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昨年まで、小学校の授業参観の形態は、その日は一日中学校を開放して、どの時間でも、授業を参観できるという形だった。しかし、今年は1時間だけ。こちらの空いている時間に自由に見ることができない。子どもも、「国語は見に来ていいけど、算数はダメ」なんていうことが出来なくなってしまった。 以前のやり方は、一部の先生には、一日中緊張していなければならないと不評もあったという(そのぐらい、緊張していなさい)。そのせいか。もしくは、校長が代わったことによる、方針転換か。 だいたい、一時間しか公開しないんじゃ、ヘンに授業をつくってしまう可能性もある。それに、ある時間に集中すると、込み合ってオチオチ見てもいられないじゃないか。 今度、文句を言っておこう。
2005.05.31
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数日前の毎日新聞を見て、ある種の驚きがあった。日露戦争の死者数の表を見たら、日本陸軍の死者数は、実にロシアの3倍に達している。別に、戦争は相手を何人殺したかを競うものではない。あくまでも、どちらが相手に自分の意思を押し通すことができるかを争うものだ。しかし、それは国レベルの話。個人レベルでは、一人ひとりの死者が父であり、息子であり、兄弟であり、友人である一人ひとりのことだ。 勝った、勝ったとされる日露戦争が、相手の3倍の死によってあがなわれたものとは知らなかった。 この数字は、日本がいかに過酷な戦いを兵士たちに強いたかということを反映するものなのだろうか。 そういえば、日清戦争では、鉄砲のたま(いわゆる戦闘中の死亡)に当たって落命した兵士の十倍近い兵士が病気(脚気など)によって死亡している。 太平洋戦争では、半数以上の死者が、最後の1年間に出ていると聞いたことがある(もしかしたら、最後の半年だったか)。しかも、その多くは餓死、あるいは栄養失調による病死。 イラクでアメリカ兵の死者が1500人を越えているが、その何十倍のイラク人が死んでいるはずだ。
2005.05.30
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今回の小旅行、観光的な部分はなく、うりぼうずが小学校1年まで住んでいた場所を再訪するものでもあった。 以前から、「もう一度行きたい」「○○ちゃんにい会いたい」といっていたので、法事に行く際の途中の場所でもあったので、寄ることに決定した。 駅を降りると同時に、子どもたちは「懐かしい」を連発。「このお店覚えてる」「前、ここに○○があったのに」と二人ともはしゃいでいた。 しかし、家の方へ向かう途中、何回も買い物をしたこともある八百屋さんの前で、幼稚園もいっしょだった子どものお母さんにも偶然であった。全部で11人しかいなかった学年?(子どもの数が減少したため、うりぼうずたちの卒園と同時に廃園になってしまった)だだったので、ワタシも子どもも父母も全員の顔がわかっていた。だけど、子どもたちは、それがだれのお母さんかよく覚えていない様子だった。 また、家の近所にあった神社(子どもたちの遊び場になっていた)に立ち寄ると、そこには数人の子どもたちが遊んでいた。同じぐらいの子どもかなと思ったが、神社を出たあとに「みい」が「小学校で一緒だった××ちゃんだったような気がする」と。向こうも、見たような気がするらしく、こちらを見ていたらしいが、お互いに声は掛けられずじまい。「懐かしい」を連発しても、子どもにとっては、3年半の年月は予想をはるかに越える長さだったのだろう。 その後、小学校へも立ち寄ってみた。校庭では少年野球チームが練習をしていたが、「勝手に入っちゃいけないんだよ」と、中に入るのを渋っている。こちらがいくら「かまわない」といっても、入ろうとしない。業を煮やしたこちらが強引に入っていくと、やはり幼稚園で一緒だったなじみのお母さんが。ワタシの顔を見ると「あっ、みいちゃんくうちゃんのお父さん」。そこで、一緒に子どもたちのところへ戻り、連れてくると、そのお母さんが、今は少年野球をやっている娘や、やはり幼稚園で一緒だった男の子を呼んで、ご対面。 ただ、双方とも走りよってみたものの、みんな会話が成立しない。なんとなく気まずいのか、うりぼうずは自分の奥様にへばりつき、向こうの二人も練習に戻ってしまった。 親の方は、こういう場合の会話の仕方を心得ているため、けっこうベラベラと話をしたが・・・。 このチームの二人の家とは、今も年賀状をやり取りして、子どもも何回か手紙を書いている。だけど、子どもにとって3年半という年月は、想像以上の長さだったようだ。 ずっと同じ場所で暮らしていれば、幼稚園時代の思い出もそれなりに共有したまま成長できるのだろうが、引っ越してしまうと、よほど頻繁に訪れでもしないと、こうなってしまうんだろう。転校を繰り返す子どもって、親の精神的な負担とまったく違ったレベルの負担がかかるのだろう。 しょっちゅうお菓子を買った和菓子屋さんのおばさんも、われわれ家族の顔を見ると、数秒まじまじと顔を見て、「みいちゃん、くうちゃんですよね」と、名前まで覚えていてくれた。大人にとっては、3年半はそれほど長い年月ではなかったのだが。 この先、子どもたちがまたこの地を訪れたいと、言うことがあるのだろうか。
2005.05.30
