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【大阪市東淀川区の市営公園で今月19日、男児(2)が砂場を囲うフェンス扉のちょうつがいに指を挟まれて重傷を負った事故で、650公園933カ所のうち23公園27カ所でちょうつがいを覆う事故防止用カバーが外れていたことが市の緊急点検で分かった。(中略)カバーには子どもが足をかけて遊び、破損するため月1回の点検を原則としている。 東淀川区小松2の小松公園など2カ所では、市が08年2月の点検で気付き、その後も各12回点検していたにもかかわらず、1年2カ月間補修をしていなかったという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2009年4月28日) 大阪市は、これまでにも公園の遊具で事故が起きた際、遊具の一斉点検や緊急点検を繰り返してきた。この数年を見ても、年一回以上は緊急点検をしているような多さだ。ある時はブランコ、ある時はスプリング遊具、ある時は砂場などが点検対象となった。中でも、ブランコは市内全てのブランコの鎖と座板を回収しての三ヶ月にわたる点検だった。 これは定期点検が行われていての、事故後の緊急一斉点検なのだ。しかも、記事のように「市が08年2月の点検で気付き、その後も各12回点検していたにもかかわらず、1年2カ月間補修をしていなかった」と言う、こうしたお粗末な大阪市の点検体制は、厳しく批判されなければならないだろう。 そもそも、破損個所や不良個所を見つけて補修・整備するのが定期点検だ。破損個所を見つけていて補修しないのでは、点検は全く意味をなさない。砂場のフェンス扉の事故防止カバーは、「月1回の点検を原則としている」そうだが、財政難の大阪市にあって、この点検・補修の有様は、事故防止に全く役に立たない、税金の無駄使いだと言える。 大阪市での公園遊具による事故を無くすためには、遊具の点検はもちろんの事、大阪市の遊具点検の体制こそ点検されなければならないだろう。なお、今回のちょうつがいのカバー程度の部品なら、点検時に携帯して、破損があれば直ぐに補修するようにしておけば良かったと考えられる。(他の遊具も点検時に簡単な補修が出来るようにすれば、もっと良い。)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.30
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(その1からの続き、引用記事は再掲) 【我が家には、童謡のCDが4枚ある。そのうち2枚が日本語の童謡で、もう2枚が英語の童謡。1歳になる前からかけてあげていたのだが、今ほどおとなしく聴いてはいなかった。英語よりも、日本語の童謡の方がずっと好きらしい。(中略)機嫌が悪くてぐずりだしているときは、童謡の出番。これをかけだすと、大抵ピタッと泣きやみ、静かに遊び出す。童謡はよくできているなあと感心してしまう。長く歌い継がれている童謡はやはり、赤ちゃんの琴線に触れるようにできているようだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2009年4月27日) もちろん、一方でその音隔(おんかく)はその時代の楽器と不可分の関係にあるとは思うが、やはりDNAが心地よいとする音隔を発する楽器を生み出したとも考えられる。心地よい音隔の楽器の定着と共に、心地よい音隔は固定化し、ある一定の地理的範囲において普遍化する。それは、音隔がその時代の人々の共通認識になる事を意味し、音隔は音階に発展転化するのだ。 日本の音階の主体部分は、中国大陸や朝鮮半島の人々からもたらされたと思われるが、その音階が伝わる以前に、日本には音階はなくても音隔が存在していても不思議ではない。日本人そのものが、大陸や半島の人々との交わりのなかで発展して行ったように、音階も大陸・半島との交わりの中で、日本音階へと発展して行った。そして、その発展の仕方は、人が関与する事を考えれば、この事もDNAのなす業と見ていいだろう。 太古(縄文以前)の日本のなごりを、最も色濃く残していると言われる、沖縄・東北・北海道で、培われた「島歌」「津軽三味線」「アイヌ民謡」などに、現在の日本の多くの人々が惹かれるのは、私たち自身の中に静に息づく、太古の昔から連綿と受け継がれたDNAが、欲しているからかも知れない。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.29
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【我が家には、童謡のCDが4枚ある。そのうち2枚が日本語の童謡で、もう2枚が英語の童謡。1歳になる前からかけてあげていたのだが、今ほどおとなしく聴いてはいなかった。英語よりも、日本語の童謡の方がずっと好きらしい。(中略)機嫌が悪くてぐずりだしているときは、童謡の出番。これをかけだすと、大抵ピタッと泣きやみ、静かに遊び出す。童謡はよくできているなあと感心してしまう。長く歌い継がれている童謡はやはり、赤ちゃんの琴線に触れるようにできているようだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2009年4月27日) 童謡や童歌(わらべうた)のみならず、日本古来の旋律は、記事に紹介されているように「赤ちゃんの琴線に触れる」だけでなく、多くの日本人の琴線に触れるのではないだろうか。沖縄の「島歌」や東北の「津軽三味線」に、多くの日本人が惹かれるのも同じ事だ。この事について、一凡人のとりとめもない空想をめぐらせるとする。 日本に住む多くの人々が、日本古来の旋律に心が揺り動かされるのは、おそらくDNAが深く関与しているのだろう。縄文や弥生時代よりこの方、この日本に生を受けた多くの先人たちのDNAを受け継ぐ人々は、そのDNAによって日本旋律に惹かれるのだ。 人類の起源がアフリカにあるそうだが、少なくとも東アジアを経て、日本列島に住み着いてから何万年も経過し後、それでも音楽というものが生まれる(伝わる)はるか昔に、音階と言うには不確かな、音と音とのある音程の隔たり(「音隔:おんかく」と定義しておく。)は、その時代の人々に心地よいもののみが淘汰されていく。その音隔の淘汰は、まさにその時代の人々が持つDNAによる淘汰と考えてもいい。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.28
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こどもたちの「ごっこあそび」について、興味深い記事があった。【戦い遊びに興味津々だと思われる、幼稚園児や小学生1、2年生の男の子をお子さんにもつ親御さん。さっそく何人かに、お子さんはどんなゴムゴム技を繰り出していますか? と聞いてみたところ、多くの方が「ワンピースですか? うーん、あんまり子どもが真似しているのは見かけないような……」と考え込んでしまった。(中略)ワンピースは大人向けのマンガである、という人が結構いるが、その理由は、意外とこのあたりにあるのかもしれない。いや、ないか。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/エキサイト: ニュース:2009年4月26日) 記事を読むと、こどもたちは、テレビ(映画)や漫画本などのヒーローに憧れ、それを真似たごっこあそびをするものだが、必ずしも全てのヒーローを真似るわけではない事がわかる。そして、その理由の一つに、ヒーローが出ているのが「大人向けのマンガ」である事が挙げられている。 確かに、「漫画といえばこども」と言われた時代に比べ、青年やおとな向けの漫画が、ごく普通になった今日、ヒーローたちはこどもたちの関心や興味に沿う者たちばかりでは無くなった。また、戦隊物テレビドラマのような、実写版のヒーローの登場するドラマも、そのテーマやストーリー展開は、こどもたちには難解なものになっている。 要するに、純粋に「こども向けの」(あるいはこどもたちも十分楽しめる)ヒーロー物が少なくなってきているという事だ。さらに、戦隊物や怪獣物でも、そのターゲットである視聴者の年齢層が広がれば、明らかに被り物である事がわかる様な作り方では通用しなくなる。特殊メイクやCGが随所に採用され、映像のリアルさが追及されるようにもなる。 こうした変化は、こどもたちがアニメや漫画のヒーローを「ごっこあそび」の対象とするには、マイナス条件となるのだろう。私だけの印象かもしれないが、こどもたち特に男の子たちの「ごっこあそび」が少なくなっているように思えるのは、そんな事情があるからかも知れない。特に、小学生たちの「ごっこあそび」は、その印象が強い。 嘘(うそ)の世界のあそびと本物を突き詰める「リアルさ」とは、どこかで相容れないものかも知れない。また、「リアルさ」は「夢」や想像(空想)とも、ある意味では対極にあると思われる。「ワンピースごっこは流行らない」のは、こどもたちがその辺の事情を敏感に嗅ぎとっているからだと私には思えてくるのだが・・・「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.27
