しい」のですが、その哀しさが音楽として響いてきたのは胸にこたえました。 最初に朝鮮人の女中たちが歌い出したのアイルランド民謡の声の響きとしぐさのうつくしさ。きっと、独立を誓う歌に違いないのだが歌詞がわかりません。朝鮮語だから仕方がないのですが、とても残念でした。 続けて幸子とオルガン教師島野の「浜千鳥」の合唱。オルガンの音色が舞台に、何ともいえない哀しさを広げてゆくのです。 最後のシーンは添田唖蝉坊の息子、添田知道の、ぼくらの世代でさえ知っている「東京節」でした。 ♪♪ ラ―メチャンタラギッチョンチョンデ パイノ パイノ パイ ♪♪ 繰り返す「♪♪パイノ パイノ パイ」に舞台の人々は浮かれて歌いだすのですが、陽気な東京節が暗示するのは、陽気な未来ではないことを現代の観衆は知っているはずです。 舞台は歌とともに暗くなりました。 アイホールを出て、阪急伊丹駅に向かって歩きながら、ふと気づきました。 「そうか、あそこから100年か。」 一見、無邪気な、幸子のような「不寛容」が社会をすみずみまで覆い始めています。平田オリザがこの社会の「姿」を射程に入れていないはずはありません。 「なるほど、そうか。さすがオリザ、したたかなもんだ。」 三ノ宮駅まで帰ってきて、駅前にある喫煙コーナーで煙草を喫いながら、バスを待っていました。午後8時を過ぎていましたが、静かな「篠崎家」の食卓の人々が演じていたものが、そこら中にあるような人混みがありました。 「ああ、あの芝居は、マジ、リアルかもしれんな。」 追記(訂正版)2018/11/23 阪神大震災の後、劇団「青年団」が「北限の猿」や「東京ノート」を持って伊丹アイホールにやってき始めました。それを見始めたのが始まりでしたが、もう20年の時間が流れました。「ソウル市民」だって、三度目になるのではないでしょうか。その頃からの、おじさん役の名優志賀廣太郎さんが倒れたニュースに接して、涙がこぼれそうになりました。最近ではテレビや映画で活躍する、有名人になってしまったのですが、ぼくにとっては「青年団」のオジサンです。いろいろ書いてみたいこともあります。マイナーだった青年団の中で、青年じゃない彼は際立って見えていました。好きな俳優さんです。早く元気になってほしい。追記2019/05/06 以前の追記で志賀廣太郎さんについて、失礼でとんでもないことを書いてしまいました。深くお詫びいたします。コメントで指摘してくれたピーチさんありがとう。追記2020・04・20 平田オリザ率いる「青年団」が根拠地を、兵庫県の北部、但馬の豊岡市に移すという、驚くべき、快挙! コロナ騒動の中「江原河畔劇場」のこけら落としが行われたようです。今後の動向に期待しています。ボタン押してね!にほんブログ村
2019.04.16
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米本浩二「評伝石牟礼道子:渚に立つひと」(新潮社) 河出書房新社から「池澤夏樹個人編集:世界文学全集」全30巻が2011年に出版されて、その中に日本文学としてただ一作選ばれたのが石牟礼道子の「苦界浄土(三部作)」でした。 「石牟礼道子が世界文学!」 言葉の後ろにつくのが!マークなのか?なのか、微妙なニュアンスで評判になった。「そりゃあ!マークでしょう」と思ったが、出版に際してつくられた「苦界浄土刊行に寄せて」というビデオを見て、どうでもいいやとおもいました。ビデオが気に入らなかったのです。 映画の中で石牟礼道子は、こう語っています。(ぼくなりの要約なので、本物はユーチューブで検索していただけば、誰でも聞けます。) 本当のテーマというのは人間が生きるということについて美しい話をどなたとでもできるようになりたかったというのが悲願のようにありましたのに、うかうかと年を取ってしまいました。 これをお読みいただく方々にとっては、まあ、一つの災難であろうとは思うんですね。こういう暗い材料を文字に書いて、本にして、何の予備知識もない方々に読んでいただくわけですので、なんだか申し訳ないような、自分の背負っている重荷をその人たちに背負っていただいて、加勢してくださいとお願いをするような気持ちで、申し訳なく思います。 馬鹿の一つ覚えといったらいいんでしょうか、ほかのことはあまり考えられずに、やっとやっと、考え、あの、これまでに、自分にとっては不可能だったようなことを何とか書き終えましたけれど、重荷でございましょうけれどお読みいただければ幸いでございます。 その石牟礼道子が今年(2018年)二月に亡くなって、とてもショックでした。彼女は、ちょうど、ぼくの母親の世代の人でした。彼女の生き方は、なんというか群を抜いていると思っていたのですが、どこがどうなって、そうなっているのかわかりませんでした。 石牟礼道子の死のちょうど一年前に米本浩二という毎日新聞の記者(だった人かな?)が「評伝 石牟礼道子」(新潮社)を発表しました。書いた人は知らない人だったのですが、読みだして納得しました。三年がかりで書き上げた労作でした。 序章に、米本浩二がこの評伝執筆を決意するにあたって、「岩の上でもじもじする」ペンギンの背中を押した渡辺京二という思想家の言葉が記されていました。 渡辺京二は作家(こう呼ぶのは、ぼくには抵抗がありますが、でもまあ作家なのかな?)石牟礼道子を、最初に発見し、その出発から死に至るまで支え続けてきた人だと思います。 支えると言っても、生半可なことではなかったのではないでしょうか。「義によって助太刀いたす」という「水俣病を告発する会」の70年当時のリーダーの、有名な言葉がありますが、渡辺京二という人は、石牟礼道子に対して生涯をかけた「助太刀」を貫いた人だとぼくは思います。世の中には、凄い人がいるものなのです。 本書をお読みいただけばわかることですが、水俣病闘争の初期に石牟礼と出会い、晩年にいたっては、食事の世話、原稿の清書から出版社との交渉に至るまで、黒子のように付き添ってきた人です。 渡辺自身にも「もう一つのこの世:石牟礼道子の宇宙」(弦書房)という評論集があるのですが、その渡辺が米本浩二に語りかけた言葉が本書にありました。 石牟礼道子に密着して話を聞く。伝記に尽きるわけだよ。彼女の言葉と、著書の引用、関係者の証言、この際、戸籍調べもして、ノートも未発表原稿も、ほかのなにもかも全部ぶちこんで、伝記を書く。そういう仕事をするには、己を虚しくしないといけませんからね。若いときは、そういうふうに己を虚しくするのはなかなかできない。ほかにいっぱいするべきこと、楽しいことがあって、己を虚しくしようとは思わないでしょう。熱烈なファンはいっぱいいるんだけどね、そこまでやろうとする人はいないね。だけど、まあ、そんなもんでしょう。 後世になってやっと研究者があれこれほじくりはじめるんでしょう。それはそれで結構なんです。ただ、関係者が生きているうちにね、話を聞けばね、相当面白い本ができると思う。 彼女は逸話集ができるから。変わってますから、すること言うことが。珍談奇談、山みたいにあるわけですからね。ただそれは残さないと消えてしまう。珍談奇談の類は僕も書いていません。イギリスが島国の話はちょっと書きましたけど。彼女らしい面白い話はたくさんあるんですよ。書き残さねばならない。発表しなくてもね。書かないと消えてしまう。 こんなふうに言われて、米本浩二は、その責任の重大さに、きっと震えたに違いないとぼくは思います。 1970年代初頭、首都に翻った「怨」という一文字の吹き流しと、「死民」というゼッケンを発案し、チッソ本社前の路上に患者とともに座り込んだ、闘う人。「苦界浄土」をはじめ、数々の傑作を世に問い続け、今や、世界的評価を得ている作家。祈るべき 天とおもえど 天の病む 晩年、こう詠んだ詩人について、「変わってますから」と励まされて書くことは、それ相当の肝が据わらなければできる仕事とは思えません。 黒地に「怨」と染め抜かれた吹き流しから私が感じるのは、正体不明の遺物と向き合う生理的、根源的な恐怖である。 石牟礼道子を書くということは、彼女が世に現れた当時、何も知らなかった小学生だった米本浩二にとって、「根源的恐怖」の正体を突き止めようと勇気を奮う決意なしには、なしえなかったのではないでしょうか。 しかし、彼は書いたのです。米本 封建的な農家の嫁という立場で書くのは大変だったでしょう。石牟礼 水俣病をやり始めたときは、お姑さんから、道子さんたいがいにせんね、弘がぐらしか(かわいそう)ばい、と言われました。(以下略)米本 ご実家の反応は?石牟礼 お前がやっていることは昔なら獄門さらし首ぞと父が言った。覚悟はあるのか、と。ある、というと、そんならよか、と言いました。獄門さらし首、なるほどと思いました。安心しました。だれよりも、産んでくれた親が一番わかってくれているなと思いました。(以下略) 米本 七〇年、大阪のチッソ株主総会に向かっているころに、作家の三島由紀夫が自衛隊で割腹自殺しています。石牟礼 彼のひどく古典的な死に方は、わたくしの水俣病事件と思わぬ出会いをすることとなった。と『苦界浄土三部作』に書きました。三島さんほどの人が、もったいなかと思った。死ぬくらいなら患者さんの支援に加勢してもらいたかった。三島作品をちっとは読んどったです。まあ、文章がきらびやかで、とても新鮮に思えて、私は才能を認めていました。孤高というか、規格外というか、普通の文壇的な作家とは違うち思うてましたね。勝手に親近感を覚えていたから‥‥。(以下略)米本 (ミカン)いただきます。あの、今の時代をどう思いますか。石牟礼 日本列島は今、コンクリート堤になっとるでしょう。コンクリート列島。