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法事のついでに一泊二日の小旅行。前はよく小旅行をしていたが、塾に通うようになってからは、消滅していた。こういう機会でもないと、なかなか重い腰も上がらなくなった。 例によって、いい加減なワタシの系統の一族だけあって、本当に集まる親戚もわずかしかいない(なんせ、葬式にさえ来ないようなのがゴロゴロいるのだから)。今回は、ワタシも一応長男である父が、出席できないため、名代的な立場で出席。 不思議と、葬式、法事といったイベントが好きな奥様で、助かるといえば助かる。
2005.05.29
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二人も塾に通わせているわりには、今まで、クラスのアップダウンには縁がなかった。 でも、今回、「くう」がクラスアップを担任から告げられたらしい。なんでも「あげてもいいかな」という打診だったような(拒否する場合もあるのかな)。 まあ、本人が努力してあがったんなら、万々歳だが。いや、ワタシの知らないところで、彼女なりに努力をしていたと素直に思わなければ。 「せっかく仲良くなった友達がいるのに、クラスが変わってしまっても大丈夫か」と、聞いたが、先にアップしている友達もいるようで。 でも、本人がずいぶんニコニコしていた。 これを励みにしてくれるかな。算数は相変わらずだが、とにかく他の教科は、それなりに理解を深めているくらいだから。特に国語は自信も持ってきているようで。
2005.05.28
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キウイの棚を見上げたら、いつの間にか花が咲いていた。5年ほど前には数百個もなったのに、ここ数年は、せいぜい十個がいいところ。今年も、同じようなものか。 なんでそんなことになったのか。それはオヤジのせい。知識もなにもないのに、意味もなく剪定したがる。むちゃくちゃに剪定した年に、全然ならなかったので、他の家族が総出で「もうヤメロ」といったのに、また冬になると、根拠のない自信を振りかざし、剪定を始める。みんなに非難され、「オレはやらないから、お前たちでやれ」なんてえらそうに言って、家族ホットさせたかと思ったら、その翌日、自分の言ったことを忘れてまた、無残にキウイを切り刻んでいた。 そんなキウイだが、来年はきっと豊作だろう。脳梗塞で倒れては、さすがにキウイを切り刻むことは出来ないだろうから。そんな話をして、母親と苦笑してしまった。 キウイも、真面目に人工授粉すると、大粒の実がなるようだ。少ししか花はついていないが、せめて、受粉だけはしておこう。
2005.05.27
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どうも、受験と関係のないことばかり書いているので、たまにはうりぼうずのテストのことでも。 先日のカリテの国語の共通問題、「くう」の方が「みい」よりも20点以上上回った。快挙ともいえる出来事。これを喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。とっても難しい。「くう」にとっては、唯一「みい」の足元に近づける課目だけあって、その頑張りはいい。しかし、最近の「みい」の惨状はどういうことか。算数だけでなく、国語にも足を引っ張られるようになってしまったとは。 これでは、救世主になるのは、社会だけなのか。 でも、本当に最近の「みい」のカリテの成績はひどい。こんなんで、今のクラスにとどまっていいのか、はなはだ疑問。もっとも、公開はまったく落ちていない。むしろ上向きと言う感じ。 これは、あとになってしっぺ返しがくるということなのだろうか。
2005.05.27
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ミンダナオの旧日本兵情報、いったいどのようなケースなのだろうか。ただ日本に帰らないケースなら、インドネシアやミャンマーなどでも、現地に溶け込んだ形で残留している人はいるが。横井さんや小野田さん的なケースは80代になると生存が難しいとは思うが。 こういったケースにいつも横井さん、小野田さんの名前が出てくるが、モロタイ島の中村輝夫さんの名前が新聞などで挙げられないのはなぜか。彼は先の二人よりも潜伏期間は長かったのに、台湾人だから、はずされるのか。しかし、旧日本兵という立場では、まったく変わらないはず。中村(中国名は忘れてしまったが)さんの場合、残された妻が再婚していたり、苦労の度合いがまた違っていた。そして、帰還してあまり年月を経ずになくなったと思うが。 それにしても、降伏を許さない日本の軍隊教育っていったいなんだったんだろう。許さなかった高級将校たちは、敗戦の時に、自らの教育に責任をとって自決すべきだった。大元帥サマも含めて。それが、高級将校たちは高給の恩給を受け取っているのだから、あいた口がふさがらない。 ついでにいえば、浦和明の星の説明会で、説明した人が小野田さんの話をしていたが、あれは「横井さん」のケースと取り違えていた。この場合、ぱんふれっとの誤字脱字よりも、問題は大きい。やっと、受験ネタになった。
2005.05.27
