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高3生が愛夢舎史上最高人数となりました! 大学受験盛り上がろう! ジュクチョウ
2011.05.29
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こんにちは、鎌田です今、川越女子高校に通う生徒が自習にやってきて、開口一番尋ねてきた。「先生、五嶋みどりって、知ってますか?」そりゃあ知ってるでしょう、知ってるなんてもんじゃない、ていうか、みんな知ってると思ってた。五嶋みどりさんは、日本を代表する、世界的バイオリニストだ。世界で活躍する日本人クラシックミュージシャンは多く、たとえば、バイオリンに限っても、これまでたくさんの方が世界の舞台にたってきた。諏訪内晶子さんとか、千住真理子さんあたりは音楽に大して興味のない方でも、名前くらいはみたことあるかもしれない。が、五嶋みどりさんは、僕が思ってるだけかもしれないけど、正直、レベルがちがう、段違い。弟さんも、若くしてデビューなさった天才といわれるけど、姉のみどりさんはさらにすごい。わずか6歳にして、パガニーニの超難曲・カプリースを演奏会で披露し、アメリカでは、指揮者ズービン・メータに見出され、さらに、あのレナード・バーンスタインのお気に入りになり、全世界歴史上かつてないほどの「天才」として世界的に有名になった。以来、アメリカを拠点に活動されており、近年では、慈善事業、ボランティア活動などもこなされ、国連のピースメッセンジャーにも任命されている。僕はバイオリンは弾かないからものすごく専門的なことはわからないけど、それにしたって「日本の宝」と呼ぶにふさわしい、とんでもない方であると思う。それで、それで? 「今日、学校に来たんです。」 ええええ~~~っっっ????!!! どうやら五嶋みどりさんは、先週くらいに「来日」され、今週から全国をまわる予定のようだ。どうも、学校を訪問していくらしい。特設ホームページもあるようだから、あとでゆっくり読んでみようと思う。とにかく、来たらしいんです、五嶋みどりが、高校に。それで、目の前で演奏したらしいんです。うわぁぁぁ、とんでもないことだぁぁぁ~~!!弦楽オーケストラ部だかなんだかのメンバーは間近でみられて、彼女は、ドアの外から、防音壁ごしにのぞいただけのようだけど、それはものすごい貴重体験だねぇ、っていうか、僕がフツーに行きたかったわ (←ダメだって・・・)なんでも、「応募したら当たった」ということで、何に誰が応募すると五嶋みどりが来るのか よくわからないんだけどいやあ、さすがというかなんというか・・・・・・あ、川越女子って、近隣の最上位校なんですね。いろいろな催しもあったり、大学へ行ってみたり、課外活動が豊富だったり、まあ、興味をひかれるイベントが多い。ふーむ、五嶋みどりまで来るか・・・。 ・・・と思って感心してたら、五嶋みどりを知らない人がいっぱいだった、なんなら、その弦楽なんたら部の中にも「ゴトウミドリは誰なんだ?」という子がいたようで・・・川女、しっかり!!! kama
2011.05.27
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本日、またひとつ歳をとりました。 とうとう親父の歳に追いついてしまいました・・・ 今日以降は親父より年上になっていきます・・・ なんか妙な感覚です。 ジュクチョウ
2011.05.25
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こんばんは、鎌田ですK中学校の中間テストが近づいています。つい今しがたまで、多くの生徒が残って自習しておりました昨日まで部活動があった子も多かったようですが、今日から、テスト前の「部活停止期間」に入ったようなので、明日も早い時間から勉強しにきてほしい。 さて、全然ハナシは変わるけど、僕は、楽器を弾きます。キャリアの長い順番にピアノ、ギター、ベース、ドラム。この4つは、いずれも人前で披露してきた。プロを目指そうと思ったこともある。でも、プロのミュージシャンの方はみなさん、オリジナリティに長けている。たとえば、メチャメチャ難しいフレーズを弾けるとか、技術レベルが高ければ、プロになれるというわけではない。むしろ、誰もが思いつかないようなことを初めてすればそれで食べていけたりもする、僕はそのことを、大学生の頃に自分の周りをみて痛感した。それで、プロを目指すのもやめた。僕は、音楽において、オリジナリティを求めてはいなかったからだ。そもそも僕は、音楽を「表現活動」とすら思っていない。僕の中で、「理想である音楽」はあって、それを自分も演奏したい、それだけである。だから、僕は「アーティスト」ではないし、「アーティスト」と呼ばれたいとも思わず、むしろ「アルチザン」でありたいと思う。