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この間、あそびによる高所からの転落事故が相次いで起こっている。【24日午後3時40分ごろ、大阪府豊中市曽根東町6丁目のマンション「シティコート3番館」(12階建て)の3階から近くに住む市立中学2年の男子生徒(13)が転落したと同級生から119番通報があった。豊中署によると、生徒は頭などを打って意識不明の重体。マンションで遊んでいて過って転落したらしい。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2009年4月25日) 今時のこどもたちは、外あそびが少なくなったと言われるが、記事のような高所でのあそびは見方を変えれば、一種の外あそびと見なせないだろうか。大規模集合住宅の廊下・通路・階段・屋上などは、許されない場所とは言え、新しい「外あそびの場」になっているのだ。 昔は家の前の路地や家の直ぐ傍の空き地であそんでいたが、今はそれと同じ感覚で高層住宅の通路や屋上でこどもたちはあそんでいる。昔の路地が通路、昔の空き地が屋上に当ると考えてよい。ただ、それらは高所にあるだけに、この新しい「外あそび」の場には、転落の危険性が付きまとう。そして、その危険性の認識さえ、こどもたちには高所生活の慣れにより、ともすれば薄らいでいるのだ。 だから、これらの条件の下、わざわざ遠くの公園や空き地に行ってあそぶよりも、すぐ傍にある高層住宅の通路で、安直にあそんでしまうのかも知れない。それを解決するには、高層住宅の新しい「外あそびの場」である通路や屋上を安全な構造に変えるか、こどもたちの身近な所に昔ながらの「外あそびの場」を新しく作るかが、課題となるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.26
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【鳥取県中部総合事務所は二十二日、湯梨浜町泊の県営住宅泊港団地内の公園で十八日午後四時ごろ、木製ロープ遊具(高さ四メートル)で遊んでいた同町内の中学一年の男子生徒(12)が転落し、腕を打撲した、と発表した。つかんだ遊具の鉄製部品が外れ、バランスを失ったものとみられる。県はほかの県営住宅内にある遊具の点検を行う。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2009年4月23日) この記事の事故をはじめ、公園の遊具による中学生以上のこどもたちやおとなの事故も少なくない。「そんな年齢になって、こどもの遊具で遊ぶから」と言う見方もある。しかし、老若男女の誰もが利用できるのが公園であり、こどもを膝の上に乗せてブランコ、こどもとシーソーと言うように、決しておとなが公園の遊具を使用する例は少なくないし、通常の使用方法では、その行為も不法・不適切な行為でもない。 また、反対に最近増えだした、おとなや高齢者向けの遊具をこどもたちが使用する事もある。それも、あながち否定も出来ないだろうし、禁止しても張り紙・掲示物だけでは、防止は難しい。小さいこどもたちが使用した事で、事故が起こるような遊具は、様々な年齢や身体的状況の人たちが訪れる公園に、設置する事自体を考え直すべきかも知れない。 この様に、遊具にはその機能により対象年齢の設定が必要となる物も考えられるが、その対象年齢を遊具の使用者に遵守させる事は難しい。特に、前記のように不特定多数の訪れる公園の遊具には、対象年齢はあくまでも目安程度に留めて、その安全性はこどもからおとなまでを視野に入れて、確保するように最善を尽くす事も望まれるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.25
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(その2からの続き、記事は再掲) 【東京都老人総合研究所の矢冨直美主任研究員(「自立促進と介護予防研究チーム」は、「脳トレと認知症の関係」と題されたレポートを「老人研NEWS No.230」に発表した。レポートにはアルツハイマー病に冒されていても102歳で亡くなるまで認知症の症状を示さなかった女性の例を挙げ、日ごろから頭を使う生活をしている人、文章を読んだりチェスやトランプのようなゲームをよくしている人は、認知機能が鍛えられているため認知症になりにくいとしている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ケアマネジメント オンライン:2009年4月19日) 高齢者の認知予防や、身体機能のリハビリ・トレーニングに、遊びそのものを活用する事は大切ではあるが、幼児やこどもたちのあそびを、そのまま導入するような、ともすれば高齢者のプライドを傷つけるような取り組みも少なくない。高齢者のプライドに配慮した遊びの提起が必要だ。 遊ばされているとか、遊んでもらっていると言うよりも、自らが主体的に遊んでいると言う実感を持ってもらう事が必要で、そのためにも高齢者ならではの遊びを創造する事も課題となるだろう。トランプ・将棋・麻雀などすでに、得意な遊びや好きな遊びがあればいいが、そうした遊びを、その時点での身体的能力により出来ない人のためには、全く新しい遊びを生み出す事も望まれる。 やらなければならないリハビリより、やりたい遊びによるリハビリは、最も楽しいやり方であり、その事でより長続きし、結果として大きなリハビリ効果を上げるだろう。そして、遊びには遊び友達の存在が、さらに効果的にするだろう。こどもたちのあそびの歓声だけでなく、高齢者の遊びの歓声も聞こえる、そんな町がいつか来る事を願うものだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.24
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(1からの続き、記事は再掲) 【東京都老人総合研究所の矢冨直美主任研究員(「自立促進と介護予防研究チーム」は、「脳トレと認知症の関係」と題されたレポートを「老人研NEWS No.230」に発表した。レポートにはアルツハイマー病に冒されていても102歳で亡くなるまで認知症の症状を示さなかった女性の例を挙げ、日ごろから頭を使う生活をしている人、文章を読んだりチェスやトランプのようなゲームをよくしている人は、認知機能が鍛えられているため認知症になりにくいとしている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ケアマネジメント オンライン:2009年4月19日) 「脳トレ」が認知症になりにくくするとは言え、単なる脳のリハビリ・トレーニングでは、よほどの精神力がなければ長続きしない。その点で、脳を使った楽しい活動である、記事のような「チェスやトランプのようなゲーム」は大変意義のある活動となる。そして、この活動は、まさに「遊び」そのものと言っても差支えが無い。 このリハビリやトレーニングは、脳のみならず、手先・足先はもちろんの事、唇や目の動き、さらには腰の動きなど、身体各部の機能にも有効なのは言うまでも無い。それは、老人施設などでは、すでに多くの実例がある。ただ、遊びというよりも、まだまだ「リハビリ」「トレーニング」としての色彩が強い。「リハビリ」や「トレーニング」も意義の大きい取り組みではあるが、もっと楽しく取り組むには、遊びを積極的に取り入れる必要があるだろう。 もちろん、遊びやそれに近いスポーツ活動としての取り組みもあるが、遊ばされている、あるいはやらされているなどと言った思いを、高齢者に与えている取り組みは無いだろうか。高齢者が自覚的に楽しくやれるのは、やはり純粋な遊びに勝るものは無いだろう。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.23
