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うりぼずが炎天下、庭でなにやらごそごそとやっていた。「こら、まだきょうの課題をやっとらんだろう」と言おうと思っていたら、はっぱを何枚か持ってきた。アオスジアゲハとアゲハ(もしくはクロアゲハ)の幼虫を探していたのだ。 アゲハの幼虫を「ぷに」(ようするに、ぷにぷにしているらしい)とよぶ「みい」。アオスジの方は、「あおぷに」となる。 だけど、はっぱだけとってくんなって。ちゃんと茎をつけてくれば、水にさして、はっぱが長持ちするだろうに。特に、柑橘系と違って、「あおぷに」のエサとなるクスノキ系の植物は、あんまり庭に生えていないんだから。 何回言えばわかるんだ。これでまた、あすの午前中、こちらがビンを用意して、幼虫が水中に落ちないようにしなければならなくなる。 それにしても、アゲハ族って、柑橘系にしろ、クスノキ系にしろ、食べると毒っぽいものを食草に選んだものだ。クスノキなんて、樟脳のもとだもんな。だから競争相手が少なくて生き残れるんだろうけど。
2005.07.31
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介護と言う問題が、現実的になって、初めて介護保険の問題が具体的にみえてきた。 たしかに、介護保険ができて、容易にさまざまなサービスを受けられるようになったことはたしかだと思う。しかし、その煩雑な手続きが、価格の下げ止まりを招いているのがよくわかる。 手すり工事一つとっても、たしかに介護保険を使えば安いが、それは自己負担分だけで考えればのこと。なじみの大工さんなんかに頼むと、安く出来るのに、介護保険を使うと、その専門の業者がやることになり、何倍も高くなるケースが多い。しかし、保険が効くので、使用者は、保険を使う。たしかに個人の懐が痛むことはないが、保険全体の懐が痛むことになる。それは、保険料、さらには税金にそれが転嫁されるわけだから。車椅子にしても、たしかに保険が効くレンタルで1割負担なら、とっても安い。しかし、保険負担分もあわせれば、数ヶ月で、新しいのが1台買える計算になる。もちろん、細部の性能の違い、合わなかった場合に、取替えが容易などの利点もあろう。しかし、高すぎると思わざるを得ない。 長野県の栄村で土地改良を自主的にやったら、ものすごく安くあがったという話が有名だが、似たようなことなのだろう。 もちろん、誰かがぼっているということもあろうが、それだけではない手続きの煩雑さもその原因か。
2005.07.30
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先日は、「みい」の担任の方にしかふれなかったが、「くう」の担任も、若いながら一所懸命やっている。たしかに、経験の浅さがいろいろ目に付くが、それなりにしっかり子どもを見ていてくれると思う。「くう」としては、ちょっと付き合いづらいところもあるようだが、その辺は親がフォローして、担任のいいところを説明してやらなければならないとも思う。 それにしても、新卒だろうが、すぐに担任を任せたり、もう少し学校の制度的な問題を解決しなければならない部分が多すぎるのでは。すべて個人の責任に帰結させてしまう傾向が強すぎるようにも感じる。
2005.07.30
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前から、ぜひ読まなければならないと、思っていた「国家の罠」。ようやく読み始めることが出来た。世評が非常に高いということだけでなく、この中に知人が登場することもある。 まだ、ほんのさわりだけだが、「情報屋」として徹して生きる、佐藤優氏の人物評の質の高さには目を見張るものがある。結局、情報とは、その人物を見抜く眼を持たなければ、得られないものなのだろう。 鈴木宗男という政治家についても、これまで一般に流布されたもの(もちろん、これも鈴木宗男像の一つであることは確かだが)とは異なる視点から、描かれている。洪水のように、ある一定の見方の情報が流れ出すとき、その中から、別の視点を見出すこと、その難しさを感じてしまう。
2005.07.29
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学校の個別懇談、最近は夏休みに行っている。相変わらずヒマなので夫婦そろって出席。「みい」は、担任とは、うまくやっているよだ。昨年あたり、「この担任の先生が来年あたり受け持ちになりそう」と、ちょっと警戒していた。あんまり塾なんかには理解がなさそうと、こちらで勝手に判断していたためだ。 しかし、実際に受け持ってもらってみると、そんなことはまったくなかった。自分で、進学塾の問題集なども購入して、どんな課題をやっているのかも調べているとのこと。学校の授業で、面白そうな問題を、アレンジして子どもたちにやらせることもあるという。そして、「これだけやるのは大変なこと。6年生になると、疲れて学校で居眠りする子もいるが、そんな場合は、学校が癒しの場になってもかまわない」とまで言ってくれた。 もちろん、「みい」も学校は大好きなので、変な意味での癒しの場にはすることはないと思うし、こちらもするつもりはないが。
2005.07.29
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十日ほど前に、大量の金魚をすくって来たうりぼうず。数日おいて、以前から飼っている金魚の水槽に混ぜて見たら、あっと言う間に全部死んでしまった。さらに悪いことに、以前から飼っていた金魚たちにも、病気でもうつったのか、こちらも6匹のうち、3匹が死んでしまった。もう少し、別な水槽で飼って、健康状態を観察すればよかったのか。 「くう」のマラソン大会のご褒美に買ってやったオランダシシガシラ(我が家の水槽で唯一飼ってきた金魚)のランちゃんも昇天。そんなに具合が悪そうには見えなかったのに。 ドジョウ4匹はなんともないのだが。
2005.07.28
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100個ぐらいはなっていたと思われたソルダム。あっと言う間に終わってしまった。せいぜいあと2、3個か。それにしても、子どもが食べない。ソルダムだけではなく、ビワもカキも、夏みかんも、せっかく家になっているのに。どうもわからない。それでいて、買ってきた果物はそれなりに食べている。 あとは、秋のカキまで実りはないか。あっ、ざくろがあった。これまた、数年前から実をつけるようになったが。でも、これはこれで食べるのが結構面倒くさい。ざくろのいい食べ方はないのかな。
2005.07.27
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台風一過。なんだ、あんまりたいしたことなかったみたい。塾、休みにならなくてもよかたのにと、結果論。でも、いざ出かけてから電車がストップすることを考えたら・・・。 この間の地震のことを考えても、仮に子供を都心の学校に通わせた場合、災害がおこったときにどう対処できるか。大きな災害でなくても、その時点で動いている交通機関をどのように活用して、無事に家にたどりつくことができるか。 教えることも必要だが、自分でそれを判断する力は、養えるのだろうか。最近、そんな不安も出てきた。
