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【29日午後1時頃、松山市常竹の市立粟井小(杉野巻男校長)の校庭で、女子児童6人が球形の回転式遊具(高さ約2・5メートル、直径約2メートル)で遊んでいたところ、地面に近い部分の遊具の軸(直径約10センチ)が突然折れ、遊具が倒れた。2年と6年の計3人が手や足をはさまれたが、けがはなかった。(中略)3月12日に同市から委託を受けた業者が点検し、同校職員も今月20日頃に回転させてチェックしたが、いずれも異常はなかったという。同市は、別の小学校にある同種の遊具1基を使用禁止とした。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年5月30日) 注意喚起の意味で、今回の回転遊具事故についての私見を書き留めておく。この回転遊具は、最近ではあまり見かけなくなった遊具で、特に新設の遊具は少なくとも私の住んでいる大阪市住吉区内には1基も無い。それは、老朽化に伴い支柱が折れる事故が度々起きていた事と無関係ではないだろう。今回の事故もそうだが、回転遊具の事故の多くが、支柱のほぼ同じ個所が折れた事に起因している。 その個所は、二つの意味でリスクが高い個所となっている。まず、力学的に最も負荷が加わる個所が、支柱の根元である事だ。特に、遊具にわずかな支柱の傾きがあり、その遊具にこども達が一箇所に偏って乗っている場合、静止時でも傾き方向の加重が大きくなる。そして、回転時には、遠心力がさらに加わる事となる。 これらの事は、支柱の根元部分が金属疲労を、起こしやすくなっている事を意味しているだけでなく、そのわずかな支柱の傾きが、遊具の使用に伴って、傾きが大きくなり易いことをも意味しているのだ。なお、支柱が傾いておれば、こどもたちが遊具に偏って乗らなくても、前記の状態は起き得るし、支柱が傾いていなくても、偏って乗れば、やがてわずかな支柱の傾きが始まりやすい。 次に、回転遊具の支柱の根元部分は、力学的に折れやすいだけでなく、自然条件下で最も腐食しやすい個所でもある。一般的に言って、支柱の上部の先端より根元部分の方が、降雨や降雪などによる、水分が残存しやすい個所となっている。さらに晴天時でも、根元部分は地面に近い分、湿度が他の個所よりも高くなりやすい。 そして、遊具の補修・整備の際、根元部分は、腐食防止の再塗装のし辛い個所でもある。もちろん、支柱ごと引き抜いて塗装すればましではあるが、そのような整備はあまり見かけないのが実情のようだ。記事の事故でも他の報道によると、事故後の点検で該当の根元部分に錆(さび)が発見されている。(事故前の目視点検では、発見しづらかったのか。)(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.31
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【小学校の始業前に屋外で体を動かす「朝遊び」をしている子どもは、午後からも活動的になり、健康状態も良い傾向がある――。大阪体育大と泉南市教委などが行った調査で、こんな結果が明らかになった。市内では市立2小が朝遊びを取り入れているが、市教委は結果を受け、他校に広げることも検討している。 朝遊びは、児童の生活リズムを改善するのが狙いで、大体大の学生ボランティアが始業前の約30分間、児童と鬼ごっこやドッジボールなどで遊ぶ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年5月27日) ある意味では当たり前の事だとは思うが、それが記事になるくらいだから、小学生たちの学校での現状に横たわっている、問題が大きすぎるのだろうか。ベストコンディションで学校の勉強に入っていけないこどもたちが多いのかもしれない。ともかく、始業前の身体を使ったあそびが、学校生活にとって良い条件を作っている事が実証されたわけだ。 始業前のあそびは、昔、少なくとも団塊の世代の私のこどもの頃(1950年代)は、珍しい事でもなく、校門が開くのを待っているこども達も少なくなかった。あまりにも早く登校し過ぎるので、注意される事も有ったくらいだ。それに比べて、今のこどもたちの「朝遊び」が見られなくなったから、わざわざボランティアまで動員した「遊び?」が必要となったのだろう。 記事によると、強制参加ではなく自主参加だそうだが、全体として遅刻も減っているようだ。保護者の皆さんのご努力もあるかとは思うが、こどもたちが強制ではないのに参加するのは、「朝遊び」が楽しいからだろう。この事を反対側から見れば、学校での「勉強」があまり楽しくないから、遅刻するとも考えられるので、このあたりにも学校教育の課題があると見られるのが興味深い。 ともかく、保護者や教師などのおとながきちんと構えれば、こどもたちは昔のように「朝遊び」のために、朝早く登校する事は十分に可能だ。「早寝、早起き、朝ごはん」を奨める専門家もいるが、「朝遊び」は、それを可能にする一つの方法だ。もっと多くのこどもたち、もっと多くの学校に、広がって欲しいものだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.30
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【舛添厚労相、新型インフル対策不十分と認める】(【】内は記事から見出し部分を引用、Google ニュース/日本経済新聞:2009年5月28日)こんな見出しの記事がネットニュースに報道されていた。その記事本文を一部引用しておく。【新型インフルエンザの感染が高校生の間で拡大したことについて、厚労相は「学級閉鎖の定点観測を強化しなければいけない。大きな落とし穴は(義務教育ではない)高等学校に目が向いていなかったことだ」と述べ、政府の対策が不十分だったと認めた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日本経済新聞:2009年5月28日) この舛添要一厚生労働大臣の答弁のような状況では、日本の危機管理体制は「不十分」どころか、根本的に問題があると思われる。そもそも、今回の一連の「新型インフルエンザ対策」は、鳥インフルエンザが変異した強毒型の「新型インフルエンザ」を想定されたものだった。だから、空港での機内検疫や濃厚接触者の停留措置などの、厳しい体制がとられたのだ。 そんな中で、国内感染者の発見が遅れた原因として、かの著名な厚生労働大臣は「(義務教育ではない)高等学校に目が向いていなかったこと」を答弁で明らかにしている。学校は比較的に集団感染が起こりやすいと言われているが、義務教育ではない学校を外していたこと自体が、自らの危機管理意識の低さを露呈する事となっている。 「新型インフルエンザ対策」の内容に、義務教育の小中学校での「学級閉鎖の定点観測」は当然の事ではあるが、同様に高等学校・大学はもちろんの事、専門学校・塾などの私立の各種学校および教室等にも、「定点観測」網を張り巡らせるのは常識の範疇にある事だ。 深夜・未明の突然の記者会見などの、見せ掛けのパフォーマンスにより、今回の「新型インフルエンザ」の実像を見誤らせた、厚生労働大臣の責任もさることながら、肝心の危機管理体制の実態がこの様なものでは、現内閣には国民の生命と健康を託す事は出来ないだろう。 もちろん、同様の理由で府内・県内の高等学校での、新型インフルエンザの兆候を把握し得なかった府県の機関にも、危機管理能力の低さが問われる事は言うまでも無い。もし、府県段階で高等学校での感染の兆候を把握し、それをただちに国の機関に伝えていれば、事態は違った方向で推移しただろう。 また、今回の「新型インフルエンザ」問題の当初に起きた、厚生労働省と横浜市との醜い責任の押し付け合いも、国・自治体双方の危機管理体制のお粗末さを物語っている。危機がまさに起こっている最中の、相互の連絡の不十分さは、断じてあってはならない事だ。当然、事前の綿密な危機管理上の、国と自治体相互の連絡体制構築が課題となる。 これらの事態は、歴史上最も頼りない首相のひとりである麻生総理の下では、起こるべくして起こった事態でもある。こんな頼りない内閣は、一刻も早く総辞職していただくのが、今の日本の危機管理をましなものに変える一歩となる。そのためには、有権者である国民の選挙投票という、取って置きの危機管理手段を行使する方法もある。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.29