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【東京都老人総合研究所の矢冨直美主任研究員(「自立促進と介護予防研究チーム」は、「脳トレと認知症の関係」と題されたレポートを「老人研NEWS No.230」に発表した。レポートにはアルツハイマー病に冒されていても102歳で亡くなるまで認知症の症状を示さなかった女性の例を挙げ、日ごろから頭を使う生活をしている人、文章を読んだりチェスやトランプのようなゲームをよくしている人は、認知機能が鍛えられているため認知症になりにくいとしている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ケアマネジメント オンライン:2009年4月19日) 日頃から脳をトレーニングしていれば、認知症になりにくいと言う事だが、この記事で特に注目したのは、「アルツハイマー病に冒されていても102歳で亡くなるまで認知症の症状を示さなかった」の一節だ。脳には、部分的に細胞が死滅しても、それを補う仕組みが備わっている事を、違った角度から実証した例と捉える事ができるだろう。 人間は成人すると共に、脳細胞は死滅し始めると言われているが、一方で新たな脳細胞も生まれているそうで、さらにシナプスの結合は絶えず生成・消滅を繰り返している。当然、それらの細胞の誕生・死滅やシナプス結合の生成・消滅は、その時々の脳活動と密接な関係にある。 そうした脳の生命力が、「アルツハイマー病」や「脳損傷」と言う、極めて厳しい条件をも、一定の限界を持ちつつも克服しているのだ。その克服には、適切な脳活動が必要で、その活動は脳の「リハビリ」「トレーニング」として、多くの実践的事例がある。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.22
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この間、公園の遊具で身体の一部を挟まれる事故が相次いだ。幸いに重篤な状態ではなかったが、依然としてこのような事故が後を絶たないのは残念だ。【大阪市平野区加美東2丁目の市営公園で、近くに住む小学3年の女児(8)が遊具に付いた手すりに頭を挟んで抜けなくなった、と近くの住民から119番があった。駆け付けた消防隊員が救助し、けがはなかった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/サンケイスポーツ:2009年4月15日) 【静岡市駿河区宮竹の市立高松公園に遊びに来ていた小学4年の女児(9)=同区西脇=が、鉄パイプ製の飛行機型ジャングルジムに右ひざを挟み軽傷を負った。静岡南署が事故の詳しい原因を調べている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MSN産経ニュース:2009年4月20日) どちらも市営の公園であり、設置される遊具の安全審査は行われていたはずだ。後者のジャングルジムは、同記事によると安全基準を満たしていたそうだが、ではこれらの事故は何故起きたのだろうか。両記事からの推測ではあるが、遊具の点検・整備不良に拠る、破損やガタツキなどに起因する事故ではなさそうなので、事故の原因としては遊具自体の構造上の問題が考えられる。 そうすると、遊具の構造上の、安全審査や安全基準は、結果的に不十分であった事になる。該当遊具に、頭や手を挟む恐れのある個所があり、さらに挟まっても簡単に抜けないとか、挟まって怪我をするような、構造上の弱点や欠陥が存在していたと思われる。 もちろん、記事の両事故が、こどもたちの不適切な使用の仕方に一因があったとしても、遊具はそうした使用の仕方に対応できる構造が望ましい。なお、遊具に身体の一部を挟まれるといった事故は、以前にも多くの事例があるので、そうした対応がとられている遊具も多い。両事故の徹底した原因究明と、その結果公表を望むものだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.21
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【都市部では、公園など子どもたちが屋外で遊ぶ場所が減少しています。そんな中、子どもたちに遊び場を提供しようとする新しい試みを取材しました。(中略)警察と自治体の許可を取って、都心の路地を一時的に封鎖し遊びスペースに変えてしまう、その名も「移動式子ども基地」。子どもであれば誰でも参加でき、力いっぱい遊ぶことができる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/FNN:2009年4月18日) 屋外であまりあそばなくなったと言われる今時のこどもたち、そんなこどもたちに外あそびを奨めても、肝心のあそび場が無ければどうしようもない。こどもたちの外あそびのためには、国や自治体の町づくりの政策を根本的に改める必要がある。されど、それがあそび場として実を結ぶには時間がかかる。 記事は、そんな状況下でも、何とかしようと始まっている取り組みの一つだ。NPO(民間非営利団体)が運営されているそうで、こうした活動をされている方に、敬意と感謝を表しつつ、さらなるご奮闘と、これに続く新たな取り組みが全国各地で進む事を期待したい。 さて、記事によると、「移動式子ども基地」は「警察と自治体の許可」によって実現していると言う事だが、こうした自治体の配慮に大いに感謝しつつも、願わくば場所の提供だけでなく、町に外あそびの場が増えるまでの過渡的政策として、資金援助を含めたもっと積極的な、国や自治体の支援が望まれる。 なお、国や自治体は放課後のこどもたちのために、「放課後子どもプラン」を実施しているが、そうした取り組みでの外あそびの充実をはかっていただきたい。そのためには、小学校の校庭の活用だけでは、全てのこどもたちの外あそびの場としては十分ではない。校外のあそび場を活用する事と、外あそびのためのあそび場の新設も必要となるだろう。現文部科学大臣は「外あそび」をかなり重視されているそうだが、言葉だけでなく実際に外あそびが出来るような国づくりを進めていただきたい。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.20
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(その3からの続き、引用記事は再掲) 【岐阜県警多治見署は13日、名古屋市中村区、型枠大工の少年(16)を窃盗と建造物侵入の疑いで逮捕した。(中略)少年は昨年8月上旬頃、同県多治見市本町の玩具(がんぐ)店に侵入し、店内にあった人気アニメ「ガンダム」などのトレーディングカード約4000枚(販売価格約277万円)を盗んだ疑い。少年はこのうち約800枚を同県土岐市内のリサイクルショップに約20万円で売却していた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年4月14日) メンコが、世の流れの波に乗って、人気キャラクターに莫大な版権を支払うようになった事は、メンコ自らの墓穴を掘る事につながったと言える。高いメンコではもったいなくて、投げたり、ぶつけたり、飛ばしたりするような、乱暴な?扱いはできないのだ。特に、多くのこどもたちに人気のあるキャラクターのメンコは尚更だ。 その証拠に、ネットオークションに出される、比較的最近のメンコは、中古品(開封品)であっても結構美しい状態のものがある。おそらく、メンコ本来のあそび方をされずに、コレクション的な楽しみ方がされたのだろう。この様に、メンコの終末期は、メンコという実体の無い、単なる古い顔をしたコレクションカード玩具としての、哀れな姿を曝す事となったのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.19
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(その2からの続き、引用記事は再掲) 【岐阜県警多治見署は13日、名古屋市中村区、型枠大工の少年(16)を窃盗と建造物侵入の疑いで逮捕した。(中略)少年は昨年8月上旬頃、同県多治見市本町の玩具(がんぐ)店に侵入し、店内にあった人気アニメ「ガンダム」などのトレーディングカード約4000枚(販売価格約277万円)を盗んだ疑い。少年はこのうち約800枚を同県土岐市内のリサイクルショップに約20万円で売却していた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年4月14日) さて、トレカの「レアカード」に似通ったものも、実はメンコにも存在していたのだ。それは、くじ引き形式の販売方法をとったメンコで、「当り」だと一般のメンコとは違って、表面がツルツルにコーティングされていたり、縁が金色だったり、少しだけ肉厚だったりするメンコになるのだ。さらに、その時代時代の人気キャラクターのメンコも、「レアカード」にもなったが、意外とその「レア」さは個々のこどもたちにとっては違う場合もあった。 ともかく、メンコにも存在した「レアカード(メンコ)」が、引用の記事のような、歪(いびつ)な形に発展しなかったのには理由がある。それは、あそび方が根本的にトレカとは違っていたからに他ならない。「レアカード」が存在していても、裏返したり飛ばしたりする、本来のメンコとしてあそび方が、こどもたちにとって最も面白いあそび方である間は、行き過ぎた「コレクション」へは発展しなかったのだ。 反対に、メンコ本来のあそび方が続いている限り、メンコに高額な版権料を支払ってまで、人気キャラクターを採用する必要も無かったのだ。メンコは、メンコ本来のあそび方をした場合、傷むのは当然で、それは消耗品となる。賭け合って本当に取り合えば、負ければ新しいメンコを買わなければならない。要するに、メンコは時間が経てば、何度も新たなメンコが売れるのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.18
