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あとわずかで2017年を迎えようとしています。今年一年で飲んだワインは、泡25本、白27本、赤70本の合計122本でした。昨年に比べて18本減りました。ワイン会が少なかったことが原因だと思います。 さて、毎年恒例のBEST WINEの発表です。BEST WINE 2016は・・・ Domaine d'Auvenay Mazis Chambertin 1994 ドーヴネ、次飲めるのはいつのことか・・・?今年もRHGをご覧いただき有難うございました。来年もよろしくお願いします。
2016年12月31日
なんでも鑑定団で、世界で4つめとみられる完全な形の曜変天目茶碗が発見されました。現存する3つの碗は全て国宝に指定されているとのこと。確かに美しい。僕も一つ欲しくなりました妄想はそれくらいにして、飲んだのはエコ・ブル。まあ、デイリーとしてはOKでしょう。Etienne Rodier Bourgogne Pinot Noir 2014
2016年12月26日
先日、ドラマ・石川五右衛門を見ていたのですが、この時代の番組を見るといつも思いを巡らせます。安土城と大阪城が燃えずに今に残っていたらなあ・・・、さぞや凄かっただろうになあ・・・。そんなことを思いながら飲んだのは定番エコ・シャン、マーティベイ。Martivey NV
2016年12月25日
11月末に、奈半利町の年末スーパータイムセール(超目玉特産品)でウナギ5匹(180-200g)を15000円の寄付でもらえるというのをやってました。即、寄付を申し込み、それが届きました。重量を測ってみると、一匹240~250gの特大サイズこれは素晴らしい奈半利町さん、有難うございます!!納税先:高知県奈半利町 返礼品:国産ウナギ蒲焼(180-200g)5匹
2016年12月23日
先週は土日返上の出張だったため、宅ワインはなし。2週間ぶりに飲んだのは、定番エコシャン、ポルヴェール・ジャック。冬休みにも活躍しそうです。Poilbert Jacques NV
2016年12月18日
湯沢市からリンゴが届きました。一個400g前後ある大きなリンゴが28個。サンふじが21個、シナノゴールドが7個で合計28個、約10kgです。これはいい!来年もリピしたいです。納税先:秋田県湯沢市 返礼品:阿部さんの完熟りんご(サンふじ&シナノゴールド:28個)
2016年12月17日
仙台出張に行った際に、駅ビルのKALDIに立ち寄ってみたところ、一等だとドンペリが当たるというワインのお楽しみBOX(2160円)をやっていました。60本当たり一等がドンペリ(1本)、二等がエンリコ・ガッティ(1本)、三等がドメーヌ・ナパ・カベルネ(1本)、それ以外にイタリアやフランスの泡や赤ワインが57本という構成で、最低でも2500円相当のものが入っています。ここはひとつ運だめし、というより、実力を試してみることにしました。細心の注意を払って複数のBOXに絞り込んだのですが、一瞬のすきにチェックしていた箱を取られてしまい、残りの中から1箱を選択して購入しました。結果は二等のロゼ・スパーク。マイナー銘柄ですが、7~8千円もします。ネットショップでの福箱だと100%運というか、むしろ得意客でないと当たらないようになっているとも思っているのですが、今回は自分の指と耳の感覚で選択できたので、まさに実力勝負ということができます。次回もあったら買ってみよっと。ちなみに、味は大したことなかったです。。。Enrico Gatti Franciacorta Rose
2016年12月16日
