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最近、歴史ネタが多くなっているけど、コドモの塾の歴史のテキストを見ていると、9月から始まったばかりなのに、もう奈良時代に入っている。こんなハイペースでいかないと、現代まで行き着かないのだろう。だけど、細かい用語なんかは覚えても、なぜそうなるのかといった流れはまったくアタマに入る余地ないよ。下部構造がどうのとか、生産手段の変化が政治体制にどんな影響を与えたかなんてところまでは求めないけど。今まで出てきたのも相沢忠洋とか、モースとか、卑弥呼、仁徳天皇、聖徳太子、蘇我馬子、蝦夷、入鹿とか。天武天皇と大海人皇子、中大兄皇子と天智天皇が同一人物だってことわかってんのかな。 そもそも、小学校の歴史の教科書見ていないからよくわからないけど、いったい小学校の歴史ってどのぐらい深いところまでやるんだろうか。 二十年ぐらい前に刊行された週刊朝日百科の日本の歴史が150冊ぐらいそろっているけど、こんなの見せてもよけい混乱するだけだろうな。
2005.09.30
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幼稚園児のころ、お化け屋敷に入ると、ギャーギャー泣いていたくせに、なぜか大好き。今年の小学校の文化祭?のようなもので初めてお化け屋敷をやらせてもらった。 一生懸命パソコンで調べたり、私立の文化祭に行ったときに、お化け屋敷を見たり、また、家にあるちょっと不気味な人形を拝借したり。けっこう一生懸命準備をしていた。 きょうが、本番。けっこう、立派に出来ていた。私立中、高でみたのよりも、むしろ完成度が高いぐらい。 どこでもらってきたのか、マネキンの首や腕などに光を当てたり、われわれの子供時代に比べると、けっこう小道具もそろっているが、それなりに工夫して、一、二年生ぐらいだと、おお泣きして出てくる子供もいた。あれだけ泣いてくれると、お化けたちも一生懸命やった甲斐があっただろう。
2005.09.30
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実はならないけど、彼岸花のつぼみが膨らんできた。いつからかしらないが、駐車場(車がないけど)の片隅に適当に並べてある植木鉢の一つから、勝手に彼岸花が出てきた。なぜか、山椒の小さな木も生えている鉢で、その脇から出てきた。 春先には、ハッパが出ていたような(彼岸花の葉っぱって春だったけ)。とにかく、花と葉が時期が違うので、「あれ、このハッパなんだったけ」と毎年のように考えてしまう。 昔は、毒があることや、お墓によく生えていたから、なんとなく薄気味悪く思っていたが、なんとも美しい花ですね。咲くのが楽しみ。
2005.09.29
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コドモの学年じゃないけど、コドモが一人病気で亡くなったそうだ。クラスのみんながお葬式に行くのかなと思ったら、「責任はもてない」ことを理由に、校長がクラスみんなでお葬式に行くことを禁じたという。 もちろん、一人ひとりが行くのは、制限できるものではないのだろうが。 行われる場所にもよるが、それってないんじゃないの?。仮にもクラスメートでしょ。クラスメートの父母ならば、それは子供が大勢でいけば迷惑もかかるかもしれないが、その子が一緒に机を並べた子供たちに送ってもらうことは、いやらしい言い方だが、「教育的効果」を考えたって、必要なことじゃない。 本人のことを全く知らない、親の会社の同僚が来たからって(もちろん、香典の額は違ってくるけど)、それとは違うものがあるはず。 と、ちょっと怒ってしまいました。 もちろん、現実問題として、どうやって引率していくかなどと考えると、それなりに難しい問題があることは理解できるけど。
2005.09.29
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きのう、夜家に帰ると、食卓の上にメモが「ボツアナについて、知っていることを教えてください」。ボツアナって・・・。えっ、アフリカのボツワナのことかな。でもなんでと思ったが、「はて、ボツワナについて知っていることって。アフリカにあるってことのほか、せいぜい南アの上(北)で、ナミビアの隣(東)って言うぐらいかな。首都も知らないし。そういえば、日本の国債の格付けが、ボツワナよりも低いとか大騒ぎになったこともあったっけ。でも、それだけ。首都の名前も出てこないし。 しょうがないので、ネットで検索してそれなりのことはメモしておいた。そうか、カラハリ砂漠も一部はボツワナか。ってことは、ブッシュマン(コイン族)も、ボツワナにいるのかな、なんて思った。国債の格付けが高いだけあって、政治もまともな選挙や政権交代が行われているようだ。多分、国の安定度はアフリカで一番なんだろう。アフリカの中では所得も高そうだし。 で、翌日なんでボツワナの情報が知りたかったのか、奥様に聞いてみた。そうしたら、小学校でインターネットを使った国際交流で、ボツワナの小学生とお話をするらしい。青年海外協力隊の仲立ちがあるらしいが。 でも、すごい時代になったもんだ。大阪の小学生とは、けっこうインターネットで交流しているらしし、昨年はスウェーデンのイラク難民とお話もしたらしい。しかし、今度はなんとボツワナだって。もしかしたら、小学校の先生で、ボツワナという名前を知っていた人なんて、ほとんどいなかったのではないだろうか。もちろん、コドモでその名前を知っていたのはだれもいなかっただろう。 先日、「アフリカ発見」について、ここに書いたワタシだって、名前以外なにも知らないに等しい。首都だってわからなかったんだから。 でも、いったい何を聞くんだろう。大阪の小学校とのやりとりでは、「イケメンの人いますか」なんてことを聞いたらしいが、少しはマトモなことを聞けるんだろうか。
2005.09.28
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今年はけっこうイチゴがなったが、伸びたランナーをそのままほっといたら、ほとんど定着していない。古い株がのさばっている。暑さ対策もなにもしていなかったためか、どれもはっぱがくたびれている。今から手入れしても遅くないかな・・・。もう、新しいランナーもあまり伸びていないけど。
2005.09.28
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奥様が、学校で聞いてきた話。ウチと同じ学園祭に行ってきた二つの学校で、それぞれ良かった、よくなかったという評価が、二つに分かれてしまったそうな。別に、だからどうってことじゃないけど。 学園祭をちょっと見ただけで、その学校の全貌が明らかになるわけでもないので、当たり前と言えば当たり前だが。たまたま目にしたもので、評価が大きく分かれるのか、そもそも評価の基準が違うのか。 とりあえず、自分の評価を大事にするしかないんだろうけど、運、不運もあるよな。たまたま変な生徒を目にしてしまうこともあるだろうし。
2005.09.27
