全88件 (88件中 1-50件目)

6月30日の花言葉はカンナで「情熱・尊敬」です。カンナは、カンナ科カンナ属(Canna)の植物の一群。多様な種類、園芸品種がある。春に球根を植えると夏~秋に独特の形をした花を咲かせる。葉は、緑色のものと赤銅色のものがある。球根で殖やすが、暖かい地方では掘りあげる必要が無く、宿根草として扱うことができる。引用:Wikipedia
2019.06.30
コメント(0)

行灯がともされた階段を上り、本殿へと向かいます。数十人の山伏たちが広場で成満柴灯大護摩法要を営み、護摩の残り火の上を素足で渡る火渡り行を行います。その後、参拝者も行に参加でき、山伏の導きがあるため、子供も無事に渡り終えることができます。先着1,000人に火渡りのお札の授与(500円)もあり、無病息災で今夏を過ごせるように願います。日程:2019年7月28日(日)19:00~ 料金:入山料500円 場所:狸谷山不動院
2019.06.30
コメント(0)
![]()
第一朗読列王記上 19・16b、19−21列王記 〔その日、主はエリヤに言われた。〕「アベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。」 エリヤはそこをたち、十二軛の牛を前に行かせて畑を耕しているシャファトの子エリシャに出会った。エリシャは、その十二番目の牛と共にいた。エリヤはそのそばを通り過ぎるとき、自分の外套を彼に投げかけた。エリシャは牛を捨てて、エリヤの後を追い、「わたしの父、わたしの母に別れの接吻をさせてください。それからあなたに従います」と言った。エリヤは答えた。「行って来なさい。わたしがあなたに何をしたというのか」と。 エリシャはエリヤを残して帰ると、一軛の牛を取って屠り、牛の装具を燃やしてその肉を煮、人々に振る舞って食べさせた。それから彼は立ってエリヤに従い、彼に仕えた。 第二朗読ガラテヤ 5・1、13−18使徒パウロのガラテヤの教会への手紙 〔皆さん、〕自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。 わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。 福音朗読ルカ 9・51−62ルカによる福音 イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。イエスは振り向いて二人を戒められた。そして、一行は別の村に行った。 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史 講談社現代新書 / 永田諒一著 【新書】
2019.06.30
コメント(0)

6月29日の花言葉はクチナシで「私は幸福すぎる」です。クチナシ(梔子、巵子、支子、学名: Gardenia jasminoides)は、アカネ科クチナシ属の常緑低木である。野生では森林の低木として自生するが、むしろ園芸用として栽培されることが多い。乾燥果実は、生薬・漢方薬の原料(山梔子・梔子)となることをはじめ、様々な利用がある。果実が熟しても割れないため、「口無し」という和名の由来となっている説もある。他にはクチナワナシ(クチナワ=ヘビのこと、ナシ=果実のなる木、よってヘビくらいしか食べない果実をつける木という意味)からクチナシに変化したという説もある。形態・生態樹高1-3 メートルほどの低木。葉は対生で、時に三輪生となり、長楕円形、時にやや倒卵形を帯び、長さ5-12 センチメートル、表面に強いつやがある。筒状の托葉をもつ。花期は6-7月で、葉腋から短い柄を出し、一個ずつ花を咲かせる。花弁は基部が筒状で、先は大きく6弁に分かれ、開花当初は白色だが、徐々に黄色に変わっていく。花には強い芳香があり、学名の種名 jasminoides は「ジャスミンのような」という意味がある。10-11月ごろに赤黄色の果実をつける。果実の先端に萼片のなごりが6本、針状についていることが特徴である。また、側面にははっきりした稜が突き出る。スズメガに典型的な尻尾(尾角)をもつイモムシがつくが、これはオオスカシバの幼虫である。奄美大島以南の南西諸島に分布するイワカワシジミ(シジミチョウ科)の幼虫は、クチナシのつぼみや果実等を餌とする。クチナシの果実に穴が開いていることがあるが、これはイワカワシジミの幼虫が中に生息している、または生息していた跡である。分布東アジア(中国、台湾、インドシナ半島等)に広く分布し、日本では本州の静岡県以西、四国、九州、南西諸島の森林に自生する。人間との関わり人家周辺に栽培されることが多いが、クチナシを植えるとアリが来るといって敬遠する例もある。品種改良によりバラのような八重咲きの品種も作り出されている。果実にはカロチノイドの一種・クロシンが含まれ、乾燥させた果実は古くから黄色の着色料として用いられた。また、同様に黄色の色素であるゲニピン(英語版)は米糠に含まれるアミノ酸と化学反応を起こして発酵させることによって青色の着色料にもなる。これは繊維を染める他、食品にも用いられ、サツマイモや栗、和菓子、たくあんなどを黄色若しくは青色に染めるのに用いられる。大分県の郷土料理・黄飯も色づけと香りづけにクチナシの実が利用される。クロシンはサフランの色素の成分でもある。乾燥処理したクチナシの果実は、山梔子(さんしし)または梔子(しし)とも称され、日本薬局方にも収録された生薬の一つである。煎じて黄疸などに用いられる。黄連解毒湯、竜胆瀉肝湯、温清飲、五淋散などの漢方方剤に使われる。埼玉県八潮市、静岡県湖西市、奈良県橿原市の3市で「市の花」に指定されている。花言葉は、「幸せを運ぶ」「清潔」「私は幸せ」「胸に秘めた愛」。黒人ジャズ歌手のビリー・ホリデイは、しばしばクチナシの花を髪に飾って舞台に立った。足つき将棋盤の足はクチナシを象っている。第三者は勝負に口出し無用=口無し、という意味がこめられている。引用:Wikipedia
2019.06.29
コメント(0)

江戸末期に安楽寺を復興された真空益随上人が、本尊の阿弥陀如来から「夏の土用のころに鹿ヶ谷かぼちゃを振る舞えば中風にならない」という霊験を得て、鹿ヶ谷かぼちゃを仏前に供えて供養したのがその始まり。参拝者に煮炊きした鹿ヶ谷かぼちゃが振る舞われます。京の伝統野菜である鹿ヶ谷かぼちゃはひょうたんの形をしています。日程:2019年7月25日(木)9:00~15:00 料金:500円 場所:安楽寺
2019.06.29
コメント(0)
![]()
第一朗読使徒言行録 12・1−11使徒たちの宣教 そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。 ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」 第二朗読二テモテ 4・6−8、17−18使徒パウロのテモテへの手紙 〔愛する者よ、〕わたしは、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。 わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。そして、わたしは獅子の口から救われました。主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン。 福音朗読マタイ 16・13−19マタイによる福音 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」 初代教会の中心的な指導者である2人の使徒を祝うこの祭日についての最古の記録は、258年に書かれたものである。使徒の頭であるペトロは、エルサレムをはじめ広く宣教活動を行った。また、初めはイエスの弟子たちを迫害していたパウロは復活したキリストと出会って回心し、異邦人の使徒としてキリストの教えを宣べ伝えた。2人は異なる使命を与えられていたが、「キリストのもとに人々を一つに集め、信仰のあかしのためにともにいのちをささげ」(きょうのミサの叙唱)、ネロ皇帝による迫害の時代(60年代半ば)にローマで殉教した。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリックとプロテスタント どこが同じで、どこが違うか / 徳善義和 【本】
2019.06.29
コメント(0)

6月28日の花言葉はササユリで「稀少価値」です。ササユリ(笹百合、学名:Lilium japonicum)は、ユリ科ユリ属の球根植物。日本特産で日本を代表するユリである。地域によっては、ヤマユリと呼ぶこともある。特徴本州中部地方以西から四国・九州に分布する。成株の茎は立ち上がり、葉は互生する。葉はやや厚く、披針形で長さは8-15cmである。5月-7月頃に淡いピンク色の花を咲かせる。花被片の長さは10-15cm位で漏斗状に反り返る。雄しべは6本で芳香がある。花粉の色は赤褐色であり、オトメユリと区別するポイントになる(ただし花粉の色が黄色のササユりも存在する)。希に花が純白のアルビノのものもある。葉や茎が笹に似ていることからこの名がある。10-11月頃に朔果が熟し、種子は風に乗って広がる。初めて地上発芽するのは通常翌々年の春である(地下遅発芽様式)。初花を咲かせるまでに種子から約7年以上(野生の場合)の歳月がかかる。市や町の花に指定している自治体が多い。 古事記においては「山由理草」と表記され「元の名を狭韋(さゐ)という」と記される。これが狭井川とその地に咲くささゆりを神饌とする率川神社の三枝祭の起源である。引用:Wikipedia
2019.06.28
コメント(0)

