私の根幹を支えて頂いた11人の恩人 0
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◆ 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ^-^◆ 私には誕生日が二つあります<今日が真実の誕生日> 私には、実際に生まれた誕生日と、戸籍上の誕生日とがあります。二つの誕生日があるのです。 実の誕生日は、本日12月16日ですが、当時の時代背景の中の事情からか、届け出の誕生日は、次の年の、1月2日になっているのです。(私はこれをオフィシャル誕生日と呼んでいます。(^-^)) こういう例は昔、よくあった話の様です。12月中盤以降の生まれの人は1月の届け出になっていることが多い時代があったと聞いたことがあります。……正月が縁起が良いからという話が多かったようです。 従って、誕生日に関する私的な諸事は12月16日。正式な手続き関連は、1月2日……と使い分けています。 実は、小学校の高学年までこの事を知りませんでした。母方の祖父に愚痴を言ったのがきっかけで判明したのです。「みんなと違って僕の誕生日はお正月だから、 特別な料理とかして貰えないし、休みなんで友達からも 『おめでとう』って言って貰えない。 お母さんに言ったら 『正月だから全国の人から祝ってもらってるようなもんよ』 ……だって…………(;一_一)」「なに!(゜_゜)誕生日? 何を言っとるか。お前は正月に生まれたんじゃない。 師走の忙しい時に生まれたんじゃ」「えっ?ホント?じゃーどうして1月になってるの?」「知らんよ……そんな事、今日迄知らんかった。 実家に帰って来て産んだからはっきり覚えとる……。 なんせ、初孫だしな……(^-^)」 早速、父母に問いただしましたところ、最初は「爺ちゃんの勘違いや」と言っていましたが、最終的には認めてくれて、はっきり認識したのであります。 何でも、当時は年齢を数え年で数えていて、わずか2週間足らずで2歳になるのは可哀そうだ……、ということもあったようです。 それにしても、当時の役場とかも、けっこういい加減なものだったんですね。(^。^) お陰で(そのせいで)生まれた年も干支も真実ではない登録がなされ、それが私のオフィシャルになっています。(^_^;) 人には様々な歴史がありますね。(^。^)(^-^)(^v^)(^u^)ヽ(^。^)ノ人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ======================================================◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。 それぞれ200円です。(^-^)AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。 良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2019/12/16
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◆ 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ^-^◆ 懐かしき「黄昏隆盛軍」の思い出 [3] <Renewal> 「年寄組忘年会」がどれほど盛況だったか……、翌日、参加の皆さんに幹事から送ったお礼メールの一節から、ご想像下さいませ……(^。^)--------------------------------------------------「黄昏隆盛軍」忘年会お疲れ様~~ (^。^)たそがれ歳にも関わらず、いやはや、見事な盛り上がり。飲み屋の小座敷……七人衆。刺身に、鯛の塩焼きに、鍋はつみれの味自慢。柚の香りも香ばしく………。みんな、揃って舌鼓。ちょっと、出遅れ、KSさん、女将の名前もKSさん……(^-^)駆けつけ3杯……名調子。あっと、いう間に追いついて、あれや、これやの高笑い。話し上手の花が咲く。さすが、営業のおん大将。クスリと笑ったKHさん、ビールで服用……珍しい。薬も入って、引き締まる。夜も更けゆく、中央町。弾む話は、血圧、肝臓、精力剤…………。そして、下ネタ……盛り上がり。熟年パワーを見せつけて、女将もとうとう、呆れ顔。 二次会予定のカラオケ屋。目指すは、本命、「こうげん」ぞ。空いていました、空っぽで。ここでも、不況を垣間見る。歌うわ、唄うわ、次から次に。マイク争う、若い顔。先行逃げ切り、OIさん。次から次にリクエスト。じっくり構えた、MRさん。懐メロひびく、のど自慢。公言通りの12曲、見事唄ったKSさん。店の名前も「こうげん」で、めでたし、めでたし、有難や。静かにしていた、ARさん。おいらも、負けちゃいられない。マイク握って、フランク永井。その低音のすばらしさ。 HTさんは、今日もまた、黙って「秋の花畑」その心はと、問うならば……、「ああ、聞く(菊)ばかり、聞く(菊)ばかり」(^-^)どっこい、負けないNM君。営業時代を思い出し、演歌にはまって、一唸り。夜は深々と更けてゆく。今年最後の、バカ騒ぎ。喜怒哀楽も、吹き飛ばし、これがホントの忘年会。「毎月やろう忘年会」ちょっと可笑しなこの言葉、ついに飛び出す盛り上がり。あーーーりがたや、ありがたや………………。 どうも、お疲れさまでした。(^。^)----------------------------------------------------------------- その後入隊を希望する人が増えてきましたので、隊員の基準として「日本国に軍隊が存在した時迄に誕生した者」と制定しました。