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例年、誠心院の初代住職と伝わる平安時代の歌人・和泉式部の千年忌で命日の3月21日に本堂で行われます。11:00から式部ゆかりの謡曲「東北」「誓願寺」の奉納があり、14:00から「開山 和泉式部忌」と「春のお彼岸法要」が執り行われます。日程:2018年3月21日(水・祝)11:00~16:00(本堂にて宝物展示) 料金:無料 場所:誠心院
2018.01.31
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1月31日の花言葉はギョリュウバイで「蜜月」です。ギョリュウバイ(檉柳梅、学名:Leptospermum scoparium)はフトモモ科ギョリュウバイ属の常緑低木。特徴桃色の花が美しいため栽培される。ニュージーランドとオーストラリア南東部原産。ギョリュウバイの名は、ギョリュウに似て葉が小さく、花がウメに似ることから。ギョリュウ科のギョリュウ(檉柳)ともバラ科のウメとも関係がない。針葉樹のネズに似るのでネズモドキの別名もある。またマオリ語でマヌカ(Manuka)ともいう。葉がお茶や煎じ薬として利用されてきたことからティーツリー(英語では"Tea tree")ともいうが、アロマテラピーで利用されている同名のハーブ(学名Melaleuca alternifolia)とは同じフトモモ科であるものの、別種である。そこでこれらを区別するために、ギョリュウバイは、New Zealand teatreeとも呼ばれる。 .利用原生地では蜂蜜の蜜源としても好まれ、蜂蜜はマヌカハニー(英: Manuka honey)と呼ばれている。マヌカハニーはピロリ菌駆除力、殺菌力を持ち、民間療法で、胃炎に対し、効果があることが報告されている。 整腸・美肌にも良いとされ、オイルマッサージ用のエッセンシャルオイルや化粧石けん、ローションなどの化粧品に加工されている。引用:Wikipedia
2018.01.31
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第一朗読サムエル下 24・2、9−17サムエル記 〔その日、〕王は直属の軍の司令官ヨアブに命じた。「ダンからベエル・シェバに及ぶイスラエルの全部族の間を巡って民の数を調べよ。民の数を知りたい。」 ヨアブは調べた民の数を王に報告した。剣を取りうる戦士はイスラエルに八十万、ユダに五十万であった。 民を数えたことはダビデの心に呵責となった。ダビデは主に言った。「わたしは重い罪を犯しました。主よ、どうか僕の悪をお見逃しください。大変愚かなことをしました。」ダビデが朝起きると、神の言葉がダビデの預言者であり先見者であるガドに臨んでいた。「行ってダビデに告げよ。主はこう言われる。『わたしはあなたに三つの事を示す。その一つを選ぶがよい。わたしはそれを実行する』と。」 ガドはダビデのもとに来て告げた。「七年間の飢饉があなたの国を襲うことか、あなたが三か月間敵に追われて逃げることか、三日間あなたの国に疫病が起こることか。よく考えて、わたしを遣わされた方にどうお答えすべきか、決めてください。」ダビデはガドに言った。「大変な苦しみだ。主の御手にかかって倒れよう。主の慈悲は大きい。人間の手にはかかりたくない。」 主は、その朝から定められた日数の間、イスラエルに疫病をもたらされた。ダンからベエル・シェバまでの民のうち七万人が死んだ。御使いはその手をエルサレムに伸ばして、これを滅ぼそうとしたが、主はこの災いを思い返され、民を滅ぼそうとする御使いに言われた。「もう十分だ。その手を下ろせ。」主の御使いはエブス人アラウナの麦打ち場の傍らにいた。ダビデは、御使いが民を打つのを見て、主に言った。「御覧ください、罪を犯したのはわたしです。わたしが悪かったのです。この羊の群れが何をしたのでしょうか。どうか御手がわたしとわたしの父の家に下りますように。」 福音朗読マルコ 6・1−6マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。 それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。 1815年、トリノ教区のカステルヌオーボ近郊に生まれる。辛苦に満ちた幼少期を経て司祭となり、青少年の教育に全力を注ぎ、若者に職業やキリスト教的生活を修得させる修道会(サレジオ会)を創立した。また、多くの護教的な著作をも著した。1888年に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です絵で見るはじめてのキリスト教 子どものためのカトリック入門 / クリスティン・ペドッティ 【絵本】
2018.01.31
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醍醐寺は貞観16年(874)に空海の孫弟子・理源大師聖宝が開山・創建した真言宗醍醐派総本山の寺院です。国宝69,420点、重要文化財6,521点を有する文化財の宝庫で、春と秋には寺宝の一部を一般公開。特に春は豊臣秀吉の醍醐の花見でも知られる約1,000本の桜も楽しむことができます。日程:2018年3月21日(水・祝)11:00~16:00(本堂にて宝物展示) 料金:無料 場所:誠心院
2018.01.30
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1月30日の花言葉はカルセオラリアで「助け合い」です。カルセオラリア(Calceolaria)はチリ、メキシコ、ペルー、ニュージーランドなどを原産とするゴマノハグサ科の多年草または低木で、200種ほどあり、花を観賞するために栽培される。キンチャクソウ(巾着草)ともいい、これは花弁の下側が袋状になっているのを巾着に例えたもの。カルセオラリアという名前はラテン語で小さな靴(スリッパ)を意味する「カルセオルス」という言葉に由来する。特に雑種起源のC. X herbeohybrida がよく栽培される。花色は赤、黄色など。日本では普通、秋蒔き一年草として扱い、春に開花する。このほかにもいろいろな雑種が栽培されている。カルセオラリア属はゴマノハグサ科の他のグループと系統が大きく異なるとされ、新しいAPG植物分類体系では他の2属とともにカルセオラリア科(Calceolariaceae)とされている。引用:Wikipedia
2018.01.30
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第一朗読サムエル下 18・9−10、14b、24−25a、30〜19・3サムエル記 〔その日、〕アブサロムがダビデの家臣に出会ったとき、彼はらばに乗っていたが、らばが樫の大木のからまりあった枝の下を通ったので、頭がその木にひっかかり、彼は天と地の間に宙づりになった。乗っていたらばはそのまま走り過ぎてしまった。 兵の一人がこれを見て、ヨアブに知らせた。「アブサロムが樫の木に宙づりになっているのを見ました。」 ヨアブは棒を三本手に取り、アブサロムの心臓に突き刺した。 ダビデは二つの城門の間に座っていた。城壁に沿った城門の屋根には、見張りが上って目を上げ、男がただ一人走って来るのを見た。見張りは王に呼びかけて知らせた。 王が、「脇に寄って、立っていなさい」と命じたので、〔走って来た〕アヒマアツは脇に寄り、そこに立った。 そこへクシュ人が到着した。彼は言った。「主君、王よ、良い知らせをお聞きください。主は、今日あなたに逆らって立った者どもの手からあなたを救ってくださいました。」王はクシュ人に、「若者アブサロムは無事か」と尋ねた。クシュ人は答えた。「主君、王の敵、あなたに危害を与えようと逆らって立った者はことごとく、あの若者のようになりますように。」 ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた。彼は上りながらこう言った。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」 王がアブサロムを悼んで泣いているとの知らせがヨアブに届いた。その日兵士たちは、王が息子を思って悲しんでいることを知った。すべての兵士にとって、その日の勝利は喪に変わった。 福音朗読マルコ 5・21−43マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。 大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】メキシコ革命とカトリック教会 近代国家形成過程における国家と宗教の対立と宥和 国本伊代/著
2018.01.30