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(2からの続き、引用記事は再掲)【そんななか、学校行事の都合で珍しく午前中で授業が終わる日があった。塾や習いごとに行く前に思いがけない時間ができた。「せっかくだからみんなでできる遊びをしよう!」ということで開催されたのが今回の一戦。(中略)今回のメンバーは、日ごろ野球チームで鍛え上げたスラッガーから、からきしダメなわがルーキーまで、野球の腕前はさまざまだ。そこで仲間どうし、上級者の見事なプレーには魅了され、初心者のまぐれ当たりに歓喜する。投げて、打って、走って、捕って。一つひとつ、一人ひとりのプレーに一喜一憂する。それは勝ち負けや成績にこだわらない、純粋な「遊び」で得られる歓びと興奮。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日刊スポーツ:2009年5月25日) さらに、一般的な対戦型の集団あそびには、人間ドラマを楽しめるもっと有利な条件がある。それは、チームのメンバーが固定していない事だ。何回かの対戦の後に、チーム替えが行われるのが、あそびでは一般的なのだ。ついさっき、あれほど激しく闘っていたのに、チーム換えの後には味方同士になって協力し合う。 この様に、あそびは負けても勝っても「あそび」なのだから、こどもたちはゲーム展開と人間ドラマを楽しむ事に、徹する事が出来るのだ。ドッジボールやけん玉など、それまで単なるあそびであったものが、スポーツ化されてきているが、それはそれとして大いに意義のある事ではあるが、これまで述べてきたように、あそびだからこその利点が沢山ある。 考えれば、スポーツや芸術も、広い意味で遊びではあるが、スポーツや芸術は、時には職業として、あるいは課業(授業)として、記事に言う「純粋な遊び」とかけ離れたものとなっている。反対に、昔のままの「純粋な」遊びは、「遊びの野球」に限らず、はたまたチーム対戦型集団あそびに限らず、こどもたちにスポーツでは得がたい、おとなになるための様々な能力を育んでくれる。 今、ともすれば本物のスポーツより、スポーツを真似たあそび(「遊びの野球」など)が少なくなり、「どろけい(けいどろ・探偵ごっこ)」や「Sケン」などの対戦型集団あそびが衰退してしまった。しかし、記事を見ればわかるように、「遊びの野球」などのスポーツあそびや、昔ながらの対戦型集団あそびをやってみれば、おそらく誰もがその楽しさを再発見するだろう。 純粋な「遊び」には、誰もを魅了する力が備わっている。要は、こうした純粋な「遊び」をこどもたちに教えてあげる事が大切なのだ。もちろん、そうしたあそびが出来るように、あそびのための「時間・空間・仲間/(三間:さんま)」を十分に確保する事を前提とした話ではあるが。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.28
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(1からの続き、引用記事は再掲)【そんななか、学校行事の都合で珍しく午前中で授業が終わる日があった。塾や習いごとに行く前に思いがけない時間ができた。「せっかくだからみんなでできる遊びをしよう!」ということで開催されたのが今回の一戦。(中略)今回のメンバーは、日ごろ野球チームで鍛え上げたスラッガーから、からきしダメなわがルーキーまで、野球の腕前はさまざまだ。そこで仲間どうし、上級者の見事なプレーには魅了され、初心者のまぐれ当たりに歓喜する。投げて、打って、走って、捕って。一つひとつ、一人ひとりのプレーに一喜一憂する。それは勝ち負けや成績にこだわらない、純粋な「遊び」で得られる歓びと興奮。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日刊スポーツ:2009年5月25日) 次に、記事の「遊びの野球」に見られる「遊び」の大事な一つの側面について、私見を綴っていく。この「遊びの野球」に見られる「遊び」の大事な一つの側面は、「遊びの野球」だけの特徴ではなく、チームに分かれて勝敗を決める対戦型の集団あそびに共通の特徴でもある。 その特徴は、記事の【野球の腕前はさまざまだ。そこで仲間どうし、上級者の見事なプレーには魅了され、初心者のまぐれ当たりに歓喜する。投げて、打って、走って、捕って。一つひとつ、一人ひとりのプレーに一喜一憂する。それは勝ち負けや成績にこだわらない、純粋な「遊び」で得られる歓びと興奮。】に具体的に現れている。 「遊びの野球」や「あそび?のドッジボール」などのチーム対戦型のあそびは、目的が勝敗を決めるあそびであるにも拘らず、一時的に「勝ち負けや成績に」こだわる事はあっても、基本的には「勝ち負けや成績」を後々まで引き摺らないものだ。 それは、「勝ち負けや成績」を楽しんだり喜んだりするよりも、そのあそびそのものを楽しんでいるからだ。「遊びの野球」ならば野球そのもの(ゲーム)を楽しんでいる事となる。さらに、比喩的に言えば、そのゲームが作り出す、ある種の人間集団のドラマを楽しんでいることにもなる。その事は、記事の「見事なプレーには魅了され」「まぐれ当たりに歓喜する」「プレーに一喜一憂する」などが、端的に物語っている。 もちろん、こうした事はあそびの元になったスポーツ自体にも当てはまる事だが、スポーツはスポーツゆえ、勝敗に徹頭徹尾こだわらざるを得ないので、あそびの比ではない。特に、試合に出場できるレギュラーメンバーより、チーム全体のメンバーが多ければ多いほど、個人の成績にもこだわらざるを得ず、ゲームやプレーを楽しむ余裕も少なくなり、当然人間ドラマを楽しむ域には達し難い。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.27
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興味深い見出しのネットニュース記事が配信されていた。その見出しとは「遊びの野球」で、その意味することを記事に詳しいので、長めに引用しておく。【そんななか、学校行事の都合で珍しく午前中で授業が終わる日があった。塾や習いごとに行く前に思いがけない時間ができた。「せっかくだからみんなでできる遊びをしよう!」ということで開催されたのが今回の一戦。(中略)今回のメンバーは、日ごろ野球チームで鍛え上げたスラッガーから、からきしダメなわがルーキーまで、野球の腕前はさまざまだ。そこで仲間どうし、上級者の見事なプレーには魅了され、初心者のまぐれ当たりに歓喜する。投げて、打って、走って、捕って。一つひとつ、一人ひとりのプレーに一喜一憂する。それは勝ち負けや成績にこだわらない、純粋な「遊び」で得られる歓びと興奮。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日刊スポーツ:2009年5月25日) 要するに、「遊びの野球」とは、いわゆる「草野球」の事を指しているようで、それ自体は見出しの第一印象で感じたほどのことでもなかった。しかし、記事を読み進めると、「遊び」の大事なひとつの側面を、記事は語ってくれていた。その側面についての考察に入る前に、少しだけ「遊びの野球」の現状を見ていく事とする。 私のこどもの頃(1950年代)と違って今では、中学校・高校での軟式・硬式の野球の部(クラブ)活動や、リトルリーグから少年(少女)ソフトボールなど、こどもたちが「遊び」ではない野球を楽しむ機会は、極めて多くなっている。 しかし、その一方で、草野球や「三角ベース」、「手打ち野球」など、記事に言う「遊びの野球」は地域でお目にかかる機会はグンと減った。その原因の大きなものとしては、この記事の引用部以外でも触れられているが放課後の遊び時間の減少と、「遊びの野球」が出来る広場や空き地が極めて少なくなった事だ。 野球の他にも、サッカー・ドッジボール・鉄棒(器械体操)・水泳・アイススケートなどなど、昔は、こどもたちが本物のスポーツの真似事、すなわちあそびとして楽しんでいたものの多くが、スポーツチームやスポーツ教室などが作られ、多くのこどもたちが所属するようになった。スポーツあそびではなく、純粋のスポーツを楽しむようになったのだ。 この事は、それぞれのスポーツ競技の普及・発展に寄与したり、各スポーツの技術が向上させるなど、社会的な貢献度は大きいといえる。しかし、そうした純粋スポーツの増加とは反対に、スポーツあそびはどれも減少傾向にある。そして、このスポーツあそびの減少は、一方でそれぞれのスポーツの裾野を狭くしたと考えられる。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.26
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市民の希望や要求とずれた市の施策は、前回の引用記事にある防府市の「遊び広場」だけでなく、次の記事もその例と見ていい。【「子育て四国一」を目指して、四国中央市はさまざまな施策を打ち出している。先駆的な取り組みもあるが、身近で大切なことで、後回しになっているものがあるのではないかと感じる▲それは、市内の保育園・幼稚園の遊具を巡る問題だ。市は今年3月初め、遊具の安全性を点検し、危険と判断された遊具を使用禁止とし、それらの遊具は2カ月たった今も子どもたちが遊べない状態。市こども課によると、修理・撤去にかかる費用が予想を上回り、修理開始時期は未定だという▲】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2009年5月20日) 「子育て四国一」のキャッチコピーの泣き声が聞こえてきそうな記事の内容だ。しかし、こうした遊具が撤去や使用禁止のまま、長期間放置されている公園は少なくない。その一方で、これでもか!これでもか!!と豪華な遊具がひしめく公園も少なくない。もちろん、この両極端が、同じ自治体内にあるところは無いとは思うが、何とかならないものだろうか。 「活用の実態がない」「遊び広場」も、使用禁止遊具が放置された公園も、豪華遊具過多の公園も、共通して言える事は、そこであそぶ主人公の思いや願いに応えていない、自治体当局の愚策の結果と言う事だ。その一つの典型が、まもなくオープンする我が地元の公園に見られる。一つの公園内に、滑り台が大小合わせて数基もある(下図参照)。これが、大阪市の紛れも無いひとつの実態だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.25