カイロ観光の後、寝台列車でルクソールに向かいました。まずはタクシーで王家の谷へ。【王家の谷】沢山のファラオの墓がありますが、特筆すべきはラムセス2世の正妃・ネフェルタリの墓です。ネフェルタリの墓はつい最近まで修復のため閉鎖されていましたが、本年11月から再公開されました。当時も見学料は王家の谷で一番高かったのですが、今はこの墓だけで113$もします。一日の見学はMax150人で、一人10分以内だそうな。それにしても、いくら何でも高すぎでしょ!ネフェルタリの墓は王家の谷の墓の中でも最も保存状態が良く、美しいと言われています。規模は小さいですが、確かに素晴らしく美しい墓で、これが数千年前のものとは思えないレベルでした。【ネフェルタリの墓】さらに、カルナック神殿とルクソール神殿を訪れました。ルクソール神殿のオベリスクの1本はナポレオンがフランスに持って帰り、現在はパリのコンコルド広場にあります。王家の谷に行くときに雇ったタクシーの運転手が、何件か土産物屋に連れていってくれたのですが、そこにパピルスが生えていました(植えてありました)。【パピルス】エジプト土産としてパピルスに書いたエジプト神話の絵があるのですが、ルクソールで見た絵はどれも粗悪品ばかりで値段も高く、結局買わず。カイロに戻ってからあれこれ見て回り、一か所、凄く質の良いものを売っているところがあったので、記念に1枚購入しました。ネフェルタリも描かれている横幅150cmもある大物で、帰国後に特注で額を作り、今も部屋に飾ってあります。我が家を訪れるお客さんからは”壁画”と呼ばれています。このエジプト旅行、至高の歴史・文化・芸術・お宝に触れることが出来た旅でした。新企画として海外訪問記・回顧編をご紹介しましたが、5回の旅行のうち3回は職場の元同僚Kさん(先輩)と一緒に行った旅行です。Kさんは最近は毎年のように世界各地の秘境を巡っており、僕をはるかに超越したレベルになっています。Kさんとは今回紹介した以外にもアメリカ(NY&SF)や中国(北京&西安)にも一緒に行っており、僕の海外旅行史において欠かすことのできない方です。この特集を終えるにあたり、改めて感謝の意を表したいと思います。THE END
2016年12月15日
エジプトは僕にとっては曰く付きの場所。二十歳の時に初めて行った海外旅行は、成田発、マニラ、バンコク、カイロ経由でパリに行くという今では考えられないものでした。初海外旅行の感動のために、その後幾度となく海外を訪れることになるのですが、それはさておき、パリからの帰路、我々はカイロのピラミッド近くのホテルに一泊することになっていました。つまり、少しだけではあるものの、ピラミッド観光をできるという予定になっていました。しかし、パリ発カイロ行きのエジプト航空機がエンジントラブルのため出発が大幅に遅れたことと、旅慣れていない我々の頭が良く回らなかったため、エジプトに入国できず、結局、エジプト航空が用意した空港ホテルにパキスタン人と一緒に宿泊することとなり、ピラミッドを見れなかったという苦い思い出があるのです。その時以来、いつかエジプトに行ってやる!!と思い続けてきました。ロンドンのパブでギネスビールを一杯飲んでからエジプト入りしようと考え、一杯のビールのためにわざわざロンドンを経由し、カイロに入りました。まずはギザへ。路線バスに乗って暫くすると、突如巨大なピラミッドが出現。うぉ~!17年越しの雪辱を果たしました。ピラミッドにスフィンクス。古代エジプトに思いを馳せてきました。【ピラミッドとスフィンクス】そのあとはエジプト考古学博物館へ。これまた素晴らしい!圧巻は当然ツタンカーメンのまばゆいばかりの財宝の数々。すばらしいとしか言いようがありません。【黄金のマスク】【棺】【王冠】【玉座】【わんこ?】どれか一つでいいから欲しいなあ。。。
2016年12月14日
エルサレムの次にヨルダンを訪れました。エルサレムで乗り合いタクシーを見つけ、陸路で国境を超えるつもりでしたが、同乗者が現れず、結局普通のタクシーでイスラエル・ヨルダン国境へ向かいました。オンボロタクシーで国境に来ると、さすが中東の国境という感じで、凄く物々しい雰囲気です。しかし、意外とすんなりと出入国手続きは済みました。ヨルダンに入国するとまた新たなタクシーを捕まえ、首都アンマンへ向かいました。年代物のタクシーは荒れた道路を100㎞以上のスピードで走るので、命の危険すら感じるほどでした。これも中東。【アンマンの街並み】中東は金の宝飾店が多く、中心部は煌びやかな店が多数並んでおり、アンマンもいかにも中東って感じの街です。でも、アンマン自体は特に観光ポイントがあるわけでもなく、ヨルダン観光のメインは世界遺産ぺトラです。ぺトラは映画『インディージョーンズ・最後の聖戦』の舞台にもなった古代都市です。