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なお、この記事は都合上、削除(コメントも含む)する可能性があります。よりまして、コメントはご辞退申し上げます。 「完全無所属」が虚偽記載に当るとして市民告発された知事、記者会見の発言が自己矛盾に満ちた発言である事に気付いておられるのだろうか。自由民主党の支部長である事を指摘され、それに答えて「無所属で出馬すると決心した時に支部を解散するよう事務所に指示したが、解散手続きは煩雑なため選挙が終わってからということになった」と発言された。 この発言には、幾つかの疑問点がある様に思われる。この発言は、「完全無所属」である、自民党に全く関係の無い一個人が、自民党の支部を解散できる事を意味し、それは極めておかしな状況となる。「完全無所属」なら自民党の支部を解散できる権限は無いはず、と言う自己矛盾があらわれる。 さらに、一歩譲って、自民党の支部解散が今後行われるとして、暫定「完全無所属」である一支部長の指示で支部を解散できると言う事は、その自民党の支部が、支部長独裁と言う非民主主義的体質を持っているのだろうか。それとも、支部自体が所属党員のいない実体の無い、ダミー的な組織となるのだろうか。どちらも、県民の生活を任せるには問題点があるように思われる。 では、かの知事がご主張されるように「完全無所属」になるには、どうすればいいのか。それはごく簡単な話で、自民党の支部長を辞任するだけでよかったのだ。どんな組織にも辞任する自由はある。辞任できないような組織なら、それは極めて問題が大きくなる。それにも拘らず、支部長を辞任しなかったのは何故なのだろうか。告発した市民などが指摘するように、自民党支部の政治資金を頼りにしていたのだろうか。かの知事は、その事も否定されているが、それでは支部長を辞任しなかった理由がさっぱりわからない。 次に、「完全無所属」を標榜した事について、かの知事は「推薦を受けた候補は政策を政党とすり合わせていたが、私は一人で考えた。」から、「完全無所属」と言われる。これでは、候補者一人で考えた人なら、たとえ政党の総裁(代表)であったとしても「完全無所属」になってしまわないか。ここに、また自己矛盾が顔を出す。 この様に、完全には無所属ではなかった、かの知事が「完全無所属」を強調すればするほど、その発言には自己矛盾が必然的に顔を出すのだ。以上は、単なる一私人の、素直な疑問と感想だが、これらの疑問点に理路整然と答えられないようでは、知事としての能力に大きな疑問が持ち上がる。もし、答えられないならキッパリと知事を辞任されるのが、一世一代の「日本男児」としての身の振り方となるだろう。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.17
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(その1からの続き、引用記事は再掲) 【岐阜県警多治見署は13日、名古屋市中村区、型枠大工の少年(16)を窃盗と建造物侵入の疑いで逮捕した。(中略)少年は昨年8月上旬頃、同県多治見市本町の玩具(がんぐ)店に侵入し、店内にあった人気アニメ「ガンダム」などのトレーディングカード約4000枚(販売価格約277万円)を盗んだ疑い。少年はこのうち約800枚を同県土岐市内のリサイクルショップに約20万円で売却していた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年4月14日) かつてメンコはこどもたちの一日のお小遣いで、数十枚ほどは買えていたが、メンコが駄菓子屋さんの店頭から消える直前は、それが数枚程度までに大きく変化していった。このメンコ価格の高騰は、当然こどもたちのメンコを使ったあそび方にも変化を与える。 その変化は、昔のように、メンコを投げて当て合ったり、遠くへ飛ばして距離を競ったりするあそび方、何よりもメンコを賭け合って本当にメンコを取り合うあそび方を、難しくしていった。その流れの中で、メンコを使ってあそぶ事より、コレクションして楽しむ方向に変化していったのだ。 一方、トレカは、そのはじめからメンコのような、手先を使った技術系のあそびではなく、主に頭脳系の対戦ゲーム(トレーディングカードゲーム)として楽しむように作られている。また、初期の頃からカードに描かれる画像は、著作権や版権をクリアしたものも多く、当然その事はトレカ自体の価格にはねかえる。 トレカの著作権や版権の価格そのものも、その画像の人気度に比例して高値となる。よって、中小零細企業より大企業の方が、条件的に人気の高いキャラクターの版権を取得できるのは、当然の事となる。人気キャラクターのトレカは、それを使ってあそぶ事もさることながら、こどもたちの蒐集欲をくすぐる事になり、コレクション的な楽しみ方は、トレカの出始めの頃から備わっていたと考えてよい。 ともかく、トレカが主に大企業により製作・販売される事は、その販売戦略にトレカ独特とも言える方法が導入される事に結びついていく。それは、トレカ製作企業(メーカー)による意図的に作られた「レアカード」戦略だ。対戦型のトレカなら、特殊な能力を持ったカード、コレクション的なカードなら一般のカードと差別的な装飾・装丁をほどこしたカード、などを「くじ引き的」手法を伴って販売されたりする。時には、そのトレカのためのイベント会場でしか手に入らないカードなども繰り出される。 こうした、「レアカード」はより一層こどもたちのコレクション熱をヒートアップさせるのだ。トレーディングカードと言われる所以であるトレカ同士の交換は、「レアカード」では1対1の交換ではなく、1対複数の交換となる。さらに、カードを中古品として再販売する業者は、その「レアカード」に、とてつもない価格を設定する事も少なくない。その一つの行き着く先が、引用記事のような事件だ。 この様に、トレカはメンコとは違って、カードを使ってあそぶ事もさることながら、よりコレクション的な楽しみ方、行き過ぎれば利殖の手段としても利用されるように変質していく。トレカのこの様な楽しみ方やコレクション一般を否定するものではないが、少なくともこどもたちのあそびの世界においては、意図的な「レアカード」戦略は、ほどほどの程度にとどめていただきたいと思っている。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2009.04.16
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【岐阜県警多治見署は13日、名古屋市中村区、型枠大工の少年(16)を窃盗と建造物侵入の疑いで逮捕した。(中略)少年は昨年8月上旬頃、同県多治見市本町の玩具(がんぐ)店に侵入し、店内にあった人気アニメ「ガンダム」などのトレーディングカード約4000枚(販売価格約277万円)を盗んだ疑い。少年はこのうち約800枚を同県土岐市内のリサイクルショップに約20万円で売却していた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年4月14日) トレカ(トレーディングカード)は、昔のメンコ(面子)になぞらえられる事がある。しかし、この両者を対比してみると、こどもたちのあそびの現状や変化が浮かび上がってくる。それは、この記事のような事件が起きるひとつの背景ともなっている。そこで、メンコとトレカを対比しながら、こどもたちのあそびの現状と変化について見ていくことする。 同じ紙物玩具であるメンコとトレカの関係を見ていくと、トレカの流行とともにメンコが衰退して行ったと見なせる状況がある事に気付く。では、この紙物玩具におけるメンコとトレカの交代劇は、どの様な事情のもとに進行していったのだろうか。 メンコもトレカも、そこに描かれている絵柄は、その時々の、人気のある映画・テレビなどのスターやキャラクター、相撲・野球などの人気スポーツの選手などで共通している。だから、どちらも蒐集して楽しむという側面を持っている。しかし、大きく違うのは、メンコが主に中小企業や零細企業により生産・販売されていたが、トレカは大企業により生産・販売されるようになった事だ。 おもちゃの生産・販売に大企業の進出は、メンコやトレカに留まらず、それらの玩具と同様に、こどもたちが日常に用いるおもちゃ全般に及ぶ。ともかく、しばらくの間、こどもたちの日常玩具において、中小企業製品とと大企業製品が共存する事となる。 こうした状況の上に、社会状況の変化も少なからず影響を与える。それは、著作権の運用が厳しくなってきた事だ。それまで、メンコに使用される画像は、版権を取得したものが基本的に少なく、いわゆる「パッチ物(バッタ物)」が主流だった。ある意味では著作権者や版権元が寛容だったのかも知れない。 しかし、社会情勢は著作権・版権擁護に大きく変化していく。これ自体は極めて正当な動きで、なんら問題は無いのだが、メンコを生産・販売する中小零細企業には、大きな負担となっていく。結局、メンコ単価が徐々に高くなっていく事となるのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.15