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【防府市が「遊び広場」と認定し、固定資産税の免除対象となっている民有地について、市民2人が「活用の実態がない」と住民監査請求していた問題で、市監査委は22日、監査結果を公表した。認定基準などを定めた要綱の不備を指摘し、松浦正人市長に要綱見直しを検討するよう求めている。 報告書によると、民有地は同市江泊の約2500平方メートルで03年に認定。現況確認の結果、遊び広場としての利用回数は年間を通じて極めて少なく、「課税免除の優遇を受けていることは好ましくない」としている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2009年5月23日) 記事にある「遊び広場」がどのようなものかは、記事からは定かではないが、少なくともこどもたちをはじめとした、市民の希望や要求に見合っていない事は確かで、結果として市に入るべき「固定資産税」が入らず、市に損害を与えた事となる。 ところで、この記事からは別の意味で、素朴な疑問も浮かび上がる。地方都市の防府市でも、「遊び広場」を税的優遇措置をしなければならないほど「あそび場」が少なくなっているのだろうか。また、せっかく「遊び広場」を作っても、ほとんど利用しないほど、こどもたちの外あそびが減ってきているのだろうか。気になるところだが、実情が記事からはわからないので、今後の報道を待つ事とする。 それはともかくとして、大阪市のような大都市部では、遊休地がほとんど無いかもしれないが、それでも、時折、長期間放置された空き地を見かけることもある。こどもたちが思い切り走り回れたり、草野球やサッカーあそびやドッジボールなど、身体を思い切り使ったあそびが出来る広場が、決定的に少ない大阪市では、例え期間が限られたものであれ、防府市のような税的優遇措置でもして、要望のある地域を対象に、広場を設ける事は必要かも知れない。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.24
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(その3からの続き、引用記事は再掲) 【保育園と幼稚園、小学校の教育内容の「一貫化」をめざして、品川区教育委員会は13日、「保・幼・小連携の推進に関する検討委員会」を発足させた。小学校入学前(5歳児)から小1前期にかけての「接続期」を対象に、区独自のカリキュラムを来年9月をめどに作ることを想定。11年度からの小学校の教育課程に反映させたい考えだ。(中略)区教委によると、課題の一つは「学びへの興味・関心、感覚を養うことや、小学校での意欲的な学習につなげることを意図した遊びの充実」。また、道徳や総合学習を一体化した区独自の小中学校の科目「市民科」への接続をにらんで、「規範意識や道徳性の芽生え」と「情緒の安定や豊かな人間関係」を培う指導の充実も挙げている。 初会合では、委員から、「早期教育とは違うが、今まで通りの遊びだけというのも違う」「親の意識をどう変え、どうかかわってもらうかが大事」といった意見が出た。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2009年5月19日) 「小1プロブレム」を解消する上で、確かに品川区の一教育委員が言うように、「親の意識をどう変え、どうかかわってもらうかが大事」ではある。しかし、「どう変えるか」「どうかかわってもらうか」の、この「どう」の内容が問題なのだ。その「どう」は、けっして品川区教委や委員の考える方向ではなく、むしろ内容的には反対で、こどもたちのあそびをどれだけ充実させるかだ。 塾・習い事の低年齢化や、いわゆる「お受験」ブームなど、「早期教育」が顕在化して久しいが、この間、小学校通学区の自由化や小中一貫校などなど、親たちがさらに「早期教育」に駆り立てられる動きが加速しつつある。こうした世の流れの中で、「小1プロブレム」が熟成されていったと言える。 この、「早期教育」の流れは、まさに就学前のこどもたちのあそびの質と量が、ともに弱体化していった流れであった。「早期教育」顕在化以前のその昔、「保育園や幼稚園」に行く行かないに関らず、就学前のこどもたちは、品川区の一教育委員が批判的な「遊びだけ」の生活だったのだ。しかし、「小1プロブレム」は、例え有ったとしても、今ほど大きな問題(プロブレム)とはならなかった。 あそびの意義を見直すように、「親の意識を」「変え」、こどもたちが早起き・早寝などの生活習慣の確立に、親たちが適切に「かかわって」もらう事が大事なのだ。そのためにも、まず最初に意識を変えなければならないのは、品川区教委やその委員の方ではないだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.23
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(その2からの続き、引用記事は再掲) 【保育園と幼稚園、小学校の教育内容の「一貫化」をめざして、品川区教育委員会は13日、「保・幼・小連携の推進に関する検討委員会」を発足させた。小学校入学前(5歳児)から小1前期にかけての「接続期」を対象に、区独自のカリキュラムを来年9月をめどに作ることを想定。11年度からの小学校の教育課程に反映させたい考えだ。(中略)区教委によると、課題の一つは「学びへの興味・関心、感覚を養うことや、小学校での意欲的な学習につなげることを意図した遊びの充実」。また、道徳や総合学習を一体化した区独自の小中学校の科目「市民科」への接続をにらんで、「規範意識や道徳性の芽生え」と「情緒の安定や豊かな人間関係」を培う指導の充実も挙げている。 初会合では、委員から、「早期教育とは違うが、今まで通りの遊びだけというのも違う」「親の意識をどう変え、どうかかわってもらうかが大事」といった意見が出た。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2009年5月19日) 続いて、品川区教委の委員の意見、「早期教育とは違うが、今まで通りの遊びだけというのも違う」には、看過できない内容があるので、これについての私見を綴っていく。ここで問題なのは、「今まで通りの遊びだけというのも違う」のなら、他に何があるのだろうか。区教委が言う《「規範意識や道徳性の芽生え」と「情緒の安定や豊かな人間関係」を培う指導》を指すのだろうか。 そうだとすれば、これは品川区独自の小中学校の科目「市民科」への「接続をにらんで」いるので、少なくとも「市民科」の実質上の「早期」実施となるのではないか。それとも「遊び」と「教育」以外に何がを考えているのだろうか。何があったにせよ、何らかの「早期実施」には間違いがないだろう。 さらに、「今まで通り」は「保育園と幼稚園」での保育内容を指していると考えられるが、「保育園と幼稚園」が「遊びだけ」だった事を、前記の区教委の委員は問題視している事となる。実際に、品川区の「保育園と幼稚園」が「遊びだけ」の保育だったかどうかは別にして、このように就学前の「遊び」を軽視する委員の考えには賛同できない。 私は、就学前は、このあそびこそが、「小1プロブレム」を未然に防止する、ひとつの大事な条件だと思っている。それでなくとも今のこどもたちのあそびが、質量とも貧弱になっている上に、「遊びだけ」と言ってあそびをさらに少なくするような、前記委員の考える方針は、さらに事態を一層悪化させるだけのように思われる。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.22
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(その1からの続き、引用記事は再掲) 【保育園と幼稚園、小学校の教育内容の「一貫化」をめざして、品川区教育委員会は13日、「保・幼・小連携の推進に関する検討委員会」を発足させた。小学校入学前(5歳児)から小1前期にかけての「接続期」を対象に、区独自のカリキュラムを来年9月をめどに作ることを想定。11年度からの小学校の教育課程に反映させたい考えだ。(中略)区教委によると、課題の一つは「学びへの興味・関心、感覚を養うことや、小学校での意欲的な学習につなげることを意図した遊びの充実」。また、道徳や総合学習を一体化した区独自の小中学校の科目「市民科」への接続をにらんで、「規範意識や道徳性の芽生え」と「情緒の安定や豊かな人間関係」を培う指導の充実も挙げている。 初会合では、委員から、「早期教育とは違うが、今まで通りの遊びだけというのも違う」「親の意識をどう変え、どうかかわってもらうかが大事」といった意見が出た。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2009年5月19日) 次に、記事で明らかにされている範囲での考察となるが、品川区教委は《「規範意識や道徳性の芽生え」と「情緒の安定や豊かな人間関係」を培う指導の充実》を掲げているが、はたしてこれが「小1プロブレム」の解消に寄与するかは、はなはだ疑問が多い。 就学前のこどもたちの「規範意識」や「道徳性」の問題に、「小1プロブレム」の主たる原因を求めるのは、極めて見当違いの考え方ではないだろうか。それよりも、全面的に賛同はしないが、せめて区教委の言う「情緒の安定」の不十分さや、「豊かな人間関係」の乏しさに、まず目を向ける方がいい。 「規範意識」を全てのおとなが持っているかどうかは別にして、社会的規範を守らないおとなが多すぎる世の中で、こどもたち、それも就学前の幼いこどもたちに、少なくとも教科(「市民科」)として教える事だけでは、規範意識は育っては来ない。 そもそも、「小1プロブレム」の原因は、就学前のこどもたちの「規範意識」の不十分さにあるのではなく、幼いこどもなりにそれまでに形成された「規範」を守れない、自己制御力(セルフコントロール力)の不十分さにあるのだ。当然、「道徳」も同様だ。この、自己制御力については、後述する。 どうしても、「規範意識」や「道徳」を、こどもたちに育てようと思うなら、「教科」での指導よりも、区教委や教師をはじめとした教育関係者が、先頭に立って自らが範を示す事が最も早道となるし、こどもたちがしっかりと身に着けてくれるだろう。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.21