つまり、昭和20年8月15日までに生まれた者と定義したわけです……。…………或る者曰く「この基準は良い。社長がその年の8月13日生まれだから 入りたいと言ってこられた時に、入れることができる」……三千人の上場企業の社長が、言ってくることはまず無いが…………(ー_ー)!!大いに話は盛り上がったものです。 以来、転入者も加え、定期的に会合を開き……社内でも、それぞれの人生においても、それなりの役割を果たしたと、考えています。先ずはお互い自分たちが成長し、そして、眼を若手に向けて、サポートし、育て、指導し……その成果をあげました。今や、隊員全員が退職し、この世を卒業した人も2人いますが、活動は止まるを知らず、時折集まっては、気勢を上げています。現役時代この、黄昏隆盛軍の存在で、年長者が明るく、オープンになり、その事が、若い人達に与えた好影響は、計り知れないものがあり、引退した現在でも、多くの人が、現役と交流を続けているのです。 たかが「黄昏」 されど「黄昏」(^。^) <続く>人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ======================================================◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。 それぞれ200円です。(^-^)AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。 良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2019/12/10
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◆ 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ^-^◆ 懐かしき「黄昏隆盛軍」の思い出 [2] <Renewal> 話題は延々と広がりました。まるで話すことに飢えていたように……。……確かに飢えていたのでしょう……、キャリアやプライド等はとても大切なものですが、新天地では、初期の段階でマイナスに働くこともあります。……すると、勢い多くを語れなくなってしまうのです。この場は、似たような境遇、似たような年齢の集まり……、話が弾むのも、至極当然です。(^-^)……とある若手の課長が話題に上がり、直属の部下でいる者は、かなり鋭い不満を述べました。しかし、隣の課にいる別の者は、彼の実力や人柄を評価した場面があったのですが……、 さぁーーー、喧々諤々の猛烈な議論が始まりました。立場の違い、見方の違い、好き嫌い……、様々なものが交錯し赤裸々になっていったのです。そして、議論を通じて我々同士の交流が深まっていくのも感じました。流石に年長者……斜に構えたり、拗ねたりはしません。これは、脈がある!!!!これは、素晴らしい年長者軍団になりうる……と、私は、確信しました。( ̄ー ̄)そこで、二次会の席でこの会を定期的に開催したい……と、提案したのです。勿論、全員賛成です。(^。^)会の名前を「黄昏隆盛軍」としたい……と言うと、恰好良いと言いながらも、説明を求められました…………。 少々酔った小生…………姿勢を正して曰く…………。『企業の定年は60歳です。 我々はその物差しで見ると、ビジネス人生の黄昏時に居ると 言って良いと思います。 この企業に来る事が無かったらまず、 この世で顔を合わせることもなかった我々が、 ここで、共にビジネスの黄昏時を味わうということは、 深い深い縁ではないでしょうか。 だから、しょぼくれて黄昏るのではなく、 今から再度、隆盛を極める軍団として、 共に励まし助け合っていきませんか?』万雷の拍手で全員が賛成してくれて……発足と、相成りました。「軍旗」も作ろうという提案があって軍旗も登場です。少し、経費は掛かりましたが……、大切な事なので自腹を切りました。不思議なもので、この軍旗がその後の皆の結束を、より強固なものにしたのです。 何かを始めるときに「旗揚げ」という言葉を使いますが、共通の、象徴のようなものの存在は、結束を固めるのですね。 <続く>人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ======================================================◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。 それぞれ200円です。(^-^)AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。 良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2019/12/05