海へ行くと、コンクリートの土手に息が詰まる。都会では小学校の運動場までがコンクリートです。これは日本人の気質を変えますよ。海の音が聞こえんもん。米本 水俣病の現在をどう見ますか。石牟礼 水俣病の場合はまず棄却という言葉で分類しようとしますね。認定の基準を決めて、認定の基準というのは、いかに棄却するかということが柱になってますね。国も県も。そして乱暴な言葉を使っている。言葉に対して鈍感。あえて使うのかな。あえて使うんでしょうね。棄却する。 一軒の家から願い出ている人が一人いるとしますね、私はあんまりたくさん回ってないけど、ほんの少数の家しか回ってないけども、行ってみると、家族全員、水俣病にかかっとんなさるですよ。家族中ぜんぶ。ただその人の性格とか食生活とか生活習慣が先にあるんじゃなくて、水俣病になってる体が先にあるもんで、病のでかたがちがうんですよね、ひとりひとり。 魚を長く食べ続けたと訴えても、それを証明する魚屋さんの領収書とかもってくるようにという。そんなものあるわけない。認定する側の人だって魚屋さんから領収書貰ってないでしょう。そういうひどいことを平気で押し付けてくる。証明するものって、本人の自覚だけですよね。それをちゃんと聞く耳がない。最初から聞くまいとして防衛してますね。 自分のことを一言も語れない、生きている間、もう七〇年になるのに自分のことを語れないんですよ、患者たちは。(以下略)米本 パーキンソン病との闘いがつづきます。石牟礼 複合汚染だと思っています。私の今の症状の中に水俣病の患者とそっくりの症状がある。原田正純先生に『私にも水銀が入ってますよね』と言ったら、『当たり前ですよ』とおっしゃいました。箸をとりおとす。鉛筆をとりおとす。ペンをとりおとす。なんか手に持っていたものを取り落とすことがしばしば。そして発作がきますけど、脳の中がじわじわしびれてくるんですよ。(以下略) できあがった作品は、例えば、ぼくの「どこがどうなっているのか」、生い立ちは、家族は、生活は、という疑問に、実直に答えてくれています。 石牟礼道子が背負い込まねばならなかった「重い荷物」の由来と遍歴を丁寧に解き明かしているともいえるでしょう。 しかし、それ以上に、米本浩二自身が、石牟礼道子という「もう一つのこの世」に生きた人間を、海の向こうに、はるかに見晴らす渚に立っている印象を、素直にもたらすものでした。書き手の、実直ともいうべき誠実が形になった伝記だと思いました。乞う、ご一読。追記2019・11・12 石牟礼道子「苦界浄土」はこちらで案内しています。表題をクリックしてみてください。追記2020・01・23 この本が文庫になるそうだ。現代という時代が過去をないがしろにすることで、ありえない夢を見ようとしているのではないかと疑うことが、最近増えた。忘れてはいけなかったり、大切にすべき考え方や生き方は「過去」の中にもある。 忘れてはいけない人を描いた米本さんの誠実が輝いている本だ。めでたい。追記2022・10・04 石牟礼道子の伝記を書いた米本浩二が、新たに「水俣病闘争史」(河出書房新社)を書いて、この夏の終わり、国葬騒ぎの最中の2022年8月に出版されました。感想はべつに書こうと思いますが、70年代、学生時代を、初めて石牟礼道子や渡辺京二を読んだ頃を彷彿させる読書でした。 で、まず、こっちの投稿の修繕をやりました。「水俣病闘争史」の案内も近近投稿するつもりですが、さて、どうなることやらです(笑)追記2022・10・25 「水俣病闘争史」(河出書房新社)の感想を書きました。題名をクリックしてみてください。 2018/09/01ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.04.15
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ピーター・モーガン「ジ・オーディエンス 」 神戸アートヴィレッジセンター 神戸アートヴィレッジでナショナルシアターライブを上映したり、カルチャーを開いたりしてくれていて、このシリーズにすかっりハマってししまいそうだ。先週「アマデウス」に感激して、その勢いで今週は「The Audience」 まず、オーディエンスの意味が解らなかった。王の謁見、まあ家来とかと出会うことだろう、という程度の知識。 イギリス現代史に、さほどの知識があるわけでもなく、ポスターの女優さんを知っているわけでもないし、もちろんピーター・モーガンが『クィーン』(原題: The Queen)の脚本家で、『クィーン』という映画が、アカデミー主演女優賞をはじめ、大評判だったことももちろん知らない。 だから、全く期待していなかった。まあ、エリザベス女王のそっくりさん女優の、地元ウケの芝居だろうと、たかをくくっていた。 スクリーンにイギリスの劇場の観客席が映し出されて、暗くなる。最初のシーンから、ちょっと意表をついている。一人の執事、ふたりの召使。椅子を並べるだけで、面白い。女王(ヘレン・ミレン)が登場する。 「見ろ、やっぱりそっくりさん芝居じゃないか。」 日頃、関心があって、よく知っている人というわけではないから、あてにはならないのだが、舞台に立って、歩いて、座って、話しかけている女性が、ぼくの中の写真や映像のイメージとしてのエリザベス2世に、本当に、よく似ている。 劇場の実況中継なので、あっちの客たちの反応がわかるのだが、エリザベスと会う首相たちについても、登場すると、とてもウケている。笑いが起こって、それがほとんどコメディのような反応だ。 「きっと、この首相たちも似てるんだ。うーん、知らんし。あっ、チャーチルや。うーん、ジーさんやな、葉巻の人しか知らんし。これはサッチャーやな。あんまり似てないのに、みんな笑うなあ。しゃべるたびに、妙に受けるな。そうか、言いそうなことを言うてんのか。嫌われとんのや、きっと。」 女王の衣装や、それを年齢と一緒に着替えて見せる、女優の早替わりとか、若いときのふるまいから、老いてゆくヘレン・ミレンのうまさにも引き込まれてゆく。少女時代のエリザベスと、バーサンになった彼女の、舞台の上での二重写しのシーンの作り方も面白い。「イギリスのお客さんたち、おお喜びやないか。」 などという客観的気分はだんだん忘れて、舞台のとりこになっている自分が、少々照れ臭い。 役者たちのあいさつも終わり、映画のエンドロールが回り始めて、驚いた。ぼくはイギリスとエリザベス女王のファンになっていた。 自国の、生きている王族の長を主役に据え、実に、堂々とその「伝記的」・「人間的」真実に迫ろうとするピーター・モーガンの脚本もすごいけど、演出したスティーヴン・ダルドリー、演じる役者も、機嫌よく見ている客たちもすごい。それを許した、エリザベス2世もすごい。 人間に対する、とても上等な信頼がそこにはあるにちがいない。何とも言えない、いい気分になる舞台だった。 帰ってきて、調べてみると、首相たちもよく似ていた。「そりゃあ、笑うはずだ。」「そうか、サッチャーはエリザベスと同い年で、そりゃあ、言い合いになっても不思議じゃないわけや。その上、先に死んでる。女王さんも、ある意味、寂しいんやろうな。いや、芝居やし。」「なんか、ええ国やなあ、イギリスは。」「ジ・オーディエンス The Audience」 出演:ヘレン・ミレンHelen Mirren・リチャード・マッケイブRichard McCabe 他 演出:スティーヴン・ダルドリーStephen David Daldr y 脚本:ピーター・モーガンPeter Morgan上映時間:2時間38分 ※途中休憩あり 受賞 トニー賞2部門受賞 演劇主演女優賞 ヘレン・ミレン 演劇助演男優賞 リチャード・マッケイブ2018/10/18追記2020・01・08「アマデウス」の感想はここをクリックしてください。にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.15
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クリント・イーストウッド「運び屋The Mule」OSシネマズ・ミント神戸 全く初めてではなかったが、昨年の徘徊老人デビューしてからは初めてやってきた三宮ミントの映画館「OSシネマズ・ミント」。予約チケットの入力をすると、「その番号は予約されていません」と画面表示。 いきなりパニック! 繰り返し操作してみるが同じ画面。アワアワとなりながらサービスカウンターを見ると、若い女性がニッコリしている。「あのー、これ上手くいかないんですが?」「シマクマセンセーですよね。」「ああ、ここにも救いの神が。」 人と出会うのが仕事だった職業も、こうなってみると悪くない。QRコードとやらで再チェックしていただいて、セーフ。 なかなか座り心地のいい座席に座って、見回すと、昔、新聞会館という名前の映画館があったことを、覚えていそうな人でいっぱい。「さあ、イーストウッドや。」 花畑でクリント・イーストウッドが花を、ユリの花を摘んでいるシーンから、「運び屋The Mule」が始まった。 老イーストウッド。相変わらず偏屈。男前。家族にも時代にも馴染まない。丸腰なのが不思議だ。明らかな老いを後ろ姿、腰から背筋のあたりに湛えている。重いガン・ベルトをつける体力は、きっともうないにちがいない。 「ホントウに見捨てられた男なのか?見捨てたんじゃないの。」 これがアメリカという感じの平原。まっすぐな高速道路を走るピックアップ・トラック。朝鮮戦争帰りの男と在郷軍人会の老人コミュニティー。スペイン語でしゃべるコカイン密輸の男たち。