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【保育園と幼稚園、小学校の教育内容の「一貫化」をめざして、品川区教育委員会は13日、「保・幼・小連携の推進に関する検討委員会」を発足させた。小学校入学前(5歳児)から小1前期にかけての「接続期」を対象に、区独自のカリキュラムを来年9月をめどに作ることを想定。11年度からの小学校の教育課程に反映させたい考えだ。(中略)区教委によると、課題の一つは「学びへの興味・関心、感覚を養うことや、小学校での意欲的な学習につなげることを意図した遊びの充実」。また、道徳や総合学習を一体化した区独自の小中学校の科目「市民科」への接続をにらんで、「規範意識や道徳性の芽生え」と「情緒の安定や豊かな人間関係」を培う指導の充実も挙げている。 初会合では、委員から、「早期教育とは違うが、今まで通りの遊びだけというのも違う」「親の意識をどう変え、どうかかわってもらうかが大事」といった意見が出た。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2009年5月19日) 記事は、このブログでも長めの連載で私見を述べた、いわゆる「小1プロブレム」に「対応するのが狙い」と言う事で、ざっと読めば意義のある品川区教育委員会の施策と思われるかも知れない。しかし、前記の私見で述べた事を考慮すると、果たして「小1プロブレム」の解決に至るのかどうかの疑問がある。それどころか、へたをすれば保育園や幼稚園における「5歳児プロブレム」を招く心配すら感じる。 そうした疑問や心配がおきる理由は、前記の連載ブログ記事を参照していただく事として、今回は記事に報道されている、品川区教育委員会やその委員の考え方について考察していく事とする。 まず、記事でも最初にあげている課題、「学びへの興味・関心、感覚を養うことや、小学校での意欲的な学習につなげることを意図した遊びの充実」だが、あそびの意義を取り上げている点で、一見すれば、このブログで紹介した私見と同じ考えの様に見える。確かに、あそびが「学びへの興味・関心、感覚を養うことや、小学校での意欲的な学習につなげること」に大きく寄与する事は同感だ。 しかし、それはこどもたちがあそんだ結果であって、あそびはあそび以外の目的(例えば、前記の「」内の意図)を一切持たないのが本来の姿だ。かけだしの学童保育指導員だった頃の私がそうだったように、あそびにあそび以外の何らかの目的を持たせて、こどもたちを「あそばせる」事は、様々な問題を生じさせる事もある。特に、こどもの意思に反して、無理強いするような「あそび」(これは、もはやあそびでなないのだか)は、結果として、そのあそびに持たせた目的を達成できない事が多い。 もちろん、あそびを適切に導入すれば、上記の意図も十分に良い結果をもたらせるが、残念ながらこうした取り組の全てが、効をそうするとは限らない。特に、特定の教科や課題を意図した「あそび」や、全てのこどもたちに対して同じ「あそび」のあせった導入は、その目的の達成を難しくする。 あそびにより、「学びへの興味・関心、感覚を養うことや、小学校での意欲的な学習につなげること」を期待するなら、こどもたちが自主的・自律的にあそべるような条件作りこそ、おとなが手を差し伸べてあげなければならない事だ。そのためには、教育委員会や教師などの学校関係者だけでなく、こどもたちの保護者を含めた、地域ぐるみのおとなの援助が必要となる。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.20
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この「織機玩具」に見られる特徴は、記事(昨日のブログ参照)にある「クッキングトイ」でも似たようなものだが、海苔巻きや生キャラメルを、毎日作ってあそぶ事はほとんどない点に留意すべきだろう。例え、同じ「玩具」を使って、違う調理が出来ても、それで長期間続けてあそぶ事は無いだろう。 それに比べて、かわいい食器や調理器具のイミテーション玩具を使った「ごっこあそび」や、それこそ身近にころがっている、石ころや葉っぱなどを使ってあそぶ「ごっこあそび」は、毎日のように長期間続けてあそぶ光景は珍しくない。本物を調理する事より調理「ごっこ」が楽しいのだ。 ここに、「ごっこあそび」の大事な特徴が秘められている。「ごっこあそび」は、まさに「ごっこ」を楽しむあそびなのだ。お母さんや先生の真似をする事を楽しみ、「ごっこあそび」が作り出す架空の人間とその関係を楽しみ、その真似・架空を仲立ちとした、現実の人間関係をも楽しむのだ。 「本物玩具」は、本物と同じものが作れる事が売りであるし、もちろんその事を楽しむように作られている。もちろん、この「本物玩具」を使って、前記の「ごっこあそび」の様に楽しめるが、「本物」には失敗・難しさ・煩わしさが付きまとい、融通性が乏しい。だから、楽しみが長続きしないという弱点を持っている。 結論として、「調理玩具」や「織機玩具」などのような「本物玩具」は、玩具(おもちゃ)と言うよりも、こども向け「調理器」や「織機」として楽しめばいいだろう。玩具メーカーが考えるほど、また親が思うほど、「本物玩具」はあそびには向いてはいないのだ。これが、その昔「本物玩具」を娘たちに買い与えた、情けない親としての結論だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.19
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【本物ののり巻きや生キャラメルを作れる調理玩具、「クッキングトイ」がヒットしている。子供と一緒に楽しめることから両親や祖父母世代の関心も高い。少子化の加速によって玩具市場のさらなる縮小が懸念されるだけに、業界は“新市場”の拡大に期待を寄せる。(中略)一昔前は、子供の遊びでの料理といえば、泥団子や雑草だった。玩具でも、粉を使って本物に似た小さなサンプルを作る商品は以前からあったが、今の時代、楽しく作って実際に食べられることが受けているようだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/フジサンケイ ビジネスアイ:2009年5月14日) 記事のような、その機能が本物に極めて近い「玩具」は、これまでにも織物(編み物)が作れる物などがあり、そうした「玩具」はそれなりの価値もあるし、そうした「玩具」をこどもたちに買い与えるのは、お勧めはしないが、否定はしない。実際、私も前記の織物が織れる「玩具」を、娘たちに買い与えた親でもある。 しかし、親の思いとは裏腹に、娘たちがその高価な「玩具」であそんだのは、ほんの一時(いっとき)の事だった。娘たちの趣向に合わなかったのかも知れないが、こうした本物に近すぎる「玩具」には、直ぐにこどもたちから見放される「何か」が有るのかも知れない。その「何か」についての思い付きを綴っていく。 まず、前記の織物が織れる「織機玩具」を例にすると、多少目が粗くても織物が織れる点では、それは十分に本物の織機であって、その作業は「あそび」と言うよりも「仕事」に近い活動となる。その活動も本物のように、複雑なものを織ろうと思えば難しく、作業時間も長くなる。そして、失敗もその難しさに比例して多くなる。 もちろん、織物に興味関心が深まって、その作業そのものに楽しみを見出した子であれば、十分に長くあそべる「玩具」となるだろう。しかし、一般的にそのようなこどもは、そんなには多くは無い。ごく普通のこどもたちなら、直ぐに厭きるというより、難しい作業にギブアップしてしまうのが落ちだ。我が娘たちも、まさにそうした結末に至った。 どうせ、そのような結末を迎えるのなら、高価な「玩具」を買うよりも、昔ながらの「リリアン」や指編みを教えてあげる方が賢明だろう。これらで、十分に編む楽しさや織る原理に触れる事ができるので、興味が深まれば本物で楽しむほうが最善だ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.18