アンマン到着の翌朝、バスでぺトラへ向かいました。現地到着後ホテルを確保したのち、早速ぺトラ遺跡の観光に向かいました。暫く狭い渓谷(シーク)を歩くと、ありました!! これです!! エル・カズネ(エル・ハズネ)。【エル・カズネ】勿論、エル・カズネが有名ですが、これで終わりと思ってはいけません。この先に凄い遺跡群が広がっているのです。紀元前1200年頃からエドム人が居住したと言われる場所です。【ぺトラ遺跡】一番奥の山を登ると、そこにはもう一つの大きな建造物エド・ディル。登った甲斐がありました。【エド・ディル】ぺトラ遺跡はまだ全体の85%が未発掘と言われていることを考えると、全貌はいったいどうなってることか・・・? ワクワクします。ぺトラ観光の翌日、またバスで紅海に面した港町アカバに向かいました。ここは完全なるリゾート地。温暖で南国の雰囲気漂う街で、素敵な所でした。死海と共に、アカバも保養に来たいと思うのんびりした良いところでした。
2016年12月11日
1998年のGWにイスラエルとヨルダンを訪れました。中近東は政治情勢が不安定なため、国際情勢を見ながらの訪問でした。何といっても中東は緊張感があります。トルコ航空機でイスタンブール経由、イスラエルのエルサレムへ。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地。イエス・キリストゆかりの地であり、処刑の地。さすがにエルサレムは宗教の塊。【聖墳墓教会】【岩のドーム】僕も嘆きの壁で祈りを捧げてきました。ユダヤ教徒でなくとも、小さな帽子を借りて頭にのせれば、にわかユダヤ教徒として壁まで行って祈れます。写ってますから探してみて。【嘆きの壁】イスラエルからバスで死海へ行きました。死海はイスラエルでも有数の保養地です。死海は塩分濃度が高いため結晶化し、岸には塩の結晶がゴロゴロしています。【塩の結晶】死海に入ると体が浮くという話は良く知られていますが、本当に浮くんです。本も読めます。【死海】何もないところですが、いつかゆっくり保養に来てみたいと思うような場所です。イスラエルは世界でも最も政治的にも宗教的にも複雑な国。街には機関銃を持った兵士が多数。入出国もあれこれ面倒な事があります。テロや戦争も多いため、行きたくても行けないこともあります。この時訪れることが出来て良かったと思っています。ちなみに、エルサレムは物価が凄く高いです。
2016年12月10日
1994年の冬休みに、タイのバンコク経由でネパールへ行きました。映画『ゴールデンチャイルド』を見て、一度カトマンズへ行ってみたいと思っていました。バンコクでは2泊しましたが、観光したのは一日のみ。黄金に輝く寺院の数々。美しい!タイ国際航空でネパールのカトマンズへ。カトマンズ空港は滑走路も待合室も日本からは想像できない驚きの空港でした。小さなプロペラ機の発着も多い中、タイ航空やルフトハンザ航空のジェット機が離発着すると、土煙をまきあげ、凄い存在感がありました。空港に降り立つと、遠くにはヒマラヤの山々が見えます。【カトマンズ空港から見たヒマラヤ】入国手続きを終え、入国ゲートを過ぎると、新興国に典型的な出迎えを受けました。ホテルやタクシーの凄まじいまでの勧誘攻勢。何とかそれを振り切り、小さなタクシーで予約してあったホテルへ辿り着きました。安いホテルだったこともあり、暖房も入らず凍えそうなほど寒い夜を過ごしました。シャワーも途中でお湯が出なくなったり・・・と、まあ、それも仕方ないでしょう。でも、カトマンズは素晴らしかった。長い歴史と文化を感じさせる美しい町並みと多くの寺院、親しみやすいネパール人、安くておいしい食事。天国のようなところです。ここは仏教、ヒンズー教、チベット仏教など、宗教の集積地。いたる所で祈りが捧げられ、町を流れる川の岸辺では死者が火葬されたり・・・、凄く宗教色が強い街でもあります。【カトマンズ】次に訪れたのは、カトマンズの西200kmほどの所にあるヒマラヤ観光の拠点ポカラ。カトマンズ空港からは、20人乗りくらいのヘリでの移動でした。人生初ヘリコプター。こんなヘリで大丈夫か??という代物でした。ポカラはカトマンズ以上に田舎で、その辺を牛や水牛、イノシシ、鶏、等々が沢山フラフラ歩いています。何とものんびりした、いい所。早朝、タクシーを捕まえてヒマラヤの山々を見るための展望台へ。物音一つしないような静寂。ヒマラヤの山々から昇る太陽。黒いシルエットであった山々が、白く美しい姿に変わる。これがヒマラヤ! とはいっても、今回行ったのは初心者クラスのヒマラヤ見物。いつか、エベレストを見てみたいものです。それにしても、数年前のネパール大地震で、歴史ある世界遺産の建物の多くが崩壊してしまったこと、残念でなりません。