ポークサンドとスナック菓子とモーテル。どうしても通じ合えない妻と娘。 風景は美しいが、イメージは乾いている。物語はうまくいくはずのない破局の予感を掻き立てていく。孫娘の学費のために金が欲しい。愚かな欲望が、家族から見捨てられた男を際立たせる。あくまでも孤高、あくまでも傲慢。出来たことが出来なくなっていることが、我慢できない。広大なアメリカの風景が、微妙に震えているような印象がずっと続いている。「ぼくが老人だからかな、この印象は。」 妻の死に際して事情を知らない家族は彼の人生を許すが、組織と警察は許してくれない。運び屋稼業は予想通り御用となる。 裁判が始まる。弁護士が老人を擁護する。老人は弁護士を遮り声を発する。「ギルティ―!」 たった、一言。これでこの映画はぼくの記憶に残る映画になった。ほかの人がなんと評価しようが構わない。涙があふれてきて、止まらない。裁判はコカインの密輸容疑を裁いていた。しかし、老人は自らの人生を裁いた。「有罪」。ぼくにはそう見えた。 エンドロールをぼんやり眺めながら、80歳を越えて、自らに「有罪」を宣告したクリント・イーストウッドに心を奪われたように感じていた。 思い出が頭の中に湧き上がってくる。あの頃から映画を見始めた。50年近くの年月がある。ずっとスクリーンの中にかっこいいイーストウッドで立っていた。「ローハイド」、「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」、なんといっても「ダーティハリー」・・・・ 「そうやんな。グラン・トリノの遺書より、こっちがすごいやんな。まいったなあ。」 三宮から元町に向けて歩きながら、イーストウッドになった気分で、ちょっとイキッテみたけど、哀しかった。それから、高倉健の最後の映画を思い出していた。あれは日本の映画だったと思った。 元町駅の手前の赤信号で立っていて、若い女性から声をかけられた。「〇山です!」 ほぼ、10年ぶりの再会。仕事で出会った人だが、この仕事をしていて、よかったんじゃないかと思わせてくれた人だ。しばらく、立ち話をして、近況交換。 明るい笑顔で手を振ってくれて、手を振り返しながら横断歩道を渡った。「まあ、ギルティ―じゃないこともしたかもしれない。」そんなふうに思えてうれしかった。今日はいい日だったかもしれない。監督 クリント・イーストウッド製作 クリント・イーストウッド ティム・ムーア クリスティーナ・リベラ ジェシカ・マイヤー ダン・フリードキン ブラッドリー・トーマス原案 サム・ドルニック脚本 ニック・シェンク撮影 イブ・ベランジェ美術 ケビン・イシオカ衣装 デボラ・ホッパー音楽 アルトゥロ・サンドバルキャスト クリント・イーストウッド(アール・ストーン) ブラッドリー・クーパー(コリン・ベイツ捜査官) ローレンス・フィッシュバーン(主任特別捜査官 ) マイケル・ペーニャ(トレビノ捜査官 ) ダイアン・ウィースト(メアリー) アンディ・ガルシア(ラトン) イグナシオ・セリッチオ(フリオ) アリソン・イーストウッド(アイリス) 原題 「The Mule」 2018年 アメリカ 116分 2019・03・12・OSシネマno2追記2019・06・17 イーストウッドが新しい映画を企画しているということが聞こえてきた。アトランタ五輪爆破テロ事件を題材にした「Ballad of Richard Jewell」という題名の作品らしい。ますますという感じ。でも、まあ、観に行かなくちゃあね。押してねボタンにほんブログ村クリント・イーストウッド 同時代を生きる英雄 (Kawade夢ムック) [ 河出書房新社編集部 ]ちょっと気になりますね。ダーティハリー【Blu-ray】 [ クリント・イーストウッド ]ここからが同時代でした。ザ・シークレット・サービス【Blu-ray】 [ クリント・イーストウッド ]この作品、結構好きかも。
2019.04.15
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ベランダだより 2019-12「カーネーションが咲きました!」 晴れ上がった四月の土曜日。久々のベランダ徘徊とはいいながら、まだ何にも咲いてはいまい、と、思いきや。 ピンクの花がベンチに座って笑っている。 カーネーションですね。「カーネーションて夏の季語やったっけ。」 「でも、一年中咲いてるよ。」「そうか、変わらぬ母への愛やな。ウザないか、そういうの?」「笑ったらあかんやん。せっかく贈ってくれて、生き延びてんのに。」「あっ、こっから裏の遊び場の写真撮ったろ。」 ・・・・・・・・・・・・・・ 「もう一枚ね。」「みてみ、ホラ。なんか上等のマンションに住んでる感じの写真やんか。」「あら、向こうの桜や黄色い花が、うちの庭の木に見えるやん。」「そやろ。そうや、木蓮の植わってるとこな、あっちから、ベランダ撮ったろ。」 さっそくスリッパでベランダの下の裏庭へ。まあ、うちだけの庭とはちゃうけ「ああ、そこ踏んだらあかんよ。スミレ咲いてるやろ。小さいけど。」「よし、これも撮ったろ。あかんなあ、ピントあわへん。」 ふるさとの 小庭のスミレ 子に見せむ 杉田久女 「こうやって、並べて見せたら、松山のサカナクン夫婦や、松本のユーナちゃんパパ・ママも懐かしがるやろ。」 「そんなん、わかれへんやん。」 「ええねん、ええねん。フフフ、これでブログ日記一回分完成やな。」追記2020・05・03 あれから一年経ちましたが、一年中花をつけていたカーネーションの姿がありません。いろいろ勝手なことをいってますが、贈ってくれた気持ちが咲いている花でした。それが昨秋から冬にかけて枯れてしまいました。植木鉢が小さすぎたのか、寒かったのかわかりませんが、ちょっと寂しい出来事でした。 そういえば、新コロちゃん騒動で落ち着きませんが、今年も「母の日」がやって来ますね。追記2020・05・29 今年の母の日にやって来たのは「カラー」の鉢植えでした。花言葉は「華麗なる美」・「乙女のしとやかさ」・「清浄」だそうです。白い花がじょじょにうすいレモン・イエローに色づいてゆきます。華麗ですが、清楚な趣をたたえた鉢植えですね。球根らしいです。 「新コロちゃん」騒動でお仕事が大変だと思うのですが、元気に頑張ってほしいですね。にほんブログ村
2019.04.14
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「2004年《書物》の旅 (その9)」中西進「ひらがなでよめばわかる日本語」(新潮文庫)・松岡正剛「白川静」(平凡社新書) 中西進という人は、今となっては昔のことですが、朝日新聞の夕刊紙上で「万葉こども塾」という子ども向けのコラムを連載していた「万葉集」研究の大先生ですね。 一方、人や本の紹介者として驚異の博覧強記男、編集工学の松岡正剛が論じている白川静は漢字研究の大家。一般の人に「常用字解」(平凡社)という「字書」が評判になったのが2004年。 この案内を初めて、高校生に向けて書き始めて、最初に案内した本が「常用字解」でした。もう十数年も昔のことですが、当時、入学したばかりの一年生に《高校の入学祝で、もしも買う人がいて、ずっと大切に使って、読んでくれたらいいなと思う。》と紹介しましたが、その、白川静は既にこの世の人ではありません。 高校や中学校で国語の先生をしようと考えている人には、一度は手にとってもらいたい「字書」です。先ほどから「字書」と書いていることに「あれっ?」と思って出会ってほしい辞書です。 使ってみるとすぐに気づきますが、この字書は不思議なことに難しい漢字はひとつも載っていません。誰でも知っている常用漢字が載っているだけなのです。それはなぜなのか、それが松岡正剛「白川静」のメインテーマだといっていいでしょう。 松岡の「白川静」によれば、漢字本来の姿に如何に迫るか、失われた文字や言葉の起源を如何にたどるか。そう考えた白川静が中国の古代社会を読み取るために重要視したのが「万葉集」だそうです。 「万葉集」には中国でいえば漢字が生まれてきた時代の社会の姿が、中国から見れば辺境の地、列島の社会の姿として残されているはずだと白川さんは考えたというのが松岡正剛の説明です。柳田國男の方言周圏論なんかの考え方と共通しているかもしれません。 漢字を知るために中国のもっとも古い詩集、「詩経」を読み、「詩経」を読むために「万葉集」を読む。そこには中国の古代を、日本の古代を読み解くことによって知ろうとするという、意表をつく学問観があり、その結果、万葉仮名解読が漢字解読をたすけ、漢字理解が万葉理解を深めたというのです。 ここに白川静と中西進をつなぐ鍵になる「万葉集」が浮かび上がってきます。 中西進のこの本は、私たちが当たり前の言葉として使っている、「め」とか「みみ」といった身体にまつわる言葉から、「いわう」「まつる」「あそび」といった言葉を神とともあった古代の人々の暮らしにさかのぼり語っています。 日常の言葉の中に古代の世界が宿っていることを教えてくれる本です。 たとえば「あそび」という言葉について中西はこんなふうにいいます。 平安時代に遊ぶといえば音楽の演奏を意味したことは知っていますね。では、なぜ遊ぶことが音楽を奏することとつながるのでしょう。 楽器とは神降ろしの道具でした、音楽を奏でることは神との出会いの場を作ることだったのです。美しい音楽に心を奪われるトランス状態にあって、はじめて神が降臨し、人に宿ると古代の人は考えたのです。だから「あそ」とは、ウソ、ホントの「うそ」=空虚と同義語であり、狐憑きのようにぼんやりと我を失う状態であり、音楽の中に身も心もとらわれている空っぽの状態こそ「遊び」なのです。 