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【こどもの日恒例の「こどもまつり」が5日、佐賀市兵庫町の市中央児童センターであった。(中略)まつりは今年で12回目。道具がなくても楽しめることを知ってもらおうと、同センター内のトランプやパズル、ビリヤードなどをしまい、電車ごっこや引っ越し鬼などの遊びを用意した。初夏の青空の下、子どもたちは元気いっぱい遊び回り、会場は無邪気な笑顔で満ちあふれた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/佐賀新聞:2009年5月5日) こどもの日に限らず、記事のような「あそび」を教えたり一緒に楽しんだりするイベントは多い。記事の取り組みでユニークなのは、「道具がなくても楽しめる」あそびをテーマに開催された事だ。今のこどもたちは、「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」など幾つかの、そうした「道具の要らないあそび」を知っているが、その種類は昔に比べて断然減っている。 学童保育でのエピソードだが、道具を一切持たずに、何にも無いただ広いだけの野原に、こどもたちを連れて行ったが、何をどうしてあそんでいいか、戸惑うこどもたちの多い事に驚いた事があった。昔なら、そんな広い場所に着いたなら、直ぐに日ごろ出来なかったほどの、大きく広い「宝踏みん(Sケン・陣取りの一種)」のコートを描いてあそんだものだ。 道具を全く使わないあそびも多かったが、木切れ1本、石ころ1個、釘1本、チラシ1枚など、何処にでもありそうな物(遊具ではない)を使ったあそびを含めるともっとその種類は増える。さらに、例え買ったとしても多寡が知れているあそび道具である、紐・縄・ボール(庭球・ゴムマリ)などがあれば、無敵に近かった。要するに、昔のあそびには、ほとんどお金をかける必要があまりないあそびがほとんどだったのだ。 そして、これらのあまりお金をかけないあそびは、その多くがあそび相手が必要なあそびとなっており、この特徴がこどもたちに様々な能力、特に今のこどもたちに不足気味のコミュニケーション能力を育んでくれる。記事のような「道具がなくても楽しめるあそび」を広げてくれるイベントが、さらに各地に広がる事を期待したい。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.17
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(その12からの続き) この様に、「小1プロブレム」には、就学前後のあそびのあり方の変化や、放課後の様変わりが、少なからず影響を与えている事がわかる。これらの変化を昔のような姿に戻す事、特にこどもたちのあそびの姿を、昔のように戻す事は、「小1プロブレム」に陥るこどもたちを少なくするばかりではなく、現に「小1プロブレム」に陥っているこどもたちを救う一助となるだろう。 今「小1プロブレム」だけではなく、「中1プロブレム」、はたまた「高1プロブレム」「大1プロブレム」、そして新入社員の「社1プロブレム」という様な状況も少なからず起きていると思われるが、小学校でのあそびのあり方の見直しは、きっとこれらの「プロブレム」をも、解決へと導いてくれる可能性が大きい。 私がこどもの頃(1950年代)のあそびのあり方は、けっして特殊なあり方ではない、おそらくそこにはあそび本来の姿があった。「あそびはこどもの仕事」と言われていたように、まさにこどもたちがおとなになるための、大事な仕事として、おとなたちが認め、こどもたちもそのまま実践していた。 そんな時代においても、小学一年生のつまづき、「小1つまづき」があったが、それは大きな「プロブレム」とはならなかった。あそびがあそび本来の姿を示し続ける限り、「つまづき」は「プロブレム」とはならないだろう。しかし、あそびが本来の姿を全く失った時、「プロブレム」は「小1」「中1」などの一時期の事ではなく、社会的「大プロブレム」として、私たちの前に立ちはだかるかも知れない。 「小1プロブレム」は、そうなる前の警鐘として受け止める必要がある。こどもたちが楽しい学校生活を送り、健やかに賢く育つためにも、あそびの持つ大切な意味を今一度再確認して、一人一人のおとな自らが、出来るところから、こどもたちあそびにいろんな意味での豊かさを取り戻す事を願っている。あそびが永久(とわ)に本来の姿を持ち続けるように!「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.16
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(その11からの続き) この様な、放課後の変化に、近年さらに厳しい条件が加わっている。それは、週休二日制やごく最近の「ゆとり教育」の「見直し?」により、放課後のあそびのゴールデンタイムが短くなって来ているのだ。特に、低学年の自由な放課後の短さは、塾・習い事の低年齢化の進行と合わせて、極端に短くなっている。 こどもたちの多くは、その放課後のあそび時間の短さを穴埋めするかのように、夕方以降、時には深夜にまであそび時間は夜にシフトさせている。もちろん、帰宅しての夜の時間帯のあそびは、一人あそびが中心である事は当然で、そのあそび内容も、テレビやゲーム機などに頼らざるを得ない。ここにも、「小1プロブレム」の直接の原因にならなくても、検討すべき課題があると思われる。 時には深夜まで及ぶ夜型で、身体より脳が疲れるあそびは、起床時間の遅れや朝食ぬきにも結びつき、これでは当然良いコンディションで登校し、学習できないだろう。それが、就学前からのこどもたちの生活習慣になっておれば、十分に「小1プロブレム」に陥ってしまう可能性を高める事は間違いがないだろう。 就学前はお日様が出ている間、小学生にとっては放課後に、大勢の仲間たちと思い切り身体を使ってあそび、日が暮れれば帰宅し、夜は適度な疲れと心地よい眠気ともに、明日のあそびを楽しみに、健やかな眠りに着く。こどもたちのあそびを中心とした生活のあり方は、こうでなければならないだろう。昔は、みんなそうだったのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.15
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(その10からの続き) ここまでは、昔(私のこどもの頃:1950年代)と比べて、就学前のあそびのあり方が大きく変化してきている事が、「小1プロブレム」の原因の一つになっている事を綴ってきたが、実はこの変化は当然ながら、就学後の小学生たちのあそびにも当てはまる変化だ。そして、小学生たちのあそびを昔のように戻す事は、現に起きている「小1プロブレム」の改善にも何らかの手がかりとなるだろう。 その事を踏まえた上で、「小1プロブレム」の原因となっていると思われる、生活のあり方の変化を何点かに絞って見て行く事とする。小学生たちの生活で、昔と比べて大きく変わったのは、放課後のあり方だ。結論から言うと、異年齢の集団が形成しづらくなった点だ。特に、こどもたちだけの自主・自律の自治的集団である、異年齢のあそび集団の形成が難しくなった。 それは、昔はあそびのゴールデンタイムであった、日々の放課後の時間帯が、塾・習い事・スポーツ活動などなどで、大分部が塞がってしまったこどもたちの占める割合が、著しく増大した事に起因する。その忙しい放課後を過ごすこどもたちのあそび時間の絶対量の減少も問題だが、忙しくない子も含めて、あそび友達を確保する事が難しくなったのだ。これでは、あそび友達の確保の難しさは、異年齢のあそび集団もさることながら、同年齢のあそび集団の形成さえも難しくなる。 塾・習い事は概ね年齢によりクラス編成されており、当然クラスごとにその実施時間帯は異なる。これは異年齢のこどもたちが同じ時間帯で同じあそびをする事を難しくしている。比較的忙しくないこどもたちでも異年齢の仲間たちとあそぶ事はままならないのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.14
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(その9からの続き) さて、色んなあそびを種類多くあそんでいるという事は、それだけ色んなこどもたちとあそんだ事にもなる。ボールあそびが好きな子、折り紙が好きな子、虫捕りが好きな子など、自分のその時々の気分や能力などに応じて、様々な個性・能力をもった子とあそびを通じてふれあう事ができ、当然さまざまなこどもたち(人間)との付き合い方を学べるのだ。 あそびは、その継続時間や流行の期間だけでなく、その種類が、量的に確保されている事が、あそびが培う様々な能力、とりわけ「小1プロブレム」に陥らないために、集団や社会との付き合い方の力の獲得にとっては、望ましい条件となっている。 さらに、あそびの種類が豊かである事は、こどもたちをとりまく集団、言い換えればあそび集団の母集団である、学校や地域全体の集団が、ある程度の大きさであれば、自分に合ったあそびが見つかる可能性は高くなる。ボールあそびが苦手なら当面は自分に適した折り紙、あるいはけん玉が苦手なら将棋と言ったように、自分にあったあそびを選べばいい。 それでは、同じあそびばかりで、色んなあそびに挑戦しなくなるのではとの心配もある。もちろん、状況によってはそうなるかも知れないが、あそびにはそうした側面をある程度克服してくれる条件が備わっているのだ。違ったあそびごとに成立するこども集団には、ダブりのメンバーがかなりの確率で存在するのだ。 ドッチボール好きの子が、コマ回しのあそびをしていれば、そのコマ回しの集団にいるドッチボールの苦手な子は、コマ回しのあそび集団を通して、ドッチボール好きのこどもと親しくなる。すると、ドッチボールの苦手な子がドッチボールをやってみようと思う確立は高くなる。 あそび集団を通じたこども同士の関係は、苦手なあそびに挑戦しようとする有利な条件を作ってくれる。こどもたちをとりまくあそびが、一人あそびから大規模の集団遊びまで、屋内あそびから屋外あそびまで、じゃれあそびから複雑なルールのあるあそびまで、静かなあそびから激しいあそびまで、その種類が豊かであればあるほど、苦手なあそびに挑戦できる機会は増大する。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.13