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◆ 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ^-^◆ 懐かしき「黄昏隆盛軍」の思い出 [1] <Renewal> 黄昏隆盛軍(たそがれりゅうせいぐん)という軍団が、1998年に出来ました……。同名の劇画の題名をもじって、字も、「流星」を「隆盛」に、「群」を「軍」に変えて命名したものです。(^。^) そのいきさつは、一言で言えば『年寄りが元気を出して会社を若返らせよう』というものです。 先日、昔の職場のOB会がありました。集まった黄昏隆盛軍の仲間は3人でした。ちょっと、寂しかったのですが、二次会で大いに気炎をあげて、昔話をしたものですから……色々と思い出し……、懐かしさも募って再渇することにしました。 当時の、具体的ないきさつは……こうです……。 3度目の転職で、上場企業に統括部長待遇で迎えられた時の話しです。とにかく若い人の多い会社でして……、因みに、私の直属上司の常務も私より8歳年下でした……。 秋に着任して……段々慣れてきますと、我々と同世代の社員も居ることが分かってきました。しかし若い会社なので、その大半が他社からの転職者です。……かく言う私も転職者であります。 親近感を覚えてよく観察してみますと色々な事が分かってきました。▲大手企業からの転職者が多い。 日鉄、JR、大手銀行、官公庁、大手製造業など等……。▲全員が年下の上司に仕えている。 社長が50代前半の企業だから……当然。(^-^)▲出身企業との風土の違い、年齢の逆転現象から不満を 内蔵した者が多い。(ー_ー)!! これはまずいと直感しました。私に課せられた任務の一つに、職場の活性化というのが、ありましたから……。何とかしなければなりません。約600人の技術者集団を、活き活きとした状態に持っていく使命があったのです……。 職場における年長者の役割は大きいものがあります。地位の如何を問わず、人生の経験者として様々な助言をしたり、陰になって支えたりする重要な役割があるのです。 年長者がふてくされていますと……、若い人達は極めてやりにくいのです。地位とは関係なく、年齢というのはなかなかないがしろにはしにくいからです。 私もかって在籍した企業で味わったことがあります。全ての管理職の中で最年少でしたが、リーダーシップを発揮しなければならない任務を、与えられていました。理解ある最年長者の方にどれほど助けられた事でしょう……。 今度の職場でも年長者の中で、私が最も年下でしたが、私には職場全体を活性化させるという任務があります。「まずは、この職場の年長者の活性化が大切」と考えました。その為には、まず愚痴を含めた「本音」で、話し合わねばなりません……。 「年寄組忘年会」 まず、自分の主催で忘年会を企画しました。「年寄」と言われても怒らないだろうというレベルの人達に案内のメールを打ったわけです。 新参者の自分を育てて欲しいという趣旨と、年の近い者、話の合うもので盛り上がろう……という、誘いでした。ほぼ、60%の7人が参加してくれて……まずまずです。(^.^) 皆さん、大いに飲み、食べ、セキを切ったように、語り合いました。若手社員に対する手厳しい批判も数々……です。年代が近いので、昔話にも花が咲きました。出身企業も様々で、お互いに知らない話が多く、興味が湧いてきます。質問が飛び交いました。皆、話しながら説明しながら、とても満足げでした。色々な不満や我慢が鬱積していたのが感じてとれた一時でした。 しかし、素晴らしい事に皆に共通していたのは、皆が現職の企業を発展させたいと切に願っていた事、そして心の中で、若手を育てたいと願っていた事です。まさに、この企画に手応えがあったわけです。(^-^) <続く> 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ======================================================◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。 それぞれ200円です。(^-^)AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。 良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2019/12/03
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◆ 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村^-^◆ 少年の頃 浪花節(浪曲)を習いました[5・完] 大変なハプニングに遭遇して……考えました。会ってみたい……。会って師匠の事を話したい……。そういう思いはあっても、その娘さんと父上(おいちゃん)の関係が分かりません。世の中には、思い出したくもない関係というのもあるものです。 そうこうしている内に、1ヶ月ほど経過しました。別にこのまま放っておいても問題ではありませんし……。 ただ、師匠との出会いが、私の人生を充実したものにしてくれた大きな要因になっていることは確かで、正に、恩人と言っても良い存在なので………。(^-^) ある日、会社の帰りにどんな店かを、見に行くことにしました。お客様ご接待の帰り道です。 駅前広場をちょっと過ぎたところに看板が見えます。けっこう大きなお店の様です。前まで行くと、他のお客さんが3人入って行かれるところ……。通り過ぎながら、後からチラッと覗くとムードのある灯りです。 酔いの勢いもあって……ドキドキしながら、ドアを開けました。 お客さんは、カウンターに6~7人でした。ドアを開けたとたん、初めての顔なのでややびっくりしたような顔をされましたが、「宜しいですか?」というと、即座に「どうぞ」と返ってきましたので、入ってカウンターに座りました。 カウンターとボックス席で30人位は入れそうな大きな店です。次々にお客さんが歌っていますが皆さん相当に上手です。ママさんがカラオケ教室の先生をされていると、聞いてきましたから、さもありなんの光景でした。 壁に貼ってある数枚の歌手のポスター……よく見ると、その一枚が、ママの顔ではないですか……。レコーディングもされているみたいです。