三宝寺は「鳴滝の妙見さん」として、古くから親しまれています。経文を書いた炮烙(ほうろく)を頭の上に載せ、そこにもぐさを置いて火をつけ、木剣で九字を切り、悪鬼邪霊を祓う祈祷。頭の病や頭痛封じ、暑気払い、中風封じに効くといわれ、暑い盛りの土用の丑の日に行われています。熱さを感じることはなく、小さなお子様も安心して受けて頂けます。日程:2019年7月27日(土)9:00~12:00 料金:2,000円 場所:三宝寺
2019.06.28
コメント(0)
![]()
第一朗読エゼキエル 34・11-16エゼキエルの預言 まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。わたしは彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。わたしはイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。わたしは良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる。わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。 第二朗読ローマ 5・5b-11使徒パウロのローマの教会への手紙 〔皆さん、〕わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれてい〔ます。〕実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。 福音朗読ルカ 15・3-7ルカによる福音 〔そのとき、イエスはファリサイ派の人々や律法学者たちに〕次のたとえを話された。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】カトリック教会論への招き 増田祐志/著
2019.06.28
コメント(0)
![]()
第一朗読創世記 16・1−12、15−16 または 16・6b−12、15−16創世記 《アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。サライはアブラムに言った。 「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」 アブラムは、サライの願いを聞き入れた。アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女とした。アブラムがカナン地方に住んでから、十年後のことであった。アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。サライはアブラムに言った。 「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように。」 アブラムはサライに答えた。 「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」》 〔その日、〕サライは〔ハガル〕につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた。主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、言った。 「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」 「女主人サライのもとから逃げているところです」と答えると、主の御使いは言った。 「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」 主の御使いは更に言った。 「わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。」 主の御使いはまた言った。 「今、あなたは身ごもっている。 やがてあなたは男の子を産む。 その子をイシュマエルと名付けなさい 主があなたの悩みをお聞きになられたから。 彼は野生のろばのような人になる。 彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので 人々は皆、彼にこぶしを振るう。 彼は兄弟すべてに敵対して暮らす。」 ハガルはアブラムとの間に男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだ男の子をイシュマエルと名付けた。ハガルがイシュマエルを産んだとき、アブラムは八十六歳であった。 福音朗読マタイ 7・21−29マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』 そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。 【任意・6月27日 聖チリロ(アレキサンドリア)司教教会博士】370年に生まれた。修道生活を送り、司祭に叙階され、アレキサンドリアの司教であった伯父に仕え、その死後、412年にアレキサンドリアの司教になった。ネストリオス派の教えに強く対抗し、エフェソ公会議において中心的な役割を果たした。カトリック信仰を解説し擁護する多くの著作を著した。444年に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です使徒言行録を読む 聖霊に導かれて 聖書講座シリーズ / カトリック京都司教区聖書委員会 【全集・双書】
2019.06.27
コメント(0)

本堂に風を通して、寺宝約200点を虫干しをする行事です。『真如堂縁起』(写本)をはじめとする貴重な書画などを見ることができます。五芒星の形をした「結定往生印」を『安倍晴明蘇生之図』の前で直接授与されるコーナーも。また、暑気払いの「びわ湯」の無料接待も行われます。日程:2019年7月25日(木)9:00~15:00(雨天中止) 料金:500円 場所:真如堂[真正極楽寺]
2019.06.27
コメント(0)

6月27日の花言葉はホタルブクロで「正義」です。ホタルブクロ(蛍袋、Campanula punctata Lam.)とは、キキョウ科の多年草。初夏に大きな釣り鐘状の花を咲かせる。特徴開けたやや乾燥した草原や道ばたなどによく見られる草本で、全体に毛が生えている。根出葉は長い柄があり、葉身はハート形。匍匐枝を横に出して増殖する。初夏に花茎を延ばす。高さは、最大80cmくらいにまでなり、数個の釣り鐘型の花を穂状につける。花は柄があって、うつむいて咲く。暑さには弱い一方、日陰でもよく育つ。山間部では人里にも出現する野生植物であるが、美しいので山野草として栽培されることも多い。花色には赤紫のものと白とがあり、関東では赤紫が、関西では白が多い。分類変種ヤマホタルブクロ 学名、Campanula punctata Lam. var. hondoensis (Kitam.) Ohwiホタルブクロの変種で、山地に多く生育する。ほとんど外見は変わらないが、萼片の間が盛り上がっている。一方、ホタルブクロは萼片の間に反り返る付属片がある。近縁種園芸植物として親しまれているカンパニュラ(つりがねそう)は、同属植物で、主に地中海沿岸地方原産の植物を改良したものである。名称和名は、子どもが本種の袋のような花にホタルを入れて遊んだことに由来する。引用:Wikipedia
2019.06.27
コメント(0)