2005.07.27
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教育環境の格差についての連載を、毎日新聞がやっているが、つい先日は、リストラ、失業、親の自殺などによる進学を断念したケースなどに触れられていた。 よく、戦後民主主義が結果の平等ばかり重視し、そのために社会がゆがんだとの話を聞く。そのような論者の主張では、大切なのは機会の平等で、それから先は努力したものが報われるべきといったものが多い。 しかし、機会の平等とはいったいどんなものなのだろうか。まさか、「家柄、身分などで受験機会が奪われることがない」とでも言うつもりなのだろうか。 自分のところが中学受験塾に通わせていて、「何を矛盾したことを」と言われればそれまでだが。どうしても、中学受験を手放し勧めることはできない。 もちろん、こんな格差は必ずしも最近広がってきたものではなく、ワタシの子ども時代だって、厳然としてあったはずだが。いずれにしろ、機会の平等なんてものが存在しないことだけは確かだ。
2005.07.26
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台風のため、午後組は休塾。ちゃんと電話を掛けてきた(当たり前か)。午前組の「くう」は、雨の中で掛けていったが、休みになった「みい」はぐーたら過ごしている。しかし、夏休み前に出さなかった作文の催促の電話が担任の先生からあったため、これまただらだらと書いている。どうも、作文、読書感想文のたぐいが苦手な様子。父親譲りか。 「みい」に比べれば、「くう」は自分でけっこう書くし、内容も悪くない。だれに似たんだか。
2005.07.26
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今年の夏休みの宿題。読書感想文と理科か社会の自由研究、それに家庭科か図工の作品を一つ。昔よくあった、「夏休みの友」なんてものはないらしい(どこでも、夏休みの友という言い方をするが、本当にそんな友達いたのかしら)。 昔を振り返ると、夏休みの友なんてものは、最初の二日ぐらいで一気に終わらせていた記憶がある。難航したのは、自由研究か。えっ、そんなものやらなかったかもしれない。 今では、本屋などに自由研究の本のようなものも売っている時代だが。 ウチの連中は、いっこうに手をつけようとしていない。塾通いで忙しいといえば、忙しいが、必ずしもヒマがないわけではない。だいたい、感想文なんて、いい加減に書こうと思えば、ひたすらにあらすじでも書いておけばいいものを。 もっとも、自分でどんな感想文を書いたかなんて、忘れてしまったが。小学校6年の時に、「橋のない川」で書いた記憶と、中学1年のときに「レイテ戦記」で書いた記憶がある。「橋のない川」は、なんとなくわかるが、「レイテ戦記」なんて、いったいなにをどう書いたのだろうか。不思議と言えば不思議。 たしかに、感想文を書くために読むんでは、本も面白くなくなるかもしれない。
2005.07.25
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きょうは学校見学のはしご。「くう」向けの学校だったので、さそったが「みい」はパス。一人でウチに残って何をやっていたことやら。 肝心の学校見学は・・・。見てもよくわからないことも。二つとも悪くはないと思ったが。一つは、駅からスクールバスが出ていた。いずれにしても、ウチから通うには手ごろな場所なのだが。いかんせん、「くう」には偏差値がちょっと高い。これから伸びれば、決して不可能なところではないのだが。 一校目は、スクールバスの中で、在校生の女の子が、見学の子どもに席を譲ってあげていた。こういうのも、プラスポイントなんだろうな。説明自体は、けっこう流暢に客をひきつけるもの。この学校は、以前に聞いた説明会でも、上手だった。これだけ人をひきつけるのを、授業でも出来れば、たいしたものだが。 二校目の方は、勉強漬けにしてくれると言う感じ。入れば入ったで大変そう。校内見学では、壁に定期テストの上位50人ぐらいが張り出されていたが。こちらの説明は、一家族に先生が一人ついて、丁寧に説明をしてくれるもの。質問もしやすかったし、話の仕方も上手だった。公立でも、こんなふうに、説明する場を作ってみると、先生の側も接客の何たるかを学べるような気がした。 前日の帰宅は午前2時ごろ。説明会参加のために、朝6時半に起こされ、説明会終了後は会社に向かい、帰って来たのは午前3時。さすがに疲れた。会社で頭がまわらなかった。そのうえ、機械のトラブルで疲労度は倍加。こんなもの書いている暇があれば、さっさと寝ればいいものを。
2005.07.24
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父の退院が、来月の始めあたりになりそうとのこと。この退院は、リハビリをもうやる必要がなくなったといった意味なのだろうか。それとも、もうこれ以上やっても無意味、あるいは、真面目にやらないので、さじを投げられたということなのか。入院して4ヶ月半にんろうとしているのだから、そういつまでも、入院させておくわけには行かないのだろうが。 でも、けっこう不安な要素が大きいような気がする。
2005.07.23
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夏期講習中は、一部屋、自習室のようなものが設定されているらしい。「みい」は、友達と約束して一時間ほど、早く出かけていって「勉強している」とのこと。「本当かよ」と、言う気もするが、なんせ、塾。べちゃべちゃとおしゃべりでもしていようものなら、注意されるだろうから、やっているのかもしれない。 まあ、冷房も効いているし、ウチで、「勉強やれ」と口うるさく言われるのなら、塾の方がいいのかもしれない。まあ、頑張ってくれや。 ただ、「くう」は午前の部なので、教室があふれてくる午後には、自習室がなくなってしまうようだ。残念。開いていてもやるのかな? それにしても、きょうも涼しかった。
2005.07.22
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あまりにも通塾日数が多いため、定期券を購入。所詮塾なので、通学定期など買えず、通勤定期扱い(大人の半額だが)。でも、定期券どうしよう。昔なら、透明なのがついた定期入れを使ったのだろうが、今はいちいち出さなければならない。出していると落とすんじゃないかとの心配も。首から提げるのか、それともNバッグに紐で結ぶのか。多分、6年生になったら、確実に定期の方が安くなりそうなので、定期入れも買っちゃってもいいんだろうが。 それにしても、子どもの証言によると、6年生は夏休み、朝から夜まで授業があるとか。ホントにそんなにやってるの?。まあ、ウチなどどうせ家庭学習しないから、そのほうがいいと言えばいいような気もするが。 講師も、朝から夜まで授業を受け持っているとのこと。いったい、どれくらいのお金をもらっているのだろうか。大変だよな。そんなに忙しそうなのに、「くう」のある教科の担任は、この間病欠した分の補講をやってくれてという。ほかにも、2人ぐらい参加する予定だったのに、来られなくなってしまい、1対1で教えてもらったとか。結構人気のある講師なので、そんなの個別で頼んだら、エライ金額がかかるぞ。本当にありがたいことで。頭が下がります。
