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確定申告の書類を先日、作成した。作成に当たっては、ここ数年このサイトを利用している。国税庁のHPでのサービスなので、ここで適宜必要な入力を行えば、自分で計算して書類作成するよりはるかに安心できるからある。ただ、自分は税務申告の仕方をちゃんと理解したい、と常々思っているので、いつも下書きをする。まっさらな確定申告の紙と鉛筆を用意して、計算機を用いながら自分で計算し、それを書き込んでからこのサービスを利用することにしている。つまり「検算」をするわけだ。機械に頼って手軽にやるのもいいのだけれど、まずきちんと自分が理解した上でそういうものを利用したいと思っている。何かトラブルがあったとき、あるいはこういうサービスがなくなった時に、自分で申告することができなくなるというのはリスクだから。仮に国税庁サイドでシステム障害が起こって利用ができなくとも、自分で計算ができれば何の不安もない。というわけで、今年も下書きをして作業したのだが、幸い30分もかからずに終えることができた。初めて確定申告した年はやりかたがよくわからなくて、書類作成のために夜なべしたけれど、年々似たような作業をすることでコツがわかってきたようだ。大分苦手意識もなくなってきた。思えば自分は「税金」が昔から苦手だった。大学時代の素点で「租税法」だけは唯一「可」をとったくらい、不得手なのだ。大人になってから一番よく使うのにね(^-^;来年は電子申告にチャレンジしようと思っている。
2007年01月31日
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仕事で、決められた時間内にその案件を片付けなければならないときがある。そういうときに、部下がミスをしたり、当初予定していたスケジュールが狂ったりすることが、時にある。それを軌道修正しなきゃ、と思うときにこそ落ち着いて事を運ばなきゃいけないのに、心が揺れて、いつものように力が発揮できないことがある。あるいは、――本当はいけないことなのだけれど――私生活で心配なことや、ちょっとした人間関係の悩みを抱え込んで、仕事に集中できず、パフォーマンスが低下することがある。今の私は、そんな感じ。誰しも疲れたり悩んだり「くすぶる」ことはあるけれど、そういう時にこそ焦らず力を抜いて「くすぶり」の波をやりすごすかが肝心なんだと思う。気にしすぎると参ってしまうから、ほどほどにお酒でも呑んで、脱力しなきゃなぁとも思う。株もそろそろ少しだけ動かそうと思っていたが、こうやって心が揺れているときは、売買はお休み。自分の神経がまっすぐになっていないのが自覚できるときに、長期短期に関わらずトレードをしてもいいことはないのである。ふー。携帯切って温泉にでも浸かりたい。。<お酒メモ>プレミアムモルツ生グラス1つサンジョヴェーゼ・ディ・ロマーニャ ハーフボトルフローレフ ブリュ-ン(ベルギービール250ml) 1つアベイロック(350mlくらい)
2007年01月30日
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「仕事じゃないんだけれどさ、会社のことで週末忙しくって・・・」こうぼやくのは、同年代の友人。最近、この手の話をよく耳にする。どうも、優秀な学生を獲得するために、企業が「拘束」を含めたリクルーター制度を復活させる動きが、活発になっているらしい。バブル時代には海外旅行研修とか、懇親会といった名目での呑み会とか、内定者へのいろいろな拘束があったそうだが、どうもそれに近いことが行われているという。ただ、私の知るところでは、そういう拘束をかけているのはいずれも外資系企業ばかりなのだ。船上パーティで内定者懇親会だの、有名温泉旅館での1泊研修だの、私には想像もつかないものだ。だけれど、拘束を受けた内定学生側からもこういう話を聞くので、とかく派手にやっている企業もあるというのは事実なのだろう。ただし、私が知らないだけかもしれないが、国内の大手メーカーには、そういう動きはまだない。キヤノンのように「初任給を引き上げる」といった「賃金の高さで釣る」といった静かな動きはあるのだが・・・。これは、長期雇用を想定する国内企業と「とりあえず即戦力」を目的とする外資系の差のせいなのだろうか。話は少しそれてしまったが、このような「拘束」の動きは「18金の卵」という造語がでてきたように、若くて教育しやすい人材が不足してきた、という兆候なのだろう。双方向のコミュニケーションがあらゆるビジネスシーンで求められる昨今では、「勉強はできるが、それ以外では使いづらい」という「優秀君」よりも、「そこそこ勉強ができる、コミュニケーション能力がある、空気が読める」といった「マルチ型」のほうが企業にとっては「喉から手が出るほど欲しい」人材なのだろう。ただ、「マルチ型」は企業に依存せず、起業を志す人も多い。だから「学生→起業」や、「学生→社会人で数年→起業」というパターンにもなりやすいから、ますますこのタイプは供給がおいつかない。もしかしたら数年後には、稀少な「金の卵」を獲得しようとする「派手な内定者拘束」が常態化するのかもしれない。学生にとってはすわ就職バブル再来か・・・いいなぁ。
2007年01月29日
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昼間、友人に電話をした。生年月日も生まれた時間も同じ、血液型も一緒。違うのは性別だけ、という友人である。彼とは高校時代の後半、生徒会室で毎日のように卓球をやっていた。(蛇足だが、徹夜でPC98でゲームをしたり、麻雀デビューも彼の実家であった>^-^;)話をしているときに、懐かしい思い出が蘇るとともに、最近の運動不足を痛感していたので、私は口を開いた。「今日暇なら、卓球でもしにいこうか」OKが出たので、高校時代、一緒に麻雀をしていた仲間数人に手分けして連絡。数時間後には5人(途中1人さらに合流)が、待ち合わせ場所に集まった。で、卓球場へ。別に趣味でもなんでもないのだが、誕生日が同じ友人Iはマイラケットを持っているくらい卓球が好きで、高校時代は悪友たちとともに1日2時間くらいラリーをやっていた。当時は年相応の子どもだったから、私は彼に負けるのが非常に悔しかったので、次第に球にドライブをきかせたり、カットしたり、球に逆回転をかけたり、打点を低くしてスピードを持たせたりと、小技を効かせるようになったものである。ところが、卓球を始めてみると、記憶の中にあるプレイ中の自分と、実際の動きが違う。「こんなはずでは」と思ったけれど、球の速さに目が追いつかないし、打点がずれて、球が上ずってしまう。打ち返しづらくするためには、自分のところに返された球の回転方向を見て、ラケットで逆に回転をかけてやらねばならないのだが、どうも回転そのものが見えないのである。動体視力が落ちたなぁ、と痛感。友人も同じことを口にする。というわけで、昔はけっこうラリーになったのだけれど、今日はあんまり続かない。球がすぐに卓球台から零れ落ちて、拾いに行くので周辺をかけずり回る。開始10分もしないうちに身体が火照る。ムキになって上着を1枚脱いで、長袖のシャツを腕まくりして続行(^-^;メンバーを替えながら、休憩抜きで1時間ぶっ通しで卓球を続けた。後半は次第に目が慣れてきて、うまくドライブ回転がかかるようになった。そのあとはみんなで酒を呑みに行って、仕事の話とか、昔の話に興じる。数時間後にきれいに解散し、帰りの電車に乗り込む。と、様子がおかしいことに気付いた。腰が痛い「なんか、腰がおかしい」と言うと、友人に「それは無理してやったからだよ。運動不足で腰の筋肉が落ちているのにいきなり全身運動をすると、腰に来るんだよ。年だね」といわれた。。「明日は筋肉痛で動けなくなるでしょう」と、傷口に塩を塗るような言葉が飛んでくる。_| ̄|○家に帰り、靴下を脱ぐと、足の指が何本か赤く腫れていた。靴下で卓球をやっていたために、足が火傷みたいになっていたのだ。うーん、明日は動けないかも。それにしても、思ったよりも身体は年をとっているのね。えーん。。( ´Д`)<お酒メモ>ギネス生2パイント半
2007年01月28日
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今日は仕事帰りに久々に呑んだくれていました。1軒目は軽くギネスを呑んで、2軒目は和食。そこで日本酒を注文し、お猪口に注いで一口つけたところお銚子に入っている酒が蒸留酒臭いことに気が付いた・・・。(※蒸留酒で見た目日本酒のように透明なのは焼酎の可能性が高い)数時間前まで英語と日本語のちゃんぽんで、へヴィな仕事をしていたせいか、自分の味覚がおかしくなったかと思ったのだが、もう一口呑んでもやっぱり蒸留酒だと思う。「ねぇ雪×ファンドさん、これどう呑んでも蒸留酒だと思うんだけれど。お店の間違いかな。多分芋だよね。百歩譲って泡盛だと思うんだけれど、雅、酔ってます?」と尋ねてみた。だが、雪×ファンドさんに「わからない」と言われたので、店員さんを呼んで、「これ焼酎か泡盛だと思うんですけれど・・・」と申告して、確認してもらうことにした。で、やっぱり思ったとおりだった。しばらくして店員&店長が来て「すみません、あれは焼酎です。新しいものをお持ちしました」という。「ちなみに、何の焼酎だったんですか?」と雅。「芋です」ワーイ♪当たった♪呑んだくれ冥利♪゚・*:.。..。.:*・゜ヽ( ´∀`)人(´∀` )ノ・゜゚・*:.。..。.:*と両手を挙げてはしゃいでいる雅を雪×ファンドさんは微妙な目で見ていた・・・(^-^;お酒も株も、ちゃんと目利きができたら嬉しいものなのよ( -_-)それでご機嫌になって、るんるんでひとり、プラットホームに到着して電車を待つ。と、暫くして身体が肌寒いことに気が付いた。コートがない(汗)慌ててお店に電話をし、改札口を通り抜け、来た道を戻ってコートを取りに戻る。ダッシュを利かせて、なんとか終電に間に合った。お酒で調子こいて、大切な持ち物を忘れて肝を冷やした己の行為に反省した。何でも、分別が大切なのね・・・。2日続けて、アル中日記でごめんなさい。伝言:ギネスの会はあと数人は大丈夫なので(半個室です)、奮ってご参加ください。<お酒メモ>ギネス ハーフパイント生1つキリン ブラウマイスター グラス1つ明鏡止水 純米吟醸 2/3合獺祭 純米吟醸1合