6月26日の花言葉はザクロで「円熟した優美」です。ザクロ(石榴、柘榴、若榴、学名: Punica granatum)は、ミソハギ科ザクロ属の1種の落葉小高木、また、その果実のこと。庭木などの観賞用に栽培されるほか、食用になる。形態・生態葉は対生で楕円形、なめらかで光沢がある。初夏に鮮紅色の花をつける。花は子房下位で、蕚と花弁は6枚、雄蕊は多数ある。[果実]]は花托の発達したもので、球状を呈し、秋に熟すと赤く硬い外皮が不規則に裂け、赤く透明な多汁性の果肉(仮種皮)の粒が無数に現れる。果肉1粒ずつの中心に種子が存在する。ザクロには多くの品種や変種があり、一般的な赤身ザクロのほか、白い水晶ザクロや果肉が黒いザクロなどがあり、アメリカ合衆国ではワンダフル、ルビーレッドなど、中国では水晶石榴、剛石榴、大紅石榴などの品種が多く栽培されている。日本に輸入されて店頭にしばしば並ぶのは、イラン産やカリフォルニア州産が多く、輸入品は日本産の果実より大きい。分布・生育地原産地については、トルコあるいはイランから北インドのヒマラヤ山地にいたる西南アジアとする説、南ヨーロッパ原産とする説およびカルタゴなど北アフリカ原産とする説などがある。栽培世界各地で栽培されておりトルコから中東にかけては特にポピュラーである。日本における植栽範囲は東北地方南部から沖縄までである。日当たりが良い場所を好む。若木は、果実がつくまでに10年程度要する場合もある。病虫害には強いがカイガラムシがつくとスス病を併発する場合がある。伝播新王国時代にエジプトに伝わり、ギリシア時代にはヨーロッパに広く伝わったとされる。東方への伝来は、前漢の武帝の命を受けた張騫が西域から帰国した際に、パルティアからザクロ(安石榴あるいは塗林)を持ち帰ったとする記述が『証類本草』(1091年-1093年)以降の書物に見られるため、紀元前2世紀の伝来であるとの説があるが、今日では3世紀頃の伝来であると考えられている。日本には923年(延長元年)に中国から渡来した(9世紀の伝来説、朝鮮半島経由の伝来説もある)。人間との関わり語源属名の Punica は「フェニキアの」を意味する Poeni に由来する。これは古代ローマの博物学者プリニウスが『博物誌』を著した当時、ザクロは「カルタゴのマルス」(mālus pūnica)としてカルタゴ周辺が原産地と考えていたためである。種小名の granatum は「種の」や「粒の」を意味し、英名の pomegranate(粒の多いリンゴ)は中世ラテン語の pōmum grānātum、pōma grānāta(種の多いリンゴ)に由来する。中国語名の「石榴」および「安石榴」は、パルティアの王朝アルサケス(アルシャク:Arshak)を張騫が「安石」や「安息」と音訳したものであり、パルティアを意味する「安息国」に由来する。また、塗林と呼称した時代もあるが、これはサンスクリットでザクロを意味する darim、darima の音訳である。「榴」は実が瘤に似ていることに由来するという。日本語の「ザクロ」は、石榴、柘榴の字音からと考えられており、呉音では「ジャク・ル」、漢音では「セキ・リュウ」となる。『本草和名』では「安石榴、別名 塗林・若榴、和名 佐久呂」とされている。また、古代イランと中国の文化交流を研究したベルトルト・ラウファーは、若榴の中国語読みの「zak-lau」に由来するとの説を唱えている。また、有力な原産地のひとつと考えられるティグリス川およびペルシア湾の東方にそれに平行してザグロス山脈がある。ザクロの呼称は、ザクロス山脈を現地音に近い「石榴」の字で音訳したともいわれている。観賞用日本では庭木、盆栽など観賞用に栽培されることが多く、矮性のヒメザクロ(鉢植えにできる)や八重咲きなど多くの栽培]]品種がある。江戸時代の園芸書である『花壇地錦抄』などに記載の見られる古典園芸植物のひとつでもある[3]。食用可食部は皮と種子を除いた種衣の部分で、生食される。果汁をジュースとしたり清涼飲料水のグレナディンの原料とするほか、以下のような料理などに用いられる。シリアとレバノンでは、ザクロの果汁を濃縮して料理の味付けやサラダドレッシングとして用いる。中東、北インド、メキシコなどでは、果肉の粒を煮込み料理やデザート、料理の飾り付けに用いる。また、煮詰めた果汁はイランなどで調味料として使用される。薬用古くから以下のような部位が薬用に供されてきた。なお、以下の利用方法・治療方法は特記しない場合、過去の歴史的な治療法であり、科学的に効果が証明されたものであることを示すものではない。樹皮・根皮乾燥させた樹皮または根皮は、生薬名として「石榴皮」(ザクロヒまたはセキリュウヒ:Granati Cortex)または「石榴根皮」(セキリュウコンピ)といい、古くから条虫(特に有鉤条虫[4])の駆虫薬として用いられてきた。ディオスコリデスの『薬物誌』でも樹皮が駆虫薬として用いられている記述が見られる。近代になり、1884年Schröder によって駆虫薬としての有効性が科学的に証明され、過去にはイギリスやアメリカ合衆国の薬局方にも収載されていた。日本薬局方には初版より「石榴根皮」として収載され(後にザクロヒ)、第7改正まで収載されていた。石榴皮の主な成分は、0.3 - 1 % 程度の揮発性アルカロイド(ペレチエリン (pelletierine)、イソペレチエリン (isopelletierine)、プソイドペレチエリン (pseudopelletierine) など)と 23 - 28 % 程度のタンニン(プニカラギン(英語版) など)である。通常、駆虫には乾燥させた樹皮または根皮 30 - 60g を 300 mL の水に 5 - 6 時間に浸したものあるいは煎じたものを服用する。多量に服用すると中毒を起こす場合がある。また、『和漢三才図会』では下痢、下血、脱肛、崩漏、帯下を止めるのに用いるとの記述がある。更に、口内炎や扁桃炎のうがい薬にも用いられたという。漢方薬としては、石榴根皮、苦楝皮(クレンピ)、檳榔子からなる「石榴根湯」(せきりゅうこんとう)があり、駆虫に用いられる。果皮果皮を乾燥させたもの(石榴果皮:せきりゅうかひ)も樹皮や根皮と同様の目的で用いられることが多く、中国やヨーロッパでは駆虫薬として用いた。ただし、根皮に比べ揮発性アルカロイドの含有量は低く効果も劣る。また、回虫の駆除に用いられたこともあった、犬回虫を用いた実験では強い活性はみられなかった。日本や中国では、下痢、下血に対して果皮の煎剤を内服し、口内炎や扁桃炎のうがい薬にも用いられた。プリニウスは、果皮を利尿に用いるとしている。花粉末にした花(石榴花)は、出血性の傷に用いられた。種子1964年Sharaf らが種子油(酸石榴[3])にエストロゲン活性があることをマウスを用いた実験で見出し、1966年Hefumann らによってこの活性がエストロンによることが示され、乾燥種子100g 中に1mg のエストロンが含まれることが1988年Moneam らによって報告され、更年期障害や乳癌などに対する効果が期待されたが、エストロンの含有量が微量であること、経口摂取ではエストロンは肝臓で速やかに代謝されること、また、エストロンの生理活性はエストラジオールの1⁄10程度であることなどから実質的な効果は疑問視されている。果汁果汁にエストロゲンが含まれるとして1999年から2000年頃にブームとなったが、流通しているザクロジュースやエキス錠剤等10 銘柄を用いた国民生活センターの分析では、いずれもエストロゲンは検出されなかった。その他の利用ザクロの実は、銅鏡の曇りを防止するために磨く材料として用いられた。江戸時代の銭湯には湯船の手前に「石榴口」という背の低い出入り口があったが、これは「屈み入る」と「鏡鋳る」(鏡を磨くこと)とを掛けたものともいう。古代ローマでは、ザクロの果皮は皮革をなめすのに用いられた。木質は硬く、床柱や装飾用の柱に用いられる[2]。文化フィリッポ・リッピ『聖母子とマリア誕生の物語』1452年頃初夏に鮮紅色の花を咲かせ、他の樹木が緑の中で目立つため中国の詩人王安石は、『万緑叢中紅一点』(咏石榴詩)と詩に詠んだ。花言葉は優美、円熟した優美、優雅な美しさ日本の一部の地域では、凶事を招くとして忌み嫌われる場合もあるが、種子が多いことから豊穣や子宝に恵まれる吉木とされる国や地域が多い。トルコでは、新婚のとき新郎がザクロを地面に投げて割り、飛散した種子の数で、その夫婦のあいだに生まれる子どもの数を占った。古代ローマでは、婚姻と財富を象徴する女神ジュノーの好物とされていた。色が似ているガーネットを柘榴石と呼び、中世ラテン語の grānātum(種の多い)に由来する。スペインのグラナダ (Granada) の地名は、ザクロの木が多く植えられていたことに由来する。ユダヤ教では、虫がつかない唯一の果物として神殿の至聖所に持ち込むことを許された。釈迦が、子供を食う鬼神「可梨帝母」に柘榴の実を与え、人肉を食べないように約束させた。以後、可梨帝母は 鬼子母神として子育ての神になったといわれるが、日本で作られた俗説に過ぎない。柘榴が人肉の味に似ているという俗説も、この伝説より生まれた。エジプト神話では、戦場で敵を皆殺しにするセクメトに対し、太陽神ラーは7,000 の水差しにザクロの果汁で魔法の薬を作った。セクメトはこれを血と思い込んで飲み、酩酊して殺戮を止めたという。ギリシャ神話の女神ペルセポネーは、冥王ハーデースにつれ攫われ、6つのザクロを口にしたことで、6か月間を冥界で過すこととなり、母・デーメーテールはその期間嘆き悲しむことで冬となり、穀物が全く育たなかったが、ペルセポネーが戻ると花が咲き、木々には実がついたという。このため、多産と豊穣の象徴とされている。ローマ神話ではプロセルピナといい、ザクロは復活の象徴となっている。キリスト教では『聖母子像』でイエスがザクロを持っている図像もあり、後のキリストの受難を表す。火薬と金属破片を内蔵し、爆発とともに破片を散らして敵を殺傷する爆弾の事をGranade(英)/榴弾と呼び、この語はザクロに由来する(和訳も同じ)。球形の弾体が裂けて破片をこぼす様をザクロに見立てている。引用:Wikipedia
2019.06.26
コメント(0)

弘法大師が伝えるきゅうり封じの秘法。お寺の入り口できゅうりを人数分いただき、お堂で加持を受ける人の名前と数え年、願い事を記入しきゅうりとともに渡します。加持が済んだきゅうりを持ち帰って、3日間痛いところや悪いところをさすって4日目の朝、きゅうりを人が踏まない清浄な土に埋めると病を持ち去ってくれると伝わります。日程:2019年7月27日(土) 12:00~20:00(前夜祭)、28日(日) 6:00~18:00料金:祈祷料1,000円(きゅうり代込) 場所:蓮華寺
2019.06.26
コメント(0)
![]()
第一朗読創世記 15・1−12、17−18創世記 〔その日、〕主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。 「恐れるな、アブラムよ。 わたしはあなたの盾である。 あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」 アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」アブラムは言葉をついだ。「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」 見よ、主の言葉があった。 「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 主は言われた。 「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」 アブラムは尋ねた。 「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」 主は言われた。 「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」 アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。はげ鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。 日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。 日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。 「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで。」 福音朗読マタイ 7・15−20マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリック要理Q&A [ 大山繁 ]
2019.06.26
コメント(0)

