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2020年2月以来、実に5年10か月ぶりの開催!昭和100年の年の年末を飾る超豪華落語会のご案内です!橘ノ圓満師匠・春風亭三朝師匠・桂夏丸師匠・春風亭昇也師匠、そして超絶演芸マニアの二ツ目・金原亭馬吉さんに、落語協会のお囃子・松尾あささんを迎えて、演芸ファンが泣いて喜ぶ(と思う)年忘れの豪華共演番組!それが!「出囃子と物真似で綴る戦後落語黄金時代」開催日…12月17日(水) 会場…アートスペース兜座5階・演芸フロア開場…18時 開演…18時30分 終演…21時 料金…(予約)4,000円 (当日)4,500円 出演…橘ノ圓満、春風亭三朝、桂夏丸、春風亭昇也、金原亭馬吉、 (お囃子)松尾あさ、(第2部進行)林田雄一 予約先 (メール) 0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp (携帯) 090-4183-2028(←ショートメール希望) あささんによる三味線の生演奏&馬吉さんの太鼓で、圓満師匠を筆頭に夏丸師匠・昇也師匠に、往年の名人や現役の芸人さんの物真似(形態&声帯模写)をしていただきます!昨今の物価高のあおりを受け、料金が少々お高めで申し訳ないと思いますが、これだけの出演者でこれだけの豪華内容ですから、決して高くないと主催者は思います(笑)!年末のお忙しい時期かとは存じますが、是非とも有休をお取りいただいて、ご来場いただければ幸いです!兜座は満員で43席前後…だと思います。既にポツポツとですがご予約をいただき始めておりますので、ご予約・お問い合わせはお早めにご連絡を!よろしくお願いいたします!
2025年10月18日
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「第32回・歌で綴る昭和&平成の時代」開催日…10月8日(水)出演…林家たけ平、桂夏丸、松林伯知、桂しん華 (第2部司会)林田雄一会場…アートスペース兜座5階・演芸フロアアートスペース兜座 日本橋のアーティスト向けレンタルスペース開場…18時 開演…18時30分 終演…21時ごろ料金…(予約)3,000円 (当日)3,500円 *限定35席第1部…「落語・講談競演」第2部…「懐かしのヒットパレード」ご予約は、下記の携帯かメールアドレスまで!0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp090-4183-2028 (←できればショートメールで)毎度のメンバーでお送りする豪華ショー!数えて32回目!もう13年やってます(笑)!開催まで(9月30日時点)あと9日!まだギリギリですがお席がございます!ご予約はお早めに!今回は増位山太志郎さん・和泉雅子さんの追悼コーナーがございます…と前回書いたのですが、そこに橋幸夫さんと栗塚旭さんが入ることになりました…。勿論、戦前~戦中のヒットパレードもございます!10月8日(水)晩は、是非ともアートスペース兜座へ!
2025年09月30日
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(昭和46年12月31日放送「第22回NHK紅白歌合戦」より)6月だったか。夢グループのコンサートで「潮来笠」を歌いながら涎を垂らしてたのを見たとき、何とも言えない寂しい気持ちになり、「これ以上…ねぇ…」と思ったが…。つい先ほど知った訃報に物凄く動揺したし、非常に寂しい気持ちになったが「お疲れさまでした!これ以上、晩節を汚さないうちに逝けて良かったですね!」と声をかけたい気持ちにもなった。不謹慎な言い方だと思う方もいるかもしれないが、江戸っ子らしいキレイな引き際に「よかったなぁ」と思った気持ちに変わりはない。--------------------------------------------------------------------橋幸夫さん。6月から入院をされていたそうだが、昨日(9月4日)の23時48分、82歳で亡くなられた。これは私個人の意見なんで、刑部教授やたけ平師匠がどう言うかは分からないけども「最後の昭和歌謡の大スター」だったと言い切っていい歌手だろう。それは「両手に余るヒット曲があること」「映画に沢山出ていること」「バラエティー番組でも名前が出ることが多い」、この3つを備えた最後の人だと思うからだ。昭和18年、荒川区の呉服屋の息子に生まれた。遠藤実先生の下で歌のレッスンを受けていたが、吉田正先生の下に移り、ビクターの専属となった。この直前、確かコロムビアのオーディションを受け落ちているのだが、このときに合格していたら「舟木一夫」の名でデビューすることになっていた!という秘話がある。歌謡曲歌手のデビュー年齢を一気に引き下げたのが、橋さんだった。昭和35年(1960)、17歳で「潮来笠」でデビュー。この歌がいきなり大ヒットして、当時のルールでは「新人1年目では出られなかった」紅白歌合戦に初出場(第11回)!橋さん「潮来笠」が読めなくて、確か「シオキタガサ」だったか「シオクルガサ」と読んでしまい、吉田先生に怒られた…というエピソードを聞いたことがある(苦笑)。…と書いてて急に思ったのだが、「橋」という苗字、橋さん以外に聞いたことがない。言い慣れてるから今まで何とも感じなかったが、結構珍名なんじゃなかろうか??(2025.09.06追記)ある落語仲間からメールが来て「浅草コメディアンで喜劇人協会の会長もされていた橋達也さんがいますよ」との指摘が(苦笑)。言われりゃ確かにそうでした!こちらの橋さんのご本名は「枦さん」だそうで…これも珍名さんだな…。------------------------------------------------------------------その後はもう、股旅歌謡にリズム歌謡に青春歌謡に、今でも普通に歌い継がれている大ヒット曲を数々飛ばした。ちょっと思いつくだけでも…。「おけさ唄えば」「木曽ぶし三度笠」「南海の美少年」「沓掛時次郎」「江梨子」「中山七里」「いつでも夢を」「舞妓はん」「お嬢吉三」「恋をするなら」「チェッチェッチェッ」「あの娘と僕」「雨の中の二人」「霧氷」「殺陣師一代」「恋のメキシカン・ロック」「佐久の鯉太郎」「若者の子守唄」「赤い夕陽の三度笠」「次郎長笠」「子連れ狼」「今夜は離さない」あたりが出てくる。そういや20年ぐらい前に「盆ダンス」という、ワケわからない(苦笑)歌も出していたっけ。「紅白歌合戦」は、昭和35年の第11回から昭和51年の第27回まで17回連続で出場。その後、平成になって2度出ており、そのときは2度とも「いつでも夢を」での出場だった。最後の出場は、確か吉田正先生の追悼だったような記憶がある。「紅白」では、いわゆる股旅ものの歌唱時には軽く殺陣をやったりミニコントみたいな件があってから(あるいは曲間に)歌っていた…そんな印象がある。去年の暮れに「第22回」を見たから、それが記憶にこびりついているのかも。あと初めて「レコード大賞」2冠を達成したのも橋さん。第4回が「いつでも夢を」(吉永小百合とデュエット)、第8回で「霧氷」か。-----------------------------------------------------------------平成になってからは、バラエティー番組でも、その姿を頻繁に見かけていた印象もある。やはり、清水アキラがフジテレビの「ものまね王座~」において、セロテープで両目を吊り上げ、スイミングキャップにハイレグ水着(もちろん女性もの)で「恋のメキシカン・ロック」を散々歌って、ご本人登場でエライ空気が流れる(笑)という、あれを見た印象が強いんだろうなぁ!「クイズ!年の差なんて」や、日テレの「夜もヒッパレ」とかで見た記憶もある。あと1996年か1997年だったと思うが、これもフジテレビだったが「27時間テレビ」で、たけし・さんま・SMAPと共演していて、深夜のコーナーで、殿が橋さんの秘密(カ●●)をバラしてしまい、大騒ぎになったのは覚えている。私ゃ腹ァ抱えて笑ったから(笑)。-----------------------------------------------------------------2000年代は「日本歌手協会・歌謡祭」で、その姿を客席で何度も見ることができた。その時期は歌手協会のお偉方だった橋さん、水前寺清子が副会長で、それこそ2人で「歌謡祭」を引っ張っておられた時期に、ゆうぽうとや中野サンプラザで何度もその歌声を聴くことができたのは財産である。でも、その後「アレ」との人間関係悪化(軋轢?)があったのだろうか。歌手協会を辞められたのは、本当に残念だった。その後は「夢グループ」の専属となって、例の通販のCMでも姿を見かけてはいたが…。夢グループの石田社長が悪いとは全く言わないが、あれだけの大スターの橋さんが安く売られている…言葉が悪いが「バーゲンセールみたいな感じ」で歌っていたのが、私はどうにもこうにも納得できなかったというか…。カラオケ伴奏だし。「たられば」の話ほどアホらしいものはないが、日本歌手協会に残っておられれば、間違いなく会長になっていただろう。陣頭指揮を執りつつ、歌謡祭のトリで「潮来笠」「いつでも夢を」などを歌って大盛り上がりになることは、容易に想像がつく。そして橋さんの「価値」も全く下がらずに、そしてひょっとしたら認知症にもならずに、もっと頑張れたかもしれない。そんなことを、先ほど聞いた訃報でついつい考えてしまった。「現実は事実」だし、亡くなられてしまったわけだから、今さら何を言っても仕方ないのだが…。------------------------------------------------------------------今となってみたら、あのコロナ禍での歌手引退宣言のとき、既にアルツハイマー型認知症の兆候は出ていたということだろう。その後、復帰宣言をしたときには、結構症状が進んでいたということもあったのかもしれない。でも、そのような状態になっても、もう一度お客さん・ファンの前に帰ってきて、不完全ながらもステージをギリギリまで務めて天国に旅立った…というのは、良かったのかもしれない。昭和35年(1960)デビュー。歌手生活65年!享年も歌手生活の時間も、ほぼ藤山一郎先生と同じだったということか。そう思うと、本当に大きな大きな歌謡界の星を失ったんだ…と思わずにはいられない。橋さん、長い間お疲れさまでした。そして闘病から解放されて、ホッとしておられることでしょう。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2025年09月05日
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いやいや…Ⅹに慣れてしまうと、ホントにこちらのことを失念してしまいますわね(苦笑)。いろいろ世の中あったのに、Ⅹのほうが短文だから、手っ取り早く書ける&レスポンスが早い…ってのが楽でねぇ…。久しぶりに、こちらにも多々宣伝のほうを書かせていただきます!------------------------------------------------------------------9月12日(金)の午後…羽田を私は飛び立ちます!私が43年ぶり(3歳以来)に北海道・札幌の土を踏むという!28年ぶりの飛行機(高3の修学旅行以来!)!そしてそして!人生初のひとり旅!飛行機の乗り方が分からない(涙)‼‼そのような恐怖(?)を乗り越えて、私が行く営業はこちら!『歌のグランドショー』開催日…9月13日(土)開場…17時30分 開演…18時 終演…20時過ぎ(予定)会場…FanStage(札幌市中央区南6条西4-2-4 3階)FanStage料金…2,500円(1ドリンク付き)出演…本多将啓(演奏)ホンダ・サロン・オーケストラ(ゲスト)JUNO、林田雄一予約先… 160honda1911@gmail.com私の昭和歌謡マニアの北海道代表であり、ビッグバンド「ホンダ・サロン・オーケストラ」のバンマスでもある本多将啓さんが、初めて開催するワンマンライブ!20人弱のフル編成で、ジャズと昭和歌謡をたっぷり楽しめる超豪華イベント!ゲストが女性歌手のJUNOさんと、不肖・私でございます(苦笑)。道外からも是非お休み(有休)を取ってお出でいただきたいぐらいの充実した内容になってます!…まだ間に合うでしょう(←無責任)。私は司会と、途中「『なつかしの歌声』大メドレー(歌真似)」と、戦後のコーナーでも2曲、歌真似をやらせていただきます。子供のころからの夢だった「フルバンド伴奏での歌唱」が35年?ぐらいのときを経て、ついに実現する日が来ました(号泣)!ここでの宣伝が、開催ギリギリになってしまったことをお詫びいたしますが、とにかく道外からもお出でくださいませ!---------------------------------------------------------------そして東京近郊の方は、10月8日(水)晩に茅場町「アートスペース兜座」5階にお出でください!こちらはお馴染み吉例公演!「第32回・歌で綴る昭和&平成の時代」開催日…10月8日(水)出演…林家たけ平、桂夏丸、松林伯知、桂しん華 (第2部司会)林田雄一会場…アートスペース兜座5階・演芸フロアアートスペース兜座 日本橋のアーティスト向けレンタルスペース開場…18時 開演…18時30分 終演…21時ごろ料金…(予約)3,000円 (当日)3,500円 *限定35席第1部…「落語・講談競演」第2部…「懐かしのヒットパレード」ご予約は、下記の携帯かメールアドレスまで!0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp090-4183-2028 (←できればショートメールで)毎度のメンバーでお送りする豪華ショー!数えて32回目!もう13年やってます(笑)!今回は増位山太志郎さん・和泉雅子さんの追悼コーナーがございます。あと今までやったことがないコーナーを実験的に設けることができればと考えておりますが…失敗しそうなんでやらないかもしれません(苦笑)。是非ともご来場を!
2025年09月03日
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よく「戦後の日本を明るく照らした3大スター」みたいな括りを考えるとき「美空ひばり」「石原裕次郎」は確定で、あと1人が各人の考え方によって変わる…なんてことがある。私の本音は「森繁久彌」だと思うし、「高倉健」という人も多いと思う。プロレスが好きな人なら「力道山」「アントニオ猪木」と言う方もおられるかもしれない。「植木等」もそうかな?しかし世間的に「ひばり」「裕次郎」と並ぶ、戦後日本の太陽は、やっぱり「ミスター」長嶋茂雄なんではなかろうか。------------------------------------------------------------------巨人軍を愛し、プロ野球界全体を愛し、人の悪口や陰口を言わぬ大らかな人柄。天然ボケと言われてしまうが、数々の珍言動やら珍行動(苦笑)で、日本人に笑顔と元気を与え続けた長嶋さん。2004年3月に重度の脳疾患で倒れられ21年。想像を絶する過酷なリハビリをされていたが…今朝、89年の生涯に幕を下ろした。89は「や・きゅう」とも読めるし、今日は6月3日!自身の背番号(永久欠番)であり、お好きな数字だったという「3」の日にあの世に旅立たれるとは…何たるスター性!訃報を知ったときは驚いたが、上記のことやらを考えるにつけ……「やっぱりミスターは凄いわ!本当にお疲れさまでした!」という言葉しか出てこなかった。そんな感がある。しかし「昭和の巨星堕つ」という言葉が真っ先に頭に浮かんだのは言うまでもない。昭和100年の年に、戦後日本の象徴が旅立った…というのは、単なる寂しさとか悲しさだけで片付けられない。あと徳光さんが「後追い~」するんじゃないかとヒヤヒヤしたが…夕方の日テレのニュースと、その後の追悼特別番組に出ていたからホッとした。明治天皇崩御のときの乃木大将みたいになったら大変だ…とね。-------------------------------------------------------------------正直、私は野球オンチなので、長嶋さんのプレースタイルはまったく語れない。下手にここに書いて「無知なくせに、何を偉そうに書いて粋がっているんだ!この大バカ!ノータリン!お前が死ね!」などと罵倒されたくない(冷汗)。だから、まあ色々思い出す長嶋さんのことをいくつか…。まあ、やっぱり珍言動・珍行動の話になるだろうか。徳光さん筆頭に、ビートたけし・高田文夫などという方々の口から語られる「ホントにそんな人いるのかよ⁉」的な話の数々に、もう腹ァ抱えて笑い転げた。どこまでホントか知らないが…。曰く…・一茂が子供のとき、後楽園球場に連れて行って、帰りに忘れて 球場に置いてきた。・現役時代、柴田選手がロッカールームに小銭を置いてそのまま 着替えていたところ、長嶋さんがその小銭を取ろうとしたので 「ああ、チョーさん!その小銭は僕の…」「あぁ~そうなの? ごめんねぇ、僕のと似てたから!」・外車で上野駅前に乗り付け、エンジンかけっぱなしでそのまんま 地方遠征に行っちゃった。鍵もかけずに。・何かのインタビュー番組で(日テレの「ミユキ野球教室」?) 「お好きな朝食のおかずを1つ挙げてください」と聞かれて、 20品目ぐらい挙げた。・「好きな数字は?」「ラッキーセブンの3!」・支那にロケに行った際「お蕎麦が食べたい…」と言ったのを聞いた 徳光さんが、支那在住の日本蕎麦職人(当然日本人よ)に頼み込んで 蕎麦屋同様のメニューを作れるようにスタンバイ。 「長嶋さん!お好きなものをどうぞ!」「…じゃあ、カツ丼」・「鯖という字は、魚偏にブルーですかぁ?」・クリーニング屋で「いいスーツですねぇ~!お幾らですかぁ?」と 買おうとした。・監督1年目(昭和50年)のとき、「監督になっていかがですか?」 「いや~大変です!何しろ、毎日がジャイアンツ戦ですから!」・自由が丘(か田園調布?)の寿司屋で、自分に全然構ってくれない 寿司屋の大将に「ヘイ!シェフ!」と呼びかけた。・自分で電車などの切符を持ったことがなく(当然買ったこともない) 新幹線の自動改札を通ろうとした際、バーン!と止められ、切符の 投入口に「長嶋です!長嶋です!」と言った。…パッと思いつくだけでこれよ(苦笑)。あと、あんまりここで書くとマズイのもあるが、それはまたポッドキャストで…。あとあれか。世界陸上?だかのときの特別レポーターが長嶋さんで、カール・ルイスに「ヘイ!カール!」っつったのとか(苦笑)。-------------------------------------------------------------------でも、そのような点も含めて、これほどまで愛された野球選手を他に知らない。そして天才的な野球のセンス…その裏には当然、人の数十倍・数百倍の努力があったわけだが…。王貞治さんが記録の人なら、長嶋さんはやっぱり「記憶の人」となるのだろう。長嶋さんのことを神様レベルで崇め奉っている方が、全国に…数十万…いや!数百万はいることは頷ける。-------------------------------------------------------------------昭和33年に巨人軍入団。昭和49年に現役引退。その後は監督2回。そして文化人として大活躍された長嶋さん。普通だったら助からないような脳疾患を乗り越え、身体が不自由になっても、巨人軍の後輩や他球団の選手、そして少年野球の子らに野球の素晴らしさ・楽しさを教え続けた長嶋さん。安倍総理が、長嶋さんに国民栄誉賞を生前に与えたことは、本当によかった。正しい判断だったと思う。そして野球人初の文化勲章に輝いて、天国に旅立った長嶋さん。後年の20年が、過酷なリハビリ~闘病にならなかったら、もっと大活躍されたはずなのに…と思う気持ちもあるが、今はただ冒頭に書いたとおりで「お疲れさまでした」の言葉を送りたい。戦後日本を明るく照らした「ミスター」長嶋茂雄さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。…今日は長嶋さんの立教大学の大先輩の、野球が死ぬほど好きで「野球の合間に歌を歌ってる」と言われた、この人のこの歌でも聴いてから寝るか。今ごろ、この方や川上監督とも会えたかな?