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仙台育英高校の事故、なんともやりきれない事故だ。あの現場となった国道45号線、仕事で何度も通ったことのある道だが、運転しているとけっこう怖い道だ。確かに歩道も狭かったと記憶している。遺族の一人が、なんであんな道を歩かせたのかと、話していたのも理解できる。 それにしても、一向に減らない飲酒運転事故。危険運転致死傷罪が作られても、あまり予防効果はないのか。 ここで思ってしまうのだが、近年喫煙排撃運動が盛んだが、なぜか飲酒排撃運動が起こらない。喫煙には、肺がんなどの健康被害はあるのは事実だが、飲酒だって肝臓その他に立派に害を与えている。しかも、酒の上での殺人、傷害、交通事故はよく聞くが、たばこ中毒で人を殺した話は聞かない。タバコの火に気をとられて事故を起こすこともあるかもしれないが、飲酒運転と比べる人間はいないだろう。 良く言われるのが、駐車場付きの郊外型居酒屋が増えているが、あれはいったい何なんだ。 今度の事故、加害者がどれくらいの保険に入っていたか、あるいは入っていなかったかしらないが(飲酒運転でも、保険はおりるのだろうか)、賠償だって満足にできるかどうか疑わしい気がする(あの手の若いのが、満足な保険に入っているとは信じがたい)。その場合、飲ませた店にも、あるいは一緒に飲んでいた連中にも賠償を請求できてもいいのではないだろうか(店も当然飲酒運転で帰ることを予測できる場合は、法的に可能ではないだろうか。それで店がつぶれても、自業自得。よく、「生活がかかっている」といった弁解を聞くが、生活がかかれば何をしてもいいというわけではないはずだ)。 自分は下戸だし、タバコも吸わないが、少なくとも、タバコよりも酒の害の方がよっぽど大きい。税金も倍増してもいいのでは。 子どもを殺された親の身になれば、池田の宅間だろうが、奈良の小林だろうが、同レベルとしか思えない。
2005.05.26
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読売だったか、朝日だったか、ニート対策として、修学旅行で職業学習とでもいうものを取り入れているところが増えているとか。東京で、パン屋さんなどを訪れ、そこで仕事を体験するとか。 え、でも今、日本だったらパン屋さんぐらい、どこでもあるでしょう。そんなの、日常に地元でやればいいじゃない。せっかくの高いカネをかける修学旅行だったら、行ったところでしかできないものをやればいいじゃないかと思ってしまった。 そういえば、これもどこかの新聞に1年以上前に載っていた記事だが、ボランティア体験として、東北の方の中学が東京に来て、駅前の放置自転車の片付けをしたというのも出ていた。もちろん、ボランティアも放置自転車の問題も悪いとは思わないが、そんなの地元で日常のこととしてやればいいじゃないの。地元でやるから、ボランティアにしても職業体験にしても日ごろの生活に密着した、等身大のものができるのに。 子どもだって、せっかくの修学旅行。もう少し楽しませてやったていいじゃないの。 職業教育といえば、4、5年前にいた職場には、近所の中学生がときどき職場見学のために来ていた。ワタシもその説明役をやらされたりした。 こちらも、何を教えていいかよくわからなかったが、もし本当に何かを教えるのだったら、先生と打ち合わせでもして、もう少し考えれてあげればよかったと、今にしてみれば思う。別にウチの「製品」のユーザー?になってもらおうとは言わないが。 ただし、子どもたちがどこまで興味を持っているのか。質問もあまりなく、こちらの問いかけにも、ほとんど反応がなかったのが残念。
2005.05.25
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先日、塾のクラス別懇談会のついでに、国語の講師に記述問題の採点基準など、いくつか質問してみた。どうも、国語は難しい。解答をみても、「たしかにそれも悪くないが、こちらだっていいではないか」といったものがけっこうある。 結局、講師たちの間でも、見解が分かれるときが結構あるという。私立中の設問それ自体も、「ムリがある」「答えがないじゃないか」と感じることがあるという。 ただし、結局は受験と言う場。最終的には出題者が、どういう意図でこの問題を出しているかまでを考えなければならないという。 たしかにそうなんだろうな。 そういえば、試験問題に使われるのを嫌がる作家などでは、自分も意図しない正解があることなどをあげるときがある。 まあ、「作者は何をいいたいか」などという設問からすれば、「オレはそんなこといいたくない」ということもあるだろう。もっとも、文章がいったん作家の手を離れてしまえば、どう読むかは、読み手の自由。そういう読み方をされるということは、作家の側の表現力に問題があるのかもしれない。 たしかに、何を書いているかわからない文章、立派に本になっているものでも結構ある(オマエの頭が悪いと言われれば、それまでだが)。
2005.05.24
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そういえば、先日の運動会で書き忘れ。後片付けを、小学校を卒業してあそびに来た中学生たちが、けっこう手伝ってくれていた。ご苦労さまです。近頃、なにかと評判が悪い公立中学ですが、いい子はいっぱいいる。 小学校時代が楽しかったのか。こういう関係が維持できるのっていいもんだ。ワタシなんか、卒業したら、まったく足が向かなかったものだけど(別に小学校生活は楽しかったが、本人がものぐさなだけか。まあ、兄弟で一番下だったので、運動会に行く理由もなかったけど)。
2005.05.24
