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欧米で19世紀末から20世紀初頭にかけて全盛を極めた工芸や建築、グラフィック・アートなどの多岐にわたる装飾様式で流れるような曲線によって構成されていることを特徴とするアール・ヌーヴォー。本展では、そのアール・ヌーヴォー様式によるヨーロッパ名窯の作品の数々を、国内において総合的に紹介する初の展覧会です。セーヴルやロイヤル・コペンハーゲン、マイセンなどの作品を中心に関連作品と合わせて、約200点を展示し多彩な様相を紹介します。日程:2017年2月28日(火)~4月9日(日)10:00~18:00(受付終了17:30) 料金:1,300円 場所:細見美術館
2017.01.31
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第一朗読ヘブライ 12・1−4ヘブライ 12・1−4 〔皆さん、〕わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。 あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。 福音朗読マルコ 5・21−43マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。 大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。 1815年、トリノ教区のカステルヌオーボ近郊に生まれる。辛苦に満ちた幼少期を経て司祭となり、青少年の教育に全力を注ぎ、若者に職業やキリスト教的生活を修得させる修道会(サレジオ会)を創立した。また、多くの護教的な著作をも著した。1888年に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですスポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪【電子書籍】[ ボストン・グローブ紙《スポットライト》チーム ]
2017.01.31
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1月31日の花言葉はギョリュウバイで「蜜月」です。ギョリュウバイ(檉柳梅、学名:Leptospermum scoparium)はフトモモ科ギョリュウバイ属の常緑低木。特徴桃色の花が美しいため栽培される。ニュージーランドとオーストラリア南東部原産。ギョリュウバイの名は、ギョリュウに似て葉が小さく、花がウメに似ることから。ギョリュウ科のギョリュウ(檉柳)ともバラ科のウメとも関係がない。針葉樹のネズに似るのでネズモドキの別名もある。またマオリ語でマヌカ(Manuka)ともいう。葉がお茶や煎じ薬として利用されてきたことからティーツリー(英語では"Tea tree")ともいうが、アロマテラピーで利用されている同名のハーブ(学名Melaleuca alternifolia)とは同じフトモモ科であるものの、別種である。そこでこれらを区別するために、ギョリュウバイは、New Zealand teatreeとも呼ばれる。 .利用原生地では蜂蜜の蜜源としても好まれ、蜂蜜はマヌカハニー(英: Manuka honey)と呼ばれている。マヌカハニーはピロリ菌駆除力、殺菌力を持ち、民間療法で、胃炎に対し、効果があることが報告されている。 整腸・美肌にも良いとされ、オイルマッサージ用のエッセンシャルオイルや化粧石けん、ローションなどの化粧品に加工されている。引用:Wikipedia
2017.01.31
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北野天満宮の御祭神である天神さまの祥月命日にあたる2月25日に斎行される梅花祭。900年以上も前から執り行われてきました。神前には天神さまがことのほか梅を愛したことから、梅花を添えた御神饌や御供が供えられます。10:00からは境内に地元・上七軒の芸舞妓による野点の茶席が設けられ、梅の花の美しさに一層の華やぎが添えられます。日程:2017年2月25日(土)10:00~ 料金:野点拝服券1,500円(宝物殿拝観と御供物付) 場所:北野天満宮
2017.01.30
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1月30日の花言葉はカルセオラリアで「助け合い」です。カルセオラリア(Calceolaria)はチリ、メキシコ、ペルー、ニュージーランドなどを原産とするゴマノハグサ科の多年草または低木で、200種ほどあり、花を観賞するために栽培される。キンチャクソウ(巾着草)ともいい、これは花弁の下側が袋状になっているのを巾着に例えたもの。カルセオラリアという名前はラテン語で小さな靴(スリッパ)を意味する「カルセオルス」という言葉に由来する。特に雑種起源のC. X herbeohybrida がよく栽培される。花色は赤、黄色など。日本では普通、秋蒔き一年草として扱い、春に開花する。このほかにもいろいろな雑種が栽培されている。カルセオラリア属はゴマノハグサ科の他のグループと系統が大きく異なるとされ、新しいAPG植物分類体系では他の2属とともにカルセオラリア科(Calceolariaceae)とされている。引用:Wikipedia
2017.01.30
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第一朗読ヘブライ 11・32−40ヘブライ人への手紙 〔皆さん、〕これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました。女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。また、他の人たちはあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるという目に遭いました。彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は彼らにふさわしくなかったのです。 ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。 福音朗読マルコ 5・1−20マルコによる福音 〔そのとき、イエスと弟子たちは、〕湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。 ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です極みなく美しき声の告げ / 『カトリックグラフ』特別取材班 【本】
2017.01.30
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およそ100年に及ぶ戦国時代を全国各地の貴重な歴史資料、美術工芸品などにより網羅的に紹介する「戦国時代展」を開催します。毛利元就、上杉謙信、織田信長といった列島各地で台頭した個性際立つ戦国武将たちや、時の権力者たちのために作品を描き続けた狩野派絵師たちの思いを追っていきます。「国宝 洛中洛外図屏風 上杉本」をはじめ合戦の様子を伝える屏風、甲冑や刀などの名品を一堂に展示。激動の時代を逞しく生きた人々の生き様に迫ります。日程:2017年2月25日(土)~4月16日(日)10:00~18:00(受付終了17:30)※金曜日は~19:30(受付終了19:00) 料金:1,300円 場所:京都文化博物館
2017.01.29
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第一朗読ゼファニヤ 2・3、3・12−13ゼファニヤの預言主を求めよ。主の裁きを行い、苦しみに耐えてきたこの地のすべての人々よ恵みの業を求めよ、苦しみに耐えることを求めよ。主の怒りの日にあるいは、身を守られるであろう。わたしはお前の中に苦しめられ、卑しめられた民を残す。彼らは主の名を避け所とする。イスラエルの残りの者は不正を行わず、偽りを語らない。その口に、欺く舌は見いだされない。彼らは養われて憩い彼らを脅かす者はない。 第二朗読一コリント 1・26−31使徒パウロのコリントの教会への手紙 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。 福音朗読マタイ 5・1−12aマタイによる福音 〔そのとき、〕イエスは群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。 「心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる。 柔和な人々は、幸いである、 その人たちは地を受け継ぐ。 義に飢え渇く人々は、幸いである、 その人たちは満たされる。 憐れみ深い人々は、幸いである、 その人たちは憐れみを受ける。 心の清い人々は、幸いである、 その人たちは神を見る。 平和を実現する人々は、幸いである、 その人たちは神の子と呼ばれる。 義のために迫害される人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」 カトリック児童福祉の日・献金(1月の最終日曜日) 「カトリック児童福祉の日」は、子どもたちが使徒職に目覚め、思いやりのある人間に成長することを願って制定されました。この日にはまず第一に、子どもたちが自分たちの幸せだけでなく世界中の子どもたちの幸せを願い、そのために祈り、犠牲や献金をささげます。毎日のおやつや買いたいものなどを我慢してためた子どもたち自身のお小遣いの中から献金することが勧められています。日本では、各教会だけでなく、カトリック系の幼稚園や保育園の大勢の子どもたちがこの日の献金に協力しています。 この日の献金は全世界からローマ教皇庁に送られ、世界各地の恵まれない子どもたちのために使われます。(カトリック中央協議会刊『カトリック教会情報ハンドブック』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリック [ スティーヴン・F.ブラウン ]