2025年06月03日
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これからここに書く内容は、再来週アップ予定のポッドキャスト「おもしろ演芸&芸能史」でも話していることだが…。私が寄席通いをし始めた2004年ごろ。落語協会の色物のトップは「順子・ひろし」「のいる・こいる」の両コンビだったような気がする。その2組だけでなく、昨年亡くなった三代目林家正楽師や鏡味仙三郎親方、曲独楽のとし松師匠、漫才だとゆめじ・うたじに遊平・かほり、あとニューマリオネット…。とにかく落語芸術協会に引けをとらない豪華さだった。特に寄席通いし始めのころは、誰が主任でも、その芝居に色物は必ず「のいる・こいる」か「順子・ひろし」、噺家では橘家圓蔵師匠がいるとこばかり行っていたような覚えがある…。-------------------------------------------------------------------昭和のいる・こいる。このコンビを初めて見たのは…私が小学校の高学年ぐらいのときの大晦日、昼間にNHKでやっていた「年忘れ漫才競演」という番組だったと思う。浅草公会堂で毎年やってた漫才協会の舞台を中継する番組ね。今はやらなくなったが…。それで「知らない小柄なおじさん」が出てきて話し出したら…のいる先生のフリに対し、こいる先生の「ああしょうがねぇ、しょうがねぇ!」「ハイハイハイハイ!」「そんなもんだ!」という全く心がこもっていない適当な相槌(笑)に、当時10歳ぐらいの私は、オーバーでもなんでもなく窒息寸前ぐらいまで笑い転げたのを覚えている。その当時はコロムビア・トップ先生が漫才協会会長で、メンバーもWけんじに天才・秀才、千代若・千代菊に千夜・一夜…あたりがバリバリに元気だった時代。のいる・こいるのお二人は「年忘れ漫才競演」で見るコンビ…というのが、高校生ぐらいまでの私の印象だった。「なんで、あのおじさん、面白いのに売れないんだろう?」と…。それがひっくり返ったのが、1999年の正月(だったと思う)。フジの吉例特番「爆笑ヒットパレード」に出演したのだ。そして玉置浩二さんがファン、ということで、高田文夫先生作詞・玉置浩二作曲の「そんなもんだよ、しょうがない」という歌が出て、いきなりっつうか、唐突な遅咲きの大ブレーク!自惚れ…というか、偉そうなことを書くかもしれないが、このとき「ほ~れ見ろ!」と思ったのを、よく覚えている(笑)。ブレークのキッカケを作ったのは高田文夫先生なのだが(苦笑)。その後は「笑点」「笑いがいちばん」などなど、数多の演芸番組で欠くことのできない存在となった。寄席にも年がら年中出ており、何度その高座を見たか分からない。毎度のネタでも、もう腹ぁ抱えて毎回笑い転げていた。最初は重い客席でも、だんだん笑いが増えていき、最終的には大爆笑!という高座も何度も見たなぁ…。あと一度、高田文夫先生主催の「我らの高田笑学校」の舞台で、「晩年の東海林太郎先生の物真似」をこいる先生がやったのを見たことがある。当然、直立不動に変わりはないが、ややガニ股になり、前後に身体が揺れながら「名月赤城山」を歌っていた(苦笑)。私は客席で見ていて「…こいる先生は昭和46年大晦日『第4回年忘れ大行進』を見てたんだろう」と思ったのを覚えている(笑)。あれしか考えられないもの!2013年7月に、のいる先生が病に倒れてコンビ活動休止。こいる先生は、順子・ひろしの順子先生とコンビを組んで活動を継続されていた。こいる・順子の高座も数回見たことがあるが、やはり「のいる・こいる」「順子・ひろし」のあの高座には遠く及ばず、少し寂しかった。最後のほうは、こいる先生は漫談をしており、その高座も見た覚えがある。これは結構面白かった…気がする。ところが2021年暮れに、そのこいる先生のほうが先に天国へ。その後を追って…という表現が適切なのか分からないが、24日に肺炎で、のいる先生も88歳で旅立った。あの爆笑漫才が上野で、新宿で、浅草で、池袋で見られなくなって10年以上の歳月が流れたが、未だにあの爆笑の客席に身を置くことができたのを幸運に思う。「順子・ひろし」も「ゆめじ・うたじ」も「遊平・かほり」も勿論のこと。芸協だと「京丸・京平」「ひでや・やすこ」も。昭和のいる先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。
2025年05月27日
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ま~たまた久しぶりのブログになってしまった…ホントにⅩは便利すぎて、こっちがホントにお留守になってしまうという…。Ⅹ(旧Twitter)は宣伝効果も絶大だしねぇ…こちらのブログは、もう19年(‼)もやっているが、どうも宣伝にも仕事にも繋がることがなく…。というわけで、5月と6月の宣伝を2つほど。まず5月。「蓄音機で辿る昭和20年代の流行歌」開催日…5月16日(金)開場…神保町らくごカフェ開場…13時 開演…13時30分 終演…16時(予定)料金…(予約)2,000円 (当日)2,500円司会…小沢たいら https://x.com/crazy_cats1955ゲスト…林田雄一 https://x.com/h3yosebanasi蓄音機担当…北河忠昭 https://x.com/anakuro69予約…tairataira1962@gmail.com (名前・人数・連絡先を明記)今回は昭和20年代のお馴染みのヒット曲を中心に、2時間半の長丁場で20数曲のヒットパレードがお楽しみいただけます!私は大半の歌(?)に、玉置宏&青空たのし直伝のイントロ司会を付けてくれ!との依頼を、小沢君より受けましたので(笑)必死に頑張りたいと思っておりますです!こちらも、らくごカフェでの開催ですので…40人で予約受付は締め切りという感じになるかと思います。平日昼間の開催ゆえに、有給申請などのご都合などもあるかと存じます。お早めに上記のアドレスにご連絡をお願いいたします!--------------------------------------------------------------そして6月には、毎年吉例!昭和54年(1979)生まれトリオの豪華公演がございます!三朝・林田の『芸人さん、いらっしゃい!』第13回 ゲスト:坂本頼光(活動弁士)「日本映画黄金時代を語る!4」開催日:2023年6月25日(水)会場:神保町・らくごカフェ開場:13時 開演:13時30分 終演:16時(予定)出演…春風亭三朝、林田雄一 (ゲスト)坂本頼光料金…(予約)3,000円 (当日)3,500円予約先…(メール)rakugocafe@hotmail.co.jp (電話)03-6268-9818(平日12時~18時受付)下記のアドレスでも、ご予約・お問い合わせを承ります。0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp今回は、昨年の口外できない裏話(苦笑)の続きから、昭和百年にちなんで「往年の邦画スター」の話をたっぷり出来れば…と思っておりますが、当日どうなるかは分かりません(苦笑)!2つの会とも、平日昼間の開催なのでお出でいただくのは難しい方も多いかとは存じますが、有給休暇をお取りになって、是非ともお出でいただければ!よろしくお願い申し上げます!
2025年04月24日
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昨年末の「第22回」、先月11日の「第20回」に続く第3弾!日本のテレビ番組72年の歴史の中で、未だに破られない最高の視聴率、81.4%を叩き出した「第14回紅白歌合戦」が、明後日の午前中にBSで放送される!なぜ今回はBSなのか…?それはさておき、この「第14回」は…私の目が悪いのか、さほどレストアするところはないのでは?と思っている。思い出してみても「あの場面のノイズが酷かった」みたいなのを見た覚えがないからだ。「第22回」「第20回」は家庭用VTRで録られたものだったが、この「第14回」は、いわゆる「キネコ」で収録したもの。だからフィルムっぽい画質は仕方ないし、わざわざVTR風(?)に直すこともなかろう…と思うんだが…。しかも私は、裏にテレ東の「勝手にテレ東批評」「モヤさま」があるから、11時までしか録画が出来ないという(涙)!一応、知人にBlu-rayに焼いてくれ!と頼んではいるが…。------------------------------------------------------------------「第14回」は過去2度、BSの「思い出の紅白歌合戦」で再放送されている。一度は平成8年(1996)末で、第16回(昭和40年)の一部とドッキングで放送された。これはこの年に渥美清が亡くなり、14回・16回共に応援ゲストで出ているから、それもあって再放送されたのだと思われる。2回目は平成13年(2001)のクリスマス。このときが「第14回」単独初の全編再放送となった。96年の再放送時にカットされた歌手や場面も大量に出てきたので、「ああ、本当の流れはこうだったんだ…」と感激しながら見たのを覚えている。当然、今でもVHSで保存しているし(笑)。------------------------------------------------------------------この回は翌年が東京五輪だったので、舞台セットも聖火台&五輪。オープニングは渥美清が聖火ランナーで登場!そしてフィナーレは「蛍の光」ではなく「東京五輪音頭」を藤山先生を芯にして全員で合唱して終わる…という…。高度経済成長まん真ん中の大晦日の匂いが凝縮されている凄い紅白である(笑)!歌われている歌も…今日では忘れられた歌もあるけれど、今でも当たり前に歌われてる「高校三年生」「島のブルース」「島育ち」「こんにちは赤ちゃん」「長崎の女」「見上げてごらん夜の星を」「ホンダラ行進曲」などが出てくる。見応え満点の場面が多い!そして応援ゲストも凄いが、中でも八波むと志の生舞台の動画があるのは一級の価値だろう。三木のり平先生&千葉信雄と3人で「三人吉三」のコントを軽くやっている。この生放送の4日後、八波むと志は自動車事故を起こし、9日に亡くなった。本当に最晩年(この言い方が適切か分からないが)の貴重過ぎる、そして悲しい動画になったということである。柳家金語楼先生、トニー谷、清川虹子、藤田まこと、長谷百合、武智豊子、クレージー、永六輔、黒柳徹子…応援ゲストも凄い!それにしても、ほぼ故人の中、今でも(足が弱ったとはいえ)普通にテレビに出まくっている黒柳徹子は凄いな…(汗)。-----------------------------------------------------------------とにかく、この回も録れる人は必ず録っておいたほうがいい。録れなくても、見られる人は必ず見たほうがいい!…ホント余計なお世話&上から目線だが、これは声を大にして言わせておくんなさい‼
2025年03月06日
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好きか嫌いかで言やぁ、嫌いだった。昔の「なるほど・ザ・ワールド!」のレポーターや、テレ東の月曜夜の生放送「お笑い名人会」などのときは、特に何とも思わなかったが、90年代後半~2000年~2010年ごろの……「テレビ出ずっぱり」のころはイヤだった。「ミリオネア」以外の番組は殆ど見ていなかったような記憶がある。黒光りしたギラついた顔に、非常に癖のある高飛車な仕切り…どうにも趣味が合わなかった感があった。だからこそ…本当に酷い言い方、もうネット上のクレーマーのことを糾弾できない言い方になるが、奥様に先立たれ、TBSの番組でのセクハラや、息子が窃盗で捕まって仕事を干されて、自身もパーキンソン病を患ったと聞いた際「これまでの報いが一気にきたな(笑)」と思ったことがあった。我ながら人非人だなと思うが、正直そう思った。---------------------------------------------------------------1月半ばに焼肉店で(なんでパーキンソン病なのに、そんな嚥下がしにくい物を食べに行っちゃったんだろ?)牛タンを喉に詰まらせ救急搬送(心肺停止で)されて以来、意識不明の状態が続いていたという。そして本日未明に息を引き取った。本名、御法川法男。享年80。嫌いだとは言っても、それは私の勝手な感情。みのさんは天才と言い切っていい仕切りの凄さ、プロの喋りの技術があった方なのは間違いない。学校を休んだり、夏休みのときに見ていた「おもいッきりテレビ」。天才的な話芸を魅せた、フジテレビの「珍プレー好プレー」のナレ。独特のタメが話題になった同じフジの「クイズ・ミリオネア」。テレ東系だと「愛の貧乏脱出大作戦」もあったっけ…なんだかんだ言って見てるじゃないか!みのもんたを(苦笑)‼-------------------------------------------------------------------文化放送のアナウンサーから昭和54年にフリーになったが、一時はあまり仕事がなく、実家の水道メーター会社の仕事をしつつ細々とアナウンス業を続けていたと聞く。私が覚えている、最も古いみのもんたは、上記の「なるほど~」の「国内特集」という番組後半のクイズの出題者(レポーター)だった。「海外特集」は益田由美アナウンサーがやっていたから。あと三朝師匠とやっているポッドキャストでも話したが、テレ東の「お笑い名人会」の司会。この印象が強い。テレ東の演芸番組を一手に作っていた稲井宏明プロデューサーの代表番組のひとつ!第37回「ゲスト・稲井宏明【元テレビ東京プロデューサー】 伝説の番組を語る!①」林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」第38回「ゲスト・稲井宏明【元テレビ東京プロデューサー】 伝説の番組を語る!②」林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」鈴々舎馬風師匠がハリセンで米助・夢之助・左談次・権太楼・鶴光をボコボコに張り倒す「ハリセン大喜利」の仕切りは楽しかった。------------------------------------------------------------------とにかく、あの90年代後半~2010年ぐらいまで?のレギュラーの多さ・多忙さは本当に凄かったと思う。それで銀座に飲みに行って、また朝から生放送で…って、よくあれだけの仕事量をこなしたなと思わずにはいられない。しかし、みのもんたでなければ…という仕事の代表格は、こらもう「珍プレー好プレー」のナレーション以外にないだろう。あれだけは、どんなにみのもんたが(私より遥かに)嫌いな人でも「ありゃ、みのもんたでなきゃ…」と確実に言うだろう。友人である弁士の坂本頼光先生がⅩで「あれはカツベンだ」と仰っていたが、その通り。他愛のないことを言っても、見事に芸に昇華させていた。私は野球は殆ど興味もないし分からないから、珍プレーは楽しく見られるのだが、好プレーの凄さが解らない(苦笑)。んで、確か番組の最後に好プレーをやるのだが、ダブルプレーの見事な送球を表現する際に…うろ覚えで恐縮だが確か、選手の名(苗字)だけをズバッとひと言言うだけで、そのプレーが凄いものでプロ野球の名人芸なんだ…と視聴者に見せることができたのは、凄いテクニック(みのさんの名人芸)だったと思う。----------------------------------------------------------------享年80。もう少し節制した生活をして、セクハラまがいのことをせず、息子さんも真っ当だったなら…今でも普通にテレビで活躍していただろう。間違いなく。いい意味でも悪い意味でも「昭和の匂いのする芸能界の巨星」がまた消えた。嫌いな人だったからか、余計に寂しさが大きい。長い間お疲れさまでした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2025年03月01日
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さあ!今年は「昭和100年」なので、あちこちで昭和を回顧するイベントが多そうですが、私も今のところ2つだけですが(苦笑)、4月と5月にイベントがございます!まず4月のほうから!毎度お馴染み吉例公演のお知らせ!「第31回・歌で綴る昭和&平成の時代」開催日…4月9日(水)出演…林家たけ平、桂夏丸、松林伯知、桂しん華 (第2部司会)林田雄一会場…アートスペース兜座5階・演芸フロアアートスペース兜座 日本橋のアーティスト向けレンタルスペース開場…18時30分 開演…19時 終演…21時15分ごろ?料金…(予約)3,000円 (当日)3,500円 *限定35席第1部…「落語・講談競演」第2部…「懐かしのヒットパレード」ご予約は、下記の携帯かメールアドレスまで!0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp090-4183-2028 (←できればショートメールで)今回から会場が変わります。地下鉄東西線「茅場町駅」が最寄りの「アートスペース兜座」での開催です。非常に小さな会場ですので、チラシにも記しましたが「限定35席」ということにいたします。ということで、ご予約・お問い合わせはお早めにお願いします!今回はアイ・ジョージさん・三浦洸一さんの追悼コーナーを設け、故人を偲ぶほか、なつかしのヒット曲を5人で歌いまくることになるかと…。そして、1年半ぶりに林家たけ平師匠が復活(?)を果たしますので、是非ご来場ください!------------------------------------------------------------------そして5月は、当方がゲストで呼ばれる会が1年3か月ぶりに!「蓄音機で辿る昭和20年代の流行歌」開催日…5月16日(金)開場…神保町らくごカフェ開場…13時 開演…13時30分 終演…16時(予定)料金…(予約)2,000円 (当日)2,500円司会…小沢たいら https://x.com/crazy_cats1955ゲスト…林田雄一 https://x.com/h3yosebanasi蓄音機担当…北河忠昭 https://x.com/anakuro69予約…tairataira1962@gmail.com (名前・人数・連絡先を明記)今回は昭和20年代のお馴染みのヒット曲を中心に、2時間半の長丁場で20数曲のヒットパレードがお楽しみいただけます!私は大半の歌(?)に、玉置宏&青空たのし直伝のイントロ司会を付けてくれ!との依頼を、小沢君より受けましたので(笑)必死に頑張りたいと思っておりますです!こちらも、らくごカフェでの開催ですので…40人で予約受付は締め切りという感じになるかと思います。平日昼間の開催ゆえに、有給申請などのご都合などもあるかと存じます。お早めに上記のアドレスにご連絡をお願いいたします!
2025年02月19日
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紀元節(建国記念日なんて誰が言うか!)の今日、24年2か月ぶりに「第20回NHK紅白歌合戦」が全編再放送された。当方は本日、夜勤明けなので「目が覚めたら夕方だろうから、寝る前にゆっくり見よう」と思って…12時前からガーガー寝て、目が覚めたら、なんと15時(笑)‼…どこまで「昭和歌謡体内時計」が働くんだ、私ぁ…。というわけで、ベッドに横になりながらだったが、久しぶりの全編再放送を楽しんだ。---------------------------------------------------------------まあ24年前の再放送も録画しているので、先日の「第22回」のように事細かには感想を書かないが…。とにかく最も懸念していた伊東ゆかりの歌唱前、そしてダークから中尾ミエの辺りの映像の乱れ(24年前は静止画)はどうなったか?この2点ばかりを気にしながら見ていた…という感じ(笑)。クレージーの応援のところ辺りから、少しハラハラしてね…(笑)。結論から言うと直せなかったようで、伊東ゆかりの登場場面と中尾ミエの歌い出しは、やっぱり静止画になってしまっていた。これはおそらく、ビデオテープのかけ替えのところだったかと推察される。あとテープがくっついちゃっていたとか…。NHKが2インチ回して、カラーでキレイに録っておいたのならそんなことはなかっただろうが、これ家庭用VTRだろうし…でも音は「第22回」より良かったが。しかしながら、伊東ゆかりの曲紹介をする宮田アナのくだりや、ダーク・ダックス「あんな娘がいいな」は全編!そして中尾ミエの曲紹介部分~歌いだしは、ギリギリ修正して動画で流せたのは賞賛に値する!お世辞抜きで!だから24年前より…1分半ぐらい長くなったネ、放送時間(笑)。----------------------------------------------------------------ただ…「第20回紅白」、昨年末初再放送の「第22回」が初見&意外と内容がよかったってなこともあり、全体的な面白さの点で少し評価が落ちる…という感じになったのは、自分でも意外な心境(感想)の変化だった。それにしても…このときの宮田輝アナというのは、NHK内でも絶大な権力があったのでは?と思ってしまうほどの凄い仕切りに、改めて驚いた(笑)。今のフジテレビの日枝氏的な…(笑)「紅組司会・伊東ゆかり」「白組司会・坂本九」となっているが、実質「紅キャプテン」「白キャプテン」みたいな感じで、早い話”1人で紅白の司会をやってる”みたいなんだもの…宮田アナ(汗)。でも坂本九の司会も巧かった。伊東ゆかりも達者よ。あと生バンドね。前半と後半で、バンドが交替するんだから凄い。有馬徹とノーチェ・クバーナ(白・前半)原信夫とシャープス・アンド・フラッツ(紅・前半)宮間利之とニュー・ハード(白・後半)小野満とスイング・ビーバーズ(紅・後半)…だもんねえ!確か「日本レコード大賞」がブルー・コーツで、「年忘れ大行進」が東京ユニオン・オーケストラとシャンブル・サンフォニエットだったか。日本中のビッグバンドも日比谷~銀座界隈に集結してたのね!---------------------------------------------------------------それにしても、この「第20回」は本当に名曲ぞろいで凄い回よ。春日御大「別れの一本杉」、コーちゃん「愛の讃歌」、三波先生「大利根無情」、村田先生「王将」、フランク永井「君恋し」、おミズ「君こそわが命」、サッチン「アカシアの雨がやむとき」、お千代さん「すみだ川」、お嬢「別れてもありがとう」というベテラン勢の迫力、凄さ。先だって亡くなったアイ・ジョージは、改めて聴いたが…やはり凄かったネ。「ク・ク・ル・ク・ク・パロマ」のド迫力!カムバック組の弘田三枝子、佐川満男。中堅のサブちゃんや四天王(橋・舟木・西郷・三田)。若手の佐良・水前寺・森・青江という豪華な面々の勢い。そして初出場組の森山良子、高田恭子などの若々しさ。どの歌手も第一級品の歌唱を魅せて、また聴かせてくれた。-----------------------------------------------------------急にふと思ったのだが、こないだの「第22回」と今日放送の「第20回」しか往年の紅白を見たことがない人からしたら、デューク・エイセスは、毎回「♪ゲロゲロ」だけしか歌わないグループだって思われてやしないかね(笑)?あとね…言いたかないけど、クレージーにも歌ってほしかった。ドリフが正式出場じゃないのに(応援団)なのに、あれだけ九と一緒に歌っているんだから!ドリフ絶頂期の凄いVTRだった、あの民謡&軍歌メドレーは。-------------------------------------------------------------それにしても……カルメン・マキは協調性がねぇなぁ(苦笑)。歌の中身やキャラ的に、陽気に振る舞うのは憚られるとこもあったのかもしれないが…なんだかねぇ(苦笑)。後ろの席で応援とかしないで、ずっとつまんなそうなんだもの(笑)。百歩譲って、緊張してた?ということも言えなくもないけど。越路吹雪が「ジーパン穿いて出る歌手と一緒に出たくない」と言って、これが最後の紅白出場になったのが、少~しだけ解る気もする。お嬢やお千代さんやチータを見てると、キチンと「『紅白』に己を合わせる」ことが出来てるから。でも「時には母のない子のように」は最高だった!佐良&森山のギター伴奏も好い。------------------------------------------------------------さあ!次は、どの回が4Kレストアされるのだろうか(笑)?個人的には、これで「映像が現存していて、なおかつ通しを見たことがない回」は、昭和42年「第18回」だけになった。九重佑三子が紅組司会の。昭和45年の「第21回」は、雨降りボロボロカラーキネコしかなさそうだから、もう私は諦めた(苦笑)。でも昔、第21回のモノクロVTR(今日の第20回みたいな画質の)を見た覚えもあるのだが…あれは行方不明になっちゃったのだろうか??まあとりあえず、第18回(昭和42年)が見てみたいところではあるか。クレージーが最後の”歌手としての”出演でもあるし、五代目圓楽師匠が応援ゲストで来ているし。あと…克美しげるが、だいぶ前に亡くなられたわけだから、もう解禁してもらって第16回(昭和40年)のカラーVTRの4Kレストアもお願いしたいところだ。東海林太郎先生が「赤城の子守唄」でカムバック出場している回だし!そして…そろそろ…テレビ東京もなんとかしてもらえないだろうかね(苦笑)?お金のない局なのは知っているけど…ある程度の予算を組んで「人に歴史あり」「なつかしの歌声」「年忘れ大行進」4Kレストアをお願いしたいものである。