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【日本折り紙ヒコーキ協会の戸田拓夫会長(52)=広島県福山市=が11日、紙飛行機を飛ばして滞空時間27秒90を記録、98年10月に米国の男性が出した27秒60の最長ギネス記録を破った。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2009年4月11日) 折り紙飛行機に限らず、無動力の手作り飛行機を飛ばした者にとって、どれだけ長く、どれだけ高く、どれだけ遠く、飛ばせるかは大きな関心事となっている。この記事だけでは、機体が折り紙飛行機なのか、単なる紙飛行機なのかは定かではないが、ともかく世界記録を達成された事に、大きな拍手を送りたい。 なお、日本折り紙ヒコーキ協会のサイトによると、折り紙飛行機の世界記録も、戸田拓夫会長が樹立されたそうだが、日本の紙飛行機の技術の高さは相当なものだ。 ところで、この折り紙飛行機の滞空時間記録は、もっぱらおとなによって樹立されている。これはこれで、素晴らしい事だが、こどもたちだけによる記録会も開催されているとは思うが、もっともっと各地で行われるようになればと思っている。昔に比べてこどもたちが飛ばす紙飛行機は、断然減ってきているように思うからだ。今や、伝統的な折り方さえ、こどもたちの間では十分に伝わってはいない。 こうした記録会が、こどもたちの紙飛行機への興味を大きくし、やがてそのこどもたちの中から、折り紙飛行機の世界記録保持者が生まれる時が来る事、そして何よりも折り紙飛行機を飛ばすこどもたちの歓声が、町のあちこちで、飛ばされた紙飛行機に乗って、青空いっぱいに響きわたる、そんな日が来る事を願っている。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.14
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【紙や土で作られた郷土玩具約130点を集めた特別展「おおさかのおもちゃ」が、大阪府高槻市城内町の市立しろあと歴史館で開かれている。(中略)同館の中西裕樹事務長は「安価な玩具は廃棄されることも多く後世に伝わりにくいが、当時の生活の一端が垣間見える貴重な文化財。気軽に展示を楽しんでもらえれば」と話している。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MSN産経ニュース:2009年4月4日) 団塊の世代の私でさえ、「おおさかのおもちゃ」と言われてもピンとこない。おそらく、ほとんどの大阪府民の方は、何が「おおさかのおもちゃ」であるかは、ご存知ではないかも知れない。記事には、その例として「張り子の虎」と「勝間凧(こつまだこ)」を挙げているが、その「勝間凧」は私の住む町のすぐ近くの物だった事を、つい最近知ったようなありさまだ。 おそらく、その「勝間凧」のご当地であるわが住吉区や、お隣の西成区の住民の方で、それを知っている方はごく少数だろう。もちろん、「勝間凧」は、現在は生産・販売はされてはいないし、「勝間凧」が大空に舞っているわけでもない。また、わが住吉区には、住吉大社ゆかりの玩具が幾つかあるようだが、それとて知る人は少数だ。 さて、「おおさかのおもちゃ」のような、いわゆる郷土玩具は、記事にある「安価な玩具」と言えるのかどうかは疑問に思う。確かに、そうした郷土玩具が隆盛を極めていた時代においては、「安価な玩具」であったかもしれない。しかし、郷土玩具の多くが持つもう一つの特徴である、手作り・少量生産品である事が、大量生産品の玩具の登場により、結果として「高価な玩具」に変質してしまったのだ。 そして、この多くの郷土玩具がもつ「高価な玩具」と言う新たな特徴が、民芸品・工芸品として延命するか、衰退・消滅するかの二つの運命をたどらせた。どちらにせよ、こどもたちが普段の生活の中で用いる「おもちゃ」としての役割は終わりを告げたのだ。後者の運命をたどったのが、他でもない「おおさかのおもちゃ」なのだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.13
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私の小学校の思い出で、今なお鮮明に思い起こせるのが、およそ50年前の遠足の思い出だ。小中高大と続く学校生活の中で、唯一行き損ねた遠足の苦い思い出だ。行き先は阪急沿線の「長岡天神」だった。遠足の少し前に罹った「おたふくかぜ」のためだが、小学生にとっては最も楽しい学校行事のひとつである遠足に行けない、これほど悔しい事はそうは無い。 ともかく、その行きそびれた遠足の目的地に、いずれは行ってみようと思っていたが、あっという間に50年もたってしまった。行く気になれば全く不可能な事でもなかった。比較的近くにあったので、何時でも行けるというのが、かえって行く機会を逸してしまったのだ。その50年来の思いを、やっと昨日果たすことが出来た。 阪急京都線の長岡天神駅を降り、少し大阪よりに戻って参道に出ると、正面に大きな鳥居が目に入る。「ああ、ここがあの長岡天神か!」と50年来の思いが込み上げる。この鳥居は、見たままの「大鳥居」と言うそうだが、見ての通り年代は古くは無いと思われる。確実に50年前には無かった鳥居だが、青空をバックにして、その姿は清清しい。 大鳥居をくぐると、社殿に通じる道の両側に、昔の時代に灌漑用として作られた八条ケ池が広がる。手前右側の土手には桜がまだ満開の勢いが残っている。土手の何ヶ所かに設けられた張り出し部では、花見の客が早くも宴の最中だった。 その向かい側には「水上橋」と名付けられた木製の水上回廊が、同じく水上の四阿(東屋:あずまや)まで続いていており、「水上橋」の上では多くの人が池の鯉に目をやっていて、その光景を見ているだけでも、のどかな気分にしてくれる。なお、「長岡天満宮」のHPによると、この八条ケ池は夜になるとライトアップされているようだ。 こちら(右図)は、社殿前の鳥居だが、傍らの桜が見事だった。実は、この長岡天神は「キリシマツツジ」で有名な神社で、50年前に行きそびれた遠足も、このツツジの時期だったのだ。本当は今回も、ツツジの時期に訪れれば良かったのだが、思い立ったのが前日の事で、機会を逃さないように、その気のあるうちにと実行したのだ。 いよいよ社殿となるが、この社殿は昭和初期の建物らしく、古社としての雰囲気はないが、少なくとも50年前の遠足時と同じ社殿であるので、しばらく佇み、昔の同窓生たちが手を合わせている様子を想像しつつ、小学校時代の頃に思いをめぐらせる。 この日に見た長岡天神の様子は、おそらく50年前のそれとは大きく違っているだろう。駅から天神までの風情も、きっと今よりも断然のどかであったとは思うが、私にはそののどかな様子も、十分に思い浮かべる事が出来る。50年たってやっと実現した。かくて、たった一人の遠足は、ジーンとする思い出と言う、お土産を携えた帰路をむかえたのだ。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.12