6月25日の花言葉はオカトラノオで「優しい風情」です。オカトラノオ(丘虎の尾、学名:Lysimachia clethroides )は、サクラソウ科オカトラノオ属の多年草。特徴高さは、50cmから100cm。葉は茎に互生し、葉柄があり、長楕円形で全縁。花期は6月から7月で、白色の小さな花を茎の先に総状につけ、下方から開花していく。花穂の先端が虎の尾のように垂れ下がる。分布と生育環境日本では北海道、本州、四国、九州に、アジアでは朝鮮半島、中国に分布し、山野の日当たりのよい草原に自生する。普通、群生する。引用:Wikipedia
2019.06.25
コメント(0)

弘法大師がきゅうりに諸病を封じ、大日如来に病気平癒を祈願したことにちなんで行われています。名前と数え年を書いた半紙できゅうりを包み、厄病除けの祈祷を受け、体の悪い部分をなでた後、持ち帰って土に埋めるか神光院境内のきゅうり塚に納めれば病が消えるとされています。日程:2019年7月21日(日)・27日(土)祈祷時間 8:00~、9:00~、10:00~、11:00~、12:00~、13:30~、14:30~、15:30~、16:30~※受付は祈祷時間の10分前までに済ませてください。 料金:祈祷料1,500円(きゅうり代込) 場所:神光院
2019.06.25
コメント(0)
![]()
第一朗読創世記 13・2、5−18創世記 アブラムは非常に多くの家畜や金銀を持っていた。 アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた。その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた。そのころ、その地方にはカナン人もペリジ人も住んでいた。 アブラムはロトに言った。 「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」 ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。ロトはヨルダン川流域の低地一帯を選んで、東へ移って行った。こうして彼らは、左右に別れた。アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだが、彼はソドムまで天幕を移した。ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。 主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。 「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」 アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。 福音朗読マタイ 7・6、12−14マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。 人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。 狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】カトリックの信仰 岩下壮一/著
2019.06.25
コメント(0)
![]()
第一朗読イザヤ 49・1−6イザヤの預言島々よ、わたしに聞け遠い国々よ、耳を傾けよ。主は母の胎にあるわたしを呼び母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置きわたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠してわたしに言われたあなたはわたしの僕、イスラエルあなたによってわたしの輝きは現れる、と。わたしは思ったわたしはいたずらに骨折りうつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり働きに報いてくださるのもわたしの神である。主の御目にわたしは重んじられている。わたしの神こそ、わたしの力。今や、主は言われる。ヤコブを御もとに立ち帰らせイスラエルを集めるために母の胎にあったわたしを御自分の僕として形づくられた主はこう言われる。わたしはあなたを僕としてヤコブの諸部族を立ち上がらせイスラエルの残りの者を連れ帰らせる。だがそれにもましてわたしはあなたを国々の光としわたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。 第二朗読使徒言行録 13・22−26使徒たちの宣教 〔その日、パウロは言った。「神は〕サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』 兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られ〔たのです。〕」 福音朗読ルカ 1・57−66、80ルカによる福音 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。 イエスが「燃えて輝くともし火」(ヨハネ 5・35)と呼ばれた洗礼者ヨハネに対する崇敬は古くから行われており、その誕生の記念日に行われたアウグスチヌスの説教が残されている。イエスの誕生の6か月前にあたるこの日は、母の胎内にあったとき聖霊に満たされ(ルカ 1・41)、荒れ野で悔い改めの洗礼を宣べ伝え、救い主キリストを迎える準備をした洗礼者ヨハネの喜ばしい誕生を祝う日である。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】カトリック S.F.ブラウン/著 Kh.アナトリオス/著 森夏樹/訳
2019.06.24
コメント(0)

御田祭は室町時代にまでさかのぼり、約600年以上続く伝統行事。山城地方に伝わる素朴で最も古い田植え祭の姿を今に伝えていることから、京都市無形民俗文化財に指定されています。氏子地域の女児3人が「植女」を務め、黄緑色の衣に花笠姿で壮夫役の父親の肩に担がれ、拝殿を三周の後、授かった稲の苗束を境内の神饌田に植え込みます。その後、神職らが五穀豊穣と田の害虫を防ぐ虫除け行事を行います。日程:2019年7月21日(日)10:00~ 料金:無料 場所:松尾大社
2019.06.24
コメント(0)

6月24日の花言葉はレンゲツツジで「情熱」です。レンゲツツジ(蓮華躑躅、Rhododendron molle subsp. japonicum)はツツジ科ツツジ属の落葉低木で有毒植物。つぼみの様子が蓮華に見えることから名付けられたという。「ウマツツジ」「ベコツツジ」などの別名もある。特徴高さ1 - 2mの落葉低木、4 - 6月に葉が出たのち葉が開くのと前後して直径5cmほどのロート状の花をつける。果実は蒴果、長さ2 - 3cmの円筒状で、10~11月に熟すると5裂して小さな種子を飛ばす。北海道南部から九州まで日当たりのよい草原に多く自生する。庭木としてもよく利用される。花は朱色。花の色が黄色い種類としてキレンゲツツジがある。全木にジテルペンのグラヤノトキシン( grayanotoxin )、ロドジャポニン( rhodjaponine )などの痙攣毒を含み、呼吸停止を引き起こすこともある。牛や馬にとっても有毒なため(ウマツツジ、ベコツツジの別名はこれらの動物に害を与える事から)食べ残すので[2]、レンゲツツジの群生地になっている牧場も多い。花には蜜があり子供が吸う場合があるが、摂取させるのは非常に危険である。トルコ産蜂蜜での中毒例が報告されている。このため、日本の養蜂業者はレンゲツツジが自生している所では蜂蜜を採集しないか開花期を避けるなどしている。文化群馬県の県花である。山梨県三窪高原が、10万株の群生地として有名。長野県東御市と群馬県吾妻郡嬬恋村の県境にある、湯の丸高原、地蔵峠周辺は、約60万株のレンゲツツジの群生地として、天然記念物の指定を受けている。レンゲツツジを市の花としている栃木県矢板市の高原山には標高1200mの八方ヶ原高原があり約20万株のレンゲツツジが群生している。引用:Wikipedia
2019.06.24
コメント(0)

6月23日の花言葉はヒメサユリ(オトメユリ)で「飾らぬ美」です。オトメユリ(乙女百合、学名:Lilium rubellum)はユリ科ユリ属の植物のひとつ。別名、ヒメサユリ(姫早百合・姫小百合)。自生している地域では、「オトメユリ」よりも「ヒメサユリ」で知られている場合が多い。概要日本特産のユリで、宮城県南部、及び新潟県、福島県、山形県が県境を接する飯豊連峰、吾妻山、守門岳、朝日連峰、周辺にしか群生していない貴重な植物。野生種は環境省のレッドリストでは準絶滅危惧(NT)、及び国際自然保護連合(IUCN)の「レッドリスト」ではEndangered (EN)に指定されている絶滅危惧種でもある。高さは30-50cm程度。鱗茎は卵形で、葉は広披針形をしている。開花時期は6月から8月で、花は筒形で横向きに開く。花径は5-6cm程、長さは8cm程度。花は薄いピンク色で斑点がないのが特徴。ヤマユリほどではないが、花の香りは甘くとても濃厚である。尚、良く似たユリにササユリがあるが、オトメユリはおしべの先が黄色くなっているところで区別される。引用:Wikipedia
2019.06.23
コメント(0)