2017.01.29
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1月29日の花言葉はハナアナナスで「蓄える」です。ハナアナナス(学名:Tillandsia cyanea Linden ex K.Koch)は、ハナアナナス属の植物の1つ。紫の目立つ花をつける。この属のものは葉の表面に毛が多くて空中の湿気を吸収する、いわゆるエアープランツが多いが、本種は比較的普通の植物っぽく、鉢植えで栽培される。特徴多年生の草本で、茎はごく短く、葉を根出状に出す[2]。葉は20-30出る。長さ35cm以下で幅は10-15mm、線形から細い三角形で先端は細く尖り、小さな鱗片があり、基部には紫褐色の縦筋が出る。葉鞘は楕円形で長さ6cm。葉は弓状に反り返り、濃灰緑色。花茎は葉の間から出て、直立する茅や斜めに伸びる。茎の部分は葉の間に隠れ、花茎の方は深く瓦のように重なり合い、下部のものは葉状、上部のものは長楕円形で先端が尖る。その先に穂状花序を一つだけ着ける。花序は40以上の花を羽状につけたもので、長楕円形で先端は丸くなっているか広く尖り、長さは16cmまで、幅は約7cm。花を包む苞は楕円形で先端が尖り、竜骨状で革質、淡紅色から赤に淡緑色の鱗片がある。萼片は互いに離れ、楕円形で先端はやや尖り、長さ35mm。花弁は濃い菫色、菱形に近い円形で長さ20-25mm、大きく開く。雄蘂は花の内部に隠れ、雌蘂は突き出す。分布と生育環境エクアドル原産。基本変種はエクアドル南部の標高1700m付近に分布し、より低い地域に生育する変種と、コロンビアにまで分布のある変種がある。着生植物であり、湿った多雨林で高木の上の方に着生する。引用:Wikipedia
2017.01.29
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1月28日の花言葉はエンドウで「未来の喜び」です。エンドウ(豌豆、学名:Pisum sativum L.)は、マメ科の一・二年草。広く栽培され、食用となっている。一般に、エンドウマメとも。別名にノラマメ、グリーンピース(未熟の種子を食用とする場合の呼び方)、サヤエンドウ(莢豌豆・絹莢、未熟の莢を食用とする場合の呼び方)。日本での栽培種には、ウスイエンドウ(うすい豆)[1]、キヌサヤエンドウ、オランダエンドウ、がある。古代オリエント地方や地中海地方で麦作農耕の発祥とともに栽培化された豆で、原種は近東地方に今日でも野生している P. humile Boiss. et Noö. と推察されている。もともとは麦類の間で雑草として生えてきたこの原種の野生植物を、種実を食用にしたり、根粒菌による土の肥沃化に効果があるなどの利用価値を発見することで、麦類とともに混ぜ植え栽培するようになり、次第に栽培植物として品種改良が進んだと考えられている。この地域では農耕開始期に、カラスノエンドウもエンドウと同時に同様の利用が行われ始めたが、こちらの栽培利用はその後断絶し、今日では雑草とみなされている。また、同じ地域に起源を持つマメ科作物としては、ソラマメ、レンズマメ、ヒヨコマメが挙げられる。麦作農耕とともにユーラシア各地に広まり、中国に伝わったのは5世紀、日本へは9-10世紀には伝わった。 また、メンデルが実験材料としたことでも知られている。特徴さやの硬さにより、硬莢種(こうきょうしゅ) P. s. ssp. arvense Poir. と軟莢種(なんきょうしゅ)P. s. ssp.hortense Asch. がある。硬莢種はその名のとおり莢(さや)が固く、主として完熟して乾燥した豆を収穫して利用する。花は紅色である。軟莢種は莢が柔らかく、未熟な莢をサヤエンドウとして利用したり、成長を終えて乾燥前の生の豆をグリーンピースとして利用する。花は白いものが多い。スナップエンドウは軟莢種の中でも豆が大きく成長しても莢が柔らかく、豆と莢の両方を野菜として利用できる品種である。原産地が冬に雨が多い地中海性気候の近東地方であるため、夏の高温期は成長適期ではなく、麦類と同様に基本的には秋まきして翌春収穫する。冬の寒さの厳しい東北北部や北海道では春まきして初夏に収穫する。連作に弱く、一度栽培した土地では数年間栽培が困難となる。また、原産地が土壌にカルシウムなどが多い乾燥地帯であることから想像できるように、酸性土壌にも弱い。発芽に際しては同じマメ科のダイズのように胚軸が伸張して地上で子葉を双葉として展開するのではなく、上胚軸だけが伸張して地上に本葉だけを展開し、子葉は地中に残る。食品として 硬莢種は古くから乾燥種実として利用されており、日本ではアオエンドウは煎り豆、煮豆、餡(鶯餡)などに加工され、アカエンドウはみつまめやゆで豆として利用される。ヨーロッパでは煮込んでスープなどとして利用されてきた。しかし、今日、世界中でもっとも大量に消費されているのは乾燥していない未熟の莢や種実を野菜として利用する軟莢種である。東アジアでは未熟な莢を利用するサヤエンドウとして、インドから西では完熟直前の種実を利用するグリーンピースとして、主に消費されている。両者の性質を兼ね備えたのがスナップエンドウで、グリーンピースと同様に種実が完熟寸前まで大きく成長したものを収穫するが、莢もサヤエンドウと同様にやわらかく、果実全体が食べられる。2004年には、サッポロビールによりエンドウのタンパクを用いた第三のビールが開発され、新たな食品を生み出す素材として注目を浴びた。種実以外の利用もあり、若い苗や蔓の先の柔らかい茎葉も野菜として利用される。中国ではこれを豆苗(トウミョウ)と呼ぶ。メンデルの実験材料としてメンデルは遺伝の研究を行ない、現在はメンデルの法則として知られる法則を発見し、遺伝学の歴史に大きな足跡をのこした。 特に1遺伝子雑種と2遺伝子雑種の研究が有名である。 エンドウの種子には丸型としわ型がある。純系の丸型としわ型を自家受精させたものの種子を調べると全て丸型であった。これは丸型の形質がしわ型の形質に対して優性であることを示している。メンデルはこれを『優性の法則』と呼んだ。また、生まれてきた丸型の種子を自家受精させると、丸型:しわ型=3:1の比率で種子ができた。これは体細胞で対になっている対立遺伝子は配偶子形成の減数分裂第一分裂の際、二手にわかれそれぞれ別の配偶子に入ることを示していた。メンデルはこれを『分離の法則』と呼んだ。メンデルがエンドウを材料に使った理由は、そのころすでに数人の研究者によって、遺伝実験の材料として使われた事があったためと思われる。エンドウは自家受粉が可能で、このことも遺伝の実験には好都合だったと見られる。引用:Wikipedia
2017.01.28
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五大力尊仁王会は醍醐寺の開山以来、1100年以上続く年中行事のひとつ。五大力尊とは不動、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の五大明王のこと。9:00から金堂で法要が営まれます。12:00から、金堂前に特設された舞台で「餅上げ力奉納」が始まり、五大明王に力を奉納すると無病息災などのご利益を授かるとされます。まずは女性の部が行われ、重さ90kgの紅白の鏡餅を、男性は重さ150kgの鏡餅を持ち上げて、持続時間が競われます。日程:2017年2月23日(木)料金:無料 場所:醍醐寺
2017.01.28
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第一朗読ヘブライ 11・1−2、8−19ヘブライ人への手紙 〔皆さん、〕信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。 この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。 信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。 福音朗読マルコ 4・35−41マルコによる福音 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。 1225年頃、アキノの伯爵の家庭に生まれる。初めはモン・カッシーノの修道院で、次いでナポリで学問を修めた。後にドミニコ会に入り、パリとケルンで聖アルベルト・マグヌスに師事して学業を終えた。哲学と神学を教えるとともにそれらに関する多くの優れた著作を残した。1274年3月7日にフォッサノーバで没したが、1369年1月28日に遺体がトゥールーズに移されたことからこの日に記念されるようになった。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です争いから交わりへ 2017年に宗教改革を共同で記念するルーテル教会とカトリック教会 / 一致に関するルーテル=ローマ・カトリック 【本】
2017.01.28
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雛まつりの起源は上巳(じょうし)の節供という、3月はじめに行われる禊(みそぎ)行事。人形は人間の形代(かたしろ)として穢れを引き受け水に流されていましたが、江戸時代には飾るための豪華な人形に変化していきました。当時の雛人形には、その時代の元号を冠して呼ばれる寛永雛・享保雛や、考案した人形師の名を付けたという次郎左衛門雛、江戸で誕生した古今雛、公家の装束を正しく写した有職雛などがあります。本展では、華やかな御殿雛飾りを中心に、御所人形や賀茂人形などさまざまな京人形を展示します。それぞれに異なる細部に注目して、雛人形の変遷をお楽しみください。日程:2017年2月18日(土)~3月20日(月・祝)9:30~17:00(受付終了16:30)※金曜・土曜日は~20:00(受付終了19:30) 料金:520円 場所:京都国立博物館
2017.01.27
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第一朗読ヘブライ 10・32−39ヘブライ人への手紙 〔皆さん、〕あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください。あざけられ、苦しめられて、見せ物にされたこともあり、このような目に遭った人たちの仲間となったこともありました。実際、捕らえられた人たちと苦しみを共にしたし、また、自分がもっとすばらしい、いつまでも残るものを持っていると知っているので、財産を奪われても、喜んで耐え忍んだのです。だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。 「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。 遅れられることはない。 わたしの正しい者は信仰によって生きる。 もしひるむようなことがあれば、 その者はわたしの心に適わない。」しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。 福音朗読マルコ 4・26−34マルコによる福音 〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。 【任意・1月27日 聖アンジェラ・メリチおとめ】1470年頃、ベネチアのデゼンザーノに生まれる。フランシスコ第三会員の服装を身に着け、少女たちを集めて慈善の業を行うよう教えた。1535年、ブレーシアに、貧しい家庭の少女たちのキリスト教的教育を目的とする聖ウルスラ女子修道会を創立した。1540年に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですともにこの道を改訂版 [ カトリック長崎大司教区 ]
2017.01.27
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1月27日の花言葉はキンカンで「思い出」です。キンカン(金柑)は、ミカン科キンカン属 (Fortunella) の常緑低木の総称である。別名キンキツ(金橘)ともいう。概要中国の長江中流域原産。俳句では秋の季語になっている。 英語などの「Kumquat」もしくは「Cumquat」は「金橘」の広東語読み「gam1gwat1 (カムクヮト)」に由来する。カール・ツンベルクによりミカン属に分類され、1784年刊行の『日本植物誌』("Flora Japonica")においてCitrus japonicaの学名を与えられていたが、1915年にウォルター・テニスン・スウィングル(英語版)により新属として分割され、ヨーロッパに紹介したロバート・フォーチュンヘの献名として新たな学名を与えられた。日本における2010年の収穫量は3,732 トンであり、その内訳は宮崎県2,604 トン、鹿児島県873 トン、その他255 トンとなっている。利用食用果実は果皮ごとあるいは果皮だけ生食する。皮の中果皮、つまり柑橘類の皮の白い綿状の部分に相当する部分に苦味と共に甘味がある。果肉は酸味が強い。果皮のついたまま甘く煮て、砂糖漬け、蜂蜜漬け、甘露煮にする。甘く煮てから、砂糖に漬け、ドライフルーツにすることもある。薬用果実は民間薬として咳や、のどの痛みに効果があるとされ、金橘(きんきつ)という生薬名でいうこともある。果皮にはヘスペリジン(ビタミンP)を多く含む。観賞用観賞用として庭木として植えられることも多い。剪定に強いので生垣や鉢植え、盆栽にもできる。広東省や香港では、旧正月を迎える際に柑橘類の鉢植えを飾ることが多く、キンカンも好まれる。引用:Wikipedia
2017.01.27
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城南宮は平安京遷都の際、京の南に都の守護神として創建されました。神苑「楽水苑」の春の山の庭に、芳しい梅の香りが漂うころ、「しだれ梅と椿まつり」が開催されます。約150本もの紅白のしだれ梅と300本以上の椿を楽しむことができます。日程:2017年2月18日(土)~3月22日(水)9:00~16:30(受付終了16:00) 料金:神苑600円 場所:城南宮
2017.01.26
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1月26日の花言葉はミスミソウで「内緒・優雅」です。ミスミソウ(三角草、学名:Hepatica nobilis)とは、キンポウゲ科ミスミソウ属の多年草。雪の下でも常緑であることからユキワリソウ(雪割草)の名でも知られる。イチリンソウ属のAnemone hepatica L.とされることもある。特徴北半球の温帯に自生し、日本では本州の中部以西の山間地に多く生育する。葉は常緑で三角形に近く三つに分かれている。花弁のように見えるのは萼片で、白、紫、ピンク色などがある。栽培も盛んで、八重咲きや覆輪花の品種も作出されている。薬用中世ヨーロッパでは、葉の形が肝臓を連想させることから肝臓の病気の治療に用いられた。現在ではにきび、気管支炎、痛風などの治療に用いられることがある。引用:Wikipedia
2017.01.26
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第一朗読二テモテ 1・1−8使徒パウロのテモテへの手紙 キリスト・イエスによって与えられる命の約束を宣べ伝えるために、神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、愛する子テモテへ。父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。 わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、感謝しています。わたしは、あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びで満たされたいと願っています。そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。そういうわけで、わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。 第一朗読テトス 1・1−5使徒パウロのテトスへの手紙 神の僕、イエス・キリストの使徒パウロから――わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた人々の信仰を助け、彼らを信心に一致する真理の認識に導くためです。これは永遠の命の希望に基づくもので、偽ることのない神は、永遠の昔にこの命を約束してくださいました。神は、定められた時に、宣教を通して御言葉を明らかにされました。わたしたちの救い主である神の命令によって、わたしはその宣教をゆだねられたのです。――信仰を共にするまことの子テトスへ。父である神とわたしたちの救い主キリスト・イエスからの恵みと平和とがあるように。 あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。 福音朗読ルカ 10・1−9ルカによる福音 〔そのとき、〕主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」 テモテとテトスは使徒パウロの弟子であり、協力者である。テモテはエフェソの教会を、テトスはクレタの教会を指導した。パウロは彼らに「牧会書簡」と呼ばれる手紙を送り、その中で、司牧者と信者たちを育てるうえでの、すぐれた教えを述べている。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリック入門 日本文化からのアプローチ