理想の音楽は、ほかの誰かがすでに作り上げている。僕は、他の人の音楽に、自分の理想をみることができる、だから、オリジナルを求めようとは思わないのだと思う。厳密にいえば、「理想」が見当たらず、自分自身がそれを作ろうと思って、曲を書いて、演奏し、記録として残したこともある。でも、それは自分がやりたいこと、感じることを何も考えずに、自然と指が動いてくれるピアノ演奏のときに限る。ギターやベースにおいては、ほかの方に「理想」をみて、それを「模倣」してきた。誰かひとりの「模倣」ではなく、数々のミュージシャンの中の「お手本」をそれぞれ参考にし、それらを総合して、「僕の理想」の演奏としたい、しかしそれは、僕のオリジナルではなく、「模倣の集合」にすぎない。簡単に言えば、いろいろなミュージシャンに影響をうけてきた。影響をうけるといってもだから、その人のようになりたいと思ったわけではない。「僕の理想」に要素として加えるべき部分を盗みとるというか、参考にするというか。楽器ごとに、そのミュージシャンたちを挙げていったらキリがなく、また、この記事は、それが目的でもない。 エレキベースという楽器があるけど、僕は、多くの方とは少し違ったものを弾いている。ひとつは、多弦ベース。普通の楽器屋においてあるベースは、弦が4本であるものが大半だ。僕のベースは、弦が6本ついている。もうひとつ。フレットレスベースというのがある。僕は、フレットレスが大好きなんだけど、この楽器についてだけは、影響を受けたかったけど、ほとんど誰の影響も受けることができなかった。たぶん、それぞれの演奏者が、あまりに個性的すぎるからだろう、模倣の余地がなかった。 たとえば、トニー・フランクリンという人がいる。この人は、日本人ミュージシャンともコラボレーションしたりしてて、日本のテレビに出演したこともある。長いこと、最も演奏をマネしたい、フレットレス・プレイヤーだ。また、一番マネできそうな気もする。 フレットレスベースというと、その元祖はジャコ・パストリアスに求められるのかもしれないが、ジャコの演奏は、マネしようとは思わない。なんていうか、音楽ジャンルがあまりに違いすぎるからかも。ジャコ・パストリアスは、故人である。35歳という非常に若い歳で亡くなっている。 どういうわけか、短命でこの世を去る方が多いミュージシャンの中でも、僕の敬愛するベーシストは、特に早いような気がしている。 最も影響を受けたく、でも最も受けられなかった方が諸田コウ氏である。ある意味、この人の演奏を聞いて、ジャズ・フュージョン以外、エクストリームミュージックでのフレットレスの使い道に開眼したようにも思う。この方もまた、気がついた頃にはすでに33歳の若さで亡くなっていた。フレットレスプレイヤーではないけれども、その諸田コウ氏の弟子であり、僕の大学の先輩である角田さんも、20代前半で命を落としてしまった。角田さんは、大学に入るまでベースなんか触ったこともなく、指弾きのトレーニングのために、常に机を弾いて右手を鍛えているうちに机にくぼみができていたという逸話が、僕のいたサークルに残っていた。やがて、卓越した技術を身につけ、インディーズメタル系バンドで活躍されていた。実際にお会いし、間近で演奏をみたこともあるだけに、訃報には驚愕した。 もうひとり。かつて、デビッド・シルヴィアン擁する「JAPAN」というバンドがあった。このバンド自体は、僕が小学校に入る前のことだから、高校生になって、いろいろなCDを聞き漁るようになってから知ったのだけど、そのあまりの独特さに、非常なる興味と関心をもった。ベーシストのミック・カーン氏はやはりフレットレスプレイヤーであるけど、もう、まったくもって、絶対に、マネすることができないであろうベースを弾いた。あまりにあまりなので、マネする気にもならなかった。「できるわけがない」と思った。でも、そのフレージングの独特さは僕の「発想」を広げるには、少し役立ったかもしれない。「こういうベースがあり得るのか」というベースを弾く。すこし詳しく書くと、リズムの取り方が、パーカッションの奏法的で、12音階という概念を無視したかのようなフレージングをする。もちろん、最も尊敬するミュージシャンのひとりである。 今年の1月、そのミック・カーン氏がこの世を去った。そのことを、昨日はじめて知った。R.I.P kama
2011.05.23