2025年02月11日
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1969年放送の『NHK紅白歌合戦』をまるごと再放送!貴重映像を最新技術でリマスター(THE FIRST TIMES) - Yahoo!ニュース第20回NHK紅白歌合戦|番組|NHKアーカイブス昨年12月の中旬に、2日間に分けて放送された「第22回NHK紅白歌合戦」。昭和歌謡ファン・懐メロファン・VTRマニアが狂喜乱舞した(と思われる)素晴らしい再放送だった。それに続いて第2弾!なんと2月11日に昭和44年大晦日放送の「第20回NHK紅白歌合戦」が全編リマスター再放送されるとのニュースが入ってきた。ただ、こちらは「第22回」と違い、今から24年と少し前の2000年のクリスマスの昼間に全編再放送されており、私はその録画をVHSで持っている。稀にYouTubeに違法アップロードされる(苦笑)44年紅白の映像は、ここから出ているものだろう。その再放送時はノイズなども除去されておらず、確か紅組司会の伊東ゆかりの歌う前、それからダーク・ダックスの歌の途中から中尾ミエの歌唱途中まで静止画だった。それゆえ、2時間45分の放送時間の紅白だが、このときは2時間42分ぐらいになっていたはず。ビデオを再生して確認すりゃいいんだが、面倒でね…(笑)。今回のレストアで、その伊東ゆかり歌唱前やダーク・ダックスと中尾ミエの歌唱部分がキレイに再放送されることを、切に願う。あのボロボロの46年大晦日を、あそこまで見られる状態にした技術があれば、今回のなんざぁお茶の子サイサイだと思うが…。そういえば、昨年末に日大の刑部芳則教授と電話で話したときに聞いた話だが、レストア前「第22回紅白」でのザ・ピーナッツの歌唱部分は、ホントにどうしようもなかったらしい!音声が歪んでて、もっとノイズが酷く…と言っていたかと思う。「それがあれだけになったんだから、凄いよ!」と言っていた。-----------------------------------------------------------------「第20回紅白」、惜しむらくはNHKに残っている映像がモノクロ…ということだ。カラー写真は現存しているのだから、それこそお正月にEテレでやった、三代目金馬師匠のようにAIでカラー化…ってことを望みたかったが、いくらかかるか分からんか…(苦笑)。この「第20回」が放送された昭和44年大晦日は……もうこの話を私は10万回ぐらいしてきたと思うが(苦笑)「年末3大歌謡番組」が初めて集結した大晦日である。TBSが、前年まで12月中旬に放送していた「レコード大賞」を大晦日カラー生放送に持ってきたのが、この年。会場はお堀端の帝国劇場。そして東京12チャンネルが前年から始めた「なつかしの歌声」の大晦日特番を、3時間に拡大&12チャンネル初のカラー生放送で歌舞伎座からぶつけたのも、この年!(下の写真)んでさぁ…そのTBSとテレ東がさぁ…カラーでピカピカの映像で保存しているのよ、今でも!なんでNHKだけが、映像保存に杜撰…というか、キチンと将来のことを考えておかなかったんだろう?そこだけは勿体ない、残念だと思うが…まあ高い技術力でにより、一層素晴らしい画質で「第20回」を楽しめることができそうだ。今回は1日で全部放送してくれるみたいだし(笑)。個人的な、この年のオススメ歌唱映像は…。まず白組。先だって亡くなったアイ・ジョージ「ククル・クク・パロマ」がギター1本の弾き語りで素晴らしい。完全に持ち時間を無視しているんじゃないか?と心配になるぐらい歌っていた(笑)。そして、我らが春日八郎御大の「別れの一本杉」!何度となくテレビで歌ってきた春日八郎御大の代表曲だが、ベストテークはこれかもしれない。御大の声の伸びも素晴らしいが、後ろでロマンチカの三條正人がずっと一緒に歌っているのが見切れているのがいい(笑)。三波春夫「大利根無情」ベストテークも、この44年大晦日だろう。まだ若々しい三波先生の、ド迫力の台詞回しが聴ける。ただ1番の途中だったと思うが、お客がカメラ前を堂々と横切ってしまっているのが残念(笑)。あとは村田英雄先生「王将」、水原弘「君こそわが命」もいいし、フランク永井「君恋し」、北島三郎「加賀の女」…まあ早い話がみんないいです(爆笑)。紅組も同様で…(笑)。トップバッターの青江三奈「池袋の夜」が素晴らしい。当時の紅組キャプテンだった越路吹雪「愛の讃歌」もいいテーク。自分の世界に皆を合わせさせる…というよりは、紅白に合わせて庶民的な感じを醸し出して歌っているのがいい。そりゃね…後ろで団扇や扇子で応援されながらだと、自分の歌の世界は出しにくいかもしれんネ(笑)。いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」、奥村チヨ「恋泥棒」、森山良子「禁じられた恋」、岸洋子「夜明けのうた」…今でも歌われる名曲がこれでもかと、満漢全席状態で出てくるから…まあ凄い!トリのお嬢「別れてもありがとう」も凄い!応援ゲストも…クレージー・ドリフ・藤田まこと・なべおさみ・森光子・黒柳徹子・左卜全(‼)・森繁久彌・関敬六・南利明…。そして、演芸ファン狂喜乱舞なのが、三遊亭小圓遊・月の家圓鏡(八代目圓蔵)・古今亭志ん朝という噺家のお師匠さん3人だよ‼もう夢のようだ…(号泣)。-----------------------------------------------------------------まだご覧になったことのない、若き昭和歌謡ファンの方々!これは本当に(大きなお世話ですが)絶対に見逃してはいけない再放送だと思います。「テメエに言われる筋合いはない!」とお思いでしょうが、言わせてください!再放送当日、大きな事件事故や気象その他が何も起きないよう祈りましょう。ニュース速報入れられたらブチ壊しですからね。
2025年01月31日
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享年97!もう本当の大往生と言って差し支えないだろう。非常に寂しいことではあるが…。NHKやテレ東の歌唱映像を見たり、SP盤を集めたりしていた私が生で歌謡ショーを見るようになったのは、2003年以降のこと。その頃で、大ベテランの位置にいたのがが田端義夫と青葉笙子。昭和20年代デビューのベテラン歌手が岡本敦郎・三條町子・久保幸江・安藤まり子・初代コロムビアローズ。その下の「昭和30年代スター」の中で中心的な位置にいた歌手が「Wこういち」のお一人、三浦洸一さんだったように思う。青木光一・曽根史郎・白根一男の3人も日本歌手協会「歌謡祭」に出なくなって久しく、近年は見に行くこともなくなった。正月の12時間放送も、所々しか見ていない。大津さんも体調を崩されたと聞いたし、こまどり姉妹も妹さんがソロで歌うようになっているし。-----------------------------------------------------------------昭和30年代前半の大スターだった三浦さんだが、当然デビューは昭和28年。2月にNHK・8月に日テレが開局した、テレビ元年のときのデビューである。お生まれは昭和3年(1928)の元日。神奈川県三浦市のお寺の三男。東洋音楽学校(今の東京音大)を卒業後、吉田正門下生となる。昭和28年にビクターから「さすらいの恋唄」でデビュー。芸名の由来は当然生まれ故郷からで、本当は「三浦光一」にするはずが、コロムビアに青木光一がいるので、「洸一」にしたという話がある。「さすらいの恋唄」は小ヒット…という感じだったみたいだが、次の「落葉しぐれ」が大ヒットしてスター歌手の仲間入り。その後は「弁天小僧」「あれが空似というものか」「東京の人」「あゝダムの町」「踊子」「街燈」「釧路の駅でさようなら」など、数々の大ヒットを飛ばした。「NHK紅白」には8回出場。昭和40年代の空前の懐メロブームでは東京12チャンネル「なつかしの歌声」に多数出演。大晦日「年忘れ大行進」には、昭和45年「第3回」以降、ほぼ毎年出演されていた。ところで…今回の訃報の中で、日刊スポーツとデイリースポーツに「春日八郎さんと三橋美智也さんと『御三家』で人気」という見出しが書いてあったが…そんな括りは聞いたことがない(笑)。これ、だいぶ昔に歌手協会の現理事長と銀座で飲んだことがあり、そのときに「『春日・三橋・村田』で『三人の会』だけど、本当に昭和30年代前半で人気があった並びだと『春日・三橋・三浦』か『春日・三橋・若原』じゃないの??」という話題で盛り上がったことがあったのだが、それをどこかで誰かが書いたか、又聞きで書いちゃったんじゃないか?とも思ってしまった(笑)。まあ確かに、人気は「春日・三橋・三浦」だったかもしれないが、それを「トリオ」「御三家」と呼んだ活字は見たことがない!誰が書いたんだ?この見出しは。…話がズレた。元に戻して…。私は小さいころで記憶が曖昧…というか殆ど覚えていないのだが、昭和58年には「笑っていいとも!」にレギュラー出演!おもしろいおじさん枠(?)での出演だったみたい。どういうこっちゃ??2011年ぐらいまでは、歌唱力が衰えつつも舞台に立たれていたが、2012年7月の靖国神社での「みたままつり・奉納歌謡ショー」が最後の舞台になられたようだ。--------------------------------------------------------------------三浦先生の他界で、日本から「折り目正しく真っ直ぐに歌う歌手」は絶滅してしまったのかもしれない。まあ、こう書くと一部で炎上するかもしれないが、そう思う。私は後年の舞台しか見ていないので、やや衰えた歌唱の印象があるのが残念ではある。それでも生で数々の大ヒット曲を聴けた、生の舞台に多く間に合ったことは、財産である。個人的に好きな三浦さんの歌だが、やはり「街燈」は外せない。レコードでは勿論知っていたが、平成9年の「第28回・夏祭りにっぽんの歌」で初めてテレビ歌唱バージョンを聴けて、より好きになったのを覚えている。あとは「弁天小僧」だろうか。私が昭和歌謡ファンになったキッカケの1つは春日御大の「お富さん」だが、平成2年の大晦日「第23回・年忘れにっぽんの歌」で、「お富さん」と「弁天小僧」が立て続けに聴けたのは嬉しいものだった。このときが「弁天小僧」の初聴きで、まだ小6だったからか一発で覚えて、よく歌っていたのを思い出す。渋いところだと、手拍子ものの「あれが空似というものか」も捨てがたい。十八番の文芸ものだと、やはり代表曲のひとつの「踊子」になるだろうか。テレビ東京では、大体メジャーな歌しか歌わなかった(歌わせてもらえなかった?)三浦さんだが、昭和49年1月の「なつかしの歌声」では、珍しく「釧路の駅でさようなら」を歌っている。この歌も好い。この歌は、確か2005年か2006年の「歌謡祭」で歌っていて、目の前で聴けて大感動して、小声で歌っていた…ゆうぽうとの客席で(苦笑)。あと「東京の人」も好きなのだが、この歌はあまり目の前で聴けなかった記憶がある。この歌は昭和46年大晦日の歌唱が素晴らしい。折り目正しいステージマナーも含めて。「落葉しぐれ」は、大晦日初登場の昭和45年の歌舞伎座のテークがいい。歌いだしで客席から拍手が来ていて、まだこの時点では、あまり「懐メロ歌手」ではなかったことが伺える。あとNHKの「ビッグショー」で、高島忠夫をゲストに招いてのワンマンショーがあって、この回も凄かった。滅多にテレビで歌わない「流転」(上原敏と別曲)や「舟唄」(八代亜紀と別曲)も歌っていて、感動したのを思い出す。歌は最高!でもトークが…(苦笑) | 日日是口実 - 楽天ブログ今になって読み返すと酷い文章だが(笑)、確かに全然フリーのトークが出来なくて、高島忠夫が進行していたんだった。----------------------------------------------------------------1月11日に老衰で亡くなられたという。97歳になったばかり…ということだ。ここ2年近くは入院をされていたようだし、ご家族は、さぞ大変だったかと思う。本当なら、NHKもテレ東も追悼特別番組を編成するほどのスター歌手なのだが…まあ、多分やらないだろうね(嘲笑)。BSテレ東の「プレイバック~」ではやるだろうけども…。とにかく日本歌謡界の大きな大きな星が、また消えた。三浦洸一さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2025年01月21日
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一昨日、ある落語関係の知り合いにダビングを頼まれて、昨年末ここで書いた「第22回NHK紅白歌合戦」を見ていた。その後に、続けて昭和38年大晦日の「第14回」も見ていて…。この紅白に出ていた昭和のスター歌手の訃報を連続で聞くことになって、非常に落胆している。アイ・ジョージさんが91歳、三浦洸一さんが97歳…そりゃもうお二人とも大往生に違いないのだが、とにかく寂しい。特に三浦先生は、何度となく生のステージを見ることができたし、2度ほどご挨拶をさせていただく機会もあった。------------------------------------------------------------------アイ・ジョージさんから。とにかく「あの声」であろう。力強く伸びと張りがある堪らない艶のある美声。そして「譜面どおりに歌わない」タメを利かせた(笑)歌い方は、私もよく真似している。ただ物凄く肺活量を必要とする歌い方なので、絶好調のときしか歌真似できない…。昭和8年に香港で生まれた。お母様がスペイン系のフィリピン人で、あのラテンムードは、そこから滲み出たものだろう。ご家族には恵まれなかった方で、祖母・父母も早くに他界されて、孤児のような状態で様々な職業を転々としたと聞く。流しの歌手をしていたときにスカウトされ、昭和28年「黒田春雄」という芸名でテイチクからデビュー。歌謡曲を歌っていたのだが、パッとしなかったために退社。また流しに戻った後、昭和34年に大阪のキャバレーの専属歌手になった。その後、同年「トリオ・ロス・パンチョス」来日公演で坂本スミ子と共に前座を務めたことで名が上がり、またテイチクと専属契約を結んだ。昭和35年に、自ら作曲した「硝子のジョニー」が大ヒット!同年の大晦日には「第11回NHK紅白歌合戦」に初出場して、そこから…昨年末に再放送された昭和46年の「第22回~」まで、連続12回の出場を果たしている。昭和38年には、興行的には失敗だったようだが日本人として初めてアメリカのカーネギーホールでの公演を行っている。--------------------------------------------------------------------紅白では「ポピュラー」を歌うことが多かった。とにかく(親友であり商売敵だった)フランク永井と並ぶ、歌の巧さがある人だったと思う。春日・三橋が「和」なら、こちらは当然「洋」ね。フランク永井が「柔」ならば、アイ・ジョージは「剛」という感じの声の違いがあったように思うが、私は2人の声は大好きだった。ただ…ウチの父親も言っていたのだが「山師」とでも言うのか、妙な「ひと山当てたい!」の気持ちがあった人らしく…。それで方々に借金があって、それこそヤ〇ザに追い掛け回されていて、なかなかテレビに出られない…みたいな噂も聞いたことがあった。91歳までお元気でおられたのに、平成以降、テレビやステージでその姿を見ることが殆どできなかったのは、ホント勿体無いとしか言えない。36年の間、懐メロファンをやってきて、過去映像ではなくリアルでアイ・ジョージの歌唱をテレビで見たのはただ一度、平成8年の大晦日「第29回・年忘れにっぽんの歌」の第2部だけ。テレ東の第1スタジオ(現・神谷町1スタ)で「ラ・マラゲーニャ」と「硝子のジョニー」を、全盛時と全く変わらない伸びのある声で歌い上げたのを、よく覚えている。一度でいいから、目の前であの美声を聴いてみたかった。今さら言っても仕方ないが…変な山っ気を出さず、歌の道だけに専念してくれていれば、「夏祭り」も「年忘れ」も「思い出のメロディー」にも、数多く出られたに違いない。声の衰えも殆どなかったと聞いているので、「硝子のジョニー」も「赤いグラス」も、数々のスタンダードナンバーも、画と音が多く残ったことだろう。それだけは本当に残念。個人的には、昭和52年と昭和58年の「NHK思い出のメロディー」で歌った「硝子のジョニー」が素晴らしかった。昭和56年7月のテレ東「第12回・夏祭りにっぽんの歌」で歌われたのはフルコーラスで、浅草国際劇場に響いたテークも捨てがたい。昭和43年12月放送のTBS「日本レコード大賞10周年記念番組」で「硝子のジョニー」を歌ったときは、あの”タメ”が効きすぎていて、1番の途中でバンド演奏とズレてしまう(苦笑)ところがあったが、あれも凄い声だった。「赤いグラス」は、昭和40年の紅白しか見たことがないからなぁ…。あと、どのような性格の方か知らないが、昭和40年代の紅白では…盛り上げ係とでも言うのだろうか?やたら奇声を発したり踊ったり、という場面を何度か見た(笑)。歌の印象と全然違うという…。特に昭和43年の第19回では、フランク永井「加茂川ブルース」の間奏で応援の三浦布美子が出てきたとき、ひな壇で「イヤ~ァ‼」と謎の奇声を発していたし(笑)、デュークエイセス「いい湯だな」のときは、頭に手ぬぐいを載せて、ひょっとこみたいな顔をして踊っていた…(汗)。昭和46年の「第22回」でもやってたみたい。まあ、そのような点も含めて、一流のエンターテイナーだったということは間違いない。自宅での急逝だったと聞く。近年はペースメーカーを入れていたという話だが、ヒートショック的なものだったのだろうか…。アイ・ジョージさんのご冥福を、心よりお祈りいたします。
2025年01月21日
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2025年!皇紀2685年!あけましておめでとうございます!本年も、何卒よろしくお願い申し上げます。…1月9日(木)にもなって、今さら何を言っているんだ⁉というクレームはなしで、重ねてお願いいたします(笑)。今年は昭和100年!というわけで、ポッドキャストは勿論ですが、いろいろ動こうと思っています。今のところ決まっているのは、下記の3つであります!是非ともご予定は空けておいていただければ有難いです!なんせ…全てが平日の昼間or夜の開催なんで(苦笑)。有休取って来てください!4月9日(水)夜…「第31回・歌で綴る昭和&平成の時代」会場…アートスペース兜座5階・演芸フロア*時間および入場料その他は未定。5月16日(金)昼…「レコードコンサートのゲスト」会場…神保町らくごカフェ*私はゲストで呼ばれているので、内容その他は未定!…というか何も聞いてない!6月25日(水)昼…「頼光・三朝・林田三人会(仮)」会場…神保町らくごカフェ*時間および入場料その他は未定あと、夏に(7月~9月の間あたりの昼間)に、私がひとりでらくごカフェで「ちょっと大きめの”昭和歌謡関連”の連続イベント」を考えております!こちらも本決まりになったら、大々的に宣伝させていただこうかと思います!本年も当ブログ・当ポッドキャスト・各イベントを何とぞよろしくお願い申し上げます!