2017.01.26
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伏見稲荷大社の初午(はつうま)大祭は京洛初春第一の祭りといわれます。前々日から本殿や摂社、末社の柱に稲荷山の杉と椎の枝で作られた青山飾りがとりつけられ、当日は多くの参拝者で賑わいます。社頭で授与される「験(しるし)の杉」(1,000円)は商売繁昌、家内安全などのご利益があるとされます。日程:2017年2月12日(日)8:00~ 料金:無料 場所:伏見稲荷大社
2017.01.25
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第一朗読使徒言行録 22・3−16使徒たちの宣教 〔その日、パウロは人々に言った。〕「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。 旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。わたしは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入りました。 ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。この人がわたしのところに来て、そばに立ってこう言いました。『兄弟サウル、元どおり見えるようになりなさい。』するとそのとき、わたしはその人が見えるようになったのです。アナニアは言いました。『わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』」 第一朗読使徒言行録 9・1−22使徒たちの宣教 〔その日、〕サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。 ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。 サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。 福音朗読マルコ 16・15−18マルコによる福音 〔そのとき、イエスは十一人の弟子に現れて、〕言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」 キリストの弟子たちを迫害していたサウロ(後のパウロ)はダマスコに向かう途中、復活したキリストと出会い、迫害者から信仰者に変わった(使徒言行録9・1−22)。パウロの回心をこの日に記念することの起源は定かではないが、5世紀後半の「ヒエロニムス殉教録」にはすでに記載されている。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です日々の祈り 改訂版 第2版 / 日本カトリック司教協議会 【本】
2017.01.25
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1月25日の花言葉はフウキギクで「快活・常に輝かしく」です。シネラリア(英語: Florist's Cineraria、学名:P. × hybrida)とは、キク科の植物の1種。日本での生い立ち花屋では昔「シネラリア」と呼ばれていたキク科ペリカルリス属の園芸品種群を指す。 最近は「死ねラリア」と連想する人が多いので「サイネリア」と英語っぽい読みの流通名で販売されている。 昔の学者は、海外から導入された物に必ず和名を付けていた習わしから、この植物は「フキザクラ = 蕗櫻」と言う和名を松村博士が1896年に付けている。 葉がフキの葉に似た形でサクラのように株を覆い尽くすように咲く様から名付けられたと推測される。花屋では古くはフウキギク(富貴菊)、フウキザクラ(富貴桜)などとも呼ばれた事もあるが現在はいずれも使われていない。引用:Wikipedia
2017.01.25
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第一朗読ヘブライ 10・1−10ヘブライ人への手紙 〔皆さん、〕律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。もしできたとするなら、礼拝する者たちは一度清められた者として、もはや罪の自覚がなくなるはずですから、いけにえを献げることは中止されたはずではありませんか。ところが実際は、これらのいけにえによって年ごとに罪の記憶がよみがえって来るのです。雄牛や雄山羊の血は、罪を取り除くことができないからです。 それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。 「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、 むしろ、わたしのために 体を備えてくださいました。 あなたは、焼き尽くす献げ物や 罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。 そこで、わたしは言いました。 『御覧ください。わたしは来ました。 聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、 神よ、御心を行うために。』」ここで、まず、「あなたはいけにえ、献げ物、焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、好まれもしなかった」と言われ、次いで、「御覧ください。わたしは来ました。御心を行うために」と言われています。第二のものを立てるために、最初のものを廃止されるのです。この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。 福音朗読マルコ 3・31−35マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」 1567年にフランスのサヴォア地方に生まれる。司祭に叙階されると、祖国のカトリック教会の復興のために尽力した。ジュネーブの司教に選ばれると、教区の聖職者や信者たちの指導に全力を尽くし、著作と活動によって彼らの信仰を育て、すべての人にとって模範となった。1622年12月28日にリヨンで没し、遺体はアンネシーに埋葬された。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリック
2017.01.24
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七草粥の風習は平安時代にはあったと伝わります。城南宮では旧暦の正月7日に近い2月11日に毎年行われています。春の七草であるセリ・ナズナ・スズナ・スズシロ・ホトケノザ・ゴギョウ・ハコベラを神前に供え、無病息災と延命長寿を祈願します。粥は城南宮神苑で栽培、収穫された七草などを使って炊かれたもの。当日はこれをお目当てに大勢の参拝者で賑わいます。日程:2017年2月11日(土・祝)10:00~16:00 料金:七草粥500円 神苑600円 場所:城南宮
2017.01.24
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1月24日の花言葉はエリカで「幸運」です。エリカ属(-ぞく、学名:Erica)とはツツジ科の植物の属のひとつ。700種類以上の種があり、その大部分は南アフリカ原産で、残りの70種程度がアフリカの他の地域や地中海地方、ヨーロッパ原産である。特徴多くの種は高さ20-150cmほどの低木であるが、E. arborea、E. scopariaのように高さ6-7mに達する種もある。エリカの群生地としては、北ドイツの自然保護地区、リューネブルガーハイデが有名。また小説『嵐が丘』の館の周囲に生えていたのもエリカ、英語ではヒース(heath)と呼ばれる。引用:Wikipedia
2017.01.24