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こんばんは、鎌田です数日前のことですが、午後1時すぎ、フジテレビで「ごきげんよう」という番組をやってますね、あの番組に濱田マリさんがゲストで登場されていた。ご存知のとおり、「ごきげんよう」は、3人のゲストが順番にひとりづつ、テーマトークをしていくわけですが、濱田さんの順番がやってきて、なんの話題だったか忘れちゃったけど、おっしゃった。 「ワタシね、昔、バンドやってたんですけどね~」 すると、会場のお客さんが、一斉に「エエ~~~~~っ!!!??」 僕は、その反応を見て、ひとりでテレビの前で「エエ~~っ?!」って言った え?濱田マリさん、言わずもがな、ミュージシャンでしょう?濱田マリさんといえば、関西のバンド「モダンチョキチョキズ」のメインボーカルで、おもしろいバンド名と、おもしろい音楽の調子、ブラスパートなどもふんだんに取り入れた大人数バンドでにわかに注目を集めた。もう、20年ちかくも前のハナシだけど・・・確かに20年前のハナシだけど、会場のお客さんは、僕と同世代か年上の方ばかりのように見え、でも、「濱田マリ=ミュージシャン」のイメージはまるでないんだなぁ。そしたら、元のダンナさんがソフトバレエの藤井麻輝さんであったことなんかも誰もしらないんだろうなー。(↑ これは、たぶんほとんどの人がしらない)僕らの世代だと、「『ハマダマリ』が好き」っていうと、「モダチョキの?」って聞かれて、「あ、そっちじゃなくて、ソロの。『Return to~』の方(浜田麻里さん)」なんて会話があったもんだけど。じゃあ、きっと、タレントのYouさんがやはり元々ミュージシャンで、フェアチャイルドのボーカルだったなんてことももはや通じないんだろうなぁ。・・・そっかぁ、そんなもんかぁ。 と思った。 いや、何を思ったかというと、「なんで知らないんだ」ってことじゃなくてですねーそんなのは、もう古いハナシだから知らなくて当然といえば当然なので、だからそういうことではなく、 「人」のイメージって受け取る側にとって、まるで異なるもんだということ。 いや、これとて当たり前のことなんですが・・・・・・うまく書けない >< なんていうか、僕にとっての濱田さんは、そりゃ、ナレーションもするし、トーク番組にも出て、今現在、音楽活動はしていないかもしれないけど、やっぱり「元・ミュージシャン」でも、世間の多くの人たちにとって、「ミュージシャン」という印象、キャラクター、パーソナリティ、ペルソナ・・・どの言葉が適切か選べないけど、とにかく、「この人はこういう人だ」という認識の中に、ない。 それがいいとか悪いとかではなく、それが何に起因しているかといえば、もちろん、「時の流れ」が最も大きいんだろうけど、あながちそれだけとも言い切れず、では、他者の中の自分っていうもの、あるいは、自分が他者の中にみる自分というものも、大変とらえづらいものなんだなー、もし、できるかぎり他者における「自分像」を知り、それを元にした、自分対自分の自分像を持とうとするなら、これは、相当なサンプルが必要であって、簡単に言えば、ものすごく多くの人との出会い、語り合いが必要・・・・・・でも、まてよ、知り合いでない人にとって、僕の像は存在しないわけで、知られて初めて、僕の像ができて、自分像を探るために知り合うのであれば、そのつど自分が変容してしまうわけで・・・ なんていう、どうどうめぐりの思索にハマッてしまったというお話です まあ、いま愛夢舎に通っている生徒たちの「鎌田像」には金髪長髪のイメージはまるでないわけで、それは他の先生にも言えることであろう、僕らが「怖いと思われているであろう先生」は、今の彼らには「やさしい先生」であり、「おもしろい先生」であるはずの人は「マジメな先生」であるかもしれない。 ・・・なに書いてんだか、自分でわかんなくなってきた。現代社会と世界史・思想史の説明をしてたら、久々にアタマんなかが、ぐるぐるモードになってしまいました。失礼><Kama(※混乱中)
2011.05.22
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こんにちは、鎌田です先日、風邪をひいておりましたまだ咳なんかは出ますけど、だいぶん復調いたしましたうーむ、少々ひきこもり気味だなぁ・・・。ここは少し、「地球」のチカラをお借りしよう。「酸素」をいっぱい吸ってこよう、マイナスイオンを浴びてこよう。そう思って、「滝」に行ってきた。・・・打たれるためにではない秩父湖。僕、秩父って、これまで行ったことなかったんです。でも、入間のとなりのとなりくらいだし、長野の実家に帰ったとき、「国道を走っていけば、秩父→入間市とつながってるから、 高速を使わなくても、充分帰れる」なんてハナシも聞いていたから、まあ、ひょいって出かけて、ひょいって帰ってこれると思ってた。・・・意外と遠いんですね、秩父。さて、目指すは「不動滝」。秩父湖のすぐそばにある。以前から知っていたわけではなくて、「滝」って思いついたので、「埼玉 観光 滝」という感じのキーワードで検索したら出てきたところ。車で向かうと、秩父湖の手前にトンネルがある。このトンネルは、車が2台並ぶ幅すらないので、手前に信号があり、あっちに行く車とこっちに来る車が交互で通行する。