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(その8からの続き) 就学前のこどもたちのあそびの変化で、あそびの絶対量の減少だけでなく、あそびの種類も貧弱になってきているように思える。それは、私がかつて勤めていた学童保育所での経験から思い立った事なのだが、私がこどもの頃(1950年代)、就学前にはすでに覚えていたような幾つかのあそびを、こどもたちはほとんど知っていなかったのだ。 保育所や幼稚園などでは、伝統的なあそびを保育の一環として取り組まれているのが、それでもあそびの種類の減少は否めない。さらに、保育所や幼稚園などの一部では、前記のようにあそびの絶対量が不足しているので、あそびがこどもたちの身についていないと言う印象を持っている。 あそびは、一般的に誰か(複数の時も)が始めて、あそび仲間が増えながら流行(はやり)と言う時期を経て、時の経過とともに廃れていくものだ。面白いから始まり、楽しいから流行り、つまらなくなったら終わる。言い換えれば、こどもたちは一つのあそびを、あそびきるだけあそびきって、つぎのあそびが始まり流行を迎える。 しかし、保育所や幼稚園などでは、ほとんどのあそびが保育の一環として、カリキュラム(計画)にしたがって展開されているので、少なくとも自由あそびの時間が十分に確保されていない施設では、そうしたあそびの流行り廃りはほとんど見られない。また、最悪の場合、行事との関係で流行を迎えつつあるあそびが寸断されてしまう事もある。 こどもたちが、あそびきらなかったり、あそびこなせないままでは、あそびを本当に楽しんだとは言い切れず、直ぐ忘れてしまったりもする。それは、学童保育所で経験した「ああ! このあそびやったことあるわ! でもやり方は忘れてしもたわ!」との、こどもたちの言葉でもわかる。還暦間近の私が、こどもの頃に覚えたあそび(あそび方)を未だに覚えているのとは大違いだ。(続き)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.12
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(その7からの続き) あそびの絶対量が減れば、集団あそびや友達とのあそびの絶対量も減る。それらの自分以外のこどもたちとのあそびは、こどもたちの人付き合いにおける様々な能力を鍛えてくれる。そうしたあそびは、見方を変えれば、それぞれが自分本位のこどもたち同士の、欲求のぶつかり合いなのだから、その鍛え方はおとなとは違って容赦が無い。 しかし、あそびには何時でもやめられる(抜けられる、最初から入らない、次は入らないなど)と言う、逃げ場が基本的には用意されている。この特徴があるからこそ、あそび自体の楽しさと相まって、人間関係を学ぶ上で、あそびはこどもたちに最適な実践的学習の場を作ってくれるのだ。 こどもたちだけのあそびには、「容赦の無さ」と「逃げ場」の両方が兼ね備わっているが、保育所や幼稚園などの施設における、おとなが関る「あそび」、正確には「あそび的活動」の中には、ともすれば「容赦の無さ」が無く手加減が有ったり、「皆で一緒にあそぶ」「皆同じあそびをする」などで「逃げ場」も無かったりするケースも見受けられる。 そうしたケースでは、「小1プロブレム」どころか、「保育所プロブレム」や「幼稚園プロブレム」に陥るこどもたちも、いるのかも知れない。私の学童保育での経験でも、そうしたこどもたちにも出会ってきたが、その「プロブレム」からの脱却には、適切なおとなの対応と「プロブレム」の大きさに見合った時間が必要となる。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.11
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(その6からの続き、引用記事は再掲) 【小学校に入学したばかりの児童が学校生活に適応できない「小1プロブレム」。 最近にわかに問題になっているが、文部科学省と厚生労働省は対策の一助にしようと、全国各地で行われている有効な取り組みを紹介する事例集を作った。(中略)学校関係者の間では、小1プロブレムの解消には、やはり小学校と幼稚園などとの連携が欠かせないという声が出ている。しかし、その取り組みは地域により大きな差があるのが実情で、昨年、政府が策定した教育振興基本計画にも、「子供の発達や学びの連続性を踏まえ、幼稚園・保育園と小学校の連携を促す」との一文が盛り込まれた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年5月3日) 保育所や幼稚園などの施設においては、自治的な機能を持ったこどものあそび集団が少なくなっているが、それでも「あそび」、特に身体を使ったあそびや、集団やともだちとのあそびを、何らかの形で量的にも重視している施設なら、「あそび」はこどもたちにさまざまな力を育んでくれる。 しかし、あそびが保育に位置づけられている保育所や幼稚園などの施設の一部に見られるように、その「あそび」を様々な行事で「発表?」するための、練習や制作活動が目白押しで、こどもたちが身体的にも精神的にも追い込まれるようなケースもある。 さらに、就学前のこどもたちへ、早期教育や知育という名目のもとに、新たな課業をこどもたちに課す施設が、最近にわかに増えつつある。さらに、就学前の習い事や塾なども急増している。昔は「小学校へ入学するまではあそびだけ」と言っても過言ではなかったが、前記の様な状況を見ると、今の就学前のこどもたちのあそびは、その絶対量で減少してきていると言えるだろう。(あそびの種類の減少は後に触れる。)(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.10
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(その5からの続き、引用記事は再掲) 【小学校に入学したばかりの児童が学校生活に適応できない「小1プロブレム」。 最近にわかに問題になっているが、文部科学省と厚生労働省は対策の一助にしようと、全国各地で行われている有効な取り組みを紹介する事例集を作った。(中略)学校関係者の間では、小1プロブレムの解消には、やはり小学校と幼稚園などとの連携が欠かせないという声が出ている。しかし、その取り組みは地域により大きな差があるのが実情で、昨年、政府が策定した教育振興基本計画にも、「子供の発達や学びの連続性を踏まえ、幼稚園・保育園と小学校の連携を促す」との一文が盛り込まれた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年5月3日) 小学校入学前のこどもたちのあそびの状況で、昔(1950年代)と大きく変わったのは、最初にふれたように、こどもたちのあそび集団の変化の他に、保育所や幼稚園へ通うこどもたちの増加による、こどものあそびにおとなが直接関与する度合いの増加がある。 今、ある統計によると、入学直前のこどもたちの多く(およそ9割)が、保育所や幼稚園に通っているそうだ。これらの施設では、保育のひとつの柱として、「あそび」が位置づけされている。これは、入学前のこどもたちのあそびに、おとなが制度的・継続的に関っている事を意味している。 一方で、保育所や幼稚園に通うこどもたちの増加は、昔に比べて多くのこどもたちが集団生活を早く始めており、集団生活に早く慣れているこどもたちが増えていると見ることも出来る。しかし、実際は「小1プロブレム」に陥るこどもたちが多くなっている。この不思議な状況には、「小1プロブレム」に陥るひとつの原因が隠されているのではないだろうか。 先に述べたように、あそび集団がこどもたちの自治集団であった事と比較して考察すると、このおとなが関与するこども集団の持つ一つの側面が浮かび上がってくる。それは、おとなの関与が適切でないと、自治能力はもちろんの事、自分を律する能力が十分に育まれない可能性があると言う事だ。 あそびの中で起こり得る、様々なこども同士の揉め事を、こども自らが解決するより、おとなが先走って解決してしまったり、こどもたちも全ての揉め事の解決をおとなに期待するようにもなる。そんなこどもたちが形成する集団には、おとな依存型集団やおとな従属型集団と見なせる集団も少なくない。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.09