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(その1からの続き) 一方、ビー玉だが、そのルーツとも言える、石ころなどを使った似たあそびは、かなり古くからあったと思われるが、ビー玉そのものの歴史はさほど古くは無い。もちろん、ガラス玉はかなり古い歴史があるが、ビー玉のように、玉同士を当て合うようなあそび方に使用するにはガラス玉は高価すぎたのだ。 今のようなビー玉あそびが広まるには、炭酸飲料であるラムネが普及するなどして、ガラス玉の価格が低くなってからとなる。その後、あそび専用のガラス玉が生産されるようになって、ビー玉あそびは大きく発展していく。この時期に、その語源はともかく「ビー玉」と言う商品名と元々のラムネの玉からきた「ラムネ玉」が、呼び名として定着して行ったのだろう。 メンコには、様々な材質のものがあり、紙製のメンコを他のメンコと区別するためもあってか、地域ごとに違った呼び名がついたが、ビー玉が登場して以降その材質は同じである事が、その呼び名が全国的に定着する一因となったと考えられる。 この様に、呼び名のバラエティーが少ないビー玉だが、その一方であそび方はメンコを凌ぐ、基本的なあそび方の違い、同じあそび方でもルールの違い、などにより無数の地域独特のあそび方が生まれた。そして、そのあそび方には、地域ごとにユニークな名前の付いたあそびも多い。これは、基本的にはあそび、少なくとも高度経済成長期以前のあそびにあった特長でもある。 物を賭けて取り合うあそびでは、同じであるメンコとビー玉の違いは、それらとこどもたちとの関りの中で生み出されてきた。メンコとビー玉あそびが、言葉や映像などを通して伝わり伝えられてきたのではなく、こどもたちがあそぶ事により伝えてきた事が、それらの呼び名に見られる、意外な違いをつくりだしてきたのだ。 今、メンコとビー玉あそびが、こどもたちの普段のあそびから消え去り、特定の施設・団体の中で取り組まれたり、時折催されるイベントなどに残っているに過ぎない。そして、メンコの呼び名やビー玉のあそび方に見られた、地域色は無くなり、全国津々浦々まで同じ呼び名で同じあそび方と言う、ほぼ画一的な状況になってしまっているのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.11
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男の子の駄玩具の双璧をなすのが、面子(メンコ)とビー玉だろう。そのどちらもが、今やこどもたちのあそびでは、ほとんど見かけなくなってしまった感がある。そして、メンコもビー玉も、本当に物を賭けるあそびである事では同じジャンルのあそびで、そのことが、おとなたちの無理解により、これらのあそびを廃らせてしまった遠因ともなっている。 ところで、この良く似た経過をたどっているメンコとビー玉だが、その呼び名に関して面白い相違点に気付く。メンコは、地域によって「メンコ、パッチン(半濁点付き)、バッチン(濁点付き)、ベッタン(濁点付き)、ペッタン(半濁点付き)」などなど、その呼び名は多彩だ。一方、ビー玉の方は、ほぼ全国的に「ビー玉」で通る。たまに、「ラムネ(ラムネ玉)」と呼ばれることがあるくらいだ。 この違いについて、ふと思いついた私見を綴っていく事とする。メンコに地域による呼び名の違いが多いのは、あそび一般に共通の特質の一つだ。あそびは、書物などを通じて伝わる事よりも、主として実際にあそばれ続ける事により、時間や地域を越えて伝わる。特に、こどものあそびはその傾向が顕著だ。 メンコは確かなところで江戸時代に遡れる。もちろん、現在のように紙製のメンコではなく、粘土を焼き固めたもので一般には「泥面子(どろめんこ)」と呼ばれている。その後、陶器・鉛・鉄などの材質のメンコが作られ、明治以降に現在のような紙製のメンコが誕生する。 このように、メンコは数百年の歴史があり、その歴史の中でメンコが全国的にあそび伝わる中で、その地域独特の進化が始まり、やがてその地域固有の呼び名が生まれた。もう少し想像を豊かにして考えると、まずメンコのあそび方に地域独自の呼び名が付き、やがてそのあそびの呼び名が、メンコそのものの呼び名に変化したのではないだろうか。 それは、現在伝わるメンコの呼び名に、「パッチン(半濁点付き)、ベッタン(濁点付き)」など、あそんでいる時に出る音を意味する呼び名が多数を占める事が裏付けている。「パッチン(半濁点付き)バッチン」とメンコを叩きつけるあそびだから、あそびの呼び名が「パッチン(半濁点付き)」となり、やがてメンコそのものの呼び名に転化していったと考えても矛盾は無い。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.10
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【下野市が姉妹都市を結ぶドイツ・ディーツヘルツタール市の中学生30人が27日、同市国分寺公民館大ホールで、おてだま、おはじき、こま回し、あや取りなどの日本の遊びを体験した。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年3月27日) 「日本の遊び」、何気なく読んでいると気が付かないが、よくよく考えてみると、簡単には読みとばせない問題が「日本の遊び」と言う言葉の裏には隠されている事に気付く。記事のような、外国の方を招いたイベントなどで「日本の遊び」として紹介されるものには、記事の「おてだま、おはじき、こま回し、あや取り」の他に、「羽根つき、けん玉、折り紙」などがある。 これらのあそびの全てに、「日本の」と言う形容詞の他に、「昔の」「懐かしの」と言った形容詞が付く事がある。これらのあそびは、「日本の」あそびではあるが、今のこどもたちの多くが日常的には、あそばなくなってしまった「昔の」あそびなのだ。 その意味では、「日本の遊び」は、外国の方だけでなく、日本のこどもたちにも教えてあげなければならない、おかしな「日本の遊び」なのだ。実際に、そうしたあそびは日本各地のイベントや、施設の保育や教育の一環として、日本のこどもたちに「日本の遊び」が教えられている。 その一方で、世界中のこどもたちは、新たな日本発のあそびを、ゲーム機やパソコンで楽しんでいるし、その反対に海外からの移入ソフトで日本のこどもたちも楽しんでいる。このゲーム機を使ったあそびは、もはや「日本の遊び」とか、どこそこの国の「遊び」とは言えないような、「グローバルなあそび」となっている。 ところで、ドイツにも「ドイツの遊び」と言われるものがあるのだろうか。前記の「日本の遊び」のルーツは外国にあったり、良く似たあそびは外国にも存在するので、当然ドイツにも類似のあそびがある(あった)のだろう。しかし、日本と同様に、「ドイツの遊び」も「ドイツの昔の遊び」となってしまっているのかも知れない。その例は、お隣の国である韓国でも、昔ながらのあそびは日本と同様の運命にあるそうだ。 あそびは、そのルーツである国からあそび伝えられるなかで、多くの国々であそび方や形が変化し、やがてその国独特のあそびと進化していく。そんなあそびの一部が、「日本の遊び」であり、「韓国の遊び」であった。「それぞれの国の遊び」に育て上げたのは、それぞれの国のこどもたちであった。 ゲーム機を使ったあそびは、いくらこどもたちが長くあそび続けたとしても、その国独自のあそびには進化し得ない。あそび方を変えられるのは、ゲームソフトの作り手であるおとなが独占しているのだ。そこには「日本の遊び」も「韓国の遊び」も無い。あるのは「日本製の遊び(ソフト)」や「韓国製の遊び(ソフト)」なのだ。 あそびは、世の流れにつれて移ろい行くものではあるが、「日本の遊び」と言えるあそびは後世にも残して行きたいし、新しい「日本のあそび」も生み出して欲しい。あそびは、文化の中でも、唯一こどもたちが創り上げ、伝えてきた文化なのだ。その素晴らしい歴史を終わらせないよう、もうひと踏ん張りがんばりたいと思っている。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.09