トンネル内部で分岐があって、これは困った。結局、一度間違えた。一度間違えると、だいぶ先に行って、ムリヤリUターンし、戻ってくるけど、そのときも一方通行だから、直接正しい方向には向かえない。結局、元いた場所に戻って、最初からやりなおし。(入間側から向かう場合、「山梨方面」と書かれた方向に進むのが正解です)滝への入り口も、見落としがち。せまい山道を走っていると、「不動滝」と書かれた板の看板が左側にある。ちっちゃな「あずまや」もあるけど、行く前に「駐車場あり」の情報を見ていた僕は、それらしき場所がないので迷った。結局、板看板の反対側、路肩が少々広くなっているところが駐車場のようだった。車を停めて、遊歩道というか林道というか、山道というか、そういう道を「下って」いく。一度、川べり近くまで降りて、橋でもって、反対側にわたり、今度は山を登っていく。滝までは片道30分とのこと。実際、そんなもんだった。とにかく、人の気配がない。車も通らないし、電線もない。川の音は始終聞こえるけど、あとは鳥のさえずり。音はしているけど「静か」と言わざるをえない雰囲気。途中、湧き水的なちっちゃな「滝」もあったりするけど、山を登りくだりしていくと、だんだん滝の音が大きくなってくる。やがて、森の奥に、滝の姿が見えてくる。↑ 不動滝である。落差は50メートルもあって、何段にも分かれている。なんでも江戸時代には行者の修行場だったようで、実際に、滝に打たれて修行する場所だったようだ。・・・僕は打たれなかったけど。ていうか、水の量と勢いがものすごく、打たれるとしても、いったいどこに立つんだろう、と思う。「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。自然、「方丈記(鴨長明)」の一節が思い浮かぶ。 (↑ ホントだって)実際、轟音を立てて落ちる水は、ものすごい勢いではあるけど、同時に非常に「静か」でもある。「動」の中の「静」を感じる。水のはねる方向、勢い、流れは、本当に一瞬一瞬同じではなく、でも全体としては動かない。森に囲まれ、見事な大木が滝によりそうように立ち、確実に「生」、いのちが豊富であるにも関わらず、やはり「静」。轟音、いのちの営み、水しぶき、その中の「静」 どのくらい突っ立ってたでしょう、ひとしきり涼み、マイナスイオンを吸い込み、「大地のいのち」を分けてもらったことを感じて、帰ってきました。せっかくなので、秩父湖にも寄ってみる(通り道だから)ここは、↓ このつり橋で有名なようです。このタイプのつり橋では、日本最大級とか。んで、真ん中あたりで「出る」らしい・・・秩父湖って調べると、有名な心霊スポットのようであった・・・でも、僕もこの橋は渡ってみたけど、あたりまえだが、不吉な感じはまったくしませんでした。むしろ、自然の息遣いが感じられるような。だから、この場合、車で侵入していった僕が「闖入者」であるなぁ、と本当に思った。すいませんねぇ、おじゃましてますよぉ・・・って。 僕が「闖入者」であったのは、自然にとってだけではなかった。人はまるでいなかったけど、↓ 彼らは、やたらと、いた。サルがね、いっぱいいるんです。ホントにいっぱい。都合、10匹くらいと遭遇したんじゃないかな。彼らは彼らで、僕なんかに見向きもせず、木の葉っぱをむしったり、ぽーっと日向ぼっこしたりしてる。この写真、望遠でもなんでもないですよ。ホント、目の前に座ってるんです。襲ってきたらヤダナーって思ったけど、彼らにそんなつもりもないみたい。目すらあわせない。「ああ、はいはい、お客さんね~」くらいの感じかな。(もちろん、車はよけるけど・・・)だからなおさら、「闖入者」の感覚が芽生える。ここは、彼らサルや鹿たちの「場所」であり、木々、水、森の「世界」であり、僕はやっぱり、よそからの闖入者である。植木等じゃないけど、「およびじゃない・・?およびじゃないね。」と感じる。変なハナシ、そこに立ち入らせてくれたことに感謝すら覚える。 そういう場所でありました。別に、ドキドキワクワクするような場所はありません。でも、「いのち」を感じ、「いのち」を分けてもらえるような気がする、そんな素敵な場所でした。 ・・・ていうか、ウチのブログにしてはめずらしい内容とタイトル。 ほら、今日金曜で、明日あさってお休みの方が多いし、かなり暑くなってきたし、お出かけ先を探す方も多いかなーと思って、このタイトルならヒットしやすいんじゃないかと思ったという・・・梅雨いり前のお出かけがおススメです。kama
2011.05.20