この論理展開は白川静の漢字解読とみごとにシンクロしています。言葉や文字には、それを生みだしてきた人間の暮らしが宿っており、そのかけらのような言葉や文字の中に残されている古代の人間を想像する強靭な空想力が二人に共通しているのです。白川静、中西進。いつか、この二人の世界にあそんでみてください。(S) 2018/11/26追記 2019-04-14 先日新しい元号が発表され、ここで取り上げた中西進が深くかかわっていたニュアンスが広報されています。ぼくは元号を必要だとする国家観に疑問を持っていますが、それとは別の意味で、これは、なにかおかしいと感じたことがあります。 というのは中西進がどこかのカルチャー講座で「令」という字は「美しい」という意味だと論じたとテレビニュースで報じられたからです。 白川静の「字統」によれば、「令」とは装束を整え神の声を聴く形です。ここから「美しい」に意味を変えるためには、どうしても神の声の崇高さを持ってくるしかないのではないでしょうか。漢文訓読では代表的な使役の助字への使用も、そのルートでしょう。 二文字の組み合わせで元号化すると、どうしても熟語として読みたくなりますが、本来、熟語的、つまり漢語的意味がない言葉を固有名詞化する無理と、万葉集中での一例に過ぎない意味を普遍化する無理。 「中西さん、少し無理筋を押していませんか。」それがぼくの感想でしたが、白川静が生きていたらなんというか、少し寂しい中西進の映像でした。 「2004《書物》の旅」その1は金城一紀「GO」。こちらからどうぞ。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.04.14
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ピーター・ファレリー 「グリーンブックGreen Book」OSハーバーランドシネマ 三宮から神戸、新開地あたりに映画館が何件あるのか、よく知らない。学生時代には両手の指を折っても足らないほどあった。時代は変わったのだ。 とはいいながら、今日は初体験。OS神戸ハーバーランドシネマ。ここに、映画館があることは知っていたが、場所がわからない。神戸駅からハーバーに向かう地下に降りる。 「そうや、ここのインフォメーションに、昔、高校の玄関で座り込んでいた、おナカがイタかった少女がおるはずや。」 案内所の前を横目で通り過ぎるが、どうも、そのような女性はいない。 ヤレヤレ・・・・ ウロウロ、きょろきょろ、エスカレータに乗ったり降りたり、看板に注意して、漸くたどり着いた。 水筒のコーヒーで一息入れていると始まった。 ピーター・ファレリー 「グリーンブックGreen Book」。いっぱいに広がった水色の画面に、カタカナで「グリーンブック」、字幕は戸田奈津子。「なんじゃこりゃ?おっ、懐かしい名前やな。まだ生きてはるんや。エー、ぼくより二十は上やったかな?」「ふーん、これが、キャバレーというもんか。」 なんか、そういうシーンから始まった。好きなタイプのイタリア系。ああ、こういう強面ふうなのにどこかいい加減ポイ人好き。 なんか、すごいところに住んでる黒人のお金持ちっポイ人が出てきた。なんか、この人、北海道の大泉なんとか君に似ている。どこかウソっぽいところがおかしい。 なんか、「イタ公」くんは、ちょっとド肝を抜かれているみたいだけど、なんとか対等に頑張ってる。貧乏人はお金持ちが嫌いだ。いいねえ! なんか、「この自動車すごいねタイプ」のアメ車に二人が載ってる。いろいろある。そこから、アメリカってこうなんだという話が満載。見ているぼくは、でも、そんなには驚かない。そんなもんだろうと思ってる。 アメリカってそうなんでしょ、というより、「どこも、相変わらずそうなのかもしれないよな。」と、ふと思ったり、「しかし、まあ、アメリカはアメリカやろ。」と思い直したり。やっぱり、ムッとする気分がわいたり。 おしまいの方で、大泉君ポイほうのピアニストがクラッシクの曲を弾く。はじけまくって弾いている。ノリノリなんてのんびりしたもんじゃないなこれは。知ってる曲の感じなのだが、曲名がわからないのが残念。 でも、ドッと来た。いろんなことが固まりで胸に来た!涙がジワー。 「ウマイ!」 「ありがちやんけ」とタカをくくっていたのに、すっかりはまっている。いい気分。 変なまとめ方で申し訳ないが、「人生は複雑」、でもね「人と人とが友達になるっていうのはシンプルなことなんだ。」 「そうだろ!」そういうことでした。 映画館を出たところで、30年前からの知人夫妻に、何年ぶりかで出会った。同じ映画を二人で見ていたようで、でも感想はいわなかった。「ひょっとして、違う感想だったら・・・」そう思っていたような気がする。「なんだ、友達じゃないか。そんなこと気にするのかよ。」イタ公のオニーさんがそういいそうだ。ホント情けない。 脚本を書いているのが、ニック・バレロンガ。発音しにくい名前の「イタ公」の息子だか、孫だからしい。もう一度笑ってしまった。 追記 映画評論家?の町山智浩さんが「フライドチキン」の件(くだり)について、アメリカでの歴史について「奴隷である、被差別である黒人の食べ物」である由来を語っていらっしゃったと、ピーチ姫から聞いて、やっぱりそうだろうと思った。あそこは、大切なシーンだったんだ。 ついでに、ドクターが最後に弾く、クラッシクの曲についてたずねた。 「うーん、私も気になってん、知ってんねんけど、なんやったっけ?」 いつものことながら、頼りになりませんな。弾いたことある曲やろ。聞いたことあるぞ。 監督 ピーター・ファレリー Peter John Farrelly 製作 ジム・バーク チャールズ・B・ウェスラー ブライアン・カリー ピーター・ファレリー 脚本 ニック・バレロンガ ブライアン・カリー ピーター・ファレリー 撮影 ショーン・ポーター 美術 ティム・ガルビン 衣装 ベッツィ・ハイマン 音楽 クリス・バワーズ キャスト ビゴ・モーテンセン(トニー・“リップ”・バレロンガ ) マハーシャラ・アリ(ドクター・ドナルド・シャーリー) リンダ・カーデリニ(ドロレス) ディミテル・D・マリノフ(オレグ) マイク・ハットン(ジョージ) 原題 「Green Book」 2018年 アメリカ 130分 2019・03・08・osシネマno1 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ブログ村ボタンにほんブログ村
2019.04.14
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「池のメダカバージョン ミサーゲテゴラン♪♪ ホラここにも春が!」 立木の花が一斉に春を謳歌している。桜や木蓮やと喜んで見上げながら歩き回っていると、何やら足元から聞こえてくる。 「見サーゲテゴラン♪・・・・」 満開の桜の並木の緑地の中の草むらに、青、赤、黄色、白・・・・「星形の、あれはなんや。白いのもあるな。おんなじかな?」ハナニラ 「色も形もいろいろ。葉っぱは臭いよ。ちぎったら。」 「あの青くて白い小さな花は?」 ネモフィリア「ええっと、ネモなんとか。自分で調べなさい」 「なんかオシャレな水仙がこんなところに残ってる。」 西洋水仙 「ただの水仙です。」 「あっ、あの一つだけ咲いてる赤い花はなんや。」 シクラメン 「真綿色だけがシクラメンではありません」 「わアー、黄色い花がいっぱい咲いてる。」 フリージア 「家庭訪問の花です。これが咲くと先生がやってくるの。かわいいけど、花瓶にさすと下を向くのよ。」 「まだまだあっちの方にもある。写真や写真や。」 というわけでこのシリーズつづきます。(ちなみに「花の名」は撮ってきた写真を見ながらのチッチキ夫人の解答です。) にほんブログ村
2019.04.14
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スパイク・リー Spike Lee 「ブラック・クランズマン」 シネリーブル神戸 サンデー毎日の徘徊老人にとって、今日が春休み最初の日曜日というのが盲点でした。徘徊を始めて、漸く一年という、まだ、まあクチバシの黄色いシマクマ君ですが、ついに映画館満席体験でした。 「おおー、苦手やこういうの!トホホ・・・。」 「スパイク・リーって『マルコムX』か、見てへんけど。おっ主演はデンゼル・ワシントンの息子やん。マルコムXの息子が、KKKに潜入捜査?うーん、スリルとサスペンスか?でもどうやって?」 そんな下調べを、ボンヤリ振り返って水筒のコーヒーなんどか飲みながら、ほっと一息ついていると、隣に座ったオニーさんコンビが、二人でポップコーンを食べ始めた。 「ヤレヤレ・・・」 南北戦争の敗北、大勢のけが人が横たわっている広場のシーンから映画は始まりました。 ワシントンjr青年が新米刑事になるのは、1970年代のコロラド州です。「なるほど、そういうふうにそうなりますか。」 というふうな展開で、最後の最後までスパイク・リー怒りの鉄拳という感じでした。 「告発」とでもいうべき、意図が明確な作り方は嫌いじゃないのですが、プロパガンダ映画的なパターンがちょっと気にかかりました。彼は「グリーン・ブック」を批判したという話もあるそうですが、気持ちはわかります。 ぼく自身関していえば、さて、映画として、どっちが好みかというと、ちょっと考え込んでしまうけど、やはり、「グリーン・ブック」かなというかんじです。 ただ、映画を見ていて、一つ、興味深いことに気づきました。