2007年01月27日
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生まれて初めて「合コン」に行って来たと先日書いたのだが、その場所は私がいつも行っている店であった。しかし、合コンの数時間前に急遽某社長に呼び出され、待ち合わせ時間の30分前まで酒を呑んでいた。ええ、ほろ酔いだったんです(ToT)そうして店に到着し、いつものように、目の前に大好きな子羊のローストとエゾシカのカルパッチョが並び、いつものように、お気に入りの酒を注文。合コンの相手はいずれも金融業界の方だったこともあり、気がついたらいつもの調子で株の話をしていた。「メガチップスが~」「未来工業が~」「フェイスでかなりお金を飛ばして~」考えてみるといつもの投資家オフと変わらない私の姿がそこにあった。でも、これって「合コン」だったのよね...( ゜д゜)ハッ!翌日、参加した男性のひとりからメールが来ていて「お酒呑んで株の話しているときが一番ニコニコしていたよね~、男よりも株に興味があるのね」といわれる始末。_| ̄|○私って最低・・・ううっ。(でも正直楽しかった☆-ヽ(*´∀`)八(´∀`*)ノイエーイ)
2007年01月26日
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ミクシィなどをはじめとするIT業界の起業家のうち、1976年前後に生まれた世代が76(ナナロク)世代と呼ばれ、最近注目されている。堀江氏や六本木ヒルズ族、とひと括りにされる若手経営者とは、また違うタイプのカテゴリーとして捉えられている。多分何が一番違うかというと、ヒルズ族のような「ベタな派手さ」や「注目されたい」という意識があんまりないのだ。76世代の彼らは「時価総額経営」を目指さないし、新規上場しても、必要な資金調達が済めば、ヘタな経営拡大はしない。自分はセレブなのだ、という誇示をしないのである。年齢でいうとちょうど28~32歳あたりの層だ。自分もまさにこのセグメントにいるからわかるのだけれど、少し上の年代の人たちがはしゃいでいる姿を、多分冷めた目で見、他山の石としているのだと思う。ティーンエイジャーになったころには既にバブルははじけ、宴のあとのうらぶれた雰囲気だけが残っていた時代だった。ポケベルが流行り始めた頃に高校時代を過ごした人が大半だったと思う。マクドナルドでアルバイトをしても時給は700円台前半から。私の同級生のポケベルには時折知らない人からのコールがあった。無作為にポケベルを鳴らして、見知らぬ女性と出会おうとする大人が出現し始めたからだ。お洒落をしたい女の子の中には、ブルセラで自分の下着を売る子もいた。しっかり塾に通い、学校でも大人しくしていた。そしていい大学に入っていった。大人たちが自分たちの若さを商品扱いしている。それを私たちはもう理解してしまっていた。それに対応することで割りのいいお金が手に入ることも知っていた。「何が悪いの?」冷徹に自分の価値を計算した彼女を私は止めなかった。手軽に売買できる場所がいくつも設けられ、メディアで報道されたことが、「そういうことはいけないよ」という倫理観や躊躇をふっとばしてしまったからだ。「景気が悪い」というのが、日常の挨拶となった時代はずっと続き、私も大学生になった。大人や社会はもはや信用できるものではなく、頼れるものではなく、自分で自分の食い扶持を稼がねばならないことを私も周囲も悟っていた。就職氷河期とか、超氷河期と言われる時代よりも、大学生の内定率は下がり、ボトムのボトムで就職活動した。そうして、76世代は大人になった。私は学生時代は都内で過ごしたから、都市特有の傾向があるのかもしれない。でも、同世代の人と会うと、やっぱり堀江さんがメディアに出た頃から、「何アレ?一緒に括らないで」という感想を共有したし、どこか彼に対して「お祭りではしゃいでいる子ども」という印象で一致していた。世の中が悪くなる、という右肩下がりの雰囲気を実感し、時代にも無視されて育ったせいなのだろうか、よくわからないものにすがったり、自分に対する妙な自信は持たない。他者や社会に妙な期待を抱かない。それが「ナナロク」のエトスなのかもしれない。悲しいけれど、夢が見られないから、76世代は超現実志向なのだ。周りには「年金なんて貰えないのは目に見えているから」と事も無げに語り、運用している人間も多い。そこにはもう、期待がない代わりに怒りもない。私はテクニカルの人とも投機家ともつきあうけれど(※ただし、ケンカふっかける人はお断りだけれど)、どんな時間軸で運用しようと、たいていこの世代はものすごく勉強しているし、やることが手堅い傾向がある。株の世界で言えば「安全域が大きい」という表現になるのだろうけれど、とにかくそういうタイプが多いのだ。テンプルトン・ファンドのファンドマネジャーである、マーク・モビアスも著書に書いていた。「ジャングルで頼れるのは自分だけなのだ」と。人間は苦しいときに生存本能が研ぎ澄まされるというが、「イケてない」時代に情緒が育まれた「76世代」の同志たちが、新しい産業の起爆剤となってくれることに期待したい。
2007年01月25日
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そのまんま東こと東国原英夫(ひがしこくばる・ひでお)氏が、宮崎県の知事の椅子を射止め、その一挙一投足が連日報道されている。伝聞で恐縮だが、彼は選挙期間中、地元の宮崎弁を駆使し「談合廃止によって、談合でムダに使っていた税金を福祉などに還元したい」というような公約を、有権者に向かって話したそうだ。あるいは、「既存政党の馴れ合い政治=悪」であり、自分はその水を飲んでいない人間だ。政治も一所懸命勉強したから、なんとか一度チャンスをくれというロジックで演説をしたという。対立軸を明確にし、とにかくわかりやすさに重点を置く。そして時折ユーモアを交えて、地元の言葉で語りかける。この手法って、田中真紀子そっくりだ、と思う。彼女の地元の演説はいつも、方言丸出しの新潟弁である。そして、街頭演説では仮想敵を作り出し、それを批判することで、自らの正当性や正義といったイメージを演出する。そして、そのときの服装はゴム長にモンペ、あるいはジーンズなど、「庶民的」な格好なのである。アクセサリーも一切つけない。「あなたたちの味方ですよ」という雰囲気満点なのである。普段、東京の目白の自宅周辺に居るときは派手なブランドのスーツだったり、セレブっぽい洋服を着ているのだけれど、新潟の人が目の当たりにする機会はほとんどない。今日、そのまんま東氏が初登庁したそうだが、作業着にネクタイ姿、公用車は使わないといった庶民性をアピールしている。知事室の椅子に座った時には「こんな立派な机と椅子は、僕には似合わないですね」とコメント。真紀子同様、有権者が喜ぶツボを押さえているな、と感じる。だが、それは多分「自然」ではなく、彼の計算の範囲内なんだと思う。なぜならば、選挙前後からずっと新聞の写真やテレビの映像で彼の表情を見ているのだけれど、顔は笑顔なのに、目はすごく冷静である。目だけは笑っておらず、冷たい印象さえ受ける。別に批判しているわけではない。政治とは「情による支配」が肝心である。他人を情によって操り、己の目的をおくびにも出さず、冷徹に達成する。そういうことが要求される世界だからだ。むしろ私は、政治家としての資質を彼に感じているのである。そのまんま東、案外したたかな政治家になりそうである。泡沫タレント議員や小泉チルドレンよりも「やる」のではないかと、私はひそかに思うのだ。
2007年01月24日
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コーヒーが大好きな母のために、優待銘柄としてダイオーズ(4653)を12月からウォッチし続けていた。一部昇格への期待感もあり、多少の値上がり益も稼げると踏んで、買い付けようと思っていたのだが、どうもうまく指値が刺さらない。そういっている間に同株はじわりじわりと騰がり続けていた。最近では母から頻繁に電話がかかって来ては「まだコーヒーの株買ってないのヽ(`Д´)ノ」「3月の優待は貰えるんでしょうね(`皿´)」と言われて、私の心は焦っていた。そこで今日思い切って少し指値を上げてみた。1339円@300株その後、アラートメールで「約定」のお知らせがきたので安心した。ところが、家に帰ってみて、PFを見て唖然。すっこーんと株価が下がって、終値は1284円。いい金額の含み損が出ているのだ。まさに、自分が買ったところが天井付近だったらしい。久々の、大失敗トレードである。母の強い希望があったとはいえ、優待目当てで、値段を追いかけて買うもんじゃないな、と反省した。自分ではわかっていると思っていたことなのに、いざ他人のお金でこういう場面に出くわすと、まんま素人みたいな行動をとってしまう。ファンドの受益者である母に損をさせないためにも、頑なに自分の思った指値を守る態度が、結果的に受益者を守ることになる。改めてそれを強く実感した。_| ̄|○ ...反省。おかん、ごめん。<お酒メモ>記憶にないのですが、頑張ってブログ書いてたようで、こたつで倒れて寝ていました。さっき起きて、風呂に入った(汗)月曜昼下がりグラスビール 生 1つシェリー(ポルトガルの甘いの) 1つSCAPA14Y 1つ合コンにてソアベ クラシコ (白ワイン)1本フランスの赤ワイン(なんちゃらロッソだった気がする) グラスで1つ合コン2次会のワインバーで、赤いのを2つ