2025年01月09日
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いや~今年は本当に、時の流れが速かった!そしてⅩ(旧Twitter)を使用することに慣れてきたら、こちらに何にも書かなくなってしまったという…。当ブログのファンの方、大変申し訳ございません。林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」(@h3yosebanasi)さん / Xだってさ~影響力は大きいし、いろいろな方と繋がれるしさ~…便利なんだもの(笑)。私に対する「アンチ」という方もかなり大勢いるのだろうが、見ないで済むから楽でいい。1月1日の能登半島地震から、もう1年経つというのが信じがたい。そして数多のお別れもあり、日本を不幸にする国賊内閣になって、将来に希望は持ちにくくなるし、街ぁ外人(特に支那人)が多くて不快だし。来年は…ブログはどうなるか分かりませんが、ポッドキャストもブログもⅩもご贔屓いただきますよう、何とぞよろしくお願い申しあげる次第です!ポッドキャストも3方向でやっておりますので、お正月休みのお暇なときにお聴きいただければ幸いです!林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」 | stand.fmおもしろ演芸チャンネル - YouTube
2024年12月31日
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さて昨日の続き。今日も仕事だったので、帰宅後にウキウキしながら堪能することと相成った。-------------------------------------------------------------もうすぐ電報のサービスがなくなる…とかいう話を聞いた気がするが、紅白名物の電報読み。「南極の氷はどこも白かった」的なやつ!今はⅩの呟きとかを画面下に出してるのかね?せめて激励メールを紅白両軍の司会者に読ませたほうが、多少雰囲気が出ると思うんだが…こんな意見は「時代遅れ」だって一蹴されんだろうね(苦笑)。由紀さおり「初恋の丘」。私は不勉強で知らない歌だったが、母親は「あったあった!」と言っていた(苦笑)。お次はクール・ファイブの欠場により繰り上げ出場になったフォーリーブス「地球はひとつ」。間奏の北公次のバク転が物凄くて驚いた!朝丘雪路「雨がやんだら」。「11PM」で大橋巨泉と名コンビを組んで「繭子ひとり」に出演していて、もう八面六臂の活躍をされていた中で放った大ヒット。ここで時刻は10時30分。ヒデとロザンナ「望むものはすべて」。この歌も知らんかった。リズム楽器での応援が菅原洋一・坂本九・尾崎紀世彦・堺正章・アイジョージという贅沢。雪村いづみ「涙」。これは…また不勉強で申し訳ないのだが、サンレモとかの歌なのだろうか?ドラマチックかつ高らかに歌い上げていた。お次はアイ・ジョージ「自由通りの午後」。…なんかもう不勉強でなんなんだが、この歌も初めて聴いた。作曲者と出場回数のテロップが切れていたから、おそらく画面下部に修正しきれないノイズが出て、画面をズームしたのだろう。伊東ゆかり「誰も知らない」。この歌は、一昨年の歌手協会歌謡祭で聴いた。53年前のVTRだが、今と声があんまり変わっていないのは素直に凄いと思った。--------------------------------------------------------------3回目の中間発表の後、何故かタヒチアン?ポリネシアン?のダンスが唐突に始まった(笑)。常磐ハワイアンセンターとか…からだったのかいな??いしだあゆみ「砂漠のような東京で」。以前、このVTRを見たときは画面全体が白っぽく、カーテン越しみたいな画で見にくかったのだが、ピカピカの映像になっていて嬉しい。間奏の日比谷の夜景もよかった。白組に大御大・古賀政男先生が登場!東京に来たてホヤホヤのころの思い出を語った後、村田英雄「人生劇場」の指揮を!イントロで宮田輝が「楠木繁夫さん、中島孝さんと歌われ…」と言ったのには非常に驚いた!中島孝の名前を出した司会は、まずこれだけだろう。トップ先生も言ってなかったしな…。初出場の本田路津子「一人の手」。この歌、何回か前の「歌で綴る~」で夏丸師匠が歌っていた。私が知らなくて大恥かいた歌だよ(苦笑)。この年、天皇陛下(昭和天皇)がご訪欧された年だったようで、両陛下をお乗せした飛行機の機長とCAさんへ、宮田アナがインタビュー。そして…そしてだよ…‼‼大正10年、昭和天皇が皇太子時代にご訪欧されたときに出来た歌を、我らが藤山一郎先生が金ピカアコーディオンを弾きながら歌唱するという激レア場面(涙)‼‼「なつかしの歌声・放送全記録」を作ったときから、ず~っと気になっていた場面をついに見られたこの感激!この喜び!ワンコーラスだけだったが、本当に凄いものだった。そして「飛行機つながり」ということで、我らがフランク永井「羽田発7時50分」!この歌の歌唱映像、テレビ東京に1本だけ、しかもワンコーラスのみだった。これで無事に、今後「フランク永井特集」がNHKで組まれるときは、この映像が使われるようになるでしょう(笑)。ザ・ピーナッツ「サンフランシスコの女(ひと)」。歌謡曲系を歌うようになった時期の歌だが、抜群のハーモニーを聴かせてくれた。間奏で物凄いノイズが出ていたが、鑑賞に堪えるまでここまで修正できたのは凄いと、素直に賛辞を贈りたい。宝塚歌劇団雪組のラインダンスが。まあ考えてみれば、ここは東京宝塚劇場なんであって、こっちが本来の使い方(?)だが…。これは紅組メンバーに「スータン」こと真帆志ぶきがいたから、特例での出演みたいなもんだったのかもしれない。宮田アナと尾崎紀世彦の2人で、ボクシングの大場選手を紹介したあとに、初出場のマチャアキ・堺正章巨匠の登場!「さらば恋人」が大ヒットして、TBSドラマ「時間ですよ」も大当たりしていたときの…まさに絶頂期の抜群の歌声!今まで何度となく「さらば恋人」を聴いてきたが、ベストテークはこれだろう!同じく初出場の渚ゆう子「京都慕情」。この第22回は、私も知らない歌も多くあるが、今でも普通に歌い継がれている歌がこんなに大量にあったのね…(感涙)。関西からの応援で、当時「ドツキ漫才」で一世を風靡していた正司敏江・玲児のご両人と笑福亭仁鶴師匠が登場!私もテレビで、後年のドツキ漫才は何度となく見ていたが、全盛期は飛び蹴り…というか、ドロップキックしていたとは知らなかった。これは演芸マニアも大喜びの貴重映像。急に画面は東京宝塚劇場の外。坂本九がレポーターになって、当時最先端だったのだろうか?今の電気自動車を「無公害自動車」という名で紹介していた。当時は公害問題の真っ只中だったからか…。バッテリーで動いていたのだろうか?その中継が半ば強制的にぶった切られ(笑)、舞台には千昌夫が登場して「わが町は緑なりき」。この歌も初聴。タイトルがジョン・フォードの映画だな…と思った。ここで画面が切り替わり、急に画質が落ちて、音もモノラルになった。ラジオの録音音声みたいに聴こえたが…。ここら辺も修正に骨が折れたのだろうと推察される…。あるいは宮田アナが自宅で録っていたVTR以外のものが見つかったんだろうか?都はるみの登場で「港町」。そして白組に三波春夫先生が登場!白組バンド紹介のあと、これもテレビでの歌唱はレアであろう「桃中軒雲右ェ門」!歌いだしが少しだけバンドとズレたが、すぐにリカバーして抜群の喉を聴かせてくれた。間奏での「南部坂雪の別れ」が結構のひと言!2番の途中で、音質が元に戻った(笑)。4回目の中間発表の後、急に鶴岡雅義・五木ひろし・堺正章・森進一・ちあきなおみでの時代劇コント。何でかいな?と思っていたら、舞台中央から橋幸夫が鯔背な丁髷姿で登場。マイク前で雪駄が滑ったのはご愛敬か(笑)。歌は「次郎長笠」。間奏の立ち回りも懐かしい。にしても、若いときの橋幸夫の丁髷姿は市川雷蔵ソックリだ!そしてスータン・真帆志ぶきで「嘆きのインディアン」。この歌は外国曲のカヴァー…で合ってるのだろうか?ホントに不勉強で申し訳ない‼宮川泰先生がド派手に登場して、布施明「愛の終りに」。テロップを見たら「作曲・クニ河内」となってた。自分の曲じゃないのに、何故に出てきたのであろうか(笑)??宮川先生の指揮棒が派手で、曲の最後に銀色の紙吹雪まで撒いていた(苦笑)。歌手より目立つ指揮者(笑)。弘田三枝子は「バラの革命」。この人が故人というのが、何だか今でも信じられない。歌は当然、抜群の巧さ。鶴岡雅義と東京ロマンチカは「追憶」。この歌も作曲が平尾昌晃先生だった。この年、大活躍だったのね…。三條正人のヒサシ頭が懐かしい。昭和40年代後半~50年代前半の「紅白」のシンボルだった佐良直美は「片道列車」。この歌も知らなかった。改めて佐良直美の歌の巧さに気付かされた。白組のヒザは、早世してしまったおミズ・水原弘の登場!ハマクラ先生作詞・作曲の「こんど生まれて来る時は」という「ヘンな女」の続編みたいな歌だった。薗田憲一とデキシーキングスの伴奏も非常に好く、おミズの歌とアドリブの巧さに唸った1曲。和田アキ子・佐良直美のご両人が司会に回り、水前寺清子の「ああ男なら男なら」。客席からの「チータ‼‼」の絶叫も懐かしく、紅組総出の応援も実に往年の紅白らしい。チータの親友、青江三奈の心からの応援が強く印象に残った。そしてトリ!白は猪俣先生の指揮で森進一「おふくろさん」!何かにとり憑かれたような絶唱…つうか熱唱!センターマイクがグラグラ揺れるわ、瞳孔は開いているわ…見ていた子供が泣き出した…つう噂を聞いたことがあるが…まあホントかもしれない(苦笑)。そのあと、なんと雪之丞姿の長谷川一夫先生が颯爽と登場!美空ひばりの東海林先生カヴァー「むらさき小唄」に合わせて踊り、白組と紅組で長谷川先生を取り合うというひとくだりがあった後、いよいよ大トリ!長谷川先生が「私の妹姐、美空ひばりでございます!」と紹介。鈴木文弥アナの司会(影ナレ)で出てくる特別待遇で「この道を行く」をフルで絶唱!お嬢が好きとか、嫌いとかは関係ない。お嬢の声は、まさに1年を締めくくるに相応しい貫禄と、誰も超えることの出来ない問答無用の迫力があった。これが紅白のトリなのよ!よく考えたら第22回紅白、古賀政男・藤山一郎・長谷川一夫・美空ひばりと、国民栄誉賞受賞者が4人も出ている!凄い…。---------------------------------------------------------------そして最終集計の結果、白組が僅差で3年ぶりに勝利。最後に驚いたのは「蛍の光」の指揮が、藤山先生じゃなくて客席にいた岩城宏之先生だったこと!藤山先生は歌ったら、家に帰っちゃったのだろうか??…それにしてもね、今日が大晦日なんじゃないか?と思うほど「第22回紅白」を堪能してしまった。あのボロボロVTRをここまでの画に修復したスタッフの方々には、心からのお礼を申し上げたい。ありがとうございました。大晦日は、21時からもう1回これ見るか(笑)。その前は「第4回年忘れ大行進」も見なくちゃね(笑)。
2024年12月16日
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往年のVTRマニア、そして昭和歌謡マニアが心待ちにしていた「第22回NHK紅白歌合戦」のレストア完全版?再放送!…私は仕事だったので、19時に帰宅して湯に入って夜飯食べて、ポッドキャストをアップした後、先ほどまでじっくり見ていた。冷静に考えれば、当時リアルタイムで見ていた人以外は初めて見る往年の「紅白」だったわけで、私も「残ってないと思っていたVが見つかった!」という気持ちに近い感じで見ることとなった。-----------------------------------------------------------------いろいろ問題だらけのNHKではあるが、今日だけは手放しで褒めたい!それは、ほぼ余計なテロップ(ワイプ)を後付けで入れることがなかったからだ。そして当然16:9の画角で4:3の番組を放送したわけだが、横の黒味にも何も余計な字を入れなかったのは本当に素晴らしかった。歌詞も出さなかったし。集中力が途切れたり、横っことに気が散ることは全くなかった。大きなノイズは取ることができなかったようだが、それでも以前に見たときよりは発色もキレイになっていたと思う。音質の悪さは仕方ないところもあるのだろうが、もうこれで十分だと…。-----------------------------------------------------------------まずオープニング。昭和38年以来?の東京宝塚劇場の表から撮る(中に入っていく)演出。これは、おそらくNHKがハンドカメラを導入したてホヤホヤで、それを思う存分ひけらかしたかったのかもしれない(笑)。裏番組の12チャンネル「なつかしの歌声・年忘れ大行進」では、この翌々年の昭和48年大晦日から、ハンドカメラを使って中継をしている箇所が見受けられる。多分テレ東は2年弱、ハンドカメラ導入が遅れたのだろう…。それはさておき、宮田輝アナ・水前寺清子の2人が少し喋って、すぐに入場行進→選手宣誓→スクールメイツのダンス!無駄の全くない導入部が堪らないネ。聞いてるかぁ⁉今のテレビマンはよぉ!お馴染みの「スタインソング」を舞台中央で指揮しているのは歌舞伎座から飛んできた藤山一郎先生!「第4回年忘れ」の衣装のままで指揮してるのが確認できた(笑)。------------------------------------------------------------------そのあとは、もう言わずもがな!トップバッターの尾崎紀世彦はつい10分前まで帝国劇場にいたわけで…いくら近いとはいえ…どうやって宝塚劇場に来たのだろう?と思うほどの瞬間移動(笑)。南沙織・スターにしきの・ピンキラ・美川憲一・和田アキ子の若々しい歌唱映像。生バンドの音も冴えわたって結構!この回が最後の紅白になってしまった坂本九。新婚ホヤホヤのときで、ヒデとロザンナが神主と巫女さんになって出てきて祝詞をあげるという演出(笑)。このVを柏木由紀子が見たら…懐かしいのと辛い気持ちが同時に来るだろうな…と思った。事故がなかったら、絶対平成の紅白にカムバックしただろうし、俳優としても司会者としても、今でも大活躍したことは容易に想像できる。ちあきなおみの抜群の巧さ。西郷輝彦「掠奪」は初聴だったが、青春歌謡から抜け出した感じの歌でよかった。途中ブレイクが入ったときに、紅組バンドが岸洋子「希望」の演奏を始めてしまったのが、実に生という感じのハプニングで個人的には楽しかった(笑)。白組の控えにいるデューク・エイセスが紅組のほうをジーッと見ていたのが印象に残ったネ。岸洋子「希望」も実によいテーク…だったが!途中で音ありのニュース速報が入ってしまったのは本当に残念‼まあ確かに大事であることに変わりないが、もう少し速報を出すタイミングを後ろにずらしてもよかったのでは??私はますます朝鮮人と南北朝鮮が嫌いになりました(笑)。これがあるから、もう一度BSで…2日に分けないで1回で全部再放送してくれませんかねぇ???そして、珍しく1回目の中間発表後に審査員を発表するというかたち。鈴木文弥アナの声も懐かしかったが、審査員の中に浪曲師の浪花家辰造先生と、この翌々年に交通事故で急逝してしまったボクシングの大場政夫がいたのは驚いた!そして、各地方の一般の審査員の方々を、1人1人紹介していたのも懐かしい。ドリフの応援合戦も…ベタな内容なのだが懐かしく、何故か思わず涙腺が緩んで…(涙)。反日左巻き(嘲笑)の加藤登紀子も初出場。今よりさっぱりした歌い方での「知床旅情」。でも、この歌はやっぱ森繁だわね。デュークの「にほんのうたメドレー」も好い。金髪度合いが物凄い(笑)青江三奈の「長崎未練」、そして今では大御所になった五木ひろしも「よこはま・たそがれ」で初出場。ちょっと音がヨレヨレ(元のテープのせい)だったが、平尾先生の指揮もいい!そして、小柳ルミ子「わたしの城下町」も平尾先生の指揮で。こちらも初出場だったが、ここもテープが痛んでて音がヨレていたのは残念だった。-----------------------------------------------------------------コント55号の応援…これは以前、何かの番組で見たことあったが思い切り「キチガイ」って言っていたのを(笑)切らなかったのは素晴らしかった!一部のクレーマーに気を遣うことなんざない!はしだのりひことクライマックス「花嫁」の歌唱映像だって、冷静に考えたら国宝級の貴重さであろう。藤圭子は当時結婚していた前川清が、急病で紅白に出られなくなって、「みちのく小唄」の後に、クールファイブが歌うはずだった「港の別れ唄」をクールファイブを従えて歌う演出が、実に素晴らしかった。朝ドラ「繭子ひとり」の映像は公式に1本も残っていないので、このような形でも雰囲気が判るのは貴重であろう。三代目の猫八師匠と石井均(伊東四朗の師匠)がいい。舟木一夫「初恋」。藤村の詞に曲を付けたのがあったとは…。そしてお千代さんの「竜飛岬」。「10:00」の時刻が出たので、この時点で藤山先生は、再度歌舞伎座から宝塚劇場に向かって急いでいる…というところだろう(笑)。北島三郎「北海太鼓」。この歌もよく知らなかったが、画質が著しく悪くなっていた。これはおそらく画面下部のノイズ除去ができなくて、ズームアップしたからだろう…。威勢のいい歌で実に「紅白」っぽくて良かった。美空ひばり・雪村いづみ・真帆志ぶきの3人で歌う「アニーよ銃を取れ」の替え歌。これ本来は3人娘にしたかったのだと思うが、江利チエミが出場を辞退してこの形になったのだと推察される。翌年が札幌五輪だったので、白はダーク・ダックスが「白銀は招くよ」「白い恋人たち」をメドレーで。いいねぇ、こういう歌での「紅白」は。紅はトワエモアが「虹と雪のバラード」。東京の人にはあんまり…なのだが、北海道の方には堪らなく懐かしく思い出深い歌であろう。そしてドリフと55号の合同コント!これはホントに貴重品!こんなもんが残っていたとは…私も初めて見たよ、これ。今でも元気な菅原洋一「忘れな草をあなたに」。宮田アナの司会が、歌の内容とも札幌五輪とも関係なくて笑った(笑)。…とまあ、大長文をアットランダムに書き綴ったが…明日もこれと同じような分量の後編に……なってほしい(懇願)‼‼あと私が見たい歌手の出番は、ほぼ明日だったことに見終わって気が付いた(笑)。
2024年12月14日
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またブログを書かずに1カ月以上が過ぎたが…この僅かな間にも中山美穂さんの急逝やら小倉智昭さんの死去など、信じられない訃報が相次いだ。立川流のぜん馬師匠も鬼籍に入られた。そのあたりのことは、またポッドキャストか12月27日(金)昼のらくごカフェで話すことになるかと思う。------------------------------------------------------------------そのような中…まあ先月あたりに入ってきた(いい意味で)耳を疑う情報だったが、これがいよいよ今週末に迫ってきた。昭和46年大晦日「第22回NHK紅白歌合戦」が、VTRの痛んだ箇所を修復して(4Kレストア)、2日に分けて全編が再放送されるという!懐かしの「NHK紅白歌合戦〜第22回」(リマスター版・前編) - みんなのベスト紅白 - NHKこれを最初に聞いたときの驚きと喜びったらなかった。そして…私が昔の歌番組マニア(VTR保存調査マニア)だからというのがあるのだが「あんなボロボロVTRなんて直せるの?」ってぇのが、まあ正直な感想だった…かね。今年の夏、中公新書から「昭和歌謡史」という名著を出版された、日本大学商学部の刑部芳則教授。この教授に以前に聞いたことがあったのだが、この「第22回紅白~」のVTRの傷み具合は半端なもんじゃないらしい。刑部教授が「途中の映像がダメみたい」と教えてくれたことがあった。私もマニアだから、いろいろ断片的に見たことはあったのだが、確かいしだあゆみのところとか、坂本九・舟木一夫あたりの画は色が褪せていて、ノイズが酷かったり、上下に画がブレていたり…とにかく「見ていて気持ち悪くなる」レベルのVTR(苦笑)。また北島三郎・三波春夫・村田英雄・フランク永井の歌唱映像は、今の今まで見たことがない。というか歌唱曲リストを見てみると、殆ど後の懐メロ番組やら特集番組で使われていない(見たことが全くない)映像ばかり!2020年と2022年に私が自費で作った同人誌「なつかしの歌声・放送全記録(増補改訂版)」でも記したが、藤山一郎先生が東京12チャンネルの「第4回年忘れ大行進」のフィナーレに並ばずに東京宝塚劇場に飛んでいって(?)歌った「皇太子裕仁親王欧州訪問の歌」も見たことがない。今週末の全編再放送で、この辺の箇所がキチンとレストアされて放送されるのか?が非常に気になるところではある。個人的に歌唱映像を見たいのは…まず白組。村田英雄「人生劇場」フランク永井「羽田発7時50分」三波春夫「桃中軒雲右ェ門」橋幸夫「次郎長笠」水原弘「こんど生まれてくる時は」紅組だと…島倉千代子「竜飛岬」都はるみ「港町」ザ・ピーナッツ「サンフランシスコの女」という感じだろうか。勿論藤山先生の歌唱もだし、応援ゲストや合間の中継なども非常に気になるものだ。明後日・明々後日が非常に気になる!見終わったあとの感想もここで記すことになるだろう。変な編集やテロップ追加・ワイプ追加などがない、生のままの再放送の心から希望したい。…あの「ボロボロVTR」を直して再放送できる技術力と予算…NHKぁ凄いもんだ。そういえば昔、TBSも昭和46年大晦日「日本レコード大賞」をCSでノーカット再放送したことがあったっけ。…あとはさぁ、最もキレイに保存されてて、修正するところも殆どないんだからさぁ…テレ東もやってくれよ!「年忘れ」のノーカット再放送を!
2024年12月12日
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最近、すっかりⅩ(旧Twitter)のほうばかりに気を取られて…こちらに書くのは、なんと4か月ぶり!この間にも、桂米丸師匠や大山のぶ代さん、西田敏行さんなどが旅立たれたり、総理大臣が薄気味悪いのに変わったり…。トランプ氏が昨日、大統領に返り咲いたが、こうなると安倍総理がいないことが本当に悔やまれてならない。せめて高市早苗氏が総理大臣ならば、まだ世界の均衡は保てたのに、あんなベトベト喋りの国賊(および国賊だらけの内閣)じゃ、米国も相手にしないだろうし…。高市早苗氏のバックに麻生閣下がいるが、4月の訪米でトランプ氏に会ったのは流石だった。石破氏には1日も早い退陣を願って、女性初の総理・高市早苗氏に華々しい活躍をしていただきたいものだ。------------------------------------------------------------------さて!今日は11月7日ですが!あと20日後に、深川江戸資料館において、大イベントがございます!神田真紅改め、三代目松林伯知真打昇進襲名披露記念公演!是非ともご来場を!「第30回・歌で綴る昭和&平成の時代」出演…神田真紅改め三代目松林伯知、桂夏丸、春風亭三朝、桂しん華、神田紅希(前座)、(第2部司会)林田雄一会場…深川江戸資料館・小劇場https://www.kcf.or.jp/fukagawa/開場…18時30分 開演…19時 終演…21時15分ごろ?第1部…「落語・講談競演」(真打昇進披露口上あり)第2部…「年忘れ!懐かしのヒットパレード」ご予約は、下記の携帯かメールアドレスまで!0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp090-4183-2028 (←できればショートメールで)第1回目からのレギュラーメンバー・林家たけ平師匠が、なんと「にっぽり館」の会とバッティングしてしまい(苦笑)今回は欠席!代演に、ただいま「おもしろ演芸&芸能史」を一緒にやっております春風亭三朝師匠がお出になります!披露口上あり!落語&講談あり!そして中入り後は…懐かしの昭和歌謡ショーありと、豪華絢爛の2時間強!伯知先生の真打昇進襲名披露記念ですので、是非とも深川にご来場ください!何卒よろしくお願い申し上げます!