2016年12月09日
青い空、青い海。海を渡ればそこはAFRICA!【ジブラルタル海峡とモロッコ】僕はパリとかニューヨークとか、おしゃれな街ばかりに行ってる印象を持っている人も多いかもしれません・・?? 確かに最近はヨーロッパやアメリカに行くことが多いし、僕の海外旅行の原点はヨーロッパでした。でも、僕が好きなのは世界遺産や秘境系の場所です。僕が行くような場所は、真の秘境とは言えませんが、先進諸国の観光地とは違って、すごく刺激的です。その原点となったのがモロッコです。海外訪問記・回顧編の第二弾はモロッコを紹介します。スペインのアルヘシラスからフェリーでジブラルタルを渡り、モロッコのタンジェへ向かいました。船内でモロッコ入国手続きを済ませ、モロッコに上陸。お~、アフリカだ~!着くや否や訳の分からぬ勧誘・客引きに取り囲まれ、まずはアフリカの洗礼を受けます。でもそれは、ほんの始まりでしかありませんでした。【フェズ行きの列車】フェズ行きの列車の切符を買い列車に乗ると、暫くして同じコンパートメントに現地人が何人も乗り込んできて満席になります。すると隣に座った人が、親しげに英語で話しかけてきます。 『どこから来たの?』『どこ行くの?』という定番の質問から始まり、『フェズに行く』と答えると、『あそこは危ないから止めておけ』とか、『途中の停車駅である●●は物価も安くて安全ですごくいいところだよ。案内してあげてもいいよ・・・』、などと、盛んに次の駅で降りるように仕向けてします。 我々は予定を変える気は全くなかったのですが、ふと『地球の歩き方』を読んでいると、今の会話と全く同じパターンの手口の詐欺師に注意せよという記事が載っていました。まったく本に書いてある通りなので、笑ってしまいました。そして、夜遅く目的地のフェズに到着。まずは駅近くで空きホテルを探して寝場所を確保。即寝。翌朝早速、世界遺産であるフェズの旧市街(メディナ)に向かいました。【フェズ旧市街の城壁】その途中、”自称ガイド”が入れ代わり立ち代わり話しかけてきます。払いのけるのも面倒くさくなったのと、メディナは凄い迷路になっており、ガイドがいた方が便利だと考え、モハメッドという10代と思われる若い子に頼むことにしました。念のため、IDカードを預かりました。結果的にはすごく良い子で、彼に頼んで良かったです。取り敢えずは彼の案内に従って、メディナをぐるぐる回りました。【フェズの街】いや~、強烈なインパクトがありました。モロッコに行くと人生観が変わるともいわれますが、確かに変わってもおかしくないくらいのインパクトです。モハメッドの案内でモロッコ絨毯屋を訪れました。ガイドはこういった土産物屋に客を案内し、その売り上げに応じて収入を得ています。ここで連れのKさんは空飛ぶ絨毯2枚お買い上げ! 僕も小さな絨毯を1枚お買い上げ! 国際貨物便で日本へ送りました。フェズの絨毯は”フェズブルー”と呼ばれる美しい青色を使っているのが特徴です。確かに高級な絨毯は芸術的に美しいです。(下の写真にはフェズブルーの絨毯は写っていませんが。。)【モロッコの絨毯屋】二人で30万円以上の買い物をした上客ということで、そのあとでモハメッドは自分の家に招いてお茶をご馳走してくれました。今から思えばとても親切で嬉しいことだったのですが、警戒心が強かった僕は気を許すことが出来ず、飲み物にも殆ど口をつけず、あまり打ち解けることが出来なかったことを少し後悔しています。 結果としてはそうなのですが、ありがちなパターンとしては、油断して飲み物を飲んでしまい、入っていた睡眠薬で眠ってしまい、身ぐるみ剥がされる・・・ということもあるので、当時の判断としては正しかったとも思っています。ちなみに、Kさんはコーラをガバガバ飲んでいました。その後、メディナの出口まで案内してもらい、チップをはずんでお別れしました。フェズは日本でいえば奈良や京都のような古都であり、しかも街全体が千数百年前のまま残っているような所で、街並みのみならず人々の生活も昔のままとまではいかなくとも、通じるものがあります。本当に刺激的な街で、僕の海外旅行先の中ではバチカンに次ぐインパクトがあった街でした。
