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オイルショックを契機に日本は省エネが進んだ。公害問題も経験し、環境への配慮も進んだ。大きな問題にぶつかるたびに、工夫を凝らして新しい産業構造への転換は素晴らしいと思う。それは国民のレベルが高いということもあるが、日本人の気質によるところも大きいと思う。常に困難に立ち向かわざるを得ない状況に、優れた対応力を発揮していく国民の力には感心する。それと引き換えに、いわゆるエリート層といわれる人達の堕落が進んでいったようにも思う。60年代の学生運動では、そういうエリート層への反発もあって大きく激しい運動になったと思うが、その運動に関わった人達もその後の企業戦士として高度成長まっしぐらに突き進んでいった。それはバブル期で頂点に達したが、エリート層の堕落はそれ以上に日本全体に蔓延してしまったようだ。バブル崩壊後の相次ぐ不祥事がそれを物語っている。三島由紀夫が憂いた状況が、現実となっていったのだ。バブルで犠牲になった人達はたくさんいる。先日、約30年ぶりに小学校同窓会や中学校同窓会があったが、色々な業種の人達と話ができて楽しかったと同時に、勉強にもなった。そこでもバブルで傷ついた人達がいた。たまたま親から引き継いだ土地を持っていたばかりに、銀行からのしつこい誘いに乗ってしまい、結局2億円の借金をした男がいた。今も借金を返しているそうだ。同じような境遇の人達は何人もおり、自殺をしてしまった人もいたそうだ。私も上司に誘われてゴルフ場の会員権を購入したが、結局バブル崩壊後に倒産し、大損をした。そういう庶民を尻目に、企業トップや既得権益に乗ったエリート層が何の反省もせず居座り続けたり、逃げたりしていったのだ。その後遺症は20年が経った今も続いている。そういう状況を何とか改善したい、後世の若い人達に胸を張って引き継ぎたい、という思いもあって、このブログを書いている。続く、、、
2011.07.31
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この暑さで、ブログを休んでいた。この2週間、下痢に断続的に襲われ、本当に疲れてしまった。やはり61歳というのは、若くは無いことを実感した。さて、前回の続きを書いていこう。1970年代は日本の高度成長期にあたるわけだが、敗戦のあとから立ちあがるということでは活気のある時期だった。今の中国や新興国の活気も同様だ。しかし、社会が大きく変わることで、歪みも当然出ていた。特に社会問題となったのが、公害である。イタイイタイ病、水俣病、駿河湾のヘドロはテレビに何度も放送されて、その酷さは異常であったと思う。このころから原発も推進されていったのだろう。そのあと、私が学生時代にはオイルショックがあり、就職に大きく影響した。新日鉄も受けたのだが見事に落ちてしまった。そのほか何社か資料を取り寄せ考えていたところ、親戚から半導体で人手が足りないからすぐ来てくれないか、ということでここまで来てしまった。電機業界はまったく考えていなかったので、最初は迷ったが、ほかに行くところも無いので、面接を受けに行った。一流企業であったが、面接した場所はすぐにも崩れ落ちそうなプレハブ小屋で、当たり障りのないことを話してすぐ帰ってきた。それから1週間で採用通知がきた。今考えるとなんとも不思議な気がするが、この仕事が一生の仕事になってしまった。半導体産業は景気の浮き沈みが激しいが、その時から今も成長産業であることには変わらない。産業の米とも言われるようになった。今回の大震災でもルネサスエレクトロニクスが有名になったが、あらゆる産業に貢献する巨大産業であるとも思う。そういう意味では大変恵まれた会社人生だったように思う。続く
2011.07.30
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下記のユーチューブを多くの人に観てもらいたいと思います。児玉龍彦参考人説明 7月27日衆議院厚生労働委員会http://www.youtube.com/watch?gl=HK&v=DcDs4woeplI
2011.07.30
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