ようこそ!「雲の上はいつも青空」

ようこそ!「雲の上はいつも青空」

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

バックナンバー

2024年11月
2024年10月
2024年09月
2024年08月
2024年07月
2024年06月
2024年05月
2024年04月
2024年03月
2024年02月
2007年01月07日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類

6年前の今日、父は帰らぬ人となりました。今日のように、とても寒い日でした

当時東京で働いていた私の留守番電話に、仕事から帰ると姉から「父危篤、すぐ帰れ」のメッセージが。 夜遅かったので翌朝の始発便で熊本へ飛びました。 集中治療室に入ると、かろうじて一命は  取り留めたものの意識はなく、原因が解らないため 処置の施しようがありません。                                              開腹しても異常なかったとのこと。

その後、手を握って呼びかけると昼に一度だけ意識が戻り、ぎゅっと手を握り返してくれ、 必死に  何か言おうとしているのですが、人工呼吸器が入れてあるためしゃべることが出来ません。                                 「早く元気になって、また一緒にたくさん話そう」私からの父への最期の言葉。                              わずかにうなずいてくれました。

翌日、透析中に息を引きとりました。しかしあまりに突然のことで、諦めることが出来ません。                     ドクターにお願いし、私自身の手で心肺蘇生をさせてもらいました。これはものすごい運動量です。                    途中から姉(看護師)も手伝ってくれ、40分間続けました。しかしだんだん冷たく、硬くなっていきました。 「これ以上やっても、本人が痛いだけだからもう止めよう」私からそう言って止め、医師の死亡確認後、最初 に父に語りかけた言葉は「ありがとう、お疲れさま」でした。

遺体は解剖しましたが、結局原因は不明。血液に悪いばい菌が入ったのかもしれない、程度しか  分かりませんでした。 死後の処置のあと、最後まで自分たちの手で送り出したいと病院側にお願いし、私と姉自らの手で身体を拭き化粧をさせてもらい、 棺に納めました。きれいな寝顔でした

享年52歳。あまりにも早すぎます。ご近所の方も、つい2~3日前に朝、元気に愛犬の散歩を しているのを見ているので信じられないようでした。 葬儀では、喪主である母の代わりに会葬御礼の  ご挨拶をし、そこで父の人生を「太く短いロウソクが燃え尽きた」と喩えました

大好きだった父。一本筋の通った、曲がったことが大嫌いな人でした。遺言の一つもなく、ひと言も最期の会話すら出来ず、あの世へと旅立っていきました。 悩みに悩んだ末、一年後、私は熊本に  帰ってきたのです。今も、きっと天から見守ってくれているはず。

「自分の力でしっかり生きろ!」そう言っているように思います。                                        父に恥じぬよう、この熊本の地で力強く生きていきます






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年01月07日 07時51分59秒
コメント(12) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: