< 承前 >
観音潟・勢至公園を後にし、旧道を北へ。エホバの証人の昔「をとめ」達から教えて戴いた通り、最初の辻を右に行く。国道7号線の下を潜ると大きな池。竹嶋潟である。
竹嶋潟に沿って左に行くと白瀬南極探検隊記念館である。
( 白瀬南極探検隊記念館
)
白瀬南極探検隊記念館や探検隊のこと、隊長の白瀬矗のことは、上の写真のキャプションをクリックして戴くと記念館の公式ホームページに繋がり、そこに詳しく紹介されていますので、此処では説明を省略します。
子供の頃、白瀬探検隊のことを書いた児童向けの本をワクワクしながら読んだ記憶がありますが、白瀬は此処、金浦の出身であったのですな。
彼の辞世の歌だけ記して置きます。
我れ無くも 必らず捜せ 南極の 地中の宝 世にいだすまで
記念館の向かいは公園になっていて、鯨も泳いでいる(笑)。
時間もそこそこになったので、昼食にと道の駅に引き返す。
道の駅の建物はこんな建物です。最上階の6階、看板の下の塔屋部分が展望室です。
<参考> 道の駅象潟「ねむの丘」
道の駅象潟
・Wikipedia
1階の物産コーナーで土産物などを物色したる後、2階のレストランで昼食とする。ホテルでたっぷりの朝食をとった所為か暑さゆゑにお茶など冷たい飲料を飲み過ぎた所為か余り食欲もわかなかったので、稲庭うどんを注文。
メニューには岩牡蠣などもありましたが、小生は牡蠣は駄目ですから検討外でありました。吹浦から象潟へとやって来た正岡子規は途中の大須郷の宿に宿泊し、そこで食べた岩牡蠣が余程に美味しかったのか、随筆集「仰臥漫録」に「ウマイ、ウマイ、非常にウマイ」と書いているそうな。
残念ながら三崎公園への銀輪散歩では大須郷の辺りは国道7号線を走っていて、旧道ではなかったので、正岡子規が宿泊した宿跡というのは見落としになってしまいました。「ザンネン、ザンネン、非常にザンネン」であります(笑)。子規は奈良ではカキ(柿)を喰い、秋田ではカキ(牡蠣)を喰った。
牡蠣喰へば 波の音すなり 大須郷 (まさか子規)
まさかの子規ではなく、本当の子規がこの地で詠んだ句は、
夕陽 に馬洗ひけり秋の海 でありました。
上は道の駅のエレベーター前に架かっていた昔の象潟の写生図。下は同じくホール吹き抜けに架かっていた芭蕉の句の扁額。
昼食後、九十九島を再度廻ってみました。今回はザックは忘れませんでした。しかし、象潟駅で電車の時間待ちで駅前の喫茶店に入って気が付いたのですが、タオルがなくなっていました。多分、道の駅に置き忘れたか、九十九島のガタガタ道に気を取られて首に掛けていたタオルが風で飛んで行ったのに気付かなかったかのどちらかでしょう。
このタオルは友人の偐山頭火さんから頂戴した、河内温泉大学の銘の入ったタオルで愛用していたのですが、山頭火だけに象潟にとどまりたいと我がもとを離れて行ったのかも。
山頭火が象潟にやって来たか否かは調べていないので分かりません。新潟の村上市には山頭火の句碑がありましたから、村上までは来ているようですが・・。
象潟駅から特急いなほで新潟まで行き、そこから大阪へは飛行機です。新幹線で秋田や山形を回るより、はるかに近い。先々月の5月に山形県・鶴岡を銀輪散歩した際に利用したコースにて、もう勝手知ったる・・という感じであります(笑)。酒田・最上川もこのコースで来ればいいので、そのうちに折を見て・・と思っています。
象潟駅ホームに入ると賑やかな彩りの電車。回送車両のようだが、快速「きらきらうえつ」という電車である。
象潟や きらきらうえつも ねむりをり (偐眠眠)
まつほどに うつらうつらの 夏の駅 (偐眠眠)
欠伸ひとつ 象潟駅に いなほ来る (偐眠眠)
特急いなほがやって来ました。
以下の写真(烏賊の写真ではありませぬ)は、車窓からのもの。撮影は往路のものでありますから時刻が合いませんが、それで代用。偐家持は先程から偐眠眠になっていますので。
最上川は水量たっぷり。中洲が水に浸かってしまっていますから通常よりも増水しているのでしょう。それに水が随分と濁っていますから、上流で大雨が降ったのでしょう。
奥(億)の雨 集めて濁る 最上川 (偐眠眠「億の細道」)
新潟県村上市の沖合の粟島が見える。
ここは銀輪散歩で村上にやって来た時に成り行きで岩船港から船で渡ってしまった島で、懐かしい。
<参考> 粟島
2009.6.19.
というようなことで象潟銀輪散歩これにて終了です。長らくのお付き合い有難うございました。どちら様もお身体ご自愛専一、お元気にお過ごし下さいませ。 =完=
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