2007年01月23日
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こんばんは。今日はギネスを呑みながら投資談義をするお誘いのお知らせです。前回から3ヶ月ほどあいてしまいましたが、2月3日(土)19時~ 都内某所のアイリッシュパブ(未定)でやる予定です。場所は現在選定中ですが、ギネスの呑み放題のあるところで、2~3時間呑んだくれてもご飯込みで4000円以下に収める予定でいます(^^)もし参加してくださる方がいらっしゃれば、雅の楽天メールにメールアドレスを放り込んでください。宜しくお願いします。PS:明日は生まれて初の合コン(2×2)に参加するのですが、お鼻に吹き出物ができて赤鼻のトナカイさんになっています。。最悪です(ToT)←すっぴんで行くけれど(汗)<お酒メモ>ギネス 生2パイント半南(日本酒)1合佐々一(日本酒)半合
2007年01月22日
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仕事の波が一段落した。こういう日は「昼過ぎまでゆっくり寝て、午後から友人に連絡をとり、夜はしこたま酒を呑んで騒ぐ」ということをしたいのだけれど、今日は大人しく朝から病院へ行き、そのあと商店街で特売品を買って、家で自炊(=ブランチ)。身体を気遣って、昼は白米に4菜を入れた味噌汁、湯葉揚げと塩味の利いた山菜がんも、それに豆乳豆腐と魚の粕漬け(目鯛と鮭)という植物性たんぱく質中心の食事を摂る。夜は、茸入りのミネストローネに、ピクルス、馬刺しで簡単に夕食を済ませ、静かな1日であった。というのも、先週やった連日の徹夜&深酒がたたり、血尿が止まらないので頓服中なのである。それゆえ酒も呑めない。酒の解禁は日曜から。というわけで、せっかくの休日になった土曜日は家で大人しくするしかなかった。謹慎処分を食らった感じ、というよりは独居房に入れられた気分である。とても退屈なので、来週海外からやって来る客人の著書をつらつらと読んでいる。客人はファンドマネジャーなのだが、初対面のうえに、会話は多分全て英語になりそう(汗)正直、自分の英語力はめっきり落ちていて、もはや聞き取るくらいしかできない。きっと会話はファイナンスの英語がバンバン出るだろうから、交渉のキモは同行する者に指示を出しておいて喋らせるという作戦にでようと思っている。そんなわけで、事前に書類だけはきちっと作ろうと思い、彼の本をつらつらと読んでいる。「仕事で会う人の調査や資料を精査することもやはり仕事だ」という人も時々いるのだけれど、私はこれを仕事だと思っていない。大きなお世話だが、ちょっとでも仕事に関連することを「仕事」と位置付けて嫌々やっている人を見ると、少し気の毒にも思える。自分の生き方やスキルにプラスになることをto do(=すべきこと)のなかから少しでも見つけられれば、仕事から金銭以上のものを受け取れるのになぁ、と思う。むしろ、(今回は金融系の人ということもあり)自分の投資の考え方に肉付けするいい機会だと思っている。会社のために、というよりは自分のためにやっている趣味みたいなものだ。もちろん、遊びではないので、趣味よりも真剣かつ神経質に調べるけれども、興味のある分野なので苦にはならない^^人は考え方一つで同じ事が快楽にも苦痛にもなる。嫌だ、面倒だと思う作業から「好き」「自分にプラス」なことを見つけ出すことを意識していけば、毎日のストレスや不満は少しづつ減っていくような気がするのだ。それにしてもギネス呑みたい・・・
2007年01月21日
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母親のお金を預かって運用している「マザーファンド」の保有銘柄のうち、wowowを1枚だけ売った。昨年2月に26万2000円で購入、本日42万9000円の売りで、62.4%(16万7000円)の利益確定である。ドイツ証券が昨年、同株の目標株価を43万円としていたので、そのあたりが一度節目だろうから、直前で全株降りようと思っていた。しかし、早期退職する父が映画を見るのが好きなことから「wowowの無料視聴優待(3か月分)を残して欲しい」と、昨日母に懇願され、部分売却に至った。残りはあと2枚である。仕手も入っているっぽいので、ここからの舵取りが難しいなぁと感じている。また、今月のマザーファンドのパフォーマンスは+6%ほど。成績は順調すぎるほどなのだけれど、悩みの種は次に保有する銘柄。流動性があり、名前の知られている会社に投資するというルールを設けているせいか、まだ「これは」というものがない。というわけで非常に悩んでいる。他人のお金を運用するのは難しい。まるで自分の身体に鎖を巻いて行動しているようだ。けれども母のファンドは金額が小さいこともあってか、自分のポートフォリオに比べて、着実に資産が増えている。不思議なのだが、行動に制約があったほうが、世の中うまく行くことが多い、というのが私の経験から思うことである。経済もそうだけれど、完全なフリーハンドで資本主義に身を任せる自由至上主義(リバタリアニズム)よりも、法律などによって多少規制があるほうが、行き過ぎを防いで「そこそこ」うまくいく世の中になるような気がする。なぜ規制があるほうがうまくいくのか?それは人間は部分的に獣(生存本能で生きる動物)であり、部分的に理性(制御装置)を持っているためだと思う。人間の勝手や欲というのは獣の部分である。もちろんそれは生きていくのに必要だけれども、強すぎても暴走して周囲を破壊し、結局は自らも滅ぼしてしまう。だからその獣の部分を「多少は縛ったほうが、世の中うまく行く」ということを、人間はなんとなくDNAとか身体で知っているように思えるのだ。ということを、母のお金を預かってから、より実感できるようになった。いい経験になっていると思う。ただ、つくづく人のお金を預かるという作業は楽しいけれど難しいなぁ。。
2007年01月20日
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今日はちょっとわけのわからない観念的なことを書くので、嫌になったら読み飛ばしてください。当たり前のことですが、世の中にはいろんな人がいる。特に最近は「自分が努力した割には報われていない」と思って、社会に不満を抱いている人、「お金のあるものが勝ち」という価値観を一番大切にしている人が目に付く。前者はお金が手元にない人、後者はお金を持っている人の「典型的なセリフ」だけれども、両者に共通していることは、手段でしかない「お金」を絶対的な権力かのように誤解し、教祖のように崇めて生きているということだろう。そして両者は、意識が「自分に向いている」という共通項もまた持っている。つまり自意識が強く、周りが見えていない。自分ひとりで生きているわけではあるまいに。「自分が」ということに囚われて、周りが何かの作用を自分に及ぼしているからこそ今の自分のポジションがある、ということを理解できていないのである。不思議なことだが、ある道で第1人者になるような人、あるいは経営者たちは、おまじないのように次の言葉を口にする。「自分は世の中や人に生かされているのだ」「自分の能力でここまでやってきたわけじゃない」自分の地位は自分の実力で勝ち取ったものじゃない、というのだ。運がよかったとか、人の縁があったとか、そういう「感謝」ばかりが自然と口をついて出てくる。自分はツイていないと思う人、お金はあるけれど、何か物足りないと思う人は、多分「自分は生かされている」という意識が足りないために、今のポジションから逃れられないんだと思う。「他人のために何かをすることは自分にとって損だ」という意識を捨て、自然と「周囲に感謝する」ことができるようになったとき、その人にとって人生のコペルニクス的転回が訪れるのではないかと思うのである。
2007年01月19日