2024年11月07日
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Ⅹ上に溢れた「蓮舫赤軍」という洒落は、本当に上手いな…と思った。左巻きの「他人のことを何とも思わない」無神経さに呆れはてた都民は(ある意味悲観的に、または消去法で)現職の小池氏を選んだのだろう。小池都知事も運のいい人だと心底思う。私は入れなかったが。ちなみに私は政策とイデオロギー的に、田母神俊雄氏に一票を投じた。桜井誠氏と最後まで迷ったけれど…。---------------------------------------------------------------「反差別」を訴えながらイデオロギーの違う他人に対しキチ●イじみた集団リンチをし、「反原発」を訴えながら電気を使いまくり(笑)、「反戦」を訴えながら喧嘩ばかりの鬼畜・人非人・人でなしのクズ連中。その頭にいるのが、あの二重国籍のカミツキガメよ(嘲笑)。他人は非人道的に攻撃し、逆に自分が攻撃されると「ヘイトだ」「差別だ」と喚き散らすウスラクズ。こんなのが都知事になりゃ、そらもう本当に「民主主義は死んだ」ってなことになっただろう。あのカミツキガメに票を入れた人の神経は、全く理解できない。それに味方した左派マスコミも酷いもんだ。でも…小池都知事も、私はイヤだった……。どうしても投票用紙に「小池百合子」と書きたくなかったところはあった。全部が悪いと決して言わないが、まあいろいろと…ね。----------------------------------------------------------------それにしても、日本人のモラルは本当に低下したと嘆きたくなる。明日はキ●ガイの凶弾に安倍総理が斃れて2年目(三回忌)。非常に失礼な書き方になるが、1人の政治家が暗殺されたことで、ここまで日本は、いろいろとダメになるもんなんだろうか?一縷の望みは、高市早苗氏が総理大臣になることだけか。
2024年07月07日
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人間というものは楽なほうへ、楽なほうへと流れていってしまうものなのだ…というのを痛感した(苦笑)。再三ここで書いたが、昨年10月に職場の同僚に、半ば強制的に始めさせられた(と思っていた)Ⅹ(旧Twitter)。…宣伝にしても…影響力にしても…20年近くも書き続けてきたこのブログの何倍も力があり、また文章を強制的に短く纏めて書かざるを得ない「制限」が、自分の性質に合っていたっぽい。そんなわけで、ここに何かを記すことが霧の彼方にいっていた。たまには何か書かにゃ…というわけで久々に。----------------------------------------------------------------前回は増山江威子さんの訃報だったが、この1か月の間に続けて様々なジャンルから訃報が相次いだ。振付の真島茂樹さん、噺家の桂ざこば師匠、歌手の門倉有希さん、女優の久我美子さん・山田昌さん、声優の三輪勝恵さん、芸協の音曲師の松乃家扇鶴師匠、声優の松野太紀さん…。久我さんと山田昌さんは大往生…という感じだが、あとの方はまだまだ…という早い別れであったよう思う。真島さん・ざこば師匠・三輪さんは「突然の別れ」だったように聞いているし…また様々な「時代」が遠くなっていった。皆さんのご冥福をお祈りいたします。------------------------------------------------------------------そして都知事選挙。「東京生まれの東京育ち」というのが何より誇りである私だが、こればかりは東京生まれであることを恨む。田母神俊雄氏と桜井誠氏と暇空茜氏以外に、まともな候補者がいるのか⁉「おもしろ人間コンテスト」じゃねえんだ!都知事選は‼‼------------------------------------------------------------------ということで、三朝師匠とやっているポッドキャストですが…毎週アップしております!YouTubeは、少し遅れてのアップになっていますが、是非お聴きくださいませ!https://stand.fm/channels/65336bacbcd1491cab734e2dhttps://hayashidasanncyo.seesaa.net/https://www.youtube.com/@hayashida-engei
2024年07月05日
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今週また、大きな訃報が飛び込んできた。いま現在、40~50代には耳馴染の「ルパン三世」の声優陣が、全員鬼籍に入ったことになる。峰不二子・キューティーハニー・バカボンのママ・パー子……色っぽい声から優しい声まで、数々の声でお馴染みだった声優の増山江威子さんが、5月20日に88歳で亡くなったことが判った。-----------------------------------------------------------------個人的には「キューティーハニー」は生まれる前の作品なのでキチンと見たことがない。やはり増山さんといえば「峰不二子」「バカボンのママ」「パー子」にとどめを刺す、私は。初代の峰不二子は二階堂由紀子さん(今は亡き柳生博の奥さま)だったが、やはり増山さんが耳馴染であり、親しんだ声。その色っぽい美声の反対が、バカボンのママであった(笑)。何故あのような人(笑)と結婚したのか(パパ側から見たらできたのか)が全く理解できないほどの良妻賢母ぶりを見せ、稀に激怒はしていたけど、パパやバカボン、ハジメちゃんを温かく守るような優しい声は忘れられない。-----------------------------------------------------------------パー子の声も…ちょうど今、45歳凸凹の世代は、テレビ朝日の藤子アニメドンピシャ世代なので、思い出す人も多いだろう。ご承知のとおりの「パーマン3号」であって、決して「林家」ではない(笑)。勿論、正体はアイドルの星野スミレ。可愛らしさと、おてんば娘(これも死語か…)の中間という感じの、あの声も忘れ難いものだ。あと3度目リメイク時の「オバQ」のU子さんも演っていた。こちらは非常にダミ声というか…言われなきゃ増山さんだと気付かなかったのを覚えている。毒蝮三太夫師と高校生?ぐらいのときからの知り合いで、昨年に蝮さんのYouTubeにお出になったのが最後…だったのだと思う。https://www.youtube.com/watch?v=yDsKkTeo5K8https://www.youtube.com/watch?v=br7D6i2xj78増山さんのお名前は、談志家元からも聞いていたし(同い年)、青春時代の仲間であったのだろう。全員、昭和11年生まれ。話が少しそれるが、増山さんも家元も蝮さんも、比較的私の家から近いところの出身でもある。大田区と品川区だから。蝮さんにしてみれば、同世代がどんどんいなくなっていくのは身を切られる思いであろう…。蝮さんには、まだお元気でいていただきたいもんだ。増山江威子さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。長い間本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。
2024年06月06日
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昭和54年(1979)生まれの私が、幼いころに(勿論テレビで)認識した、女流漫才コンビを思い返してみると…。東京が「内海桂子・好江」の両師匠、そして関西が「若井小づえ・みどり」、そして「今いくよ・くるよ」の両コンビだったように覚えている。「春やすこ・けいこ」は、活動期間が短かったのかあまり記憶に残っていない。漫才の女性コンビで、最も活躍し全国区でその名を知られたのはやっぱり「今いくよ・くるよ」のご両人になるのではないか。2015年に、いくよ師匠が胃がんで急逝し、その後1人で頑張ってこられたくるよ師匠が、27日に膵臓がんで亡くなったという。年齢は非公表とのことだが、昭和45年(1970)に今喜多代師匠の門を叩いた(高校卒業後)とのことなので、私の母親と同い年…といったところだろう。最後の舞台は、一昨年の吉本興業の「伝説の一日」のときだったと聞いている。そのときの写真を見たのだが、派手な衣装に変わりはなかったものの、車椅子姿で人相が完全に変わってしまっていて、非常に辛かった。-------------------------------------------------------------------漫才ブームで、世間に出たのは昭和55年(1980)になるか。高校の同級生で共にソフトボール部だった、いくよ・くるよのお二人。プライベートでも非常に仲が良かったと聞く。私が覚えている最古のいくよ・くるよは、確か日曜の昼間に日テレで放送していた「目方でドーン!」だったはず。若き日のさんま師匠と司会をしていて…早い話が「ガッチリ買いまショウ」の重さ版の番組。これのオープニングだかでくるよ師匠が腹をバーン!と叩くのを覚えている。あとは「花王名人劇場」や「笑点」、そしてお正月の「初詣!爆笑ヒットパレード」(フジ)や「初笑い東西寄席」(NHK)で何度となく舞台を見てきた。東京の人間なので、残念ながら生でその姿を見ることはできなかった。上記のとおり普通は…って…普通がそうだということに対して、あまりいい感情は持てないが…漫才コンビは仲が悪いのが定番。しかし、いくよ・くるよの漫才は仲の良さが滲み出る温かさと、くるよ師匠のド派手な衣装で笑わせる両方があったように思う。空気・雰囲気だけで言えば、東京だが「さまぁ~ず」が近いか。こちらは2人とも派手じゃないけども。ただ、往年の「海原お浜・小浜」や弟子の「海原千里・万里」、「若井小づえ・みどり」とか、今の女流トップの「海原やすよ・ともこ」に比べると、笑いの量では若干少なかった。あくまでも個人的見解だが。でも、あのパワフルながらも温かい2人の掛け合いは、やっぱり見事だったし、素晴らしかったと今さらながらに思う。もう20年以上前になると思うが、上記の「初笑い東西寄席」でなんばグランド花月から生中継で出演したとき、くるよ師匠の衣装が…確かモスラの幼虫みたいなのが巻かれた衣装だった。それで、激しく動く度に静電気が発生し、センターマイクから「ボン!ボン!ボン!」と爆発音のような音が度々出てしまい、いくよ師匠が「…何とかならんの?」みたいに困惑した舞台を見て大笑いしたのが、懐かしい思い出となっている(笑)。9年ぶりに、あの世で「いくよ・くるよ再結成」となった。命日が1日違いというのも、お二人の仲の良さの表れだろう。くるよ師匠。本当に長い間、お疲れさまでございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2024年05月28日
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これほど多くの人に愛されて、親しまれ、そして低音が出せる男性に物真似された(苦笑)名優を他に知らない。昨日の昼間、突然飛び込んできた訃報に、私は声を失った。「福ちゃん」のCMは勿論、BSの”ジャパネットたかた”の豪華客船クルーズの番組で夫婦そろって出ていたのを見たし、確か「オルニチン」のサプリの通販番組でも見たはずだ。---------------------------------------------------------------デビュー当時は精悍な二枚目、その後は悪役俳優として一世風靡、30年近く前にフジ「GTO」でイヤミな教頭役で出演した後は、数々のバラエティー番組に出演。あの低音ボイス&歯に衣着せぬ発言で、数多の番組を盛り上げてきた中尾彬さんが先週木曜日に急逝されたことが分かった。享年81。今のご時世で考えれば、81歳は若い、若い。高橋英樹も橋爪功も石坂浩二も、普通にテレビに出ていることを考えれば、その死は「あまりに若い…」と思わざるを得ない感じがする…。---------------------------------------------------------------中尾さんは、ドラマで見た記憶は私の中ではあまりない。やはりバラエティー番組に進出してからの、数々の爆笑名場面が今でも強く印象に残っている。バラエティーに初めて出られたのは、どの番組なのだろう?私の記憶だと、よみうりテレビ「ダウンタウンDX」だったように思うが…。それこそ、まだトレードマークの「ねじねじ」をしてはいなかったんじゃないかと思う。記憶が曖昧だが。もしかしたら、ウッチャンナンチャンの番組が先だったかもしれない…。まあ、とにかく「ダウンタウンDX」における、俳優仲間で親友の江守徹との丁々発止のかけ合いに、何度となく笑わされたものだ。素晴らしい演技力を持つ美声で強面のコンビが、小学生レベルのおバカな言い争いを、よくしていたっけ。本業の演技では、個人的に「平成ゴジラ」の「vsメカゴジラ」から登場したゴジラ迎撃専門組織「Gフォース」の麻生司令官(大佐)役が印象に残っている。あと伊丹十三監督の「ミンボーの女」でのヤクザ役が忘れ難い。ゴキブリを料理に入れて恫喝するという…そらもう最低なヤクザ役だったが(苦笑)どこかにコミカルさを含んだ演技が凄かったっけ。-------------------------------------------------------------------16日の夜、自宅で池波志乃さんが隣にいるときに、スーッと眠るように天国に旅立たれたという。今年に入って体調が悪かったという話だが、今月頭にはCM撮影もこなしたというから、本当に突然のお別れだったようだ。奥さまの家から考えれば当然だが、グルメや芸術・美術だけでなく落語にも精通していた中尾さん。十数年前だが、上野鈴本演芸場で大阪から三枝(現・文枝)師匠がいらした特別興行のとき、私が最後列で立見で見ていたとき、30センチ隣で中尾さんが見ていて、目と目が合って震え上がったのを覚えている(笑)。声こそ出さなかったが、あの声で「何ィ見てるんだよ、お前は!」と言われるような眼光が忘れられない(笑)。もうひとつ思い出があって、10年前に新宿末廣亭で「十代目馬生三十三回忌追善興行」のとき、座談会ゲストで夫婦で高座に登場。そのとき、先代馬生師匠のエッセイ(名文!)の朗読を中尾さんがしたのだが…その深く響く低音の美声と、口跡の凄さに唸ったのも忘れられないものだ。-------------------------------------------------------------------今ごろは…あの世に着いて、義理の父である先代馬生師匠、そして義理の母の治子夫人。志ん生師匠に志ん朝師匠。おまけに談志家元なんかと久しぶりに会って、色々話しているところだろうか。中尾彬さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。本当に長い間お疲れさまでございました。
2024年05月23日
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我々関東の人間にも、絶大な知名度を誇った「関西の巨人」が5月14日に93歳で亡くなった。髪型のことやら何やらでイジられることも多かったが、この方は間違いなく「天才」である。「浪花のモーツァルト」、作曲家のキダ・タロー大先生。「大先生」と書くと、なんというか半分小バカにしているように受け取られてしまう危険性もあるかもしれないが、間違いなく大先生でしょう、この方は!-----------------------------------------------------------------あの数多のCMソング、テレビ番組のテーマソング、社歌に校歌に団体歌。生涯の作曲数は、1000曲だか2000曲だか5000曲だかと言われているそうな(汗)。我らが家元、立川談志師匠が「この1曲を作ったということで、あなた(キダ先生)は生まれてきた価値がある」と言わしめた、歌謡曲の代表曲「ふるさとのはなしをしよう」が良い(北原謙二・昭和40年)。私は立川流の新年会に呼ばれたことはなかったが(当たり前だ)、必ず立川流の集まりでは、この曲の合唱が吉例だったという。ある意味、立川流のテーマソングのひとつと言ってもいいかも。------------------------------------------------------------------関東の人間でも知っている、数々の関西のテレビ番組のテーマ。世間的には「プロポーズ大作戦」が最も有名なのだろうが、私が懐かしく思い出すのは「2時のワイドショー」(笑)。嫁姑問題とかを、ミヤコ蝶々先生とか海原小浜師匠とが出てきて議論?していたのを思い出す。「ラブアタック!」とか「花の新婚!カンピューター作戦」は、タイトルは聞いたことがあるが、関東で知る人は少ないだろう。あと「三枝の国盗りゲーム」は見てたなぁ…坊主めくりのやつ!------------------------------------------------------------------そしてCMソングよ!「かに道楽」に「小山ゆうえんち」「日本海みそ」「出前一丁」「アサヒペン」に「有馬兵衛向陽閣」!どれも懐かしい。関西の番組は、関東では土日の午後によく放送されていたから、なんというか休みの日の出かけない午後(笑)を思い出すような楽曲ばかりである。特に「アサヒペン」。これ、やっぱりあれか、「アタック25」のスポンサーだったからかいな?------------------------------------------------------------------テレビ番組のテーマ…というか、キダ・タロー先生の大事な仕事の中で、この番組は上位に来るであろう…というのが、1つある。名古屋の「初代ラ・ビ・アン・ボーズ」(元・仙漁海太郎)氏が全ての放送リストを調べデータベース本を作成したが、東京12チャンネルの「なつかしの歌声」に対抗して、大阪・読売テレビが作った懐メロ番組「帰ってきた歌謡曲」!この番組では、テーマ曲の作曲だけでなく、毎週フルバンドの指揮をキダ先生はされていた(つまりアレンジもしていたということ)。東海林・藤山の両先生を筆頭に、ミネ・淡谷・渡辺・霧島・灰田という面々と毎週仕事をされていたわけでもある!これは凄いことだ。ちなみに上記の本、なんとキダ先生の事務所にも送ったとのことだが、明確な返事は来なかったとのこと…仙漁海太郎氏はガッカリしてたがそりゃ…仕方ないだろう(苦笑)。もう、この本も、私が制作した「なつかしの歌声・放送全記録」も既に販売の注文予約は受け付けておりませんので、ご了承を。どうしても…と仰せの方が、5人以上いらしたらなんとかしますが、たぶん、もう誰も何も言ってこないと思うので(笑)。---------------------------------------------------------------------話が若干逸れたが、キダ・タロー先生の功績は本当に凄い。関西では先月まで「探偵ナイトスクープ」に出ておられたと聞く。まさに「生涯現役」の大往生。とても寂しいことではあるが、これは本当に素晴らしいことだ。キダ・タロー先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2024年05月18日
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5月10日(金)のこと。普通に出勤して仕事をしていたら…急速に体調が悪くなった。いわゆる「悪寒がはしる」というやつで、あげく下半身が鉛が入ったように重くて動かない。会社から早めに帰宅し、近所の病院へ。かかりつけの医者曰く「単なる風邪だろうけど、一応検査しておこう」と…コロナとインフルエンザが一度に分かる検査キットで、検査をしたら…。見たことのない二本線。「ありゃ!コロナだよ」「はあぁ⁉」慌てて会社に連絡して、自宅内で自主隔離。そこからが大変。酷い高熱・関節痛・神経痛にうなされ、連続2時間も寝られれば御の字という。それが収まったら、今まで経験したことのないとんでもない喉の痛み。わずかな固形物を飲み込むのが、まるで剣山を飲み込んでいるかのようだった。まあ熱や関節痛は、今まで何度も経験があるから、辛くともある種「想定内」みたいな感もあったが、この喉の痛みは普通の風邪ではないぞ!というのを教えられた感じがした(涙)。ロクに固形物を食べていないから、この1週間で1キロ少し痩せた。2月の風邪で4キロ近く痩せたので、昨年末から比べたら6キロほど痩せたことになる。いいんだか悪いんだか(苦笑)。世界的なコロナ流行から4年。今回、私もとうとう支那共産党に酷ぇ目に遭わされた…って、そんなこと言う人ぁもういねぇか(笑)。こういう場合も流行にズレて乗るのね、私ゃ(苦笑)。
2024年05月17日
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職場の同僚に…半ば強制的というか命令的(笑)にⅩ(Twitter)を始めさせられて、半年が過ぎた…。私は炎上するような呟きは、くだらないことで揉めたくないので一切しないのだが…X(Twitter)の影響力は、少なく見積もってもこのブログの3倍~5倍はあるような気がする。とはいえ、私は短文というのが異常に苦手で(苦笑)半年過ぎて「上手く書けた!」という呟き(何だそりゃ)は皆無(涙)。炎上だろうが何だろうが、SNSをバズらせられる人が羨ましい…私の呟きは、あまり大した閲覧数じゃないからねぇ…。でも、このような考え方が「異常な己の承認欲求」に繋がって、回転寿司の醤油ペロペロだとかの「バカ動画」に行きついて、人生崩壊の一途を辿るのだろう……そこは自制しなくてはね。-----------------------------------------------------------------毎度の宣伝ブログになってしまいますが、昨年4月から始めた三朝師匠とのポッドキャスト「おもしろ演芸&芸能史」、これがまた大好評で(大袈裟に言ってます。フェイクニュース寸前)。しかし、演芸関係の方からご好評をいただいているのは事実で、ゲストも豪華な面々が、今後出てくださることになってます!「seesaaブログ」「stand.fm」「YouTube」の3媒体?でアップしていますので、各媒体での再生数は少ないですが、全体を合わせると、まあまあ…という感じではないでしょうか?林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」 (seesaa.net)林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」 | stand.fmおもしろ演芸チャンネル - YouTube理想は各媒体で1度ずつお聴きいただきたいものですが(笑)、んなこたぁ無理だと思いますので、どれかでお聴きください。ご感想もいただければ幸いです。
2024年05月05日
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演芸番組に関して…非常に喜ばしいことと、絶望的なこととが同時にやってきた今月。まず喜ばしいほうから。NHKのEテレ(教育テレビ)が毎週火曜の22時45分から30分間「おとなのEテレタイムマシン」と題して、往年の演芸番組のVTRをリマスターしてノーカットで再放送してくれる枠を設けてくれた。第1回目が、昭和62年放送「演芸指定席」(←「日本の話芸」の前身番組)から、志ん朝師匠の「火焔太鼓」!第2回目が、平成7年放送の「日本の話芸」から、桂枝雀師匠の「貧乏神」(小佐田定雄・作)!このラインナップだけでも、落語ファン狂喜乱舞というところ!2007年ごろに欠かさず録画していた、BS2の「蔵出しエンターテインメント」を思い出さずにはいられない!よく、このブログでも感想を書いていたものだ…懐かしい…。ちなみに第3回目は、談志家元の「居残り佐平次」だという!たぶん昭和54年(1979)のスタジオ収録の…あまり気乗りしていない高座のやつだと思うが(苦笑)それでも有難い!なるべく長く放送し続けてもらいたいものだと、切に願う。------------------------------------------------------------------逆に「ふざけるな!」と憤ったのがテレビ神奈川!tvkね!毎週日曜昼のお楽しみ。寄席に行けないときが続いても、これを見ていれば寄席に行った気になれていた「浅草お茶の間寄席」の放送を3月末で打ち切ったのだ!20年もやっていたのに!この番組はチバテレビの制作で、tvkは番組を買って1週遅れ(もっと遅れていたときもあった)で放送していた。今月に入って…私は日曜日は出勤なので、帰宅してHDDを見たら録れていたのが台湾ドラマ。最初は「枠移動でもしたのかな…?」と思い、3月31日放送回を再度見てみたところ、エンディング(提供画面?鰻の幇間の画が映るところ)の画面上部に「本日で最終回です」の文字が!「はあぁ⁉」ってなもんだ。いくら放送がチバテレビより遅れていても、東京の城南地区の人間にとってはtvkの放送が何より命綱だったわけだから!あと、もうひとつ「お茶の間寄席」が大事だった理由があって…たけ平師や夏丸師から「自分が出た回を録ってくれ」と頼まれることがあったのだが、これに対処できなくなってしまったのがホント痛い!このことは夏丸師にもメールで伝えたのだが、師匠が言うには「周囲でもこの話が結構出ている」とのこと。困っている噺家も大勢いることだろう。全員が見られるわけじゃないし、夏丸師も自宅ではチバテレビもtvkも入らないと言っていたわけで。これは「クイズ!脳ベルSHOW」週1縮小問題と同等に、私にとっては由々しき一大事よ(オーバーだとバカにしないで!)。これこそ、tvkに抗議メールがかなり行っているんじゃないかと思われる。私もメールしようと思ったぐらいだから。打ち切り理由は何なのだろう?予算なのか数字なのか……?