2005.07.22
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成田空港へ、帰独する姉を見送りに。一般的には夏休み初日ということだからなのだろうか。出発ロビーには、中学生ぐらいの団体が何組も見られた。母親たちと見られる見送り客もけっこういた。私立中あたりの海外研修旅行なのだろうか。これだから、金がかかるわけだ。そもそも、こういった旅行の費用って、普通の旅行などに比べると、かなり価格が割高な気がする。それだけ充実しているのかどうか、良くわからないが。実際にカネを払う人間と、行く人間が違うので、「この内容にしては高すぎる」といった声が出にくいような気もするが。 自分が行くのに比べれば、わりにしょっちゅう送迎に成田空港を使う気がするが。初めて、空港に見送りに行ったのは、高校一年のとき、同級生の女の子が親の仕事でニューヨークに行くときだった。まだ、当時は羽田。たしか、貴賓室のようなところが、その一家の見送りのために使用されたような記憶がある。海外に行くのがまだ珍しかった時代。あの、赤と青のラインが入った航空便用の便箋と封筒を買って、何回か手紙を書いた。海外に手紙を出すなんて、すごいなと思っていた時代だった。 昔に比べると、飛行機が飛び立つまで、屋上の見学スペースで見送る人なんて、今はほとんどいない。昔は、ただの旅行でも見送りに行ったような気がする。 姉の見送りは、ちょっとゆっくりと言葉を交わしたかったのと、荷物が余りにも重かったから。計量のところで、重すぎるため、カルピス(紙パック入りの原液。おいとめいがいい年をしても好きなもので)4パックが、預け荷物から出されたが、三つしか手荷物の方に入らず、1本はペルソナノングラータとして、出国を拒否され、私がお持ち帰りした。
2005.07.21
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先日、つるさんから申し渡されました、ブックバトン。これは難しい。そもそも、いまバトンと打とうとして、はて、どんなつづりだったか、わからなくなってしまいました。なんという知力の低下(いや、もともと低かったので、低下のしようもないか)。 前置きはこれぐらいにします。 (1)持っている本の数。 これはどうしようか。自分で買った本の数か。今、このうちにある自分の本といえば、百冊がいいところか。しかし、このうちにある、兄弟などが買った本で、じぶんが結構読んだもののある。隣接する実家?に置いてあるものも含めれば、多分、400か500ぐらいか。しかし、自分で買いながら何年も読んでいないものもあるので。 (2)今読みかけの本 どうも、何冊も平行して読むクセがある。今読んでいるのは、「大河文明の誕生~長江文明の探求」(安田喜憲、角川書店)「南部百姓命助の生涯」(深谷克己、朝日新聞社)、「うめ子」(阿川佐和子)と、言ったところ。「大河文明」は、花粉分析の手法で、古代の植生を推定し、文明の盛衰を研究している安田氏(主に、西アジア、地中海方面が専門か)のもの。すべての農耕がメソポタミア方面で発生したものが伝播したという、西欧流の考え方に異議を唱えたものというべきか。 「南部百姓」は、幕末の南部藩で発生した三閉伊一揆の指導者の一人であた、命助の生涯を描いて、当時の百姓の姿を描いたもの。岩手県の田野畑村を訪れたとき、そこに一揆資料館という施設があった。そこには、「小○」と書いた、むしろ旗が林立していたが、これは「困る」と言う意味。要するにこんな藩政では、「百姓が困る」と言う意味のもの。そのときは、命助なんて知らなかったが・・・。 「うめ子」は、評判になったお話だが、「みい」が小学校の図書室から借りてきたものを、拝借して読み始めた。これは、N研のテスト問題だったか、テキストに「うめ子」の文章が出題されていたから、借りてきた様子。受験勉強は、細切れの文章ばかり読ませるとの批判もあるが、こういう形でも、子どもに本を読ませるきっかけになるのだから。受験というきっかけがなければ、こういったお話を、小学生が読むことはなかっただろう。 (3)最後に買った本。 これまた難しい。ここ何年も、実は本を買っていない。最後になにを買ったか、記憶にない。では、どうしているか。大半は、図書館で借りて済ましている。市立図書館に行くか、会社の中の資料室でも、本が借りられるので。あるいは、隣の実家においてある、父親や、兄、姉の残していった本などで、面白そうなものを拾い出してくることも。まあ、結構古いものが多いのですが。 (4)ん~。もう少し、考えさせてください。
2005.07.20
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以前書いた、梅干、梅雨もあけたので、ようやく干し始めた。漬けるときに黄色くなっていたウメは、なんとなくそれらしい形になっているのに比べ、まだ青かったウメは、けっこうウメの実の外観をそのまま維持している。大丈夫なんだろうか。ちょっと心配。それでも、少なくとも梅酢の香りはけっこういいような気がする。当面は晴れてくれると思うけど。
2005.07.20
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4年から始めた「みい」の塾生活(「くう」は、4年の後半からだけど)、もう折り返し点なんだよな。マラソンじゃないけど、勝負は後半。しかも35キロ過ぎか。いや、もう先頭グループは、はるか先を走っていて、完全に戦意を喪失してちんたら走っているのかもしれないが。でも、これからだよな。厳しくなるの。あしたからは、学校も夏休み。だけど、待ち構えているのは、ほとんど休みナシの夏休み。ご愁傷様です。
2005.07.20