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よほどヒマなのに違いない。またまた、合同説明会に出てしまった。今度は4校。専大松戸、江戸川学園取手、芝浦工大柏、麗澤。 生徒の作った短歌を使いながらの学校紹介。これは上手。とても学校の雰囲気が伝わってくる(ような気がする)。海外研修を重視するところがあるのはいいのだが、あまりそれを中心に据えすぎると、なにか子どもの歓心を買うためだけにやっているようなきがしてきてしまう。 生徒同士、さん、くん付けで呼び合うようにさせるのはどうか。子どもを入れたいかどうかはともかくとして、「自分では入りたくない」と、断言してしまう。 まあ、所詮は学校側のPRの場。それでも、第一印象で決まってしまう場合があるのだから。 ついでにいえば、パンフレットなどにある誤字。これはいけません。教育機関として、もう少し校正作業をしよう。どんなに内容がよくても、印象が悪くなる。
2005.05.23
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運動会。去年も書いたが、相変わらず年寄りのマナーの悪さには驚かされる。また、玉入れの時に、ピストルがなってもなかなかやめない。(耳が悪くて聞こえないのか。でも、スタートの合図には、すばやく反応する)。ついに子どもたちから「ずるい、ずるい」とコールまで起こってしまった。困ったもんだ。 さて、リレーの選手がどうこう書いたが、「くう」は結局最終的にメンバーに選ばれず。まあ、しょうがない。また来年があるさ。 もう一人、とんでもないのが。障害物競走で、平均台から落ちて泣いていたのが。もう5年生だろ。ホントに。こっちも困ったもの。 さらに言えば、後片付けに参加する保護者は結局いつものメンバー。日ごろ忙しくて、学校の役などに参加できないのなら、せめて、こんなときになにかしなさいって。 相変わらずグチばかり。
2005.05.21
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あの千葉の動物園のレッサーパンダには笑ってしまった。パンダもそうだが、ワタシの知る限りでは、あれを最初に報じたのは、朝日新聞だと思う。しかし、あのおかしさが、わからなかったのか、地方版の小さな写真。それを面白がったテレビが全国ニュースで取上げ、20日には毎日が、21日には読売が全国版で取上げた。肝心の朝日は、先に地方版でやってしまったばかりに、全国版で取上げにくくなってしまったのでは。 くだらないといえばくだらないが、ニュースの価値判断って難しい。 ※ワタシが見た限りなので、事実関係は間違っている可能性ケッコウありますので、ご注意ください。
2005.05.20
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経済アナリストの森永卓郎氏の唱える、年収300万円時代の到来。いや、この間は、正社員が急速に減っている今、300万円もアブナイなんていってたっけ。 さて、ウチの娘どもが大人になるころにはどうなっているのか。それなりの収入を自分の手で稼ぐようになっているのか。それとも、高収入の配偶者を見つけているのか。親(ワタシのこと)は頼りになりそうにない。 今、子どもにゼイタクをさせることが、彼女らのためになるのだろうか。ゼイタクといっても、塾だってゼイタクの一つ。旅行だって、着る物だって、食事だって、けっこうな金がかかっている。世間一般からみて、それほどゼイタクとは思わないが、それが当然のことと思うようになったら(現にそう思っているに違いない)。 彼女らが将来、自分の子どもたちに、同じレベルのことを出来ないとき(多分できない気がする)、それを引け目と感じるようになったら。それは不幸なことだろう。たとえ貧しくても、上昇していく気分があれば、貧しく感じないだろうが、豊かではあっても下降していく気分ならば、貧しく感じるにちがいない。 不幸なことだよね。
2005.05.19
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いや~、子どもや奥様の話を聞いていると、今の習い事って本当に多岐にわたるようで。ワタシの子どものころには、学習塾のほかは、ソロバン、習字、ピアノぐらいしかなかった気がするが。 話に出てくるものだけでも、水泳なんてポピュラーすぎるほど。ほかにも新体操、ミュージカル、各種ダンス、サッカーもワタシのころは学校のクラブ活動だけだったのに、Jリーグチームの下部組織など高度なものが。 通わせている人は、いったいどれくらいを目標にやっているのだろうか。将来それで食べていけるレベルなんていうと、とてつもなく困難な目標になりそうだし。 その辺がセコイワタシは、「勉強が一番効率いいのかな」なんて思ってしまう。(それも効率悪そうな気が、最近してきている)
2005.05.19
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3校で1万人近くの受験者がいるだけあって、説明会場もぎっしり。そう、市川、東邦、渋幕3校の説明会にいっちゃいました(なんでそんなにヒマなんだ)。 まあ、結局この説明会ってやつは、話を聞いてもよくわからん。もちろん、話のうまい、ヘタはある。この3校でもくっきりとわかれていた。 でも、この話だけでは、学校のよしあしは決められないだろう。 まあ、それでも話だけみれば、渋幕が群を抜いていた。個別の生徒を例にとり、その子を通して学校の考え方を伝えるというもの。抽象的な教育理念を並べても、こちらが眠くなるだけ。眠くならなくても、「だからどうした」ということになってしまう。 障害を持った女子生徒を受け入れた例を引き(一般に私立は障害に対してどんな対応をとるのか、以前から聞いてみたかったことではある)、その子の成長を語るところは、やはりうまかった。また、級友の援助で修学旅行に参加したところは、その生徒だけでなく、周囲の生徒もともに育っていっているという、まさに理念を語ることにつながっていく。 話でも作文でも、やはり具体的な事例を挙げなくては。 その点、市川は箱モノ自慢のようなところが多く、ちょっと興ざめだった。 もちろん、この説明会ですべてを語っているわけでもなんでもないので、これでどうこうとは言わないが。