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(その4からの続き、引用記事は再掲) 【小学校に入学したばかりの児童が学校生活に適応できない「小1プロブレム」。 最近にわかに問題になっているが、文部科学省と厚生労働省は対策の一助にしようと、全国各地で行われている有効な取り組みを紹介する事例集を作った。(中略)学校関係者の間では、小1プロブレムの解消には、やはり小学校と幼稚園などとの連携が欠かせないという声が出ている。しかし、その取り組みは地域により大きな差があるのが実情で、昨年、政府が策定した教育振興基本計画にも、「子供の発達や学びの連続性を踏まえ、幼稚園・保育園と小学校の連携を促す」との一文が盛り込まれた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年5月3日) あそび集団の母集団である、学校や地域のこどもの集団の規模が一定程度大きければ、あそび集団の構成とリーダーは絶えず変動すると言える。反対に母集団が小さいほど、あそび集団の構成やリーダーは固定的になりやすい。なお、学校や地域のこどもたちの人間関係が希薄であると、母集団そのものがある程度のまとまりをもった集団とは言い難く単なる「集まり」にすぎず、その母集団から形成されるあそび集団は、固定的な集団になってしまいやすい。 さらに、どんなに母集団が大きくても、その母集団がもっているあそびの種類が貧弱であれば、当然あそびの種類ごとに、あそびのリーダーは生まれにくくなり、その結果としてあそび集団も固定的になる。最悪の場合は、独裁的なリーダーを生み出すような集団になりかねない。 この様に、あそび集団が異年齢で構成されていると、有能なあそびのリーダー(ガキ大将)を生み出し、集団そのものも自治集団として機能する。こどもたちが幼い頃から、様々なあそびごとに形成された、あそび集団に属しながら生活する事は、集団生活への適応能力を鍛えてくれる事となり、これは「小1プロブレム」に陥り難くする条件ともなり得る。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.08
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(その3からの続き、引用記事は再掲) 【小学校に入学したばかりの児童が学校生活に適応できない「小1プロブレム」。 最近にわかに問題になっているが、文部科学省と厚生労働省は対策の一助にしようと、全国各地で行われている有効な取り組みを紹介する事例集を作った。(中略)学校関係者の間では、小1プロブレムの解消には、やはり小学校と幼稚園などとの連携が欠かせないという声が出ている。しかし、その取り組みは地域により大きな差があるのが実情で、昨年、政府が策定した教育振興基本計画にも、「子供の発達や学びの連続性を踏まえ、幼稚園・保育園と小学校の連携を促す」との一文が盛り込まれた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年5月3日) 次に、前記の自治集団とも言えるあそび集団の内容を見ていく。あそびは、途中の揺れはあるものの、一般的にそのあそびを構成する全てのこどもたちが、楽しくなるように発展する特徴を持っている。あそびの楽しさを阻害するのが意地悪なリーダーならば、そうしたリーダーは何れ淘汰される。 例えば、ズルをするリーダーが現れた場合、ズルをされたこどもたちが楽しくないのはもちろんの事、ズルをしたリーダー本人も本当は楽しくない場合も多い。だから、時にはズルをされたこどもたちから敬遠・非難され、実質的にリーダーで無くなったり、別のリーダーの元へ逃げ出される事もある。 もちろん、小学校入学前のこどもたちのあそび集団では、まだまだ未成熟な自治集団ではあるが、それでも基本的には前記のあそび集団の特徴は同じだ。さらに、小学校入学の前と後のこどもたちが混在する集団では、年長のこどものリーダー振りに接する事が出来、それは将来あそび集団のリーダーになる上でのお手本や反面教師となる。 このような自治機能を持ったあそび集団は、けっして固定的集団ではないと言う側面も持っており、それがまたこどもたちの自治能力を育む有利な側面となっている。同じあそびでも、時間の経過と共にあそび集団の構成員は入れ替わり、それにしたがって当然リーダーも入れ替わる。 また、あそび集団が固定的な集団でないのは、時間経過によるだけでなく、同じ時間範囲においても変動するのだ。あそびの種類が違えば、そのあそびで形成される集団の構成員も変化し得る。例えば、「ごっこあそび」と「缶けり」では、それぞれのあそびが作る集団の構成員は、ダブりはあっても同じではなく、それぞれのあそびのリーダーも違った子がなり得る機会が増す。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.07
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(その2からの続き、引用記事は再掲) 【小学校に入学したばかりの児童が学校生活に適応できない「小1プロブレム」。 最近にわかに問題になっているが、文部科学省と厚生労働省は対策の一助にしようと、全国各地で行われている有効な取り組みを紹介する事例集を作った。(中略)学校関係者の間では、小1プロブレムの解消には、やはり小学校と幼稚園などとの連携が欠かせないという声が出ている。しかし、その取り組みは地域により大きな差があるのが実情で、昨年、政府が策定した教育振興基本計画にも、「子供の発達や学びの連続性を踏まえ、幼稚園・保育園と小学校の連携を促す」との一文が盛り込まれた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年5月3日) 「小1プロブレム」の原因と考えられる、前記のこどもたちのあそびの変化は、それぞれが複雑に絡みながらも、とりわけこどもたちのあそび集団の構成年齢および構成人数の変化は、「小1プロブレム」すなわち学校での集団生活への適応の問題に、大きく関っていると思われる。まず、このあそび集団の変化をやや詳しく見ていくこととする。 こどもたちが入学後の学校での生活は、基本的には同年齢集団であるにも拘らず、同年齢でのあそびに偏った今のこどもたちのあそびが、「小1プロブレム」のけっして小さくは無い原因となっている。それは、異年齢集団が、こどもたちの集団生活(社会生活を)に欠かせない力を育む機能をもっているからだ。 あそび集団を構成しているこどもたち同士の年齢に違いが有ると言う事は、すなわち諸能力の発達段階が違っている事を意味する。その諸能力の違いは、身体的能力だけでなく、当然な事ではあるが、精神的能力や知的能力にも及んでいる。 だから、異年齢集団には、あそび相手の身体的能力の違いを認識したり、自分の諸能力や集団での立場を認識したり、さらにそれらを統合理解し、あそび相手の事を思いやって様々な対応できる子が、含まれるケースが多くなる。その子は良い意味でも悪い意味でも、その集団のリーダー的存在となる。いわゆる「ガキ大将」だ。 「ガキ大将」の思いやり方には決して相手にとって肯定的でない場合もあるが、それはやがて淘汰され、教え合い、いたわり合うあそび集団の望ましいリーダーとなる場合が多い。そして、そんなリーダーのいるあそび集団は、こどもだけで構成された、ある種の自治集団とも見なせる集団となる。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.06
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(その1からの続き、引用記事は再掲) 【小学校に入学したばかりの児童が学校生活に適応できない「小1プロブレム」。 最近にわかに問題になっているが、文部科学省と厚生労働省は対策の一助にしようと、全国各地で行われている有効な取り組みを紹介する事例集を作った。(中略)学校関係者の間では、小1プロブレムの解消には、やはり小学校と幼稚園などとの連携が欠かせないという声が出ている。しかし、その取り組みは地域により大きな差があるのが実情で、昨年、政府が策定した教育振興基本計画にも、「子供の発達や学びの連続性を踏まえ、幼稚園・保育園と小学校の連携を促す」との一文が盛り込まれた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年5月3日) 「小1プロブレム」の原因解明について以下に、思いついた私見を綴っていく。「小1プロブレム」の原因を、大きく分けて、小学校入学までのこどもたちの生活のあり方と、そのこどもたちを受け入れる小学校での教育の現状及び放課後の生活のあり方の、二つの面からの分析により解明していく必要がある。 特に、小学校入学前の生活のあり方は、「小1プロブレム」を招く、こどもたちの主体的原因となっているが、その事を「小1プロブレム」があまり問題ではなかった頃と今とを比較検討する事は重要だ。その比較検討の上にさらに、小学校入学後の教育及び放課後の生活の現状を分析する必要があり、この現状分析は目下進行中の「小1プロブレム」状態の改善には欠かせない。 さて、こどもたちの生活のあり方の、「小1プロブレム」があまり問題ではなかった頃(昔)と今の違いだが、私がこどもの頃(1950年代)との違いを例にとって簡単に見ていくこととする。昔と今のこどもたちの生活で大きく変化したと広く認められているのが、こどもたちのあそびの変化だ。 異年齢集団から同年齢集団へ、集団あそびから一人あそびへ、外あそびから室内あそびへ、身体を使ったあそびから頭を使うあそびへなどなど、個々のこどもたちによってそれぞれの変化に程度の違いはあれ、あそびが大きく変化してきている。さらに、保育所や幼稚園へ通うこどもたちの増加は、こどものあそびにおとなが直接関与する度合いの増加ともなっている。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.05