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最近は、うりぼうずたちの得点源といったら、社会しかなかったのに、歴史になると、あんまり理解していないようす。こりゃやばい。点がとれなくなってしまうじゃないの。 マンガ版でもなんでも、もう少し親しめるように工夫をしておくべきだったのではとの思いも。 それに、あの難しい漢字の山。こっちも、書けといわれると、どんな漢字だったかおぼつかなくなることも多い。 さて、どうする。
2005.09.27
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家に帰ってポケットをまさぐって、鍵を取り出す。「あれ、なんだこのキーホルダーは」。・・・違う鍵が入っていた。玄関を開けられないじゃないか。 さて、どこから入るか。家の周りを回ってみたが、窓はみんな閉まっている。チャイムを鳴らせばいいことだが、また不快な顔をされるのは目に見えている。 そういえば、ワタシの寝室の窓の鍵、かけてなかったような。 はしごを取り出し、二階に登る。「こんなのを、近所から目撃されたら、即110番通報だよな」と思いつつ。窓に手をかけると、動いた。しかし、障子が動かない。この間少し雨が吹き込んだので、膨張してしまったのか。しかし、小さな穴が開いていた。そこから指をいれ、ようやく障子を開けた。やった、進入成功。 でも、危険なので、これからマジメに鍵をかけるようにします。証拠隠滅のため、はしごも片付けておきました。これから、ちゃんとカギはもって出かけましょう。雨が降っていなかったのも救いだった。 でも、近所から見られなくてよかった。
2005.09.26
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19歳の娘を交通事故で失った著者。加害者は信号無視で交差点に進入し、交差点の反対側の横断歩道を渡っていた著者の娘をはね死なせたというもの。 通常、交通事故の死者は、事故後24時間以内に死んだものだけが、死者と数えられる。この被害者は、数日後になくなったので、一般的な「交通事故死者」には数えられない。よく、交通事故死者が一万人を割ったなどというが、それは、24時間以内に限ったもの。一年以内に死亡する人を加えると、実際の死者は三割近く増加すると言われている。 阪神大震災あたりから、地震の死者に、避難所での疲労死なども加えられるようになっているが、交通事故を必要以上に軽視する土壌が、こんなところにも現れているようだ。 さらに、刑事裁判ともなれば、機械的な判決が下される実態も明らかにする。(最近でこそ、危険運転致死傷罪が設けられたが)交差点手前の横断歩道でなく、交差点を渡った側の横断歩道上の信号無視による事故という、加害者側の過失の大きさにもかかわらず、下される判決は執行猶予付き判決。さらに、損害賠償は、保険から支払われる。結局、加害者が負うものは、実質的にほとんどないに等しいのが現状だ。 さらに、企業の論理として、賠償金を値切る保険会社、交渉には加害者はまったく姿を見せず(加害者がどのように思うか以上に、保険会社が同席させないようにしている)、その責任を感じる場がまったく与えれられないのが現状という。 また、慰謝料のランキングの不可解さ。被害者が一家の支柱である場合がもっとも高く、1450万。被害者が18歳未満1200万、被害者が高齢である場合1100万などとランク付けされている。もちろん、年間何万件も発生する事故に対し、なんらかの基準がなければ、実際の問題として多くの困難な問題が生ずるかもしれないが、そこには遺族が負った「心の痛手」に対する配慮は皆無だ。 さらに、示談が成立しなければ調停や裁判へと進むわけだが、そこで「活躍」する弁護士の非人間的な態度に対する、著者の怒りや絶望感は計り知れないものがある。そして、それはその弁護士の個人的な問題ではなく、法のシステム全体に対する怒りへと変化していくことになる。 社会全体として、交通事故を些細なもの、運、不運の問題へと片付けるシステムが構築されていることへの憤りがこの本を書かせているのだろう。 交通死について、やはり優れた著作として、「遺された親たち」(佐藤光房、あすなろ社)がある。これは、やはり結婚を二週間後に控えた娘を交通事故によって殺された新聞記者である著者が、遺された親たちの心に焦点を当てたもの(朝日新聞に連載)。 これらの本を、ドライバーたちに読んでほしい。いかに、自分たちが危険(自分の危険ではなく、他人の危険)と隣り合わせの行為をしているかを自覚するために。 運転するという行為は、言うならば、抜き身の刀を振り回しながら、公道を走るのと、同じ行為であるのだから。
2005.09.26
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アクセスが、10万越えていた。最近、しょーもないことばかり書いていたが、けっこう数はかいていたからかな。多くの人に時間を無駄に使わせて・・・。といっても、読まない人が大部分だろうけど。
2005.09.26
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けっこう拾い物。中学生向けに書かれたものだが、「どうして勉強するの?」「校則はなぜあるの」「隠れたカリキュラム」など、中学生、いや小学生でも抱く素朴な疑問について、決して一つの答えを出すのではなく、それらが存在している背景を丁寧に語った本。親とすれば、「うるさい、そう決まってるからだ」とか、「へ理屈をこねるんじゃない」と、一蹴してしまいそうな問題を、「そうか、そういう歴史や背景があって成り立ったのか」「必ずしも絶対的なものじゃないんだ」と、わからせてくれる。子供だけじゃなく、親が読んだ方がいいかもしれない。 もともとは、毎日中学生新聞に連載されていたものをまとめたもの。 中学生向けに本当にアタマのいい人が書いたものは、むしろワタシのようなアタマの悪い大人には最適の本だ。
2005.09.25
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きょうで連休4日目。いったいなんだったんだこの連休。一日だけ、文化祭を見に行っただけで、あとはごろごろ。まあ、台風が来て天気が悪かったせいもあるけど。 あとは、こどもに「勉強しろ」と、意味のないお題目を唱えるだけ。もちろん、連中はやらない。別に、言わなかったからといって、やるわけでもなし。こちらの鬱憤晴らしのようなものかもしれない。 ホントに、撤退の時期がきているのかも知れない。
2005.09.25