2005.05.18
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なんでも、IBMの社員でブログの書き込みがらみで解雇されたとかいうニュースが載っている。たしかに、こういう空間で、つい筆?が滑ってしまうこともあるだろう。ワタシも結構滑っている。あんまり会社のことは書かないようにしているつもりだが。 でも、一般論として、けっこうやっているような気がする。要注意か。 確かに、たいしたことを書いていなくても、偶然でも読み人間がいれば、わかってしまうものはわかってしまう。 自分でも、以前自分のものを読めば、結構いい加減にかいているのがわかる。
2005.05.17
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そろそろ、真面目にどんな中学があるか考えなければならないと思いはじめてはいるが、何を手がかりに考えたらいいものやら。 結局、頼りになるのは、偏差値ぐらい。もちろん、いい学校というのは、偏差値に関係なく存在しているのだろうが、何がどういいのか、さっぱりわからない。 さて、いろいろな案内に、学校の実績として上げられているのが、大学の進学、合格実績。 もっとも、これも何人の生徒がいるのかで違ってくるし、私立大学だと、一人で同じところの違う学部にいくつも合格するのであまりアテにならない。 それにしても、中学受験の偏差値ではあんまり高くなくても、けっこうイイ所に生徒を送り込んでいるところもあるが、逆に結構中学受験レベルでは偏差値が高くても、あんまりたいした数字を挙げていないところがある。 これは、素直にそこの教育を受けることによって、どれだけ伸びるか、あるいは伸び悩むかということなのだろうか。それとも、なにかウラがあるのだろうか。 一人でも、東大合格の名前を出したかったら、高校三年のあたりで開成あたりから一人札束を積んで、スカウトして転校させれば、東大の一人や二人、合格者をだせるような気がするが。まあ、そんなことやっているところはないか。 まあ、たかが12歳のときの学力が、そのまま維持されるわけではないだろうが。
2005.05.16
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ソルダムなどスモモ類は、異種交配しないと実がつかないということから、ウチの庭に導入された大石早生.今まで、花がちょっぴり咲くだけで、全く実もならず、そのくせ高さだけは高くなって、邪魔者扱いされていた(もっとも、この花があるから、ソルダムに実をつけることができたと思えば、それなりの貢献はしていたわけだが)。ところが、ことし、どうせムダと思いながら見上げてみたら、なんと、まだ梅干のタネぐらいの大きさだが、実が二つもついていた。いい加減、切り倒してやろうかとも思っていたが、その思いが通じたのか。 もっとも、食べられるまでに成長するか、今後のお楽しみ。 イチゴは相変わらずダンゴ虫との競争状態。もっとも、ダンゴ虫が半分食いかけていても、ふるい落とせば、十分食べられる。
2005.05.16
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塾にクラス別懇談会というものがある。まあ、我が家の事情で二つの懇談会に出席させてもらった(それぞれ日にちが異なるので)。 やっぱり、RとW2では、相当に雰囲気が違うものだ。Rでは、特に今年からディスカッションのようなものを取り入れたせいか、その成果が強調される。活発な議論が行われ、子どもたちの目が輝いていると。もちろん、今年から導入された制度だけに、「うまくいっていない」などと話したら、保護者の信用ががた落ちになるわけで、営業的にも「素晴らしい」と言わざるを得ないのかもしれないが。 だけど、ウチの子どもも「面白い」といっているところをみると、それなりに意義のあるものなんだろう。 ただし、「Rだから、これくらいできる」などと強調されても、やっぱり不得意課目だと、「そんなにできるわけがない」と、言いたくもなる(ウチの子に限ってみれば)。 片やW2。まあ、しょうがないことだが、先生たちもそれなりに、指導に苦労している様子が伺われる。とにかく、ペース(基本的な進度は、どのクラスも一緒)についてこされるのに手一杯(それでも、ついていけない)。やはり、覚えさせなければいけないことが多すぎると言う感じだ。 ちょっと気になったのが、保護者の側。W2の方が、人数はかなり多いはずなのに、出席者がRよりも少なかったこと。普段の保護者向け説明会よりも、クラス別の方が、より詳しい内容が聞けるのに、もったいない。
2005.05.15