2024年04月12日
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ダメだ…勘が鈍ったなぁ…。というか、友人知人の噺家さんで候補を考えすぎて、広い視点がなかった感じがする。しかし!ネットの変な視点の妙な意見に左右されず、最もよい人選がされたことは、本当に安心したしホッとした。同じか。それにしても…今朝リーク記事が出ていたのは、どこから話が漏れたんだろうか?宮治師・一之輔師レギュラー入りの際の、あの箝口令の凄さから考えると、ちょっと脇が甘かったか…あるいは口が軽い関係者が1人いたんだろう(苦笑)。日テレの上層部は、あの記事見て腹ぁ立っただろうな…(笑)。--------------------------------------------------------------新メンバーは、やはりBS「笑点特大号」内の若手大喜利から選ばれた、立川晴の輔師匠になった。なぜ、この名前が全く私の頭に出てこなかったかというと……立川流だからだよ(苦笑)。だって昭和44年(1969)のトラブルを考えるとね…でもまあ「笑点」企画立案者のご一門が帰ってきた!というのは、私は非常に喜ばしいことだと思う。家元はあの世で「俺の孫弟子が『笑点』レギュラーだぁ⁉俺のトラブル知らねえのか!」とか言いそうな気もするが、あの世にいるから気にしなくていいと強く言いたい(笑)。でも、1999年~2000年ごろの「若手大喜利」に立川生志師匠が出ていたり、昭和63年(だったと思う)に「若竹」で収録した際、前半の演芸コーナーに家元が出て、確か大喜利にも乱入したのを見た覚えもあるから、そんなに言うほどの遺恨はなかったのかもしれないが…。話を元に戻すが、今回初めて「落語協会」「落語芸術協会」「圓楽党」「立川流」四派が大喜利に揃ったことになる。志の輔師匠門下の晴の輔師匠は、立川流の中でも爽やか系で、ドロドロしたとこが殆どないから(他の立川流のお師匠さんに怒られるな…)「笑点」には最適の人材だと言えるだろう。ただ、立川流には頭髪の不自由な国賊(噺家なのに反日)が2人いるから、余計なアドバイスを送るんじゃないか?という懸念もあるが、国賊の意見なんざぁ無視して、温かみのある回答路線で行くのがいいんじゃないだろうか。昔の圓窓師匠的な感じで。…凄い上から目線の「何様なんだ、テメエ!」と言われかねない文章だけど(苦笑)。私は昨日ここで、昇也・わさび・馬るこの誰かがいい…と書いたが、あまり「若手大喜利」でも、さほど色のついてない人を敢えて選び、これから色を付けていくという形にしたのは、正しいと思う。------------------------------------------------------------------それにしても、晴の輔師匠は若く見える。下手すりゃ30代後半でも通りそうだ。私・三朝師匠・萬橘師匠・一左師匠・文菊師匠とかの6年先輩だからね(笑)。木久扇師匠(与太郎)からインテリへ…物凄いバトンタッチ(笑)。晴の輔師匠は、これから「笑点」を一之輔師・宮治師と共に率いる逸材であることに間違いはない。より活性化された大喜利を見るのが、これから楽しみだ!
2024年04月07日
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去年、一之輔師匠を「対抗」で予想していて微妙に外したので…今回は当てたいな…なんか外しそうな気が、またするが(笑)。先週で林家木久扇師匠が、55年(!)のレギュラー生活に別れを告げた。そして、いよいよ明日の夕方、大喜利メンバーに新顔が入ることになる。ネット上でも、かなりの数の予想や希望があふれており、世間の注目もかなりありそうだ。----------------------------------------------------------------てなわけで、昨年同様の私の予想だが…まず実現する可能性は低そうだが、私が希望する噺家さんを挙げる。1・春風亭昇也2・柳家わさび3・鈴々舎馬るここの3人の師匠は、BSの「笑点特大号」内の「若手大喜利」で非常に存在感を示してきた方々。私は「昇太・昇也」で「圓楽・楽太郎」が、「宮治・昇也」で「歌丸・小圓遊」が出来るから、昇也師匠がベストなんだ!と言い続けてきたのだが、今回はどうなのだろうか?昇也師匠はⅩ(Twitter)で否定されているから、可能性は低いのか…。わさび師匠と馬るこ師匠は、キャラクター付けがしやすいから大喜利メンバーに入っても大丈夫だと思うので入れてみた。わさび師匠は「ひ弱」だとか「病弱」(←かつての歌丸師匠)、馬るこ師匠は「汗っかき」だとか「太ってる」(←かつてのこん平師匠)という感じのキャラ付けがしやすいと思うが…。今のご時世は、これも差別だヘイトだ…ってなことで難しいかも分からない。---------------------------------------------------------------逆に私が難色を示すが、世間が入れたい(日テレが?)んじゃないかというのは、以下の3人。1・蝶花楼桃花2・三遊亭わん丈3・林家つる子これは昨年も書いたが…なぜかネット上の記事では「女性噺家をメンバーに!」的な論調が多く見られた。私は女性噺家を一段低く見るなんてことは絶対にしないが、大喜利メンバーに女性を入れたら、番組自体の寿命を著しく縮めることになりかねないと思うのだ。桃花師匠は否定していたが、もし桃花師匠でもつる子師匠でもメンバーに入ったら、それこそ師匠方の回答が「差別だ~!セクハラだ!」と僅かな数の左方向(左巻きとも言う)からのクレームが入って、朝日・毎日・東京・共同通信・ゲンダイ辺りの”左傾メディア”が「笑点での回答が『女性差別』と物議」みたいな自己満記事を書きかねないと思うのね、毎週。ほんの少数なのに「大多数のクレーム」みたいに水増ししてさ。それで「笑点」自体の格や評判が下がるようなことがあっては、絶対にいけないと思う。だから女性は入れないほうがいいと…。つる子師と共に、現在真打昇進披露興行中の三遊亭わん丈師の可能性も、なくはない気がしてならない。大喜利が出来るのかは未知数だが、話題性で日テレが飛びついた可能性もあるかと…。---------------------------------------------------------------あと思いついたのが、いわゆる「木久扇師匠のお弟子さん」。1・林家木久蔵2・林家きく麿…ネット上では「世襲は止めろ!」と、曲がった正義感だけでコメント書いてる●●連中が、なぜか(与党の)政治家批判と絡めて書いていたのを見たが…そういう●●●を無視しても、無難に今までの大喜利フォーマットを続けていきたいならば、これがベストだとも言える。私はあまり賛成できないが。---------------------------------------------------------------…それにしても、毎回思うのが「箝口令の物凄さ」!もう収録しているはずなのに、どこからも何の情報もヒントも漏れてこない(聞こえてこない)というのは称賛に値する!「それほどの番組かぁ?」と言いたくなる気持ちも20%ぐらいあるけれど(笑)、この口の固さは本当に凄い。いや~明日の夕方が楽しみだ!
2024年04月06日
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藤倉修一・高橋圭三・宮田輝・八木治郎・木島則夫・相川浩…。往年のNHKには、文字通り綺羅星のごとく「スターアナ」がいた。上記の方々は、後にフリーになり民放の番組でも活躍をされてきた。高橋圭三は「かくし芸大会」や「レコード大賞」。木島則夫は「モーニングショー」「あゝ戦友あゝ軍歌」。八木治郎は勿論「人に歴史あり」。相川アナは「NHK思い出のメロディー」でお馴染みだったが、退職後は日テレの夕方のニュースを担当していた。逆にNHKを退職しても、あんまり民放で見かけなかったのが山川静夫アナと鈴木健二アナだったような気がする。今でもご存命の山川静夫アナと共に、私と同年代が幼いころに知った最初のNHKアナのお一人が、鈴木健二アナだったのではないだろうか。その鈴木健二アナが、3月29日に老衰で亡くなられていたことが分かった。享年95。これは大往生と言って差し支えないと思う。---------------------------------------------------------------昭和50年代、日曜夜のNHKと言えば「クイズ面白ゼミナール」。我が家はテレ朝の「ヒントでピント」を見ていたことが多かった覚えがあるが「クイズ面白ゼミナール」も…確か平日?の夕方に再放送していて、そっちで見ていたような記憶もある。オープニングテーマに乗って、画面奥から大量に飛び出してくる鈴木アナの顔が怖くて怯えていたけど(苦笑)、とにかく子供に分からないような難しいテーマでも、ついずっと見てしまう……そのような魅力があった番組だった。途中で出てくる専門家の先生の解説だけは、チャンネル回していたけど(笑)。毎回テーマが決まっていて、それに沿ったクイズが出るわけだが、何十冊もある資料と、そして分厚い台本を完璧に頭に叩き入れ、カンペも見ずに進行していたと、後から聞いて驚いたものだ。…少し話を盛っているとこもあるだろうが(苦笑)7~8割は本当のことだろうと思う。問題の出題時に「さあ書きなさい!」と上から目線で言うのが幼心に「偉そうだな…」なんて思ったり(笑)。考えてみりゃ「ゼミナール」なんだから、先生が生徒に言う形なのよね。---------------------------------------------------------------ただ、このように「面白ゼミナール」や「歴史への招待」での進行は絶品だった鈴木アナだが、「紅白歌合戦」の司会だけは手放しで受け入れられるものではなかった。個人的に。非常に上から目線の台詞ではあるが、歌番組の匂いがしなかったように思えるからだ。「紅白」に関しては、やはり宮田輝・山川静夫の2人にとどめを刺すとしか言えない。あの巧さは誰も勝てないだろう。勿論、鈴木アナもメチャクチャ上手いのだが「匂い」がちょっと違うんである。微妙な話で、決して批判ではないのだが…。昭和60年・第36回での村田英雄先生の「男の一生」のイントロは大したこと言っていないのに名調子でね。あと忘れちゃいけないのが、第35回大トリでの都はるみ引退時の名言「私に一分間時間をください」は流行語にもなったものだ。私は当時幼稚園の年長で、23時35分には間違いなく寝ていたから(当たり前だ)後になって見たのだが、この歓声と叫び声と号泣の中で、あの”捌き”をよくやったものだ…と唸ってしまった。-----------------------------------------------------------------お兄さまが映画監督の鈴木清順氏。確か私が中学~高校のころ、何のCMだか忘れたが、メガネのおじいさん2人(失礼!)で風呂に入っているのがあったのを覚えている。「お兄さんは痩せてるのに、なんで弟さんは太ってるんだろ?」などと、メチャクチャ失礼なことを思ったりしたものだ。-----------------------------------------------------------------これでまた「職人」と言えるアナウンサーが1人いなくなってしまわれた。もう山川アナと…しいて言えば古舘伊知郎アナ…ぐらいになってしまった感じだろうか。本当に寂しい。鈴木健二アナウンサーのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2024年04月05日
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♪(出囃子)(観客の拍手)え~…お運びでありがたく御礼を申し上げます。毎度おなじみ当方の右側に振り切れた、過激漫談でご機嫌を伺います…。こんなこと言うのはネ、アタシが相当怒ってるときですヨ。(観客の笑い)今の日本国内で「最も最低・ワースト人間」は山本太郎だとアタシは思っておりましたが、本日だけは静岡県の県知事が上回ったようで…。(観客の笑い)今日の発言で、立憲・共産・社民などの左側の人間が「労働階級の人に厚い・温かい」ってのが嘘っぱちだということがよ~く解ったことでありましょう。世間の方々も。「差別主義者!」と保守派に対してレッテルを貼る輩こそが、混じりっけ一切なしの差別主義者であったわけで…。近ごろぁ「ダブルスタンダード」と言うそうですが、あんまり保守派には見かけませんなァ。変なことや間違ったことを言ったら言い訳せず、すぐ謝る人が保守派には多いような気がしまさぁね。そりゃ全員が全員とは申しませんけども…。だから、今の自民党は左ですな。(観客の笑い)逆に「温かいようで冷酷」なのが、いわゆるリベラル・左側の人のような感じは受けますわね。酷薄というか薄情というか…。これも……全員が全員ではないでしょうが、どちらかと言うと「感じ悪い奴だ」と思った相手が、よく話を聞いたら左側だったってぇことが、アタシの経験では多ぅござんした。件の県知事、今日「6月で辞職する」と言ったようですが…。でも、まあ撤回するかもしれませんなぁ、左巻きゃ前言撤回と言い訳がお家芸ですし…。でも、記憶が無くなるなぁ与野党関係なくて、昔から”政治家特有の持病”のようで…。(観客の笑い)あの県知事ぁ、テメエのことを「最高に素晴らしい人間」だと思ってるんでしょうねぇ。エリートで、何でもできると…。農業・酪農業。静岡県も盛んでさぁね。何か手に職がある方、いわゆる職人さんも素晴らしい職業ですよ。そのような方が額に汗して働いて、どれだけ県に貢献してくれているか…と、少しでも思やぁ、ああいう発言は出ませんでしょうなァ。この県知事ぁ、野菜も乳製品も「下衆な人間が作ったもの」として「見下して食べていた」んですかねぇ?まあおそらくそうでしょう。人を見下す前に、古いもの飲み食いして、腹ぁ下して……くた●りゃぁ面白かったのに!…これもヘイト発言だねぇ!とんでもないこと言っちゃったなぁ!(観客の爆笑)1日も早い辞職を(できれば自主的に親族まとめてこの世から)求めたいもんですな。「知性の欠片が全くない」差別主義者は、誰あろうテメエ自身のことだったという…。(観客の爆笑)ついでに言やぁ、こいつぁ支那の幇間ですからねぇ。全くもって始末に負えない日本の害虫という…。なんで静岡県の人もさ、こんな人非人に投票するかねぇ?…って東京都も同じようなもんかァ。俺ァ嫌だね、あの緑ババアも!(観客の爆笑)とっとと静岡県から(できれば現世から)追い出して、保守派の県知事になってもらって、リニアを1日も早く通してネ、日本を活性化させましょうや!リニア新幹線が通りゃ名古屋まで40分!そうすりゃ大須演芸場にすぐ行ける!アタシゃ行ったことないから行ってみたい!ただ、演芸場に入るのには、かなり勇気が要りそうですがネ…。(観客の笑い)今日のアタシの漫談、不愉快に思われた方も多いでしょう。でもね、たまには怒らせてくださいな!お後の支度がよろしいようで…。(観客の拍手)
2024年04月03日
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ちょうど10年前の今日は、あの「笑っていいとも!」が最終回を迎えた日だった。私もここに書いたが、あの夜のフィナーレが…今はあのときより「『テレビ全体』のフィナーレ」だったように感じられる。2024年3月、テレビ界では様々な別れがあった。「ブラタモリ」「世界ふしぎ発見!」が終わり、「ちびまる子ちゃん」の声を長年担当されていたTARAKOさんが若くして鬼籍に入ってしまい…変わらないと思っていたものが、強制的に変わっていってしまうような寂しさを感じることが多かった。今朝は36年間「サンデーモーニング」を担当してきたTBSの顔、関口宏氏が勇退。昔は日曜の朝を朗らかにしてくれていた番組で様々なコメンテーターが出演していたのだが…。いつのころからか日本を貶め反日国を持ち上げ、自分の意見が絶対で、平気でデマを垂れ流し、平和を愛する普通の保守を「戦争大好きな危険人物」「ネトウヨ」とレッテルを貼り喜ぶ「反日左翼」という名の「人非人&国賊&売国奴&差別主義者」御用達の”電波法違反番組”になっていた。この番組に関しては、一刻も早く終わってほしいと願うばかり。どうなろうと知ったこっちゃない。----------------------------------------------------------------そして本日夕方。55年という長きにわたり「笑点」レギュラーを務めてこられた木久扇師匠が番組を勇退された。私は芸能人やアナウンサーが、担当のテレビ番組を辞めるときに「卒業」という言葉を使うのが嫌いなので、ここでは「勇退」とさせていただきたい。「ブラタモリ」最終回が、ラテ欄に「終」の文字もなくサラッと終わったのを見て、物凄く驚いたものの「さすがだなぁ……」と唸った私。なにが「私」だ(笑)。だから「笑点」も、演芸番組にもかかわらず盛大なセレモニーを開いて、たい平師匠や宮治師匠や山田隆夫氏が、ビービー泣いて終わるような最後はイヤだな~と思っていたが、さすが江戸前の木久扇師匠!30分全部が大喜利だったのは、今回に関してはよかったと思うし、観客全員に黄色いタオルを配って…という程度のサプライズは、まだ許容範囲だったと言える。私の中ではね。偉そうだけど。木久扇師匠、最後にたい平師匠から「セントルイスブルース(いやんばか~ん)」を振られて歌いまくり、司会の昇太師に「今のお気持ちは…?」と聞かれて、ひと言「また来週!」と言い放ち、全員がズッコケておしまい!ってのは見事(笑)。芸人なら、こうでなきゃ!------------------------------------------------------------------しかし…なんだかんだ言っても、やはり寂しくなるものだ。再三ここでも書いてきたことだし、ポッドキャストで三朝師にも言ってきたが、3歳の終わり(三波伸介司会の最末期ごろ)から「笑点」をずっと見てきて、真似しながら笑わせてもらった師匠がいなくなる寂しさは、想像の10倍は大きなものだった。これからは寄席やホールで、姿を見ていくことになるのだろう。「笑点」を離れたら、もしかすると今まで隠れていたインテリの部分が開花され、より面白い高座になったりして(笑)。談志・マエタケ・三波・五代目圓楽・歌丸・小圓遊・こん平・圓窓・六代目圓楽という師匠方のところには、まだ呼ばれずにもう数年はバリバリ頑張っていただきたいものである。木久扇師匠、55年間本当にお疲れさまでした。------------------------------------------------------------------さあ!来週から入るメンバーは誰なのか⁉また軽く予想を立ててみたいと思っている、今週中に。これである意味「笑点」の今後が決まるわけで、新メンバーは今ごろ「とんでもないプレッシャー」なのだろうと思うが……って、もう収録ぁしてるか(苦笑)。しかし、今年に入って気になったのが、大喜利の終わりの挨拶がなくなっていたこと。これはかなりの改悪だと思う。大喜利メンバーに若手・中堅を登用するのは大いに賛成するが、最後は「それでは笑点この辺でお開き。また来週をお楽しみに!ありがとうございました」と言って、全員で頭を下げるところを映して終わりでなければならない。これだけは強く言いたいネ。
2024年03月31日
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今月末がくると、ちょうど(収録が)スタートして1年になる三朝師匠と私のポッドキャスト「おもしろ演芸&芸能史」。既にポッドキャスト内でもお話ししたとおり、当初は「ファミコン名人への道」も収録していた江戸川橋「スタジオポッド」で我々も収録をしていたのですが(上の夏丸師匠との3ショットがそれ)2023年6月初旬に、スタジオオーナーの遠藤さんがコロナに罹患し倒れられ、そのまま7月8日に急逝。4回で終了か…と思って諦めていたところに、私の職場の同僚がいろいろとアドバイスをくれ、ZOOMのポッドキャスト収録機材を私が購入!5か月弱の休みを経て、2023年10月から復活!その後、隔週でのアップから「隔週とか月イチとかケチ臭いこたぁ言わず、自力なんだから週1にしよう!」と思い立ち、いま現在は週1の番組になった…というのが、一応の流れであります(笑)。2枚目は2024年2月頭に収録した貞壽先生・伯知先生(このときはまだ神田真紅さん)がゲストのときの4ショット。-----------------------------------------------------------------実は先日、Ⅹ(Twitter)で「三朝師匠が私と組んで…」という記述を見かけたので、ここは言い訳っつうか説明(?)を。このポッドキャストは、上記の遠藤さんから「『ファミコン名人』にゲストで来るより、あなたは自分の冠番組を持ちなさい」と言われ、始めようと思ったのが発端。自らが始めようと思ったことではないというのが真実であります。だって、やり方分からないから(笑)。その遠藤さんに「何から何まで僕がやるから。あなたはアップの仕方だけ覚えてくれればいい!」と言われて、じゃあやるか!となったのが…コロナの前だったか、コロナ禍の辺りだったと思う。当初、私は他の方と組んで「昭和の芸能」に特化した番組をすべく構成や企画を考えていたのですが(その方が主で私は副の立場)、その方が遠藤さんに対し、口では言えないレベルの物凄い不義理をはたらいてしまい、遠藤さんが大激怒!そしてその方と絶縁!んで、番組の話が流れてしまい、私がアタマになってしまったので同い年の春風亭三朝師匠に「私と二枚看板で、このような内容でポッドキャストを始めたいんだけど…」と相談したところ快諾していただいたというわけ。ところが、その後にまたコロナ禍が盛り上がって(?)きたので、開始が少し遅くなって、昨年4月スタートになったという…。なので「三朝師匠が私と組んだ」のではなく「私が三朝師匠にお願いしてやってもらった」というのが真実です(苦笑)。おもしろ演芸チャンネル - YouTube林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」 | stand.fm林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」 (seesaa.net)先月末からYouTubeにもアップを始め、いま現在はstand.fm・seesaaブログ・YouTubeの三方向でお聴きいただけるようになった「おもしろ演芸&芸能史」!今後も数々の豪華ゲストをお招きして、いろいろなテーマを設けて番組を作っていきたいと思いますので、ご贔屓・お引き立ての程、何とぞよろしくお願い申し上げます!できればで構いませんが「各媒体で1回ずつ」お聴きいただければ幸いです(笑)。この点もよろしくお願いいたします!毎週土曜日の20時~22時の間ぐらいにアップしております。ただしYouTubeへのアップは数日遅れますのでご了承くださいませ。林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」(@h3yosebanasi)さん / X (twitter.com)久しぶりにブログも書きましたが、最新の更新情報および我々に付随した情報は、上記のⅩ(Twitter)で逐次更新しております。
2024年03月20日
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「♪み~ぎは高輪泉岳寺~、四十七士の墓どころ~…」私の家から京浜東北線で向かうと、向かって左側なのだが(笑)駅が出来て初めて降りた「高輪ゲートウェイ駅」。3月14日(木)のこと。初めて行った泉岳寺!定期的に開かれている「泉岳寺講談会」。この会は講談協会と日本講談協会が合同で開く会だと聞いている。その会に…これまた初めて行ってきた。思えば、2012年の1月に初めて会った神田真紅さん。そのときはまだ前座だった真紅さん。その真紅さんが、三代目松林伯知という大名跡を襲名して真打に昇進した。私はあまり感慨深くなる性質の人間ではないのだが、前座のころから、ず~っと付き合いのあった人が真打になる日はさすがに胸がいっぱいになった(涙)。-----------------------------------------------------------------この襲名大初日は、とにかくメンバーが豪華だった。そしてまた、手伝いに来られていた講談師の方々の豪華なこと!私も慣れぬ会場だった故、入場前はドキドキしていたのだが(笑)中から貞壽先生の美声が聞こえてきて「知ってる人がいた!」とメチャクチャ安心して(笑)。受付には以前、桂夏丸師匠と一緒に食事した神田桜子さんがいて、これまた安心(笑)。紅純さんもいらした。そして、私が着席したあとに入ってきた聞き覚えのある声の主は読売新聞の長井さん(笑)。隣の席になって、開演前はベラベラ演芸話で大盛り上がり(笑)。私が三朝師匠と始めたポッドキャストを、読売新聞の記事にしろ!とメチャクチャな要求を突き付けたりしていた(爆笑)。林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」 | stand.fmそして始まった講談会。トップバッター(前講)は、何度か我々の「歌で綴る」の前座も務めてくださった神田紅希さん。その後よ、とにかく!まず私も親しくさせていただいている名人、神田春陽先生。「木津の勘助」を読まれた。近年ブレイクし、らくごカフェの独演会が即完売になるという神田愛山先生。「西行鼓ケ滝」。講談協会会長で落語協会の寄席でもお馴染、宝井琴調先生。「出世の富くじ(無欲の出世)」。中入り&口上を挟んで、日本講談協会会長。松林伯知先生の師匠である神田紅先生。「真田幸村・大坂出陣」。この四人に伯知先生を入れた五人の至芸が、いっぺんに聴けるという贅沢。こらぁ凄かった!口上では、琴調先生からちょっとしたサプライズがあったり、好き勝手なことを各人が言いまくるという…。真顔で俯いていなくちゃいけない伯知先生の表情はコロコロ変わっていた。いいのかね?あれで(苦笑)。それで、トリで上がった伯知先生。自分の先々代である初代の松林伯知を扱った「松林伯知伝・歌吉心中」を読んだ。久しぶりに大御所連の講談をじっくり拝聴することができたが、改めて「いいな~」とウットリしてしまった。講談の会は土日が多くて、なかなか聴くチャンスがないのだが、予定が合ったときは、極力行くようにしようと思ったほど。そして真紅さん…じゃない、伯知先生。決して友達・知人だからとかで言うんじゃないのだが、やっぱり不思議なもんで…話芸のスケールが3~4倍は大きくなっていた。口跡の巧さもアップしていたと思う。この調子で今月22日・23日の日本講談協会定席での披露興行、そして5月1日からの落語芸術協会での披露興行では、より凄い高座を魅せてくれるのだろう。三代目松林伯知先生!真打昇進おめでとうございます!