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中内氏が鬼籍に入ったのを機に、以前から読んでおこうと思っていたのを図書館で借りた。とっくに借り出されているかと思ったが、まだ、書棚に残っていた。世間では、とっくに過去の人物という扱いを受けていたのか。 学生時代に読んだ、「戦後日本の思想」(シリーズ名を忘れたが)の中に、「わが安売り哲学」が出ていて、「大スーパーの社長が、毛沢東思想の信奉者的な哲学で経営しているのか」と驚いた記憶がある。 それにしても、なぜ人は最後にはこうやって金銭、身内(直系の)に執着してしまうのだろう。「安売り哲学」がウソだったわけではないだろう。これは、変節なのか。それとも、当初から内在していたものなのだろうか。 成功体験が大きければ大きいほど、そこから抜け出せなくなる人間の性。ここから抜け出せた人間がいかに少ないことか。 これが雑誌に連載されたのは、もう7~8年前。中内ダイエーは消滅したが、その後、どうなっているのだろうか。大して商才のなさそうな息子たちは・・・。 (中内功の功は、力でなく、刀ですが、見つかりませんので)
2005.09.24
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コドモの社会の教科書を見てみる。情報の問題について、多くのページが割かれている。われわれの子供時代には考えられなかったこと。携帯電話はもちろん、テレビニュースの取材から、誤報による人権侵害のことにまで触れられている。 ここでは、一般に入試などで扱われる山地、山脈、各地の特産物などほとんど触れられていない。 現代社会を理解するうえで、どちらが重要か。もちろん、基礎的な地名などが不用とは思わないが。 ただ、こういった問題を教師がどこまで教えられるか、これまた個々の力量にかかってくる。単純に、県庁所在地を覚えろというのなら、九九と同じ要領でいいような気がするが。 それにしても、昔の携帯電話というところで、弁当箱ぐらいの大きさの肩からかける形式のやつには笑ってしまった。別に、今の携帯電話に比べて不細工なんていう理由ではない。十数年前だったか、同業他社が同じようなヤツを持っていて、「すごい文明の利器」と、感動してしまったのを覚えているからだ。それが「昔」だって。つい昨日のようなことなのに。 こういうときに、昔なんてあいまいな言葉を使ってはいけない。ちゃんとした学問なんだから、○○年の携帯電話と断らなければならない。
2005.09.24
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相変わらず「くう」がハムスターを飼いたいだの、ヘビを飼いたいだのウルサイ。「そんなもの、両方並べて、ヘビのえさとしてハムスターを飼うのか」と言ってしまった。生きているエサでなくても、冷凍のネズミだかヒヨコなんて、ワタシはだめ。せめて虫ぐらいでないと。 だいたい、世話も出来ない人間が何をいうか。アゲハの幼虫だって、取ってくるのはいいが、だれがハッパを代えてやったんだ。 ホントにもう。 でも、なぜか奥様は、「くう」に同情的。双子といっても、なんとなく、ワタシが「みい」派、奥様が「くう」派といった具合に分かれているような気がする。まあ、もちろん両方とも平等に扱っているつもりなんだろうが。でも、どこかでどちらか一方に対してという感情はあることはたしかだろう。
2005.09.23
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しばらく前に、各新聞の書評に出ていた本。 日本人で、アフリカの国名を20挙げられる人がどれくらいいるだろうか。多分、きわめて少数であろう。アフリカのイメージといえば、映画ブッシュマン(のちのコイサンマン)か。野生の王国か。はたまたエチオピアの飢餓か。ルワンダの大虐殺か。 同じように遠い南米には、日本人移民がけっこう行っているから、すこしはイメージが沸くか。 そんなアフリカと日本の出会いは、戦国時代。ポルトガル人の来航とともに、彼らが連れてきた奴隷たち。日本人からみれば、あの黒い色にビックリしたはず。南蛮人以上にたまげただろう。信長だけでなく、一般庶民も、見物するためにわんさと押し寄せたらしい。 今で言えば、珍獣が来たのと同じレベルだろう。しかし、当時の人たちは、人種的偏見は少なかったようだ。しかし、江戸時代になると、ヨーロッパの価値観というフィルターを通した黒人観が浸透し始め、明治以降はそれが決定的になっていったという。 もちろん、一部には別な見方をする人もあったが。 こういった、日本人の残した記録や文学の中にみるアフリカ像を、丁寧に描き出した本は、とても貴重なものである。 自分で考えてみても、日本人のアフリカ人観は、このヨーロッパのフィルターを通したものが支配的になる。手塚治虫のジャングル大帝しかり。コドモの頃読んだ、学研の科学と学習の中に、アフリカの野生動物を救えといった感じの読み物の中に、「原住民のやりに襲われた野生動物を、白人がヘリで救出する」といった類の話が出ていたのを覚えている。もう、アフリカの年といわれた、1960年を過ぎていた時代だ。子供たちは、こういったアフリカ観を植えつけられて育ったわけだ。 この著者とは、仙台にいたころ、酒席で一回話をした記憶がある。ワタシの同僚も何人かいたが、彼女は、彼らについてもアフリカに対する無知にあきれていたのを覚えている(われわれの商売から、高度の国際的な知識があると、誤解していたのだろうか)。そんな日本人のアフリカに対する認識の低さが、この本を書かせたのかもしれない。
2005.09.23
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4校目ともなると、多少飽きてくる。コドモも同じ。しかも、二人それぞれ対象が違うため、普通の二倍行かなければならなくなる。 さて、きょうは都心部の女子校。最近、評判が高くなっていると言われるところ。 表通りの方からみると、「えっ、これが学校?」といった造り。なんかの劇場みたいな施設かなとも思ってしまう。 入ると、いきなり受験生かどうかを聞かれる。まだ5年だが、受験生の方の受付へ。それ用の資料も渡してくれる。至れり尽くせり。 校舎の中は、廊下に名画(もちろん複製だが、けっこうホンモノらしくみえるやつ)が並ぶ。雰囲気はたしかに、高級感があるとでも言うべきか。 展示をみて驚いた。非常に質が高いのだ。普通の学園祭のものより、かなりレベルが高い。「少年犯罪」について調べたクラスのものでは、警察を始め、さまざまな分野の専門家などにインタビューをして、まとめてある。また、学園祭の定番といえば、お化け屋敷だが、お化けコーナーも、お化け屋敷ではなく、日本各地のお化けを調べたり、水木しげるにインタビューしたり、かなりマジメなのだ。 ただ、このマジメさが引っかかるといえば引っかかる。子供自身は、お化け屋敷を作りたかったのではないだろうか。熱心な指導が行われたのだろうことは理解できるが、熱心さと過剰サービスは紙一重といったところ。 親としては、こういった「面倒見のいい」処に子どもを任せたいきもするが、コドモの側はどうなのか。文化祭の文化の部分は百点だが、祭りの部分の生徒の高揚した部分がちょっと見られなかった気がする。 でも、マジメさが否定されがちな世の中で、こういったマジメさは、前向きに捉えた方がいいのかも知れない。 あと、やはり都心部の学校とあって、グラウンドなどが見当たらないが、体育の授業は、体育館だけなのだろうか。その辺は、ちょっとさびしい。 でも、先生もみんな生真面目そうだし。近年、評価を高めているというのも納得できる。ただし、通学時間がけっこうかかりそう。これはネックになる。 そういえば、去年からこれで6校目になるが、女子校ってまだ2校目。初めてみたのは桜蔭だったから、問題外だが・・・。