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第一朗読サムエル下 15・13−14、30、16・5−13aサムエル記 〔その日、〕イスラエル人の心はアブサロムに移っているという知らせが、ダビデに届いた。ダビデは、自分と共にエルサレムにいる家臣全員に言った。「直ちに逃れよう。アブサロムを避けられなくなってはいけない。我々が急がなければ、アブサロムがすぐに我々に追いつき、危害を与え、この都を剣にかけるだろう。」 ダビデは頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った。同行した兵士たちも皆、それぞれ頭を覆い、泣きながら上って行った。 ダビデ王がバフリムにさしかかると、そこからサウル家の一族の出で、ゲラの子、名をシムイという男が呪いながら出て来て、兵士、勇士が王の左右をすべて固めているにもかかわらず、ダビデ自身とダビデ王の家臣たち皆に石を投げつけた。シムイは呪ってこう言った。「出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者。サウル家のすべての血を流して王位を奪ったお前に、主は報復なさる。主がお前の息子アブサロムに王位を渡されたのだ。お前は災難を受けている。お前が流血の罪を犯した男だからだ。」 ツェルヤの子アビシャイが王に言った。「なぜあの死んだ犬に主君、王を呪わせておかれるのですか。行かせてください。首を切り落としてやります。」王は言った。「ツェルヤの息子たちよ、ほうっておいてくれ。主がダビデを呪えとお命じになったのであの男は呪っているのだろうから、『どうしてそんなことをするのか』と誰が言えよう。」ダビデは更にアビシャイと家臣の全員に言った。「わたしの身から出た子がわたしの命をねらっている。ましてこれはベニヤミン人だ。勝手にさせておけ。主の御命令で呪っているのだ。主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない。」 ダビデと一行は道を進んだ。 福音朗読マルコ 5・1−20マルコによる福音 〔そのとき、イエスと弟子たちは、〕湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。 ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史 永田諒一/著
2018.01.29
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醍醐寺は貞観16年(874)に空海の孫弟子・理源大師聖宝が開山・創建した真言宗醍醐派総本山の寺院です。国宝69,420点、重要文化財6,521点を有する文化財の宝庫で、春と秋には寺宝の一部を一般公開。特に春は豊臣秀吉の醍醐の花見でも知られる約1,000本の桜も楽しむことができます。日程:2018年3月中旬~5月中旬9:00~17:00(受付終了16:30) 料金:1,500円(霊宝館、三宝館、伽藍共通拝観券) 場所:醍醐寺
2018.01.29
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1月29日の花言葉はハナアナナスで「蓄える」です。ハナアナナス(学名:Tillandsia cyanea Linden ex K.Koch)は、ハナアナナス属の植物の1つ。紫の目立つ花をつける。この属のものは葉の表面に毛が多くて空中の湿気を吸収する、いわゆるエアープランツが多いが、本種は比較的普通の植物っぽく、鉢植えで栽培される。特徴多年生の草本で、茎はごく短く、葉を根出状に出す[2]。葉は20-30出る。長さ35cm以下で幅は10-15mm、線形から細い三角形で先端は細く尖り、小さな鱗片があり、基部には紫褐色の縦筋が出る。葉鞘は楕円形で長さ6cm。葉は弓状に反り返り、濃灰緑色。花茎は葉の間から出て、直立する茅や斜めに伸びる。茎の部分は葉の間に隠れ、花茎の方は深く瓦のように重なり合い、下部のものは葉状、上部のものは長楕円形で先端が尖る。その先に穂状花序を一つだけ着ける。花序は40以上の花を羽状につけたもので、長楕円形で先端は丸くなっているか広く尖り、長さは16cmまで、幅は約7cm。花を包む苞は楕円形で先端が尖り、竜骨状で革質、淡紅色から赤に淡緑色の鱗片がある。萼片は互いに離れ、楕円形で先端はやや尖り、長さ35mm。花弁は濃い菫色、菱形に近い円形で長さ20-25mm、大きく開く。雄蘂は花の内部に隠れ、雌蘂は突き出す。分布と生育環境エクアドル原産。基本変種はエクアドル南部の標高1700m付近に分布し、より低い地域に生育する変種と、コロンビアにまで分布のある変種がある。着生植物であり、湿った多雨林で高木の上の方に着生する。引用:Wikipedia
2018.01.29
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第一朗読申命記 18・15−20申命記 〔モーセは民に言った。〕あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。このことはすべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」とあなたの神、主に求めたことによっている。主はそのときわたしに言われた。「彼らの言うことはもっともである。わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する。ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」 第二朗読一コリント 7・32−35使徒パウロのコリントの教会への手紙 〔皆さん、〕思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。 福音朗読マルコ 1・21−28マルコによる福音 イエスは、安息日に〔カファルナウムの〕会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリック教会情報ハンドブック(2018) [ カトリック中央協議会 ]
2018.01.28
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青蓮院は粟田御所とも呼ばれる天台宗の三門跡の一つです。好文亭は江戸時代の天明8年(1788)、天明の大火で御所が炎上した時、後桜町上皇が青蓮院を仮御所として避難され、その際、上皇が後学問所として使用されたところです。平成5年に惜しくも焼失しましたが、同7年に完全復元されました。毎年春と秋のみ公開され、四畳半の茶室三部屋、六畳の仏間、水屋等が見学できます。日程:2018年3月21日(水・祝)~5月5日(土・祝)の間の土日祝10:00~15:00(受付終了) 料金:1,000円(抹茶または煎茶、菓子付)※別途拝観料500円が必要 場所:青蓮院
2018.01.28
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1月28日の花言葉はエンドウで「未来の喜び」です。エンドウ(豌豆、学名:Pisum sativum L.)は、マメ科の一・二年草。広く栽培され、食用となっている。一般に、エンドウマメとも。別名にノラマメ、グリーンピース(未熟の種子を食用とする場合の呼び方)、サヤエンドウ(莢豌豆・絹莢、未熟の莢を食用とする場合の呼び方)。日本での栽培種には、ウスイエンドウ(うすい豆)[1]、キヌサヤエンドウ、オランダエンドウ、がある。古代オリエント地方や地中海地方で麦作農耕の発祥とともに栽培化された豆で、原種は近東地方に今日でも野生している P. humile Boiss. et Noö. と推察されている。もともとは麦類の間で雑草として生えてきたこの原種の野生植物を、種実を食用にしたり、根粒菌による土の肥沃化に効果があるなどの利用価値を発見することで、麦類とともに混ぜ植え栽培するようになり、次第に栽培植物として品種改良が進んだと考えられている。この地域では農耕開始期に、カラスノエンドウもエンドウと同時に同様の利用が行われ始めたが、こちらの栽培利用はその後断絶し、今日では雑草とみなされている。また、同じ地域に起源を持つマメ科作物としては、ソラマメ、レンズマメ、ヒヨコマメが挙げられる。麦作農耕とともにユーラシア各地に広まり、中国に伝わったのは5世紀、日本へは9-10世紀には伝わった。 また、メンデルが実験材料としたことでも知られている。特徴さやの硬さにより、硬莢種(こうきょうしゅ) P. s. ssp. arvense Poir. と軟莢種(なんきょうしゅ)P. s. ssp.hortense Asch. がある。硬莢種はその名のとおり莢(さや)が固く、主として完熟して乾燥した豆を収穫して利用する。花は紅色である。軟莢種は莢が柔らかく、未熟な莢をサヤエンドウとして利用したり、成長を終えて乾燥前の生の豆をグリーンピースとして利用する。花は白いものが多い。スナップエンドウは軟莢種の中でも豆が大きく成長しても莢が柔らかく、豆と莢の両方を野菜として利用できる品種である。原産地が冬に雨が多い地中海性気候の近東地方であるため、夏の高温期は成長適期ではなく、麦類と同様に基本的には秋まきして翌春収穫する。冬の寒さの厳しい東北北部や北海道では春まきして初夏に収穫する。連作に弱く、一度栽培した土地では数年間栽培が困難となる。また、原産地が土壌にカルシウムなどが多い乾燥地帯であることから想像できるように、酸性土壌にも弱い。発芽に際しては同じマメ科のダイズのように胚軸が伸張して地上で子葉を双葉として展開するのではなく、上胚軸だけが伸張して地上に本葉だけを展開し、子葉は地中に残る。食品として 硬莢種は古くから乾燥種実として利用されており、日本ではアオエンドウは煎り豆、煮豆、餡(鶯餡)などに加工され、アカエンドウはみつまめやゆで豆として利用される。ヨーロッパでは煮込んでスープなどとして利用されてきた。しかし、今日、世界中でもっとも大量に消費されているのは乾燥していない未熟の莢や種実を野菜として利用する軟莢種である。東アジアでは未熟な莢を利用するサヤエンドウとして、インドから西では完熟直前の種実を利用するグリーンピースとして、主に消費されている。両者の性質を兼ね備えたのがスナップエンドウで、グリーンピースと同様に種実が完熟寸前まで大きく成長したものを収穫するが、莢もサヤエンドウと同様にやわらかく、果実全体が食べられる。2004年には、サッポロビールによりエンドウのタンパクを用いた第三のビールが開発され、新たな食品を生み出す素材として注目を浴びた。種実以外の利用もあり、若い苗や蔓の先の柔らかい茎葉も野菜として利用される。中国ではこれを豆苗(トウミョウ)と呼ぶ。メンデルの実験材料としてメンデルは遺伝の研究を行ない、現在はメンデルの法則として知られる法則を発見し、遺伝学の歴史に大きな足跡をのこした。 特に1遺伝子雑種と2遺伝子雑種の研究が有名である。 エンドウの種子には丸型としわ型がある。純系の丸型としわ型を自家受精させたものの種子を調べると全て丸型であった。これは丸型の形質がしわ型の形質に対して優性であることを示している。メンデルはこれを『優性の法則』と呼んだ。また、生まれてきた丸型の種子を自家受精させると、丸型:しわ型=3:1の比率で種子ができた。これは体細胞で対になっている対立遺伝子は配偶子形成の減数分裂第一分裂の際、二手にわかれそれぞれ別の配偶子に入ることを示していた。メンデルはこれを『分離の法則』と呼んだ。メンデルがエンドウを材料に使った理由は、そのころすでに数人の研究者によって、遺伝実験の材料として使われた事があったためと思われる。エンドウは自家受粉が可能で、このことも遺伝の実験には好都合だったと見られる。引用:Wikipedia