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こんにちは、鎌田ですしばらくの間、更新放置してしまいました、失礼いたしました><書くネタはいくらでもあるんですがね、なんか後回しになってしまってるうちに数日が・・・。こうして、「放置ブログ」ができていくんでしょうが、なーに、ウチのはやめませんから、どうぞ今後ともお付き合いのほど、よろしくよろしくです 放置から回復ついでにデザインも変えました5月も後半だというのに桜が咲き続けていて(旧デザイン)まだそんなに降ってないくらいの時期に梅雨入りするこれまた、当ブログの毎年恒例デザイン変更でございます 明日から中学校の中間テストが始まります。今回は、最も点数をとりやすいテストのはずだけど、正直、不安がいっぱい・・・。一夜漬けでも浅漬けでもなんでもいいから、できるかぎり、知識をつめ込みたい。 ・・・あ、タイトルの意味は特にありません。「放置」→「ほうち」→「ホーチキツケテー、ホーチキツケテー♪」→「報知」→って、連想が進んだだけのことです。 kama
2011.05.19
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中間テストまで1週間を切ったF中は公開授業日・・・F中生、まだ自習に来ていません。 2週間を切ったK中生が自習に来ています。エライ!(A中生もだよ!) M中生はまだ少し先だけど、早めにね! ジュクチョウ
2011.05.14
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フレッシュ・チューター軍団たち KY先生(月曜日)、KI先生(火曜日)、TH先生(木曜日)、KR先生(土曜日)がみんなの質問に答えます!(って、イニシャルじゃ誰だかまったくわからんですね~苦笑) 理系の先生がかなり増強されました!乞うご期待! 水曜日のSR先生も健在ですよ~ ジュクチョウ
2011.05.12
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こんにちは、鎌田です僕は、納豆と豆腐が大好きである。これらの名前の語源について、「実は逆だった」という説がある「納豆」は糸をひいて、腐ってるようなイメージがあるからむしろ「豆腐」の方が名前としてはぴったり。一方、豆腐に「くさってる」イメージはない。むしろ、大豆をギュッと濃縮させて固めたイメージがあるから「納豆」の方がイメージに近い。だから今でいう納豆は、もともと「豆腐」と呼ばれ、豆腐がもともとの「納豆」であった。それがいつしか、誰かの間違いをきっかけに逆に呼ばれるようになってしまって定着した。そういう説である。 しかし、これは有名な「ガセネタ」。ホントのことではありません豆腐も中国から伝わったものだけど中国では「腐」の字に「くさっている」という意味はないんですね。「ブヨブヨしたもの」を表す字でほら、豆腐、ブヨブヨしてるでしょ。一方の納豆ですが「納」の字は、製法ではなくて作られる「場所」を表しています。「納所」、つまり「お寺」などにおいて作られた製品が納豆。まあ、諸説あるようですが一応、この説が有力のようです。 ところで、納豆みなさんは大粒と小粒、どちらがお好きですか? 僕は、断然「小粒派」である。 ところが、僕の実家は「大粒派」。従って、帰省したときなんかは食卓にならぶ納豆は、必ず大粒別に大粒納豆がキライというわけではないから、それでも食べるけどやっぱり僕は、小粒、しかも極小が良い。小さければ小さいほど良いからひきわり納豆を食べていた時期もある。なぜ小粒が良いのか?大粒納豆を食べてみる。すると、当たり前のことだが「豆」の感覚が非常に強い。一粒一粒、かみごたえがある。しっかりしている。なんなら大豆本来の味もするしはっきりと「豆を食べている」という感じがする。だから、豆好きな人は、大粒の方が良いような気もする。これに対して、小粒納豆の方は一粒一粒の豆は、なんか、どうでもいい。小粒納豆の魅力は「豆感」ではない。かみごたえなんか、必要ない。極小粒納豆の魅力は、ズルズル感と、ネバネバである。よーく糸をひいたネバネバの小粒納豆、これを、少々濃いくらいの味つけにし、白いほかほかのごはんにかける。ネバネバがごはんの間にしみこんでいき、この時点で、「納豆かけごはん」はごはんの上に納豆をかけて食べるものではなくなる。「納豆+ごはん」の、新しい味になる。大粒納豆では、このネバネバ感にとぼしい。糸をひかせるのが難しい。小粒やひきわりだと、いくらでもネバネバを作れる。だから、ネバネバ重視の人は、小粒が良い。ネバネバの小粒納豆は、集団の味でもある。豆一粒ひとつぶが重要なのではなく、その意味では「主役」はいない。しかし、豆群とその間のネバネバ、さらに白いごはん、彼らが一体となって、見事な味の調和をつくる。個人主義の向かない日本人にはこちらが向いていると思うが、いかがであろう。納豆にも「調理方法」がある。豆を発酵させるということではない。スーパーに売っている、白いスチロールパック状態からの調理だ。まず、パックのまま混ぜてはならないこれをすると、箸がつきささってパック底面に穴が開く可能性が高い。