2016年12月08日
ローマ法王との面会を終えた我々は、興奮冷めやらぬまま、引き続き神父さんにバチカン宮殿内を案内していただきました。途中、バチカンの首相(国務長官)やスイス衛兵司令官などともお会いしましたが、法王の後ではインパクトに欠けてしまいます。バチカン宮殿を見学した後、皆で近くのレストランで遅い昼食(パスタ)をとり、その後神父さんの教会に立ち寄ったり、バチカン写真部で法王面会時の写真を受け取ったりしてから、神父さん並びにご一緒した皆さんとお別れしました。【サンピエトロ広場から見たバチカン宮殿】さて、バチカンでの出来事は全て一人の神父さんに偶然出会ったことに始まります。この神父さん、いったいどういうお方でしょう?? N神父は、当時ローマ在住で、ヨハネ・パウロ2世の日本語教師であり、来日時の通訳も務められた方で、法王からバチカン内を自由に出入りする許可を与えられていたそうです。N神父はその“特権”を生かし、しばしば出会った日本人を案内していたそうです。でも、法王に会うためには、二重に幸運でなければならなかったようです。【N神父と共に】N神父はバチカン放送の日本語番組も担当されると言うユニークな方で、私達も翌日の出演を依頼されましたが、翌日は移動予定があったために、お断りするしかありませんでした。でも、当時私は大学生で、世間事情にも詳しくなかったし、出演したとしても気の利いた話も出来ず、きっとつまらなかったと思うので、出演しなくて良かったのだとも思っています。N神父から頂いた名刺にはこう書いてありました 『一期一会の思い出に』当時大学生の私にとって、どれほどインパクトのある出来事だったことか。貴重な経験をさせていただいたN神父、本当に有難うございました。
2016年12月07日
廊下で10~15分くらい待ったでしょうか。神父さんが戻ってきました。『今、法王様が海外の使節団と面会されています。その後で会う許可が出ました。手荷物は全てここに置いて、ついて来てください』『えっ・・・』何重にも厳重に警備されたポイントを通り、一枚の扉の前に来ると、『声が聞こえるでしょ。法王様です』確かに中から男性の声が聞こえます。一気に緊張。ドキドキ・・・。扉が開くと、大きな部屋(法王謁見の間)でヨハネ・パウロ2世が使節団との面会を終えたところで、すぐに我々の方に歩いてきました。テレビで見た通りの白い法衣を身に纏い、周りにはカメラマンや付き人が大勢います。我々は神父さんの指示に従い、一列に並んで法王を待ちました。法王は一番左端に並んでいた私のところに最初に来ると、『神に感謝』と日本語で声を掛けながらロザリオを下さいました。私も『神に感謝』更に法王は両手で私の肩を何度か叩き、祝福してくださいました。【ヨハネ・パウロ2世との面会】法王との面会は時間にすれば数分のことだったと思います。こうして、まったく予想だにしなかった夢のようなひと時が終わりました。【法王から頂いたロザリオ】【法王謁見の間・天井画】
2016年12月06日
神父さんがガラスの扉をノックすると、突如ミケランジェロがデザインしたカラフルな制服を身にまとった衛兵が現れ、扉を開けてくれました。中に入るとサンピエトロ広場の喧騒が嘘のような静寂の世界でした。『ようこそバチカン宮殿へ』『ここからは絶対に私から離れないで下さいね』我々はバチカン宮殿に足を踏み入れたのです。【バチカン宮殿内:王の階段(スカラ・レジア)とスイス衛兵】かつて歴代法王が歩いたという階段を上り、最初に訪れたのはコンクラーベが行われることでも有名なシスティーナ礼拝堂。ミケランジェロの天地創造が描かれている礼拝堂です。ここは一般観光客も訪れることが出来ます。現在は長年の汚れを落とす修復作業が終り、大変鮮やかな色合いになっていますが、当時はススでぼやけた感じでした。