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きょう(19日)の新聞から。まず、東京新聞の「放射線」というコラムから。あの100マス計算の陰山氏が「家庭の教育力の低下」について書いている。 公立校不信が高まるなか、文部省が教員免許更新制の導入を図っていることについて、それが実態に即していないと主張。そして、学力低下などについて、家庭の教育力低下の大きさを強調している。最後に「教師の力量が落ちたとは思わない。ただ、家庭の教育力の急低下に対応するほど教師の力量が伸びていない、というなら認めざるを得ない」と、締めくくっている。 この意見、だいたいのところは賛成。「今の教師」の質の低下という話をよく聞く。たしかに問題のある先生が多いのは事実。しかし、昔に比べて低下しているかと言われれば、決してそうではないだろう。 少なくとも、ワタシの記憶にある限りでは、教え方に問題のある先生、知識量がかなり低いと思われる先生、そして、人間性に問題があると思われる先生。いずれもいっぱいいた。しかし、それを家庭が補っていた部分が大きいと思う。 もちろん、「昔」といった場合、いつが昔かと言われると困るが、60年代生まれのワタシが育った時代は、そうだった。ウチの母親に言わせると、戦前なんて、これまたとんでもないのがいたという。 多分、とんでもないのは、いつの時代も一定数は存在するのだろう。ただ、それが顕在化するかどうかの問題かも知れない。 ただ、陰山氏が「家庭」に責任を押し付けるのも、「家庭」にとっては気の毒かもしれない。社会全体の流れ、これも家庭以上に問題を難しくしていると思うのだが。 ついでにもう一つ。最近中国で墓誌が見つかった「遣唐使 井真成」の問題についての論考。これは朝日の夕刊。まあ、主な筋は彼が長期間の留学生でなかったのではとの疑問が、中国側の研究者からだされているとのこと。そのへんの当否は、ワタシにはわかりません。ただ、「遣唐使が廃止されたことによって、日本独自の「国風文化」が発展したという、通説が、いまでは否定される方向に向かっているとのくだりだ。 そこで、ある学者のコメントとして「教科書ではめっきり減りましたが、私立中学の入試では相変わらず多い」という分析。「過去五年間に46校で遣唐使廃止と国風文化を結びつけた問題が出ている」としている。 公立高校の入試などは、それぞれの県の教育委員会が中心になって、何人もの先生が寄ってタカって問題を作る(と、思うんだけど)のに対し、私立中学などはせいぜい数人の先生がつくるんだろうから、歴史など、新しい研究の成果についていけないところもあるような気がする。以前も、「慶安のお触書」の問題について書いたが(山川の高校日本史の教科書には、慶安のお触書は、今ではその存在を疑問視する声が強くなっていると欄外の注でかいてある)、中学入試の過去問をみると、これがけっこう出ているんだな。ワタシの時代にならったことがそのまま通用しなくなっているのに、その動きについていけない問題も少なからずあるということか。 さらに、毎日新聞が始めた連載記事「格差幻想~子どもの将来を買えますか」。愛知県にトヨタなどが中心になり設置が進められている「海陽中等教育学校」が取り上げられている。毎年の授業料、施設料が120万円。寮費120万円、入学金40万円・・・。6年間で1500万円という。まさに、勝ち組が勝ち組を再生産するための学校と受け取れる。「中学受験の世界に足を突っ込んでいながら何をいまさら」と言われそうだが、どうしてもそこに没入できない理由がそこにある。勝ち組再生産社会への危惧は、決して杞憂ではないはずだ。(ワタシはどう考えても勝ち組ではないが。でも、ある意味では、完全に負け組みでもないのかも知れない)。これから、どのように連載が続いていくのだろうか。
2005.07.19
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夏が来ると、家にやってくるのが、金魚すくいの金魚たち。大半が数日のうちに逝ってしまうが、少数は生き延びている。 今年の夏祭りでも、こりない「うりぼうず」。9匹も持って帰った。そのうち1匹はその日のうちに死亡。あとはメダカよりも小さいようなのばっかりだが。 いい加減、「かわいそうだからやめろ」というが、「かわいそうだから掬って(救って?)きてあげるんだ」と。まあ、一理はあるような。でも、これだけ投資をする人間がいるから、金魚すくい業界が繁栄し、新たな金魚が生産される・・・。といっても、好きなものは好きらしい。 金魚すくいの金魚って、通常の金魚としては、商品になりえなかった連中。金魚すくいにまわされなくても、運命は決まっているといえば、決まっているのだろうが。悪くいえば、廃物利用のようなものなのか・・・。せいぜい、「救われてきた」連中を長生きさせてやるか。でも、そろそろ水槽が過密になってくる。一匹あたりの大きさも大きくなってきているし。
2005.07.19
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このクソ暑い中、東京くんだりまででかけ、Nフレンズへ。出かけから、親子、姉妹とさまざまな組み合わせでバトルを繰り広げ、疲れ果てて会場へ。 さて、会場の嘉悦中前につくと、なんと炎天下に長蛇の列。しかも「女の子」だけ。男の子は、来る数が少ないのか、並ばずにどんどん入っていけた。 中に入ると、最初は、各学校二人づつぐらいしか参加していないのかなと思っていたら、十人以上来ている学校がずらり。教室内のブースでは物足りないのか、廊下に繰り出し「○○女子に来てくださ~い」などと呼び込みをする。ただ呼び込むだけでなく、プラカードを作るような人たちも。完全に学園祭のノリで楽しんでいた。旧知のN研職員に聞いても、別にけしかけているわけでもないのに、自主的に愛校心に燃えているのか、「おどらにゃ損」という感覚なのか、それとも学校で「ウチの学校を宣伝して来い」とハッパをかけられたのか(パンフなど持って来ていないので、そんなことはなさそうだが)、とにかく一所懸命。それがとても楽しそうだった。 それにしても、最初に話を聞いたところは、この子たちはまだ中学1年なのにスゴイと思わせた。こちらのいい加減な質問にもイヤな顔一つせずに、よどみなくハキハキと語ってくれるし、言葉遣いなども非の打ち所ナシ。こんなところでは、ウチのアホでは「入れてもやっていけないだろう」と思わせると同時に、こんなところに子どもを通わせたいとも思ってしまった。 でも、ここは「みい」の第一志望(今のところ夢想しているだけだが)。「くう」にとってはあまりにも遠い世界。最初はバラバラになることもあるまいと一緒に話を聞く様に促したが、本人は断固として拒否。一人だけ、さびしそうにその場を離れてしまった。 たしかに、自分が絶対に受けることはない学校。そこで逆に向こうからなにか聞かれたら、どう答えたらいいのか。そんな彼女の気持ちに対する配慮が足らなさ過ぎたと痛感した。 このため、これ以降は親子二組に分かれて、それぞれの志望校(と、いうほどの根拠があるわけじゃないけど)をめぐる。まあ、最初のところほどのインパクトはないけど、それなりに明るい学園生活が伝わってきた。最初は黙りこくっていた「みい」も、けっこう打ち解けてくると、なれなれしく(?)なったりして。受験勉強のこと、クラブ活動のことから通学の混み具合に至るまで、さまざまなアドバイスを聞く事ができた。N研の同じ教室のセンパイもいたし、有意義なヒトトキを過ごせた(ような気がする)。 昼飯を食べに行ったファミレスは、ウチと同じような親子連れであふれかえり、テーブルについたのはいいが、何十分も料理が出てこなかった。おかげで、午後の部には遅刻。聞きたいものが聞けなかった。
2005.07.18