開かなかったとしても、手加減してかき混ぜることになるから、本来のネバネバを発揮することができない。だから、必ず、小鉢やそれに類する器に移す。僕は、一度に必ず2パック、投入する。 そして、混ぜる。 僕は、納豆について、2とおりのいただき方をする。ひとつはもちろん、白いご飯にのせること。もうひとつは、そのまま納豆単体で食べること。オムレツに入れたり、チャーハンにまぜたり、カレーにまぜたりする方もいるようだが、僕はそれらは好まない。せいぜい、焼いたもちにまぶすくらいか。 さて、単体でいただく場合には、ネバネバはあまり多くなくてよい。むしろ、豆が独立して口の中で味わえる程度の混ざり具合、言い方をかえれば、「バラし具合」で十分だ。しかし、白いご飯にのせる場合、どんだけネバネバさせられるかがポイントになる。そこで、器に移した納豆を混ぜるとき、必ず、ほかのもの(タレやネギなど)を加えてはならない。まずは、納豆のみで、ひたすらかき混ぜる。ここにタレ・しょうゆなどを混ぜてしまうと、もうネバネバは弱くなる。とにかく、納豆単体の状態で、まぜる。 まぜる。 まぜる。 かつて魯山人は400回まぜると言ったとか 僕もそのくらいは混ぜたい。混ぜたいが疲れる。だから、疲れるまで、がんばる 道具は、本当は専用の器具であってほしい。(あるんです、納豆かきまわし用の道具が)でも、今それは持っていないから、箸でまぜる。ネバネバを強くするには、箸は2本以上もつ。わしづかみにして、1かたまりにしてはあまり意味がない。要するに、撹拌によってネバネバをたてるわけだから、2本の箸を、がんばって感覚をあけ、まぜる。 100回もまわしているともう、豆が見えないくらい真っ白なネバネバがもりあがる。最初の体積の4~5倍にはふくれあがっているだろうか。これ以上まぜたら器からあふれるあるいは、腱鞘炎になるというその前に味付けに入る。付属のタレを嫌う人もいるが僕はむしろ大歓迎である。だから、タレを入れる。これはこれで、一度に大量投入してはならない。せっかく作ったネバネバが、大量の液体によって急激にさらっとしてしまう。ネバネバが減らぬよう、少し加えてはまぜまた少し加えては混ぜる。ネバネバのご機嫌をとりながら少しずつ味付けをしていく。 なにしろ大量のネバネバをこしらえたので付属のタレだけでは味がたりない。そこで、醤油を加える。ここで醤油を加えることが前提だから付属のタレが歓迎なのである。より味に深みが増す。この醤油も、小分けにして、少しずつ加える。とにかく、ネバネバが機嫌を損なわないようにする。 途中で、味の素を加える。醤油はどうしてもカドがあるから、味の素を加えるとまろやかになる。 醤油は、最終的に、結構な量を加える。色で言えば、こげ茶か、黒に近いくらいに、入れる。ごはんの上にのせたとき、ネバネバ群が米粒の隙間をゆっくりとしみこんでいくくらい、醤油は加える。 僕は、カラシは入れない。カラシはキライだからである。ほかのものは、たとえば刻みネギ(わけぎ)があれば入れる。また、本当は「納豆薬味」という小瓶に入った調味料があって、これは白ゴマとかノリとか、そういうのが混ざったヤツなんだけど、これがあれば入れる。ところが、最近はスーパーなどでも見かけず、「納豆薬味」ナシでやっている。少々さびしい・・・。 とにかく、これ以上ないほどのネバネバをつくり、少しずつタレと醤油を加え、表面のプクプクと会話しながら、色を濃くしていく。 いざ、白いごはんにのせる。 黒みをおびたネバネバが、ごはんの隙間から、じわ~っとしみこんでいく。これをズルズルと書き込む。ズルズルが良い。 もう、おいしいったらありゃしない。 ・・・なんだ、この記事は、とお思いのアナタは、関西の方ですか? あ、ちなみに、納豆について書こうこれは、あまりにどーでもよくどーでもいい、くだらない記事としてはかなりのくだらなさだろうそう思って書いたんだけどなんと、「先輩」は大勢いた。「納豆ブログ」なるものが存在するしなんと「納豆学会」なるものまである。そりゃそうか、国民食だもんね。僕なんか、まだまだ有段者にもなれない。精進精進・・・。 納豆で夕食を食べたあとのkama
2011.05.11
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こんにちは、鎌田です今日の入間市は、なんともイヤな感じのお天気です朝からずーっと曇りで、たまーに霧のような雨がふるそして、これも朝からだけど、ムシムシ、蒸し暑い・・・南の方では、早くも梅雨入りしたそうで、いやはや、これからますますジメジメしてくるんでしょうね。さてさて、そこで、愛夢舎でも、ひとつの「改革」を。昨日の定例会議で、塾長佐々木のツルの一声で決定事項となりました。 「愛夢舎でも、 クールビズを導入します。」 ・・・ くーるびず・・・ いや、もちろん知ってますよ僕は、確かに、着るもの、身につけるものについては無頓着です。