稲荷大神の分霊を祀る全国の崇敬者が、日々の神恩に感謝するため親神様に参拝するのが本宮(もとみや)祭です。本宮祭前日の宵宮祭には、稲荷山をはじめ境内の全域に約1万もの灯りが点る万灯神事が行われます。外拝殿とその周辺では京都近在の日本画家等が奉納した行灯画(あんどんが)が展観され宵闇の中に美しく浮かび上がり、周辺は幻想的な雰囲気に包まれます。日程:2019年7月20日(土)18:00~(宵宮祭)、21日(日)9:00~(本宮祭)料金:無料 場所:伏見稲荷大社
2019.06.23
コメント(0)
![]()
第一朗読創世記 14・18-20創世記 〔その日、〕いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデク〔は〕、パンとぶどう酒を持って来た。彼はアブラムを祝福して言った。 「天地の造り主、いと高き神に アブラムは祝福されますように。 敵をあなたの手に渡された いと高き神がたたえられますように。」 アブラムはすべての物の十分の一を彼に贈った。 第二朗読一コリント 11・23-26使徒パウロのコリントの教会への手紙 〔皆さん、〕わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。 福音朗読ルカ 9・11b-17ルカによる福音 〔そのとき、イエスは群集に〕神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です絵で見るはじめてのキリスト教 子どものためのカトリック入門 / クリスティン・ペドッティ 【絵本】
2019.06.23
コメント(0)

6月22日の花言葉はシモツケで「いつかわかる真価」です。シモツケ(下野、学名:Spiraea japonica)はバラ科シモツケ属の落葉低木。別名、キシモツケ(木下野)とも呼ばれる。特徴北海道から九州にかけての日本各地、朝鮮および中国の山野に自生する。成木の樹高は1mほどであり、初夏に桃色または白色の集合花を咲かせ、秋には紅葉する。古くから庭木として親しまれてきた。和名は下野国に産したことに由来するという。耐寒性が高く富士山でも見られる。日当たりを好み育てやすい。春から秋にかけてアブラムシが発生する。同じシモツケ属の仲間にはコデマリ、ユキヤナギがある。引用:Wikipedia
2019.06.22
コメント(0)

御手洗祭の「足つけ神事」は、火を灯したろうそくを手にして、御手洗池に膝下まで浸かりながらゆっくり進みます。井戸の上に社殿が造られ祀られている末社・井上神社に灯明を供え、そのあと御神水を頂きます。土用の丑の日に御手洗池の中に足を浸すと罪や穢れを祓い、疫病や安産にもご利益があるといわれています。日程:2019年7月19日(金)~28日(日)9:00~21:00 料金:灯明料300円 場所:下鴨神社[賀茂御祖神社]
2019.06.22
コメント(0)
![]()
第一朗読二コリント 12・1-10使徒パウロのコリントの教会への手紙 〔皆さん、〕わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。 福音朗読マタイ 6・24-34マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。 だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」 【任意・6月22日 聖パウリノ(ノラ)司教】355年、フランスのボルドーに生まれる。ローマ帝国の高官となり、結婚して子どもをもうけた。しかし、禁欲生活を求めて洗礼を受け、全財産を放棄して393年にカンパーニアのノラで修道生活を始めた。やがて同地の司教となり、聖フェリクスに対する崇敬を広め、巡礼者や当時の多くの災いに襲われた民衆を熱心に助けた。優れた詩歌を残した人としても知られている。431年に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)【任意・6月22日 聖ヨハネ・フィッシャー司教 聖トマス・モア 殉教者】ヨハネ・フィッシャーは1469年に生まれ、英国のケンブリッジで神学を学んで叙階された。ロチェスターの司教となって質素な生活を送り、信者のもとを頻繁に訪れて熱心に司牧に従事した。また、当時の異端を論駁する著作を著した。トマス・モアは1477年に生まれ、オックスフォードで学問を修め、結婚して一男三女をもうけた。英国の大法官に任命され、行政に関する著作やカトリック信仰を擁護する著作を残した。ヘンリー8世の離婚に反対したという理由で、フィッシャーは1535年6月22日に、モアは同年7月6日に斬首刑に処せられた。フィッシャーは投獄中に、パウロ3世教皇によって枢機卿に任命された。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史 永田諒一/著
2019.06.22
コメント(0)

6月21日の花言葉はテッポウユリで「純愛・淑女」です。テッポウユリ(鉄砲百合、学名 Lilium longiflorum)は、ユリ目ユリ科ユリ属の多年生草本球根植物である。ラッパに似た形の筒状の花を横向きに咲かせる。特徴丈が 50cm-1m 程度に生長し、楕円形で長い葉をつけ、葉脈は水平方向に入る。原産地での花期は 4-6 月で、茎の頂上に純白で細長い花を横向きにつける。花長は 10-15cm、直径 5cm ほど、花弁が6枚あるように見えるが根元がつながっており筒状になっている。雌雄同花である。本種は外見・生態上の特徴が後述の近縁種タカサゴユリに酷似するが、一般にタカサゴユリよりも小型であり、葉が太めで、花が白く筋などが入らない点で区別する。ただし、本種はタカサゴユリとの園芸交雑種が多く、変異も起きやすいとされ、違いが判別しにくい場合も多い。分布日本の南西諸島および九州南部が原産で、本州以東では園芸用に移入されたものが分布する。沖縄県では自生種が群生する様子が見られる。引用:Wikipedia
2019.06.21
コメント(0)

戦後日本美術界を代表する画家のひとり、加山又造。南観音山には、見送「龍王渡海図」をはじめとした貴重な作品が多数保存されています。祗園祭 前祭・後祭それぞれの宵山の期間、南観音山保存会會所にて加山又造作品の展示と記録映像の上映を行う「祇園祭 特別拝観『加山又造と南観音山』」を開催します。日程:前祭期間:2019年7月14日(日)~16日(火)11:00~17:00 後祭期間:2019年7月21日(日)~23日(火)10:00~18:00お問合せ:075-681-0201(南観音山保存会事務局 (株)美十総務課内) 料金:500円 場所:南観音山保存会 會所2階 京都市中京区新町通錦小路上ル
2019.06.21
コメント(0)
![]()
第一朗読二コリント 11・18、21b-30使徒パウロのコリントの教会への手紙 〔皆さん、〕多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう。彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。 誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。 福音朗読マタイ 6・19-23マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。 体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」 1568年、ロンバルディア(イタリア北部)のマントバ近郊で、カスティリョーネ公爵の家庭に生まれる。母親から宗教教育を受け、熱心な信仰生活を送るようになった。公爵としての相続権を弟に譲って、ローマでイエズス会に入った。神学生として病院で疫病患者の看護中に病に倒れ、1591年に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です教会法で知るカトリック・ライフ Q&A40 (ドン・ボスコ新書) [ 菅原裕二 ]
2019.06.21
コメント(0)

6月20日の花言葉はハナショウブで「優しい心 あなたを信じる」です。ハナショウブ(花菖蒲、Iris ensata var. ensata)はアヤメ科アヤメ属の多年草である。シノニムはI. ensata var. hortensis, I. kaempferi.アヤメ類の総称としてハナショウブをアヤメと呼ぶことも多く、間違いにはあたらない(あやめ園、あやめ祭り、自治体の花名など)。解説ハナショウブはノハナショウブ(学名I. ensata var. spontanea)の園芸種である。6月ごろに花を咲かせる。花の色は、白、桃、紫、青、黄など多数あり、絞りや覆輪などとの組み合わせを含めると5,000種類あるといわれている。系統を大別すると、品種数が豊富な江戸系、室内鑑賞向きに発展してきた伊勢系と肥後系、原種の特徴を強く残す長井系(長井古種)の4系統に分類でき、古典園芸植物でもある。他にも海外、特にアメリカでも育種が進んでいる外国系がある。近年の考察では、おそらく東北地方でノハナショウブの色変わり種が選抜され、戦国時代か江戸時代はじめまでに栽培品種化したものとされている。これが江戸に持ち込まれ、後の3系統につながった。長井古種は江戸に持ち込まれる以前の原形を留めたものと考えられている。アヤメ類の総称として、ハナショウブを「アヤメ」と呼称する習慣が多く見られる。その一方で「ショウブ」と呼称することもあるが、菖蒲湯等に使われるショウブは、ショウブ科(古くはサトイモ科)に分類される別種の植物である。「いずれがアヤメかカキツバタ」という慣用句がある。どれも素晴らしく優劣は付け難いという意味であるが、見分けがつきがたいという意味にも用いられる。見分け方はアヤメの項の見分け方を参照のこと。伝統品種群の系統江戸系江戸ではハナショウブの栽培が盛んで、江戸中期頃に初のハナショウブ園が葛飾堀切に開かれ、浮世絵にも描かれた名所となった。ここで特筆されるのは、旗本松平定朝(菖翁)である。60年間にわたり300近い品種を作出し名著「花菖培養録」を残し、ハナショウブ栽培の歴史は菖翁以前と以後で区切られる。こうして江戸で完成された品種群が日本の栽培品種の基礎となった。伊勢系現在の三重県松阪市を中心に鉢植えの室内鑑賞向きに栽培されてきた品種群である。伊勢松阪の紀州藩士吉井定五郎により独自に品種改良されたという品種群で、「伊勢三品」の一つである。昭和27年(1952年)に「イセショウブ」の名称で三重県指定天然記念物となり、全国に知られるようになった。肥後系現在の熊本県を中心に鉢植えの室内鑑賞向きに栽培されてきた品種群である。肥後熊本藩主細川斉護が、藩士を菖翁のところに弟子入りさせ、門外不出を条件に譲り受けたもので、「肥後六花」の一つである。満月会によって現在まで栽培・改良が続けられている。菖翁との約束であった門外不出という会則を現在も厳守している点が、他系統には見られない習慣である。しかし大正に会則を破り外部へ広めてしまった会員がおり、現在では熊本県外の庭園などで目にすることができる。長井系(長井古種)山形県長井市で栽培されてきた品種群である。同市のあやめ公園は1910年(明治43年)に開園し、市民の憩いの場であった。1962年(昭和37年)、三系統いずれにも属さない品種群が確認され、長井古種と命名されたことから知られるようになった。江戸後期からの品種改良の影響を受けていない、少なくとも江戸中期以前の原種に近いものと評価されている。現在、34種の品種が確認されている。長井古種に属する品種のうち13品種は長井市指定天然記念物である。引用:Wikipedia
2019.06.20
コメント(0)