全くもって偶然なのですが、三宮行きの高速バスの中で読んでいたのがベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」だったんです。 ここで講釈を垂れるようで、まあ、申し訳ないのですが、アンダーソンは、この本でナショナリズムの成立に関して二つのポイントを指摘しています。 ひとつは、近代初頭の「プリント・キャピタリズム」(出版資本主義)の役割について。キリスト教圏だとラテン語に対して各国の世俗語出版の成立。日本だと、明治二十年以後の徳富蘇峰『国民之友』、三宅雪嶺『日本人』、陸羯南『日本』なんかの雑誌が果たした役割についてですが、これはこの映画とはあまり関係がありません。 ただ、もう一つのポイントが「クレオール・ナショナリズム」。ちょうど読んでいたこれが、この映画が描いている差別と抵抗の構造とぴったり一致したのだ。 「想像の共同体」の論旨は、宗主国に対する植民地ナショナリズムが生まれる議論をめぐるものなのですが、たとえば、日韓併合して宗主国ナショナリズムを押し付けた日本に対する朝鮮の人たちとか、イギリスに対して、ボストン茶会事件を契機に独立するアメリカとか、スペインに対する南米諸国とかが例としてすぐ思い浮かぶのですが、そこには植民地独特の抵抗とナショナルな共同体生成の言語文化が介在していたということです。 この映画でKKKは、排斥するユダヤ人を割礼によって見分けようとしていました。ユダヤ教共同体の宗教的慣習が、反キリスト教的なスティグマ(身体的刻印)とみなされ、キリスト教共同体の、そして良きアメリカ人の代表だと勝手に自任しているKKKによって標的化されているのです。 「では黒人は?」というと、まず肌の色が、白くはないという理由で、端的に攻撃の対象となっています。しかし、もう一つ、この映画が描いたのが「声」だったという所にスパイク・リーの慧眼を感じました。 「クイーンズ・イングリッシュ」に対して、「アメリカン・イングリッシュ」で独立を勝ち取り「想像の共同体」=「俺たちの国」を作り上げ、「アメリカ人」という自意識を作り出し、そこに生まれた「ナショナリズム」=「アメリカ・ファースト」に酔っている人々に「アフリカン・アメリカン・イングリッシュ(?)」がどう響いているかという、「アメリカ人」の内面に対する「告発」を、物語のメインプロットにしつらえた技には目を瞠りました。大したものだとおもいました。 ボクの耳にも聞き分けられる「アフリカン・アメリカン・イングリッシュ(?)」の痛快な罵倒を最後に映画は終わりました。 残念だったのは、黒人解放の演説や弾けるようなシュプレヒコールと、KKKの最悪な差別演説が、声の対照性によって描かれているに違いないことが、哀しいかな、英語のわからない耳には聞き取れなかったことです。 ポップコーンを、最後まで食べ続けていたコンビが出ていくのを待って立ち上がりました。 劇場を出ると、警察官が先導した春闘のデモでしょうか、東に向かって、ゼッケンをつけた人たちが歩道を歩いていました。 曇っていた天気は、青空に代わっていましたが、何だかやるせない気分で、兵庫駅まで歩きました。駅前のベンチに座ってコヒーを飲んでいると、不意に、中山ラビの「十三円五十銭」という歌が浮かんできました。 なつかしいけど、かなしい歌です。この歌を今でも聴く人はいるのだでしょうか。40年前に暗い下宿で何度も繰り返し聴きました。今でも歌えます。 監督 スパイク・リー Spike Lee 製作 ジョーダン・ピール 脚本 チャーリー・ワクテル デビッド・ラビノウィッツ ケビン・ウィルモット スパイク・リー 撮影 チェイス・アービン 美術 カート・ビーチ 音楽 テレンス・ブランチャード キャスト ジョン・デビッド・ワシントン(新米刑事ロン・ストールワース) アダム・ドライバー(刑事フリップ・ジマーマン ) ローラ・ハリアー(女子大生活動家パトリス・デュマス) トファー・グレイス(KKKの親分デビッド・デューク) ヤスペル・ペーコネン(KKKフェリックス) コーリー・ホーキンズ(黒人指導者クワメ・トゥーレ) ライアン・エッゴールド(刑事ウォルター・ブリーチウェイ) ポール・ウォルター・ハウザー(KKKアイヴァンホー) アシュリー・アトキンソン(KKKコニー(KKK) 原題 「BlacKkKlansman」 2018年 アメリカ 135分 2019・04・13シネリーブル神戸 no1追記2021・11・04 在日の女性作家が参政権がないことをつぶやくと、寄ってたかって「ヘイト」する人がいることを偶然目の当たりにして、この映画を思い出しましたが、たいがいにした方がいい社会意識が蔓延していることに、ぼく自身も、もう少し気付いた方がいいことを実感した「選挙」でした。 表向きには「四民平等」が正しいはずの社会なのですが、差別と暴力が蔓延し始めているのではないでしょうか。ちょっと。恐ろしい様相ですね。
2019.04.14
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吉田秋生「海街diary1~8」小学館 我が家では吉田秋生については、うかつなことは書けません。読みたければ、いつでも読めるのですが、「ちょっと、それ、ページをぎゅーって開かんといてくれる。」とか言われちゃうので、読むのも、少々気を遣います。とはいいながら、映画「海街diary」を観て、ここは、どうしてもという気分で、原作の「海街diary1~8」(小学館)をトイレなんかに持ち込まずに読み終えました。 吉田秋生のマンガの特徴について、一般論というか、マンガとしてどうなのかというようなことは、ここでは、あまり言う気はありません。 一つだけいえば、クローズアップの描線の鋭さ、それと、おそらくセットになっている登場人物の表情の厳しさに特徴があると思います。その結果、傑作「バナナフィッシュ」なんて、登場人物が、男なのか女なのかよくわからないノンセクシャルな表情をしていて、漫画家のきつい性分のようなものを感じさせるのです。ぼくには、それが彼女のマンガの魅力なのですが、まあ、印象は人それぞれだろうと思います。 ともあれ、読後の印象は映画を観た感想とは全く違っていました。映画は過ぎ去った時間や家族の死からの再生の物語、新しい出発のための助走の姿を映していたと思うのですが、映画全体に、なんとなくの「暗さ」が漂っているように感じたのですが、原作のマンガの中で、娘たちは過去の時間に憑りつかれたりしていないと感じました。 父親や家族、知り合いの死や、娘たちだけで暮らす古い民家のたたずまいや、歴史に彩られた鎌倉の街の風景は、確かに、彼女たちの「生きている世界」を取り巻いていますし、物語の主人公にふさわしい、独特な背景、あるいは舞台を作り出してもいます。しかし、それが過去を強調的にクローズアップして、登場人物たちを縛り付けるような印象は全くありません。 原作マンガの中では、登場人物たちは、実に、生き生きと生きているのです。 たとえば、第8巻の表紙絵の階段を駆け上っていく四女スズの後ろに広がるのは、父が捨てた街の風景ではなく、彼女が生きている、その街の上にひろがっている今日の青空なのです。 ぼくが最も印象深く読んだ、第5巻「群青」にあるシーンですが、海猫食堂のおばさんの死に際して、四女スズのダイアリーであるのだろうモノローグが、こんなふうに四角囲みで書き込まれています。 入院して3週間後 猫亭の福田さん 豪福寺の和尚さん将志の一家に見守られて海猫食堂のおばさんは亡くなりました神様は気まぐれで時々ひどい意地悪をするのででも晴れた日は空が青いどんな気持ちの時もそれはかわらないそれだけは神様に感謝したいと想います 海街の日々を生きる人々の上には、晴れた日の青い空が広がっています。時間は、さまざまな可能性をはぐくんで、過去から未来に向けてゆったりと流れています。四姉妹と彼女たちを取り巻く人々の生活や人柄は、重なり合う時間の厚みが丁寧に書き込まれて、明るく深いのです。コミカルなギャグと繊細な描画の組み合わせが、物語の展開を支えていて、読者にゆっくり読むことを促しているように思えます。 いまさらいうまでもないことですが、傑作でした。(S)追記2019・11・23映画「海街ダイアリィ」の感想はこちらをクリックしてください。ボタン押してね!ボタン押してね!河よりも長くゆるやかに (小学館文庫) [ 吉田秋生 ]ここかあたりから、ファンです。きつねのよめいり (小学館文庫) [ 吉田秋生 ]これも懐かしい。
2019.04.13
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「アホちゃいまんねん、木瓜でんねん!」徘徊日記 2019年 わが街あたり 「おやおや、こんなところに。ああ、これが箒桃か。雨にぬれて白がきれいやな。」 その向こうには紅の花をつけた数本の赤い箒桃。 「そういえばチッチキ夫人がいうてたな。」 「桜ばっかりやったらいうて、そこの斜面に植えはってんよ。赤い花咲いているやろ。」 「なんていう花なん。」 「箒を立ててるから箒桃(ホウキモモ)。赤と白とあるやろ。」 その下に白木蓮。 一本だけの若木に立派に花をつけています。 「うーん、木蓮と辛夷はどうやってみわけんねん。」 桜並木に戻って、集会所の前を歩いていると植え込みの草むらにピンクの、なんとも可愛らしい花が数輪(なんと数えたらいいのかわかりません)。 木瓜(ボケ) 「うちら、アホちゃいまんねんで。木瓜ですねん。」 そのまま正門を出てバス停沿いの歩道。敷地を囲った金網の塀沿いに、なにやらのぞき込んでいる女性がいる。 花梨の花 「バス停の前の門のところに花梨の花がどうとかいうてたな。なるほど、これや。よう似たカンジの花やな。一方がボケで、もう一つはカリンか。」 「なんか、かわいそうやな、ボケとか。」 今日もいいお天気。団地徘徊にぴったり。サクラも、そろそろ満開を過ぎて散り始めている。 四月も十日を過ぎた。にほんブログ村
