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普通に歩いていても、ひざが痛くなってきた。やっぱり、ムリしちゃいけない歳だったのかな。 きのう、走り始めると、痛みはすぐに消えてこれは大丈夫かななんて思ったのだが。やっぱり、最後の数キロ、ゆっくりと歩けばよかったのかも知れない。これでしばらく休むと、それっきりになるような気もするが・・・。
2005.12.31
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秋田の泥湯温泉での一家四人の死亡。本当に気の毒としかいいようがないし、そして、危険な場所へ、観光客が入らない措置が取られていたかどうか、さまざまな問題があるだろう。 そういった問題とは別に、考えた。妻と子供2人が倒れている。そこが硫化水素がたまっている場所だと気づいたのだろうか。気づいても、なお、助けるために飛び込んだのか。危険を承知で行ったのだろうか。 もし、危険がわかっていて、冷静に飛び込まなければ・・・。父親が死ぬことはなかったのかもしれない。しかし、一生そのことを背負っていかなければならなくなるだろう。 さすがに、天国で一家四人仲良く・・・なんてことを考える歳ではないが、そう考えるのもいいのかも知れないと思った。危険を知ってしまった場合、自分ならどうするか。非合理的な考え方も、人間には必要なのかも知れない。
2005.12.30
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きょうは9キロコース。前半はひざの痛みもなく、それなりのペースで進めたが、最後の3キロぐらいになって、急にひざに痛みが出てきた。ほとんど歩くようなペースになってきて、トータルで50分。 やっぱりムリしない方がいいのかな。 これで、今年は走り納めか。 今月の走行距離128キロ。
2005.12.30
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とりあえず、きょうから4日間、塾はなし。もう、「くう」には、家庭で問題を解けなんて、一言も言っていない。その一方で「みい」には最低限の算数の問題はやらせている。 これは差別かもしれない。多分、この先「くう」が受験に復帰することはないだろう。でも、もしかしたら「みい」の方は復帰することもありえるかもしれないと、考えていないこともない。 中途半端はやめるべきだとも思うが。ただ、半分遊びながらでも、それなりに「みい」は解いてしまう。ヒントを出せば、少なくともその問題については理解できる。 これをもったいないなどと思うのが、スケベ心なんだろうけど。ただ、「くう」はこれをどう思うか。見捨てられたと感じるのかもしれない。 まあ、もう少ししたら、失敗の原因を考え直してみよう。
2005.12.30
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久しぶりに夕食時に父と母の家に行った。 老夫婦2人の夕食もわびしいものだろうが、茶碗を持たずにおいたまま食べる父。それがムリならば、母ももちろんなにも言わないのだろうが、決して出来ないわけでもない。食事のマナーなど、もとから非常に悪かった父だが(多分、貧しい家庭で育ったせいか、その辺のしつけがまったくなっていない)その不精した食べ方を注意する。「ハイ」「ハイ」と言いながら、次にはまた、同じことの繰り返し。 ムダとは思いながら、使わないと、その機能がますます低下することを危惧する母。それに加えて、それなりの地位の官吏の家庭で育った母には、許せないものがあるのだろう。 倒れる前から、同じような光景が繰り返されていたといえばその通りなのだが。
2005.12.29
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きのうまでは、こちらが強制的に手で口をこじ開けて、エサを注入されていた「そら」。きょう、スポイトを近づけると、自分から口をあけてきた(半開き程度だが)。スズメなどと違い、上のくちばしが大きく曲がっているため、正面からはなかなか入らないが、横の方からはなんとかえさを食べさせることができた。 まだ、くちばしwのまわりを粟粒だらけにして、ぼろぼろと、8割がたこぼれてしまうとは言え、きのうまでとは大違い。 「みい」「くう」が塾に出かけている間に、奥様と2人でエサをやっていたら、二人が赤ん坊のころ、それぞれに授乳させたり(もちろん、哺乳瓶で)、離乳食をスプーンで口に運んでやっているころのことを思い出してしまった。 あのころは、ホント、「そら」と同じぐらい?可愛かったのに・・・・。 その「そら」。正月を実家で迎えるために、3人とともに、初の旅行。こちらは、まだ仕事が残っているので、ずっとこちらに残るけど。 厳寒の地へでかけるため、小さな箱に入れて、ホッカイロで暖めて、なおかつ奥様がコートの中に潜ませて出発した。
2005.12.29
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実益を兼ねてというほどのものでもないが、5,6キロ離れたところまで、電車を使わずに走ってみた。初めて走る道なので、ペースはかなり遅かったが、それでも片道30分づつ。もちろん、用事があったので、間に休みは入ったが、多分、10キロぐらいは走ったであろう。 でも、一回汗をかくと、それが冷えるのがけっこうつらい。用事があった場所に大型店があったので、そこでクビの周りに巻いていたタオルで汗をふいて復路に。 ひざの調子はそれほど気にならなかったが、最後の500メートルのあたりで急に痛み出した。まあ、それでも大過なくといったところか。 考えてみれば、走るのは5日ぶり。ちょっと間を空けすぎたかな。きょうを10キロとすれば、これで月間走行距離は119キロ。まあ、良く走ったもんだ。あと3日。もう少し上積みするか。
2005.12.28