2005.09.23
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まだ、3歳ぐらいのころであったか。近所のガキ大将に率いられた悪がきどもが、こんな歌だか、標語だかを唱えながら、町を闊歩していた記憶が、なぜか残っている。 立小便が国の恥とは?そう、ワタシの4歳の時に、あの国家的大イベントである東京オリンピックが開かれたのだ。多分、欧米から多くの観光客がくるのに、そこらじゅうでオッサンやお兄ちゃんが、チ○ポ○こを出して、小便をするのは、非文明国と思われることを懸念した当局がはやらせたスローガンではないだろうか。 そう、先日北京に行ったときには、やたらと「痰を吐くな、文明人として恥ずかしい」と、いった感じのスローガンが書かれていた。そう、あの東京オリンピックの立小便と同じことなのだ。 最近、中国が非文明的といったことをあざ笑うような言辞がはやっているが、日本だってつい最近まで似たようなものだったわけだ。国家的イベントの前に、懸命にそれまでの風習(悪習?)を隠そうとするのは、洋の東西を問わないのだろう。 さて、東京や福岡が2016年のオリンピックに立候補するという。いったいどんなスローガンが登場することやら。まあ、もうそんな類のスローガンは登場することはないような気がするが。長野の時も、そんなものはなかったよな。外国人に親切にしよう程度のものはあったかもしれないが。 でも、そういえば最近立小便をしている人、見かけませんね。特にコドモでやっているのってほとんどいないみたい。ワタシの小学生時代など、そこら中で見かけた気がするんですが。 よく、工事現場でも、職人さんなんかは立小便が当たり前でしたが、最近は施主さんから苦情が来るのか、小さな現場でも仮設トイレが設置されますよね。
2005.09.22
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学校の教科書の下が配られたようだ。机の上においてあった国語を見せてもらう。 冒頭の詩には、カール・ブッセの「山のあなた」が。その昔、落語家が「山のあなあなあな・・・」なんて言っていたのを思い出した。落語家があれをネタに出来たのは、それだけあの詩が一般人の頭の中にインプットされていたから成立していたギャグなんだろう。しかも、聞いたことはあるが、その意味が良くわからないからこそ、成立したんだろう。 最近の日本語ブームで、あまり意味はわからなくても、音で日本語を楽しむという発想が強調されているが、これが採用されたのも、そういうことか。 国語と言えども、総合学習的な視点は常に重要視されている。「森を育てる炭作り」という環境ネタも掲載。社会や理科以上に、国語の教材で学んだことがアタマに残る場合が多いので、こういったことも重要なんだろう。ただ、「正しい」ことなので、国語の読み取りが、純粋な説明文の読み取りとは違う方向に流れる危険性も若干はらんでいるような。 「日本語について調べよう」という単元の中には、新聞の見出しについて考えるコーナーがあった。一般に新聞を読んでいるような気になっても、実は見出しだけ読んで、その記事を読んだような気になっている場合が多い。しかし、一般に見出しには字数の制限が。そのため、本当にその記事の中で重要な部分が、「字数に合わない」などという本末転倒の理由で、別の部分から見出しが取られることもあることは、子供たち、知らないだろうな。大人だって、なかなかわからない。見出しと記事そのものを読み比べれば、「あれ、なんでこんな見出しがつくんだろう」と思うこともあるはず。それでも、一応間違ってはいない見出しがついてるはずだが・・・。 でも、文章を読んで見出しを付けてみると、その内容を簡潔に言い表す勉強にはなりそう。また、どんな文が、「見出しが付けやすい=わかりやすい文章」であるかも。 でも、これを教えるというのも非常に難しそう。
2005.09.22
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カリテの結果を見ていたら、なんか怒るというよりも、悲しくなってくる。こんなにわからないんだったら、授業の最中いったいどんな気持ちで座っているんだろう。劣等感にさいなまれ、プライドはずたずたにされるんではないだろうか。 こっちが「だからやらなければダメ」と言ったって、彼女にとっては、バスク語で話されているようなものなんだろう。 学校の授業ならば、まだある程度のプライドは保てるのだろうが。でも、学校の授業も、これならば中学に行けばついていけなくなっちゃうよな。
2005.09.22
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この間、賃金体系の見直しのことを書いたが、ちょっと試算してみた。えっ、月6万!。そんなに下がるの。やってらんない。ほとんど、周囲に聞いても最高に近いレベルで下がる。それはないでしょ。 激変緩和措置とやらもあるっていうけど。
2005.09.21
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きのうのどこかの新聞に、自民党の比例区単独で当選した議員の中に、当選した感想で「料亭に行きたい」と失言をし、執行部に怒られたのがいるらしい。26歳の男。 そういう、バカなことを考えるのは勝手だが、それを口に出す軽薄さ。こんな男は即刻クビにしなければ。 これが、比例だからこういうアホが通るという意見もあるだろうが、彼自身は福岡で小選挙区の候補にも一時なりかかっていたというから、多分今度のような風がふけば、彼でも当選していた可能性は高い。 「公募」などといっているが、こんなのも選考を通ってしまうんだから怖い。 民主の覚せい剤男も同じだろう。こっちは、40男だが、「金持ちのボンボンがアメリカに留学して・・・」なんて、まったくあきれるストーリー。結局、バカ息子のまま、中年になってしまったと言うべきか。 でも、小選挙区になってから、タマ不足というか。こんな候補、そして当選した議員サマがごろごろいる気がしてならない。 昔もロクなのはいなかったのだろうが。ただ、中選挙区時代は、このタイプは当選できない。悪人は当選するかもしれないが。
2005.09.21
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いや、将来じゃなくて、もうすでに嫌われているかも。 本日、仕事がひと段落して雑談をしているときに、若い(比較的)女性社員から、「思春期に父親が嫌いだった」という話を聞いた。それこそ、絵に描いたみたいに「臭い」「汚い」「うるさい」といった悪口雑言が飛び、さらには蹴っ飛ばすなどの乱暴狼藉を父親に対して繰り返したというもの。 なにかベトベトとまとわりついてくる父親を、生理的に受け付けられないから、そうなったとのこと。 わがこととして、神妙に拝聴させていただきました。決してその女性、乱暴とはとても思えないようなんですが、そういう状況になると、そういうふうになってしまうのか。それが、小さいころはお父さん子だったと、自分でも言っているのだから。 なんとなく、聞いているとけっこう自分にも当てはまっているように思えてきた。「もう、脱いだ靴下を娘の顔の前にぶら下げたりするのはやめよう」「わざわざ顔の前で屁をこくのはやめよう」・・・などと、固く心に誓ってしまいました。