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【小学校に入学したばかりの児童が学校生活に適応できない「小1プロブレム」。 最近にわかに問題になっているが、文部科学省と厚生労働省は対策の一助にしようと、全国各地で行われている有効な取り組みを紹介する事例集を作った。(中略)学校関係者の間では、小1プロブレムの解消には、やはり小学校と幼稚園などとの連携が欠かせないという声が出ている。しかし、その取り組みは地域により大きな差があるのが実情で、昨年、政府が策定した教育振興基本計画にも、「子供の発達や学びの連続性を踏まえ、幼稚園・保育園と小学校の連携を促す」との一文が盛り込まれた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年5月3日) 昔も、「小学校に入学したばかり」の時に「学校生活に適応できない」こどもたちもいたが、今は「小1プロブレム」と言う造語を使用しなければならないほど、多発したり深刻化しているのだろう。そこで、国も「小1プロブレム」対策事例集を作ったということだ。記事にはその事例すべてが紹介されているわけではないが、「子供の発達や学びの連続性を踏まえ、幼稚園・保育園と小学校の連携」を基本として作られているようだ。 確かに、「幼稚園・保育園と小学校の連携」は、大きな意義のある事ではあるが、昔も「幼稚園・保育園と小学校の連携」がとれていたわけではない。それどころか、「幼稚園・保育園」に通うこどもたちは少数派であった。しかし、その当時は今で言う「小1プロブレム」は大きな社会的な問題ではなかった。要するに、「小1プロブレム」の原因は、当たり前の事だが、「幼稚園・保育園と小学校の連携」不足にあったのではない。 だから、「小1プロブレム」の改善は、「幼稚園・保育園と小学校の連携」を進めるとともに、何故「小1プロブレム」になるのかと言う、根本的な原因を突き止める事が大切だ。そのためにも「幼稚園・保育園と小学校の連携」の中でも原因究明をする必要がある。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.04
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(その1からの続き、引用記事は再掲) 【最近では、パソコンや携帯ゲーム機での学習ソフトも多く発売されるようになりました。ゲームについて頭を悩ませている保護者の思いについてはこれまでも紹介してきましたが、ゲームを利用した学習について保護者はどう考えているのでしょうか。(中略)全体的には37%が「使っている」という結果になりましたが、保護者のゲーム頻度によって大きく差が出ました。図2によれば、ゲームを「ときどきする」保護者と「まったくしない」保護者とでは、約20%の差があります。保護者がゲームをする家庭ほど、子どもも学習ソフトに親しんでいることがわかります。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/Benesse 教育情報サイト:2009年4月27日) だから、こどもたちが学習をすること自体は、本来は苦痛を伴う活動でもないし、ましてや嫌いになるような活動ではないと思われる。では、なぜ一部のこどもたちは、学習を楽しく思わなかったり、学習を嫌いになってしまうのだろうか。ある状況下では、学習がこどもたちの意思に背いた、強制された活動となっているのではないだろうか。 考えれば、人間はこどもたちの学習を社会的(集団的)・制度的に保障する、「教育」と言う素晴らしい学習形態を生み出したが、その「教育」の行き過ぎた一つの例が、強制的学習あるいは学習の強要なのだ。もちろん、ある一定の許容範囲では強制的学習も必要だとは思うが、その「教育」の相手であるこどもたちが、学習に消極的になってしまうような過度な強制的学習は、見直さなければならないだろう。 だから、その裏返しとして、こどもたちが楽しく思っていたり好きになっている、ゲーム機やゲーム的学習ソフトが学習に活用されていると言えるのだ。そして、少なくとも初期の段階においては、「ゲームを利用した学習」はこどもたちにとって、強制のない自主的な活動となっており、その範囲において一定の効果もあがる。 しかし、その学習の全部ではないにしろ、学習自体に楽しみや喜びを感じているのではなく、ゲーム自体に楽しみや喜びを感じているのでは、長続きしない可能性が大である。だから、こどもたちを、適時ゲームによるあそぶ楽しみの段階から、学習による知る喜びの段階へと導いてあげる必要がある。 なお、学習だけの目的を持ったゲーム性の無い、ソフトやゲーム機ほど、少なくともこどもたちにとっては、つまらないものは無い事も留意しておくべきだろう。また、「ゲームを利用した学習」をする上で、ゲーム機の小さな画面(小さな文字)を見続けるよりは、パソコンを使用する方が賢明かも知れない。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.03
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【最近では、パソコンや携帯ゲーム機での学習ソフトも多く発売されるようになりました。ゲームについて頭を悩ませている保護者の思いについてはこれまでも紹介してきましたが、ゲームを利用した学習について保護者はどう考えているのでしょうか。(中略)全体的には37%が「使っている」という結果になりましたが、保護者のゲーム頻度によって大きく差が出ました。図2によれば、ゲームを「ときどきする」保護者と「まったくしない」保護者とでは、約20%の差があります。保護者がゲームをする家庭ほど、子どもも学習ソフトに親しんでいることがわかります。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/Benesse 教育情報サイト:2009年4月27日) 調査対象が、この記事元のサイトであるので、ある程度割り引いて見る必要があるが、「ゲーム機またはゲーム的な要素がある学習ソフト」を使って学習している、こどもたちの多さに驚く。また、最近ゲーム機を授業に活用している学校や塾なども増えてきている。 ゲーム機・パソコン・携帯電話の普及を考えれば、この様な状況はさして驚くべき事ではないかも知れないが、「ゲーム機またはゲーム的な要素がある学習ソフト(以下「ゲームを利用した学習」と記載)」に頼らなければならないような状況は、否定はしないが慎重に取り組む必要があるだろう。 もし、「楽しく学習するため」とか「学習を好きになってもらうため」などの目的で、「ゲームを利用した学習」と言う方法を選択するのなら、その目的の裏に隠された側面に留意する必要がある。「楽しく学習できない」理由や「学習が好きになれない」理由を見極めずして、「ゲームを利用した学習」に取り組むのは、うわべだけの対策となりかねないのだ。 このブログでも度々指摘している事だが、人間のみならず動物一般に、新しい事を知る事は生きていく上での大切な活動である。言い換えれば、知る事は本来動物たちにとって欠かせない根本的な生命活動の一つなのだ。だから、知る事が心地よく、知り得た時に喜びを感じる事が出来る方が、優位に生命活動を維持できる。それは、全ての動物のこどもたちが、好奇心旺盛である事でも理解できるだろう。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.02
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【東京都台東区にある区立デイサービスセンター「あさくさ高齢者在宅サービスセンター」には、ぬいぐるみ、パズル、塗り絵など十数種類のおもちゃが置かれている。昨年2月に、おもちゃを使ってリハビリ効果をあげる玩具療法を導入。併設の特別養護老人ホームの入居者を含め、認知症高齢者約130人のうち、約90人に効果が認められた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2009年4月28日) このブログでも度々紹介してきたが、高齢者の認知症の予防やリハビリに「遊び」が効果的である事が、あらためて検証されたわけだ。記事は、おもちゃを使った「玩具療法」の例ではあるが、楽しみの少ない単純なリハビリやトレーニングよりも、おもちゃの使用の有無はともかく、遊ぶ事の方がより効果的と思われる事は、すでに本ブログでも強調している。 また、本ブログでは、高齢者向けの玩具(がんぐ)やおもちゃの呼称として、「楽具(らくぐ)」とする提案もしている。それは、玩具やおもちゃには、どうしても「こどもの」と言うニュアンスが付きまとう。それは、少なくない高齢者のプライドを傷つける恐れもある。高齢者が楽しくプライドを持って「おもちゃ」で遊べるように、「楽具」の呼称を提案している。 「楽具」で楽しく遊びながら、心身ともに楽(らく)になる。そんな意味も込めたものだが、「楽具」と書いて「らぐ」と読ませる造語がすでに存在するが、「楽になる」を強調する意味で読みを「らくぐ」とした。なお、以前の記事には「がくぐ」でも良しとしたが、「らくぐ」の「ラ行」の柔らかい響きが似合っているので、読みは「らくぐ」としたい。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2009.05.01
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