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ボタンインコのそらちゃん。うちに来てから3日目。まだ、お菓子の箱の中で生活しているが、元気。おなかがすいているのかいないのかわからないが、くちばしをこじ開けられて、スポイト?のようなものでエサを押し込まれている。あんなにおしこんで大丈夫かとも思うが、本人はケロっとしている。 肩のあたりにえさ袋?が、皮膚を通して見えるが、そこにアワタマがたまっているのが透けて見えて面白い。 そういえば、3年ぐらい前だったか。部屋の窓から1メートルもないビワの木に、ヒヨドリが巣を作ったとき、ヒナはアブラゼミを丸呑みしていた。あんなとんでもないものが口の中に入るんだから、アワタマぐらい大丈夫なんだろう。 とにかく、今ウチの中で人気を独り占めにしている。冷え込んで、ほとんど動いていないドジョウさんや金魚さん、忘れられている・・・。
2005.12.28
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高校生のころを考えると、あのころ習った歴史の図像が、その像主など大きく変わってきている。 この洛中洛外図は狩野永徳が描き、織田信長が、上杉謙信に贈った物とされてきた。まあ、結論から言えば、この著者も同じ結論に達するのだが、その前に本来この絵は足利義輝が発注したが、松永久秀に討たれ、宙に浮いていたものを、信長が謙信に贈ったという説を立てている。 まあ、説の当否は別として、先人の研究を追って、その当否を検証し、そして自らの結論を打ち立てていく経過は、学問のあり方として、非常に興味深い(と、言って、自分でなにかをやるわけではないのだが)。 もちろん、この絵を誰が書こうと、知ったことでないと言われればそれまでだが、その絵の背景にある義輝の非業の死、狩野永徳の存在、謙信と義輝の関係などから、こういった結論を生み出す作業は、ある種推理小説でも追っていくような面白さがありました。 でも、いろいろな文献から、描かれている建物の建造年月日を推定し、その絵が描いた京の町が何年何月何日から何日の間までと推定する今谷明の説(著者は結局それを否定するが)など、ものすごい作業量がその論文の背景にあるであろうことに感心してしまう。
2005.12.27
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ボタンインコ、勝手に「そら」と名前をつけてしまった。羽の色も、なんとなく空色っぽいのが生えてきそうだし。ちょっと、子供の名前にも関連があるし。 ただ、ワタシが勝手につけたので、特に命名の権利があると思われる「くう」からはクレームがあるかもしれないが。 とりあえず、きょうは元気。口をこじ開けられて、エサも食べてはいる。きのうはよくわからなかったが、けっこう産毛から成鳥の羽毛に近いようなのも生えていることが確認できた。
2005.12.27
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きのうの帰りの電車の中、Nバッグを背負った女の子が3人。時間帯からいって、多分6年生だろう。受験まであと一ヶ月を切っているが、けっこうみんな和気藹々と楽しそうにおしゃべりをしている。そんな光景を見ながら、ふと、下に目を落とすと、前の座席に座っている、ワタシと同年輩のオトーサンが、なにやらシャープペンシルを持ちながら、本に書き込んでいる。 見ると、灘中の算数の図形の問題を一生懸命解いているではないか。表紙を見ると、「四角いアタマを・・・」だって。 見ている限りでは、悪戦苦闘という感じだったが、単に問題を解くのに苦労しているのか、それとも、最善の解き方をどのように、わが子に教えようかと、アタマを悩めているのか。 ワタシだったら、もちろん、解けなくて、しかもあんなに悩まないですぐに放り投げてしまいそうだが。「オトーサン、頑張って」とは、さすがに声はかけなかったが、心の中で応援してしまった。
2005.12.27
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本日、家に帰ったら(珍しく日勤だったので、21時30ごろ帰宅)ボタンインコさんがいらっしゃっていた。 なんでも、「くう」のクラスの子の家で、ヒナが何匹かかえったらしく、里親を探していたとのこと。まだ、はげちゃびんで体重は35グラム。保温しておかないと、死んでしまうので、電気アンカだのホッカイロなどで、保温していた。 こどもの頃、セキセイインコは飼ったことはある。ヒナも生まれて成鳥にもなったが、いずれも飼育担当は親鳥たち。ワタシは手乗りにするようにヒナのうちから育てたことなどない。 奥様が、何回かやったことがあるので、お任せ。ホッカイロは、酸欠にならないように、箱の外側からあっためているので、大丈夫だとは思うが。 でも、暮れには、実家へ帰るんだろうが。そんなもの、厳寒の地まで運んで大丈夫なのだろうか。
2005.12.26
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きのうの夜、スーパーをちょっと覗くと棚からクリスマス関連商品の撤去が始まり、かわりに伊達巻など正月用品の並べ替えが急ピッチで行われていた。あと、1週間もない。忙しないもので・・・。
2005.12.26
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「くう」、塾より午後2時半ごろ帰宅。疲れているか、寝てしまった。起きたのは7時ごろ。そんなに寝かせてもいいのかという感じもしたが、「どうせ辞めるんだし」と放置。7時半ごろ「みい」帰宅。それから食事。さて・・・と思ったが、やはり放置。 「くう」突然、「冬休みの宿題が大変だ」とわめきだす。日記とか、ドリルとかそれなりにあるのだが、日記なんて一行でかまわないもの。ドリルとて、そんなに難しいものではない。せいぜい、10分もあれば終わる。 大変といいながら、着手しない。「うちってダメだ」とか、なんとかぶつぶつ言いながら。 結局、「何か」に着手したのは、午後10時半ごろ。それから、1時間かけて年賀状を1枚だけ書いた。 もう、知らん。 「みい」は、誕生日のプレゼントにもらった本を、なぜか風呂場に持ち込み、水の中に落とし、叱られて泣き喚くし。 やっぱり、こんな連中に中学受験なんて考えたワタシがアホだった。