2018.01.28
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1月27日の花言葉はキンカンで「思い出」です。キンカン(金柑)は、ミカン科キンカン属 (Fortunella) の常緑低木の総称である。別名キンキツ(金橘)ともいう。概要中国の長江中流域原産。俳句では秋の季語になっている。 英語などの「Kumquat」もしくは「Cumquat」は「金橘」の広東語読み「gam1gwat1 (カムクヮト)」に由来する。カール・ツンベルクによりミカン属に分類され、1784年刊行の『日本植物誌』("Flora Japonica")においてCitrus japonicaの学名を与えられていたが、1915年にウォルター・テニスン・スウィングル(英語版)により新属として分割され、ヨーロッパに紹介したロバート・フォーチュンヘの献名として新たな学名を与えられた。日本における2010年の収穫量は3,732 トンであり、その内訳は宮崎県2,604 トン、鹿児島県873 トン、その他255 トンとなっている。利用食用果実は果皮ごとあるいは果皮だけ生食する。皮の中果皮、つまり柑橘類の皮の白い綿状の部分に相当する部分に苦味と共に甘味がある。果肉は酸味が強い。果皮のついたまま甘く煮て、砂糖漬け、蜂蜜漬け、甘露煮にする。甘く煮てから、砂糖に漬け、ドライフルーツにすることもある。薬用果実は民間薬として咳や、のどの痛みに効果があるとされ、金橘(きんきつ)という生薬名でいうこともある。果皮にはヘスペリジン(ビタミンP)を多く含む。観賞用観賞用として庭木として植えられることも多い。剪定に強いので生垣や鉢植え、盆栽にもできる。広東省や香港では、旧正月を迎える際に柑橘類の鉢植えを飾ることが多く、キンカンも好まれる。引用:Wikipedia
2018.01.27
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第一朗読サムエル下 12・1−7a、10−17サムエル記 〔その日、〕主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンは来て、次のように語った。 「二人の男がある町にいた。 一人は豊かで、一人は貧しかった。 豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。 貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに 何一つ持っていなかった。 彼はその小羊を養い 小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて 彼の皿から食べ、彼の椀から飲み 彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。 ある日、豊かな男に一人の客があった。 彼は訪れて来た旅人をもてなすのに 自分の羊や牛を惜しみ 貧しい男の小羊を取り上げて 自分の客に振る舞った。」 ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」ナタンはダビデに向かって言った。「その男はあなただ。それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』主はこう言われる。『見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう。あなたの目の前で妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。彼はこの太陽の下であなたの妻たちと床を共にするであろう。あなたは隠れて行ったが、わたしはこれを全イスラエルの前で、太陽の下で行う。』」 ダビデはナタンに言った。「わたしは主に罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」ナタンは自分の家に帰って行った。 主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった。 福音朗読マルコ 4・35−41マルコによる福音 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。 【任意・1月27日 聖アンジェラ・メリチおとめ】1470年頃、ベネチアのデゼンザーノに生まれる。フランシスコ第三会員の服装を身に着け、少女たちを集めて慈善の業を行うよう教えた。1535年、ブレーシアに、貧しい家庭の少女たちのキリスト教的教育を目的とする聖ウルスラ女子修道会を創立した。1540年に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】カトリックとプロテスタント どこが同じで、どこが違うか 徳善義和/編 百瀬文晃/編
2018.01.27
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東寺は密教美術の宝庫といわれ、約25,000点以上の寺宝を所蔵しています。本年は後七日御修法50回を記念して、「東寺と後七日御修法―弘法大師空海の宝物―」と題し、東寺の寺宝の中から後七日御修法に関する宝物を一同に公開します。なかでも国宝「兜跋毘沙門天立像」、国宝「密教法具」など、この特別展を機に東寺約1200年の寺宝に触れてみてはいかがでしょうか。※期間中、一部展示替えあり(前期=3月20日~4月23日 後期=4月24日~5月25日)日程:2018年3月20日(火)~5月25日(金)9:00~17:00 料金:500円 場所:東寺[教王護国寺]
2018.01.27
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第一朗読二テモテ 1・1−8使徒パウロのテモテへの手紙 キリスト・イエスによって与えられる命の約束を宣べ伝えるために、神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、愛する子テモテへ。父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。 わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、感謝しています。わたしは、あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びで満たされたいと願っています。そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。そういうわけで、わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。 第一朗読テトス 1・1−5使徒パウロのテトスへの手紙 神の僕、イエス・キリストの使徒パウロから――わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた人々の信仰を助け、彼らを信心に一致する真理の認識に導くためです。これは永遠の命の希望に基づくもので、偽ることのない神は、永遠の昔にこの命を約束してくださいました。神は、定められた時に、宣教を通して御言葉を明らかにされました。わたしたちの救い主である神の命令によって、わたしはその宣教をゆだねられたのです。――信仰を共にするまことの子テトスへ。父である神とわたしたちの救い主キリスト・イエスからの恵みと平和とがあるように。 あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。 福音朗読ルカ 10・1−9ルカによる福音 〔そのとき、〕主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」 テモテとテトスは使徒パウロの弟子であり、協力者である。テモテはエフェソの教会を、テトスはクレタの教会を指導した。パウロは彼らに「牧会書簡」と呼ばれる手紙を送り、その中で、司牧者と信者たちを育てるうえでの、すぐれた教えを述べている。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【送料無料】 カトリック教会のカテキズム / 日本カトリック司教協議会 【本】
2018.01.26