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夏休み前の三連休っていったいなに。と、いう感じ。土曜日こそカリテを受けてきたが、見直しもほとんどせず、ぐーたら過ごしていた様子。月曜日は、Nフレンズ。いったい何を聞く事があるのやら。親子ともども、考えていません。 あ、朝日の書評に出ていた「アフリカ発見」という本、面白そう。著者が藤田みどりさん。東北大にお勤めと書いてあるのを読んで聞いて、あっ、この人とお話したことがあることを、思い出してしまった。そう、日本人のアフリカに対する無知さを嘆いていらっしゃった。わたしがその嘆きに拍車をかけてしまったかもしれない。それでこの本を書いたのかな?。わけないか・・・。
2005.07.17
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世界遺産といえば、多分中学に限らず入試にはよくでるのだろう。この間知床が登録され、今年度の入試には、理科も社会も知床が注目株なんだろうが、その次はこれ。石見銀山。文化庁が石見銀山を文化遺産として登録を推薦することにしたという。 考えてみれば、この石見銀山、われわれの時代、日本史の教科書には出ていたと思うが、世界史の教科書には出ていなかったはず。しかし、一時期世界の銀の三分の一を産出していたというから、ものすごい。多分、ポトシ銀山などは、ヨーロッパ経済に影響を与えたから世界的なものとして世界史の教科書に登場していたのだろうが、こちらはアジア経済に大きな影響を与えたはず。これがなかったら、中国の銀本位制はなりたたなかったのではと、勝手に思っている(この辺が、日本の世界史教育が西欧偏重になっていることの反映か)。 子どもをつれて遊びに行くのは遠いけど。でも連れて行ってみたい。 それにしても、資源大国って幸せなのだろうかと、また思ってしまう。この石見銀山も、大内氏、尼子氏、毛利氏、豊臣氏、そして徳川氏と激しい争奪戦が繰りろげられた。 銀は輸出の大きな武器になったであろうが、佐渡の金や石見の銀が枯渇し始めて、日本は本格的な生糸、綿などの国内産品の開発に力を入れはじめ、さらに俵物などの輸出品の開発を始めてのではないだろうか。 あまりに天然資源が豊富だと、それ以外の産業が育たなくなる。 今の産油国を見ても同じだろう。多分、資源大国ってのは、不幸せになる確率が高い。
2005.07.17
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世の中には、都市対抗野球なんてものもある。と、言われるほど、存在感が薄くなってしまった大会。主催の毎日新聞だけが、異様に盛り上がっているが、世の中の関心はサッパリ。 さて、子どものころ、野球といえばなんでも好きだっただけあって、この都市対抗野球でさえ、ワタシは結構、有力チーム名を知っていた(当時は、今ほど人気が落ち込んでいなかった。当時家で毎日新聞もとっていたこともあるかな)。 都市対抗といっても、実質は企業対抗。出てくるチーム名としては、新日鉄室蘭、大昭和白老、三菱自工京都、三菱重工長崎、松下電器(門真市)、大昭和製紙富士、新日鉄広畑、川崎製鉄千葉・・・。 そう、小学校の地理でならう企業城下町とほぼ一致していた。このおかげで、「製鉄で有名な、製糸で知られる都市」なんてものを覚えていた。新日鉄など、すべての工場の名前を冠したチームを持っていたのでは。こういう、無駄な知識?も少しは役立ったことがあったというべきか。(高校野球でもずいぶん知名は覚えたけど)。 でも、今では釜石のように高炉の火が消えてしまったり、企業が合併で名前が変わったり、盛岡鉄道管理局なんて、国鉄民営化の中で忘れ去られてしまったものも。電電○○なんていうのもよく出ていたのに。 好業績の企業も、株主第一主義のためか、企業チームを廃止するところも増えている。今度は、地理の勉強から公民、歴史の勉強にもなってしまった。 まあ、都市対抗に限らず、企業スポーツの衰退も、ある意味では健全なことなのかもしれないが。
2005.07.16
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夏期講習ガイダンスに出席。いろいろと参考になる話を聞くが、実践に役立てたことはあまりない気がする。いくら効果的な方法を聞いても、本人たちがやらないのだから、どうしようもない。「三回も四回もやらなくていいです」なんてお言葉をいただいても、一回も満足にやり遂げられないのだから。 まあ、講師の皆さんも、夏休みには無尽蔵に時間があると思ってらっしゃるのか。あれもこれもと欲を出しすぎる気もするが。 それにしても、N研のスタッフのお姉さま方。本当によく教育されている。それほベテランというほどではないと思うのだが、相談してもテキパキと対応してくれるし、子どもたちのことを実によくみていてくれる。それに美人だし・・・。 でも、恥ずかしがって相談なんてできるとは思っていなかった「くう」も、けっこう相談をしているみたい。慣れてきたのか、本人に聞こうとする意欲が出てきたのか、はたまた相談する雰囲気を作ってくれるのか。まあ、相談って言っても、「当てられるのいやだ」とか、そんな低レベルの相談のようだが。
2005.07.15
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今年は100個ぐらいなったソルダム。真面目に袋かけでもしないと、ヒヨドリの餌食になる。これがまた面倒くさい。でもひとつだけなった大石早生もそろそろ赤くなりかけているし。 レースのカーテンのようなもので、木全体を覆ってみることも考えるか・・・・。
2005.07.15
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朝日新聞の記事を見て驚いた。教科書採択にあたって、中学の教科書の項目を数値化する都道府県があるとか。東京ではその中身に、神話がどれだけ取り上げられているかなんていうのもあるとか。 さて、神話ってどのように扱うものなのか。イザナミとイザナギが、出っぱっているものを引っ込んでいるところに挿入するとか、鉾の先から滴り落ちるもので島ができたとか。そんなところをやるのだろうか(わたしゃ別にかまわないけど)。これは、性教育の一環なのか。性教育のお嫌いな都教委として、は、神話的にやるおつもりなのか。 個人的には神話は好きだ。生殖行為と結びついた神話の多さ。これは宗教などを考える上でも非常に重要なことだ。個人的には、神武東征も、なんらかの歴史的事実を反映したものではないかと思っている。それをどのように取り上げるのだろうか。興味深いが、中学生にどのように教えるというのだろうか。 しかし、歴史の時間が限られ、近現代史がおざなりになっているような現状で、神話にまでふれる時間があるのだろうか。神話も非常に興味深いが、現代に生きる人間としては、近現代史の方がより重要だと思う。 歴史的人物の取り上げる頻度なども、数値化するとしているが、それは特定の人物(多分、東郷平八郎あたりか)についてのことなのだろう。東郷を取り上げたら、山本五十六も山下奉文もとりあげなければいけないのか。乃木や児玉源太郎もか。あまりにも恣意的なものに陥ってしまいそう。