でもその方が趣があるようにも思います。【システィーナ礼拝堂:ミケランジェロ『天地創造』】再び神父さんが扉を叩くと衛兵が現れ、横の部屋に通してくれました。システィーナ礼拝堂の横の部屋は、かつて日本から派遣された天正遣欧少年使節が1585年3月1日、当時のローマ法王グレゴリウス13世に謁見した部屋(帝王の間)。日本人の誰も見向きもしませんが、と言うより殆どの人は知りませんが、歴史的な部屋です。【帝王の間】ここはパオリーナ礼拝堂。パオリーナ礼拝堂は1670年までコンクラーベが行われていた部屋で、1670年以降は法王とその近親者しか使用が許されない部屋になっているそうです。近年、修復が終わり、先代法王ベネディクト16世が祈りを捧げました。ここにあるのは、ミケランジェロの絶筆となった『サン・ピエトロの逆磔(聖ペテロの殉教)』。【パオリーナ礼拝堂:ミケランジェロ『サン・ピエトロの逆磔』】【パオリーナ礼拝堂:ミケランジェロ『聖パウロの回心』】バチカン宮殿内には、見たこともないミケランジェロやラファエロの壁画や天井画がびっちり。まさに芸術の宝庫です。【バチカン宮殿内:ラファエロの天井画】(掲載した写真はそれなりの一眼レフカメラで撮影したのですが、宮殿内は薄暗いうえにストロボもなく、露出不足で画質が十分でありませんが悪しからず)
2016年12月05日
ニュースを見ている時、ふと昔の事を思い出し、ネットであれこれ検索してみると、バチカンでお世話になったN神父は1994年に日本に帰国され、今もご健在ということがわかりました。どうされているのかと思ってはいましたが、お元気で何よりです。 昔行った海外旅行のフィルムが劣化しないうちにと思い、一部をデジタル画像化しました。私の思い出の一部を海外訪問記・回顧編として載せておこうと思います。今でも記憶は鮮やかに甦ります。第一回はバチカン編です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1987年3月。当時大学生であった私はKさんと共に2度目のヨーロッパ旅行に出掛けました。3月某日は朝からバチカンを訪れ、朝10時頃(?)にサンピエトロ広場に着きました。【サンピエトロ広場】我々はガラスの扉越しに、イタリア50000リラ紙幣にも印刷されていたベルニーニ作の馬の彫刻(コンシュタンティヌスの騎馬像)を眺めつつ、システィーナ礼拝堂へはどうやって行けばいいのか・・・などと、ガイドブックを見ながら休んでいると、『日本の方ですか? どうかされましたか?』と日本語で話しかけてくる日本人が。『いえ、別に』とそっけない返事をする我々。『バチカンはもう見学されたんですか?』『いえ、これからです』『今日は午前中で閉館だから、これからだともう殆ど見れませんよ。せっかくだから、普段は見れないところを案内しましょうか』『・・・???』我々は、凄い警戒モードになっています。『イタリアで日本語で話しかけられたら用心しろってガイドブックには書いてあるけど、心配要りませんよ。私はこの通り神父ですから』確かに、黒い服を着ていて、神父さんっぽくは見えます(正直、当時の私は神父さんの服装すら良く知りませんでした・・。)見た感じ、小柄で悪い人には見えませんでしたので、我々は顔を見合わせた後、正直、神父さんが何を言っているのか良くわからないまま『は、はい、お願いします・・』と返事をしました。これが夢の一日の始まりでした。【ベルニーニ作・コンスタンティヌスの騎馬像】
2016年12月04日
12月に入り贅沢生活もエスカレート。今日はセレブリスを飲んでみました。色は濃く、年の流れを感じさせます。軽やかな香りと味わい。期待したよりおとなしい感じです。18年経っている割に熟成感はあまりありなく、フレッシュな感じ。うぉ~!って感じはなく、再び1万円以上出して買おうと思うレベルではありませんでした。美味しくないというわけではないですよ。僕の好みのイメージとは少し違うというだけです。Gosset Celebris 1998
2016年12月03日
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