2005.09.20
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木曜日から、なぜか4連休がついている。つぶれた夏休みの埋め合わせということだが。こちらの意向とは無関係につけられたもの。世間一般の三連休に合わせてつけていただいたご厚意はありがたいが、必ずしもお子様方のスケジュールとの調整がつくものではない。どうしようか、あんまり計画のたてようがない連休だ。 一人でどこかに行ってしまってもいいのだが、顰蹙を買うかな。買ったところでどうこうといったものではないが。 うちでゴロゴロとしていてもしょうがないか。
2005.09.20
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大学生でも、かわずが何のことか、わからないとか新聞にでていたとか。古池に飛び込んだのは、もしかしたら、河童とでも思っていたのでしょうか。 そういえば、古池に本当にカエルが飛び込んだかどうか、真面目に考えちゃう本が話題になりましたが。あれは、芭蕉の心の中の風景だと、長谷川櫂さんはおっしゃっています。この本も読んでみようとは思っているのですが。なかなか。 さて、なぜカエルか。きょうは、休みだったので、塾から帰る二人を迎えに駅まで行った。改札から出てくる二人が、なにかうれしそうな顔をして、小さな紙袋を持っている。なにかと思ったら、アマガエル。なんでも、塾帰りの駅のそばのビルのカベにへばりついていたとか。駅といっても、県内で1、2を争う乗降客をほこる駅。大規模小売店が林立することで、全国にも名をとどろかしたような場所に、アマガエルとは。 ウチに持って帰ったが、また、そのカエルの処置についてごちゃごちゃやっていたら、奥様に叱られ、結局庭に放すハメに。まあ、何年か前には、数回ヒキガエルを目撃したような庭だから、エサには不自由しないと思うが。 そういえば、カエルを捕まえるときに、何人かの女の子の友達がいたらしいが、捕まえるのに協力してくれる子供もいれば、気味悪がって眉をしかめるのコドモもいたとか。まあ、そんなもんでしょうが。ウチの娘どもが、平気でカエルを捕まえられることには一安心。 もっとも、もう少し大きくなると、「キャーキャー」言うのが、女らしいなどと、錯覚するようになるのかもしれませんが。 ホントに気味悪いのなら、それはそれで仕方ないけど。
2005.09.19
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晩年は「墜ちた」という表現が当たるのかもしれないが、やはり、戦後日本を作った英雄の一人なんだろうな。 評判が高かった佐野真一の「カリスマ」をぱらぱらとめくったことがある。 その「カリスマ」によれば、中内氏はトンデモナイけちだったようだ。ホテルに泊まっても、石鹸やシャンプーなどはもとより、ハンガーなどもくすねてきてしまう性癖の持ち主だったらしい。そして、十人に一人しか生還しえなかったというフィリピンでの戦争体験。 ちゃんと読まなければと思ったのに、図書館で手にとってはみたものの、そのときは気力がなかったので、また本棚にもどしてしまった。 これを期に、ちゃんと読んでみよう。 ピークは、ホークスの選手たちを引き連れて、チャーター機で福岡空港に降り立ったときだったのかな。あのシーンは、なぜか覚えている。 再建に苦しむダイエーの社員たちは、このニュースをどう聞くのだろうか。
2005.09.19
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カレンダー通りに休んでいないので、そういえば三連休だったという状態。でも、子供らは土曜日は塾のテスト、きょうも塾の授業と、完全休養日がほとんどない(完全休養といっても、休養させてもらえるわけでもないか)。 昨日の、文化祭見物、奥様によればなかなかよかったということ。今まで見た中で、一番いいという。しかし、この学校、Nの室長の話に出てくるときはあまりよく言われないところ。室長本人も、そう言った後で「結局室長さんは○○が嫌いなんですね」って言われると、苦笑していた。 まあ、Nと二、三の学校の関係があまりよろしくないとかいう話も聞かないことはないが。 まあ、いずれにしろ、あまり面倒見のいい学校とは言われていないのは確か。でも、「面倒見のいい」と言うのも、よしあし。また、コドモによって向き不向きもあるだろう。 それでも、奥様は、A評価をつけていた。 Nフレンズの時にあった生徒も、けっこう感じはよかったことを思い出した。
2005.09.19
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選挙、終わったとたんにこれですか。ホントは、こんな議員、何人もいるんじゃないだろうか。民主にしろ、自民にしろ、若いからってだけで出てきて当選しているようなのがあまりにも多すぎる気がする。 近年、あまりにも「老害」などといって、歳よりはなんでも悪くて、若けりゃなんでもいいような風潮が強すぎたような。それだけ、自分が年寄りグループになりつつあるということか。 そういえば、民主の新代表なんて、ワタシより若いんだもんな。 ついでに言えば、会社側が賃金システムの見直し提案をしてきた。要するに、ワタシのような中年世代の賃金を削るための方策ということ。月あたり、3,4万円は下がるのではないかとの観測。 労組なんて、抵抗するわけないし。組合費なんて払うのがバカバカしいとの感想を周囲の大半が持っている。
2005.09.18
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会社の同僚が、「介護休暇でも取らなければならないみたい」と、話していた。両親とも弱ってきているとのこと。遠方なので、ちょくちょくたずねるわけにもいかず、妹ばかりに面倒を押し付けるわけにはいかないらしい。 もちろん、介護休暇なんていっても、その間は無給になるんだから、厳しいものだ。 同級生でも、父親がガンをきっかけに寝たきりになってしまった。ちょうど、みんな親がそんな状態になってくる時期なのだ。ウチも例外ではない。なんとなく、あと十年ぐらいは大丈夫じゃないかと思っていたのだが、なにか根拠があったわけでもない。 まわりをみていると、父親というのは、だいたい倒れるとリハビリなどを放棄してしまうケースが多いようだ。母親の話によると、近所でも「リハビリなんてやらない」と、宣言して、結局再起できる程度の症状だったにもかかわらず、寝たきりになってしまった人がいるという。あすというより、30年後のわが身であろうか。
2005.09.18