2005.12.25
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寒さが厳しい中、それでも生命は息づいているようで。紅梅のつぼみが膨らんできました。早い年ならば、年内に咲いているような気もしますが、今年はさすがに遅くなるのかな。 こんな日でも、ひなたの暖かそうな場所には、越冬している蜂が日向ぼっこ(スズメバチじゃないけど)。ビワの花も開き、これから冬本番といいながら、いろいろなものの息吹を感じます。
2005.12.25
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まあ、キリがいいところで辞めるということで、1月末までってことにしたけど、彼女たち、どんな気持ちで冬期講習に通っているのだろうか。別にイヤとは言っていない。「仲間」との最後の日々を楽しんでいるのだろうか。 でも、さすがに講習に備えた、あるいはカリテの見直しなんて、気がほとんど向かなくなった様子。午前中は時間があいた「みい」は年賀状を書くといいながら、3時間ぐらいだらだらとやって、せいぜい2,3枚しか書いていないし。 やめようが続けようがどうでもいいが、この時間の使い方、なんとかならんか(アンタはどうなんだといわれそうだが)。
2005.12.25
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クリスマスイブ。午前2時ごろ家にたどりつくと、食卓にはやや干からびかけたケーキが一切れ。いい風景だ。 でかける前には、母方の祖母からとどいたプレゼント(カーディガン)の柄をめぐってきわめて醜い争いを展開していた2人。二種類の色があったのだが、どうして人がせっかくくれたプレゼントをめぐって、罵声を飛ばしあうけんかができるのか。 この2人にプレゼントなんてかってやる必要はないと、改めて痛感させられたイブでした。 ほんと、ケーキのように干からびた家庭になっている。
2005.12.24
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10大ニュースの季節。読売新聞の読者が選ぶ10大ニュースを見ていて、「また今年もか」と思う。トップはアメリカのハリケーン被害。 そりゃ、当初は何万人とか言われたが、犠牲者は最終的には1300人ぐらい。それが少ないとか言うわけではないが、4位だか5位のパキスタン地震は犠牲者が7万人を越すとも言われている。 何十倍もの犠牲者を出した方が、ランクは下なのか。 日ごろの報道の偏りのせいなのか。「読者」と言うことで、単に、ニュース価値を見る目がないということなのか。 ほかにも、米ブッシュ政権の2期目がスタートなんていうのや、スペースシャトル再開なんていうのが入っていた。ブッシュ政権二期目は、それなりに重要なことだが、昨年の十大ニュースで、すでに再選が選ばれているのだから、スタートはそりゃ当たり前のこと。再選されたのにスタートしなかったら、そりゃ天下の大ニュースだが。さらに、スペースシャトルがそんなに重要なことなのか。イスラエルのガザ撤退など、はるか下の方なのに。ついでに言えば、野口さんのシャトル搭乗なんてのが、日本の十大ニュースの方に入っていた。 別に野口さんをくさすわけではないが、高々、アメリカの船に乗っただけだろうが。日本人初というわけでもなし。 ハリケーンとパキスタン。単に十大ニュースに入った、入らなかったということだけではない。やはりきょうの紙面には、国際援助の問題として、アメリカが求めてもいない援助が、各国から寄せられているのに、パキスタンには必要額が寄せられない現実が。 先進国の被災者だと、親近感があるが、パキスタンの山の中など・・・ということなのか。命の重さの違いが何十倍もあるということ。人々の意識の上で。それを醸成しているのが、報道なんだろうな。別に今に始まったことではないのだが。
2005.12.24
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いつの間にか、子供の歴史が太平洋戦争まで進んでいた。また、ここでつまらない疑問がアタマをもたげてくる。西郷隆盛は征韓論だったのか。これは、けっこう異説を唱える人も多い。また、こんなことをぐたぐたと言うと、子供が混乱するのでやめておくが、でも、出題する側も、さまざまな異論が出ている問題については、なるべく避けた方が懸命だとは思うのだが。 でも、過去問を見る限りでは、そんな考えは微塵もないようだ。もちろん、征韓論説が正しいのかも知れないが。 それにしても、ついこの間縄文時代を始めたのに、光速のタイムマシンに乗っているようなスピード。これじゃ、子供は単なる丸暗記課目としか、歴史を捉えられないよな。
2005.12.23
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知りませんでした。きょうから冬休みだったとは。朝から家にいたのは旗日だったからだとは思いましたが、そういえば、あしたはもう土曜。そのまま冬休みに突入とは。 二期制になっているから、通知表があるわけでもなし。なんかしまりのない冬休みの始まり方という印象。 子供たちは、それでも夕方から塾へ。レイムダック状態でまあ、大変といえば大変だが。
2005.12.23
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きょうは走り始めて100メートルもすると、足の甲が痛くなり、立ち止まり、いったん靴を脱ぐ。そのまま、まっとうなペースで走る気力もなく、たらたらと走る。結局、9キロで55分。とんでもなく遅いペース。歩くのとあまり変わらないような速さだった。それでも、これで今月は109キロ。 月間100キロは走れたらなどとはとても思わずに始めたジョギングだが、これだけ走れるとは。でも、ひざが痛い。これはこのまま走り続けているうちに収まってくるものなのか。それとも、休まないと悪化するものなのか。よーわからん。