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最近じわじわと食料品の価格が騰がっている。いつも飲んでいる豆乳の1Lパックは、突然40円値上がりしたし、お刺身のパックの値段も、年が明けてから軒並み100~200円騰がっている。チーズは値段が数十円騰がって内容量が少し減った。少しずつ、値上げが家計を圧迫している気がする。ひと月あたりの自炊用の食材費をこの間計算してみたが、去年に比べて10%ほど多く使っていることがわかった。また、昨日、牛丼屋の「すき家」に数年ぶりに入った。そうしたら、確か280円だった豚丼というメニューが300円になっているのに気がついた。だいたいどのメニューも20円くらい値上げされている。周りにいたサラリーマンのお兄ちゃんやおじさんたちは、サラダも何もつけずにみんな「豚丼」を黙って食べている。前はもっとサイドメニューを摂って割合が多かったように思えるのだが。気がつくと、行きつけの鮨屋も消費税をとらなかったのに、この半年で取るようになった(=5%の値上げ)だし、ほぼ週1で通っている銀座のフレンチのレストランのシェフも値上げこそしていないが、「最近食材の値段がバンバン騰がって大変」なんてこぼしていた。思うに、これらの食料品の価格上昇は「円安」も一因ではないかと思うのである。たとえば野菜を例にとってみる。数年前から農水省が日本の自給率をカロリーベースから金額ベースに変更した。それに伴い、少量でも価格単価の高いエリンギやエシャレット、ズッキーニ、ゴーヤなどを栽培する農家が増えた。露地ものの野菜の代わりに、これらの野菜を作っている割合が増えると、カロリーベースでは自給率が減少する。カロリーはある程度摂らなければいけないから、必定、輸入食品に頼ることになる。為替レートが円安に振れれば、その分消費者の支払いコストも増える。こういう構造がもしかしたら今の値上げには、あるのかもしれない、と思ったのだ。自分のよく行く店の話の例だけで恐縮だが、フレンチの店は主にEUから輸入食材を仕入れている。大量に消費するオリーブ油ひとつとっても、1年で2割強値上がっているという。農水省は円安になれば、円ベースで自給率の金額を出すときにそこそこいい数字が出るだろうし、自らの対面を保つことができるだろう。しかし、本来必要なのは言うまでもなく、国民のエネルギー(食料品)確保である。同じカロリーを摂るのに、国内居住者のコストが増す方向への施策は、あんまりいい世の中じゃない気がする。ましてや、定率減税が廃止され、胆税率がガツンと増えようとしている今、エンゲル係数の上昇=最低限の生活コストが騰がるのは、非常に痛い。というわけで、私も例に漏れず、少しずつ外食割合を減らして、コストの削減に努めている。料理することは気分転換になるからいいのだけれど、正直ひとりだと食欲があんまりでないのが寂しいといえば寂しいのだが。最近、手作り弁当ブームが都心部では起きているのだけれど、自分と同じように感じている人たちが多いがゆえの事象なのかしら?と思っている。そんなわけで、私もおにぎりを握ったり、少しおかずを作って、お昼は手弁当に切り替えている今日この頃である。<お酒メモ>ソアベクラシコ(白・伊ワイン)ハーフボトル
2007年01月18日
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オフィスアワー。向かいに座ったその人は、ポケットからタバコとライターを取り出して、テーブルの上に置いた。タバコを吸うときの一連の動作には「性格」がでる。「吸ってもいいですか?」と人に尋ねるときの様子からはじまって、タバコに火を点けて煙を吐くまでのしぐさ、そして煙の方向を気にするのかしないのか・・・。タバコを数回吸ってすぐに火を消してしまうのか、根元近くの渋い味になるまで吸い続けるのか。そして、吸い終わってしばらくしてニコチンが切れたときに、どれくらいイライラして、喋り方や表情が変わるのか。タバコと言うのは喫煙家にとっての嗜好品だから、それを手にしているときは、その人の素に近い表情が出る。普段はニコニコして心象が良かったとしても。タバコを吸う様子がひどく醜いものだったり、相手に対して気を遣わず、無頓着に吸っていたりしたら注意したほうがいい。そういう仕草をする人は、あとあと仕事なり人づきあいなりでトラブッたときに、やはり「タバコを吸ったときのその様子」通りの態度をとる可能性が高い、というのが経験則である。そもそも――私もできるだけ注意はしているのだが――心を赦していない相手の前で嗜好品と戯れる様子を見せないほうが無難なのである。同様に、タバコだけでなく、酒を呑むという行為も、相手に自分の素を悟られてしまう恐れが大きい。だからビジネスの場で人と相対するときは、うっかり自分だけ酒を呑んだり、タバコを吸ったりするのは避けたほうが良い。人前で嗜好品と戯れるさまは「リスク」である。私は頭の片隅でどこかそういうことを考えながら、他人のタバコを吸う様子を眺めているのだ。と、目の前のその人は言った。「タバコ吸ってもいいですか?」と。「ええ、どうぞ」私は会釈しながら答えた。
2007年01月17日
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日曜日は、インベストライフという長期投資家のためのクラブが主催するシンポジウムに出てきた。長期投資に必要な、ざっくりとしたアロケーションや投信の選び方などが中心で、大上段に振りかぶって「こうだ」というものはほとんど無かったが、セミナーとしては非常に楽しいものだった。ただ、そのシンポジウムのパンフレットに書かれていたさわかみ投信の澤上(パパ)さんのメッセージが印象的だった。「青臭いことを言っていると思う方もあるかもしれないけれど、長い時間が経ってみるとわかるのですが、物事の本質ってあまり変わらない。青臭い、当たり前のことというのが王道であり、結局残っている。一時的にすごいことをした人たち、でも、時間がたつと居やしない。俺、長いよね(笑) 青臭いと笑われても、とことん青く、本気で行こうかな、と思いますよ」まったく同感である。投資というのは骨董品のようなものであり、自分の投資スタイルさえきちんとわかってブレなければ、誰に何を言われようと好きな銘柄を選んで、持ち続けてやればいいのだと思う。さわかみさんはすごいと思うし、いつも話を聴くたびに、「さわかみ投信買ったほうがいいかな~」と考えることもあるのだけれど、当分は買わないと思う。というか多分買わないと思う。やっぱり、自分の納得の行く分野や日本を支える小さい会社を中心に投資をしたいと思っているからである。他人に任せるのではなく、自分で考えていいと思う会社のPFを作って、お金を増やしながら、社会のことを少しずつ学んで行きたいと思っている。ただ、青臭い、というか「きれいごと」にこだわって投資する、というのはさわかみさんと同意見である(^o^)/パッと咲いて散る打ち上げ花火の会社や投資家はだいたい見分けがつくし、フェイクは偽物の臭いがする。そういう人やモノには正直近寄りたくない。しかし、まっすぐな企業や、研鑽を深めている人には「お近づきになりたい」といつも思っている。「そういうことを志向して、悪いことにはならないはずだよ」と、さわかみさんに言われたような気持ちになった。<お酒メモ>ティオペペ(シェリー) 1つオールドパー そのままで2つ
2007年01月16日
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仕事をしながらお菓子を食べている人は結構多い。チョコレートとかポテトチップスとか、スナック菓子なんかが特に目に付く。でも、私はそういうものは口にしない。ポテトチップスやドーナツなんかは、油のすえた臭いがして、食べるのが辛いからだ。たいていは赤ちゃんや幼児のおやつになるようなお菓子を食べている。赤ちゃん用のおせんべいとか、ビスコとか、そういった定番のものが多い。幼い子どもの口に入るものだから、原材料に気を配っているし、カロリーもさほど高くない。袋は子どもが食べることを想定して小分けになっているから、食べ過ぎなくていい。おまけに塩分や油分なんかも控えめなので重宝している。けれども、頭を使っている業務のときは体内の糖を多く使うせいか、手がぷるぷる震えて、気が付くと立ち上がれなくなるときがある。立ちくらんでしまうこともある。そういうときだけ、黒砂糖のかけらをかじることにしている。だからいつも仕事デスクの引き出しの中にはお砂糖と子どものおやつが常備されているのだ。ダイエットをしたい人は、液体のダイエットジュースやゲル化したブドウ糖を摂るより、おやつはこういったお菓子を食べつつ、お茶などを飲むといい。そして、食事もできれば和食中心にすれば、じきに体重が減ってくると思う。「痩せたい」という人に限って、間食にハイ・カロリーのものをとったり、腹持ちが悪い液体のダイエットフード(ジュース)を取ったりしていて、ひどくつらそうに見えるのだ。今は逆に体重が減ってしまったので、なるべく食べるときには洋食や中華を心がけている(でも油ものは胃がもたれるからとびきり好きなものでないと食べない)。洋食はあんまり好きではないのだけれど、カロリーが高いから・・・。※さわかみさんのセミナーについてはまた改めて書きます。<お酒メモ>ビール キリン一番絞り グラスで3つくらいグラスワイン(赤)1つギネス生2.5パイントグレンリベット シングル そのままで1つ半くらいサッポロ黒の缶をちょっと
2007年01月15日
