本日は人麻呂関連で大和新庄駅前にある柿本神社を訪ね、その足で畝傍山周辺、橿原神宮などを銀輪散歩して来ました。
朝10時半と遅くに家を出たので、橿原神宮前駅に着いた時には正午近く。駅構内の食堂で昼食を済ませ、近鉄南大阪線に乗り換え尺土まで。尺土から御所線に乗り換え、ひと駅先の新庄駅に着いたのは午後1時過ぎ。
柿本神社は駅のすぐ西側にある。
(尺土駅ホームから二上山を撮る。)

(近鉄御所線・大和新庄駅)

(柿本神社)
柿本神社は柿本人麻呂を祀っている。社伝によると、石見国(島根県益田市)で706年頃亡くなった人麻呂の遺骸を770年(宝亀元年)この地に改葬し、社殿を建てたのがこの神社の始まりとのこと。
人麻呂の死をめぐっては色んな説がありますが、それを記述していると字数制限に直ぐに達してしまいそうなので触れないで置きます(笑)。

(拝殿)
拝殿には褪色して殆ど判読できなくなっているが、36歌仙の歌を記した絵馬が掲げられている。このような額にすると36歌仙の36という数字に納得がゆく。縦軸、横軸、対角線どれをとっても6名となる。6歌仙の次は36歌仙でなくてはならないのだ。ということは、その次は36の2乗で1296歌仙となるのだが、これでは粗製乱造になり過ぎるし、巨大な絵馬になってしまうので、さすがに誰も言い出さなかったようである(笑)。

(三十六歌仙の歌の絵馬)
(春日造りの本殿)
本殿の左(南)側に「柿本大夫人麻呂之墓」と刻まれた墓碑がある。
これは、天和元年(1681年)に大和郡山藩主松平信之が建立したものとのこと。島根県の益田市までお墓参りに行くのは大変だから、ここに墓があるのはヤカモチとしては大いに助かります。

(人麻呂の墓)
墓の隣に「歌塚」なる石碑がありましたが・・。その隣にあった万葉歌碑の方の写真がない。どうやら撮ったつもりで撮っていなかったようである。それでと言っては何ですが知人のN氏のホームページにその写真がありましたので、借用転載させて戴きます。
(歌塚)

(人麻呂歌碑 <敷島随想・人麻呂の歌枕世界>
より転載)
春柳 葛城山に たつ雲の
立ちてもゐても 妹をしぞ思ふ (巻11-2453 柿本人麻呂歌集)
境内の続きに真言宗のお寺「柿本山影現寺
(ようげんじ)
」という寺がある。こちらの寺では、
紀僧正真済が彫った木造秘仏「人摩呂像」を祀っているそうな。この像は首が嵌め込み式になっているのだが、夜になると月の出る方向に向くと言い伝えられている。万葉歌では「かへりみすれば月かたぶきぬ」で明け方に月の沈む方向を彼は見ているのだが。
もともとは神仏習合で両者は一つのものであったのでしょうな。明治の神仏分離令で神社と寺とに分れたのでしょうが、境内を共有して居り、入口こそ別にしているものの、神仏習合いまだ健在といった風情である。
人麻呂の命日とされる4月18日には神社と寺共催のチンポンカンという五穀豊穣を祈願するお祭りが行われているそうな。
人麻呂は石見国へ赴任する前、奈良ではここ新庄と櫟本 いちのもと 、 JR桜井線・櫟本駅がある。 ) にも住んでいたそうだが、確かあちらにも人麻呂神社と柿本寺址というのがあったように記憶します。近いうちに行ってみます。何年か前に行ったことがあり、携帯で撮った写真もあるのだが、正確な場所を忘れてしまっています。また、晩年に同棲していた恋人(妻)の墓が大和高田市根成柿という地の天満神社にあるらしいのだが、今回は見つかりませんでした。また、その内に、です(笑)。
(影現寺)

(影現寺石標)

(本堂)
柿本寺を後にして東へ。畝傍山を目印に気の向くまま走る。バイパスなどは面白くないので、なるべく住宅の立ち並ぶ旧道など村中の道を行く。
(葛城山を遠望する。)
村中に入る手前で振り返ると葛城山に雲が立ち渡っている。上掲の人麻呂歌碑の歌「春楊 葛城山に たつ雲の・・」を彷彿とさせる眺めである。
因みにこの歌、原文では「春楊 葛山 發雲 立坐 妹念」と10文字で、万葉集中、最も短い歌であるらしい。
最も長い歌は、巻2-199の高市皇子挽歌で人麻呂作である。最短も最長も人麻呂であるのは、さすが「歌聖」と言われるだけのことはある(笑)。
(當専寺)
ちょっと立ち寄った村中のお寺。いい雰囲気でありました。
畝傍山に至るまでに3本の川を渡る。葛城川、曽我川、高取川である。
(葛城川)
(曽我川)
曽我川を渡って少し行った処で、家並みが切れ、畑中から眺める畝傍山はなかなか美しい。
香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくなるらし いにしへも しかなれこそ うつせみも つまを 争ふらしき (巻1-13)
という天智天皇の歌も思い浮かぶのである。
(畝傍山)
(高取川)
高取川は万葉では檜隈川で登場する。
さ
檜隈
檜隈川
の 瀬を速み
君が手取らば 言寄せむかも (巻7-1109)
佐檜乃熊 檜隈川之 瀬乎早 君之手取者 將縁言毳
(歌意)
檜隈川の瀬が速いので、あなたの手を取ったなら噂されるでしょうか。
では、本日はこれまで。続きは明日の( その2
)をご覧くださいませ。
<追記・注>
写真2枚(「人麻呂の墓」「影現寺石標」)
が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月12日これらを復元修正しました。
●
過去記事の写真が歪んでいたりすること
2020.10.12.
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