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そういえば、塾で、今度警察OBと契約して、通塾路の安全確保などにのりだすらしい。単に塾の子どもだけでなく、地域全体の様子をにも心を配るとのこと。 まあ、駅前にあるから、人通りも多いので、それほど怖くもない気はするが。それでも、学校に男が乱入する時代。塾に乱入するのがいても、おかしくない。塾なんて、ある意味で目の仇にする人間もいるだろうから。もともと、ほとんどの教室は雑居ビルの二階や三階。出入り口は一つだけ。そこに多くの子どもたちがいるのだから、逃げるのも大変だろう。暴漢だけでなく、火事などがあったら、一発だ。 それにしても、進学実績だけでなく、塾が安全も売り物にするとは。防犯ブザーも無料貸与しているし。スゴイ時代です。 でも、コストアップだよね。
2005.05.14
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本日、説明会一校。とりあえず、通学可能な範囲がそこだけだったので、一つだけ聞いてきたが、ん~、どうかな。それなりに理念は語ってくれたが、今一つ心に響くものなし。ついでに、話の内容に歴史的事実を誤認している箇所もあったので、ちょっと興ざめも。 まあ、いっぱいいろいろなところを聞かないと、わからないということか。だけど、いろいろと数をこなすのも大変そう。 今後に期待。
2005.05.13
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知り合いが失踪したという話を聞いた。実は何年か前、まだ新入社員の時代にもいなくなったことがあるのだが。傷つきやすいというのか、仕事で行き詰まりがあったのか。今は部署が違うので、詳しいことはわからないが、かなり心配だ。最悪のことにならなければいいのだが。
2005.05.12
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うりぼうずの学校、昨日はクラブ活動とやらでいつもより帰りが遅い日。当然、塾に間に合わなくなる恐れがあるので、奥様が青いランドセルを持ってお迎えに。しかし、いつまでたっても出てこない。校門のあたりでは、他の習い事や塾のために子どもを迎えに来た母親たちの集団ができたとか。 途中で下校する6年生に聞くと、5年生が集団で「説教」を食らっているらしい。 ん~。もちろん、いろいろな説教をする必要があることもあるだろう。ただ、中には、ミュージカルの個人レッスンを受けている子どももいると聞く。そんなの、けっこう時給も高いだろうし。どこまで、学校に拘束されることが認められるか。 結局、1時間ぐらい遅れたとのこと。これからもこういうことがしょっちゅうあるのだろうか。
2005.05.12
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ここで書き始めてから、知らぬ間に1年が経っていた。いったい、これを書くのにどれだけの時間を使ったのだろう。いや浪費というべきか。 接続の定額制というのは、安いようで、とんでもないところで浪費を生むものだ。「この時間を、なにか有効なことに使っていれば」とも思うが、有効な使い道のアテがあるわけでもなし。そこが一番問題なんだが・・・。 まあ、いずれにしても、少しは節度を持った方がいいみたい。
2005.05.12
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どうも「みい」、算数の時間によく居眠りをしているらしい。苦手な算数のことについて、担当の先生に相談したところ、「ちょっと気になるところがあります」と。いったい何かと思ったら、そういうこと。以前にも、隣の子に起こしてもらったといった話を聞いたことがあるが、常習犯とのこと。 こちらを気遣ったのか「起きているときは、(その単元を)ちゃんと理解してますよ」といっていたが。 もともと、起きているときのテンションが高い娘。その代わり、眠るときはあっという間に寝てしまう。昔から、「くう」に比べると、良く眠っていたと思う。 あきれ返ると同時に、かわいそうだなと思ってしまった。確かに、最近は寝るのはほとんど11時過ぎになってしまっている(勉強やっているわけではないので、ちょっと同情心も薄れるが)。 ワタシも、子どものころは宵っ張りだったが、それは自分の好きな本を読んでの結果。苦痛でもなんでもなかったが。
2005.05.11
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そろそろ、中学の合同説明会が始まる。けっこう遠くまで行かなければならないこともありそう。でも、一度に二人ともなると、見ておかなければならないところも多い。とくに、「くう」の方はいたいどんなところを見ればいいのやら、まったく見当がつかない。 ホントーに大変そう。
2005.05.11
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イラクで武装勢力に拘束された男性、要するに、外人部隊に入って、そのまま英国の軍事会社に就いてって、話には聞いていたが、平和な日本から戦争を求めていく人は、やっぱりいるんだと、奇妙に納得してしまった。パイナップルアーミーなんかの読みすぎではなかった。年齢は、ワタシとほぼ同じ。 今回は、あまり自己責任論は出てきていないようすだ。それにしても、某新聞のコラムでは、正義の戦いであるイラク戦争を縁の下で支える戦争企業の企業戦士といった具合のことが書かれていた。この筆者は、過去の人質事件では、さんざん自己責任を振りかざしていたではないか。戦争ビジネスならば自己責任と非難されないのか。 しかし、ページをめくると、「高給が魅力でやめられない」という見出しが。別に本人のことではないが、戦争企業の実態について書いた記事だ。 生きて帰ってくることを願うが・・・。