2005.12.23
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子供の塾ではないが、その近くの塾の児童が、見知らぬ男に3時間ぐらい連れまわされたとか。先日の塾の保護者会のなかで、そんな話があった。貸与の防犯ブザーもあるが、果たして電池はまだあるのだろうか。最初のころは、面白がって子供も鳴らしていたが、最近では、ただつけているだけになっていた。一度、鳴らさせてみるか。あと、どのくらい持ち歩くことになるのかわからないが。 まあ、駅までの道は人通りも多く、家の最寄り駅には、こちらも迎えにいくから大丈夫だとは思うが。 でも、子供が塾に行きたくなくなり、どこかをふらつくようなことがあれば、危険性は一気に高くなる。
2005.12.22
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一日休んで再び9キロコース。最初はペースを抑え気味に。折り返しからすこしピッチを上げて(と、いうほど上がっていないのがもどかしいが)最終的には47分5秒。ここ2回に比べれば、1分はあがった。 何が違うのか。そう、ウエアが違う。あのピッチリのスパッツではなかった。もしかしたら、あれがいけなかったのか。窮屈さをいやがったご子息が(とても窮屈とは思えないが)足を引っ張っていたのだろうか。 走り終わって、冬至のユズ湯に入る。なんともまあ、お気楽な生活だこと。 いずれにせよ、このコースで大会までに45分を切るのはムリかな。 それにしても、きょうは風が強かった。特に帰りはもろに向かい風を受けた。とても風に抗って走るだけの体力は残っていなかった。
2005.12.22
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まあ、正確にいうと、ガスファンヒーターなんだけど。父が最近、起きている間中、ファンヒーターにへばりついている。寒いのか。ほとんど、散歩にも出かけていないようだ。まあ、冬だからしかたないかも知れないが。 ワタシが行くと、「あれをとってくれ、これをとってくれ」と、いろいろと注文を出す。ただでさえ動かないので、「自分で取れるものは自分で取れ」と、はねつける。まあ、あきらめるか、ブツブツ文句を言いながら自分でとるかだが。 そして、再びファンヒーターにへばりついている。へばりつくだけで、何をするでもなし。 しょうがないといえば、しょうがないのかもしれないが。もう、まったく日記も書いていないようだし。母も、あきらめたのか、日記については言わなくなったようだ。
2005.12.21
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前に書いたが、塾で教える歴史の中にちょっと附に落ちない点があったのを、質問しておいたことのへのお返事をもらった。 やっぱり、講師の側でも、疑問なしとしているわけではないという。ただ、中学受験という状況を考えると、試験にでるものは出るものとして教えないわけにはいかないとのこと。 この原因として、やはり出題側が正直言って勉強不足ではと思われることもあるらしい。こういった問題は、大学入試などでもよくあることだが。 まあ、親としては、いろいろな見方があるということを、子供に伝えておくにとどめておいた方が無難だろう。こっちも、正直言ってよく知らないのだから。
2005.12.21
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きょうも再び9キロコース。きのうが遅かったので、気合を入れようと走り出したのはいいのだが。 また3キロぐらいから思うようにピッチが上がらない。後半に入っても、そんなに疲れたとか、苦しいというのではないが、どうもちんたらムード。結局、48分10秒ぐらい。前日とほとんど変わらなかった。知らず知らずのうちに疲れでも出ているのだろうか。 それでも、今月の(ほとんど今月から走り始めたわけだが)月間走行距離は91キロ。あと9キロで100キロになる。まあ、そのぐらい走れば上等か。
2005.12.20
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鉄砲の伝来までは、兵士と言えば弓射騎兵と打ち物騎兵、弓射歩兵と打ち物歩兵の4種類に分類できるという。その中でも、源平の争乱のころまで、常に日本の戦場をリードしてきたのは、弓なのだそうだ。確かに、源平の戦いの最強戦士といえば、鎮西八郎為朝であろうが、とにかく彼の場合はその強弓でしられていたワケだ。刀でちゃんばらをやっていたわけではない。平家物語でも、那須与一。刀を使うのは、相手を馬から落としたあとに、クビをひっかくために使っていたようなもの。それが、南北朝のころから、打ち物(ようするに刀、鑓、まさかり・・・)が前面に押し出されてくるということになるらしい。また、弓にしても、馬から降りて射る場合が増えてくるという。 これらの分析には、平家物語、太平記などの戦記物やさまざまな絵巻などの絵画資料が使われる。 それにしても、いろいろな研究をする人がいるものだ。でも、日本刀が武士の魂なんてことも、言われるようになったのは、多分近世になってからなんだろう。そもそも、刀が本当に主兵器になったなんて、日本史上にはなかったのだろう。もし、あるとしたら、幕末の京都での新撰組と長州などによる暗殺あたりしかないのではないだろうか。
2005.12.20