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宝厳院は臨済宗天龍寺派・大本山天龍寺の塔頭。室町時代、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建されました。庭園は天龍寺の開山・夢窓国師の法孫である策彦禅師の作とされ、春の特別公開では江戸時代の名所案内「都林泉名勝図会」にも紹介された嵐山を借景とする回遊式山水庭園「獅子吼(ししく)の庭」が公開されます。また本堂では襖絵「風河燦燦三三自在」(田村能里子画伯筆)も公開されます。日程:2018年3月中旬~6月30日(土)(予定)9:00~17:00 料金:500円(弘源寺割引共通券900円)※本堂襖絵拝観は別途500円必要 場所:宝厳院
2018.01.26
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1月26日の花言葉はミスミソウで「内緒・優雅」です。ミスミソウ(三角草、学名:Hepatica nobilis)とは、キンポウゲ科ミスミソウ属の多年草。雪の下でも常緑であることからユキワリソウ(雪割草)の名でも知られる。イチリンソウ属のAnemone hepatica L.とされることもある。特徴北半球の温帯に自生し、日本では本州の中部以西の山間地に多く生育する。葉は常緑で三角形に近く三つに分かれている。花弁のように見えるのは萼片で、白、紫、ピンク色などがある。栽培も盛んで、八重咲きや覆輪花の品種も作出されている。薬用中世ヨーロッパでは、葉の形が肝臓を連想させることから肝臓の病気の治療に用いられた。現在ではにきび、気管支炎、痛風などの治療に用いられることがある。引用:Wikipedia
2018.01.26
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永享元年(1429)に細川持之が夢窓国師の孫弟子・玉岫禅師を開山に迎え、創建した臨済宗天龍寺派の塔頭寺院です。春の特別公開では枯山水庭園「虎嘯の庭」、竹内栖鳳とその一門(上村松園・西山翠嶂・徳岡神泉ほか)など文化勲章受章者の日本画や毘沙門天立像(国指定重要文化財)などが公開されます。本堂の柱に残る刀傷は、禁門(蛤御門)の変(1864年)で天龍寺に陣を構えた長州藩の軍勢が試し切りをしたものです。日程:2018年3月中旬~5月中旬(予定)9:00~17:00 料金:500円(宝厳院割引共通券900円) 場所:弘源寺
2018.01.25
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1月25日の花言葉はフウキギクで「快活・常に輝かしく」です。シネラリア(英語: Florist's Cineraria、学名:P. × hybrida)とは、キク科の植物の1種。日本での生い立ち花屋では昔「シネラリア」と呼ばれていたキク科ペリカルリス属の園芸品種群を指す。 最近は「死ねラリア」と連想する人が多いので「サイネリア」と英語っぽい読みの流通名で販売されている。 昔の学者は、海外から導入された物に必ず和名を付けていた習わしから、この植物は「フキザクラ = 蕗櫻」と言う和名を松村博士が1896年に付けている。 葉がフキの葉に似た形でサクラのように株を覆い尽くすように咲く様から名付けられたと推測される。花屋では古くはフウキギク(富貴菊)、フウキザクラ(富貴桜)などとも呼ばれた事もあるが現在はいずれも使われていない。引用:Wikipedia
2018.01.25
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第一朗読使徒言行録 22・3−16使徒たちの宣教 〔その日、パウロは人々に言った。〕「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。 旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。わたしは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入りました。 ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。この人がわたしのところに来て、そばに立ってこう言いました。『兄弟サウル、元どおり見えるようになりなさい。』するとそのとき、わたしはその人が見えるようになったのです。アナニアは言いました。『わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』」 第一朗読使徒言行録 9・1−22使徒たちの宣教 〔その日、〕サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。 ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。 サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。 福音朗読マルコ 16・15−18マルコによる福音 〔そのとき、イエスは十一人の弟子に現れて、〕言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」 キリストの弟子たちを迫害していたサウロ(後のパウロ)はダマスコに向かう途中、復活したキリストと出会い、迫害者から信仰者に変わった(使徒言行録9・1−22)。パウロの回心をこの日に記念することの起源は定かではないが、5世紀後半の「ヒエロニムス殉教録」にはすでに記載されている。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】明治期カトリック聖歌集 E.ヘンゼラー/著 安足磨由美/著
2018.01.25
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第一朗読サムエル下 7・4−17サムエル記 〔その日、〕ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。 「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。 わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」 ナタンはこれらの言葉をすべてそのまま、この幻のとおりにダビデに告げた。 福音朗読マルコ 4・1−20マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。 イエスがひとりになられたとき、十二人と一緒にイエスの周りにいた人たちとがたとえについて尋ねた。そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。それは、 『彼らが見るには見るが、認めず、 聞くには聞くが、理解できず、 こうして、立ち帰って赦されることがない』ようになるためである。」 また、イエスは言われた。「このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」 1567年にフランスのサヴォア地方に生まれる。司祭に叙階されると、祖国のカトリック教会の復興のために尽力した。ジュネーブの司教に選ばれると、教区の聖職者や信者たちの指導に全力を尽くし、著作と活動によって彼らの信仰を育て、すべての人にとって模範となった。1622年12月28日にリヨンで没し、遺体はアンネシーに埋葬された。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですオーソドックスとカトリック どのように違うのか歴史と多様性を知る / 及川信 【本】
2018.01.24
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釈迦入滅の日とされるこの日、本堂で19:00頃から涅槃会法要が営まれます。その後、京都三大火祭りに数えられるお松明式が営まれ、境内の3基の大松明に、護摩木の火を移した藁束を順に投げ入れ点火。激しく燃え上がる炎は圧巻で、かつてはその炎の勢いで米の豊凶を占ったとされます。境内の狂言堂では、同日15:30、17:00、18:30の三度、重要無形民俗文化財に指定された嵯峨大念仏狂言が上演される予定です。日程:2018年3月15日(木)料金:無料 場所:清凉寺[嵯峨釈迦堂]
2018.01.24
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1月24日の花言葉はエリカで「幸運」です。エリカ属(-ぞく、学名:Erica)とはツツジ科の植物の属のひとつ。700種類以上の種があり、その大部分は南アフリカ原産で、残りの70種程度がアフリカの他の地域や地中海地方、ヨーロッパ原産である。特徴多くの種は高さ20-150cmほどの低木であるが、E. arborea、E. scopariaのように高さ6-7mに達する種もある。エリカの群生地としては、北ドイツの自然保護地区、リューネブルガーハイデが有名。また小説『嵐が丘』の館の周囲に生えていたのもエリカ、英語ではヒース(heath)と呼ばれる。引用:Wikipedia
2018.01.24
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本法寺は本阿弥光悦の菩提寺で長谷川等伯ゆかりの寺。「春の特別寺宝展」では、等伯が61歳の時、息子の久蔵の七回忌追善供養のために描いた、長さ10メートル幅6メートルに及ぶ日本最大級の涅槃図(重文)が公開されます。通常は複製を展示していますがこの期間に限り実物が公開されます。このほか光悦の作品をはじめ歴代上人の書画、光悦作の「巴の庭」も公開。※3月14日(水)は午前中に釈尊涅槃会が行われます。日程:2018年3月14日(水)~4月15日(日)10:00~16:00 料金:1,000円 場所:本法寺
2018.01.23