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1月23日の花言葉はフクジュソウで「幸福を招く・長寿」です。フクジュソウ(福寿草、学名:Adonis ramosa)は、キンポウゲ科の多年草。別名、ガンジツソウ(元日草)。毒草である。1月1日の誕生花。特徴日本では北海道から九州にかけて分布し山林に生育する。シノニム(同一種を指す同意語)の種小名である amurensis は「アムール川流域の」という意味。花期は初春であり、3-4cmの黄色い花を咲かせる。当初は茎が伸びず、包に包まれた短い茎の上に花だけがつくが、次第に茎や葉が伸び、いくつかの花を咲かせる。この花は花弁を使って日光を花の中心に集め、その熱で虫を誘引している。その為、太陽光に応じて開閉(日光が当たると開き、日が陰ると閉じる)する。葉は細かく分かれる。夏になると地上部が枯れる。つまり初春に花を咲かせ、夏までに光合成をおこない、それから春までを地下で過ごす、典型的なスプリング・エフェメラルである。根はゴボウのようなまっすぐで太いものを多数持っている。春を告げる花の代表である。そのため元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)の別名を持つ。福寿草という和名もまた新春を祝う意味がある。江戸時代より多数の園芸品種も作られている古典園芸植物で、緋色や緑色の花をつける品種もある。正月にはヤブコウジなどと寄せ植えにした植木鉢が販売される。ただし、フクジュソウは根がよく発達しているため、正月用の小さな化粧鉢にフクジュソウを植えようとすると根を大幅に切りつめる必要があり、開花後に衰弱してしまう。翌年も花を咲かせるためには不格好でもなるべく大きく深い鉢に植えられたフクジュソウを購入するとよい。露地植えでもよく育つ。また、根には強心作用、利尿作用があり民間薬として使われることがある。しかし、毒性(副作用)も強く素人の利用は死に至る危険な行為である。薬理作用、毒性共にアドニンという成分によるものと考えられている。花言葉は永久の幸福、思い出、幸福を招く、祝福。切手の意匠になった。1982年(昭和57年)7月5日発売 10円普通切手2003年(平成15年)4月1日発売 50円 日本郵政公社設立記念 四季花鳥図巻の部分図2012年(平成24年)12月3日発売 80円 季節の花シリーズ 第4集誤食地面から芽を出したばかりの頃は、フキノトウと間違えて誤食しやすい。また、若葉がヨモギの葉に似ている。症状は嘔吐、呼吸困難、心臓麻痺など。重症の場合死亡する[1]。テレビ信州で2007年3月30日放送の「情報ワイドゆうがたGet!」の特集コーナー「春うらら!花の里のんびり散歩!」で、テンプラを紹介し、女性リポーターが毒草と知らず食べてしまったが、幸い事故に至らず。引用:Wikipedia
2017.01.23
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第一朗読イザヤ 8・23b〜9・3イザヤの預言先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。闇の中を歩む民は、大いなる光を見死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように戦利品を分け合って楽しむように。彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭をあなたはミディアンの日のように折ってくださった。 第二朗読一コリント 1・10−13、17使徒パウロのコリントの教会への手紙兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。 福音朗読マタイ 4・12−23、または4・12−17マタイによる福音イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。≪イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。≫ 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です新カトリック教会小史 [ ノーマン・P.タナー ]
2017.01.22
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1月22日の花言葉はシンビジウムで「深窓の麗人」です。シンビジウム(Cymbidium)はラン科の植物。シンビデュームとも表記される。日本語では単に「シンビジウム」というときは、東南アジアに自生しているものを品種改良した洋ランに限定されるが、原義ではシュンラン属に分類される種の総称である。この項では洋ランとしてのこの類について述べる。属全体については該当項を参照のこと。特徴ラン系のバルブを持ち、そこから根出状に細長い葉を伸ばす。花はバルブの基部から出る茎について、単独か総状に多数の花をつけるが、洋ランとして扱われるものでは多数花をつけるものがほとんどである。花茎は立ち上がるかやや垂れ下がり、あるいは垂れて長く下向きに伸びる。花はこの属の特徴的なものだが、花弁が幅広く、全体に抱え気味に咲くものが多い。自生地東アジアに自生地はあるが、洋ランのシンビデュームとして品種改良に利用されたのは、インドからミャンマー、マレーシアなどに自生しているものを中心とする。なお、東洋ラン系の種も交配親として利用される例がある。引用:Wikipedia
2017.01.22
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三千院の大根焚きは、地元大原で有機栽培された大根を、出世金色不動明王のご宝前にて期間中毎日祈願し、焚き上げられ供されます。無病息災と開運招福を祈願した大根は、毎年1万食が準備され、心と体を芯から温めてくれます。日程:2017年2月10日(金)~13日(月)9:00~16:30(閉門17:00) 料金:700円 場所:三千院
2017.01.21
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第一朗読ヘブライ 9・2−3、11−14ヘブライ人への手紙 〔皆さん、〕第一の幕屋が設けられ、その中には燭台、机、そして供え物のパンが置かれていました。この幕屋が聖所と呼ばれるものです。また、第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました。 けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。 福音朗読マルコ 3・20−21マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。 3世紀後半、あるいはむしろ4世紀初めにローマで殉教した。ダマソ教皇は彼女の墓に碑文をささげ、聖アンブロジオをはじめ多くの教父たちが、アグネスをたたえている。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【送料無料】 カトリック教会論への招き / 増田祐志 【本】
2017.01.21
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1月21日の花言葉はオンシジウムで「可憐」です。オンシジューム(Oncidium)あるいはオンシジウムは中南米を中心に分布する、約400種を含むラン科の大属。樹上で着生生活を営む。洋ランとしても広く親しまれる。概要樹上につく着生植物だが、岩の上につくものや地上性の種もある。バルブ(偽球茎)は卵形から円筒形、往々にして扁平になるが、持たない例もある。葉はバルブの先端から2枚程度つき、普通は革質だが、剣状や円筒形などになる例もある。またバルブの基部の節からも葉が出る。花茎はバルブの基部から出て、長い花茎を上から斜め上に伸ばし、複数花、往々に多数の花を総状、円錐状につける。花は唇弁が大きく広がり、これが花の大部分を占める。萼と側花弁はほぼ同型で、唇弁より幅狭くて小さい。学名の Oncidium はギリシア語の onkos(とげ、隆起)に指小辞をつけたもので、唇弁の基部に隆起のあるさまをいったものといわれる。属内の花色は黄色がもっとも多い。利用洋ランとして栽培され、また切り花などとしても流通する。本属は、かつては400種を擁する大きな属で、鑑賞価値が高いものが数多くあった。それらを便宜的に薄葉系、厚葉系などに分けるのが普通であった。そのなかでもっとも普及していたものは黄色く広がった唇弁が目立つ花を多数つけるもので[2]、原種としてはOnc. flexuosum (Gomesa flexuosa のシノニム)や Onc. varicosum (Gomesa varicosa のシノニム)があげられる。それらを中心に作出された交配品が数多く、現在この類の代表とされるアロハイワナガもこの系列にある[5]。しかし、最近では小型の原種、ケイロフォルム (Onc. cheirophorum) や、同じく小型でピンク花をつけるオルニソリンクム (Onc. ornithorhynchum)、およびそれらの交配種もよく市場に流通する。またオブリザタム (Onc. obryzatum )は小さな花が多数つくことで評価が高い。近年、分類学的な見直しによって、この属から分離されて他の属に移動したり、新属として独立する種が出てきている。上記の黄色い唇弁の種も、上記のように別属とされるようになっている。しかし現在もそれらはオンシジウムの名で流通しており、これは当分続くものと思われる。引用:Wikipedia
2017.01.21