2019.04.13
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アミール・ナデリ Amir Naderi 「山 Monte」 元町映画館 no2 元町映画館が結構好きなのです。やってるプログラムが、ちょっとシブイんです。見るか見ないか決断を迫られるタイプが多いのです。この映画「山」も、どうしようかなと考えて、映画館の受付の人の顔を思い出して、行くことにしました。 今日は、昔からの知り合いの人はいなかったのですが、受付の人とちょっとおしゃべりできて、うれしかったのです。 自宅から垂水駅まで歩いて汗ばんだせいですね。映画館の椅子に座っても寒かったので、ジャンパーを脱ぐのはやめてサンドイッチをかじりながらコーヒーで一息入れていると始まりました。 山のふもとの丘の上のようです。白い布で覆われた小さな遺体を埋葬しているのですね。 風?山鳴り?鳥の声?様々な、うなりのような低い音がずっと流れていて、無言で動いている人間たちが、いかにも貧しいのです。怒りに満ちている、いや、哀しみにくれているのか、けわしく硬い表情と石を集めてきて積み上げていく手の動き。映像が伝えてくるのは、その場を吹き抜けていく透きとおった冷たい空気の流れでした。 山の音がずっと聞こえています。 夜のとばりが下りてきます。美しい男と女がいます。男が汚れた手に櫛を持ち女の髪を梳かしています。 野良犬がやってきて墓地を掘り返しています。仲間が去って行きます。男(アゴスティーノ )と妻(ニーナ )と息子(ジョヴァンニ)が山の小屋で貧しい暮らしを続けています。 美しいのです。しかし、何とも言えない悲しみに満ちた映像が少しづつ物語りつづけています。山の音が聞こえ続けているのですが、人が語る「ことば」はありません。荒涼とした畑には何も育っていません。見ているぼくは、ただ、呆然と画面にくぎ付けにされています。 「なにがおこるんだろう?」 男が木車を曳いて村に出かけていきます。彼は不可触選民のように指さされ、人々のささやき声が、ただ、さざめく音だけですが聞こえてきます。 「なにがおこるんだろう?」 ・・・・・・・・・・・・・ なにも盗んでいない男が盗みの罪で追われはじめます。男が逃げ込んだ部屋には聖母子像と磔刑のキリストが祀られています。男は祈りの灯がともった大きなローソクを一本手にすると逆さに立て直します。何かを決意した様子で男は部屋を出て行きます。画面には、たくさんの燃え続ける灯火のなかに一つだけ火の消えたローソクが立っているシーンが映っています。 すべてを失った男が山に帰ってきました。山の音が鳴り続けている中に、男の叫びが響き渡ります。 「ニーナ―!ニーナー!」 妻と息子は逃げてしまった男の罪で、刑吏と修道女に連れ去らたあとでした。見ているぼくは知っているのですが、男は知りません。 「男は怒っているのだろうか。絶望しているのだろうか。」 男の表情から何かが失われたように見えます。 「何を始めるのだろう。」 男は大きな鎚を持ち出し、岩壁を叩きはじめました。ずっと聞こえている山の音に、鎚をふるう「カーン」という甲高い音が混ざって聞こえてきます。男は叩き続けます。 やがて妻が帰ってきますが、男は槌を振るいつづけ、岩盤を叩き続けます。山の木霊と槌の音が響き合う不思議な音の世界が広がっていきます。 「何をやっているんだろう?」 ぼくの中には、不可解と諦めの渦のようなものが心に拡がっていきはじめた、その時、ベートーヴェン―だったでしょうか、場面とそぐわないシンフォニーの出だしの音が聞こえてきてギョッとします。三つ向うの席の女性が、慌ててケータイを取り出し、音が止まりました。画面からは山の音とハンマーの響きが聞こえ続けていて、山がそこに聳えています。 何年たったのでしょう、髭が生え始めている息子が帰ってきます。母親と抱擁し、父親のそばで鎚をふるい始めるではありませんか。やはり、ことばはありません。山の音の中に新しいハンマーの音が響くだけです。 時が流れているのです。おそらく何十年も。「参ったなあ。何がしたいねん。うーん、どうなんねんな。」 延々とつづく山のシーン。繰り返し響いてくるハンマーの音。くたびれ果てて、そっとコーヒーを取り出した。水筒の蓋を開ける手が止まった。突如、結末がやってきた。やっぱり、画面にくぎ付けにされてしまった。 岩壁の頂にまっ赤な太陽が輝き、画面が赤く染められてゆきました。映画が終わったのです。 こういうのを脱力感というのでしょうか。ぼくは、座席にもう一度、ぐったりと座り込んでしまいました。 「いや、いや、参りました。」 映画館の出口でチラシを見直しました。「これは、黒澤明の精神から生まれた映画だ」 ナデリ監督のコメントが書いてあって、妙に納得しました。「クロサワか。映像と音響かな。最後の太陽は夕陽かな?朝日かな?うーん、それにしても、ここまでやるか。」 垂水で約束していたお友達と出会って、久しぶりにビールで乾杯。「何、観てはったんですか?」「山、モンテっていうやつ。」「面白いんですか?」「うん、傑作やね。ずっと山たたくねん。ものすごい絶壁があって、岩壁やねんけど、それを叩くの、ハンマーで。見てて、どうなってんねんて思う。」「それで?」「いや、それだけやで。一応、結末は黙っとくけど。」「かわいそうとか?」「うん、観てる客がかわいそうみたいな。」「何ですか、それ?」「うん、見なわからん。ある意味、ホンマの映画かもね。見に行ってき。結果は保証できんけど。かわいそうな、ええ、経験することは保証できるな。ホンマ、結構かわいそうやで、見てる人。」「エーッ、やめときます。」「まあ、そういわんと。いっといで。怖ないし、エグないから。ああ、メチャ綺麗やし。ホントはね、あれこそが映画かもしれへんで。」 久しぶりに深酒してしまって、帰ってみると時計は次の日になっていて、同居人も寝てしまっていた。「残念!しゃべる相手がいない。」 監督 アミール・ナデリ 製作 カルロ・ヒンターマン ジェラルド・パニチ リノ・シアレッタ エリック・ニアリ 脚本 アミール・ナデリ 撮影 ロベルト・チマッティ 美術 ダニエレ・フラベッティ 衣装 モニカ・トラッポリーニ 編集 アミール・ナデリ キャスト アンドレア・サルトレッティ(アゴスティーノ ) クラウディア・ポテンツァ(ニーナ ) ザッカーリア・ザンゲッリーニ(ジョヴァンニ 少年期) セバスティアン・エイサス(ジョヴァンニ 青年期) アンナ・ボナイウート 原題「Monte」2016年 伊・米・仏合作 107分 2019-03-26・元町映画館no2追記 繰り返し男と女の手のシーンを思い出してしまうのは何故なのだろう。ハンマーを握る手。傷の手当てをする手。神をなでる手。「手」がクローズアップされて、印象に残っている。 何十年も岩壁を撃ち続ける毎日。そっと触れてくる手の感触。墓場で石を集めていた手がこの映画の描く「人が生きる」ということの姿だったのだろうか。追記2 2019・08・01 今年の春に見た映画だけれど、印象が持続している。やはり「手」の表情とでもいうのだろうか。これくらいセリフのない映画もめづらしいのではないかと思うが、記憶の中で「手」が語り続けている。 黒澤明の映画が、登場人物の立ち姿や、ブランコの揺れ具合で記憶に残っているのと、そこがよく似ているのかもしれない。追記2022・12・14久しぶりに修繕するために読み直して、意味不明だったので修繕しました。3年以上も前に見たのですが、案外よく覚えていると感じるのは錯覚でしょうか。にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.13
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想田和弘 「港町」 十三第七芸術劇場 想田和弘の観察映画、 「港町」を見ました。関西では大阪でやっていました。十三第7芸術劇場です。 十三なんて何十年ぶりだったでしょうか。見終わって、同居人チッチキ夫人と二人で淀川の大橋のたもとの河川敷の土手でサンドイッチを食べました。そんなことをするのも、何十年ぶりでした。 広い河川敷には、バーベキューの後片付けをしている人や、ユニホーム姿で。かたまって走っている人たちがいました。 さわやかな、五月の夕暮れでした。一緒に見た映画が映画だけに、ボンヤリ、人の老いについて考えていました。生きるということが哀しいということについて考えていました。 この映画には語らなければならなような事件も物語もありません。にもかかわらず、いや、だからこそでしょうか、こうして映像の断片を思い浮かべていると、河川敷に座って、ボンヤリ佇んでいるぼくたちと、映画の中のじいさんやばあさんとが同じように生きていることを感じさせてくれます。 海岸沿いのコンクリートの道をせかせかと、向こうに歩いて行くばあさんの後ろ姿が浮かんできます。 ぼくたちが座って見ている川の向こうには大きな町があります。二人で黙って座っている間に、町が暮れてゆきます。 港町に夕暮れが落ちてくるシーンが浮かんできました。 結局、十三ではなにも食べず、何も買わず帰ってきました。まあ、映画を観に行ったのですから、いいのですが。2018/06/12 追記 2019-04-13 佐伯一麦さんの作品を読み続けています。私小説と呼ばれているものですが、日記形式のものや、日々のエッセイも一緒に読んでいて、想田和弘というドキュメンタリー映画の監督がやろうとしていることと近しいものを、何となく感じています。 想田さんがやろうとしていることは、ひょっとすると「事実」そのままのドキュメンタリーではないのではないでしょうか。 小説なら書き手ですが、彼の映画であればカメラを回す人、編集する人を兼任しているらしい彼自身、その書き手を「事実」が通り過ぎていることを表現しているんじゃないか。カメラで見ている主体の表現というかんじでしょうか。映画は、結局、カメラを持って被写体の前に立つ映画監督をこそドキュメントしている。そんな印象です。 見当違いなのかもしれませんが、まあ、そこが面白くてこれからも見るだろう、そんなふうに感じています。(S)追記2019・11・20 その後、「THE BIG HOUSE」(感想はここをクリック)を観ましたが、面白かった。「演劇」も見ているのですが、感想は書いていません。