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秀次と言えば、本来はこの人だったのに、最近は秀次と言えば姉歯氏になってしまった。 ワタシの秀次像といえば、秀吉の無能な甥で、ただそれだけの縁で偉くなり、そして秀頼の誕生でやっかいものになって殺されたというもの。 この本を読んでも、もちろん極めて優秀で・・・ということはないが、それなりの、並みの器量は持っていた様子。殺生関白の由来となった悪行にしてもほとんどは根拠がないというのもうなづける。むしろ、秀次の近親をほとんど根こそぎ虐殺した秀吉の方にこそ、殺生太閤とでもいう呼び名を付けたくなるぐらいだ。 さて、この秀次、文化面では足利学校への支援などそれなりに関心が高かったことなども初めて知る。そして、秀頼誕生もさることながら、秀吉にとっては自らの権力を蚕食するように思われたことが、悲劇の原因という、著者の分析。もちろん、秀頼可愛さもあっただろうが、政治面での対立が根本的なものとしてあったという主張、けっこううなづけます。
2005.12.20
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まあ、呼び出しってわけじゃないけど、少し前にそれに近い形で塾に行ってきた。「みい」の成績の急落だけでなく、授業態度にも熱が入らなくなっているとの心配があったようだ。 いい機会ということで、撤退を考えている旨を伝達。話し合いをしたが、まあ、最終的には家庭で判断することなのだが。 もちろん、先様は続けてもらいたいのだろう。そりゃ顧客だもんな。半年前なら、難関校も狙えるとして、それなりのもんだったんだろうが。 でも、ワタシは辞めることで、家庭内の合意はほぼ取り付けたつもりだったが、少し奥様が難色を示している。もちろん、せっかくここまで続けたものをと言う思いはワタシにもある。しかし・・・。 子供たちは本当のところどうなのか。「ムリだと思う」とは言っているが、「ムリ」というコトバの中には「続けたいが」という意味も含まれているわけだ。「やめたい」とは違う。
2005.12.19
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コガタスズメバチの巣、とりあえず、ゴミ袋に入れて、外に出しておいたんです。別に捨てようなんてことは思っていませんが。 袋に入ったまま、日が当たると、温室効果でけっこうあったかくなるんですよね。数日前なんですが、いました。袋の中に。きっと、巣の奥であとは死ぬのを待つばかりだったんでしょうが。なんか、温室の中で急に暖かくなったので、もぞもぞ、這い出てきたんでしょう。 もちろん、ここ数日の寒さで今度こそ、成仏されてとは思うんですが。巣をとったのは、まだ朝も早い時間帯でそれなりに寒かったので、攻撃される恐れはなかったとは思いますが・・・。怖かった。
2005.12.19
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網野善彦と中沢新一が山梨県出身ということは知っていたが、縁戚関係にあったとは、網野善彦がなくなるまで知らなかった。正確にいうと、網野善彦の妻が中沢新一の叔母にあたるということだが。 よく、学者の家系とかあるが、もちろんDNAもあるかも知れないが、環境の及ぼす作用というものを痛感させられる。中沢新一の父とその弟の論争、その横でそれに加わる網野善彦。それを聞いている幼かった時代の中沢新一。たぶん、幼いなりに(もちろん、内容はよく理解できなかったかもしれないが)わくわくする場面だったのだろう。 民俗学、歴史学、そして宗教学と微妙にオーバーラップする分野で、それぞれの知見から、自分の研究にヒントになるものを拾い出す、知的な交流。なんともうらやましい関係だ。 そして、中沢新一の子供時代から、まじめに向き合って、オジという直接でも間接でもない立場から、アドバイスを与えていた網野善彦のあり方に感動すら覚えた。 もちろん、こういった環境を、生かすことができる、持って生まれた才能というのも重要になってくるのかも知れないが。でも、そんな環境を子供にあるいはおい、めい、いや、赤の他人でもいいが、作ってやることができたら、そんな幸せなことはない。 とても、そんな環境とは縁遠いような自分だが、子供時代の記憶で、父が同僚を家に連れてきたときの会話で印象に残っているものがある。まだ小学生で、中国で文化大革命が展開されていた時代。父の会社の論調では、どちらかといえば文革を評価するような姿勢が目立っていたが、そのときの話では、むしろマイナス面について話が盛り上がっていた記憶がある。子供心に「紙面で書いていることと違うのでは」との思いもあったが、なにかその辺に複雑なものを感じ取ることだけはできた。少なくとも、そういった環境にあったことが、今の自分になんらかの影響を与えていることは否定できないだろう(どっちにしても、たいした影響じゃないけど)。
2005.12.19
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さて、きのう走らなかったから、きょうは走る。そういえば、あのピッチリとフィットするウエアはまだ着ていなかった。誰にも文句を言われないので、着てみることにする。 普通にはいてみると、なんか違和感。外からみても、トランクスの線がしわになって見えてしまう。いわゆるサポーター的なものでなければだめか。そういえば、そんなものなかったし。 「え~い、なんにもはかなければいい」と・・・。 しかし、世界陸上などを見ていると、短距離の選手など、あのぴったりのモノをはいていると、モノがクッキリと露骨に見えてしまう。それも恥ずかしいと、ふと見下ろすと、「ん?、なんにもわからないじゃないか」。恥ずかしさから一転、もの悲しさを覚えてしまいました。人それぞれ、悩みも苦労もあるものだと実感。 でも、なかなかぴったりしているのは、だぼついた体を引き締めるような感覚があっていいもの。パンストをはくとこんな気分かと・・・。 けっこう大き目のウインドブレーカーを着るので、そのあたりはほとんど隠れるのだが。 そしていざ走り出す。一日休養したから、けっこういいペースかと思ったが、ピッチは快調だが、ストライドがやたらと広がらない。中盤になっても、ますますストライドが狭くなる感じ。折り返しでも、この間よりも一分近く遅い。後半になって、盛り返す気力もない。結局、48分10秒ぐらい。なんだ、このタイムは。 ぴったり、もっこり効果はこんな結果を生むのか?