(^-^) 先に入られたお客との対応を忙しくされていたので、少し、待つ形になりました。……これで、少し落ち着きました。 ややあって、おしぼりを貰い、お湯割りを一口二口飲んだ頃、「どなたかのご紹介ですか……?」…………と、ママさんが前に来て聞いてきました。情報をくれたママさんの店の名前を言うと、「にっこり(^-^)」……ママもホッとしたようでした。 次に、前に来てくれた時に思い切って言いました。「聞いたんですがお父さんは大きな魚屋さんだったそうですね」ママがにっこり笑って、眼がキラリと光ったようでした。それから、一気に3分ほど父上の話をされました。 これで、話すきっかけができました。師匠とも仲が良かったことが……良く伝わってきました。……で、一部始終を話したわけです。 途中で、師匠のお嬢さんという言葉を何度か使ったんですが、その都度、ママさんはカウンターにしゃがみこんで恥ずかしがっていました。 周辺のお客も興味津々に聞き耳を立てています。常連ではない客は珍しいのでしよう。「お嬢さん」の下りでは、大笑いでした。60代のお嬢さんです。(^-^) でも、私にとっては、素晴らしいプレゼントを頂いた師匠の、そのお嬢さんに違いありません。 話の途中で、涙ぐまれたのが印象的でした。兄妹の中で、ママが徹底したお父さんっ子だったそうです。そして、師匠の芸人魂を引き継がれたのでしょうね。 浪曲の師匠の所を辞めて、郷里に帰ってこられたいきさつも、亡き父から聞いた話とは全然違っていました。根本の原因は、戦時中に戦地で、頭部に弾丸を受けられた傷の、後遺症の問題だったようです。今となっては、真実は分かりませんが、私にとっては、どうでも良いことです。素晴らしい師匠でしたから…………。(^。^) まさかこんな事になるとは予想もできない事でした。師匠の晩年の写真も、画像で頂きました。私が記憶していた「おいちゃん」とは別人の様でしたが……。私の記憶の中のおいちゃんは、丸顔で大黒様の様な顔でしたが、写真の師匠は、若き日の村田英雄さんに似た、キリッとした顔でした。「大好きな父の話なんてする人も居なくなったから、 今日は嬉しい」と大変喜んでもらって……、尋ねて行って良かったな……と、しみじみ思いました。 その後も時々顔を出して、浪曲調の歌を唄っています。「父の声に似ている」とママは喜びます。(^-^)縁とは異なものですね。天国の師匠も、キセル煙草をふかしながら、微笑んでくれている事でしょう。 <完>人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ======================================================◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。 それぞれ200円です。(^-^)AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。 良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2019/11/26
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◆ 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ^-^◆ 少年の頃 浪花節(浪曲)を習いました[4] 師匠のおいちゃんとは、中学二年の時から会っていません。私の家が、その時に引っ越してしまったからです。 でも、おいちゃんのお陰で、その後の人生は、実に有意義なものでした。 即興浪曲は、常に自分で創作した言葉で唸るのですから、観察力、表現力も磨かれ、詩的な感覚も、少しは養えたように思います。そして、度胸もかなりつきました。 また、高校の頃、ホントに大変でしたが、苦手だった歌にも挑戦することが出来ました。成人してからは、歌もほぼ普通に歌っています。もちろん、当初は浪曲調の歌ばかりでしたが……。(^_^;) 作詞作曲も手掛けるようになり、浪曲の台詞の関連から、歌舞伎などにも興味を持ち、今は、それらを複合して、人形踊りなどに活用しております。 それもこれも、あの魚屋のおいちゃんとの出会いがきっかけでした。後になって、父に聞いたんですが、「お前が先生と呼んでいたから言わなかったが、 あの人は、酒を呑み過ぎ、博打もやり過ぎ、女性にも溺れて、 師匠から破門されて帰ってきたんじゃ……」驚きましたが……、私の印象は変わりません。優しく、厳しく、大きな包容力を持った師匠でしたから……。 それから…………、半世紀以上の信じられないような歳月が流れて…………。 ……とある、スナックで本当に久しぶりに師匠の話をしていた時のことです。 きっかけは、私が「刃傷松の廊下」という、真山一郎という浪曲師から歌手に転向した人の歌を唄った時間奏の時に自作の浪曲を挟んだことです。「なんでそんなに浪曲が上手いの」と言われて、調子に乗って、昔話を始めたわけです。(^_^;) すっかり、聞き終えたママ曰く……、「その人なら知ってるよ。もう亡くなられたけど 娘さんが駅前でスナックしてるよ」 !!驚愕です。(゜_゜) 色々と聞きただしましたが、どうも間違いないようです。師匠のお嬢さん……当時、3~4才だったはずです。いやいや、これはこれは、びっくりです。 <続く>人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ======================================================◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。 それぞれ200円です。(^-^)AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。 良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2019/11/21