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朝から家庭内不和。きょうは「みい」の押さえ候補の学校の文化祭。そんなにいかなくてもいいような気もするが、一応計画は以前から立てていた。 しかし、きのう当の本人が、行かないようなことを言い出していた。 午前二時ごろ帰っても、翌朝行く、行かないといったことについての伝言もなかったので、「行かないのかな」と思いつつ、4時ごろ就寝。もっとも最近は寝つきが悪いので、いったい何時に寝たのか不明。 しかし、8時前に「みい」に起こされる。なんか、知らんうちに行くことになったみたい。体もアタマもぼ~っとしていたのでシャワーを浴びたが、どうも行くんだか行かないんだか。本人はパソコンいじったり。 徐々に家庭内の緊張が高まり、小さな紛争があちらこちらで起こり始める。結局、なんとなく、行くようなことになったが、姉妹でケンカを始め、また「みい」がぐずりだす。11時過ぎに、表に出たところで、まだグズグズとしている「みい」にこちらがかんしゃくを起こし、「オレは行かない。勝手にしろ」と、家に戻り寝てしまった。 と、言っても、眠れるわけでナシ。3人は、一応行ったみたい。どこにいっているかは知らないけど。 最近、人心が荒廃してきている。ああ、会社行くのも面倒くさいが、家にいるよりはマシか。
2005.09.18
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先日、脱走したまま行方不明になったヤモリさん。その翌日、奥様に目撃されていたことがわかった。 カーテンにへばりついていたのが、人間の気配を察し、そのまま棚の奥に逃げ込んだらしい。そのまま行方知れずに。 ただし、奥様は、ヤモリさんを目撃しても、別にギャーとも叫ぶことはなかった。それだけでなく、「クリクリした目がカワイイ」との証言を聞き、まあ、飼おうとしても、文句を言われることは少ないかなと、一安心。でも、肝心のヤモリさんがいなけりゃ、どうしようもない。 少し離れたどっかの社宅のカベにへばりついているのを、何度も目撃しているので、もしかしたら、そこならばいるのかも知れない。
2005.09.17
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正式名称は忘れてしまったが、要するに、5年生の今、どうやって志望校を選ぶかの説明会なんて、親切なものを開いてくれる。ああ、ホントに至れりつくせり。こうやって、洗脳されていくのか。 と、言うことで、女の子向けのものに参加してきました。 たしかに、おっしゃることに感心するばかり。コドモに合うところを探すのに、いかに手間を惜しまずに、自分の好き嫌いも含めて、総合的に勘案することが大事か。 まあ、なかには70校以上、学校を訪れたお母さんもいたとか。もうこれは趣味の領域。いや中学受験道とでもいうべきか。なんせ、子供が女の子なのに、男子校までみたというのだから(そういえば、ウチの奥様、Nフレンズのときに、麻布の説明を喜んで聞いていた。同じ嗜好があるんだろうか)。 まあ、冗談は抜きにしても、「入ってみなけりゃわからない」などといっていては、ダメなんだろう。少なくとも、確率的にどちらの方がよりよくなる可能性があるかと考えるべきなのかもしれない(ただ、なにが「いいことなのか」考えてみることも大事だが)。 それにしても、よく進学実績を比較するときに、東大、早慶上智などを一くくりにするが、これをそんなにくくってもよいのだろうか。いつも、疑問。少なくとも、ワタシの受験生時代には、この二つの間にはなかなか越えられないハードルがあったような気がする。 だいたい、5教科の国立と、3教科の私立を単純に比較することが出来るのだろうか。社会人になって、これらの卒業生と話していると、私立(国立を併願していなかった連中)には、受験課目以外の教養のなさに驚かされたことがよくある。ワタシも私大。教養のなさではヒケを取りませんが。 もちろん、そうでない人も多いのだが。
2005.09.16
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大森貝塚問題で、15日の朝日の記事が面白いと書いたが、一番面白い、いや、秀逸だと思ったのは、15ページの「ワールドクリック」という欄。これを書いたのが、松本仁一編集委員。 カラシニコフという、ソ連製の自動小銃をキーワードにした、連載を書いた記者だ(最近、また連載が始まっている)。 今回のアフリカの携帯電話ブームを導入にしている。電話線がなくても通じる携帯電話がはやるのは、有線では、保守点検が必要なため、その思想がない地域ではすぐにだめになる。電話に限らず、道路、鉄道などアフリカにこれらの文明を持ち込んだ国々が、保守点検の思想を伝えずに、技術のうわっぺらだけを持ち込んだために、すぐに壊れ使い物にならなくなるという内容のもの。道路や鉄道がまともに維持できないので、飛行機にニワトリを連れた農民があふれることになるとしている。 不毛の援助の繰り返しで、債務は雪だるま式に膨れ上がるというわけだ。それを「中抜き文明」と評している。このままでは、どんどん自立とは程遠い状態になっていくだろう。 日本のPKOで作ったカンボジアの道路もすぐにダメになったという話を聞いたことがある。あれは、選挙を円滑にするための道路に過ぎなかったとか。イラクの自衛隊も、ただ水を配るだけでは、なんの意味もないだろう(イラクには、水道の保守点検をするぐらいの技術者は多分いるはず。彼らを雇用し、活用する方が、ずっと将来のためにも役立つはず)。
2005.09.15
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きょうの朝日新聞は、興味深い記事がてんこ盛りだ。まあ、筆頭は捏造問題の検証だが、ワタシ的には大森貝塚が、実は大森にはなかったと言う記事。 別にこのことは、今になって知られたということでなく、昔から知っている人は知っていたという話らしい。しかし、学者の間でも知らない人は多いとか。 で、また塾のテキストを見てみる。「大森付近」(東京都大田区)と書いてある。たしかに大森には近いが、場所は品川区になるとのこと。(ちなみに、大田区の「大」の字は、大森の「大」。「田」は、蒲田の「田」)。そして、資料集のカット写真は、大田区内の、勘違いされていた場所に立てられている石碑の写真が掲載されていた。 山川の高校日本史の教科書では、「東京の大森貝塚」と、表現されている。まあ、大森になくても、そばの有名な地名が使われることはあるから、貝塚の名称として「大森貝塚」は、誤りとは必ずしもいえないのだろうが。 うりぼうずのテキストの間に、この記事を切り抜いてさしはさんでおいてやりたいが、果たして適当か。「大森貝塚」は大森にないなんて問題は出ないだろうから。逆に出題者側が大森にあると信じ込んでいると、×を食らう可能性がある。 塾に行って講師の先生にでも聞いてみようかな。ただの嫌がらせに過ぎないが。 参考までに、大田区役所のホームページを見ると、大森百景というコーナーに、大森貝塚の記念碑の絵が掲載されていたが、それ以外には、あまり大森貝塚については触れていなかった。貝塚が区内にないことを自覚しているということか。逆に、品川区のページには、貝塚の意義を大きく取り上げていました。地元では、ずっとこの事実は定着していたのに、あまり全国的には話題にならなかったということでしょうか。 まあ、詳しくは新聞をお読みください。