2005.12.19
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きょうは、朝まじめに起きて、寒風吹きすさぶなか、近所の公園のお掃除。風が吹いて大変かとおもいきや、落ち葉が一箇所に集まっていてくれて、逆に作業ははかどる。竹箒などを使わずとも、簡単に落ち葉を集めることができた。 でも、寒くて風が強いので、根性ナシのワタシは、走りはパス。4日連続して走ったからまあ、いいか。 かわりに、出勤時に茅場町から大手町まで、走っていこうとしたが、ポケットの中にイロイロと入っていたり、リュックサックがじゃまになったりと、100メートル走るとそこでめげる。それでも、走ったり歩いたりを繰り返していると、寒さはあまり感じられず。 やはり都心の道路でもイチョウの葉が強い風で一箇所に集められており、その上を歩くとふかふかしてイイ感じ。
2005.12.18
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さて、塾をやめることはいいのだが、そうしたら浮いた時間をどうするか。1月の終わりまではしっかりとやれとは言ってあるものの、いうなればレイムダック状態。こちらも、なるべく「やれ」とは言わないようにしているのだが。その結果として、ほとんどやっていない。もっとも、初めからやっていないのだから、別に何も状況は変わっていないのだが。 「自由に遊んでいい」といっても、友達はいろいろと習い事で忙しいだろうし。だからと言って、習い事などあまりやらせたくもないし。
2005.12.18
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きょうも早めのペースで5キロ。きのうよりも最初の1周はペースを落としたせいか、早くも4周目で一周2分半を切れなくなった。それでも、その後はあまりペースは落ちず、10周終わったときには25分25秒。きのうよりは5秒だけ速かった。 このまま、走るたびに5秒縮められればたいしたものだが、けっこう疲労もたまってきている。10周25分を切るのは大変。 そういえば、きょうは土曜日だからか、周回コースを走ったり歩いたりしている人がけっこう多かった。中には、高校生ぐらいの若者が、ワタシよりもはるかに速いペースで走っていた。6周ぐらいで、再び抜かされた。周回遅れ。でも、そこに食いついていくような気力、体力ともになし。当たり前か。
2005.12.17
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なんていっても、知らないうちに収穫されてたのを食べただけ。せいぜい、30個ぐらいしかないし、しかも小粒。でも、最後まで成らせていただけあって、味は結構酸味も甘みもあり、上出来。バナナやりんごと一緒にしておいて、一気に熟成させるよりも、そのまま放っておいたほうが味がいいような気がします。さて、来年はいっぱいなるだろう。なんせ、めちゃくちゃな剪定をする人が、身動き取れなくなってるから(なんて、言ってはいけないのだろうが)
2005.12.16
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スピード練習なんておおげさなものではないが、すこしペースアップを図る練習をしてみた。きょうは1周520メートルのコースを、1周2分半のペースでどれくらい走れるかがテーマ。1周目は2分10秒ぐらい。ペースがわからにので、飛ばしすぎ。それから徐々にタイムは落ちていったが、平均でみれば6周目で15分をわずかに切れた。 ここまでだったら、平均で見れば、1周2分半ということになる。そこまで走ったので、あとは10周めざし、なんとかペースを維持できるように走ったが、最終的に10周は25分30秒。 目標より30秒は遅かったが、最初にここを10周したときに比べれば4分半ぐらい速くなったことになる。 ただし、けっこうこたえたのも事実。このペースで10キロはまだムリ。 帰ってから、少しウエートトレーニングも取り入れてみた。効き目があるかどうかわからないが。
2005.12.16
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PTA小説なんて分類はないだろうが、PTAを通して描いた女4人(先生を入れれば5人か)の群像。もう、20年以上も前の小説なんだな。作家も若くして亡くなってしまったし。 ぼけの始まった姑の面倒を看ている洋子、心臓に重い病気をかかえている満子、離婚したばかりの明子、キャリアを捨てて子育てをするみどり。それほど大きな事件が起こるわけでもないが、現実の中で生きる母たちの成長を描いた佳作。 東京女子マラソンは、多分このころ始まったばかりだったはず。タイトルは、作品の中のある一日に、開催されたマラソンランナーに4人がそれぞれ自分の人生を投影させながらテレビ観戦させたことにちなむもの。ジェーン・スミスとか、アリソン・ローとか、村本みのるとか、かつて聞いた覚えのあるランナーたち。
2005.12.16
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トップ屋を題材にしたものを、桐野夏生が書いてるとは知らなかった(じゃなくて、桐野夏生のものをOUTしか読んでいないだけ)。東京オリンピックの前って、こういう時代だったんだなと。まだ、ワタシの小さいころには、トップ屋という名前が生き残っていたような記憶もある。 必ずしもモデルと言うわけではないが、巻末の解説でも触れられている梶山季之らのグループを髣髴とさせる、トップ屋集団の黄昏の時期を描いたものということ。 現実にあった草加次郎の事件とオーバーラップさせながら、主人公が巻き込まれる女子高生殺人を描くとは。中々読ませました。