頓着しないどころか、マズイくらいの無知・無センス。それは自分でも認めていますが、なにせ、普段着の多くは大学生の頃から着ているヤツ。中には、高校生の頃から身につけているものもあって、それはそれで「物もち」がいいじゃないかと開き直ってみたりもするが、そこのところは誰も評価してくれないそんな僕でも、クールビズの何たるか、「考え方」は知っています。小泉さんが首相のときに、政府おススメキャンペーンとして導入、エアコンの使用を控えるなど、環境対策を目的としていて、「クールビズ」という用語自体は、下着メーカーグンゼの発案。どうだ、まいったか今の状況を受け、愛夢舎でも使用電力をできるだけ節約しようと小田切副塾長を中心に、いろいろやってみています。その一環でもある、今回の塾長発案でございます。うん、それはいい環境貢献にもなるだろうし、僕らも涼しくてよい特に、市原リョーマ先生は大喜びでした。会社員生活も長かったリョーマ先生だけに、むしろ今までクールビズを導入していなかった愛夢舎は旧態依然、古臭く思えていたのかも。僕も、導入には賛成であります。 ・・・ ・・・でもね ・・・困ったことに、どうすればいいのか、わからない 普段着るものに無頓着であるし、僕、大学卒業して、社会人を続けてきて、塾でも、ほかの会社にいたときも、ワイシャツ、ネクタイ、スーツ以外の格好をしたことがない。「ネクタイをはずして、ボタンを外せばいいんだよ」ほかの先生はそう言う。カンタンに言う。でもさ、洋服の青山とか紳士服のAOKIの前なんかを通ると、「クールビズ洋品」がどーたらこーたら、書いてあるじゃない。てことは、そういう専用の格好があるわけでしょ?そんなコーディネート、僕にはできそうもない・・・。困った・・・ 昨日の会議で、リョーマ先生「期間はどうなりますか?いつからでしょう?」と。まあ、クールビズはひとつのきっかけで、僕らの格好は必ずしもネクタイ必須でなければならないだろうか、もうすこしカジュアルな格好でもいいんじゃないか、だいたい、僕なんかはかつては金髪長髪だったわけで、そんなのもアリだった愛夢舎としてはネクタイにこだわり続ける必要もなく、まあ、つまり、四季を通じて、ドレスコードをゆるめようというのが意図である、だから、別にいつからいつまでと決めることもない。ということになった。 ↓ 今日の愛夢舎の様子。クールビズである・・・気がついたら、僕だけネクタイ締めてる・・・確かに、みんなさわやかだし、涼しげである。これはいいなぁ・・・と思う。 これ、自分で書くのはどうかと思うんだけど、僕、万能みたいに思われることがあって、「鎌田先生は、なんでもできる」、「鎌田先生が知らないことはない」みたいな・・・。もちろん、苦手なこと、知らないこと、できないことは山ほどあるわけで、それはたとえば、お裁縫だったり・・・><そういう「苦手なこと」のひとつがオシャレです。これを機会に洋服の青山なんかに行ってみて少し勉強してみようかと思う。 ともかく、今年の夏の愛夢舎はクールビズです。kama
2011.05.10
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小4国語の授業で・・・(随分前に書いた記事のつづき) 私:「Gちゃん、入院している人のところに行って元気付けてあげるのは『お参り』じゃないな~(苦笑)じゃあ、Kちゃんはわかる?」 Kちゃん:『お見合い』 私:「・・・(苦笑)」 ジュクチョウ
2011.05.07
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こんばんは、鎌田です今日も、長野県佐久市の実家で書いてます今回は、完全プライベート記事です。失礼帰省といっても、地元に友人がいるわけでもなく、今日は家族で出かけました。僕は行ったことはなかったんだけど、「ダム好き」の姉が行ってみようと言い出して、隣町にある「南相木ダム」というところへ行ってみましたくねくねの山道を抜けると、白い岩壁が目にとびこんでくる。なんでも、「ロックフィル方式」とかいうダムのようで、この方式のダムとしては、日本最高地点にあるとか。平成17年にできた新しいヤツで、これから観光スポットになってくるのではないか、というのは、姉の談。東京電力の発電施設です。東京電力の施設なので、ダムの水は埼玉側に流れ落ちるという。長野県なのにね。さすがに「涼しい」を通り越して、寒かった貯水側と反対の方、下をみおろすと、なにやら、グルグルの模様がみえる。下にあるのは「ウズマク広場」というらしく、なるほど、何か所か、ぐるぐるウズマイテいた。ここにも立ち寄ってみる。下から「岩壁」を見上げてみる。これらの岩は、すべて石灰岩だそうで、晴れ空の下、白さがきわだって、なるほどキレイである。わんこたちも連れて行きましたが、それぞれゴキゲンのようでした さて、ひとまわりした後、車を運転して帰ってきたのですが、途中で、↑ こんな看板をみつけました ↓ このセンス、おもしろいなー運転中の一瞬で「おっ!!美人が多いのか!じゃあ、のんびり走って、じっくり見なきゃ」って思うかどうか、アヤシイもんだと思ったけど、僕の場合、スピード落とすどころか停車して写真をとってるわけだからそれなりに効果アリなのか?まわりが田んぼだらけのところなんだけど、「ご高齢の美人がいっぱいなんだねー」って、姉が言ったとかなんとか・・・。Kama