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アイスクリームが大好きなのである。子どものときは「1日1個」と言われたものだが、時々棒のアイスを日に2個、3個とこっそり食べて、よく叱られたものである。アイスには氷菓、ラクトアイス、アイスミルク、アイスクリームと4つの種類があるが、並べた順に乳脂肪分と乳固形分が少なく、さっぱりとした味でカロリーが低い傾向にある。だが、たいてい好んで食べるのは「アイスミルク」。アイスミルクとは乳固形分10.0%以上 (うち乳脂肪が3.0%以上) 入っているもの。これくらいが甘さやクリームのこくがほどよく感じられて丁度いいように思えるからだ。また、100円程度で購入できるアイスのなかでは、一番乳成分が高い。「アイスクリーム」の種類になると、ハーゲンダッツやプレミアムアイスみたいに、高価格になってしまうので、おいそれと手は出せない。つまり庶民のアイスのなかで「アイスミルク」は最もバリューなのである。私が大好きな森永「ピノ」や「MOW」はこの部類。今日は「MOW」のキャラメル味をもぐもぐと食べていた(^Q^)ちなみに高級アイスブランドの種類に多い「アイスクリーム」は乳固形分15.0%以上 (うち乳脂肪が8.0%以上) ある。そのせいか、食後、喉が渇いてしまうことが多かった。幼い頃は「ラクトアイス」とともに、「レディーボーデン」が家の冷蔵庫に収まっていた。500mlなどの大きさで売っているレディーボーデンは、種類別で言うとアイスクリームに該当するが、内容量の割に値段が安く、庶民の味方だったからである。しかし、食べすぎればやはり親に叱られる。そこで幼い頃の私は、レディーボーデンに牛乳をかけて、よーくかきまぜて食べていた。こうすると、満腹感の割には、アイスの減りが少なくなる。また、味の上でも利点があった。冷えた固形物が液体になるときは、その物体の温度は一時的に下がる。また、牛乳はアイスの原料である。冷たく「キン」と冷えたアイスに、さらに牛乳(乳成分)を投入すれば、非常にクリーミーになる。液体っぽくなるので、喉の渇きも抑えられる。小さい頃はこうして、アイスを毎日毎日食べていたのだが、だんだん「もっと食べたい」気持ちが強くなっていった。気が付くとレディーボーデン500mlの蓋を開け、真ん中をスプーンでくりぬき、そこに牛乳を投入して、1度に500mlをぺロッと平らげてしまうこともあった。これを1週間ほどやったら、親にこっぴどく叱られたのは今でも忘れられない(汗)また、9年前のことだが、アイルランドを初めて訪れたときにも、毎日現地でアイスにミルクをかけては食べていた。当時、向こうでよく売っていたのは長方形の1Lバニラアイスだった。円換算で230円くらいだっただろうか。バックパックで移動し、その日の宿はその日に探すというスタイルで旅をしていた私は、当然自炊だった。毎日のようにスーパーで1Lアイスを買っては、その日の内に宿泊地で全て平らげていた。冷蔵庫を持たない生活だったから、仕方がない(^Q^)だから、計量スプーンのような大きな匙でパクパク食べる様子を見て、一緒に旅に出た友人に毎日のように「お前、よくアイス食うよな~」と、言われた。友人は中東からヨーロッパまで4ヶ月ほどかけて放浪したり、アメリカに数年ホームステイしていた経験があり、パックパックであてのない旅に出ることに慣れていた。「アメリカ人でも、1回にその量、食いきれないぞ、お前」と呆れたように友人は言った。ということを、アイスの記事を読んでふと思い出した。その記事には「年間のアイス消費量世界一がアメリカ」とあり、アイスクリーム狂いのアメリカ人の変わったアイスの食べ方として「大きいサイズのカップアイスクリームに牛乳を入れ、そのまま全て平らげる」と書いてあったのだ。アイスが好きな人は、食べ方も万国共通なのね(^-^;
2007年01月14日
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投資セミナーにはあんまり行ったことがないのだけれど、とあるところで教えていただいたこのセミナーに足を運んでみようと思う。これは普通のティーチング式と違うスタイルで、かつ全国から長期で投資をしようと言う個人投資家が参加すると聴いたので、興味が湧いたのである^^しかも、4時間で1000円と超バリューである(^^)何でこんなことを書いたかといえば、当日セミナーに出た後、このセミナーに来た人と酒でも酌み交わしたいなぁ。ギネスでも呑みたいなぁ。プチオフ会でもしたいなぁ。どちらかっていうと酒のほうが主目的だなぁ(爆)・・・というわけです(^-^;事前申し込みが必要だと書いてありますが、主催側に聴いたら「当日いきなりでOK」ということでしたので、興味のあるかたは足を運んで、できれば当日雅と呑んでください^^よろしくお願いいたします(^o^)/<お酒メモ>ギネス生2パイントバルヴェニー ダブルウッド12Y そのままで1つマーレーマクダヴィット ミッションシリーズマッカラン21年(1985) 貴腐系の。 そのままで1つペール・シングル・シングル(エドラダワー)12年Michel Couvreurの。 そのままで1つドイツの貴腐ワイン 小さなグラスで1つ。朝までお酒にお付き合いいただき、ありがとうございました^^
2007年01月13日
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以前、免怒苦齋.さんに一読を進められていた『日本資本主義の精神』(山本七平・ビジネス社)を読んだ。「終身雇用など、同時の性質を持っていた日本の企業は、どんな理由からその独自のシステムを作り上げたのか」ということが、とうとうと書かれている本である。著者がこの本の中でいいたいことを要約すれば「日本の会社は、利益を求める機能集団であると同時に、会社そのものが働く人にとって『ムラ』(=共同体)でもある」という一言に尽きると思う。自分もそういう風に感じて日々仕事をしているので、とりたてて新鮮な論だとは思わなかった。ただ、本の中で少し引っかかった文章があった。それ働くことに関する次の一文である。「これは、あらゆる面に見られる日本的特徴である。このことは経済性を無視しても、成果が全く無くても『ひたすらやった』ことに意義を感じ、同時にそれが、その意義を認めよ、という形になり、それが認められないと、不当と感じ、強い不満を抱くという結果になる」これはつまり、「実際の成果よりも『ひたすらやった』行為そのものを評価する社会だから、だらだら残業が増え、結果として会社の収益を圧迫する慣習が日本にはある」ことを指摘している。確かにそういう一面はあると思う。経済がグローバルになり、世界の企業と競争しなければならない時代に、こういう慣習が根強く残ることで、販管費がなかなか下がらないのは、企業にとっては頭の痛い問題だろう。だから、特にグローバルで活動している企業が多く参画している経団連は、ホワイトカラーエグゼンプションを導入したいと声高に叫んでいるのだと思う。経団連の会長や副会長の顔ぶれを見ると、かなりの数の人が留学経験や駐在経験があり、特にアメリカで過ごした人が多い。彼らはおそらく「空気を読んで、他人と歩調を合わせる」「努力していることをそれとなく人に見せ、共同体への忠誠と奉仕をアピールする」といった、いわゆる「ムラ社会」のルールは不要だと思っている。コストがかかるだけで、企業にとっては「ムダ」だと考えている面が強いのである。是非はともかくとして、精神が「脱亜入欧」して、黒い目のガイジンになってしまっている、と言い換えてもいい。最近はいろんな大手企業がホールディングス(HD)化するのがブームだけれど、あれも多分アメリカでガバナンスを学んで、それに心酔した経営者がやっているだけなんだと思う。事業部ごとに会社化し、それそれの部門の利益率、作業効率を高め、持ち株会社(HD)はトップダウンでそれを管理、適宜指示を出せばよい。シンプルで解かり易いじゃないか、という考えだ。私が会った何人かの社長は、いつもこんな感じのことを言っていた。でも、本当にそうなのだろうか。HD化した企業には、全体的に見て利益が足踏みしてしまうところもある。「横のつながり」を捨ててしまうからだ。「しくみ」というのは、それを導入する場所の文化に合わせて適宜改良してやらなければいけない。それを理解せずに、ただ単にHD化した企業は曲がっているように見受けられる。かつての日本人は「共感する」「『同じように行動して』ともに何かを成し遂げる」ということに喜びを感じる体質だった。横同士の連携をすることで、周囲の呼吸を知り、一歩遅れていればそれを『恥』と感じてこっそり頑張る。そしてある程度の成果を出す。そういう細かいところでの現場の頑張りの小さい積み重ねが集まって、結果として大きな利益につながっていったのだと思う。そもそも「はたらく」という語源は「端(=周囲)が楽になる」というところからきている。周囲のために働き、回りまわって自分にも恵みがやってくるという生き方なのである。日本人にとって労働は自分も他人も幸せになる「仏行」であり、現在もその文化はDNAに刻まれているような気がする。だから、その習性を知った上で、HD化した会社は強くなる。会社全体が一体感を持てるような企業風土を取り入れたり、成果主義を導入してもゆるやかだったり。どこかに「仲間意識」を持たせる施策を取り入れている。そういう会社が、HDという縦の糸と、ムラ社会という横の糸をうまく織り成して、より強い「日本型企業」に脱皮しているように思えるのだ。(免怒苦齋.さまへ追伸)今仕事中でちょっと忙しいのですが、忘れないうちにと思って記しました。こんなところで堪忍してください。
2007年01月12日