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第一朗読ヘブライ 8・6−13ヘブライ人への手紙 〔皆さん、〕今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。 もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。 「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、 新しい契約を結ぶ時が来る』と、 主は言われる。 『それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、 エジプトの地から導き出した日に、 彼らと結んだ契約のようなものではない。 彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、 わたしも彼らを顧みなかった』と、 主は言われる。 『それらの日の後、わたしが イスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と、 主は言われる。 『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、 彼らの心にそれを書きつけよう。 わたしは彼らの神となり、 彼らはわたしの民となる。 彼らはそれぞれ自分の同胞に、 それぞれ自分の兄弟に、 「主を知れ」と言って教える必要はなくなる。 小さな者から大きな者に至るまで 彼らはすべて、わたしを知るようになり、 わたしは、彼らの不義を赦し、 もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。』」神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。 福音朗読マルコ 3・13−19マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。 【任意・1月20日 聖ファビアノ教皇殉教者】236年にローマ司教に選ばれ、聖チプリアノが伝えているとおり、デキウス帝による迫害が始まった250年に殉教し、カリストの墓地に埋葬された。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)【任意・1月20日 聖セバスチアノ殉教者】ディオクレチアヌス帝による迫害の初期(3世紀末)にローマで殉教した。彼の墓は、アッピア街道沿いのカタコンブにあり、古代末期から信者の崇敬の対象とされている。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリック教会論への招き [ 増田祐志 ]
2017.01.20
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1月20日の花言葉はストックで「不変の愛・逆境に堅実」です。アラセイトウ属(アラセイトウぞく、学名 Matthiola) は、アブラナ科の属の1つ。マッティオラ属ともいう。この属名は、シエーナの医師で博物学者だったピエトロ・アンドレア・マッティオリ (Pietro Andrea Mattioli) に献名された。この属には48種が含まれる。木本または草本[1]。マデイラ諸島とカナリア諸島、南ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアに自生する。本属の植物を総称してストック(stock)と呼ぶこともある。ただし、バージニアストック (Virginia stock, Malcolmia maritima) は、アラセイトウ属ではなく、同じアブラナ科のマルコルミア属である。引用:Wikipedia
2017.01.20
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上徳寺は慶長8年(1603)に徳川家康の側室・阿茶局と息女の泰栄院の菩提を弔うために伝誉一阿を開山に建立されました。境内の世継地蔵に祈願すると良い世継ぎを授かるなど子授け、安産の祈願で知られます。毎年2月8日は1億日分の功徳が授かる「一億劫日功徳日」として子授けや福を授けてもらえる世継地蔵尊の功徳を讃える法要が行われます。十種福祈願法会(10:00~)、山伏による柴灯護摩供養(14:00~)、また酒粕汁や多幸焼(たこやき)の無料接待もあります。日程:2017年2月8日(水)9:00~16:00 料金:無料 場所:上徳寺
2017.01.20
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1月19日の花言葉はクンシランで「貴い・望みを得る」です。クンシラン(君子蘭)属 Clivia は南アフリカ共和国とスワジランドに産するヒガンバナ科の属のひとつで、クリビア ミラビリス Clivia mirabilis を除き森林の薄暗い場所に自生する。「ラン」とつくが「ラン科」ではない。クロンキスト体系ではユリ科に含める。他のヒガンバナ亜科の植物の多くは地中に鱗茎を形成するが、本属と近縁のクリプトステファヌス属 Cryptostephanus では太い根を張るのみで鱗茎はない、根の様子だけみれば遠縁ではあるがムラサキクンシラン属 Agapanthus のものに良く似ている。ウケザキクンシラン(受咲き君子蘭)Clivia miniata の園芸品種が日本国内では良く知られている。引用:Wikipedia
2017.01.19
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京料理を中心に、さまざまなジャンルの選りすぐりの198の名店が、趣向を凝らした2月限定のスペシャルなお料理を特別な価格でご提供いたします。8回目となる今回は、さらに内容も充実し、冬の美味しい京都を存分に満喫していただけます。ぜひ、この機会をお見逃しなく! 公式ガイドブックを無料配布中。詳しくは公式ホームページをご覧ください。日程:2017年2月1日(水)~28日(火) 料金:2,500円、3,500円、5,000円、7,500円、10,000円、12,000円、15,000円(税・サービス料込み)※参加店舗では上記7種類の価格帯から特別メニューをご用意、※一部20,000円以上の特別価格の店舗あり、※甘味処・スイーツの店舗では1,500円となっています、※メニューの詳細は参加店舗にご確認ください 場所:京都府内各店舗電話:075-257-3232(京都レストランウインタースペシャル2017事務局 平日9:00~18:00) 公式ホームページ:http://www.krws.jp/
2017.01.19
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第一朗読ヘブライ 7・25〜8・6ヘブライ人への手紙 〔皆さん、イエスは〕常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。 このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。 今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。すべて大祭司は、供え物といけにえとを献げるために、任命されています。それで、この方も、何か献げる物を持っておられなければなりません。もし、地上におられるのだとすれば、律法に従って供え物を献げる祭司たちが現にいる以上、この方は決して祭司ではありえなかったでしょう。この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。 福音朗読マルコ 3・7−12マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】ミッテラン カトリック少年から社会主義者の大統領へ ミシェル・ヴィノック/著 大嶋厚/訳
2017.01.19
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今回は西軍に属し流罪・追放・蟄居になった武将で、合戦前の石高が備前岡山57万4千石と最大であった宇喜多秀家を紹介します。合戦時伏見城の戦いでは総大将として参加し攻略、その後本隊と別れて伊勢国長島城を攻撃した後、美濃国大垣城に入城し西軍本隊と合流した。関ヶ原の戦いにおいても西軍主力(西軍の中では最大の1万7,000人)として戦い、東軍の福島正則隊と戦闘を繰り広げた。合戦後小早川秀秋の裏切りで西軍は総崩れとなり、宇喜多隊は壊滅した。関ヶ原の後、宇喜多家は家康によって改易されたが、秀家は伊吹山中に逃げ込んだ。そこで落ち武者狩りの矢野五右衛門に遭遇するが、哀れに思った五右衛門は秀家を自宅に約40日も匿った(五右衛門の子孫は屋敷のあった場所に現在も居住し記念碑が建っている)。その後は変装して薩摩国の島津義弘などを頼って落ち延び、牛根郷(現在の鹿児島県垂水市)に匿われた。『常山紀談』では薩摩に遁れ剃髪して、成元さらに休復と号したとしている。このとき、秀家が琉球を支配しようとしたという伝説が残っている。しかし「島津氏が秀家を庇護している」という噂が広まったため、慶長8年(1603年)に島津忠恒(義弘の子)によって家康のもとへ身柄を引き渡された。島津忠恒、並びに縁戚の前田利長の懇願により罪一等を減じられて死罪は免れ、駿河国久能山へ幽閉される。慶長11年(1606年)4月、同地での公式史上初の流人として八丈島へ配流となった。八丈島では苗字を浮田、号を久福と改め、妻の実家である加賀前田氏・宇喜多旧臣であった花房正成らの援助を受けて(初期には秘密裏に、晩年は公に隔年70俵の援助を得ることが幕府より許された)50年を過ごし、高貴な身分も相まって他の流人よりも厚遇されていたとも伝えられる。