2011.05.02
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こんばんは、鎌田です長野県佐久市よりお届けしております えと愛夢舎は4月29日~5月5日の期間ゴールデンウィークの休館期間をいただいておりますzzz僕も、実家に帰省しております去年の9月、こちらの方に用事があったのでほんの数時間だけ実家に寄りましたが、ちゃんとしたカタチでの帰省はまる1年ぶりです ・・・はい、親不孝者です。反省・・・ 僕には姉がおり、ふだんは名古屋で暮らしているのですが、今回その姉も戻ってきており、ひさびさに家族4人がそろっています。あ、実家には2匹のワンコもおりまして、シーズーパピヨンミックスの「ミゲルくん」、チワワの「タルトくん」といいます。姉は姉で、チワワの「ココアくん」と同居しており、その子も連れて帰ってきているので、人間4人+わんこ3匹が勢ぞろいしておりますこの年齢になっても「家族みずいらず」の時間が過ごせるというのは幸せなことです。 ・・・ミズイラズ? どういう意味だろう?? いや、意味はなんかこう、気兼ねなくみんないっしょくたにくつろいでるような、気のおけない人たちで集まってるというか、そういう意味なわけですが、なんで「みず」が「いらない」のか?語源ですね。 あんまり考えないことかもしれませんが、日常に転がってる、よく使うことば、そういうのの語源を知るのって、意外と新しい発見があって、おもしろい。謎は日頃の生活の中にも転がっており、その謎解き、僕、好きです さて、「みずいらず」ですが、答えは意外とカンタンです。 「水と油」という表現がありますが、アレの反対ですな。 「水」と「油」は、まるで性質が異なって、まじりあう事はない。むしろお互いをはねつけあって、だから、料理のときに油を熱してるとこに水滴とかおちるとバチバチってはねて、それが腕にかかると熱くて、僕なんか、それで細かいヤケドを何度したことか。油と水が混じらないということを利用して作られてるのが海で船の座礁なんかが起こったときに使われる「オイルフェンス」ですね。でも、熱した油に水分を入れるということにあえて挑戦するひとは必ずいて、たとえば、アイスクリームのテンプラ、フライなんかがそれであって、そういえば僕もかつて、「ベイクドアイスクリーム」を作ったことがあって、これはカンタンにいえば「焼きアイスクリーム」なわけですが、アイスクリームをメレンゲで包んでオーブンで焼くわけですね、すると、まわりこんがり、中は冷たいアイスが・・・ ・・・なんのハナシだっけ? えっと、「みずいらず」ですが、これ、「水要らず」ではないんですね。「水が いらない」ではなくて、「水が 入らない」。「水入らず」です。 油の集まりの中に水が入らない。 つまり、家族や仲間内など、同族・同種的なもの、「油」の中に、よそもの、縁遠い人、「水」が入らない状態。これが、水入らずです。 ほらね、別になんのヒネリもなく、「ふーん」って感じでしょう。 でもね、日常の謎というか、新しいビジョンというのは、ここでとどまっては生まれない。たとえば、謎解きストーリーを読んでいて、「ははあ、このハナシの謎はこういうことだな、見切った!甘いな、ふふふ・・・」とタカをくくってると、そこが危ない。人っていうのは、自分が「勝った」と思うと極端に無防備になるからねーだから、そのあともう一段階「ワナ」をはられるともう、はまったも同然だったりする。 いや、別に、謎解きとかワナのハナシじゃないんだけどね 家族水入らず。 なんで、逆の発想なんだ? だって、油と水だったら、水のほうが普通にあるものだし、絶対必要なのも水だし、油って、なんかカラダによくないようなイメージもあって、「異物」の印象なら油だろう。 こう考えればよい。 「家族水入らず」というのであれば、この場合、家族は「油」である。 油が集まってる。 オンリー油だ。 油しかない。 今現在の僕の実家なんて、純度の高い油がもう、最高レベルで濃厚な状態だ 油でギトギトだ 油ギトギト家族 ほらみろ、イヤな感じになったじゃないか。Kama from Nagano ↑ いやね、実家に帰ったらパソコン使えたもんでね。
2011.05.01
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