2005.05.10
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子どもの学校の漢字の宿題で、漢字の書き順がある。これがなんとも面倒くさい。ドリルに書いてある、書き順を写すもの。あの、一画づつ、順番に書き並べてあるもので、十画ならば十マスが必要になる。 もともと、書き順にあまりこだわらないワタシが言っても、あまり説得力がないが、時間ばかりかかって、これで書き順が覚えられるのだろうか。漢字の練習がイヤになるだけではないのだろうか。手間をかければいいと言うものではないような気がするのだが。 先日、保護者のための算数教室のことを書いたが、あれは正しくは算数と理科を、普段子どもたちに対するのと同じような授業を保護者向けに行うものらしい。講師も、普段子どもたちが教えてもらっている講師が担当するらしい。つまり、クラスによって、それぞれ教え方が違うということも理解できるものらしい。果たしてどんなものか。面白い企画といえば、面白い企画だが。
2005.05.10
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せっかくイチゴが色づき始めたのに、地面に近いものは、ダンゴ虫の餌食となってしまっている。あんまりクスリを使う気にはならないので、いちいち、木の枝などで空中に持ち上げるという、緊急避難策をとってみる。果たして、こんな対策で大丈夫なのだろうか。まあ、ダンゴ虫がイチゴの茎を登っている姿はあまり見たことはないので、なんとかなるような気はするが。 ★今年のソルダムは、なんとか実が50個ぐらいはつきそうな感じ。真面目に?受粉作業やった甲斐があったのだろうか。それにしても、近縁の果樹の花でないと、受粉しないとは、いったいどんな仕組みなのか。これで出来たタネをまくと、一体どんなものが生えてくるのだろうか。
2005.05.10
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ウチの子どもに限っては、リレーの選手なんて、まったく縁遠いことかと思っていた。しかし、「くう」の方は、今度の新しいクラスが鈍足そろいだったのか、選ばれるかどうかの線上にあるという。「みい」は相変わらず、ドン尻の方だそうだが。いつの間に速くなったのだろう。そういえば、高跳びもけっこう跳べる方だと言っていたような気がするが。もし、選ばれれば、快挙。テストでいい点をとったよりもウレシイ気がする。
2005.05.09
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塾から、子どもが持ち帰った保護者のための算数教室のプリントには、一瞬ギクッとしてしまった。保護者の算数能力を確かめるのか。さもなければ、子どもに教えさせるために、保護者をまず鍛えようというのか。 たしかに、去年あたりなら、いかに算数とはいえ、わからない問題はなかったような気がするが、最近、若干怪しくなってきている。 とにかく、根気がない。ちょっと考えてわからないと、すぐに答えが見たくなってしまう(それでも、子どもよりは長く考えるような気がするが)。 おまけに、答えを見ても、いまひとつピントこないものまである。果たして、昔だったらわかったのか。
2005.05.08
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塾のお弁当タイムの娘たちの会話。「先生たち、ちょっとピリピリしてない」「やっぱり、(今年の受験の実績)○○に負けてるからじゃない」。だそうです。ホントにぴりぴりしているかどうか、わかりませんが、そんな会話もしてるんだと、おかしくもあり、怖くもあり。 親の会話の反映なのか。確かに、今年の実績をみていると、ちょっと下り坂かなと、ワタシも思った。
2005.05.07
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テレビのニュースを見ていたら、ゴールデンウイーク中に海外へ出かけていた人たちの帰国ラッシュだとか。そうか、まだゴールデンウイークは続いていたのか。お子様たちは、きのうから学校と、「夜間小学校」も始まり、さらに今日はテスト。ご苦労なことで。 そういえば、その夜間小学校から、「連休中はどんな勉強をしますか」と、目標と結果を書く紙を渡されてきていた様子。なんにも書いていないが、確かになにもやっていないのだから、書くこともないだろう。世間で10連休だなんだといっている中、勉強やれって言ったってそりゃ気の毒だよな。
2005.05.07
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横浜見物の最後に外国人墓地が公開されていんたのでのぞいてみた。ただ、お墓が並んでいるだけかと思いきや、面白い(と、言っては不謹慎かな)ものだった。 歴史的意義のある人物の墓として、明治期の日本の鉄道の開通に功労のあった人物など、入り口で渡されたパンフレットに記されているが、それ以外にも、墓碑を読んでいると、故人がどんな人生を歩んできたのかなどが簡潔ではあるが記されている。○○で何年に生まれといったことから、第二次大戦や朝鮮戦争に参加した米海軍の軍人であること、教育の発展に力を尽くしたといったものから、「サクラを愛していた」などと書かれた墓碑の横にはちゃんと、サクラが植えられたりしていた。形もさまざまで面白いが、この墓碑の記述は、日本の墓にはない面白さがある。 ちなみに、この墓、まだ立派に現役の墓地なんだそうだ。確かに、2003年になくなった人のものもあった。埋葬できる基準は、外国籍であること(外国製だったら誰でも自由に埋葬できるわけではないようだが)。 墓石の形など、こどもたちも結構面白がっていたようだが、一番の関心は、墓地内にいっぱいいたネコたち。ひたすら「かわいい」を連発していた。他に語彙はないんかね。