17時ごろに、3基の神輿が四条寺町にある八坂神社御旅所を出発します。この御旅所に神幸祭から1週間奉安されていた御神霊を再び神輿に遷し、八坂神社又旅社で祭典を執り行います。その後、神輿は御神霊を乗せて市内を巡り、歓声と熱気に包まれながら再び八坂神社に戻ります。日程:2019年7月24日(水)お旅所発16:30~、還幸祭23:00~ 料金:無料 場所:八坂神社御旅所(京都市下京区四条通寺町東入南側)―八坂神社又旅社(京都市中京区御供町)―八坂神社 電話:075-561-6155(八坂神社)
2019.06.20
コメント(0)
![]()
第一朗読二コリント 11・1−11使徒パウロのコリントの教会への手紙 〔皆さん、〕わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが。いや、あなたがたは我慢してくれています。あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う。たとえ、話し振りは素人でも、知識はそうではない。そして、わたしたちはあらゆる点あらゆる面で、このことをあなたがたに示してきました。 それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません。なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛していないからだろうか。神がご存じです。 福音朗読マタイ 6・7−15マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。 『天におられるわたしたちの父よ、 御名が崇められますように。 御国が来ますように。 御心が行われますように、 天におけるように地の上にも。 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。 わたしたちの負い目を赦してください、 わたしたちも自分に負い目のある人を 赦しましたように。 わたしたちを誘惑に遭わせず、 悪い者から救ってください。』もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】福音み〜つけた! 「宗教」「倫理」を考えるために 高校編 日本カトリック教育学会/編
2019.06.20
コメント(0)
![]()
6/19(水)週日〔緑〕聖ロムアルド修道院長【任意】第一朗読二コリント 9・6−11使徒パウロのコリントの教会への手紙 〔皆さん、〕惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。 「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く」と書いてあるとおりです。種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。 福音朗読マタイ 6・1−6、16−18マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。 だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。 祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。 断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」 【任意・6月19日 聖ロムアルド修道院長】10世紀半ば、ラベンナに生まれる。隠遁生活に入り、長年にわたって旅をし、孤独を求めて各地で小さな修道院を創立した。完徳をめざして修徳に励みながら、当時の修道者たちの悪習に強く対抗した。1027年頃に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です毎日の読書(第4巻)第4版 「教会の祈り」読書第二朗読 年間 1 [ カトリック中央協議会 ]
2019.06.19
コメント(0)

24日夜の還幸祭に先立ち、花傘巡行が行われます。芸能色が濃く、山鉾巡行などとはまた違った趣で祇園祭を楽しむことができます。八坂神社を出発した傘鉾や祇園太鼓に祇園囃子、獅子舞、鷺踊などの巡行列が市内を巡行し、見る人を楽しませてくれます。日程:2019年7月24日(水)10:00~ 料金:無料 場所:石段下→市役所前→八坂神社 電話:075-561-6155(八坂神社)
2019.06.19
コメント(0)

6月19日の花言葉はノアザミで「私をもっと知ってください」です。ノアザミ(野薊、学名: Cirsium japonicum)はキク科アザミ属の多年草。特徴茎の高さは0.5-1mになる。葉は羽状に中裂し、縁にとげがある。茎葉の基部は茎を抱く。花期にも根生葉は残っている。花期は5-8月で、アザミ属の中では春咲きの特徴をもつが、まれに10月まで咲いているものも見られる。花(頭状花序)は筒状花のみで構成されており、直径は4-5cm。花の色は紫色であるが、まれに白色のものもある。花を刺激すると花粉が出てくる。総苞はよく粘る。分布と生育環境アザミ属は、分布域が比較的広いものと極端に狭い地域固有種がある。ノアザミの分布域は広く、日本の本州、四国、九州の草原や河川敷に見られ、アジア大陸にも変種が分布する。引用:Wikipedia
2019.06.19
コメント(0)

6月18日の花言葉はオオマツヨイグサで「ほのかな恋」です。マツヨイグサ(待宵草)は、アカバナ科マツヨイグサ属の一年生または多年生草本植物で、この語は主にマツヨイグサ属に含まれる植物について種を特定しないで呼ぶ場合に使用される。標準和名マツヨイグサは学名 Oenothera odorata で呼ばれる種を指すが、こうした用法では滅多に使用されない。本項ではマツヨイグサ属と種としてのマツヨイグサ O. strica の双方について言及する。分布マツヨイグサ属にはおよそ125の種が含まれており、14節が構成される。どの種も南北アメリカ大陸原産であり他地域には産しない。日本も例外ではなく、野生のものは帰化植物か、逸出した園芸植物のいずれかである。原産地では種により海辺や平野から高山に至るまで幅広く分布するが、パイオニア植物なので、自然状態では平地では河原、砂浜や砂漠、山ではガレ場や、山火事の跡などの荒地や痩せ地に、人為的にかく乱された環境下では鉄道路線沿いや路肩、耕作放棄された畑や休耕田のような場所に生え、他の植物が成長してくると姿を消す。日本では造成中の土地や未舗装の駐車場でもよく見かける。本属植物は、メキシコ北東部からアメリカ合衆国のテキサス州にかけての地域が発祥の地と考えられている。氷河期にこの地域は結氷から取り残され、そこに本属植物が生き残った。間氷期にはそこから再び大陸全土に分布し、氷河期に入ると再び分布を縮小した。更新世には都合四度のこうした分布の縮小と拡大が繰り返され、それが今日見られる多様な種分化を促したと考えられている。また本属植物は野生下においても容易に種間で交雑し、そうして生じた雑種や、人為的に交配して得られた品種が固定され、新種に分化することがあるため、種数が非常に多い。種としてのマツヨイグサ種としてのマツヨイグサ O. stricta も、原産地はチリやアルゼンチンといった南米で、嘉永年間(1848年〜1853年)に日本にもたらされ、当初観賞用として植えられていたものが逸出し、昭和30年代に同属のオオマツヨイグサ O. erythrosepala とともに空き地などに大群落を形成した。しかし近年はこれも同属のメマツヨイグサ O. biennis に押され、姿を見る機会は減った。生態日本に移入された、あるいは侵入した種は、秋に芽生え、ロゼットで冬を越し、初夏から霜が降りる晩秋にかけての非常に長い期間花を咲かせ、秋に種を散らした後、冬には枯れる一年生植物(越年草)ばかりであるが、原産地には根茎を有する多年生の種もある。草丈は種により異なり、チャボツキミソウのような高山植物では高さ10cm程度、低地産の O. stubbei では3mにまで成長する。葉は開花軸に対して螺旋形に付き、鋸歯を持つか、または深く裂ける(羽状中裂)。花は多くの種において黄色い四弁花で、どの種も雌しべの先端が4つに割れる特徴を有する。一日花であり、多くの種が夕刻に開花し夜間咲きつづけ、翌朝には萎む。これが「月見草」や「待宵草」の名の由来である。種としてのマツヨイグサ種としてのマツヨイグサ O. stricta はオオマツヨイグサ O. erythrosepala と似た環境に自生するので紛らわしいが、オオマツヨイグサに較べ丈が低く、葉が細いことから区別できる。花マツヨイグサ属には黄色以外の白、紫、ピンク、赤といった花を咲かせる種もある。標準和名では、黄花を咲かせる系統は「マツヨイグサ」(待宵草)、白花を咲かせる系統は「ツキミソウ」(月見草)と呼び、赤花を咲かせる系統は「ユウゲショウ」(夕化粧)などと呼んで区別しているが、一般にはあまり浸透しておらず、黄花系統種もよくツキミソウと呼ばれる。しかし黄花以外の系統がマツヨイグサの名で呼ばれることはまずない。なお黄花以外の種は園芸植物として栽培されているものが多い。開花時間帯についても、ヒルザキツキミソウなどはその名のとおり昼間に咲く。英語では夜咲き種は evening primerose、昼咲き種を sundrops と呼び区別している。基本的に虫媒花だが、開放花ながら自家受粉を行う種や、閉鎖花を咲かせる種など様々である。黄花系統種のうち、マツヨイグサ O. stricta やコマツヨイグサは、花が萎むと赤く変色するが、オオマツヨイグサやメマツヨイグサはそれほど赤くはならないので、こういった点でも種を区別できる。引用:Wikipedia
2019.06.18
コメント(0)