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『資産運用のカラクリ』シリーズで、重版を飛ばし業界関係者の中で「売れる作家」とマークされている投資家・安間伸さん。安間さんはワイルドインベスターズという会社を経営しているのだが、ここのサービスで「DEEP INSIDE」という会員専用投資レポートサービスを始めるという。サンプルを拝見したのだが、通常のマクロのマーケットレポートに加えて、日本の文化に触れたカルチャーのコーナー、海外の不動産事情など、結構面白いことが書いてあると感じた。読んでみてわかると思うのだが、この会社がやろうとしていることは「儲けるノウハウ」を教えることに注力するのではなく、「儲かった結果としての個が、どういう振る舞いをすべきか」ということまで、「ヒヨコ」のときから面倒を見ますよ、ということである。雨後のタケノコのように、投資教育サービスを提供する会社が出てきているが、独自性を出そうとしても、それは投資法を教えるアプローチの違いであって、正直似たり寄ったりの部分は否めない。だが、これは資産運用アドバイスというサービスに、富裕層を志す人へのたしなみも手とり足取り教えようという、新しいビジネスモデルだと思う。多分、この会社のメンバーは日本の黎明期から富裕層へのサービス業務をやっていたノウハウを活かし、こういうかたちでのサービス提供を行おうと思ったのではないだろうか。ところで、剣道や柔道、茶道など、日本には「道」という名前がついた作法が数多くある。これらに共通する考え方として「守破離」という考え方があるのをご存知だろうか。「守」はその道に入り、師匠に付いて「型」を学び、体得すること。型を知り、その道の心がある程度わかったところで、その型を破り、道の心を自分なりに模索するのが「破」。そして最後は自分の内で理解したその「道」を、ひとり追求すべく、師匠から離れる段階である「離」。ワイルドインベスターズは「守破離」を投資教育に取り入れて、独立した個人投資家が育つためのノウハウをどうやら本気で提供する気なのではないかと思う。ヒヨコ投資家をカモにして投資教育業務で食っていこうとする業者も残念ながら多い。そのなかで、ワイルドインベスターズという会社がこういうかたちでノウハウを提供することは、正直、半ば気狂い沙汰だと思う。こういうことができるのは、「頭がおかしい」か精神が「涅槃」に至っているかのどちらかでしかない。でも、多分後者なのだろう。「涅槃」とは我欲や煩悩を超え、精神の迷いがなくなった状態である。いわゆる仏さま、というわけである。八百万の神の出ずる日本だから、投資教育という分野においてこういう神さまみたいなことをする人がいても不思議ではないのだけれど。「まことありがたきサービス哉」と思って、その行く末を見守ろうと思う。(追伸)私は顔の黒い羊です。誰かに群れているわけではないので、お追従を言わされているわけではありませんのでその辺をお含みおきください。(付記)ところで、サービス内容の「この会員サイトは、以下のような方々に特に有用であると考えます」と書いてある例の中に>私は専業投資家なのですが、投資で儲けることに飽きはじめています。遊んでくれる人がいないと通風でアル中になりそうです。何とかしてください。 とあるのですが、思い当たる人がひとりしかいません(^-^;「温泉に入るのも飽きました」の一文を追加していただけると幸いです。以上、業務連絡でした。<お酒メモ>ソアベクラシコ(白・イタリアワイン)1/2本ジネステボルドーブラン(白/2005フランスワイン)1/2本
2007年01月11日
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私合わせて、毎年数百枚くらいくる年賀状。そこからその人の人生が垣間見える。私がいただいた今年の賀状の傾向は、メールではなく、郵送が多かった。web2.0という言葉が流行った反動で、人々が逆にぬくもりを求めているからなのだろうか。今では珍しい、オール手書きのほのぼのとした年賀状もあるし、ぎっしりと近況を詳しく書いてプリントしたものもある。中には仕事でへまをやらかしたのか、○○付という肩書きで急遽異動になっている人や、精神的な病気で顔つきや服装がすっかり変わっている人なんかもいて、短い文面や数枚の写真で、その人の様子が伝わってくる。たった1年でも随分人は変わるのだなぁと改めて感じる。年賀状の中には最初、顔を見て誰だかわからない人もいた。暫く年賀状をじーっとみて、名前のところで「あー」と思い出すくらい。その人はサッカーを現役引退してから数年、いよいよ指導者の道へ入るための勉強をしているそうで、顔つきが現役の時の精悍なそれに戻っていた。人は環境で顔つきが変わる。書く文字の癖や文の書き方も変わる。送られてくる年賀状には小さな変化の積み重ねが集約されている。e-メールではわからないぬくもりを郵送の年賀状から感じるのは、そういった細かいことの結晶が如実に感じられるからなのだろう。
2007年01月10日
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昔は本を読むときは、1冊ずつ初めから終わりまで丁寧に読んでから、次の本を読むようにしていた。そのほうが集中して内容に対峙できるからだ。しかし、最近は「自宅で読む本」「会社で読む本」「移動中に読む本」と同時に複数冊を並行して読むことが多くなった。というのも、書類などを持ち歩いているとうっかり鞄が5キロ以上になってしまうからだ。そんなわけで、移動中はコンパクトで軽い新書や文庫などを中心に読むようにし、ハードカバーは自宅やオフィスで取り組んでいる。並行して本を読むのを以前は毛嫌いしていたが、いざ、物理的な理由から行うようになってからは、この読書法も悪くないなと思っている。先日も『宇宙が味方する経営』(伊藤忠彦著)というスピリチュアルなビジネス書(というか、ビジネス書の棚に置かれている単なるスピリチュアル本だったのだが)と、文庫『まともバカ』(養老孟司著・講演録)を読んでいた。前者は「神様が・・・」と著者自身の不思議な縁や幸運な出来事から、神の力を信じ善く生きることを説いているが、後者は「頭のいい東大生が、物理を理解し計算ができる一方で空中浮揚を信じてオウムに入ったのはなぜなのか」みたいなことが書かれている。偶然にも、非科学vs科学の話をチョイスしてしまったというわけである。養老さんの書いてある内容を前提に、伊藤さんの書いた内容に突っ込みを入れたり、他方伊藤さんが養老さんの本に「それは違うでしょう」と反論したり。読書を止めて頭を休めると、そういうことが、自分の頭の中で繰り広げられていく。頭の中で奇妙な組み合わせでディベートがはじまるのだ。並行で本を読んでいくことで、そういう楽しみがときに訪れる。並行読みは脳にケミストリーを起こす作業である。わざと毛色の違ったものや、仲の悪い著者同士の本を並行して読むことで、自分の中に変わったアイデアや、批判精神などが生まれやすくなるのだ。本自体への集中度は1冊ずつ読むよりも浅くなってしまうだろうが、多元的にモノを思考するには、なかなか面白い脳のトレーニングだと思う。今現在は『インテリジェンス 武器亡き戦争』(佐藤優/手嶋龍一・幻冬舎新書)『富の未来・下』(トフラー・講談社)『日本資本主義の精神』(山本七平・ビジネス社)の3冊を、適宜読んでいる。『インテリジェンス~』はタイトル違いだが「インテリ」の2人の自慢話みたいで、あんまり内容がない。女性がこんな風に表現するのもアレなのだが「自信過剰な人たちの自慰行為を見せ付けられている」ような本で、あきらかに対談の掛け合わせが売れている理由の50%以上を占めている感じがする。そもそも、諜報活動に片足突っ込んでいるジャーナリストや役人が、こうして表舞台に出てぺちゃくちゃ喋ることに不自然さを感じるのである。そう、まるで相場師が相場で飯を食えなくなったから、株式評論家に転身したような臭いがするのだ。こう感じさせるのは編集のまずさによるんだと思う。というのも、彼らが自らの手で書いた著作・寄稿はたいてい目を通してきたが、この本から受ける印象とはまったく違うからだ。多分、対談を原稿にしたライターや編集者が、彼らの資質を感じさせる大切な部分を切ってしまって、なんだか陰謀論みたいな臭いのするところだけ遺してしまった結果なのかも、と思わせる。残念だ。『日本資本主義の精神』は2/3くらい読んだのだが、うーん、形容しがたい。内容に対して「そうだよね、うん、そう思うよ」って納得はするが、著者がここから何を訴えたかったのかがまだ見えてこない。免怒苦齋.さんに感想を求められているのだが、ちゃんと後述できるか不安。勉強になるのはトフラーの本。あらゆる世の中の事象が短いチャプターでまとめられている。そこから「どんな社会になるのか、世界はどんな需要を産み出していくのか」、そういうことをトフラー自身も考えているのだが、肝心な答えは用意されていない。だから、読みながら自分でもその答え(未来の姿)を考えなければいけない。この本には投資のヒントがたくさん詰まっている。答えが提示されていないからこそ、受け手である読者の思考を試す「人を選ぶ本」、だと思う。読み手のセンスや知識によって、薬にも屑にもなりうる本だと感じながら読んでいる。なんて、まだ読み途中なのに偉そうに書いてしまった。実は新聞や週刊誌などを読みながらこれらを読んでいるので、1日に数10ページずつしかすすまない。だから読み終える頃には本が以前(=1冊ずつ読む時代)よりもくたびれるようになったのだけが、残念である。
2007年01月09日