2005.07.14
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慣用句の誤用では、むしろ中高年の方が多いという話が、新聞にでていた。自分でも、けっこう間違えていそうで、怖い。 青田買いの誤用として、青田刈り。青田刈りって、昔減反政策の一環として、田んぼがまだ青いうちに刈ってしまい、飼料などにしてしまうことで使われていたような気がする(別に、今使われていてもおかしくないが)。 汚名挽回はよく聞く(汚名をとりかえしちゃいけない)。まあ、若い人間は、入試などで間違いやすい問題の代表として、よく耳にするから間違えないのか。人が話しているのを聞いていて、間違いがあっても、大体聞き流しちゃいますよね。いい大人にわざわざ指摘するのも「いやみ」だから。それで直ることもなくなってしまうんでしょう。自分の子どもだったら、喜んで指摘するのですが(子どもには、鬼の首をとったように指摘されてしまう)。 もし、書いていることに誤りがあったらご指摘ください。お礼は差し上げられませんが。
2005.07.13
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「くう」が友達のところからメダカの稚魚を3匹もらってきた。宇宙メダカは大人が3匹いるが、いずれもオス。他のメダカと交雑させるなと言われてもらってきたので、配偶者を見つけられずに困っているが、今度の稚魚も、多分、宇宙メダカではないのだろう。まあ、やっちゃいけないといわれているんだから、宇宙メダカには、稚魚が成魚になっても、このまま独身生活を続けてもらうしかないのかな。 そういえば、学校で飼っているメダカはどうなったんだろう。最近話を聞いていないが。
2005.07.12
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きのうまでは、あんなにすくすく育っていたのに。きょうの朝見てみたら、イチジクが半分になっていた。いや、一つはほとんど皮だけに。大きくなっていたのは二つだけ。でも、その二つは洋ナシぐらいの大きさに育っていた。もうすこし、赤くなればおいしいだろうと待っていたのが・・・。 くやしいので、半分になったやつをとって食べたら、けっこうおいしかった。ちゃんと鳥は知っている。去年やられたのだから、来年こそは対策を講じよう。 そして、昼ごろみたら、ヒヨドリが三羽とまって、「あれ、食べかけのやつどこにいったのかな?」なんて顔をしてイチジクの木にとまっていた。 さて、半分食べられてイチジクを食ってしまったが、鳥インフルエンザでもうつらないかな。
2005.07.12
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そろそろ飽きてきたのか。今回の公開模試、もう結果も出ているのに、まったく問題すら見ていない。いつもなら、問題を見て、「この問題は面白い」「こんなものを間違えたのか」「こりゃできるわけない」などと面白がっていたのに。 今回は、日、月と休みで十分にヒマはあったのに、見る気力が起きない。そういえば、解答の封もまだ切っていないようだ。ワタシだけでなく、ウチ中で飽きてしまったのだろうか。 でも、二人とも結果はまあまあ。「くう」も、悲惨な結果ではなかった。国語など、「みい」に肉薄している(要するに「みい」の国語が悪かっただけか。 国語が悪かった「みい」だが、なぜか算数はよかった。クラスで、テストのたびに、上位5人の名を読み上げるらしい。なんと、今回は名前を呼ばれたとのこと。一瞬、クラス内がどよめいたとか。それほどアホに思われているとは・・・。まっ、いいか。
2005.07.11
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会社の若い同僚が、夏休みの海外旅行先として、当初イギリスに決めていたのに、奥様の意向を無視してイタリアにして非難を浴びたとか。しかし、テロで「どうだ、先見の明があっただろう」と、自慢したのもつかの間、「次はイタリア」との報道が流れ、再び形成は逆転。「なにが先見の明よ」と言うことになったらしい。 まあ、大勢の死者が出ているのに、不謹慎といえば不謹慎だが。 さらに言えば、今の職場、ラッシュ時に会社に出かけることがないせいか、みんな「狙われるとしてら、ラッシュ時だよな」とこれまた不謹慎モードに。 でも、しょうがないといえば、しょうがないが、また最近復活しかけていたゴミ箱が撤去されるんだろうな。出したり引っ込めたりの繰り返しも、なんとなくむなしいが。個人的には、駅のゴミ箱は利用しない。するとすれば、網棚の上に放置してあった、新聞を読んで、再び網棚に載せるのも心苦しいので、また入れるときか。 まあ、イギリス、スペインに比べれば、日本の方がテロを敢行する人間が目立ちやすいうえに、爆発物を国内では調達しにくいので、多少ハードルは高いと思うが。
2005.07.10
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夏期講習の日程、「くう」が午前中、「みい」が午後と言う具合に分かれてしまいそう。二人がバラバラになれば、奥様の弁当作り、その他の食事作りなど大変なことになりそう。でも、二人まとまっていると、勉強やらせるにしても、けんかばかりしていることを考えれば、パートタイムで一人っ子になれば、けっこう「いい子」になれるかも。 たしかにこれまでも、二人を引き離しておくと、妙に「いい子」になったこともある。 帰りの時間はそれほど遅くならないのなら、駅まで迎えにいかなくても済むのかな。一人だと、ちょっと心配な気もするが。
2005.07.09
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今年初めてのソルダムを二つだけ収穫した。傷ついたため、早く赤くなったのか。触ったら落ちてしまったので、食べてしまいました。香りはけっこう良かったが、味はまだまだ。それでも、今年は百個近くなったので楽しみ。 問題は、これからの鳥対策。ヒヨドリが来るだろうな。
2005.07.09
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奥様が子どもの歯の矯正を考えはじめている。どうも、抜けた後に、なかなか歯が生えてこないところがある。 人類の進化とともに、歯が減少していく傾向があるという。現に、ワタシなど下の歯に比べて上の歯は合計4本も少ない。抜いた覚えはないので、歯医者に聞くと、生えてこない欠損歯ってけっこうあるとのこと。子どもも、それに似たのだろうか。 それにしても、矯正などやっている時間があるのだろうか。矯正こそ、いい歯医者にかからなくてはならないと思うが、通院に時間がかかるようならば、中学進学後にしなければならないだろうし。 そもそも、矯正の必要があるかどうかから、見極めていかなければなるまい。 ちょうど、健保組合で、矯正の無料相談なるものを企画しているようなので、それに乗ることにしたが・・・。