また、元和2年(1616年)に秀家の刑が解かれるや、前田利常から秀家に、前田家から10万石を分け与えるから大名へ復帰したらどうかとの勧めを受けるが、秀家はこれを断って八丈島に留まったともいう。八丈島での生活は不自由であったらしく、「偶然嵐のため八丈島に退避していた福島正則の家臣に酒を恵んでもらった話」や「八丈島の代官におにぎりを馳走してもらった話」(飯を二杯所望し、三杯目はお握りにして家族への土産にした説もあり)などの逸話が伝わっている。また、秀家が島で水汲女(現地妻)を置いたかどうかについては全くわかっていないが、その記録が一切ないことから水汲女を置かなかったと考えられている。明暦元年(1655年)11月20日、死去。享年84。このとき既に江戸幕府第4代将軍・徳川家綱の治世であった。墓は東京都八丈町大賀郷の稲場墓地、東京都板橋区板橋の丹船山薬王樹院東光寺、石川県金沢市野町の宝池山功徳院大蓮寺などにある。法名は尊光院殿秀月久福大居士。一族のその後流刑となった長男と次男の子孫が八丈島で血脈を伝え、後に分家(浮田を称す)が3家興った。明治以後、宇喜多一族は東京(本土)に移住したが、数年後に八丈島に戻った子孫の家系が現在も墓を守り続けている。五大老の一人であり、かつて秀吉の猶子であった彼にとって東軍に属するという選択肢は無かったに違いない。宇喜多氏Author:Mukai 本姓:称・百済王族子孫(三宅氏・藤原氏)家祖:宇喜多信宗、児島高秀種別:武家 出身地:備前国児島半島 主な根拠地:備前国岡山、八丈島 著名な人物:宇喜多能家、宇喜多直家、宇喜多秀家、宇喜多秀臣(現当主) 宇喜多秀家の松
2017.01.18
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中医学は整体観念と弁証論治を基本に成り立つ伝統医学です。整体観念:人体はそれぞれの臓腑が密接に関連し1つの統一された整体であるという観念自然界との統一性私たちの身体は、季節・気候・地理・生活環境などの影響を受けながら変化しています。人体の統一性中医学では五臓を中心に五腑、五官など、それぞれ機能の異なる組織と器官によって構成されていると考えます。これらの五臓・五腑・五官などがバランスよくはたらくことによって、身体全体の生理機能を保っています。これが人体の統一性です。血流を上げて体の不調を改善する薬膳スープ & ドリンク / 神田美紀 【本】
2017.01.18
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春を呼ぶ節分行事で、男山中腹に湧き出る霊泉「石清水」から汲み上げたご神水を、大釜で沸かしてご神前に献上します。また、神楽女が笹の葉で釜の熱湯を四方に激しく振りまき、その熱湯のしずくを浴びることにより厄除・無病息災・五穀豊穣を祈願する伝統行事です。最後には、笹の葉を参列者に分けて持ち帰ります。日程:2017年2月1日(水)・3日(金)12:00~ 料金:無料 場所:石清水八幡宮
2017.01.17
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第一朗読ヘブライ 7・1−3、15−17ヘブライ人への手紙 〔皆さん、〕メルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。 このことは、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられたことによって、ますます明らかです。この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。なぜなら、 「あなたこそ永遠に、 メルキゼデクと同じような祭司である」と証しされているからです。 福音朗読マルコ 3・1−6マルコによる福音 〔そのとき、〕イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です神父燦燦 [ カトリック新聞社 ]
2017.01.17
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1月18日の花言葉はパフィオペジラムで「優雅な装い」です。パフィオペディルム(パフィオペディラム Paphiopedilum)は、袋状の唇弁が特徴的なラン科植物で、洋ランの一属として知られる。洋ランとしての略称はPaph.である。形態地上に根を下ろす地生蘭もしくは半着生蘭であり、洋ランでは少数派に属する。茎はごく短く、葉は幅広い楕円形で平たく、根出状に重なる。花は、長い花茎の先に単独か、少数を穂状につける。花の外3弁のうち上向きの弁は幅広く、大きくなり、側面の2弁は互いに融合して、唇弁の背景になる。内3弁のうち側方2弁は細く、横に張る。唇弁は袋状、またはつぼ状になる。蕊柱はさじ型で、唇弁の口をふさぐような位置にある。その上面を覆う平らな部分は雄しべに由来するもので稔性はなく、仮雄蕊と呼ばれる。その下面の平らな部分が柱頭に当たる。雄しべは基部の左右側面にある。これは普通のラン科では蕊柱の先端に雄しべ、基部下側に柱頭があるという配置と大きく異なり、アツモリソウ亜科の特徴である。同亜科の中では、中南米に産するフラグミペディウム属 Phragmipedium に共通性が多い。名前について名前は女神のスリッパ(サンダル)を意味する。英語で「レディースリッパ (Ladyslipper)」とも。花の形が丁度女性の靴を思い起こさせる形をしているところから。古くはクマガイソウ・アツモリソウと同じくアツモリソウ属(Cypripedium)とされ、この属の学名仮名読みのシプリペジュームの名で流通した。現在、葉(常緑性の革質葉)、仮雄しべ(多肉質)、自生場所の違い等によって別の属に分けられている。「洋」ランのイメージが強いが、日本での栽培の歴史も浅くはなく、歴史的に水戸徳川家のコレクションが有名。現在、このコレクションは水戸市植物園等で栽培が続いている。また、袋状の花弁が食虫植物を思わせるため、虫を取ると良く言われるが、事実無根である。引用:Wikipedia
2017.01.17
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勝運・勝ち馬で有名な神社。当日、10:00から節分祭が執り行われ、18:00より藤森太鼓、雅楽、舞楽の奉納が行われます。20:00からの追儺式では幻想的な雰囲気の中、舞台で暴れる赤鬼・青鬼を豆や弓矢で退治します。その後に豆まきがあり、節分祭はさらに盛り上がります。この日限定の厄除けだんごの販売があるほか、甘酒の無料接待もあります。日程:2017年2月3日(金)10:00~節分祭、18:00~藤森太鼓、雅楽、舞楽奉納演奏、20:00~追儺式と豆まき料金:無料場所:藤森神社
2017.01.17
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第一朗読ヘブライ 6・10−20ヘブライ人への手紙 〔皆さん、〕神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います。あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。 神は、アブラハムに約束をする際に、御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、御自身にかけて誓い、「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」と言われました。こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反対論にけりをつける保証となります。神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです。 福音朗読マルコ 2・23−28マルコによる福音 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」 「修道生活の父」として知られるアントニオは、250年頃エジプトで生まれた。両親の死後、財産を貧者に分け与えて荒れ野に引きこもり、そこで禁欲の生活を始め、多くの弟子が彼に師事した。ディオクレチアヌス帝による迫害のときに信仰のために苦しみを受けている人々を支え、アリウス派に対して戦った聖アタナシオを助けることなどによって、教会のために働いた。356年に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です明治期長崎のキリスト教 カトリック復活と
2017.01.17