2005.05.06
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ゴールデンウイーク、結局横浜方面へでかけたが、石川町で下りて西洋館の方へ行く途中、フェリスだ横浜フタ葉などを発見。こんなことやっていなければ、なんとも思わなかったが、うりぼうずたちも、その辺を通る女子生徒の制服を見て、かわいいだのなんだの、ギャーギャーわめいていた。どうせ、縁ないだろうけど。
2005.05.05
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父親の梗塞から、はやくも一ヶ月半。すでに進行は収まり、あとはリハビリ次第と言う段階。 母親が悩まされるのは、父親の言動。リハビリの重要性を全く理解できないでいる。さらに、同室の人々とのコミュニケーションがあんまりうまくいっていない感じ。 普通の人ならば、梗塞した場所が悪くて、ぼけ(認知症って、なにかを認知してしまいそうな名前。認知不全症とかいうならわかりやすいが)の症状かとも思ってしまうが、別に梗塞をおこす前から、同じような言動、いや、最近というよりも、若いときから同じような感じか。 悲しむべきか、喜ぶべきか。母親とふたりで、苦笑してしまった。
2005.05.03
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以前、どくだみが繁茂していたところを、イチゴ畑にしたのは去年のこと。まだまだ生えてくるドクダミ(けっこう花は可愛いんだけど)を抜きつつ、イチゴを放置しておいたら、結構株数を増えた。そのいちご、本日やっと収穫。まだちょっと早いのか、すっぱいが、味はしっかり。イチゴジャムにするぐらい収穫できればいいが、いかんせん、いい加減な育て方。それでも、いっぱい受粉すると、実も大きくなるというので、筆の先で花をなぜたりもした。 もっとも、一度に収穫できるわけではないので、朝の食卓に二つづつくらい並ぶのが関の山かな。
2005.05.02
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テレビ東京の午後の映画番組で、やっていた映画。最初、タイトルを見たときに、「なんや、オカルト映画かいな」と思ったが、番組解説を見て、一時話題になった映画だったかなと、見ることに。 けっこう面白かった。アメリカの死刑制度については、けっこう聞いていたような気もするが、何日も前からその期日が告げられること、家族との別れの儀式もあること、さらに被害者の遺族も参観(処刑の場面を)できることなど、さすがアメリカ、違うなと思わされました。 日本では、死刑を執行した事実さえ明らかにせず、面会も判決確定後は親族だけ(だから、獄中結婚によって、夫婦になる人や、養子縁組をする人がいる)。あ、弁護士はいいのかな。応報とか、再発を防ぐ意味があるというのなら、被害者の遺族が希望すれば、公開するのも、一つの考え。もちろん、テレビ中継をしろとはいわないが、執行した事実でさえ隠しておくのはオカシイ。 さて、映画。ずっと、無期判決を受けた共犯者が主犯であると主張していたが、最後にシスターに自分が殺したと告白。冤罪ではなかったことがはっきりする。ここで、初めて死刑囚が悔い改め、最後に遺族に対して謝罪する。 彼が終身刑だったら、悔い改めることはあったのだろうか。 また、死刑を参観した遺族の一人が、死刑囚の葬儀の場を訪れる。その後、どんな展開になるかは描かないで映画は終わったが、ここで双方の遺族の交流が生まれるかもしれないことを暗示する。 死刑の是非が、いろいろと議論されるが、いずれにしても、死刑について、知らないことが多すぎる。
2005.05.02
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N研の日めくり問題に、「3つの文にそれぞれ誤りがあるので、その内容として、適切なものを選べ」という問題があった(4月26日)。 (1)牧羊犬は羊の群れを追って逃げる(2)先生に小説を貸してもらった(3)登校前には必づ持ち物を確認しよう。1と3はわかる。でも、(2)の誤りって・・・。 その後ろには、話のつじつまがあっていない、漢字の使い方が間違っているなどの理由の項目があり、その番号を答えるものだが。 結局、(2)の答えは、「敬語を使っていない」。でも、先生に対して敬語を使わないのが誤りなのか。敬語の使い方が間違っているのなら、適当な問題であろう。しかし、先生に対してであれ、敬語を使う、使わないは正しい、正しくないとは別の次元の問題ではないか。 もし、入試というものが、出題者の意図を推し量ることが眼目ならば、「敬語を使っていない」が答えだろう。しかし、それは国語ではないだろう。
2005.05.01
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