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経団連がやたら元気だ。元日にも「御手洗ビジョン」を発表し、時期の目安を記した上で法人税率の10%引き下げ(15年度まで)、消費税の2%増税(11年度まで)、道州制の導入(15年度まで)といった経済分野の提言のほかに、2010年代初頭までに憲法9条を含めた憲法改正などについてもご丁寧に触れられている。そもそも、経団連というのはどういう組織なのだろうか。ウィキペディア「経団連」によれば、「もともと経団連は日本の経済政策に対する財界からの提言及び発言力の確保を目的として結成された組織」だという。つまり、経団連の発言は東証1部の大企業の中心に位置する経営者たちの「意向」である。中小企業を含めた企業全体の「要望」を集約しているものではない。最近の安倍政権のよろしくないところは、この経団連の意向を汲みすぎているというところである。特に、御手洗さんと安倍さんは同じ九州閥だし、みずほ銀行の前田さんなんかも同郷の大分だから、プライベートでも親しくしている。いくら仲がよいとしても、経営者の発言はロビイングが前提であるということを踏まえたうえで、政治家は耳を傾ける必要がある。竹下内閣の時代からずっと「自民党の金庫」として経団連が貢いできた歴史があるのだから、尚更である。それが自民党政治家の仕事である。一応国民の意見も踏まえて、お友達の財界の意向もそこそこ取り入れ、うまく落としどころを見つけてさっさとオペレーションする。そして自分の影響力と支持、飯の種(政治家としてのポスト)を確保する。それが政治ではないか。なのだけれど、身内や仲間にはついつい「ウン、ウン」と首を縦に振って「いいひと。」になってしまう安倍さんの性格が、とにもかくにも政治に反映されているのが透けて見える、というより丸わかりである。経団連の言うことをほぼ100%聞いてどうする、といいたい。献金した経団連だって、「御手洗ビジョンのうち、100%のうち5割くらい聴いてくれればいいぞ」と思って提言を出しているだけである。なのにほとんど丸呑みで、利口なやり方だと思わない。政治家は闘争に強くなければいけない。だけれども、常に正面からケンカやトラブルに対峙することはない。身をかわしてひょうひょうとしてやり過ごしたっていい。そうして次の闘争までエネルギーを蓄えておくこともまた大切なことである。そうして嵐が過ぎて(世間の批判や意見が収まって)、凪になったところで肝心な部分に着手すればよい。なのに、それができていない。「がっくり」である。別に安倍さんがのび太で経団連がジャイアンというわけではないのだが、のび太はたいていジャイアンの言うことを聞いたり、大人しく殴られているが、時にはドラえもんの力を借りずに自分でジャイアンに歯向かっている。殴られて結局はボコボコになるけれど、ジャイアンもそういうのび太のことを好いている。だから手下や奴隷ではなく「俺の友」と呼ぶのだ。スネ夫だって、ジャイアンにつきあいきれないときは、家に篭って居留守を使ってやりすごす。みんな、それぞれ己の力量がわかったうえで、自分なりに闘争しているのだ。なのに、どう見ても安倍さんは「のび太以下」である。もし今、安倍さんに話をする機会があれば「ドラえもんを読みなさい」と叱りたいものである。<お酒メモ>ギネス生1パイントキルケニー生1パイント現在、黒龍垂れ口を自宅に連れ込んだお友達と呑んでおります(・・・3人)今、1合くらい。
2007年01月08日
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会社は休みなのだけれど、電話やメールが飛び込んできている。そりゃそうだ、取引先はとっくに仕事始めを済ませているのだから。今日は外出したくない気分だったのだけれど、次の仕事の仕込みもあったことから、横殴りの雨の中、外出した。昨年は「これでもか」というくらい病気をしたせいか、今年はカレンダーでお休みの日はなるべく仕事をしないようにして、普通の働き方を模索したい。というわけで、休みの日は身体を休めよう、仕事から離れようと意識している。だけれど、目の前に仕事があるとわかるとどうしてもすぐ片付けないと気がすまない。で、結局何気に今日はフルタイムで仕事しちゃって、こんな時間になってしまった。一度ついてしまった習性はなかなか治らないものなのだな、と苦笑する。本当は携帯を家に置き去りにして、温泉に浸かりたいだけ浸かって、眠りたいときに眠るとか、時計に縛られないで暮らすとか、そういう気ままな生活を数日でもしてみたい。でも3日間休むということすら、ままならない。「働きマン」だとふざけて書いてはいるけれど、「働いている自分が好き」というナルシストではないので、休めるときは休みたい。けれど、恥ずかしい話なのだが、どうやって休めば身体や心がきちんとリセットされるのか、少しわからなくなってしまった。とりあえず、どうしたら土日くらいきちんと休めるのか、今から一仕事して、そのあと考えてみようと思う。・・・って本末転倒かw
2007年01月07日
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紅茶が好きで良く飲むのだけれど、紅茶の葉の良し悪しよりも、淹れ方にポイントがあると思っている。手間はかかっても、ちゃんとした手順を踏めば、同じ紅茶でも随分と味が変わるものだ。私は普段、以下の点に気を遣って、紅茶を淹れている。1)お湯をわかすミネラルウォーターよりも、水道水で沸かしたほうがよい。紅茶は空気をふんだんに含んだ水のほうが、美味しく出る。2)沸騰した熱いお湯を、ポットとカップの中に少量注ぎ、器を温める茶葉をポットに入れる前に、まずポットをちゃんと温めること。ポットはお湯を入れたら蓋をして数分放置し、ポットを触って温かくなったら中のお湯を捨てる。3)紅茶の葉またはティーバッグをポットの中に入れて沸かしたお湯を注ぐ。お湯はなるべく高いところからポットに落とすようにして淹れる。こうすると結構しっかりと味が出る(ような気がしている)4)紅茶をポットの中で蒸らす蒸らし時間は3分くらいといわれているけれど、実際はお湯を入れてから5~6分くらい経ったほうが、美味しい味になるような気がする。特にブラック・ティーのように、庶民的な紅茶をしっかりとした味を楽しみたい人は、少し長めの時間を取ったほうがいい。そうして、カップのお湯を捨てて、ポットから紅茶を注ぐ。時間はかかるけれども、特に2)と4)をきっちり守ることで、普段よりも美味しい紅茶ができると思います^^<お酒メモ>夜、ギネスを呑みに出かけたのだけれど、ちょっと呑んだだけなのに、視界が回った。久しぶりに酔ったみたい。ギネス生 2.5パイント
2007年01月06日
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昔から、不器用に生きていくことしかできなかった私は、失敗も多かった。どうしていいかわからないときも、親にいろいろ聴くのが怖かったからだ。だから、とりあえず自分で「やってみる」ことを、ひたすら繰り返して大人になった。両親は少し変わっていた。箸を落としたり、お茶碗とお皿がぶつかって音を立てるだけで「もう食べなくていい」とか、舌打ちをされることもしばしばだった。酔った父は、ちょっとしたことで罵ったり、機嫌の悪いときは、子どもたちの大切なものから、わざと生ごみの中に捨てていった。そのたびに、心が痛くなった。一所懸命我慢して、夜眠る前におへその下が引きつることも度々だった。それは、ストレスで血尿がでる前兆だった。というわけで、無意識のうちに人の顔色を注意深く観察することが、幼い頃から己の身体に染み付いている。なるべく状況を事前に察知して、対応しようとしてしまうのだ。もう二度と痛い思いをしたくないという、深層の叫びだったのだろう。人は五感で感じたものを全て脳に記憶しているという。ただ、さして重要でない記憶は脳の奥に仕舞われて、ほとんど出てこない。しかし、身体で感じた強い衝撃とともに記憶された内容は、比較的思い出しやすいのだという。痛みは、できれば思い出したくない辛い記憶を伴う。でも、そういうものに限って、なかなか忘れられないのは身体の痛みとともに、その失敗や辛い出来事を強く記憶しているからなのだ。私は仕事でも、投資でも、失敗して痛みを感じたときには、日記やノートに、・どういう状況で自分はどういう行動をとったのかということと・そのときに感じた感情を書く。たいていは「そこそこの痛み」を感じたときにしたためる。うまくいったことや、楽しかったことは別に記さない。成功体験は慢心を産むだけで、役に立たないからだ。それを記録し、何度も読み返す行為は、自分の奢りを育てるだけで、友人や協力者を失うだけのような気がするから。うまくいったときというのは、その一時だけ喜び、自分の運命のめぐり合わせに感謝し、幸福感を得ればよい。そうすると、すごく暗くて読むたびに沈むような内容満載のノートになるのだけれど、あとで読み返すと非常に大切なことがたくさんかいてある。過去の自分が「もう失敗するなよ」と言わんばかりに、的確なことが書いてある。自分の失敗から生じる痛みは宝である。自分が陥りがちな悪いクセやミスを洗い出してくれるから。でも、本当に痛くて辛くて仕方ないことは、脳に焼き付けてしまう。これは、生来の性分でどうしてもやってしまうことである。ノートにしたためずとも、骨身に染みてわかっているので、あえて記さないのである。そうして、なぜかはわからないけれど、痛みを覚えるたびに、自分の身体の中で少しずつ違う自分がまた育つ気もするのだ。<お酒メモ>ブリュットプルミエ(シャンパン)1/2本黒龍八十八号 大吟醸 2合生ビール(キリン)中ジョッキ1つひれ酒 1つ中瓶ビール(一番搾り) 1/2本 SCAPA 16Y キングスバリー グラスで2つ。そのまま
2007年01月05日