2019.04.13
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〈教室のマンガ ー「ドラゴン・ボール」から「黄色い本」まで〉 今となっては昔の話ですが、教室で流行っていたマンガの話です。教員になった30年以上も昔、教室で流行っていたのはたいていスポーツ根性漫画でした。 鳥山明「ドラゴンボール」 最後は「地球のみんなヨー、オラに力をわけくれ」と泣かして、元気ダマです。でも、まあ、そこまでいくのに「一体何回死んだら気がすむねんな、悟空よ!」って言ってしまいそうですが、やめられません。 武論尊「北斗の拳」 授業で指名しても答えられない生徒に「おまえはもう死んでいる!」を連発してたら「面白くない!」と飽きられてしまったので、今度は居眠りしている人をさして「あいつはもう死んでいる。」と言っていると「しつこい!」とばかにされてぼくのブームは終わりました。 今時、高校でこういうセリフを口にすると、即刻退職ということになるのかもしれないですね。 そのころの野球部員に必読だったのが千葉あきお「キャプテン」・「プレーボール」でした。 部室には必ず転がっていましたね。とことん努力するキャラクターが、練習とか試合で、あんまり必死にならないうえに、あんまり強くない高校球児に受けていまた。でも、作者が疲れて自殺してしまったんですよね。努力して頑張り続けるって、大変なんだと思いました。でも、少年たちには谷口君の姿が「夢」だったんですよね。 足立充「タッチ」 まぁ「タッチ」はスポーツものとはちょっと違うかもしれませんね。このマンガの登場は野球漫画の空気を変えました。それまで、一生懸命動きを描いていた漫画家たちをバカにするように、絵が止まっていました。女の子が読む野球漫画の始まりなんでしょうか。ぼくはテレビのアニメの主題歌を聞くと、いまでも、ちょっと泣けるんですよね。 90年代に入って忘れられないのがこのマンガです井上雄彦「スラムダンク」 「バカボンド」を書いて超人気漫画家になってしまったけれど、やっぱり桜木花道が忘れられません。だってボールが手を離れてからリングを通過するまで何ページかかったことか。週刊誌を読んでいる人は一週間待ったはずですよ。 一度だけバスケットボール部の顧問をしたことがあります。実際の試合を観戦する機会があって、このマンガのコマ割が案外リアルなことに感心してしまいました。マンガだけで「スラムダンク」ファンをしている皆さんは一度試合を見てみたらいいとおもいます。きっとマンガ独特のリアリズムを再発見すると思います。 館長をしていた最後の高校の図書館でも、無断持ち出しが、後を絶たなかったマンガです。。「センセー、バスケがしたいんです、だろ。泣いたかね。」「へへへ、すんません。」 だまって持ち出した生徒の返却の挨拶は素直だったですね。まあ、納得がいったんでしょうね。 スポ根じゃあないのですが、尾田栄一郎「ワンピース」とか佐藤秀峰「ブラックジャックによろしく」とかが2000年代のハヤリでした。ぼくは読んでいません。そうです、このあたりから読んでいないんですね。 「ブラックジャックによろしく」は大学の医学部の書店でよく売れたそうです。お医者さんになる勉強をしている学生さんが読むマンガだったんですね。 あのころ高校ではマンガを没収して威張っていた同僚がいました。今でもいるかも?大学ではどうなんでしょう。マンガもれっきとした文化だと思っていたボクは読みたければ読めばいいと思っていたけれども、授業中は止めたほうがいいかもしれない。 たとえばぼくが教壇にいるような高校の授業が、はまってしまったマンガの面白さに勝てるわけがないですね。だから、見つけた教員は、当然、逆上する事になるわけです。ぼくは、どっちかというと、哀しかったですね。そういえば、没収したマンガ雑誌を職員室の机に積み上げて、勝ち誇っていた先生たちは、マンガに勝てない自分の授業のことはどう思っていらっしゃったのでしょうね。今思えば、やっぱり少し哀しい。 ところで、ここまでお付き合いいただいた、みなさん、高野文子という漫画家をご存じでしょうか。 「絶対安全剃刀」(白泉社)が有名だったと思うのですが、本当は有名ではなかったかもしれません。きっとご存じない方が多いのでしょうね。時間が永遠に止まっているようなマンガを書く人で、「ああこんなマンガもありなんだ。」という感じの人で、好きだったんですね、ぼくは。やたら繰り返しのスポ根マンガとはすこし違う種類ですね。 まあ、薀蓄はともかく、その漫画家が「黄色い本」(講談社)というマンガを2000年代の始めころに描きました。装丁も黄色い本でした。 なんとなく注文してやってきた本を手にとると「ジャック・チボーという名の友人」と副題が付けられていました。で。ぼくは「ありゃりゃ」と驚いてしまいました。「そうかこのマンガはあの黄色い本をネタにしているんだ。」 「あの黄色い本」というのは高校二年生だったぼくが人生の最初に出会った革命家ジャック・チボーを描いた、あの小説のことです。 ロジェ・マルタン・デユ・ガールというフランスのノーベル賞作家がジャックの一族をえがいた小説「チボー家の人々」(白水社)こそ、黄色い装丁の箱入りの本で全5巻ですね。 箱に入っているのにペーパーバックふうのラフな綴じ方がしてあっって、フランスの本みたいで、当時のぼくにはちょっと大事な黄色い本でした。大げさかな? 高野文子のマンガ「黄色い本」の主人公の女子高生は教室の真中でこの本を開いて読んでいます。ぼくは隠れて読んでいました。やがて紡績工場に就職する彼女がジャックに恋をしてしまうように、ぼくも本気でジャックに憧れていました。最近の小学生や中学生が、うーん、高校生にもいるかもしれないが、ハリー・ポッターなんて名前の魔法使いの少年を好きになってしまうのと似たようなことだったかもしれません?!いやいや、てれくさいけど、もっと大変だったかもしれませんね。はははは。なんのこっちゃ。 高野文子のこの漫画はぼくの高校時代とほとんど同じ時代、同じような生活を描いていて、「チボー家のジャック」に憧れていく主人公の様子がぼくにはよくわかると思いました。「黄色い本」は主人公が読みつづけていた本を図書館に返す所で終わります。それは彼女の人生の時(二度と来ないある時間)の終焉として描かれているわけですね。 へんてこなマンガだけれど、一度、本屋か図書館の棚から、ちょっと手に取って、ページを開いてもらえたら、初めてなのに懐かしい空気が漂ってくるかもしれません。でも、もう、そういう所にはないかもしれませんね。 ついでに「チボー家の人々」は、今では白水社のUブックシリーズで全13巻だと思います。これを読み終えるのは大変かもしれませんね。本当は、二十才の頃までに出会わないとカンドーしないのかもしれない本のような気もします。 ところで、ぼくの「チボー家の人々(全5巻)」は、二十才の大学生の下宿にやって来た一人の女性とともに本棚から消えてしまい、その後には宮沢賢治「銀河鉄道の夜」(岩波書店)一冊が残されていたというミステリアスな結末を迎えました。ダハハハ。 この事件は、宮沢賢治嫌悪症とでもいう形で、あの詩人の作品に対する態度として残りました。あれから四十年経つというのに、宮沢賢治の作品には読みづらさと、素直になれないというというこだわりを捨てきれないシマクマ君です。 フン!「銀河鉄道」のどこが面白いんだ!(S)追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)チボー家の人々(1) 灰色のノート (白水Uブックス) [ ロジェ・マルタン・デュ・ガール ]これが、始まり。チボー家の人々(13) エピローグ (白水Uブックス) [ ロジェ・マルタン・デュ・ガール ]こうして、すべてが幕を閉じる。【中古】バガボンド 全巻セット 1-37巻 講談社 井上雄彦 以降続刊まだ、終わってないんですが、井上さん、頑張って。プレイボール2 1【電子書籍】[ ちばあきお ]もう、ただで読めるかな。るきさん (ちくま文庫) [ 高野文子 ]これは、文庫になってました。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.04.13