夕方、八坂神社本殿で神事が行われた後、中御座、東御座、西御座の3基の神輿が舞殿より降ろされて舞殿を3周してから、それぞれ所定の氏子地域を巡ります。神輿が祇園石段下で「差し上げ」をしてから出発する様子は迫力満点。山鉾巡行とはまた違った「祇園祭」を見ることができます。日程:2019年7月17日(水)神幸祭16:00~、神輿渡御出発式18:00~ 料金:無料 場所:八坂神社(京都市東山区祇園町北側625)と各氏子地域 電話:075-561-6155(八坂神社)
2019.06.18
コメント(0)
![]()
第一朗読二コリント 8・1−9使徒パウロのコリントの教会への手紙 兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。 わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです。あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。 福音朗読マタイ 5・43−48マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】おしえて、カトリックって。 大熊薫/著
2019.06.18
コメント(0)
![]()
第一朗読二コリント 6・1−10使徒パウロのコリントの教会への手紙 〔皆さん、〕わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、 「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。 救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。 福音朗読マタイ 5・38−42マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】カトリック S.F.ブラウン/著 Kh.アナトリオス/著 森夏樹/訳
2019.06.17
コメント(0)

前祭は17日午前9時に祇園囃子を奏でながら、長刀鉾を先頭に23基の山鉾が巡行します。四条烏丸から四条河原町の交差点へ。山鉾は四条通から河原町通に進み、ここで直角に曲がるための勇壮な「辻廻し」が行われます。辻廻しは河原町御池、新町御池の各交差点でも見ることができます。また、後祭は24日午前9時半、烏丸御池を出発し、東に向かって10基の山鉾が巡行します。各山鉾の豪華な懸装品も見どころです。日程:前祭2019年7月17日(水)9:00~ 後祭2019年7月24日(水)9:30~ 料金:無料 有料観覧席(一般席)3,180円場所:市内中心部 電話:075-213-1717(京都市観光協会)
2019.06.17
コメント(0)

6月17日の花言葉はタイサンボクで「威厳・自然の愛情」です。タイサンボク(泰山木、大山木、学名:Magnolia grandiflora)とはモクレン科の常緑高木。特徴北米中南部原産。花期は5~7月頃。葉の表面には光沢があり、裏面は毛が密生しており錆色に見える。日本では公園樹としてよく植栽される。放置すると樹高20m以上にもなるが、よく分枝して剪定にも耐えるため、庭木として植えるところも多い。タイサンボクはアメリカ合衆国南部を象徴する花木とされ、ミシシッピ州とルイジアナ州の州花に指定されている。ミシシッピ州は、州内にタイサンボクが多いことから、タイサンボクの州 (Magnolia State) という愛称がある。また、ミシシッピ州の州の木である。近縁種にヒメタイサンボク(学名M. virginiana)があり、こちらは落葉小高木である。引用:Wikipedia
2019.06.17
コメント(0)
![]()
第一朗読箴言 8・22-31箴言〔神の知恵は語る。〕「主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って。永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。わたしは生み出されていた深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったがわたしは生み出されていた。大地も野も、地上の最初の塵もまだ造られていなかった。わたしはそこにいた主が天をその位置に備え深淵の面に輪を描いて境界とされたとき主が上から雲に力をもたせ深淵の源に勢いを与えられたときこの原始の海に境界を定め水が岸を越えないようにし大地の基を定められたとき。御もとにあって、わたしは巧みな者となり日々、主を楽しませる者となって絶えず主の御前で楽を奏し主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し人の子らと共に楽しむ。」 第二朗読ローマ 5・1-5使徒パウロのローマの教会への手紙 〔皆さん、〕わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。 福音朗読ヨハネ 16・12-15ヨハネによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】福音み〜つけた! 「宗教」「倫理」を考えるために 高校編 日本カトリック教育学会/編
2019.06.16
コメント(0)

宵山の当日、八坂神社の能舞台で奉納される石見神楽は、国の無形文化財に指定されています。八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのをのみこと)の八岐大蛇(やまたのおろち)退治の神話にちなんだ舞などが披露されます。笛・太鼓・鉦のにぎやかな囃子に合わせて、奇抜な神楽面を着け、豪華な衣装をまとい豪快に舞い踊る姿はダイナミックで、一見の価値ありです。日程:2019年7月16日(火)18:30~ 料金:無料 場所:八坂神社(京都市東山区祇園町北側625) 電話:075-561-6155(八坂神社)
2019.06.16
コメント(0)

6月16日の花言葉はウツボグサで「協調性」です。ウツボグサ(靫草、学名:Prunella vulgaris L. subsp. asiatica (Nakai) H.Hara)は、シソ科ウツボグサ属の多年生の一種。特徴東アジア温帯域に分布する多年生草本。日当たりのよい山野の草地に群生する。匍匐性で、茎は高さが10-30cmになり、断面が四角形である。花期は6-8月頃で3-8cmの花穂に紫色の唇形花を密集して咲かせる。近縁の日本固有種に高山性のタテヤマウツボグサ(立山靫草、学名:Prunella prunelliformis (Maxim.) Makino)がある。生薬花穂は夏枯草(カゴソウ)といい日本薬局方にある生薬。主に中国、韓国で生産される。この生薬には利尿、消炎作用があり、腫物、浮腫、腎臓炎、膀胱炎などに用いる。口内炎、扁桃炎にも使用される。ヨーロッパにおいても民間薬に利用され、ウツボグサ及びタイリンウツボグサ(P. grandiflora Jacq.)を肺病や胃腸の病に用いた。ハーブ日本ではハーブティとして用いられ、また、止血作用と治癒促進作用があるとされ、外傷薬として古くから利用されてきた。強壮剤、うがい薬としても用いられる。ヨーロッパでは、セルフヒールという名で知られる。名称和名は、円筒形の花穂が弓矢を入れる靫(うつぼ)に似ていることに由来する。引用:Wikipedia
2019.06.16
コメント(0)