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1月23日の花言葉はフクジュソウで「幸福を招く・長寿」です。フクジュソウ(福寿草、学名:Adonis ramosa)は、キンポウゲ科の多年草。別名、ガンジツソウ(元日草)。毒草である。1月1日の誕生花。特徴日本では北海道から九州にかけて分布し山林に生育する。シノニム(同一種を指す同意語)の種小名である amurensis は「アムール川流域の」という意味。花期は初春であり、3-4cmの黄色い花を咲かせる。当初は茎が伸びず、包に包まれた短い茎の上に花だけがつくが、次第に茎や葉が伸び、いくつかの花を咲かせる。この花は花弁を使って日光を花の中心に集め、その熱で虫を誘引している。その為、太陽光に応じて開閉(日光が当たると開き、日が陰ると閉じる)する。葉は細かく分かれる。夏になると地上部が枯れる。つまり初春に花を咲かせ、夏までに光合成をおこない、それから春までを地下で過ごす、典型的なスプリング・エフェメラルである。根はゴボウのようなまっすぐで太いものを多数持っている。春を告げる花の代表である。そのため元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)の別名を持つ。福寿草という和名もまた新春を祝う意味がある。江戸時代より多数の園芸品種も作られている古典園芸植物で、緋色や緑色の花をつける品種もある。正月にはヤブコウジなどと寄せ植えにした植木鉢が販売される。ただし、フクジュソウは根がよく発達しているため、正月用の小さな化粧鉢にフクジュソウを植えようとすると根を大幅に切りつめる必要があり、開花後に衰弱してしまう。翌年も花を咲かせるためには不格好でもなるべく大きく深い鉢に植えられたフクジュソウを購入するとよい。露地植えでもよく育つ。また、根には強心作用、利尿作用があり民間薬として使われることがある。しかし、毒性(副作用)も強く素人の利用は死に至る危険な行為である。薬理作用、毒性共にアドニンという成分によるものと考えられている。花言葉は永久の幸福、思い出、幸福を招く、祝福。切手の意匠になった。1982年(昭和57年)7月5日発売 10円普通切手2003年(平成15年)4月1日発売 50円 日本郵政公社設立記念 四季花鳥図巻の部分図2012年(平成24年)12月3日発売 80円 季節の花シリーズ 第4集誤食地面から芽を出したばかりの頃は、フキノトウと間違えて誤食しやすい。また、若葉がヨモギの葉に似ている。症状は嘔吐、呼吸困難、心臓麻痺など。重症の場合死亡する[1]。テレビ信州で2007年3月30日放送の「情報ワイドゆうがたGet!」の特集コーナー「春うらら!花の里のんびり散歩!」で、テンプラを紹介し、女性リポーターが毒草と知らず食べてしまったが、幸い事故に至らず。引用:Wikipedia
2018.01.23
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第一朗読サムエル下 6・12b−15、17−19サムエル記 〔その日、〕王は直ちに出かけ、喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町に運び上げた。主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげた。主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。 人々が主の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置すると、ダビデは主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ終わると、ダビデは万軍の主の御名によって民を祝福し、兵士全員、イスラエルの群衆のすべてに、男にも女にも、輪形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を一つずつ分け与えた。民は皆、自分の家に帰って行った。 福音朗読マルコ 3・31−35マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】マリア・クロス 現代カトリック系作家の想像力作用のパターン ドナト・オドンネル/著 山形和美/訳
2018.01.23
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第一朗読サムエル下 5・1−7、10サムエル記 〔その日、〕イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」 イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。 ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した。 王とその兵はエルサレムに向かい、その地の住民のエブス人を攻めようとした。エブス人はダビデが町に入ることはできないと思い、ダビデに言った。「お前はここに入れまい。目の見えない者、足の不自由な者でも、お前を追い払うことは容易だ。」 しかしダビデはシオンの要害を陥れた。これがダビデの町である。 ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられた。 福音朗読マルコ 3・22−30マルコによる福音 〔そのとき、〕エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。 【任意・1月22日 聖ビンセンチオ助祭殉教者】サラゴサ(スペイン北東部)の教会の助祭であったビンセンチオは、ディオクレチアヌス帝による迫害のときにスペインのバレンシアで激しい拷問を受け、おそらく304年に殉教した。彼に対する崇敬は、直ちに教会中に広まった。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】アメリカのカトリック−人と霊性− 木鎌 安雄
2018.01.22
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境内に天皇の陵墓を擁し、皇室の菩提所であるため「御寺(みてら)泉涌寺」とも呼ばれています。仏殿で営まれる涅槃会法要は15日の10:00~13:00に行われます。掲げられる涅槃図は日本で最も大きく、長さ約16メートル、幅約8メートルの大作。天井を覆うように広げられますが、全容を一目で見ることができないほどです。狩野派に学んだ明誉古礀上人の筆とされます。日程:2018年3月14日(水)~16日(金)9:00~16:30 ※法要は15日(木)のみ 料金:500円 場所:泉涌寺
2018.01.22
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1月22日の花言葉はシンビジウムで「深窓の麗人」です。シンビジウム(Cymbidium)はラン科の植物。シンビデュームとも表記される。日本語では単に「シンビジウム」というときは、東南アジアに自生しているものを品種改良した洋ランに限定されるが、原義ではシュンラン属に分類される種の総称である。この項では洋ランとしてのこの類について述べる。属全体については該当項を参照のこと。特徴ラン系のバルブを持ち、そこから根出状に細長い葉を伸ばす。花はバルブの基部から出る茎について、単独か総状に多数の花をつけるが、洋ランとして扱われるものでは多数花をつけるものがほとんどである。花茎は立ち上がるかやや垂れ下がり、あるいは垂れて長く下向きに伸びる。花はこの属の特徴的なものだが、花弁が幅広く、全体に抱え気味に咲くものが多い。自生地東アジアに自生地はあるが、洋ランのシンビデュームとして品種改良に利用されたのは、インドからミャンマー、マレーシアなどに自生しているものを中心とする。なお、東洋ラン系の種も交配親として利用される例がある。引用:Wikipedia
2018.01.22
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第一朗読ヨナ 3・1−5、10ヨナの預言 主の言葉が再びヨナに臨んだ。「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。」 ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。 「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」 すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。 神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。 第二朗読一コリント 7・29−31使徒パウロのコリントの教会への手紙 兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。 福音朗読マルコ 1・14−20マルコによる福音 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【送料無料】 アルゼンチンカトリック教会の変容 国家宗教から公共宗教へ / 渡部奈々 【本】
2018.01.21