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浦沢直樹 「夢印」 (小学館) 久しぶりに届いたヤサイクンのマンガ便のなかに浦沢直樹「夢印」(小学館)が一冊入っていた。「浦沢の最新作やで。」「ふーん?ゆめじるしか?何巻まであるの?ビリーバットやったっけか、あれは終わったん?」「もうムジルシ。ムジルシ、結構評判よ。一巻読み切り。ビリーバットは終わったよ。あんな、これは、ル-ヴル美術館との共同企画やの。」「なんで、ルーヴル美術館が出てくんねん?」「フランスでは芸術やねんて、マンガは。そやから、ルーヴル美術館が浦沢に描かしたわけ。」「フランスは日本よりマンガが流行ってんねん。スラムダンクとか、みんなフランス語版になってんねんて。週刊漫画あるやろ、『ジャンプ』とかに連載してて、流行ってんのな、『ワンピース』とか。ユーチューブで読めんねんけどな。普通の発売日の前の週には出てんねん。フランス語とか英語とかで。」「なんや、ほんまかいな、それ。翻訳して、絵はまんまか?ヤサイクンは横文字のを読むの?」「読めるかいな。おれは日本語版。」 ヤサイクンも、偶然その場にいたピーチ姫も、現代マンガ事情に詳しい。シマクマ君はポカンとしながら聞いていて、なにやらキツネにつままれたような気分。 一週間ほどして、再びヤサイクンがやってきた。「『ムジルシ』読んだで。長い話を軽くまとめた感じやな。なんか、もの足らんかったわ。なんや、一冊のわりにはこみいってるな。浦沢直樹も、エラなってんやな。美術館に頼まれて描いた感じは、ようわからんかったけど。フェルメールの模写か?そんなん出てたな。」「話がめんどくさいのは、ずっとやろ。いろいろ仕込んでるネタ、伏線いうんか、忘れてしまうやろ、途中で。読み返さんとわからんようになるやん。これ、一冊で、わかりやすいやん。」「まあ、そういういい方もあるかな。この人、めんどくさいから面白いともいえるけどな。そや、カラスといえば、マリアやろっていうギャグわかった?『二十世紀少年』うちにあるんかな?あるはずやんな。ちょっと見たいんやけど。」 「そっちの棚のどっかにあるやろ。ああ、マリア・カラスやろ?」 何はともあれ、浦沢の作品としては、チョー短編。読み終わってみると、ホントはここから始まるような感じが残るけれど、お話としては完結している。大きすぎる話を、短くまとめたからかもしれない。ちょっとネタ晴らしになるが、「夢印」はちゃんと表紙の真ん中に書いてあった。 浦沢ファンは、一応、読んだら、っていう感じ。マンガのなかで世界は騒然とするけど、で世界が騒然とするかどうか、保証の限りではない。(S) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!ボタン押してね!【中古】 【コミックセット】MONSTER(モンスター)(全18巻)セット/浦沢直樹 【中古】afbまあ、面白いですよね。【漫画全巻セット】【中古】プルートゥ <1〜8巻完結> 浦沢直樹まあ、これもね。
2019.04.13
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「わて、花海棠、ハナカイドウいいまんねん。春でんな!」 徘徊日記 2019年 わが街-9 「桜もよろしいが、まあ、ちょっとこっちもどないですか?桜はんとはちごうて、ええピンクでっしゃろ。」 桜の花を見上げて団地の中を歩き回っていると満開の枝垂れ桜の、ふと、その傍らに「花海棠」。 「アーモンドって、わたくし、ご存知でした?桜とはちょっと違いますでしょ。日本の春も悪くないわね。」 もう少し歩くと「アーモンド」も満開でしゃべっています。 行方知らずだと心配したの「連翹レンギョウ」もこんなところでしっかり咲いている。 黄も黄なりいたちはぜとも言ふからに 藤田湘子 「もうちょっと東の植え込みの方にも咲いてまっせ。もと住んでたとこは雪柳はんの勢いに負けてしもたんですねん。そこの雲南はんも、お強いからね。」 石垣を垂れて二三花いたちはぜ 飯田蛇笏「いやいや、ぼくらの黄色は、雲南はんとはまた違うから。」 連翹に似て非なる木の花黄なり 正岡子規「どっちにしても、桜一色ではあきまへん。この色も春にはつきもんでんがな。」 連翹が溢れ桜が溢れけり 相生垣瓜人 そういえば、昔、「連翹」があったと思い込んでいたところには「雲南黄梅ウンナンオウバイ」の群棲。 雨の中で鮮やかな黄色の可愛い花。「日本の雨は冷たいのよ。もう四月やいうのにネ。」 おやおやこんなところに…(つづく) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) にほんブログ村
2019.04.12
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観察映画第8弾 想田和弘 「THE BIG HOUSE」 元町映画館 まず、チラシのキャッチコピーがすごいですね。 ついに想田和弘がアメリカで観察映画を撮った。観察映画史上最高のスペクタクル! 観るまでに、何度か予告編とも出会っていました。 「フーン、すごそうやな。一人で撮ってるんと違うわけか。観察の十戒ってなかったっけ。まあ、相手がデカイからな。」 ちなみに「観察映画の十戒」というのは以下の通りです。(映画の公式ページの記事中にあります。)1.被写体や題材に関するリサーチは行わない。2.被写体との撮影内容に関する打ち合わせは、原則行わない。3.台本は書かない。作品のテーマや落とし所も、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。4.機動性を高め臨機応変に状況に即応するため、カメラは原則僕が一人で回し、録音も自分で行う。5.必要ないかも?と思っても、カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。6.撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。「多角的な取材をしている」という幻想を演出するだけのアリバイ的な取材は慎む。7.編集作業でも、予めテーマを設定しない。8.ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。それらの装置は、観客による能動的な観察の邪魔をしかねない。また、映像に対する解釈の幅を狭め、一義的で平坦にしてしまう嫌いがある。9.観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居合わせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。10.制作費は基本的に自社で出す。カネを出したら口も出したくなるのが人情だから、ヒモ付きの投資は一切受けない。作品の内容に干渉を受けない助成金を受けるのはアリ。 で、映画が始まりました。1時間30分を経過したところで、一度だけ時計を見ました。それ以外は、ずっと画面にくぎ付けでした。観終わって、不思議だと思ったことが一つありました。画面に翻弄され、まあ、夢中になってみていたわけなのですが、「驚いた」という印象を持つシーンがなかったことです。 アメリカで一番大きなフットボールスタジアム、だからまあ、世界一なんでしょう、をドキュメントしているフィルムなのですが、「観察映画」の常で、映像の解釈は見ているぼくにゆだねられています。 この映画では、観客の、その場の臨場感をいかにつくるか、観客をその場にいかに引き込むかが想田和弘の編集の肝のようです。 ぼくは、監督の意図通り、映画の画面に引き込まれて見て、これが、巨大スタジアムの、ではなく、アメリカそのもののドキュメントだと感じました。 にもかかわらずなのか、そうだからなのか、「ええーっ、そうなん?」とか「はー、そうか、すごいなー」とかいうシーンはなかったと感じました。 ただ、一か所、映画が始まってすぐ、「国歌」が、画面には訳詩付きで、10万人の大合唱で流れ、「星条旗」がはためくシーンにグラッときただけです。予想通りの展開なのですが、国技館の「君が代」とは違っていました。「やっぱり歌やな。自由の国、勇者の故郷か。これが、アメリカなんや。」 それででしょうか、自分が映画の中に何を見ているのか、はっきりわかった気がしました。トランプの選挙カーが通ったり、クリントン支持のTシャツの女性が映ったりする。けれど、それは表層であって、アメリカが、まずあるのです。きっと。 見ていて、だんだん冷静になっていきました。驚きや、感動じゃなくて、じっと見ている自分を感じるのです。想田監督が編集で意図した物語を見ていたのかどうかはわかりません。しかし、映画を、そして、映画を通じてアメリカを「観察」していたことは間違いないと思います。 「なんや、アメリカ国歌って、やっぱ、軍歌やったんやんけ。」 ちょっと、負け惜しみのようですが、ぼくなりのアメリカ再発見です。 見終えたぼくは、まあ、そんなことをつぶやきながら、元町の街に出ました。なんだか、たくさんの人が歩いていて、歩きにくいほどでした。南京町もごった返していました。裏路地にまわって、小さなお店を覗きながら大丸の前に出ました。 日差しが、やっぱり、残暑でした。スクランブル交差点を渡っていると、甲高い中国語が聞こえてきました。「アメリカがあり、中国がある。イヤハヤ、ナントモ。えらい時代や。」 監督の想田和弘は「観察映画」に関してこんな本も書いています。それはまた「読書案内」で。 ところで「港町」の感想はこちらをクリック。 2018-08-25 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.12
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