2005.09.15
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社会は歴史に移行している。となると、地理を忘れてしまう。と、いうことで授業が終わったあとで地理の小テストが組み込まれるようになったという。たかだか10分か15分なのだろうが、これで帰りの電車が2、3本遅くなる。 きのうもうりぼうずが寝たのは23時半を過ぎていた。まあ、いろいろと付け加えてくれるけど。
2005.09.15
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奥様が本棚を引っ掻き回していたら、群像の1986年9月号が出てきた。埴谷雄高の「死霊」八章が掲載してあるやつ。パラパラとめくってみる。宇宙語のような文字が並ぶ。ワタシのようなアタマでは、到底理解を超えている。もちろん、自分で買った当時も、理解できるとは思ってもいなかったが。 20年たっても、やっぱり理解不能。でも、なんとなくではあるが、面白いことはたしか。 なにがどう面白いか。夏休みの宿題の読書感想文を書けと言われなくてよかった。
2005.09.14
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ヤモリがいない。きのう夜帰宅途中、よその家の壁にへばりついているヤモリを発見。逃げられるだろうと思いながらも、手を出したら、思いのほか反応が鈍く、簡単に捕まえられてしまった。 エサの虫でも捕まえられたら、ちょっと飼ってみようかななどと思い、家に持ち帰ってプラスチックの飼育ケースに入れておいた。 さて、エサでも捕まえてやるかと、朝みたら、なんともぬけの殻。 それなりの大きさはあったから、大丈夫かと思ったが、ケースのふたの空気穴から出てしまったのだろうか。サンルームの中で、変なところに隠れられたら、飢え死にしてしまうような。いくらゴキブリがはびこっていたとしても、食いつなぐだけのゴキブリなんていないだろうし。 気の毒なことしちゃった。
2005.09.14
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ああいう結果になって、首相支持率って上昇するんだ。「入れては見たけれど、こりゃマズイ」って、逆に下げるものかと思っていたワタシがアホでした。 そんなものかも知れない。勝ち馬に乗るというのか。でも、乗ってどうなるものでもないけど。
2005.09.14
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会社で、しょっちゅう遅刻を繰り返しているのがいる。ひどいアトピーで、かゆくて眠れないこともしばしばとか。たしかに、状態はあまりよくないようだ。それは、こちらが見ていてもわかる。 ただ、来るかどうかわからない人物同じ部署にいると、やはり周囲が迷惑をこうむる。 あるいみで、寛大、言い換えればいい加減な会社だけあって、上司もそのたびに説教はするが、なんとなくウヤムヤに。 彼の症状にタバコや酒が悪いのか、いいのかも知らないが、その類を節制もしていない様子。 さて、どうしたものやら。
2005.09.13
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そういえば、聞いていなかった。父は投票に行ったのだろうか。行ったとしたら、ちゃんと字が書けたのだろうか。 記号式のものなら、チェックできるんだろうが。 代筆なんて可能なんだろうか。あとで聞いてみよ。 と、聞いてみたら、やっぱり投票には行ったとのこと。自分で書いて入れて来たと話していた。 どうしても、かけない場合は、代筆でもいいのだろうか。その場合はだれが。 小林興起氏の秘書が、虚偽投票をしたというが、20代の人間が50代を装ったっていうんじゃこりゃばれるよな。でも、あれだけの大差がついた選挙、一票、二票でどうにかなるわけではない。よほど、精神的に追い詰められていたのか、忠誠心のなせる業か、はたまたアホなのか。
2005.09.13
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今回の選挙は、小選挙区制度の危険性を見事にあらわしている。関東地方をみただけでも、東京で民主が1、神奈川で公明、無所属が1、千葉で民主が1。別に民主を支援するわけではない。はっきり言って、民主は嫌いだが、実際の民意の95パーセントが自民でいいといったわけではない。それは比例を見ればわかること。それをさも9割が自民を支持したかのような結果となってしまうことは、果たして正常なことだろうか。 イギリスの小選挙区を見ていれば、わかることであろう。 今度の選挙を小選挙区だけみてみたら、いかにいびつか。有権者の9割がコイズミに賛成しているなんてことがありえるはずがないのに、あたかもそうであるかのように捉えられてしまう。 ヒトラーだって、3割ちょいの支持で政権を握ってしまったのだから(ワイマールは、小選挙区ではなかったが)。
2005.09.12
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日曜日は、二校目の文化祭。こんなもの、二日も続けていくと、疲れる。 けっこう、生徒たちに活気があった。お化け屋敷ににしても、前日のものに比べると、子供たちも「こっちの方が面白い」と言う。親から見ても、やはり工夫の仕方が違うというべきか。まあ、もちろん大半は他愛のないものと言えば、それまでだが。 昼食は、保護者がだしている店で。保護者のこの種の活動も活発なようす。この辺にも、親のあり方がなんとなく現れる感じはする。 たしかに、こういうのを見ると、塾でいろいろな学校に足を運ばなければならないと言うのが理解できる。 ウチの奥様は、けっこう文化祭には一言ある。某県のトップ県立高(今でも、基本的には公立が優位にたっている)出身の彼女とすれば、「文化祭命」のような連中の運営していた自分たちが経験した文化祭と、どうしても比較したくなるらしい。大学受験を4年計画で考えている、それらと比べられては、まあ、いまどきの高校生は気の毒というしかないが。 さらに、美術系の彼女によれば、(去年から見ているところ)どこも美術系の水準が「低い」との鉄槌を下された。まあ、ワタシから見ていても、層感じないこともないが。
2005.09.11
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今シーズン最初の文化祭を見に行く。みたが、内容的には「ん~」といったところ。たしかに、郊外でキャンパスは広いし、校舎はきれいだが。いまひとつ活気が感じられない。展示物なども、特に目を引くものはなし。 中高生のやることだから、そんなにレベルの高いものを期待してはいけないんだろうし、この時期にやるのだから、準備なども大変だとは思うが。 まあ、たかだか文化祭だけで決め付けてはいけないのだろうが。 遊び系のところにしても、子供たちが、あまり楽しそうにしなかったのが気になる。遊び系のブースだって、それなりに演出力などを要求されるけど・・・。