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1月17日の花言葉はフキノトウで「待望」です。フキ(蕗、苳、款冬、菜蕗、学名:Petasites japonicus (Siebold et Zucc.) Maxim.)は、キク科フキ属の多年草、雌雄異株。特徴日本原産で、北海道、本州、四国、九州及び沖縄県に分布し、北は樺太から朝鮮半島や中国大陸でも見られる。山では沢や斜面、河川の中洲や川岸、林の際などで多く見られる。郊外でも河川の土手や用水路の周辺に見られ、水が豊富で風があまり強くない土地を好み繁殖する。近縁種は旧世界に広く分布し、ハーブとして利用される。また、幻覚作用の報告されている種もある。なお、現在、栽培種として市場に出回っている多くのフキは愛知早生という品種であり、愛知県東海市が生産量日本一である。関東地方以北には、2mほどにも伸びる秋田蕗があり、全国的にも有名である。こうした、巨大な蕗は倍数体によるものである。特に寒冷地では牧草地で大繁殖する。家畜が食べないので畜産農家からは嫌われている。アキタブキのうち、北海道・足寄町の螺湾川(らわんがわ)に沿って自生するラワンブキは高さ2-3mに達し、北海道遺産に指定されている。引用:Wikipedia
2017.01.17
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平安末期から続く修験道の寺・聖護院。節分会が行われる期間に限り、重文の本尊・不動明王像の前まで進むことができます。3日の追儺式・山伏福豆まきは、赤・青・黄の鬼が年男・福女の豆まきによって改心し、最後には一緒に豆をまくという珍しい形式。その後、執り行われる採燈大護摩供では、修験道独特の作法である山伏問答なども見ることができます。当日は甘酒の無料接待もあります。日程:2017年2月2日(木)終日 柱源護摩3日(金)13:00~追儺式・山伏福豆まき、15:00~採燈大護摩供、夕刻~古札焼き 料金:無料場所:聖護院
2017.01.16
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第一朗読ヘブライ 5・1−10ヘブライ人への手紙 大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げねばなりません。また、この光栄ある任務を、だれも自分で得るのではなく、アロンもそうであったように、神から召されて受けるのです。 同じようにキリストも、大祭司となる栄誉を御自分で得たのではなく、 「あなたはわたしの子、 わたしは今日、あなたを産んだ」と言われた方が、それをお与えになったのです。また、神は他の個所で、 「あなたこそ永遠に、 メルキゼデクと同じような祭司である」と言われています。キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。 福音朗読マルコ 2・18−22マルコによる福音 〔そのとき、〕ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。 だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですこころにひかりを よくわかるカトリック入門 / ガエタノ・コンプリ 【本】
2017.01.16
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1月16 日の花言葉はカニサボテンで「恋の年頃」です。
2017.01.16
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紀元前4世紀古代中国の扁鵲が脈学を創始した。黄帝内経を元に、鍼灸の診断法と治療法について著された『難経』を著した秦越人は、おそらく扁鵲であるとされている。扁鵲(へんじゃく)とは、古代中国、とくに漢以前の中国における、伝説的な名医である。Source:http://wellcomeimages.org/indexplus/obf_images/f6/01/8696804baac0c699593e99ff2521.jpg 難経『難経』(なんぎょう)は、古代中国の医学書『黄帝八十一難経』(こうていはちじゅういちなんぎょう)の略称で、『八十一難経』ともいわれる。成立年代ははっきりわかっていないが、『黄帝内経』成立より後であり、また傷寒雑病論の張仲景が序で『八十一難経』を参考にしたと述べていることから[1]、それに先立つ著作である。内容から後漢以降に成立したと考えられている。著者については、歴史書『史記』(紀元前91年頃)の「扁鵲倉公列伝」で知られる伝説的な名医・扁鵲(秦越人)とも言われるが、むろん仮託である。「扁鵲倉公列伝」及び朝廷の蔵書目録『漢書』「芸文志」(78年)では「難経」について触れられておらず[2]、著者が誰であるかは不明である。西晋の皇甫謐は『帝王世紀(中国語版)』で、黄帝が雷公と岐伯(中国語版)にいいつけ、経脈を論じ難経を作らせたと述べている[1]。内容は『黄帝内経』に沿っており、これを鍼法に絞って体系化したもので、脈法と脈論が中心である。現存する『黄帝内経』にはない独自の内容もあり、鍼灸術や、日本の漢方の一派・後世派の治療方式、基礎理論にかなり取り入れられている。原本はかなり早い時期に失われ、現在残っておるのは元以降の写本または注釈書である。紀元前4世紀の人物中国(周・春秋時代)老子(生没年不詳) - 春秋時代の周出身の思想家(道家)・孔子とほぼ同時期か先行するか・架空人物説もあり孔子(前551年 - 前479年) - 春秋時代の魯の思想家(儒家)・諸国遍歴後に教育に携わる・言行録に『論語』がある孫武(前535年 - ?) - 春秋時代の呉の思想家(兵家)・兵法書『孫子』の著者・伍子胥とともに楚を攻撃ギリシアレオニダス1世(? - 前480年) - スパルタ王(在位前489年 - 前480年)・テルモピュライの戦いでスパルタ人300人と玉砕を遂げるヘロドトス(前485年頃 - 前425年頃) - ハリカルナッソス出身の歴史家・ペルシア戦争をもとに『歴史』を著し「歴史の父」と呼ばれるヒポクラテス(前460年 - 前370年頃) - エーゲ海のコス島出身の医師・迷信を排し四体液説を唱え「医学の父」と呼ばれる西アジア世界ダレイオス1世(前558年 - 前486年頃) - アケメネス朝ペルシア王(在位前521年 - 前486年)・王国の最盛期でペルセポリスを造営南アジアゴータマ・シッダッタ(シャカ)(前463年 - 前383年、生没年は諸説あり) - 仏教の開祖・釈迦(釈尊)や仏陀とも呼ばれる引用:Wikipedia医療の歴史 [ スティーヴ・パーカー ]
2017.01.15
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今回ご紹介するのは福原長堯、合戦前は豊後国府内城3万石の大名でした。合戦時西軍に属し、垣見一直、熊谷直盛、木村由信・豊統父子らとともに大垣城の守備大将を務めた。合戦後相良頼房、秋月種長・高橋元種兄弟らの裏切りに遭い、一直らが殺害されて二の丸、三の丸を失ったが、直高は本丸に立て籠もって抵抗。しかし城兵が離散して進退に窮し、9月23日に東軍の西尾光教の勧めで和議を容れて城を出た。この際、石田三成から与えられていた名刀を東軍の水野勝成に奪われている。大垣城の開城後、和議の条件の通りに、長堯は出家して道蘊(どううん)と名乗り、伊勢国朝熊山に蟄居した。水野勝成は家康に長堯の助命を願いでたが、石田三成の縁者で、東軍主力の武断派諸将の恨みを買っていたこともあって許されず、自刃させられた。一説には殺害されたともいわれている。一族のその後2歳だった子供は乳母らにより因幡国に逃れ、次の代で備前国に移った。この家系は現在も存続している。豊臣秀吉の小姓頭衆、馬廻衆を務め後に豊臣姓まで下賜されていて、石田三成の妹婿にあたる彼にとって西軍に付く以外の選択肢は無かったのでしょう。徳川家康と関ケ原の戦い [ 本多隆成 ]
2017.01.15
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「紫野」の地名は京都北西部の地形から来ているようです。平安時代には、紫野付近の地域は、御所北西部にあって御所と距離的に近く、しかも洛外に当たるので、貴族の遊猟の土地でした。また、葬送の地でもありました。また近くには船岡山があり、「栄華物語」に1025年(万寿2年)に、三條天皇々后娘子を「雲林院ノ西院ノ戌(西北)」に於いて火葬したことがみえ、次いで1068年(冶暦4年)、後冷泉天皇を「船岡ノ西北ノ原」に火葬しました。この様な土地柄なのですが別な一面があり、貴族の別邸が紫野の地から西にかけて広がっていました。貴族の別邸がある最西部は嵐山付近で、そこから嵯峨野一帯から宇多野周辺まで広がっていました。今日の宇多野は、福王子の辺りを指していますが、かつては福王子・鳴滝・花園の辺を指していました。宇多野周辺は高台になっていて水捌けが良く、居住するのに適しています。この様に宇多野周辺から鷹峯に続く土地は、緩やかな傾斜地になっており、紫野はその傾斜地の先端部になります。紫野(ムラサキノ)は本来、宇多村(ムラ)の崎(サキ)にある野(ノ)である、と言うのが本義であると思われます。つまり村崎野が紫野に変化したのです。この地に紫色した野草(桔梗など)が自生していたかどうか分かりません。もしかすると貴族の遊猟の地であったため、高貴な色である紫の文字が当てられたのかもしれません。
2017.01.15
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