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◆ 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ^-^◆ 少年の頃 浪花節(浪曲)を習いました[3] こういう流れですから、いきおい家でも父が聞き入っていた浪曲の番組にも、興味を持つようになって……。(^-^) 何と、驚くべきことに極貧の我が家にラジオがあったのです。村に1~2軒しかラジオが無かった時代です。国の政策で、視力障害者の家庭に特別措置をしていたようです。全盲の父は、費用は一切かからない……有難い事だ……。みたいな事を言っていました。詳しいことは分かりません。おいちゃんの指導と、ラジオのお陰で浪花節にすっかり馴染んだのです。おいちゃんは何時の頃からか来なくなりましが、父もそこそこ唸っていたので、父が師になりました。副産物としては、父との共通の話題が出来た事も大きいです。 それから少しの歳月が流れて…………。親戚が集まった席などで、他の子どもは「歌」なのですが、私は「遊女は客に惚れたという~~~~。 客は気もせでーーー、又来るという~~~」等と、子供の時分には意味の分からない言葉を、物まねでやって、大人たちの拍手喝さいを浴びるようになりました。(^。^) その後、中学に行っても、高校に行っても、余興の場面になると指名がかかりました。兎に角、先生たちに浪曲ファンが多く、子供が唸るというのが、面白かったようです。 その頃から、内容を自作のものに変えていきました。詩を作る感覚です。曲は複数の類型を持っていますから……。 歌は、どこで誰が歌っても同じ歌ですし、当然歌詞も決まっています。私の場合は、その場にあった即興の台詞を、様々な節回しでやるもんですから、「ワクワクする」と先生たちに言われました。ちょっと、皮肉めいた、普通に言うと角が立つようなことでも浪曲の節に乗せてやると、笑いと拍手が来るのです。「毎度皆さまお馴染みの~~~~ この高校に、センセは居るがーーーー、 偉いのばっかり揃っちゃいない 中にゃ惚けた人もいーーーーるーーーー」てな具合に、人気者の先生を題材にしたりして、場を盛り上げました。でも、原則は必ず最後にその人を持ち上げる…………。( ̄ー ̄)経験から身につけた知恵でした。 師匠(おいちゃんの事です)の教えを守って…………、(成長するにつれて『おいちゃん』というのが恥ずかしく、 師匠と言うようになっていました。(^_^;))どんなに、おちょくっても、最後は必ず大きく持ち上げて、終わらせるようにしましたから、当人からの苦情は一切来ませんでした。 最初に、落として、後で持ち上げるのが、師匠に教わったコツです。「頭は良いけど、そそっかしい」と言うと、悪く取られます。「そそっかしいけど頭が良い」というと、褒めた感覚になるから言葉というものは……まか不思議です。師匠からは、人生にとって本当に大切な数々の事を学びました。 一節唸っている時に、会場の誰か特定の人を見つめるという事も教わりました。まるでその人の為だけにやっているかのように……。そして、節目節目で、見つめる人を変えていき、最後のクライマックスは、全体を見回しながら決めるのです。こうやると、私に見つめられている人が頷いたりするから不思議なもんです。当然、こちらにも勇気が湧いてきます。 ずっと、後になって、あの有名な歌手の美空ひばりさんが、似たような手法を使っているのを見ました。ひばりさんも浪曲師に手ほどきを受けたのでしょうか?だって、昔の上手な歌手は、殆んどの人が、斜め上を見て、悠然と歌い上げていましたよね……。(余談ですがひばりさんの浪曲をテレビで見たことがあります。 プロ顔負けの、節回しでしたよ……(^-^)) <続く>人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ======================================================◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。 それぞれ200円です。(^-^)AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。 良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2019/11/14
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◆ 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ^-^◆ 少年の頃 浪花節(浪曲)を習いました[2] 魚売りの、浪花節おいちゃんは大変な人気だったので、持ってきた魚が早めに売り切れます。 いつも、お寺の角にあった大きな岩の上に腰かけて、キセルタバコを吸いながら一節二節唸っていました。塀の中に植えてある大きな松の木で、丁度良い木陰になります。 何故、道路の曲がり角に岩があったか……?当時、塀が続いている家の直角の角には、かなり大きな岩がおいてありました。馬車や車力やリヤカーが角を曲がるときに、塀を傷つけないようにする施策でした。 おいちゃんの声はそれなりに大きいので近隣に聞こえます。