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(2からの続き、引用記事は再掲) 【昨今、戦国武将好きの女性を始め、歴史好きの女性“レキジョ”が話題となっている。その影響もあってか、時代劇の終盤で主人公が大勢の敵をバッタバッタと斬り倒す“殺陣(たて)”が人気。しかも殺陣を教える“殺陣教室”には若い女性が多数参加しているという。(中略)中には本格的な演技の勉強の一環として殺陣を学ぶ人もいるが、大半は趣味として通っている様子。確かに、棒切で相手を斬りバタッと倒れてくれるチャンバラごっこは気持ちよかった思い出がある。同じ経験をした人なら、“お約束”とわかっていても、得がたい爽快感があったはずだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ウオーカープラス:2009年4月5日) このように、ごっこあそびに用いられるおもちゃの、リアル化が進むその背景に、ごっこあそびに大きな影響を与えるメディアのリアル化がある。例えば、昔の「チャンバラごっこ」は実際の斬り合いを真似ると言うより、映画やテレビの「チャンバラ」シーンを真似る事がほとんどだ。たとえば、「鞍馬天狗」の映画を見れば「鞍馬天狗」を真似、テレビ時代劇の「隠密剣士」を見れば「隠密剣士」を真似て「チャンバラごっこ」をする。 その当時は、元々の映画やテレビでの「チャンバラ」シーンそのものにも、斬る音も血しぶきも無い。よくあって、刀同士がぶつかる「チャリンチャリン」と言う音と、斬られた時の悲鳴ぐらいだ。当然、この時代の「殺陣」のリアルさも、さほど高くない。 このように、「チャンバラごっこ」の元になる映画・テレビの「チャンバラ」そのものも、リアリティーが低かったので、それを真似たとしても元のリアルさを超える事は無い。斬り合いと言う殺伐としたシーンでさえ、そのリアルさの低さが、こどもたちが楽しく真似て「チャンバラごっこ」ができる条件ともなる。 しかし、映画やテレビの「チャンバラ」シーンに、リアリティーが追求され、本物の斬り合いと見間違うほどの「殺陣」が導入されるようになると、そのシーンはもはや「チャンバラ」と言う「嘘の世界」の出来事と言うより、「殺し合い」と言う「実の世界」が顔を出すようになる。こうなれば、幼いこどもたちがあそびに、そんなシーンを穏やかに取り入れるのは難しくなる。 かくて、棒切れなどで代用した刀を、本気に相手の身体に触れさせる事の無い、古き時代の「チャンバラごっこ」は少なくなり、本物そっくりのおもちゃの刀を、相手の身体にぶつける、今様「チャンバラごっこ」が目立つようになるのだろう。 その今様「チャンバラごっこ」は、「ごっこ」ではあるが、ある意味では「ごっこ」を超越するのだ。そんなあそび方は、時には「いじめ」と言う現実の出来事に使われる。前に紹介したように、本来「チャンバラごっこ」は相手との暗黙の了解が必要で、相手とは基本的には仲良し関係なのだ。そんな人間関係の裏打ちの無い「チャンバラごっこ」は、刀を相手に当ててしまい兼ねない条件ともなる。 以上の事は、あくまでも私の「チャンバラごっこ」への個人的な感想ではあるが、昔のような、あどけないこどもたちの「チャンバラごっこ」が、もっと増えるようにと思う気持ちは、私一人では無いと願いたい。そして、きっと日本の何処かにいるはずの、けっして痛くない「チャンバラごっこ」を、楽しむこどもたちに出会ってみたいものだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.08
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(1からの続き、引用記事は再掲) 【昨今、戦国武将好きの女性を始め、歴史好きの女性“レキジョ”が話題となっている。その影響もあってか、時代劇の終盤で主人公が大勢の敵をバッタバッタと斬り倒す“殺陣(たて)”が人気。しかも殺陣を教える“殺陣教室”には若い女性が多数参加しているという。(中略)中には本格的な演技の勉強の一環として殺陣を学ぶ人もいるが、大半は趣味として通っている様子。確かに、棒切で相手を斬りバタッと倒れてくれるチャンバラごっこは気持ちよかった思い出がある。同じ経験をした人なら、“お約束”とわかっていても、得がたい爽快感があったはずだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ウオーカープラス:2009年4月5日) 一方、刀剣による斬り合い(チャンバラ)をスポーツ化した、剣道や「スポーツチャンバラ」は、刀(木刀、竹刀、模擬刀など)を、実際に相手の身体に触れさせる事を目的としている。ただ、元の斬り合いを真似たスポーツと言う点では、「殺陣」「チャンバラごっこ」と同じではあるが、より「現実の世界」に寄った活動となる。防具は着けているとは言え、痛さは現実として付きまとう。 さて、昔ながらの「チャンバラごっこ」が衰退した原因は様々あるが、「リアルさ」(「バーチャルさ」)をとめどなく追求しようとする近年の風潮が、少なからず影響していると考えれないだろうか。私がこどもの頃の「チャンバラごっこ」の思い出では、風呂敷の覆面に棒切れの刀をズボンのバンドに差し、鞍馬天狗の真似をした。 たったそれだけの扮装で、鞍馬天狗のあの颯爽とした格好を思い浮かべて闘ったのだ。そこには、「見立て」と「成り切り」と言う、ごっこあそびの真髄でもあり、豊かな想像力があった。だが、おもちゃが格段に進歩し、本物そっくりの形状の刀や、時には忍者そっくりの衣装まで揃うと、あそびが想像力に頼るより、おもちゃに左右されるようになる。 こうした傾向は、「チャンバラ」よりも、鉄砲のおもちゃに端的に現れている。豆鉄砲やゴム鉄砲から、ブリキおもちゃの本物に近い形状が現れ、さらに「銀玉鉄砲」のように実際に弾が勢い良く飛ぶもの、そしてエアーガンのようにその弾の威力のあるものへと、想像が影を潜めより本物の鉄砲に近づいていく。 女の子の「ままごとあそび」に使うおもちゃも同様で、より本物に近い形状、実際にお菓子やパスタなどが作れるものまで現れている。そうなれば、もはや「ごっこあそび」と言うよりも、お料理そのものだ。そこには、砂で作った饅頭を、さも美味しそうに食べると言った、想像が働く余地は少なくなる。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.07
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【昨今、戦国武将好きの女性を始め、歴史好きの女性“レキジョ”が話題となっている。その影響もあってか、時代劇の終盤で主人公が大勢の敵をバッタバッタと斬り倒す“殺陣(たて)”が人気。しかも殺陣を教える“殺陣教室”には若い女性が多数参加しているという。(中略)中には本格的な演技の勉強の一環として殺陣を学ぶ人もいるが、大半は趣味として通っている様子。確かに、棒切で相手を斬りバタッと倒れてくれるチャンバラごっこは気持ちよかった思い出がある。同じ経験をした人なら、“お約束”とわかっていても、得がたい爽快感があったはずだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ウオーカープラス:2009年4月5日) 記事は、今話題の「歴女(レキジョ)」と「殺陣(たて)教室」の事を紹介した記事だが、マスコミなどによる増幅効果を考慮すれば、それらが「人気」と言うほどのものであるかどうかは断定できないが、少なくともそうした事が話題にできる程度には浸透してきているのだろう。 ただ一方で、こどもたちの「チャンバラごっこ」は、衰退の一途をたどっている事は断定できる。特に、棒切れなどの刀を相手の身体に本当に当てないあそび方は、滅多にお目にかからない。たまに見かける「チャンバラごっこ」は、結構相手の身体に刀を当てているようで、特にプラスティック製の刀(おもちゃ)などでは、殴り合いと見間違うほどの勢いだ。 考えれば、「殺陣」も基本的には刀を相手の身体に触れないと考えて良い。身体に触れないで、刀で斬っている様に見せかけるのが「殺陣」の真髄だろう。もちろん、勢い余って実際に刀が身体に触れてしまう事はあっても、「殺陣」そのものはその事を目的とはしていない。 そうすると、相手の身体に刀を当てない「チャンバラごっこ」は、いわばあそびにおける「殺陣」のようなものだと言える。「殺陣」と「チャンバラごっこ」は、真似事と言う「嘘(うそ)の世界」の活動なのだ。だから、当然「殺陣」や「チャンバラごっこ」においては、必ず相手との打ち合わせや、暗黙の了解が無ければ成立しないのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.06
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【栃木県那須町の遊園地で3日、市民800人が玩具「レゴブロック」を積み上げて作った高さ29・7メートルの「レゴタワー」が完成、昨年10月にウィーンで樹立された世界記録(29・48メートル)を更新した。使用したブロックは約43万個。ギネスブックにも認定された。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/47NEWS:2009年4月3日) 世界記録はともかく、こどもたちはもちろんの事、多くのおとなの方も、物を高く積む事に魅かれる。これまでにこどもたちは、様々な物を積み上げて楽しんできた。積み木をはじめとして、川原の石ころ、将棋の駒やトランプ、専用のおもちゃなどは、その代表格だろう。 キッチリと形の整った積み木でもそうだが、石ころや将棋の駒を高く積む事は、往々にして容易いものではない。積み上げる駒の形や、すでに積んである駒の状態を、正確に見極めないと、上手く積み上げる事が出来ない。さらに、例えそれらを見極めたとしても、指先の使い方はもちろんの事、手首や手全体のしなやかで的確な動きがないと失敗する。 記事にあるような、しっかりと積み上がるブロック玩具でさえ、そうした見極めや手の器用さが必要となる。積み上げ系のおもちゃは、程度の差はあれ、こどもたちに主として目視による判断力や手の器用さを養ってくれる。そして、これはバーチャルなゲームソフトでは、今の技術水準ではしばらくは不可能な事だ。 賽の河原の石積みは、主に自分以外の人のために積む。あそびの積み木は、自分のスキルアップのために積んで楽しもう。なお、自分の背丈よりも高く積んで、尚且つ比較的安全なあそびが、「ビール缶(空のアルミ缶)積み:空き缶積み」が面白い。学童保育所やこども会などで、皆で楽しんではいかがだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.05