2005.07.08
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7月7日は盧溝橋事件の日。いい、悪いは別にして、計画された満州事変に比較して、偶発的(多分)に発生した盧溝橋の後始末を見ると、いかに日本の内部が混乱し、無能だったか。 戦後になって、陸軍に比べていい子ぶっている海軍などは、自らの勢力範囲である中支方面でむしろ積極的に動き、勢力拡大を図るし、陸軍内部での統制の乱れはもちろん。近衛のように無能な文官が火に油を注ぎ・・・ それを考えると、満州事変を演出した石原莞爾は、盧溝橋に当たっては、不拡大派の中心的な存在として活動した。満州を根拠地に、遠い将来における日米最終決戦を構想する大胆な国家戦略・・・。と、最近どうも彼を賛美するようなものを目にすることが多い気がする。 しかし、陸軍の統制を乱した張本人は、石原莞爾その人。鉄道を爆破?させ、中央の統制を無視して関東軍を動かし、出世したのだから、アホな後輩たちがそれをまねするのは当然。しかも、結果としてそれをとめられなかったのだから。 「大胆な戦略」といっても、当時の満州がそれほどのものだったとは思えない。のちに石油が出たことは確かだが、それは偶然の産物。当時の日本に、満州を開発しきれるだけの資本も技術もなかったわけだし。最大の貿易相手国であったアメリカを敵に回すほどの価値は、とてもなかったはず。「大胆」といっても、むしろそれは妄想に近かったのでは。 東京裁判がいい加減だったのは確か。しかし、国内法で石原莞爾のようなものを(まあ、戦後まもなく病死しちゃったからしょうがないといえば、しょうがないが)処分することができなかったんだから、エラそうなことは言えないだろう。 話はとぶが、石原莞爾と石橋湛山。二人とも法華経を信奉していた。日本史、特に近代史において、法華経の果たした役割って面白そう。
2005.07.07
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七夕だということに、病院で気が付いた。リハビリ病棟のナースステーションに、笹が飾られ、短冊には願い事が下げられていた。 父親のところに行って、その話をすると、自分でも「早く退院できますように」と書いたという。 帰りがけに、短冊を探すと、ほとんど解読不能な短冊に、ようやくそれらしきものが書いてあるのを発見。父はもともと字はうまい方だったと思うが、この字ではつらいだろうなと。 他の短冊をみると、やはり「少しでもよくなるように」という願いごとや、「家内安全」的なものなどが多かった。しかし、なかに「星になりたい」というものが。どのような心境で書いたのだろう。考えてしまった。
2005.07.06
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朝(といっても10時ごろ)起きると「くう」がいた。あれ、きょうは土日だったか、とぼけた頭で「どうしたの」というと、熱が出たので学校を休んだとか。37度8分。まあ、元気そうだったけど。ここ2年間は一日も休んでいないので、体調が悪ければ、ゆっくりと休養をとればいい。今のスケジュールでは、だいぶ疲れもたまっているだろうし。骨休めでもするぐらいの気持ちでも。 でも、「みい」なら38度ぐらいでも学校へ行ってしまうだろうな。皆勤だけが目標みたいだから。 でも、「くう」は今年から担任が変わってちょと落ち込み気味。悪い先生じゃないんだろうし、一生懸命にやっているようだけど、前の担任がすごく良かった分、その反動か。
2005.07.06
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またまたとんでもないことをいい始めた「くう」。ヘビを飼いたいんだって。そうしたら「みい」も、昔、多摩動物公園で触らせてもらったヘビの感触を思い出し、「あのひんやりした感触がいい」などといい始める。 「ヒヨコを飼って、食べさせるのか」といったら、沈黙したが。ヘビってやっぱり生きているものしか食べないのかな。卵は食べるのかな。あんまり飼う気はないけど。 代案として、トカゲも持ち出してきたけど、何食べるんだろう。イグアナなんて草食だったような気もするが。niiさん、教えて。
2005.07.05
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きのう書いた長島ネタ。ちょっと斜に構えすぎたかなと反省。 有名人の場合、リハビリにかける意欲というのが、やはり一般人に比べて高いのかもしれない。多くは高齢になっても現役だから。また、人前で活躍したいという意欲があってこそ、リハビリにも熱が入るだろう。 父のことを考えると、倒れる前にどんな意欲的な生活があったか考えると、確かに心もとない。歩くことや囲碁が趣味だったが、母親によれば、最近は急速に歩く回数や距離も落ち、囲碁をする回数なども減っていたという。「回復して○○をやろう」という目標が見えないのだろう。 自分が倒れたら・・・と、考えると、まだ子どもが小さいとか、それなりの動機付けはある。しかしこれが定年後だったらと考えると、背筋が寒くなる。リハビリもただ「やれ」だけでは、難しいのかもしれない。 子どもの勉強にしても、どうも動機付けが弱い。だからと言って、公立を批判することで、負の動機付けはしたくないし(だいたい、子どもは小学校生活はそれなりに楽しんでいるし)。
2005.07.05
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「頑張った」とも言い切れないが、「くう」のカリテ、多分、今まで受けた中で一番いいぐらいの成績。特に社会がよかったのかな。このあいだ、クラスが上がってから、自分に自信が持てないのか、下の方がよかったのかなと、悲しそうな声でブツブツといっていたが、今回はクラスの平均も上回っていたようだ。ほっと一安心。まあ、頑張ったということにしておこう。 もう一人はどうした。チャランポランなことをやっているのがモロに出て、算数なんて無茶苦茶。それでもヘラヘラしているんだから、いいんだか悪いんだか。 でも、二人がそれぞれ最高と最低をとっても、まだまだその間には大きな差があるんだから。見ているこっちも気の毒になってしまう。
2005.07.04
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ナガシマ氏の顔見世。一体それがなんなんだと思えるような新聞の大扱い。身内に脳梗塞患者を抱える身としては、たしかに回復というのは素直に喜ばしいこと。 でもいったいあれは何?。そんなもので商売するなといいたい。 まあ、巨人は、所詮そんなものと言えばそれまで。視聴率が上がらなかったという話だから、商売も失敗ということか。まあ、それはそれでいい。 しかし、ナガシマ家側は、いったいどう思っているのだろうか。これで球界への影響力を保持していこうとでもいう思惑があるのか。息子の商売にしてしまっているのだろうか。そうだとしたら、悲しいことだよね。
2005.07.04