それが、私が浪曲をはっきり認識したきっかけです。では、何故習うようになったのか? 私……実は、歌が若干(……というか相当)苦手でした……。親戚が集まって宴席なんかになると、子供たちはその前で、順番によく歌わされていたものです……。 上手な子は拍手喝さいを受けますが、私の時には義理の拍手しか来ませんし、自分でもうまく歌えないな――という感触でした。(^_^;) いわゆる「音痴」に近い状態だったのです。(音痴だったかも……(^_^;))とにかく音が外れるのですから、どうしようもありません。 ……ところが、おいちゃんの浪曲を聞いていると時々、音が狂うように聞こえるではありませんか?狂うというか……違和感があるのです。大人たちは、そこに味がある……等と言っていました。よく意味は分かりませんが、自分は歌よりも浪曲の方が向いているんじゃないか……と、思ったようです。 恐る恐るおいちゃんに近づいていくと、全然意識もせず、無視して飄々とおいちゃんは唸っています。余程、浪曲が好きみたいでした。 おいちゃんが、浪曲師になる夢を諦めたいきさつなどは、後になって大人から聞いた話なので、その頃は、ホントに浪曲の好きなおいちゃんやな……と思っていました。 友達も誘って、2~3人でおいちゃんに寄って行って、口真似を始めたら、おいちゃんも渋々付き合ってくれるようになったというわけです。私は……はまりました。最初は有名な浪曲家のまねばかりでした。広沢虎造(ひろさわとらぞう)相模太郎(さがみたろう)春日井梅鶯(かすがいばいおう)鈴木米若(すずきよねわか)三門博(みかどひろし)浪花亭綾太郎(なにわていあやたろう)等々……。女流では伊丹秀子(いたみひでこ)冨士月子(ふじつきこ)天津羽衣(あまつはごろも)等です。 もちろん、浪曲界の当時のスターの方たちの名前は、おいちゃんから教えてもらって、少しづつ覚えたものです。少年なので、高音の方が声が出やすかったように思います。 基本的に決まった節はなく、自分流で良いという所が、一番嬉しかったことです。 <続く>人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ======================================================◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。 それぞれ200円です。(^-^)AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。 良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2019/11/07
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◆ 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ^-^◆ 愛犬に連れられて …… 散歩?? <Renewal> 夕刻……、練習を終えてテニスコートからの帰り道…………。おおよそ20分の道程で、何人もの犬の散歩に出会った。今まで他の家の犬など、そうまじまじと見たことは無かったが、向こうから来てすれ違うまでの間、何気なく見ていると様々な風景が見えてくるものだ。 大きくて見事な……、素人の目にも名犬であろうと思われる犬が来たが……、いかにも、慄然と、気位高き様子で、颯爽と歩いてくる。……ふと気が付くと、その犬を連れているご婦人まで、そのような顔に見えてきた。歩く歩幅も規則正しく、ちょっと、オシャレなスカートを、翻して歩く様がひときわ目立つ……。貴婦人と貴犬(?)か…………。 途中で座り込んでいる犬に出会った。かなり大きな犬だが、道の真ん中に座り込んで動かない。主が、一生懸命に引っ張って道の端に移動させようとするが、懸命に足を突っ張って確実に拒否している。どうしたのか分からないが完全に動くのを拒否して、座り込んでしまっている。主も小柄で少しご年配だから、力が足りなくて犬を動かす事が出来ない。車が来ると危ないので、主にも焦りが見えるが、これがビクとも動かない。段々近づいて行くと主は私にも気を使う様な目線を送りながら引っ張るが…………頑として動かない。 ……力の強い犬だ……。……どうするのかと、近づきながら心配していると、その主、紐を離して道路の脇に自分だけ寄った。……ん?……何をするのかと見ていたら、ポケットから何かを出して犬に見せたようだ。 次の瞬間、その濃いこげ茶色の大きな犬は主の下にすっ飛んだ。……何かを貰って食べている。ハハーン…………、犬の好物を持ってきてたんだ。素早く紐を取って、しっかりと両手で握る主……。ひとつの知恵である。散歩の途中で時々こういう事になるんだろうな……この犬。……備えあれば、憂いなしか……。飼い主も大変だ……。 小さな犬達も多い。小巾で、チャカチャカと走るように歩いてくる。ほとんど年配のご婦人が淡々と連れて歩いているが小さな犬は室内犬が多く、周りに対する好奇心が比較的強い様に感ずる。すれ違う私の方に、寄って来ては、足元を臭うようにするのは、ほとんどが、その手の犬だ。 珍しい光景に出会った。立ち止まって動こうとしない老人を懸命に引っ張っている犬だ。普通の大きさだがいかにも賢そうな目をしている。老人は、引っ張られて仕方なく歩く。すると、犬がどんどん引っ張って、走るように動きたいのかと思っていたら、意に反して、歩き始めた老人のペースで、ゆっくりと横を歩いている。時々、見上げながら……。 ほんの少し歩いて、又老人が立ち止まると、また進行方向に尻を向けてグイグイと老人を引っ張る。