6月15日の花言葉はアジサイで「移り気・乙女の愛」です。アジサイ(紫陽花、学名 Hydrangea macrophylla)は、アジサイ科アジサイ属の落葉低木の一種である[1]。広義には「アジサイ」の名はアジサイ属植物の一部の総称でもある[2]。狭義には品種の一つ H. macrophylla f. macrophylla の和名であり、他との区別のためこれがホンアジサイと呼ばれることもある。原種は日本に自生するガクアジサイ H. macrophylla f. normalis である。概要6月から7月にかけて開花し、白、青、紫または赤色の萼(がく)が大きく発達した装飾花をもつ。ガクアジサイではこれが花序の周辺部を縁取るように並び、園芸では「額咲き」と呼ばれる。ガクアジサイから変化した、花序が球形ですべて装飾花となったアジサイは「手まり咲き」と呼ばれる。日本、ヨーロッパ、アメリカなどで観賞用に広く栽培され、多くの品種が作り出されている。原産地は日本で、ヨーロッパで品種改良されたものはセイヨウアジサイ と呼ばれる。なお後述の通り本種は有毒植物であるため園芸や切り花として利用の際には取り扱いには注意が必要である。花言葉は「辛抱強い愛情」「一家団欒」「家族の結びつき」など。名称アジサイの語源ははっきりしないが、最古の和歌集『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」、平安時代の辞典『和名類聚抄』では「阿豆佐為」の字をあてて書かれている。もっとも有力とされているのは、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」がなまったものとする説である。そのほか、「味」は評価を、「狭藍」は花の色を示すという谷川士清の説、「集まって咲くもの」とする山本章夫の説(『万葉古今動植物正名』)、「厚咲き」が転じたものであるという貝原益軒の説がある。花の色がよく変わることから、「七変化」「八仙花」とも呼ばれる。日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易が別の花、おそらくライラックに付けた名で、平安時代の学者源順がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれている。草冠の下に「便」を置いた字が『新撰字鏡』にはみられ、「安知佐井」のほか「止毛久佐」の字があてられている。アジサイ研究家の山本武臣は、アジサイの葉が便所で使われる地域のあることから、止毛久佐は普通トモクサと読むが、シモクサとも読むことができると指摘している。また『言塵集』にはアジサイの別名として「またぶりぐさ」が挙げられている。シーボルトはアジサイ属の新種に自分の妻「おタキさん」の名をとって Hydrangea otaksa と命名し、物議をかもした。これは Hydrangea macrophylla と同種であった。特徴青色と紫色の花樹高は1–2メートル。葉は光沢のある淡緑色で葉脈のはっきりした卵形で、周囲は鋸歯状。5月から7月に紫(赤紫から青紫)の花を咲かせる。一般に花といわれている部分は装飾花で、中央にある極小の多数の両性花には、退化した雄蕊10本と雌蕊3〜4本がある、花びらに見えるものは萼(がく)である。数え方は「◯朶(だ)」という。ガクアジサイでは密集した両性花の周囲にいくつかの装飾花がみられるが、アジサイ(ホンアジサイ)やセイヨウアジサイではほとんどが装飾花となっている。また、装飾花の欠如した変種も知られている(ガクアジサイ「三河千鳥」など)。花の色花(萼)の色はアントシアニンという色素によるもので、アジサイにはその一種のデルフィニジンが含まれている。これに補助色素(助色素)とアルミニウムのイオンが加わると、青色の花となる。アジサイは土壌のpH(酸性度)によって花の色が変わり、一般に「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」になると言われている。これは、アルミニウムが根から吸収されやすいイオンの形になるかどうかに、pHが影響するためである。すなわち、土壌が酸性だとアルミニウムがイオンとなって土中に溶け出し、アジサイに吸収されて花のアントシアニンと結合し青色を呈する。逆に土壌が中性やアルカリ性であればアルミニウムは溶け出さずアジサイに吸収されないため、花は赤色となる。したがって、花を青色にしたい場合は、酸性の肥料や、アルミニウムを含むミョウバンを与えればよい。同じ株でも部分によって花の色が違うのは、根から送られてくるアルミニウムの量に差があるためである。花色は花(萼)1グラムあたりに含まれるアルミニウムの量がおよそ40マイクログラム以上の場合に青色になると見積もられている[19]。ただし品種によっては遺伝的な要素で花が青色にならないものもある。これは補助色素が原因であり、もともとその量が少ない品種や、効果を阻害する成分を持つ品種は、アルミニウムを吸収しても青色にはなりにくい。また、花色は開花から日を経るに従って徐々に変化する。最初は花に含まれる葉緑素のため薄い黄緑色を帯びており、それが分解されていくとともにアントシアニンや補助色素が生合成され、赤や青に色づいていく。さらに日が経つと有機酸が蓄積されてゆくため、青色の花も赤味を帯びるようになる。これは花の老化によるものであり、土壌の変化とは関係なく起こる。他に花が緑色の品種(ヤマアジサイ「土佐緑風」など)も知られており、観賞用として緑の花が販売されることもある。しかし日本ではファイトプラズマ感染による「アジサイ葉化病」にかかったものも稀にみられる。この病気の治療法は知られておらず、感染拡大を避けるため発病株は処分したほうがよいとされる。引用:Wikipedia
2019.06.15
コメント(0)

14日から山鉾巡行の前日の16日までが前祭の宵山です。山鉾を飾り、提灯の明かりが宵闇に浮かぶ街並みの中、祇園囃子が祭りのムードをいっそう盛り上げます。各山鉾町では「胴懸」や「見送」などの山や鉾の懸装品を飾り、厄除けのお守りである粽(ちまき)や護符が売られます。21日~23日には後祭宵山が行われます。日程:前祭:2019年7月14日(日)~16日(火)後祭:2019年7月21日(日)~23日(火) 料金:無料 場所:各山鉾町 電話:075-213-1717(京都市観光協会)
2019.06.15
コメント(0)
![]()
第一朗読二コリント 5・14−21使徒パウロのコリントの教会への手紙 〔皆さん、〕キリストの愛がわたしたちを駆り立ててい〔ます〕。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。 それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。 福音朗読マタイ 5・33−37マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です極みなく美しき声の告げ復刻版 [ カトリックグラフ特別取材班 ]
2019.06.15
コメント(0)

6月14日の花言葉はセンダンで「意見の相違」です。センダン(栴檀、学名: Melia azedarach)は、センダン科センダン属の落葉高木。別名としてオウチ(楝)、アミノキなどがある。「栴檀は双葉より芳(かんば)し」のことわざでよく知られるが、これはセンダンではなくビャクダン(白檀)を指す。特徴樹高は5-15 mほどで、成長が早い。若い樹皮は紫褐色で楕円形の小さな横斑が点在するが、太い幹の樹皮は縦に裂け、顕著な凹凸ができる。夏の日の午後は梢にクマゼミが多数止まり、樹液を吸う様子が見られる。葉は奇数2-3回羽状複葉で互生し、一枚の葉全体の長さは50 cm以上ある。小葉は草質で薄い。楕円形で浅い鋸歯がある。5-6月頃に、若枝の葉腋に淡紫色の5弁の花を多数、円錐状につける。花にはアゲハチョウ類がよく訪れる。なお、南方熊楠が死の直前に「紫の花が見える」と言ったのはセンダンのことと言われている。果実は長径1.5-2 cmほどの楕円形の核果で、10-12月頃に黄褐色に熟す。秋が深まり落葉してもしばらくは梢に果実が残る。果実は果肉が少なく核が大きい。たまにヒヨドリなどが食べに訪れる。しかしサポニンを多く含むため、人、犬が食べると中毒を起こし摂取量が多いと死に至る。葉や木材には弱い芳香がある。背が高い上に、新芽・開花・実生・落葉と季節ごとの見かけの変化も大きく、森林内でも目立ちやすい。引用:Wikipedia
2019.06.14
コメント(0)

「お迎提灯」では、「神輿洗式」の神輿を迎えるために提灯を立てた行列が巡行します。神輿洗式は、鴨川の水を使って神輿を清める神事です。八坂神社から道しらべの大たいまつが出発、続いて3基の神輿のうち素戔嗚尊(すさのをのみこと)が乗る中御座神輿1基を「ホイット、ホイット」と掛け声を出しながら担ぎ、四条大橋の上で神輿を神用水で清めます。この水が体に振りかかると、無病息災で暮らせるといわれています。日程:2019年7月10日(水)お迎提灯 16:30~21:00神輿洗式 20:00~ 料金:無料 場所:お迎提灯:八坂神社→河原町四条→寺町通→東大路通→神幸道→八坂神社 神輿洗式:四条大橋 電話:075-561-6155(八坂神社)
2019.06.14
コメント(0)
全88件 (88件中 1-50件目)
![]()
![]()