2024年03月16日
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いま現在、50歳以下の日本人男性(女性もいるだろうけど)で、鳥山明先生の作品に全く触れずに生きてきた人間は皆無だろう。「アラレちゃん」「ドラゴンボール」を全く知らないなんて人は会ったことがないし、大半の同年代は影響を受けまくっている。私は藤子アニメ・赤塚アニメほどの影響は受けていないのだが、「アラレちゃん」も「ドラゴンボール」も毎週欠かさず見ていたものだ。詳しく語れるほどではないが…。---------------------------------------------------------------今日の昼間に入ってきた鳥山明先生の訃報。本当に驚いたし、享年68という若さに、愕然としてしまった。まさに「漫画界の巨星墜つ」という言葉が適切であろうか…。いや!漫画界という言葉だけでは収まらない。アニメにも映画にもなって、世界に発信された日本文化の旗頭であった巨星…と言ったほうがいいかもしれない。急性硬膜下血腫だったという。この死因を聞いたとき、私は真っ先に事故だと思った。交通事故とかではなく、家庭内の事故(転んだり階段から落ちたり)だと…。ところがネットの訃報を見たら、近年は体調を崩されていたとのこと。---------------------------------------------------------------私が小学2年生になる直前だった、昭和61年(1986)2月から『ドラゴンボール』のアニメが始まったのを覚えている。なので『アラレちゃん』の記憶はおぼろげになってきているが、今でも覚えているのが「アニメキャラが自ら、アニメの演出にツッコミを入れる」というのを初めて見たこと。確か空豆タロウとピースケだったと思うが、天高く投げられて、そのまんま宇宙に飛び出して、落下して地面に叩きつけられたときに「これアニメだから助かったんだぞ!」みたいな台詞を聞いたときに、非常に斬新で驚いたのを幼心に記憶している。…あまり鳥山先生とは関係ない話かもしれないが(苦笑)。--------------------------------------------------------------とにかく、日本は大きな存在を失った。先だっての八代亜紀や冠二郎もそうだったが、だんだん1970年代~1980年代の文化が遠くへ行ってしまうのが辛い。鳥山明先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2024年03月08日
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いやいやいや…実にどうも…ポッドキャストと、それに付随した公式Ⅹ(Twitter)更新に追われて…。そのあげく、2月17日(土)の晩に7年ぶりに酷い風邪をひいて、いま現在声が全く出ない状況という…。「第13回・歌で綴る~」以来の大病で、ただいま絶不調(苦笑)。その上ねぇ…先ほど…腸が煮えくり返るというか…これほど腹が立つことがあるのか…という事象があって、ま~た体調が悪化しそう(笑)。人が何十年かけて死に物狂いで調べ上げたことを、よくもまぁ何の挨拶もなしに簡単に横取りして…。もう”こっちの趣味”は足を洗おうかな。なんかいろいろ嫌だ。----------------------------------------------------------------それはさておき!おかげさまで、三朝師匠とのポッドキャストは大好評の嵐であります(かなり誇張気味)。林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」 | stand.fm林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」 (seesaa.net)そしてまた、当方の職場の同僚がYouTubeチャンネルを開設してくれました!今月からは3方向でお聴きになれます!おもしろ演芸チャンネル - YouTubeただし、YouTubeはアップするまでにタイムラグがあるので、できればstand.fmでお聴きいただければ幸いです!
2024年03月01日
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先ほど「世界のオザワ」こと、指揮者の小澤征爾氏の訃報が入り物凄く大きなショックを受けたとこだが、その数時間前に聞いたこの訃報も…ある程度、覚悟はしていたが…激しく動揺したのは言うまでもない。------------------------------------------------------------------立川談志師匠が最晩年、落語には「江戸の風」が吹いていなくてはならない…という言葉を残した。この言葉に対して「ある種の逃げ」だと批判めいた意見も私は多く聞いたが、間違っている考えではないと思う。やっぱり「江戸落語」は「東京の郷土芸能」なので「江戸の風」が噺の後ろに吹いている…というのは正しいことだろう。確か…その言葉を記した本の中で、家元が「現存の噺家で”江戸の風”を感じるのは、八代目圓蔵・九代目文楽・五街道雲助」と書き、雲助師匠が昨年、人間国宝になった際のネットの記事で、家元のこの言葉をピックアップしたものもあった。私の中で「江戸の風」という言葉にピタリ当てはまるのが…勿論、一朝師匠や雲助師匠もそうだが…春風亭小柳枝師匠だった。落語芸術協会のベテランは皆さん個性が強く、己のスタイルを前面に押し出すタイプが多い中、小柳枝師匠の高座は清涼剤…というか、夏場にサイダーを飲んだときのような爽快感を常に感じさせてくれた。…ほかの師匠方に失礼だけど(苦笑)。「梅は咲いたか」の出囃子に乗り、腰を曲げて「ヘイッ!」という感じで高座に上がり、ロートーンの美声で、トントンと軽い調子・堪らないリズムで進んでいく数々の噺に、いつも客席で惚れ惚れしていたものだ。全てにおいて綺麗事で、着物姿が本当に粋で鯔背で…。「落語芸術協会の至宝」と言い切って、何ら問題ない師匠だった。その小柳枝師匠が、1月31日に88歳で亡くなったことが判った。老衰だったという。実は昨年の暮れ、夏丸師匠から小柳枝師匠の近況を私は聞いており、「復帰は難しい」ということも聞いていた。しかし、年齢に不足はないとは思うが、正楽師、そして太神楽の翁家小楽師に次ぐ報に…本当にショックで…。-------------------------------------------------------------------私が小柳枝師匠を見たのは、コロナが明けてすぐ?だったか…の浅草演芸ホール「アロハマンダラーズ」の興行に車椅子で出演され、十八番だった加山雄三「君といつまでも」を歌われた姿が、たぶん最後だったと思う。平成28年に脳梗塞で倒れられて、一度は復帰されたが(そのときの高座も見た)平成30年9月中席の浅草演芸ホールでの「厩火事」が、最後の高座になったという。忘れられない高座も数多くあるが、11年前の夏(7月だった?)の新宿末廣亭の夜席の主任で聴いた「たがや」の鮮やかさは、今でも忘れられない。確か20分でバラしたもんね…江戸前だったなぁ…。------------------------------------------------------------------もうひとつ、私の忘れられない思い出。たった一度だけだったが、小柳枝師匠と酒席をご一緒できたのは本当に嬉しかった。あの時間は本当に宝物だった。2015年だったと思うが、私をこんなにしたA級戦犯(笑)であるエムズの加藤さんが主催した「四代目柳好トリビュートの会」が日本橋劇場であったときの終演後。私の席が保田先生・読売の長井さん・木村万里さん・稲田さん・石井さん…という、名だたる演芸評論家席の並び(汗)。それはともかく、終演後にまっすぐ帰ろうとしたら、保田先生と長井さんの読売新聞先輩・後輩コンビが「楽屋に顔を出すから」と言うので、私もついていった。桃太郎師匠もいたから。それで何人かで楽屋口から表に出たら、桃太郎師匠が「帰る」と仰ったので「それじゃ私も…」と帰ろうとしたら、瀧川鯉昇師が「君(私のことね)は一緒に(打ち上げに)来なさい」と仰ってくださり、図々しくもホイホイ付いていったのだ。そのときのメンバーが、小柳枝師匠・鯉昇師匠・五代目柳好師匠・保田先生・長井さん・私の6人!人形町にある小柳枝師匠行きつけの居酒屋の2階で、貴重なお話を伺いながら、美味しいお酒と肴を味わえたのは贅沢だった。そのときもお酒の飲み方がキレイでね…。それで…前述した「貴重な話」というのは、落語関係ではなく流行歌関係(笑)。私の師匠の保田先生と小柳枝師匠は同学年なので、子供のころに好きだった歌がほぼ同じ。それも戦時歌謡ばっかし(笑)!酔いが少し回った保田先生と小柳枝師匠が、目の前でノリノリで「比島決戦の歌」などの、大東亜戦争末期のマニアックな(?)戦時歌謡を歌いだして、それを30センチぐらいの距離で見られたこの幸福!この贅沢!のちに(昨年だったか?)このときの話を瀧川鯉朝師匠に話したら「いいな~!俺も混ざりたかった!」と言われたっけ(苦笑)。そのとき、小柳枝師匠に「今度、一緒にカラオケで懐メロ大会をやろう!談志さんの好きだった歌とかも!」と言われ、人形町の地下鉄の改札口で、固い握手をしてくだったのも嬉しかった。そのすぐ後、脳梗塞で倒れられ、カラオケ大会が実現できなかったことは本当に残念でならない。-----------------------------------------------------------------私の知るかぎり、噺家さんでも落語ファンでも、小柳枝師匠が好きじゃない…なんて人は全く聞いたことがない。落語を愛する人間で、小柳枝師匠のことを何とも思わない人は皆無だろう。誰からも愛された、誰からも憧れられた小柳枝師匠。その師匠が亡くなられたことは、戦後落語黄金時代がまたひとつ遠くへいってしまったことを意味する。春風亭小柳枝師匠のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2024年02月09日
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いよいよ開催まで6日!幸か不幸か、まだお席があるそうです。満員御礼だった第1部は「SP盤が好き」な方へ向けてのイベントという印象でしたが、第2部は「昭和の流行歌が好き」な方へ向けたイベントという感じになっているかと存じます。「珠玉の服部メロディー大全集」開催日時:2024年2月10日(土)開場…13時 開演…14時 終演…16時(予定)会場…新宿区四谷・貴方の店グループ住所…新宿区四谷4-9-11 新宿44ファンタジータワー7階(四谷三丁目駅2番出口徒歩3分、新宿御苑前駅2番出口徒歩3分)司会進行…北河忠昭(@anakuro69) 小沢たいら(@crazy_cats1955)ゲスト:私料金:3500円(予約・当日ともに) 席数:30席予約先…(電話)090ー2160ー9706 (メール)gevaruto69@outlook.jp私にご連絡いただいても構いません。北河君に伝えます。既に曲目は決まっておりまして、お馴染みのヒット曲から渋めの曲目まで、様々な服部メロディーが蓄音機の音で楽しめます。私もかなりの曲目で、イントロ司会をしなきゃならないらしく…今から練習しておかなければなりません(笑)!司会のひとり、小沢君が貴重な資料満載の緻密なプログラムを鋭意作成中…らしいです。…私がゲストですから、司会2人の至らない部分は、すべてカバーして笑いを取って盛り上げる…責任を負わされそうで…物凄く疲れそう(苦笑)。楽しいイベントになることは間違いありません。第1部だけでいいや!なんて思っている、そこのあなた!人口に膾炙した、お馴染の服部メロディーもキチンと聴かなきゃダメでさぁね!ご来場、心よりお待ちしております。司会の2人のためにも、何とぞよろしくお願いいたします。
2024年02月04日
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今月4日(水)の東洋館初席4日目、11日(木)の新宿末廣亭の二の席で、いつも通りの高座を観たばかりだったのに…。このショック・悲しみの大きさ、そして寂しさは志ん朝師匠・談志師匠以来の感じがする。落語協会のみならず、東京演芸界の色物の至宝。最高峰。誰からも愛された紙切りの三代目林家正樂師匠が、21日に急逝されていたことが、26日に分かった。19日(金)まで普通に寄席に出ていたそうなのだが、20日(土)に休演され、21日(日)の朝に自宅で倒れているのをご家族が発見、病院に運ばれたが死亡が確認されたとのこと。享年76。17日に誕生日を迎えたばかりだった。…演芸好きにとって、これほど大きな悲しみは近年なかったと思う。私は、世間に公表される少し前に訃報を知ったのだが、もうショックで…仕事がまともに出来ない状態になりかけた。---------------------------------------------------------------とにかく神業を持つ師匠である。「紙業」と言ったほうが正しい感じもするが…。マニアになって年がら年中、寄席に通いだすと「初見の衝撃」がなくなって、さほどリアクションをしなくなることが多いが、正樂師匠の紙切りだけは別物よ、別物。毎回、大声でも小声でも出来上がりを見て「おおーっ!」という声が響かなかった客席はない。特に初心者が多い際の、正楽師の大歓声(出来上がりのときの)ったらなかった。目をつぶれば、いつも通りのルーティンが浮かんでくる。「職・業・病です」「こうして(揺れないで)切っていると…暗くなります」「せんべいの袋が開かないから、鋏で切れ」…頭に鮮明に浮かぶはずだよ、2週間前に見たんだもの(涙)。私が初めて見たときは「小正樂」時分だったと思う。三代目の正楽を襲名した際は、色物で初めて主任を取ったという大記録を打ち立てた。-------------------------------------------------------------たけ平師匠からよく聞いたのだが、正樂師匠は小さいころから寄席通いをされていたそうなので、芸人さんを批評する目が非常に厳しかったという。今だから話すが、よく深夜に電話がたけ平師からかかってくると、正樂師匠が語った演芸論の話で盛り上がった。目黒区のご出身だったので「東京風」ということにも非常に厳しい方だったと聞く。たけ平師は、昭和の歌も演芸も詳しいから、非常にハマっていたみたい(笑)。あと小傳次師匠もそうか。私は2度、お話しさせていただけたことがある。その際にも非常にカッコいい(江戸風で言えば様子がいい)ことを仰ってくださって感激したものだ。1度目は2015年のこと。私もお世話になっているご存知演芸誌「東京かわら版」500号記念のパーティー会場。私の師匠のひとりで、先だって三朝師匠とのポッドキャストに来ていただいた、保田先生のところに挨拶にきた正楽師に勇気をふり絞ってお声がけをしたとき。私は20何年(その時点で14年ぐらい)寄席通いをしているが、紙切りにリクエストをしたことが一度もない!それは何故か。「客席で大声出すのが恥ずかしいから」(苦笑)。…ということを…私ゃ少し飲んでいたからか、思わず正樂師に言ってしまった。そしたら正樂師が…。「…あのね、こんなこと言うのも悪いけど…寄席の客席でさ、大声出せる人って頭おかしいと思うよ」と仰ったのだ(汗)。これを、たけ平師に後で伝えたら「よかったね~!」と一言。なんで?と聞いたら「東京人は照れなんだよ。照れがない人は正樂師匠嫌いなんだよ。だから、それで正解なの」だと。それで、その次は2017年だか2018年の謝樂祭。湯島天神に行った方々ならお分かりかと思うが、食べ物屋台の後ろ側に自動販売機が並んでいるところがあって、その横が喫煙所。そこでたけ平師とパーパー喋っていたら、正樂師がタバコを吸いにやってきた。私は上記のことを言って「師匠、未だに注文できません、やっぱ恥ずかしくて…」と言ったのね。そしたら正楽師匠が「いいよ!別に無理して注文しなくて!高座見ててくれれば大丈夫だから(笑)」と仰ってくださり、3人で大笑いしたのも懐かしい。…とにかく20年以上、山のようにいろいろな高座を観たので、思い出が多すぎて書ききれない。近いうちに、三朝師匠とのポッドキャストで「追悼特別番組」ができればいいなと思う。そこで、文字より言葉で追悼できれば…。正樂師匠、長い間本当にお疲れさまでした。あの数々の神業を当然のようにやってのける様にシビレておりました。もうこれから、師匠が寄席にいないことが信じられませんが、二楽さん・樂一さん・八樂さんが必ず神業を(徐々にでも)引き継いでいくことでしょう!本当にありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。
2024年01月26日
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この悲しい報の連続は、一体何なのだろう?八代亜紀さん・冠二郎さんに続き、また演歌界から訃報が届いた。喉の薬のCMで一世を風靡した北島三郎門下、小金沢昇司さんが11日に66歳という若さで亡くなった。死因は呼吸不全だという。2020年11月に酒気帯び運転で逮捕されてしまい、それ以降は表舞台に帰ってくることはなかった。逮捕後には北島門下から独立して立ち上げた個人事務所が、2021年になって破産。そのうえコロナに罹患してしまい、それ以降は体調がかなり悪化してしまっていたという。…何というか、1つのミスで人生はここまで転落してしまうものなのか…という悲しい気持ちで一杯である。若いときは有名な不良だったというが、その悪さをしたツケが人生最後の3年間に回ってきてしまったのかもしれない。私個人としては、この方の歌も殆ど知らないし…申し訳ないがBSフジ「クイズ!脳ベルSHOW」で(最近こればっか)大ボケ解答を連発していて、テレビの前で呆れてしまった印象が強い。いい意味でも悪い意味でも(?)。勿論、最初に存在を知ったのは、あのCMの「歌手の小金沢君」のときだった。その歌声も流れず、ただフィニッシュコーワ(だっけ?)を喉にシュッシュとやるだけで…「この人は実在の歌手なの?」なんて思ったものだ(苦笑)。ただ歌声は素晴らしかった。コロナ前の…2018年か2019年か忘れてしまったが、日本歌手協会歌謡祭の最初のほうの出番で、ご自身の「ありがとう…感謝」という歌を聴いたとき、客席で「上手ぇ!」と思わず呟いたのを覚えている。上から目線の…非常に偉そうな言い方だが、ただ単に上手いだけではない「プロの声」とでも言うのだろうか。昔、作曲家の渡久地政信先生が、春日八郎御大の声を評して「ヒットを出せる声」と言っていたことがあったが、それと同じような印象を受けた。「商品」という感じ。しかし若いときの精悍な二枚目ではない、太った顔と首周りに(近年は私もそうなってしまった!今年は少し瘦せなきゃ…)「不健康そうだなぁ…」と思ったのも忘れられない。あと「夏祭り」「年忘れ」などの番組で、戦前~戦後の歌をカバーしていたが、これは全く受け入れられるものではない感じだった。全部「演歌」で歌っていたからね…。とは言うけど、あの歌声は素晴らしいものだった。それだけに自ら晩節を汚す形になってしまったのは、返す返すも残念でならない。今のご時世、たった1つのしくじりでも、延々と週刊誌・マスコミ・SNSで叩かれ続けるから、戻ってきても大変だったかもしれないが…にしても、勿体ない…。小金沢昇司さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2024年01月16日
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昨年9月に、神保町「あたらくしあ」で開催されたSPレコードコンサートの第2弾が開催されることになりました。今回は2部構成だそうで、第1部のほうは既に完売(キャンセル待ち)ですが、私がゲスト出演する第2部のほうは、まだまだお席に余裕があるようです。…私が出るから、予約が芳しくないのかね(苦笑)?今回は朝ドラ人気にあやかっての(口が悪い…)服部良一特集!第1部が「ジャズ編」・第2部が「歌謡曲編」ということで、私は第2部のほうにお邪魔させていただきます。2月10日(土)の昼間は四谷三丁目に是非ともお出でください。何とぞよろしくお願いいたします。「珠玉の服部メロディー大全集」開催日時:2024年2月10日(土)開場…13時 開演…14時 終演…16時(予定)会場…新宿区四谷・貴方の店グループ住所…新宿区四谷4-9-11 新宿44ファンタジータワー7階(四谷三丁目駅2番出口徒歩3分、新宿御苑前駅2番出口徒歩3分)司会進行…北河忠昭(@anakuro69) 小沢たいら(@crazy_cats1955)ゲスト:私料金:3500円(予約・当日ともに) 席数:30席予約先…(電話)090ー2160ー9706 (メール)gevaruto69@outlook.jp私にご連絡いただいても構いません。北河君に伝えます。既に曲目は決まっておりまして、お馴染みのヒット曲から渋めの曲目まで、様々な服部メロディーが蓄音機の音で楽しめます。私もかなりの曲目で、イントロ司会をしなきゃならないらしく…今から練習しておかなければなりません(笑)!