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本堂で開帳される涅槃図は、室町初期に画僧の明兆が描いたもので、涅槃図には珍しく猫が描かれています。猫が描かれない理由は、お釈迦様の生母摩耶夫人がお釈迦様を助けるために送ったネズミを猫が殺生したためなど諸説ありますが、東福寺の涅槃図では、猫が明兆の制作を手助けしたため、左端に書き加えられたといわれています。期間中、三門と龍吟庵が特別公開されます。日程:2018年3月14日(水)~16日(金)9:00~15:30(最終日は15:00) 料金:本堂無料、三門500円、龍吟庵500円 場所:東福寺
2018.01.21
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1月21日の花言葉はオンシジウムで「可憐」です。オンシジューム(Oncidium)あるいはオンシジウムは中南米を中心に分布する、約400種を含むラン科の大属。樹上で着生生活を営む。洋ランとしても広く親しまれる。概要樹上につく着生植物だが、岩の上につくものや地上性の種もある。バルブ(偽球茎)は卵形から円筒形、往々にして扁平になるが、持たない例もある。葉はバルブの先端から2枚程度つき、普通は革質だが、剣状や円筒形などになる例もある。またバルブの基部の節からも葉が出る。花茎はバルブの基部から出て、長い花茎を上から斜め上に伸ばし、複数花、往々に多数の花を総状、円錐状につける。花は唇弁が大きく広がり、これが花の大部分を占める。萼と側花弁はほぼ同型で、唇弁より幅狭くて小さい。学名の Oncidium はギリシア語の onkos(とげ、隆起)に指小辞をつけたもので、唇弁の基部に隆起のあるさまをいったものといわれる。属内の花色は黄色がもっとも多い。利用洋ランとして栽培され、また切り花などとしても流通する。本属は、かつては400種を擁する大きな属で、鑑賞価値が高いものが数多くあった。それらを便宜的に薄葉系、厚葉系などに分けるのが普通であった。そのなかでもっとも普及していたものは黄色く広がった唇弁が目立つ花を多数つけるもので[2]、原種としてはOnc. flexuosum (Gomesa flexuosa のシノニム)や Onc. varicosum (Gomesa varicosa のシノニム)があげられる。それらを中心に作出された交配品が数多く、現在この類の代表とされるアロハイワナガもこの系列にある。しかし、最近では小型の原種、ケイロフォルム (Onc. cheirophorum) や、同じく小型でピンク花をつけるオルニソリンクム (Onc. ornithorhynchum)、およびそれらの交配種もよく市場に流通する。またオブリザタム (Onc. obryzatum )は小さな花が多数つくことで評価が高い。近年、分類学的な見直しによって、この属から分離されて他の属に移動したり、新属として独立する種が出てきている。上記の黄色い唇弁の種も、上記のように別属とされるようになっている。しかし現在もそれらはオンシジウムの名で流通しており、これは当分続くものと思われる。引用:Wikipedia
2018.01.21
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第一朗読サムエル下 1・1−4、11−12、19、23−27サムエル記 〔その日、〕ダビデはアマレク人を討ってツィクラグに帰り、二日過ごした。三日目に、サウルの陣営から一人の男がたどりついた。衣服は裂け、頭に土をかぶっていた。男はダビデの前に出ると、地にひれ伏して礼をした。ダビデは尋ねた。「どこから来たのだ。」「イスラエルの陣営から逃れて参りました」と彼は答えた。「状況はどうか。話してくれ」とダビデは彼に言った。彼は言った。「兵士は戦場から逃げ去り、多くの兵士が倒れて死にました。サウル王と王子のヨナタンも亡くなられました。」 ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。共にいた者は皆それに倣った。彼らは、剣に倒れたサウルとその子ヨナタン、そして主の民とイスラエルの家を悼んで泣き、夕暮れまで断食した。 〔そしてはダビデ言った。〕 「イスラエルよ、『麗しき者』は お前の高い丘の上で刺し殺された。 ああ、勇士らは倒れた。 サウルとヨナタン、愛され喜ばれた二人 鷲よりも速く、獅子よりも雄々しかった。 命ある時も死に臨んでも 二人が離れることはなかった。 泣け、イスラエルの娘らよ、サウルのために。 紅の衣をお前たちに着せ お前たちの衣の上に 金の飾りをおいたサウルのために。 ああ、勇士らは戦いのさなかに倒れた。 ヨナタンはイスラエルの高い丘で刺し殺された。 あなたを思ってわたしは悲しむ 兄弟ヨナタンよ、まことの喜び 女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。 ああ、勇士らは倒れた。 戦いの器は失われた。」 福音朗読マルコ 3・20−21マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。 【任意・1月20日 聖ファビアノ教皇殉教者】236年にローマ司教に選ばれ、聖チプリアノが伝えているとおり、デキウス帝による迫害が始まった250年に殉教し、カリストの墓地に埋葬された。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)【任意・1月20日 聖セバスチアノ殉教者】ディオクレチアヌス帝による迫害の初期(3世紀末)にローマで殉教した。彼の墓は、アッピア街道沿いのカタコンブにあり、古代末期から信者の崇敬の対象とされている。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史 講談社現代新書 / 永田諒一著 【新書】
2018.01.20
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渡月橋近くの山の中腹にある虚空蔵法輪寺。境内からの眺望が素晴らしいお寺です。本尊の虚空蔵菩薩は技芸・芸能の守護仏。本堂で法要が営まれた後、茂山忠三郎社中による狂言が奉納されます。同寺では技芸上達のお守り(700円)が授与され、この機会にと多くの参詣の人々でにぎわいます。日程:2018年3月10日(土)13:00~ 料金:無料 場所:法輪寺
2018.01.20
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1月20日の花言葉はストックで「不変の愛・逆境に堅実」です。アラセイトウ属(アラセイトウぞく、学名 Matthiola) は、アブラナ科の属の1つ。マッティオラ属ともいう。この属名は、シエーナの医師で博物学者だったピエトロ・アンドレア・マッティオリ (Pietro Andrea Mattioli) に献名された。この属には48種が含まれる。木本または草本[1]。マデイラ諸島とカナリア諸島、南ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアに自生する。本属の植物を総称してストック(stock)と呼ぶこともある。ただし、バージニアストック (Virginia stock, Malcolmia maritima) は、アラセイトウ属ではなく、同じアブラナ科のマルコルミア属である。引用:Wikipedia" />
2018.01.20
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1月19日の花言葉はクンシランで「貴い・望みを得る」です。クンシラン(君子蘭)属 Clivia は南アフリカ共和国とスワジランドに産するヒガンバナ科の属のひとつで、クリビア ミラビリス Clivia mirabilis を除き森林の薄暗い場所に自生する。「ラン」とつくが「ラン科」ではない。クロンキスト体系ではユリ科に含める。他のヒガンバナ亜科の植物の多くは地中に鱗茎を形成するが、本属と近縁のクリプトステファヌス属 Cryptostephanus では太い根を張るのみで鱗茎はない、根の様子だけみれば遠縁ではあるがムラサキクンシラン属 Agapanthus のものに良く似ている。ウケザキクンシラン(受咲き君子蘭)Clivia miniata の園芸品種が日本国内では良く知られている。引用:Wikipedia
2018.01.19
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第一朗読サムエル上 24・3−21サムエル記 〔その日、〕サウルはイスラエルの全軍からえりすぐった三千の兵を率い、ダビデとその兵を追って「山羊の岩」の付近に向かった。途中、羊の囲い場の辺りにさしかかると、そこに洞窟があったので、サウルは用を足すために入ったが、その奥にはダビデとその兵たちが座っていた。ダビデの兵は言った。「主があなたに、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよい』と約束されたのは、この時のことです。」ダビデは立って行き、サウルの上着の端をひそかに切り取った。しかしダビデは、サウルの上着の端を切ったことを後悔し、兵に言った。「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ。」 ダビデはこう言って兵を説得し、サウルを襲うことを許さなかった。サウルは洞窟を出て先に進んだ。ダビデも続いて洞窟を出ると、サウルの背後から声をかけた。「わが主君、王よ。」サウルが振り返ると、ダビデは顔を地に伏せ、礼をして、サウルに言った。「ダビデがあなたに危害を加えようとしている、などといううわさになぜ耳を貸されるのですか。今日、主が洞窟であなたをわたしの手に渡されたのを、あなた御自身の目で御覧になりました。そのとき、あなたを殺せと言う者もいましたが、あなたをかばって、『わたしの主人に手をかけることはしない。主が油を注がれた方だ』と言い聞かせました。