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N研主催の学校フェアなるものに、出勤前によって見た。多少はパンフレットも集めておかなければならんと思い。 ぐずぐずしていたら、終了時刻の40分ほど前にようやく最寄り駅に着いた。地下鉄の階段を上って外にでてみても「方角がよくわからない」。と、思ったら、例の青いバッグを背負った子どもや、資料がいっぱい詰まっていそうなN研の大きな袋を持った保護者がぞろぞろ帰ってくる。さすが。集客力はスゴイ。 その人の流れをさかのぼると、あっさりと会場に到着。終了時刻も近いのに、まだまだ人は大勢いる。 それぞれのブースの前に、パンフレットが詰まれているが、どうもまだ学校名などがはっきりとわかっていない。手にとって、立地を確かめ、「ここは絶対に通学できない」と思い、山にもどそうとすると「どうぞ、お持ちください」と、「持ち帰ってウチもぜひ健闘してください」と懇願するかのような顔で迫られてしまった。あっさりとその目に負けてしまい、パンフをかばんのなかに。 一応参考までにと、パンフをかばんの中に入れようとすると、「どうぞ相談も」と言う調子でブースに引っ張りこまれた。そこの学校に対する知識もなにもないところで「相談」と言われても、こちらも何を話したらいいのやら。困ってしまった。先方も、わけのわからんオヤジを相手に、困ってしまっただろう。 少子化が進む中での、私立中学側の必死な思いが伝わってくるような。中には、ブースから外に出て、呼び込みのようにしてパンフを通路を行く人に配っているところも。多分、出展料もそれなりにかかるのだろうが。パンフレットも、かなりの値段をかけて作ってあるのだろうし。 それにしても、こういった会場に絶対でてこない学校があるようだ。男女ともに、御三家と言われるところは見たことがない。こういう会場に出てこないことが存在証明であるかのように。実際の進学実績では、新興私学に抜かれ、「もう過去の栄光に過ぎない」と思われようが、頑として、集客に走ろうとしない態度、立派といおうか、はたまた頑迷と言おうか。まあ、そこのパンフを集めても、縁がなさそうな気もするが。 女子校の前には、ミニチュアの制服が飾ってあるのが、けっこう楽しい。子どもでもいれば、「可愛い」などと連発したのでは。オジサンも「可愛い」と思ったが、口に出すとヘンタイに思われるので、出すのはやめといた。 結局、十校以上は集めちゃったかな。重いかばんを提げて職場へ向かった。
2005.07.03
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父の要介護度の判定が出た。3。これが高いのか低いのかわからないが、母は「もっと低いと思った」という。 どのような基準で判定されるかわからないが。 確かに、自力での移動ということを考えてみると、外に出たら、車椅子でなければ動くことは出来ないだろう。家の中ならば、そこら中につかまるものはあるが、外にでればそうはいかない。字を書く練習も少しはやっているようだが、ちょっと解読不能。一見元気そうに見えることは見えるが、判定基準に従えば、それなりの判定なのかも知れない。 リハビリで気になるのが、左手の訓練。病気でダメージを受けたのは、右手だが、左もなにかしらの訓練をしなくてもいいのだろうか。字も右手で書ければそれにこしたことはないが、左もこれまで眠っていた能力を活用することができるのなら、それなりに訓練してもいいのではないだろうか。 先日のリハビリの時に、左手の訓練は必要ないのかと、担当者に聞いたが、口を濁されてしまった。今は、とにかく右手の訓練をすることが重要ということか。それとも、病に侵されたのは右だから、左は医療(治療?)の対象外ということなのだろうか。機会を見つけてもう一度聞いてみよう。
2005.07.02
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そういえば、先日当たった、TDRのチケットどうしよう。考えてみたら、行く時間がないじゃないか。 あんなところ、夏休みや休日に行く気はしないし、かといって、平日に休みなんて、まずない。学校か塾かどちらかをサボるしかない。 二人分はタダにしても、まだまだ親が付いていかなくてはならないし、その分の入場料はいるではないか。 それに、本人たちは、ロードレースに一緒に参加した子と行きたいようなことを言っているし。 ん~。トンデモないものを当ててしまった。どうしよう。
2005.07.02
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会社の掲示板を見ていたら、クールビズ宣言?。外部との交渉など、差しさわりがない人間を除けば、クールビズをと呼びかけるもの。このほかに、男子トイレの水を流す量を半分にするとか、パソコンの電源を落とせとか、不在になる部屋の電気を消せとかいった内容。 まあ、男子トイレの水については、まず便器の前に立っただけで水が流れ始め、そして終わると自動的に水が流れる仕組みになっているから、なんでする前に水が流れるのか、前から不思議に思っていたほど。これは当たり前。 不在になる部屋にしても、なんで電気を今まで消す人間がいなかったか、そっちの方が不思議なぐらい。 いずれにしても、環境問題には無頓着な会社、あるいは社員たちであったことは確かだ。 そして、クールビズ。もともと月に2,3回しか、しかも気の向いたときにしかネクタイを締めなかった人間にとっては、何の関係もないか。職場を見回しても、ネクタイ率は、まあ、2割がいいところか。 まあ、これが会社の経営資源を守ることにもつながるなどとも書いてあったのはご愛嬌。
2005.07.01
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きのうの読売新聞夕刊に、俳人の長谷川櫂氏の「国家と国土」というエッセー(と、分類していいのだろうか)が載っていた。新聞の二面の自分の連載から説き起こして、地理的には重なっているが、相容れない二つの日本について語っていた。 いまの靖国問題の中にも、この二重性があるんだろう。望郷の思いで死んでいった戦死者たちが、帰るべき日本の山河として戦友たちと約束した場所としての靖国と、この神社の創設者たちが意図し、小泉氏が執拗に通うことを貫こうとする、国家の鎮護の場としての靖国と。 前者の立場をとると、やっぱり「靖国で会おう」と約束した人々にとっては、代替施設では違和感があるだろう。個人的には、この考え方には共感できる。死者との約束は、もう決してそれを変更することは出来ないのだから。しかし、その場は、あくまでも戦死者本人と、その遺族、関係者が交流する場所であろう。 後者の方でも、代替施設では、その創設の意図と異なる方向になってしまうことが許容しがたいに違いない。彼らには、兵士が安心して死ねるための装置が必要なのだから。ワタシは安心して死にたくない。
2005.07.01
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