2024年01月12日
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今は皆が忙しくなってしまったので、機会をつくることがなかなかできないのだが…。かつて、ウチの懐メログループで集まってカラオケ大会をやっていた際、たまにだが「新しい歌縛り」という全員が普段歌わない歌を歌っていくという”遊び”をやったことがあった。「昭和50年以降の歌限定」の括りで、普段は戦前~戦後の歌を歌っている我々が、その歌い方や姿勢に全く似合わぬ歌を選んで歌いまくるという…。日大の刑部教授も、某協会事務員のIさんも、我々グループの大番頭であるH君も、そして私も、新しめの演歌や歌謡曲をチョイスして歌いまくった。またやりたいなぁ、この集まり。かなり面白かったから。それで、その際に…歌ったかどうか記憶が定かでないのだが、昭和50年以降の演歌で、私が好きな一曲が「旅の終りに」。昭和52年(1977)のヒット曲で、作詞の”立原岬”は、かの五木寛之先生のこと!作曲は「ドラえもん」をはじめとする数々のアニメ、そして映画やドラマの劇伴を手掛けた菊池俊輔先生!詞は悲しいが…哀愁があるけれど、そこはかとなくノリがいいメロディーが大好きで、テレビで流れてくるとついつい鼻歌で歌ってしまう。--------------------------------------------------------------この「旅の終りに」に大ヒットさせた、歌手の冠二郎さんが元日に79歳で亡くなった。心不全だったという。近年は闘病生活を送っていたようで、あまり表舞台には出ていなかったらしい。それにしても…。12月29日の坂田利夫、12月30日の八代亜紀、12月31日の中村メイコ、元日の冠二郎、4日の篠山紀信…と、一時代を築き上げた方々が、これほどまで立て続けに亡くなるとは…。去年の谷村さん以降、ミュージシャンの方が立て続けに天国へ旅立ったが、まだそれが続いているような感じで…。とにかく、ショックな報がこれほど続くと、本当にメンタルがやられそうになる。辛いものだ。冠二郎さんというと、「旅の終りに」は私が生まれる前の歌、それこそ「年忘れ~」などの番組で聴いて「いい歌だな…」と思ったクチ。リアルタイムで聴いてぶっ飛んだのは…私と同世代の方ならば大半の方が同じように思うだろうが「炎」である。「♪アイ・アイ・アイライク・演歌~」というフレーズを最初に聴いて、いい意味でも悪い意味でも(何だそりゃ)絶句したのを思い出す(笑)。平成4年(1992)の歌なので、私が中2のときだったのだが、この歌が何かの番組で流れた次の日、クラスで「…冠二郎の『炎』って歌ぁ知ってる?」と誰かに聞かれ、私が軽く上記のフレーズを口ずさんだら大爆笑になり(苦笑)ほんの一時ではあったがクラス中で流行ったのだ、この歌が(笑)!もしかしたら「紅白」で歌われて、冬休み明けの3学期最初のときだったかもしれない…。曖昧な記憶になったが…。この「炎」もノリがいい曲で、イントロで冠さんがデカい声で「セイヤァ~‼‼」と絶叫していたのが忘れられない。「子供も歌った最後の演歌のヒット曲」は、もしかしたら「炎」かもしれない。懐メロ好きの私だって歌ってたんだから(笑)。なんで、今はこういうノリノリの…流行歌と演歌の中間辺りのメロディーの歌がないんだろう?---------------------------------------------------------------冠二郎さんと言えば「炎」のヒットと共に、その面白キャラでバラエティーでも活躍されるようになった。「年齢詐称発覚」や「カツラ疑惑」、「31歳も年下の奥様をもらった」だの、様々な話題でも事欠かなかった。BSフジ「クイズ!脳ベルSHOW」にもご出演されたことがあった。確か分からない問題が出題された際、スタジオ見学に来ていた奥様が耳打ちして解答を教えていたような覚えが…。なんだったんだ、あの無法地帯は(苦笑)。あと「脳ベルSHOW」の常連で、ヘビメタバンド「the冠」の冠徹弥さんがいるが、こちらの冠さんが(まだ週5放送時代)金曜日のすごろくで勝った際、司会の岡田が「…やりました!冠二郎…冠二郎ちゃうわ!」と言い間違えて、スタジオ中が大爆笑になり、ご丁寧に画面下に大きく冠二郎さんの写真が出たこともあったヤネ(笑)。-------------------------------------------------------------八代亜紀さんに続き、冠二郎さんも逝き…ますます演歌番組や「夏祭り」「年忘れ」が寂しくなった。山川豊さんも肺ガンになってしまって、しばらく闘病~休養に入るというニュースがあったばかり。なんか「大河のごとき日本の流行歌の流れ(歴史)」が徐々に干上がってきた…という印象を受けてしまう。私は1秒も見なかったのだが、昨年大晦日「紅白」で演歌勢がかなり蔑ろにされていたというネットニュースも見たし…。冠二郎さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2024年01月11日
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まさか…この方の追悼文を、これほど早く書くことになるとは思わなかった。ホントに今年の1月はロクな報がない。今日の18時30分前、携帯に入ってきたニュース速報を見て、思わず「ええっ⁉」と大声を出してしまった。…と同時に、昨年8月だったか膠原病に罹患したニュースを聞いて以降、何の続報もなかったので「体調悪いのかな?」と気になっていたところはあったから、訃報を聞いて少しだけ「やっぱりね」という感情も湧いてきた。美貌と独特のハスキーボイス。数多のヒット曲を持つ演歌の女王で、様々なバラエティー番組などでも活躍をされていた八代亜紀さんが、昨年12月30日に急逝していたことが分かった。享年73。訃報によると、膠原病の一種で指定難病でもある「抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎」と「急速進行性間質性肺炎」で8月から闘病されていたそうだが、年末に体調が悪化したらしい。勝手な想像で書くことをお許しいただきたいが、おそらく八代さんの命を奪ったのは「間質性肺炎」のほうだろう…と思う。ステロイド剤も大量に服用していただろうから、抵抗力も弱まって、いろいろ全身が弱ってしまったのかもしれない。------------------------------------------------------------熊本県出身で昭和46年歌手デビュー。昭和48年「なみだ恋」が大ヒットして「第24回紅白」に初出場。その後も「愛の終着駅」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「舟唄」と数々の大ヒット曲を飛ばした。昭和55年の「雨の慕情」で見事「日本レコード大賞」を受賞。他にも「愛ひとすじ」だとか「花(ブーケ)束」などの佳曲に恵まれた方だった。------------------------------------------------------------私が八代亜紀という人に最初に受けた印象だが、いわゆる「デコトラの運ちゃん」に絶大な支持があった人…という感じだった。よく「八代観音」という文句と共に、デコトラの荷台の後ろに、あの美貌が描いてあった記憶がある。まあ正直に言えば、東海林・藤山を筆頭とする戦前~戦中の歌手を愛する身からすれば「上品な歌手」と言えない感じがかなりあった。中学~高校ぐらいまではね。その考えが大きく変わったのは、やはり大人になってから。食べ物の好みと同様、歳を経ると歌の好みも少しずつ変わり、単に見た目のみで受けていた印象の奥の、本質的な歌の巧さや質が解るようになって、八代さんの凄さが分かってきた。今から20年ぐらい前まで、12月26日~28日辺りに、NHKのBS2で、13時ぐらいから往年の紅白をノーカットで放送する「思い出の紅白歌合戦」をやっていた。私も録れる回は必ず録っていたが、今でも素晴らしい歌唱だと思っているひとつが、第28回(昭和52年)大トリの八代さん「おんな港町」。舞台奥から登場した際、嫉妬した誰かにマイクコードを激しく踏まれるというハプニングはあったものの、当時の紅組司会の佐良直美の抜群の紹介で、初の紅組大トリを華やかに飾ったテークを見て「八代亜紀ぁ凄ぇ!」となったのを覚えている。あと今から12~13年前ぐらいだったと思うが、日本テレビで土曜の夜に極楽とんぼの加藤が司会をしていたトーク番組に、山内惠介と共に出演したとき「歌手は余計な感情を込めずに歌えばいいんです」「作詞家の先生が書いた詞を、作曲家の先生がつけてくださったメロディーの通りに歌えば、十分に感情は入っているんで」と言っていたのが忘れられない。「あっ!藤山先生と同じようなこと言ってる!」と非常にビックリしたのだ。感情過多に歌う人だと思っていたので。生の舞台は…昨日のメイコさんの追悼文でも書いたが、近年の「日本歌手協会・歌謡祭」では常連で、毎年「舟唄」は勿論、「なみだ恋」とか「もう一度逢いたい」を目の前で何度となく聴くことができた。理事長と一緒に司会も何度かされていて…上手いとは言えない司会ではあったが(両方ともね)、愛嬌と温かさのある司会をされていたっけ。熊本地震のチャリティーのときだったはずだ。--------------------------------------------------------------また歌謡番組が寂しくなった。それこそ、戦前~戦中~戦後のお歴々を見送るたび「もっと歌っていただきたかった」というコメントを言っていた八代さんが、こんなにも早く”言われるほう”に回ってしまうとは…。中村メイコさんもそうだが、どうしても亡くなったという意識が湧いてこない。「歌番組にいるのが当たり前」の方だったので。いくら難病とはいえ、ちょっとだけ休んで、今年の「歌謡祭」で盛大に復活…みたいな絵図面を当たり前のように考えていたので(歌手協会の理事長だって同じように考えていただろう)、もう今年からいない…ということが全く考えられない。八代亜紀さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2024年01月09日
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当初の予定は、能登半島の被災地に邪魔しに行っただけの…被災地や被災された方のことなどを微塵も考えておらず、単純に災害を「与党(保守)を叩ける材料」だとしか思ってない某政党代表(だとは全く認めたかぁないが、元タレントのウスラノータリンの反日極左の人非人)を、徹底的に”しつけ”しようと思っていたのだが…。--------------------------------------------------------------パソコンを開いて、あまりに衝撃的な訃報を目にしてしまい、こちらを書くこととする。新春早々、本当に悲しい報。マルチタレントの草分け・昭和芸能史の生き字引と言って過言ではなかった中村メイコさんが、12月31日に肺塞栓で急逝していたことがわかった。享年89。この報は「戦前の芸能を語れる芸能人」が全員この世を去ったことを意味する。確か去年の…いつ頃だったか忘れたが、足を悪くしてしまい車椅子生活になって…みたいな記事を見た記憶はあった。死因が肺塞栓、つまり「エコノミークラス症候群」なわけで、おそらく歩かなく(歩けなく)なったのが遠因かもしれない。本当に急逝だったようだ。クリスマスには(番組は不明だが)収録に参加していたという話だし。デビューが昭和11年(!)の東宝映画「江戸っ子健ちゃん」。その後、天才子役として活動され、戦後はラジオにテレビに映画にレコードに八面六臂の大活躍。昭和34年から36年の3年間は「NHK紅白歌合戦」の紅組司会も務めた。誰でもご承知のとおりで、旦那さんは作曲家の神津善行。娘が神津カンナと神津はづきで、息子が画家の神津善之介。神津はづきの旦那さんが俳優の杉本哲太という華麗なる芸能一族でもある。最後まで現役を貫いた…芸能生活86年(‼)という物凄さ!榎本健一・古川緑波・柳家金語楼は勿論のこと、徳川夢声に藤山一郎・森繁久彌・三木のり平・美空ひばり…といった、昭和の芸能史を創ってきた大御所と”ほぼ全員”共演してきたという華麗なる(華麗すぎる)芸能人生。歌手でもあり、女優でもあり、司会者でもあり…「タレント」という言葉は直訳すりゃ「才能」という意味になるが、まさに「女性マルチタレント第1号」と言い切っていいのは、この方。男性は森繫久彌だろう。--------------------------------------------------------------親友であった美空ひばりの「”喋り”の物真似」は絶品だったし、様々な番組で語られる”支那事変~大東亜戦争時のエピソード”は、貴重なものばかりだった。BSテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた」には何度か出演し、日大商学部の刑部教授とも共演していたっけ。…刑部教授が羨ましいもんだ。また、私が往年のテレ東の看板番組「人に歴史あり」を知ったキッカケになった特番「昭和を駆け抜けた101人」では第2弾~第4弾(最終回)まで連続出演。司会の玉置先生と語り合う話が超濃厚(苦笑)だったのが忘れられない。生でメイコさんを見たのは、2013年に五反田・ゆうぽうとで開催された「日本歌手協会・歌謡祭」の司会者としてだった。メーン司会のベタついた口調での仕切り(嘲笑)を吹っ飛ばす、往年の「紅白」さながらの名調子に唸ったのを思い出す。あと菅原都々子先生の「江の島悲歌」を聴いて、メイコさんが感動して泣いていたのは…このときだっただろうか。--------------------------------------------------------------とにかく、日本の芸能界は途方もなく大きな存在を失った。誰しも大きなショックを受けているところだろうが、私は特に黒柳徹子のことが気になる。テレビ開始時からの盟友として、どれほどのショックを受けているだろうか。心配で仕方ない。「昭和が遠くなった」という文句は、大物芸能人が亡くなると頻繁に使われる言葉だが、今回は本当に昭和が遠くなったと言わざるを得ない。それも…非常に不謹慎な言い方かもしれないが、チビチビと遠くなっていったのが、一気にドカーン!と遠くなった感が強くある。芸能生活86年!本当に長い間、お疲れさまでございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。…ホント今年は、まだ一週間しか経ってないのに、嫌なことと悲しいことばっかり。ここから上向きになるのかね?だんだん日本がダダ下がりになるとしか思えない…。
2024年01月07日
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私の知る限り、元日の夜が報道特番に差し変わったというのは初めてだろう。のんびりと家族団らんで「格付けチェック」を観よう…と16時までは、大半の国民は思っていたはずだ。それが…ね…。私の懐メログループの後輩に石川県の人がいて、昨夜メールで聞いてみたところ(電話かけたら大迷惑だから)今までに経験したことのない揺れだったそうな。一夜明けて、今朝の中継で焼け野原になった輪島市の映像を見て、言葉を失った。そして今日の夕方。私は大田区在住なのだが、18時過ぎに湯に入っていたら、表を物凄い勢いで消防車が何台も走っていく音が聞こえ「大火事か?」と思って湯を出て、テレビを見たらば羽田空港で日航の旅客機が燃えている映像が目に入ってきた。地震があった石川県に救援物資を運ぼうとしていた海上保安庁の飛行機が、どういうわけか着陸してきた日航機と衝突してしまったとのこと。凄い勢いで燃えていく旅客機を見て、また言葉を失った。おそらく大田区中の…下手したら目黒区・品川区辺りの消防車も駆け付けたのだろう。とにかく物凄い数の消防車が走っていったことは分かったので。それで、奇跡的に旅客機の乗員乗客は全員無事(何人かケガをされた方はいたようだが)だったそうで胸をなでおろしたが、海上保安庁の機に乗っていた6人のうち、機長以外の5人が亡くなったという。---------------------------------------------------------------例年は、振り返れば暗いニュースだらけの年だったとしても、正月だけは穏やかに、静かに始まるのが常だと思っていた。それが、元日からこれでは…私は保守思想だが、悪い意味で今、日本の未来に希望が持てなくなりそうになっている。ただ、せめてのも僅かな救いは、いくら安倍派を切り捨てた左寄り・支那の幇間の連中ばかりに年末になったとはいえ、自民党政権でまだよかったということだ。これが「東日本大震災」時の”悪夢の民主党政権”だったなら、自衛隊の初動も遅くなり、岸田総理の1京倍はバカだった、三国人の味方&カイワレ大根でお馴染みのキ●ガイ国賊が、目も当てられぬ”ズレた陣頭指揮”をしていただろう。だからって、岸田総理を褒めるわけにはいかない。今年にはご退陣を願って、高市早苗総理大臣が誕生してもらわないと、冗談でも何でもなく、日本が日本でなくなるかもしれん。女性活躍社会の最先端を日本が進むべく、高市早苗氏を筆頭に小野田紀美・杉田水脈・有村治子…という素晴らしい方々が最前線で活躍される内閣が出来ることを願ってやまない。そして野党として「日本保守党」辺りが政府のおかしい点を指摘していく形になれば、日本にも未来はあるだろう。立憲・共産・社民・れいわは…表舞台…いや、この世から皆さん早急にご退場ください。百害あって一利なしの野党は不要ですので。
2024年01月02日
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今年は政治思想的なことも、あまりに不愉快なことが多すぎて全く書きたくない。書きゃ腹が立つばかりなんでね。そしてテレビも…ちっとも大晦日の匂いやワクワクがない番組ばかりで、もう失望の二文字に尽きる。自分が単純に老いただけなのだろうが…。んで、長々書きたくないから、一言だけ!テレ東の大晦日は、こうでなきゃ!以上、報告終わり!というわけで、今年1年も私のこのブログをご贔屓いただき、ありがとうございました。来る年、令和6年。皇紀2684年が皆さまに取って良い1年であることを祈念いたします!
2023年12月31日
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私だけなのか分からないが、今日は12月30日だというのに…全くと言っていいほど「年末感」がないのは何故だろう?12月上旬まで比較的暖かい日が多く、季節感がかなりズレてしまっているのが原因なのかもしれないが…。先ほど、やっと年賀状を書き終わり、明日の出勤前に出してやっと「正月が来るか…」という感じになるのかもしれない。今年もアッという間に過ぎたが…今年はね…ポッドキャストに始まり、ポッドキャストに終わった…という感じがする(笑)。ポッドキャスト制作に集中して、おまけに公式Ⅹ(Twitter)を始めたら、まあ~このブログに力が入らない(苦笑)。文字で書くより、三朝師匠と喋ったほうが楽だし(笑)私の意図が、音だと正確に伝わることが分かったのでね…。毎年の恒例だった「墓碑銘」も、亡くなられた方が多すぎて…今日も、元プロレスラーのキラー・カーンさんが急逝されたという悲報が入ってきてショックを受けたところだったし…。キラー・カーンさんは三橋美智也御大の大ファンで、我らが談志家元とも深い交流があった。私は中野坂上「艶歌」のマスターのお別れ会で、かなりの至近距離でお目にかかったのだが、その身体の大きさにのけぞったのをよく覚えている。------------------------------------------------------------来年は「歌で綴る」も(一度ぐらいしか?)ないので、6月と12月のカフェの「芸人さん、いらっしゃい!」と、毎週アップするようにしたポッドキャストに力を入れていきたいと思っている…今日この頃(笑)。なんだ、この〆は(笑)林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」 | stand.fm林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」 (seesaa.net)
2023年12月30日
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昨日の「三朝・林田の『芸人さん、いらっしゃい!』」にご来場いただきました皆さま、ありがとうございました!平日昼間の会ゆえ、”つばなれ”しないだろうと思っていたのですが、まさかの当日予約の方(しかもなんとJK!)や当日ご来場のお客さまもおられて、非常に賑やかな客席になり、感謝感激でありました。落語が一切ないのに(笑)。2時間丸々、大爆笑のオンパレードで2023年を締めくくることができ、非常にお喜びいただけたようで安堵しました。ただ!このトークライブは「おもしろ演芸&芸能史」の公開収録を兼ねて…と告知していたのですが、2時間丸々…表に出せないエピソードばかりになり(苦笑)1秒も使えない事態になってしまいました(汗)。楽しみにしておられた皆さま、大変申し訳ございません!ポッドキャストで流したら、私は殺されます(苦笑)。あと昨日ご来場のお客さま…昨日のトークショーの中身は一切Twitter(Ⅹ)や、SNSで呟かないようにお願いを…。昨日のキラーワードは「吉原研究費」「高須クリニック」の2点です…かね(笑)?来てない方にはチンプンカンプンのワードですが(苦笑)。2024年末も、この爆笑トークショー形式でやりたいと思っておりますので、ご来場お待ちしております!未来過ぎて、どなたも予定が立てられないでしょうけど(笑)。------------------------------------------------------------その1つ前、第11回は2024年6月23日(日)の18時から、毎度お馴染みの坂本頼光先生をお招きして、1979年生まれ・同い年トリオが往年の邦画を語りまくる会を予定してます!ちなみにこの日は頼光先生のお誕生日であります!往年の邦画やスターを愛する皆さま、ご予定を必ず空けてお出でいただきますよう、よろしくお願いいたします!
2023年12月21日
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