わが父よ、よく御覧ください。あなたの上着の端がわたしの手にあります。わたしは上着の端を切り取りながらも、あなたを殺すことはしませんでした。御覧ください。わたしの手には悪事も反逆もありません。あなたに対して罪を犯しませんでした。それにもかかわらず、あなたはわたしの命を奪おうと追い回されるのです。主があなたとわたしの間を裁き、わたしのために主があなたに報復されますように。わたしは手を下しはしません。古いことわざに、『悪は悪人から出る』と言います。わたしは手を下しません。イスラエルの王は、誰を追って出て来られたのでしょう。あなたは誰を追跡されるのですか。死んだ犬、一匹の蚤ではありませんか。主が裁き手となって、わたしとあなたの間を裁き、わたしの訴えを弁護し、あなたの手からわたしを救ってくださいますように。」 ダビデがサウルに対するこれらの言葉を言い終えると、サウルは言った。「わが子ダビデよ、これはお前の声か。」サウルは声をあげて泣き、ダビデに言った。「お前はわたしより正しい。お前はわたしに善意をもって対し、わたしはお前に悪意をもって対した。お前はわたしに善意を尽くしていたことを今日示してくれた。主がわたしをお前の手に引き渡されたのに、お前はわたしを殺さなかった。自分の敵に出会い、その敵を無事に去らせる者があろうか。今日のお前のふるまいに対して、主がお前に恵みをもって報いてくださるだろう。今わたしは悟った。お前は必ず王となり、イスラエル王国はお前の手によって確立される。」 福音朗読マルコ 3・13−19マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリック教会論への招き / 増田祐志 【本】
2018.01.19
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圓徳院は豊臣秀吉の菩提を弔うために北政所ねねが建立した高台寺の塔頭でねねの実家・木下家の菩提寺です。見事な庭園をゆっくりと眺めながら、普段は見ることのできない特別展示が楽しめます。日程:2018年3月9日(金)~5月6日(日)10:00~17:00 料金:500円(高台寺との共通券900円) 場所:圓徳院
2018.01.19
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1月18日の花言葉はパフィオペジラムで「優雅な装い」です。パフィオペディルム(パフィオペディラム Paphiopedilum)は、袋状の唇弁が特徴的なラン科植物で、洋ランの一属として知られる。洋ランとしての略称はPaph.である。形態地上に根を下ろす地生蘭もしくは半着生蘭であり、洋ランでは少数派に属する。茎はごく短く、葉は幅広い楕円形で平たく、根出状に重なる。花は、長い花茎の先に単独か、少数を穂状につける。花の外3弁のうち上向きの弁は幅広く、大きくなり、側面の2弁は互いに融合して、唇弁の背景になる。内3弁のうち側方2弁は細く、横に張る。唇弁は袋状、またはつぼ状になる。蕊柱はさじ型で、唇弁の口をふさぐような位置にある。その上面を覆う平らな部分は雄しべに由来するもので稔性はなく、仮雄蕊と呼ばれる。その下面の平らな部分が柱頭に当たる。雄しべは基部の左右側面にある。これは普通のラン科では蕊柱の先端に雄しべ、基部下側に柱頭があるという配置と大きく異なり、アツモリソウ亜科の特徴である。同亜科の中では、中南米に産するフラグミペディウム属 Phragmipedium に共通性が多い。名前について名前は女神のスリッパ(サンダル)を意味する。英語で「レディースリッパ (Ladyslipper)」とも。花の形が丁度女性の靴を思い起こさせる形をしているところから。古くはクマガイソウ・アツモリソウと同じくアツモリソウ属(Cypripedium)とされ、この属の学名仮名読みのシプリペジュームの名で流通した。現在、葉(常緑性の革質葉)、仮雄しべ(多肉質)、自生場所の違い等によって別の属に分けられている。「洋」ランのイメージが強いが、日本での栽培の歴史も浅くはなく、歴史的に水戸徳川家のコレクションが有名。現在、このコレクションは水戸市植物園等で栽培が続いている。また、袋状の花弁が食虫植物を思わせるため、虫を取ると良く言われるが、事実無根である。引用:Wikipedia
2018.01.18
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第一朗読サムエル上 18・6−9、19・1−7サムエル記 〔その日、〕皆が戻り、あのペリシテ人を討ったダビデも帰って来ると、イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、太鼓を打ち、喜びの声をあげ、三絃琴を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えた。女たちは楽を奏し、歌い交わした。 「サウルは千を討ち ダビデは万を討った。」 サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った。「ダビデには万、わたしには千。あとは、王位を与えるだけか。」この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになった。 サウルは、息子のヨナタンと家臣の全員に、ダビデを殺すようにと命じた。しかし、サウルの息子ヨナタンはダビデに深い愛情を抱いていたので、ダビデにこのことを告げた。「わたしの父サウルはあなたを殺そうとねらっている。朝になったら注意して隠れ場にとどまり、見つからないようにしていなさい。あなたのいる野原にわたしは出て行って父の傍らに立ち、あなたについて父に話してみる。様子を見て、あなたに知らせよう。」 ヨナタンは父サウルにダビデをかばって話した。「王がその僕であるダビデのゆえに、罪を犯したりなさいませんように。彼は父上に対して罪を犯していないばかりか、大変お役に立っているのです。彼が自分の命をかけてあのペリシテ人を討ったから、主はイスラエルの全軍に大勝利をお与えになったのです。あなたはそれを見て、喜び祝われたではありませんか。なぜ、罪なき者の血を流し、理由もなくダビデを殺して、罪を犯そうとなさるのですか。」サウルはヨナタンの言葉を聞き入れて誓った。「主は生きておられる。彼を殺しはしない。」 ヨナタンはダビデを呼んで、これをすべて彼に告げた。ヨナタンはサウルのもとにダビデを連れて行き、ダビデはこれまでどおりサウルに仕えることになった。 福音朗読マルコ 3・7−12マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。 キリスト教一致祈祷週間(1月18日~25日まで) 「すべての人を一つにしてください」という最後の晩さんでのイエスの祈りに耳を傾けるわたしたちはまた、折にふれて目に見える一致を示すように求められています。それは、ともに祈り、支え合うことによって、神がすべての人の救いのためにイエスを遣わしたことを「世が信じるため」です(ヨハネ17・21-23参照)。 キリスト教諸教会の間で毎年1月18日から25日に定められている一致祈祷週間は、このことを強く意識する機会となるでしょう。この一致祈祷週間のために、教皇庁キリスト教一致推進評議会と世界教会協議会は1968年以来、毎年テーマを決め、「礼拝式文」と「8日間のための聖書と祈り」を作成しています。(カトリック中央協議会刊『カトリック教会情報ハンドブック2013』より一部)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリックの信仰
2018.01.18
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北政所ねねが豊臣秀吉の菩提を弔うために創建した寺で、「蒔絵の寺」とも称されます。桃山時代の豪奢な装飾に彩られた「高台寺蒔絵」と総称される調度品で飾られた霊屋は必見。春の特別展では選りすぐりの逸品を展観。同期間、夜間特別拝観が実施され、ライトアップも行われます。日程:2018年3月9日(金)~5月6日(日)9:00~22:00(受付終了21:30) 料金:600円(掌美術館含) 場所:高台寺
2018.01.18
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第一朗読サムエル上 17・32−33、37、40−51サムエル記 〔その日、〕ダビデはサウルに言った。「あの男のことで、だれも気を落としてはなりません。僕が行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」サウルはダビデに答えた。「お前が出てあのペリシテ人と戦うことなどできはしまい。お前は少年だし、向こうは少年のときから戦士だ。」ダビデは更に言った。「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるにちがいありません。」サウルはダビデに言った。「行くがよい。主がお前と共におられるように。」〔ダビデは〕自分の杖を手に取ると、川岸から滑らかな石を五つ選び、身に着けていた羊飼いの投石袋に入れ、石投げ紐を手にして、あのペリシテ人に向かって行った。 ペリシテ人は、盾持ちを先に立て、ダビデに近づいて来た。彼は見渡し、ダビデを認め、ダビデが血色の良い、姿の美しい少年だったので、侮った。このペリシテ人はダビデに言った。「わたしは犬か。杖を持って向かって来るのか。」そして、自分の神々によってダビデを呪い、更にダビデにこう言った。「さあ、来い。お前の肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう。」だが、ダビデもこのペリシテ人に言った。