老人は、全体に少し肥満気味で、ウォーキングを医師から進められているレベルと判断できる。愛犬は、その事を知っているのだろうか……。又、動き出した……老人。この賢い犬のお陰で、老人は、ある一定のスピードで、継続歩行ができている事になる。ありゃ、逆だな。……と、おかしくなった。犬が、分ってやっているのかは定かではないが…………。道端で……色々な主従に遭遇するのも楽しい。人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 <天国に旅立った我が家の愛犬 パズー> ======================================================◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。 それぞれ200円です。(^-^)AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。 良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2019/11/05
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◆ 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ^-^◆ 少年の頃 浪花節(浪曲)を習いました[1] 私は昔、浪曲の手ほどきを受けたことがあります。当時は浪花節というのが一般的な言い方でした。 いつ頃か? 誰からか? いきさつは? 何故か?……ということですが……、時期は、大体、10歳~13歳位の間だったと記憶しています。それも、夏休み・春休みの間が中心でした。教えて頂いた方は、当時「おいちゃん」と呼んでいましたが……、浪曲師を目指してそれなりの有名な師匠に弟子入りし、修行を続けておられたのですが、事情で辞めて郷里に帰ってきた方でした。入門されていた先では、後に歌手転向された村田英雄さんの兄弟子だったそうです。(これは凄いことなんですが、当時は村田英雄さんと言われても その価値が分からない少年だったのです) 私たち子どもは、この魚屋さんを、もっぱら「浪花節のおいちゃん」と呼んでいました。いきさつですが……。 鐘崎港は今でも日本有数の漁港ですが、当時から大きな港で、早朝から沢山の魚が水揚げされます。それを、地域の沢山の魚屋さんが買いに来るわけです。おいちゃんもその一人だったようで、港で仕入れて魚屋を経営していたようです。それだけなら、私はおいちゃんと巡り合えていないのですが、何軒かの魚屋さんが、店頭販売の他に行商もしていたわけです。おいちゃんもその一人でした。 朝の8時~9時位に、大きめの自転車の荷台に、トロ箱を積んで、田園地帯の魚屋さんの無い地域に売りに来ていました。 昨今は余り見かけませんが、後ろのタイヤが前よりも一回り大きくガッチリした自転車です。 私たち子供は、普段は学校に行っていますから、会うことは無いのですが、休みともなれば家にいるので、この魚の行商人に出会うわけです。 当時は3人位の行商の方が自転車で来られていたと思います。ウチの母は、このおいちゃんが贔屓でした。というか、隣近所も大体、このおいちゃんから買っていたように思います。 他の行商人と何が違うか?普通は、自転車を走らせながら「さかな~~、さかな~~」「活きの良いさかなはいらんかね~」等と叫びながら村を回るのです。 しかし、このおいちゃん違います。 「旅行けばーー、駿河の国にー茶の香り~~」等と、浪曲を唸りながら自転車を走らせて来るんです。「魚」という言葉は一言も発しません。母たちに言わせるとその浪曲がとても上手で、聞き入るほどだったとか……。魚屋さんだというのは、すぐに知れ渡りますから、「魚」という言葉は要らなかったのです。 もうひとつ、このおいちゃんの魅力は、売るだけでなく、頼まれれば、魚を無料で捌いてくれていたんです。ウチの母はこのサービスも特に喜んでいました。作業をしている間も、皆が知っているような浪曲を聞かせてくれて、まだ、村中にラジオのある家が2~3軒だった時代ですから、人気を呼んだわけです。 最初、私には浪曲が変な歌……としか感じられませんでした。大人たちが口にしていたのはほとんどが、流行歌か民謡でしたから変な節の歌……といった印象でした。そして、歌として聞けば決して上手な歌ではないのです。 <続く>人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ======================================================◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。 それぞれ200円です。(^-^)AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。 良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2019/11/04