2005.09.10
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総選挙も、あっと言う間に「あす投票」になってしまった。それにしても、今回の選挙、もれ伝わってくる情報によれば、とんでもない結果になりそうな。 「とんでもない」って、まあ、ワタシにとってとんでもないということで、人によってはすばらしいのかもしれないが。 最初は、自暴自棄解散のようにも思えたが、もしかしたらものすごく計算しつくされたもの(いや、動物的なカンといった方が正しいのかもしれない)だったのかも知れない。 世間、あるいは、評論家のような連中が、古い頭でしか考えられなかったようだ。ワタシも含めて。 昔のような集票組織は、いつの間にかガタガタになっていたと言うことか。都会だけでなく、地方においても。
2005.09.10
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そろそろ、文化祭シーズン。室長サンからは、10校ぐらいは見ておくようにと言われているが、二人いるからそんなに見るのはしんどい。去年見たところは見ないとして、せいぜい5、6校がいいところかな。それでも、毎週のようにつぶれてしまいそう。 子供は総合的にみることができないので、へんなところだけ気に入ってしまっても困るし、逆に、全体的にみればいい学校でも、ある一部にだけとらわれて、その学校に拒否反応を示されても困るし。 だからと言って、親の見る目がそんなに信頼を置けるかどうかも疑わしい。ワタシなど、結局偏差値しか見られないような気がする。 まあ、一つの判断材料ではあるが。 あした、あさって一つづつ行くことにはなっているが。
2005.09.09
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今年のザクロは、ほとんど一つか二つしか実をつけていないけど、カキは豊作。これから落ちるかもしれないが、かなりたわわに実っている。 ただし、一本だけ。二本あるうちの、一本は「無謀な剪定」により、数個だけになってしまった。 なんで小さな実をつけているときに切ってしまうのか。幸い、もう一本がそれをカバーしてあまりあるほど実をつけているので救われるけど、
2005.09.09
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イギリスの軍事評論家のリデル・ハートの著した「戦略論」の中心的な理論として、間接的アプローチの重要性がある。 戦略的な目標を達成する場合、敵の抵抗の強いところは避け、弱いところを衝く、あるいは、直接に戦わずに、相手が自滅するための手段をとるといったところか。戦闘においても、敵のもっとも強力な部分にぶつかることはせずに、二つの部隊の結節点、長く伸びた補給線を叩くことの必要性を強調したもの。カルタゴのハンニバル、南北戦争のシャーマン、砂漠のキツネロンメルなどを取り上げ、その間接的アプローチの有効性を説いている。 ラムズフェルド国防長官がイラクを攻撃するときにとった手法も、このハートの理論を最大限に活用し、短期間で、そして被害を最小限に食い止める勝利を導き出したという(しかし、戦争のことしか考えていなかったため、戦後統治がもっとも直接的なアプローチとなり、現在の混乱を招いている)。 さて、勉強しない子供に、あるいはリハビリをしない父親に向かって、「早くやれ、ちゃんとやらないからそうなるんだ」などとまくし立てるのは、直接的アプローチの典型なのだろう。では、間接的にアプローチするといった場合、どうすればいいのやら。 間接的にアメでも与えるか(塾の室長さんは、「エサでつることはやめてください」と、まっとうなことをおっしゃられていましたが)。それとも、ほめてほめてほめまくるか。文化祭見学で、その学校に行きたいと、本気で思わせるか。でも、行きたいと思っても、「神頼みをしよう」とでもいいだしそうなお子様だから。 まあ、直接的アプローチが悪いのはわかるが、どうすれば間接的になるのやら。 父親に対しても、ホメまくるか。おかしくて、自分で笑っちゃうだろうな。
2005.09.08
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二つの死刑判決がでた。一つは暴力団の抗争で、5人を殺した組長に。もう一つは、あの、押しかけ同居のセンパイの子供2人を殺した下山被告。 組長の方は、あまり関心を払っていなかったのでよくわからないが、下山被告の方は、死刑でいいのだろうかとの疑問が残った。 たしかに、幼児二人を虐待したうえに殺したことは、どんなにしても償えるものではないだろう。しかし、ここまでに至った責任を問われるのは、彼だけなのだろうか。 子供の父親しかり。「死刑判決が出てうれしい」と語っていた祖母も、一度は自分のところに来た孫を、養育能力のない息子と、養育にかかわるなんの理由もない下山被告のところにもどしてしまったのではないか。 児童相談所の責任までは、あえて触れないが。 自分の子供を虐待した上で殺してしまう両親がいるが、彼らに下りる判決は、せいぜい10年ぐらいか。これは、彼、あるいは彼らの所有物だから、たとえ殺しても罪は軽くなるのか。それとも、本来ならば「子供を殺した憎い犯人を死刑に」と言ってくれる親がいないからなのだろうか。そう言ってくれる親がいないこと、その親自身が殺したことが、最大の悲劇であるはずなのだが。 当時、下山被告とともに暮らしていた子供もいたはず。どこかの報道で読んだが、その子供たちと下山被告には血のつながりはなかったという。妻(元妻か)の連れ子を養育していたという話だったような。そこでどんな暮らしが営まれていたかはしらないが、それなりによき父親を演じていたというようなことも読んだ覚えがある。 そのへんに、情状酌量の余地はなかったのだろうか。
2005.09.08
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さて、クラス落ちした「くう」。公開模試では社会で1番、国語でも上位に食い込んだとうれしそう。一つ落ちると、それだけレベルが違ってきちゃうんだ。あまり自信を持てない彼女にとっては、このクラスで自信を持った方がいいのかも知れない。 親からすれば、一つでも上のクラスにいるということが、それなりに自信につながるような気がするのだが。 でも、あの算数では、ついていくのが難しいことを考えると、下のクラスの方がいいのかな。社会、国語ってあんまりクラスのレベルによって、教える内容が変わってくることはないような気がするから。 「みい」は相変わらずアホ。どうせ落ちるなら、徹底的に落ちれば、何かを悟るかもしれないとおもったが、それなりのところで踏みとどまってしまう。まあ、しゃーないか。
2005.09.08
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