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(その1からの続き、引用記事は再掲) 【島根県出雲市今市町の市営「一の谷公園」で3月、フィールドアスレチックス遊具で遊んでいた同市の男児(4)が転落して支柱を支えるコンクリート部分に頭を打ち付け、頭の骨にひびが入るけがをしていたことが2日、分かった。 出雲市によると、男児は入院中だが命に別条はなく、近く退院予定。コンクリ部分は本来、砂で覆われているはずだが、事故時には露出していた。市は「転落の可能性がある場所で露出があったのは問題」と管理不備を認め、家族に謝罪した。遊具は当面使用中止にした。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/47NEWS:2009年4月2日) この出雲市での遊具点検も、おそらくマニュアルに沿って行われたと考えられるが、その点検事項に「転落可能場所の安全確認」の項目が無かったとも考えられる。その点検事項が有ったにも関らず見落としたとなれば、それはそれで大問題だが、遊具点検にはマニュアルに頼り過ぎと言う問題もあるのではないだろうか。 点検事項に無いものは点検しないとなると、完璧なマニュアルがなければ、遊具の安全が確保できなくなる。遊具には、昔ながらの古典的遊具をはじめとして、最近流行の複合遊具や大型遊具などがあるが、その材質・構造・デザインなどは日々進化しているものも少なくない。 マニュアルはそうした変化にも、即時に対応しなければならないが、対応できていない場合も考えられる。その場合でも、遊具点検者に、こどもたちへの優しい眼差しがあれば、マニュアルに無い点検も可能となる。こどもたちのあそぶ姿を思い浮かべて、そのこどもたちの安全を守ると言う気概は、危険個所を発見する目を育ててくれるだろう。 もし、記事にある遊具の点検者が、こどものあそぶ姿を思い浮かべた点検をしていれば、おそらく今回の事故は未然に防ぐ事が出来たと思っている。また、こどもたちを愛しく思う心があれば、マニュアルもその真価を発揮する事が出来る。遊具の点検者には、危険を見極める厳しい眼力と、こどもを愛する優しい眼差しが望まれる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.04
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【島根県出雲市今市町の市営「一の谷公園」で3月、フィールドアスレチックス遊具で遊んでいた同市の男児(4)が転落して支柱を支えるコンクリート部分に頭を打ち付け、頭の骨にひびが入るけがをしていたことが2日、分かった。 出雲市によると、男児は入院中だが命に別条はなく、近く退院予定。コンクリ部分は本来、砂で覆われているはずだが、事故時には露出していた。市は「転落の可能性がある場所で露出があったのは問題」と管理不備を認め、家族に謝罪した。遊具は当面使用中止にした。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/47NEWS:2009年4月2日) 記事には写真も掲載されていたが、それを見た印象で言うと、問題の「コンクリート部分」は、決して「本来、砂で覆われているはずだが、事故時には露出していた。」と言うよりも、最初から露出していたように思われる。支柱を支える「コンクリート部分」は写真の見える範囲では3本あり、露出しているのは真ん中の部分でだけで、しかもその支柱部分だけでなく、その周りの地面よりも数cm高くなっていた。 市は「転落の可能性がある場所で露出があったのは問題」と言うが、コンクリート露出の危険性を、認識していながら放置していたのなら、それは断じて「管理不備」で済まされる問題ではない。昨年は遊具事故が相次いでいたので、国土交通省からも遊具点検の指示が出ていたのだが、点検時にこの様な構造を見逃すようでは、点検技量が根本的に問われる。 「転落の可能性がある場所」でのコンクリート製の構造物は厳禁と言う、遊具設置における常識が、市当局にあったとしても、点検に当る作業者に、その常識が欠如しているようでは、少なくともこの遊具においては、点検そのものが無意味なものになっていたと言わざるを得ない。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.03
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(1からの続き、引用記事は再掲) 【09年度県公立高校一般選抜入試が13日、全日制29校35学科、定時制5校6学科であった。(中略)国語では、クロスワードパズルを作る場面を設定し、語彙(ごい)力や言葉の正しい活用力があるかを問うなど工夫した設問が見られた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2009年3月13日) クロスワードパズルでは、正解の単語に関連する多くの単語を記憶しているほど、手がかりとしてのキーワードが増えることなり、その結果として、正解の単語にたどり着く確率を増大させる。同様に、ある単語の記憶を確実にするには、その単語と何らかの関係のある単語を、できるだけ多く記憶することだ。そうすれば、ネットに頼ることなくクロスワードパズルを征服できる。 ただ、ネットに頼ってクロスワードパズルを解く事は、ある意味では単語同士の新たな関係を記憶する作業でもあるので、そうした方法も無益ではない。要は、どんな方法であっても、クロスワードパズルを楽しむことにより、記憶の検索力が大いに鍛えられるのだ。 最近では、かな(カナ)文字やアルファベットだけでなく、漢字でクロスを楽しむ「漢クロ」、数字(ナンバー)でクロスを楽しむ「ナンクロ」、ピクチャーでクロスを楽しむ「ピクロス」など、クロス系パズルは多彩だ。自分にあったクロスを楽しんで、脳内検索能力を楽しみながら高めてみてはいかがだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.02
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【09年度県公立高校一般選抜入試が13日、全日制29校35学科、定時制5校6学科であった。(中略)国語では、クロスワードパズルを作る場面を設定し、語彙(ごい)力や言葉の正しい活用力があるかを問うなど工夫した設問が見られた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2009年3月13日) クロスワードパズルは、単語(言葉)系パズルの古典ともよばれるものだが、記事にあるように、それを解くには語彙力が必要となる。設問にあった単語を見つけるのだが、当然パズルの解き手がその単語を知っていないと、基本的には解けない。 この単語を見つけると言う作業は、解き手のそれまでの人生の中で知りえた無数の単語の中から、設問にピッタリの単語を探し出す、それを今風に言えば、検索することになる。だからその検索技術を高度に発展させた、ネット検索を利用すれば、クロスワードパズルは、そのパズルとしての真価を台無しにするくらいに簡単に解ける。 もちろん、パソコンが無かった時代でも、辞書などを利用する事もあった。最初の文字が解かっていれば、その文字から始まる単語を片っ端から探したり、類語から推測したりして、正解の単語を見つけることが出来たが、極めて能率が悪い。しかし、ネット検索なら、「赤い 果物」とか、時には「洞窟に棲む昆虫」などで検索すれば、結構早く答えを見つけることが可能になった。 この様にネット検索は、「クロスワードパズル」の解法を容易くしているわけだが、記憶から答えを見つけ出す事とネット検索は、その仕組みは違うがその探し出し方には類似性がある。幾つかのキーワードを手がかりに、膨大な記憶領域から、求める単語を探し出す事では、全く同じだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.04.01
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