2005.12.15
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いや~、ムスメサマすごい。4科目ともクラスで1位だったとは。常人にできるわざではない。そのうち3科目は、下から数えてだったとは。アンタはエライ。
2005.12.15
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三日間走らなかったので、きのう、きょうと連続して9キロこーすを走る。 この間、50分かかったのが、きのうは48分30秒。きょうは47分30秒。やはり慣れると、多少はペースの取り方がわかってくるような気がしてくる。ただし、ヘタにペースに慣れてしまうと、なかなかそこから上には行きにくいような気もする。3キロぐらいのこーすをタイムを決めて走ってみる必要もあるのかな。とりあえず、10キロ完走ということはほぼ達成できると思うので。10キロ50分を切るぐらいまでは持って行きたいと思うのだが。
2005.12.15
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ハメハメハついでに、♪ギソウの国の大王はその名も高きアネハネハなんて歌も職場では歌われてましたっけ。 でも、証人喚問を(いい加減ですが)みていた限りでは、所詮彼は下っ端。濡れ手で粟のモウケのほとんどは、小嶋とか、総研の内河とか、そっちに流れたんでしょうから。 それにしても、あの姉歯という人物。ホントに変なヤツ。あれだけ淡々と喚問に対処する人間も珍しい。もう、観念しているのか。もともとそういう人なのか。ギソウもああやって淡々とこなしていたんでしょうか。
2005.12.14
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なぜか、職場でカメハメハの話題で盛り上がってしまった。新聞のテレビ欄で、クイズ番組の紹介で「南の島の大王は」の歌の大王の名前についてのものがあり、「ドラゴンボールでもカメハメハ(必殺技の名前)だったから、当然カメハメハ」と主張するもの、「ハメハメハなんて、南の島の大王を侮辱するヒワイなコトバではないか」などと主張するものも出る始末。 結局ネットで検索したところ、正解はハメハメハ。作曲は森田公一だったんですね。 ちなみにカメハメハは、ハワイ王朝を統一した実在の王様の名前。この王朝、最後には勝手に入り込んできたアメリカ人がクーデターを起こして、王制をつぶし、そしてアメリカ領に編入してしまったという、典型的な植民地主義の犠牲になったようなケース。王制の末期には、明治政府との友好を求め、アメリカの「侵略」に対し、日本に保護を求めたような状況もあったような(かなりあやふやな知識なのでご勘弁を)。 それにしても、この歌。のんきな王様という設定といえばそうなのだが、南の島の大王をコケにしていないだろうか。だって、島の人間はみんなハメハメハ。そんないい加減な。日本人が南洋に対して抱いているイメージ。腰みので、一日中ごろごろしていても、果物が勝手になって・・・といったもの。なんか、冒険ダン吉のころから少しも進歩しているように思えない。 ある意味では、勝手に理想郷にしたり、勝手に野蛮人の世界にしてしまったり。鼻に骨を飾り付けているようなものではないか。
2005.12.14
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きのうから庭の木にイルミネーションが取り付けられた。午前2時ごろ帰ってきたら、木に巻きつけられた青白い豆電球がチカチカと光っていた。 もちろん、ワタシのやったことではなく、奥様の仕業。最近、満艦飾に飾りつけている家も、けっこう目立ってきたが、とてもとても、そんな派手なものではない。投資額もごくわずか。まあ、エネルギーのムダとかいう声もあるけど、けっこうキレイなもんで。あんまりどの家も始めちゃうと、うるさいような気もするが、このぐらいならいいのかな。
2005.12.13
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コガタスズメバチの巣収穫。アシナガ蜂のように、枝にぶら下がっているのかと思ったら、直径1センチはあろうかという枝が、巣の中を貫くようになっていた。枝が貫いたのではなく、枝の周りに巣を広げていったというべきなのだろう。さらに、拡張するにあたって、周囲のじゃまな枝なども、巣の中に取り込んでいって作っている。だから、まわりの枝を徐々に切って最後に、巣が撒きついている太い枝をのこぎりで切断した。 こんなに寒いので、「もうハチはいない」と、思っていても、防寒ウエアに身を包んだ越冬隊員がもし出てきたら・・・と、ちょっとだけ心配しながらの作業。でも、無事に終了。 持ってみると、思ったよりもはるかに軽い。手のひらに載るようなアシナガバチの巣も軽いと思ったが、バレーボール大の大きさになっても、ほんとに風船とは言わないが、そんな軽さだ。 あとは保存方法を少し考えないと。けっこう虫がわきそう。
2005.12.13