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今年の年末年始は、海外旅行へも行かず、大した予定もなく、地元でゆっくりしている。ここ数年、年末年始にきちんと休んだことはなかったので、今回、まさか休めるとは思っていなかったのだ。ゆえに、テレビをつけっぱなしにして、食べて、呑んで、眠くなったら寝て。たまに読書をして。そういう自堕落な生活を数日やってみたのだが。うーん、正直言って、あんまり楽しくない。移動をしないから身体の線は丸くなるし、頭にもやがかかったようになって、気分がすっきりしないのだ。テレビをつけても、知らないお笑い芸人がたくさん出て、ネタをやっている。市井の人々は、普段こういうものを見ているんだな、と感じ、「世の中を知る」ということでは勉強になったけれど、そういうコンテンツを見ることに自分の時間を費やすことを、心はあまり愉しんでいない風だった。こういう生活をして思うのは、普段ビジネスの世界でさまざまに活動している人たちと交流して、ヴィヴィッドな生き様を知ることを、自分がいかに楽しんでやっていたか、ということである。「仕事をさせられている」というより、「仕事が縁で最前線の人たちの考え方や気遣いを感じる」ことを有り難がって、幸せだと感じて日々生活していることをあらためて実感させられた。でも、ふり返ってみると、そういう生活は普通からはちょっとはずれたものなのかもしれない。テレビは見ず、メディアのソースは専門紙を含めた新聞各紙、主要雑誌、インターネットのみ。あとは人と会っていろんな話を聞いて、本を読んで。ランチも夕食もなるべく人と会って、とにかく交流する。1日16~17時間くらいは外に出ている生活。だから、こうしてみんなが体を休めているときに、同じように休みを取って、普段見ないテレビとかを見て、世間の流行り廃りを知るのもいいことなのだと思う。同時に、自分が普段いるフィールドは、少し風変わりで、歪んだリズムで動いているということもまた、実感する。そうして、少しメランコリックにもなる。ふり返って思うのは、あきらかに、自分の生活がここ数年、ものすごいスピードですっかり変わってしまった。自分が突っ走って、人と距離やずれがあるのなら、その距離を認識した上で他人と接していかなければ、相手に不快感や違和感を与えてしまうこともあるだろうから。自分の生きざまを誰かのために変えることはないけれど、接する相手には気付かれないように、お互いに気持ちのよい距離をとっていかなければいけない。なんてことをぼんやりと、考えた。
2007年01月04日
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とあるところの、新年会に出てきた。料理が揚げ物や油っこいものが中心だったため(体調も気遣って)、これらには殆ど箸をつけず、ひたすら持ち込んだ手土産の酒を周囲の人に振舞いながら呑んでいた。すきっ腹で呑んでいたせいか、帰宅後、無性に食べ物を欲した。通常は酒を呑みすぎると血糖値が急激に下がるため、ラーメンやご飯などの炭水化物を欲するのだけれど、今日は珍しく肉が食べたかった。しかも牛肉。そう、昨日作った、これ↓「うんちくなんかどうでもよい。食いたいものを食えば良し」というのが常なのだが、普段はあんまり肉を欲さないのでなぜかと考えてみた。家には現在、1分以内に出せる肉類のつまみとしては、鴨のスモーク/鴨のペッパースモーク/焼き鳥缶/ローストビーフがある。これ以外にもすぐにならチーズ数種とワイルドスモークサーモン、金目鯛の煮付け/豆腐ようなどがある。ただ、このなかでローストビーフ(牛肉のたたき)は唯一の牛肉で、イノシン酸とグルタミン酸を豊富に含む。実はこれらはアミノ酸であり、旨味成分といわれているもので、味そのものを「おいしい」と感じさせる以外に、アルコールをを中和させる働きがあるのだ。ちなみに、酔っ払った人がラーメンを食べたくなるのは、スープの「だし」に、肉や「がら」を使うために、その旨味を体が覚えているからなのである。脱線したが、牛肉はまた、鉄分を豊富に含んでいる。ちょっとこのところ呑みすぎもたたり、貧血気味だった。肌や肝臓、腸の粘膜を保護するビタミンBもたっぷり、というわけで一番体が欲したのだろう。というわけで、今お茶を飲みながら箸でローストビーフをつついている。深夜なので身体に悪いのは十分承知だが、口が卑しいので、少しばかりいただいて、自分をなだめようと思う。うーん、太りませんように(^-^;<お酒メモ>ヱビス黒 350ml缶 1つローデンバッハ クラシック(ベルギービール) 250mlボトル1/2本PRIMUS(コンゴビール) 瓶入り グラスで1杯くらい村祐 純米吟醸 1合半魔王(芋焼酎) 0.5合くらい。そのままで
2007年01月03日
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帰りがけ。「うーん、忘れていた・・・」母が台所で唸っている。「どうしたの?」と聞くと、「牛肉のたたきを作ろうと思ったんだけれど、作るのを忘れていた」と母。雅「じゃぁ作れば?」母「作り方忘れたのよ・・・」雅「たたきってどうやって作ってるの?いつも作ってるのって、和風ローストビーフじゃないの?」母「わかんない。いつも作ってるのは、たたきなのよ」雅「・・・」仕方がないので、とりあえず正月料理を代打ちで作り始めた。1)塊肉に塩、こしょう、ガーリックスパイスをよく刷り込む2)熱したフライパンにオリーブオイルを入れ、しばらくしてから塊肉を放り込む3)表面に焼き色をつけ、外側全体がだいたい焼けたらさます4)ポリ袋にしょうゆと酒、みりん、みじん切りにしたネギとしょうがのすりおろしを入れ、3)が手でつかめるくらいの温かさになったら、ポリ袋のなかに入れて何回か揉む。5)冷蔵庫で1~2時間放置プレイするで、できあがり。雅「これ、ローストビーフだと思うんだけれど」母「これは、たたきでしょう」ということで、作ったものは一致しているのだが、どうも呼び名が違う。出来上がったところで、帰る前にお茶の一杯も飲もうと思って、居間のこたつに腰をおろすと、母がまた台所で「あ゛~」と叫ぶ雅「今度はどうしたの?」母「さざえ買ってたの忘れてた・・・」雅「つぼ焼きするんでしょ?」母「そのつもりだったんだけれど、どうやって作るのか大分やってないから忘れちゃった。あんた解る?」・・・(ーー;仕方がないので、つぼ焼きも作った。自宅で4回くらいしか作ってないし、前回作ってから1年くらい経ったから、うまく貝から身が取れるか不安だったけれど、オーブンで軽く数分温めてやった後、なんとかうまく取れた。ちなみに、私はずぼらなので、いつもさざえの身は小さいフォークで取ってしまう(汗)身をあらかた取ってしまって、肝をとる。人差し指を回転させるように撫でながら外へ引っ張り出すのがコツである。そのあとに、だしと塩と酒、しょうゆで作った下味を洗ったさざえの殻に注ぎ、根三つ葉の茎と小さく切ったさざえの身を投入。これで、オーブンで再び10分くらい焼く。さざえのつぼ焼きの傍に、ホイルをしき、洗った肝に酒と醤油をぶっかけて、一緒に焼く。この「わた」がまた美味しいのだ(*^^*)母に上手にだまされたのか、痴呆なのかはわからないけれど、とりあえずメニューはできた。さざえのつぼ焼きと肝だけは実家にていただき、ローストビーフは一本だけ袋に詰めて、自宅への路を急いだ。<お酒メモ>大晦日~正月プレミアムモルツ 350ml缶1つ大七 きもと 純米大吟醸 箕輪門 1合半
2007年01月02日
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みなさま、あけましておめでとうございます。大晦日から新年にかけて実家へ行ってきました。珍しく父親が家にいるから、帰って来てくれと母に言われたのです。。父の仕事は年末年始は全く休むことができない職種なのだが、3月に退職する。というわけで、会社が最後の正月は家で過ごしなさいと言ってくれたのである。しかし、下の兄弟は義理の両親の家で正月を過ごすため、もう帰省してしまった。というわけで、私が実家に行くことにしたのである。両親が好きなビールと、蔵から仕入れた日本酒、魚などを手土産に実家へ出向く。忘れちゃいけない、お年玉も持って出かけた。両親が退職したあと、兄弟夫婦への金銭的な面倒を今のように看つづけられるかどうか、1年くらいずっと考えてきた。両親のキャッシュフローを見ると、父が早期退職ということもあり、多分、年金支給までにほとんどのお金を食い潰してしまうだろう。兄弟夫婦は子どもが居るけれど、既に収入より支出が上回っていて、貯金なんてない。でも、欲しいギターとか、ブランドものの自転車とかをこっそり買っている。車も新車に買い換えちゃったりする。お金がなくなると親戚連中に電話しては送金してくれとねだる。そういうみっともないことをこれ以上して欲しくないから、自分の月々のお金などを渡していた。でも、そういうことに後ろめたさは感じてないみたい。なんか違う生き物だな、って思う。頑張って働いても、給料が増えるには限界がある。これから、家族の面倒を見るお金をいつまで稼げるかわからない。でも、やるしかないのである。泣き言を言っているくらいだったら、働いて、運用して、一族の食い扶ちを増やすことに時間を費やさなきゃ。苦しいとか、哀しいとか、割に合わないとか。そんなけちな自分の感情よりも先に、頭のどこかでそうやって誰かが言う。多分、それって遺伝子の叫びなんだと思う。働き蟻には労働する蟻としない蟻の2種類がある。労働する蟻の仕事で、みんなが飯を食えている間は働かない蟻は遊んでいる。多分、それと同じことなのだろう。自分の役目は「労働をする蟻」なのだ。これは、自然が割り当てたこと。自分の運命なのだ。だから恨みはない。恥ずかしながら、「こうやって一所懸命やっていれば報われる」なんて昔は思っていたんだけれど、もうそう思うことはなくなった。「いつか報われる」という気持ちは、今の自分を大切にしていないことの表れだからである。今は今でちゃんと自分の生活もできているし、友達もいるし、幸せだ。そうやって、ちょっとしたことで「不幸ぶる」と哀しくなるだけだから、そういう風に物事を捉えるのは止めようと心がけている。そうしたら、随分と心穏やかになれる。今日も、心穏やか。正直言うと、時々そういう悪い感情の波が訪れることもあるけれど、少しずつ、その回数を減らして小さくしていきたい。これが、今年の目標のひとつ。あとは、もうひとつ目標をたてた。でも、これはナイショである(^.^)願掛けは富士山にするのがよいと聞いたが、毎日は無理なので、web2.0の力を借りて、毎日富士山の映像に祈ってみようと思う。どうか、叶いますように。
2007年01月01日
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