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◆ 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ^-^◆ 居酒屋のカウンターで知った人の真の姿 <Revival> 居酒屋のカウンターで……、ひとりシミジミ飲んでいると、某大手企業の人事係長が独りで来店した。彼も、この店の常連なのだ……。東大法学部卒のエリートとかで幹部候補生という噂を聞いた。いつも澄ました顔…………というよりは、無表情で連れの仲間と議論を交わしている。そして…………最後は、いつも彼が皆を諭す様な感じで終わっていたのを……幾度か見たことがある……。目が合った。互いに軽い会釈……。 会釈にもどことなく威厳というか、冷たい『品』がある。見るからに典型的なエリートタイプだ……。( 一一)互いに話をした事はないが、店で何度も一緒になっているので、挨拶くらいは交わす間柄になっている……。 この小さな居酒屋には、やや、似合わない存在だが、上司に連れてこられてから、気に入ってくれて、通ってくれるようになったと……女将さんが言っていた。 ……今日は、珍しく独りの様だ…………。珍しい事だ……。たいてい、何人かの同僚や上司と一緒に来ていた。それに今日は、えらく地味な服装をしている。顔色も悪く、少しやつれて見えるのは気のせいか……。奥から「まぁーいらっしゃいませ。お久しぶりですね(^.^)」と、女将が出てきて、おしぼりを渡す。「なにやかやと、忙しくてご無沙汰しました……」 「そう言えば、テレビで見ましたよー。先日の事故……、 大変でしたねぇー」「…………(-_-)」「ああ……その関係で忙しかったんですね。 そうなんですね……。 ……色々と大変でしょう?」「ハイ……まぁ…………(-_-)」 ビールグラスを傾けながら、聞くともなく聞いていたが……、どうも何時もと違う……。……口数が少なく、歯切れが悪いようだ……。「……でも、工場始まって以来の大事故だったんでしょう? 数十人の方が亡くなっても仕方ない位の大爆発だったって、 聞いてますよ……」「……………………(-_-)」「テレビで見ましたけど、亡くなった方が一人とかで……、 ……そんな事で済んで……良かったですね……」「良くはありませんよ! (-_-)」絞り出すように彼が言った。「えっ」と、女将が驚いた反応をした時、 「ううっ……」腰かけている両ひざに、両腕を突っ張って彼が泣きだした。えっ!!何が起こったんだ!!あの、クールなエリートの彼が泣いている……。「どうしたんですか?」と、恐る恐る……女将。「1人の命も10人の命も命の重さに変わりはありません!!」「…………」 それから……、彼……つまり某大手企業の人事係長が語り出した話…………。 彼は、今度の事故で亡くなられた一人の社員の自宅に、通夜に行っての帰りだったのだ……。……それで黒っぽい服装だった。亡くなられたのは、前途有為の若い社員…………ということ。 …………泣き崩れる奥さん。………………茫然自失のご両親。……意味が分からず、ちょこんと座っている二人の幼子。……「会社に殺された!」と罵倒を浴びせる親戚の人達。 彼は、そんな通夜の席を務めてきたばっかりだったのだ。大変な場だ……大変なことだ……。「会社の中で、人が死ぬなんて……絶対にあってはならない! 若い社員の将来を奪い、家族から、夫・父を奪い……何が 大企業だ!!何が一流企業でしょう……!!」「……」「我が社は、大企業などと、驕ってはいけない…………。 人の命よりも大切なものなんてありはしない……」 悔しそうに、膝を叩きながら、目を真っ赤にして話す彼の姿にこちらまで、涙ぐんでしまった…………。 ともすれば事故処理を事務的に運ぼうとする上司たちの淡々とした言動も許せなかったようだ……。痛ましい工場での事故死……。この彼は、生まれて初めての経験をしたに違いない……。女将も、涙ぐんで聞いている……。 暫くして、少し落ち着いてお酒を飲みだした彼に、「遺族に出来るだけの事をしてやらねばなりませんね……」と女将が静かに小さな声で言った……。……まるで子供のように、素直な頷きを見せる……彼。いつもの彼とは、全く別人の彼がそこにいた。一般には、『官庁よりも官庁的な会社』と揶揄されている、この会社に、こんなに熱い幹部候補生が居たのか!! 「おっとこ(男)だねぇ―!!!!(>_<)」思わず、そう言って彼の傍に行き、お銚子を取ると彼に酒を注いだ。「どうも……お恥ずかしい所をお見せしました」そう言って、盃を飲み干した彼は、その盃をこっちにくれた。なみなみと注いでもらって……、「これからが大事な正念場やな……」と、言って、飲み干した。 「あんたみたいな人が、あんな超大企業に居て、俺は嬉しい。 流石に大手の会社や。立派な社員を持っている……。 ……頑張って……」握手を求めてきた彼の手を握り返して……元の席に戻った。ホントにこんな熱い彼を見たのは、最初で終わりだ。丁度、3人……新しい客が入ってきたので、ひとつの、場面転換になった。 一人の人間には、その人を囲む家族、親族、友人、会社の同僚、その他様々な人の輪が、歴史と共に広がって存在している。その一人の人間が、突然消え去るという事は……、言うまでもなく、これは、大変なことだ。……一人の人間の命の重さ…………。 その彼は、その後「クール須崎」と異名を取ったらしいが……、その20年後に社長にまで上り詰めた。……彼の、若き日の、エピソードである。人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。にほんブログ村 ======================================================◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。 それぞれ200円です。(^-^)AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。 良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2019/10/10
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