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「くう」が日曜の夜に、宿題に取り組み始めた。夜といっても、もう11時近い。ワタシは寝室にいってしまったが、中々眠れない。彼女も二階に上ってくる気配がない。1時過ぎ、見に行ったら、まだやっていた。「おいおい、いくらなんでも・・・」と、言わなければならないのだが「ムリするなよ」とだけ、声をかけておいた。 別に、他の勉強が忙しいからとか、そんな理由ではない。ただ、なかなか着手できないだけだ。でも、いくら言ったところで着手できないので、こちらもあきらめている。「体に悪い」とは思うが。でも、考えてみたら、ワタシも小学校5,6年のころ、そのくらいの時間まで、本をよんだりしていた。それも放課後はサッカーに熱中して疲れていたはずなのに。そんな時期があるのかな。もちろん、良くはないと思うが。 ちなみに、学校の宿題とは新聞作り。まあ、新聞の記事を書いたり、レイアウトをしたり、そんなことワタシは苦手なので手伝ってやれませんが。いや、手伝ってやろうとしても、拒否される。下手なのをわかっているのかな。
2005.12.12
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ホントに昇格しちゃった。そう、ワタシがいた頃は、3年連続J2ビリで、連敗記録を作ったり、「もう解散」と言うところまで追い詰められて、県がネットで支援すべきかどうかアンケートみたいなものをとったりして・・・。J3なんてものがあったら、確実に落ちてたチームだったのに。 初戦には勝ったものの、きのう、柏にあっさり2点差以上つけられて負けるんだと思っていたら、なんとバレーが6点。おみそれしました。 でも甲府に住んでいたのは3年ちょっと。千葉に住んだのは通算20年以上になるんだった。常磐線沿線にはあんまり縁がないんだけど。柏の皆さん、お気の毒様。 でも、甲府がビンボーチームであることには変わりがない。来年、どんな戦いをするんだろう。ちょっと、いやかなり心配。
2005.12.11
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学習塾内で、講師が生徒を刺し殺すなんて、またとんでもない事件が、京都で起きた。もちろん、講師が聖人君子とはだれも思っていないが、少なくとも普通の人間ではあってほしい。 原因はわからないが、口論になったとか。口論ぐらい、そりゃ起こるだろうが、なんで。 朝日新聞のサイトによれば、出刃包丁で刺したと言う。果物ナイフならば、そりゃおいてあるかもしれないが、出刃なら明らかに計画的だろう。そして、容疑者は同志社大学生で、以前、学内で窃盗事件を起こし、さらにとめようとした警備員を殴り強盗傷害で逮捕されていたとは。本当に現在も学生なのか。退学処分になっていたのか。 塾は、別に教室一つだけの個人的なものではないようだが、どのような採用の形態をとっているのか。学生証だけ見せればそれで簡単に採用しているのか。過去にそのような犯歴があってもフリーパスで採用できてしまうものなのか。 もちろん、「これでは安心して子供を塾に通わせられない」なんて、思うことはないが。でも、殺人になることはなくても、性的な事件は水面下ではそれなりの数、発生しているのではないだろうか。学校であれだけ性的な事件が発生しているのだから。学校と同じ程度危険なことは確かだ。 子供の危険は、通学路だけではない。
2005.12.10
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きょうは、奥様がいつも走っているコース。なぜか、一緒に走ることになった。一緒にといっても、それぞれのペースなので、1キロもしないうちに離され始める。多分、折り返し地点では1分半ぐらいは離れていたのでは。そしてゴールしたあたりでは、5分ぐらいは差がついたようだ。 走ったことがないコースなので、ペースがつかめないことを割り引いても、それ以上のものがある。やはり、キャリアの差か。まだまだ十年早い。 そういえば、今体重は何キロなんだろう。高校生のころに比べると、5キロ、いやもっと増えているか。これを少し落とさないと、そりゃ疲れるわけだ。
2005.12.10
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やめる、やめるといいながら、難関校向け保護者会なるものに行ってきた。別に続けたところで、もう縁がないようなものなのだが。 やはり、桜蔭などを志す女の子は、将来、国際的に活躍したいとか、医者になりたいとか、かなり明確な将来像があって、そのためにはどうしなければならないか、そのために、今、何をなすべきかなどのビジョンを持っているという。 まあ、たかだか小学校5年生にそんなビジョンを持てと言うのがムリなのかもしれないが、なにかそういった(実現可能かどうかは別として)意志がなければ、あんな勉強を続けていくことは出来ないだろうと痛感。当然、「みい」は、そんな志は持っていない。父親に似たんだろうな。いや、なんかそれなりに志はあったと思う。小学校2、3年のころは野球選手とか、そんなのだった気がするが。5,6年ではなんだったんだろう。 でも、そのころは、東大なんかにも入れそうな気がしていたような。 いま、リハビリで努力をしていないとか、アホだとか、こき下ろしている父親もそういえば一応東大出てたんだよな。戦後の混乱期だったとはいっても。
2005.12.09
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