「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。今日、主はお前をわたしの手に引き渡される。わたしは、お前を討ち、お前の首をはね、今日、ペリシテ軍のしかばねを空の鳥と地の獣に与えよう。全地はイスラエルに神がいますことを認めるだろう。主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される。」 ペリシテ人は身構え、ダビデに近づいて来た。ダビデも急ぎ、ペリシテ人に立ち向かうため戦いの場に走った。ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げ紐を使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。ダビデは石投げ紐と石一つでこのペリシテ人に勝ち、彼を撃ち殺した。ダビデの手には剣もなかった。ダビデは走り寄って、そのペリシテ人の上にまたがると、ペリシテ人の剣を取り、さやから引き抜いてとどめを刺し、首を切り落とした。ペリシテ軍は、自分たちの勇士が殺されたのを見て、逃げ出した。 福音朗読マルコ 3・1−6マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。 「修道生活の父」として知られるアントニオは、250年頃エジプトで生まれた。両親の死後、財産を貧者に分け与えて荒れ野に引きこもり、そこで禁欲の生活を始め、多くの弟子が彼に師事した。ディオクレチアヌス帝による迫害のときに信仰のために苦しみを受けている人々を支え、アリウス派に対して戦った聖アタナシオを助けることなどによって、教会のために働いた。356年に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です教会法で知るカトリック・ライフQ&A40 (ドン・ボスコ新書)[本/雑誌] / 菅原裕二/著
2018.01.17
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京都の東山界隈は法観寺(八坂の塔)や清水寺など有名な寺院・神社が数多く集まる場所。京都・東山花灯路-2018は散策路を、優しいLEDの露地行灯などの「灯り」といけばな作品の「花」で彩ります。しっとりと演出された日本情緒豊かな景色が、訪れる人々を先へ先へと誘います。日程:2018年3月9日(金)~18日(日)18:00~21:30(雨天決行) 料金:散策無料(寺院・神社の拝観等は別途必要) 場所:東山地域(青蓮院~円山公園~清水寺) 電話:075-212-8173(京都・花灯路推進協議会事務局)平日10:00~18:00
2018.01.17
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1月17日の花言葉はフキノトウで「待望」です。フキ(蕗、苳、款冬、菜蕗、学名:Petasites japonicus (Siebold et Zucc.) Maxim.[1])は、キク科フキ属の多年草、雌雄異株。特徴日本原産で、北海道、本州、四国、九州及び沖縄県に分布し、北は樺太から朝鮮半島や中国大陸でも見られる。山では沢や斜面、河川の中洲や川岸、林の際などで多く見られる。郊外でも河川の土手や用水路の周辺に見られ、水が豊富で風があまり強くない土地を好み繁殖する。近縁種は旧世界に広く分布し、ハーブとして利用される。また、幻覚作用の報告されている種もある。なお、現在、栽培種として市場に出回っている多くのフキは愛知早生という品種であり、愛知県東海市が生産量日本一である。関東地方以北には、2mほどにも伸びる秋田蕗があり、全国的にも有名である。こうした、巨大な蕗は倍数体によるものである。特に寒冷地では牧草地で大繁殖する。家畜が食べないので畜産農家からは嫌われている。アキタブキのうち、北海道・足寄町の螺湾川(らわんがわ)に沿って自生するラワンブキは高さ2-3mに達し、北海道遺産に指定されている。引用:Wikipedia
2018.01.17
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毎年3月9日に行われる特殊神事で、1年間の順調な天候と適度な水の恵み、五穀豊穣を祈るお祭りです。かつて貴船神社で行われていた「雨乞祈願」の手振りを今に伝えるもので、明治の頃までは貴船山中の雨乞の滝で行われていました。現在は神殿で祝詞奏上の後、神酒と御神塩をまぜた手桶の御神水を「雨たもれ、雨たもれ!雲にかかれ、鳴神じゃ!」と唱えながら天に向けて散水します。その後、1年間に奉納された絵馬のお焚き上げも行われます。日程:2018年3月9日(金)10:00~ 料金:無料 場所:貴船神社
2018.01.16
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1月16 日の花言葉はカニサボテンで「恋の年頃」です。
2018.01.16
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第一朗読サムエル上 16・1−13サムエル記 〔その日、〕主はサムエルに言われた。「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした。」サムエルは言った。「どうしてわたしが行けましょうか。サウルが聞けばわたしを殺すでしょう。」主は言われた。「若い雌牛を引いて行き、『主にいけにえをささげるために来ました』と言い、いけにえをささげるときになったら、エッサイを招きなさい。なすべきことは、そのときわたしが告げる。あなたは、わたしがそれと告げる者に油を注ぎなさい。」サムエルは主が命じられたとおりにした。彼がベツレヘムに着くと、町の長老は不安げに出迎えて、尋ねた。「おいでくださったのは、平和なことのためでしょうか。」「平和なことです。主にいけにえをささげに来ました。身を清めて、いけにえの会食に一緒に来てください。」 サムエルはエッサイとその息子たちに身を清めさせ、いけにえの会食に彼らを招いた。彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った。しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」エッサイはアビナダブを呼び、サムエルの前を通らせた。サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」エッサイは次に、シャンマを通らせた。サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った。「主はこれらの者をお選びにならない。」サムエルはエッサイに尋ねた。「あなたの息子はこれだけですか。」「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」とエッサイが答えると、サムエルは言った。「人をやって、彼を連れて来させてください。その子がここに来ないうちは、食卓には着きません。」エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。 福音朗読マルコ 2・23−28マルコによる福音 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】オーソドックスとカトリック どのように違うのか歴史と多様性を知る 及川信/著
2018.01.16
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1月15日の花言葉はセントウソウで「」です。セントウソウ (Chamaele decumbens) は、セリ科セントウソウ属の小柄な草で、早春に花が咲く。特徴柔らかで小柄な多年草である。根茎は短くて分枝し、株立ちになる。葉は根出葉を多数だし、高さはせいぜい10cm。葉柄は紫色を帯び、葉は緑か深緑、全体につやがあって無毛。葉身は3回羽状複葉に細かく裂けるが、より裂ける回数が少ない例もある。小葉は先の広がった三角形に近く、先端側は鋸歯状に切れ込む。花は4-5月に咲く、真っ白な5枚花弁は先端がわずかに内側に曲がり、5本の白い雄蕊が突き出る。花茎は高さ10-30cm、密生する葉の上に抜き出て複散形花序をなし、苞葉はない。個々の花は小さくて目立たないが、白くてまとまってつくので、薄暗い林床では全体としてはよく目立つ。名前の由来はわからないと牧野も書いている。岡崎は仙洞草の字を当てている。別名をオウレンダマシといい、これはオウレンに似ていることによる。生育環境森林の林床から林縁部に生える。分布北海道から九州まで分布する。日本固有種である。利害春早くに咲く花は、花の少ない季節でもあり、目を引くが、それ以外には利害関係はない。引用:Wikipedia
2018.01.15
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細見コレクションといえば「若冲」と「琳派」といわれるほど日本美術を象徴するジャンルになりました。開館20周年を記念して行われる展覧会の第二弾は、19世紀前期に江戸で花開いた「江戸琳派」。酒井抱一(1761~1828)、鈴木其一(1796~1858)の作品を中心に江戸琳派の優雅な花鳥画を一堂に展示し、今もなお愛され続ける作風の全容に迫ります。美術館とともに歩んできた彼らの作品の数々をご覧ください。日程:2018年3月3日(土)~4月15日(日)10:00~18:00(受付終了17:30) 料金:1,300円 場所:細見美術館
2018.01.15
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